'98サッカーワールドカップは残念な結果に終わった。日本はまず組織的な守備力を強化し、世界の一流チームとまともに対戦できることを示した。だが、勝てなかった。絶好のチャンスは何度もあった。そのチャンスを生かしていれば勝負はどうなっていたか分からない。
「絶好のチャンスが何回もありながら得点できない」・・このもどかしさは我々草野球人もしょっちゅう経験する。無死、あるいは1死3塁の場面は、クリーンヒットを打たなくても得点できるチャンスだ。しかも、最も信頼の置けるクリーンアップに打順が回ってきた。願ってもいないチャンスだ。ヒット、いや贅沢は言うまい、犠打でもいい、内野手の真正面でない限り内野ゴロでも十分点が取れる・・と思っていたら、内野フライで無得点。別のイニングでは相手投手がコントロールを乱し、無死満塁のチャンスを迎えた。今後こそ、と思っていたのに相手投手が踏ん張りを見せ、やはり無得点。で、終わってみたらチャンスの数は少なかったにも係わらず、チャンスを確実に生かした相手に負けていた。今回のワールドカップは野球で言えばまさにそんな試合展開であった。
第61章で、 サッカーではシュートに至るまでは組織プレーである。パスを回して相手の守備陣形を崩す。しかし、シュートのまさにその瞬間は個人の能力に依存する。どこにどんなシュートを放てばゴールできるのかという状況を瞬時に判断し、その判断に従って体が反応しなければならない。 野球も全く同じである。相手の守備陣形を考え、投球のスピード、コースを瞬時に判断し、打つか打たないかを決める。打つと決めたら、どのようにバットを出すのかを瞬時に判断して体を反応させる。状況判断が正しく、判断どおりに体が反応すれば得点にむすびつく。この判断と体の反応はまさに個人の能力に依存する。 個人の瞬間的な判断をサポートするのがベンチからの意思伝達である。ベンチが自分にヒットを要求しているのか、外野フライを要求しているか、内野ゴロを望んでいるか、あるいはスクイズを考えているのかが明確であれば、個人としての判断はやりやすい。個人能力が高ければ、何でもいいからとにかく得点に結びつけろという要求でも構わない。が、個人能力が低い場合には、個人の判断が正しくなかったり、迷いを生じることが多い。だから、ヒットを打つべしと判断し、それ故に気負ってバットを振ってしまうことになる。気負わずに打撃できるような意思を伝えておけば、打者はそれに徹することができる。 これ、ゆめゆめ忘れることなかれ。 (平成10年6月30日掲載)
【幹事補足】 |
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