仏教を深める創作ノート01

2014年10月

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10/01/水
10月になった。ノートのタイトルを変える。「仏教を深める」。これからしばらくは仏教について考える。まだ何を書くかということは決めていない。とにかく仏教を深める。それがこれから1年のテーマだ。ドストエフスキーの4部作は、空海、日蓮と続いた仏教シリーズで、次は親鸞、とオファーを受けていたのを、中断する形でやらせてもらった。だから、次は親鸞と、当初から決まっていた。だが、親鸞は難しい。親鸞には謎の部分がある。じっくりと資料を読み込み、考えないといけない。聖徳太子についても、いずれは書かないといけない。日本の仏教は聖徳太子から始まっているのだし、親鸞にも影響を与えている。日本の仏教の全体についても考えてみたい。いまは資料を読んでいる段階だ。さて、本日は学部長会議。いったん自宅に帰ってから、メンデルスゾーン協会運営委員会。軽く飲んで帰る。

10/02/木
大学。昼休みに11月に開くシンポジウムの打ち合わせ。それから武蔵野文学賞の候補作をコピーして選考委員の先生に配布。4限、5限、6限と授業。長い1日。

10/03/金
世田谷文学館で文学賞の選考。館長の菅野昭正さん、青野聰さん。そのあと文学館の1階の喫茶店で雑談。世田谷文学館は京王線の芦花公園にある。これまでは妻に車で送ってもらっていたのだが、今回は新宿線の小川町から出発。2年に1度の選考なので、新居に引っ越してからは初めて世田谷文学館に行くことになる。新宿行きの電車が来たので新宿まで行く。すぐに区間急行というのが来た。これは地下鉄内は急行なので、小川町からは乗れない。区間急行は芦花公園は停車しないので、次の千歳烏山まで乗る。斜めに道をたどると、すぐに文学館に到着した。帰りも千歳烏山まで行く。区間急行が来た。神保町で下りて、歩いて帰るか、各駅停車を待つか迷ったが、今日はいやい暑いし、千歳烏山でかなり歩いたので、小川町まで各駅停車に乗った。本日はのんびりした1日だった。自宅に帰ったら河出の担当者からメールが届いていて、「聖徳太子」の正式オファーが来た。とりあえずは聖徳太子を書きながら、親鸞のことも考え、さらに仏教そのものについても考える、というスタンスになりそうだ。

10/04/土
今週は休みがない。本日は大井町のきゅりあんという施設の大会議室で、羽田プロジェクトのイベント。1967年10月8日の死者を追悼し、3年後の50周年に向けてのプロジェクトの発会式のようなもの。東大全共闘議長だった山本義隆さんの講演がメインで、山本さんが公の場所であの時代を語るのはおそらく初めてのことだろう。テレビのクルーが来ていた。亡くなった山崎くんと詩人の佐々木幹朗は同級生だったのだが、わたしは同期入学でわずかながら面識がある。山本さんは同じ高校の7期上の先輩。これまでもプロジェクトの会議やその後の飲み会でお話を伺ってはいたのだが、演説の壇上に立つと、さすがというか、見事な講演で、正確な記憶力と、物理学者らしい論理の中に、けっしてきれいごとは言わないという現実感覚の語り口は、説得力があり、さらに関西人らしい間のとり方で笑いをとることもあり、講演の模範のような楽しい話だった。それは山本さんはすでに歴史上の人物であり、伝説の英雄でもあるが、世間では過去の人という見方もしていたと思う。しかし本日の演説を聞いていると、時間の隔たりはなく、いまも闘いは続いているのだという実感をもつことができた。首相がベトナムに行くというだけで、日本が戦争に加担することへの嫌悪感で、命をかけた闘争が起こったという、47年前のことを思うと、いままさに日本が世界中の戦争に加担することを法律で決めようという動きがあるのに、若者たちが問題意識さえもっていないということに危機感を覚えるのはぼくだけではないだろう。いま「ぼく」という一人称を使ってしまったが、「続カラマーゾフの兄弟」という、ライフワークを書いてしまったので、これからの人生はオマケみたいなものだと考え、もっと自由に楽しく生きたいと思っている。それで今月からは、なるべく「ぼく」といういう一人称を使いたいと思っているが、作家になってからずっと「わたし」と言ってきたので、なかなかクセは直らない。「わたし」という言い方をするようになったのは、4年ほどサラリーマンをしていたのと、芥川賞をもらった作品のタイトルが「僕って何」なので、主人公の「僕」と区別するために、作家としての自分は「わたし」と称することにしたのだが、もう誰も昔の作品のことは忘れてしまっただろうし、現在の自分はドストエフスキーと仏教の作家だといっていいので、「ぼく」という言い方をしていもいいだろう。さて、羽田プロジェクトは大勢のスタッフに支えられているのだが、山崎くんのお兄さんに声をかけられて、ぼくと佐々木幹朗が一晩飲んでプロジェクトの呼びかけメッセージや今後の展開について考えたのが出発点なので、その後も、高校の同級生に声をかけている。本日の集いも、高校の同窓会のようなところがあって、二次会でも山本さんを含めて、大手前関係者だけで一つのテーブルを囲んで、同窓会的なムードになった。隣に座ったのが、高校は同じで、中学でも同級だった人物なので話がはずんだ。かなりのピッチで飲んだので、3次会には行かずに自宅に戻る。さて、いよいよ本格的に、聖徳太子について考えなければならない。

10/05/日
日曜日も出勤。AO入試。この大学の専任になって4年目なので、こうした入試方式にも慣れてきた。わたしが専任になったのを気に、武蔵野文学賞高校生部門というのを設置して、入賞者にはAO入試でアドバンテージを与えることになっているのだが、今年は4人の入賞者のうち2人が受験してくれたので、いよいよこのシステムが稼働し始めたかなという気がする。学部長なので最後の判定会議にも出席しなければならず、早朝から夕方まで大学に拘束されて、1日がつぶれてしまうのだが、面接で若者たちと話ができるのは貴重な体験だ。帰りの電車の中では、わざと各駅停車に乗って、聖徳太子の資料を読み、自宅に帰っても読み続けているうちに、今回の作品で最も中枢となるアイデアを得た。仏教に対する主人公のスタンスをどうするかということでここまで迷っていた。伝説では大天才であり、救世観音の生まれ変わりということになっているので、最初から仏教のすべてを理解した人というイメージになっているのだが、最近は「聖徳太子はいなかった」などと言い出す学者がいて、日本書紀などの記述はすべて後代の捏造であるという見解が出てきた。そういう見解そのものはウケを狙った暴論にすぎないのだが、それでは観音菩薩の生まれ変わりということでは小説にならなす。生身の人間としての太子がどの程度、仏教を理解していたかということが問題になるのだが、高句麗から来た導師と交流する以前、十代のころにすでにある程度の理解があったと考えたい。そうでなければ話にならない。で、読んでいた資料の筆者は、僧侶でもない太子の理解は、伝説とは程遠いものだったと断じているのだが、その時に、ぼくの頭にひらめくものがあった。このぼく、つまり三田誠広だって、僧侶ではない。しかし17歳で初めて口語訳の仏典を読んだ時に、すらすらとすべて理解できた。大乗仏典とは本来、そういうものだ。小乗の哲学理論を排し、ふつうの大衆が理解できるようなおもしろい文学作品として書かれたのが大乗仏典なので、誰でも理解できるはずなのだ。いまの経典は現代人には難解だが、それは漢文が読めないからだ。しかし聖徳太子の時代はひらかなはまだ発明されておらず、漢文しかなかったのだから、聖徳太子は少年のころから漢文は読めたはずで、書くこともできただろう。ハワイで生まれた日本人が英語の読み書きができるのと同じで、当時の日本は、中国の文化圏にあった。百済、新羅、高句麗の人々とも、漢語で会話ができ、漢文はすらすら読めたはずなのだ。だから漢訳経典があれば、法華経や維摩経は楽しく読めたはずだし、内容も充分に理解できただろうと思う。17歳のぼくがそうだったのだから、天才の聖徳太子なら、10歳くらいで仏典の心髄を理解していたはずだ。一方、そのころ、仏教を広めようとして朝廷や蘇我氏が考えていた仏教は、単なる仏像崇拝にすぎない。日本の神々は本来は地霊であるので、形がない。鏡や、滝や、岩や、樹木や、山などを拝むしかない。それに対して金箔を貼った仏像は、異様に輝かしい偶像と見えただろう。だからこそこの偶像崇拝を推進力として国家をまとめようとしたのだ。ただし偶像崇拝は、本来の仏教ではない。仏教では何よりも教えの言葉を大事にするし、法華経で語られる「法身の釈迦」という久遠仏は、形のない仏なのだ。そのことを理解していたのは、同時代では聖徳太子ただ1人だったのではないか。その孤独感が作品の核となるだろう。これで主人公のキャラクターが決まった。もう作品は出来たようなものだ。

10/06/月
台風のため大学はすべて休講。教授会、学科会の中止は前日に専任の先生方に伝えあるので、本日は休み。明日は大学暦でもとから休みの日で、水曜は授業がないので3連休となった。もっとも明日と明後日は再校ゲラを読む作業に予定している。実家に帰るはずだった妻がまだいるので、作業は明日からということにして、本日は「聖徳太子」を書く。もうオープニングの部分は書き始めている。まだ資料を読み込んでいないので、これからどういう展開になるかわからないのだが、とにかくスタートする。あまり先まで考えてしまうと書く愉しみがないので、いつもこんな書き方をする。とりあえずその場その場でおもしろい話を書いていく。冒頭、まだ少年の鞍作鳥が現れ、続いて調子麿が出てくる。2人とも謎の人物だが、伝説には名のある人だ。とくに鳥は止利仏師として、歴史に名を残している。当面はこの二人が主人公の側近として活躍する。たぶん全篇を通じて、活躍することになるだろう。主人公はまだ少年なので、女性がなかなか出てこない。母親をいつどのように登場させるか、推古天皇と馬子という重要人物をどこで出すか。まだ何も考えていない。久しぶりにフットボールの話題。5試合終わって、全勝のチームはなく、4勝1敗のチームも3つだけ。いずれも優勝候補ではないので、まだリーグ優勝はまったく予測が立たない。有力チームも3勝2敗くらいで、何とかもちこたえているので、これから調子が上がるだろう。相撲は15試合、フットボールは16試合で、似たようなものだ。相撲の力士はとりあえず勝ち越しを狙うのだが、フットボールは全32チーム中、プレーオフに出られるのは12チームだけなので、勝ち越しただけではダメ。10勝6敗、できれば11勝しないと安全圏とはいえない。ホームゲームのアドバンテージがあるので、もっと勝った方がいいのだが、とりあえずプレーオフのトーナメントに進めるかが当面の目標となる。少しくらい負けてもいいから、新人など控えの選手も使って経験を積ませないと、シーズン後半には怪我人も出てくる。とくにプレーオフに入ってからはハードな闘いが続くので選手層の厚さが必要になる。まだ10月だ。とりあえずブロンコス、49ナーズ、ジャイアンツ、スティーラーズなども、最初の5試合でかろうじて勝ち越してスタートした。これからが愉しみだ。

10/07/火
本日は大学の代休。何の代休かわからないがとにかく休み。「偉大な罪人の生涯/続カラマーゾフの兄弟」の再校ゲラ。まず第1賞を熟読。パーフェクトであることを確認した。ただ最初に「罪人」という言葉が出てくるところにルビをふった。あとは飛ばし読み。校正者の付箋のついているところをチェック。それから著者校正で書き込んだところも確認。とくにエンディングとあとがきを熟読。ここでも一箇所だけ修正を入れた。これで完了。まだしばらく手元に置いて、気づくことがあればチェックしたい。明日もカラマーゾフについて、もう1度、じっくり考えてみたい。

10/08/水
自宅にこもって集中して仕事に取り組む。夕方、散歩に出ると、藪そばに灯りが点っていた。新居の近くに藪そばがあるので楽しみにしていたのだが、転居の前に火事で消失した。ようやく再建して、本日は招待者だけのおひろめだとのこと。一般のオープンは10月20日からという張り紙があった。住居のあるビルの別館に飲食店が入っているのだが、1年半で2店目のリニューアル。というか、入れ替え。喫茶店だったところがラム肉酒場というものになった。喫茶店は1階にもあるので、奥まった2階にある店は人が来なかったのだろう。

10/09/木
大学だが、本日は授業は休講にして、学内の能楽資料センター主祭の講演会で、能楽師の梅若紀彰さんと対談。楽しい対談になった。打ち上げにも参加して自宅に戻ると、実家に帰っていた妻がいて、日常が戻った。さて、「仏教を深める」というノートを今月から始めたのだが、日本の仏教とは何かということを考えながら、作業を進めることになる。当面は聖徳太子について小説を書く。もう出だしのところは書き始めたのだが、並行して資料も読んでいる。仏教伝来の時の日本人の仏教理解は、偶像崇拝ということに尽きる。しかししだいに禁欲と規律が必要だということがわかってきて、寺院を作り、出家した僧が増えていく。ただまだ仏典を理解するところには行かない。主人公は皇族なので、仏典に触れる機会がある。読んで理解する。誰も理解していないものを一人だけ理解していると、人は孤独になる。高校生のころのぼくもそうだった。だから今回の作品は自伝を書くような気持で書くことになるだろう。自分の仏教理解と、太子の仏教理解とは重なるところがある。しかし太子の場合は、叔母にあたる推古女帝に補佐役として政治に関わることになる。このあたりの苦悩と絶望感を、あまり暗くならないように展開したい。「聖徳太子/世間は虚仮にして」というようなタイトルを考えている。作品はすでにスタートしている。テンポよく短いショットを積み重ねていきたい。話を面白くするために「志能備」と呼ばれる忍者を登場させる。やや超自然的な要素も入れたい。ただファンタジーになってしまわないように、リアリズムは確保したい。まだ文体ができていない。「続カラマーゾフの兄弟」の場合も、文体ができるまでは時間がかかった。最初に語り手を登場させた上で、コーリャという人物を中心に話を展開するというスタイルの確立まで、かなり迷った。続篇なので本篇とのつながりについて告知する必要があり、語り手という人物を設定したのだが、この語りが一瞬、崩れるシーンは後半に用意されている。語り手も登場人物の一人なので、そういうことが起こる。客観的な語りが、一人称的な語りと、スタイルがクロスオーバーする瞬間が設定されている。今回は、そういうアクロバティックな仕掛けはできない。神の視点で客観的に語るしかないが、シーンごとに視点となる人物を設定することで、リアリティーを確保したい。視点をどこに設定するかで文体が決まる。これはある程度、書き込んでいかないと、安定した視点というか、視点が移動することにも一定のリズムができて、読者がある安定感を感じるようになるまでには、ある程度の量を書き込む必要がある。20ページ、60枚くらい書けば、スタイルが見えてくるかなとも思う。いまはまだ試行錯誤の段階だ。スタイルを確立するまでは、紙のノートにどんどん書き込むという流れができないので、パソコン上であれことれと文体を試すことになる。今日もそういう作業を続けている。ただし、本日の夜中はフットボールを見ながら寝酒を飲みたい。そう思って打ち上げではやや控えめに飲んでいた。本日はジャイアンツ戦(もちろん録画)なので、じっくりと見て今シーズンのジャイアンツの展望を考えたい。

10/10/金
国立国会図書館で会議。もう長く続いている画像化した図書の配信についての議論。千代田線国会議事堂前から歩く。国会議事堂の左から右に行くので、議事堂の長さだけ歩く。すぐ近くに有楽町線の駅があるのだが、日比谷での乗り換えが不便だ。

10/11/土
池袋の淑徳大学のカルチャーで講座。般若心経について。これはテキストに従って解説すればいいだけで、90分できっちり説明できた。本日の仕事はこれだけ。

10/12/日
日曜日は休み。実は大学では本日も何かの入試をやっているのだが、受験者に何かの作業とか討論をさせてそのようすを観察するという、新しい方式の入試のようで、これは担当の先生(入試担当の先生と学科長)に任せることにした。本当の学部長はすべての入試に立ち合わなければならないのだが、これだけは許してもらって休みにしている。ということで、本日はのんびりする。先週は思いがけず月曜が台風で、火曜は代休で、水曜は学部長会議がない日で、3連休だった。木曜も能楽資料センターの催しがあったので授業はしなかった。丸一週間、授業がなかったので、夏休み明けのような妙な気分だ。授業のやり方を忘れてしまったような感じで、明日、ちゃんと授業できるかなと心配だ。再校ゲラはまだ手元にあって、気になる箇所を思いつくと、袋から取り出して確認しているのだが、よくできた作品なので、これ以上、手を加えることがためらわれ、あまり手を入れないようにしている。一箇所に手を入れると、つじつまが合わなくなって、次々と修正しなくてはならない、という事態も起こりうるし、もはや気持が離れて、自分が書いたという感じもしなくなっているので、手を加えるのがはばかられるようでもある。「聖徳太子」も進めているのだが、まだ文体は確立されていない。試行錯誤がしばらく続くことだろう。

10/13/月
大学。2週連続で台風。ただし本日は午後から休講なので、1限にだけ授業のあるこちらは休みにならなかった。しかし学科会が中止になったので早く帰れた。月曜と火曜は早起きするのだが、夜中にフットボールをやるので寝られない。今シーズンはカウボーイズが強い。スーパーボウル覇者のシーホークスの攻撃を完全に封じた。この勢いがどこまで続くのか。ロモというQBは肝心のところでミスをするので信用ができない。昔、カウボーイズが無敵だった時期があった。エミット・スミスという小さなランニングバックがいた。あのころと比べたら、いまのカウボーイズはまだ不安定だ。

10/14/火
今日も休みかと期待したのだが、台風が速く通り過ぎてすごい快晴になった。1限に出てみると学生は半分くらいしか来ていない。本日は1限だけだが、事務関係の対応があって昼過ぎまでいた。ネットで49ナーズの勝利を確認。最初にアクセスした時は14対0で負けていたのでどうなることかと思った。自宅に帰ってから床屋に行く。信じられないくらいにすいていた。

10/15/水
大学。学部長会議。すぐに終わって自宅に戻る。少し仕事をしてから浅草橋へ。歴史時代小説作家クラブの宴会。屋形船で琵琶の演奏を聴く。桜井亜木子さんの演奏。正調の琵琶は聴いたことがあるが、本日の演奏はかなり華やかなもので、能と歌舞伎の違いみたいなものだろう。演奏技術が格段にポピュラーになっていて、見事なものだった。テキストはわかりやすいものになっていて、これもポピュラー化の演出だろう。最少人数に満たないという主宰の岳真也さんから電話があったので参加することにしたのだが、来てみれば満員だった。しかしこの琵琶の演奏が聴けたので参加してよかった。屋形船に乗ったのは30年ほど前にコーラスのメンバーと花見をして以来か。人数が揃えばいいものだ。浅草橋は大学卒業直後に就職して一年間働いた場所。当時は吉祥寺に住んでいたので総武線で通っていた。浅草橋に来るのは2番目の孫のひな人形を買いに来て以来。ここまでは散歩のコースなので帰りは歩こうと思ったのだが、途中で雨が落ちてきたので岩本町から地下鉄に乗る。気持よく酔っていたのでそのまま寝る。

10/16/木
大学。早めに行って事務の人と打ち合わせ。それから3コマ。その後、大学院生と打ち合わせ。長い1日だったが、自宅に帰って仕事。資料を少し読んでから、これまで書いたところを最初から読み返す。少し文体らしくなってきた。

10/17/金
本日は大学は休み。午後、内閣府に行き、小中学生が書いたポスターの選考。障害者週間のポスターという課題なので、障害者スポーツを描いたものが多かった。どちらかといえば小学生の方がうまいと思った。委員長なので議事を進行するのだが、とくに意見の対立もなく、めでたく最優秀賞などが選ばれた。あとはひたすら仕事。最初から読み返し、文章を刈り込んでいるうちに、少し文体らしくなってきた。

10/18/土
土曜日だが大学で保護者との懇談会というのがある。午前中の説明は事務関係者が対応し、午後は学部に別れて懇談する。保護者の皆さんと弁当を食べるのだが、われわれは先に弁当を食べて、保護者の皆さんの食事中に話を始める。学部長としての挨拶と、自分のゼミの説明などをする。その後、個人面があるのだが、今年は1年の担任から外れているので、2年生の保護者一組だけ。研究室で雑談。本日と明日は大学祭が開かれているので、展示を少し見てから、学科会。とくに疲れるような仕事ではないのだが、昼から夕方までの時間がつぶれた。夜中にまたパソコンに向かって文体の調整をする。本日は自分の研究室の本棚をくまなく調べた。まだ読んでいない資料が何冊かあった。鞄に入れて持って帰る。

10/19/日
日曜は休み。明日も大学祭のあとかたづけで休みなので、のんびりすごせる。夕方、神保町まで散歩したほかは、ひたすら机に向かっていた。少しずつ文体が固まってきた。まだ登場人物の全体が見えてこないので、手探りで書いている。『続カラマーゾフの兄弟』の場合は、本篇に登場するカラマーゾフ三兄弟と三人の女、およびコーリャとカルタショフの他は、続篇だけのオリジナルな人物たちなので、自由に造形することができた。福音書に出てくるイエスの十二使徒をモデルに、1人ずつキャラクターを決めていった。今回は歴史小説なので、架空の人物を設定することはできないのだが、歴史に名前しか記載のない人物もいて、キャラクターをオリジナルに設定するしかない場合もある。この時代は生没年不明の人物も多いのだが、資料を見ているとおよその年齢がわかることもある。そのために資料を読まないといけない。この時代の資料は、実は客観的な資料ではなく、研究者の解釈や仮説によるものがほとんどで、どこまで信用していいか途惑うことも多い。聖徳太子はいなかった、という仮説さえあるのだが、それでは小説が書けないので、いちおう聖徳太子のモデルとなった人物は存在すると考えたい。この人物は皇族なので、漢籍と仏典が手元にあり、幼少のころより読むことができた。慧慈という新羅僧に仏教について習ったという史実があるが、この人物は一種の人質であり、また政界の有力者としての太子に取り入ろうとした、フィクサーのような人物なので、仏教について深く意見交換をするような立場ではなかったのではないか。慧慈と出会う前に、すでに太子は仏典を読んでいて、ある程度の見識をもっていたと思われる。こういう解釈をしている研究者が、資料を読んだ限りいないようなので、これから書く作品はまったく新しい聖徳太子像を提出できると思う。

10/20/月
月曜日だが大学祭の後片づけの日で休み。今日は藪蕎麦のオープンの日だ。現在住んでいるところのモデルルームを見に行った時に、藪蕎麦の近くだと思った。ところが引越の直前に家事で焼けてしまった。しばらくは跡地が貸し駐車場になっていたので、もう商売しないのかと思っていたのだが、やがて工事が始まった。何日か前、たまたま前を通ったらオープンしていた。その日は招待者だけのおひろめの日だとのことで、一般客のオープンが本日だということはその時に知った。といった、今日、行くつもりはない。混んでいるところは嫌いだ。少しほとぼりがさめてから行くつもりだ。月に1度行く町医者や、時々行く大きな郵便局のすぐ近くで、5分以内に行けるところだ。夕方、秋葉原に行く。ユニクロで買い物をしたあと、ヨドバシカメラへ行く。スマホの売り場に行ってみた。スマホが必要なわけではないが、現在使っているケータイのバッテリーが弱っているので、そろそろ買い換えようかと思っている。ガラケーと呼ばれる昔のケータイは機種が少なくなってそのうち絶滅するといわれているので、スマホにしてもいいとは思っているが、電話と、妻へのメールにしか使わないので、いまのままでもいい(バッテリーはけっこう高価だが)。学部長になった時に大学からケータイが支給された。これはテレビも見えるすぐれものだが、誰からもかかってこないし、こちらからもかけない。ただバッテリーが減るのが気にかかるので、結局、スイッチを切って放ってある。スイッチが切ってあると、バッテリーはほとんど減らないから安心で、そのうち、そんなケータイがあったことも忘れてしまっている。で、とにかくバッテリーが死なない限りは、このままでいいと思っている。

10/21/火
大学1限。しばらく研究室で作業をしてから自宅に帰る。午後6時から文芸賞のパーティー。雑誌で仕事をしなくなってからこの種のパーティーには行かなくなったのだが、文芸賞は歩いて行ける山の上ホテルなので、行くことにした。「聖徳太子」の担当者も出るというので、その場で打ち合わせをすることにした。わたしの自宅はエレベーターを1度乗り換えないといけないマンションなので、外に出るまでに5分くらいかかることがある。そのマンションの出口から山の上ホテルまでも5分くらい。とにかく近い。6時5分前くらいに自宅を出たのだが、到着してもまだ授賞式は始まっていなかった。ものすごい人で中に入れない。文芸賞は河出書房の唯一のパーティーなので営業関係の人も来るので、いつも混雑する。入口のスペースに椅子があるのでそこに座ろうと思ったら宮内勝典さんがいた。今年の前期に大学で講演をやってもらって、いまその講演のテープ起こしの原稿を見ているところ。そんな話をして、そこに座ったまま授賞式の声だけを聞いた。作品はすでに『文藝』に掲載されている。仁作授賞だが、大阪のキャパクラの話がおもしろかった。授賞式が終わると義理で来た人が帰っていくので少し空く。中に入ると、著作権関係の顔見知りがいたり、昔の編集者がいたりして、まあ、来てよかった。担当者も見つかり、打ち合わせをする。河出の社長も紹介された。売れない本を出してもらうので、菩薩を拝むように挨拶する。そこにいまは政治家となった田中康夫さんが現れた。彼がデビューしたころ、担当編集者が同じだったので、おもしろい店に案内してもらったことがある。それから選考委員の藤沢周さんに挨拶して、これでふらった外に出た。新宿に行こうという背後からの声をふりきって、山の上ホテルからの坂道を下る。信号が青に変わりそうになったら少し走ったりしたので、ぴったり5分で自宅に帰った。これでたっぷり仕事ができる。夜中、マニングの新記録のタッチダウンを見ながらのんびりと酒を飲む。朝1限の授業があったので、新記録が出たところで寝てしまった。 10/22/水
学部長会議のない水曜日は休み。雨だ。傘をささずに行けるスーパーに行ってウイスキーを買っただけ。聖徳太子は蘇我馬子が登場した。これは重要人物。この人物が出てくると物語が動き出す。まだプロットを書いているだけで、キャラクターが不足している。この人物にはユーモアが必要だ。ただ本篇は主人公の視点ではなく、傍観者の鞍作鳥の視点で(少なくとも第1章は)書くことになるので、あまり深いところまでは目が行き届かない。第1章の鳥はまだほんの子どもなのだ。この設定でいいのかと少し心配になるが、まあいいだろう。ダメだったら書き直せばいい。明日も何かの休みで、本日ものんびりフットボールを見ることができる。

10/23/木
今週はずっと休み。木曜日の3コマ授業があるので休みはありがたい。何の休みか知らない。本日も雨。どこへも出かけず、テレビでドラフト会議などを見る。どうでもいいことだが。蘇我馬子が出てきたので台詞はどんどん書けていくのだが、まだ状況を説明しているだけで、キャラクターが出ていない。最初からプリントして読んでみた。文体はできている。あとは馬子のキャラクターだ。

10/24/金
本日は内閣府だけ。先週も内閣府に行った。先週はポスター、今週は作文だ。委員長なので司会進行をしないといけない。文藝家協会の仕事などで役所に行く機会は多い。いちばんめんどうなのは議員会館だろう。文化庁はゆるい。多くの役所にはICカードをかざすゲートがある。そのやり方が役所によって少しずつ違う。内閣府は門の横の守衛室でカードをもらうのだが、本日は混んでいて列ができていた。まあ、委員長だから少し早めに出かけたので問題はなかったが。蘇我馬子が出てきたがまだ会話が弾んでいけない。ユーモアがない。相手の聖徳太子が生真面目な人物なので、つっこんでくれない。馬子が一人でボケとツッコミをやることにするか。とにかく前に進んでいって、あとで読み返して修正する。まだこの段階では何度も何度も読み返す必要がある。文体は徐々にできているが文章のトーンに揺れがある。主人公はここでは上宮王と呼ばれているが、何度も出てくると煩雑なのだ単に王と書くこともあるのだが、この王は王さまではなく、「みこ」と読む。そのつどルビをふるのもめんどうだ。ルビの付け方で苦労する作品になりそうだ。『星の王子さま』の20版が届いた。ぼくの作品では2番目に版を重ねている(翻訳だが訳文には自信がある)。1番は『いちご同盟』で50版を超えている。

10/25/土
この週末も休み。今週は火曜の1限しか授業がなかったので、ほとんど休みという感じだった。昨夜、明け方ベッドに入った時に、突然、気がついた。登場した蘇我馬子になぜキャラクターがないのか。結論、先を急ぎすぎていたということだ。『続カラマーゾフの兄弟』は結果として、わずか一週間の出来事を、1500枚を費やして描いたものだ。たとえば冒頭の1章は、モスクワを出発した列車がリャザンに着くまでを描いていて、半日ほどの経過に100枚以上費やしている。その間、3人の登場人物が会話を交わしているだけなのだ。このゆったりとした時間の流れが、コーリャとザミョートフという重要人物のキャラクターを作り出している。いま書こうとしている『聖徳太子』は、500枚くらいが限度だろう。そうでないと商品としての価値が低くなる。その分量で、偉大な英雄の生涯を全部書かなければならない。どうしてもストーリーを急ぎすぎてしまう。そこで反省。この作品は聖徳太子と蘇我馬子の対立というストーリー軸で展開する作品なので、この馬子のファーストショットは、一切手抜きをせずに、じっくりと描いていく。読者がそこで退屈してもいい。ここで馬子にキャラクターとしての存在感がないと、あらすじだけの小説になってしまう。時間も枚数もかけて、細部をきっちりと押さえていきたい。

10/26/日
妻と散歩に出る。動物園の年間パスポートがあと一ヵ月なので、とりあえずハシビロコウに会いに行く。動物園で1番好きなのがハシビロコウだ。次がハダカデバネズミで、ミーアキャットも好きなのだが、本日はどういうわけかミーアキャットさんは全員不在だった。どうしたんだろう。日曜で混んでいたので、出口専用の門から出て、中華料理を食べて帰ってきた。夕方、姉の三田和代さんが来て、お茶をする。元気そうだ。蘇我馬子の語りを引き延ばしている。いい感じになってきた。

10/27/月
大学。1限のあと、研究室でこれまでのところを再度プリントして赤字を入れる。何回やってもまだ赤字が入る。文体ができていないのだ。3限に1年生のゼミの授業。1コマだけだが、クラスが2つあるので2回やる。今回は2回目なので、これで終わり。これの出来で来年のゼミの志望者がどれほどあるかが決まる。増えすぎても困るのだが、まあ、ふつうに講義した。あいまにフットボールの結果を見る。ブロンコスは強い。今シーズンはカージナルスも快調。スティーラーズも調子が出てきた。明日のマンデーナイトにはカウボーイズが出てくる。このあたりが前半戦の注目チーム。どういうわけかシーホークスと49ナーズが不調。どちらも若いQBなので、研究されたのかもしれない。

10/28/火
大学。1限のあと、大学院生の中間発表。終わりの挨拶を担当。その後、学生と研究室で打ち合わせ。自宅に帰って少し仕事をしてから初台へ。オペラシティー三階の近江楽堂というところで三田和代さん出演の朗読劇。こんな施設がオペラシティーにあるのをまったく知らなかった。小さなチャペルのような施設で、チャペルでやる音楽会みたいな雰囲気を狙っているのだろう。カミーユ・クローデルの話。まあ、得がたい体験をした。以前の著作権情報センターが初台にあったので、よく通ったのだが、いまは西新宿に移動した。初台に通っていたのは三宿に住んでいたころで、妻に車で送ってもらい、帰りは電車ということが多かった。で、転居後、初台に行くのは初めてなのだが、都営新宿線で乗り換えなしで行けるので便利だ。

10/29/水
本日は休み。御茶ノ水駅に来月三田(さんだ)で講演する往復の切符を買いに行く。ちょうどいい時間に福知山線の特急があるので、乗り継ぎの切符と往復の切符を買いたかったのだが、機会での捜査がよくわからなかったので、とりあえず往復の切符を買って、窓口に出向いて乗り継ぎの切符を買った。それでよかったのだが、最初から窓口に行けばよかった。機械というのは、システムを理解するのに時間がかかる。とにかく切符が買えた。当時はこの切符のとおりに動けばいい。主催者が新三田まで車で迎えに来てくれるということで、特急の停まる三田から新三田まで各停で一駅乗ることになるが、福知山線は妻の実家が川西池田にあって何度も利用したことがあるので勝手はわかっている。特急に乗るのが楽しみ。

10/30/木
神田明神で野村胡堂賞の授賞式。文藝家協会副理事長という肩書きで招かれているのでそれなりの挨拶をする。受賞者の塚本青史さんとは旧知で、大阪出身なので親しみがある。歴史時代作家クラブの人々もいて、まあ、楽しく歓談できた。明日、朝から私用があるので二次会には出ずに自宅に帰る。会場が神田明神だというのはありがたい。徒歩5分くらいのところ。今月も終わろうとしている。月100枚書かないといけないのだが、まだわずかしか書けていない。しかし文体はほぼ固まったので、ここからピッチが上がると思う。

10/31/金
東京堂書店で文藝家協会主催のシンポジウム。終わってから打ち上げ。昨日も今日も、宴会のあとで徒歩で帰った。楽なようだが、酔いが醒めないので、何か、変な感じ。今月も月末になった。『聖徳太子/世間は虚仮にして』を書き始めて一ヵ月。もう少しで第1章60枚が終わるというところまで来ている。全体は10章600枚と考えている。このペースでは10ヵ月かかってしまうのでペースを上げたい。『続カラマーゾフの兄弟』は準備期間はあったものの、実際に書き始めてから1年で完成した。1500枚の作品なので、一ヵ月に100枚以上書いたことになる。今度の作品は、聖徳太子を書くということが正式に決まったのが今月に入ってからなのでまだ準備が不足している。8月くらいから次の作品のことは考えていたのだが、紫式部や額田女王のことも考えていた。結局、河出の編集者の判断で聖徳太子になったのだが、今年、宮内勝典さんを大学に招いて対談をしたあとの飲み会の時に、聖徳太子の話が出たのも記憶に残っていた。で、聖徳太子、次は親鸞、というスケジュールを立てた。いずれも半年で書きたい。老人なので自分の余命が短いということは承知している。できる時にできる限りのことをしないといけない。命があっても頭脳が回転しなければ作品は書けない。いまぼくの頭脳は回転しているのだが、いつまで回転をするかはわからない。この回転は気力によって支えられている気もする。気力がどこまで続くかもわからない。多忙の中で気力を高めるという気力の自転車操業をやっているので、立ち止まったらバタッと倒れてしまうかもしれない。とりあえずこのまま走り続けたいと思う。これまで書いた部分は何度も読み返している。文体はほぼ確立された。これで半分はできたと思っていい。主人公のキャラクターも確立できた。そろそろ聖徳太子の霊が降臨するような気がする。狂言回しとなるのは鞍作鳥。この人物は冒頭では八歳くらいを想定しているので、まだキャラクターというほどのものはないのだが、武術の達人という設定にしている。この鞍作鳥と、調子麿という舎人が主人公の側近で、仏の脇侍みたいなものだ。この3人のキャラクターは1章だけで充分に表現できていると思う。蘇我馬子が登場した。悪役というべきか。この人物もキャラができてきた。ここまではうまく行っている。第2章では蘇我と物部の戦が展開される。ここまでは動きがあるので、問題なくストーリーを展開できる。そこから先は何も考えていない。静的な展開になるので、小説としてのおもしろさがどのように出せるのか。書きながら考えていきたい。




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