仏教を深める創作ノート09

2015年06月

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06/01/月
大学。今週と来週は3限に1年のゼミの授業がある。ふだんの月曜は授業がないので忘れそうになる。1年生は新鮮な雰囲気でなかなかいい。4限はアキ時間だが雑用でつぶれる。学部長にはいろんなメールが入ってくる。即座に対応しないといけない。5限の学科会。問題はいろいろあるがそれほど長びかなかった。長男は無事にスペインに帰り着いたようだ。

06/02/火
火曜日は休み。河出書房の担当者が本ゲラを届けに来る。担当者がこの住居に来るのは初めてだ。2年も河出で仕事をしていなかったのか。「カラマーゾフ」は長い作業だった。『菅原道真』を書いてから引っ越したのか。まずは自分の赤字を本ゲラに書き写す。それから校正者のチェックを見ていく。ルビの付け方がほとんどだ。古い時代なのでルビは多めにする。しかし付けすぎると煩雑になる。校正者は1章に1つのルビとか、法則性を作りたがるのだが、自分の気分でつけたりとったりする。慣れない作業なのですぐに疲れた。週末にかなり進むと思うので本日は無理はしない。

06/03/水
大学の授業は2限だけだが、学部長会議が4限にある。そこまでの昼休みと3限は、明日の授業のための資料づくり。自宅に帰るとひたすらゲラ。

06/04/木
木曜は4コマある。声が少し嗄れている。夜中はゲラ。ルビをチェックするだけなのでプレッシャーはないのだが、集中力の持続が難しい。週末は使えるので無理をせずに早めに寝る。

06/04/金
まず医者に行く。月に一度の検診。午後は文藝家協会で孤児作品勉強会。飯田橋のドトールで時間をつぶしてから、飲み屋の2階で、歴史時代作家クラブのミニ受賞式。作品賞の中島京子さんが、受賞式当日は中国に行くため、先に賞状を渡して、ついでに宴会。クラブの主力メンバーも集まって、和やかな会になった。中国旅行の元締めの川村湊さんも来て、いろいろな話をするうちに、彼にもうすぐ孫ができることがわかった。1人目。こちらは孫が6人いる。孫の数を自慢しても仕方がないが、立松和平と会う度に孫の数を競い合ったことを懐かしく思い出した。

06/05/土
妻が岩本町へ行くというのでついていく。路上に店が出ている。ゴムのベルトを買う。散歩なので馬喰横山まで歩いて地下鉄で帰ってきた。あとはひたすらゲラ。明日には完了しそうだ。

06/07/日
夕方にはゲラ完了。宅急便を送る。これで手が離れた。しばらく親鸞から遠ざかっていた。その間、資料は読んでいた。九条兼実と源通親の抗争がおもしろい。親鸞とは関係ないようだが、当時の政治状況は微妙に影響しているはず。親鸞は慈円の弟子であり、おそらく一時期は慈円の側近だったはず。親鸞が聖徳太子廟で夢告を得るのも、聖徳太子を崇拝していた慈円の旅行に同行したからだろう。慈円は兼実の同母弟だから交流はあったはずで、早い段階で親鸞は兼実と会っていたと思われる。兼実は最初から頼朝とつながっていたわけではない。兼実は平家と距離をとり、後白河法皇とも距離をとっていた。そこが評価されて頼朝に信頼されたのだろう。源氏と所縁のある親鸞とがそこにどうつながっていくかを、もう少し綿密に考えなければならないが、この時期の政治的な抗争を抜きにしては親鸞の修行時代は語れない。

06/08/月
大学。先週と今週は1年ゼミの割り当てがある。先週と同じことを話すのだが、少し違ったこともしゃべってしまった。来年の必修授業の初回といった意味合いのある授業だったが、自分も学生も忘れてしまうだろうから、来年はまた最初から語るしかないだろう。教授会、学科会のあと、奨励金のための学生面接。成績のいい学生と面談するのだが、さすがに成績のいい学生はちゃんとしゃべる。楽しい語らいであった。

06/09/火
文藝家協会理事会。本日は説明しなければならず長くしゃべった。久し振りに理事会で発言した。何だか忙しくなりそうな気配だ。

06/10/水
大学。帰りにマッサージに寄る。

06/11/木
大学。4コマの日。すべての時間、しゃべり続けた。喉が疲れた。明日は休養したい。

06/12/金
本日は休み。体調を調える。

06/13/土
学士会館で羽田プロジェクトのイベント。最首悟さんと白井聡さんの講演。最後に発起人が並んで一言ずつ挨拶。本日の仕事はこれだけ。二次会、三次会があって、さまざまな人の話が聞けた。少し飲み過ぎたか。神保町なので歩いて帰れる。

06/14/日
来週は超ハードなスケジュール。本日はのんびりと過ごす。親鸞について考える。長男の善鸞との関係が作品全体の山となるだろう。長男は恵信尼を継母と呼んでいる。おそらく京で生まれ、比叡山で学んだのだろう。成人してから父の親鸞と会い、教えを受けたと考えられる。息子というよりも弟子の一人といった存在だろうと思われるが、おそらく母親に似ているはずだ。そのあたりで少しセンチメンタルに書ければと思う。小説なのだからそういうところも大切だ。
「日本仏教は謎だらけ」双葉文庫。そろそろ店頭に出る頃か。

06/15/月
歴史時代作家クラブ賞授賞式。審査委員長なので、挨拶したり、賞状を渡したり、必要な仕事を果たす。審査委員長というのは偉い人かというとそういうわけでもないだろう。前任者の秋山駿さんも評論家だけで自分では小説を書くわけではなかった。わたしは自分でも小説を書くので、自分の作品と比べるという視点が時に混じるのだが、エンターテインメントの書き手は量産することが前提なので、自分が書いているものは素人の仕事でしかない。量産するプロの職人の仕事よりも、佳作な素人の仕事の方が趣があるということは、まれにあるのだが、やはりプロの仕事にはかなわないということの方が多いだろう。それでも批評家としての鑑識眼はあるつもりなので、この選考委員長の仕事を引き受けている。受賞式は盛会だった。受賞者はもとより関係する出版社や編集者に喜んでもらえているのだと思う。今週は飲み会が続くので一次会でリタイアする。

06/16/火
著作権情報センターの総会。とりあえず出席する。夕刻に大学の先生方と飲み会があるので、三鷹に移動して、アキ時間は三鷹駅前ルノワールで仕事。まだメモを書くほど状況が煮詰まっているわけではないので、とりあえず客観的な情報を慈円の口から語らせるという設定で書いてみたが、これだとただの説明みたいだ。主人公はまだ少年なので、慈円が一人でしゃべるということになり、こういう感じになるのかなと思っている。あまり鋭い反論を少年の側から試みると、いやな子どもという感じになるので、いまは主人公は黙して話に聴き入っているということになるのだろうか。ただ資料を読み込んでいるので、全体の手順はわかってきた。九条兼実と対面するのはもう少しあとでいい。とりあえず山に登って山岳修行をするさまを描きたい。

06/17/水
大学。2限の授業のあと、学部長会議。夜は大学の懇親会。アキ時間に『親鸞』を少し進める。4日連続の飲み会の3日目。明日で終わる。

06/18/木
大学。本日は作家岳真也さんの講演会。岳さんはわが世代で最初に文壇にデビューした人でキャリアが長い。とくに学生時代はテレビなどマスコミにも進出していた人なので、そのあたりの貴重な体験をお聞きすることができた。6限の大学院の授業は飲み会としたので、岳さんとともに移動して、岳さんのお話をさらに聞きながら打ち上げとした。4日連続の飲み会がようやく終わった。明日は休みだが、土曜日にも飲み会がある。本日はわが誕生日。講演会のあとサプライズで3年生ゼミが学生たちがプレゼントをくれた。うーん、これは酒だ。ありがたくいただく。明日も自宅で飲むことになりそうだ。

06/19/金
本日は休みだが、大学の出張。教育実習の学生のために実習先の中学に挨拶に行く。本日は飲み会はないので自宅に帰ってのんびりする。

06/20/土
八王子ロゴス教会にて、女声コーラスめじろ台フィオーレとのジョイントコンサート。響きのいい教会のステージで気持よく歌えた。30年ほど前に八王子めじろ台に住んでいた。ロゴス教会はそのころからあった。小さな教会だが、ユニークな建物で、よくコンサートが開かれていた。打ち上げの宴会は、八王子みなみ野の近くのイタリア料理店。ワインを少し飲み過ぎたか。バスの援軍として来てもらった美声の若者といっしょにJRの駅まで歩いた。この八王子みなみ野という駅は以前にはなかった。めじろ台より大きな街になっている。さて、週に宴会が5回もあるという恐怖の一週間が終わった。何とか乗り切った。

06/21/日
『親鸞』。これまで書いたところを最初から読み返す。そろそろエンジンをかけないといけない。

06/22/月
大学。学科会。何事もなし。

06/23/火
教育NPO研修会。仙台に行く。御茶ノ水に住むようになって2年になる。大学に通うのも楽になったが、何よりも喜ばしいことは、新幹線に近いことだ。2駅だけなので時間が計算できる。少し早めに出て、新幹線のホームまで来れば、それで1日の仕事の大半を果たせた気分になる。列車に乗り込み、少しうとうとすると、もう仙台だ。徒歩5分のホテルに着く。1時間ほどしゃべって役目を果たす。著作権の話は長く話すと難しい領域にはまりこんでしまうのだが、1時間なら軽い話しておしまいになる。教育NPOの人々と駅前で軽く打ち上げをやってから列車に乗り込む。東京駅から10分後には自宅に着いている。

06/24/水
大学。2限の日。朝が少しいつもより早い。しかし去年は週2時間あった1限と比べれば楽なものだし、この1コマだけでおしまいなので負担はない。本日は学部長会議もないのだが、帰りに新宿のマッサージに寄る。背中が凝っていたとのこと。

06/25/木
大学4コマの日。4年ゼミは雑談。修論指導は当該学生が来なかった。3年ゼミはキャリア就職課の人が来て就活の話をした。ということでちゃんと講義をしたのは最後の大学院のゼミだけ。

06/26/金
スペインの孫が来た。孫は6人いるのだが、そのうちの最年長。つまり初孫。孫の中では一番つきあいが長い。中学生なのでしっかりしている。しかしスペインにいるので日本語は幼稚園程度だ。たぶん一週間もすればぺらぺらになるはず。何やかやと仕事がたまっている。雑用めいたものだが気にかかっていた。本日は羽田プロジェクトの発起人会だが、孫がいるので休みにしてもらって、とりあえずパソコンに向かって次々と雑用を片づけていく。親鸞は態勢を立て直さないといけない。キャラクターを少し修正する。おそらく師の法然も、親鸞自身も、努力家で、自力でがんばる人のはずだ。言っていることと自分自身とは違うのだ。そのあたりで、法然と親鸞だけにわかりあえるものがあったのではないか。そういう設定で先に進みたい。それと、最初の法華経を読む場面で、かんり懐疑的に対応させたい。念仏に対しても最初は懐疑的で、だから何を信じていいかわからず思い惑う。そういう青春像を描きたい。

06/27/土
スペインの孫を連れて東京駅へ。大丸で買い物。それから丸ノ内に移動して、旧中央郵便局のキッテに行く。ここには東大の博物館が入っていて、中学生にはよい勉強になるだろう。さまざまな骨格標本や鳥獣の剥製がある。それから店を回る。孫はまだ時差ボケであまり元気そうでないので早めに帰る。孫はiPadもスマホももっている。自宅のローターの電波を拾えるようにパスワードを教える。無線ルーターの設定は次男の嫁さんがやってくれていたので、よくわからなかったのだが、先日購入してボーズのシステムをiPadで設定したことがあったので、原理はわかった。孫のスマホ、iPadもつながるようになった。母親と長電話をしている。ネットのラインの電話なので通話料はかからない。これはすごいことだ。昨夜、明け方まで資料を読んでいて、親鸞のキャラクターがさらに明確になった。昨日と今日は休みだったのだが、孫の相手で時間がつぶれた。それ以上に精神的なプレッシャーがあって、何とも困ったことだ。来月の後半にスペインの家族が来るまでは1人で滞在しているので、ずっと相手をしていないといけない。まあ、こちらは大学があるので、それで何とか気持を落ち着けることができるだろう。

06/28/日
日曜日だが大学へ。オープンキャンパス。かなりの人出だった。11時からの学部の説明会にも、教室がぎっしり埋まるほどの人が来てくれた。世の中では劣勢になることの多い文学部だが、武蔵野大学の文学部はけっこう人気がある。武蔵野文学賞高校生部門のチラシを配布したりして、各地の国語の先生のPRしているので、創作の講座のある文学部として、かなり知られてきているようだ。午後1時から、もう1度、同じ説明会。午後の方は少し人数が減った。疲れもあって、午前の部より少しトーンが落ちたかもしれない。とにかく、文学部は楽しく、就職も大丈夫だということを強調した。自宅に帰って仕事。妻と孫は新宿方面に出かけた。1時孫が迷子になるハプニングもあったようだが、無事に戻ってきた。東京の地理がまったくわかっていないし、言葉もしゃべれないのだが、外見は日本人の姿をしているので、迷子だとはすぐにはわからない。「南口改札に来てください」というアナウンスはわかったようだが、漢字が読めないので案内板を見てもわからなかったようだが、とにかくカタコトで駅員に聞いて、南口にたどりついたようだ。

06/29/月
大学。武蔵野学というリレー形式の講座の自分の順番が回ってきた。今月は入門ゼミが2回、本日の講座と、月曜に授業があったが、これで前期は終わり。学科会に出てから自宅に戻る。孫がいるので、にぎやかなような、落ち着かない感じ。妻と孫は上野まで行ったそうだ。上野にはわが長男の母校がある。キャンパス内をぐるっと回って、湯島天神や神田明神に寄って帰ってきたとのこと。まあ、いろんなものが見られてよかったのではないか。

06/30/火
大学。本日は授業はないが、能楽資料センターの会議があり、留学生のネットによる面接があった。1度、自宅に戻ってから、日大文芸賞の選考会に出向く。飯田橋。去年までは新宿だったが、自宅から近くなった。新幹線の中で焼身自殺した人がいたらしい。迷惑なことだ。世間に対するいやがらせなのか。社会に恨みがあるのなら霞ヶ関の公共機関前とか、一般人に迷惑のかからないところで抗議してもいいか、静かに目立たずに死んでいくというのが潔い態度だろう。自分もそんな感じになりたいと思っている。自分の死を目立たせるということの意味がわからない。さて、これで6月も終わった。一年の半分が終わったということだ。もう『親鸞』の作業に入っているわけだが、12月の頭くらいには完成させたい。そのためにはピッチを上げなければならない。孫は食品サンプルの体験教室のあと、上野の動物園に行ってきたらしい。この孫がずっといるし、来月後半にはスペインの一家が団体で来る。なかなか仕事に集中できるような環境にはないが、何としてもピッチを上げないといけない。


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