仏教を深める創作ノート02

2014年11月

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11/01/土
土曜は休み。明日は入試で出勤なのでこの休日は貴重だ。今週は水曜が休みだったが、木曜、金曜と宴会が続いてやや疲れ気味だ。さて、月がかわって新たなページになった。このノートは『聖徳太子』と『親鸞』を書く創作ノートなので、1年くらいは続けるつもりだ。その先のことは何も考えていないが、額田女王だけでなく、壬申の乱の全体を書くようなスケールの大きな作品に挑みたいという気もしている。なぜ仏教をやるのか、という疑問が自分ながらわいてくるが、いまのところは、仏教しかない、と答えておくしかない。神道は昔からあるし、いまもある。神道は理屈ではなく、山や河への親しみと怖れとが、自然崇拝となって神道というものを形成したのだろう。仏教は違う。仏教は人工的なものだし、仏教公伝の経緯を見るときわめて政治的なものだと思われる。異国の偶像崇拝を弘めて国の統一をはかるという、とんでもない謀略である。これに手をかしたのが聖徳太子だろう。親鸞は聖徳太子の夢を見ることで、新興宗教の教祖としての道を歩み始めた。まずは聖徳太子という謎を解明することが当面の課題と考えて、この作品を書き始めた。スケールの大きな謎めいた人物像を作りたい。謎めいた人物をどのように書くかということについては、方法論がある。性格を複雑にして、何だかわからないようにすればいいのだ。興福寺の阿修羅像がヒントになる。怒っているようでいて、目に悲しみがあり、肚の底では冷笑している。そんな人物像が書ければいいのだと考えているのだが、実際のところは難しい。ここからが小説家としての技術的な手腕ということになる。彫刻家が像を彫り進むように、とにかく彫ってみて、少しずつ修正していくしかないだろう。本日は雨。ひらすら仕事をする。

11/02/日
日曜日だが大学の入試の面接。夕方、自宅に帰ってひたすら仕事。書き上げたらプリントして最初から読み返すということを何度もくりかえしている。冒頭部分は何回もチェツクしているはずだが、そのつど赤字が入る。まだ文体が固まっていないのだ。とにかく完璧と思われる状態になるまで同じことを何度もくりかえすしかない。

11/03/月
今日は文化の日か。世の中が祝日でも大学はオープンしている。しかも1限がある月曜日。1限のあとは何もない。が、学科会があるので帰るわけにはいかない。本日と明日、田無駅前の商業施設の展示スペースで、「西東京の文学」という催しをやっていることを思い出した。大学の近現代文学ゼミの学生たちががんばってやっている展示なので、見に行かないといけない。田無にはめったに行かない。歩いて行くと20分で着いた。意外に近い。展示はりっぱなもので、学生たちが撮影したビデオの上映の前の椅子が埋まるほど人がいた。ひまそうな老人たちが多かったが、文学には郷土愛を育てるという効用がある。帰りは最短距離の経路を探りながら歩いた。これが最短距離という道路を見つけた。ふだんは通らない裏門から入ろうとすると守衛に呼び止められた。服装が教授に見えなかったか。夜中、がんばって仕事をする。月曜日はフットボールの結果を知る日。ピッツバーグ・スティーラーズのQBロスリスバーガーが、2試合連続で6タッチダウン。これは新記録らしい。出だしは不調だったスティーラーズだが、調子が出てきた。今年はビッグネームのQBががんばっている。シーホークスや47ナーズの若いQBは研究されたのかまだ調子が出ていない。このあいだ始まったと思ったら、もうシーズンの半分くらいのところまで来た。まあ、プレーオフ進出チームは年末くらいにならないと絞れないが、もう絶望というチームで出てきた。ニューヨーク・ジャイアンツはもうだめだろう。

11/04/火
本日も1限。他に用がないので自宅に帰って仕事。メモがたまっているので入力作業に集中する。まだ1章が終わらない。文体を調える作業をくりかえしているのでなかなか先に進まない。ここで文体が確立できればそのあとが安定する。

11/05/水
学部長会議。議題がいろいろあって長かった。本日はこれしか仕事がないので会議が終わるとすぐに帰った。あとは仕事。

11/06/木
木曜日は3コマある日だが、最初のコマは講演会に振り替えた。元岩波書店の編集者を招いての講演会。こちらは開会の挨拶だけ。次のコマは4年ゼミで雑談。内定の出た学生の体験談を聞いたり、卒論作品の状況を聞いたりする。最後のコマは大学院。文芸賞の作品の出だしだけを読んで、あとは雑談。受講生の1人が小説を提出したので、来週、皆で読むことにした。

11/07/金
この週末は何もないので本日から3連休になる。医者に行く。あとはひたすら仕事。この『聖徳太子』という作品は、聖徳太子はいなかった、という最近の言説は採用せず、超能力をもった偉大な人物の孤独を描く。ファンタジーと思ってもらっていい。『続カラマーゾフの兄弟』でアリョーシャの未来を描いたのだが、似たようなキャラクターになる。『罪と罰』のスヴィドリガイロフから始まって、聖なるエゴイスト、といったイメージを追及してきたのだが、その集大成が、聖徳太子と親鸞になるだろう。親鸞はさまざまな作家が書いているので少し気が重い。聖徳太子は楽しんで書けそうだ。

11/08/土
3連休の2日目。ひたすら仕事。いい感じになってきた。

11/09/日
3連休の3日目。疲れてきた。3日間、フルに仕事をするとかなり疲れる。大学で授業をしたり、文藝家協会の仕事をしたり、そういう仕事の時は、実はぼくの脳は休んでいるのだろう。まあ、脳というよりも、体が疲れる。ずっと同じ姿勢でメモを書いたり、入力作業をすると、全身が疲れてくる。散歩とか、体を動かさないと、疲れがたまっていく。反省。

11/10/月
大学。1限のあと学生のレポートを見たり事務作業。少し自分の仕事をして、学科会。帰りの電車でもメモを書いた。徐々にフルパワーに近づきつつある。

11/11/火
大学。1限のあと、研究室で仕事。ころあいを見計らって四谷に。文藝家協会の理事会がある。早く着きすぎたので四谷駅前ルノアールで仕事。ここでついに、聖徳太子の霊が降りてきた。いくらでも書ける状態になって、気がつくとぎりぎりの時間になっていた。あわてて徒歩で文藝家協会に向かう。少し急ぎ足で歩いたのでちょうどいい時間に常務理事会に参加できた。理事会のあと、岳真也さんたちと軽く飲む。

11/12/水
本日は休み。ひたすら仕事。メモがたまっているので入力。メモの方がいよいよ戦争が始まる。

11/13/木
大学。3年ゼミは学生に発表してもらったので楽。4年ゼミは来たのが2人だけ。大学院ゼミは学生の作品を批評。というようなことで、あっという間に時が経つ。実家に帰っていた妻が戻った。よかった。

11/14/金
本日は大学は休みだが、午前中に羽田プロジェクトを推進している元衆議院議員の辻恵、詩人の佐々木幹朗とともに、ベトナム大使館に挨拶に行く。半世紀前に、ベトナム戦争に反対していた学生が不幸な死を遂げたことに、ベトナム大使の温かいコメントをいただいた。一度自宅に戻って仕事。それから文藝家協会へ。出版社との話し合い。ずっと続けてきた会合もこれで本年は終わり。この会は契約書の問題だけでなく、さまざまな問題について議論する場としたいので、来年も続けることにした。

11/15/土
大学でシンポジウム。昨年お亡くなりになった評論家秋山駿さんを追悼して、評論家の井口時男さん、川村湊さん、富岡幸一郎さんをお招きして、秋山さんの想い出や、評論家としての業績について語っていただいた。充実した内容になった。打ち上げは三鷹駅前で和食。シンポジウムの資料や展示パネルを作った学生たちも参加して、これも充実したものになった。

11/16/日
大学。大学院説明会。2時間ほど待機。誰もこなかったので自分の仕事ができた。有明キャンパスはお台場の夢の大橋を渡ったところにある。斜め前のビルでコスプレの大会をやっている。これまでにも何度か見かけた。毎週やっているのか。遊歩道に青や緑やピンクの髪の女の子たちがたむろしている。異様な光景だ。帰っていたすら仕事。

11/17/月
大学。1限のあと研究室で作業。学科会。作品社から、明日、見本届けるとのこと。『偉大な罪人の生涯/続カラマーゾフの兄弟』いよいよ本ができた。

11/18/火
大学。1限のあと、能楽資料センターの会議。そのまま研究室に戻らずに自宅に帰る。作品社の担当者と近所の藪蕎麦で会う。火事で焼けた藪蕎麦が再開したのは知っていたが、まだ入ったことはなかった。2時40分の待ち合わせなのだが、列ができていた。担当者は予約していたようで、中から呼んでくれた。見本を受け取る。ずっしりと重い。『新釈悪霊』よりは短いはずなのだが、1500枚もあるのだから、分厚い本だ。定価4800円。誰が買うのかわからないが、とにかく本が出たことを喜びたい。軽く飲んでソバを食べる。自宅で休憩してから六本木へ。菅原道真についての講演。というか、談話会みたいな感じ。とにかく2時間、しゃべり続けた。

11/19/水
大学。学部長会議。すぐに帰って仕事。メモはどんどん増えていくのだが、入力が追いつかない。パソコンに向かえる時間があれば入力しているのだが、パソコンに向かうとメールなどのチェックもあり、なかなか進まない。夜中はテレビの前でメモをとるので、メモばかり増えていく。ところで、フットボールの話題。昨日はスティーラーズが逆転勝ちして7勝目をあげた。Aカンファレンスはペイトリオッツが8勝で、ブロンコス、チーフスとスティーラーズが7勝。このあたりまでは順調にトーナメントに進むだろう。残り2枠に6勝が5チーム。この中にベンガルズが入っている。わたしが応援しているのは、1、ブロンコス、2、スティーラーズ、3,ベンガルズ。とにかくトーナメントに進んでほしい。もうひとつのNカンファレンスはカージナルズが9勝で抜けている。7勝が4チーム。残り1枠に6勝がシーホークスと49ナーズ。どちらも強豪だが、ここはもう一つ厳しい条件がある。南地区は全チームが負け越しで、4勝6敗でコルツとレイブンズが並んでいる。地区優勝は必ずトーナメントに出場できるので、ここは負け越しで優勝ということが起こる。ということは、枠が1つ少なくなるので、6勝ではダメだということ。ここでわたしのヒイキは、1、ジャイアンツ、2、49ナーズ、3、カージナルズなのだが、カージナルズはQBが負傷したにもかかわらず控えQBががんばっているでトーナメントには進むだろう。今年のジャイアンツは早々と脱落した。微妙なところにいる49ナーズにがんばってほしい。

11/20/木
早めに大学に着いて、大学院のための資料を作る。4限、3年生の授業はアンケート調査などで時間をとられた。5限卒論ゼミ、今日はアルバムの写真を撮る日だが、2人しか学生が来ない。アルバムは誰も買わないのではないか。大学院の授業を終え、自宅に帰ると9時を過ぎている。それでも明け方まで仕事。

11/21/金
金曜は大学は休み。こういう休みにはたいていスケジュールが入っている。半年前くらいにアポを入れた三田(さんだ)での講演。中学生の国語の先生の研修会にゲストとして参加する。三田というのは気になるところだ。ぼくは大阪生まれなので、神戸の北に三田市というところがあることは知っていた。妻の実家のある川西市に行くために新大阪から川西池田に向かう時は、たいてい新三田行きの電車に乗る。そもそも三田という苗字は、関西では「さんだ」と発音される。「さんだ牛」というのも有名だ。ぼくは小学三年生まで「さんだ」と呼ばれていた。父は母方の苗字を継いだのだが、その一族は岡山あたりにいたようで、従って三田という一族が身の周りにいたわけではない。それで本当は「さんだ」なのか「みた」なのか、父親自身も知らなかったのではないかと思う。大阪生まれだから、周囲の人々に「さんだ」と呼ばれるので、「さんだ」ということにしていたのだが、父は会社を経営していて、東京支店を出した時に、東京の人に「みた」と呼ばれることを体験して、これから東京に進出されるためには、名前も「みた」にしないといけないと決意したらしい。というわけでぼくは四年生になった時、突然、これからは「みた」だということになって、学校に届けると、出席番号が急に後ろの方になった。そういうわけで子どものころのぼくは「さんだ」だった。幼稚園までは名前も清だったので、自分は「さんだきよし」だと思っていた。「みたまさひろ」というのは、戸籍に記載された本名ではあるのだが、何となく身にしみついていない気もする。さて、その三田(さんだ)の街にいよいよ踏み込むことになった。新幹線で新大阪へ。特急コウノトリに乗って三田へ、それから新三田まで1駅だけ普通電車に乗る。迎えの車にのってゆりのき台中学校へ。講演が終わって新三田まで送ってもらい、快速電車に乗る。これは大阪行きなので新大阪までは行かない。川西池田で高槻行きの各停がいたので乗り換える。無事、予定通りの新幹線に乗り込む。先月、切符を買った時に、このスケジュールはできていたので、そのとおりに切符を使って移動するだけの一日。講演は大学の講義などで話していることを、一回きりの講演に圧縮したもので、時間どおりに話が終わるかどうかが、体操の着地を決めるようなものなのだが、ぴったり予定の時間で終わった。いい話ができたと思う。

11/22/土
羽田プロジェクトの会議。二次会の飲み会にだけ参加するつもりで遅れ気味に言ったのだが、延々と会議が続いた。ぼくが参加してからも中身の濃い議論が交わされた。このプロジェクトは1967年10月8日、羽田弁天橋で亡くなった山崎くんを追悼するためのモニュメントを造る募金活動として動いているのだが、同時に、山崎くんの死因をめぐる議論を、50年後にもう一度、つきつめたいという思いがある。だがここには不可解なミステリーが横たわっている。このプロジェクトに参加して、新たな見聞が得られた。そのことを関係者の皆さんに感謝したい。

11/23/日
日曜日は休み。当たり前だが、休めないことも多いのでほっとする。入力作業が遅れているので作業をする。神保町まで散歩。先週、今週とハードな日々が続いた。作品はどこまで行ったのか。メモはたまっているのだが、何がどうなっているかわからない。入力をしないといま何章を書いているのかもわからない。とにかく多忙の中、ひまを見つけてメモを書いている。

11/24/月
大学。1限のあと、雑用がたくさんあってつぶれる。昼休みは2年生のためのゼミ説明会。3限は1年生のためのゼミ説明会。4限も雑用。なかなか自分の仕事ができない。5限、学科会。いろいろと議題が多い。帰って早めに寝ようと思ったが、けっこうメモが書けたので、3時近くまで起きていた。明日がつらい。

11/25/火
1限。妻が実家に帰った。両親の介護。大阪に帰っていく妻を見る度に、自分の両親はいなくなっていてよかったと思う。早めにいなくなるのが子へ孝行だろうな。酒を多めに飲むとよいのではないか。しかしあと10年ほどは仕事をしたいという思いがあって、体調には気をつかっている。「偉大な罪人の生涯 続カラマーゾフの兄弟」はもう発売になっているはずだが、少部数の出版なので、本屋にはないかもしれない。とにかく出すことに意義のある本だと自分では考えている。レイブンスが勝ってAカンファレンスの北地区は4チームとも7勝で並んでいる。引き分けのあるベンガルズが半歩だけリードしている。この地区には一押しのスティーラーズがいるので気にかかる。

11/26/水
教育NPOとの定期協議。この組織の事務所は自宅から徒歩15分のところ。風雨の強い日なので普段着で出かける。終わったあと神田明神前の蕎麦屋で軽く飲む。

11/27/木
大学。4限の3年生の授業のあと、5限は4年生。いつもは2〜3人しか来ないこともあるのだが、この日は飲み会にすると予告しておいたら10人以上来た。結局、飲み会に参加しない学生もいて、10人で近くの店へ。楽しく飲んで、これでお別れの人もいる。大半は卒業式のあとのパーティーがあるが、パーティーではあまり話もできないだろう。2年生の時から3年間つきあった学生たちで、ようやく顔と名前が一致してきたのだが、もうお別れだ。夜中、仕事をする。メモは書けているが入力が遅れている。なかなか追いついていかない。

11/28/金
文藝家協会で著作権管理団体との定期協議。午前中の会議なので、午後からは自宅で入力作業。

11/29/土
この週末は休み。本日は2年前の卒業生2人と高田馬場で軽く飲む。卒業の時に就職が決まっていなかったので心配していたのだが、その後、研修を受けて就職し、いまは社長一人、社員一人というようなところで働いているのだが、社長に信頼されて楽しく働いているようだ。下駄をはきキツネの尻尾をつけていたヘンな学生だったが、いまはまじめに働いているらしい。自宅に帰って夜中まで仕事。第二章までの入力は終わり、第三章は物部と蘇我の戦になる。メモはすでに崇峻天皇の暗殺と推古女帝の擁立のところまで進んだ。このあたりから蘇我馬子との対立点も明らかになっていくことだろう。主人公のキャラクターは完全にできているのだが、聖人にして冷徹な現実家という相反する面をもつ人物だけに、途中でキャラがぶれないか、注意しないといけない。11月もそろそろ終わりだ。書き始めてから2ヵ月になる。入力は遅れているが、メモはかなり進んでいる。年末までには全体の半分のところ(5章の終わり)には到達できるだろう。年末年始の休みで入力作業を進めたいと思うが、体調、寒さ、孫が来るのか、といったところが未定なのでどうなるかはわからない。ネットで見るとフットボールが3試合終わっている。サンクスギビングデー。祭日なので3試合も組まれたのだろう。49ナーズが負けていた。7勝5敗。これはもう絶望か。当面のライバルのシーホークスに負けたのは苦しい。しかし他のチームのようすもみないといけない。このカンファレンスは負け越しでも優勝できる南地区があるので、プレーオフに進出するだめには勝ち星で5位に入らないといけない。9勝のカージナルスに続いて8勝のチームがライバルのシーホークスも含めて4チームある。いや、ライオンズも勝ったから5チームだ。これでは枠が埋まってさらに1チーム余っている。残り4試合を全勝して、その5チームのうち2チームが2敗しないといけない。絶望とまではいえないが、かすかな望みというべきか。

11/30/日
日曜は休み。どこへも行かない。ひたすら入力。11月が終わった。来月は何やかやと雑用があって多忙になる。寸暇を惜しんでメモを先に進めたい。


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