志貴皇子 しきのみこ 生年未詳〜霊亀二(716) 略伝

天智天皇の第七皇子(続紀薨伝による。『類聚三代格』は第三皇子とする)。母は越道君娘(こしのみちのきみのいらつめ)。正室は多紀皇女(天武天皇の皇女で伊勢斎宮)。側室に紀朝臣橡姫(白壁王の母)がいる。子に白壁王(光仁天皇)湯原王海上女王などがいる。
名は芝基・施基・志紀などにも作る。万葉集では志貴に統一されているが、『皇胤紹運録』『尊卑分脈』など施基と記す書も少なくない。光仁天皇即位後の宝亀元年(770)、御春日宮天皇と追尊された。田原天皇とも称される。
天武八年(679)五月の六皇子の盟約に参加。朱鳥元年(686)八月、諸皇子と共に封を加増され、磯城皇子と同じく二百戸を加えられる。持統三年(689)六月、撰善言司に任ぜられる。同八年の藤原京遷都ののち、「明日香宮より藤原宮に遷居りましし後」の作歌がある。大宝三年(703)九月、近江の鉄穴を賜る。この時四品。同年十月、持統上皇御葬送の際、造御竈長官。慶雲元年(704)正月、封百戸を加増される。同三年の文武天皇難波行幸に従い、この時作歌がある。同四年六月、文武天皇崩御の際、殯宮に供奉。この時三品とあり、翌年の叙品の記事と矛盾する。和銅元年(708)正月、三品を授けられる。同七年正月、長親王らと共に封二百戸を益増。この時初めて封租を全給され、封租全給の初例となった。霊亀元年(715)正月、二品。同二年八月十一日(九日とも)、薨去。山陵は田原西陵と称され、高円山の東南、奈良市須山町にある。
万葉集収載歌は六首であるが、秀歌として名高い歌が多く、万葉集を代表する歌人の一人に数えられる。古今集以後の勅撰集には五首入集。

志貴皇子の(よろこび)の御歌一首

(いは)ばしる垂水(たるみ)の上の早蕨(さわらび)の萌え出づる春になりにけるかも(万8-1418)

【通釈】岩にほとばしる滝のほとりの蕨が、芽をふくらませる春となったのだなあ。

早蕨
早蕨 芽吹いて間もない蕨

【語釈】◇石ばしる 原文は「石激」。「いはそそく」と訓む本もある。◇垂水 高い所から流れ落ちる水。滝。

【補記】万葉集巻八巻頭(春雑歌)。題詞の「懽(よろこび)」は、素直に考えれば春の喜びであろう。早蕨は初春でなく仲春になって萌え出るので、春の訪れの喜びでなく、盛りの春になったとの喜びである。

【他出】古今和歌六帖、和漢朗詠集、俊頼髄脳、綺語抄、和歌童蒙抄、袖中抄、和歌色葉、古来風躰抄、新古今集、定家八代抄、色葉和難集、歌枕名寄、和歌密書、夫木抄、三五記
(新古今集など初句を「岩そそく」、結句を「成りにけるかな」とする本が多い。)

【主な派生歌】
たづのすむ沢べの蘆の下根とけ汀もえいづる春は来にけり(*大中臣能宣[後拾遺])
さわらびのもえ出づる春の夕暮は霞のうへに煙立ちけり(小式部内侍)
岩そそく清水も春の声たててうちや出でつる谷のさわらび(藤原定家)
さわらびの萌え出づる春になりぬれば野辺の霞もたなびきにけり(源実朝)
焼きすてし煙の末の立ちかへり春もえ出づる野べのさわらび(亀山院[新千載])
雪きゆる垂水のうへはもえ初めてまだ春しらぬ谷のさわらび(堯孝)

志貴皇子の御歌一首

(かむ)なびの石瀬(いはせ)(もり)のほととぎす毛無(けなし)の岡にいつか来鳴かむ(万8-1466)

【通釈】神のいます石瀬の森のほととぎすよ、毛無の岡にいつ来て鳴いてくれるのだろうか。

【語釈】◇神なび 「神の坐(ま)すところ」を意味する語。◇石瀬の杜 不詳。奈良県生駒郡斑鳩町の龍田地方の森、あるいは同町の車瀬の森(龍田神社の南)、あるいは同郡三郷町の大和川北岸の森かという。◇毛無の岡 不詳。志貴皇子の住まいの近くの岡であろう。

【補記】夏雑歌。

【他出】家持集、五代集歌枕、新勅撰集、歌枕名寄、夫木抄

【参考歌】鏡女王「万葉集」8-1419
神奈備のいは瀬の社の喚子鳥いたくな鳴きそ吾が恋益る

志貴皇子の御歌一首

大原のこのいち柴のいつしかと()が思ふ妹に今夜(こよひ)逢へるかも(万4-513)

【通釈】大原のこの盛んに繁る「いち柴」ではないが、いつ逢えるか、早く逢いたいと思っていたあなたに、今夜とうとう逢えましたことよ。

【語釈】◇大原 奈良県高市郡明日香村。◇いち柴 原文は「市柴」。「いつしば」とも。「いち」は「いつ」と同じく勢いの盛んなことを表わす語。

【補記】初二句は「いつしかと」を導く序。恋人と逢瀬を遂げた喜びを歌う。

【参考歌】若桜部君足「万葉集」巻八
天霧ひ雪も降らぬかいちしろくこのいつ柴に降らまくを見む

志貴皇子の御歌一首

むささびは木末(こぬれ)求むとあしひきの山の猟師(さつを)に逢ひにけるかも(万3-267)

【通釈】むささびは梢へ飛び移ろうとして、山の猟師につかまってしまったよ。

【補記】雑歌。万葉集では人麻呂の名歌「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば…」と並んで載り、前後には旅の歌が多い。よってこの歌も旅先での嘱目詠か。但し「此御歌は人の強たる物ほしみして身を亡すに譬給へるにや」(萬葉集略解)と寓喩を探る説もある。

【他出】古今和歌六帖、綺語抄、和歌童蒙抄

明日香の宮より藤原の宮に遷居せし後に、志貴皇子の作らす歌

采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く(万1-51)

【通釈】采女の袖を吹き返す明日香風――都が遠のいた今は、むなしく吹くばかり。

【補記】持統八年(694)十二月の藤原京遷都後の作。采女は諸国から献上され、天皇に近侍した女性。かつて都であった飛鳥の地で、その美しい袖を風が翻した光景を回想し、幻視している。続古今集に収録。初句は「たをやめの」。

【他出】綺語抄、和歌童蒙抄、色葉和難集、続古今集、夫木和歌抄、井蛙抄、歌林良材、雲玉集

【主な派生歌】
旅人の袖吹きかへす秋風に夕日さびしき山のかけはし(*藤原定家[新古今])
草枕都をとほみいたづらにゆききの月のやどる白露(藤原定家)
わぎもこが袖吹きかへす秋風のまだうらなれぬ涙とふらむ(後鳥羽院)
明日香風袖吹きかへす夕暮に都へだつる佐保の川霧(藤原秀能)
飛鳥川桜吹きかへす春の風なほたをやめの袖の香ぞする(藤原為家)
穂に出でて招く薄のあすか風袖吹き返す秋の夕暮(〃)
明日香風かは音ふけてたをやめの袖にかすめる春の夜の月(*宗尊親王)
飛鳥風いたづらに吹く宵々に秋ぞこととふたをやめの袖(亀山院[新続古今])
明日香風いたづらにちる紅葉かな都を遠み見る人やなき(二条為忠[新葉])
たわやめの袖吹き返す夕風に涼しくすめる鈴の音のよさ(鹿持雅澄)
たをやめの袖吹きかへす夕風に湯の香つたふる山中の里(橘曙覧)

慶雲三年丙午(ひのえうま)、難波宮に(いでま)す時、志貴皇子の作らす歌

葦辺(あしへ)ゆく鴨の羽交(はがひ)に霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ(万1-64)

【通釈】葦のほとりを漂って行く鴨の羽がいに霜が降って、身にしむほど寒い夕暮は、故郷の大和がしきりと思われる。

【語釈】◇葦辺ゆく 葦のほとりを泳いでゆく。◇羽がひ 背中にたたんだ両翼の交わるところ。◇大和 原文は「倭」。今の奈良県にあたる。

【補記】慶雲三年(706)晩秋九月から初冬十月にかけて行なわれた文武天皇の難波行幸に従駕しての作。新勅撰集に下句「さむきゆふへのことをしぞおもふ」として収録されている。

【他出】綺語抄、和歌童蒙抄、古来風躰抄、新勅撰集、夫木和歌抄

【主な派生歌】
葦辺ゆく鴨の羽がひの夕霜をよそには鳴かぬさよ千鳥かな(藤原家隆)
葦辺ゆく鴨の羽風もさむき夜にまづかげこほる三島江の月(*藤原雅経)
嘆きつつ独りやさねむ葦辺ゆく鴨の羽がひも霜さゆる夜に(*花山院長親[新葉])
さ夜更けて鴨が音寒し差し交はす羽交の霜やいたく置きにけむ(横井千秋)


更新日:平成15年08月23日
最終更新日:平成20年09月22日