海野十三 うんの・じゅうざ/じゅうぞう(1897—1949)


 

本名=佐野昌一(さの・しょういち)
明治30年12月26日—昭和24年5月17日 
享年51歳 
東京都府中市多磨町4–628 多磨霊園4区1種25側 



小説家。徳島県生。早稲田大学卒。通信省電気試験場に勤めるかたわら推理小説を書き、昭和3年雑誌『新青年』に発表した『電気風呂の怪死事件』で文壇に出る。以後、推理小説・空想科学小説・少年向き科学読み物まで書いて活躍した。『俘囚』『振動魔』『火星兵団』などがある。






 

 僕は深夜の、あの物静かな街頭が、とても好きなのである。そして昼間見慣れた街頭が吃驚するほど異色ある表情をして僕を迎えてくれるのが嬉しくてたまらないのである。僕の魂は、深夜の街頭に、啜り泣く。
また深夜の街頭は、人一人見当らず、犬一匹猫一匹さえ眼にうつらぬ。僕は、冥途とはこんなところではないかと思うし、 時には自分がもう既に死んでしまったのではないかと錯覚を起すことさえある。なにしろ僕という男は、やがて旅行する約束になっている冥途という国に、限りなき憧れを持っている人間なのである。そこはどんなに素晴らしい所だろうか。青い鳥がこれから生れてゆく現世に憧れるにも増して、僕は深夜の街頭を瓢瓢として流離いながら、あの世を恋うる。

(深夜の東京散歩)

 


 

 〈僕は五十二までしか生きられないけど、海野十三というのを世に出したいから、一緒になってくれ〉。胸を病んでいた佐野昌一(海野十三)が通信省電気試験場の同僚、のちの佐野夫人にかけたプロポーズの言葉である。
 太平洋戦争中は軍事的科学小説を書きつづけ、海軍の報道班員として南方へ従軍したものの健康を損なって帰国した。予想したとおりの無残な敗戦によって、茫然自失。それに加え、昭和20年2月、友人小栗虫太郎の死は海野に決定的なダメージを与えた。昭和24年5月17日、『俘囚』や『十八時の音楽浴』などの空想科学小説をもって〈日本SF小説の父〉とも呼ばれた海野十三は、結核のために51年の生涯を閉じた。



 

 生地徳島の中央公園にある「海野十三文学碑」には〈全人類は科学の恩恵に浴しつつも、同時にまた科学恐怖の夢に脅かされている。恩恵と迫害との二つの面を持つ科学、神と悪魔の反対面を兼ね備えている科学に、われわれはとりつかれている。〉との至言が刻まれているそうだ。
 かくれんぼをしていて見つけられた子供が、頭を掻いて出てきたように、勢いよく茂った樹葉の間からほっそりとした石柱碑が顔を覗かせた。「佐野家之霊」と彫られた文字の上には、小さな五輪塔がのっている。
 深夜の散歩を楽しみ、墓地の散歩も楽しんだ海野十三にとって、多磨墓地は夏場の由比ヶ浜のようにチグハグで明朗な感じがする所で、趣味に合わなかったそうだが、永遠に続く深夜を楽しむのにはちょっと早すぎた。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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