「親日家ってのは、反日家にもなり易いんだよ」と、教えられたことがある。かつて、リオデジャネイロがブラジルの首都だった半世紀前だ。そこに日本大使館ができる以前から住み着いた最初の老日系人G氏に出会ったときだった。
「リオで日本人は珍しかったから、親日家ってのも珍しい存在だった。日本大使館でのパーティーに招待されただけで、日本を知らなくても親日家になっちゃう。そこまではどこの国の公館パーティーに招待されても嬉しいので同じだ。
ところが、日本の場合、大使が変わるや、前の大使が招んでいた親日家を無神経にカットしちゃう。すると、その大事な親日家はあっさり反日家になり、われわれ日系人に不都合な存在にさえなるから困るんですよ」
と、たしかに普通の人間関係でも言える。
憧れの国・好きな国という場合、その多くは「何となく」で、嫌いな場合も似たり寄ったりで、ふと好きに、ふと嫌いになる。
敗戦後の日本人は、戦争しないスイスに憧れた。
それに、当時の外国はほとんど日本より豊かに見えたものだ。夢多き学生時代、インドをはじめ、好き嫌いなしにいろんな国の要人に「憧れの貴国に行きたい! お金無いけど」と、絵入りの手紙を片っ端から出したことがある。もちろん返事は皆無だった。
日本人が自由に海外旅行できる今日このごろは、その好き嫌い事情も変わった。
旅先で、ある国に、ぞっこん惚れ込む人が増えたのだ。が、なぜ? という問いにはなぜか「いい人ばっかりなんだ」と、どこの国だろうが誰も似た答えをする。
友人も中途半端ではない。ふと、ルーマニアを愛して、百回を超える通い旅だ。なぜって? 「初めて会った人が泊まっていきなさいと言ってくれ……旅立つときは涙涙で……土産に牛を持ってけと……いい人ばっかりなんです」
彼は、その国のいい人間たちに出会い続ける、いい旅人だ。儲からないけど羨ましい!
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