カメラを向けるや、黒いベールの女性たちは一斉に顔を背け、撮るな!と喚いた。なんで?
世界史の中にノンビリ取り残されたようなアラブの不思議な風景での第一歩だった。イスラムに生きる彼女たちが写真に残されるのを忌み嫌うことも知らなかった。が、男たちは喜んで被写体になってくれた。
一九五六年、レバノンの街は明るく穏やかだった。エジプトもスエズ運河も、さらにベトナムも、平和な風景だったし、日本軍が進駐していたなんて思えない。
が、その数ヵ月後、イスラエル軍がエジプトに進撃し、スエズ動乱が始まったのだ。
一般の人が平和慣れした、まさかのときに戦争は起きる。ベトナム戦争も始まった。
少年の日の朝、女学生の姉が「大変! 日本がアメリカと戦争になったわよ!」と叫び、父も兄も使用人も家中が興奮していた。
少年の私は「ミッキー・マウスの国と?」と、ポカンとしていた。でも、うちの大人たちも下町の一般国民で、本当の意味なんてわかっちゃいなかったはずだ。
やがて、ラジオ、新聞、学校で教えられ、それなりの愛国少年になった。……勝利の日まで、勝利の日まで…と唱う国民歌謡は、とくに楽しかったのに、まさかの敗戦で終わった。
戦争の真の原因は、歴史上の戦争になってからでないとわからないかもしれない。
イスラム諸国の旗には黒や緑が多い。国にもよるが、黒は戦いの歴史を、緑は聖なるイスラムの教えを意味するらしい。
新世紀に入るや、その黒が大流行したのは不思議だ。砂漠も冬の寒さを越えなければ平和な春は来ない。緑は春か……。
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