道・鎌倉街道探索日記

参考にさせて頂いた資料・・・・・・・

ガイドブック

  • 旧鎌倉街道・探索の旅-上道編   芳賀善次郎  さきたま出版会
  • 旧鎌倉街道・探索の旅-中道編   芳賀善次郎  さきたま出版会
  • 旧鎌倉街道・探索の旅-下道編   芳賀善次郎  さきたま出版会
  • 旧鎌倉街道・探索の旅-山ノ道編  芳賀善次郎  さきたま出版会
  • 中世の道・鎌倉街道の探索  北倉庄一 テレコム・ドリビューン社
  • 鎌倉街道をゆく   栗原仲道   埼玉新聞社
  • 鎌倉街道ものがたり 中道編   藤縄勝祐薯
  • 鎌倉街道伝説   宮田太郎   ネット武蔵野
  • 武蔵野の万葉を歩く  芳賀善次郎   さきたま出版会
  • 武蔵野歴史散歩2   蜂矢敬啓   有峰書店新社
  • 古道紀行 鎌倉街道    小山 和    保育社
  • 鎌倉街道上道-鎌倉から高崎へ140キロの旅- 小原昭二 けやき出版
  • 峠路を行く   蜂矢敬啓   高文堂出版社
  • 碓氷峠:足柄峠への古道   蜂矢敬啓   高文堂出版社
  • 鎌倉街道夢紀行 上道コース  テレビ埼玉編  さきたま出版会
  • 平安・鎌倉古道  尾藤卓男   中日出版社
  • 新説武蔵国の国道伊利麻路   大野七三   批評社
  • 戦い・祈り・人々の暮らし 嵐山町博物誌・第五巻 嵐山町の中世 嵐山町
  • 古道をあるく-鎌倉街道歴史探訪- 埼玉県立歴史資料館 奥武蔵古文化研究会
  • 埼玉県の歴史散歩 埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会 山川出版社
  • 鎌倉街道の世界 古道から探る中世の風景   毛呂山町歴史民俗資料館
  • 武蔵府中と鎌倉街道 府中市郷土の森博物館ブックレット12 府中市郷土の森博物館
  • 埼玉・歴史の道50話  埼玉県立博物館編著  埼玉新聞社
  • 中世のみちと都市 日本史リブレット25 藤原良章 山川出版社

歴史書・小説

  • 武蔵武士-そのロマンと栄光-   福島正義   さきたま出版会
  • 畠山重忠  貫 達人   吉川弘文館
  • 日本の歴史9南北朝の動乱   佐藤進一  中央公論社
  • さいたま歴史街道   吉本冨男   埼玉新聞社
  • 武蔵の武士団- その成立と故地をさぐる  安田元久  有隣新書
  • 中世東国史の中の鎌倉古道   蜂矢敬啓   高文堂出版社
  • 新田義貞  新田次郎   新潮社

写真集

  • 鎌倉街道   田村 栄   誠文堂新光社
  • 文化庁選定 歴史の道百選 森田敏隆写真集   講談社
  • 鎌倉の秘道 切通し・やぐら・花の寺  中野正皓  日本写真企画

研究書・調査報告書

  • 歴史の道調査報告書「鎌倉街道上道」  埼玉県教育委員会
  • 県内鎌倉街道伝承地所在確認調査報告書   埼玉県教育委員会
  • 歴史の道調査報告書 鎌倉街道   群馬県教育委員会
  • 堂山下遺跡(範囲確認調査・発掘調査) 鎌倉街道B遺跡 毛呂山町教育委員会
  • 「鎌倉」の古道  阿部正道   鎌倉国宝館論集
  • 鎌倉街道1 歴史編   栗原仲道   有峰書店
  • 鎌倉街道2 実地調査 史跡編    蜂矢敬啓   有峰書店
  • 武蔵野 第52巻 武蔵武士と鎌倉古道 武蔵野文化協会
  • 多摩のあゆみ Vol.92  鎌倉への道  たましん地域文化財団
  • 中世のみちと物流   藤原良章/村井章介-編   山川出版社
  • 古代を考える 古代道路   木下良   吉川弘文館
  • 古代の道路事情   木本雅康    吉川弘文館
  • 日本の古代道路を探す(律令国家のアウトバーン) 中村太一 平凡社新書
  • 完全踏査 古代の道  木下良/監修 武部健一  吉川弘文館
  • 古代国家と道路   近江俊秀   青木書店
  • 中世のみちを探る   藤原良章    高志書院
  • 中世東国の世界1 北関東  浅野春樹・斎藤慎一  高志書院
  • 中世東国の世界2 南関東  浅野春樹・斎藤慎一  高志書院
  • 武蔵国分寺跡北西地区の遺跡発掘調査報告書 ー推定鎌倉街道ー 西国分寺地区遺跡調査会
  • 武蔵悲田処に関する研究 並古道ぞいの寺社について 東村山市教育委員会
  • 東山道武蔵路の調査研究 古代學研究所研究報告書  第六輯  財団法人古代學協会
  • 中世のみちと橋   藤原良章   高志書院
  • 鎌倉時代の考古学  小野 正敏・萩原 三雄  高志書院
  • 歴史地理調査ハンドブック   古今書院
    有薗正一郎・遠藤匡俊・小野寺淳・古田悦造・溝口常俊・吉田敏弘

地誌・その他

  • 新編武蔵風土紀稿 各巻    雄山閣
  • 武蔵野歴史地理 各巻  高橋源一郎  有峰書店
  • 新編鎌倉誌・鎌倉攬勝考  雄山閣
  • 鎌倉街道上道整備活用総合計画1 ー入間地域ー 埼玉県教育委員会
  • 日本石仏事典  庚申懇話会編   雄山閣出版
  • その他埼玉県内各市町村史及び関東各地の県・市町村史
  • 鎌倉街道夢紀行  テレビ埼玉

 

ごあいさつ

私は埼玉県川越市に住む昭和30年代生まれの男性です。私自身、歳を取ったといいますか、最近の世の移ろいの速さに息切れを感じているところです。仕事柄にコンピュータなるものを使っていたことから、技術の進み方の凄まじいものには呆れるばかりです。当初は仕事でのデジタル化によって今までより仕事がやりやすくなるとか、残業が減るとか、そのように未来を楽感視していたところがあったのです。しかし現実は逆で、 競争が激しくなり、仕事の難易度が上がり、短納期に追われ、仕事の量、質とも、以前に増して厳しくなったように感じられます。こうなってくると、豊かさとはいったいなんだろうかと考えてしまいます。昔の人は現在のように物資には恵まれていない中でどのような生活をしていたのだろうかと、そんな思いが頭を過ぎるのでした。

私は学生の頃から歴史や地理は好きな学科でした。学生当時から古いものを尋ねてみては写真を撮ったり、又資料を集めたりしていて、それらの情報からまた新たな歴史や古美術に興味をそそられるといった繰り返しでした。いつも歴史的な意味合いのある所ばかりを旅行していました。私の旅行は一人旅が中心で、しかも何度も同じ所を尋ねる癖がありました。 同じ所ばかり訪れていても、出掛ける度に違った表情で向かえてくれるのが楽しかったのです。一緒に旅行する友人とかは少なく、「自分は一人、自分の道を行く」、といった学生時代を過ごしました。我ながらその頃の単独行的性格は自分の長所でもあり、短所でもあったようです。 学生を卒業し世間に揉まれているうちに少しずつ自分も大人になって行ったといいますか、自分と価値観が合わない人ともそれなりに何とか付き合って行く方法を自然と身に付けて行きました。考えてみれば自分と同じ価値観を持った人が何人もいるわけはありません。お互いに違った価値を持ち、それを認めて尊重しあいながら生きて行くことが人の世の「道」であり、それが平和へと導いて行くものであります。お互いに譲らなかったら、争いになり、最終的には戦争ということになります。争いの結果で何が残るのか、悲しみ、怒り、憎しみだけで、更にはまたそこから新たな戦いが始まるのです。そして弱い者が何時の時代も犠牲になるのです。過去の歴史はその事実を私に語りかけて来ます。過去を学ぶということは「昔は良かったなあ」 という懐古趣味ではなく、再び過ちを起こさないための教訓であると思うのです。失敗体験談というのがありますが、歴史とはまさにそれだと思います。また歴史は戒めだけではありません。自分自身を慰め、やすらぎへと導いてくれるものが私にはありました。

インターネットを始めた時から自分のホームページを持ちたいと思っていましたが、何をテーマに作成したらよいのかがわからずに先へ進みませんでした。埼玉県川越という所に引っ越してきてから暫くして、近くに鎌倉街道と呼ばれる道が存在したことを知りました。鎌倉街道の名前は聞いたことはありましたが、 具体的にはどんなものなのかはわからず、図書館などで資料をあさっているうちにだんだんと興味をそそられて行きました。中世の鎌倉時代や室町時代は歴史好きの私でも苦手な時代でした。所沢に小手指原古戦場というのがあるのは何十年も前の学生の頃から知ってはいましたが、それが何時頃のどういう戦が行われたところなのかは鎌倉街道に興味を持つまで知らなかったのです。そこからそんなに離れていない東村山の正福寺地蔵堂はその姿や様式が北鎌倉の円覚寺舎利殿に瓜二つで関東でも珍しい国宝の建築物でした。私は学生時代から寺院建築には興味があり、正福寺を初めて訪れたのは高校生だったと思います。正福寺地蔵堂の写真を何枚も撮ったのを憶えています。もしこの頃に鎌倉街道を知っていて写真を撮り歩いていたら今は無き貴重な写真が残せたと惜しい思いがします。埼玉県教育委員会の歴史の道調査が行われる前で、 芳賀善次郎氏が「旧鎌倉街道・探索の旅」を出された頃ではないかと思われます。今は伝説となってしまった八国山付近の風景、日高の大谷沢の遺構、鳩山の街道杉付近の遺構、笛吹峠の舗装以前の峠道、寄居の塚田付近の古道跡、美里と児玉境の陣街道口の一里塚榎木など失われた街道の風景を残しておくことができたのにと思うだけでした。鎌倉街道を調べ始めてから正福寺地蔵堂と円覚寺舎利殿が鎌倉街道という道で繋がっていたということを知り、不思議な因縁を感じたものでした。

インターネット等で誰もが情報を得ることができ人々の生活は便利になったように見えますが、本来の豊かさが実感できないのはなぜでしょうか。最終的には人間の根底にあるものは古今人種の隔たりなく、太古の昔から変わっていないのではと思っています。自由を追い求めるのは人間の常ですが、しかし近頃は自由とわがままを混同してる兆しがあのではないかと思います。最近、道徳の低下が語られています。(ここで言う道徳とは立派な心得や行いと言うことではなく、ごく普通の人としての世渡りの道のことです) 現代の日本人は文化や伝統というものを見失ってしまっているように思えます。それを次世代に語り次ぐことが出来ない我々の責任なのかも知れません。戦前までの日本は文化・伝統を重んじる国だったと思います。またそれは独自の国粋主義やナショナリズムといった形で歪曲され、周辺の諸国を脅かすような結果をもたらしました。 それは大いに反省すべきことですが、しかし今は逆に自国の文化・伝統を語れない人が大半のように思えます。比較するわけではありませんが、欧州の人々は自国の文化・伝統を個人の内に大切にしています。何々魂とかいって誇りにしているのも少なくないようです。私は決して右翼でも国粋主義者でもありませんが、ただ今の日本人はあまりにも過去の人達の築き上げてきたものを軽視し便利さばかりを追求しているように思えてなりません。道徳の低下のヒントがこのあたりにあるように思われるのですがいかかでしょうか。

埼玉県内を通る鎌倉街道上道の各地を尋ねて何時も思うことは、尋ねる度に街道付近の景観がどんどんと変わって行くことです。数少ない街道跡の道や周辺の史跡を現在よりも失いたくないという思いが湧いてきます。鎌倉街道上道をより多くの人々に知ってもらいたい、私たちの住んでいる街の中にも知らなかった街道跡や史跡があって、それらを尋ねて歩く楽しさを知ってもらえたらと思っています。史跡巡りなどと言うと、どうも年輩の人々の活動と捉えられがちですが、私としては若い人々にも身近に歴史を感じられる街道探索をお勧めしたいのです。昔の人達が持っていたもので、現在の人々が知らず知らずに失ってしまっているもの、そんなものを見つけるヒントが街道探索にはあるような気がします。私としても鎌倉街道の探索は冒険、勇気、愛を追い求めるものでありたいし、改めて郷土の魅力を見つけるチャンスでもあるのです。そしてこのホームページを開くことで新たなコミュニケーションができれば幸であると思います。

ホームページ開設にあたり、初は群馬県から鎌倉までと考えていたのですが、あれも載せたい、これも載せたいとだんだん内容が厚くなり、これはとても一人では出来るものでは無いと感じたので、埼玉県内と限定させて頂きました。掲示版なども載せたかったのですが、作者である私の技術不足ということで今後の経過を見て考えたいと思います。またやたらと文字が多くて閉口している人も多いのではないでしょうか。しかも誤字が多く、何だこのホームページはと思われたことでしょう。そこは素人が多くの情報を四苦八苦しながら作成しているものと大目に見てやってください。更には、動く物はホームページの内容から考えて極力入れないことにしました。(ハッキリいってこれも私の技術不足ではありますが) 以上ご意見やご感想、ご批判等を頂ければと思っています。

最後にご支援、ご協力頂いた方々には厚く御礼を申し上げます。

2000年11月

PAGE TOP