第5回 引き継ぎ~息子から父親へ~
 木田浩司の家では陶芸家である父親が教室を開いており、自分でものをつくる「喜び」を味わってもらいたいと人々の趣味の幅を広げる手助けをしている。その中で浩司は父親の手伝いをしながら陶芸の魅力や様々な道具の扱い方を身につけて行った。父親は彼の働きぶりには大変な信頼を寄せており、ほとんど彼に任せていた。ただし教室の講師の仕事はまだやっていない。
「在庫の粘土はまだ残ってるか・・・、あと3週間くらいは大丈夫だな、それから発注しよう。あと釉薬はと・・・」
浩司は教室で使う道具を家の横の倉庫で確認していた、棚にきちんと整理されてならべられており、それを見るのが彼の日課となっている。彼の上着は倉庫の埃で少し汚れていた。そこへ父親の宏一がやって来た。
「在庫の確認中か。すまないがその後で私の部屋に来てくれ、大事な話がある」
彼にそう伝えると家の中に戻って行った。宏一はすでに焼き上がった作品を丁寧に運んでいた。
「大事な話?」
浩司は父親のいつに無い発言を心の中で気にしていた。倉庫での仕事を終えて父親の部屋へやって来た浩司はソファに腰掛けて話しかけた。
「大事な話って何?」
父親はゆっくりとコーヒーを飲み干して一息ついてから答えた。
「今後の教室の事なんだけどな、お前もそろそろ教室の仕事にも慣れて来たと思ってな。浩司が大学へ進学してから教室の事を手伝ってもらってもう5年が経ったが、あっという間に身につけてしまうのだからさすがは私の息子だ!」
父親の明るく息子を大げさに褒める言葉に浩司はため息をついて答える。
「・・・で、教室の今後って? 俺にまた何か新しい事でも手伝って欲しいのか?」
「決まっているだろう、陶芸教室の講師として参加してもらおうと思っているんだよ」
「何!? 講師?」
「今までお前の作った物を見て来たが、講師をやってもらうにふさわしいくらいの出来だと感じている。そこで講師をしてもらいたい」
「ちょっと待ってくれ、俺としては5年経ったからって言ってもまだ上手くやれるなんて思ってないし、ましてや俺には講師は早いと思うけどな」
「まぁ、今から講師としてやってみてそれからでも良いだろう。早速だがもうスケジュールは固めているんでな、1ヶ月後にはぜひとも講師としてやって欲しいと思っている」
「・・・、え、もう決めてるのかよ」
父親のあまりにもスピーディーな対応に面食らっていた。彼は父親が無計画で行動しているのではないかと疑問を持っている。
「どうだ? 浩司」
父親は彼を期待の目で見ている。
「仕方ないな、わかったよ」
納得はしていないが、事が進んでしまっているので後には引けなかった。
「そうか、やってくれるか。これで私も一安心だ、なにせ教室を切り盛りするのも大変だからな。とりあえずは一切合切一人で今後やってもらうことになるので心して欲しい」
「俺一人で?」
「もう独り立ちしてもおかしくないだろう。私からも教える事もないしなぁ」
「独り立ち、か」
彼自身はまだ力がないと言っているので、父親の評価をどうしても受け入れられないでいた。
「あ、そうだ。もし不安なら助手を就けてもかまわないぞ」
「助手?」
「教室の道具の在庫管理とか準備とかかなり忙しくなる事が多いから、もしも自分一人で大変なら友人でも良いから手伝ってくれる人を捜してみても良い」
「この発言からじゃあ親父は手伝うことはまったくなさそうだな・・・、俺が講師になる事で楽しようとしているんじゃないか?」
浩司は心の中でそう思った。
 その夜、食事を済ませ自分の部屋に戻ってこれからの事を浩司はベットで横になりながら考えていた。
「手伝ってくれる奴っていっても、健たちは働いているし高校時代の仲間とも連絡が取れそうにもない・・・、ん、待てよ。そういえば彼女なら・・・、駄目もとで聞いてみるか」
貴島亜里紗は現在、以前勤めていた会社を辞めて求職中の身であった。彼女は職場での嫌がらせを受けていた事から、その不安から抜け出せておらず、求職活動も出来ていない状況だった。
「彼女は今大変な時期だってことはあるけど、とりあえずアルバイトとしてならやってくれるかな?」
木田は彼女の携帯に連絡をした。一方の貴島はなかなか求職活動に気持ちが動かず、部屋に閉じこもっていては。一人目をつむって横になったり、本を見たりする程度で外に出る事が少なくなっていた。彼女の容姿も髪は整えている程度で化粧は全くと言っていい程しておらず、家族との会話が少なくなっている事から彼女の気力がなくなり生き甲斐そのものが感じられない様子だった。そんな時、その彼女の携帯に着信があった。
「はい・・・、貴島です」
彼女の声に以前の明るく力のある様子は感じられない。
「やあ、木田だけど話したい事があってさ、貴島さんに話を聞ける気持ちが今はあるかな?」
「浩司君? 浩司君なの」
「ああ、久しぶりだね」
「話って、何?」
「実は、さっき親父から陶芸教室の講師を急に任される事になってね。一人だと何かと大変だからって助手を就けてもいいっていう話が出て来たんだ。要は俺の助手を捜してるって事なんだけど、それで貴島さんにお願いしようと電話したって訳」
「私に? どんな仕事なの」
「とりあえずは教室の準備とか道具の在庫管理くらいかな? 俺もとりあえず講師を初めてするから少々手探りになってやることもあるとは思う」
彼女はその電話の用件を聞いて、彼の所で働けるなら今までと違って信頼出来る人の所で安心して出来ると感じ話を聴いてすぐ様返事した。
「じゃあお願い! 私に・・・、私にやらせて」
「そうか、ありがとう。それじゃあ2週間後にうちに来て欲しい。それまでにはやる事を整理して貴島さんにやってもらうことを教えられるようにしておくから」
「うん、わかった。私、どこまで出来るかどうかわからないけど、選んでくれて本当にありがとう」
彼女にとって今まで生き甲斐を感じる事がなかったが、この事から彼女の生きる道が明るく開けて行くことになる。
 2週間後、彼女が木田の家にやって来た。今までずっと家にこもりがちで外に出る事が少なかったが、しっかりと髪を整え、化粧もして身なりもしっかりしている彼女の様子が見えた。
「よう、来てくれて嬉しいよ。そういえば以前会ったよりもしっかりと化粧しているじゃないか」
彼女をじっと見て安心した表情で迎えた。
「うん、とりあえず外に出るし人に会うからね。でも、ありがとう、そう言ってくれて」
「やっと普段の貴島さんに戻ったようだ。とりあえず出来る限りやって行くか、あまり気張らずにって所かな? それじゃあ早速始めようか」
木田は彼女に陶芸教室が始まる前の準備や、道具の在庫の確認やその他の雑務、教室にある設備の使い方等、一通りその場所に案内して説明し、彼女からの質問に丁寧に答えた。
「一通り説明した所で少し休憩しよう。もしよければもう一度さっき教えた所を見てもらってかまわない」
「それじゃあ、後で見せてもらうね」
彼女はトイレに行った。木田は彼女のページの開いてあるメモにふと目をやると、相当なまでに今まで教えてもらってきた事が書き込まれているのがわかった。
「結構熱心に取り組んでいるんだな、それくらい気力が戻って来たのかもしれないな」
その後も彼女は教えてもらったらすぐメモをして自分で出来るようにその場所で何度も確かめている熱心な姿があった。この日は木田が必死で彼女に色々と教えてそれをメモしてまとめている一生懸命な行動からあっという間に夕方になった。
「よし、今日はここまでだけど今度は教室が始まる1時間前に準備する所から始まるけど、今まで教えて来た事をしてもらうだけなんで難しくはないと思うけど、何かあれば始まる前にでもまた来てもらってもいいよ、いくらでも教えるから」
「とりあえず家に戻って、今まで教えてもらった事を復習する。もし不安があればまた教えてもらいに伺うようにするね」
「ああ、上手く行くようになんとかなるって信じよう。俺も初めてで不安だけど貴島さんと同じ気持ちなんだから」
これから陶芸教室での仕事を通して2人の新しい時間が始まるのである。