第4回 思い出
季節は寒さがまだ残る春の時期であった。北見健が製薬会社へ就職してからそろそろ1年目が過ぎようとしていた。特に研究所では誰かが異動することがなく、いつもと変わらない業務の計画通りにつらい日々を過ごしていた。夜8時を超えての勤務が続いており、疲労の色は隠せなかった。家に帰ってすぐ食事し、一呼吸置く事無く就寝する有様で、他の事をする時間のゆとりが無い様子であった。一週間の激務を終えた貴重な休みの日は、とりあえずの気分転換に家の周りを散歩していた。その途中で桜の咲いている自分の通っていた高校の風景を目の当たりにし、当時の事を思い出した。
高校卒業間近の時、北見健たちはそれぞれ専門学校や大学へ進学することになり、離ればなれになることを寂しがっていた。
「お前も大学が決まったようだな」
木田は放課後の教室で北見と話し合っていた。
「うん、自分のやりたい事が出来る所に行けたから本当によかったよ、浪人は覚悟していたけど勉強した成果が実ったって感じだね」
「俺も結局は親父のやってる事と同じ様なことを目指していたのかな? とりあえずは美術科のある大学へ行く事が決まったし、まずはそこでセンスでも磨いておくかって所だ」
「それぞれ進路が決まったんだ・・・」
少し2人の間に沈黙があった。
「そう言えば後わずかでみんなと離れ離れか・・・」
北見が椅子から立ち上がって、窓の外を見て話を切り出した。
「そうだな・・・、後1ヶ月しか無いんだな、この高校で過ごす時間は。本当にあっという間だったな
、みんなと出会ってからの2年があっという間に・・・」
北見は教室で木田と別れた後、学校の正門前で片桐麗と出会った。
「北見君、今帰る所?」
「うん。今まで浩司と教室でずっと話していたから、すっかり遅くなっちゃった」
「私も少し残ってたの、もうじきこの学校を卒業するから、今までのことをつい思い出して、グラウンドを眺めていて・・・」
「グラウンド?」
「私、テニス部だったからずっとこのグラウンドで練習してことをふと思い出してね」
「もしかしたら、片桐さんも高校生活を離れるのか寂しいのかな?」
「もちろん」
「僕も浩司とここを離れるのが寂しいってさっき話していたんだよ。それに大学はこの町より少し遠くだから一度ここを離れて下宿する事が決まったんだ」
「そう・・・」
一呼吸置いて片桐がうつむいて寂しげな顔で話しかける。
「私もね、北見君と離れるのがさみしい・・・。やっと、やっと仲良くなれたと思ったのに」
「僕もそう思ってるよ。でも大学に行っても、このまま離れ離れになる訳じゃ無いって思っている。向こうへ行っても大学生活が終わればそれまでだし、夏休みになったらまたこの町に帰ってくるつもりだよ。やっと片桐さんと仲良くなれたし、またいつか会える気がする、そう信じたい」
「本当に? それなら約束して」
彼女は北見をその澄んだ瞳で見つめて、彼の手を握った。2月の寒さの中に彼女の手のぬくもり
を感じていた。
「うん、かならず帰ってくるって約束するよ」
北見もあたたかい表情で彼女を見つめて答える。2人はまだ正門の前で話し合っていた。
「そういえば片桐さんは服飾の専門学校に決まったんだよね?」
「学校は家から通える距離の所にあるからその点は大変じゃないけどね。私も家の仕事を見て来たから自分でもその道を自然と目指そうって考えていたかも」
「お互いに次にする事はもう決まった、後は自分次第か」
「うん、自分次第、ね」
「これから残りの時間はどうしようかな?」
「またみんなでどこか行かない? これから会う機会も少なくなると思うから」
「浩司にも聞いてみるよ」
一方、木田は自転車置き場にある自分のバイクで帰ろうとしていた。その時、貴島の後ろ姿を見かけた。
「貴島さん、貴島さんじゃないか!」
貴島亜里紗がその声に引き込まれるように振り向いた。
「浩司君、今までずっと教室に残ってたの? もう私たち学校でする事ほとんどないのに・・・」
「健と話し込んじまってさ、気がついたらこんな時間になっちまって。それで貴島さんはどうして残っていたんだ?」
「ちょっと先生と今までの事を話し合っていたの、実習生として来て、始めのうちは自分の親戚が教師になったからそのことで驚いたりやけに気にしたり、少しやりにくかったりしたけど時間が経つうちに良い思い出になったんじゃないかってお互いに感じていたことに気づいたの」
「そうか、親戚である先生とね。良い思い出かぁ」
「浩司君もあるでしょ? 思い出」
「そうだな、健と1年生の時から知り合ったけど、みんなとは2年目からだった。それからは結構俺としてはいろいろと楽しかったことがあったと思ってるよ。そうだな一番の思い出って行ったら、バレンタインデーの時の事だな」
「バレンタインデー?」
「あの時いろんな人からチョコをもらったけど、手紙と一緒に下駄箱に入っていたり、ただ渡された感じがしていただけであまりありがたみがなかったって思っていたんだ、でもあの日の放課後に照れくさそうに貴島さんが渡してくれたのは正真正銘手作りのチョコだった。それを実はその時食べてみたんだよ、もちろんうまかったし心のこもった物だったって感じたよ」
「でも私不器用だったからあまりきれいに出来なくって。あの時は特別に誰かに渡そうって思っていなかった。ただ、誰かに何となくだけどきちんと作って渡してみたかったの。不思議とそういう気持ちになって・・・」
「その相手が俺って訳か」
その言葉の意味を木田はどう感じているのだろうか? この時はその答えは出なかった。
「でも、本当にうれしかったよ・・・」
「ありがとう・・・、そう言ってくれると嬉しい」
2人の時間はあっという間に過ぎて行った、もう空は日暮れを迎えていた。
「私は専門学校で社会勉強していくことにしたの、特別に何か大学でやりたい事が浮かばなくってね。浩司君は卒業してから確か大学に行くって行っていたけど、その大学って遠いの?」
「いや、家から1時間ちょっとで行ける所だよ。まぁとりあえず親父のやってることやるんならそれに関係ある学部の大学へ行った方が良いって思ってね。何もしないよりかはましだし、まだ俺としては遊び足りない、かなって」
「私も同じ気持ち!」
「そうだよな」
2人の会話に笑いが入り込んだ。
「ねえ、また私たち会えると思う」
彼女は笑いの後、少し間を置いてから不安そうに木田に問いかけた。
「俺はそう思うってるよ、これからお互いの道を行くようになってもまた会えるような気がするんだ。成人式の時だってそうだし、これからだって変わらないよ。仲間であることには・・・」
「じゃ、また会おうって約束して!」
「ああ、約束だ」
北見健は片桐麗と正門で話を終えた後、少しの間一緒に帰っていた。
「卒業式が終わったらすぐに向こうへ行くの?」
「その準備があるから出来る限り早めに向こうへ送る荷物を作って、卒業式が終わってから一週間後には行くつもりだよ」
「じゃあその時にみんなで最後に会わない?」
「そうだね」
それから卒業式の時を迎えた。桜が風にひらひらと舞い散り、ここちよい暖かさと青い空が式をよりいっそう引き立てているようだった。静かに式は始まり一人一人に証書を渡す緩やかな時間が過ぎ、卒業生の新しい船出を導いて行った。式が終わりそれぞれ正門の前で生徒達は互いに別れの言葉、そして再会の約束をして学校を去って行った。北見達もまだ正門の前にいた。
「もう5年が経つのか・・・」
卒業してから5年後、北見健が母校の正門に立っていた。