第3回 初めて知った事
 貴島亜里紗がハローワークへ行ってから戻って来ていないと、いとこの高橋美月から連絡を受け
た木田は、急いでバイクに乗って彼女を探していた。
「彼女の電話はつながらないんですか?」
「電源を切っているか、電波の届かない所にいるかどうかわからないけど何度かけても繋がらなくて・・・」
「そうですか、それじゃ彼女の行きそうな場所とかってわかりますか?」
「亜里紗の行きそうな所?」
「ええ、この前会った公園以外に何か心当たりはありませんか?」
「そういえば、ハローワーク近くの駅前のショッピングモールとか、市立の図書館によく行っていた
って言っていたけど・・・」
「わかりました、その辺りを僕があたってみます。彼女が見つかったらまた連絡するので」
バイクのアクセルを握る手に力が入っていた。木田は不安を抱えたまま彼女の行方を探していた。
「そうとう貴島さん、この前会った時、随分思い悩んでいた様子だったからな」
木田は高橋から聞いた場所に行って見たが見当たらず、何度かくまなくバイクで回ってみたが、彼女らしき姿の人は見つからなかった。
「まいったな、次は何処を探そうか・・・」
彼は思い切ってもう一度、彼女の携帯に連絡した。何度か通話音がなった後、彼女が電話に出た。
「もしもし、木田だけど貴島さんだね? 心配してたんだよ。貴島さん? 聞こえてる?」
木田は彼女が返事しないので不安に感じた。少し彼が話した後、間を置いて彼女が答えた。
「私、今ね、緑ヶ崎シティホールの近くにいるの・・・」
「先生がそうとう気にして、俺に連絡をくれたんだ。そっちへ今から行っていい?」
「うん」
彼女の普段の明るい声とは正反対の返事だった。ほどなくしてシティホールの正門に木田が来て
階段の所に座っている貴島を見つけた。
「お待たせ」
彼は明るく返事したが、彼女は木田の方を少し向いてから、階段でうつむき加減で座ったままでそれからの反応がなかった。
「本当に変だな、普段の彼女じゃない」
彼女の様子が明らかにおかしいと木田は感じた。
「ちょっと、外に出たかったの。家にいても両親がいて窮屈に感じるから・・・」
「・・・、そうか。そういえば先生がさ、貴島さんがいないって心配してたもんで、俺も協力して探していたんだよ。どうかな、一端帰らないか?」
「・・・、うん」
 バイクで彼女をとりあえず高橋美月に連絡を取り、彼女のマンションへ送って行く事にした。貴島
を見て彼女は安心して、マンションの中へ連れて行った。
「よかった、本当に。おばさん達も大変心配していたから気になってね、私も探したんだけど彼が
連れて来てくれたから本当に安心したの」
高橋は安堵の表情を浮かべ貴島を抱きしめた。
「ごめんね、少し嫌な気持ちが晴れるかなって思って、当ても無く外に出かけていたの・・・」
「そう、つらいことがあって外へ出てたんだ、とりあえず中に入って。木田君もどうぞ」
「それじゃ、失礼します」
彼女の部屋に入ると、置いてある物が少なくきっちり整頓されていて、きれいに掃除されていた。
貴島は表情を変える事無く座り込んだ。高橋は暖かい紅茶の用意に台所へ向かった。
「少し気分を落ち着かせてから帰らない? せっかくだから」
「うん・・・」
木田は彼女のそんな様子を見ながら時間を待った。
「そうしたら、僕が彼女を送って行きますよ」
「ありがとう」
それから紅茶を飲んで気持ちを落ち着かせる時間が流れた。
「私、浩司君に話したいことがあるの・・・」
そう言うと彼女は木田を寝室の方へ連れて行った。
「すいません、先生。お部屋をお借りします」
「うん、大丈夫よ」
 寝室に来た二人はベッドの横に寄りかかっていた。木田は彼女となぜか目を合わせられなかった。
「話したい事って何かな?」
「実はね。職場で私、嫌がらせにあって・・・」
「嫌がらせ?」
「仕事の事で一生懸命やって来たつもりだけど、それ以来、挨拶されても無視されたり、嫌みを言われたりずっと嫌がらせを受けて来たの・・・・、毎日それが続いていたから私、どうしたらいいか・・・」
「そうか、だから俺と公園であった時、あんなつらい表情をしていたのか。どうしようもないことをやっている社会に出た人がまだいるなんてね。嫌なもんだな。貴島さん、本当に今までつらい思いをして来たんだよな、本当に・・・。」
木田は彼女に穏やかな表情でやさしく話しかける。
「それだけじゃないの、高校に入る前はあまり友達を作る事が苦手で、あまり人と関わるのが怖いって思っていたから・・・、高校の頃はみんなと上手くやって行けたけど、どうしても社会人になってからはあの時の怖さを思い出すとつらい事が多くなって、毎日が嫌だった!」
「だったらつらい分だけここで俺に思い切り吐き出した方が良い、少しでも貴島さんの気が晴れるなら」
彼女はその言葉を聞いた瞬間、とめどなく涙が溢れ出し木田の胸に身を寄せた。彼女は声を上げて今までのつらさを吐き出すくらい泣いていた。
「今まで自分が見ていた高校の頃の彼女は明るい性格だと思っていたのに・・・、色々とつらい出来事が今の彼女を苦しめているのか」
彼女を抱きしめながら木田は心のなかでつぶやいた。
 北見健は相変わらず大変な研究に追われていた。そのわずかな時間に休憩室で眠っていた時
かすかに他の研究所の職員の声を聞いた。
「知っているか、今回の依頼の件。噂だと取引先が無理難題を行って来ているようで、営業も相当苦しんでいるようだな」
「今回の取引先はかなり業績のいい所で、海外にも拠点を持っているから、なにかと利益が出ると上層部も踏んだんだろうけど・・・」
北見健はその事を聞いて不安と疑問を感じた。
「取引先の問題? どうも嫌な予感がするな」
彼は職員の話をよそに黙って研究に取り組んでいた。今は彼にとって高校の頃から目標としていたこの職種にまずはたどり着いたので、あきらめることは彼の心の中には決してなかった。ただ研究を続けていても、月間80時間以上と思われる残業で疲労は相当なものであったのだ。彼は仕事が終わると一気に疲れが押し寄せてくる感覚に襲われるようで、家でも休みきれない状況であった。それから研究を黙々と続けていった結果、時間はあっと言う間に夜の8時を回っていた。
「もう、こんな時間か・・・」
研究の手を止めた彼の表情は重たかった。自転車でいつものように自宅へ帰る途中、片桐麗の母親の店の片付けをしている姿を見かけた。
「あ、北見君!」
彼女が明るい声で自転車の彼を見つけて呼んだ。
「やあ、お店閉める所なんだね」
彼も疲れているものの彼女を見て微笑んで自転車を店の前に止め声をかけた。
「今、帰る所でしょ? たしか10時くらいまで仕事してるって言っていたから」
「今日はこれでも早く切り上げて来たんだよ。なかなか休みきれていないから少しでも早く帰ろうって思ってね」
「もしかしたら、体調よくないの?」
「いや、ただ休む時間が少ないだけだよ。とりあえずその時間はなんとかしないと・・・」
「食事も遅いんでしょ? 余計なお世話だけどあまりそういう時間に食べると胃にも良くないし太っちゃうかも・・・」
「そうだね、気をつけるよ」
確かに彼女の言う事は確かな事であった。健は明るく答えた。
「それじゃ」
北見は疲れを感じさせる事なく自転車のベダルをこいでいた。町はもうすっかり闇に包まれており、少し遠くに見える高層ビルの明かりしか目立たなかった。彼の家のあたりの街灯はほんのわずかに照らされているだけの寂しい雰囲気だった。彼は家の門を開け自転車を玄関に置いた。
「ただいま」
家の明かりが全くついていなかった、姉の涼子はまだ帰って来ていない。
「姉さんもこのところ仕事が忙しいって言ってたな。じゃぁ仕方ないから昨日の残り物で食事でもするか」
健は残り物ですぐ夕食を済ませ、風呂を入れた。その間彼は居間で座って夕刊を読みながら研究所での話を気にしていた。
「無理を言う取引先の事か・・・、もしだったら研究自体もどうなるかわからないし、自分もそこにいられるだろうか?」
風呂へ入った後、2階の部屋で横になっていた。普段はゆっくり出来る時間がなく彼にとって気持ちを落ち着けるのこの時間は貴重であった。少しの間ぼうっとしていると一階の方から姉の声がした。
「ただいま、すっかり遅くなっちゃった。いきなり上司から仕事押し付けられて大変だったの」
姉の声を聞き下へ降りて来た。
「お帰り、夕食だけど昨日の残り物で済ませたよ、食事は?」
「私、外で食べて来たから大丈夫、ありがとう。よかったぁ、お風呂出来てるんだ」
「うん、僕もすぐ入ろうと思っていたからね」
「何時に帰って来たの?」
「8時43分くらいだけど、毎日こうだから・・・」
「なんだか、健、疲れが抜けてないんじゃない?」
「そうだね・・・、もう休むよ。おやすみ」
北見健の表情は少し暗かった、というよりも返事の反応も遅い感じで、疲れが顔に目立っていたようだった。涼子は彼の様子を見て少し不安を覚えていた。