武尊山( 武尊山:2,158m ) 2004.10.22 登山


  剣ガ峰 3つめのピークより家ノ串、中岳、沖武尊と続く稜線 ( 2004.10.22 )

【武尊山再登山記録】

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武尊山再登山記録

先日の 安達太良山 に続く、 百名山再訪である。
前回この 武尊山に登ったのは 1996年の 6月初めであったから 8年以上前のことになる。
前回は 6月初めにも拘わらず雪が予想外に多い状況で、雪で覆われた山を登ること自体はそれなりに楽しんだものの、その山の持つ本当の地形、 姿を知るという観点からはやや不満が残ったのであった。

そのため、今回も前回と同じ不動岩を越えていくコースをとることにする。
前回、このコース上にある背スリ岩を越える岩場で肝が縮む思いをしたため、もう二度とこのコースは通りたくない と思っていたにも拘わらず、 先に述べた理由から、結局このコースを選んでしまったのであった。
先日の台風でコースが痛んでいるのではないかとの心配もあって、登り出す直前までコース選択に迷ったのだったが、 武尊スキー場や武尊牧場、そして川場野営場から登るコースではやはり物足りなさを覚えるとともに、 怖いものを忌避する気持ちの一方で好奇心もあって、結局 前回と同じく旭小屋前の車道脇に車を止めたのであった。

林の中に入り、不動尊の石像の前を通って、まずは旭小屋前で身支度を調えた。
前回は真新しく輝いていた旭小屋も、その後の年月でややくすみが進んだのか、秋の木々の中に埋もれているような感じである (実際、ドライブ中うっかり見過ごしてしまって、その先の川場野営場入口まで行ってしまい、慌てて引き返したくらいであった)
しかし、山小屋自体は目立たない方が良い訳で、自然にうまく調和していると誉めるべきであろう。

小屋の前からジグザグな登り道が始まる。
本日は平日であり、人と会う確率は少なかろうと静かな山旅を期待する一方で、北陸等で頻繁に起こっている熊の出没に、 ここでもそれが起こるのではないかと少々ビビリながらの登りであった。
尾根に到達してからは、鉄砲登りと呼ばれる急登が続く。結構 苦しい登りに、前回登った時の記憶が蘇り、 やや平らな場所に来るとここが賽ノ河原に違いない と何回も思ってしまったのであったが、何回も期待を裏切られ続け、 ようやく賽ノ河原にたどり着いたのは登り始めて 1時間近く経過してからであった。
やはり記憶が邪魔になることもあるものである。

石碑が並ぶ賽ノ河原を過ぎると、やがて川場野営場からの道との合流地点となり、 この辺に来ると樹林の間から前武尊のどっしりとした姿が大きく見えだした。
空は快晴と言って良く、青い空に飛行機雲が 1本筋となっているのが印象的である。
道としては良く踏まれており、またこの頃になると身体もほぐれ快調なペースで進むことができた。

かなり登ってきたところで振り返れば、紅葉に染まった木々の向こうに 赤城山の大きな姿が見える。 この光景は、前回は壁のような鎖場を登り越したところで見た記憶があったのだが、今回はそのような鎖場が出てこない。勘違いであろうか。
やがて、登山道は左に登る道と、右に下る道の 2つに分かれた。恐らく左の道を辿れば、誰かの遭難碑が埋め込まれた岩場に登り着くはずだが、 今回は迷わずに右の道を通ることにした。
もしかしたら、記憶にある鎖場は左の道にあったのかもしれないのだが、どうも釈然としない。私の記憶では、その岩場より前に小手試しのような形であったはずなのだが・・・。

やがて、先の方に剣が峰の鋭峰が見え始め、いよいよこのコース最大の難関である背スリ岩のある大岩が近づいてきた。
前回、鎖に掴まりながら岩場を降りる際に背中のザックが岩に擦れてしまい、本当に肝が縮む思いをした背スリ岩と呼ばれる箇所は、 この大きな 1枚岩の裏側にあり、その前にこの大岩をよじ登る必要がある。
実は、難所と思った背スリ岩よりも、今回はこの大岩によじ登る作業の方が大変であった。
岩に取り付けられた鎖は縦のものと横のものがあり、本来はこの横の鎖を使って岩の中央付近まで横バイに進み、 そこから縦の鎖を使って岩をよじ登るらしいのだが、平成3年の台風でこの横に進む鎖を使う際の足場部分が崩れてしまったようで、 現在の状況は横鎖を握ったまま、まさに空中に身を投げ出さなくてはならなくなっているのである。
さすがにそんなことをする勇気は湧いてこない。足下は大きく落ち込んでおり、失敗したら真っ逆さまに転落である。
暫く思案し、結局 その横鎖は使わずに、岩にこびりつくように生えている灌木の間をかき分けて岩の頂点に達したのであったが、 この灌木もしっかり岩に根を下ろしているという保証はなく、本当にヒヤヒヤしながらの登攀であった。
前回も恐らく同じようにして乗り越したのであろうが、その後の背スリ岩の記憶の方が強く、印象に残らなかったものと思う。
今回は逆にこのよじ登りの方のインパクトが強く、その後の背スリ岩は難なく越えることができ、やや拍子抜けであった。

背スリ岩を降りた後は、天狗岩と書かれた標識のある岩場で小休憩をした。
ここからの見晴らしは大変素晴らしく、剣ガ峰、前武尊は無論のこと、これから登る沖武尊、そしてそこまで続く家ノ串、中岳等の山並みが見渡せ、 また左手にはもう一つの剣ガ峰である剣ガ峰山が良くが見える。
前回もこの場所で休憩したのだったが、その時は周囲はほとんど真っ白な世界であり、今回の緑の岩の山々とは全然雰囲気が違う。

さて、前回はこの岩場をそのまま先へと進んでしまい、下の登山道へ降りるのに大変苦労したのであったが、 今回は岩場手前に岩の間をすり抜けて下る道を発見 ? し、すんなりと縦走を続けることができたのであった。
後は前に高くそびえる前武尊への登りである。前回はこの登り辺りから完全に残雪の上を歩くこととなり、 固い雪の斜面を滑り落ちないように斜面をキックして慎重に登ったのであった。
しかし、今回は、コメツガの林の中を山を巻くように登ることになったので大分雰囲気が違った。 恐らく前回は登山道をショートカットして斜面を登ったのであろう。
その証拠に、今回前武尊の頂上へは頂上の日本武尊の銅像に向かって左手から登り着いたのだったが、 前回は銅像の正面から登って日本武尊像といきなり視線を合わせたからである。

今回 前武尊に登り着いてビックリしたのは、前武尊のシンボル ? であるこの日本武尊像が屋根付きの建屋に収まっていたことである。
この山の名の由来となっている日本武尊に対する周辺の人々の思い入れであろうか。
前武尊から登山道は一旦下って、また登り返すことになる。下る途中で目の前に大きく崩れた剣ガ峰を見ることができたのだが、 その形はこれまで見えていた針のような尖った姿ではなく、完全な台形をしており、またその崩れた山肌はデコボコでものすごい迫力であった。

剣ガ峰の東側を巻くようにスズタケ ? の中の道を進むと、前回と同じように右手に 燧ヶ岳至仏山といった尾瀬の山々が目に飛び込んできた。
前回ここから見る尾瀬方面は全くの冬世界であり、余りにも下界と違うその真っ白な世界に大いにたじろいでしまったのだったが、 今回は茶色や黒色の山の姿が青い空に映えていて、そのゆったりと穏やかな姿に安心感を抱いたのであった。

剣ガ峰を回り込んだ後、本来のルートであった 3番目のピークへの岩場登りはパスし、 これまた迂回路を回ると、いよいよ目の前に沖武尊まで続く山並みが広がった。
前回は真っ白な世界で、山の起伏も厚化粧の下であったが、今回は家ノ串まで続く尾根道が高く遠くに感じられ、 またその先の沖武尊までのあまりの遠さに些か気持ちが萎えてしまう状況であった。
と言っても、このまま投げ出す訳にも行かず、かなりの急登を喘ぎ喘ぎ登った。振り返れば、陽の光に輝くササ原の向こうに、 剣が峰の岩峰群がコブのように見える。
息を切らせながらようやく登り着いたところが家ノ串の頂上で、そこは頂上というよりは縦走路の一部としか見えない。 標識やベンチがなければ通り過ぎてしまうところである。

家ノ串の頂上を過ぎると見晴らしの良い岩場となり、先ほどよりももっと良く沖武尊までの稜線を見ることができるようになった。
台形をした沖武尊の前にどっしりとした中岳が立ちはだかり (幸い中岳の稜線は通らなくて済む)、 その中岳へはゴジラの背中のような尾根が続いている。
そのゴジラの背中は見たとおりに 凸凹 で歩きにくく、また結構登りが急で息が切れる。
前回は雪の斜面だったのでほとんど滑らかな登りだったことを思うと、今回は大変厳しい。

やがて、中岳の南肩付近で武尊牧場からの道と合流し、その後は中岳の南西側を回ることになった。
ここには三ツ池と呼ばれる場所で、その通りに池がいくつか続くことになるが、前回は雪の下にあって全くその存在を確認できなかったので、 今回は周囲の風景に感激である。
やがて、先の方の岩場横に青銅色の日本武尊像が見え始め、これまたその遠さにたじろがされる。
しかし、歩いてみるとそこまでの距離は結構短く、やがて睨みつけるような像の真下にたどり着いたのであった。
ここまで来れば沖武尊はもうすぐである。

斜面を喘ぎながら登り着いた沖武尊は、平日というのに結構満杯状態で、 メシを食うような場所・雰囲気ではない。
おまけに、群馬県の消防の方達であろうか、消防用の作業服姿の一団が藤原武尊側から大勢が登ってきたのであった。
そういえば、ここにたどり着くまでヘリコプターが何回も上空を旋回し、沖武尊の上空ではホバリングまで行っていたのであった。 どうやら消防署の訓練だったらしい。

こうなると、人口密度の増した頂上には長居は無用である。
頂上からどっしりと風格を感じさせる 谷川岳を中心とした越後の山々、 会津駒ヶ岳燧ヶ岳、至仏山など尾瀬方面の山々、 そして 奥白根山を中心とした日光の山々などをカメラに収めるとそそくさと下山にかかったのであった。
後はスピードを上げて辿りし道を戻るだけである。
途中、往路では避けて通った剣ガ峰の 3つめのピークに登り、祠のある岩場から今登ってきた沖武尊を眺めつつ握り飯を頬張ったのであったが、 この岩場は登るのに結構スリルがあって大変面白かった。この復路においてもこの岩場を避けていたら、 岩登りの楽しみと素晴らしい眺めを得ることができず大きな損をするところであった。

前武尊からは前回下った川場野営場への道を辿った。
ドンドン下り続け、左に武尊スキー場への道を分け、明るい陽の中で黄色や真っ赤に輝く紅葉の中を快調に下っていくと、 やがて川場野営場と今朝来た道へと続く道との分岐となった。
前回は、ここから川場野営場への道を選んだのであったが、今回は右の道をとり、今朝通った不動岩へと続く道との合流点を目指したのだった。
理由は、川場野営場からの林道歩き、また車道へ出てから旭小屋までの車道歩きの長さがイヤだったからである。
しかし、今回選んだ道は長い行程を歩いてきて、そろそろエネルギーがなくなりかけた者にとっては大変辛いものであった。

小道を進んで川の流れを渡ったまでは良かったのだが、そこからは延々と登りが続くこととなり、 しかも山の東側斜面であるから陽も当たらない状態で薄暗く、気味が悪い。
少し登っては休み、少し登っては休みの繰り返しの中、薄暗い斜面から熊でも出てきそうな雰囲気があって何とも恐ろしい。
おまけに、斜面は杉林 (だったと思う) に変わり、これが暗さをさらに益すものだから、もう薄暮の雰囲気である。
しかし、まだ時計は 14時前である。
こちらのルートを選んだことを大いに愚痴りながら歩き続けること 30数分、ようやく斜面の先に陽の光が見え始め、 息絶え絶え状態で朝の道に合流したのであった。

そこからは快調に下り、賽ノ河原を駆け抜け、旭小屋に着いたのは 14時47分であった。
帰りに武尊温泉で一風呂浴びたのだが、平日でもあり風呂は貸し切り状態、ゆったり湯船に浸かり本日の山行の疲れを癒したのであった。
会社の休暇を大変有意義に使ったという満足感もあり、また雪化粧のない、本当の山の姿に触れることができ、大いに満足した山行であった。


武尊山再登山データ

上記登山のデータ登山日:2004.10.22 天候:快晴単独行日帰り
登山路:旭小屋−賽ノ河原−川場野営場分岐−不動岳−前武尊−剣ガ峰−家ノ串−三ツ池−武尊山−三ツ池−家ノ串−剣ガ峰−前武尊−武尊スキー場分岐−川場野営場分岐−旭小屋
交通往路:瀬谷−横浜IC−(東名高速道路)−用賀IC−(環状8号線)−練馬IC−(関越自動車道)−沼田IC−川場温泉−旭小屋前 (車にて)
交通復路:旭小屋前−武尊温泉−沼田IC−(関越自動車道路)−練馬IC−(環状8号線)−用賀IC−(東名高速道路)−横浜IC−瀬谷 (車にて)



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