続「国柄」について


 国家の基本的な枠組みを「国柄」と呼ぶとすれば、憲法レベルでの国柄は専制国家か民主
国家に先ず大別されるが、君主国が専制国家で大統領制の共和国が民主国家ということには
必ずしもならない。民主的君主国や専制的共和国の例は珍しくないので、権力の在りかや強さ
についての規定、あるいは国民の権利についての規定など先ず憲法の内容を見て基本的な
枠組みを観察する必要がある。
 その結果、君主国と共和国は専制的君主国、民主的君主国、(大統領や時には政党など  
が独裁的な権力を持つ)専制的共和国、民主的共和国などに分類される。
 さらに、専制的か民主的かという憲法的枠組みの両極のあいだでも、実際の国家運営に
は、国家主義、権威主義、平和主義、軍国主義、家族主義、個人主義、平等主義などの思想
や、男性優位、個人崇拝、宗教感情など様々な思考傾向が勢力を競い合い、どのような勢力
がどの程度強いかによってその国や社会の独自性が作り出されてくる。 
 保守派が好む「国柄」という言葉は、あるいはこのような国や社会の独自性をイメージして  
いるのかもしれない。しかし、国や社会の枠組みを作る思想や思考傾向は、国や社会の内  
部の状況(人口の変動や、権力者ないし政治勢力の変化など)や外部からの影響(鎖国、開
国、貿易、戦争など)によって比較的容易に変化するものであるので、この意味の独自性は保
守派が考えるほど固定的なものではなく、時代によって大きく異なっている。
 そのため、「国柄」の意味をそこまで拡げてしまうと、それは、当該国のある特定の時代の思
想・思考傾向とそれに基づく社会の姿を意味するに過ぎなくなり、広い意味の「文化」という言
葉と分けて使う理由がなくなる。それなのに何故あえて国柄という言葉を使うのかというと、そ
れは、国家主義的傾向の強い保守派の言葉遣いの好みの問題と考えるほかない。しかし、保
守派といえども同時に「文化」という言葉も使用しているのであるから、国柄と文化という二つ
の言葉の概念をどう区別しているのか不可解なところがある。仮に、国という言葉が好きで、
情緒的に何となく重ねて使っているだけなのだとしたら、そのような曖昧な概念の言葉を少なく
とも法律に使用するのは不適切である。
 以上のように、保守派が憲法の枠組みを超えた何かを意味しようとしているかに見える「国
柄」という言葉の概念は、結局のところ、人と社会の思考と行動の様式としての広義の「文化」
の概念と重なっているように思われるが、改めてその意味するところをさらに具体的に探って
みることとする。
 (広義の「文化」の概念については、本ホームページ所載の拙著「文化とは何か」序章「文化
と価値観」をご参照願いたい)

2.
 筆者は、広義の「文化」を、「生活の文化」「感性の文化」「知性の文化」そして「品性の文化」
に四分類する。これらそれぞれの「文化」に国柄に相当する事項はあるのであろうか。
 1) 生活の文化
 生活の文化は日常生活を形成する思考・行動の様式であるが、感性の文化や知性の文化
あるいは品性の文化とも重なる部分があり、また相互に支え合ってもいる。
 衣・食・住の基本的な部分は典型的な生活の文化であるが、永い歴史を通じて変化してきて
おり、これに国柄を見出そうとすれば、その中で他国にはないものを列挙するほかないであろ
う。たとえば着物や下駄、寿司などの日本料理、茅葺きの建物や畳敷きの和室などがあげら
れるが、文化と区別して国柄と呼ばなければならないほどのものとは思えない。
 日本が農業国であったころは、農村での生活様式や風俗習慣が日本人の生活の文化の主
要な構成要素となっていたのは当然である。村民同士の関係は、地頭の差配のもとで農作業
や冠婚葬祭のための助け合いなどを通じて緊密であったが、共同歩調を乱す者には厳しい目
が向けられ、村八分にされることもあった。ここから「長いものには巻かれろ」といった強者に
は逆らわない生活の知恵が生まれ、国民性の一つになったのも不思議ではない。 
 平家と源氏が覇権を争って以来明治維新まで日本を実質的に支配した武士は、農民とは異
なる文化を作り出した。領主が家臣に土地や俸禄を給付し、これに対して家臣は主君に忠誠
を誓う主従関係を基本とする封建制度がその文化の中核であった。諸領主が覇権を賭けて戦
う戦国時代を経て、徳川幕府の成立により将軍を頂点とする日本の封建制度が完成し、明治
維新まで維持された。この過程で、主君と家臣の主従関係と、家族関係を律する家父長制度
という両輪を通じて、世襲の身分を力の源泉として権力者が恣意的に支配する権威主義的社
会秩序が形成されたが、この社会秩序とそれを支える思考・行動様式は明治維新後も厳然と
存在し続けた。
 保守派の国柄を守れとの主張が、第二次大戦後の民主主義的現行憲法に対する批判の半
面であることが専らであることを考えると、保守派の言う国柄とはこうした封建制度の遺産の権
威主義的思考様式と大勢順応の村社会的思考様式が作り出す社会秩序や風俗習慣・生活様
式などであるように見える。それは端的に言えば、国家の名の下に統治する政府やそれに連
なる権力者群の号令に従順に従い、異論を唱える者は会社組織や地縁・血縁関係などを使い
陰に陽に抑圧し排除して、皆と同じに考え行動することを重視する国民性である。 
 とは言え、、現行憲法の下で民主主義を体験してしまったこの日本で、いかに国民的伝統と
はいえ、強きになびく権威主義や男尊女卑の家父長制がこれからも守り育てて行くべき思考・
行動様式であるとは、さすがの保守派も明言しかねるため、国柄というような内容が曖昧で耳
には良く響きそうな言葉を探しだしてきたのであろう。そして、国柄は好ましいものであるとの一
般的な印象を利用して、国柄の内容を明らかにしないまま国柄を守れと主張し、自分たちの好
みの思考・行動様式を押しつけようと試みているように見える。
  しかし、生活の文化あるいは風俗習慣は、歴史上の一定の政治的、社会的、経済的環境
あるいは自然条件の下で形成され、歴史の流れの中で存続あるいは消滅してきたものであ
る。多くの人々が好ましいと思うものが存続し、興味を失ったものが消滅するのが自然な流れ
であるが、強権政治の下では、権力者が自らの利害関係の観点から特定の文化や風俗習慣
の存廃を強制することも珍しくない。
 民主政治の下では、生活の文化や風俗習慣の形成や廃棄は、基本的に国民の日々の生活
の中での選択に委ねるべきであろう。国会議員や官僚も含めた権力者側が、法律や制度によ
りその存廃を強制したり誘導したりする場合には、残すにしても捨てるにしても、それが誰(政
治家?政党?官僚?、財界人?男性?女性?老人?若者?子供?など)にとってどのような
功罪があるのか、その理由と基準を具体的に説明する必要がある。それができないまま権力
者側の好みで存廃を強制することは、国民の生活の調和を乱し、快適な生活を妨げることに
なる。功罪の具体的な説明を回避するために、国柄などという一見もっともらしいが実は曖昧
な言葉で国民をごまかしてはならないのである。
 (生活の文化の詳細については「文化とは何か」第三章「生活の文化」をご参照願いたい)
 
 2) 感性の文化
 感性とは、人間の五感に入ってくる印象の美醜を判断する能力であり、この能力に基づく思
考と行動の様式が感性の文化である。
 「万葉集」から始まり、「源氏物語」や「徒然草」などを経て現代に至る数多くの文学作品、絢
爛さや繊細さ、あるいは幽玄さなどを追求しながら発達してきた絵画や彫刻、独特な発展をみ
せた音楽などは、日本独自の感性の文化の果実である。
 さらに江戸時代以降には、公家や武士階級だけでなく、町人や富農層にも和歌、俳句、漢
詩、書道、謡曲などをはじめ、茶道、華道その他様々な芸事が普及した。また、江戸や京都、
大阪などの大都市だけでなく、多くの城下町や近郊農村にも教養人、文化人、趣味人、風流人
の層が存在し、感性の文化に磨きをかけていた。
 能や歌舞伎などの舞台芸能あるいは雅楽や邦楽なども独自の発展を遂げ、その他の大衆
芸能や郷土芸能と共に人々の感性に働きかけ、生活を豊かにする役割を果たしてきた。
 
保守派の言う国柄に、このように多彩な分野で独自性のある豊かな果実を生み出してきた感
性の文化(の一部分)が含まれているのかどうかは不明である。仮に日本の感性の文化の特
に上に列挙したような独自の優れた部分を国柄と呼びたいのであれば、これを守り育てて行く
べきであるという議論に一般的に異論はないはずである。しかし、この分野の国柄が好ましい
ものであるからといって、生活の文化や知性の文化の分野でも、国柄であるからには全て好ま
しいものであるとの結論に導いて行こうとするのであれば、それは議論のすり替えであり、上記
1)の末尾同様にごまかしである。そこには論理に基づく議論は成立せず、ある事柄ないし現
象を国柄である、従って良いものであると主張する声の大きい方が、理屈抜きに自説を押しつ
けることになるだけである。
 それに、敢えて言えば、感性にも高低があり、低劣な感性が作り出す文化は、それが如何に
多数の国民に支えられて国柄と呼びたいほど普及しているとしても、国家として守り育てて行く
べきかどうかは慎重に検討すべきであろう。
 やはり、本当に好ましい感性の文化を守り育てて行こうとするのであれば、国柄などという曖
昧な言葉は使わずに、守り育てるべき事項なり現象なりを具体的に列挙し提示すべきなので
ある。
 (感性の文化の詳細については、「文化とは何か」第五章「感性の文化」をご参照願いたい)
 
 3) 知性の文化
 知性とは物事を論理的に考える能力である。従って、知性の文化は、論理的に思考された
事柄が行動に移され、その思考と行動が少なからぬ人々によって支持され一般化・様式化さ
れることによって作り上げられる。
 上記 2)感性の文化で触れた文学作品などは、感性と知性が支え合って作りだしたものと
考えられ、従って知性の文化の向上にも貢献してきた。
 生活の文化も、快適な生活を求めて論理的に思考し行動する場合には、知性の文化の向上
につながる。
 歴史的には、4世紀末に百済経由で伝来した儒教(儒学)が、知性の文化の中核である学問
を日本でも本格的に発達させ、6世紀中葉に伝来した仏教と併せて日本人の思想・哲学ひい
ては思考・行動様式を形成する原動力になったと考えられる。その後、鎌倉時代には宋から朱
子学がもたらされ、徳川幕府の庇護のもとに興隆したが、これに対抗する学派として陽明学が
研究され、多くの学者や武士階級に影響を及ぼした。また、朱子学や陽明学を批判し、孔子の
時代の儒教こそ真の儒教として信奉する古学派と呼ばれる学派も現れたが、いずれの学派も
儒教の流れを汲んでおり、儒教こそ日本の知性の文化の源流であると言ってよいであろう。
 儒教は、僧侶や学者などの知識階級、および政治権力を握る武士階級に大きな影響力を持
ったが、他方、庶民の思考・行動様式は、論理よりも信仰が重みを持つ仏教の影響の下に形
成されてきたと言える。江戸時代以降は寺子屋などを通じて庶民も、学問とは言わないまでも
読み書き算盤を身につける機会に恵まれていた。さらに明治以降は、産業の近代化と富国強
兵のために国民教育に力が入れられて、国民の教育水準は世界のトップレベルに到達した。
 このように、知的な面で日本人は独自な発展を遂げてきたが、それにも拘わらず、知性の文
化が十分に花開いたかどうかには、疑問が残る。
 世界の主流的な知性の文化は、専制主義的統治への疑問と抵抗を原動力として論理を発
展させ、幾多の論争を経ながら、好むと好まざるとにかかわらず民主主義思想を優位に置く流
れを作りだしてきた。日本の知性の文化の根幹である儒教からも仏教からも民主主義思想は
生まれず、西洋から伝来したルソーの民約論(社会契約論)などの影響を受けて明治維新以
降に普及したのである。
 明治維新まで日本国内で展開された知的な論争は、基本的に儒教ないし仏教の枠内で、儒
学者や僧侶を中心に展開されたため、専制主義に対する民主主義のような真っ向から対立す
る主張がぶつかり合って、論理をとことんまで突き進めたものとはならなかった。 
 専制主義に対抗する民主主義的思想が提起されるようになったのは明治以降である。しか
し、第二次世界大戦の敗戦まで、神権天皇制の下で社会体制の秩序と安定の維持を最重要
視する儒教的思想が、社会の構成員個々人の基本的人権の擁護を優先する民主主義的思
想に比べて圧倒的に強かった。そして、天皇機関説を巡る論争のように、近代社会で普遍性
を持つ論理は、独善的で時には狂信的でさえありながら時の権力に後押しされた神がかり的
な主張にしばしば抑えつけられ、国民の間に論理性を尊重する意識が十分育成されないまま
戦争に突入し、神がかりのもたらす苦い結果を味わうこととなった。
 論理性が命のはずの学問の世界でもこの有様なのであるから、国民一般の日常生活では、
論理性は理屈っぽいとして嫌い、むしろ情緒的、直感的な思考・行動様式を選択する傾向が
強かったし、自由な言論が保障されている現憲法の下でも、論理的な論争を敬遠しがちな傾
向は国民性と呼んでもおかしくないほど強く残っている。
 これが知性の文化の分野での国柄であるとしたら、我々は、これを守らねばならないのであ
ろうか、それとももっと普遍的かつ論理的に思考し行動する国柄に変えて行かなければならな
いのであろうか。はたまた、そんな国民性は国柄と呼ぶには値せず、本当の国柄は別にある
と言うのであれば、それは何なのであろうか。
 (知性の文化の詳細については「文化とは何か」第七章「知性の文化」をご参照願いたい)

 4) 品性の文化
 品性の文化の分野での国柄について語ることは、あまりない。
 日本にも、「品位」とか「品がある」といった、品性を評価する言葉があり、 品性を備えた人
は確かに散在する。しかし、品の良い人が特別な存在として好意を持たれることはあっても、
品性という資質を高く評価し人格形成の目標としようとする一般的な風潮はほとんど存在せ
ず、従って品性の文化も未だ形成されているとは言えない以上、品性の文化の分野で国柄が
形成されることはないのである。
 国民の品性の高さが国柄と言われるようになる日が、いつか来ることを祈るのみである。
 (品性の文化の詳細については「文化とは何か」第九章「品性」をご参照願いたい)

3.
 以上のように、文化を「生活の文化」「感性の文化」「知性の文化」「品性の文化」に分けて考
えてみても、「国柄」なるものの存在は、はっきりと現れてこない。それらしいものがないわけで
はなく、それらは過去の特定の時点の政治的、社会的、経済的あるいは自然的な条件の下で
意味を持ったのであろう。一族の興亡を賭けて戦い合わなければならなかった弱肉強食の時
代には、一族内の団結を固め敵よりも強くなるためには、個々人の権利よりも全体的な秩序と
権威を重視する儒教的な思想は、それなりに有効であったかもしれない。 
 しかし、そうした条件が大きく変化した現代のような時代に、過去と同じような意味や価値を
持つものかどうか、今後もそのままの形で復活させたり守ったりしてゆかなければならないも
のなのかどうかは、過去に存在し有効であった故に国柄と呼ばれるべきであるというだけの根
拠で決定してよいほど軽いものではないであろう。
 保守派が「国柄」と呼びたがるようなものも、それは過去のある時代にある条件の下で形成
された思考・行動様式に過ぎず、現在および将来の如何なる条件にも適応できるような完成さ
れたものではない。そのような完成された思考・行動様式は、人間が快適な生活と人生を追求
する限り存在し得ず、社会の変化に対応して思考・行動様式も変わって行くか、必要に応じて
変えられるべきものなのである。従って、「国柄」という言葉を使用する場合には、それがどの
時代のどのような思考・行動様式であるのかを明らかにしない限り、思い込みが先走るだけで
意味と内容のある議論は成立しないのである。
 
  本稿では、「国柄」に焦点を当てて考察したが、同じようなことは「文化」、「伝統」、「歴史」さ
らには「国」といったような言葉にも当てはまる。これらの、一見好ましい印象を与えるような言
葉も、一皮むけば多様な内容や多面性を持っており、それを明らかにしないまま憲法や教育
基本法などにこれらの言葉を多用することは、論理に基づく議論の成立を妨げ、日本人の論
理的な思考力の向上ひいては知性の文化の形成・発展を阻害することになるであろう。
   
                             (2005年5月25日記)

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