序章 文化と価値観
 
T ユネスコにて 
 
 国連の専門機関のひとつにユネスコ(国連教育・科学・文化機関)がある。第二次世界大戦
を引き起こした主要要因の中に、好戦的な思考・行動様式を育てた専制主義的な社会背景が
あったとの認識の上に立ち、教育、科学および文化の分野での国際協力を通じて民主主義、
すなわち社会の構成員が自分自身で考え、判断し、政治に参加する思考・行動様式を普及さ
せることによって、国際平和に貢献することを活動目標として設立された国際機関である。
 私は、一九九三年から九五年にかけて約一年九ヶ月間にわたって、このユネスコで日本政
府常駐代表(大使)を勤める機会に恵まれた。大部分の加盟国はパリに常駐の政府代表を置
いているが、常駐代表の主な仕事は、総会や執行委員会をはじめとする各種国際会議に出席
してユネスコの活動方針を策定し、活動状況を監督することと、本国政府とユネスコ事務局と
の連絡に当たることである。
 執行委員会は、総会でアジア、アフリカ、欧米等の地域的配分を考慮に入れて選出された執
行委員国(当時は五十一ヵ国)によって構成される実質的な政策決定機関であり、年二回、春
と秋にそれぞれ三週間前後ずつ開催される。これに出席して、ユネスコの活動全般について
本国政府を代表して発言し、政策決定に参加することが、執行委員国の政府代表の最も重要
な任務であるといってよい。
 私にとって、実は初めての国際機関関係の勤務であったが、国連など他の国際機関を経験
してきた他国の常駐政府代表は口々に、ユネスコは政治中心の国連や、農業、厚生、労働な
どの行政分野を取り扱う他の国際機関とも異なる独特な思考・行動様式をもった機関であると
教えてくれたものである。
 実際、初めて出席した一九九三年五月の執行委員会で、各国代表が展開する議論に接して
受けたカルチュア・ショックには、強烈なものがあった。発言者はユネスコの公用語である英、
仏、中、露、西およびアラビア語のいずれかを用い、いずれも他の五ヶ国語に同時通訳され
る。いずれも母国語でない日本人にとっては、それだけでも不利な条件である。
その上、それぞれの議題にはそれぞれ独特の、これまで聴いたこともないような専門用が頻
繁に飛び交い、最初は何とも言えない疎外感に悩まされるが、これは一旦覚えてしまえばどう
ということはない。しかし、この人たちが好んで用いる「文化」とか「民主主義」とか「普遍性」と
か「知的」とかいう言葉を連ねて展開する議論の、内容の希薄さは何なのであろうか。このよう
な、美辞麗句がちりばめられて実体がなく、従ってお互いに噛み合うこともない自称「知的」な
議論を、果てしなく続けるところにユネスコの特異性があるのであろうか。そうであるとすれば、
ユネスコの存在意義そのものにさえ疑問が出て来ても不思議はない。
 これまで、文化について深く考える機会がなかった私にとって、「文化」とは、「文化交流」や
「文化事業」の対象である芸術やスポーツあるいは伝統的ないし歴史的な遺産などを意味する
にすぎなかった。これらは、個人生活での出世や収入の増加、あるいは国家間の領土や資源
の取り合いとか経済的利益の保護・増大などの、いわゆる実利のためには余り役立たない活
動ないし文物であると一般にみなされている。そのためもあって、教育と科学はともかくとして、
「文化」を通じて民主主義を普及し世界平和に貢献するというユネスコの活動目的と、日本政
府代表としての自分自身の活動をどのように噛み合わせるか、当初、少なからぬ戸惑いがあ
ったことを告白しなければならない。
 ユネスコの予算は、日本の中規模国立大学の予算とほぼ同額(一九九五年当時で約250
億円)であり、そこから六割前後を占める人件費を引くと、事業活動に使える額は微々たるも
のである。しかし、教育の分野で、開発途上国の教育の基本とも言うべき識字(読み書き)教
育に焦点を定めた活動は、及ばずとはいえ評価に値する。科学は、自然科学に限らず社会科
学も含めた学問一般と解釈されるので、民主主義と世界平和に役立つ学問を支援する活動
は、それなりに意味があるであろう。それでは、文化の分野での活動はどう考えればよいであ
ろうか。
 ユネスコの文化の分野での活動で最も知られているのは、遺跡ないし文化遺産の保存・修
復のための事業であろう。これは、民主主義や世界平和と関連づけなくても、それ自身で十分
意味のある活動であり、日本も、ユネスコ加盟国としての分担金のほかに、アンコール・ワット
の修復等の個別の事業に信託基金の形で支出し協力している。そのほかにも芸術など一般
的に文化に属すると考えられる分野で、ユネスコは支援活動を行なっているが、いずれについ
ても、民主主義の普及や世界平和への貢献と結びつけて説明するためには、かなりの回り道
が必要である。
 ユネスコが、その専門の教育、科学そして文化の分野で、それぞれそれだけ活動しているの
であれば、それで十分ではないかとの考え方もあり得るであろう。事実、文化関係の予算不足
に悩む国々の政府代表は、ユネスコの細々とした事業資金を少しでも多く自分の国に導入す
るために、各種会議を通じて、あるいは直接に事務局に働きかけることを主たる任務とし、そ
れで功績をあげて本国政府にアピールすることで満足感を得ているように見えた。しかし、ユ
ネスコの分担金最大拠出国である日本の政府代表の任務が、拠出した分担金を少しでも多く
取り戻してくることであるわけがない。
 日本を筆頭とする、ユネスコでは極く小数派の分担金大口拠出国は、ユネスコのささやかな
資金が、多数の加盟国を少しずつ満足させるための微少な事業にばらまかれて無駄使いされ
たりすることのないように、執行委員会等を通じて監視する役割を自らに課している。それも確
かに大切な仕事であるが、私の場合、それだけでは満足できなかった。五十才台の半ばでユ
ネスコと関わり合うこの二年ないし三年(実際には一年九ヶ月であったが)は、残された人生か
ら考えれば貴重な時間である。ユネスコでのこの程度の活動とパリでの日常生活に満足して、
漫然と過ごしてしまうわけには行かない。ユネスコ日本政府代表の任務を、教育、科学特に文
化を通じての民主主義の普及と世界平和への貢献という、ユネスコの本来の壮大な活動目的
に、なんとか結びつけられないであろうかと、大それたことを考えたのである。それにこの活動
目的には、ユネスコ関係の任務から離れたのちにも、何らかの形で自分の残りの人生を関わ
り合わせても惜しくない価値が十分あるように思えた。
 これまで文化について深く考えたことがなかったとはいえ、文化が、芸術だけではなく、人間
の生活の広い分野を包含し、生き甲斐、民主主義あるいは世界平和といった、個人、国家あ
るいは国際社会の各レベルでの価値観に密接に関係する重要な何かであることには、ユネス
コでの思索のかなり早い段階で気がついていた。しかし、文化をどうすれば民主主義の普及に
役立てられ、国際平和に貢献することができるのであろうか。異文化間の交流が相互理解を
増進し、紛争の防止に役立つとよく言われるが、同質の文化と、更にその文化間の交流の永
い歴史とを持つヨーロッパの国々の間でさえ、さまざまな紛争が繰り返されて来たことを考える
と、文化であれば何でも役に立つというわけでもなさそうである。
それよりも何よりも、他の人々が使っている「文化」という言葉が意味する概念と、私自身の
「文化」についての漠然としたイメージとは、同じものなのであろうか。
 ユネスコには、冷戦時代に、当時のソ連と第三世界が連携して多数派となったグループのイ
デオロギー攻勢に反発して脱退した米、英およびシンガポールの三ヶ国を除き、世界の殆んど
の国が加盟している。軍事的独裁国家も世襲的独裁国家もイデオロギー的あるいは宗教的専
制国家も、民主主義の普及と世界平和への貢献を活動目的とするユネスコの加盟国になって
いる。そして、それらの国々の政府代表たちも臆することなく、文化や民主主義や普遍性や知
性といった言葉を押し立てて、自国の主張を展開する。これらの言葉が表わす内容は、この人
たちと私たちの間で明らかに異なっているのである。あるいは、殆んど全ての人たちの間で、
それぞれ異なった意味で使われているのかもしれない。そうであるとしたら、先に述べた執行
委員会での政府代表たちの発言が実体性を欠き、議論が噛み合わない理由も理解できてく
る。先ず、お互いに使用している言葉が持つ概念をはっきりさせないと、文字通り、話にならな
いのである。
 こうして私の、ユネスコ日本政府代表としての一年九ヶ月間の最大の課題は、「文化とは何
か」という問いに対する答えの探究となった。
 
U 文化の多様性と共通性
 
 ところが、文化という言葉が町にも書店にもあふれているにもかかわらず、総論としての「文
化とはなにか」という問いに答えてくれる書物がなかなか見つからないのである。哲学をはじめ
として文学、政治学、経済学、心理学あるいは医学、工学、天文学等、人間生活のあらゆる分
野に学問が成立しているのに、文化学という学問分野だけは存在しないことを知るまでに時間
はかからなかった。愕然としながらも手探りで思索を開始しつつ、それでも参考文書をいろい
ろ探す内に、「文化人類学」という比較的新しい学問が、総論的な文化の問題を取り扱ってい
ることがわかった。
 書物で読む限り、文化人類学は、いわゆる未開社会、いわば人間の最も原初的な本質を保
っていると思われる社会のあらゆる様相を克明に調査・記録・分析し、人類の文化の普遍的な
部分と特殊・個別的な部分とを識別することを通じて、人間についての理解を深めることを主
要なテ−マとする学問である。文化人類学的研究によって、地球上の文化の多様性に対する
認識が高まり、それぞれの文化は進歩の度合いによって一直線上に序列づけられるものでは
なく、それぞれ独自の、優劣をつけがたい価値を持つものであるという、いわゆる文化相対主
義的考え方が広く受け入れられるようになったと言われている。
 これに対して、文化研究に対する私の関心は、少なくとも当初はユネスコでの体験に基ずく
実際的な必要性から生じたものであった。すなわち、各国の政府代表の主張の対立は、異な
る文化に根差す思考様式の対立であり、ひいてはそれぞれの文化の根源に横たわる、「何の
ために、それをするのか」という価値観の間の対立である。従って、個別的な価値を追求する
個々の主張間の対立を調整するためには、それぞれが追求する価値に共通する、より上位
の、あるいはより基本的な価値(「何のために」)を見つけ、いずれの主張がその共通の価値を
実現するに当たってより妥当かを判定して、対立調整の糸口にしなければならない。目先の、
限定された個別的価値に共通点が見つからなければ、それらの個別的価値追求の動機にさ
かのぼって、その動機に価値の共通点がないかどうか探し求めなければならない。それでもだ
めならばというので更にさかのぼって行くと、最後には、原初、人間の祖先が、それを追求した
からこそ人間たり得た、あるいは人間の文化を形成する端緒となった、「人は何のために生き
るか」という人類共通の根源的価値に行き着くはずである。それが明らかになれば、今度は、
その普遍的な根源的価値を共通の価値の基準にし、個別的な価値の追求をそれに合致させ
るように方向づけることによって、目先の、異なる価値観に基ずく主張間の対立の調整を、多
少なりとも促進することが可能になるのではないであろうか。もちろんそれは、関係者が、共通
の価値を実現するための方法について、理論的により妥当性があれば他者の主張でも受け
入れるだけの、知的誠実さを持っている場合には、という条件つきなのであるが。 このような
思考過程を経て、私の主たる関心は、文化の多様性を見つけ出し評価することよりも、むし
ろ、表面的には多様な文化の根底にある、人類共通の根源的価値に向けられることとなる。こ
の結果、個別の文化の特殊性の克明な実証的研究を特徴とする文化人類学に一歩距離を置
いた視点から、文化についての考察を進めなければならなかった。
 とは言え、文化人類学によって積み上げられてきた貴重な研究は、文化を総合的に理解す
るために極めて有用かつ不可欠と考えられるので、本書においても、先ず、文化人類学的な
文化の研究を概観することから始めることとする。
 

第一章 文化人類学と文化
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第一章 文化人類学と文化
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