第七章 知性の文化
 
 前章で指摘した、実利を求める知恵と知恵との衝突を回避し調整するような知性や感性は、
もちろん、自然に育まれてきたものではない。人類の歴史の大部分、すなわち文字の文化、そ
してそれに触発された知性の文化が形成されるまでの百数十万年のあいだ、人間は、生き残
るために、必死になって知恵を磨いてきた。生き残るために必要であれば、殺人も辞さず、敵
を殺せば英雄になった。現代でも同じではないかという声があがるかもしれないが、戦いで人
を殺傷するにも、それなりの手続きが導入され、また少なくとも先進社会では、時に逆行するこ
ともあるとはいえ、犯罪行為に対する社会的な規制も強まる傾向にある。日常生活に関する限
り、人々は、過去と比べて格段に安心感を持って生活していると言えるのではないであろうか。
 人間の社会を、不十分とはいえ、そのように変えてきたのは、知性と感性の力である。暴力
と知恵だけに頼って、利己的な利益を追求し続けることによってもたらされる多くの不幸から、
われわれ自身を守るためにはどうしたら良いか、それが、特に知性に恵まれた人々が自分自
身に、そして社会に問いかけてきた、大きな論理的課題であった。 知性の文化は、自然現象
の観察・研究に始まり、人間の存在そのものの意味や、社会制度のあり方に思いを巡らせる
哲学・思想、社会現象を研究対象とする政治学や経済学、あるいは人間性に焦点を合わせた
人文科学等、あらゆる分野を覆っている。本章では、そのうち特に、個人と社会との関係に関
する哲学的・思想的研究を幾つか取り上げて、知性の文化が人間社会で果たす役割の重要
性を明らかにする。  
 
T 万人の万人に対する戦い
 イギリスの哲学者トマス・ホッブス(1588〜1679)は、その著書「リヴァイアサン」の中で、
個々人が他人を顧みずに利己的欲望を追求する自然状態を想定し、それは「万人の万人に
対する戦い」の状態であると考えた。そこには、人間の心身の諸能力は、多少の違いはあって
も、自然によって基本的には平等に作られているという前提がある。能力が平等なのであるか
ら、どちらが強いかは戦ってみなければわからない。「それゆえ、もしもふたりの者が同一の物
を欲求し、それが同時に享受できないものであれば、彼らは敵となり、その目的(主として自己
保存であるがときには快楽のみ)にいたる途上において、たがいに相手をほろぼすか、屈伏さ
せようと努める」(ホッブス『リヴァイアサン』、永井道雄・宗片邦義訳)。
 しかし、実際には、ホッブスが考えたような状態は、特定の人間同士の間で生じることはあっ
ても、万人の間で生じることはない。人間の心身の諸能力は、それほど平等には作られていな
いし、人間は本能的にそれを知っているからである。身のほどを知らずに無鉄砲に戦いを挑
めば、弱いものから次々に殺されて、最後に、最強の一人だけが残るまで戦い続けなければ
ならないであろう。それでは、殺された者にとっては、なんのために戦ったのかわからない。死
んでは元も子もないので、特に弱者の側に、生きるためなら自分の利己的欲望を我慢するの
もやむを得ないという知恵が働くことになる。どんな社会にも強者と弱者が存在する以上、戦い
は(多くは実際に戦われるまでもなく)、強者(知的強者も含む)が弱者を支配する形で決着が
つくのである。
 人間だけではなく、サルやライオンの集団でも、餌にありつける順番は、強い者からに決まっ
ているようである。この掟を破り、序列を無視して先に餌に手を出そうとする者は、強い者から
制裁を受ける。そこで、弱い者が制裁を恐れて掟を守ることにより、集団の秩序が維持される
のである。そうであるとすれば、人間が人間(原人)になる前(猿人、類人猿あるいはもっと前)
から、強者が弱者を支配する形での秩序は成立していたはずで、従って、人類の歴史上、万
人が万人と戦うような自然状態は存在したことがなかったと言うことができるのである。
 しかし、万人の万人に対する実際の戦いはなかったとは言え、人の心を覗いて見ることがで
きれば、人は一般に、自分に不利益となって跳ね返って来ない限り、自己の利己心を満たし、
他者への優越を追求するために争おうとする潜在的な意志を持っていることを認めることがで
きるであろう。これに関してホッブスは、「戦争とは、闘争つまり戦闘行為だけではない。闘争に
よって争おうとする意志が十分に示されていさえすれば、そのあいだは戦争である。」(前掲
書)と述べている。争うまでもなく強者の支配に甘んじている弱者でさえ、自分よりも弱いものに
対しては、争ってでも自分の目的を達成しようという意志を持っているのである。自分にはそん
な意志はない、と言う人がいるかもしれないが、それは既に身につけた知性や感性のおかげ
で利己心や支配欲が適度に抑制され、更には昇華されて、自然状態の人間ではなく、十分社
会的な人間になっているからなのである。 
 しかし、知性や感性が不十分で、利己心や支配欲が自律的に抑制されていない多くの人々
の場合には、利己的な目的のための闘争を抑制しているのは、闘争に破れることへの、ある
いは社会的な制裁を受けることへの恐怖心であり、そのような結果を避けようとする知恵であ
る。従って、その心配さえなくなれば、闘争によって争おうとする意志は、いつでも行為に転じる
可能性を潜めているのである。それどころか、知性や感性のみならず、敗北を避けるための
知恵さえ持ち合わせず、目先の利己的な目的に目が眩んで本当の闘争に突入し、悲惨な結
末を迎える人々も後を絶たない。こうして、利己的な目的のために実際に闘争する人々と、相
手が弱ければ闘争によって争おうとする意志を持っている人々の数を合わせれば、万人とま
では言わないまでも、かなり多数の人々のあいだで、自然状態ではない場合でも、戦いは少な
くとも潜在していると言うことができるであろう。 
 それでは、このような戦いの顕在化を防ぎ、秩序を保つためには、どうしたらよいのであろう
か。ホッブスは「自分たちすべてを畏怖させるような共通の権力がないあいだは、人間は戦争
と呼ばれる状態、各人の各人にたいする戦争状態にある」(前掲書)と分析する。そして「この
権力を確立する唯一の道は、すべての人の意志を多数決によって一つの意志に結集できるよ
う、一個人あるいは合議体に、かれらの持つあらゆる力と強さとを譲り渡してしまうことである。
‥‥これが達成され、多数の人々が一個の人格に結合統一されたとき、それは《コモンウェル
ス》‥‥と呼ばれる。かくてかの偉大なる《大怪物》(リヴァイアサン)が誕生する。否、むしろ
『永遠不滅の神』のもとにあって、平和と防衛とを人間に保障する地上の神が生まれるのだと
〔畏敬の念をもって〕いうべきであろう。それが『地上の神』と呼ばれるのは、コモンウェルスに
住むすべての個人によって与えられたこの権限を持って、彼は自分に付与された強大な権力
と強さを生かし、国内の平和を維持し、そして、団結して外敵に対抗するために、人々を威嚇
することによって多くの異なった意志を一つに結集させることができるからである。」(前掲書)
と述べる。因みに、ホッブスの著書のタイトルにもなっているリヴァイアサンというのは、聖書に
でてくる海の巨大な怪獣である。ホッブスは、人間は大怪物のような「何か恐ろしい力が目に見
えて存在し、人間がその力を畏れ、懲罰にたいする恐怖から諸契約を履行し、‥‥種々の自
然法を遵守しないかぎり」(前掲書)戦争を避けられないものであると考えたのである。
 ホッブスのコモンウェルスは、国民から統治権を譲渡された「一個人」または「合議体」を主権
者とし、国民は契約によってひとたび権利を譲渡したからには、その主権者に絶対の服従を誓
わなければならない。「合議体」というからには、共和制の可能性も考えていたのであろうが、
ホッブスが生きた十六世紀のヨーロッパでは、このような思想は、実際には、「一個人」である
国王に絶対権力を集中する専制君主国家の擁護にならざるを得ない。この場合、外敵に対し
ては、効果的に対抗できるかもしれないが、専制君主と国民との関係は、どうなるのであろう
か。
 かつてプラトン(紀元前429〜347)は、哲学者が支配するか、支配者が哲学するかのいず
れかでなければ、国々に災いがなくなることはないとして、哲学者王の思想を述べたが、理想
的な哲学者王の育成はプラトンの夢に終った。歴史の現実は、支配の実権を持つ君主は専制
的にならざるを得ないこと、そして、専制君主のもとでは、最大多数の最大幸福は決して実現
しないことを示している。 
 なぜならば、どんな専制君主のもとでも、機会さえあれば、君主を倒し、権力を奪取しようとす
る勢力が出てくる可能性は否定できない。そこで、強者は、更にその支配をできる限り永続さ
せるために、知恵をしぼることにならざるを得ない。その行き着く所は、「由らしむべし、知らし
むべからず」あるいは「生かさぬように、殺さぬように」という、支配する側の究極の知恵であ
る。これに抵抗すれば徹底的に弾圧し、場合によっては斬って捨てる。これに対して弱者の側
は、強者と争って元も子も時には命までも失うよりは、強者のご機嫌を伺って少しでもおこぼれ
にあずかった方が良いという知恵を働かせ、「長いものには巻かれろ」主義で対処し、この双
方の究極の知恵で、ひとつの秩序が成立する。しかし、これは、一人ないし少数の支配者が、
その利己的欲望を最大限に充足して快適さを確保する一方、大多数の被支配者にとっては、
快適さを極限まで抑制される秩序であり、支配者にならない限り浮かばれない秩序なのであ
る。
 ホッブスの知性は、人間が自然によって本来平等に作られていることを洞察した。この能力
の平等から、目的(利益)達成のための希望の平等が生じ、そこから争いと相互不信が、そし
て戦争が起きる。他方、各人は、自分自身の生命を維持するために、自分自身の判断と理性
とにおいて、もっとも適当な手段であると考えられるあらゆることを行なう自由としての「自然
権」を持つ。そこで各人は、戦争から生命を守るため、他の人々も同意するならば、この自然
権を、互いに契約を結ぶことによって、一個人あるいは合議体に譲り渡し、そこに成立する主
権国家に平和と防衛の保障を求めることができると、ホッブスは考えた。ここには人間の平等
性とか社会契約の考え方など、知性なしには到達できない思想が含まれている。しかし、主権
を一個人や少数の支配者からなる合議体に譲り渡して保障される秩序が、支配者だけに都合
のよい秩序になってしまうことは、既に指摘した通りである。封建的社会から近代国家に移行
する混乱期のイギリスに生きたという時代背景から、やむを得ないところがあるとはいえ、怪獣
リヴァイアサンにたとえられるような専制的国家による秩序に、個人と社会との関係の究極的
な解決を委ねなければならなかったところに、ホッブスの限界があったと言わざるを得ない。
 本書では先に(第三章で)取り上げたが、ホッブスが死んでから七十年後に生まれたベンサ
ムが、個人の功利主義的活動と社会全体の利益との調和を、強権にではなく、むしろ道徳と
立法の力に求めているところに、この時代の知性の文化の、着実な発展の跡をたどることが
できるのである。   
  
U 君主論の教訓
 先に、専制君主はその権力を維持するために、圧制を敷かざるを得なくなると述べたが、ど
んな君主制国家や社会でも、強圧政治だけで秩序が保てるというわけではない。例えば、ニッ
コロ・マキアヴェッリ(1469〜1527)が生きた十五、六世紀のイタリアでは、都市国家が分立
し、都市国家間あるいは周辺の国々との間で、侵略や交易を通じての人的交流が頻繁に行な
われ、支配される側も、必ずしも唯々諾々と長いものに巻かれることなく、外部の勢力と呼応し
て支配者に抵抗することができた。そのため、支配者側としても、無闇に弾圧したり、従わなけ
れば斬って捨てるという酷薄な統治方針を貫き通すことは困難であった。そのような状況の下
で、安定した支配を永続させるための、極限まで洗練された統治の知恵としての「君主論」が
著述されたのである。 
 この「君主論」は、表面は確かに、君主に対して統治の知恵を伝授する形をとっているのであ
るが、支配される側もここから教訓を得ることができる。その教訓とは、支配者側の専制を抑
制するためには、支配される側も力を持たなければならないということである。マキアヴェッリ
は、世襲による君主、制服者としての君主、庶民から身を起こした君主などに分類して、それ
ぞれの特質と統治政策のあり方について論じている。ここでは、ひとつだけ、フィレンツェのメ
ディチ家のような庶民の一人が、市民一般の行為によってその国の主権者になった場合につ
いての一節を引用してみたい。この中の、君主を大統領ないし首相等に、貴族を政治家ないし
財閥や会社経営者等に置き換えて読むと、庶民が権力者を選ぶ力を持つに至った二十世紀
の現代国家における、統治者の心構えと共通する部分が少なくないことに驚かされる。 
 「こうした主権者になるには庶民の好意によるか、貴族の推挽によるかである。‥‥貴族が
庶民に対抗することが不可能であると見ると、彼らはその中のある一人に好意を向けてそれ
を君主に推し、この影にかくれて自分らの野心の吐口を求める。庶民の方でも貴族に抵抗す
ることが不可能だと知ると、庶民の間から誰か一人をかつぎ上げて君主にいただき、その保
護によろうとする。貴族の援助によって主権を得るものは、庶民によって君主となるものに比し
て、主権を保有することはさらに困難である。何となれば、前者はその周囲に君主と同等であ
ると考えるものが多数いて、自分の意のままに彼らを支配し操縦することはできない。
 これに反し、庶民によって君主となる者はまったく自由で、その周囲に服従しない者は殆んど
なく、あるいはあってもきわめて少数である。加うるに君主が公平をもってしても、庶民に損害
を与えることなしには貴族を満足させることはできないが、庶民はそれで満足する。そのゆえ
は、庶民の目的は貴族のそれよりも正しく、貴族は彼らに圧迫を加えようとするのに対して、庶
民は何とかしてこれを免れようとするからである。そればかりではなく、庶民を敵とする君主
は、敵の数が多いから安全ではあり得ない。貴族を敵とする者はその数が少ないから心配す
る要はない。君主が庶民を敵に廻わしたとき予期すべき最悪なものは、庶民に見放されるとい
うことである。敵としての貴族に対しては、彼らが見棄てることをおそれなくてはならぬが同時
に彼らの反抗をおそれなくてはならぬ。というのは彼らはよく目さきが利いてずるくて、たえず
みずからを救う機会を巧みにとらえ、そして勝目のありそうな者に取入るからである。君主は
親しく庶民とともに生活しなくてはならぬが、貴族には頓着しないでいい。それは君主はいつで
も自分の意のままに貴族を造ったり取消したりすることができ、かれらに権力を与えることも奪
うこともできる。  
 ・・・・・・・・・  
 民衆の好意によって君主となる者はとくに民衆と親しくして行かなくてはならぬ。彼らはただ君
主が圧制を加えないことを願っているのであるから、これと親しくなることは困難ではない。しか
し民衆を敵として貴族の好意によって君主となった者は、とりわけ民心を収纜するようにつとめ
なくてはならぬが、彼らを自分の保護の下に置いたなら、こうすることは別に困難ではない。何
となれば、危害を受けると思っていた者からかえって恩恵を受けると、人間はその恩人にたい
していっそう強く義理を感じるものであるからである。いったい人民の好意で君主に挙げられた
者に対してよりも、むしろこうした君主に民衆はさらに親しみを持つものである。君主が民衆の
好意を得る道は幾つもあるが、事情によってそれぞれ違っているから、ここで一定の法則を与
えることはできない、よってそれは省略する。」(マキアヴェッリ『君主論』、黒田正利訳)。  
 このように、マキアヴェッリの場合、支配者の側に身を寄せながら、他方では、支配される側
の庶民といえども、ささやかながら自分たちの幸福を希求する存在であることを当然の前提と
し、君主論の中でも、君主が地位と権力を維持するための必要条件として、繰り返し君主側の
圧制を戒めているのである。とは言え、それは庶民の幸福願望を当然の権利として認識してい
るわけではなく、そのささやかな幸福ですら、どこまで保障されるかは、庶民の側に、支配者の
地位や権力を左右する力がどれだけあるかにかかっている。その意味で、君主論は、個々人
の幸福追求の権利を一種の自然権として認識し、それを最大限に実現するために人間と社会
はいかにあるべきかを探究したベンサムやホッブスの論理展開とは全く異質である。しかしな
がら、個々人の生き方と社会との関係のあり方を「論理的に」考察しようとする時にしばしば忘
れられがちな、現実の力関係が実生活に占める決定的な重みを思い出させてくれるマキアヴ
ェッリの洞察力は、知性の文化に独自の足跡を残したと言うことができるであろう。
  
V 社会契約論 
 個々人の生き方と社会との関係のあり方を考察する分野で、先に取り上げたホッブスやベン
サムたちの知性がそれぞれの思想を生み出し、イギリスの国家と社会にそれなりの影響を及
ぼしていたころ、フランスの知性の文化も、この分野に大きな成果をもたらしていた。  
 ジャン・ジャック・ルソー(1712〜1778)はスイスのジュネーブで生まれたが、青年期以降
はフランスで生活し、フランスの知性の文化の中で活動した。ルソーの主著は「社会契約論」で
ある。 
 ルソーの思想の根本にあるのは、人間は、自然状態では本来自由で平等であるという確信
である。ところが、実際には、至るところで鎖につながれて、自由を奪われているのはなぜであ
ろうかという問いかけから、「社会契約論」は始まる。われわれは「社会契約論」が書かれたの
が、一七八九年のフランス革命のわずか三十年ほど前の、国王が国民の生殺与奪の絶対権
を握っていた時代であったことを、知っておかなければならない。もっとも、この最初の問いか
けに対する答えを、ルソーは、既に出版されていた「不平等起源論」の中で出している。  
 ルソーによれば、人間が本来自由で平等であった自然状態を変化させ、不平等な政治社会
を作り出したのは、土地や物を自分だけのものとして所有したいという欲望である。私有が始
まると、富を巡っての争いと貧富の差が生じる。そこで富者は、自分たちの利益を守るため
に、全体の利益のためであると人々を言いくるめ、自分たちに都合のよい法律や制度に同意
させ、こうして社会が成立する。そこでの人間関係は、先ず富者と貧者の、次いで強者と弱者
の、そして最後には主人と奴隷の専制状態にまで行き着く。そしてそれが、「人間は自由なも
のとして生まれた、しかもいたるところで鎖につながれている」(ルソー『社会契約論』、桑原武
夫・前川貞次郎訳)という「社会契約論」の出だしの一節で表わされた、フランス革命直前のフ
ランス国家の状況だったのである。  
 そのような国家ではあるが、支配者になるほどに暴力的な力の強い者でも、その力を「権利」
に、そして支配される者の服従を「義務」に変えない限り、いつまでも支配者であり続けること
はできない。しかし、暴力的な力は一つの物理的な力に過ぎないのであるから、その働きから
権利というような道徳的なものが生まれるわけがない。また、支配される者が暴力に屈するの
は、身を守るためのやむを得ない行為であって、強制によらない、道徳的な意志による義務の
遂行とは全く異なるものである。従って、力だけで権力を握っている支配者は、力がなくなると
滅んでしまうのである。そこで、人間は本来平等に生まれついているのだとすれば、「いかなる
人間もその仲間にたいして自然的な権威をもつものではなく、また、力はいかなる権利をも生
みだすものでない以上、人間のあいだの正当なすべての権威の基礎としては、約束だけがの
こることになる。」(前掲書)。 
 しかし、約束ならば何でもよいというわけではない。「約束するとき、一方に絶対の権威を与
え、他方に無制限の服従を強いるのは、空虚な矛盾した約束なのだ。」(同)。「自分の自由の
放棄、それは人間たる資格、人類の権利ならびに義務さえ放棄することである。‥‥こうした
放棄は、人間の本性と相いれない。そして、意志から自由を全くうばい去ることは、おこないか
ら道徳性を全くうばい去ることである。」(同)。そこで、人間が人間性を失うことのないような社
会を作るためには、社会の「各構成員をそのすべての権利とともに、共同体の全体にたいし
て、全面的に譲渡することである。その理由は、‥‥各人は自分をすっかり与えるのだから、
すべての人にとって条件は等しい。」(同)からである。ホッブスのように、契約によるとはいえ、
統治権を一個人ないし合議体に譲渡し、それを主権者にするようなことはしない。ここでは、
個々人は契約によって社会ないし国家の構成員となると同時に、主権者の一部でもある。こう
して、社会契約が成立する。
 そして、ルソーは、国家の構成員である人民が、契約によって結合した総体としての主権者
の意志を「一般意志」と名付け、国家の全ての権力と機構および機能の根源であるとした。こ
れが人民主権論と呼ばれる考え方であり、ルソーにおいては、社会契約論と不可分の一体を
成している。 
 このような基本的思想から導き出された、立法や政府のあり方をはじめとする民主主義の諸
原理は、その後の人類の思考様式や生活の文化に限りない影響を及ぼし、現在も及ぼし続け
ているのである。  
  
W 知性の文化の拡大 
 人類の知性的探究の発展の道筋をたどると、個々人の生き方に関するもの、社会ないし国
家のあり方に関するもの、及び、それらから中立の自然科学等に関するものの三つに大別で
きる。もちろん、この三つをそれぞれ組み合わせて研究課題とすることもできる。 
 この章で概観してきた幾つかの論理的考察は、「君主論」は別として、個々人の生き方と社
会との関係のあり方を、それぞれの視点によっていずれを重視するかの違いはあるとはいえ、
研究の主題としている。ホッブスとルソーの論理展開で、社会契約の必要性までは一致してい
たのに、結論では、一方は専制国家、他方は民主国家という全く反対の選択に到達したの
は、生きた時代の違いのほかに、人間観の違いもあったのであろう。ルソーが、抽象的な人民
にではなく、その時代の一般庶民に、民主国家の担い手としての能力をどの程度まで期待して
いたのかは分からないが、ホッブスの時代の一般庶民の多くが、むしろ「声の文化」の日常生
活に近い思考・行動様式に従っていたであろうということは、容易に想像できる。そのような一
般庶民に、国家の秩序維持の役割を期待するなど、ホッブスにとっては論外であったに違いな
い。しかし、ホッブスには、専制君主に支配される一般庶民が、どのような生き方を強いられる
かについての、洞察と同情が欠けていた。専制政治がもたらす秩序は、一般庶民にとっては、
奴隷の秩序以外の何ものでもないのである。 
 ベンサムとルソーは、社会の構成員である個々人の幸福の確保を重視し、そのための制度
的保障を考えた。ベンサムは、道徳を基盤とする法律制度を整備することによって、最大多数
の最大幸福を実現することを主張し、イギリスの福祉国家への道に大きく貢献した。ルソー
は、人民の自由と平等の実現のために、民主主義制度の必要性を説き、民主主義は、今や、
人類普遍の理念とされるまでに至った。人類は、ついに、幸福実現の方法を見い出したのであ
ろうか。 
 ベンサムもルソーも触れていない問題がある。制度を作り、動かす人々の能力の問題であ
る。法律制度の整備はある程度まで専門家の仕事であろうが、大きな方向づけのためには、
国民の意志を無視できない。ルソーの場合には、国家のあらゆる方向の選択に、国民の意志
が決定的な重要性を持つ。国民は、正しい判断をするための十分な能力と見識を備えている
のであろうか。それがなければ、制度をどんなに整備しても、真の幸福への道は開けないので
はないであろうか。  
 ルソーは、決して誤ることなく、常に正しく、常に公の利益を目指す「人民の一般意志」という
概念を想定して、これに国家の方向づけを委ねた。ルソーによれば、個々人の意志は特殊意
志であり、特殊意志の総和は全体意志であって、いずれも私的な利益が関心の対象である。
これらの特殊意志の、お互いに対立する利害の部分を相殺して取り除いたあとに残るのが一
般意志であり、従って、一般意志は共通の利益だけを心に掛けることになる。もっとも、一般意
志は常に正しいのであるが、それが人民の判断を経由して具体的に表明された結果も、常に
正しいという保障はない。人は、常に自分の幸福を望むが、本当の幸福が何かを、常に見分
けることができるわけではないからである。人民が、徒党を組んだり部分的団体の特殊意志に
影響されたり、欺かれたりすることなく、十分に情報をもって判断し、自分自身の意見だけで決
定に参加する場合にのみ、一般意志は十分に表明されるのである。そうでなければ、私的利
益を代表する特殊意志が優勢を占めることになり、一般意志は姿を隠す。このような事態を招
かないようにするためには、どうすれば良いのか。ルソーは言う。 
 「個人は、幸福はわかるが、これをしりぞける。公衆は、幸福を欲するが、これをみとめえな
い。双方ともひとしく、導き手が必要なのである。個人については、その意志を理性に一致させ
るように強制しなければならない。公衆については、それが欲することを教えてやらなければな
らない。そうすれば、公衆を啓蒙した結果、社会体の中での悟性と意志との一致が生まれ、そ
れから、諸部分の正確な協力、さらに、全体の最大の力という結果が生まれる。この点からこ
そ、立法者の必要が出てくるのである。」(前掲『社会契約論』)  
 この場合の立法者とは、神のようなすぐれた知性をもって法律を編むもの、法典を作成する
者であって、法律を成立させる権利は持たず、また持ってはならない。「ローマは、そのもっとも
栄えた時代に、内部に専制のあらゆる犯罪が復活し、今にも亡びそうになったが、それは、同
じ人々の手中に、立法の権威と主権とを集中したためであった。」(同)。立法者により提出さ
れた法案を決定するのは人民自身でなければならない。人民自身が、たとえそれを望んでも、
この不可譲の権利を捨てることはできないのである。  
 しかし、そのような立法者は、実際に存在するであろうか。仮に、堯幸によってそのような立
法者に恵まれたとしても、その立法を受け入れるかどうかを最終的に決定するのは人民自身
である。先に、決して誤ることのない一般意志の十分な表明のためには、人民は、徒党や部分
的団体の利益関係に影響されることなく、自分自身の意見を出すことが求められた。それで
も、十分啓蒙されていない人民が誤りを犯す可能性は、人民に深い信頼を置いたルソーです
ら否定し得なかっため、ルソーは、人民の弱点を補う役割を、天才的な立法者に求めたのであ
る。 
 このようにルソーは、人民を主権者の地位に置いた上で、実際には誤りやすい人民を導くも
のとして、一般意志の概念や崇高な立法者を想定し、民主主義思想の基礎固めをしようと試
みた。民主主義思想がここまで普及したことを考えれば、ルソーの功績の偉大さは否定しよう
がない。他方、選挙や議会などの民主主義的制度がこれほど多くの国々で採用されながら、
民主主義思想が理想とする社会の実現には程遠いという現実は、ルソーの、あるいはルソー
以後の民主主義思想にも、民主主義実現のための最も根本的な要素についての考察が欠け
ていることによるものと考えざるを得ない。  
 繰り返すが、ルソーは、人民の能力ないし見識という民主主義実現の根幹を成す要因を、誤
ることのない一般意志や崇高な立法者という、いわば実体のない概念で補強しようとした。現
実の民主主義国家の多くは、複数政党制度、選挙制度、議会制度あるいは法治制度といった
各種の民主主義的制度を整えることで、民主主義を実現しようとしているか、実現しようとして
いる振りをしている。ルソーがそうしたのは、予見しうる将来に、人民自身が一般意志を十分
に表明したり偉大な立法者になったりする能力を備えるようになるという見通しを、持てなかっ
たからに違いない。また、われわれの現実の社会も、民主主義の最終目的である最大多数の
最大幸福を実現するために必要な見識と判断力を、主権者である社会の構成員たる個々人
に備えさせるにはどうしたらよいか考えあぐねている。そして、実際には、選挙をしたからといっ
て、議会があるからといって、かならずしも民主主義が実現するわけではないことを十分承知
しながらも、制度の整備をもって良しとしようとしている。
 しかしながら、民主主義によって最大多数の最大幸福の実現を目指すからには、国家が正
しい方向を選択するために、あるいは制度が正しく運用されるために、究極的には、主権者で
ある個々人の能力と見識を高めなければならないという課題を、避けて通るわけにはいかない
のである。
 それは、知性の文化を、特定の優れた人々の能力による創造と、限られた人々の努力によ
る維持に依存するだけではなく、できる限り多くの人々に拡大することによってのみ達成され
る。それでは、知性の文化をできる限り多くの人々に拡大するためには、どうすればよいので
あろうか。次章ではこの問題を、「アイデンティティ」の概念を手がかりにして考えてみたい。


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