「国柄」について
 

 憲法改正に向けての一ステップとして、自民党の憲法調査会憲法改正プロジェクトチームは
2004年4月に、「論点整理」を公表した。民主党も同党憲法調査会の「憲法提言 中間報告」
を、また公明党も同党憲法調査会の「論点整理」をそれぞれ2004年4月に公表しているが、
自民党の「論点整理」には「国柄」という概念が明記されている点で際立った特徴を示してい
る。
 自民党の憲法調査会憲法改正プロジェクトチームには、参議院のあり方など制度面の改正
について党全体の意見を集約していないとの批判が党内に強まったため、同年12月に新憲
法制定推進本部を新設して憲法改正作業を続行することとなった。しかし組織は変わっても、
憲法改正論議の根底にある思想面については、「論点整理」に示された日本の保守主義の特
徴的思考傾向が引き継がれるものと考えられる。
 すなわち同「論点整理」は、現行憲法について「歴史、伝統、文化に根ざしたわが国固有の
価値(すなわち「国柄」)が現憲法制定時、連合国軍総司令部の占領下において置き去りにさ
れた」とする。
 また天皇制との関連で「連綿と続く長い歴史を有するわが国において、天皇はわが国の文化
伝統と密接不可分な存在となっているが、現憲法の規定は、そうした点を見過ごし、結果的に
わが国の「国柄」を十分に規定していないのではないか、また、天皇の地位の本来的な根拠は
そのような「国柄」にあることを明文規定をもって確認すべきかどうか、天皇を元首として明記
すべきかなど、様々な観点から、現憲法を見直す必要がある」と主張している。
 しかし、「国柄」という概念については「歴史、伝統、文化に根ざしたわが国固有の価値」と極
めて抽象的に述べているだけで、具体的にどのような「価値」を考えているのかは全く不明であ
る。
 

 自民党的思考傾向に代表されるいわゆる保守主義的価値観から、「国柄」の具体的な意味
を探ってみるのも一つの研究手法かもしれない。しかし、保守的と見られる政治家の発言や著
作等を分析すればするほど、個々人の強度に情緒的あるいは心情的な思い入れや思い込み
が入り乱れ、論理的な共通理念や価値観を見出すのはかなり困難である。
 それでもわずかな手掛かりから探ってみると、自民党の「論点整理」が言う現憲法制定時に
置き去りにされた国柄とは、 現憲法(日本国憲法)に批判的に論及しているところから、現憲
法に先立つ明治憲法(大日本国憲法)の規定の内容を念頭に置いている可能性が最も高いと
考えられる。
 
 1) 明治憲法と現憲法の根本的な相違は、専制主義的君主制をとるか民主制をとるかの選
択にある。
 明治憲法は、その「第一章 天皇」で、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(第一
条)、「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」(第三条)、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ此
ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」(第四条)、「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」(第五
条)、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」(第十一条)などの規定によって、天皇が日本を支配する君主
であることを明示していた。
 従ってこの憲法の下では、全ての権力の根源は天皇に帰属し、国民の日常生活を左右する
価値観も、根幹部分は君主と臣民の従属関係を基軸として形成されていた。最高権力者との
距離の遠近で国民の上下関係すなわち人間の価値が決められ、それが社会秩序の基盤とな
るというこの専制主義的価値観は、天皇が最高権力者であった古代から武家が最高権力を握
った中世、近世の永い歴史を通じて日本の伝統、文化となっていたという点に関する限り、明
治憲法は確かに日本の明治維新以前の歴史、伝統、文化に根ざした価値観を取り入れて制
定されたものと言うことができる。
 そして、こうした専制主義的価値観ひいては伝統、文化を作り上げてきた主力は、その時々
の最高権力者に連なる権力者集団とその家の子・郎党およびその追随者・手先たちである。
明治憲法は、明治維新により最高権力者の座から追われた徳川将軍と幕府に替わって、天
皇を最高権力者の地位につけた薩長土肥を中心とする新権力者集団勢力により作られ、天
皇の名により発布された憲法なのである。
 これに対して現憲法は、、主権が国民にあることを宣言して民主制をとることを明らかにし
た。この結果、君主や領主と臣民や家来との、身分に基づく上下関係や権威主義的思考法を
基軸として社会秩序を形成してきた専制主義的価値観は、大転換を迫られることになった。
 現憲法は、敗戦により占領軍の支配下に置かれた政府および国会が、占領軍の意向を取り
入れながら制定した憲法であり、占領軍に押しつけられたものであるので無効であるとする主
張もある。確かに現憲法は、日本人の価値観が変わった結果として制定されたものではない。
しかしながら、独立して占領軍の圧力が消滅した後も半世紀にわたって、日本国民が現憲法
をかつての専制主義的君主制に変えなかったことは、現憲法の制定を切っ掛けに日本人の価
値観が変わり、民主制を支持する勢力が優位を占めるに至ったことの証左である。独立後の
日本国民は、現憲法を変えない判断をしたことで、現憲法の有効性を自らの意思で確認した
のであり、現憲法制定後半世紀を経て、民主制は既に日本の歴史の一部となるに至ってい
る。
 
 2) 明治憲法の下では、日本人たる者は本人の意思に関わりなく全て天皇の臣民とされた
結果、「第二章 臣民権利義務」で定められた臣民の居住・移転、信教、言論、集会・結社等
の自由権は、法律の範囲内でのみ認められた。言い換えれば、これらの自由権は君主たる天
皇により与えられたものであり、従って天皇の名の下に法律を制定する国会および、その法律
に基づいて権力を行使する政府を中心とする権力者集団の意のままに、制限ないし奪取する
ことも可能だったのである。こうした権力者と臣民、家来や一般民衆など支配する者とされる者
との明確な上下関係ないし階級制度は、もちろん、現憲法制定まで貴族や武士などの権力者
による専制政治を繰り返してきた日本の歴史、伝統、文化に根ざしたものである。
 これに対して現憲法は、国民は全て法の下に平等であるとし、思想、良心、信教、集会や言
論などの表現、居住や移転および職業選択、外国移住、学問などを始めとする広範な自由権
を、公共の福祉に反しない限り法律をもってしても制約できない基本的人権であると規定した。
 基本的人権とは、君主や国家などから与えられる恩恵ではなく、人が人として生まれたことに
伴って当然に享受する権利であるとする、民主主義の根幹的思想である。そして民主主義は、
臣民は君主や領主に従属すると考える君主主義や、国民は国家に奉仕するために存在する
と考える国家主義とは対極に位置する。
 
3. 
 このように明治憲法と現憲法を比較してみると、保守勢力の言う置き去りにされた歴史、伝
統、文化に根ざしたわが国固有の価値(すなわち「国柄」)とは、少なくとも憲法レベルでは、専
制的君主主義や国家主義に根ざした思考傾向や政治・経済・社会制度を指しているとしか考
えられないことがわかってくる。
 しかし、日本の2000年の歴史は、縄文・弥生まではさかのぼらないにしても、権力の所在に
よって、豪族分立の古代、天皇と貴族が権力を振るった王朝時代、源氏と平家の興隆に始ま
る武家の時代、明治維新から敗戦までの絶対主義的天皇制の時代、そして戦後の民主主義
の時代と幾つもの大転換を経てきている。そして、その大転換がもたらす社会環境の変化に
伴って、伝統や文化も大きく変化してきたはずであり、そうした伝統、文化に根ざす価値観も大
変化を遂げてきたに相違ない。
 その中で、特に明治憲法に象徴される時代の価値観だけが、歴史、伝統、文化に根ざした
わが国固有の価値(すなわち「国柄」)であると断定すべき理由はない。
 保守勢力は、わが国の歴史、伝統、文化が集積してきた集大成が明治憲法下の価値観であ
り、固有の国柄であると言いたいのかもしれない。
 しかし、集大成というのであれば、明治憲法の時代に続いて、敗戦という厳然たる歴史的事
実の上に制定された現憲法の下で半世紀以上にわたって育まれてきた価値観こそ、歴史、伝
統、文化に根ざした現代の日本の固有の価値観(すなわち「国柄」)と言うべきではないであろ
うか。
 現憲法下の価値観は、明治憲法下の価値観からの変化が大き過ぎるからわが国固有の価
値観とは言えないというのであれば、明治憲法下の価値観も、それに先立つ徳川時代の価値
観からの大転換であったという意味で、わが国固有の価値観とは言えないということになる。こ
のように、大転換があった時代に先立つ時代の価値観こそがわが国固有の価値観(すなわち
国柄)であるとすると、大転換を繰り返してきた日本の歴史の、どこまでさかのぼれば本当の
わが国固有の価値観に行き着くのであろうか。
 
 4.
 歴史とか伝統とか文化とかいう言葉は、具体的な内容がはっきりしないまま、その言葉だけ
でなんとなく「良いもの」「尊重すべきもの」と思わせる効力を持っている。 保守勢力は、その
効力に着目し、良いものであり尊重すべきものである歴史、伝統、文化に根ざす国柄も「良い
もの」「尊重すべきもの」との論法を展開している。憲法との関連で言えば、君主制の歴史、伝
統、文化が圧倒的に永いので、君主制こそ日本の国柄であると結論づけたいのであろう。
 しかし、歴史、伝統、文化はいずれも人間の行為の積み重ねであり、人間の行為が善悪相
半ばするものである以上、歴史、伝統、文化も善悪相半ばするものであり、その中から良いも
の、尊重すべきものを選択するためには、具体的な事例を検討しなければならない。 天皇制
との関連で言えば、君主に権力を集中させる君主制は、君主が特に英明である場合には思い
切った統治ができるが、通常は君主を利用する特権階級による専制になるのが、歴史の教え
るところであり、専制に陥る傾向は独裁的な終身権力者や世襲権力者の場合も同様である。
 このような過去の歴史、伝統、文化から学び、君主の権力や政治的影響力は出来る限り少
なくし、大統領などの権力者には任期を設けるなどの工夫で専制的統治を排除して、非権力
者である大多数の国民の生活と権利を守ろうとする思想が民主主義なのである。従って、君
主主義や専制主義の時代が、民主主義を基本理念とする歴史、伝統、文化を育みつつある
期間より圧倒的に永かったからといって、それは君主主義や専制主義の優位性を何ら証明す
るものではない。 
 その意味では、臣民を主権者たる国民に変え、天皇制を残しながらも権力者に利用される
可能性を最小限におさえた現憲法は、わが国の歴史、伝統、文化から多くを学んだ、基本的
には立派な民主主義憲法であるというべきである。これを改正するというのであれば、わが国
の歴史、伝統、文化を民主主義の基盤の上にさらに発展させる方向を目指すべきであって、
逆戻りさせようなどというのは歴史を無視した蛮行と言わざるを得ない。 自民党の「論点整
理」は、現憲法の規定が「連綿と続く長い歴史」や「文化伝統」あるいは「国柄」を見過ごし、結
果的にわが国の「国柄」を十分に規定していないのではないかと主張している。保守的思考の
流れから推測すると、この「国柄」とは明治憲法下の制度や文化を指しているように思われる
が、それならば、はっきりとそう言うべきであろう。 いくらなんでも、現在の権力者や資産家と
その一族および手先たちの特権的立場を固定かつ永続させるために明治憲法の時代に戻し
たい、というのでは多数を占める一般国民の支持は得られそうにないからといって、歴史、伝
統、文化といった言葉をことさら情緒的に使用し、さらに国柄などという更に意味の曖昧な言葉
まで付け加えることで、国民を情緒過多の思考停止に誘導しようとするなどは、国を思う保守
主義者の品位と面目にかかわるのではないであろうか。 
 (専制的統治から民主制に至る思想変遷の略史については、本ホームページ所載の拙著
「文化とは何か」第七章「知性の文化」をご参照願いたい)
 
5.
 そうではなく、「国柄」は必ずしも憲法レベルだけではなく、日常生活のレベルでもいろいろあ
り簡単には説明できないから、具体的に明示しなかっただけであるということかもしれない。そ
れならば、日本の国柄の何を保守したいと考えているのかは保守主義者の思想の根幹に触
れる問題であるはずなので、自民党は改憲の必要性を唱える議論に日本の文化や国柄を理
由とするのであれば、「論点整理」以外の場所ででもその具体的な内容を何らかのかたちで明
らかにしておくべきであろう。
 とは言え、「日本の国柄」なるものの具体的な内容が、納得のできるかたちでそう簡単に出て
くるとは思えないが、いつの間にか大小の権力者や声の大きいその追随者・手先たちに、勝
手に言い立てられ押しつけられてはかなわないので、この際、少なくとも自分自身の考えは固
めておきたい。                             
                                     (「続・国柄について」に続く)
               
                                 (2005年2月7日記)