フリーマンの随想

その40. ハワイ島旅行


* 見たり聞いたり考えたり *

(4. 29. 2001)


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まえがき
その1. 手づくりの旅行
その2. ハワイ島のこと
その3. 日系移民に会う
その4. 米州最南端の地
その5. アロハ・スピリット
その6. ベッド・アンド・ブレクファスト( B&B )
その7. 人種格差の世界
あとがき

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まえがき

カホルは、1997年秋に空路ミラノに着いた途端に突然心筋梗塞に襲われた。 幸い素晴らしい病院と医師たちに出会えたお陰で九死に一生を得て22日後に帰国したが、 まさに最近話題の 「 エコノミークラス症候群 」 の典型だった。 しかし当時はそんな知識はなかった。 乗ったのはビジネスクラスだったのだが、 この点では大差ないということだ。

それ以来 「 私は海外旅行はもう絶対にしない 」 と言い続けてきたが、 3年半が無事に過ぎると、だんだんと健康に自信も出てきて 「 近い外国ならまた行って見たい 」 と言い出した。

たまたま、10年前、在米中に知り合って親友になった、当時アトランタ在住のS子さんが、 ヒョンなことからハワイ島のゴルフ場で働く事になって 「 是非一度遊びに来てェ 」 という。 片道7時間なら大丈夫だろうということで、自治会長の任期が先月で終った事もあって、 遂に11日間のハワイ行きが実現した。

出掛ける前に周囲から 「 何で今どきハワイなんかに ? 」 と不審がられた(*)が、 そういう次第なのである。 それに私たちはまだ一度もハワイに行った事がなかったのだ。 機内では水をよく飲み、ときどき体操もして、お陰で健康で無事に帰国できた。

(*) 現地で読んだ4月15日付の HONOLULU ADVATISER 紙には、 今年の日本人のGWの海外旅行先のトップは韓国で、ハワイは遂に4位に落ちたとあった。

その1. 手づくりの旅行

束縛の多いパックツアーが嫌いな私たちは、自分でゆったりしたプランを立てた。 航空券は自分で買い、宿の手配はすべてS子さんがやってくれた。ホノルル ( オアフ島 ) は、経由するだけで素通りし、全期間をS子さんのいるハワイ島で過す事にした。 ハワイ島は、ハワイ諸島の8つの島のうち最南端にある最大の島である。 この島の西北部の美しい海岸線には、近年急速に高級なリゾート施設が立ち並ぶようになった。

パックツアーの日本人観光客たちは、皆そこに4、5日閉じこもって贅沢に遊ばせてもらうのだが、 わたしたちは主にベッド・アンド・ブレックファスト ( 以下 B&B:後述 ) という、 日本で言えば民宿のような施設を渡り歩き、島全体を訪ねることにした。 幸い、 私の米国の免許証はまだ有効だったので、中型のレンタカーを1台借りた。 もっとも、現地で確認できた事だが、ハワイではなんと日本の免許証で運転できるのである。 ということで、カホルも時々交替で運転してくれた。

毎日の日程も勝手に変えられ、疲れれば半日ボーッとしていられる、気ままな11日だった。

その2. ハワイ島のこと

このハワイ島は、岐阜県と同じ大きさというが、実感としてはもっと大きい。 富士山より高い4,000m級の火山が二つあり、そのひとつの頂上には 「 すばる 」 という名の日本の天文台の他、いくつもの天文台が在る事からも分かるように、 空気の澄みきった場所である。 また、常時真っ赤な溶岩が流れ出て海に注ぎ込んでいるキラウェア火山も有名である。

この島は米国51州のうちの最南端でもある。 多湿で肥沃な東側には昔から多くの日本人が移民し、バナナ、 サトウキビなどの労働集約的な農業に従事してきた。 これらが更に低賃金な中南米諸国に奪われた今は、 コーヒー、マカダミア・ナッツ、日本向けの製紙原料としての松などが一面に植えられている。 一方、島には米国で2番目に ( 一説では最も ) 大きいといわれる広大な牧場もある。 溶岩台地あり、熱帯雨林あり、砂漠あり、熱帯魚の群れる珊瑚礁の海岸あり、積雪の山ありと、 地理学的には実に変化に富んでいる。 北東部には幅は狭いが高さは千mにも及ぶ滝が十以上もある。 とにかく、ハワイと言っても、ホノルルのような 「 文明世界 」 とは全く違う場所である。

その3. 日系移民に会う

4月23日の朝、私たちが のブーゲンビリアや 明るい紫のジャカランダの花が咲き乱れる美しい山の中腹の道を散歩していると、 ローマ字で HONGWANJI MISSIONと書いた立て札を目にした。 立ち止まって見ていると、小柄な東洋系の風貌の老人が歩いて来た。 初めは英語で、その内に日系人と分かって日本語と半々で立ち話を始めた。

彼の父が福岡から、母が広島から大正時代に移民してきた事、 88歳の2世の彼は、青年時代にホノルルに出て弟妹のために働いていた時真珠湾攻撃が始まって、 白人たちから散々いじめられた事、昨年妻を失い今はひとり暮らしである事、 5人の子供たちは皆本土に移り、博士、技師長など指導的な職業に就いている事・・・。

面白かったのは、初めは日本語を思い出せなかった彼が、私たちの日本語を聞いている内に、 頭脳の回路がつながったらしく、典型的な博多弁でとつとつと話し始めた事だった。 本願寺には月に1回、僧侶が巡回してくる事、その建物は彼の所有で、 住居部分は白人女性に貸している事、などを話しているうちに 「 是非私の家を見てくれ 」 というので、ついていった。

玄関脇には小さな石燈篭や南天の樹のある数坪の日本庭園らしき物がある。 離れの質素な風呂場は鉈で割った薪を火吹き竹を使って焚く方式である。 玄関を入ると左手にご自慢の 「 和室 」 があって、畳が敷いてある。2方が障子で囲まれ、仏壇、掛け軸などもある。 この家と周囲の土地を手に入れるまでの彼の長い間の苦労が偲ばれた。 そこに布団を敷いて海を眺めてから彼は毎晩一人で寝るという。

「 ミスター、奥さんば大事にすっとな。一人になっと淋しゅうて淋しゅうて・・・ 」 と彼が私に向って言い出した時、カホルはたまらず泣き出してしまった。 帰りがけに彼は手焼き風のビスケットを5、6枚呉れた。 これを日本に持ち帰り、 今食べながら、私はこれを書いている。 あの質素な、立派な家具ひとつない家に住む2世の彼と、 海岸の1人一泊$200以上もする豪華なリゾートホテルに泊り、高価な寿司をつまみ、 ゴルフやスキューバダイヴィングで遊ぶ日本人客たちとの強烈な対比を考えながら・・・。 彼は別れ際に 「 アメリカは世界中で一番良い国だ。自由がある 」 と、 誇らしげに私に言っていたが・・・。

彼らの墓地の多くは斜面に、ひと目でそれとわかる日本式の墓石が集まって出来ている。 ここでは皆遥か西の日本の方を向いて。

その4. 米州最南端の地

4月21日、私たちは米州最南端のこの島の中でも最南端の South Point という所にある、 朝食付2人一泊で$75という質素な B&Bに泊った。

宿から、さらに8マイル、車がすれ違えないほど細い、でこぼこの舗装道路を南に走ると、 そこは荒涼とした米州最南端の断崖の岬である。 熔岩流が海水に触れて固まってできた真っ黒な岩肌の上の煉瓦色の砂地に足を踏ん張って立つ。 強い海風の中、数十mの眼下に砕け散る波涛は怖いが、それ以外の一切の音のない世界だ。 更に少し離れた海岸線に出て、200度以上の広角の水平線を見つめると、 海面は実は水平ではなく凸面になっており、つまり、地球が丸いことを実感できるのである。

宿では夕食が出ないので、私たちは2マイル先の小さな集落にある2軒のレストランのひとつに、 車で出掛けた。 レストランといっても、実に質素な代物で 「 ここしかないから 」 という理由がなかったら、私は絶対に入らないだろうというような店である。 そこで私たちは二人で$20という、その店では結構上等な部類のメニューをオーダーした。 「 ビールかワインは ? 」 と聞くと 「 そういうものは有りません 」 という。 後で知ったのだが、このくらい田舎になると、酒は飲みたければ持ち込むしかないのだそうだ。 米国南部のドライ・カウンティにちょっと似ている。

店の主人兼ウェイターは、75歳くらいの小柄な日系人だ。 3世か何からしく、 日本語は断片的な単語しかわからない。 英語で話している内に、朝鮮戦争に従軍した事、 休暇の時に京都や奈良で遊んだ事、何かの縁で京セラの稲盛会長と知り合ったことなどが分かった。 彼の名刺を探して持ってきたのでカホルが 「 稲盛さんは現役を退いて仏門に入りましたよ 」 というと驚いていた。

彼の奥さん ( 白人 ) と並んで写った若い頃の写真などが壁一面に貼ってある。 一番の自慢は、 日系人の宇宙飛行士で、10年ほど前、ケネディ基地での打ち上げの失敗で、 乗組員全員が発射直後に空中で死んだあの事故の時、搭乗していたオニヅカ飛行士である。 彼が100kmほど先のヒロの町の出身で、ここでも食事したからだという。

彼のサイン入りの写真、彼とその同僚たちの写真、 彼の上司がこのレストランを訪れた後送ってきた手紙なども飾ってある。 日系人初の上院議員だったダニエル・井上氏の若い頃の写真もある。 30分ほどの会話で、彼が、血と心は日本人だが考えはもう100%の米人で、 完全にこの土地に同化しきっていることがよくわかった。

ハワイは米国だから、美味しいものを食べられるはずがないと最初から諦めてきたのだったが、 それにしても、ここの飯は不味い。 隣りのテーブルの7人の老白人女性グループは、 それをおいしそうに食べているのだから、アングロサクソンは味蕾の数が少ないという説は、 やはり信憑性が有ると思う。 でも、彼がもっている筈の日本人の繊細な味覚も、 郷に入って数世代経つと、郷に従って萎えてしまったのだろうか。 エビもビーフも素材は新鮮で良いのに、それをわざと不味く加工して食べているとしか思えない。

その5. アロハ・スピリット

S子さんが昔の日系移民が作ったレストランに行こうと、ある日私たちを夕食に誘った。 お目当ての MANAGO HOTEL に行くと、たまたま食堂は月曜は定休だった。 質素なロビーの正面には、創立者のMANAGO ( 真名子? ) 氏夫妻の古ぼけた、しかし品の良い顔立ちの肖像写真が掲げてある。 このホテルは何と2名1泊$40という安さである。 和室も一つ有って、これは$60。 贅沢な現代の日本人たちが来るわけがないと思ったが、 たまに貧乏旅行の大学生が泊ったりはするそうだ。 主な客筋は他島から来た日系米人や、 貧しいハワイ人の旅行者だそうだ。

休みでは仕方ないと、近くの TESHIMA ( 手嶋? ) というレストランに行く。 客筋は日系人、ハワイ人、黒人が殆どで、たまにS子さんのような現地で働く日本人が来る。 日本人旅行者などは、私たちしかいない。 店は活気が有って、ビールを頼むと、 突き出しに 「 お祖母さんのサービスだ 」 といって、海苔巻き寿司が三つ出てきたのには驚いた。 1世か2世の老婦人が奥の方にいるらしい。

その内に、S子さんと一緒の職場で働く黒人と、 その友人の日系人2人が遠くから私たちを見つけて立ち上がり 「 ビールをおごろう 」 と近寄ってくる。1人前$12くらいの 定食を食べたが、刺し身、天ぷら、味噌汁、 香の物、ご飯とまずまずという味だった。

ハワイ人、アジア人、黒人は、互いに助け合って生きている。 上役に内緒で友人にはレートを安くしてやったり「 まあ、家に上がって食べて行きなよ 」 と食事を提供したり・・・。 実は私も、S子さんの親友だということで、 空港のハワイ人女性係員から、レンタカーを半額にしてもらい、 カホルと一緒に回った2ラウンドのゴルフも、黒人の従業員がタダにしてくれた。 こういうのをアロハ・スピリットというのだそうだ。 ハワイ人の人なつこい明るさを見ていると小錦を思い出す。 実直で素朴な性格を知ると、 曙の顔をつい連想してしまう。

その6. ベッド・アンド・ブレクファスト( B&B )

B&Bには、その4の冒頭にに書いた様な安い所から、2人一泊$500もするような、 米国本土からの超裕福な白人だけを対象にした贅沢極まりないものまで、色々ある。 今回は、$150−$200クラスの所にも4日ほど泊った。 その一つが、 島の南部の海抜1000mの熱帯雨林の中にある。

雨林の中に車がやっとすれ違える程度の未舗装道路が、 それでも碁盤の目のようにつけられている。 時速 90kmで飛ばす幹線道路から、細い進入路を運良く一発で発見できたから、 迷わずに到着できたが、あれが夜だったら・・・と思うとゾッとする。

ニュージーランドで見たような、背丈の何倍もある巨大なシダや、名も知らぬ木々の密林に隠れて、 各室離れ構造の5つほどの、小さく素朴だが瀟洒な木造のコテージが散在する。 渡された鍵で開けてそのひとつに入ると、鳥の声と屋根を打つ雨の音以外はもう何も物音は聞こえない、 RETREATという言葉そのものの世界である。

部屋のテーブルに置かれた宿泊者の日記帳を広げると、ほとんどが米国本土各地からの客に混じって、 ドイツ人 ( 英語、ドイツ語 )、スイス人 ( フランス語 ) などもある。 読み進むうちに全体の何割かが新婚旅行の客だとわかる。 なるほど。 日本人はこの1年、一人もいないようなので、カホルが英語と日本語で感想文を書き込んでいた。 こういう何の遊戯施設もない、TV、ラジオ、電話すらない静謐な世界は、 普通の日本人観光客には好まれないのだろう。

夕食を食べるためには無人の雨林を縫って5分ほどドライブし、5、6軒の建物が並ぶ小集落に出る。 その一つの質素なレストランで食べたタイ風味のココナツの利いた肉料理の味を 「 コックは絶対に白人ではない筈だ 」 と主張し、カホルは絶賛していた。 ここではワインも飲ませてくれた。 B&Bで出された翌朝の朝食の質も秀逸だった。

翌日泊った、その4に書いた、 マカダミア・ナッツの林とさまざまな果樹や花に囲まれた B&Bでは、 経営者は本土から渡ってきたFRIENDLYという言葉そのものの白人夫婦で、 7人の子供のうち年長者はみな本土で職に就いているという。 残った年下の3人の子供たちを見ていると、絵を描くか、 スケボーに興じるかくらいしか遊びもなく、 そばに友人の家もないのだから、上の子たちが本土から帰ってこないのも無理からぬ話だ。

朝食は手製風のソーセージに自家製の絞りたてのジュースと手焼きのホットケーキだったが、 こういうものなら米国人の作ったものでもおいしく味わえる。 朝食の間中、 饒舌な夫婦が交替でおしゃべりしまくるので、応答しながら食べ終わるのに30分もかかった。 ここには時々若い日本人も泊るようで、渡されて書いた落書きボードには日本語も幾つかあった。

その次の日は、西海岸の海抜300mくらいの斜面に建つ、 いかにも金持の白人老夫婦用という感じの、日本の若い女性客なら 「 キャー 」 と叫んで狂喜しそうな瀟洒な B&Bに泊った。 家具調度も申し分ない。

熱帯の花々の咲き乱れる庭のプール越しに眼下に広がる美しい海岸線と真っ青な海、 水平線に沈む赤い夕日・・・。 ここにも日本人はあまり来ないらしい。 客は老若の白人夫婦ばかりで、庭の安楽椅子にもたれて何時間も静かに景色を眺めたり 読書したりしている。 「 休暇とかストレス解消というのはこういうことなのね 」 とカホルが言う。 彼らに話し掛けることすら躊躇されるような、 これも日本人の団体観光客には全くそぐわなそうな静寂の世界だが、 一旦知り合うと、彼らはいろいろと面白い話を聞かせてくれる人たちだった。 その内の一人によると、オアフ島には文明があり、マウイ島には文化があるが、 このハワイ島にはどちらもないのだそうだ。

しかし文化があろうとなかろうと 「 この地域では泥棒を予想していない 」 ということが驚異的だ。 このB&Bでは玄関の鍵も含め、客室のドア以外のすべての鍵をかけないまま、 管理人は午後5時に帰ってしまい、翌日の朝6時まで、客だけしかいない。 広いロビー、 食堂・キッチン、二つの立派な共同使用の居間などからは、 その気になれば外から入ってなんでも盗めるのに。

その7. 人種格差の世界

この界隈の斜面には、白人たちが住む、千坪以上もの敷地に建つ豪華な屋敷が点在している。 海岸からたった数百m上がっただけで、このあたりは夏も涼しいのだそうだ。 S子さんの紹介でその一つの内部を見せてもらった。 1軒$百万単位だそうだが、 ハワイ人たちの住む地域の、小さくみすぼらしい家々と比べると、 改めて階級社会米国の貧富の差の大きさ、とくに人種間貧富格差の大きさを感じる。

私たちが5年前まで住んでいた米国本土の 「 南部 」 とよく似ている。 どちらでも白人が豊かで贅沢で、上に立って社会を支配している。 南部では黒人たちが、下層階級であるが、 ここではハワイ人やアジア人たちがそれだ。 時給$8前後では、物価が日本並みに高いハワイでは、 本業の他にもう一つ掛け持ちで働く TWO JOB でないと暮らせないという。 日系人は白人と彼らとの中間に広く分布しているらしい。

あとがき

最後の日に大枚 $300 X 2を奮発して2時間の島内一周のヘリコプターツアーに参加した。 カホルが30年来 「 一度見たい ! 」 と渇望していたキラウェアの真っ赤な熔岩流は、 時期的に火山活動が停滞期だったので、僅かしか見られなかったが、北部の秘境ワイピオ渓谷を、 空から間近に見下ろす息をのむような景観には感動した。 この地域が観光資本により開発されない事を祈るばかりだ。

ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。