フリーマンの随想

その17. 統一地方選挙雑感


*言葉の内容を深く考えずに物を言う人たち*

(4. 30. 1999)


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* 地方選挙の運動期間中、いろいろと考えさせられることが多かった。 選挙も終わったので、こういう随想を書いても良かろうと、筆を執った。 先ず、候補者の言っている言葉が何とも抽象的で曖昧である事について、 おそらくご当人も、そして多分、聞かされている有権者の多くも、 何も不思議に思っていないように見えるのが問題だと思った。

* 例えば 「子供たちに幸せな未来を」 とか 「心豊かな福祉社会の振興」 とか 「あかるく健康で暮らせる都市を」 とか、 もうならべたらキリがないほどのこの上なく抽象的な美辞麗句 を、一人一人の候補者が知恵を絞って ? 言いたてている。これに惑わされて投票するなら、 する方も悪いと私は考える。

* 例えば「子供たちの幸せな未来」とは一体どういう状況を指すのか、 人それぞれに多様な異なる意見が有るはずだが、 彼は一体、子供たちに「何」を「どう」してやりたいのかが見えない。 もし彼に確固たる見識や独自の構想が有るのなら、 時間を惜しまずそれを「具体的に」皆に説いて欲しいと思う。

* 現在はその点が親にも教師にも子供にもあまり良く分かっていないから、問題なのだと私は思う。 例えば、「独りで苦心して考え抜く」「冷静に議論する」「人に教えてあげ、人から教えられる」 「熱中してやり遂げる」「弱者を助け、世の中に奉仕する」「我慢して頑張りとおす」 などということを幼いうちから身につけさせれば、 その子供たちはどの道に進んでも 「幸せな未来」 を持てるだろうと私は思うのだが、 私と違う考えでも良いから具体的な提言をして欲しい。

* そういう風に、子供たちの本当の幸せとは「何」なのか、「どういう状況」 を指すのか、それを 「どういう方法で」「誰が」「いつまでに」「どの分野で」「どの位まで」 実現したいのかについて、自分の見識と真情を具体的に語って欲しい。 そうすれば多数の市民を巻き込んだ真摯な議論が巻き起こり、共通の具体的なイメージが生まれ、 実現にむけての具体策が見えてくると思うのだ。

* 選挙の公約には具体性が求められると言っても「どこのドブ板を張り替えさせます」 なんていうのでは、いくら具体的でも卑近すぎて話にならない。そうかといって、 理想追求ばかりやると、抽象的で現実性がなくなりやすい。しかし、 理想追求性と具体性・現実性は、決して相反するものではなく、両立できると私は考える。

* そう思いながら、一人一人の政策、所信・公約を調べて行くと、 どれもこれも大同小異の抽象的な美辞麗句の羅列ばかりの中に、ごく少数だが 「公害のない企業の誘致」 「安全に短時間で往来できる小田原幹線道路の整備」 など、 だいぶ具体的なことを言っている人もいる。この程度なら公約として卑近すぎることもない。 更に探して行くと、有りました ! すこぶる具体的でかつ理想追求性のある公約が・・・。 それは 「市会議員の数を6人減らす。 そうすると4年間で1.85億円の税金が節減できる。これでも議会の機能は低下しない (県内の市・町の多くが、すでにこのレベルまで定員を減らしている)。 その金を別枠にしてこれこれに使う・・・」 と言う趣旨のものだ。

* 候補者の公約と言うのは、是非この程度に具体性と理想追求性を併せ持って欲しい。 この候補者が本当にこの削減をやってくれるなら、 それだけでこの人を議員にして、高い歳費を与える価値が有る。 (Kで始まる二つの既存政党の議員たちは、この提言について不熱心どころか、 今の24名を、法定数いっぱいの30名に増やせと言っているという話を聞いた。 本当なら呆れた話だ)。

* この公約なら、彼がそれを果たしたかどうかは、誰にでも4年後に判定できる (だからこれは勇気の要る公約だ)。「子供たちに幸せな未来を」では、 実現できたかどうかは、誰にも判定できない。 そこがこの候補者の「付け目」なのかもしれないが・・・。 だから、こういう抽象的な美辞麗句ばかりをならべる候補者には、 今後は投票しない賢こさを皆さん持とうではありませんか。

* 朝から晩までひっきりなしに宣伝カーから連日抽象的な叫びが聞こえていた。
「皆様のためにがんばります」・・・「何のために」「どう」がんばるのかを具体的に言ってくれ。 変なことをがんばられたら困るんだ。
「皆様の生の声を行政に反映します」・・・生の声をそのまま反映するだけなら誰でも出来る。 いや、生の声を反映されたら困る。取捨選択し自分の創意も加え、 高度に加工して反映するのが議員の仕事だ。 時には市民の身勝手な声をたしなめるくらいの見識も無くては。
要するに、彼らには言葉の意味・内容を深く考えずに物を言う癖がついていて、 周囲も、何となく耳触りが良いので、それを漠然と許しているのだとしか思えない。

* 一見具体的な政策に見え、良さそうなのが 「65歳からの老人医療費補助削減反対」 という公約である。某政党の候補たちが連日これを盛んに叫んでいたが、 この種の 「バラマキ福祉」 継続という甘い言葉で老選挙民たちの歓心を買おうというのなら、 けしからん話だと思う。

* 65歳以上の老人すべてに医療費を補助するなんて事は、 たしかあの「バラマキ福祉の先覚者」美濃部東京都知事の始めた施策だったかと記憶するが、 財政赤字に苦しみながら、65歳になったら金持にでも金を補助しますなどと言うのは、 とんでもない話で、本当に貧しい人にだけ(年齢に関係なく)差し上げれば良いことだと思う (ある識者に聞いたら「本当に貧しい老人」かどうかの公正な判定があまりに難しいので、 面倒だから全員に与えているのだと言う)。

* かく申す66歳の私は、何を隠そう、 美濃部式バラマキ福祉に追随した本県で唯一の市という名誉に輝く(かどうかは不明) この市から、昨年来、老人医療費の補助を頂いているが、 出来ることならこれを辞退したいとさえ思っている。 私の娘は、幼児2名を抱えて共働きで、けなげに働いているが、 幼児はしょっちゅう病気に罹るので、医療費もとても大変らしい。 こういう若い働く人たちの払った税金も含まれている医療補助を貰う道義的資格を、 私の周囲にいる65−69歳の人の半数以上は持っていないと、私は確信している。 彼女の家計に私への医療費補助を移せるものなら是非そうしたいと思うほどだ。

* 選挙運動期間中に、二人の婦人がこの問題で妻を訪ねてきた。 あいにく妻は不在で私が対応したが、妻はそれ以前に街頭で 「65歳からの老人医療費補助削減反対」の署名を勧誘され 「つい署名してしまった」 が 「良く考えたらこの反対運動には賛成できない」 と言ったらしく、 それを覚えていて再度説得に来たらしい。いや、もしかすると、 署名簿の住所氏名を選挙運動に流用して、戸別訪問していたのかも知れない。 もしそうならそういう利用は道義に反しないか ?

* 「妻も私も全く同じ考えで、こういうバラマキ福祉で市の財政を苦しくすることには反対です。 私でも、妻でも、いつでもどこにでも出かけていって、あなたたちと喜んで議論をしますから、 呼んでください」と言ったら「それはご意見として受け止めます」 と答えたきり、その後何も言ってこない。あの二人は特定政党の運動員だったのだろうか。 それとも善意のボランティア協力者だったのだろうか。いずれにしても気になる。

* 大体、この種の一見「正しく善さそうなこと」を推進しようという署名運動は、 違う意見を持っていても、よほどの信念と勇気がないと、断りにくいものだ。 無記名秘密投票なら半数も賛成しないような話でも、街頭で呼びとめられたり、 知人を伴って玄関先に訪問されたりしたら、 断れずにしぶしぶ署名する人が多く居るのではないだろうか。 だから「市民何千人の署名を集めました」なんて言われても、市長や議会は驚いてはいけない。 「それはご意見として受け止めます」 くらいに考えておけばよい。

* それより、この問題に限らず、 本当にこの「福祉施策」を止めないと市の財政が崩壊すると言うような事態が持ち上がったら、 市長は市民の前に出て、何度でも誠心誠意語りかけ 「財政再建のために皆さん、これとこれは、 こういう理由で、申し訳ないが当分我慢してください !」 と説得する勇気を持って欲しい。 それで次の選挙に落ちるなんてことは多分ない。 むしろ、賢こい大多数の市民はその勇気に感心して支持すると思う。 本当は今、 総理が国民全体に向って、それをすべき時期なのだが、 日本ではなかなか、そういう姿勢にお目にかかれそうも無いのが残念だ。

* ともあれ 「65歳からの老人医療費補助削減反対」 を連日叫んでいた政党は、 3名候補者を立てたが、2名が下位でやっと当選したにとどまり、 やはり市民は賢こかったと、私は一安心した。 市会議員定数削減論者は当選した。成果に期待したい。

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