縮刷版2000年10月下旬号


【10月31日】 瀬名秀明さんの新刊「八月の博物館」(角川書店、1600円)の冒頭だけをツラツラと読む。印象としてまさしく「理科系作家」だった瀬名さんに対して理由もなしに抱いていた設定と文章のバランスへの先入観が、導入部から軽く吹き飛ばされてしまうくらいに巧みな筆さばきで、盗掘と戦う男の姿や、「理科系作家」として「文系を甘く見るな」と言われて反発しつつ納得しつつ複雑な感情を抱きつつなミステリー作家の日常を描写している。「物語は、ここから始まる」と締められた1章の引き、そして自分とそれほど違わない瀬名さんが過ごして来ただろう、自分とも記憶が重なる少年時代の懐かしさに引き込まれ、よほど自省しないと次へ次へとページをめくらされてしまう。

 ストーリーへの先入観もまだなく、設定すらもほとんど分からない書き下ろし小説が連れていってくれる先に待っているだろう楽しさが、冒頭の数10ページを読んだだけでもジワジワと染み出して来るような気がして、今は忙しいけれどちょっぴり手すきになる(宿題を片づければだけどね)週末の連休あたりに、確実に時間を持って行かれそーな気がしてそれはそれで今から楽しみ。万博あたりの記述があって、そーいえば市川市だかにある博物館だか資料館だかで万博の展示をやっていたのは何時までだったっけ、なんてことも考えてにわかにゲージュツの秋の博物館詣でに興味が喚起されている。けどとりあえずは読書の秋。絶対に裏切られる筈のない本の旅へと、いざ参らん。

 それにしても綺麗な装画に凝った装丁だと、「八月の博物館」とゆー題字の部分の色具合とかタイトルを囲んだ金色のインクの立体感なんかを手で触りながら思ったけれど、装丁家じゃなくって角川書店装丁室なんて新潮社にある奴と間違えそーなセクションが手がけた装丁だから費用はあるいは安く済んだのかもしれないけれど、分厚さ豪華さの割には値段が1600円とお値打ちになっている辺りに、やっぱり相当に贅沢な本なんだろーかと考えてみる。が、そこは過去2作がともに超ペストセラーになった瀬名さんのこと、出版社側のかける期待もはじいた算盤も相当な物になっているだろーから、初版の部数でコスト分を埋めて十分に利益が出るんだろー。でないと中間決算で利益が9割減ってしまってコスト削減に勤しみつつある角川で、かくも豪華な仕立ての本は出せなかっただろーと思うから。

 なぜそー思うかと言えば本日、角川書店の中間決算説明会なってものがあって、1番目に偉い歴彦社長も登壇しては大幅に上がっている原価率を下げて営業段階から利益が出るよーな体制に転換しなければならない、そのためには制作にかかるコストを見直し部数なんかも市場性を反映したものにして極力無駄を省くんだってことを訴えていて、それが実現した暁には、仮に部数が思ったよりも少なかったのなら、色も仕上げも上等過ぎるくらいに上等な「八月の博物館」の表紙装丁あたりにも、影響が出て来そーだったから。だったらいっそペーパーバックにすればコストだって安くなるんだろーけれど、それだと安価過ぎて今度は売上にも影響が出て来るだろーから、見栄えを維持しつつも原価率が下がるよーな技をこれからは要求されることになるのかもしれない。さてどーなるか、角川の本は。

 原価率の改善ではあと情報誌系で何枚も取る版下を減らして製版代を節約したり、外注しているテキストデータへの文章の変換ってゆーか手書き原稿のパソコンなんかへの入力を、社内でやるよーにして外注費を減らすとかいった改善案も出てたっけ。そこにクオリティに妥協を許さない管理職がいて、良い物作るんだったら金をかけても構わない的スタンスで来たら、はなっから成功は望めないんだけど、固有名詞の間違いくらいまでだったら、つまりはそれ以外は基本的に直しを許さない体制の中で、プライドが高くてのびのびと仕事をしていた編集の人たちが、果たして意気消沈しないかってな心配もあって、角川再生への道を頭から是認して良いものなのか悩む。

 さすがに取材費とか交際費とかが使えなくなって、記事を取って来たくても足がなければ手もいない、なんて事態にはしないだろーとは思うけど、果たしてどこまでの「大鉈」を震ったり逆に慰撫して立ち直りを図ろうとするんだろーか。社内のトイレットペーパーは1人1日30センチまで、水は500CCまでしかタダで飲んではいけません、なんて事は流石にやりそーもないけれど、自らを「周恩来タイプじゃなく毛沢東タイプだった」と言い変えるえるくらいに革命的英断を行う気構えの歴彦社長、本の表紙の質の変化なんかも含めつつ、業界全体が一気に活性化するくらいの大法螺が噴かれるのかを関心を持って見て行きたい。


【10月30日】 ある日とつぜん天空より舞い降りて来た絶世の美女にして偉い巫女さまが「わたしをあなたの奥さんにして下さい」と言って居候ではないけれど通い妻を始めてしまって「ヒャッホウ!」なところに来て、今度は絶世の美女ならぬ美少女でもない美童女が登場してはやっぱり将来の妻の座をにらんで甲斐甲斐しく身の回りの世話を焼いてくれるなんて話が好きかと聞かれれば「好きじゃない、大好きだ」と答えるのが、男としては当然にして必然だろう。加えて男の子には人に言えない秘密があったのですそれは……ってな展開は、ともすれば願望充足小説にありがちな赤面をもよおす恥ずかしさが漂うものだけど、幸いにして岩佐まもるさんの新刊「ブルースター・ロマンス」(角川スニーカー文庫、590円)は、そんな話なのにそんならしさがなくって、男たち女たちのひたむきさ、健気さが滲んできて心をホコホコにしてくれる。

 1人の少年を挟んでの3角関係だった話がやがて1000年なんて遠大な時間を経て1人の女性を挟んで2人の男性が対峙する3角関係に移るあたりの転び具合が何とも圧倒的だけど、エピローグっぽい話だからなのか少年の人に言えない秘密がそれほど炸裂することもなく、1000年も暖め続けて燃え上がってる恋心の失いかけている行き場が向かう先に起こる激しいバトルの予感なんかをさせながらとりあえずの幕を閉じているあたりに、今後の展開での物語的な進歩と世界観的な深化が予想されて楽しみと言えば楽しみ。もちろん美女が美少女で美童女な中での楽しくも気鬱な暮らしぶりへの嫉妬羨望憧憬その他の感情もあるし、見目麗しくグラマラスなイラストをもっと見たいってな気も加わって、次巻への期待がパンパンに膨らんでいる。「翔竜伝説」の方ももちろん期待はたっぷりなんだけど果たしてどっちが先になるんだろう。いずれにしても期待してます待ってます。

 どうりで強いと思ったよ。原付の上から蹴り跳ばし原付ごと宙に舞いバンにぶら下がり屋根によじ登ったそのアクションにタダ物じゃなさは感じていたけど、タダ物じゃないどころじゃないバケ物ばかりがずらりそろった「神楽総合警備」に入社しようってんだから、たとえファミレスの店員であっても日々の鍛錬は怠らず、それより以前に持って生まれた格闘と運動の能力でもって平気でこれらのアクションをこなしているんだとばかり思っていたけど、なあんだやっぱり柊巳晴さんはミハル・ヒイラギだったんだ。それにしてはな第6巻の折り返し部分のヌードイラスト、同じ巻に所収の成沢のシャワーシーンともども鍛錬している人種にしては腹筋上腕二頭筋大腿金に三角筋僧坊筋の発達が並の女性なみのよーな気がするなあ。

 「ヤングキングアワーズ」12月号ですべての謎が明らかになってみると、どーしてDVDの2期シリーズに巳晴くんが出ていないのかがよく分かった「ジオブリーダーズ」。将来において出てくるかとゆーと元の鞘に収まってしまった以上はちょっと難しいだろうし、この程度の鞘だとすると”ファントムキャット”と素手で対マン張れる栄ちゃんに武器なら何でもござれの流れ星、地球を守るナイフ美少女高見ちゃんにハンドルさえあれば道路上では無敵の夕そして年齢不詳なしゃちょーといった、おそらくは迷彩くんもヴァッシュもクリムゾンネイルもヘルシングでさえもかなわないだろー美女軍団とは格が違う。

 あるいは「ジオブリーダーズ」の女性キャラが悔しいけれど宿命として背負う「田波萌え」に感染してサブキャラくらいにはなれても、当面は”まや”の尻尾の先にすら及ばない見習いキャラとしての修行と研鑽が必要だろー。それでもパンツ要員として必要だと言うなら却下はしない。のでパラシュートパンツなんて野暮な服装はさっさと脱がして、「アキーズ」の衣装に再び身を包んだ巳晴くんを伊藤先生どうか再び見せてやって下さいな。御礼は熱田名物「きよめ餅」か豊橋名産「ヤマサのちくわ」でどうでしょう。むかしもいまもかわらぬうまさ。

 「モーニング娘。」版の「ドンジャラ」を買う、仕事なんで(どーゆー仕事だ)。バージョン的には5人オリジナルでも3人プラスでも福田明日香抜け7人でもゴマキプラスの8人でも石黒抜け7人でも吉澤石川辻加護の4人参入の11人でもなく市井抜け後の10人による現行バージョン。その10人がのび太ドラえもんジャイアンしずかちゃんスネ夫ドラミらが描かれた定番「ドンジャラ」のよーに、牌に写真で張り付けられていて、同じ顔を3枚づつ揃えてそれを3組集めて「ドンジャラ!」と言って上がるのが一応のルールらしい。まあ普通だね。

 問題は、とゆーか問題じゃなく当然の如くにメンバーによって点数に違いがあって、キャリアによって10点5点1点と格差が付けられていて当然ながら中澤裕子は10点と高い。飯田圭織に安倍なつみが10点なら歳の功で中澤は15点でいいのかもしれないけれど、そこは乙女心に配慮して一応ちゃんと並べてます。不思議なのは保田圭と矢口真里に並んで後藤真希が5点なとこだけど、ほら彼女一応は”元”トップなんでプラスアルファもやむなしってところでしょう。役で言うなら「プッチモニ」とか「タンポポ」とかってのもあってボーナス特点が付くんだけど、企画された時点では判明していなかったのかデビューしていないから正式とは認められなかったのが、矢口に辻に加護のミニ系3人が組んだユニット「ミニモニ」のボーナス特点が明記されていなかったのはちょっと問題。「プッチモニ」が80点で4人から3組選べる関係なのか差がつけられた「タンポポ」の50点と比べるなら、「ミニモニ」は何点が相応しいんだろー。若さで高得点か背丈で低得点か。個人的には100点あげたって良いと思ってるんだけど、ほらやっぱロリだしさ。


【10月29日】 書き下ろしアンソロジーなんかでも10本あれば1本くらいは作家の日常を綴ったよーなエッセイ風の小説、なのかフィクション風エッセイが交じったりするもので、それが締め切りまで考えに考え抜いた挙げ句の手抜きなのか、いっちょやったるかってな覚悟と能力を注ぎ込んでのメタフィクションなのかは判断に迷うところだし、書いた本人のみぞ知るといったところだけど、例の祥伝社の400円文庫でも一挙書き下ろしが沢山あったなかにやっぱり交じっていた身辺雑記風小説が1本。とはいえ「私、加門七海が」といった明らかに自分だと分かる記述はないし実在の作家が登場して内輪受けやらなれ合いやらを繰り返している訳でもないから、エッセイ風に見せかけた小説だと思うのが正しいのかもしれない。

 どっちにしたって読んで面白ければ良い訳で、その点で言うなら加門さんの「大江山幻鬼行」(祥伝社文庫、381円)は酒呑童子で有名な大江山にまつわる鬼と人間との関わりをいろいろと教えてくれるとゆー点で、読んで勉強にはなる。あと大江山にまつわる物事が次々を身辺い迫ってくるシンクロニシティーとも因縁とも言えない状況に直面する辺りの、いかにもオカルト作家らしい日常なんかも読んで「大変だねえオカルト系の人は」ってな感じに楽しめる。もっともラストあたりに出てくる巨大な揚羽蝶をめぐるエピソードとか、一連の大江山行きを含めた話を書いたのがこの本です的な結末とか、さらに言うなら1番ラストに「この作品はフィクションであり」と載せてしまうあたりの開き直りぶりが、人によっては疳に触るかもしれない。そんな人でも400円で1時間、勉強がてらに神秘の世界を見せてくれる本として楽しめば良いだけのことで、目くじらを立てずに1食、牛丼を抜いたと思って手にとって開いてみて下さい、どうです腹立ったでしょ(立ったのかい)。

 うりゃうりゃと神保町の古本まつり、へ行ったけど雨でワゴンはすべて撤退済みで人も全然歩いてなくって寂しい限り。てらてらと見ているうちに何か珍しい本面白そうな本が見つかるってな感じの、リアルな世界のマテリアルな強さでもって古本市は存在意義があるんだけど、こーゆー事態は逆にマテリアルな弱さをクローズアップさせてしまって、検索して見つかったら注文すればと読ってなバーチャルの古書市(オークションも含めて)の良さなんかを思い浮かべてしまう。まあどっちもどっちなんでしょーが。仕方がないんであっちの書店こっちの書店を冷やかしつつ、別に誰とも会わずボンディでカレーも食べずにすずらん通りを行ったり来たり。コミック高岡で「ダンスインザウインド 翔竜伝説」(角川書店、560円)の岩佐まもるさんの新刊「ブルースター・ロマンス」(角川スニーカー文庫、590円)なんかを買いつつ午後4時から始まる村山由佳さんのサイン会を待つ。

 30分前に会場に入って並びながらさてはて村山さんのファンってどんな人が多いんだろう、やっぱり真面目そうな女性が多いのかなあ、なんて思っていたら意外にも真面目は当たっているけど男子が結構な数やって来てはどんどんと行列の後ろに付いていって、ジャンプノベルズあたりのファンなのか村山さんの”お姉さん”的だったり”先生”的だったりする思慕の念を感じて慕う男子が多いのか、なんてことを考えてみる。雑駁に言うなら村山さんの作品に含まれているハートに響いてくるよーな優しさと情愛に溢れたメッセージは、どちらかといえば理性的論理的な女性に比べると情念的観念的な男子に強く働きかけるのかもしれない。もちろん行列には女性も大勢いたから、むしろ人間の普遍の「ラブ&ピース」な雰囲気が、同性異性を問わず強いメッセージとなって惹き付けている可能性の方が高いんだけど。

 さてサイン会、実は何年か前に浦安で開かれたサイン会に行ったことがあって直接サインを頂くのはこれが2度目で、それとは別に読売新聞社が開設していたネットを使った「マルチ書評」の企画で書評委員になっていた村山さんをネットを介して名前だけは伝わっていて、それでももう3年くらい経ってしまっていたから覚えてないだろーなー、と思ってため書き用に自分の名前を書いた紙を差し出したら、ちゃんと覚えていてくれて驚いてくれて、逆にこっちが驚いてしまった。「古書市に来たんですか」と言われてしまって「いえいえこの為に来たんです」と言って果たして信じてもらえたか。信じない人の方が多いだろーけどこれでも口では皮肉屋で心臓も剛毛がびっしりなよーで、その奥には自然を愛する純粋な心が秘められていて、愛と平和を語りかけて来る村山さんの作品に強く惹かれているのです。ホントです。ホントだってば。

 例えばサインを頂いた最新刊の「いのちのうた」(村山由佳、イラスト・はまのゆか、集英社、1800円)は真面目に読んで涙が浮かんで来ましたそれはもうジワジワと。群からはぐれたクジラの母子が人間の汚した海に紛れ込んで大変とゆーか哀しいことになってしまう物語なんだけど、やっぱりなラストが訪れた時には正直心が痛みました、人間として。自分たちを普段は襲うシャチにばったりとあって子供を庇って犠牲になろうとするお母さんクジラの愛情もさることながら、そのシャチの置かれていた状況にも、怒りと哀しさを覚えました。説教臭いと反発を覚える反抗期な人もいるだろーけれど、そーいった心の鎧すら突き破って伝わって来るくらいにシンプルでストレートなメッセージに満ちた1冊。村山さんん本人による朗読のCDもついて、聞けばなおさらメッセージが響いてくるだろー。とりあえずしばらく尾の身はやめだ。

 夜は渋谷に回って「東京ファンタスティック映画祭」。7月15日に開かれた「インディーズ・ムービー・フェスティバル・サミット2000」で見てその迫力、そのスピード感に仰天して「地球最高!」と吠えた北村龍平監督の「VERSUS」が、過去に何人もの世界的監督を発掘しては世界へと送り出して来た「東京ファンタ」に登場とあって、いったいどれほどの熱狂で迎えられるかを確認に行く。もちろん目の肥えた人たちによってブーイングの嵐に沈む可能性だってない訳じゃないけど、到着して並んだ行列がどんどんどんどんと長っていく様を見るにつけ、少なくとも前評判の高さだけは確実に持っている作品だってことが分かる。

 それでも映画なんて見なれていない当方の目ではまだまだ不足と心配していたら、登場した「東京ファンタ」のプロデューサーの人が司会も挨拶も抜きにいきなり「北村龍平を世界に」ってなことを言い出して、それから我に返ったよーにスタッフを招き入れて挨拶を一巡させた後、再びマイクを手に滔々と「VERSUS」の凄さを語り始めたあたりで、本当に凄い作品なんだ、世界の映画人が注目するに足る作品なんだ、20世紀の掉尾を飾る以上に21世紀の幕開けを担う作品なんだってことが肌身にじわじわと感じられるよーになって来る。そして上映。ノンストップで続くガンアクションに殺陣に肉弾戦に場内の目はもう釘付け。挟み込まれる刑事のFBIがファイターがトップブリーダーがマイク・トゥワイソンなマトリックスのギャグは場内の笑いをしっかり誘い、フッと抜かれた息を再び三度のアクションがギュッと詰めてくれる。

 そしてラスト。燃え上がるタイトルに放たれる満場の喝采と口笛は、「VERSUS」が紛うことなき「地球最高!」の作品だったってことを裏付けていた。出口でインタビューを受けていた人がカメラに向かって「今年50本くらい映画を見ているけど1番です」と言っていたのが聞こえて来たけど、これから50本見たとしてもやっぱり「1番」である可能性は高いかも。「石井聰亙はファンタで世界的に評価されたのに、その後なかなか撮れない時期が続いて、ようやくGOJOのようなメジャーを撮れるようになったんです。そんな苦労を北村龍平にはさせたくない」と「ファンタ」のプロデューサーの人が言っていたけれど、なあに心配ご無用、あの作品を見た人が決してそうなことはさせない。たとえお堅い日本が放っておいてもハリウッドが放っておきません。ってなことを入り口に並んでいた監督ほかキャストの皆さんに言う時間はなかったけど、集まった1000人近い人がそれぞれい同じ思いを持って語り始めるだろーから、遠からず世界がその手を差し伸べてくるだろー。扉は大きく開かれた。


【10月28日】 「フリキリ」第4巻の「フリクリ」は、じゃなかった逆だ「フリクリ」第4巻の「フリキリ」はホントゆーと文庫版の第2巻の方でストーリーだいたい読んじゃってたんでハル子さんのことも広域宇宙なんとかってこともストーリーもクライマックスも頭に入っちゃてたんだけど、それだけに割とリニアな小説が切り刻まれて間に象徴的なカットも挟まれた映像となって出て来ると、なるほど映画って本当に良いものですねえ、ってな感慨にあらためて囚われる。別に映画じゃないけど。

 分かってはいてもテンポの良すぎる展開に時として取り残されることもあって、ナンバダ・カモンが何時からあーなってたのか1度じゃ分からず2度、3度と見返すうちにおよよ尻尾がついてるぜ、電気アンマってのは別にものの例えじゃなかったんだな、電気代稼がなきゃいけないって意味ってこれだったのか、ってなことがじくじくと分かって来て、アニメならではの人の手仕事によって計算しつくされたカットの集大成とゆー映像の凄みを、ことほど強く感じさせてくれる。おおよその大きな物語が明らかになった、よーに見えて実のところはやっぱり全然わからない世界の中で、今後いったいどーゆー方向に転んでいくのか、例えばナオ太の性の目覚めと成長なのか宇宙を巻き込む大戦争なのか、そんなこんなな展開によってSFだ青春だ音楽がスポーツだってな作品としての位置づけも見えて来そー。ますます訳わかなそーだけど次巻の発売がああ待ち遠しい。ニナモリ出なくちゃっちゃったけど浜乙女orニコニコのりor白子のりor山本屋総本舗な味付海苔野郎に口アングリなキツルバミちゃんがかーいーから許す、もっといっぱい出して。

 次がなかなか出ないのが特徴とゆーか伝統とゆーか癖になってる感のある「日本ファンタジーノベル大賞」受賞者だけど、受賞作だった「オルガニスト」(新潮社、1600円)からほとんと2年近い時を隔てて山之口洋さんの新刊がよーやく登場、といっても”親元”の新潮社じゃなく祥伝社の文庫書き下ろしってあたりがなるほど特徴伝統癖の存在を感じさせる。あるいは文芸な出版社として分厚くハードな作品を欲してるところで作家との折り合いがまだついていないだけなのかもしれず、間隙をぬってちょっと手軽な1本を先に出して世間の気をつないでおくってな考えがあてのものかもしれず、決してファンタジーノベル大賞出身者に時折見られる矢来町からの飛翔ではないと信じたい。

 手軽といっても山之口さんの新作「0番目の男」(祥伝社文庫、400円)は値段こそ税込み400円とゆー低価格でページ数も154ページと少なくおまけに大きな活字で長編とゆーよりは中編といった赴きがあるけれど、人類の危機に優秀な人間を大量クローンすることで立ち向かおうとした実験がもたらした悲喜劇を描く設定からして重量級で、加えて時を越えてしまった人間の孤独感、遺伝子的にも同じ人間が大量にいることによって分からなくなる犯人、人間と人間とを隔てて来た拒絶反応の壁が崩れた時におこる人間の倫理観の崩壊といった、それだけで1冊まるまる行けてしまいそーなテーマが次から次へと繰り出されて、短い時間の間にあれやこれやと考えさせられてしまう。

 贅沢を言えばそれぞれが重すぎるテーマ、面白すぎるテーマがもったいないくらい沢山使われ過ぎていて、同じ人間が1000人もいる街があったとして例えば西澤保彦さんならどんなSF設定のミステリーを仕立て上げるんだろーか、クローンの問題についてソウヤーとかだったらどんな科学と倫理の相剋を描いて見せてくれるんだろーかとゆー思いが頭をよぎったけれど、おそらくは書いている山之口さんもアイディアを惜しみなく出し過ぎていることを自覚していて、それでも短い中に数々のアイディアを叩き込むことで読み手の興味を惹く方を選んだのだとしたら、それはそれで英断だろーし、結果としてアイディアの数々を披露するショーケースとしても機能しているよーな気がする。気軽な通勤通学のお供としてだけではなく、アイディアのショーケースとしての機能も果たしそーな400円文庫。逆にアイディアと物語の墓場として機能する懸念もあるけれど、前向きにとらえてとりあえず歓迎の意を示しておこー。

 あー、良く見たら「ジオブリーダーズ」(伊藤明弘、少年画報社、495円)第6巻の71ページ右下にある地図って俺ん家(実家)じゃん、いや別にゼンリンじゃないから家が1軒1軒ちゃんと描いてある訳じゃないんだけど、まんなかちょい下の左側から出ている道路の形が平針小学校の授業なんかで慣れ親しんだ熱田街道と飯田街道の交差点で、そこから荒池白土へと延びてる道の途中あたりが実家だったりするんで、「UNKOWN01」と「H−03」が新153号線でぶつかってもしも核爆弾が破裂してたら、転がり込むはずの土地家屋がすっかりもってかれるところだった。配慮していただいてありがとう御座います伊藤先生いつか御礼を差し上げます、近所の「農業センター」でとれる名古屋コーチンとか。

 本読みにとって積ん読本の冊数は自慢なのか自虐なのかを考える。考えた。それはさておき(おくんかい)「アスキーネットJ」の11月10日号で「ネット書評サイト」として紹介されてたりするんだけど、開設してから色とかは覚えてつけ加えたんだけど体裁自体はまったく変更を加えていないいー加減なトップページだったりすることに今更ながら気づいて、世の中のウェブ構築技術がずんずんと進歩しているにも関わらず、でもってそーいった業界を日々取材しているにも関わらず、かくもみすぼらしいテキストだけのトップページ(画像1枚あるけどリンク死んでたりする、けど面倒だから外してない)でいーのかと考える。考えた。いーことになったので当分はイジらないことにした。のでみすぼらしくても貧相でも、中身は字ばかりギッシリな当サイトを皆様理解度たとえ50%でそのうちの50%が「デ・ジ・キャラット」の話だったとしても、気を悪くなさらずに読み飛ばしてやって下さい。


【10月27日】 瀬名秀明さんにせめて80%くらいは分かってもらおう計画発動、って訳で買って来て見た引田天功さんのイリュージョンを収録したDVD「引田天功の華麗な世界」の話題から入ろう、っていきなりそれかい。まあ世界で最もキケンな国を束ねている訳だから世界で最もキケンな男ってことになるプルガサリな人が愛して止まない「PRINCESS TENKO」のイリュージョンを見るのは、一方の当事者にノーベル平和賞が与えられるくらいにホットな半島情勢の将来を占う上でとてつもなく重要なこと。あるいはノーベル平和賞以上の効果をあげて、世界に平穏と安寧をもたらす女神として、歴史の上に長くその名を止められる可能性だってあるかもしれないから、たとえ初代がテレビ番組て指をパチパチやって催眠術をかけていた場面しか記憶にない人でも、「PRINCESS TENKO? WHO?」なんてことは言わずに有り難くそのハイレグからにょっきり覗いた美脚を、じゃない華麗にして絢爛なマジックの数々を堪能すべきであります。いやいい脚だねえ。

 いきなり分からない度が9割に達してしまった感もあるから態度を改め「でじこ」の話でも……したら分からない度が9割2分まで上がってしまったよ。でも仕方がないだって面白いんだもんサマースペシャルを収録したDVDの「デ・ジ・キャラットVol.3」を見たらやっぱり面白かったんだもんこれは触れずにいられないんだもん。本編については夏の放映時に話したよーな気もするから置くとして、今回は収録された映像特典もまたグッド、実は1度も行ったことがない(デ・ジ・キャラットいる所に我が姿あり、ってのはだからデマです)「デ・ジ・キャラットコンサート」の模様が収録されていて、始まった真田アサミさんに沢城みゆき様に氷上恭子さんの3人娘が両脇に「でじこ」と「ラ・ビ・アン・ローズ」の巨大着ぐるみを従えて(「ぷちこ」は未完成だったのか出てなかった、出来は1番良いのに)て踊りながら「Party Night」を唄う姿に、顔から火が出る恥ずかしさを覚えつつも心から炎が吹き出る「萌え」を感じて自分のダメさ加減にほとほと呆れてしまいました、反省なんてカケラもしてないんだけど。

 見るとそれなりなキャパのある六本木の「ヴェルファーレ」にブキミみたいな男たちがギッシリ集まっておしくらまんじゅうしてたりして、その熱気ぶりがすでに肌寒くなって来たこの季節にもまるで残り火のよーに伝わって来て手から汗が染み出て来た。あと10歳若ければ僕もあの中の1人として頭に「でじこ」帽子、手に「でじこ」手袋、脚に「でじこ」足で尻尾もつけて肩に「ぷちこ」を乗せて「ほっけみりん」を抱えて立って叫んでたに違いない「でーじこちゃーーーん」とかって感じに。幸いにしてすでに良い歳だったんで、せいぜいが某「SPA!」で「でじこ」帽子に「でじこ」手袋をつけた姿を小さい小さい写真で披露するだけで踏みとどまれたんだけど。桜井弘明監督小島正幸監督佐藤竜雄監督大地丙太郎監督の「4大監督インタビュー」はまんべんなく伺う感じで濃さにはいささか欠けるけど、大地監督が「ワンダフル」版の全16話を見て「わかんねえ」と想った話が印象的、あの「できんボーイ」のギャグを魂で理解する人でも、不思議な世界があるんだろー。ってあたりで分からない度9割5分、いけないどんどんと増えてくよ。

 やっぱり猫耳娘の話ばかりをしていてはいけないと思い返して真面目に小説の話など。神野オキナさんの新作「南国戦隊シュレイオー」(朝日ソノラマ、571円)を一気呵成に読了、沖縄ひいては日本の主権を守ろーとする勢力と、沖縄を売り飛ばしてしまおーと画策する勢力との激しいバトルが続いている世界を舞台に、少年が目覚めてロボットに乗って的と戦うとゆーストリーはともすれば過去にいくらでも例のある「ビルドゥングスロマンス」として片づけられてしまいそーだけど、霊的なエネルギーを言葉によって定着させて誕生する、心のアニマ・アニムスを具現化した巨大ロボットとゆー設定に、仙術とか風水とか沖縄ならではの神秘的な力が絡んだ一大呪術合戦が繰り広げられる展開が、確かな筆力とともにぐいぐいと迫って来て、あれやこれやなロボット物のイメージなんかを感じさせない。

 とりわけ下フレームをかけた主人公の少年の悲惨で残酷な暮らしぶりから身についた達観ぶり諦観ぶりはアダルトチルドレン的シビアさで読む人をしばし愕然とさせる。こーゆー主人公をして果たして戦う意味、戦う意義を見つけさせてあげられるのか、否応無しに迫って来るだろー敵の攻撃の中でコワれていくのか、一段とたくましくなっていくのかを次巻以降があったとしたら確かめていかなくてはならなそー。少年と同じロボットを操る戦闘のプロフェショナルともいえる冷静でクールな美少女が、その昔銛を持った少年が少女を助けよーと懸命に頑張るアニメを見て育ち、今も漫画家に憧れて同人誌即売会のチラシにジッと見入る、ってな設定が本筋にそれほど大きく関わっているとは現時点では思えないんだけど、主人公との精神的なつながりを強める意味では「オタク」的な趣味の共通項ほど強いものはないから、やっぱり不可欠な設定なんだろー。しかし決定打は神野さん旧名義ではお馴染みだったりする猫耳金髪娘の活躍ぶり。挨拶の言葉が「あろはおえー」なこの娘さえいれば、もはや「シュレイオー」の勝利は決まったも同然、だって世界征服だって公約してしまうのが猫耳娘の特権なんだもん。やっぱり偉大なり猫耳猫尻尾娘は。


【10月26日】 平針とゆーよりは黒石台に近いと思うんだけど「ジオブリーダーズ」(伊藤明弘、少年画報社、495円)の第6巻で化け猫が終結している倉庫がある場所は、記憶によれば運転免許試験場の裏手あたりで後背地には熊野神社があって森を越えた向こうは神の倉で、実は行ったことがないけど弟が家なんか建ててやがる(同じ歳で持ち家で家族持ち、あたしゃワンルームにゴミと同居)場所だったと思うけど、荒池から神の倉を抜けて徳重を越えて高校まで自転車で通っていた20年近い前とか、そこからさらに鳴海へと車で走って豊橋まで名鉄で出ていた15年近い前とかと比べると、この10年くらいで相当に区画整理とか開発が進んでいるよーでパッと地図みただけじゃー海保のシーホーイ3号が待機していた場所が分からなかった。故郷は遠くなりにけり。

 よみ大活躍、と言ってよさそーな「あずまんが大王」(あずまきよひこ、メディアワークス、680円)の第2巻は身長とクールさでは榊さん、頭の良さではちよちゃんに負けてて眼鏡つ娘なのにあんましキャラが立ち上がっていなかった「よみ」(智ちゃん)こと「よみちゃん」(おーさか)こと「よみさーん」(ちよちゃん)こと水原暦にダイエットに悩みニヒルでクールで大人に周囲から見られてて本人もそーした視線に合わせているよーで実は案外フツーの女の子、だったりする部分のギャップが妙に可愛らしく見えて、あれだけの強烈な個性の持ち主たちが集まる学級でもトップを争うくらいに目立って来ている。裏表紙のイラストの黒い膝上ストッキングとスカートとの切れ目に白い股が狭くのぞいた姿も悩ましげ。今んとこあんまりフィギュア化スケジュールに上がって来てないけれど、2巻の活躍ぶりに今んとこ自分内ランキングではトップです、眼鏡っ娘はやはり偉大なり。

 逆にバカ元気さで突っ走ってた智ちゃんに、体育会系脳天気バカな神楽とゆーかぶりキャラが出てきて主役の座(まあ全員が主役みたいなもんだけど)がピンチ、になるかと思ったらおーさかも入れて3バカトリオが3倍ならぬ3乗のパワーで迫って来るあたりが一筋縄ではいかないとゆーか。木村先生は要所要所でキッチリ締めてくれるあありが貴重な役柄だけど、登場した奥さんとのギャップがちょっと激しすぎて、今んところどーゆー落とし所に向かうのかがちょっと見えず不安。利発そーに見える娘があんがいと性格破綻者で、飛び級で転入して来てちよちゃんとバトルするとかどうとか。

 「うる星やつら」以来の学園コメディーの伝統なのか、あんまりキャラが増えすぎるとキャラが被ったり出てこなくなったりする人も多いんでそれはそれで問題だけど(ゆかり先生ちょっと目立って来てないし)、新しいキャラが入ることによって立つ波風も面白いから悩む所。あるいは1人のキャラを深化させる手段もあるし、シチュエーションの妙とキャラのすさまじさで成り立っている「あずまんが大王」が、今後いったいどーゆー方向で進化発展を遂げていくのか、期して月々の「電撃大王」刊行を待とう。

 OKAMAさんの漫画なんかでもよく見かける下フレームの眼鏡ってもしかしてどこかで密かに流行ってるんだろーかと考えたけど、実際にかけている人をあんまり見ないところを見るとイラストにおけるアイティムの1つとして流行っているだけの現象なのかもしてないなー、なんてことを神野オキナさんの最新刊「南国戦隊シュレイオー」(朝日ソノラマ、600円)の表紙に描かれた伊東武彦さんのイラストを見ながら思う。下フレームの眼鏡の場合、レンズを描かない関係で、目の上の眉のラインにかかる線がないため眼鏡の理知的な雰囲気を維持しつつも眼差しの強さを出せるってな効果があるんだろーかどーなんだろーか。要研究。

 買ったばかりで未読なんで物語については不明、もっとも神野オキナ名義では「闇色の戦天使 ダークネス・ウォーエンジェル」(アスキー、640円)に続いて2作目の”新鋭”でも、あれやこれやの名義ではすでに何冊も出していたりする”ベテラン”だし、ハードな内容の多かったこれまでと比べて表紙のポップな感じからするにカジュアルに楽しめそーな点でも期待が持てる。春先からの沖縄本ブームではあんまり目立たなかったけど(沖縄が舞台って話も別名義で数作しかなかったよーな)、確か角川春樹事務所からも11月に新刊が出るよーな感じだったし、いろいろあれこれありながらも年末から21世紀にかけてよーやくその巨漢ぶりを発揮して来ることになりそー。期待しちゃうよ。

 なるほどそれも1つの手に違いないブロッコリーの「デ・ジ・キャラット」による世界征服は、巨大なでじこうさだぷちこの着ぐるみを大出動させた桜井弘明監督の結婚披露パーティーでナマの迫力にめろめろになる(「狂乱葛西日記10月22日付)人とかが続出、したかどーかは分からないけど少なくとも認知度の向上は果たしただろーから、着実にその進度を強めていると言えるだろー。日記を介してその迫力を目の当たりするであろー瀬名秀明さん方面への波及も含めて、今後ますますの発展を祈念いたして乾杯の音頭とかえさせて頂きます。それにしても沢城みゆきさんは確か受験かなんかで休養に入るらしーから見られただけでも幸運なのに近寄ってあんなこととかこんなこととかを当人はやりはしないけど想像もしてないけれど当方に妄想させるのは何とゆーかやっぱりとゆーかワルモノぶりにドライブかかって来てますねえ。でもいーですそーゆーふーに言及しているうちに知らず細胞の中に「でじこ」ウィルスがパラサイトして気が付くと21世紀の哲学研究者のよーに熱く「でじこ」」を語り始めているのです。みんなハマってしまえばいいんだにょ。


【10月25日】 プレイしていないハズがないとゆー人もいるだろーけど白状すると「ときめきメモリアル」も「ときメモ2」も1度たりともプレイしたことが御座いません。それはそれで恋愛シミュレーションとかゲームを語る上であんまり好ましくないとも言えるけど、反面で世の中的には30過ぎたおっさんであっても”その筋”の人だったら「絶対にやっているハズだ」と思わせるゲームで「ときメモ」シリーズがあることは確かで、実際に20代か30代が中には40代であっても「ときメモ」にハマり涙するおじさん(一部おばさん)がいる訳で、そんな状況を踏まえて1万円から10万円から20万円であっても、「ときメモ」の為だったら出しても良いよと考える人がいるとゆー認識のもとに「ゲームファンド ときめきメモリアル」をコナミが出すのは、コンテンツ的にも極めて真っ当かつ順当だと言えるだろー。

 これが「遊戯王」だったらたとえゲームファンドを10口購入した人に超レアカードを3枚あげる、20口なら10枚だってな特典を出した途端に「子供の射幸心を煽るもの」といってPTA辺りから突っ込まれることは確実だけど、「ときメモファンド」の場合は10口だったらゲームのエンディングに名前が乗りますと言われた時に、20代の熱烈なファンだったら10万預ける気持ちで出してしまいそーな気がする、客観的に見て。もちろん開発費にあてるために一般投資家から募るお金である以上、開発が失敗したとか会社が潰れたとかゲームが思うように売れなかった場合の元本がまるまる帰ってこないリスクを承知しておく必要があるけれど、ここが「ときメモ」を選んだ2つ目のうまい点で、たとえポン酢であっても元本が償還されないくらいに売れない可能性が他の海の物とも山の幸とも知れないソフトに比べるとずっと小さい。

 設定する側もおおよそのボーダーを見込んだ償還金額を想定しているよーだし、だいいちいきなり元本割れからデフォルトなんて「ゲームファンド」を売り出したら、せっかくのスキームを潰してしまうことになる訳で、しょぱなからそこまでのカケに出るはずがない。その意味で最初は濃いめに味を設定する缶入り烏竜茶のごとく、1番目だからこそ安心できるって理屈にもつながる。加えるに20口すなわち20万円を出した場合、エンディングに名前が入るのと同時に新作「ときめきめもりある3」の限定版がもらえてしまうとゆー特典が付く。並ばなくっても予約しなくっても買わなくっても済むってことで、元本がまあまあ帰って来そうだったら預ける気分で投資してもいいかなー、なんて思う熱烈な金持ってるおっさん「ときメモラー」がいるだろーことは想像に難くない。

 さらにさらに今回のファンド、「逆ときメモ」とも言える女性向けの「ときめきメモリアル」の売上も対象に入っていて、中身が「アンジェリーク」なのかショタなのかヅカなのかは不明だけど、女性の小金持ちなOLにも投資意欲を喚起させるよーなスキームになっている。だったらこっちも希望者には配れよとか思うんだけど、その辺りはちょっと不明、まあ「ときメモ」よりも売上が読みにくいから条件にできなかったのかもしれないけれど。インターネット証券のマネックス証券だけで売り出すってあたりもネットに親和性のあるおやじ「ときメモラー」を狙ってのことかとも思うけど、一方には事務手続きの簡素化を図って投資家へのリターンを増やそうとする意図もあるからどっこいどっこい。いずれにしても11月9日からスタートする募集は最大12億円で締め切りとなるんで、関心のある人は目論見書とかパンフレットとか集めて条件なんかを調べてみると良いでしょう。デカデカと藤崎詩織&陽之下光の新旧ヒロインがあなたに手をさしのべてるパンフレットとかがあるみたいなんで、コレクション目的で資料を集めるだけのファンが多過ぎてそっちに費用がかかってしまう可能性もあるんだけど。それも含めての「ときメモ」人気ってことだと発売する側もあきらめましょー。

 ここで「ゲームファンド」の可能性について書いて来たのはあくまでも想像であって、実際のところどーなるのかはお釈迦様くらいしか分かりそーもないのが経済の世界人間の世界。注意すべきはすべての情報を入手した上で投資家個人が是か非かを判断することで、実際に会見で配ったパンフレットなんかにも「何らかの取引の勧誘、助言を意図するものではありません。また、本資料の条件はあくまでも仮定的なものであり、かかる取引に関連したリスクを全て特定・示唆するものではありません」とすべてのページに注意書きが書いてある。すべてのページってあたりが予防線の張り方として適切なんだけとここまでやらないと発売した側が後で何らかのペナルティを受ける可能性がある訳で、かくも企業は行動において責任の明確化を行っておかなくてはいけないものなのかと思い知らされる。

 ところが例えば本日突然の元社長の逮捕に至ったリキッドオーディオ・ジャパンの場合は投資の勧誘においてはおそらく証券会社がバックにあって適切な(穴のない)助言をしたんだろーし、上場させた「東証マザース」も当時の規定の範囲で役割をきっちりと果たしただろーと想像はできる。けれども頭の良すぎる世間はこーした企業が責任の範囲で(最低限)行うディスクローズ以上に、社会の風評とか気分とかを見て金鉱を掘り当てたがる性向があって、けれども風評とか気分を醸成させる時に大きな役割を果たすメディアにはどこにも「かかる取引に関連したリスクを云々」なんて言葉は入っておらず、仮に今回の一件でおそらくは大打撃を受けるだろーリキッドの株を、世間が騒いだ時期に世間の騒ぎにのせられて購入した人が、騒いだ世間に批判の矛先を向けられるんだろーかとゆー疑問が浮かぶ。

 メディアはあくまでも「媒介」であってそれを信じるも信じないも投資家の自由である、とゆーコンセンサスつまりはメディアリテラシーが確立している場ではならそーゆー反論も当然だろーけれど、信じてもらえない可能性のある話を提供しているのかもしれないとゆースタンスに、メディア自身が割り切ってなれるのか、それ以前に割り切って良いのかとゆー問題がある。「新聞週間」の時に新聞各紙が掲げた社説は進境著しいネットの情報には風評が多く精査されていないけれど、新聞の活字には信頼性があるんだと自分で高らかに叫んでいた。ならばその信頼性をどこまで担保しているのかとゆー点が重要になる訳だけど、一方ではサービスの打ち切りが表面かした「MTCI」を紙面に掲載することによって格付けた世界最大の経済新聞があったりする訳で、そこでメディア・リテラシーを言って良いのかとゆージレンマに突き当たる。

 何百億円なんて株主代表訴訟による賠償金支払いを命じられた企業が出た時に、そーいった経営のリスクを気にしていたらダイナミックな経営ができなくなってしまうといった声が経済界から上がっていたし、バブル到来を目前にして「向こう傷は問わない」とゆーポリシーを打ち出した銀行が急激に業績を伸ばした歴史がある。灰色だ玉虫色だとゆー風評よりも可能性を重視して向こう傷をおそれず紹介していく作業が例えばメインバンクに融資を蹴られても日銀の特融で生きながらえていまや世界のビッグ5に入る企業となったトヨタ自動車のような、次の日本を支える企業を育てるきっかけになるかもしれない。自費出版に近い本を朝日新聞が紹介してくれたことが今の内田康夫を育てたよーに。

 けれども「向こう傷を問わない」銀行が後にたどった悲惨な事実を踏まえ、そうゆー経営方針を打ち立てた頭取が辞任せざるを得ない事態になったことを考慮すると、立場に応じた責任の範囲をあらかじめ明確にしておく必要があるだろー。理想と現実が入り交じる世界だけに困難を極めそーだけど、似たよーな件が度重なるよーなら企業に向いた矛先が、自らの喉元につきつけられる可能性をメディアも認識しておく必要がますます強まっているのかもしれない。なんて偉そーなことを書いている自分も今は無き「ハイパークラフト」とか「シナジー幾何学」の記事をさんざんっぱら書いて来た訳だらかなー、今頃どこでどーしてんだろ安斎さん粟田さん。累々と横たわる屍を見続け今なお積み上がろうとしている状況を見るにつけ、毀誉褒貶山ほどあれどあのマルチメディアバブルを巧みに方向転換しながら「Yahoo」1発で生き残り肥え太って日本の顔にまでなった孫正義さんの偉大さがよく分かります。もちろんこの言葉は孫さんへの投資の勧誘・助言を示唆するものではありませんが。

 それにしても恐ろしいばかりのタイミングの良さ。「あのカリスマは今」特集を組んでいる「SPA!」に「カリスマ起業家」として例の大神田正文さんが登場。もちろん逮捕云々の話は全然触れられていないけれど、所在不明になっている云々といった言葉が書いてあって「偽りのカリスマだったのか」ってな批判を行っている。今の状況を勘案するとなるほど真っ当な認識だけど、同じページに掲載されている今年1月の「フォーカス」の記事には受話器に向かって喋るフリをしてカメラ目線で微笑む大神田氏の写真が掲載されていて、どちらかと言えば「すげえ経営者」っぽいノリの文章も添えられていて、あの時期にはやっぱり世間はこう書かざるを得なかったんだなー、ってことが伺える。これを他山の石とするか、名誉の戦傷とするかはやっぱり意見の別れそーなところで、今回の一件を踏まえて「フォーカス」がどこまで手のひらを返してくるのか、そこに自省はあるのかないのかをちょっと見て行こー。


【10月24日】 歳だし出不精なんでお誕生会とかとは縁遠くてもトークショーは能動的なんでよく出かける昨今、珍しく2次会なんかをのぞいて哲学とかウェブマガジンとかメメットくんとかエロ漫画とか鉱物とか渋谷陽一の渋谷陽一による渋谷陽一な人たちの中で壁花を咲かせてから深夜に帰宅して日記を上げてはみたものの、寝付いてからあれこれれ回って来たこともあって今日に続く。哲学の人ってよくもまー旨く巧みに世の中の仕組みを言葉なり数式なり図表にしてでも規定した「ポストモダン」のさらに次に来る「ウルトラ」でも「スーパー」でも「スペシャル」でも構わないけどともかくも1つのパラダイムシフトが起こった”ポスト”な「ポストモダン」を考えるとなったら、映写機からデータベースと移ったモデルが果たしてどんなもんになるんだろーかと想像してみる。とは言え何せパラダイムがシフトしちゃうんでシフトする前の凡庸な頭ではちょっと想像が付かない。哲学に人ってそーゆー部分にも考え及ばせているんだろーか。

 敢えて思いつくとしたらデータベースがとりあえずはスタンドアロンになってる状態が流行りで言うなら分散環境になってネットワークで統合されてってな感じになるけれど、それだと個人ってのがインターフェースでありデータベースであるとゆー不思議な形になって自我の境界なんてものがどこにあるのか分からなくなって、それこそ溶け合って1つになった世界なんてものが想像できてしまうけど、おそらくはそれすらも現行パラダイムの中で消化できちゃうんだろーから、やっぱり次の第X世代コンピューターなんてものが出て来てモデルになるんだろー日を待ちたい。今ですらこーなんだから”ポスト”な「ポストモダン」にはきっともっとおかしな人間が山と出て来てるんだろーなー。

 とりあえずは現行パラダイムをもっともっと詳しく深く解明してくれる論考として期待も高まる東浩紀さんの次回作を前にした「不過視なものの世界」(朝日新聞社、1800円)の案内が「週刊プレボーイ」の11月7日号に掲載中。写真は青山ブックセンターのイベントで案内チラシに使われていたのと同じアングルでおそらくはマンションの屋上だかで撮影されたもの、なるほど上から見るとなるほど顎って尖って見えるもんですねえ。下に掲載されている書影は改めてみてもやっぱりあんまりアカデミックに見えないけれど、そのあたり昨日のイベントで説明があってそれは「ハードカバーの2000円とか3000円する堅い本が”本”だと見るようになったのは院生になってから。でも中高生にとっての”本”って雑誌とか文庫とかノベルズでしょ。なるべく多くの人から”本”に見えるものに近づけないと生き残れないと思うんです」ってこと、だとか。1800円って値段の物ががさてはでどこまで”本”に見えているかは別にして。

 表紙のキャラクター(「メメットちゃん」に決定?)を使った缶バッジ(「TUNE」と「SLEEP」があって各400円、Nadiffでも売るのかな?)を作ったのもウォーホルのやったポップアート的な理念のアイティム化らしーんだけど、そこに単なる「おもしろそーだから」ってな観念じゃない言葉によるロジックが付いて来るあたりが言葉の人らしーとゆーか。もっとも言葉が先か観念が先かは判然としないところで、そこの部分で言葉を態度の言い訳に使いがちなおじさん世代と比べると、言葉を態度の補強に使おうとするあたりにやっぱり歳の差を感じる。

 もう少し下がれば補強すら必要なく態度が態度として行えかつ認められる世代が来るし来つつあるんだろー。「でじこ」はなるほど言い訳な人には極めて悪趣味なパロディだけど、パロディと自覚する回路をショートさせて受け入れてしまう世代ってのがいたりする訳で、そのあたりの差異の鮮明さも含めて今度のイベントではサンプルとして持ち出すんだと思う。それともマジで「萌え」てるのかしらん、講演の語尾が全部「にょ」となってたら……ちょっといいかも。

 そういえばセガ・エンタープライズが今度出すオンラインゲームはキーボードを使わなくってもあるていど絞り込まれた言葉の中から最適だと思う物をセレクトして指定していくだけで世界同時に他言語で会話が成り立ってしまう優れもので、同時に面白い機能としてキャラクターのボディを自由に伸ばしたり膨らませたり出来るようになっていて、「100人信長」なんて事態が起こらず1人として同じキャラにならないよーな状況を現出できるんだけど、だったら服装もいっそメイド服とか猫ミミとかセレクト可能にしたらどーだろー、その時はポップアップな会話メニューの語尾も全部「にょ」になったら良いじゃんか、ってなことを発表の時に思い浮かんで一人ほくそ笑んだことは内緒だ。あるいは「うぐぅ」か? もっとも海外で「nyo」が通じるとも思えないからやるなら日本国内限定のオンラインゲームにした方が真っ当かも。「I am President nyo」「This is a pen nyo」……やっぱりいいかも。

 うひい強いなあサッカー日本代表はしょっぱなにディフェンスラインの甘さもあって1点を叩き込まれたけれど、フリーキックをまるで相手をあざ笑うかのよーに横へと振ってダイレクトでボレーを決めさせてまず1点(名波やっぱりキレてるねえ)、そこから前半だけで怒涛の3点を叩き込み、後半もちょっと厳しくなったけど1点をとってジ・エンドなイラク。決してポジショニングが悪い訳じゃないのにこいつが出てきてボールに触るととたんに点数が入らなくなる不幸な星の下に生まれているに違いない望月を敢えて出したのも、イラクに少しは頑張ってもらってフセイン大統領によるムチ打ち独房入り奉仕活動3カ月なんて悲惨な目にイラク選手を合わせないためのトルシェ監督の温情か。もっとも結果は大敗だったんで、クルド人のいる前線へと送られ足で手榴弾を蹴り込む「いいわねいくわよ」砲として使われることになるんだけど。

 一方で同じく後半から登場の小野の目立ちぶりプレーの堅実ぶり要所要所での確実性を見ると、どーして望月がまだいない前半から使わないんだとも思えてくるけど名波に中村に森島に稲本明神が相手ではやぱり入り込むスキがないのかも、キャラが被っているのがマズいなら、やっぱり小野にはハゲ以外のプラスアルファを付けてもらってどんどんと出てもらいたいなあ。けど何がいいかなあ、いっそ弁髪にでもしてしまう? でもって出てくるたびにニードロップで相手選手の足を折る? あだ名は「鞠を蹴るモンゴリアン」。引退後は吉祥寺だかで居酒屋を開いてときどき歌とか唄うんだ。


【10月23日】 ひょーばんですよ香山さん。「鉄甲機ミカヅキ」の放映から1夜開けて世間は(といっても狭いせまーいネット内の掲示板とかフォーラムだけど)毀誉褒貶とりまぜてあーだこーだとミカヅキについて語る人々が大発生、日曜夕方なんて子供は元気に外で遊ぶか日曜の講習会に出かけている時間帯の放送だったにも関わらず、不健康な男子諸君が競馬でスった怒りも冷めやらぬなかでチャンネルをそのままにして見ていたよーで、奈良ちゃんの下からそれも真正面から煽ったアングルへの萌えっぷりも含めて意見を開陳する人が後を絶たず、のべつなくなし掲示板をリロードしては積み上がる反応を楽しんでます。同じ巨大ロボットもどきな妖精だかが暴走しまくる「エヴァ」リスペクトな「アルジェントソーマ」への無関心ぶりに比べると、その数たるやとても10倍では収まらないかもしれないし、やっぱり巨大ロボット発掘系な「無敵王トライゼノン」の毀誉褒貶ぶりと比べても遜色ない。

 そりゃパンチラ度だと「トライゼノン」が優っているけど対アニメで9倍段な特撮の人たちの中にあってワルクチも含めてこれほど話題になる以上はやっぱり「ミカヅキ」ただものじゃないってことでしょー。悪口雑言でも声援を認めて是非ともフジテレビをおだてて騙して褒めそやして、土曜午後イチだなんてキンカンの民謡コンテンストとか再放送の舟越栄二とか岡田可愛とかが出て来るご当地物2時間ドラマがやってそーな気怠い爛(ただ)れた時間帯じゃなく、正々堂々の金曜ロードショー枠とか、せめて「序夜」とおんなじ日曜夕方の放映を定期で行えるよーにしてくれませんか、でないとちょっと可哀想過ぎます作品が。思えば最初の「DTエイトロン」も時間帯不定の日曜明け方に「頭文字D」の直前、ひっそりと放映される悲惨な形態だったし「ターンAガンダム」だって金曜夕方のとても「アニメじゃない」時間帯。おまけに最終回は噴火で飛んでしまったし。あるいは鬼門なのかもしれないけれど一方では打ち切りとかにならず最後まで放映できたってこともあるし、そこは是非とも「ミカヅキ」も、6話までテンション落とさず中身も崩さず放映し切って頂きたいものです、お願いします、言ってた「あけぼの工業&AIT戦隊編」とかも是非。

 とゆー訳で突然「乙女回路」が発動したしましたワタクシは、嶽本野ばらさまのお書きになられた初の小説「ミシン」(小学館、1000円)を読んで正しき乙女の純情可憐繊細無垢な心根に、感動のあまりさめざめと落涙しているのでありまする。あんまり乙女っぽくねえから戻せば実はほとんどノーチェックだった乙女評論で鳴るらしー嶽本野ばらさんとゆー人の書いた初の小説が課題図書で回って来て、いったいどんなだと思って読み始めたらこれがなかなかに気高く辛く美しく厳しいストーリーで、乙女の本質とやらにメタ的に迫っているよーに見える傍目から受ける印象とは違って、真摯に人間の生き方生き様について語っていて、これはもしかするとコラムニストだけじゃなく小説家としてもなかなかの書き手なんじゃじゃないかと実感する。

 なるほど表向きは「ヴィヴィアン・ウエストウッド」に「コム・デ・ギャルソン」に「ヨージ・ヤマモト」に「ミルク」「ミルク・ボーイ」「ケイタ・マルヤマ」といったDC系のブランドの名前が何の前置きもなく繰り出されて、こーしたブランドが持つパースペクティブをある程度理解していないと入り込めないよーな気にさせられるけど、本質的な部分はさておき「ヴィヴィアン・ウエストウッド」が英国生まれでパンキッシュな少女に人気なブランドなんだってな程度のファッションへの理解を了解した上で読み進むと、ライターの仕事に行き詰まった挙げ句に開いた雑貨店にやって来た少女と逃避行の果てに愛の存在を確認する「世界の終わりという名の雑貨店」にしても、パンクバンドのボーカリストの少女に運命を見た少女が最後に示す純粋にして歪みきった情愛を描いた「ミシン」にしても、人間が放つ「想い」の強さがエピソードの中から浮かび上がって来て読み手の気持ちを激しく揺する。ちょっと面白く話題になってしかるべき1冊。ところで個人的には「ピンクハウス」系が乙女のデフォルトとゆー認識があったんだけど、「ミシン」にはカケラも出てこない所を見ると「ピンクハウス」の立ち位置って結構複雑なのかなー。それとも嶽本野ばらさんが男性だってことに由来しているパースペクティブの揺れに起因するものなのかなー。研究課題。

 夜は「青山ブックセンター」で東浩紀さんの講演会。発売なった「不過視なものの世界」(朝日新聞社、1800円)にちなんでの講演ってことで、対談している誰かを呼んで内幕なんかを話してくれるんだろーかそれとも福田和也さんに倣って担当者との漫才と後はパンクな歌を唄いまくるんだろーかと思っていたら、決して山形浩生さんを招いて某所で話題になっている「山形さんは僕を敵だと思ってるでしょう」発言を再現してくれることもなく、ましてや漫才もカラオケも舞踏もなく、講演とゆーよりは講義に近い内容で、前近代から近代そして「ポストモダン」における物の見え方とかコミュニケーションの仕方のパラダイム的変化をモデルや図版を使って説明する、高度にしてなかなかにアカデミックな時間となった。もしかすると「東萌えーっ」なストーカー層にはちょっと厳しかったかもしれないけれど、2時間近くを一気に喋り倒すその姿に内容は関係なくやっぱり「東萌えーっ」な時間を過ごせたから良いのかも。なるほど山形さんが言っていた発言量の格差も分かるよーな気がする。

 注意しておかなくてはならないのは東さんが「ポストモダン」とゆー言葉を使う時にはいわゆるフランスの思想のあーいった辺り(よく分からないから固有名詞はあげないけれど)の代名詞的な意味はなく、ましてや蓮実柄谷浅田と流れる固有名詞に依拠するような党派的な意味合いもなく、単純に「近代の次」といった意味で使っているとゆー点で、その上で世界のモデルを分析していった時に、深層が自我を決定して世界を認識させている、すなわち自我がフィルムを切り替えて世界を目に投影させている映画的なモデルだった近代に対して、ポストモダンは自我が操作するのはフィルムとか映写機じゃなく一種のデータベースで、人間はさまざまなシチュエーションに最適な情報を、蓄積されたデータの中から組み合わせて引っぱり出して世界を認識してるんじゃないかってなことを言っていたよーな気がする、本当のことはムズカシ過ぎてよく分からないんだけど。

 すなわち「映画モデル」が「インターフェースモデル」、映写機がパソコンへと変わったのがポストモダンで、だからこそ最近の人間はいかなる相手であってもシチュエーションであっても、臨機応変に自分を作り上げてあっけらかんと対応していけるんじゃないか、ってなことを言っていたよーな気がするけれどどこまで理解できたかはやっぱり不明。さらに難しくなるのが「ポストモダン」におけるコミュニケーションだったり、昔の人がシニシズム的なスタンスで意識的にハマっていた対象に、最近の人はほとんど直観のレベルで反応して「萌え」られてしまえる状況の背後にある、常に情報をデータとして蓄積し、アップロードしていくよーになった「ポストモダン」な人間の思考回路についての解説だったりするんだけど、その辺りも含めて来年に出るとかゆー著作で深く広く語られるそーなんで、とりあえずは刊行を待つとしよー。

 その前に「ルネッサンス・ジェネレーション2000」とゆーイベントでの基調講演でも、「デジ子」じゃなくって「でじこ」あたりを枕に説明してくれるらしーんで、20分をおそらくは息継ぎ無しに喋る東さんを見たい人、居並ぶクールでエッジな知識人たちを前に「でじこ」について語る東さんを見たい人は恵比寿にゴーだ。どーせだったら「ブロッコリー」には「でじこ」に「ぷちこ」に「うさだ」の着ぐるみトリオを出動させて会場内を練り歩かせて、分からない人にはこーゆーもんだと見せつつその内奥に眠る「萌え」を発動させてやって欲しいんだけど、桜井弘明監督の結婚式には登場してもイベントには流石に顔を見せてはくれないだろーなー、やっぱり「ぷちこ」の縫いぐるみをかついでイベントで買った「帽子×手袋」「尻尾×足袋」のフル装備で行くしかないのかなー。


【10月22日】 「ドールショウ」。昼過ぎに到着したら会場のエレベーターには健康に脂肪的だったり軽装にキャラTだったりする地味な青少年の一団がギッシリで、さすがは人気急上昇中のドール系イベントだと思ったけれど、横の看板を見たら2つ上の階段でどーやら「うぐぅ」なイベントが開かれていたよーで集まって来ていた人も「うぐぅ」な人たちで持ってる紙袋にも「うぐぅ」とか書いてあって、瞬間そっちに行こうかなーとか心が揺れ動いたけれど今んところ「うぐぅ」にも「がお」にもハマってなかたったりする身、ここで萌えを増やすと時間も体力も知力もなにより財力も失うこと確実なんで、我慢してエレベーターは3階で降りて「ドールショウ」の会場へと足を進める。おや小中千昭さんだ。

 うかがうとデュアル文庫の「Primo Materia」はちょっと先になりそーで10月配本の中では1番期待していただけにちょっと残念だけど、とにかく大量にSF系の文庫の書き下ろしとかが出ていてこれ以上増えても読むにも買うにも困っていたところだから、今のブームがちょっと下火になったあたりに中パッパッとばかりに登場してくれた方が気分的にも業界的に有り難い、のかも。もう1冊の再刊じゃない書き下ろしデュアル文庫は大塚英志さんの「冬の教室」(476円)で相変わらず後書きが面白いんだけど、業界やら書評家やらに対する嫌味はなくって編集を担当した大野修一さんとのなれそめとか、その前後の徳間書店がまだ新橋駅の西口にあった時代の「リュウ」編集部で大塚さんがバイトしていた頃の話とかがつづってあって、当時の「リュウ」やらその後の「少年キャプテン」を読んでいた者として、雑誌を通した向こう側の話が聞けてちょっと懐かしくなった。それにしても「漫画ブリッコ」の話が出て来ないのは何故なんだろー。

 ってことを「ドールショウ」の会場に来ていたっぽい大塚さんらしき人をつかまえて聞いてみたいなー、なんてことは全然思わず(だってコワそーなんだもん、「木島日記」のあとがきとかから浮かぶ印象だと)遠目に観察しつつ並んでいる人形をウォッチして歩く。キャラクターを象ったドールの出展が全体に少なかったよーで(そーいった人たちは「ドールズパーティー」に行くらしー)、キャラドール目当ての健康に萌えている男子の客が少なくなっていたよーな気がして、イベントとしては極めて真っ当な「ファッションドール」の雰囲気が漂っていて女性客や家族連れでまったりと賑わっていたけれど、そんな中にも決してキャラクターじゃないフツーのドレスがフリヒラなドールを見ては撮っては買う男性が、去年寄った時よりもちょっとばかり増えているよーに見えたのは、性別を越える人気を「ファッションドール」が確保しつつある現れか。

 美容師だってファッションデザイナーだって男性が世界的にも圧倒的だし、そーゆー才能がゲシゲシを入って来て活躍してくれたら、今はまだちょっとばからり恥ずかしさがつきまとう男子のドール者も、胸張って会場に出入りして両手にドールを抱えて買って帰れるよーになるんだけど。とりあえず今はまだ勉強中の身なんで、ドールヘッドを物色したり衣装のテクニックに感心する余裕もなく完成品の衣装とか髪型とか顔とかを見て散策、相変わらずの限定物に弱い性向をさらけ出して、「TOTOCO」ってディーラーが出していた会場限定の黒くて長いスカートをはいた黒い上着にレースの飾りがついたブラウスをのぞかせた、おかっぱかボブかってなプラチナブロンドのジェニーを購入して帰る。今のところドールは本格的な趣味にしていないから家にあるのは「紀野真弓」に「吸血姫美夕」に「岩倉玲音」に「座頭市」に「中村主水」に「オードリー・ヘップバーン」に「60周年バービー」に「ダース・モール」くらい。今回購入の「ジェニー」が加わったところでとてもコレクションとは言えないけれど、部屋が広くなった暁には並べて飾ってあげよー、それまではむさい部屋で我慢してくれい。

 どーでしたか「鉄甲機ミカヅキ」初放映。すでにフジテレビのホールで製作総指揮のエラい人が座っている真横で「序夜」を見ていたけれど、テレビの21インチモニターでも見てもやっぱり燃えますねー、特撮には。すでに随所で見た人の感想が上がっていて、案の定「エヴァ」だ「ベターマン」だ「ジャイアントロボ」だ何だと雨宮慶太さんの様々なイメージを集めて昇華させる腕前に対する賞賛の声が上がっていて、うんうんやっぱりそー思うよねと頷いたことは事実として、それでもテレビの水準を大きく越える細かいミニチュアに迫力の戦闘シーンには魂が反応してしまうし、とどめに女子高生社長のホットパンツの隙間からホンの一瞬チラリとのぞくアンダーウェアに脳天がカチ割られて、見終わった瞬間ビデオの巻き戻しを始めて最初から見返してしまいました、をを見えてる見えてる。

 夜中の再放送とかあるよーなんで見逃した人はそっちでチェックが吉だけど、今んところ見られる地域が限られてるってのがテレビ東京の深夜アニメ以下だったりして、せっかくの作品なのにちょっと残念。どーして見られないんだ見せろといった声があがってフジテレビなり地域のフジ系ローカルに山と嘆願書が舞い込めば、あるいは同時放映なんてこともあるのかなー。パクリだリスペクトだってなワルクチも良いけど今はそんな作品でも見られる状況に感謝しつつ、そんな幸運を全国の人たちと分かち合えるよー、騒いで盛り上げて未だに腰がフラついているフジテレビ(何せ次回は土曜日午後1時なんて時間に放映しやがるんだぜ)に前を向かせてやってくれい。ついでにホットパンツをもっと見せろと願ってくれい。


【10月21日】 宇井かおり、というシンガーソングライターがいて割と最近まで松本引っ越しセンターのCMで「DOOR」という曲が使われていたから、名前は知らなくても歌声は知っている人が多いかもしれないけれど、CMで聞くよりしばらく前にFMで同じ「DOOR」を聞いて詞の何とも言えないシリアスさと曲の何とも言えない切なさ、そしてその世界観を静かに凛として歌い上げる声が気になって、CDを買ったか録音したかは部屋が混乱している今となっては確かめようがないけれど、何度も聞き直していた記憶がある。

 で、その宇井かおりさんの名前が立ち寄った本屋のまだ台車の上に平積みにされていた「あなたが空へ帰る日」(名古屋流行発信、1143円)本の山のてっぺんで唐突に見かけて、おや、と思って帯とか読むと載っていたのが「1997年1月24日(金)8人乗りヘリ、愛知県豊川上空で消息を断つ……。」という文章。トヨタ自動車のヘリコプターが、豊田市へと向かう途中に消息を断った事件は記憶にあって、それとシンガーソングライターの宇井さんとがどうつながるのか一瞬分からず、整理中なのを申し訳なく思いつつ手にとって題字の下の字を読むと、「ヘリコプター事故で逝った妹へ。」とあって驚いた。あの事故機に妹さんが乗っていたんだ、といった具合に知ってる人と知ってる事件が結びついた衝撃は、けれども帯に小さく書かれた本のあらすじについて触れた文章でさらに強まる。

 「日本唯一のヘリコプターアテンダントとして、夢に向かって大空をかけめぐっていた妹、ちはる」。つい最近、小川一水さんが書いた、同じように空への憧れからヘリコプターのナビゲーターになった女性を主人公にした「回転翼の天使」(角川春樹事務所、720円)という小説を読んで、危険を省みずに頑張る「空の女」のカッコ良さに触れたばかりだったこのタイミングで、同じように空への憧れを成就しつつも、これからまだまだという時に消えてしまった女性がいたことに、ある種のシンクロニシティーを覚えると同時に、感動のカタルシスが得られた小説と、厳しく哀しい結果が訪れた現実との、おそらくは見えないカードを1枚はさんだ裏表のような関係を見て、しばし呆然とする。「あなたが空へ帰る日」の213頁、ヘリコプターの前で敬礼する宇井さんの妹のちはるさんの姿と、「回転翼の天使」の表紙の何と似通っていることか。

 浮いていれば爽快な空も、墜ちれば待っているのは紛うことなき死の哀しみ。それが現実となった「あなたが空へ帰る日」を前にすると、いささか楽観的な虚構がしばしたじろがざるを得ないのは仕方がないことかもしれない。けれども路半ばで断ち切られたとは言え、空の仕事の中で亡くなられたちはるさんが思い描いていた「空への想い」は、「回転翼の天使」の主人公、伊吹に引き継がれ凝縮されているとも言える。その意味で「回転翼の天使」は、厳しい現実を踏み越えて後に続くだろう同じ「空への想い」を抱く人々への、良き導き手となっている。2冊を合わせて読むことで、厳然とした事実を突きつけられ、残された家族たちの哀しみに触れつつも、意義深い空の仕事へと向かう勇気が沸いてくる。

 レコーディングを行っていたスタジオに飛び込んで来た事故の一報。行方不明の状況が続くなかでかけていた一縷の望みが断ち切られる瞬間の心の痛み。そして葬儀から荼毘へと至る数日間が綴られたエッセイは、全編が家族を失った人々の哀しみに彩られていて、厳しすぎる現実を感じさせてくれる。けれども不思議なことに、何かに対する憤りを覚えることはない。「あなたが空へ帰る日」の中では、娘を、妹を奪った空への恨み言を誰も言っておらず、誰もつづっていない。これは勝手な解釈かもしれないけれど、亡くなられたちはるさんの「空への想い」を誰もが感じ、その想いが合わせ持つ危険を含めてちはるさんを理解していた現れではないのだろうか。本当に理解し合えた家族が持つ強い結束と相互信頼が、読んでいる人に憧憬と安らぎを与えてくれるのではないのだろうか。家族を奪った「空」に「帰る」と書いたエッセイのタイトルが、たぶんそのことを示してる。

 宇井さんは多分、同じ愛知県に住んでいる小川さんのことも小川さんの小説のことも知らないだろうけれど、ちはるさんが抱いていた「空への想い」が引き継がれているようにも見える「回転翼の天使」という小説の存在を風の便りにでも聴いたなら、楽観的過ぎるという反発の中に少しだけでもいいから、それでも空に向かう勇気の素晴らしさを感じて欲しいし、小川さんが「あなたが空へ帰る日」を手に取る機会があったなら、とりあえず完結してしまったらしい「回転翼の天使」では描かれなかった、海で言うなら「板子一枚下」の恐さを折り込みつつ、けれども空へ帰る気持ちの尊さを描く、続きを僕たちに見せて欲しい。お願いします。

 「あなたが空へ帰る日」は、一面で音楽業界の厳しさも見せてくれていて、CD3枚を出したシンガーソングライターでも、商業主義の中では売れなければ切り捨てられるんだという現実に足がすくむ。契約を解除され、仕事がなくなりかといって家にも返れず「涙がボロボロとこぼれる。『苦しいよう』と声に出して言ってみる」(232ページ)東京での生活。化粧もせず、早朝の新幹線に飛び乗って実家へと帰るシーンの凄絶さは、読んでいてなかなかに身につまされる。それでも今、そんなシーンを文字にしたためられるようになった所を見ると、騒々しい都会での数字だけをよりどころにした生活よりも、求める人のところへ音楽を届ける暮らしの方に、充足感を覚えているんだとも思えてちょっとばかり羨ましくなる。豊田市あたりに住んで日進市の「愛知牧場」でコンサートなんかを開いて「月刊CHEEK」を出している名古屋流行発信から本が出て、ってなシチュエーション、何かいいなあ。そんな環境で作っている宇井かおりさんの音楽も、ちょっと聴いてみたい気分、東京で探せるかなあ。


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