オルガニスト
Organist

 恥ずかしいが言ってしまおう。実はオルガンを習っていたことがある(笑ったな)。小学校の確か2年から4年生くらいまでだったか。教本を見ながら何とか両手で弾けるようになって、次はピアノに進もうかという段になって止めてしまった。続けていれば今頃は小室哲哉も吃驚の名プロデューサーに……なっていたはずもないが、それでも弾けたら少しは面白い生活になったかもと、ちょっと残念に想っている。

 オルガンを終わってからピアノへと進むのが、その教室では普通になっていた。オルガンはピアノの練習台に過ぎないがん具に等しい楽器との認識だったのだろうか。実際小学校などでも低学年はオルガンの伴奏で唄い、長ずるに従ってピアノの音を耳にするようになる。だがオルガンと1括りにしては失礼なくらいに、オルガンは古い歴史を持つ尊敬すべき楽器であり、かつ演奏に高度なテクニックを必要とする難しい楽器なのだということを、山之口洋の「オルガニスト」(新潮社、1600円)で深く思い知らされた。

 主人公というより狂言回しに近いのか。テオドール・ヴェルナーという青年はドイツのニュルンベルク音楽大学を卒業し、今はバイオリンを教える教員として奉職している。ある時、テオのところに南米のブエノスアイレスで収録されたという、オルガンの素晴らしい演奏が入ったディスクが同僚から持ち込まれた。友人は彼に、オルガン科にいる盲目だが優れたオルガニストとしても知られる教授に渡して、判断を仰いでくれと頼んで来た。

 実はテオとその教授、ロベルト・ラインベルガーとの間には、かつて1人の天才オルガニストをめぐる確執があった。テオと同級生だったその天才オルガニスト、ヨーゼフ・エルンストはラインベルガー教授の愛弟子として将来を嘱望されていたが、学校を卒業する前に彼といっしょに出かけたドライブで事故に遭い、半身が麻痺してオルガニストとしての道をたたれてしまった。あまりの絶望にラインベルガー教授は悲嘆に暮れ、入院するハンスを見舞った際、出会ったテオに向かって叱責の言葉を口にしていた。

 以来、没交渉だったテオとラインベルガー教授が、再び1人の天才オルガニスト、ハンス・ライニヒを間に挟んで和解したかのように見えた。だがそれも束の間、ラインベルガー教授はハンス・ライニヒに関する評価を先送りしたまま、演奏に行った先の教会で、オルガンを引いている最中に爆死する。誰が教授を殺害したのか。なぜ教授は死なねばならなかったのか。残されたテオとそのガールフレンド、そして音の研究をしている日本人、クロダがチームを組んで、オルガンという至高の楽器、そして音楽という崇高なる芸術をはさんで対峙した2人のオルガニストの、愛憎入り交じった関係へと迫っていく。

 小説の中に、「オルガニストの道」という言葉が出てくる。教会などに備えられた巨大なパイプオルガンを演奏するには、演奏台のある場所に行かなくてはならない。そこへと向かうためにしつらえられた通路という、物理的な「道」を示す言葉だが、一方に神を前にして天上の音楽を奏でるために積まねばならない研鑽そして精進への果てしない「道」を指す言葉のようにも思える。

 「ストップ」と呼ばれるレバーを操作して、同じ鍵盤を異なる音色を持ったパイプに対応するよう変化させて音楽を奏でるオルガンは、弾く人の技能や求める音楽の違いによってストップの組み合わせが異なることもあるという。名演奏家と呼ばれたラインベルガー教授は言わば至高の「オルガニストへの道」を歩む人間であり、至高の道へと近づくことは彼の奏法に近づくことでもあった。

 老教授の死の秘密が明かとなった時に、明かされる動機に反感を覚えつつも納得させられてしまうのは、目指す至高の音楽のために、オルガニストが等しく同じ道を踏もうとした結果ゆえの悲劇だったからだ。一切の邪念を払い、音楽のためにのみ生き、ひたすら「オルガニストの道」を求めた2人のオルガニストの、ともに天才ゆえに辿った道がもたらす悲劇。あるいは老オルガニストはそうした事態を、表向きは批判しつつもを心のどこかで喜びつつ、甘んじて受け入れたのかもしれないと思ってしまった。

 ブエノスアイレスからドイツへと戻ったハンス・ライニヒの秘密には、もう一方で科学の進歩のために犠牲が必要か、目的のためには手段は関係ないのか、というラインベルガー教授の死とも重なり合う命題が投げかけられる。共感はできない。だが反感ばかりでもない展開を前に、少なくとも目的を持って生きようとすることの大変だけれど強い羨望を覚え、オルガンも、サッカーも途中で投げ出した身を振り返っていささかの羞恥を覚える。

 謎解きの醍醐味にSF的な、いやまさしくSFと断言したい驚嘆が後半に至って披瀝されて、読む者を最期まで楽しませてくれる。「日本ファンタジーノベル大賞受賞作」で「バロック・ミステリー」であっても、SF好きなら読んで損はまったくない、と思う。ぎゅうぎゅうに詰まったアイデアに、ただただ感嘆させられる。

 エンディングにもまた愛憎入り交じる複雑な展開を見せられる。だが目的のために手段を選ばないその態度は、曖昧のままでいるよりよほど正しいのかもしれず、迷いに生きる人々に何であれ羨望を与えずにはおかない。嫉妬の念ももちろん消えない。だが今はとりあえず、至高を目指したオルガニストたちの心に哀しみの涙とともに賞賛の花束を贈りたい。


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