Last Updated 2018/11/20
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
『機動戦艦ナデシコ』の空想科学設定や『星方武侠アウトロースター』のSF設定を手がけ『ニンジャバットマン』では設定考証を担当。あのジョージ・ルーカスも通った南カリフォルニア大学の大学院で映画を学んだ堺三保が満を持して自身の映画を撮ると決意しクラウドファンディングをスタート。『オービタルクリスマス』が描く軌道上の奇跡にきっとぼくたちは涙する。
【11月20日】 まず分からないのがどうして経理であり監査法人でありといったところが日産のカルロス・ゴーン会長に対する報酬が、本当の額より低く有価証券報告書に記載されていることを把握できなかったのかってことで、普通に考えればお金の出納を受け持つ部署が報酬だってしっかりと把握しているはずで、その額を帳簿に乗せて、それを決算にまとめ有価証券報告書にしている。もしも支払った額と有価証券報告書に記載されている額が違えばそれは経理なりには一目瞭然。これ違ってますと指摘して監査法人もそう認めて決算を承認しないんじゃなかろーか。

 でも今回の一件では、そうした支払った実学と記載された額との間に開きが出た。そもそも起こらないか起こったらすぐ分かることがずっと公表されず、このタイミングで事件として表に出てしまうところにどうにも奇妙な印象を受ける。あとやっぱり報酬額として支払われたならそこでしっかり源泉徴収もされ、脱税なんて行う余地はまるでないはず。私利になりづらく国に脱税という損害を与える振る舞いでもないにも関わらず、逮捕という大ごとになったのにはやっぱり何か理由がありそうな気がする。どういう理由かは分からないけれど、国同士なり会社どうしなり会社の中なりでの諸々が、うごめき逢ってぶつかり合って起こった事件、ってことになるのかな。そうした解説もこれから出てくるだろうから、注意深く見守っていこう。自分の為に使ったってあれだけ稼いだ人なんだから良いじゃんか、とは言えないけれど。

 プロダクションI.Gなんかを持っているIGポートが傘下のアニメーション制作会社、ジーベックをサンライズに譲渡することになったみたいでアニメーション業界ではいろいろとこれらの展開に想像が巻き起こっている。すなわちヤマトとガンダムのコラボレーションが真っ先に浮かぶけれどもここはやっぱりサンライズで目下大人気の「ラブライブ!サンシャイン!!」あたりとのコラボレーション。まずはヤマトの女性クルーを中心にスクールアイドル「Cosmo」を結成して宇宙ラブライブに出ることを目指すという。メンバーは森雪、山本玲、岬百合亜、新見薫、桐生美影、原田真琴、西条未来、藤堂早紀、神崎恵あたりになるかなあ。中の人的には新見と神崎がセンターを競い合いそうだけれどキャラ的には森と山本か。

 対してガミラス&イスカンダルによる合同スクールアイドルはその名も「TWINS STARS」で、メンバーはメルダ・ディッツ、ミーゼラ・セレステラ、ミネーネル・リンケ、ネレディア・リッケ、エリーサ・ドメル、スターシャ・イスカンダル、ユリーシャ・イスカンダル、ヒルデ・シュルツ、花束の少女あたりが来そう。年齢に幅がありそうで人によって推しが変わりそう。やっぱりメルダとか、ツンデレなミーゼラとか、母性のエリーサとか、姐御なネレディアとか、尊いスターシャとか、ロリな花束の少女とか。でもきっとヒルデがセンターを務めて「キラッ!」とかやって喝采を浴びるんだ。1番アイドルっぽいものなあ。平均年齢が幾つになるとかは聞かないように。

 あとはやっぱりヤマト環境が浦の星女学院みたくなってしまうとか。島大介「前方に巨大小惑星! 土方艦長指示を!」土方竜「全速前進ヨーソロー!」島「それではぶつかってしまいます! 正しい指示を!」土方「がんばルビィ!」島「いや、頑張れません! 面舵取ります!」土方「ぶっぶっぶ〜ですわ!」島「ああ、もうぶつかるずら!」一堂「ずらー?」とかどうとか。まああり得ないだろうけれど。加藤が「コスモタイガー隊、いきまーす」と言うかも。といった冗談はさておいて、「宇宙戦艦ヤマト2202」が目下の作品として動いていて、過去にも「機動戦艦ナデシコ」から始まって様々な作品を作り続けてきたジーベックをサンライズが買収することでどういったメリットがあるかが目下の関心事といったところか。

 「ガールズ&パンツァー」を作っているアクタスを、サンライズと同じバンダイナムコグループのバンダイナムコアーツが買収した時は、経営のガバナンスを正常化させて作品がしっかりと供給される体制を整える、めいた可能性が示唆された。今回は制作力の高いスタジオを買収することで、サンライズを含めたバンダイナムコグループが展開したいアニメーションを機動的に作れる体制を整える、的なメリットがまずは浮かぶ。どれだけ人出があっても足りないアニメーションの制作現場を分厚くして損はない、作品が回っているうちは。一方でだったらどうしてIGポートは売ってしまいのか、ってところで作品の企画と制作の体制がマッチしていなかった、それをサンライズなら良好に持って行けるという判断があったのかもしれない。気になるのは制作会社として親会社が変わっても、権利関係はIGポートが持ち続けるのかってところ。IPを持たずに買ったところで意味はないと考えるならそのあたりもゴソッとって思われるんだけれど、好きにハンドリングは出来ないとはいえヤマトというIPが2199あたりの分から来ないなら買う意味もぐっと減ってしまうから。どうなんだろうなあ。

 気付くと創刊されてた光文社ライトブックスから、りぃん作「聖女の天秤 〜お仕置きまでがお仕事です〜」を読んだらこれがなかなか痛快無比。女神に認められることによって生まれる聖女フェリシアが、勇者らと魔王退治に行ってどうにかこうにか果たすも年月がかかり過ぎたようで、王都へと戻った聖女は20歳を過ぎてしまっていた。それが理由なのか別の思惑があったのか、出発時に約束されていた王太子との結婚は破談となって、王太子には別の国の姫が正妻として迎えられることになっていた。それは受け入れられたものの、なぜか聖女には不貞といった評判が流され、報酬ももらえずそのまま追われるようにして王都を出て行く羽目となる。

 なおかつ命まで狙われる状態。女神の託宣によって生まれる聖女は同時に1人しか存在できないため、フェリシアが聖女である限りは外に聖女は生まれない。そんなフェリシアが追い立てられることによって命を失うか、純潔を失うかすれば新たに生まれる聖女に次代につながせられるといった思惑が王や大神官たちにはあった様相。でもどうしてそこまでして聖女を取り替えようとするのか。それは、王国にとって聖女をある種の看板として頂き、その下で勇者による魔王討伐が行われることが、半ば権力と財力のより所になっていたからだったりする。

 つまり聖女は利用されていた。だから道中も崇められず下女のような扱いを受けていた。そのことにようやく気付いたフェリシアは、命を狙われながらも与えられた防御の魔法を使って暗殺者から身を守りつつ、フェリシアと同様に命を狙われた家族を探して旅をする。そんな彼女の前に、なぜか撃退したはずの魔王が現れちょっかいをかけてくる。いったいどうして? その理由を知り、何が行われていた知って、最初は永遠に純潔を保ち長生きをして聖女のままであり続けようとしたフェリシアの考えが変わる。腐敗していた王や大神官に復讐を。それは聖女に本来与えられていた、魔王ではなく蔓延る悪を糺すという役割だった。貼られたレッテル的には勧悪懲善にも見えるけれど、実は勧善懲悪だったりする痛快さがとても楽しい。物語の世界のように女神様が見てくれていたら、この世界も少しはマシになったかなあ。


【11月19日】 「ラブライブ!サンシャイン!!」のAqoursによる東京ドームでのライブでは、いろいろと感動のポイントがあったみたいだけれど、後の挨拶で桜内梨子を演じている逢田梨香子さんが「想いよひとつになれ」を9人で歌えたことが嬉しかったと話していて、そうだったライブをやろうとうことになったけれども梨子だけが憧れだったピアノのコンクールに出るために1人メンバーから抜けていた時に歌われた楽曲で、残る8人が歌ったけれどもそこに梨子はいなかったんだ。後にライブで演奏されることもあったけれども梨子がピアノを弾いても歌には加わらない8人バージョンだった模様。そこにようやく入れて歌えて、心残りだったことがひとつ晴らされた気持が浮かんだんだろー。

 そうした作中のドラマが、リアルな声優でありシンガーである女の子たちにも重なっていっしょに成長と発展を味わえるから「ラブライブ!」シリーズは長く愛される作品となり、μ’sから代替わりをしても付いてきてくれるのかもしれない。最初はやっぱり先代に心残りもあったけれど、あの東京ドームを最後に復活してくる動きもない状況では、頼る相手がAqoursしかいないってこともあるのかもしれない。いやいやまだ新しく立ち上がってきたスクールアイドルに虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会もいたりするから、ここから入ってその立ち上がりを目の当たりにして、いつか東京ドームへとやって来るのを見守るってこともありなのかも。そこにAqoursが参加し、そしてμ’sも戻ってきたら……なんてドラマはやっぱり難しいかなあ。でもいつか。信じれば夢は。待とういつまでも。

 録画してあったのを観終わった「キラッとプリ☆チャン」ではおしゃまトリックスだけどおじゃまトリックスな歩堂デヴィと明日香ルゥが出てきて緑川さらの実は可愛いものを見ると顔がにやけてしまう秘密を暴き立てようと、かわいいキャラクターが大集合したイベントで次から次へとキャラクターをぶつけてみるもののそこは我らが青葉りんかが編み出した不思議過ぎるキャラクターの斬新過ぎるデザインが、さらの頭をいっぱいにしてにやけるのを防いだ模様。いったいどんなキャラだって、それは見れば分かるけれどももしも商品化されたとして、いくらりんかちゃんでもちょっと買うのは躊躇われるよなあ。それほどまでのデザインセンスをなぜに。恐るべし青葉りんか。その才能がすべて発言した時にMiracle Kiratsは世界も震撼させることになるだろー。

 東大を出た人が税金によって歳費を得ている国会議員でもあって、なおかつ税金で運営されている役所の大臣から、授業料を払っていてなお人の税金で大学に行ったと揶揄され、非難される筋合いはないってことがまず根本で、もちろん授業料だけでは大学の運営は成り立たないから、国立大学なら国がまるっとお金を出すし、私立大学でも助成金を出し、て教育という日本の根幹に関わる分野を支え育ててもり立てようとする。それは、国が長く栄えるために必須なことで、その上に立つ大臣が教育に税金を出すことを誹るというのはすなわち国の土台を毀損しかねない重大な問題であって、即座に売国野郎とかスパイ野郎といって非難を浴びせるのが保守と呼ばれる人の態度なんだけれど、どうにも盛り上がらないのは保守というより安倍チャンファンでその取り巻きなり、黒幕なりを批判し非難するなんて、考えも及ばないってことなのかもしれない。

 そうやって国の偉い人たちがその場凌ぎの施策でもって国の土台を毀損し続けた結果、景気はまるで良くならずGDPはマイナスなんて数字が出て、賃金も下がり続けて低所得者層がわんさか生まれていたりする。格差といっても上の方なんてわずかにすぎず、このままでは消費税の引き上げだなんて悪手も乗ってなけなしの消費も損なわれ、酷い有様になっていくことは確実だったりする。でも、それを非難する言葉がなかなか出てこないのは、言葉を左右する層に恩恵を与えて黙らせているからなのかもしれない、軽減税率とか諸々の。とはいえ、そうやってだんまりを決め込んで片棒を担いだメディアも、現場でもがいている人たちの反発を喰らって信頼を損ない見放されていたりする。もっとも礼賛を送ったところが最初に逝っちゃいそうなのは皮肉だけれど、それもまた国民に未だ残っている意識の真っ当さゆえんってことなのかも。

 日産自動車のカルロス・ゴーン会長が東京地検特捜部に逮捕されたとかでどったんばったん大騒ぎ。何をどれくらいやったかは知らないけれど、有価証券報告書への虚偽記載ってことで自分への支払いすなわち報酬を安く見積もって記載していたらいし。どれだけたんまりもらおうともそれに文句を言われる立場の人でもないし、それでいくら税金を支払ったところで、自分自身に損が出るってこともない。取り放題で出し放題の人だけれど、そうした個人に対してのものではなくっていろいろとお金を動かしどこかに流していたらしく、それはさすがに拙いだろうってことになった感じ。ただあくまで内部告発であって、社内からのやっかみの類も混じっているかもしれず、ふたを開けたら見解の相違の範疇に収まるかもしれないんで善悪の判断は今後の展開次第。日本の産業を救ってくれたある種の偉人でもある訳で、その貢献度合いも含めてちょっと考えたい。

 早川書房が実施しているアガサ・クリスティー賞の贈賞式を見物。オーガニック ゆうきさんという人の「入れ子の水は月に轢かれ」が受賞してた。名前の由来についてはよく分からないけど、東浩紀さんがどっちが名字でどっちが名前か分からないと迫ってた。そういうものだろうか。それを言うならブルゾンちえみだってホラン千秋だってカトリーヌあやこだってどっちが名字で名前かを問えば問えそうな気がするけれど、それでひとつづきの名前だと追えば良いような気もしないでもない。柴田勝家って名乗るよりは恐れ多くもないような。とはえい柴田勝家としか名乗れない風貌なので柴田勝家さんは仕方が無いかもしれない。ペンネームっていろいろだ。

 ハヤカワSFコンテストの贈賞式も見た。今回は大賞はなくsanpowという名前でカクヨムとかに書いていた話をまとめて応募した、三方行成さんの「トランスヒューマンガンマ線バースト童話集」が優秀賞を獲得していた。ガンマ線バーストを浴びてトランスヒューマンした人たちによる童話ってことは実質「けものフレンズ」か? 違うかどうか。まあ面白そうではあるけれど、そんな内容と違って作者の方がとても真面目そうだった。両手の指を振りながら「sanpow sanpow sanpow」とはやらなかった。作家として精進していけそう。一方で両手の指を振りながら「原々原々原々原々」をやられる方も拝見。次のSFマガジンに百合を書くらしい。あとライトノベルのレーベルからもライトノベルを出すらしいけど、人間の男の子が主人公だなんて書けるのだろうかといった問いかけが方々から投げかけられていた。Aqoursのライブに行ったかは聞いてない。μ’s派だから行ってないかな。ラブライバーだから行ったかな。いずれにしても名前は見知っていても顔もそれほどしらず交流も乏しいので遠巻きに観察。次のSFを担うのは誰だろう? 藍内友紀さんの次回作にとにかく期待。


【11月18日】 ANIMAX MUSIX 2018 YOKOHAMAではやっぱりWake Up, Girls!の活躍ぶりがとっても気になったというか、気に入ったというか。デビューして登場した映画の公開時に舞台挨拶に行って当人たちを見てからだいたい何年だろう。イベントとかに登場する機会もあって見たような印象もあるけれど、決定的に自分としてファンになる前に活動が自分の関心から離れてしまって、その後追いかけるようなことをしていなかった。同じエイベックスだと「プリパラ」からi☆Risへの関心が膨らんで、「プリパラ」系のライブに行ったりi☆Ris単独のライブに行ったりするくらい、のめり込んでいる。「キラッとプリ☆チャン」のRun Girls, Runもちょっと気になっているかなあ、出演するANIMAX MUSIX 2019 OSAKAに行きたい気がムクムク起こってる。i☆Risも出るし。

 そうやって同じレーベルの新旧のアイドルユニットが活躍を続けている狭間で、Wake Up, Girls!は2019年3月で活動を休止することが決まってしまった。どうしてだろう、っていうのはもちろんユニット名と同じタイトルのアニメーションの動勢とも関係があるんだろうけれど、それならどうして「プリパラ」「プリチャン」ではユニットが延命し、Wake Up, Girls!では続かなくなってしまったのかを考えるべき時に来ているのかもしれない。いったい誰が何を狙ってどうしてしまったのか、等々。固有名詞を挙げたところでそこに責任を押しつけられるはずもなし。むしろ生みの親でコンセプトメーカーが排除されて残った人たちが、より高みを目指せなかった方に悔しさを感じたい。奪ったのなら守り切れ、っていうか。

 とはいえ決まったのはらもう仕方が無いWake Up’ Girls!。いろいろあってデビューからしばらく歌っていた「代表曲」ともいえる楽曲をステージで聴かせづらいような話も漂っているけれど、それがあってか関係無しか、聞かせてくれた3曲は過去の代表曲とは無関係。でもそれがなかなかにポップで見ていて楽しくなた。そしてこれだけのユニットをここで終わらせてしまうのがもったいなくなった。活動休止前の試練として3本勝負を与えられ、Luce Twinkle Wink☆と「らき☆すた」の「もってけ!セーラーふく」を総勢12人でのダンス付きで披露し、「少女☆歌劇 レビュースタァライト」の出演声優で作るスタァライト九九組の7人と、「機巧少女は傷つかない」から「回レ!雪月花」を総勢14人でお祭りのような賑やかさで演じてくれた。

 ダンスも歌も完璧以上のユニットだっただけに、どうしてという想いがさらに募る。3本勝負の最後は中島愛あんと「マクロスF」から「星間飛行」を披露。「キラッ!」という決めのポーズもいっしょに見せてANIMAXでは最後となるステージの思い出を作っていた。もっとキラッとしたかっただろうなあ。こうなると残る活動も見てみたくなったけれども最終の“地元”仙台でのライブはやっぱり完売みたいで、東京でのライブはなさそうなだけにANIME JAMに登場してどうぶつビスケッツなんかと共演する舞浜アンフィシアターでのライブを見ておくのがやっぱり良いかもしれない。いろいろ重なっている日だけれど調整がつけば考えよう。「タチアガレ」は聞けないだろうけど。でも最後の仙台では最後に聞かせてくれるかな。ダメなら観客が歌って送り出せ。それがワグナーの心意気ってものだから。

 自分がいなくした同級生の実家の中華料理店へと乗り込んでいっては、チャーハンだとかギョーザだとかを何人前も頼んでそこに宇宙人を呼び寄せて、娘を失った店主をまるで動じさせないのはきっとやっぱり新条アカネが神様だからで、そういう風に街を作り替えてしまったんだろうけれどもだったらどうして響裕太は新条アカネの策略にハマらず言うことも素直に聞こうとはしないのか、ってところに神様でも万能ではなさそうな感じが漂う。アレクシス・ケリヴの方が上位で悪魔的な立ち位置からそそのかして新条アカネを神様に仕立て上げただけで、すべてが手のひらで躍らせることができる訳ではないのか否か。気になるけれども目の前で曖昧な返事で拒絶までされても切れなかった新条アカネはちょっと珍しい。やっぱり人前では仮面を被り続ける訓練が出来ているのかな。

 でもアンチがアレクシス・ケリヴの力で怪獣を生みだして戦いの現場に乱入した時は何か嫌そうな雰囲気を出してた。問答無用でアレクシス・ケリヴが映ったモニターを蹴り飛ばしていたから、そのあたりの直情径行はやっぱり新条アカネの本質に近いんだろう。っていうかモニター蹴り割るのは何枚目? それでなお平気にあの家に住んでいるのは神様だからなのかお金持ちだからなのか。そこもやっぱり気にあるけれど、無理に探求はしないで毎週少しずつ明らかになっていく展開を剥かれたタマネギの中をのぞくようにして味わっていこう。芯はあると思いたい。アンチはこれで退場ってこともないんだろうなあ。グリッドマンに4つの新世紀中学生によるパーツがついて大活躍できるようになるのはいつなんだ。やっぱり気になるんで早く来週、来ないな。

 昨日、6時間のANIMAX MUSIX 2018 YOKOHAMAを見たわ。今日は4時間のラブライブ! サンシャイン!!からAqoursの東京ドームでのライブ。明日は……さすがにないけど2日間で10時間を見ても飽きないところがアニソンの良さ。明快で楽しく心地が良い楽曲が多いから。そんなラブライブ!サンシャイン!!のAqoursは2016年4月1日のμ’sが立って以来のラブライブ!勢としての東京ドーム。その時は観客席から皆で見ていたそうだけれど、自分たちでそこに立つという想像はなかなかできなかったみたい。そりゃそうだろう、同じ「ラブライブ!」をいう名を冠しながらも社会現象にまでなったμ’sと同じだなんてとても思えなかっただろうから。

 でもAqoursはやってのけた。しっかりとライブを積み重ねアニメでの活動もしっかりと続けていってようやくたどり着いた東京ドームは2日間が満席で、ライブビューイングも入れれば15万人が見た勘定。これってもしかしたらμ’sを上回っているかもしれない。そして何より嬉しいことは、Aqoursは「今が最高」と歌ってそこを最後にはせず、これからもどんどんと活躍をしてはまた東京ドームに戻ってきたいと言ってくれていること。映画だってこれから公開されるし、台北にソウルになぜか幕張も含めたアジアツアーなんてのも行い、メットライフドームでもって5th Liveも開催する。つまりはこれから現役バリバリに突っ走っていってくれるユニットは、紅白歌合戦に出てもなお卒業なんてしないで来年も再来年も出場するくらいのビッグなグループになってくれると思いたい。次はいつ東京ドームで遭えるかな。仕事じゃなくってチケット買って見に来たいな。

 っていうか仕事で来たくても仕事場がなくなるような気さえしないでもなかったり。FACTAって経済誌が書くには「自前の販売網がなくなる地域では、地元紙や他の全国紙に委託して配るか、郵送する形となる」とかで、販売網を縮小してかいくことになるらしい。でもそんなことは名古屋ではとっくにやってるし、外の地域も合配でずっと相乗りだった訳で自前の販売網なんてそもそも無いに等しいのに、さらにこう言う書き方をするのは関東の1都6県と関西の2府3県以外はもはや合配すら諦め、それらに間に合うように印刷して配送するコストすら削るって意味なんじゃないのかなあ。意地でも全国に届けて全国紙と言っていたのがもう出来なくなるっていうのはそういうこと。でもって届けられない地域はどうするかっていうと電子新聞を読んでって話になるんだけれどそれで読まれるならとっくに今の段階で全国で電子新聞が読まれている訳で、そうでないのはそういうことってだけなんだろー。未来は何処。


【11月17日】  三木なずなさんの「善人おっさん、生まれ変わったらSSSSランク人生が確定した」(ダッシュエックス文庫)をとりあえず読む。現世で善行を積みすぎて神にも転生可能だと天使に言われながらも従わず、そのまま人間へと転生する際に聖水を飲まなかったものだから前世の記憶を持ったまま貴族の息子として転生。もう2歳くらいで普通にしゃべれるようになり、聡明な上に多大な魔力も持っていて父親を助けて悪を排除するような善行を積んでいく。その魔力量は史上最高レベルで錬金術だって賢者の石だって行い作り出してしまうほど。でもそれを世界征服のようなことには使わず普通に日常を送っていく。許嫁もいて美少女の皇帝からも好かれてなお6歳とかの子供として日々を過ごしている。

 チート過ぎるし俺TUEEEE過ぎるけれどもそれゆえに敵はなくいても早く生まれ変わって人間になるようにと諭して滅する功徳ぶり。そんな振る舞いに嫌味がなく、ひたすらに真っ当に世の中を突っ走っていくところが読んでいてストレスを感じないで楽しく読める理由になっているのかなあ。瀬戸際まで追い詰められながらも大逆転する話も悪くはないけれど、だったら追い詰められる以前に最初からすべて圧倒すればいい。そんな存在がいればこの世に争いは起こらないし誰も不幸にならない。ある種の理想。世界もいつかこうなれば良いのに。ナポレオンのアレキサンダーもジンギスカンも誰もそうはならなかったこんだよなあ。だからこそ求められる理想の英雄。出でよいつか。この爛れた世に滅びをもたらすために。って滅ぼされるのかやっぱり。

 横浜に行く用事があったんで、横浜駅前にあるクロサワ楽器で今日から始まった楽器祭りをさっと見物。おおユーフォニアムだバリサクだ。「響け!ユーフォニアム」なんかを見ているとついつい欲しくなってしまうけれど、どちらも買ってしまっては家に置く場所がないし、吹こうにも音が大きくてアパートではちょっと練習ができない。実家だったら周囲に家もあまりないからミュートをつければ練習できそうだけれど、そのためには会社が傾いて沈没をして実家に帰って失業保険で暮らすしかないからなあ。その可能性はゼロではないどころか割と高い確率であるんだけれど、そうなると今度は楽器なんて買っている余裕がない。おそらくはこれが最後になるかもしれない賞与とやらで買ってしまうか。でもバリサクもユーフォもそれを買ってしまったらあとに残らないのだ1銭も。それがボーナス? それがボーナス。そんな所までもう来ている。

 そして横浜アリーナで開催のアニメミュージックの祭典「ANIMAX MUSIX 2018 YOKOHAMA supported by ひかりTV」を取材で見物。栄えあるオープニングアクトを務めたのはオーイシマサヨシとTom−H@ckによるOxTで、目下放送中のアニメーションではミステリアスな展開が注目されてナンバーワンを突っ走る「SSSS.GRIDMAN」のオープニングテーマ「UNION」を聞かせてくれた。おまけにグリッドマンも登場。この格好良さを見て改めてアニメを見たくなった人も多いんじゃなかろーか。さらにOxTは懐かしい「プリンス・オブ・ストライド オルタナティブ」の「STRIDER’S HIGH」を披露。観客から「ソォーイ!」のかけ声をもらって一体感を出していた。

 OxTが凄かったのはそれだけじゃなくって、女性アーティストが断然多いANIMAX MUSIXに来ている男性アーティストだけを集めた上に、女性アーティストの歌を元のキーのまま唄わせるという無茶ぶりな「漢祭り!」というコーナーにも登場しては、ずっと歌いたかったと要求していた楽曲として「ウェルカム・トゥで始まる…」と言ってあああの楽曲だなと観客を誘い、ペンライトを草原のような緑に変えさせた後で言葉通りに「ウェルカム・トゥ」で始まる「北斗の拳2」のオープニング曲で、TOM☆CATが歌った「TOUGH BOY」を熱唱して観客たちを唖然とさせつつ圧倒した。パワフルなボーカルはやっぱり凄いオーイシマサヨシ。なおかつちゃんと「ようこそジャパリパークへ」の歌詞も織り交ぜていてちゃんとくすぐりを心得ている。凄いユニットになったなあ。

 一方のTom H@ckさんはMITH & ROIDの方でも登場してはライトノベルの楽曲を演奏するセレクションの第2部で「幼女戦記」と「オーバーロード3」の主題歌をそれぞれ聴かせてくれた。というか「幼女戦記」や「オーバーロード」はライトノベルで良かったんだと改めて思ったというか。あのあたりは扱いがなかなかに曖昧だったりするのだった。戻って漢祭りの方は、PENGUIN RESEARCHが「涼宮ハルヒの憂鬱』で平野綾がハルヒとして熱唱した「God knows…」をハイトーンボイスで聞かせてくれて、アニメ以上にスピーディーでテクニカルなギターソロも披露された。

 漢祭りにはGRANRODEOも登場。声優として出演していた谷山紀章が楽曲を提供していたギタリストの飯塚昌明と出会い、GRANRODEOを結成するきっかけとなった「君が望む永遠」からMinami(栗林みな実さん)の「Precious Memories」を披露してくれた。のびのある声はまるで持ち歌のような伸びのある声を聞かせてくれた。そのあと、PENGUIN RESEARCH、OxT、GRANRODEOが揃って「けいおん!」から「Don’t say “lrazy”」をパワフルに歌って漢祭りを締めくくった。ちなみにこの最後の楽曲でギターをひっていたのが若き日のトムさんらしい。いろいろと奇縁があるなあ。

 アメリカが沖縄や小笠原諸島を日本に返還したのは、別に領土としておかなくても基地とか自由に作れるし、冷戦だとか対中国といった状況の中で日本にもっと働いてもらうなら、喜ばせておいて損はないと考えたのかもしれないし、ベトナム戦争で疲弊してリベラルに傾いた民心なんかをそらして、自国の結束を高めようとした意図なんかもあったのかもしれない。本国から遠く離れた極東の、ハワイのように観光地としても未成熟な土地にいつまでも関わっていては大変だって思いもあったのかな。そうした意識があってもなくても、手放してくれたのはやっぱり珍しいことで、ソ連なんかは北方領土をいつまでも手放そうとはしなかった。

 韓国も竹島を実効支配したままで、いつしかそれを国の尊厳のような位置にまで持っていってしまったからもう絶対に占領前の状況へと戻すことはないだろう。領土問題とはそういうものだから。それは日本が尖閣諸島の領有を主張して譲らないのと同じこと。いつしか対中国の橋頭堡としてシンボル化されてしまった尖閣諸島周辺海域を、中国といっしょに調査して海底資源を有効活用していこうといった話にすらならないし、なり得ない。それを言ってしまっては敗北であり、実質的な支配権を譲り渡すことにつながりかねないと考えているから。それでずっと塩漬けはもったいないよとなっても、尊厳の前には腹が減ろうが飢え死にしようが関係ない。そういうものだろう。

 北方領土もたとえ2島がもしかしたら返還、というより相手の言い分ではロシア領土として認めた上で日本に譲渡されようとしても、4島こそが今もなお日本の領土であってロシアに実効支配されているだけであって、それらの将来の返還につながるような言質を得ない限りは話を聞いたりするのはダメで、口にすることすらイケナイこと。それが、尖閣や竹島で頑なな人たちだなんだと思っていたら、そういった人たちが支持する我らが安倍総理が、2島返還をほのめかしたことでなにやら雲行きが怪しくなった。

 4島の帰属は日本であって、そのすべての返還というのが鉄板だったが故に進まなかった北方領土問題を、少しでも動かした偉い人ってなってしまいかねない。それは結局のところ、尊厳ではなく体面しかなく盲進すらあってそれですべてが判断されているってことになりそう。なおかつそうした2島の返還なり譲渡ですら真実かどうか分からない。そんなことは言ってないけど言うかもしれないから、まずは平和条約だって言われ、それすらも前進を言いくるめて引き受けてしまうかもしれない。結果、永遠に北方領土が返ってこなくても。そんな問題すら存在しなくなっても。それでも支持される総理の下で動く日本が10年後にどんな姿をしているか。考えるだけで夜寝られなくなっちゃう。ずっと寝ているかもしれないけれど。ニートとして。あるいは死者として。


【11月16日】 「キネマ探偵カレイドスコープ」シリーズの斜線堂有紀さんによる新作「私が大好きな小説家を殺すまで 」(メディアワークス文庫)を読んで思ったこと。もしも幕居梓が鮎喰響だったら、遥川悠真は3作目でなじられ4作目で蹴り倒されていたかもしれない。ちゃんとしたものを書かない作家に響はとっても厳しいから。でも梓は信奉し似せて近づき超えてしまった。作家にとってはそっちの方が辛いかもしれない。デビュー作が大ヒットした遥川悠真が大好きだけれど、家では母親に虐待され夜の間はクローゼットに閉じ込められていた幕居梓という小学生が、手に悠真の本を持って線路際に立っていた時に悠真に声をかけられる。

 自分の本を持って自殺されるのは迷惑。とまあ素っ気ないけど親切で、母親が蓄電してひとりぼっちになっていた梓を家に招き入れ、本を読ませ半ば世話もするような形で時間を凄く。中学校にも通うようになった梓だけれど対照的に悠真は新作への評判が果てしなく悪く、何も書けなくなってしばらく。本など持ち込めないクローゼットの中で覚えた悠真の本を反芻していたくらいに知り尽くしていた梓が悠真のような文体でモチーフで書いた初の小説を、悠真が自分の作品として世に問いそれが大ヒットしてしまう。以後も短編を梓が書いて悠真の名前で出したり。ゴーストと作家の決して隷属ではない協業関係が出来ていく。

 でもやがてゴーストが梓の学校の男子に露見し、一方で日常を書き綴っていた言葉を悠真に読まれた先。起こった悲劇は果たして悲劇だったのだろうか。ずっと悠真になり切ろうとしていた梓だったけれど、そしてそれを信じていたふりをしていた悠真だったけれども梓の学校の男子はそれは梓の文体であり梓の小説なんだと喝破する。自分では認めたくなかった自分の才能。悠真のためにすべてを尽くすことでしか居場所がなかった梓にとって、それは恐怖だったかもしれないけれども一方で悠真にも恐ろしいことだった。否応なく認めなくてはいけない現実。そして……。落ち着いた先、残った者たちが道を歩み始めた先にある、それぞれが自分の脚で歩いた結果がどうなったかが知りたい。響は自分を貫き通した。梓は自分になれたのか。

 「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」の宣伝も兼ねてかつて「宇宙戦艦ヤマト」を最初に取り上げたらしい当時はまだアニメ誌ではなくカルチャー誌だった「OUT」を復刊させようとする動きがあるらしく、上映イベントに関連してそうした発表もあったようだけれどもこれを聞いてまったくピンと来ないのはそのヤマト特集号を目の当たりにしたことがなく、またその登場が自分にとってまったく印象に残っていないからでどうしてヤマトでOUTなのかが、ヤマト人気に火を付けたきっかけだったという客観的に見知ったレッテル以外に思い浮かばないからなんだろー。アイビー特集で一世を風靡した雑誌「POPEYE」がVANヂャケットの復刻ブレザーにおまけでつくような感じ? それなら買ってしまうかなあ。

 「OUT」というアニメ誌についても買ったのは1980年の3月号、あの「機動戦士ガンダム」を特集してピンナップとしてセイラ・マスがヌードになった「悩ましのアルテイシア」を掲載したということを半年とか経ってから気がついて、探して古本屋で手に入れた程度で、そのピンナップは大切に利用したけれども外のページに何が載っていたかはほとんど記憶に残っていない。「スターシマック」は載っていたかなあ。だからもうちょっとたって「OUT」がアニパロで有名になってもそれは単行本とかで読む程度。濃い投稿にもハマらずアウタシアンなんて言葉も知らないままひたすら「アニメッック」でストーリーとか設定回りを追っていた。あとは昔の特撮とか。

 想像するなら1980年代に大きく話題になったアニパロと投稿の「OUT」のファンが懐かしの「OUT」復活だと喜んでいるんだろうけれど、でもそうしたファンって1977年にはまだ子供で「宇宙戦艦ヤマト」の特集をしてカルチャーの中にアニメーションをぶっ込んできた、アバンギャルドでアグレッシブな雑誌としての「OUT」を見知ってその“復活”を喜んでいる感じじゃない。そしてアニパロとして楽しんだだろう人たちにとって「宇宙戦艦ヤマト」は多分それほどの題材じゃなかったんじゃなかろーか。むしろ「ガンダム」であり「サムライトルーパー」といった当り。そこに「宇宙戦艦ヤマト2202」をぶっ込んで、無理矢理に初期と全盛期を接続してのける企画が誰にどれだけ喜ばれるのか。そこが今は気になっている。お手並み拝見と行こう。

 旭日旗そのものを厭う気持は分からなくもなくって、それが近年のメディア環境の中で濃縮されるように発露しては煮え固まってしまったものでも、そこに至るまでにもつれた感情を整理させられず、むしろ煽るような施策を打ち出してきた側にも一定の責任があることも理解している。自衛艦に掲揚されるものは旭日旗ではなく識別旗だと主張しても因縁がほぐれないことも残念だとも思うけれど、そうした日本の旭日旗由来ではなく、中国の文化大革命期にいろいろと作られた毛沢東主席を偉大と称え、毛沢東語録を太陽のごとき書物だと崇めたい意識を赤い放射線に表現したデザインをもって、日本の旭日旗だと言いつのって、そうしたデザインを利用した映画祭のポスターを批判するのは流石に違うんじゃなかろーか。

 それって日本のみならず、中国のデザインに対して異論を唱えていることでもあって、瞬間にそうだと判断したものの今となっては少し振り返って判断して欲しい気がする。もしも中国の文化大革命時代に発生した、赤い放射線で毛沢東主席を偉大な存在と称えるような意匠を元に描かれただろうデザインがいけないというなら、例えば中国のアーティストが文化大革命期のそうした意匠を使ってパロディなり、時代を象徴するようなアートを作り、デザインを行っても自分たちとは無縁の国で、むしろ敵だった日本の旭日旗と混同されて非難されてしまいかねない。それって迷惑なことこの上ないし、独自の文化に対する侮辱も甚だしい。そこまでの意識があったのか否かを、映画祭のポスターに異論を唱えた人は言うべきだし違うと分かれば撤回すべき。似ているから悪いじゃあそれはやっぱり宜しくない。さてもどうなることやら。

 収監されたシェリルを助けにアルトが女装して乗り込むのってもっと早い段階かと思っていたら、後半だったことに改めて気付いた「劇場版マクロスF サヨナラノツバサ」のMX4D上映。バルキリーでの戦闘シーンであっちこっちに動き回るシートの凄さに振り回されて膀胱の尿が降りてきてちょっと大変だった。歌の方はランカの方もシェリルの方もテレビシリーズからすっかり離れた楽曲を多く歌っていたんだなあ。そして三島も大統領も割と悲惨な死に方をしていた。テレビだとどうだったっけ。ラストはアルトが遠くへ行ってしまうというのは覚えていたからそのとおりだったけれど、残されたシェリルが目覚めるのがいつになるか、分からないだけにアルト帰還後の世界というのが見たくなった。Δへと移行してしまった今はもう無理かも知れないけれど、いつかFの劇場版の続きをお願いしたいところ。アルト姫はやっぱり美人だなあ。


【11月15日】 電撃大賞の贈呈式では今回、どのカテゴリーでも大賞が出なかったことが気になったけれども選考委員ではイラスト部門のいとうのいぢさんがこれからは個性が必要って話していた件。いとうのいぢさん自身の個性と聞かれて即座に答えられるかというとやっぱり悩むところだったりするけれど、見ればそれと分かる線であり造形というのがいとうのいぢさんにはあるような気がする。それは立派な個性であり武器。そうした部分がこれから出ているクリエイターにもあるかどうかってことになるんだろう。

 今年はイラストで金賞のうらべさんは巧かったけどどういった個性が出せるかが未知数。マンガで金賞の岩国ひろひとさんはすでに作品の掲載が始まっているからやっぱりすでに確立したものを持っていそう。同じく金賞の御眼鏡さんは可愛らしくて賑やかな絵が描けそうな感じだったんで、これからオリジナルを描くなりコミカライズを手がけるなりする中で独自性を見せていってくれるんじゃないかなあ。名前を刻んで追っていこう。小説はやっぱり人それぞれかな。

  口笛を吹いていたホイップさんんはあれは絶対に桃山みらいのお父さんなんだろうけれど、明確には言及されないままさっと来てはさっと去って行ったその間で、あのアンジュさん相手に口笛で楽曲を残してそれがそのままMiracle Kiratsの新曲となって歌われることになったみたい。「キラッとプリ☆チャン」でお披露目があったけれどもこれといって凝ったメロディではなくって割と素直にストレートなアイドル歌謡といった感じ。というか「キラッとプリ☆チャン」で歌われる楽曲は全体に分かりやすいメロディラインで「プリパラ」なんかのポップミュージックとはやっぱり一線を画している。その意味では大人の視聴者が聞いて満足できるかといったところで戸惑いもある感じだったりする。

 ただ、9月の中野サンプラザでのライブに登場した「キラッとプリ☆チャン」勢力が見せてくれたパフォーマンスはなかなかにビビッドでグッとくる感じで、アイドルとしての実体を持って歌われるとなかなかに強い存在感を醸し出してくる。それでいて子供でも覚えやすいメロディラインは、番組の視聴者年齢をぐっと下げたところに想定している「キラッとプリ☆チャン」にとってはむしろ必須のものだったのかもしれない。児童や小学生の低学年が見て楽しんで自分も憧れるアイドルの姿。そしてなり切って遊べるという楽しみ。それらを展開する上で分かりやすい楽曲をわざと選んで提供しているのかもしれないなあ。12月には幕張メッセでライブもあるから、そこで外の「プリパラ」勢と対抗してどこまで目立てるか。期待して開催を待とう。チケットは確保済みだし。席どの辺かなあ。

 こつこつとコンビニで見つけては買って食べていた「けものフレンズマンチョコ」のシールが淡路町のファミリーマートで購入した中に入っていた分でようやくコンプリートできた模様。シークレットのスザクとヤマタノオロチは前に確保していたものの、どうやらコンゴウインコとアミメキリンが出ていなかったようでこれまでの確保分とまとめてみたら、それらは重複がなかったからやっぱりそうだったんだろう。これで20種類が並んだけれども問題はどうやって保存しておくかか。名刺なんかを並べるカードケースに1枚ずつ入れておくかなあ、いっそ何かに張ってしまえば剥がされない限りは残るんだけれど、新品のままとっておきたい気もするし。人気の流れで生まれたような商品が、来年1月からの新番組の後にもちゃんと同情するかは目下とっても不確定。これが最後になるかもしれないといった覚悟で重複分も含めて保管しておくか。一部の店頭ではまだ売ってるみたいなんで買い足していこう。

 そんな淡路町から歩いた場所であの萩尾望都さんが登場する舞台の製作発表会見を見物。2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所の事故後、起こってる出来事へのいたたまれない思いなんかをすぐさま漫画に描いて発表し、大御所がこれだけ素早く動くのか、それだけ事態は深刻なんだと思わせた短編漫画「なのはな」が、あの男優だけの劇団スタジオライフによって舞台化されることになった。24ページほどの短い作品だけれど描かれていることは祖母を失って小学6年生の少女は迷い母親は嘆き祖父は空元気を見せているけどやっぱりもういないだろうことは感じて入る。そんな複雑な心境の中で果たしてどういった希望を見いだせばいいのか、ってところでこの漫画はなのはなを植えて土壌の改良を進めようとしたチェルノブイリの事例が提示される。

 果たしてなのはなだったりひまわりだったりする植物を植えて土壌が綺麗になるのかは分からないところではあるけれど、何もできないんだという無力感に苛まれていた所に聞かされたそうした情報は、何かできることがあるんだという光明となって人々を勇気づけ元気づけた。そのエピソードを含んだこの漫画もだからやっぱり震災から今度の3月で8年が経ってだんだんと記憶が薄れつつある中で、まだまだ福島には大変な人たちがいて大変な状況が続いているし、震災全体を含めても復興のまだ途上だったりするのが、舞台化によって改めて世に存在を知ってもらえるといった光明をもたらしそう。「ラララ」の歌を唄っていたシンガーのモデルとなった明石さんがそのまま楽曲を作り舞台に立つそうで、あの演者の中に入ってどれだけの演技を見せてくれるかが気に掛かる。若い頃に文芸座にいたというから演技はできるんだろうなあ。「ラララ」の歌で何が歌われるかか。萩尾さん詞を書き足したりするかな。公演を期待して待とう。

 東海地方に在住経験のある中高年から浮かぶ「浜名湖パルパルって前は舘山寺パルパルだったよね」って見解。調べて実は浜名湖パルパルの前は遊園地パルパルだったとうのは既に書いたことだけれど、問題はどうして「舘山寺パルパル」という名前が浸透していたかってところでCMがあったのか連想させる並びがあったのか、調べても出てこないだけに難しい。聞けば済む話かもしれないけれど、当時を知っている人が浜名湖パルパルに残っているとは限らないしなあ。しかしどうして「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」は浜名湖パルパルだったんだろう。石井・風花・アネモネの暮らしていた場所が近かったのかなあ。

 だったら外に行きたいところもあったかもと想像してみる中部・東海レジャー施設。「おおい風花、今日パパやっと時間ができたから前から行きたがってたあそこに連れて行ってあげるよ、香嵐渓ヘビセンターだっけ」「違う浜名湖パルパル!」「いやあパパ、前からアネモネ、じゃなかった風花の雰囲気はヘビっぽいなあと思っていたから香嵐渓ヘビセンターに行きたいって聞いてやっぱりと思ったよ」「だから浜名湖パルパルだって!」「ほうら着いたぞいっぱいヘビがいるなあ、あれはキングコブラだね、ヤマカガシにハブにヒャッポダ。ニシキヘビもいるよ。眼なんてアネモネ、じゃない風花にそっくりだ、type the ENDを操縦している時の」「浜名湖パルパル……」。

 そんな会話が石井家であったらちょっと愉快かも。香嵐渓蛇センターは1度だけ行ったけれども本当に蛇がいっぱいだった。あるいは「アネモネ、今日パパ休みが取れたから連れてってあげるよ、前から行きたがってた恵那峡ランド」「浜名湖パルパルだし、ってか今は恵那峡ワンダーランドだし」「関ヶ原メナードランド?」「潰れたし」「サンケイバレイか」「とっくに琵琶湖バレイだし」「びわこー温泉」「こーよーパラダイス、って違うし」。思い出す昭和。いろいろなCMが流れていたなあ。だから名前は覚えた。行ったことがあるのがこの中には1つもなにも関わらず。それでもそれだけにやっぱり舘山寺パルパルの“語源”が気になる。CM流れていたのかなあ。


【11月14日】 お台場の(青海だけれど)日本科学未来館でずっと開かれていたデジタルコンテンツEXPOがなぜかIntaer BEEという放送と映像の展示会に引っ張り込まれて開催されることになって幕張メッセへ。企業や大学の研究室なんかが成果を発表する展示は変わってない上に、周囲に放送だとか映像に関する大手の企業がひしめき合っている中での展示は、逆に新しいアイデアや技術があるからといって誘われ、今後の展開につながるような可能性もありそう。学生なんかが出しているVRのコンテストでも、そこに面白さがあれば企業なんかがスカウトに来るとかあったら楽しいんだけれど、それだけの目を持った企業はあるかなあ。

 そんなデジタルコンテンツEXPO2018では筋電気刺激を使って自分の手の動きを誰かに伝えるような装置があって、目の前の人が指を曲げると自分も曲げざるを得なくなる感覚が操られているようで面白かった。いずれ生体アンドロイドを遠隔操作する、なんてことも可能になるのかな。同じ装置ではパーキンソン病の人の手の震えを再現して、それでいろいろな道具を扱うとどれだけ厄介かなんてことを体験もさせていた。病気の人の苦労を健常者がいくら想像したって現実に体験することにはかなわない。ならばそれを再現してみようって感じ。前々から同じ筑波の研究室では、障がい者とか子どもの身になれる装置を開発していたからその延長なんだろう。

 学生対抗のバーチャルリアリティコンテストもデジタルコンテンツEXPOと日本科学未来館で併催されていたものが、今回は組み込まれるような形で開催されていて、大学とか大学院とかが研究室から自慢のVRを持ちこんでいた。狼に噛まれて血が噴き出すVRとか、体験すると血が噴き出しても安心な気持になれるのかな、ってそれじゃあ死んでしまう。どれだけ痛くて恐ろしいかを体験しておくことで、避けようという気になれるVRってことらしい。あと自分のVRヘッドセット越しに見ている視界が離れた場所にある仮面の見ている視野と重なっていて、顔を動かすと仮面も動くといった装置は、自分がVRを楽しんでいる上にそのしぐさを外部からもで見られ、なおかつ仮面の目を覆うとVRの視野もふさがれるよういしてあることで,外から介入もできる。一人遊びになりがちなVRを大勢で楽しめるようにする装置。これも活用されそう。

 そんな中にあって立教高校池袋校の生徒が出していたVRが、火災の現場を歩いて逃げるVRで火にまかれて煙を吸ってしまうような状況を、はき出す二酸化炭素の量を量ることで再現してもういっぱいいっぱいになったらそこで倒れてゲームオーバーにしていた。なかなかの緻密さ。なおかつominiっていう丸いゲージの中で足の裏を滑らせムーンウォーク的な動作を行うことで進んでいるようにする装置を、自分たちで再現して作り上げて持ちこんでいた。スリッパで歩くと畳で滑って戻るため何歩でも繰り返し歩いて行ける。それを学生が作ってしまう根性に喝采。ほふく前進を再現して爆弾まで辿り着いて電線を切るVRは長野の工業高校によるVR。高校生の頑張りが目立ったIVRCだった。

 うひゃあ。事実が記された歴史書だって嘯いていたと思ったら、織田信長が比叡山の焼き討ちとかをやったって記述をしつつ一方で、日本は大虐殺を行ったことなんてないって記述もあってどういう矛盾なんだという指摘が繰り出され、どっちか訂正になるかなあと思っていたら織田信長の固有の振る舞いであって民族として虐殺をしたことがないっていう、文学的な修辞なんだけれどそれを分からない奴は莫迦だなんてことを言い出して、歴史書だって行ってた言葉は今度はどこにいったんだ、それすらも文学的修辞なのかといった異論も飛びそう。当人に届くかどうかは分からないけれど。

 8人いる女性天皇は男系であって、すなわちすべて父親が天皇だったという記述にしても、2人が違っていてそのうち1人は死後に天皇とされているから該当しないこともないけれど、即位時を考えるなら天皇ではなかった訳だし1人は確実に外れていたりする。歴史なんだから極力厳密さを求めてしかるべき部分に対して、1人くらい違っていたって良いじゃん的な態度を見せてそれを擁護する人たちのどこに、歴史を自分たちにとって正しいものに引き寄せようとする意思があるのか。自分たちに都合が良いように解釈をしてそれで納得すればオッケーという、とてもじゃないけど歴史に向き合う態度とは思えない。まあそれで良いんだろう、自分たちが愉快でいられさえすれば。

 新たに日本人の特質について織田信長のことを記したルイス・フロイス神父が書き送った言葉だってものを挙げていたものが、実はフランシスコ・ザビエルの書いたものだったって指摘もされていて、これなんてもう完璧なまでに間違いなんだけれどもどういう言い訳をするんだろう。同じ外国から不況に来た神父ということで、同列に考えるのが文学的な解釈なんだと主張するんだろうか。しかねないよなあ。あとどうやらユダヤ人に協力した人を記載していくゴールデン・ブックというのがあるらしんだけれど、それがユダヤに貢献した人の名を刻む石碑ということにされ、日本人の名が杉浦千畝も含め刻まれているって書かれていて、いったいどこから出た話なんだってことになりそう。っていうか育鵬社の教科書にそうあるらしいから、それに石碑というネットロアを絡めて引っ張ってしまったんだろうなあ。果たして今後指摘が挙がるか。ネットの噂をも広い歴史にする文学的作法とでも言うんだろうか。言いかねないだけに恐ろしい。

 これでもう20回目くらいの取材になるんだろうか。かつてのメディアワークスがアスキーメディアワークスとなって今はKADOKAWAとして実施している新人賞の第25回電撃大賞の贈呈式があって、応募総数5631作の頂点にいろいろな賞が贈られた。小説では大賞が出なかったけれども金賞に新潮189センチと大型新人の渋谷瑞也さん「つるぎのかなた」が輝いて、三上延さんからトロフィーなんかを受け取っていた。剣道の世界で最強と呼ばれながら、もう2度と剣を握らないと決めた少年が、剣の道に戻り仲間やライバルを得て成長していく姿を描いた高校生たちの青春剣道物語。弓道だったらアニメもやっている「ツルネ」があるけど剣道だと誉田哲也さん「武士道シックスティーン」みたいな感じになっているのかな。刊行されたら読んでみよう。

 凄かったのが渋谷さんの受賞コメントで、が、金賞は受賞者のうちでは最高賞ながらも「悔しい」とまずコメント。刊行に向けてすでに直しが始まっているんだけれど、その原稿に様々な指摘をもらって「こんなにも直すところがあると自分で気づいていれば、もっと面白いものが作れて上にも手が届いたかもしれない」と話した。つまりは大賞を逃したことがやっぱり残念だった感じ。とはいえそうした順番が後々に影響をしないのが電撃大賞。受賞しなくたってデビューしてベストセラー作家になれる。三上延さんがそうだった。だから順位とか気にせず「日本一面白いレーベルに見いだして頂いたことに責任と誇りを感じつつ、エンターテイナーとして良い物を作り続けていきたい」と渋谷さん。その心意気がどんな作品を生み出すか。来年2月くらいの発売を期して待とう。

 総評も興味深くって、コミック部門の選考委員だったいみぎむるさんは「全体のレベルが高く、みな上手だなあと思って見ていました。受賞を逃してしまった作品にも、すごく上手な作品があって、絵の上手さだけでは今は受賞は難しいと思いました。絵の上手さにキャラ作りや演出の上手さ、セリフの上手さが絵にプラスして必要です」と指摘して、もっと個性を出していく必要性を訴えていた。同じことはイラスト部門のいとうのいぢさんも言っていて、「年々、レベルが上がって来ている。選考段階で見ているものは、どれが受賞してもおかしくない上手な作品ばかり。個性とか自分の武器を強みに出していかないといけない時代。自分のこれだけは負けないというものを推して、高めて頑張って欲しい」と呼びかけていた。個性って何か、それはどういた層に受けるのか、なんてことも考えて描く必要があるんだろうなあ、小説も似たような設定の上にどう個性を乗せるかを考えたいなあ。


【11月13日】 公開から2周年を迎えた「この世界の片隅に」の舞台挨拶付き上映に片渕須直監督が登壇して、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の進捗状況を話して、どうやら着々と進んではいるらしいんだけれども元よりスケジュールと予算の関係から難しい場面を避けていたこともあって、それらを復活させるとなると相当な手間がかかるといったところで30分伸ばすからといって30分アニメを作るスケジュールではいかなさそう。まあ気長に待つから良いんだけれども2019年は湯浅政明監督の新作映画「きみと、波にのれたら」が初夏に公開予定で強力な対抗馬になりそう。

 あとは「響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」も確か4月だかに公開で、原恵一監督の新作だとかもありそうだし、新海誠監督の方も何か動いている感じ。「ガールズ&パンツァー最終章 第2話」も6月くらいにあってと話題作が目白押しだから、そんな中で公開されて戦って果たして勝てるのか、ってすでに勝ってる映画だからあとはおまけの人生を歩んでくれればそれで良しってことなのかもしれないけれど、27億円まで興行収入が達したところで新作にまたいくらかぶっ込めんでしくじれば、次に作りたいものも作れなくなってしまう。だからやっぱり成功して新作と同列に語られ賞レースにも乗っかった先、新たな観客を得て盛り上がって欲しいなあ。その成功をバックに次の作品へと向かう、と。2021年ごろだっけ。期待して待とう。

 そして末次由紀さんの「ちはやふる」第40巻を買って若宮詩暢のYouTuberデビューを確認したものの美少女ではあっても趣味は悪くテクノロジーに疎いその身でいったい何ができるかといったところが大きな課題になっていきそう。まあ競技かるたのクイーンという珍しい職種ではあるし見かけとのギャップも凄まじいのでそうした意味では目立てそう。クイーン戦への挑戦が決まった綾瀬千早との対戦を想定しての練習相手にされそうになっている綿谷新は、いきなり訪ねて来られて配信にも登場させられて大変かもしれないけれど、とてつもなく頓狂な詩暢を相手に木訥さでバランスがとれる新ならあるいは目新しい漫才コンビとして世界に注目されるかも。練習の模様を中継するだけでも凄いコンテンツになりそうだけれど。

 それにしてもここで真島太一を挑戦者に持ってこないのはやっぱり競技かるたという世界において実力を超えてのフロックは出さないといったある種の決意か。祖父が長く名人を務めたかるたの競技者で、その孫として幼いころから教えられてきた新がいくら周防名人の教えを乞うた太一であっても連敗する訳にはいかないからなあ。というか太一が1勝できただけでも凄いかもしれない。東大にだって入れそうな頭でサッカー部でも活躍できる人間だけに、かるたでもそれくらいの実力は出せるってこと。もしもだったら小学校から辞めずに続けていたら……。そこが陸上部とは別に道場で続けてきた千早との違いとして挑戦者決定戦に出たのかな。やっぱり努力は才能に勝ると。

 さてもいよいよ名人戦&クイーン戦となってこれから単行本でも4巻5巻といった戦いが繰り広げられていきそう。まずは下準備として千早が女王中の女王、度会さんの教えを得つつ猪熊遥を詩暢と想定した練習を始めて果たしてどこまで迫れるか。直感の天才ともいえる千早が場当たりではなく対策を練ってそれを覚えていけるとも思えないけど、ことかるたになると雰囲気が変わる度会さんの凄みにあてられこれはやらなきゃいけないと思ってしっかり取り組むこともあり得るからなあ。けどそうやって新年のクイーン戦に熱中して大学進学とかどうするんだろう。そこが謎めく。巻末のおまけ漫画では波田燈吾の姉が登場して2人とも美人で一家揃って明るそう。そんな下で育った燈吾や1年生たちって千早たちが卒業してもかるた、続けるのかなあ。その後輩達はいったい。実写版映画だとひとつの未来が描かれていたけど、そこに向かって進むのか。それにはやっぱり受験頑張らないと。

 なんていうか、例の防弾少年団に対するバッシングだけれど、発端となった原爆Tシャツは文脈的には光復節へのプロセスであって、万歳は彼らにとって歴史的に意味が大きい独立復活への万歳であって、原爆そのものへの万歳でないことは説明されているし、SSの帽子についてはスタイリストが持っていたもので、画像が出た時にやっぱり問題となって雑誌会社と所属事務所側が謝罪をして、写真も撤回されていたことが明らかにされた。つまりは筋が違っていたり、もう済んでいたりする話が今になって蒸し返されては、日本を中心に繰り返しのバッシングが行われている感じで、謝っても許されないと彼の国を批判している人たちが、しつこく批判を続ける態度がどうにも気になって仕方が無い。

 そうした人たちによって改めて蒸し返されているナチス風のライブの演出とかパフォーマンスも、そもそもがソテジというユニットが使っていたマークなりを元にしたものであって、ライブもソテジの25周年ライブに参加して行ったものだから防弾少年団だけが批判されるといったものではなさそう。なるほど黒に赤という配色はミリタリー的でともすればSS的とされそうだけれど、クール系な舞台ではままある配色であって即座にナチスを連想させると言って良いものでもない。あとはライブの雰囲気がミリタリー風である一方でヤンキー風味もあって、そうしたやんちゃなイメージを醸し出そうとしたことに即座にナチス礼賛とクレームをつけては、似たような配色の演出が難しくなってくる。誤解を招くこと自体が問題という声もあるなら、今後気をつけますで良いと思うんだけれどそこをしつこくやることで、溜飲を下げたいタイプの人たちがきっといるんだろう。だから収まらない。音楽という世界で国境を越えて誰もが楽しくなっていけるジャンルで起こった排他と誹謗の連鎖。断ち切らないと永遠に繰り返されるぞ。

エクセルシオール!  「エクセルシオール!」というあの言葉を目の前で本人から聞けたのは何よりの行幸だったかもしれないと、去年の東京コミコン2017に来日したスタン・リーのことを思い出しつつ今朝ほどから世界を悲しませている彼の訃報を受け止める。横にあのスティーブ・ウォズニアックを置いてもなお輝いていたその存在感。世界が熱中するヒーローたちを生みだし続けたことへの敬意が誰からも感じられたステージだった。今年も来てくれるかなあと思っていたけど、アナウンスがないまま月末に開催が迫る中で届いた訃報。やっぱり来られる感じではなかったんだろう。とはいえ開催されることでもあるんでここは東京コミコン2108の会場に、今からでも間に合わせてスタン・リーの殿堂をぶち上げてはあらゆるヒーローたち、ヴィランたちが自分たちの生みの親だと詣でてその旅路を送って差し上げて欲しいなあ。きっと天国からそんな様子を見ながら「エクセルシオール!」と言っているだろうから。

 ディスプレイを開くとキーボードが浮き上がってくるシャープのメビウスMURAMASAを使っていた人間だからノートパソコンがさまざまなギミックを仕込んでくるのは割と好きで、横にキーボードが広がってフルサイズになるThinkPadとかいつか実物が見たいなあとも思っているけどもう古いし今の時代に合わないから作られることはないだろう。逆にディスプレイ部分が取り外せてタブレットになる2 in 1なノートパソコンはこれからの需要で既にある分だけでなくいろいろと増えていきそう。そんな2 in 1ではやっぱりディスプレイが取り外し可能になれば、今度はパソコンとして旨く使えなかったりする問題をVAIOが解決。A12(Pro PA)は画面を開くと浮き上がるスタビライザーが全体を支えて奥に倒れない。そのスタビライザーが案外に堅牢でたためば収まり悪くなく、タブレット部分を外したキーボード部分のフック類とかも飛び出ずかといって小さすぎずタブレット部分を添えればスムースに刺さってぐらつかないのでなかなか扱いやすかった。値段はきっと高いだろうけど使って面白いノートパソコンかも。でもまだしばらくX201を使い続けるんだろうなあ、やっぱりキーボードが打ちやすいんだよ。


【11月12日】 物語としての「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」は、テレビシリーズでどこか不安定でピーキーで、だからこそ異能を発揮できたけれども人生としては不憫だったアネモネという少女が、そのテレビシリーズとは別の世界、得体の知れないエウレカセブンなる物質に攻められ大勢の命が失われたこの僕たちが暮らしているのとまったく同じに見える地球の、それも日本を襲っているところで特殊潜入部隊を率いてそのエウレカセブンと戦った父親の後を継ぐように戦いに加わっていく、といったもので、誰かにやらされているのではなく自分のために戦う姿勢を見せてくれている。

 そしてVRゴーグルのようなものをつけてダイブしたエウレカセブンの中ではまるでテレビシリーズの世界のようにニルバーシュ・タイプ・ジ・エンドを操り吊り下げられるようなスタイルでもってテレビではどこか精神安定剤に過ぎなかったドミニクが、ナビゲーターとして導く中を戦っては勝利を重ねてエウレカセブンの存在を縮めていく。けれどもそこでいつも引っかかる青い髪の少女の存在。「レントン」と叫ぶそのエウレカがやがてエウレカセブンの中心核の奥に潜んで立ちふさがって世界を飲み込もうとする。そんなエウレカをかつてのレントンのように導く石井・風花・アネモネ。そこにもやっぱり引っ張られ引きずられ必死にくらいついていたテレビシリーズのアネモネのような姿は見えない。

 そんなアネモネがいる世界へと引っ張り出されたエウレカは、ずっと探していたレントンと果たして再会できるのか、そして事態の終焉とともに現れたゲッコー号とホランド・ノヴァクやタルホ・ユーキといった面々とどう絡むか、そんな鍵となりそうなデューイ・ノヴァクが企んでいることとは、等々の謎を残して以下次号。それが誰の物語なのかは分からないけれど、やっぱり今はまだどこか遠くにいて空を見上げているレントンが現れエウレカと再開し、アネモネとそしてドミニクまでをも加えた面々がどったんばったんとした大騒ぎを演じてくれると思いたい。まったく予想がつかないところへと向かわせてくれそうで、その意味では「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」と同じ単なるリバイバルではなさそう。これだからアニメって止められない。

 前の映画ではテレビシリーズからの利用というか、それぞれに描き直されてはいるんだけれど基本的には同じレイアウトで使われていた部分は、今回は風花・アネモネがダイブした世界での描写となって登場。吊り目気味になって勝ち気でピーキーな表情がいっぱい見られて懐かしかった。一方でリアルな世界は普通の女子といった感じでどこか可愛らしい。不思議なのは幼少期の場面だけを3DCGによるモデリングのキャラクターにしたことで、顔立ちも表情も作画に比べてやっぱりどこか平板で無表情に傾いている感じがする。それでも視線とか口とか傾きとかで表情を表現したりしていて、そこに声が乗って人格も立ち上がる。作画とちゃんぽんなだけに差異も見えるけどやがれそれが主流になれば慣れていき、なおかつそこに作画と同様の匠が乗ってくるんだろう。印象としては「ブブキブランキ」とかのサンジゲンな3DCGモデルに近いかなあ。メインで作ったのはどこの誰? CG WORLDあたりで特集されると期待しよう。

 月刊アニメージュ2018年12月号に掲載の、「若おかみは小学生!」の高坂希太郎監督インタビューで日本のアニメーション制作会社もピクサー的に「色んな人の意見を取り入れていくべきで、面白いものを作るということについて、もう少し真剣に考えてもいいんじゃないかな」と話しているのがとても気になった。ピクサーもそうだしきっとディズニーも色々な人が色々な場所で作品に絡んで1本の映画に仕立て上げていくから。まずはシナリオのビルド。「ワンマンバンド」のマーク・アンドリュース監督だっったかな、来日した時にインタビューした際に長い時間の相当をシナリオの構築にかけたって話してた。ストーリーがあってこその映画。そこがぶれては面白いものにならないって判断だろう。

 それからこれはカメラオペレーターという職種のサンドラ・カープマンさんがコンテンツ東京で公演したとき、映像作りでカメラ位置とかその動きとかを指摘して直させてたって話を聞いた。カメラがキャラクターの先を行くことはないとかいった感じの指摘を、あがってきた映像に対して逐一行って直させる。それによてスムースな映画の見え方が完成していくといった感じ。こうした作業をおそらくはキャラクターの設定とかシナリオとか作画とかでも行っているんだろう、その集大成として出来上がってくる映画だからそりゃあ万人が見ても感心する出来になっている。日本だと監督が自分の意見が通らないとかんしゃくを起こすなんて話がインタビューには載っていて、誰のことかと想像しつつそれも1つの色だけど、その色が薄くては意味が無いといった突っ込みを小黒裕一郎さんがしていた。

 だから日本ももっと、個々にノウハウとアイデアを持った人たちを集約しまとめあげていくアニメーション作りをした方が良いって話なんだろうけれど、それができるスタジオって限られているからなあ、そもそも人がスタジオに集まるなんてことがないから、日本の場合。あとインタビューでは「ジブリにしても勢いのあるうちに文芸部を作って、才能のある人を集めてちゃんとしたお話を作ればいいんじゃないかなあって、ずっと思ってました」と話していたのも気になった。これに関しては、1996年ごろ、徳間書店がDIRECTVというCSのチャンネルを作った時に、ジブリチャンネル作ってTVシリーズを手がけるラインを作ろうって話があったことを思い出した。鈴木敏男さんにインタビューして記事にしたっけ。

 クリエイターを集め文芸を整えタツノコとか東映アニメーションとかトムスエンタテインメントみたいなスタジオになる道がそこに開けていたけれど、結果は宮崎駿監督ありきのスタジオに収斂。それが「もののけ姫」とか「千と千尋の神隠し」とか「ハウルの動く城」とか生んだんだから悪い話ではなかったんだけれど、結果として宮崎駿監督の“引退”とともにスタジオジブリは“解散”となってクリエイターは散り散りとなって今にいたる。もったいないけどそれもまた選んだ道。代わりに他のスタジオが似たようなことをやってくれれば良いだけってことで、「若おかみは小学生!」を手がけたマッドハウスやDLE、そして良質の作品を送り出し続けている京都アニメーションとかに期待したい。ボンズにも。

 そのボンズ、東京アニメセンター in DNPプラザで「ボンズ20周年記念展」のPart.1最終日だったんで見物に行く。上映されてるボンズ制作のアニメーションOP集を見てこんなにクールでスタイリッシュでポップでファンタスティックなアニメーションを作っている会社だと改めて「ボンズ」というスタジオの名を印象づけられて欲しいものだと思ったり。ジブリとか東映アニメーションとかGAINAXとかプロダクションI.Gとか京都アニメーションとかってスタジオ名から作品が語られることもあるけどボンズって多彩な上にどれも代表作めいてて作品が強すぎてボンズだからという感じにならないような。それだけどれもハイクオリティってことなんだろうけれど。そんな素晴らしく凄まじいボンズの作品のOP集のどれにも必ず出てくる「南雅彦」の名前を日本はもっともっと盛り上げていかないと。メジャーなメディアじゃ鈴木敏男さんくらいしか挙がらないアニメのプロデューサーだけど現役でこれだけ作ってるプロデューサーってなかなかいないんじゃないかなあ。


【11月11日】 ゴジラ、モスラ、キングギドラという三大怪獣らしき者どもがとりあえず存在を揃えながらも、三つどもえのプロレスを見せてくれなかったゴジラ映画があったりするから、別に特撮ヒーロー番組であっても怪獣が出てこない回が今さらあったって不思議ではないし、残念でもない。なおかつそれが「SSSS.GRIDMAN」という、ある意味で特撮怪獣ヒーロー番組をアニメーションでもってメタに構築した作品だったら、中で怪獣が暴れない回があることに言及されて、それがそのまま繰り広げられても、特に驚くことはなしに見てああやっぱり怪獣は暴れなかったなあと安心できるというか、納得できるとうか。そもそも特撮じゃなくってアニメだし。

 そうした特撮的な世界をアニメで描くこと、それが「電光超人グリッドマン」を元ネタにしたものであることを想定するなら、今回のようにより世界そのものへの謎へと話が広がっていってくれた方が嬉しいというか、一気にここまで明かしてしまって後の展開はどうするんだというか。前週にラフティングをしに山へと行って川を下った話を描いて即座になにやら地元に救う怪獣なるものが少女めいた格好をして現れ、響裕太に何が起こっているかを明かし、実際に電車に乗せてそれがどこにも行かないことを感づかせた。駅名の表示が最後はその駅も先の駅も前の駅も同じになっていたところに、世界が「劇場版 魔法少女まどか☆まぎか 新編 反逆の物語」的であり「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」的になっていた。

 だったら、それをいったい誰がやっていたのかというところで、「ビューティフルドリーマー」で言うところの無邪鬼にあたるのが新条アカネ。そのことを地元の怪獣少女は気付いていたようで、そのまま裕太に伝えてしまって驚いた裕太は憤っていたけど相手はその世界を作った神様で、逆らいようもなかったりする気がしないでもない。でもあえてアンチに裕太殺害を命じたってことは、自分では直接手を下せないものなのかもしれない。いろいろと謎めくアカネの神様としての立場。一方で内海将は目の前の神様がご威光を示しながらもそのアカネを埒外と勘違いして袖にした。恨みを買っただろう内海はやっぱり消されてしまうのか。そんな興味も湧いてくる「SSSS.GRIDMAN」。世界に果たして外側はるのか、それはネットの外のリアルみたいなものなのか、リアルがアカネに囚われ続けているのか等々、存在そのものへの謎にも挑んでくれる今後の放送が待ち遠しい。

 グループがアイテムでスクールだったりと小規模のチームがいろいろと蠢いて誰が味方で誰が的で何をやっているのかさっぱり思い出せなかったりする「とある魔術の禁書目録3」だけれども、とりあえず麦野沈利が浜面仕上の前に沈んでこれから復讐の鬼と化しつつツンデレにもなっていく様は楽しめるのかなあと、ちょっとだけ展開を思い出してはみたものの、こうした小さいチームによる学園都市の何かをめぐる争奪戦が背後関係を説明しないで一挙に語られて果たして視聴者はついていけるのか、それを見て原作を読もうと思うのかを考えるともうちょっと、親切な導入をつけてあげて欲しかった。1期2期を一挙放送するとか。それを見れば吹寄整理の可愛いすっぽんぽんも見られた訳で。まあピッチングでパンツを見せてくれたから良いか。この後展開はどうなるんだっけ、イギリスでのバトルがあってそのままロシアでフィアンマ戦だっけ。ともあれ展開がダイナミックに動いて新約前の物語が終わる。そこまで一気に行くのかな、フィアンマ戦は映画でも作るのかな。まあ吹寄がいればそれは正義。あと五和。そういう見どころだけはしっかり用意してくれるから鎌池和馬さんは天才なのかもしれないなあ。

 そして新宿バルト9で「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」を舞台挨拶付きで鑑賞。上演後に登壇したのはアネモネ役の小清水亜美さんにエウレカ役の名塚香織さん、ほとんど出ていないレントン役の三瓶由布子さんに京田克己監督だったけれどもそこに主題歌を歌っているRUANNさんが加わってステージで生歌と生ダンスを披露。ややグランジなビートに乗った歌を唄うだけかと思ったら、バックパネルに顔を向けて集中をしてからイントロで切れ味の鋭い本格的なダンスを見せてそれから歌に入って途中でも、マイクをスタンドごと引っ張ってセンターに移動させつつ歌いダンスも見せるといった具合に、アーティスト然としたところを見せいてた。

 これでまだ15歳の中学生だって言われて誰が信じるか。もちろん「SPEED」だって安室奈美恵さんだって、それくらいの頃にはすでにステージで歌とダンスを見せるアーティストとして活動は始めていたけれど、どちらかちえばストリートから出てきた新鋭が本来は音楽なんて無縁のアニメーション映画のファンを前にして歌い、踊ってそれでしっかりと魅了してしまうところに大器の可能性を見た。あまりのパフォーマンスに三瓶さんとか涙ぐんでしまったものなあ。それは本編ではどこか不憫な娘だったアネモネが、映画では自分を目一杯に出そうとして突っ走っていく少女になっていて、そんなアネモネを歌がしっかりと捕らえていたからでもあるんだけれど、14年近くをレントンでありエウレカセブンと付き合ってきた三瓶さんを瞬時に感じさせ涙ぐませるその歌詞力、歌唱力、何より魅力はやっぱり凄いと言っておこう。ライブ、見に行きたくなって来た。

 えっといつ以来になるんだろう、2017年1月の戸田あたりが最後に見たライブだったかもしれにあきゃりーぱみゅぱみゅが9月26日リリースのアルバム『じゃぱみゅ』を引っさげ全国ツアーを挙行中。その1つがようやく東京は中野サンプラザに回ってきたんで見物に言ったら10列目だった。ちょい前に数列あるから実質13列目とかそんなものだけれど山下達郎さんではとれない距離なんでなかなかに近い。もういったい幾つになったんだろきゃりーぱみゅぱみゅの顔とか脚とかもしっかり見える距離でとくに太りもせず痩せもしないで変わらない姿で躍ってくれていた。

 昔はといえばもっとポップにシュガーにスイーツに舞台装置なんかを仕上げてきていたけれども増田セバスチャンさんが関わっているのかいないのか、カクテルのグラスを模した大の上から登場しては歌って踊ってそれから名前が英語で描かれたライトをバックに階段くらいのの前で歌って踊って110分。往年のヒット曲から「CANDY CANDY」』をやったり「にんじゃりばんばん」をやったり「ファッションモンスター」をやったり「君に100%」をやったりしつつも新譜から元素記号を歌っていくという「演歌ナトリウム」を入れたりようやくアルバムに入った「原宿いやほい」を歌ったりしてそれなりに耳に馴染みつつ新しさも感じさせたライブになっていた。

 ひらりとしたスカート姿から男性用のタキシードを着こなし同様にタキシード姿の男性ダンサー4人で歌うシーンもあって、そしてちょっとだけ派手なドレス姿に戻ったりしつつもやっぱり無理にギミックをつけるような派手さはなく、まあ年相応の育ち方ってものを見せてくれてる感じ。無理をしているような印象派無く存在としてのきゃりーぱみゅぱみゅをしっかり維持して舞台の上に現出させてくれている。もしかしたらこれはあまりテレビとかに出ずCMとかにも出ずタイアップもあまり出さずにメディアの上で猛スピードで消費されることを抑え、かつての印象がジワジワと熟成していくようにしたからかもしれない。単純に一時期ほどの人気が下がってタイアップが減ったということがあるのだとしても、結果としてブランドやイメージを壊さないで来られたことは幸運だったのかもしれない。狙っていたのだとしたら事務所が凄いけれども果たして。

観客層はといえば相変わらずの幅広さで、小学生くらいのこどももいればおっさんおばさんにおじいさんおばあさんあたりもいたりする。若い層でもティーンがいれば20代30代もいてとほかのアーティストではなかなか見られないごったにぶり。かく言う自分だって50を超えたおっさんな訳でそうした人たちが来ても違和感がないくらい、バラエティに富んだ観客層をそれぞれに満足させるというアーティストもやっぱり珍しいかもしれない。中高生くらいでもちゃんときゃりーぱみゅぱみゅが好きみたいだから、時流に聡い世代が見放して断絶しているということもなさそう。どういう回路で見知ってファンになってライブに通っているか、ちょっと興味がある。そんなきゃりーぱみゅぱみゅの現在地が見たければ12月8日、追加公演で東京国際フォーラムが開かれるんで興味のある方はのぞいてみてはいかが。僕は翌日がプリチャンなライブだから体力温存で遠慮しるつもりだけれど。当日券出るならあるいは。


【11月10日】 ネットとかSNSとかで舞台「けものフレンズ」2〜ゆきふるよるのけものたち〜の感想なんかを拾っていくと、今回は乃木坂46の鈴木絢音さんと佐々木琴子さんの出演を見たいという乃木坂ファンが結構来ている感じで、「けものフレンズ」のことは知らなかったり、「ようこそジャパリパークへ」という歌はちょっとだけ聞いたことがあるだけだったりと、ほとんど世界観についても知らないし前作からのつながりがあることも感じていないようだった。それでもストーリーとしては理解ができて、その中で助け合ってわかり合っていく姿を見て取れたようでそこは安心。その上で出演していたキャストへの関心なんかも高めていってくれのなら、次にまた舞台「けものフレンズ」が開催された時、乃木坂なり欅坂46の面々が出ていなくても来てくれると思いたい。クロヒョウの評判が良いのが嬉しい。クロやん相変わらず突っ走っていたからなあ。

 舞台挨拶はとれなかったけれども、舞台挨拶のライブビューイングが見られるってんでTOHOシネマズ上野まで出て「続・終物語」を見る。150分近い上に舞台挨拶まであってなおかつ予告編もしっかり流してと3時間オーバーな上映は年寄りには酷ではあったものの、それを見越して水分もあまりとらず舞台挨拶と上映の間にしっかり手洗いも済ませたんで最後まで通して見ることができた。そんな「続・終物語」を譚的に言うならおっぱいでありパンツであったというか、それが理由でPG12になったのならたかだか絵であり乳首なんかも出ておらず股間ももちろん見せてないものをPG12にしたら、映画でしずかちゃんのお風呂シーンは描けないし「エスパー魔美」のお風呂シーンも駄目なんじゃないかと思った。映画でそんなお風呂シーンがあるかは見てないんで知らないけれど。でもちょっと謎。

 とはいえいきなり冒頭から阿羅々木火憐のすっぽんぽんが出てきたりするから刺激はダイナマイトだし、その後には羽川翼の中にいるブラック羽川が縞パンをスクリーンいっぱいに見せまくっていてエロスはメガトン級だったし、他にも21歳バージョンの八九寺真宵がお姉さんの魅力炸裂で飛びついてきて年下を惑わしていたし止めはレイニー・デヴィルとしてしか出てこなかった神原駿河の母親で、臥煙伊豆湖の姉にあたる臥煙遠江がなぜか存命の母親として登場しては大人の魅力をその全裸でもって炸裂させていたからもう目は釘付け。それこそ阿羅多木暦でなくても目を奪われてしまうだろう。伊豆湖にはない大人過ぎる魅力って奴。これで斧乃木余接がパンツを見せてくれたらさらに衝撃も走ってそれこそR15+になったかもしれないけれど、いつもだったらふわっとしたスカート姿の余接ちゃんがパンツスタイルだったのでそれはなかった。でもちょっとだけ見せていたかな。だからやっぱりPG12も致し方なし、か。

 もう1人、忍野扇ちゃんも登場はなぜか学ランだったけれども途中でイメージとしてのすっぽんぽんが登場してはサイドからのシルエットだったけれどもしっかりと胸があるところは感じられた。女子の制服の時ですらあまり感じさせないスレンダーな少女ではあったけれども脱げばやっぱり凄かった、ってことなのかな。あのシーンを見返すためにもまた行きたい。でもやっぱりブラック羽川の縞パンが見たい見たい見たいのだ。Blu−rayはいつ出るんだろう。そんな「続・終物語」だけれども導入としてのミスリード的な部分があってそこは鏡の向こう側の世界かと思わせ、けれどもすべてが反転してはいない状況から何かだけが裏返っている世界なのかもと思わせる。けれども鏡の向こう側であるにも関わらず、鏡には映らないキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードが存在していたりして、とはいえ吸血鬼ではないなら存在しても不思議はないのかと頭をひねらせた先、実はその世界はといった種明かしもあってそうかそれなら存在はできて変質もして当然と分からせる。

 残滓。妄執。いろいろと呼べそうなそうしたある種の思念が形になると火憐ちゃんは可愛らしい少女になり八九寺真宵は成長したお姉さんになり神原駿河はレイニー・デヴィルになってそして忍野扇ちゃんは特に変わらずいたりする。阿羅々木月日ちゃんもか。元より妄執とかないしそうした裏側を期待されてもいないまっさらな(あるいは真っ黒な)存在だから。臥煙遠江さんが現れたのもひっくり返ったからでも裏返ったからでもないからで、そこに残された誰かの思いが現れたってことだろう。それであれだけのことをやってしまうんだからその存在の大きさって奴が伝わってくる。謎だったのは余接ちゃんがいつもだったら阿羅々木暦はパンツを脱がせようとするって話していたことで、それは鏡の中でも裏返ったものでもないなら誰がそうしていたんだろう。そうされたいという思いの現れ? なるほどあれで余接ちゃんは構ってもらいたい子なんだろう。たとえ無表情で淡淡としていても。それは表面的なものであって。

 そんな中にあって変貌しすぎていた感じのキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードのあれは阿羅々木暦が望んだものなのかそれとも当人が過去を思い出してそうあろうとしたものなのか。城の中に暮らして近づけばその威光にあてられ知らず跪いて傅きつつ、やがて自分が存在していて良いのかを思うようになって死にたくなるという凄まじさ。高貴というのはその存在だけで周囲を圧倒するものなのだろう。それな異能でもなくただ単純に血筋であり経歴でありといったものの力で。そこに耐える余接はあるいは高貴さとかを知らずひれ伏すに値しないものと思っているのか、すでに死んでいるから死にたいと思わないのか。いずれにしてもキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに接ぐ最強キャラってことなのかも、影縫余弦とか忍野メメとかいった化け物級の専門家連中は除くとして、いやそれよりも強いのかな、ちょっと不明。ともあれTVサイズの6話をまとめて「フリクリ/オルタナ」「プログレ」みたいに映画にした割りに、ちゃんと筋立てて見ていける。ポイントには見どころも豊富で目の保養もあって知らず時間が過ぎていくから、臆せず見に行こう。僕も行く。最前列でしっかり目に焼き付ける。縞パンを。膨らみを。

 そんなキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードのように、高貴さが半端なくてご威光が凄まじくって自分の言動が恥ずかしくなって死を選ぶくらいのお姫さまでは白桜院日向子さまが至ってなくて良かったというか。喜多喜久さんの文庫書き下ろし小説「プリンセス刑事」(文春文庫)に登場するヒロインは、日本が女王の統治下にあるというパラレルワールドを舞台にして王位継承権第5位のプリンセスがなぜか刑事になりたいと言い出し、警視庁に入ってそして現場に赴任してくるといったストーリー。さすがに危険な場所へは立たせられず、かといってやる気満々のプリンセスを閑職に追いやる訳にはいかないので所轄の刑事がお世話係のようになり、近隣で発生している連続殺人の捜査に遠巻きにあたらせることにする。つまりは周辺の聞き込みを適当にやっていろってことだけど、そこは国民の為を思って刑事になった正義感の強い日向子さま。危険こそ冒さないものの聞き込み先で捜査情報をぶつけては顰蹙もかいつつ機転を利かせて犯人のミスリードを暴いたりもする活躍を見せる。

 そこでもしも日向子がご威光凄まじくその前では嘘もつけないキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードのようなお姫さまだったら、捜査の途中で犯人は自首どころか自決し捜査にあたっていた面々も遅れを恥じて自決したかもしれない。死屍累々。でも事件は解決するというその意味でのプリンセスな刑事ではあるけれど、そうした異能に近い威光は見せず、だたやっぱり育ちの良さがあり敬愛されているという世間的な認識もあって言葉にはなかなか逆らえず嘘もあからさまにはつけなさそう。そうした部分としっかりとした知識、そして正義感でもって突っ走っていく日向子とペアを組んで抑えに回らず相棒として認めいっしょに突っ走る刑事の関係は、果たして恋愛へと向かうのか否か。それもベタだしそうはならないところが身分差って奴でもあるんだけれど、どうなってしまうかを知るには続きが必要。書かれるためにもこうして喧伝しては読んでと言おう。


【11月9日】 そして公開されたアニメーション映画版「ゴジラ」3部作の掉尾を飾る「GODZILLA 星を喰う者」は、前にもほのめかした魔女化した暁美ほむらに対してアルティメットまどかと美樹さやかと百江なぎさが三位一体攻撃で押さえつけようとしたものの、魔女ほむらが悪魔ほむらとなってこれを退け世界を支配し、人類はその下で衰退を余儀なくされるといった展開で、ある意味ではバッドエンドと言えそうだし、それも含めて人類が向かう遠い先の有り様を描いたものと言えそう。地球は人類だけのものではなく、宇宙もギドラだけのものではない。そうした中でゴジラが抑制であり対抗の中心にあって、それぞれを支配するといった状況を鑑みるならまさしく「ゴジラ」映画だったと言えるだろー。

 SFとしてもなかなかの完成度。人類が向かうべき道、もしくは向かわざるを得ない先を描いてみせたものになっているけれど、「ゴジラ」といえば多くが期待するのが怪獣映画であって、人間が怪獣を倒すなり、怪獣どうしが戦うなりといった巨大なスペクタクルがあって当然と考えている人が多そう。けれども「GODZILLA 星を喰う者」にはなるほどゴジラとギドラの“戦い”はあっても、実写の特撮版「ゴジラ」が見せてきたような怪獣プロレスはないし、映画「シン・ゴジラ」にもあった人間対ゴジラといった構図もない。どこか遠景で行われている巨大過ぎる存在による凌ぎの削り合い。それもまた怪獣バトルと呼べなくもないだろうけれど、プロレス的ではない概念のぶつかり合いといった感じで、やっぱり怪獣映画とは違うかなあ。というかゴジラ・アースほとんど動かないし。

 ハルオは人類のことを考えているんだろうけれども、ビルサルドのようにナノメタルと一体化して自我を捨て群体となってまで生きたくはないと思っている。その一方で、エクシフのようふ宇宙的な暴威にはもうかなわないと身を捧げたいと思っておらず、その結果として抑制装置としてのゴジラ・アースを選bぬけれどもその監視下での発展は不可能だからと文明を拒絶した中で暮らし続ける。それもまたひとつの形と受け入れれば良かったんだろうけれど、途中で文明を復活させるような動きも出てきたのを見て自分はそっちに乗るべきか否かを迷い、結果として文明を復活させないで地に埋もれさせる。それを選んでいれば、ヒロインなのに3作目では寝っぱなしのユウコだって元に戻せたかもしれないのに、いっしょに消えてしまうなんてやっぱり自分本位の若造といった感じ。残した現地妻はどうするんだ? とはいえ相手も夫と添い遂げるといった感性はないみたいで、血脈をつなげる役目を果たして群れとして行き始めている。それが人類の行く末ならそれもありなのかなあ。見た人は考えよう、それは是か非かと。

 座奏の吹奏楽コンクールで関西大会に出場してしまう上にマーチングでは全日本でのゴールド金賞常連だなんて立華高校凄すぎるし、そこで1年生ながらもトロンボーンのファーストでAメンバーに入るんだから佐々木梓はもしかしたら高坂麗奈よりも実力として上にありそうな気がしないでもない武田綾乃さんによる「響け!ユーフォニアムシリーズ」の「立華高校マーチングバンドへようこそ」(宝島文庫)。とはいえ実力で言えば麗奈も立華の推薦に合格していたか誘われていた感じだし,マーチングだって楽々とこなしそうな印象でAメンバーどころかここでもソロすら奪ったりするかもしれない。どうなんだろう。サンライズフェスティバルでもちゃんとマーチングこなしていたし、3年ではドラムメジャーを引き受けたからマーチングができない訳じゃないんだろうなあ。

 ただ、やっぱり跳んだり跳ねたり回ったりしつつ演奏もしっかりとするマーチングの練習が常態化していて、イベントなどへの誘いも多い立華の方に吹奏楽の実力者がいて当然という気もしたりする。だからこそ物語の中で高校を卒業したら吹奏楽を止めてしまう部員が多いというのが気に掛かる。演奏そのものの実力が伴わないというよりも、全国で金賞という夢のようば舞台に常に立たせてくれて、そして海外でも引っ張りだこ(なのはモデルとなった立花高校だけれど)の吹奏楽部で3年間を過ごして、その先にそれと同等かそれ以上の興奮を与えてくれる場を見つけにくいってことがあるのかもしれない。大学でマーチングが強いところってあるのかなあ。かといって警察消防自衛隊の音楽隊にそのまま行けるものでもないし。座奏ならジャズでも同好会でも楽しめるし音大で極めるといった手もある。というか音大にマーチングってあるのかな。そのあたりが燃え尽きを生む理由になっているのかも。いろいろと興味を誘われる現象だった。

 逆に佐々木梓が北宇治高等学校の吹奏楽部に行っていたらどんな波乱があったかと想像すると、トロンボーンのAメンバーのやっぱり決まって吹奏楽コンクールで全国大会まで行ったことだろう。ただ仲は良くても黄前久美子とは性格がまるで違ってとにかく猪突猛進で自分本位なところがあるから、いっしょにくっついて何かドラマを展開させるとなると梓ばかりが目立ってしまって話が転がらなさそう。麗奈との関係でも久美子と麗奈が近づくのを阻害しそうなところがあるから、やっぱりいなくて正解だったんじゃなかろーか。それぞれがそれぞれの居場所で極める。そんな梓は立華で3年生になって部長になってずっと全国のマーチング常連を堅持。一方で久美子は2年生の時に関西止まりだったのを3年で部長になってどこまで引っ張っていったか。そこが描けてこそ新しいスタートを切りたかったと梓の前で言った久美子の物語は完結するし、生きたかった場所ですべてを出し尽くした梓の物語と並び立つ。果たしてどうなるか。書いてくもらえるのか。もう書かれているのか。それは映画になるのか、等々とまだまだ楽しめそうな「響け!ユーフォニアム」の世界。付き合っていこう。

 「ようこそジャパリパークへ」が流れればそこはフレンズが集う幸せの空間になるんだなあ、と思った舞台「けものフレンズ」2〜ゆきふるよるのけものたち〜。まずはゲネプロでサーバルの回から変わってPPPとマーゲイの回を見て、そしてアライさんとフェネックの回も見てそれぞれにゲストの声優さんフレンズが良い味を出していて舞台とアニメーションをつなげてくれた。かつて放送されて今もずっと大勢を魅了しているたつき監督の「けものフレンズ」があったればこそのジャパリパークに対する幸せな空間との認識を、今回の舞台もちゃんと継続してくれていてその意味ではありがたかった。新登場のギンギツネとキタキツネのクールなギンギツネにだらだらとしてたいキタキツネという色づけは、やっぱりアニメ版からのものだろうしなあ。そして2人のフレンズがいる場所が寒いというのもやっぱりゆきやまちほーにいたからという設定からのもの。なおかつかかる音楽にもアニメ版のサウンドトラックが使われていて、聞けばあの幸せだった3カ月に気持を引き戻してくれる。そこに流れる「ようこそジャパリパークへ」。泣かないはずがないじゃないか。

 ストーリーの方はといえば姉さん気質のギンギツネと世話を焼かれるのが常態化しているキタキツネがそれじゃあお互いに良くないと感じて依存を解いていくような展開。ある意味で「立華高校マーチングバンドへようこそ」の佐々木梓と名瀬あみかの関係に通じるものがある。どんどんと寒さを増していくジャパリパークにあって神頼みをするためにオイナリサマを介する必要があってそのためにしなくてはいけないことを、フレンズちが頑張って模索しながら進めていくのも成長のドラマを感じさせる。もしかしたら博士たちがかばんちゃんとサーバルを迎えて料理なるものを頼んだ時に使わせたアレは、ここでこうやって生まれたりしたのかもしれない。その意味ではアニメ版「けものフレンズ」へと続く道ってことになるのかも。乃木坂46から参加の鈴木絢音さんと佐々木琴子さんはあのストレートな髪のギンギツネとキタキツネを舞台に再現してくれた。緊張して寡黙が2人が舞台ではそれぞれになり切るところに女優魂って奴を見た。ユニットを離れてもきっと活躍していけるだろう、仁藤萌乃さんのように。今回の舞台が最後で来春には引退というけれど、それはずっとではなくいつか戻ってマンモス姉さんを演じてくれると信じたい。


【11月8日】 東京ドームシティホールでの「i☆Ris」の結成6周年記念ライブは「プリパラ」の楽曲も含めてi☆Risのキャリアを振り返るようなセットリストでファンには嬉しかっただろうし、「プリパラ」のミュージカルあたりから入った浅い人間でも聞き覚えのある楽曲が割とあってとっても馴染めた。そんな楽曲を繰り出すメンバーの歌っている間はどこまでも激しくてパワフルで美しくって楽しげで、長くユニットをやっているグループならではのまとまりってやつが伺えた。そしてMCとかに入っても仲の良さとか気持ちの通じ合っている感じとかを漂わせつつも堅苦しくはなく、かといってダラけてもいないアットホームさを醸し出していた。6周年ならではのアニバーサリーな気分にマッチしたライブだった。

 ずっと6人が1人も欠けずに来られたことをリーダーの山北早希さんはとっても嬉しがっていて、数々のアイドルユニットが声優さんのチームも含めて生まれては消えていった6年を、ずっと同じメンバーで過ごしてこられてなおかつそれぞれが活躍している状況を、安堵しているように感じられた。同じエイベックスにはWake Up’ Girlsというユニットがいて鳴り物入りで世に出てそれこそ紅白歌合戦まで目標に入れていたにも関わらず、いろいろあったようでユニットとしての活動は間もなく終了となってしまう。アニメーションにその勇姿は刻まれていたとしても、現実としてのユニットが見られなくなってしまうのはどうにも寂しい。それを横で見てi☆Risにもいろいろと思うところはあるだろう。

 Run Girls, Runの方は「キラッとプリ☆チャン」に声優として出演してユニットにも様々な形で混じり合って名前を連ねてこれからもi☆Risともども続いていきそうな予感。とりあえず9月の中野サンプラザでのライブではとっても存在感を見せていたし、12月の幕張メッセでのプリパラ&プリ☆チャンライブでも多くのユニットに混じってMiracle KiratsもMeltic StArも現役の輝きを見せ、その中でRun Girls, Runの活躍も改めて可視化されるだろう。ソロライブもあるし。そうした妹分の先を行く意味でもi☆Risには東京ドームシティホールからすぐ目と鼻の先にあるあの会場、東京ドームを本気で目指して欲しいなあ。出来ないはずはない。日本武道館はもう終わっているんだから。待とうその時を。山北さんは30歳になるまでに。

 あの「週刊プレイボーイ」に「若おかみは小学生!」の高坂希太郎さんが登場してインタビューに答えているのを見て、講談社の青い鳥文庫に収録の児童文学が原作であるにも関わらず、集英社として太っ腹だし流行りを見逃さずにとびついていくフットワークの軽さ、それを間髪入れずに誌面化してしまえる機動力の高さに改めて感心。妙な権威でもってポップカルチャーをサイトのトップページから極力排除しているような感じにし、なおかつ全社的にポップカルチャーへの関心を向けるどころかむしろ遠ざけようとしている節すらある自称するところの全国紙とは偉い違い。だからこそ全国紙は地域紙にすら負けて集英社は儲かり続けるんだろうけれど。はあ。

 とはいえその集英社の「週刊プレイボーイ」もどの面下げて高坂監督の前に出られたんだというか。「若おかみは小学生!」といえば女性占い師のグローリー・水領さんが運転するポルシェのカブリオレの格好良さにグローリーさんの美しさともども世界が驚嘆しているんだけれど、これからのポルシェブームを牽引しそうなそんなシチュエーションをどこよりも早く取り上げていたのが「週刊プレイボーイ」。あの麻宮騎亜さんによるポルシェが主役の漫画「彼女のカレラ」を連載していながら、どういう訳か打ち切りという所業を行いネットからも遠ざけてしまった。

 つまりは、ポルシェと美女はもう受けないと判断したようなその雑誌が今になって盛り上がっていると飛びつくとか、どういう無定見で無分別なことなのか。高坂さんの前に顔を出すなら麻宮さんのところに赴いて、三跪九叩頭して連載の打ち切りをわびつつ今再びのポルシェと美女をとお願いし、轟麗菜とグローリー・水領のコラボレーションイラストなんかを描いてもらって掲載するのがポルシェに対するリスペクトであり、そんなポルシェを好きで出しただろう高坂監督への心からの賛辞だろう。すでにインタビューは掲載されてしまったから、もう遅いなんてことはなく今からでも「若おかみは小学生!」の素晴らしさを世界に伝えるために、麻宮さんの手によるグローリー・水領さまと轟麗奈のポルシェで語り合うイラストを、漫画を「週刊プレイボーイ」に乗せるのだ、って原作はだから講談社なんだって。やったら凄いなあ。やらないだろうけどなあ。

 流れて来た大塚ギチさんのくも膜下出血から転倒による頭蓋骨骨折での脳機能障害という話。さらに伝え聞く限りでは会話なんかは可能なようではあるけれど、長時間の作業とかは無理そうでアンダーセルを率いての編集だとかデザインといったクールな仕事は無理みたいだし、ライターのような脳を使い倒す仕事も大変そう。何より出歩いてゲームセンターで熱いゲーマーたちの姿を見て追いプロデュースするような活動もきっと難しい。ネオンの輝く街中に穴蔵のように存在するゲーセンで、目の前の誰かを倒すとか残されたスコアを超えるといかいった純粋な思いでコインを投入してスティックを握りボタンを叩くゲーマーの、その熱を大塚さんが拾い世に伝えてきたからこそ今のeスポーツという、格闘ゲームがそれこそ万人もの大観衆の中で闘われ、勝者が称えられ何千万円といった賞金を得る時代が到来した。そんな時代にポジティブかネガティブか、思いは分からないけれども確実に強烈な言葉を繰り出せる人間を今、無くしてしまっては絶対にいけない。絶対に。

 幸いにして同様の思いを抱いている人は多くいるようで、大塚さんが立ち寄っては応援してきた、日本の格闘ゲームの歴史を語る上で絶対に外せないゲームセンター、ミカドの人が大塚さんを応援する言葉を投げかけて活動のための、というより生き延びるための支援を呼びかけ始めた。早速に応じてはみたけれど、期末に出るご褒美が月給より少なくなるという、およそ日本のエスタブリッシュメントと呼ばれるメディア産業にはあり得ない状況に陥りそうな身分では何年も支えるような金額を支援することは無理なので、他の多くのゴージャスに生きている人たちには、是非に日本の文化を支える言葉の使い手だと理解し、支援を伏してお願い。一緒に青空の下でアーケードゲームに興じる人たちを見たゲームサマーフェスティバルの再来を、大塚さんいはいつかまたお願いしたいなあ。闘会議は違うんだよ、あそこにはフラワーな喜びもヒリつくスリルもないんだよ。

 テレビ朝日が防弾少年団をミュージックステーションから閉め出したとの報、寄せられた防弾少年団の誰かがどこかで「原爆を万歳している」Tシャツを着ていたのは許せないといった声を受けてのものらしいけれどもそのTシャツは別に防弾少年団のグッズではなく、韓国でまあナショナリズム的なメッセージをクールでスタイリッシュなファッションに落とし込むブランドが出していた、光復節という日本にとっては終戦でも韓国にとっては解放を記念する日に向かって何が起こっていたかを綴った中に、日本の敗戦というのがあってそこへと至る過程で原爆が落とされ、日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏を認めたた結果として朝鮮の人が喜んだ光復節があったという話で、原爆が投下され大勢の人が亡くなったことを直接的に万歳をして喜んでいる訳ではない。

 喜んでいるのは独立と解放という彼らにとって当たり前のことがメッセージにされたTシャツを、着ていたことが日本のテレビにとって問題ならそれはあの戦争とそこに至った帝国主義的な日本を認めるってことなってしまう。それこそが反動なんだけれどそうした考えなんかテレビ局にはないんだろうなあ、文句を言われるなら排除するってだけのこと。昔からそうだけど今も同じな事なかれ主義。もちろんそうともとれる部分がないわけではないし、あまりにもストレート過ぎる主張を身にまとうことで、他の国の人たちが寂しい思いをすることをエンターテイナーなら考えて欲しかったという気もするけれど、それを強要するのは思想信条の自由にも反するし、閉め出すのは表現の自由への挑戦になる。今後だからそうした方面から叩かれることを覚悟しているかというと、そうでもないところにこの国のメディアの、ジャーナリズムの衰退と死ってやつが見え隠れ。まあとっくに死んでるどこかよりは良いんだけれど。3ケタのボーナスの夢は夢で終わるのか。


【11月7日】 下院で民主党が勝利して、上院では共和党が勝利したようなアメリカの中間選挙がいったい世界にどういった未来をもたらすかについて、まるで想像が及ばないけれども下院でトランプ大統領の施策がなかなか承認されない状況が続いて、それを逆手にとってアメリカのためにならないとトランプ大統領が喧伝した時にアメリカの国民はやっぱり民主党が足を引っ張っていると感じて、次の大統領選挙でも共和党の候補だからおそらくはトランプ大統領に入れてまた4年、その政権が続くような気がしてならない。

 マイケル・ムーア監督の「華氏119」を見てもトランプ大統領が意外にも支持を集めて当選してしまった背景には、対抗馬となるべき民主党がバーニー・サンダース候補を蔑ろにしてエスタブリッシュメント層に受けの良さそうなヒラリー・クリントンを押し出したことにアメリカの普通の人々がたとえリベラルであっても嫌気を覚えてしまったこと、そして従前よりのオバマ政権下でのあまり自分たちにとって特ではないといった印象が広まっていたことがあった。つまりは民主党が自分たちで壊れていったような感じで、それがこれからの2年間で繰り返されれば結果もまた繰り返されるんじゃなかろーか。

 まあ共和党とか民主党とかの政策に詳しい訳ではないし、アメリカの事情に通じている訳でもなくって「華氏119」を見て何となくそんな状況にあると感じていているだけに過ぎないんだけれど、日本にあてはめて安倍政権があまりにも無体な政策を繰り出しながらもそれに対抗すべき立憲民主党も国民民主党も民主党もどこも国民の感覚に沿うような政策を打ち出せないで自滅の道を歩んでいる。今度の参議院議員選挙に送りだそうとしている候補に福島の原子力発電所事故に絡んでいろいろと毀誉褒貶のある人間を入れていることも、信頼を減じている理由になっているけどそれに対して説明をしないまま、ネットではネガティブな印象が広まっている。そうした尊大さからくる自滅をやっぱりアメリカの民主党も辿ると考えると、結果もまた同じになるんじゃないかって日本人なら感覚的に分かっているのかもしれない。大変だなあとお互いに声を掛け合うこれからの2年。その間に世界は、そして僕たちはどうなっている? それもまた不透明な未来。

 しかし政権がポン酢だとその下にある官庁も超エリートでありながらやっぱりポン酢になってしまうのか。例の消費税引き上げに関連した軽減税率の適用範囲で、コンビニが備えているイートインで食べるならばそれは外食にあたるから消費税は10%になるといった意見が出て、いやもう阿呆かと、調理もされていないものを買ってその場で食べるのが外食なのかといった声が起こった。ただまあ聞けない話でもなかったのが今度はイートインの設備ではなく、コンビニの前に置いてあるベンチに腰掛けて食べたらそれも外食にあたるから軽減税率は適用されず10%の消費税が課せられるという。外だぜ。冬なんて寒空だぜ。それを施設扱いするとかポン酢以外の何者でもない。このままだとヤンキーがコンビニの前で地べたにしゃがんでカップ麺とか冷やし中華とか食べていても、そこに座れるスペースを作っていることが施設だと行って外食だから10%だと言い出しそう。まさかと思うけれどもすでにまさかな事態が続いているからあながち外れはしないかも。もう本当に酷いことがまかりとおる。そんな国に生きている。いつまで生きていられるだろう。

 リアルサウンドにブシロード創業者の木谷高明さんへのインタビューが掲載されてて、バンドリ関係を諦めずに持ち上げて高めている活動が紹介されていた。アニメの出来が今ひとつでもそこで崩さず新チームを入れて次につなげるあたりはプロレスの運営にも似ているかな。Roseliaのメンバーが入れ変わっていることを“物語”と言ってファンの批判も受けて謝っていたけれど、一方で不測の事態であっても物語に組み入れ興味を持続していく手法はプロレスにもあって、それで続くなら逆にファンにも嬉しいような気もするだけに、一概には批判できなかったりする。終わってしまうのが何より悲しいことだから。

 そんな木谷さんの不屈ぶりは素晴らしいとして、記事で触れられている情報の拡散の形態について「例えばスポーツ新聞の場合は、昔と比べて新聞の売り上げが落ちる中、Yahoo!ニニュースなどへの転載の手数料で売り上げをあげているんです。中には、1日中テレビを見て書き起こしの記事を書いている人が複数人いるらしいなどという話もあるんですよ」という言葉が、メディア状況は利用する木谷さん側とは違って作るメディア側としてヤバいなあという気がしないでもない。ジャーナリズム側とでも言うか。まさか嘘でしょと思いたいところもあるけれど、ラジオ番組で爆笑問題がコメントしたことをそのままニュースにした記事が出たりしているから、やっぱり存在しているんだと思うしかなかったりする。

 オフィシャルなりオープンなりの情報がコピペされ、連鎖的に拡大してそればかりを浴びせられる状況の中、取材をして現場にも足を運んでコストをかけて情報を集めて、それを経験と知識を持った人が整理し道筋をつけて見せるといった行為は減っていくだろうし、そうした行為に対して閲覧して広告モデルに協力するなり有償で閲覧するといったスタイルへの慣れも薄れ、情報に対価を支払うとのが当たり前という感覚も途切れた先、あらゆるシーンにおいて調査報道的ジャーナリズム的スタイルは滅びてしまうような気がしてならない。そうなった世界は幸せか。あるいは大丈夫か。気にしてもしょうがないんだけれどやっぱりどこかでリテラシー回帰の空気を作らないと国が滅びるんじゃないかなあ。滅びても良いのかなあ。

 確かもうその肩書きにはない人が未だにその肩書きを名乗っている不思議もあったりするけれども、何か事情があるかもしれないと斟酌しつつ一方で、今度は奄美大島という国境にあって国土防衛の最前線に位置する訳でなく、目下リゾート地として開発なんかも考えられている奄美大島が、海外のとりわけ中国と言いたげな層によって買い占められているって記事を書いていたりして、きっとやっぱりいつものトーンだろうなあと読んだらいつもにも増して不思議時空に連れて行かれた。

 「2016年9月、この高台の一角にある町有地6937平方メートルが、香港資本の総合商社会長で、香港在住の日本人A氏に払い下げられた」ってまずは購入者は日本人で、そして「A氏は高台周辺の土地も買い進めて「計1万2362平方メートルを個人の名義で購入したそうだけれど、この広さって100メートル×120メートルほど、サッカーグラウンド2つに満たない広さしかなく、書いてあるとおりに美術館くらいしか作れないんだけれど、それが自衛隊の駐屯も行われてる離島の要衝に中国が楔を打ち込むような仕業といったトーンいなっている。読んで信じるテ人も多くて頭が痛い。いっそリゾート地で海外資本による投資があったら全部スパイだ侵略だと書くのが世間に受ける秘訣かなあ。食べられなくなったら真似するか? いやでもそれは心が痛いし。やれやれだ。


【11月6日】 NHKの佐賀放送局長が慰労だか何かで行った温泉で酔っ払って女子風呂をのぞこうとしてバレて処分されていた話はきっと、のぞいた風呂にフランシュシュのメンバーがいてハリウッド仕込みの特殊メイクも剥がれた状態で入ってたんでそれを見てしまった放送局長が怖がって逃げ出して暴れたことが露見に繋がった、なんて考えているけど真相は不明。でもやっぱり佐賀だし温泉にゾンビとかいそうだよなあ(いません)。ともあれいろいろと注目を集めている佐賀がまたしても注目を集めてこれでサガン鳥栖も無事にJ1残留となったら佐賀も一気に沸き立つかなあ、東京都内にオフィシャルなアンテナショップも出来てフランシュシュもライブをするかなあ、それを更迭された元佐賀放送局長が取材に来てトラウマを刺激されて暴れるまでがワンセット。さても。

 老いらくの恋といったらやっぱり還暦過ぎた男女のどこか過ちめいたものを含んだ逢瀬なり、枯れきった中にも執着めいたものが滲んでそれが過ちへと繋がっていきそうなニュアンスを孕むけれど、そこへと至る1歩手前のアラフィフあたりが子育ても一段落し、酸い甘いもかみ分けられるお年頃となって感じる恋とはどういったものかを、描いた小説が村山由佳さんの「はつ恋」(ポプラ社)ってことになるのかな。ポプラ社から届いたから村山早紀さんの作品かと思ったら村山違い。そして内容はといえば割と最近はエロスも漂う濃密な恋情を描いてきた村山さんが、そこから少し離れては、2度の離婚経験を持つアラフィフな南房総暮らしの女性作家を主人公に、幼い頃にご近所だった年下の男の子と今は恋仲になっているという設定の物語を綴っている。

 大阪に仕事を持つ彼とは普段は離れて暮らしているけれど、時々は相手が東京を経て南房総へとやってきて、古い民家で暮らしながら執筆活動をしている主人公と逢瀬を重ねる。それが執着めいた濃密さではないものの、かといって乾ききってもいないしっとりとした関係にあるところが村山さんのあるいは新境地ってことになるのかな。互いに好き合い、睦み合う関係も保たれているけど、若い熱さとは違い、かといって老いらくの恋といった枯れた感じもなく年相応の、それかちょっと若さも漂う楽しげなアラフィフ男女の関係が描かれている。喧嘩もあるけど離別には行かず保たれ続くのも嬉しい。

 例えば小学生くらいの頃、近所に住んでいた中学生くらいのお姉さんに憧れた男子は、そのお姉さんといつか別れてしまってそして、何十年か後に一緒になれたら嬉しいのだろうか。当然のように容貌は変わっているし容色も衰えてはいるだろうけれど、それでも憧れのあの人が自分と一緒にいてくれるのは嬉しいと思うものなのかもしれない。いつまでたってもお姉さんはお姉さん。逆に近所のガキがおっさんになって現れて女性はどう思うのか、ってところも気になるけれど、こうして一緒になろうとしているのならやっぱり嬉しいものなのかもしれにあ。2度の離婚を経てもなお誰かを求める気持を失わない女性作家の人間としての情念に。味わいたい。今の村山由佳さんはこんな感じなんだろうか。ちょっと気になった。

 コミケ有料化、と言えるかそれともそれが元よりの心意気だったものを、もう少し可視化させるといったあたりか。2020年の東京オリンピック/パラリンピックのために東京ビッグサイトが改装中だったりで全部を使えなくなる上に、別会場でも開催となる関係で施設を借りる費用は増加する一方、広告なんかが減るためすべてをまかなうためにはもうちょっと、カタログの販売率を高めなくてはいけないといった感じ。かといってこれまでもカタログを買わずに入っていた人もいたりする中、どうするかということで、フェスみたいにリストバンドを着けている人が入れるようにするみたい。他の同人誌即売会がカタログを持った人を入場させる有料イベントになっていながら、総本山が無償で通してきたのがやっぱり凄いけど、運営的には大変だったってことなのかな。

 気になるのはそのリストバンドを東京ビッグサイトの入口あたりで場で売るのか、事前にどこかのショップで販売してもらうのか、カタログに挟み込んでおいて当日は分厚くて重たいカタログを持たずとも開場に入れるようにするのか、ってあたりか。あとは会期が4日間になったコミケに4日間とも通うなら、リストバンドは日にちごとに4本必要となるるのか、それとも1本通しなのかってあたりか。4日間通しだと風呂にはいっても溶けない素材にしないといけないしなあ。それとも取り外し自由にするとか。フェスじゃないから手首ホールドにはしなくてもいいのかな。いずれにしてもそっちの製造とチェックのコストもかかりそう。大きなイベントには運営にもいろいろと大変なのだなあ。オリンピック組織委員会から迷惑料とか回ってこないのかなあ。

 「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第六章 回生篇」なんかを見た時にも上映されて、ウエブだけじゃなくだんだんと劇場でも流れるようになった映画「響け! ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」の予告編では、やっぱり黄前久美子と新一年生の久石奏がフィーチャーされていて、あの2人とそれから新しく入ってきた他の1年生の面々を中心とした話になりそうな印象。ムビチケを買うとランダムにもらえるクリアファイルも、卒業した田中あすかに部長の小笠原晴香、中瀬古香織の学年と、それから吉川優子に中川夏紀に傘木希美に鎧塚みぞれの4人の学年、そして久美子に加藤葉月、川島緑輝に高坂麗奈の4人が描かれたメインの学年に加えて、W鈴木の美玲にさつきとそれからコントラバスの月永求に混じってニマつく奏がいたりするから。

 そんな1年生の4人が、「リズと青い鳥」ではハグの場面に押し込められてまったく活躍しなかったのが、「誓いのフィナーレ」ではきっとはっちゃけてくれるんだろうと思いつつ、「リズと青い鳥」で描かれた部分を除いて原作小説「北宇治高校吹奏楽部 波乱の第二楽章」を描くのか、それとも未だ書かれていない第三楽章まで行ってしまうのか、ってあたりが目下の興味の向かいどころか。みぞれと希美の関係を脇において、まずは新一年生が入ってきて諍いもありつつコンクールメンバーが決まるまでと、その後に府大会から関西大会へ行ってそして……ってところを描きつつ、久美子が奏のニマついた仮面をペリペリと剥がし、その後にどういった関係を築いていくかを小説版よりこってり描いてくれると楽しいかも。

 問題はだから奏の声かなあ。キャラクター的には「終物語」の忍野扇ちゃんそのものなんだけれど、水橋かおりさんだと他に比べて大物過ぎるか。でも曲者どうしで黒沢ともよさんとの掛け合いも聞いてみい気が。そこもやっぱり興味の向かいどころ。ボーイソプラノらしいコントラバスの月永求くんの声もやっぱり気になるかなあ。2019年4月公開で先は長いからムビチケでも買って待っていよう。まずは1枚。クリアファイルは新一年生の4人組。剣崎梨々花ちゃんが混じってないのがちょっと残念。次は狙って旧三年生が欲しいけれど、そこはランダムなんで仕方が無い。どうせ10回は通う映画だから新宿ピカデリーに行く用事があればその時に1枚づつ買っていくかなあ。ダブったらそれも運命。

 そして新宿ピカデリーで「超人ロック<劇場版>」のBlu−ray発売を記念したトークイベント付き上映会。ここで思ったのが僕は果たして劇場でこの映画を観ていたかってことで、漫画版「超人ロック」でもベストワンに挙げたい原作「魔女の世紀」がアニメーション化されたんだから当然観ていて不思議はないんだけれども、この年のこの月のこの日はあの「風の谷のナウシカ」が公開された年月日でもしかしたらそっちに忙しくって「超人ロック」を観るのは飛ばしていたかもしれない。というか1984年の2月にはあの「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」が公開されつつも大学受験で私学の合格発表が出るまでは身動きがとれず、2月後半かあるいは3月初旬の国立の記念受験が終わってから、「うる星やつら」を観に通って「風の谷のナウシカ」にも行って「超人ロック」はすっ飛ばしていたかも知れない。

 一方で原作は穴が開くほど読んでいたから映画を例え初めてみても見覚えのあるシーンが満載だから記憶が混同して映画も観ていたと思ってしまっているかもしれない。エンディングにも聞き覚えがたっぷりあるからやっぱり観ていたのかなあ、違うかなあ。当時に返ってみないと分からないけれど、でもまあ今こうやってBlu−rayで観られるんだからそれはそれで良いってことにしておこう。それにしても新宿の松竹劇場で舞台挨拶に出た難波圭一さんに声をかけて送り出した松竹の社員が小杉十郎太さんだったとは、なかなかに奇縁というか。翌年に2人は「機動戦士Zガンダム」で共演。人間到る処に青山あり、だねえ。


【11月5日】 カンベさんて壁村さんのことだよなあ、って思った人が対象となっている女児の視聴者層にどれだけいたかは分からないけれど、ブラック・ジャックの格好をして輪転機に砂を撒いてでも止めろと支持を出しては担当している漫画家の原稿が上がるのを待ち、あるいは書かせようとプレッシャーをかけ続ける編集者の凄みに圧倒された「キラッとプリ☆チャン」。人気漫画家の最新話が休載になって続きを楽しみにしていた子供たちは残念がっかり。そんな漫画家が桃山みらいの家のスイーツ屋に現れたのをきっかけに、漫画家を応援するというプリキャスの企画がスタートする。

 そこにつきまとうのが漫画家の担当者。昔は普通にスカート姿のキャリアな格好だったのが、どうしてパンツにマントのブラック・ジャックになったかは謎だけれどもきっと放送された11月4日の前日が、手塚治虫さんの生誕90年という重要な日だったからなのかもしれない。とにかく強引の窓を蹴破り入ってくるようなこともする編集者だけれど、書いてくれさえすれば優しく嬉しい態度を見せる。そうなるためにもMiracle kiratsを使って漫画家を鼓舞し、自分いとって描き事は何だったのかを見つけさせようとしたのかもしれない。目の前で話題のプリチャンアイドルが躍ってくれたらそりゃあ描くよね、っていうのはどうかなあ、アンジュさんだったら描く前にひれ伏すかなあ。

 十三湊さんの「成巌寺せんねん食堂 おいしい料理と食えないお坊さん」(メディアワークス文庫)がとても今時で示唆されるところ多々だった。東京のリノベーションをメインとした不動産関係の会社で働きながらも先輩と衝突して居づらくなって退社を決意した千束というアラサー女子のところにかかってきた父親からの電話。門前の仲見世で精進料理の食堂を営んでいる家で祖父が倒れたというから駆けつけたら、足を痛めたくらいで今日明日にどうということはない。でもどうして騙してまで田舎に呼び戻したのか。それは仲見世が頼っている成巌寺の次男坊で、千束とは同級生だった體ケという僧侶が仲見世に地代の10倍への値上げとか店のリフォームを求めてきたからだった。

 浅草の浅草寺でも起こった仲見世への地代の値上げは、もうずっと昔の価格でやっていたのを適正価格にしないと寺だって税金が払えなかったりするからで、けれども店の方としてはずっとその地代でやってきたのが10倍ではやっていけなくなるから猛反対。揉めそうになっているところに陽道とは知り合いで不動産関係にも詳しい千束なら話をつけられると呼ばれたらしい。それで出向いて話して相手の言い分も分かるけれども、はいそうですかと受け入れられない事情もあったりする経営状況。なおかつ自分の実家の食堂も、弟の千尋が料理人になって後継は安泰かと思ったら、料理の才能がなくて将来に不安が残る。

 それこそ千束の方が料理人としての才能はあるくらい。そんな状況で跡継ぎ問題にも悩みつつ田舎の仲見世の経営問題にも触れつつ、千束と陽道の間に漂う不穏なのか甘いのか判断の難しい関係もあって混乱しそうな状況を、その徳でまとめてしまう長兄で将来の住職の清道の暖かさが心に響く。アラサーとなって将来に迷う女性にも男性にも、自分がいったい何をできるかを考えどこに居場所があるかを考えた上でそれからの道を選ぶ指針になりそうな物語。もしも清道の言うように千束が精進料理の食堂を継いだとしてその婿に陽道が入る可能性は……薄いかなあ、そこを突破していくような物語、そしてまだまだ先行き不透明な仲見世の再興計画の行く末を見定めるためにも続きが読みたい。

 講談社レジェンドノベルスの新刊が出たので幾つか読んでみた。まずはのらふくろうさん「予言の経済学1 姫巫女と転成商人の異世界災害対策」はとても大好きな部類に入る物語かも。大学で経済学とか学んでた学生が異世界に転生し、商人となって現代の知識も活かしつつ効率的に蜂蜜を取る方法を持ちこんでは、高品質の量産品を作りつつ売るような商売を歩く関数電卓みたいな少女を助手して営みつつ、街にある学校でも学んでいたけれどもそこに高級な蜂蜜を売ってる豪商の息子がちょっかいかけてきて鬱陶しいことこの上ない。商売の邪魔をしてこのままだと潰されるかもしれない可能性も浮かんでいたところを、救ってくれたのが学校に来ているお姫さまだった。

 何か思惑があるかと訝る主人公ではあったけれど、そこは公明正大で親切なお姫さまらしく、諍いを仲裁したかっただけで特に恩を着せることもなかった。とはいえそうした言及こそが目立ちたくない主人公にとっては豪商の息子を煽ることにつながって迷惑この上ない。だからといって邪険に出来ない状況で起こったのが、その王女の予言者としての仕事に不吉な影が見えたことだった。水車のある村が何者かに攻められ大変な目に遭う。そんな予言だった。

 もっとも世間はそれを信じない。隣国を刺激するからといった理由もあったし、東方では魔物が現れてはこれを退治する緊張が続いていたけれど、他はそうでもなかったから安穏としていたのかもしれない。とはいえ主人公には水車のある村は聞き捨てならない問題らしく、お姫さまから話を聞いて当たっていたら大変なことになる可能性を考慮するもの、お姫さまの言というだけでは世間は動かず対策を打てない。騒いだところでそれが重要だとは信じられてないから。あるいは重要と信じると問題も起こるから。

 ならばとデータを集め識者のお墨付きも得るという、迂遠だけれど確実な方策を打ち立てて対策に挑むという展開は、ノリと勢いと固定観念で進みやすいファンタジー世界の冒険とかにデータによる裏付けを与え、納得の中で動かすという合理をもたらした。もちろん直感なりひらめきも大事。あとはデータと汗という、企画立案とプレゼント実行に必須の要素を確認できる1冊。電撃文庫から出ている長田信織さんの「数字で救う! 弱小国家 電卓で戦争する方法を求めよ。ただし敵は剣と火薬で武装しているものとする。」ともどもファンタジー世界に現代の合理と功利を持ちこみ楽しませてくれる作品だ。お勧め。

 もう1冊、レジェンドノベルスから出た浦賀やまみちさん「無色騎士の英雄譚 1」はほぼほぼイントロダクションに過ぎないという不満を避ければ、楽しんでいけそうな世界観をもった作品かも。ニートで両親に負い目のあった息子がパチスロで大勝ちしてこれで親に何か買ってやれると悦に入っていたところを負けた男に襲われ殴られご臨終。そして目覚めた世界で勇者か何かやってた両親の息子として生まれついて回った先で定住したら母親が死に父親からいろいろ鍛錬は受けて猟師としての腕前もそこそことなったけど父親も破傷風か何かで死んで1人となった。

 その名もニートと呼ばれた少年は、幼なじみと良いこともしてあとは結婚を申し出るだけとなったところに流れて来た貴族が無体をして、それを咎めたら捕まり奴隷に墜とされた。でも事が事なんで逃げて良いよとなって、ニートを護送していた騎士だか兵士ともども脱走して辿り着いた先が戦場となり、老体に鞭打った騎士か何かが現れ襲ってきたのを一人立ち向かって足止めする。それがきっかけとなってニートが英雄としての道を歩み始めるらしいけれどもそこは以下続刊。約束された英雄の道へとどういった経路で何をして昇っていくかを追っていく楽しさがありそう。あと出自にもどうやら訳があって両親は結構な有名人だったらしいことも。そうした資質と学んだ槍術、そして現代からの転生者としての知識が活かされ成り上がっていく様を楽しみたい。

 こういう思考の持ち主が、依然として代表各として筆をふるってるうちは浮上はないなあ。それどころか今以上の沈没もあり得るというか、それってもう水面下なり地の底に沈むってことじゃないかと、4万キロの彼方から思っていたりするのだった。とある元ソウル支局長氏のコラムがあって、韓国の元徴用工の人たちがブラック労働をさせた雇用主に対して保証を求めた裁判で、韓国の司法が行政の止めておけ判断に乗らず法律に則って支払うべきだといった判断を下したことに対し、その元支局長氏はだったら日本が朝鮮半島に残してきた財産の半分、今の価格で2.5兆円くらいを要求したらとか書いている。もうポン酢かと。潰れ甘食かと。

 なんで日本人が朝鮮半島に個人資産を持てたのか。そしてどうして残して来なくちゃいけなかったのか。それは日本が朝鮮半島に意欲を燃やして進出し、そして併合なんかした果てに守り切れず太平洋戦争でアメリカに敗北し、ソ連の参戦も許したからであって、そうした責任を問うなら戦争を始めて負けてしまった当時の政府だの、軍部だのを誹るべきなんかないのか。なんで負けたんだ、おかげで財産がパーだとか。でもそうは言わず独立を果たした韓国を相手に勢いで威勢のいいこと言って、やんやの喝采を浴びる。それで溜飲を下げたい人たちが当人も含めて多いんだろうなあ。っていうかこの元支局長、国際的に通用しない司法判断を下すと指摘する韓国の裁判で、当時の大統領の振る舞いが行き過ぎだったと認められて無罪放免になったんじゃないのか。司法判断が政治に阿らず独立した機関だったから無事ですんだわけで。そうした“恩”に報いず公正性にも触れずに誹る薄情さ。それが大和魂とか日本人の誇りとか言い出すズレが今のこの惨状を生んでるんだルオなあ。冬、越せるかなあ。


【11月4日】 仕事に行く用事も映画の舞台挨拶とかを見る用事もなかったんで、千葉は作草部というところにある「麺処まるわ」が始めた映画「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブンハイエボリューション」とのコラボラーメンを食べに出かける。今回は西千葉から歩いて行こうとして駅を降りたら、若い子たちがぞろぞろと降りて同じ方向に向かっていたので付いていったら千葉大学がそこにあって学園祭をやっていた。せっかくだからと中に入って散策。屋台とか出ていて楽しそうだし、発表もアニメーション研究会とかマンガ研究会とか模型研究会とかあって見物したかったけれど、長居をするとラーメン屋に行けなくなるので適当に切り上げる。競技ダンス部がソーシャルダンスを披露してくれて、「ボールルームへようこそ」気分を味わえた。アニメの影響で部員は増えたのかなあ。メンバーによっては学生の大会で好成績を残しているみたいだし、いつかプロの大会で活躍してくれるかも。

 そして「麺処まるわ」でコラボラーメンを所望。以前に来た時は確か伊藤計劃の映画「虐殺器官」とのコラボラーメンを食べたんだっけ、それとも違うラーメンだったかな、って記憶を探ってそうだった「JKハルは異世界で娼婦になった」とのコラボラーメンだったと思い出す。ピンク色も使われた表紙絵をモチーフにしつつ濃厚さを持った醤油系のスープに細麺が入ったラーメンだったっけ。そして「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブンハイエボリューション」とのコラボラーメンは、エウレカの緑とアネモネのピンクが混ざったようなビジュアルで、スープにはほうれん草が練り込まれて緑色をしていて、けれども飲むと醤油系な味が残っている、って感じ? 麺は細打ちでバリまでいかない固さがって食べやすい。ピンクはゼリーだったっけ。鶏肉も入って見た目とは違い割とさっぱり。何杯でも行けそうだったけれど忙しそうだったので食べて出る。ごちそうさまでした。他の店もやってるみたいだし探して行こう。

 そういえば「K」ってそういう話だったんだと今さらながらに思い出したのは、連続上映が続いている「K SEVEN STORIES」の第5話となる「メモリー・オブ・レッド 〜BURN〜」を見たからで、「K」だととある学園に通っている伊佐那社という少年が突然、赤のクランこと吠舞羅のナンバー3だった十束多々良を殺害した犯人だと指摘され、クランズマンたちによって襲撃される展開から始まっていた感じだったけれど、今回の「メモリー・オブ・レッド 〜BURN〜」ではそんな吠舞羅で十束多々良がどういった立場でクランの運営に関わり、「赤の王」でありキングでもある周防尊との関係を気付いていたかが語られていて、単に同じクランのボスと手下などではない関係があったからこそ、後の激しい展開も起こったのかと納得させる内容だった。

 って思うけれども「K」の方がどういう流れだったか実はあまり覚えてないんで、そっちで十束多々良がどれくらい存在感を持っていたか、ちょっと確かめる必要があるのかも。とりあえずナンバー2の草薙出雲ともども学生時代がら周防尊とは知り合いらしく、周防尊が赤の王として目覚めた後は3人でクランを初めてだんだんと人を増やし、今の「BAR HOMURA」を根城にして活動していったことが伺えた。他のメンバーを入れず3人だけで話すときは上下関係もなくイタズラめいたことだって行われて、それを周防尊も受け入れるという関係性。暴れ回る愚連隊といった雰囲気は欠片もないんだけれど、それもやっぱり過去に3人が中心となって散々に暴れて、赤のクランの地盤を固めたからこその平穏だったんだろう。

 そんなバランスが崩れるきっかけとなった十束多々良の殺害を経て、伊佐那社はその内に持った「白銀の王」の魂でもってかつてその体を動かし十束多々良を撃った「無色の王」を追い詰めていく、そんな展開の中で周防尊は力を使いまくってファイスマン偏差が限界を超えてダモレスクダウンを起こしそうになって、以前からの因縁もあった青のクラン、セプター4を率いる宗像礼司に自分を倒させるといったところが「K」のストーリーだったっけ。伊佐那社は何者なのか、その周囲を動き回るネコの正体は、先代の「無色の王」の残した言葉を指針にして動き回る夜刀神狗朗はどんな行動に出る、といった展開を記憶に止めてはいるけれど、もうちょっと思い出すにはやっぱりテレビシリーズの1期を見直すしかないのかなあ。Netflixにあるみたいなんで時間が出来たら見直そう。その後は3部作の公開が迫る「PSYCHO−PASS サイコパス」の2期だ。便利な世の中になったなあ。

 インドで下位カーストだという理由で13歳の少女が首を切られて死ぬという事件が発生。これまでも何度となく繰り返されていながら一向に減らないカーストの格差から来る横暴な事件に人間に染みついた偏見だとかがどれだけ危険かを改めて思い知る。戦後の平和教育の中、押さえ込んでいた近隣諸国への偏見が鎌首を持ち上げていたりする状況が、いつか似たような事態をもたらさないかと恐れる。それからやっぱりカーストという言葉を、安易に軽々しく使ってはいけないということも改めて感じた。よく学校で階層化が起こっている状況をスクールカーストと表現するけれど、これがどうにも僕は苦手だったりする。

 ライトノベルのカテゴリーでも、よくスクールカーストものとかいった言葉が使われているけれど、僕はあまり使いたくない。カーストという自分では如何ともし難く他人でもどうにもできない状況にある制度が、インドで現実的に実際的に凄まじい差別をもたらしているにもかかわらず、それを学校という場の格差なりに当てはめ用いることに抵抗感があるからで、無論当事者にとっては如何ともしがたい状態であっても、インドのような問答無用がないなら頑張って欲しいこともあって、如何ともしがたい言葉を安易には使って欲しくないのだった。あとカーストじゃなくヴァルナ=ジャーティ制度なんで。卒論でそのあたり調べたけど覚えてないのだった。自分の卒論、読み返してみたいなあ。

 宝多六花と新条アカネの水着姿のイラストが描かれた抱き枕カバーが発売されて、本編と脈絡のない登場に女性の商品化を意図したものだって非難も起きそうだった「SSSS.GRIDMAN」だったけれども第5話でその水着姿が登場したから、もうこれは完全に本編に沿った商品化だと言えるようになったというか、そこまで考えて発売したなら版権元はなかなかに巧妙だってことになる。ここで逆にサムライキャリバーとかグリッドマンの水着抱き枕を出したら、それこそ本編とは無関係に対象を性的なものとして描いたってことになるから。グリッドマンの水着姿がどうなるかはまるで予想が付かないけれど。

 そんな「SSSS.GRIDMAN」でとてつもなくグラマラスなビキニ姿を見せてくれた新条アカネが林間学校的なリバーラフティングの場にも怪獣を持ってきていてビックリ。街中に置くだけじゃないんだと驚いたけれど一方で、あれは本当に電車で行った先の山間部なのかという謎も。向かう途中で裕太も内海も居眠りしてしまっていたし、後から追いかけた新世紀中学生の面々も途中で寝ては起きてここが到着駅だと気付いて慌てて降りていった。でもそこは本当に電車で行った先なのか。どこか街に誓い場所だったんじゃないのか。いっそすべてがジオラマの上に作られた世界で、登場人物はそこに投影された存在に過ぎない、とか。でもそんな仮想の人格を嫌いだからといって消すのも妙な話だからなあ。あるいはアカネが作った理想の世界には不要な者も現れて着たからバグ取りのように対応しているとか? 今回もいろいろ浮かんだけれどもやぱり凄かったアカネの水着。あのスマホってやっぱり胸の肉(脂肪)に埋まっていたのかなあ。そもそも埋まるくらいに柔らかいのかなあ。わたし気になります。


【11月3日】 ブラックアナライザーが言った。「ソノイケンハセイコウリツガヒクスギマス。ジーケイカクヲユウセンスベキデス」。藤堂早紀は撃った。「バキューン」。そして乗り移ったヤマトでアナライザーが藤堂早紀に言った。「パンツミセテクダサイ」。藤堂早紀は撃った。「バキューン」。そして地球圏から戦術支援AIは滅び去った。とかどうとか思ったりもした「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第六章 回生篇」だったけれども2200年にもなってAIがちょっとしたコンピューター程度っていうのはやっぱり不思議というか、すでに人間とそっくりなロボットだっていて不思議はないし、「宇宙戦艦ヤマト2199」にはガミロイドという思考するロボットも出てきたけれど、そこはやっぱり時代が粋すぎたら変わるものも多すぎるってことなんだろうなあ、南部や新見の眼鏡だっていつまで使われているんだというか。SFは難しい。

 Keikoに続いてHikaruもスペースクラフトプロデュースを退社して、これでKalafinaで残るメンバーはWakanaだけになってしまった。すでにソロでの活動も予告していたりするから今後、Kalafinaという名前での活動はなくなってしまってWakanaはWakanaでソロを歌いつつKeikoもHikaruもそれぞれに自分の活動を続けていくことになるのかなあ。といってもKeikoとか半年以上が過ぎてもその後の活動の動勢が見えないし、Hikaruもすぐに活動を始めるといった感じがない。

 演技をやりたいといったことを以前、インタビューした時に話していたから歌って演技もできるミュージカルとかに挑戦して欲しい気がするけれど、演技となるとまた別のスキルが必要だから今は充電期間ということになるのかな。このままフェードアウトだけは勘弁。現実問題、Keikoが抜けて梶浦由記さんが外れてしまった時点でKalafinaをKalafinaたらしめるアウラのようなものは削げてしまって、残るWakanaとHikaruが2人でデュエットをしたところでそれはKalafinaにならないことは分かっていた。そしてソロで見たWakanaがKalafinaの歌を幾つか唄ったところでそれはWakanaの歌であって、3人が3様の声をハモらせて構築するKalafinaの歌、Kalafinaという音楽とは違ったものになっていた。

 好き好きではなく形として違うものをKalafinaと言えないならもう、WakanaはWakanaというシンガーとしてソロで立つのが1番の道。そしてKeikoもHikaruもそれぞれに立つのが筋なんじゃなかろーか。いつか、また10年が経って“成人式”を迎えた時には3人が、集まってそこでKalafinaという音楽の存在を改めて見せて欲しいと願いつつ、今はそれぞれの門出に祝福あれと祈る。

 出版販売会社、と敢えて言っているところに岡崎つぐおさんによる含みもあるんだろうけれども「ジャスティ」なんかを書いてた漫画家の岡崎つぐおさんがツイッターで、版元に届いたファンレターを仕分けして作家のところに送り届けるのは、そうした出版販売会社にとって通常業務じゃないから今後は行わないと通告して岡崎さんを驚かせ、そしてそれを知った出版社の人たちを驚かせていた。講談社なんかはそうしたファンレターとかプレゼントを作家に届けるのは「通常業務」だと重ねて強調して意思表示。ほかも編集者がそれは当然といった声を上げ、また作家の方もファンレターをもらって嬉しかったといた言葉を通じて今後もそうしたものを臆さず贈ってといった声を上げていた。

 大昔だったら連載中の漫画雑誌に漫画家さんの家の住所が載っていて、ファンレターを送ろうといった言葉も添えられていたけれども作家を出版社が囲うようになり、また安全とかも考慮して出版社が自分たちの気付でファンレターとかプレゼントを預かって作家間中に届けるようになってから結構な時間が経つ。悪罵が連ねられた手紙とか、危険物が封入された小包なんかが直接、作家漫画家のところに届けられたらいろいろ拙いし危ない人だって尋ねて来るかもしれない。村崎百郎さんはそうやって家に来た人に刺されて死んでしまった訳で、やっぱり誰かが預かるのが作品を出させてもらっている版元にとっては「通常業務」の範囲だろう。

 ただ、岡崎さんが書いていた出版販売会社となるとちょっと違うのかもしれない。それがどういう業務形態のどういった会社がまるで想像がつかないけれど、もしかしたら単純に原稿をプラットフォームに流す仕事をしているだけで、作家を育てたりマネジメントしたりといったエージェント的な業務についてのコストも割かず意識も持っていないのかもしれない。そうしたところが大量のファンレターを受け取り、仕分けして中身もチェックして作家に回すのはやっぱり「通常業務」の範囲を外れていると考えても当然かもしれない。あるいは作家を育てるとか守るといった編集的気質、もっと敷衍するなら兄貴分的親父的先生的同志的結合すら意識できない、ただの機能と化した人間には想像なんてできないのかもしれない。そしてそうした機能化が今時のコスト至上主義の中で蔓延っているのが、今回の件の根っこにあるような気もする。出版社には今はまだ同志的結合が見えるけれどもそれもいつまで持つか。専門にするエージェントがこれから発展していくのかもしれないなあ。

 前回の「SF・ロボットアニメ部門」がC3AFAでの発表だったProject ANIMAの贈賞式は、第2回目の「異世界・ファンタジー部門」では浜松町あたりを中心としたお祭り「浜祭」に文化放送も関わっているってこともあってか、その会場のひとつとなった東京タワーの直下での開催となって見上げるように高い東京タワーの足元にしつらえられたステージに、豊永利行さん小松未可子さん三上枝織さんを迎えてスタート。J.C.STAFFの松倉友二チーフプロデューサーも登壇して、大賞を含めた企画についてあれやこれやと説明があった。とりあえずキャラクターもしっかりしていてストーリーもある企画が通りやすいとのことで、声優さんの3人が応募した企画は例えばみかこしのは設定に凝りすぎでストーリーラインが見えず、三上さんのはそもそもがファンタジーではなくジャンル違いだったとか。応募するなら相手を見ろ、そして狙いを示せってことみたい。

 豊永さんのは老人になった勇者が出てくる話だったけれど、それをいったい誰に見てもらうのかってところで企画に興味は示されても決定には至らなかった様子。アニメをご老体が普通に見るようになる10年後あたりに復活が期待できるかなあ。アニメとしてはこれでベテランの声優さんたちがいっぱい登場しては、口パクがないところでもアドリブで埋めて楽しいだろうなあってことを松倉さんは話していたけれど、それで見てもらえて買ってもらえる企画になるとは限らないところが難しい。あとギャラが幾らになるのかも。そんなこんなで過去の2度にわたって落選し続けた豊永みかこし三上さんは次はみかこし三上の「みつこし」ペアーが江戸時代×魔法少女×戦隊物で何か作るらしい。分かりやすいけどわかりやすすぎ。豊永さんは構成作家と一緒に宇宙人の少女が秘密道具で地球で何かをする話。国民的アニメにいろいろ混ざった感じだけれどもそれも「キッズ・ゲーム部門」の定番だからなあ。とおあれ次こそは通るかに期待。したいけれども。果たして。


【11月2日】 公開が始まった「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第六章 回生篇」を新宿ピカデリーで柱エ信義監督と福井晴敏さんの舞台挨拶付きで見る。お二方は先だっての最速先行上映でも登壇はしていたけれど、その時は上映前の挨拶だったんで内容について踏み込んだコメントは出なかった。今回は上映後。そろってアンダーアーマーのジャージを着て登壇した羽原監督と福井晴敏さんだったけれどもそこはお二方ともご中年なのでなかなかに体育教師然とした雰囲気が醸し出されていた。アスリートという感じとは対極の。それもまた人生。何のこっちゃ。

 さて今回はすでに第五章でも姿を見せていた「銀河」の登場がどうして実現したかというところに関心が集まっていて、福井さんがもう1隻、ヤマトを出したいなあといった願望から実現したようなことを話していた。といってもまったく同じでは芸がないからちょっと違ってマーチャンダイジング的、あるいはビルバイン的なデザインのブラッシュアップがされたものってなったのかな。実際にプラモデルとか出るみたいなんでそこは成功していると言えそう。とはいえビルバインはダンバインより強く、ガンダムMark2はガンダムより強そうだけれど「銀河」はヤマトより強くない。というより武器が使えない。そこはちゃんと設定してたとか。

 でもってそのクルーが女性ばかりというのも、初期の段階でヤマトが地球を出奔するにあたって女性クルーが残ってしまってヤマトの中に色気が足りなくなっていたのを補うため、っていうのが初期の願望で、そこに理由付けをしていった結果として「銀河」との組み合わせでG計画なるものが出来上がったとか。ガンダム計画でもゴジラ計画でもないG計画のGって何だ? それはパンフレットに書いてあるのかな。あとで読もう。とおあれそうやって旧ヤマトのクルーとそれから新しい「銀河」のクルーを合わせてて女性がいっぱいになった結果、「銀河」がヤマトを見送る場面で感涙の5人おっぱいが実現した。プラス1おっぱい&藤堂艦長という絵面も生まれた。こんなに嬉しいことはない。その意味で願望をぶち込み物語に仕立て上げた福井さんと、映像に仕立てた羽原監督らスタッフには感謝の言葉しかない。

 願うなら第七章でも「銀河」クルーの再登場を願いたいところ。森雪と桂木透子と西條未來だけではやっぱり足りないから。うん。そんな第七章についてはさすがに福井さんも明言は避けたけれどもとりあえず、まだまだ話が広がるみたい。それって「天元突破グレンラガン」みたいに宇宙のスケールを超えてしまうってことなのか? さすがにそうした世界観にはなさそうだから彗星帝国ガトランティスすら上回るオーバーロード的な存在でも現れ荒れた宇宙を平らかにしてくれるのかもしれない。いつか出会ったアケーリアス文明の方舟が戻って来るとか。高次元意思たるテレサの顕現とか。まあいろいろ球はあるんだろうけれど、それが「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のようにはなって欲しくないと切に願う。悲しい話はもう十分だから。公開は2019年3月1日。テレビ放送と並行して走っているから遅れるってことはないと信じよう。生きねばそれまで。潰れようと。クビになろうと。どっちも可能性があるからなあ。ナンノコッチャ。

 映画の上映前の予告編でアニメーション映画らしい「明日世界が終わるとしても」の映像が流れたんだけれもこれがなかなかにグッとくる感じ。あいみょんってアーティストの歌も凄かったんだけれど、それに合わせてただ歩くだけの少女のキャラクターがおそらくは3DCGでの造形で、それを2Dっぽいアニメーションにして見せている感じでその動きが2Dとはやっぱり違って小首をかしげるというか、首が揺れるというか実写の人間が歩いて生まれるリアルな肉体のぶれを描画によって再現しているように見えた。あるいはそれっぽさを出しつつどこかの違いも感じさせ、引きつける効果を狙ったというか。とにかく目を奪われる。これが全編続くのか、予告編だけなのかは分からないけれども自分にとって見るべき映画になった。公開は来年1月25日。行かねば。

 体調が芳しくなく湯浅政明監督のトークイベントも結局、新作が発表になった「夜明け告げるルーのうた」の回しか行けなかったけれども、とりあえずラインアップ発表会も含めて5本くらい書いたんで来年のパスは確保できるんじゃなかろーか。これも潰れたりクビになったりしなければ、だけれど。いやだからその可能性が以下略。そんな第31回東京国際映画祭でグランプリが決定。「華氏119」を見た時に上映の案内を見たフランス映画の「アマンダ」が東京グランプリ/東京都知事賞というものに輝いたそうな。これがどのくらい権威があるか分からないし、そもそも去年が何だったかすら記憶になかったりするんだけれどとらいえず、映画は面白そうなので公開されたら見に行きたい。

 あと最優秀監督賞は「堕ちた希望」のエドアルド・デ・アンジェリス監督が受賞していて、最優秀女優賞にも同じく「堕ちた希望」に出演のピーナ・トゥルコさんが受賞とか。どんな女優さんなんだろう。そして最優秀男優賞はマイケル・ノアー監督の「氷の季節」に出演していたイェスパー・クリステンセンが受賞。名前から見てイケメンっぽいけどやっぱり知らないのだった。日本からコンペティション部門にノミネートされていた阪本順治監督の作品で、稲垣吾郎が出演した「半世界」は観客賞を獲得。まあそうだろうなあ、日本なだけに。もう1作、「愛がなんだ」も興味深いけれどもどっちも見られず。まあ「半世界」は試写状が回ってきているからそっちで見よう。下手をしなくても正月映画は木村拓哉さん主演の「マスカレード・ホテル」とガチ合うなあ。狙ったのかどうか。オールスターキャストのサスペンスって意味で興行は「マスカレード・ホテル」が勝ちそうだけれど、映画であり役者としての注目だと炭焼きだなんて異色な役に挑戦した「半世界」に軍配? そこをどう扱うかでメディアの今のスタンスも分かるかな。

 己を顧みないで主張を絶対と決めて貫き通すその意志にある意味での敬意は払うけれどもそうした主張があまりに頓珍漢で、ちょっと拙いんじゃないのと理路整然と窘められてもなお曲げない人に対していったいどういった言葉が届くかというと、やっぱり届かないまま突っ走り続けるんだろう。問題はすでに地位ある人がそうした根拠のない確信を振りまき続けていることで、それを窘められたら改めて繰り出す別の言葉がまたしてもトン痴漢だったりするにも関わらず、学術とかの世界で地位を得たりしていることにいったい世界はどう向き合えば良いのか。まったくもって不思議な世の中。あらゆる本のタイトルは営業が決めると満天下に向けて断言して、すぐさま違うといった反論が繰り出されても自分がそうだったからそうなんだと譲らないのはやっぱりどこか妙だよなあ。どこがとは言わないけれど。困ったなあ。


【11月1日】 「SSSS.GRIDMAN」で宝多六花と新条アカネの抱き枕カバーが出るってことでいろいろと問題を提起されておられる御方がおられて、美少女キャラクターを愛でたい層に向けて美少女キャラクターの美少女性を打ち出した商品を作ることが、そうした美少女性がクローズアップされることを良しとしない層にとっては目障りだといった認識があるんだろうと想像できるけれど、それを言い始めたらあらゆるアニメーションなり漫画なり、それこそアイドルも含めて美少女キャラクターを取り上げたグッズが作れなくなってしまう訳で、それって果たして真っ当な主張なんだろうかといった思いが浮かんでつきまとう。

 嫌だなあと思うことはもちろん避けられないし同感だとも思うけれど、だからといって差し止めるなんてことをしたら今度は逆に美男子性をクローズアップしたグッズだって同様に作れなくなってしまう可能性をも否定できなくなってしまう。そうした美醜を離れたキャッチーさですら差別だと言い始める人だって出てきそうで、そうなったらもうあらゆる欲望に沿った品は世に問えないことになってしまう。それってもう表現じゃないだろう。だから例えば18禁めいた規制を飛び越えたようなものだったら、反対して当然でもそれの為のキャッチィな段階で踏みとどまっているものまでを、反対して規制するのはお互いのために良くないんじゃないかって、そう感じて欲しいんだけれど反対している人の嫌だって気持ちに理屈はないからなあ。やれやれ。

 というか六花とアカネがあるならそれこそグリッドマンそのものの抱き枕カバーだってあって欲しいし、サムライキャリバーさんの抱き枕カバーもあったら欲しがる人がいそう。グリッドマンはやっぱり抱くとごつごつしてジャンクなパソコンの感触がするんだろうか。サムライキャリバーさんのは背中に日本刀が刺さっていて寝返りとか打ちづらいんだろうか。まあそういうことはなさそうで。アカネはむしろあの生足を再現したクッションとか出してくれて、踏みつけられる真似とかできたら喜ぶ人もいるんじゃなかろーか。いずれにしてもまだ放送から4話でここまで話題になったってことで、この2018年10月スタートのアニメーションでは「ゴブリンスレイヤー」ともどもトップに来そうな気がするかな。あとは「幼女戦記」ってそれは再放送か。でも面白いんだよなあ。

 阿佐ヶ谷駅から歩いて高円寺駅方面へと向かうガード下にあった阿佐ヶ谷アニメストリートが2019年の2月末を持って終了とか。オープンしてすぐくらいに覗いたときには店舗もそれなりに埋まっていたしカフェとかあったりマッドハウスが店を出していたりして、アニメグッズを買う楽しみもあったんだけれどだんだんと櫛の歯が抜けるようにして店がなくなり入れ替わって、今はいったい何が出ているのかまるで分かっていないのだった。「攻殻機動隊ARISE」を見られた店もあった記憶だけれど記憶違いかもしれない。場所はまあ、ちょっと歩くけれどもそれだけの距離でも引きつける何かがあれば通っていた。今敏監督の仕事場回りが再現された時にはお金を払ってのぞいたけれど、ごく初期のそれがピークではやっぱり続かないかもしれない。試みとしては悪くなかったのでこれを活かして次の展開を考えて欲しいなあ。秋葉原と池袋だけではやっぱりツマラナイから。

 つい最近、何かの小説に登場したのを読んだような記憶があるんだけれどまったくの記憶違いかもしれないので確かなことは言えないポーカーのテキサスホールデム。5枚の手札を交換しながら役をつくっていく普通のポーカーとは違って、手札は2枚だけであとは公開されていく5枚の共有カードのうちの3枚と組み合わせて何か役が出来れば良いってことになっている。ただし3枚が開くまでにまず2枚の手札を見て良い役が出そうもなければ降りることができるし、そこからベットして3枚が開いてこれでフラッシュがいけそうとか、すでに行っているとかストレートが作れそうとなったら、さらにチップを積みまして勝負していける。

 本当に勝てそうならそこで一気に全賭けしたって良いけれど、そういう手を他が見せた時が要注意。絶対の手があると見せかけて、実はブタなのを隠して他を降ろそうとしているだけかもしれないから。そうした駆け引きとか心理戦の要素があるのがテキサスホールデムの楽しみ。そんなポーカーが何とゲームセンターで遊べるようになるというからこれは楽しみ。バンダイナムコアミューズメントが送り出す「ポーカースタジアム」がそれで、筐体に現れる2枚の手札を指先でタッチしてめくって確かめ、場に出てくるカードを見極めかけ続けたり降りたりといった勝負ができる。自分がカジノのポーカー台の前にいるような気になってくるゲーム。向かいに美人のディーラーがいない分、プレイに集中できるってのも良いかもしれない。ディーラーの手さばきによる仕込みもないだろうし。

 駆け引きを挑んでいるような相手の表情が読めないって所に、リアルではない難点ではあるけれど、相手が手札をめくる動作はアバターを介してちゃんと分かるし、会話とかから本当に役を作っているかも感じ取れる。繰り返しプレイするうちに相手のスタイルも掴めてくる。そこから心理戦をしつつ運にも賭けるテキサスホールデムの醍醐味を味わえるって寸法。格闘ゲームと違って実力差が出ないからゲームが苦手な僕でも楽しめそう。近くロケテストも始まるみたいで、時間があれば覗いて来よう。それがなくても2019年春には稼働するそうだから、早くから通って腕前を上げランクを高めてチャンピオンになってそして本場のカジノで連戦連勝、とはならないところがリアルの難しさか。これでeスポーツが始まり賞金が出るようになれば嬉しいんだけれど。

 表紙に出てくる美女が物語の開始早々に脇へと引っ込んでしまう悩ましさはあるものの、銀翼のぞみさんの「女勇者が自分に性奴隷にならないかとパーティを追放すると脅されたので離脱を選択します」(ダッシュエックス文庫)はおねショタ炸裂のファンタジーとして読んでゾクゾクとさせられる上に、虐げられている女性がいたらやはり助けるべきか否かを身に問われる問題意識なんかもありそうで結構読ませる。勇者が率いるとあるパーティに所属していた12歳の霊装騎士、レムくんだったけれども今ひとつ強くなかったりしてパーティの足手まといになりかかっているところで、マイカという勇者から連れて歩くには自分の性奴隷になるしかないと言われてそれは嫌だと離脱してしまった。

 美人の勇者に囲われるなら悪い話じゃないと思うし勇者の方だってレムが好きだからずっと一緒にいるための方便として性奴隷を言い出したんだと思うけれども、少年の澄んだ心はそうした駆け引きを厭い離脱し暮らしていた教会に戻ったら神父もシスターもレムを商売道具と見ていたことが判明。愕然として2人を訴えつつレムくんは出奔した先、死すら望んで入ったダンジョンで褐色エルフの美少女と出会い彼女を自分の奴隷とし、また罪の問われて奴隷に墜とされたシスターも拾い上げつつ新しいパーティを作ってダンジョン攻略に乗り出していく。おねショタでありながらも立場的には自分が支配するという倒錯も見られる関係性がなかなか愉快。おねショタ炸裂の領主の娘がレムを婿にするとも言い出し引っ張りだこの中、果たしてレムは生き延びることができるか。彼を最初に性奴隷にしようとしたマイカとの再会はあるのか。いろいろ楽しい展開の続きが気になる。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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