Last Updated 2012/5/18
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」
リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!
薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー
日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ
ワーニングワーニング
(ホントはただの日記です)
◎積み上げた本の数が這々の体で1250冊に達した
『積ん読パラダイス』
だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で
『積ん読パラダイスinBlog』
なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
◎
これは良い。
『ブロッケンブラッド』の
塩野干支郎次
さん描く浅井長政と市との間に生まれた茶々、初、江の3姉妹がパッケージになった米、その名も
『さんしまい』
が岐阜は関ヶ原にある浅野屋米店から発売中でーす。塩野さんだからってついてないぞ、たぶんついてないぞ。
【5月18日】 あんなに冷徹な守銭奴っぽく見えた喜界島ちゃんが、案外に女の子っぽく初(うぶ)で意外に映ったアニメーション版「めだかボックス」をやっと見る。何でいきなり生徒会室で着替えているんだって謎は、つまりは読者サービス視聴者サービスと割り切りつつ、たった2人きりとなった生徒会で人吉善吉を相手に喋りたくても喋りかけられない喜界島と、そんな喜界島に向かって普通に会話しようとしたら途端にエロくなってしまう人吉とのドギマギとする関係に、ラブコメディって良いのもだなあって思ったけれども「めだかボックス」って別にラブコメじゃないんだった。むしろ学園バトルなんだけれど本当にそうなっていくんだろうか。妙にクライマックスが続いている連載の展開がアニメで描かれることはあるのか。以前だったら夕方とかに1年2年で放送されてしかるべきだったジャンプアニメが深夜になって、こういう不安を抱かないといけなくなったのはやっぱりアニメが変質している現れなんだろうなあ。
こっちは正しく2年目にも入った「SKET DANCE」は冒頭でパラドックスについてスイッチが振っておいたのが後半のエピソードで活かされるところに工夫。でも前半は得体の知れないジョージ声なおっさんの発明でボッスンが透明になってしまってそれで姫子を驚かしにいったら途中で薬の効き目が消え始めて頭から首から上半身が見え始めたのをどうごまかすかって遊びが愉快。生首を持って歩いているっぽい場面でボッスン、膝立ちで歩いてたりしたのかなあ。最後は頭に馬の首を被り体に紙袋をかぶってそして腰にはタペストリー。描かれたキャラの顔に下に潜んだそれが触れたタペストリーをスイッチよ、洗っただけでオッケーにしてしまうのか。とはいえ焼けないし。後半は力士みたいなパワードスーツに入ったボッスンがスーツの暴走を止めようとして発した命令がパラドックスだったという落ち。なるほど巧い。「BLEACH」も「銀魂」も消えて夕方のジャンプアニメって今これくらい? 選ばれた理由とか知らないけれども面白いから良いってことで。キャプテンもっと活躍しないかなあ。クエッチョンもう出ないのかなあ。
そんなに3バックをやりたいんだったらセンターバックタイプを両脇に置きつつ真ん中は、ボールダッシュに優れた上にラインを統率しつつ自ら攻撃にも上がれてそして前線へとボールを送り込めるビルドアップ力にも優れた人を置いておくのが常って気がしないでもないんだけれどもザッケローニ監督が選んだ代表のディフェンスを見てどうにもそういう選手が見えない。まあさすがに30歳も過ぎた阿部選手を呼ぶのはキツいかもしれないけれども浦和レッズでの動きからすればまだまだやれそうな感じだし、今野選手だって存分に活躍はできるはずなんだけれどもこちらはお家のガンバ大阪の不審を咎められてか選出されず。槙野選手に栗原選手は壁タイプだし内田選手と駒野選手と長友選手はサイドタイプ。4バックでやるなら存分な陣容だけれど3バックでいったいどうするのか。
やっぱりボランチにもうちょっと仕事をしてもらうってことになるんだろうけれどそこには遠藤選手の名前がない。いったいどうやて組み立てるんだろうなあ。あるいは徳永選手と憲剛選手を並べるとか長谷部選手と細貝選手を置くとかするのか。でもやっぱり組み立てに不安。本田選手も戻ってくるけど実戦に復帰してまだ日が浅い。かといって香川選手だけだと周囲が彼を生かし切れない。抱負に見えて案外に人材難かもしれないこの日本代表の責任は、新しい選手を見つけられない監督にあるのかそれとも送り出せないリーグにあるのか。どっちにしても興味の薄めな代表メンバー。せめてだから宮市選手と香川選手にはいっしょに出てもらいたい。あと佐藤寿人選手がやっぱり日本人で1番得点をとっているんだからと選ばれるとか。前田遼一選手のワントップより佐藤選手をシャドーで置いた方が絶対に効果的だと思うんだよなあ。目が向いてないのかなあ。
夜ごとに現れるチェーンソー男ならぬシマウマ男を相手に制服姿の美少女が手に武器とか持たずその肉体だけで戦い沈めるのを通りがかった少年が見ているといった構図は滝本竜彦さんの「ネガティブハッピーチェーンソーエッヂ」で存分に味わった一種のスタンダード。「ネガチェン」はそこからチェーンソー男の正体へと至り寂しさに圧迫された心が浮かび上がってそれを何の力も取り柄もない少年が見守り共に戦うことでちょっとだけ気持を高めるという展開に、ここではない他の場所での誰かとの出会いを夢みる少年少女が引きつけられて今なおエバーグリーンな1冊となって君臨している。対して野中美里さんの「2WEEKSイカレタ愛」(講談社BOX)は少年自身に一種の異能の力がってシマウマ男と戦う少女にもやっぱり力があってそれだけじゃなく未来予知やら計算といった異能を持った少年少女がいっぱい出てきて宇宙から来た何物かと戦うという展開に向かうところが目新しいというか独自アレンジというか。
それはつまりよくある異能バトルの一種かっていうとうーん、そうとも言えるしそうでないとも言えそう。それぞが異能を使うと何かしらリアクションがあってそれを払拭するのに苦しんでたりする。果てしないパワーを発揮できる少女はそれをふるった大小に次第に強くなるシマウマ男と戦わされて最終的には敗れて食われてしまう。それを助けて生き返られた少年はそうしたことをすると少女が半透明から実体を持って現れ妹ととして少年のそばにずっといる。でもしばらくすると消えてしまって少年が力をふるえば現れる繰り返し。作り出したものであっても存在してしまったものを消したり出したりするのはなかなかにストレスだ。
未来を探れる少女もそれによって変えてしまったひずみが別に出て、そこで起こった状況をずっと心に引きずっている。いつか捨ててしまいたい力だけれどそれを与えたらしい宇宙船の事故がどうにかかいけつする時に、起こることが彼ら彼女たちにとって決して幸福ではないと知ってそれでも運命と受け入れられるかというとなかなかに酷。だからと解決の道を探り妹が消えてしまう可能性も見えて迷いながらもどうにかこうにか事態を解決していく展開に、異能をふるうことによる万能感は浮かばずむしろやっぱり余計な力を与えてくれてといった懊悩が浮かぶ。力とは決して人を幸福にするものではないのだと知れる物語。シンプルで男女1組の関係がよく見えた「ネガティブハッピーチェーンソーエッヂ」の方が好きだけれどもこっちもこっちで現代的。どれが欲しいかっていうとやっぱり生き返らせたり治したりする能力かなあ。うん。
【5月17日】 なんか近隣にソノシー・マクラーレンが来ているってんで見に行ったら中身はソノシーだったけれども身に蒼井優さんの着ぐるみをまとっていてソノシー本来のスレンダーなナイスバディが隠れて見えなかった残念、って違うだろ、逆だろ。そんな蒼井さんは何やらビールの店ができたってことで宣伝に来ていたみたいだけれどもこの電気がどうだこうだ言われているご時世にマイナス5度まで泡を冷やして飲ませる店が果たして世間的に大丈夫なのか、っていった心配もちょい浮かぶ。いくらビールはキンキンに冷えたのが美味いからってねえ。
っていうかエジプトとかメソポタミアで生まれたらしいビールが冷えているってのは明治以降の風習で、本来はビールは普通に常温で飲まれるものでおそらくそうした状態でも美味いように作られ方も工夫されてきたはず。探せばだから常温でも美味しいビールはあるはずで、それらをこのご時世だからこそと持ってきて売れば世間にエコだって評判もたっていっぱい飲まれるかっていうとうーん、カラリとしたエジプトの暑さもそうだし夏場はともかく秋冬春はまだ寒い欧州とかの気候で飲まれる常温のビールは、このすでに暑くて蒸す日本の気候には合わないかもなあ。どうなんだろ。とりあえずギネスを冷やさずその辺に積み上げ昼間にごくりとやってみるか。
暇に飽かせてボツボツと積み上げてきた読書感想文が目分量でだいたい1300冊くらいに達した模様で、これは目出度いかというと個人的にはお目出度くっても世間的には何の影響力も持たないただの素人の感想文、ぶらんちだとかだびんちだとかいった世間に絶大な影響力を持って取り上げられれば10万部確実、フルコンプリートならミリオンだって楽々な書評媒体には遥か遠く及ばずむしろ比べようって心理自体がおこがましいことこの上ないんだけれどまあ、そこは一文にもならずとも趣味でやってる素人の戯れ言と聞き捨ててやって頂ければ幸い。16年なら本当だったら1600冊には届かせたかったけれども数年、さぼってた時期もあったからなあ。これから頑張ろう。
せっかくだからと切り番に積み上げる本でも探していたら目に入ったのがあらい・まりこさんの
「霧の中のラプンツェル」
(双葉社)という漫画。前にネットでチラと中身を見てその凄まじさに驚き書店に慌てて探しに行って買って呼んで素晴らしさに滂沱した
「薄命少女」
(双葉社)という4コマ漫画の作者の人が、ずっとネットで連載していたらしい漫画なんだけれど前がギャグの中に死を交え、自らのいつか絶対に断ち切られる生への諦観めいたものを考えさせてくれた傑作漫画の「薄命少女」とはまた違い、理不尽に与えられる死と苦しみにいったいどうやって立ち向かっていけば良いのか、ってものを強く感じさせてくれる内容になっている。
だってホロコーストだよ、テーマが。「アンネの日記」に「夜と霧」に「シンドラーのリスト」なんかで描かれ悲惨で悲哀にあふれた時代だったと誰もが知ってるホロコーストの理不尽が、ひとりの少女の視線から描かれているから受ける印象はひたすらに理不尽、平穏だった日常が数年でがらりと変わってきゅうくつになって圧迫されて迫害になって収容からそして死へ。ほんの15年くらいで一気に変わるその時代にいったい人はどういう気持で生きていたのか。これはヤバいと感じなかったんかそれともなるようになるさと思っていたらどうにもならなかったのか。市井の生きているだけの少女やその一家にはたぶんきっとどうしようもなかったんだろうって読んでいて思わされる。それゆえにこれからも起こり得るかもしれない恐怖に身がすくむ。
というかい現在、起こりつつある似たような状況があるだけに、これをどうしようもないんだと、受け入れていいかというとそうではないんだてことを多分、知るべきなんだろうなあ「霧の中のラプンツェル」を読むことで。過去の名著も山とあってそちらに騙られた史実としてのホロコーストから受ける恐怖心を甦らせることも重要だけれど、それでも足りなかったからこそ戦後60年とか経ってもなお似たような理不尽な差別に迫害って奴が繰り返される。ならばさらに積み重ねていくしかないってことで書かれた1冊だと思うんだけれど問題は、話が途中で終わっている割に1巻とも1部とも書かれておらず、ネットの連載も同じところで止まっていること。どーしてだ。どうしてなんだと浮かぶ憤り。けどこれもまた資本主義、なら買って必要とされているんだと世に訴えて続きを描いてもらうよりほかにない。それこそだびんちだとかぶらんちだとかすかんちだとかに取り上げられれば1発なんだけどなあ。
「入れ墨が見えなければよいとした教育委員氏には特にうかがいたい。悪事はばれなければよい、と子供たちに教えるつもりなのかと」と書いてた媒体があったけれどもちょっと待て。入れ墨は悪事なのか。公序良俗等からなるほどあんまり見せたくないものかもって意見はあっても、法に背くものではない。それを入れることが儀式として神聖視され生活として必要とされている世界もあって、それでも入れ墨は悪事と説くのは世界への目配りがちょっと足りない。日本では、といった限定とそしてその歴史を語り説明する手間を惜しんで悪事と言い切る言葉の乱暴さにまずひっかかる。
なるほど「装飾用途の入れ墨も禁止され、この法的規制は昭和23年の軽犯罪法の公布まで続いた。こうした歴史を考えれば、入れ墨に恐怖心や嫌悪感を抱くのは、ごく自然な市民感情、社会通念といえるだろう」とも書いてはあるけど、これもまた乱暴な展開。これだと法に規定され差別された病気の人たちに、未だ残る意識をも自然な市民感情と肯定しかねない。社会通念なんて曖昧なもので判断されることで世界が過去にどんな過ちを繰り返してきたか。そこへの意識もなしに断じていいものではない。そりゃあ意識として入れ墨が認められる場所があり、認められない場所もあることは当然だけれど、そのことを説明して理解させようとする言葉が、やっぱり足りていないのが気に掛かる。悪は悪だから悪なんだというトートロジー。それが通ってしまう世界って、やっぱりヤバいよ本当に。
【5月16日】 あそこで文明ちゃんの過去をマヤに見せておいたことが後の子供な文明ちゃんとのイチャイチャにつながったのかもなあと再放送の「世紀末オカルト学園」なんかを見ながら本放送の記憶を重ねてあれこれ。臨死体験マシンに入ってそこに取り残して来たこずえの心を取り返しに移行と競泳用水着になったマヤを脇にやって自分がと志願した文明が、マシンを通して見せた心の映像には同級生たちから切り離されて遊ぶ時間も持てず、楽しみにしていた母親とのプラネタリウム行きも母親がそれを知ってか知らずが仕事を入れてしまって行き場のない気持を漂わせる文明に、マハはオカルトにのめり込んで家族を蔑ろにした父親に邪険に扱われた記憶を重ねて抱くシンパシー。人間気取らず心をぶちまければ同情も引けるって感じか。あの新しく入った仕事ってのがオカルト学園での講演だったっけ。そこで何かが起こるんだっけ。まだ続く再放送を楽しく見ていこう。
浮き立つ気持に踊りたい、と思った衝動を食事する店で発露したとたんに当人は捕まらずとも店が違法がと摘発されかねない状況が、あったとしたらもうそれは表現にたいする著しい圧力であってどうにもこうにも居たたまれない。あるいは営業にあたって許可を得るのが面倒とばかりにそれを得ず、かといって場所は作り雰囲気も作ってさあ踊れとやればそこに違法の意図有りと見なされ摘発されるのもやむを得ないけれどもそうした店側の意識とは離れた場所での自発的な衝動までをも、絡め取りかねないところにこの問題の難しいところがありそう。
適用が厳密化されたらそれこそプロポーズでもして受け入れられてひゃっほーと小躍りした途端に警官隊が乱入、摘発だなんて事態もあり得ないこともない。あったらギャグだけれどもギャグが現実化しかねない世の中なんで。ただそれでも踊りたいという意志は留められるものではなく、そうした抵抗の意識を表現するための新たな手法なんてものが未来、生まれてきたらそれはそれで歴史になる。ブラジルで手かせをはめられた奴隷たちがそれでも戦うためにと逆立ちし、足だけで戦うカポエイラという武術を生みだしたように、ってそれは俗説らしいけれども人はそういう具合に抑圧から何かを生み出すんだ。武器を奪われた沖縄の人が手足を鍛えて武器とした沖縄空手はそんな例えにはまるかな。
そして飲食店でのダンス禁止令から生まれるのは、手足を動かさないで顔だけで踊るという「フェイシャル」というジャンル。目に口に眉に頬に人によっては耳なんかを自在に動かし顔の左右上下前後への少しの移動も混ぜ合わせてそこに豊穣の表情を作り出す。社交ダンスよろしく向き合って座った男女でまずは男性がすっと目線を横へとずらしてそれかキッと女性を見つめて微笑み、女性は受けて顎をさげてはにかみ上目遣いからウインクへ。そして互いに認め合った表情は笑顔に憮然とした顔に怒り顔を表情のすべてをつかって表現しながら会話し対話をしてそして最後は見つめ合い微笑み合って顔を近づけキスを交わして終わるという、ああ何てロマンチックなダンスだことか。
これを一種のソーシャルな「フェイシャル」とするならロックは顔にあらかじめ隈取りのような模様を描いてより大勢に強烈に表情が伝わるようにし時に口に仕込んだ血のりを吐き出すギミックも見せて驚かせ慌てさせて喝采を浴びる。さらにギミックを仕込んでウイッグを回して隠した顔が一瞬のうちに早変わりするイリュージョン、ただひたすらに無表情を貫くなかにかすかな変化を読みとりそこに美を見るゼン等々、広がる「フェイシャル」の幅はやがて言葉すら超えて人間のコミュニケーション手段に成り代わり、心と心とをつないで世界をひとつにまとめるのであったという、そんな夢物語が描けるんあらダンスの規制もまんざらでもないけれどもやっぱりダンスも立派にコミュニケーションの手段、それを禁じて生まれる心の退廃は、いずれ国を膿ませ滅びへと導くと世間は知れ。どうしてこんな社会になってしまったのかなあ。
それは関西の方で蠢動している節電隣組発足につていも言えることか。どうやら相当に電力が足りなくなりそうな中で無駄に電気を使っていそうな家々をチクりあう仕組みをマジに作ろうとしているらしいから恐れ入るというかやれやれというか。とんとんとんからりと隣組じゃないけどそれで夜勤の人が昼間にクーラーつけて寝ていたら、無駄だといってたたき起こされ寝られず夜に居眠り運転で事故多発、なんてことになったら誰が責任をとるのか。昼間に電気は悪といった観念が広まり輝いている電飾に石を投げてそれを暴力ではなく正義と胸をはる輩の登場を、許しかねない空気が漂い始めているのがどうにも不気味。それはいつか来た道で、その道がいったん行き着いた先を思えばなおも不気味さは募るばかり。けどだれも止められないし止まらない。未来は。というより明日は。しばし呆然。
そんな強権による抑圧がとくに見える大阪市の動向を、いつかのナチスドイツのようだと例える声も響き始めているけれど、あれでナチスはゲルマン人限定ながらも文化水準を高め生活水準も上げて技術水準の向上にも務めようとしてたんだった。そこからリーフェンシュタールの映像が生まれラジオが行き渡りアウトバーンができてモータリゼーションも進んだんだけれども大阪市はむしろ文化を削り生活水準を下げ技術水準すら大停電への不安の中に低落させようとしているように見える。これはナチスドイツってよりはやっぱり、既にいろいろな人が言っているように、カンボジアでクメールルージュが行った文化や社会の破壊と似た雰囲気。カンボジアでは都市からは大勢の人が農村へと追いやられ、労働を強要される中で文化を体現する人たちはキリングフィールズに沈んでいった。もしも関西広域連合を担いで大阪あたりが農林水産業回帰なんて言いだし山に畑に海に人を送り込もうとし始めたらその先に来るのは。閉鎖され分限免職された知識人文化人の行く先は。怖いねえ。
誘われて
高円寺HIGH
まで和装侍系音楽集団MYST.のライブを見に行く。ワンマンではなく4つのバンドとの共演で行くと1つめは終わってて2番目の
Ethnic Legist
というファラオなビジュアル系のハードロックバンドから観賞、雰囲気を作って見せる上にバックで踊る2人の女声によるコーラスが響いて幽玄のエジプトな雰囲気を醸し出す。ギターとドラムがなかなかに美形でベースは迫力。そしてボーカルはミステリアス。ファンもいるみたいで最前列でいっせいに頭を目一杯に振っていた。楽しそうだったなあ。それから
東京バブリシャス
ってバンドを見物、メンバーはメインの3人でちょい猥雑な雰囲気を醸し出しつつにやけた声で唄う人、スリムな長身の頭をツンツンにした上に東京タワーまでぶったてて低い声で唄う人をツインボーカルにしてポップでキッチュな世界を見せてくれた。
バックでは太めな髭のパパイア鈴木さん系な人とスリムでゴージャスな美人の人がコーラスをやっていたけど美人は
浜田マロン
さんてソロで活動している人が入っていたのかな、とってもキレイだったのでどこかでソロを見たいなあ。最後の曲では1番目にやって見られなかった
井の頭フォーキーズ
人がステージに上げられてたけど残って何をやっていたかというと名物らしい豚汁をつくって売っていた。東京バブリシャスのCDを買ったら東京バブリシャスが買い上げふるまってくれるというので東京バブリシャスのCDを買って豚汁をもらって食べたらこれが名物だけあって美味しかったよとっても。味が染みてて。どんな味噌を使っているんだろう。ほかに何を味付けに使っているんだろう。レシピ公開したらイケるんじゃないかなあ。
そしてMYST.は前に渋谷で見たときにでていたくのいちな人がいっぱい登場。
伊藤ゆりえ
さんというタレントな人で格好だけじゃなくって殺陣も本格的に学んでいる様子。舞台ではこちらもただ甲冑を着ているだけでなくってちゃんと剣道も学んでいるボーカルの佳上哲也さんを相手に小太刀や薙刀をつかってぴしっと決めてみせてくれていた。迫力あったなあ。間違えれば怪我をしかねないところをちゃんと収めるその腕前を、ドラマか映画で見たいもの。伊藤ゆりえさん、他に何に出ているんだろう。そんなライブは最初ちょい声がかすれているようにも聞こえた佳上さんが唄い込むたびにちゃんと声を出せるようになって最後は「夢を見る間に抱きしめて」で大盛り上がり。やっぱり良い曲だよこれ。デザインフェスタと違いフルバージョンで聞けるのもライブの良いところなだけに7月の浅草でのワンマンライブは頑張って行こう。作り手の思いも深いらしい「東京の空に」も東京スカイツリーの間近で聞いてこそ、だし。
【5月15日】 電撃大賞といったらライトノベルでも応募数で最大を数える新人賞だけれどもその20回を記念してか、来年に応募が締め切られる電撃大賞には何と電撃学校大賞って部門が特別に儲けられては学校に所属する学生が、いろいろと応募できるようにするらしい。募るのは電撃文庫かメディワークス文庫に収録されている作品をモチーフにしたもので、演劇でもアートでも彫刻でもフィギュアでもパフォーマンスでも何でもござれ、それを映像なり画像に収録して応募したのを審査して、優れてこれが電撃ってなものを選び表彰することになっている。
さても自分が学生だったら何をどうして応募したかと考えるとすると例えば演劇部に所属していたら割と劇にしやすそうな時雨沢恵一さんの「キノの旅」をもとに戯曲を書いて舞台にかけたかもしれないし、映画研究会だったら街と学校で撮影可能な「ブギーポップは笑わない」を映画にしたかもしれない。アニメーション研究会だったらどうするかなあ、秋山瑞人さんの「猫の地球儀」の部分を抜き出しアニメにしてみせたかもしれないなあ。美術部だったらやっぱり彫刻として鎌池和馬さんの「とある魔術の禁書目録」に出てくるミサカたちを1万体は流石に無理でも50体くらい作って並べてその異様さって奴を浮かび上がらせたかも。
そういう時にたとえば戯曲なんかだと著作権を持つところに了解を求めることになっているけれど、こういう場合だとそうした権利はとりあえず気にせず応募のためにと作品化して良いってことになっているのかな、そんな辺りの規定をもうちょっと書いておいたらいろいろと問い合わせも簡略化されて良いんじゃなかろーか。イラストなんかだと今でもイラスト部門で作品をテーマにしたものを求めているけど、アートとかだともうちょっと違ったものが出てきそう。それこそ美奈川護さんの「ヴァンダル画廊」シリーズでヒロインが描くビルの壁を覆う名画の際限とか。ちょっと見てみたいかも。ロボット研究会とかなら挑戦して欲しいのが松山剛さんの「雨の日のアイリス」に出てきたアイリスの際限、美少女のロボットで、巨大な魚を背負って歩く姿を見てみたい。力があるなら鎌池さんの「ヘヴィーオブジェクト」に登場する巨大な兵器、オブジェクトの再現を。校舎すら超える高さで僕等を驚かせてくれい。
どれほど大きいかというと同じジェフユナイテッド市原・千葉でもゴールキーパーの選手とあと数人といったところ。日本代表クラスならあの中澤祐二選手と同じ高さを誇る上に年齢もまだ21歳で、それでいてキャリアはJAFアカデミーの頃から含めればかれこれ5年とかそれ以上。スーパー少女プロジェクトでもって目をかけられ抜擢され、夏のオールスターでは前座の試合でJAFアカデミーのチームから出てゴールを守って西ヶ丘に来た観客を驚かせ、そのまま福島に拠点を置くTEPCOマリーゼに入団しては、やっぱりその圧倒的なフィジカルで子供たちから大人気だった山根恵里奈選手に、いよいよスポットが当たる時がやって来た! って4年おせーよ。まあ仕方がない、それが日本の新聞って奴だから。
日刊スポーツに
「なでしこに秘密兵器! 187センチGK」
として取り上げられ、ロンドン五輪に向けてメディカルチェックを受けるメンバーに入っていたと報道された山根選手。マリーゼの活動休止もあって行き場に迷い練習もままならず暗澹としていたってことは想像していたけれど、疲労骨折とかヘルニアとかで休んでいたことまでは知らなかった。あの大きさだものなあ、よっぽど鍛えておかないと体調も崩れて当然、そこはだからマリーゼとは違ってトップチームからユースまでが揃い、フィジコもちゃんといてGKコーチもいるジェフ千葉で、直接ではなくても関心をもってもらえばちゃんと治るを思いたい。せめてそれくらいのことはしてあげて欲しいよ丸山佳里奈選手が抜けた後で注目を集められる選手は他に清水由香選手くらいしかいないんだから。シンガーな石田美穂子選手も辞めちゃったしなあ。
昔で言うなら「プラレス三四郎」で今だとさしずめ「ダンボール戦機」か。折口良乃さんって人の「デュアル・イレイザー」(電撃文庫)は組み立てたプラモデルよりはもうちょい生硬なロボットをセットした上で大型の筐体に入ると、あたかも自分がそのロボットを操縦しているような感覚でもってバトルを楽しめるというゲームが実現した世界が舞台。決して強くはない2人組のうちのひとり、東城刀雅がその日もゲームを終えて見渡すと、日本でも屈指のプレーヤーとなっていた如月紀沙羅が現れ、やっぱり勝利を重ねていた。2人で動かすのが基本のゲームをなぜか彼女はたった1人で操縦していたけれども天才だけあって決して負けない。というか彼女には負けられない理由があった。
デュアル・イレイザーというゲームを開発したのは彼女の母親。そして娘はその技術を明かすようにと脅迫する宗教団体にさらわれ、奪還されたもののデュアル・イレイザーで負けた時は死ぬ時だという強迫観念を心に植え付けられていた。そんな気持と持ち前の天性で今は勝ち続けている紀沙羅。とはいえそこに宗教団体の後をついだ少年が現れ彼女にプレッシャーをかけ、時には暴力に及ぶようになる。通りかかって彼女を助けた刀雅は、彼女のボディーガードにも頼まれ周辺を警護することになり、その延長でペアも組んで少年の挑戦を受けるおとになる。
もちろん刀雅には一切の操縦をさせないようにしていた紀沙羅だったけれどもそこは直情径行気味な刀雅だけあって勝手に触って怒られ危機にすた陥れる。どうにも鬱陶しい野郎だってそこで思うこともあったけれども紀沙羅ではできない戦いの時に持ち前の感性が発揮され、互いを補うような戦いぶりを見せるにいたって人間、何かしら取り柄があるものだなって思わされる。まあでも最初に余計なことをしなければ、そうした力が発揮されることもなかったかもしれないと思うとやっぱり鬱陶しいことこの上ない奴なんだけど。やっぱりテレビアニメとかに先行されてるアイディアであり、キャラも類型的なところがあって既視感にまみれていたりするところもあるけれど、それはすなわち誰からも関心を持たれているという現れ。読んで楽しく面白いならそれで良しってことで。次があるとしたらいったいどんな敵が出てくるのかなあ、柔王丸とか出てきたら楽しいなあ。
【5月14日】 黒いユニコーンかっこいい。そういや大昔にガンダムマーク2も黒くなってダークにスタイリッシュなモビルスーツっぷりを見せていたけど、「機動戦士ガンダムUC epsode5 黒いユニコーン」に登場する黒いユニコーンは、真っ黒な上に体から鱗粉(違う)とか出して、何か毒々しさってやつを世界にまき散らしている印象。アムロが見たらこれが人の悪意かって叫びそうなくらい、凶悪さで過去の数多のモビルスーツを上回っている。けどでもそれが白いユニコーンにとってライバルにならないことは、マーク2の時とも同様で、あくまでも白いユニコーンに立ちふさがっては、踏み台となって脇にやられて過去現在未来におけるガンダムシリーズで終生のライバル的存在、赤い奴に乗った仮面の人を相手に、バナージ・リンクスがラストバトルへと至る道を開くのだ。しかしプラモデルは売れそうだなあ。いっそ再生プラスティックで作れば黒さにエコさも乗っかるのに。
そんな「epsode5」の中身は、原作を読むなり劇場での公開を見るなりして戴くとしてとりあえず、成田剣さんに前作から声優が代わって登場したブライト・ノアの雰囲気がとっても良かったというのは抱いた印象、あの凛として響き渡る鈴置洋孝さんの声を継げる人がいなかったからこそ亡くなられてからもしばらくゲームでは代役も立てられなかったけれども、登場機会の多い「ガンダムUC」に過去のストックから使う訳にも新たにボーカロイドを開発する訳にもいかない、ってことで抜擢された成田さん、ブライトさんの凛とした強さを持ちながらもあれからいったい何年経った的な深みをブライトって実直キャラの中に混ぜ込んで滲ませ、企みもすればはかりごともして思う正義を貫こうとする狡さを持ったキャラへと昇華させている。
それは変化ではなく成長。派閥もあれこれな軍人の世界でブライトさん1人だけ、ファーストの時のような実直で純真な性格を保って生き残っていられるはずがないからね。そんな老成したブライトさんを得て作品は、予定を1話伸ばしたepsode7まで作られる予定になったとか。評してシャアでフル・フロンタルな池田秀一さんは、52話の予定が43話になった「機動戦士ガンダム」の怨みを晴らしたぞってな感じのことをイベントで話してたけれど、打ち切りになるより伸びる方がファンとしてはやっぱり嬉しい。あるいは6話を見込んで過去に削られたエピソードがあるなら、これを機会に作り足したディレクターズカットバージョンを再発売とかする、ってのは流石に無理か。つじつま合わせって必要か。それは分からないけどともあれ充実の展開を楽しめそう。完結も伸びるけれどもそれまでは生きていたいもの。その頃には劇エヴァも完結しているんだっけ。
祝日には白黒のポールに金色の玉をつけてそこに日の丸を縛り付けて玄関脇に掲げていたし、ボーイスカウトでも隊で集まる時には朝礼で国旗掲揚国歌斉唱をやって、遊びではない行事の始まりをそこから感じて身を引き締めていた。それはそのまま日本という国への忠誠とか、少し下がって親愛とかいった感情ではなく、今をこうして生きていられることへの感謝として、地の神時の神に祈るような感覚か。あるいはもっと個人的に、自分という存在を起点として家族があり集団があり社会があって国があり、そして世界があるんだということを自覚する上でのイニシエーションに似た行為か。いずれにしても拝め讃えよと押しつけられたことはなく、そうする行為の連続の中で考え身につけていった感覚。だから今も行事で国歌斉唱があれば立って国旗に見入り、自分たちが今いる地への思いを抱く。他国の国家国旗が掲げられても同様に彼らへの、彼の国への認識をそこに抱いて地に、時に敬意を表す。
それらはだから教育の現場で教育されたたから得た感性ではない。日々の生活のなかでだんだんと得られていったもの。もしもこれが上から押しつけられるように教わったものだったとしたら、果たしてその形式は学べても真髄といったものに近づけるだろうか。そう考えてみたくなる。たぶんそうはいかなさそう。口で国がとか国体がとか言われたところで、それは日々の暮らしから縁遠いどこか異次元の存在。それへの敬意を払えだのどうだの言われたところで、実感としてはなかなか浮かんでこない。やるならば家で。あるいは毎日の暮らしの中にひっそりと、けれども確実に行い続けることなんだけれど、世間にはそうした機微を、あまり理解しない人たちがいるってのも実際なだけに悩ましい。もちろん讃えよ崇めよと言うのも主義主張だから良いんだし、そうやって鍛えられて学ぶ人にも敬意は抱く。問題は、理由として国がお金を助成しているから学校は国家国旗を教育すべきだなんて話をして悦に入ってるメディアがあるって状況だ。
公立だって私立だって、教育は国の主義主張を単に押しつけ刷り込ませるだけでなく、世界のロジックの中で何が適切かを自分自身で判断出来るような感覚を身につけさせることが重要なんだけれど、そうした教育の自主性なんて大切なことにまるで思いを馳せずに、上から目線で教育とは押しつけである的論旨をぶち挙げていたりするから筋が悪い。ましてや私立学校という、それぞれの来歴を持って思想信条の中から立ち上がってきた存在に対して、一方的に主義主張を押しつけて是とするような感覚を、自由な言説を尊ぶべきメディアが振りまいて果たして良いんだろうか。とても拙いし私立学校に対して失礼極まりない。抗議されたってしかるべき事態なんだけれども、幸か不幸か目に留められてないからそうした動きは現在なさそう。いややっぱり不幸なのかなあ。改められずに向かう先を思うと。
それ以前に、国旗国家への尊敬を助成とかいった支払うお金の対価の如きに位置づけている言説がどうにもこうにも見苦しい。助成したんだからお金をもらっているんだから忠誠を誓え、国を敬えって風にしかとれない言説は、国旗国家への純粋な尊敬をこそ求め欲しがる傾向に対してむしろ反旗を翻しているようにしか見えない。助成は助成。尊敬は尊敬。それなににそこに関連性を持たせる言説がはらむ卑しさなり貧しさに、どうして言ってる側は気付かないんだろう。情けない。そもそも教育っていうのは国が国民に対して行うべき義務のようなものであり、人は等しく同等の教育を受ける権利を持っている。それに助成するのが自然であって、対価なんか求める方が間違っているはずなんだけれども、そうした基本への思索や逡巡もなしに、直結させて意見をそれも偉い人たちではなく兵隊が、放って平気というかそれがむしろもてはやされている状況が、続いていいったい何が来る? 潮時ってのはとうに過ぎたけれども、やっぱり潮時なのかもなあ。
大事な指輪を寝ぼけ眼で動き回っているうちに落としてしまう間抜けな船長なんていらないなあ、って思いたくなったけれども「モーレツ宇宙海賊」、気張ってはいてもやっぱりそこは高校生でとりわけ手練れのクルーもいない中を海賊船を守るために奮起し背伸びして一仕事した後だけに、ゆるんでしまったのも仕方がないと同情してあげるべきなのかも。そんなまわりでしっかり指輪を拾って世話を焼いたりするお姫さまたちがいたりするのも船長としての人徳。自分ひとりが気張るんじゃなく集団として、チームとしてまとまったものを作り上げる才能って奴が見えたってことにしておこー。という訳で「モーレツ宇宙海賊」、次はディンギーの訓練か、何で水の上でヨットに乗ってるんだ、ヨット部だから、いやしかし。それにしても加藤家のポトフってやっぱりおでんじゃね。
すげえ昔にライブドアがポータルとしてニュースを集めるだけじゃなく、自分たちでも独自のニュースを集めて提供していこうぜって感じにニュース部門を強化したことがあってそれに未来を感じ、いっぱいのメディア関係者が集ったみたいだけれどもボスの失脚とともに業容の建て直しが行われて、その過程で独自のニュース部門はなくなりパブリックジャーナリストのネットワークも余所へと出されて今はやっぱり普通のポータルとしてニュースをコンテンツのひとつとして流している。グーグルは徹してニュースをあくまでポータルとしてそこへのリンクを示すのみ、ヤフーもやっぱり同様にリンクを示すのみで独自なジャーナリズムとしては機能していなかったりする状況で、遅れてきたようにニコニコ生放送のドワンゴがニコニコ生放送に夕刊ニコニコニュースとか作り、それからニュース部門なんてのも内部に作って割に本格的にニュースの提供をスタートさせようとしている。
んでその1回目を見たらだいたいは時事通信社からのニュースをそのまま受けてウエブサイトを写すくらいで、あとは柔らかいネタを流すポータルサイトから情報を集めてそのサイトを紹介すると言った感じで、映像でやるポータルといった域はあんまり飛び出していないけれども今はそれがコストもかかわらずニュースへの関心を集められるという判断だとして将来、そこから独自のニュースを作り発信していく構えがあるのか、なければニュース部門なんてところは作らずポータルに括っていただろうから意欲はあるんじゃなかろーか。生放送の舞台はそうした心意気でもって記者会見とかに突っ込んで言ってる訳だし。だからそこから真新しくって面白いニュースが集まって来る場だという認識が世間に広まり、目線が集まるようになった時、ひとつのジャーナリズムとして立ち上がっていくって期待もしたいけれども果たして。
【5月13日】 デザインフェスタで見かけた中でもっとも目を引いたのが
くずしまきん
さんって人が出してた不思議な人形。ちょい体をかしがせた女の子たちは頭が檸檬だったりネジが刺さっていたりと様々で、腹からジャムを出したりネジを生やしたりとこれまた様々な意匠でもってズラリとならんでそれぞれに個性って奴を感じさせる。凄いのはよくみるとちゃんと目がはめこみになっていることで、頭のパーツを外して後ろから眼球をセットして閉じて髪型をつけてあるからそれぞれに視線が違い目つきが違ってこれも個性って奴につながっている。ブライスにちょっと目の感じが似てるかな。
スタイリッシュな少年少女の人形をテラコッタでもって作る北川宏人さんによくにたフォルム。とはいえ工芸の分野で鍛えられた北川さんが工芸の技術で作ったそれらはアートになるけど、この人の場合はクラフトなんだろうかそれともやっぱりアートなんだろうか。そんな辺りの曖昧さ。でもソフビの人形よりは手作り感があるし何より怪獣ソフビなんかよりもずっとクールでスタイリッシュ。だからアートだクラフトだホビーだってのは関係なしに、良い物は良い物だってことで。1つ5000円とか6000円とかで販売中だったけど、当日は手元不如意でちょっと手が出ず。夏のワンフェスにも出るとかどうとか言っていたようだし、いずれどこかで会えるかも。その頃には超有名になってたりして。
普通の人はだからネットなんて見ないし、ネットで行き交っている情報なんてそれほど気にはとめてない。「家族のうた」というフジテレビで4月から始まったドラマが、大昔に人気だった「パパはニュースキャスター」に設定がよく似ていたらしくて、脚本家の人が異論を差し向け、それを受けて中身を改めたとかいたゴシップを認識して、なんだそんなドラマだったら見る必要なんてないねって、チャンネルをほかに合わせるような行動に、出ることもたぶんそれほどない。もっと純粋にその時間のそのドラマ枠を見るべきかどうかを感じているか、あるいはそのドラマ自体を見たいと思えるかどうか、ってところが行動を大きく左右するんじゃなかろーか。
だから「家族のうた」がスタートからいきなり低視聴率を突っ走って、過去最低すら記録した挙げ句に、たったの8話で打ち切りになってしまって事態に陥ったのも、純粋にそのドラマを見るべきだって多くの人が、思わなかったことがあるんだろー。その理由が面白さで劣っていたのか、裏にやってる「ATARU」の方を見るべきだと誰もが思ったのか、両方のドラマを見ていない目には判断がつかないけれども、結果から見るならやっぱり「ATARU」が面白いってことになる。あるいはあの時間帯はTBSであってCXではないっていう認識が、多くの間に広まってしまっているってことになる。前者だったら作品単位で逆転も可能かもしれないけれど、後者だったらこれは将来において深刻なダメージを与えそう。
というか前に「マルモの掟」がやってて、誰もが目線を集中させた時間帯の番組枠。それが1年くらいでガラリと様相を変えてしまったのが驚きというか。だからやっぱり作品単位と見るべきなんだろーけれど、それにしてはな凋落ぶり。稼いだ視聴への習慣をごそっと削ぎ落とすよーな何かが、この間にあったってこも考えられる。その理由を芸能評論家の人は、地デジへの移行で番組表からCXが右端へと追いやられてしまって目にとまらなくなったってことを挙げていたりして、本当かいなとも思う一方で実際、何がやっているのか目に入りにくくなったってのも事実だったりするから分からない。あるいはチャンネルの数字が最大だから、順に変えていってもたどり着くまでの止まってしまうとか。これもあり得ないようであり得るようで。つまりはそんな心理的な複合要因もあったりするってことなんだろー。
いずれにしても過去にない最低な視聴率で「家族のうた」が突っ走ったのは事実。直前にやってたドラマが10%台をそれでもとってた訳だから、番組表やチャンネルの位置からそれを見る関心を余所に移されたことだけでもなさそー。そうした諸々によってついたネガティブなイメージも、1本すっげえドラマがあれば払底できるのがあの世界だけれども昨今、CXから繰り出される番組によって世間があんまり動かなくなっているような印象も少しある。ニュースにしろバラエティにしろワイドショーにしろドラマにしろ。アニメもやるにはやっているけど「のだめカンタービレ」ほど世間は関心を持っているか? 否って感じでココのパッケージメーカーは頑張っていても局として本気のPRをやっているようには感じられない。そんな全体の賃貸が蔓延していった挙げ句に来る長い停滞が招くもの、それはって考えると他人事でもないんだけれど、それ以上の衰退を既にたどっているだけにせめてここで踏みとどまって欲しいと願う限り。「鈴木先生」より「IS」より視聴率良いんだから。中身は? それは言いっこなしなし。
せっかくだからと世田谷文学館まで行って「史上最大の手塚治虫展」ってのを見る。史上最大かどうかってのはまあ言葉の問題だとは思うけれどもそれほど大きくはなかったスペースであるにも関わらず、予想以上の充実ぶりについつい長居をしてしまった。まず原画が多い。展示してあるのはほとんど原画でそれらを主要な作品から抜粋してあってそれぞれの時代のそれぞれのヒーローでありヒロインってものを、手塚治虫さんの筆の跡をたどるように見ていける。「新宝島」を全集に入れるために描き尚した原稿から「鉄腕アトム」から「どろろ」から「リボンの騎士」から。そうした作品単位の展示に加えてサファイアでありアセチレン・ランプでありハムエッグでありロックといったスターシステムのキャラたちをピックアップして、作品横断的に並べていたりするのも面白い。こんなに出ていたのかサファイア、それも「ブラックジャック」1作に。ってな感じ。
寿司屋が事故で腕を亡くして引いたトラック運転手が代わりの腕となって寿司を握るエピソードでもトラック運転手の奥さんはサファイアだったし、子供たちがバス事故でトンネルに閉じこめられた話でも幼稚園の先生はサファイアといった具合。「リボンの騎士」よりは大人だけれどもそれでも変わらない美しさにやっぱり手塚漫画にとっての最大の比論はサファイアなんだって思えてくる。夜の街をよっぱらった漫画家が歩くシーンでも幻想の中で手を繋ぐ美女はサファイアだったし。男だとやっぱりロックかなあ、その美しさと内面の悪辣さはアセチレン・ランプとは違った存在感。なおかつそうした多数のロックから、わざわざ選んで展示したのが「アラバスター」でもって全裸になり鏡に身を映して自分の美を誉めるロックってところにキュレーションをした人の意識の高さを感じる。すっぽんぽんで電話をかけるロックの何と艶めかしいことか。伸びた睫毛とも相まって女性美すらそこに見え隠れ。ついてないんじゃないかとすら思えたけれどもでもついてるんだよなあ。何がだ。
そんな展示に混じって第1回日本SF大会「MEG−CON」の様子を伝える映像があってそこに手塚治虫さんが登場して漫画やサインを描いているシーンも紹介されていてSFファン的に得した気分。映像の音声ではなくってNHKかなにかのラジオで紹介された当時の様子には手塚さんのインタビューもあって今でこそSFって言葉があるけどそうしたものは神話なりファンタジーといったものが出てきた昔からあるんだよ、っていった紹介をしていた。好きだったんだなあ、空想や幻想の世界が。映像には星新一さんとか映っている様子だったけれども若すぎて誰が誰だか。手塚さんは珍しくベレー帽を被っていなかった。そしてスリムだった。ラジオで1人、SF大会に参加した女子の高校1年生がインタビューに答えていて「SFとつくものが何でも好き」って話していたけど、この勇ましくも将来性豊かな女子はいったい今なにをやっているんだろう。実は有名作家の奥さんでしたとかってことになるのかな。ちょっと知りたい。
【5月12日】 朝から騒がしいので情報を追いかけたら高殿円さんの
「トッカン 特別国税徴収官」(早川書房、1600円)
が日本テレビによってドラマ化だそうで当初からこりゃあドラマ向きだと叫んでいた身には朗報、かといって主演をやっぱり見ばえが良いからとJ系なタレントを持ってきてぐー子ではなく鏡をメーンに置くような改変なんかをしかねない、昨今のテレビドラマ事情からいったいどうなっているかって心配も浮かんで情報を見返すと、キャストが発表になっていたのはぐー子だけで井上真央さんが演じるってことがニュースになっていたってことは、誰よりも井上さんを前面に押し立てていくって覚悟がそこにあるってことなんだろー。これは僥倖。
問題はそんな井上真央さんが誰かってことで、おっぱいが大きくってそれでいて3回転半を飛ぶからもう遠心力が凄まじい人か、っていうのはまるで冗談、井上和香さんと浅田真央さんが混じってた、いやそういうフィギュアスケーターがいたら見たいけれどもきっと巨乳ハンター相手に戦う場面でしか出てきそうもないからさておいて、井上真央さんが「おひさま」で明るい女子を演じていたっていうけどそれほど強い印象はなし。逆にいうなら強烈な個性でもってぐー子を演じてみせるってよりは、あのぐー子っていう虐げられ鬱屈して惰性で生きているように思いこんでいながら鏡の叱咤や出会う人たちのドラマから、時分自身を見つめ学び成長していくキャラクターを、そのまま見せてくれそー。だから安心。
むしろそれより鏡が誰になるか、ってことの方が重要で、ぐー子相手に罵詈雑言を投げつけ冷たい態度を見せるもののそれが嫌味ではなく、かといって熱血でもなくクールでそれでいて優しさもほのめかせるような役者って誰かいただろうかと見渡すけれども、松山ケンイチさんは大河ドラマでお忙しいし妻夫木聡さんて柄でもない。小栗旬さんは笑顔の優しさが出てしまうしやっぱり美形過ぎる。岡田将生さんは若いし瑛太さんではワイルド過ぎるか。加瀬涼さんは前に押し出すような演技をするとどんな感じになるんだろう、「平清盛」の郎党めいた感じか、というとやっぱり松山さんと同じで忙しそう。玉木宏さんも同様。難しいけどそれだけに誰になるのか楽しみたのしみ。
美少女がいっぱいでてきて少年と学園でいちゃいちゃとか、異能使いの少年少女が果てしないバトルを繰り広げるとかいった形式のものをこそライトノベルと認めて流行っているのはそういうものだというか、そういうものしか流行らないというか、そんな言説を世の中に蔓延らせている輩はメロン熊に囓られろ。超売れてると評判の「涼宮ハルヒの憂鬱」だって「とある魔術の禁書目録」だってそんな単純な図式におさまらない物語の奥深さでありキャラクターの多様性であり展開の意外性の方がむしろ尊ばれて読まれて楽しまれている。「俺の妹がこんなに可愛い訳がない」だって「僕は友達が少ない」だって登場してくる人たちの絶妙な関係性があったればこそ、こうまで大勢の引きつけベストセラーになった。そうした精査をしないで単純に美少女がいっぱい、異能が激突といった図式で括ったところでそこからベストセラーの秘密なんて見えやしないし、それに合わせてチューニングしたてベストセラーなんて出やしない。と思うんだけれどそういう考えって今や少数はなのかなあ。
いやいや今やベストセラーリストのトップに名を連ねる鎌池和馬さんなんか見ると「禁書目録」だって新約に来てさらに世界の構造自体に挑むようなスケールアップを果たしているし、「ヘヴィーオブジェクト」だって巨大兵器の運用が変えた戦争が人間の人海戦術によってさらに変わる様子をそこに描き出している。新作として投入した「インテリビレッジの座敷童」(電撃文庫)だってなるほど少年の家に美女の座敷童というのが同居しているって設定がいかにもと思わせそうだけれどもその座敷童がグラマラスな女ってところでひとつ外し、雪女が現れたところでそれがいっしょに暮らし初めて腐れ縁になるような有り体の展開は見せやしない。農産物をブランド化させて立ち直りを謀ったインテリビレッジって設定がまずあって、そしてそうした農村や伝統を重んじるスタンスから妖怪変化が現実に現れるという設定へと展開。その上で妖怪変化にまつわる伝承をひとつのパッケージとして導入することによっていろいろな騒動を起こせるという設定を重ねることによってサスペンスフルにしてミステリアスな世界をそこに現出してみせた。
雪女は人間を誘い引き入れ凍らせる。船幽霊は人間から穴の開いた柄杓を渡されるともはや絶対に船を沈められない。座敷童は家にまつわるよくない未来を予言する。そうした決まり事を人間と妖怪の単純な関係から敷衍させることによって起こること、起こせること。それらを逃れるためにやるべきこと。妖怪というシステムについてまずは理解し、その上で穴を探していく展開はある意味でミステリーにも近い。あるいは妖怪と馴れ合う話の多いライトノベルの構造をメタ化してみせたフィクションとも。書けば何だって売れてしまうだろうビッグネームの作家なのにそうした場所に安住せず、捻り重ねて描いてみせるところが凄いけれども考えてみれば「禁書目録」の頃からそうだってことで、つまりはヒットさせる人はどこかが違うってことをもっと、世間は知るべきなんじゃないかと。不足はないけど過もないライトノベルがブームだ的記事を書いている新聞とか特に。
デザインフェスタが始まったので東京ビッグサイトへと向かい中をいろいろと見物、「KAMATY MOON」をのぞくとユニコーンなフィギュアがあったりヒヨコの飛行士がいたりと新作が続々。もう何年になるんだろう、5年くらい前に見かけてからこっち、ずっと追いかけて来たけれどもアイディアは抱負で腕前も確かな上にさらに手がける世界が広がっている。決して若くもないのに脱サラ気味に初めてここまで。見習いたいなあ。それからこれも常連になった透明標本の「新世界」。ほかにブームに追従するように透明標本を出してくるブースが幾つかあったけれども、嚆矢として築き上げたブランドへの信頼って奴はやっぱり衰えないようで大勢を集めてた。漁師のところを歩いて時にはいっしょに船にも乗って彼らが捨ててしまうようなものを集め標本にしているというスタンスは、ともすれば死を意図的に呼ぶ者だっていった批判にさらされかねない作品を手がける人として、しっかり持っておかなくてはいけないもの。そこを固めた上で作品に臨んでいるっていうところが確かさの理由か。格好いいからといって真似してはいけないジャンルなんだよな、やっぱり。
相変わらずに格好良かった和装侍系音楽集団NYST.は、今回から電気楽器が使えなくなったハンディを何やら前に透明なボードを置き、背後にもボードを置くことによって反響させ、増幅させることによってカバーしようとした模様。ギターはアコースティックでも結構鳴るしパーカッションも割となる。ラジカセも仕様可能だとやっぱり人間の声が奥に引っ込んでしまうところをどうにかしようって工夫が凄い。そしてやっぱり巧いから、大勢が集まって聞き惚れる。あれだけ囲まれているなんてもうほとんどスターじゃん。けど市井ではまだまだ。はやく何かの音楽に使われないかなあ、「夢を見る間に抱きしめて」。名曲なんだよ。和装系では柳瀬式さんはブースを離れアトリウムのステージに登場してパフォーマンス。その歌声を聴かせ踊り子さんの強力も仰いでみせたアクトはきっと大勢の心に染みたことだろー。ここから一気に羽ばたいて欲しいなあ。
【5月11日】 眉村卓さんによる永遠のジュブナイルSF「ねらわれた学園」が、あのサンライズによってアニメーション化とかで、古いテレビドラマとか、薬師丸ひろ子さんが出ていた劇場版とか強い印象を残した作品を過去に持っていったいどの線を狙うのか、「時をかける少女」みたいに原型をより進歩させたような作品にするのかって興味が今のところ湧いてたりするけど、そうした語られる「ねら学」史の中で1997年に村田和美さん主演で公開された劇場映画と、同じ村田さん主演のテレビドラマがすっぽり忘れられてしまっているのはやや残念。結構見てたし。
何しろテレビドラマ版の方はエンディングが「超時空要塞マクロス」の歌姫、リン・ミンメイを演じて世間に強い印象を残しすぎた飯島真理さん。けどその印象を引きずりすぎてしまったことを当人もいろいろ考えていただろう時期に、あの透明感ある声でもって深夜にとっても不思議な戦慄の歌を響かせてくれてまるっとミンメイ的な印象を塗り替えた、ような気がしている。というか「MIDORI」やら「キモノステレオ」といったアルバムですでに脱却してたんだけれどやっぱり世間はそうはひっくり返らない。テレビって媒体を使って響かせたその声はやっぱり強力だったんじゃないかなあ、って思いたいけど果たして。
洋泉社から出た「鮮烈! アナーキー日本映画史 1959−1979」ってのが届いて表紙がとてつもなく美人でこれは誰だと調べたら知っている人には有名過ぎるとてつもなく美人だった頃の加賀まりこさん。「月曜日のユカ」からの1場面で下着の上に男物のパジャマの上だけを羽織って鏡台の横に腰掛け加えたばこでこっちを見つめるその視線を、映画館の大きなスクリーンで浴びたらもう男子だったらそのまま昇天してしまいそうになって当然かも。和製BBって言われてたって話もあるけどブリジッド・バルドーよりよっぽどコケティッシュなのはその黒髪とその黒い目に深遠さが見て取れるせいなのかも。金髪は明るいんだやっぱり。
ちなみに僕がこれを加賀さんだって固有名詞意識したのって、NHKの大河ドラマ「花神」でもって村田蔵六こと大村益次郎のちょいエキセントリックな女房をやっていたのが最初くらいだから、年齢的には30歳を過ぎて女盛りではあったもののキツ目のおばさんといった今に繋がる加賀さんイメージ。最近はそうしたキツさを前面に出すことによってよりくっきりとキャラ立てしているけれど、かつて六本木で評判になった美少女ってイメージになるホント、まるで記憶にないんでこの時期にこうして世に問われてみたのをきっかけに、見返してみるのも悪くないかも。というかしかしどんな映画なんだろ「月曜日のユカ」って。共演の中尾彬さんはやっぱり首にねじりマフラーを巻いているのかなあ。
あったなあ「ダメおやじ」。それから「ドーベルマン刑事」。さらに「ドカベン」「野球狂の詩」なんてものもあって時折テレビ放送されたりもして見ながら漫画とまるで違うじゃねえかと怒りつつ、それでもあのキャラがこうなるんだ的な楽しみを覚えて笑って見ていたような漫画原作の実写映画って奴が1970年代とかには結構あったりもしたんだけれども、今のようにそうした映画がロードショーの看板を背負ってたりはしてなかった。「鮮烈! アナーキー日本映画史」の中でBazilさんが書いているコラムによれば「あくまでも併映作品のための穴埋め企画、混載パンフの裏表紙側」といった扱い。何週間か上映されては次へと消えていく、それこそ連載漫画のような印象だった。
とはいえBazilさん、「それでも40年近く経ってなお輝くのは、イロモノに賭けたカツドウ屋魂ゆえではなかったか。今や花盛りの実写マンガ作品群にあって、40年後に顧みられる作品はどれほどあるだろうか」って続けて書いていたりするのはなるほど納得で、散々っぱらイメージと違うって文句を言われた果てに消えていくもの、存分にイメージを表現していると讃えられるものも含めてどちらも映画という歴史の中で、どれだけの存在感を残しているのかっていうと、映画ってものへの人の関心の重さが変わってきていることもあってちょっぴり掴みづらい。「デビルマン」くらいになると歴史に刻まれているのかな、あるいは「キューティーハニー」とか。「宇宙兄弟」に「テルマエ・ロマエ」は果たして。まだ見に行ってないんで見ておくか。
これは静かな物語。それでいて激しい物語。ササクラという人のデビュー作らしい「緋色のスプーク」(講談社BOX)は、領土を奪ったり奪われたりする戦いにある国で、赤の死神と呼ばれるくらいの凄腕ながらも当人はクールな少女のニケというニックネームの戦闘機乗りと、彼女の専属のようになっているアガツマという整備士との間に繰り広げられるドラマを描くストーリー。といっても純粋な恋愛ドラマにはまるで向かわずお互いを認め、どこか愛おしく思っているような風さえありながらも、一皮むいたその下では何か真意を探るような行為心情が見え隠れ。信頼と疑惑の交錯が読む人の緊張感を誘う。
ニケとアガツマだけではなくって、ニケとは学校でも動機だったらしい男の戦闘機乗りに整備士とは故郷が同じながらも戦火の中で国が別れ別れになってしまった女性がいて、ニケの義理の父親らしい監察官がいて整備士たちの基地にいる軍医がいてさらにパイロットたちが通うバーのマスターがいて、そんな出てくる奴らの誰もがストレートに実直な人間とはほど遠い何かを腹の奥底にもっていて、探り合い刺し合うような関係にあったりするからたまらない。誰がいったいどこの所属で何を目的にしていて、そして誰を裏切っていたりするのか。一筋縄ではいかない関係性に帰結する先が見えずページを繰る手に戸惑いが浮かび、手探りのような感情を浮かび上がらせる。
そんなまるで見えない展開の果て、起こるエピソードの何と切なくて愛おしくて狂おしく痛ましいことか。そこでようやく訪れる純粋な愛の発露に誰もが戦慄し、屹立して喝采を贈りたくなるだろう。奴は果たして安心して眠れたか。そう思いページを閉じて祈る。いつ果てることもなく続く戦闘機同士の空戦や爆撃機による襲撃の描写、親しい人が明日には死んでいたりする戦争に痛み倦んだ精神のもの悲しさ、上がればそれでも戦う戦闘機乗りの習性にそうした戦闘機乗りたちによって繰り広げられる圧巻のドッグファイトシーン等々、森博嗣さんの「スカイ・クロラ」を思わせつつより人間関係を複雑に、猥雑にしたようなストーリー。押井守監督の手で映画化して欲しいって思わせる。いや無理か。
戦闘機乗りとスパイって意味では時雨沢恵一さんの「アリソン」にも通じるところがあるかな。あれともっと殺伐とした感じ。「とある飛空士への追憶」シリーズとはちょっと違うか。を殺伐とした感じか。いずれにしてもよくあるライトノベルのように全体が見えやすい構図でもなければ、理解しカタルシスを得られるような顛末でもない物語。それがとっかかりを阻むかもしれないし、読んでいても愛が欺瞞に満ちて信頼が虚実にあふれた関係に、これは感情を添えづらいと思うかもしれないけれども、それだからこそむしろ今、読む価値がある。これが次のライトノベルなのかもしれないし、もっと別の小説ジャンルかもしれない。規定の枠組みなんてもはや無関係だと思わせ、読ませ考えさせ戦慄させて頷かせる。その意味で傑作。だから迷わず読むように。ササクラ「緋色のスプーク」を。
【5月10日】 ヒカリエが出来て渋谷の人波がぐっと表参道よりになるかというとやっぱり間がばっつりと、切り離されている関係もあって渋谷の東端といったところに留まっているような渋谷ヒカリエ。それでも出来たばかりだからと大勢の人が来ているけれどもやがておちついた時にそこにいったいどんな目玉があるのかが、問われることになるんだろうなあ。劇場はあるけれども映画館はないその作りだと、BUNKAMURAには行くけどデパートでは買わない西の端の東急本店と同じ様な状況になってしまいかねないからなあ。ホントあの百貨店で何か買ったことってないんだよ、西武とかロフトとかパルコは行くのに。
それを思うと未だ古い構造でも東急東横店は活気があってなかなかに楽しげ。時々開かれるご当地の物産展なんか行くと楽しくていろいろ食べられてとっても嬉しい。この季節だと好例の「名古屋でらうま市」が開催中で毎回登場のスパゲッティーのヨコイが今回も来ては定番メニューのミラカンと、そして今回初登場のウインナ+えびふりゃーをイートインとお持ち帰りの弁当で売っている。食べるとやっぱりヨコイ味。虎ノ門にもあるCoCo壱番屋系列の「パスタ・デ・ココ」とはどうしてもソースの味が違ってくるし、パスタ事態の味も違うような気がする。ヨコイのって冷めても美味いんだ。16日までだから週末に渋谷に行く機会をみてまた寄ろう。今度はアツアツのをイートインで食べたいな。
やっぱりスタジオジブリは凄いけど、やっぱりスタジオジブリしかないのかといった思いが同時に浮かんだ夏の東京都現代美術館での特撮展。あの庵野秀明さんと樋口真嗣さんががっちり組んで巨神兵の実写版とか作って上映する上に、特撮からみのいろいろを展示する企画になるらしいんだけれどもこういうのを、仕切って形にしたのが特撮とはとりあえず無縁のスタジオジブリってところが何とはなしに引っかかった。普通だったら特撮を支えた東宝なり、円谷プロダクションが中心となってプロップを並べ関係者を招いて展示を作りこんではそれこそ操演だの爆発だのを見せてしかるべき。けど円谷では今は「ウルトラマン」にネタが限られそれはサンシャインでのイベントに集約されるし、東宝にそうしたイベントを仕切ってみせるリソースが今、果たしてあるのかどうなのか。
それを考えるとまずは知名度があって大勢を振り向かせやすい上に、庵野さんにも樋口さんにも繋がっているスタジオジブリが看板を背負ってそうした人たちを招き入れ、そこから多くの展示物を集めたり作ったり揃えたり並べたりするしかなかったってことも言える。他のいったいどこができるのか、って考えればやっぱりそうかも、って浮かんでしまうんだスタジオジブリが必然的に。まあ前に種田陽平さんを招いて「借りぐらしのアリエッティ」の美術を巨大なプロップにしたてあげた実績もあるから、特撮ワールドを美術館に作るのはお手の物。ジブリ美術館の経験もあるし立体を作り上げて見せることについてもう存分なノウハウはあるだろー。
そして庵野さん樋口さんを軸にすれば特撮ファンのとりわけ40代を中心とした層からは大いに評価を得られる展示もできる。気になるのはジブリだからと足を運ぶ20代10代からファミリーを集められるのか、ってところだけれどもそこは「風の谷のナウシカ」の名を出すことで、そうかと行く人とかいたりしそー。でもって現れるのは巨神兵がビームを発射しながらとろけ堕ちるグロシーン。怖いなあ。あるいは庵野さんが館長ってことで、かつてとった杵柄と「シュワーッチ!」を叫んで庵野さんが、ウインドブレーカーにカラータイマーをつけてサングラスをかけて現れ走り回って展示中のミニチュアをぶち破って中から毎日登場するとか。見た子どもたちは大慌て。そして大泣き。この夏は東京都現代美術館がトラウマ美術館と化すかもしれいなあ。
すごいなあ梶裕貴さん、「LUPIN the Third 峰不二子という女」で銭形警部の下についてる若い兄ちゃんとして最初の1話だけ登場かと思ったら、その後も出てきてレギュラーと化して最新話では峰不二子とも絡んでみせる大役を担うとは。そしてそこでの演技が抜群というか、同じことを例えば「アクセル・ワールド」のハルユキでやったとしたらいったいどんなビジュアルが繰り広げられるんだろうとふと思ったけれどもまあそれは置いておいて、福山潤さんのような凛々しい声から石田彰さんのような悩ましい声まで幅広く演じてピッタリとくる声優さんとしてグングン来てる。「ギルティクラウン」でも大活躍していたし、ちょい惰弱に見えてそれでいて芯が強い少年系から一気に役を広げて今年1番の声優さんって位置を占めて来そう。次はいったいどんな役を見せてくれるかな。何より「LUPIN」ではどんな噛ませ犬っぷりを演じてみせてくれるかな。
5月の9日まで吉祥寺のリベストギャラリー創で開かれていた江口寿史さんの原画展で5点だけ、値段が付けられずにオークションにかけられていた作品があってそのうちのひとつにその場の勢いって奴で入札したら、なぜか落札できてしまって大慌て。金ならあるけど定期に入って下ろすのが面倒くさかったりしてどうしたものかと思ったけれど、時間をかければ何とかなるものだからと認めつつここは奇跡のような落札を喜ぶべきだと考え購入を決める。
っていうか、あの値段で落札できたってことの方が個人的には予想外。だって江口さんだよ。その原画だよ。おまけに「ストップ!!ひばりくん」だよ。元祖男の娘にして僕たちの憧れ。手塚治虫さんならアトムであり、石森章太郎さんなら009に匹敵する代表キャラが描かれた原画が、あの値段で買えるんだったらこれはやっぱり買っておくしかないんじゃね。ってことで今は自分を説得中。問題はそんな貴重なものをどう保管するかかってことで、これはもはや公共財。所有してても展覧会に呼ばれれば出して見て貰うに相応しい文化財な訳で、狭いワンルームになど置いて痛めては罰があたるから実家に送って仕舞っておいてもらうことにする。これでしばらく何も買えないなあ。
【5月9日】 海洋堂による「ワンフェスカフェ」の閉店に秋葉原というロケーションであのスペースでは大手とはいえ模型会社い運営は無理からぬことだと思ったら、企業的には今や模型業界トップクラスな上にロケーションも松戸とそんなに激戦区ではない場所に出してたグッドスマイルカンパニーの「グッドスマイルカフェ」も5月いっぱいで閉店と聞いて、こっちはこっちで駅からも遠く近隣の人が食べに寄るだけではやっぱりキツかったのかもなあ、なんてことを思ったり。食事は本当に美味しくって肉も魚も量があり、それから付け合わせのサラダなんかも野菜がいっぱいあって値段ならではの味を楽しませてくれた。
あと提携メニューで登場の「キュゥベエカレー」とか、面白がられて食べられてたみたいだけれども毎日がイベントって訳にもいかないからなあ、手間もかかればお金もかかるし。まだオープンしたての「ブラック☆ロックシューター」のイベントカフェをやっていたころも日曜日だか土曜日に訪ねてそんなに大勢はいなかったところから考えると、よほどのコンテンツでなければ集客はなく、それはそれで持ち出しも結構なものになるってことか。PRと割り切るにはやっぱりスペースを確保するのは大変で、それが松戸では売上にも結びつかないだけあって閉店もまあ仕方がない。とはいえあの味は惜しいのでどこかでの復活を期待。折角だからもう1度くらい食べにいくか。船橋からならそんなにかからないし。
これで残るはアニメ系だとユーフォーテーブルカフェと武蔵野カンプス。うち武蔵野カンプスはプロダクションI.Gが運営しているとはいっても実際はそうしたことに得意な会社が入っているし、本格的なイタリアンレストランでピザ焼きを修行した人がシェフとして頑張っているから味では近隣にも負けないものを出してくれる。なおかつ駅からまずまずの距離感で近隣にある住宅などから主婦とかママさんとかがやって来て、お昼前には行列ができるくらいの賑わいだったからまあそれなりに営業を続けて行けそう。問題は本体がどんな経営状況にあるかってことだけど。「ももへの手紙」大ヒット、って行けば良いけど。ジーベックが作っているから「宇宙戦艦ヤマト2199」でも良いのか。
ユーフォーテーブルカフェも中央線沿線ながら駅から割とあるのがやや難。食事も凝ったものではないけれどもあそこはあそこでしっかりとコンテンツを結びついた運営をしているからファンが結構訪れて人気となている模様。今なんて「Fate/Zero」が大受けしてるし。だから安定飛行を続けている、かな。ユーフォーテーブルダイニングは行ったことがないから不明。コンテンツ企業系ではやっぱり吉祥寺のカフェゼノンが安定具合では1番? 昼間は女性が7割とかいう普通のカフェとしての運営をしているみたいだし、メニューも多彩でなおかつ美味い。イベントも時々やられていてまた行きたいって思わせるところもある。何よりロケーションが抜群。だからあとはやっぱり本体の展開か。いやもうカフェだけで存分に食えていけるのか。そのまま両輪となっていくのかな。漫画とカフェが。
なるほど現在、沢木円となるかあるいは西野直保となるかもしれない可能性を模索している「イブニング」掲載の石川雅之さん「もやしもん」は、帰宅ラッシュでの接触に羨ましさを覚えるもののそれ以上に向こうがもはやのりのりで、嫁になるなり婿にすることを心に決めてダーリンダーリンと呼び始めているところに怒り心頭。直保爆発しろ。すでに結城蛍という完璧無比にして完全無欠のゴスロリっ子を傍らに侍らせながら、ハードな性格のショートカットな眼鏡っ娘という、もういったいいくつ属性を背負ってるんだ的キャラクターともいい仲になりやがってといった感想が、黒い紙に血文字といった手紙に認められては作者に送りつけられない状況になりつつある。
まあフランスでも立ったかに見えたフラグはとくにどうということもなく過ぎそうだし、本命は蛍で間違いなく推移して円は円で当て馬的に現れては直保と蛍との関係をより親密にさせる役割を果たすだけなんだろう、日本酒が嫌いという性格付けはやっぱり直保とは相容れないし。そしてやってきた円の実家の造り酒屋でいったい直保のどんな力が発揮されるのか。火落ちでも発生して危急存亡なのか。でもそれだと円が日本酒嫌いになる理由が分からないしなあ。あるいは菌を見ろという強制でもされて嫌気が差しているとか。うーん。続きは次号。しかし円、眼鏡をかけて半分ズレた上目遣いの表情とかとっても良いなあ、レンズで拡大される下半分とフレームで区切らて素でのぞく上半分のズレる目線がちゃんと表現されている。巧いなあ。
伏線からたどるならばしばらく前から新聞なんかが任天堂の赤字なんかを話題に取り上げ、その理由としてソーシャルゲームに客をとられてニンテンドーDSとかWiiといった既存のゲーム機とゲームソフトが売れなくなったことを挙げ、解消策として任天堂もパッケージソフトを売り切るビジネスだけでなく、ネットを介してソフトを配信してお金をもらうコンテンツ課金なんかを始める予定といった記事を書いていた。とはいえ64DDの昔っから任天堂はネットでコンテンツとか売ってたりもしたし、DSや3DS向けにコンテンツのダウンロード販売はやってたりして目新しい訳ではない。追加シナリオとかを追加課金によって販売するってのも、1本のゲームを長く遊んでもらいたいというこれまでのゲームにタイする思想の延長で、コンテンツのそれ自体が遊べるものというよりは、遊ぶための仮想通過のように販売するソーシャル系のカードゲーム販売とは、思想的にまるで違ってる。
一方で任天堂の赤字も為替の影響と震災によって3DSがうまく立ち上がらなくって再始動させたことによって期ズレが出てしまったちった要因。その後持ち直して3DSは世界でもっとも売れたゲーム機となったし、国内でも何本かのミリオンをマリオ関係のタイトルで出した。決して飽きられたキャラクターではなくむしろ今なおトップランナーであり続けるタイトルだったりするにも関わらず、ソーシャル万歳な思惑からかそうした堅調さを見ないふりして任天堂のみならず、ゲーム業界全体が抱えるテーマを任天堂そのものの問題として書きつつだからソーシャルなんだ、コンテンツ課金なんだといった論旨を作り出していた。
だから前提が違うし、その中身もまるで違うんだけれど一部には、任天堂がヤバいんでコンプガチャに手を出した、なんて短絡を生んでしまった様子で、もちろん多くはそのロジックの無理筋ぶりを分かっていたんだけれど、短絡を煽った側には染みていなかったのか、今般のコンプガチャ規制が任天堂にダメージだなんて短絡を、生んでやっぱりいろいろ言われてる。自業自得とは言えるけれども一方で、失うメディアの信頼が招く混沌も心配。身を濯ぎ背を伸ばし前を向いて真っ当になろうとするなら救いも開けるけれども、1度ならず2度3度と重なる虚想からの虚論に相手もそろそろ堪忍袋の緒を切らしたか、もはや相手にできないとぶん投げてしまったか。いずれいんしても曲がり角を曲がってしまって戻れるかどうか。やっぱりダメなんだろうなあ。もう。
【5月8日】 「這いよれ! ニャル子さん」のアニメーションを観たらハス太くんが登場していてその揺るぎない可愛らしさを見せていたけどでもねえ、ついているんだよねえ、彼。それが良いって種族もそりゃあいるけれどもそうでもない人もいたりする訳で。そんな一線を越えさせてくれるような媚態を果たして見せてくれるのか。それから謎のお姉さんも登場、ってオープニングには既に登場しては谷間と眼鏡を見せつけてくれているルーヒーさんなんだけれど。ゲーム会社の人でその知識を誘って八坂ママとクトゥグァを誘った先で起こる事件はいったい。うー! にゃー! と来週を見守ろう。
ついてるといったら幾谷正さんの「神童機操DT−O phase02」(講談社ラノベ文庫)にもついている人が登場、ってすでに秘密基地の科学者として登場しているじゃんって声もありそうだけれどそれ意外にも現れては、まだ童貞な少年の手を引き寄せてはちゃんとついてるってことを確認させている。それを驚く少年、ってことはついてちゃいけない人なのか。今後もまだしばらく出てきそうなだけにどんなアプローチを見せてくれるのかに注目。一方でついていない人も登場したりしてこっちもこっちで引き寄せてはついていないことを少年に確認させている。そこは喜ぶところなのに同様している少年。だから童貞野郎って呼ばれるんだ。っていうか正真正銘の童貞か。
「トイ・ストーリー」でウッディを演じた唐沢寿明さんも、「ターザン」でターザンを演じた金城武さんも、「Mr.インクレディブル」でインクレディブルを演じた三浦友和さんもどれも決して本業が声優ではないからといって、俳優として培った演技力でもってそれぞれの役をぴったりに演じてくれたし、「ファインディング・ニモ」の木梨憲武さんだって「モンスターズ・インク」の石塚秀彦さんだって「カーズ」の山口智充さんだってお笑いの人であってもやっぱりそれぞれの役にピッタリの声を聞かせてくれていた。主演でなくても「Mr.インクレディブル」の宮迫博之さんとか、そうと気付かないくらいにベストな演技を見せて、宣伝に利用されそうなポジションとして選ばれた訳ではないってところを聞かせてくれた。
ディズニーなりピクサーの、それが矜持って奴で、たとえ人を大勢集められそうなスターなりアイドルだからといって、その役にマッチしていない人は本国が決して声優としての起用を認めないってことを、何かで呼んだような記憶がある。だからマーク・アンドリュース監督によるピクサーの最新作「メリダとおそろしの森」で主演も主演なメリダの声に、AKB48の大島優子さんが起用されたってことを単に人気アイドルで今評判でその名前だけで大勢を集められそうだっていった観点から、選ばれた訳では決してないって信じたいんだけれども、果たして。予告編には違う人が使われながらも本編では、とかいった噂も飛び交っていたりするだけに、無理に突っ込んだなんて評判も囁かされそうだけれどもそこは天下のディズニー/ピクサー基準がちゃんと働いて、聞ける声を聞かせてくれているんだと公開時に思わせて欲しいもの。期待してます。だからディズニー/ピクサーは絶対に裏切らないで。
せっかくだからとニコニコ動画の原宿本社へと出むいてショップをのぞこうとしたら階段に女子中学生が座っていてセーラー服姿なんでそりゃあ拙いだろうと期待して(どういう心理だ)上がっていったら2人とも体育用の短パンをちゃんとはいていた。寿命が3年くらい削られた。それはそれとしてそうした修学旅行者や上京者の参詣場としてしっかり昨日しているらしいニコニコショップは中に入れば所狭しとグッズが置かれ、ボカロ関係のCDが並んで普段からそれをネットで見聞きしている人にとってはまさしく聖地いった赴き、いろいろ買っちゃうだろうなあ。AKB48ショップとかも原宿にはあるけれどもそっちよりむしろ東京では行きたい場所なのかも。けど世間はやっぱり有名人がショップを開いた、有名なキャラクターのショップができたといった話を大きく取り上げる。じわじわと始まっている地殻変動を感じ取らないと3年後、いや1年後ですら遅きに失するかもしれないぞ、メディア企業は。
ちゃんと売ってた「necomimi」だけれど買わずに店を出て、思ったのはこうして原宿にショップを構えスタジオを置いておけるくらいには儲かっているんだなあという印象、それともやっぱり持ち出しがあるのかもしれないけれども大きな商売のなかでアテナショップとして維持していけるだけの体力を、すでに身につけているってことだけは言えそう。一方で秋葉原に半年くらい前に出来た海洋堂のワンフェスカフェは残念ながら5月20日で閉店とか。模型業界では名うてでも、その規模ではやっぱりラオックスのビルの地下にあれだけのスペースを得て商売するのは難しかったってことなのか。静かで落ち着けるって場所が消えてしまうのは惜しいけれども、そういう印象があること自体が商売とは正反対にいたってことで、勿体ないけど仕方がないので次は飲食はなく手狭でみいからお話とか聞かせてくれる場所をどこかに。それこそカードショップのデュエルスペースくらいで良いから。
【5月7日】 なるほど怖いぞセレブリティ、前部長は政略結婚くらいは良いとか言いつつすぐさまやっぱりイヤと前言翻しては婚約者の粗を探し、グリューエルとグリュンヒルデもセレブにはいろいろと後ろ暗いところがあると自らの立場を省みず、相づちを打って前部長の推測とかを認め一緒に探そうとする始末。挙げ句にやっぱりあった奇妙な性癖。見てどーしてチアキちゃんがぶち切れたのかは分からないけど彼女は彼女できっと中途半端が大嫌いなんだろうなあ。そんな「モーレツ宇宙海賊」はますますもって快調に話数を昇華して残るはいよいよオデット2世号をめぐる争奪戦? その前に何かあったっけ、どもあれ最良のアニメ化が成し遂げられて良い感じ。原作有りでは「アクセル・ワールド」と双璧かも。
気がついたらユヴェントスがセリエAで優勝していた。9年ぶりとはまたなかなか。名門でありながらも八百長だか何かにひっかかって降格させられて幾星霜、2部からはい上がった後もやっぱりなかなか上に来られなかったのはモッジ無き後のモラッティがインテルを持ち上げセリエAを席巻していあから。けどそのインテルも今期は中段に低迷してイタリア杯も逃し今はチャンピオンズリーグ出場すら苦しい状況。もう瀬戸際にありながらもそこはミラノダービーということで、優勝の目がまだあったACミランを相手に勝利を刻んでミランの手をスクデットから引き剥がした。インテリスタにとっては痛快の勝利だっただろうなあ。でもやっぱりこれだはまだ不満。次に大勝利すればウディネーゼを抜いての3位もありえるけれども得失点差の差が10点ではやっぱり。沈思黙考、そして来年の復活を。そこに長友選手の姿はあるやなしや。
ふとテレビで見た大相撲五月場所の土俵を囲んだ枡席にひどく空席が目立ってこれはもう相撲もダメなのかもしれないって思っただろう人多数。というか昨日から始まっていたことすら分からないくらいに世間の話題から遠のいてはるか彼方のアフリカとか、南極とかで繰り広げられているローカルな力自慢に等しいくらいのバリューしか、もはや大相撲にはなくなってしまたのとすら思わせる。まあスターがいないし話題もない今、八百長ですら何がしかの話題として働いた訳でそれすら消えてしまった状況でいったい誰が何を見に行くのか、白鵬といったところでその単独の偉容を見てもどれだけ楽しめる、やっぱりだから朝青龍との対決というカードを相撲協会は維持でも残すべきだったのに、妙な外野の声だの内輪のもめ事だのに押されるように黄金カードをあっさり斬り捨ててしまった。
なるほど暴力行為は悪かったけれども示談の範囲内で片づいていたそれを、公序良俗に照らして処分して良かったか。法律違反の薬物でも、無気力さを見せてしまって評判曽殺いだ八百長でもないんだから処分するのは後回しにして、何かひとつのアングルをそこに打ち立てればあるいは良かったかもしれない。八百長もそれが芸の域に達したものなら相撲というひとつの伝統芸能を表現するひとつの形としてあって悪くない類のもの。そうした諸々を排除して、クリーンになったから来てよと言われて行くほどお人好しはいない。見たいのは勝負でそれも頂点の勝負。それが見せられないんじゃあ行く価値、ないよね大相撲。あるいは何が頂点なのかを説明し切れていないメディアにも問題があるのかも。因縁と情動でしか記事が書けないスポーツ新聞の弊害は、スポーツそのもの、競技その物を見る目を育てず結果として情動で観客が着いたり離れたりするようにしてしまった。今がそのどん底。そして未来は真っ暗。どうするのかなあ。
似たようなことはバレーボールなんかにも当てはまりそう。なるほど今は人気を背景にして大勢の観客を集めているし、ジャニーズなんかを呼ぶことによっていっぱいの視聴者も集めてる。そうした人気に乗っかっていかにも活躍しているように見えているけれども現状、女子は最初の予選では五輪の切符を獲得できず、今回の最終予選に臨んで4位以内に入ることを義務づけられているけれども北中米や南米、欧州の2カ国が並ぶ大会に果たして潜り込めるのか。キューバとか来るんだっけ。なかなかにやばいかも。なるほど日本だけすべての試合を午後7時代にしてもらった一方で、他は夜にやって翌日午前にやったりといた具合に無茶苦茶なスケジュールを押しつけられているからコンディショニングで有利だし、会場も完全ホームでとてつもなく有利だからあっさり出場権を獲得するかもしれない。
でもロンドンにはジャニーズもいないし観客も少ないし時間だってバラバラで、同じ時間に試合をさせてもらえることなんてない。そうしたコンディションを経験せず、どこか上げ底でもって臨んだ五輪で惨敗の繰り返しをやってたら、いずれそういうものかを観客は見放し、下がってきた視聴率にスポンサーも芸能事務所も見放した挙げ句に選手層も薄くなってバレーボールへの関心が、大きく薄れる可能性だってあるかもしれない。そうなてもバレーボールというスポーツ事態に魅力があって、それを大勢の人がまだ認識ているようなら、会場に通って眺め部活でも試してみるかもしれない。そうでない、キャラクターの人気に応援の人気といった上げ底でもって盛り上げられた虚構の人気だけに頼っていたら、いずれ遠からず大きな凋落を迎えることになるだろー。分かっちゃいるけど止められない。まさにドーピング。真剣いバレーが好きで競技を愛して、その面白さを訴えたいのに届かない選手たちが、何か可愛そうだよなあ。
【5月6日】 柏餅をお供えして見るべきだったかスーパームーン、その大きさたるや天空の半分以上を占めてよくよく見るとかぐや姫が兎を膝に乗せてプチプチと潰しているノミまでくっきりと見えたというのは白髪三千丈だけれど、それでもいつもより大きく見えたというか大きく見えると言われると大きく見えるものらしいというか、ともあれ明るくって良かったということだけは確か。すべては天候のお陰だけれどもこれにも増しての天体現象な金環日食も程なくやって来る訳で、出来ればその日こそさらに好転となってその輝きを、じゃなかった黒々っぷりを目に見せて欲しいもの。前の部分日蝕は大雨だったからなあ。確かお台場で機動戦士ガンダムと一緒に見たんだった。今回もお台場までガンダムと重ねて見るか日蝕。
横たわるデュエルアバターの黒雪姫に近寄ってその薄べったい胸に頬寄せたところで果たしてシルバークロウのあの顔から、その胸の柔らかいのか硬いのかは不明ながらも感触は伝わってくるものなのかどうなのか。殴られても痛くないくらいの硬さだったらやっぱり感触は通さないって見るのが妥当なんだけれどもそれでもやっぱり頬寄せられるだけ羨ましいというか憎らしいというかハルユキ爆発しろ。それはさておきシアンパイルとの一戦は相手が割に結構なレベルでそして剣道でもトップクラスの腕を誇っているのに勝ててしまうんだなあ、ハルユキくん。それこそが加速世界でなおさらに高速を発動できるハルユキであり、シルバークロウの特質で、それを見抜いて誘った黒雪姫の炯眼たるや恐るべし。問題はそれのみなのか別に引かれるところがあって誘ったのか。後者だとしたら何という羨ましさ。前者だけでも十分なのにその容姿、その形状においておよし好かれる要素を欠きながらも美少女と仲良くなってしまえる世界が、本当にあるんだとしたら行ってみたいな、そんな世界。
起き出して遠く彼方にある東京流通センターへと文学フリマを見物に行く。途中で浜松町からモノレールに乗ってふと、窓の外を見るとそこにはミニスカート姿の綺麗な脚をした人がいたんだけれど、そのスカートの半分くらいが、肩から下げたショルダーバッグの下にひかっかってまくれあがって、これも綺麗な丸みを帯びたお尻がちゃっかりのぞいてた。これは何という僥倖と感じ入りつつもいろいろ得した気分になってふと、目線を上へとやったときに見えたその喉にくっきりと仏様。そして凛々しさが漂う顔立ちにつまりはそういう人だったんだと気付く。でも脚は綺麗だったし遠目には普通にスタイリッシュな人に見えたから、夜に会えば分からず気持もいろいろ弾んだかも。人間って頑張ればどういう風にでも変われるんだと教えられた思い。でもやっぱり身だしなみには気をつけたい。とくにスカートの裾には要注意。
到着して30分ほど並び入場してまずは2階へ。ふと見ると前回はシェアハウスに泊まり込んでそこに集まっている若い人からいろいろ聞いたルポルタージュを載せた「HK2」を出してた人たちが新しいのを並べてた。今回はホームレスが取材対象で上野から新宿から渋谷からあちらこちらを歩いては、そこにいるホームレスの人たちにいろいろと聞いていったという労作。喋りかけても起こらない人もいれば話をきこうとすると怒る人もいたりと千差万別、となりで仙人みたいなホームレスの人と哲学談義をしているとホームレスに哲学とかいらねえんだと怒ってくる人がいたりといった具合に、人間模様をいろいろと見せてくれて面白い。もはや日常と化してバリューに乏しいと新聞なかでは脇に追いやられながらも現実、存在するホームレスへと改めて迫った労作。年金をもらってそれでホームレスをやっている人も結構居るんだなあ。というか日本じゃホームレスにしかなれないくらいの年金しかもらえないってことの方が痛切。どうしようこれから。
ふいっと見ると机の上にあの「妹がスーパー戦隊に就職しました」(スマッシュ文庫)を載せている人がいてもしやと思い尋ねたらやっぱり作者の大橋崇行さんでこれはとても良いものでしたとご挨拶。というかシュタイナーをどっぷりスーパー戦隊にあてはめては、命を削って戦っていたりする人も中にいて、そして堕ちてしまったりする展開に泣ける作品へと仕立て上げるなんて普通じゃできないし、やったところで出そうと考える出版社も少なそう。そこを思いっきり踏み込んではあの分厚さで出してしまうんだからPHP研究所、恐るべし。同時期に円谷プロ公認として「ウルトラマン妹(シスターズ)」が出たためそっちに評判を持って行かれた感もあるけど、こっちもよく見ればしっかり「企画協力」として東映がクレジットされている。
スーパー戦隊への理解と愛とそして新機軸への挑戦意欲に満ちた作品を、どうも有り難う御座いましたと思いつつできるならば次とかも、あって良いんじゃなかろーか。それとも一気に映像化? 「ウルトラマン妹」と同時上映? 見たいなあ。そんな「妹がスーパー戦隊に就職しました」をどうやって書いたかが書かれた上智大学紀尾井文学会OB会の「Polyphony」の第3号を戴き、明治15年に出たらしい「相楽伝」という、ある幇間について書かれた文を紹介したらしい「相楽伝抄」という一文なんかを読んで、芸人が市井を捨ててプロフェッショナルに徹することの大変さって奴を噛みしめつつ、そんな冊子が本当に明治15年に出ていたんだっけと神田神保町を巡り歩いてみたくなったりしつつ、見て回った文学フリマでは学生CGコンテストで見てその絵はともかくストーリーが素晴らしくって泣いてしまった「雨ふらば 風ふかば」を作った沼田友さんのところで自主制作アニメーションのDVDを買ったり、「盤上の敵」が好評な宮内悠介さんが文章を寄せているらしい冊子を買ったり。あとはcocoさんが漫画を寄せている虫の冊子とかを購入、午後にはcocoさん繋がりで池澤春菜さんもいたみたいだけれど眩しくって見られず。いつか顔を上げて話しかけられる身分になりたい。
ぐるりと見渡すと女子サッカー小説の「P.K」を講談社バースから出した青葉奈々さんが店を構えていたので続編に当たるらしい「2COLORS」という冊子を購入、さざんかさっちゃんってどこにあったっけ、船橋に住みながら覚えてない。でも「ららぽーと」のフットサルコートは10数年前によく行った。まだ痩せてたっけあの頃は。これも含めて女子サッカーって今でこそどえりゃー旬で漫画なんかもいっぱい描かれるよーになったけれども小説となるとあんまり見て見えてこない印象。言葉でサッカーを表現する難しさもあるんだろうけれどもやっぱりブームだからといってそこから書くにはまだまだ書き手が習熟してないって現れかも。だからこそこの時期に「P.K」を再び世に問う意味はあるんじゃないか、ってことで「浜村渚の計算ノート」に続く講談社バースからのスピンオフ、といった感じになれば僥倖。それがないなら他から声を。今がチャンスだ。大チャンスだ。
【5月5日】 やっとこさ見た「エウレカセブンAO」はなるほど沖縄って場所のおかれた状況があちらこちらに挟まれながらも、トラパーだかのお陰で独立を果たしながら、それでもやっぱりどこかに頼っていたりするという中途半端ぶり。これが現状を風刺した物なのか未来を想像したものなのか、エウレカ世界を理解した訳じゃないからはっきりしたことは言えないけれども現実世界でいろいろイジられ、アニメでもこうした立場に置かれてしまう沖縄って場所に実際に暮らす人たちが、どういった印象を持ってこのアニメを捕らえているかをちょっと知りたい。沖縄って放送されてたっけ。同じ沖縄が舞台でもそういや「あそびにいくヨ!」は徹底して陽気でなんくるないさーな雰囲気だったなあ、僕的にはこっちのほうが好き、エリス可愛いし。
それから「これはゾンビですか? オブ・ザ・デッド」も見てユウがいろいろと病気で大変そうだったけれどもその原因がミカンの白い筋ってところが謎めくというか、あれを取って食べることなんてないだけに繊細さも伺える。直すためにはヨーデルを歌いながらパンツ一丁になって反復横飛びしてそれからお尻を尽きだし四つん這いになってふうふうやるのか、いつか誰かにやてみよう。しかし最終的に効いたのは何だったんだろう、Y字バランスくらいしか覚えてないけどいろいろ試してみると少しは冥界人に近づけるかな。近づきたくない。そして話は一向に進む気配はなし。京子ちゃんどこで何やってる。学校の酒飲み美少女は何者。気になる続きはあと2カ月で。女王の呪いあたりまで行くのかな。
佐賀県だっけ、武雄市の市長さんが図書館を「TSUTAYA」のカルチュア・コンビニエンス・クラブに業務委託するってことが決まったってニュースが流れるや、すぐさま乱れ飛んだ揣摩憶測、というよりむしろ心底から誰もが懸念を抱いている様子もなるほど当然で、ネットを挟んで全国からも受け付けた質疑応答で、市長さん自らが貸出情報なんて個人情報じゃねえなんて叫んでいれば、もうこれは真正面から素っ頓狂、そこへの理解がまるでないままことを進められては、いったい図書館としての自尊を保てるのかって話になって、誰もが不安に思うだろー。
誰が何を読んだかで、かつていろいろ言われ叩かれ命すら奪われた時代があって、そうならないためにも誰が何を読もうと、それは個人の内に留め、仲介に立った者もそれはすぐに記憶からも記録からも抹消するってのが、この何十年かで僕たちが身につけた振る舞い方だったりする。だって今はそうした思想信条によって区別され差別され迫害されることなんてないんじゃない? だから明かしたって良いんじゃない? って言われそうだけれどもむしろ時代は逆行していて一般なんて言葉からちょっとでもはみ出ようものなら弾かれ叩かれ踏みつけられるような空気が溢れてる。若い人の世界ならなおやっかいで、ちょっとでもズレようものならそこに居場所はなくなり、それこそ生死を考えさせられるような事態に陥ることもある。あるいはズレを理由に排除される。
いつそうならないとも限らない可能性。けど市長さんにはそうしたことへの思いも配慮もまるで見えない。あるいは利便性というものと引き替えにした場合どうなのか、って思考の後でも見えれば、まだ議論のし甲斐もあったんだろうけれど、まるで考えつかなかったって見えるところに、この一件をその手に委ねて大丈夫なのか、って心配が浮かぶ。データベースによって貸出履歴が管理されていて、それを下にして次はこういうのがお勧めですってやれば喜ぶ利用者だっているかもしれない。借りれば借りるほどポイントが溜まって市中でいろいろとお買い物が出来るんだったら嬉しいかもしれない。
けど、そうやって得られる利益があるってことは、引き替えにしている何かがあるってこと。この場合はそうした属性情報って奴で、これを売り渡すことによって得られる何かが、果たして見合うものなのかどうなのか。それ以前にバーターにして良い質のものなのかどうなのか。議論しないと事は武雄市にのみ収まらず、あらゆる個人情報がそうしたバーターの対象にされた挙げ句、便利だからという一言でもって、越えてはいけなかった一線まであっさりと踏み越えられ、売り渡されていきかねない。そのあたりへのデリケートな意識もなしに提携を決めてしまったんだとしたらこの市長、相当に抜けているかそれともしたたかということになるのかな。背番号制にしてすべてを管理するという世界を先取りしてしまうんだから。
そうした問題は脇においても、「TSUTAYA」が運営にあたる図書館ってのが、どういうスタイルになるのかを考えて、臆する人も結構いそう。もちろん喜ぶ人もいるだろう。最新の映画やアニメがずらりそろって、いつでも借りられる「TSUTAYA」のように、最新のベストセラーがそろって、それを無料で読めるんだったら本にお金を払いたくない人には、こんなに便利な話はない。でもそれをやり続けて果たして本はどうなってしまうのか、という問題がここでやっぱり立ち上がる。すでに既存の公立図書館ですら、ベストセラー中心になっていて、人気や認知はともかく未来に何かをつなげるかもしれない本を収蔵してそこに残しておく役割を、捨ててしまっているところが出始めている。それが住民サービスだって言われればそうだけれども、ものごとにはやっぱり限度があって、売れるのと借りられるのとのバランスが崩れれば、業としての出版が成り立たなくなってしまう。
そんな揺れていた境目が、軽く吹っ飛ばされてしまいかねない可能性が「TSUTAYA」図書館って奴にはどうにも見え隠れ。なるほどもう街のDVDショップでは売られていないマイナーな映画のDVDだって置いてあるって「TSUTAYA」の店舗もない訳ではないけれど、それだって全部って訳じゃない。売れ筋のものを置いて回転率を上げるのが収益への道でそれを図書館の運営に応用されてしまって起こるのはやっぱり公共性へのチャレンジってことになりそう。そしてそれは相当に険しそう。
というか「TSUTAYA」にとってこの図書館業務の受託に、どんなメリットがあるのかがよく見えない。公共機関に携わっているというお墨付きが得たかった? でも儲からないんじゃ意味がない。Tポイントカードを使わせたかった? でもこの騒動で図書館から情報という利は吸い取りづらくなる。カード枚数を増やせばそれで良いって判断もあるけどでも、それで十分な利益は得られるの? どうにも仕組みが分からない。どんなビジョンを、デザインをこれから提案してそれが図書館としての公共性と、住民サービスとしての利便性をどういう塩梅で満たしているのかを探ったりした上で、判断も下されることになるんだろうなあ。見て真似をするところも出てくるのか。ブックオフとか。和民とか。
夕方に「ふしぎの海のナディア」がやっててそれこそ20数年ぶりって感じに見たんだけれどあれれ、オープニングってもっとテンポよくってリズミカルで絵と音楽がジャストタイミングにマッチした切れ味鋭いものじゃなかったっけ、それからキャラクターはもっとスタイリッシュでエッジが立ってて当時の1980年代OVA的キャラとは違った空気を醸し出していたんじゃなかったっけ。まあこれも分かる話で当時はこれでも他に比べてスタイリッシュで革新的な雰囲気を持っていたってことがひとつと、それから庵野秀明監督で貞本義明さんキャラデザインってことで「新世紀エヴァンゲリオン」と重なってそのスピーディーでスタイリッシュなオープニングのイメージや、今なお作られリフレッシュされ続けている貞本キャラのイメージが、「ナディア」へとフィードバックされて格好良くってスタイリッシュなもの、っていう記憶の塗り替えを行ってしまっていたっぽい。んでもって実際に見たら……という次第。今のアニメのオープニングは本当に動くしキャラもしっかり崩れない。そんな今に「ナディア」が当時のままに作られたら。伝説ってのは作られる上でタイミングが必要なんだと理解。
【5月4日】 東京での上映は3日のプログラムで終わってしまったらしいイメージフォーラム・フェスティバルでの和田淳監督作品にしてベルリン映画祭銀熊賞受賞の「グレートラビット」だけれどこの後、和田淳さんをフィーチャーした実に映画祭めいたものがイメージフォーラムにて用意されているんでそっちで見ることが出来そう、もう目一杯に。すでに1度試写で見て、そのときには連綿として淡々と繰り出される不思議なシチュエーションに呆然とさせられたけれどもフェスでの2度目を見てだいたい、どういう感じにキャラが繋がっているのかが分かってそれによって世界に臆する気分が引っ込み、あの世界へと薄膜を越えてどうにか顔だけでもつっこめたといった感じ。たぶん「わからないブタ」も同じように何度か見ることによって和田淳監督がそこに現出させようとしている世界へと顔をグッと近づけていけるんだろう。その意味でも言ってみたい和田さん特集。
もっとも、2度見たからといってそのすべてを理解できるかというと、まるでそうでないところが和田淳監督、誰かの手によって念だかを注入された丸い球をふとったあれは子供が腹に入れて歩き明日とイタチが足下をうろちょろ。そして転んで少年は服を脱いで靴を包んで後ろに投げるとそれが当たった先にいたのは球に念を注入する人物でその耳が伸びたり引っ込んだり。もどって少年は木に登りそこで丸い球といっしょに網に入ったイタチだかを見て網の仲に入り落っこちそれから球を持って前に進み出て、そのよこをイタチが球を尻尾に丸く挟んで網の所へ持っていく、という連なりを1枚の上に描き出せればそれはそれでシュールさもあるけど断片で見せることでなおいっそうの何やっているんだ感をそこに醸し出す。
そんなシュールなシーンの間にはさまるのは、もぐもぐとやっている兎でその後ろには何でか黄色い丸。さらにラストにいたちがもぐもぐやっているものが逆回転で吐き出されていくその映像が、引かれてモニターの中で繰り広げられている事態だと分かる。円環からは弾かれたそのシーンが意味するものは、というより円環が意味しているものは。考えればきっと意味もあるなろうし伺えば教えてもくれるんだろうけれどもそうした探求を脇に置いて、不思議なシーンの連続と、それを動かしてみせる筆の巧みさに溺れるほうが幸せそう。廻っても傾いても大きく崩れないその人体、その表情、アニメーションとしての確かさを身につけ世界観の分からなさをさらに深めた和田淳監督が次に作るものは何か。圧倒的なエンターテインメントだったら面白いけどなあ、評判に縛られ作る世界が狭くなるってのは勿体ない話だし。
ひらのりょうさんとか植草航さんとか石田祐康さんとかいったアニメーション系上映会で見た名前はなかったけれども別の凄い人達がいっぱい見られて日本のアニメーション作りの層がとてつもなく分厚いことを見せてくれた日本アニメーションパノラマ。とりわけALIMOさんって人の「開かれた遊び、忘れる眼」が凄くって、いったいどうやって描いているのかとついつい見入ってしまった。4枚並べられた細長い紙の上から1日に1つの絵を描きていくと4日で縦長の人物像めいたものが完成するんだけれどたぶん、とくに合わせる気もなく描いているんでそれが重なった時に出てくる異形の意外さでまず驚かされ、そうやって重ねられていく日々と次々に現れる新しい像やオブジェクトの乱舞によって、そこに見たことのない喧騒のシーンが繰り出される。
文字が流れていく辺りとか、同じ東京藝大院で「幸福の王子」の朗読に合わせて文章を並べつつ絵にして動かした折笠良さん「Scripta volant」に似たところも。同じ人かと思ったら違ってるところにあそこの層のこれまた分厚さって奴が見て取れる。同じくALIMOさんはユナイテッドアローズめいたペイントでもって島での暮らしを描いた作品「人の島」も出展。あれはどっちが先なんだろう、生まれた場面から順に描き塗り重ねていってやがて成長して恋人と出会い別れて云々って場面を逆に流してそれにナレーションを被せたんだろうか。そんなことをいっていたような逆だったような。絵はだからユナイテッドアローズ的なんだけれどアイデアがあってメッセージが込められているところに新しさ。タイプに高まらずいろいろチャレンジ可能なところも逸材か。きっとこれからグングンと出てくるに違いないので名前に着目。ASIMOじゃないよALIMOだよ。
やっとこさ見た「LUPIN the Third 峰不二子という女」は峰不二子という女を脇においやってルパンと次元大介のバトルというとっても見ていてクールにスタイリッシュなシチュエーション。ところどころギャグも混じって軽口になる割に、底にある冷たさや酷薄さってやつをしっかりにじませているところにこのシリーズでの栗田寛一さんによるルパンの演技の成長とそして確信が見て取れる。これでいいのだ。もう迷うことなく物真似に堕すことなしにルパンを演じていけるんだと思うけれどもシナリオが変わり絵柄が変わってやっぱりにょほほほほーなお気楽ルパンばかりが書かれてくるとそれに引っ張られてしまいそうだからなあ。セカンドシリーズはだからもう忘れてこのシリーズをルパンの基本に、軸において脚本もコンテも切られていけばあと50年は持つコンテンツになるんじゃないのかな、ルパン三世。
せっかくだからとSFセミナーの昼間の前半だけを聴きに行く。まずは三島浩司さんへのインタビューであの人が偶然に見えるような重なりであってもそれは他のランダムと確率的には同じなんだからといって繰り返し同じ動作を入れてみたりして、普通の人がリズムとか分散とかを気にして散らばらせるようなことをしない企みを作品に入れていたことを知る。そうかそういうものなのか。そう思って読むとあるいは「ダイナミックフィギュア」も「シオンシステム」も違う印象が浮かぶのか。それからクトゥルーばやりについての授業。なるほど「這いよれ! ニャル子さん」の盛り上がりが昨今あるとはいってもこの人気の下地はずっとあったといった感じに説明。デモンベインとかクトゥルーTRPGとかその辺がジリジリと続いた上に作品が載ってアニメ化が載って花開いたムーブメント、ってことになるみたい。
まあライトノベルでは風見潤さん山本弘さんといった面々が70年代80年代のクトゥルーから来た作品を出しているし朝松健さんもそういった作品を出してそのフォロワーが90年代に一気にデビューして来たって印象。神野オキナさんとか確か朝松チルドレンのひとりでクトゥルー的な設定を持った作品を書いていたし、1995年から3冊くらい出た高瀬彼方さんの「女王様の紅い翼」も設定として宇宙の邪神めいたものが敵として想定されていた。あのままでかく話が続けばそうしたものとのバトルになったはずなんだけれど残念にも現在ストップ中。とってもどSなお姉さまが登場してはいたいけな少年をいたぶるという現代性も高い話なんでここは是非に一気に復刊とそして続刊といって欲しいところなんだけれど、どこかやるところないかなあ。岡崎つぐおさんの表紙絵とか継続されても変わっても構わないし。
【5月3日】 ふと気がついたら秋葉原の旧ラオックスビルコンピューター館地下にできたワンフェスカフェが5月20日で閉鎖ってこちになっていた。行ったのがオタク大賞マンスリーの初回で雨とか降ってたこともあって人数が少なく夕方でこれでは果たしてと思った一方で、その前にのぞいた「ウルトラマンサーガ」はそれこそ店内にいっぱいの人で普段はこれくらい賑わっているならあの場所も、悪くはないって気がしていただけにどういう事情での閉店なのか、やっぱり普段はそれほど来ず、それでスペースの飲食と販売で維持していくのが困難だって判断になったのか、より魅力的なオファーがあったのか、分からないけれどもちょっと残念、あの広々とした雰囲気は秋葉原では貴重だったから。せめてあと1回くらいはのぞいてみたいもの。やっぱりオタク大賞マンスリー? というかこれからどうするんだこの会合、やっぱりストリーミング生放送を路上を歩きながらやるのか。「毎度おなじみ流浪のストリーム番組、オタク大賞マンスリー」とか言って。オープニングは出演者がパンツで尻を振るんだぜ。
「LUPIN the Third 峰不二子という女」も録画をしながらそれをすぐには見ないぜずっと、夜通し見ていたのは「モーレツ宇宙海賊」で、笹本祐一さんの「ミニスカ宇宙海賊」の最新刊を読んで冒頭で、グリューエルが髑髏島だかに行ってはひとり美術館で絵を見ていたら、何かをつきつけられて誘拐された先でも慌てず落ちついて事態を把握して、そして子どもたちを狙った人身売買の渦中にあって冷静に子供たちを諭し、逃がして時間を稼いでそしてバウンティハンターの到着を待ったという八面六臂の活躍ぶりに、いったいこの娘は何歳なんだひょっとしたら茉莉香よりも年上で、理利香さんと同じくらいじゃないかと思ったりもしたけれど、そこは皇女として長く過ごして鍛えられた見識と度胸。茉莉香が至るにはまだまだいっぱいの海賊行為が必要なんだろーか、いや彼女は彼女で吸収も早く、てそれでいて失わない真っ直ぐさでもって他に類を見ない海賊っぷりを、既に見せてくれているからそれはそれで良いんだけれど、ってなことを思ってアニメではどんな風だったかを振り替えて見たくなったという次第。
んで改めて見てなるほど突然に宇宙海賊の娘だから死んだ父親の後を継げと言われた茉莉香が、最初はあたふたして戸惑い弱々しさを見せながら、それでもだんだんと事態を受け入れ、最善を選ぼうと頑張ってまずは白鳳学院のヨット部でもって練習公開へと出かけ、そこで厳しい環境におかれながらも自分で考え自分で判断をして生きていく強さってものを会得し、海賊王に俺はなる、じゃなかった海賊船をあたしは継ぐ、ってな感じに弁天丸の船長へと就任。そでもベテランのクルーの先導に引っ張られながらも向こうが決して甘やかせず、まず貴方は何を考えているのかと聞かれたりしてそれについて考え、答えるような描写を重ねることによってただレールの上に載せられるんじゃなく、階段を自分の足で登っていくことによる真の意味での成長って奴が、ちゃんと描かれているんだってことを見せつける。放り込まれて薙がされている間に、運で何とかなるなんてことは見せない。もちろん持ってる強さもあったりするけどそれは選び考えた結果もたらされるものなんだって、教え諭してみせるところがこのアニメであり原作の、最大の持ち味なのかもしれないなあ。
そして一気に前部長の誘拐というか送迎を行うエピソードへといたって来週は、本気の戦いなんかもありそうでここをどう乗り切るかによって更なる成長も得られそう。その上で海賊ギルドや稀代の詐欺師を相手にした白鳥号ことオデット2世号をめぐる攻防という最大のエピソードに突入してもテンションを切らさずご都合に逃げない物語を繰り出していってくれるのかな。残る2カ月がとっても楽しみ。あとは見直して気付いたこと。理利香さんの作るポトフってはんぺんがはいっていたりちくわがはいっていたり大根が入っていたりして、そして芥子っもついてるってことはつまりおでんだよね。流行っているのかなああの星では。それとも日本人っぽい名を持つあの家庭に特有? あとチアキ・クリハラは本当に頻繁に現れる、それこそバルバルーサ号とオヤジを放っておいても茉莉香のピンチにかけつける。好きなのか。そういうのも見たいけれどもアニメでは見せてくれそうもないんでやっぱり探さなくちゃいけないのか、薄い本とかを。
もどって小説版「ミニスカ宇宙海賊」では星系が独立戦争を戦って居たときに保健のように宗主星への降伏も検討をして文書をつくっていたらしいってことが分かってそれが、あるいはどこかにあるかもしれないってことで前にオデット2世号をかっぱらいに来た詐欺師が再び現れてはあっちに出没してこっちをガサゴソ。名うてのバウンティハンターが至近距離から銃を売っても当たらないのはいったい何故だ、加速装置でも使っているのかなんて驚きも浮かんだけれどもブレンドをしたナノマシンによって神経を加速した結果と分かって納得、できないよ、そんなこと可能なのか、でもありえそう。そしてドキュメントによって保存されているらしい降伏文書を膨大な資料の中から一気に見つけだすために使った方策が凄まじい。そうかスキャンか。それもとてつもないパワーを使ってスキャンし瞬時に見つけだす、そのための下準備をしていたってことか、やっぱり並じゃない詐欺師の頭。でもおの上を行く昔の偉い人たち。さて文書は。本当に実在する。それは読んでのお・た・の・し・み。
何か新宿歌舞伎町に全国の萌えが集まっているってことで見物に行った「萌え観光物産展」ではお馴染み埼玉県の鷲宮とか栃木県の足利とかから萌えなキャラを使ったグッズが来ていてなかなかに広がる萌え観光。茨城県からもお馴染みのイバライガーがやってきてはのうてんきみたいなお兄さんと掛け合いなんかをしていたけれども雨なんで派手なパフォーマンスは見られなかった。それともやったのか。あとは信州の諏訪姫とか。上田姫とか。フィギュアとか可愛かったけどよく作ったよなあ、大手メーカーでもないのに。そんな中で目に留まったのが行田の甲斐姫でいわずとしれた「のぼうの城」とか「水の城」とかに出ている豪快なお姫さま。とりわけ「水の城」では伝承どおりに鎧兜に身を固め、戦いの場に繰り出したりして戦国きっての豪傑姫ぶりを見せてくれていたけれど、そんな姫様が絵になったTシャツなんかがあってついつい買ってしまったよ。
売っていた人に聞くと東京ではまだ見ぬキャラクターとか。行って良かった買えて万歳。とはいえ映画の方の「のぼうの城」は去年秋の公開が審査士の影響で伸びて伸びてそして今年の秋に公開されるかどうかが現在検討中とか。やっぱりいろいろ配慮もあるんだろうけれど、それを言い出すとあらゆるディザスター物が放映も上映もできあしない。囲むだけで特に大勢が死ぬ訳でもない水攻めひとつでお蔵入りってのもないだろうし、そこはそれとしてちゃんと世に出して欲しいもの。それに絡めて行田が盛り上がれば行って現地を眺めつつゼリーフライを食べるんだ。そういや映画で甲斐姫って誰が演じてたんだろう。そしてのぼう様とどういう仲になるんだろう。
とことこと歩いて新宿パークタワーホールまで行ってイメージフォーラム・フェスティバルを見物、まずは海外のアニメーションが並んだJプログラムだけれど基本眠かった。最初のトンマージ・デ・サンクティスによる「波打ち際にて」は真春期の少年と少女あ海辺で出会い馴れ合ったりする姿が瑞々しくって見入ったけれども続く「スリープ」はいびきの音とともにぐっすり。「スピークン・ムービー1」も黒地に白い線が動く作品だったっけ、あんまり実は覚えていない。そこで気を取り直してホセ・ミゲル・リベイロの「カーポ・ヴェルデへの旅」はポルトガルからアフリカだっけ、旅行した人の体験めいたものをシンプルな線のパートで描きつつ時折リアルなスケッチも混ぜて描きながらアニメーションとしての動きの楽しさと、現地の習俗への理解を与えてくれて面白かった。「544/544」はよく作ったね。「私は自転車に乗って30分で大気圏の縁に至る」は……。覚えてないぞ。そして「イーグルマン・スタッグ」は前にも見てたんで再度。これをペーパークラフトでやっているのが凄いというか。
同じような傾向は続く日本アニメのプログラムで上映された中西義久さんの「gala gala」でも見られたけれども普段はペーパークラフトの中西さんがこれではCGを使ったとか。それで重なりは出たけれどもペーパークラフトだからこそ思える凄さってところからはやや離れてしまった感じ。切って動かしてスゲー、って思うことえはなくて動いているそのビジョンがスゲー、って関心するのが正しいのかもしれないけれどもやっぱり描いて切って動かして見せてってところがあるからなあ、アニメーションは、アニメーションっていうだけあって。その意味ではやっぱり水江未来さんは「MODERN NO.2」も「AND AND」もよく描いてよく動かしている。ところどころレイヤーを重ねているところも「AND AND」にはあるのかな、でもベースは手書きの細胞増殖。その凄さの上に見せるビジョンの素晴らしさがあってチェコでの受賞となったんだろう。次は日本だ。
【5月2日】 まあそりゃね、応援しているチームが惨敗した試合にお金を払いたくないという心理は分からないでもないけれど、そうやって一方から見ただけでゲームの価値がゼロって言うのは、反対側から見てそのゲームに勝って良かったと思っている人たちに対しては、何か礼を失しているような話に見えないこともない。むしろ不甲斐ない戦いぶりを見せて、せっかく遠出してきた自分たちをもてなす態度がなってないって、相手方がそのゲームを見て金返せといったら、わかりましたとして返すのがホームゲームの主催者の心意気ってもの。そういうイーブンなスタンスが整っていない状況で、ゲームの価値をゼロだと自ら認めるような返金サービスって奴は、やっぱりやらない方が良いんじゃないかなあ、勝っても負けてもそれをひとつの興行だって、コンテンツだって世に売ることこそがスポーツの浸透に繋がるんじゃないかなあ。などと。それはそれとしてフクアリで負けるジェフ千葉は金返せ、いやまだ今年フクアリ行ってないんだけど。とまあ。
おお。チェコで開かれていた
AniFest2012
ってアニメーションの映画祭で日本から出品された3作品が最優秀賞を獲得していた。まず長編作品では沖浦啓之さんの「ももへの手紙」が獲得で、日本じゃ公開は始まっているものの果たしてどれだけ的な印象で推移しているけれども海外では、続々といろいろな賞を獲得している模様で、これで世評に弾みがつけば良いんだけれどもアカデミー賞とカンヌベルリンヴェネチアしか眼中にない日本のメディアに果たして意味が伝わるか。そこをだからベルリンで銀熊を「グレートラビット」で受賞した和田淳さんが、「春のしくみ」ってちょっと前の作品で短編映画部門を受賞したこを重ねて載せることで着目させるって手も使って盛り上げてもらえれば。しかし和田さん大活躍。そんな「グレートラビット」はただいま渋谷のイメージフォーラムにて日本プレミア上映中、行かない手はない。
そして音楽ビデオ部門では水江未来さんの「AND AND」が受賞。松本亨さんのジャージーなというか何というかとにかく心地よい音楽に合わせてうごめく細胞たちのダンスがとっても見ていて目に楽しい。小さいのが大きくなったり膨らんだり伸びたり縮んだり。アニメーションってものが持つ動きの自在性って奴をこれほど見せてくれる作品は他にないんじゃなかろーか。こういう柔らかくって有機的な作品も作れば、最新作でやっぱりイメージフォーラムでも上映されている「MODERN.NO2」みたいな硬質で無機的に動くんだけれどそれでもどこか手書きの優しさがにじむ作品も作ったりする水江さん。次は来るかな。いよいよ来るかな。
「闇の改心打(ダーク・ナイスショット)」とか「闇の本塁打(ダーク・ホームラン)」くらいならまだ分かる。というかリップルラップルなんて武器にしていたのは大概がミズノの金属バットで時々ゼットだったっけ、有り体の道具も使いようによってはとてつもない武器になることは、シリーズの過去作が証明しているんだけれどしかし、手持ちの魔法に使うロッドをそうもバットだの、ゴルフクラブだののように振りまわして大丈夫なのか。インパクトの瞬間にヘッドは回転しないのか。心配になってしまった林トモアキさんによる「ミスマルカ興国物語」の最新第10巻。紙質が変わって妙に分厚くなったけれどもお話の方も重厚さを増し設定も奥深さを増してよりSF的になってきた。
けどやっぱり目立ったのは闇の法皇、ユリカ様の暴れっぷり。その中二病気質をマヒロに把握されてしまって逆ギレしたりする可愛さも見せていたけどそうして溜まった鬱憤を、死なないとはいえ痛みは感じる麒麟さん相手にふるうとは情け容赦ない。とりわけ「闇の女の子製造撃(ダーク・ガール・クリエイト・クラッシュ)」は流石に誰もが戦慄しそう、とりわけ健康な男子ほど。果たして製造はされたのか。今後も製造を続けるのか。そしてマヒロの運命は。玉をユリカに砕かれ竿はシャルロッテによって引っこ抜かれて残るは平たい地。そしてお姫さまとなってもはや戦争も続けられずに世界は平穏を取り戻す、んだったら良いけれども紋章は奪われ過去から人造人間めいた美少女が甦って世界は混沌へ。「戦闘要塞マスラヲ」に「レイセン」でお馴染みのあのキャラも再登場となったけれども過去に比べて語る今の暗さが気になる。そんな世界が向かう先、そしてどうしてこうなったという経緯が明かされていくだろう今後にますます注目が。エーデルワイスも完全無欠じゃなかったんだなあ。何者なんだ。そして奴は。
いやあ耽美だ華麗だ竹宮恵子さんによる「風と木の詩」の原画展が神保町にある画材屋さんの文房堂4階で開かれているってんでのぞいたらいたのは女性ばかりでまず臆しつつ、それでも描かれた原画を見ていて萩尾望都さんの時にも感じた当時の漫画家さんたちの筆の巧さ、描くことへの熱情みたいなのが原画から漂ってきて打ちのめされた。ほとんど間違いもなく線を引きキャラを描いて背景も作って見せている。それでしっかり効果も出しているその腕を、どうやって会得したんだろう。やっぱり先人たちのを見て覚えたんだろうなあ。そうして積み重ねて来られた少女漫画的技量って今、ちゃんと受け継がれているのかな。いるはずなんだけど。川原由美子さんとか本当に美麗だし。タブレットが増えたりしてもやっぱり紙にペンで描く技量ってのは続いて欲しいなあ、そうやって得られる線ってのはやっぱり特別だから。
【5月1日】 メーデー。だけど別に世間は赤旗が翻っている訳でもない。日付にこそ意味性を持たせるよりも、動く人の快適性を優先するという昨今のこのゆとりが多分、すべてから切実さを殺いでたりするんだろうかとも考えたりする今日このごろ。1月15日じゃなくなったことで「成人式」ってものの価値が、もともとあったとは言えないけれどもさらに衰弱した印象だし、10月10日の体育の日だって、その日だかこそっていう意識が薄れてただの休日と化して敢えて、体育について考えようって気もなくなったような。とはいえ春分秋分は週央にかかっても土日にくっつけないのを見ると、暦というものへの敬意、あるいはそれと絡む皇室行事への配慮はやはり欠かせないってことですなわち呪術的に護られたこの国の姿ってものを、いろいろと考えさせられたりする大型連休の谷間。
発売になってた「ヤングキングアワーズ」の伊藤明弘さんによる「ジオブリーダーズ」のイラストは姫萩夕ちゃんだった。ジーンズから半分尻を出しつつ後ろ姿ぐいっと見返った姿は背中の脂肪と筋肉とがリアルに出ていてなかなかの肉感。そしてメンバーの誰にも増して巨大過ぎてたその胸も、振り向くような姿勢で右乳の半分くらいをこちらに向けて横を見せ、その巨大さってやつを改めて感じさせてくれている。本編だとだいたいが運転手で運転がお仕事で水着にもならなくって、これだけの巨大さをあんまり見せてくれてなかったからなあ。本編復活の折には、ってもう逝っちゃってたんだった夕ちゃん。でも改めてこうやってグラビアに起こしてるってことはあるいは、単に思い入れじゃないものもあるのかな。懐かしむだけなんて現役漫画家っぽくないし。だからいろいろと期待。そうでなくってあの陰鬱な金沢からの再開であっても飛び出しはっちゃけてくれると期待。だから待ってる、いつまでも。
いやあ「天にひびき」は曽成ひびきの指揮の場面で楽器を演奏するオーケストラのメンバーがひたすら描かれセリフもないページが続いてもなおどこかから鳴り響いてくる音楽に驚いたというか感動したというか。音楽を成らせられない漫画でもちゃんと音楽が描けるんだ。小説で音楽を描写するのも大変だけれどそれは言葉によって音階を、あるいは雰囲気を表していけば何とかなる。あるいは言葉のリズムってものに音楽を感じさせて引きずり込むことはできるけれども漫画は、絵にしたところでそれは楽器を持ってる人間であって、その例えば指使い、あるいは姿勢、あるいは表情をただ描いたところで絵にしかならないところを前後の展開から来る緊張感、そしてパートの重ね合わせによる臨場感でもってそこに音楽が鳴り響く空間ってやつと現出させている。演奏している音楽とあるいは描かれている楽器のパートも重なっていたら凄いけれどもそれは確かめようがないんで保留。いずれにしても凄い漫画になって来たなあ「天にひびき」。これと「神様ドオルズ」を平行してやっているんだから凄いよやまむらはじめさん。
「アリョーシャ」はクローンとの凄惨なバトルを経て戻ろうとして警察に止められてさあ大変ながらもそこはケイティが浅利に連絡をしてそこから既にケイティがFBIだと知ってる兄へと繋がり父親の政治決断よりも優先されて弟の頼みが聞きいれられるところにこの兄貴の思いがにじんでいるのかそれとも相手がFBIで国際的な話だと分かって父親の政局なんかより重要だと認識してたのか。後者だろうなあ切れ者っぽいし。そうして戻ってきたものの未留の首にはめられた爆弾は外れず、本物か否かも含めてさしものアリョーシャも迷っていたところに立ち寄った家庭教師の岡田さんが凄かった。やっぱり生半可じゃない人間ばかりが揃っているこの話しで唯一、普通なのが未留だけれどもそうした普通さが救いになって誰もが殺伐とした裏社会を歩んでいけるんだろうなあ。龍之介にもそっちに落ちずにずっと普通でいて欲しいけどあの家では。
一方の「月刊ヤングキング」は「ツマヌダ格闘街」でやっぱりドラエさんは凄くって、示現流の立木打ちでも師範が見てすぐに指導者になれると言うくらいの太刀筋って奴を見せていたけどそんなドラエさんの横で、しっかりと打ちまくって手のしびれも何も気にせずひたはしる、八重樫ミツルもやっぱり相当なもの。ただのヒョロい漫画家志望者が訓練でこうも変わるものなら僕も合いたいドラエさんにツマヌダで。すぐ隣町なのに行っても全然いないんだ。しかしそんなドラエさんを信じて自分が3日間ずっと打ち続けて手がしびれて細い木刀すら持てないにも関わらず、挑戦者をぶつけて来たことに意味があると考えるミツルの心酔ぶりには、やっぱり届かないからドラエさんはミツルに任せて僕はジロー・王のメイド姿を探すことに。一本歯の高下駄はいたメイドを探せ。
そして普通に客として見に行った「絵師100人展」はやっぱり良かった星野リリィさんのイラストレーション。田舎の屋根瓦がある民家の1階の屋根にすっくと立った少女の足下にはヘチマが茂って巨大な実が垂れ下がり、少女の両脇には屋根なのにそこからあれは木槿か芙蓉がわしゃわしゃと生えては少女の頭を越すくらいに伸びて赤い花を咲かせてる。背後には青い空が広がり白い入道雲がもくもくと。そんな夏らしい構図の中央にセーラー服姿ですっくと立った少女の真っ直ぐに前を見つめる視線の強さに、周囲の夏のエネルギッシュさを一身に浴びてなお突き抜けていくパワーを感じて引きつけられた。「おとめ妖怪ざくろ」の耽美とも「輪るピングドラム」の華麗とも違った地に根の生えた美しさ。いろいろな絵が描ける人なんだなあ。
そして去年は幽霊画という異色の絵でもって驚かせてくれた岡崎武士さんが今回も雪女の絵を出してやっぱりとっても異色。もとより立体感のある絵を描いてくれている人だけれども雪女は吹雪の中にすっくと立って体をやや傾けつつ、真正面を向いた雪女の白い着物の胸元が、むっこりと膨らんで相当な量の持ち主であることを伺わせる。それはもう袂をはだいて中を見たいくらい。でも触れるとそれは絶対零度の冷たさで手から足から一瞬に凍らせてしまうんだろうなあ。柔らかいのかどうかも感じられないそのうちに。まあそれも一興。だから是非に出会ってみたい。司淳さんの狐面をやや上げた少女が見返る絵とか、支倉十さんの路地の向こうにある赤い鳥居へと歩む少女の傍らに狐面を被った少女が立つ絵とか、狐面が主題の絵もいくつかあったのが印象的。それだけやっぱり日本を、季節を感じさせるモチーフなんだろうなあ。王子は大晦日に行列だから冬が季語でもあるんだけれど、でもやっぱり祭りで狐。風物を自在に感じられる鷹揚さが日本の良さでもあるんだろう。
(ACCESS COUNTER '96.07.20)
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