Last Updated 2020/1/16
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
【1月17日】 例の「桜を見る会」で出席者の名簿を早くに処分した内閣府の担当者が厳重注意という処分を受けることになったとか。いやいやそうした名簿の処分はそもそも誰が決めたのかってところが問題で、野党から照会があったとたんに処分を行いどうしてそのタイミングなんだと突っ込まれ、前々から処分は決めていたけどちょうどその時にシュレッダーの担当者が空いていたんだといった返答をして苦笑を買っていた。つまりは聞かれるとヤバいとう判断からの緊急処分であって、誰がヤバいと感じるかというと「桜を見る会」を利用したいろいろなことをやっている偉い人ってことになる。

 そんな偉い人がこれはヤバいと感じるならば、その前に急ぎ処分して誰が招かれたのかを分からなくして差し上げようという判断があったんじゃないかって話になっている。つまりは上意下達的な動きからの処分であって、現場が勝手に処分なんてするはずもないような話なんだけれど、しばらく前から官僚の世界はそうした上のご意向をしっかりとくみ取っては先回りして動いて上の覚えをめでたくするような状況になっていたりする。あるいは言われたらすぐに動くとか。でもそうやって頑張って上にいい顔をしても、問題化したとたんに勝手にやったと言われ処分されるんじゃあ、官僚もたまったもんじゃないよなあ。

 以前にも似たようなことがあって、尻尾切り的な状況に陥ると分かっていて、なおやってしまうのは将来を見据えた賭けなのか、それとも処分が何の意味も持たないくらいに目出度い覚えが得られるのか。その両方のような気がしてきた。ただしそれも一定以上に地位が上がった人の話で、末端では上の命令に従い奮励努力しても、問題化すると責任をとらされ糾弾されたりする中で命を自ら絶つような事例も出たりしている。その場合はまさに犬死にで無駄死に。そうならない官僚の社会を目指そうと誰かが立ち上がるよりは、最初から行かない方がマシと優秀な人材が逃げている。かくして空洞化した官僚組織が導くこの国の行き先は? そう言う意味でもこの長期政権は国を本当にズタズタにしてしまった。参ったねえ。

 2019年の12月発売だったけれど、集計期間から外れてしまったんで2020年の年間ベストに入れたいライトノベルとして、木質さんの「サイコパスガール イン ヤクザランド1」があって、そして三田千恵さん「天才少女Aと告白するノベルゲーム」があってもう2冊が決まってしまったと思ったら、年が明けた1月にはやくもまた1冊、年間ベスト級のライトノベルが登場してしまった。GA文庫から出たGA文庫大賞奨励賞の筑紫一明さんによる「竜と祭礼 魔法杖職人の見地から」(GA文庫、610円)だ。

 高名な杖職人がなくなって、見習い職人だった弟子のイクスは遺言に従い店を閉め、工房があった街を出ようとしたらそこにユーイという名の少女がやって来て、父から受け継いだ魔法の杖を直せと言って来た。師匠自身なり弟子でしょの文面を見た最初の人間が直すという約定もあって、引き受けざるを得なかったイクスだったけれど、これがなかなかの難物だった。魔法の杖に使われている芯材が特殊過ぎた。竜の心臓。そして竜は千年前に絶滅している。どうやってそんな芯材を手に入れるのか。そもそも存在するのか。

 とはいえ、師匠がそう言っていたからには何か根拠があるはず。とうことで始まった依頼人のユーイとイクスによる探索の旅。杖を作ることだけに特化しすぎて店は乱雑、経営も身の回りの世話も天才少年に任せきりの姉弟子を頼りつつ、近所にある図書館などで古い文献を調べ、そこで出会った館長の助言なども入れつつ竜に迫るヒントを見つけ、じりじりと近づいていく展開は戦わない冒険、或いはミステリ的な楽しさがある。情報として本を読んでも真実には近づけない。そんな助言など文献に頼りがちな調査に全体の流れを見る大切さを教えてくれる。

 そんな助言を入れ、自らの探索も経てたどりついた壮絶な答え。その過程に文化人類学的で民俗学的な見地も見え隠れしていて、宗教なり祭りなり伝説なりが持つ意味であり価値などを知ることができる。なかなかに考え抜かれたストーリー。なおかつキャラクターたちが誰も一家言を持っていて、偶然だとか成り行きだとかで流されることなく、ロジカルな思考でもって受け答えをしていて、そこにキャラクター造形の深さを見る。社会はどうやって京成されるのか。そんな段取りも考え抜かれて紡がれた物語世界だからこそ、得られる納得感も大きく、そして感慨もひとしおだ。

 人は分かり合えるようで根本で理解し合えないところもあるという解釈。それを踏まえて人と付き合い生きていく大切さ。そんなテーマもあって読み込むほどに味が出る。ファンタジーであるけれど、謎に迫る展開はミステリ的で、ヒントを頼りに攻略していく冒険譚でもある。そこから漂う文化論、文明論、宗教論的な解釈も楽しい。これをやってしまって以後、続刊があるとしたらいったい何を描くのか。そんなところにも興味が及ぶ。続刊があるかは分からないけれど。何しろそのラストでとても寂しく、けれども優しい最後に触れられたから。核を失った世界で魔法学校的なドタバタが繰り広げられても物足りない。その意味でも次に注目。


【1月16日】 ナイキの厚底ランニングシューズ「ヴェイパーフライ」に対して国際陸連が使用禁止を申し渡すかも知れないという話に、アディダスの人がライバルながらも開発し続ける気持ちを失うとかどうとかいったツイートをして話題になっていた。切磋琢磨して良い物を作り出そうとする職人魂なり開発者心理に敬意は表したいけれど、反発を増やして推進力を生み出すというのはやっぱり人間の身体機能の拡張が過ぎて、それはやっぱりフェアじゃないという話になっても不思議じゃない。

 軽さを求めるというのはありだし、衝撃を吸収して体への負担を減らすとうのもあり。それでパワーが増す訳ではないから。汗を放出して体温を調整してバテにくくするというのもまあ、人間本来の持続力を伸ばすかどうかって話だからありだろう。でも例えば背中に羽根をつけるとか、底にスプリングをつけるとかして推進力を増したらそれは人間の能力の能力にプラスアルファが行われてしまっている。ヴェイパーフライの場合もそうした拡張にあてはまってしまう気がする。<BR>
 北京オリンピックの前くらいから大流行して、新記録を幾つも生みだした水着のレーザーレーサーの場合は、体を締め付け肉体を変形させて抵抗力をへらしつつ、水流も調整して前に進み安くしただけで、パワーは増やしていたなかった。それでも誰もが使えるものではない上に、やっぱり機能性の追求が過ぎたためか、2010年から使用禁止になった。水着でそうなら厚底シューズもやっぱり禁止されるべきであって、それにメーカーも文句を言うより人間本来の能力をとことん引き出す工夫で競争すべきなんだろう。次はどういう形のものが出てくるのか。そこに注目。そしてアディダスの巻き返しにも。

 すでにNetflixで全話を見てしまったけれども、リアルタイムで見て楽しんでいる感じを味わいたいと思って「空挺ドラゴンズ」の第2話をリアルタイム視聴とだいたい同じくらいの時間でネットから見て面白さを共有する。第1話ではつかなかったオープニングの神谷洋さんによる「群青」が流れて、移動するカメラワークがなかなか爽快な映像とともに楽しんだあと、クイン・ザザ号の中を案内しつつキャラクターたちも紹介するような展開でひとつ作品への理解を深めることができた。

 そして本編での20億円を食べてしまったミカたちの食いしん坊ぶりに苦笑いをして、赤い公園によるエンディングで心を盛り上げる。たぶんCGなんだろうけれども素描っぽい雰囲気になったエンディングの絵もなかなか秀逸で、色味だとかフォルムだとかにポリゴン・ピクチュアズの3DCGによるアニメーション作りの一日の長ぶりと、それをさらに塗り替えるような作画力に感嘆。ダンスの場面とか崩れず動いてなおかつ表情も変わってなななか楽しい。

 とはいえモンキーダンスを踊っているタキタとか、よく見ると体も表情も同じ動きを繰り返しているだけで、サイズを変えることで余り気付かせないようにしている感じ。ハルヒダンスとか「星合の空」とか「かぐや様は告らせたい」のエンディングでの手描きっぽいダンスが持つ生々しさに、近づけただけでも凄いけれど超えられない“何か”があるとしたら、やっぱりそこにアニメーターの持つ凄み、偶然性だけが醸し出せる揺らぎがあるんだろう。アニメはまだまだ続いてタキタによる大冒険がひとまずの帰結。その後も続く本編を描くためにきっと第2期もあると信じつつ、毎週1話の楽しみを改めて噛みしめるような見方をしていこう。その間に毎日のように何話か見返すんだけれど。面白いんだもん。

 「バビロン」の方はアメリカのFBIに入ろうとしている正崎善が、自殺法を導入しようとしたアメリカの都市まで出向いて市長に電話をかけて来たらしい女が曲瀬愛だったことを突き止めたものの、世界の各都市で自殺法の導入が進んでアメリカ大統領もいろいろ逡巡。だからと善を呼びだし話をききつつ、打開策を探る中で彼が復讐を果たそうとしていると知ってFBIの捜査官に任命しつつ大統領の権限は絶対だと前置きをして生きろと命じる。絶対遵守の力とは違っても絶対鶴首の命令とあらば従うのが正崎善という男。それを見越して守ろうとする大統領も凄い人だ。幸せでいてくれれば良いけれど……ってことで近づく原作第3巻クライマックス。君は星の涙を見る。いや血の雨か。

 サッカーのU−23日本代表が臨んだAFCのU−23選手権ですでにグループリーグでの敗退が決まっている日本代表がカタールと戦ってドロー。1人少ない中で頑張ったとはいいつつもカタール相手に1人のハンデで引き分けてしまうのが今の代表の力ってことになるんだろう。当然にオリンピックには出られない成績。なおかつ引き分けた相手もオリンピックに出られないチームってことで、今回は開催国枠で出られても次に出られる保証はない上に、今のU−23からだって上がるだろうフル代表が臨むW杯への出場の怪しくなってくる。監督に関する批判もあってどうなるかは注目として、日本人指導者では他に誰もいなさそうなのが現状。かといってハリルホジッチ監督をあっさり切った日本に来てくれる外国人指導者なんているのかな。そう考えるとサッカーの未来は明るくない。どうなることやら。それよりジェフ千葉がJ1に上がることが先決だ。森保一監督、来てくれないかなあ来年とか。


【1月15日】 箱根駅伝で区間新を出したランナーがはいていたというか、はいていたから区間新が出たとも言えるナイキの厚底ランニングシューズ「ヴェイパーフライ」が国際陸連から使用禁止にされる可能性が出ているとか。軽さと衝撃吸収性を追求しただけだったらまだしも、推進力を付けるためにカーボンプレートを挟み込んであるとかいった機構はやっぱり人間をサイボーグに変えてしまいかねない。身体機能を最大限に引き出すのではなく拡張するのはやっぱり拙いとなったのかもしれない。

 全員がはけば平等って考え方もあるんだろうけれど、値段だって決行するし選手によってはメーカーが手厚いサポートをして何足だって履き替えさせるし、身体機能にマッチした推進力を持たせそう。そうした不平等を認めてはやっぱり国際陸連としても立場がないという判断が出れば、一律禁止となっても仕方がない。以前に水泳でサメ肌の水着があまりにスピードが出るということで禁止になったのと同じこと。あれも特別すぎて着るのが大変だったとか。もう全員裸で泳げば良いじゃんとか思ったりもしたけれど、それだと出ている人と出てない人で差が出るからなあ。それこそ肉体に平等? 大きくなりたくても大きくならないのと同様、小さくしたくても小さくならない人だっているのだからやっぱり不平等ということで。

 日本アカデミー賞の優秀賞が発表になっていて、アニメーション作品賞には長井龍雪祈監督の「空の青さを知る人よ」、新海誠監督の「天気の子」とそれから山崎貴監督「ルパン三世 THE FIRST」が入り、あとは「名探偵コナン 群青の拳」に劇場版「ONE PIECE STAMPEDE」が入った。ここから最優秀が決まるとなったらやっぱり「天気の子」だとは予想がつくけど、プログラムピクチャー的ではない長編アニメーション映画も結構公開された中で、「海獣の子供」も「きみと、波にのれたら」も「プロメア」も入らない寂しさに、日本アカデミー賞という舞台の事情なんかも感じてしまう。

 つまりは映画会社による映画会社のための賞ってことで、東宝からコナン、そして東映から「ONE PIECE」が入るのが不文律って感じなのかもしれない。「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」はだから東京テアトル配給作品として落ちたのかというと、2019年12月15日までに公開された作品が対象だから12月20日公開の「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は入らないのが普通ってことかも。そして来年、新海誠監督も細田守監督も湯浅政明監督もいないノミネートの中をかっさらっていったら嬉しいかなあ。何かものすごい長編アニメーション映画って予定されていたっけ。ちょっと気になる。

 映画会社のための賞ってことで、あまり興行的にふるわなかった東映が満を持して送り込んだ「翔んで埼玉」が何と12部門で優秀賞を受賞。ここぞとばかりにノミネートをさせて受賞を狙った、なんて見るのはうがち過ぎか、実際に面白かったし。作品賞や主演男優賞、主演女優賞、脚本賞はともかく監督賞とかちょっと不思議。助演男優賞で伊勢谷友介さんはあの圧巻の登場ぶりから当然と認めざるを得ない。伊勢谷さんはともかく作品賞、主演男優賞、主演女優賞は最優秀に輝くかなあ。監督賞は「新聞記者」の藤井道人さんにあげて作品が持つメッセージ性を映画界から放って欲しいなあ。たぶんないけど。

 ネルケプランニングに小学館と集英社と講談社という、仇敵とも言える一ツ橋グループと音羽グループがともに出資という報に、2・5次元ミュージカルなりライブエンターテインメントといったものが持つ力が出版社のグループを超えて影響力を持ち得ているんだなあといったことが伺える。漫画が単行本として売れない中でアニメーション化して売り上げを伸ばしつつライツ収入を得たりしているけれど、それにくわえて2・5次元なりライブエンターテインメントの分野で世界に出て、広くライツ収入を得たり出版物の売り上げ増に結びつけようって頭なのかもしれない。

 そうしたメディアミックスにずっと取り組んでいた富士見すなわちKADOKAWAはどうしているんだろうかが気になるところ。それともすでに出資してたっけ。そこはちょっと分からない。「刀剣乱舞」の本は出しているし「けものフレンズ」だって手がけているし、そうしたミュージカルをネルケプランニングが手がけて好評ならすでに付き合いはあるんだろう。それともそうした分野のうまみを覚えて自分でやろうとしているとか。所沢にホールも作って興行を打とうとしているしなあ。それは講談社も同じで池袋に新施設を作ったけれど、そこではネルケプランニングとがっつりタッグ。餅は餅屋を任せる構えを見せている。それだけにKADOKAWAの動勢が気になるところ。所沢って場所も。どうなるか。どうなることか。


【1月14日】 ユナイテッド・シネマ豊洲での片渕須直監督とのんさんによる「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の舞台挨拶では、まじめな話とは別に、長く舞台挨拶なんかで各地を回って接触する時間も多かった片渕須直監督とのんさんのお互いの暴露話もあった。まずのんさんから。「ある日、今日は目が開かないんだよねと監督がおっしゃっていた日があって、映像の方をやっていて、画面を見ていて目が開かなくなったと言いながら、iPhoneでツイッターを見ていて、ツイッターの見過ぎじゃないかと」。

 思わず納得。やり過ぎです。でもそうした行動がファンを巻き込み作品を広めヒットにつながっているのだからしかたがないのだ。そして片渕監督からのんさんの暴露。「アフレコの時、遅い時間にお昼ご飯ですとなってうどんの出前をとったらなかなか来ず、真顔で『もうすぐというのはあと何分のことですか』と言った、早口だった。違う役も出来るんだなと思いました」。おなかが空いていたんだなあ。あるいは「のんちゃんが食いしん坊になった」。答えてのんさんも「この作品に関わっておなかが空くようになりました」。出てくる食事は粗食ばかりでごちそうは回想場面のカツレツくらいだけれど、それだけに食事への渇望がわき上がるのかもしれない。

 アニメーション映画といえば第92回アカデミー賞のノミネートが発表になって、長編アニメ映画賞で候補に挙がるか注目されていた新海誠監督の「天気の子」は残念ながら外れてしまった。国際長編映画賞でも日本代表にはなったけれど最終ノミネートからは外れていて、これで受賞の可能性がある外国の映画賞はアニー賞くらいになってしまった。でもそちらだと「未来のミライ」が昨年とっているだけに期待も膨らむ。問題は日本においてアニー賞がどれだけの興行成績につながるかだけれど、すでに140億円とか稼いでいる作品だからそれはもう良いのかも。受賞記念のロングランが実現すれば、今一度大きなスクリーンで見られるから嬉しいかな。それを期待。

 長編アニメ映画部門はやっぱり強かったピクサーの「トイ・ストーリー4」が入った一方でディズニーの「アナと雪の女王2」は入らず。どういう違いなんだろう。そしてライカによる「ミッシング・リンク」が入り「ヒックとドラゴン3」が入りアヌシーのクリスタル賞をとったジェレミー・クラパン監督「失くした体」が入ってそしてNetflixからもう1作「クロース」が入ってとこれもどれが獲っても不思議はない感じ。突出したのがないって現れだけれど全体に水準は高いから、あとは受賞が公開への後押しになって欲しい「ミッシング・リンク」に期待かなあ。ライカは本当にアベレージ高い作品作りを出来るようになったなあ。

 国際長編映画賞ではお隣韓国からノミネートされたボン・ジュノ監督の「パラサイト」が入っていて、そして「パラサイト」は監督賞と作品賞にもノミネートされていて2019年のアジア映画でトップ級の評価を受けている感じ。日本でも後悔が始まってジワジワと話題になっている。内容的に貧困とか格差が描かれていて今の身の上で見に行くとダメージを喰らいそうなんで遠慮しているけれど、評判になっているからにはやっぱり見ておかないといけないのかなあ。でも「ジョーカー」を見て数カ月くらい心理状態がメチャクチャになったんで、君子危うきに近寄らずで征くのが良いのかもしれない。

 その「ジョーカー」は第92回アカデミー賞で11部門にノミネート。もちろん底辺で喘ぐ男が抑圧の果てにぶち切れるという現代の格差社会をえぐるテーマだったことが評価の中心にあることは確かだけれど、DCが誇る「バットマン」というキャラクターの仇敵として、高い人気と知名度を誇る「ジョーカー」というキャラクターについて描かれた映画であることが最初の関心を引きつけ、映画館へと足を運ばせたことは間違いない。人気シリーズのキャラクターに関してもっと知りたいという渇望と、知っているキャラクターならきっと面白いに違いないという安心感がこうしたキャラクターの“エクスパンション”をハリウッドの映画界でも増やし、マーベル・シネマティック・ユニバースだのDCエクステンデッド・ユニバースといったシリーズを後押ししている。

 キャラクターが核になるライトノベルでも事情は同じで、人気シリーズの外伝だとかスピンオフだとかシェアードワールドといった作品が相次ぎ刊行されてはランキングの上位に顔を出す。佐島勤さんによる「司波達也暗殺計画」のシリーズなんかもそんなキャラクターのエクスパンション的作品の代表例。「魔法科高校の劣等生」シリーズの主人公で圧倒的な強さを見せる司波達也を狙いつつ果たせなかった暗殺者たちが、引き入れられては司波達也を狙うような敵を屠っていくというストーリー。そこに司波達也による俺TUEEEE的なカタルシスはないけれど、彼が漂わせる恐ろしさにひれ伏す登場人物たちの存在が、「魔法科高校の劣等生」シリーズの世界を広げて物語への関心を深めるんじゃなかろーか。

 ちょうど背景美術を触っていることもあって、勉強を兼ねてのぞいてみた三鷹ネットワーク大学「アニメーション文化講座 表現の追求 “手描きのアニメーション美術”」。山本二三さんの湿度を持った照葉樹林的美術、男鹿和雄さんの寒さ厳しさを感じさせたり抜けが良くって気持ちよく省略がされている美術と並んで動画を転写したセルに美術が絵画的に描き混んだハーモニーの高屋法子が語られたのが面白かった。「トップをねらえ!」でおねえさまと宇宙の果てまで行って怪獣と戦った人……のモデルにして樋口真嗣さんの奥さんだけれど、「風の谷のナウシカ」なんかで王蟲の表面の汚しみたいなのをセル画に描いて雰囲気を出すような技法を見せ、ひとつのジャンルになっているらしい。

 講座自体はジブリ美術館の伊藤望さんが登壇してアニメーションにおける美術の歴史を説明。のらくろなんかのシンプルな背景が政岡憲三さん「くもとちゅうりっぷ」で奥行きを持ち「白蛇伝」「西遊記」なんかを経つつ「安寿と厨子王」で作画のフラストレーションと美術の満足といった対立があり「わんぱく王子の大蛇退治」で労働争議による仲間意識からの融合が計られ「わんわん忠臣蔵」で西洋風の現代の街が描かれ「空飛ぶゆうれい船」で都市が出て「長靴をはいた猫」から「どうぶつ宝島」で宮崎駿的レイアウトなんかが目立ってくるといった歴史。

 ハイジや三千里のロケなんかも語られど根性ガエルなんかがあってジブリ作品へと至り「もののけ姫」で4人がたち得意な場面を描き「千と千尋の神隠し」で宮崎駿監督の意図を絵にし「かぐや姫の物語」の省略化された背景美術まで来たような。流れを一気に振り返るようなセミナーでありました。デジタル時代に手描きの良さを残しつつデジタルの妙味も活用する「かぐや姫」の手法後、ジブリが何をやっているかはちょっと不明。箱庭的な美術を3DCGでモデリングした上を作画したキャラなんかを動かす現代的な手法に体してジブリは何をしているか。何をしていくか。宮崎監督の新作でお目にかかれるかなあ。


【1月13日】 リストラからの適応障害的な心理的落ち込みの中で、サッカーに関する興味も薄れて日本代表とかU−23日本代表の試合をまるで観なくなっていたけれど、いよいよ五輪イヤーとなってU−23には頑張ってもらわなくちゃと思い始めた矢先に開かれたアジアでの大会で、U−23代表がグループリーグで2連敗して早々に敗退が決まったという話にこれは先が思いやられるといった印象。だっていずれはフル代表にもなるだろう若手が、世界どころかアジアですら通用していないってことだから。

 それは五輪でメダルが取れるかどうか以前の問題。いやもし五輪が東京じゃなかったら出場すら出来なかった訳で大きな問題ではあるんだけれど、同じ森保一監督に率いられたチームだけあってU−23での失策と育成の失敗が、フル代表でも発生しかねないだけに早い段階での何らかの手立てが必要だろう。つまりは解任ってことだけれど、続く人材がいないのが今の日本サッカー界だからなあ。名波浩さん長谷川健太さんあたりが登場するにはまだ早いけど、岡田武史さんでは古すぎるし。困ったねえ。

 「すずさんが、シラミの子を連れて帰るところが変わった気がしました」2019年12月20日に公開されてから4週間が経った片渕須直監督の長編アニメーション映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」。そのヒットを記念する舞台挨拶が2020年1月13日に東京都江東区のユナイテッド・シネマ豊洲で開かれ、北條すずの声を演じたのんさんと、片渕須直監督が登壇した。

 その舞台挨拶で、のんさんが「この世界の片隅に」に38分の新たなシーンが加わった「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」となった映画で、なにが変わったかを尋ねられた時に答えた言葉がこれだった。凄いと思った。普通だったら、加わったシーンをまず挙げて、たとえば白木リンさんとの交流が増えて、すずさんに女性としての意思のようなものが見えるようになった、といった答えが返ってきそうな。ところが、のんさんは既存のシーンが持つ意味合いに、変化を感じたことを真っ先に挙げた。

 「すずさんが子供を産むという、嫁の義務について悩んでいるシーンが付け足されていました」と、新たなシーンに言及はした。朝日楼の前でリンさんと話した場面。そこでは「すずさんの葛藤だったり、北條家にいるために条件を果たすために頑張らなきゃという葛藤が大きかった」。そうしたシーンが加わった事で、映画の終わりになってすずさんが、被爆した広島の街で女の子を見つけ、呉へと連れ帰るシーンに違う意味、深い意味、濃い意味が加わったとのんさんは見た。

 「右手をなくして戦争が終わって、家事なんかも難しくなっていたすずさんが、呉で生きていく、呉が自分の居場所だと自分で決めて生きていこうとしている時に、子供を連れて帰るのには強い意思があるんです。母性、母親になるという気持ちがあるんです。だから印象が変わりました」。片渕監督は映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」について、ただシーンが足された長尺版ではなく、まったく違った映画になったことを常々口にしている。それは、リンさんでありテルちゃんといった新しいキャラクターに触れられるだけでなく、すずさんという人、あるいは他の人々の内面に深く迫った映画になったということを意味している。のんさんの言葉は、まさしくそうした片渕監督の「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」に込めた思いを、ストレートにくみ上げたものだった。

 加わったシーンも、ただ登場人物が増えただけではない意味がそこに込められていることが、舞台挨拶では明かされた。1945年(昭和20年)4月3日、北條家が二河公園へとお花見に行くシーンに現れたリンさんが、すずさんを誘って桜の木の上に上る。そこにリンさんが着ていく着物を、藤色に青いリンドウが描かれたものにしようかととして、何色だったのかを考え直し、黒い留め袖のような色にした。

 片渕監督によれば、「すずさんの頭の上に本物の戦争がやって来て、呉にいろいろなものが落ちてきた次の場面、空襲警報や警戒警報が鳴っている最中の4月3日のお花見」だったあのシーン。リンさんは華やいだ服を着ているのではなく、黒い服を着て死というものを意識しているのではないかと考えた。「ひとりで死ぬ贅沢さをリンさんは言ってしまう」。玉音放送があった日、「北條サンも最期の時に食べようと思っていお米を取り出」したように、いろいろな人たちが、死を意識して「最期の時がいつか自分の上に来るのではないかと思いながら生活していた」状況だった。

 「4月3日はお休みでした。ただ、あのあたりから沖縄での地上戦が始まっています。すずさんだけ見ていると、飲めや歌えやとなっていますが、周りにあった戦争を思い浮かべてみると、リンさんはこのまま人生をまっとうできないのではないかとう思いを抱いていた」。だから、リンさんは華やいだ服は着られなかったのではないか。そう考えて黒いいろにされたあのシーンの着物を見ると、リンさんの言葉により深く、あるいは刹那的なニュアンスも感じ取れるかもしれない。

 片渕監督の言葉、のんさんの言葉を聞けば聞くほど、」また観たくなる。観に行かざるを得なくなる。「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」にはまだまだ、観て感じ踏み込んで知るべきところがあるようだ。片渕監督の言葉では、もうひとつ自分にとっての発見があった。すずさんが草津のおばあちゃんの家で療養していたすみちゃんを訪ねてから、江波にあった自分の家に立ち寄ると、割れた窓からのぞいた中に3人の子供たちが暮らしていた。兄がいて妹がいて、もうひとりは坊主頭だから男の子かというと「まる坊主の子は妹なんです。3番目の子は髪の毛が抜けている」。

 原爆の影響。当時の江波には広島市の中心地で被爆した人たちが大勢、逃れてやって来ていた。子供たちもそんな家族だったのだろう。兄がいて妹が2人は要一とすずとすみの浦野家と同じ構成。そして末の妹に原爆に伴う放射線の影響が現れている。その前後から、広島へ救援に言った知多さんに放射線による白内障の影響か、晩秋初冬の日差しが眩しく日傘が必要になっている場面が描かれる。ゆっくりと歩く姿にも疲れが見える。北條家で暮らす小林の叔父にも体への影響が現れている。そしてすみちゃんの内出血。そうした症状の原因について、映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」では何も説明がされていない。

 同じこうの史代さんの漫画で、「この世界の片隅に」の前に描かれた「夕凪の街、桜の国」が原爆症で亡くなった女性や、被爆者たちが直接的に描かれたのとは対照的だ。それで分かるかというと、分からない人も多いかもしれないけれど、観ているうちになにかあったと感じるかもしれない。そして調べて分かるかもしれない。押しつけるのではなく感じ取り、理解する入り口に漫画「この世界の片隅に」があり映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」があるのだと言える。ただやはりわかりにくいというなら、舞台挨拶でこうして「付け足しおきたい」と言った監督の言葉を拾い伝えたい。いろいろなことがあって、そして今もそれは続いているのだということを。


【1月12日】 原作は読んでちょっと空版「ダンジョン飯」っぽさがあってグッとは引きつけられなかった「空挺ドラゴンズ」だけれど、Netflixで配信が始まったアニメーション版の方は原作の割とがっしり描かれた線とは違って繊細な線と色味によって空を行く捕龍船の活躍と、そこに乗っている人たちの活動が描かれていて拒絶する気がまるで浮かばずすんなりと引きつけられた。モニターという横長の画面だからこそ捕龍船が空に浮かんでいる感じもしっかり見えるし、船内のあちらこちらを横に移動しながら仕事をしたり、龍を獲ったりする様を伝えているのも見やすさの理由かも。

 ストーリーの方は空を行く捕鯨船といったところで、龍を獲っては肉を切り分け油を絞り骨も皮も内蔵も処理して売りさばく。そうやって1隻があちらこちらを行き来しながら一種のホームとして生計を立てている、って感じ。どこかに母港があってそこに戻る訳ではなく、行く先々で龍をとっては売りさばき、寝泊まりをしてまた空に帰って行く。そこがいわゆる捕鯨船とは違ったところかもしれない。どうしてそういう暮らしを送っているかは分からないけれど。

 デラシネな感じはだから地に足を着けた人たちから嫌われている感じも。それは龍を呼ぶかもしれないという恐怖心もあるんだろうけれど、どこか自分たちとは違う存在だとい部分もあるのかも。第1話では街に入れて貰えず寝床を用意して貰えな状況が描かれた。そこは新たに現れた龍を退治することで認めさせたけれど、普段からそうやって差別を受けながらも旅をして暮らしている捕龍船の人々が、どういう来歴をもってそこに集まったのかが気になる。男子はまだしもヴァニーとかカペラとか女子が参加しているのは特に。地上で他に仕事がなく借金の方に売られたって訳でもないだろうけれど。

 第2話では何か得体の知れない小さな龍が迷い込んできたのをタキタがおいかけ捕まえようとして捕まらず、ミカやジローも交えてどうにかこうにか捕まえて、食べてしまったら実は王室に献上するくらいの珍しい龍で20億の価値があったとかどうとか。それがどうして逃げ出したのかはさておいて、龍についていろいろと詳しいミカでも感づかなかったというのはちょっと不思議。食べられるかどうかでしか龍を見ていないのかもしれないけれど。そうやって食べる描写が必ずあるのも特徴。漫画だとそっちがメインになって異世界グルメ漫画っぽさが前面に出ていたのが苦手の理由になったけど、アニメは良いスパイスになっている。

 制作はポリゴン・ピクチュエアズ。たとえば「BLAME」だとか「亜人」だとか最近では「HUMAN LOST 人間失格」といったアニメーションを3DCGで作っているけれど、ぐにょっとしたフォルムでセルルックとはちょっと違った質感なりキャラクターの造形があったのが「空挺ドラゴンズ」では原作をブラッシュアップしたキャラクターをしっかりとセルルックでもって描き挙げている。見かけも動きも2Dライク。それでいて場面とかはしっかり奥行きがあって3DCGならではの雰囲気を持っている。

 「ブブキブランキ」なんかを手がけたサンジゲンとも違うし、「宝石の国」や「BEASTARS」のオレンジとも違うし「正解するかど」の東映アニメーションとも違うけれど、「BLAME」や「ゴジラ」といったこれまでのポリゴン・ピクチュアズさともちょっと外れた新しいルック。これは良い。この雰囲気ならいろいろなアニメを3DCGで作って行けそう。ポリゴン・ピクチュアズが一頭抜けた感じになって来たかなあ。「BEASTARS」のオレンジも負けてないけどSFでアクションでやっぱりポリゴン・ピクチュアズが先を行っているかなあ。次ぎに手がける作品にも期待。何になるんだろう。

 スニーカー文庫から出ているライトノベルの「ひげを剃る。そして女子高生を拾う。」がアニメ化進行中ということで、そのタイトルが批判されるとはまた意外な方向からだなあと思った。自分としては家出している女子校生を泊めるという行為において、そこで性的な関係とかなかったとしても、自分が追い出したらその子は性的な関係でも結んで、誰かにやっかいにならざるを得ないからという状況があって、そういった苦境におかれている未成年の面倒を見続けることが、正しいかどうかという段階において、どうもやっぱり違うんじゃないかなあと思って、読む手がちょっと止まってしまったから。

 家に帰ればネグレクトされるのなら、そういう根本問題を解決する方へと動き性的な関係を持たず虐待もされない中、女子高生が生きていける道を探って欲しかった。あるいは続く第2巻第3巻でそうなっているのかもしれないけれど。アニメ化はやっぱりいろいろ出てくるかなあ。同じスニーカー文庫だと、こちらもアニメ化が動いているトネ・コーケンさん「スーパーカブ」は大好きなんだよなあ。貧困だけれど安く買ったカブで通う内に仲間が出来て生きがいも出来た女子高生の物語。むしろ実写でやって欲しいくらいだけれど、それだと富士山をスーパーカブで登る、主人公とは友人の女子高生とかどうやって描くか大変そう。でも見たいんだ。

 イラストレーターで「トリニティ・ブラッド」なんかを担当しているTHORES柴本さんが、手間がかかるイラストの割になかなか料金があがらず、やっていくのが大変だって話をつぶやいていて、あれだけの実績を持った人でさえ厚遇できない日本の出版文化もいろいろヤバみを感じないではいられない。それこそ海外の美術オークションにペインティングが1枚出れば、1000万円だってつきそうな画力であり画題であり画風の人だけれど、そうしたアートの文脈と、イラストレータとしての活動範囲はなかなかひとつにはならないのだった。古くは横尾忠則さん、少し前なら天野喜孝さんがアート市場に行ったのも分からないでもない。とはいえイラストとアートはまた違うものでもあるので難しい。うーん。悩む。


【1月11日】 そういうお仕事を手伝っているので、少しは勉強をしなければと明治大学の中野にある校舎で開かれたオープンセミナーの「マンガ・アニメ・ゲーム・特撮アーカイブの現状と展望」を覗く。明治大学国際日本学部准教授の森川嘉一郎さんと明治大学大学院特任教授の氷川竜介さんが登壇して、それぞれの仕事の中からアーカイブって何だといった話をしてくれた。まずは森川さん。主に漫画やアニメーションに関連する資料が海外に流出しているというトピックから入って、以前からそういう傾向はあってドイツなんかで開かれた展覧会に、ハイジであるとかビッケであるとかセーラームーンであるとかいった作品のセル画なんかが個人のコレクターから貸し出されて展示されていた話なんかに触れつつ、最近はサザビーズとかクリスティーズとかアールキュリアールといった美術系のオークションで漫画の原稿なりアニメーションのセル画なりが出品されて、高値で落札されるケースが出ている話なんかを紹介する。

 個人のマニアがイーベイなんかで取引していた間はまだ、好事家同士のやりとりで値段についてもお互いの了解があったけれども昨今の、美術系オークションでのマニア市場なんかよりも遙かに高値での落札はそうした分野への世界のお金持ち達による参加があって市場があれてしまう心配があること、そしてお金になると分かるとよからぬ勢力が入ってきては一攫千金なんかを目論んでさらに市場がとんでもないことになる可能性なんかを指摘していた。とはいえ現実にそうなって来ている以上、いつか来るだろう道だと想像するならどういった対処があるか。そんなことが気になった。

 正常なマーケットったってそういったものは存在しないし、寄贈先として期待されたMANGAナショナルセンター構想も今のところは棚上げ状態。そうこうしているうちにアニメーション関連の資料は積み上がっては廃棄され、漫画の原稿も個人では持てなくなって散逸するなり売却される可能性なんかが出てきている。ちょっと前、小沢さとるさんが預けてあった門外不出のシリーズのうちの1枚がオークションにかけられていることに驚き怒りを表明していたけれど、意に沿わぬものではなくってそうせざるを得ない苦境に漫画家さんが陥った時、あるいはアニメーション制作会社が陥った時に一気に堰は切られ堤防は決壊しそうな気がする。

 一方で、世間が注目することによって展覧会なんかが開かれる道も出来てくるけれど、日本だとセーラームーンとジブリ作品とヘンタイなアニメーションが混在して日本のポップカルチャーの流れを紹介するような展覧会が果たして可能か、っていったところで悩みがひとつ。大英博物館ではドラゴンボールとセーラームーンが並べて展示してあったけれど、そうしたキュレーションを果たして国内でも許可されるのか。ジブリは協力してくれるのか。そういった方面での意識の改革があって、利活用の道も開かれ寄贈から保存、そして展示といったルートが生まれて海外流出も避けられそうな気がする。今は酸っぱい匂いがするようなセル画に100万円以上が使われる不透明市場だけれど、ちゃんと価値が見いだされ適正な価格帯が出来た先、売りつつ残すような展開があるのかどうか。見ていきたい。

 氷川竜介さんの方は、「宇宙戦艦ヤマト」の資料なんかを放送終了後にまとめて預けられたところから、今になって深い作品研究ができることを例に挙げて残す意義ってのを語ってくれた。映像で見てもなるほどこれは凄い映像だなあと思ったりはできるものの、どうやって作られた映像なのかは分からない。従ってどういう意図が込められていたかも類推するしかないけれど、当時の資料が絵コンテでも原画でもレイアウトでも残っていたら、その場面がどういう意図の元に演出され、あるいはどういう手法で作られ、それが結果としてどういった効果をもたらしたかを立証できる。

 「宇宙戦艦ヤマト」で言うなら安彦良和さんが絵コンテを描いたらしいガミラス本星での死闘の場面で、ヤマトが上からの爆雷によって硫酸の海に沈められているシーンで監修の山本暎一さんがデスラーはあくまでもヤマトが上に来ないように爆雷を投下しているだけだから、ヤマトの下で爆雷は爆発しない、そしてヤマトを硫酸の海へと沈めようとしているのだといったコメントを添えて、上にも行けず下にも行けない状況をその場面で見せようとしていたことを伝えている。映像で見てそうした意図が感じられるか、分からないけれども何とはなしにしみ出てくる緊迫感があるいはヤマトを他とは違った作品に押し上げたのかもしれない。

 戦いが終わってヤマトが着底しているかとうとそうではなく、宙に浮かんだままだという性能的にはあり得ない描写もそういう宙ぶらりんな状態で、正義なのか悪なのか、葛藤するヤマトクルーの心境をそこに感じさせようとしたらしい。なぜそうなのか、といったことを想像はできても確証を得るには言葉が必要。残された資料群からそのことが分かる。第1話で沖田艦長の艦橋が赤いトレペによって非常灯の中にいるように演出されている一方、窓の外の古代守が駆るゆきかぜは普通の色をしている。

 マスクをかけて窓の向こうを後から撮影して合成したからこそ伺える、彼我の置かれた状況の差。無事だからこそ特攻してしまうんだとう流れを、その場面の色味の工夫で感じさせようとしている。感じられたかどうかは分からないけれど、でもやっぱり伝わるなにかがあるならやるし、やらざるを得ないんだろう。そうした意図も残された言葉なりから分かる。大判の作画だからこそ出る迫力も、大判の原画が残っているから伝わること。とにかく資料を残しておき、言葉を残しておくことで後生の研究家たちがアニメ作品についてストーリーやキャラクターだけではない、設計から構築といった部分にまで巡らされたクリエイターの意図を知り、分析でき評論できる。

 だからやっぱり中間制作物も残しておくべきなんだろうけれど、場所は足りず人出もおらず利活用が収益にも繋がらないとしたらやっぱりそこは文化的資料的価値を見出せる場を作り留めおくようにするしかない。そのためのMANGAナショナルセンターだったんだけれど……。今はそれをいってもしかたが無い。かといってアラブの王族がそのアニメ作品の資料まるごと100億円で買いたいと言ってきて売り渡す訳にもいかないなら、なにかやっぱり利活用を行って価値を認識してもらうしかないんだろう。そのための下ごしらえを今やっていると自覚し、日々を丁寧に仕事していかなくちゃ。

 そんな明治大学での講演を終えてせっかくだからと氷川竜介さんが「宇宙戦艦ヤマト」の全話を解説した同人誌を買いに阿佐ヶ谷にある切通理作さんが運営している古本屋のネオ書房へと立ち寄り1冊を購入。直前におひとかた、やっぱり明治大学での講演を聴いてこれは買わないとと立ち寄った方がおられたようで、僕が買って残りが1冊になったのをどなたかが買われてとりあえず完売。いずれ入るようなのでコミケなり通販を買い逃している方は注意しておくのが良さそう。ユジク阿佐ヶ谷で「羅小黒戦記」でもと思ったらずっと完売になっていた。人気だなあ。


【1月10日】 公的な立場にある国会議員とか大臣とか地方議員とか地方首長とかがどんどんとポン酢になっているにも関わらず、支持を受けて当選したり任命されたりするこの国のいったい誰が間違っているのか考えたいけど、想像するならそれは分断によって情報に接する機会もなく貧困によって情報を咀嚼する時間も余裕もないことが大きいような気がすると、この半年ばかりの自分の生活を見渡して感じている。目の前の生活に精いっぱいだと政治がどうとか経済がどうとか考えたりできないんだよ、そんな暇も無いし考えたところでどうにもならないと思っているから。

 だから法務大臣が犯罪を起こしてないなら無実であることを証明しろと嘯いて、いや言い間違えたと言いつつツイッターでもしっかり証明しろと書いていたらしく、それを消しても法務省のサイトには堂々と「個別事件に関する主張があるのであれば、具体的な証拠とともに、我が国の法廷において主張すればよい」などと書いて日本語のみならず外国の言葉で発信して満天下に恥をさらしてしまう。どこの司法が被告人なり容疑者に自分で無実の証拠を見せろというのか。そんな悪魔の証明を求めて平気な法務大臣の神経がどうなているかが今は気になって仕方が無い。神経があるかも含めて。

 香川県では何やらゲームは1日1時間、休日でも1時間半に制限するような条例を成立させようとする動きがあって、どこのポン酢だといった騒ぎになっている。なるほどゲーム依存症が叫ばれる中でインターネットを介してゲームを延々とやり続ける子供がいることは確かだけれど、それだってひとつの表現であるし趣味のひとつに過ぎないと言えば言える訳で、だったら読書は3時間4時間でも良いのかとか、部活動の野球は5時間6時間練習しても咎められないのにゲームはダメなのかといった反論が出そう。

 ってか野球漬けによって体を壊す子供も大勢でているのに、どうして野球は1日1時間とならないのか。そこはスポーツ神話に毒された社会の現れってやつなんだろう。ゲームだって課金のしすぎで破綻するような事態は避けなくちゃいけないけれど、それは与える親の問題であって一括で制約したら子供のそれこそ人権にだって関わってくる。

 ゲームといってもネットで対戦する将棋や囲碁もあって、それを延々とやり続けることによって棋力をあげる若手もいたりするなか、香川県だけ禁止されたらプロ棋士だって出なくなるかもしれない。それとも将棋は違うって言う? ゲームだろうあれだって。もう無茶苦茶な世の中だけれど、それにも世間は無関心を決め込むんだろう。一方でカジノが作られパチンコ屋も繁盛し、そこにハマって身を持ち崩す大人続出。取り締まるのはどっち? っていう軽重すら判断できない社会になってしまった。やれやれ。

 劇場で映画を観ている時に思ったのは、どうして織部睦美はヘビトンボをいよいよ退治に向かう時に通路を無言で音楽に合わせて延々と延々と延々と歩き続けているのかということで、それをある種のワンダバと見ることは可能だけれど劇場版「巨蟲列島」はワンダバが必要な特撮ではなくアニメーションであり、今にもヘビトンボによって立てこもっている研究所を破壊されそうな状況で、発進のポーズをつけている余裕なんてない。なおかつ堂々を胸を張り両手を振ってマーチなんてする暇もない。

 なのにしているのはなぜなのかということを、一晩考えて答えが出るかというとそれはある種の答えしか出ないので考えないのが吉なのかもしれない。それは冒頭、霧のようなものがたなびく滑走路から飛行機が飛び立とうとしているのに霧がたなびく気配はなく、また発着ロビーにいる人たちが微塵も動く気配を見せないところにも現れている。いっそそのまま紙芝居でいくのか、などと考えたところでようやくキャラクターたちが喋り動いて一安心。ところが唐突に場面は急転。どこかの島に怪我ひとつなく少女が流れてつきつつ周囲には散乱した飛行機の部品だとか貨物だとかが積み上がっている。

 死体とかはなくどうにか手首が落ちていた程度。そこはグロテスクなものを見せすぎて映画館に足を運んでもらえないのは困るといった配慮があるからなのかもしれないし、満身創痍の人たちばかりでは話が進まないから五体満足組がいて、島に上陸しては動き始めたところで蟲に襲われ逃げ惑うといった展開にしたのかもしれない。そうした都合は映画の責任というより原作の受け売りだろうし、生き残った中にいる不良が唐突に俺がリーダーだから従えと押しつけたり、ビッチな雰囲気を漂わせる女子が大変な状況下でもマウントを取ろうとしたりする、ポン酢なキャラクターになっているのも脚本家の責任というより原作の踏襲と考えるのが適切なのかもしれない。

 そんな原作がどうしえ劇場アニメにまでなってしまったのかという謎はさておき。いや、眼鏡っ娘の委員長タイプで吹奏楽部と剣道部のエースなどというよく分からない設定のキャラクターが登場している時点で興味を引かれることは否めない。おまけに巨乳。なおかつ蟲に陵辱されているような場面もある。見たいじゃないか大きなスクリーンで、となるかどうかは人それぞれ。というかなったなら見たいけれど見たいからなるというものかというとそこはなかなか言葉に迷う。他にも例えば女性陣が巨大化したマダニから逃げた海岸で素っ裸になっては海につかってふれ合ったりするシーンを大きなスクリーンで見たいかというと、そうしたシーンがあるなら見ても良いかといったところだろうか。どうだろうか。1度見ればまた見たくなるような気がしないでもないのは事実だが。

 ともあれ巨大化した蟲たちを相手に高校生たちが逃げ惑いつつ中にいる睦美という虫のついて詳しい少女が巨大ではあっても同じ虫だということで、その生態を把握して逃げたり退治したりしながらサバイバルをしていくストーリーはなかなか勉強になる。ジガバチにしてもマダニにしてもそうやれば避けられるのかといった感じ。とはいえ巨大な蟲があれだけで終わりとも思えないので、原作でもまだありそうな先を今後また、劇場で見せてくれるなら見たいかというと見に行くだろうけれどそれにはだから眼鏡っ娘の委員長であるところの成瀬千歳の体を張っての大活躍に期待したいところ。


【1月9日】 上原正三さん死去、といって分かる人がどれだけいるかというと、若い人では誰それってことになるんだろうなあ。「ウルトラセブン」とか「帰ってきたウルトラマン」で脚本をたくさん書いた人。ウルトラシリーズというと金城哲夫さんが有名だし、帰ってきただと市川森一さんの名前も取り沙汰されるんだけれど、後になっていろいろと騒がれた「怪獣使いと少年」は上原正三さんの筆によるもので、それも含めて帰ってきたのメインライターとして51話のうちの20話を担当しているという。

 だから6歳の時に見ていた「帰ってきたウルトラマン」で僕はどっぷりと上原正三さんの脚本に浸っていたってことになるけれど、何しろ6歳だから脚本だとかストーリーだとかをそれほど意識することはなく、大変なことが起こって怪獣たちが暴れ回ってそしてウルトラマンが出て来て戦って勝つという展開と、そして怪獣たちの独特な造形ばかりが目から入って頭に残っていた。今見るときっと違う印象も抱くんだろうけれど、家にDVDとかはなく見ようにも見られない。

 僕より歳が上の特撮ファン、例えば庵野秀明さんなんかが「帰ってきたウルトラマン」を大好きなように、中学生から高校生、大学生や大人の人たちを引きつけるシナリオとはどんなものだったのか。改めて見て見たい気がする。特集上映とかあれば探して見に行こう。上原正三さんだとむしろ「宇宙鉄人キョーダイン」とか「宇宙刑事ギャバン」といったシリーズの方で、中高生になって深く接したかもしれないけれど、その時も脚本で深く見るってことをしてなかったからなあ。機会があれば見てみよう。子供のためにいっぱい書いてくれた偉大な脚本家に改めて敬礼。円谷プロも金城哲夫賞とともに上原正三賞を立ち上げよう。

 脚本家の吉野弘幸さんが発信していた情報からアニメーション監督の山口祐司さんの死去を知る。「星方天使エンジェルリンクス」とか「Fate/stay night」なんかを手がけていたことで個人的には作品をよく見てDVDを買ってもいた。「Fate」は後にユーフォーテーブル版が作られて圧倒的な作画力でもって評判となり、一方でスタジオディーン版の山口監督作品が低く見られることもあったけれど、TYPE−MOONのメンバーが作品にどっぷりと関わり、ストーリーもセイバールートに沿って作られていることもあって、作品的には極めて高感度の持てるものになっていた。主題歌に「disillusion」が使われていること、そのオープニングがとても格好いいこともあって、個人的にはエバーグリーンなアニメとして心に刻まれている。

 「エンジェルリンクス」は「星方武侠アウトロースター」の外伝めいた作品として扱われがちだけれど、主役の李美鳳とう少女のおっぱいが素晴らしい上に、その運命がとてももの悲しくって見ていくうちにどんどんと引きずり込まれてしまうのだった。最初のうちは発進ワンダバの工夫っぷりで評判を呼び、アウトロースターみたいな活劇性もあって楽しまれていたけれど、観終われば気持ちはとってもしんみりしてしまう。ちょっと前にTOHOシネマズ新宿で開かれたサンライズフェスティバルで上映されたっけ。もらったポストカードはどこに行ったかなあ。これもまた記憶に止めておきたい作品。それらを作っただけでも山口祐司さんは僕にとって偉大な監督だった。謹んでご冥福をお祈りします。

 東京オリンピックで使われるベッドが公表されて、段ボール製ということでいろいろと評判に。避難所の仮設ベッドなんかで段ボールが使われることはあるし、無印良品だっけ別の何かだっけかが段ボールを組み合わせて上にマットレスをのせて作るベッドを提案していたこともあった。強度的には十分で素材的にはリサイクルが効く段ボールは決して悪い素材ではなく、オリンピックの選手村のように一時的な場所で寝心地さえ確保されれば段ボール製であることはむしろ評価されるべきなのかもしれない。手がけたのもスポーツ選手が愛用するエアウィーヴを手がけている会社。だから寝心地だって保証されているんだろうけれど、いかんせん見てくれが段ボール過ぎるんだよなあ、横から見た時とか。蹴飛ばして凹んだり吹っ飛んだりしないんだろうか。それが心配。

 売ってたとえばマットレスも込みで1万円2万円とかだったら、学生さん向けとかでいっぱい売れそうな気もするけれど、どうもそんなに安くはできそうもないらしい。マットレスとか高いんだろう。たとえスポンジめいたものが剥き出しでも。オリンピック後は改修して避難所向けとかにするのかな。ロンドン五輪だと選手村の家具なんかを売り出したそうだけれど、値段は照明、ナイトテーブル、マットレス、シングルベッドからなる「選手の寝室」セット一式で99ポンド、当時で1万2000円くらいだったとか。誰が寝たかは気にしないなら結構お得。東京オリンピックのもこれくらいで売り出せば、5000セットくらい売って5000万円にはなるから良いんじゃないかなあ。買うかっていうと買っても部屋に置く場所がないんだけれど。実家向けになら買いたいかな。

 カルロス・ゴーン氏がレバノンで会見をしたそうで、日本から参加できたのがテレビ東京の記者だけだったとうのが日ごろから、ワールドビジネスサテライトなんかで経済報道に力を入れている局らしい展開。他の局が違うニュースをやっている時に、1社だけゴーン氏の中継をやっていたあたり、いつものと逆というかいつもどおりの独自路線をいっていたことも話題になっていた。とはいえいくら入り込めても内容にその犯罪性を打ち消すだけの説得力がなければ。なるほど人質司法的な日本の状況への批判はあって当然だけれど、それとは別に罪は罪として償わないと。そこのところの争いを避けてはやっぱり経済人として企業人として、浮くことはないんじゃないのかなあ。それで自由にさせては世界の企業家が許さないと思うけどなあ。どうなるか。


【1月8日】 戦争だ戦争だイラクがガゼム・ソレイマニ司令官の殺害に対する報復としてイラクにある米軍基地を攻撃したとかで、発表によれば米側に死者はいなかったそうだけれども対面を気にするトランプ大統領のことだから、撃ち込まれたなら撃ち返せと命令をしてまた撃ち返されてといった具合に泥沼になっていきそう。元よりソレイマニ暗殺だなんて選ぶべきではない極端な案を示したペンタゴンにトランプ大統領がまさかのゴーサインを出して始まったこの諍い。勝つまではやり続けると言って勝てないまま延々と続く戦争になっていきそうな気がしないでもない。

 始まればあとは国威発揚とそして権力の示威を目的として勝ったふりを延々と続けることになるから、引かず引けない状況の中で戦場は世界へと広がり米国の都市でテロが起こり支援国家にもテロが広がって混乱の中に世界を叩き込んでいきそう。日本だってしばらく前に閣議で中東に自衛隊を調査研究を名目に送り込むとか決定してしまっているから、その線に沿って行ったらやっぱり米国の手先と思われ攻撃を受け、そして日本国内にも攻撃が及ぶなんてこともあるのかな。

 目先にオリンピックだなんて重要イベントを控えているんだから、そういう不安を避ける意味でも中立の顔を見せておくのが政治で外交だけれど、アメリカにいい顔をしたい総理大臣がトップにいる国だけにそのまま続けて挙げ句にいったい何が起こる? そんな不安を抱えて迎える東京オリンピック。近寄らない方が良いかなあ。とりあえず行くのは女子サッカーの埼玉スタジアム2020での1回戦だけなんで、以後は実家へと引き上げてのんびりと嵐が過ぎ去るのを待つのが吉か。どうせ仕事なんてありゃあせんし。それは困るけど。うーむ。

 三鷹で国宝級アナログアニメーション映画の背景美術を整理する仕事をしてから青山で開かれた片渕須直監督と土居伸彰さんによるトークイベント「この世界の(さらにいくつもの)アニメーション」を最前列で見る。ゲンロンカフェのイベントだけれどいつも行く五反田とは違って舞台は青山のボルボのショールーム。オシャレ度が段違いで息が詰まりそうになる。東浩紀さんもワインを飲んで酔っ払ってないし。そんなイベントは、もっぱら海外のアニメーションについて語る内容で、とりあえず今はドキュメンタリー的なアニメーションが世界では潮流になっていることが示された。

 例えば「戦場でワルツを」であり「アナザー・デイ・オブ・ライフ」であり「FUNAN」であり「ブレッドウィナー」でありといった具合に、戦争だとか紛争だとかいったものの上で人間がどう生きているかが描かれたようなアニメーションが世界で作られている。別にアニメーションでやらなくても良い主題な気もするけれど、アニメーションにすることによってそこに普遍性が生まれ客観性が加わって問題を深くえぐって広く伝えられるような気もしないでもない。そうしたアニメーションが持つ特性を使い、主題を持って作られた作品が多くなっているってことなんだろう。

 あとは、作り手が作りたいテーマをちゃんと持っているっていうことも。片渕須直監督がフランスでワークショップを開いた時、そこに来た人が学生時代にクルド人の女子学生が戦場に戻りISと戦い煙の中に消える話を仲間たちと作ったとのこと。ファンタジーでもラブストーリーでもないシリアスでジャーナリスティックなドキュメンタリー的アニメーションが、卒業制作で作られるのは場所が欧州で各地から人が集まって来たから。そういう合議の中、外へと開いた作品が作るようになっている。だったら日本は? ドキュメンタリーアニメーションもあるけれど、それは個人の事情だったり内面の葛藤だったりと内に向かう。あるいは周辺に留まる。

 それも悪いことではないけれど、あまりに内面的で内省的なものが多い状況は、確実に世界から取り残されてしまっている。だからなんだろうか、海外のアニメーション映画祭に持っていっても最近は今ひとつ賑わいを見せない。女性性を前面に出した冠木佐和子さんなんかは評価されるけど、それはそうした文脈があるからなんだろう。アニメーションなんだから動きの凄さが評価されるかというと、そういう時代でもないんだろう。かといって日本のアニメーションの先生で、ジャーナリスティックにドキュメンタリー的な作品を作れと教える人がどrだけいるか。そういう問題でもあるのかもしれない。

 戦争を描けば即座にドキュメンタリーになる訳でもない。以前に「この世界の片隅に」を見た佐藤忠男さんから、なぜあの時代の若者は戦争に行ってしまったんだろう、その心理とか空気とか描いて欲しいとか言われたという片渕監督でも、果たして戦争を描かなくてはそういうことは描けないのかと考えていると話してた。想像するなら、いつの時代も空気が生まれ人は考え或いは流される、そんな空気感を描くことで今にも通じる普遍の主題を示せるんじゃないのかなあ。だから次は平安なのかなあ。

 これからもどんどんと海外の素晴らしいアニメーションが日本にやって来るそうで、土居さんが「戦場でワルツを」や「コングレス 未来会議」のアリ・フォルマン監督によるアンネの日記の続きめいた作品なんかを紹介していた。あとはあとは「ソング・オブ・ザ・シー」のトム・ムーア監督の次回作とか。これは2020年に公開されるらしいから期待。もう1本はなんだっただろう。そうした作品がどんどんと来る一方で、日本では商業主義的な上にテレビシリーズであり人気漫画が原作になったアニメーションの劇場版が大隆盛。それも悪い話ではないけれど、日本流に骨太なドキュメンタリー的に世をえぐるアニメーションが見てみたい。作れるのは誰? 今敏監督が存命だったらなあ。


【1月7日】 1万1000円で焼き肉食べ放題ならそれで1カ月分の食事を賄えるかもと小躍りしたけど焼き肉ばかりだと体にダメージも出そうだし、行ける店も限られているから自分には向かないと遠巻きに眺めていた牛角のサブスク焼き肉は、予約が殺到して対応しきれなくなったみたいで定額パスの発行が終了してしまったとのこと。音楽のダウンロードとかネットでの映像視聴だったらどれだけ相手がいようとサーバーさえ無事なら対応可能だけれど、リアルな店舗では来られる人数も限られるから難しい。せめてもうちょっと対象店舗を拡大してから実施すべきだったかも。近所で始まったらどうするかなあ。行けそうもないから買わないかなあ。

 月々1万1000円で食べ放題で行きたいところがあったとしたら松屋や吉野家といったチェーンかなあ、マクドナルドとかファーストキッチンといったファストフードだと飽きそうだから遠慮したいけど、1日2食をそこでまかなえば60食で1食分は166円でハンバーガーとコーヒーを100円づつで買うより安い。それでビッグマックとか食べられるなら是非に導入して欲しいものだけれど牛角以上に殺到しそうだからやらないだろう。いずれにしてもそれだけ食費を浮かせたいって人が多い現れ。つまりは貧乏が板について蒲鉾になりかけているってことでもある。喜べる話では実はないのかも。困ったねえ。

 美術手帖がアニメーションの特集をやっているということで購入。「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の片渕須直監督が巻頭でインタビューに答えていたり、「電脳コイル」の磯光雄監督が登場していたりと商業よりの話もあるけれど、どちらかといえばコーディネートを手がけた土居伸彰さんや高瀬康司さんの傾向からアートやインディペンデントな方向に傾いていた感じ。ドン・ハーツフェルトとか。久野洋子さん冠木佐和子さんとか。そんな中でも「Fate/Grand Order」のCMを手がけた監督作画監督撮影監督に聞いてそれぞれの仕事を紹介したコーナーは、デジタル時代にどうやって格好いいレイアウトを切り作画して撮影するかといったテクニカルな部分も学べて面白い。

 アニメーション制作会社でアーカイブの仕事を手伝っているけれど、そこはセル画こそなくなっているものの原画があって動画あって彩色から撮影を経て映像になるといった感じで、原画が入ったカット袋なんかが行き来していたりする。とはいえ撮影彩色編集なんかの部分はデジタルで行われているから、どういった作業工程になっていて、その過程をアーカイブするとなるとどいう方法があるのか、そもそもアーカイブ可能なのかが分からない。制作工程を知ることで、アニメーションが作られる途中の段階をどう記録していくか、それによって利活用を計れるかを検討できそうなんだけれど、いかんせん基礎知識が不足していて読んでもすぐには理解できない。読み込みつつ学んでいかないと未来のアーカイブには対応できないかも。頑張ろう。

 美術手帖では「ケムリクサ」のたつき監督が登場していろいろと話をしてくれていた。本人が登場するイベントとかよく行っていたし展示会で話したこともあるので、あの口調がそのまま再現されていないインタビューだとヌける感じがなくて生真面目になり過ぎちゃうんかと思わないでもないけれど、関西弁でも喋る内容は結構ハードで込み入っていたりもするので、ストレートな標準語による記事にしてしまうのも良いのかもしれない。「けものフレンズ」についてもちゃんと聞いてはいたけど図版はなし。しゃあないか。

 「けものフレンズ」については作品というより、その中身が当初に言われた、知能を下げてたーのしーと叫ぶことで見ていてホッとできるといった印象を持ちだし、磯光雄さんが言及していて、「なぜアニメを見るのか。なぜアニメを作るのか。楽しかったからだ」。という原点に回帰し、考え過ぎず楽しいものを作ろうとするこで、本当に楽しくなったと話している。たつき監督もirodoriも、別に知能を下げてはいないけれど、個々人が可能な範囲で頑張る意味での“楽しさ”があって、それが作品に現れている。もっと気楽に。そして明るく。そうやってアニメーション業界の風通しも良くなっていってくれれば良いんだけれど。

 菅野薫さん×真鍋大度さんの組み合わせといったら文化庁メディア芸術祭の常連だし、MIKIKOさんが加わるとPerfumeなんかのライブにおける仕掛けで随分と楽しませてくれた。そうした活動の延長としてリオデジャネイロ五輪での閉会式における日本への関心を誘う演出があって、そこから2020年、すなわち今年の東京オリンピックの開会式の総合演出に菅野薫さんが名前を連ねた。まあ当然かなあと思っていたら、パワハラによって辞任してしまったとのこと。もう半年くらいしかない今の時期、プランニングだって決まって準備だって始まっているだろう中、今後がどうなるかがとても気になる。

 MIKIKOさんは名前があった気がするけれど、真鍋大度さんは直接は名前がなかったから、もしかしたら外れていたのかそれともディレクションの部分で菅野さんのチームに参加していたのか。野村萬斎さんとも仕事をしている真鍋さんだけにおそらくは何か関わっているとは思うんだけれど、勧進元の菅野さんが退いて演出プランが大きく変わることがあったら果たしてどうなるか。というかこのタイミングでいなくなって大丈夫なのか。パワハラという個人的には大変に気にくわない、怒りを向けたくなる行為で退いた人に道場はしないけれど、すでに動いていた人たち、決まっていたプログラムが水泡に帰しては可哀想。そのあたり、どうなるのか、どうなってしまうのかを今は知りたい。Perfumeが出るのかも。BABYMETALが出たら凄いかな。


【1月6日】 長い休暇でも給料分に含まれている月給取りではない身で8日も休むとそれだけで数万円分の減収になる世知辛さを身をもって味わった年末年始がどうにか終わって仕事始めとなったので、はるばる三鷹まで出かけていって国宝級アナログアニメーション映画の背景美術なんかを整理する。小倉宏昌さんという方が担当された美術はそれはもう緻密だけれど、そうした背景を指定するレイアウトがまた緻密で細かい線で確かなパースでもって描かれたそれらを眺めているだけで、日本の作画のクオリティってものを強く感じさせられる。時々は人物も描かれているけれど、担当したのは誰なんだろう。やっぱり沖浦さん? 西尾さん? そういうところはちょっと疎い。

 そんな国宝級アナログアニメーソン映画が公開されて今年でちょうど20周年になる訳で、どこかで記念のイベントなり上映なり開かれないものかと思ったりしたけれど、今のところあんまり動いていないなあ。原画展とかは2年くらい前に渋谷にまだあったショップで開催されたという記憶。けれども背景美術となると今の今までああして眠っていたのだとしたら、取り出されて展示されたということはなさそうで、その緻密さを改めて感じてもらう機会があれば嬉しいかも。そういう未来のための作業と思えば気力もみなぎるけれど、対象が何しろ国宝級なだけに扱いもちょっと慎重に。汁とかこぼせないしなあ。こぼす汁もないけれど。ともあれ未来のための作業を淡々と。そうやって1日1日を積み重ねていくことで、自分も生きていけるのだから。

 2012年の衆議院選挙でどういう理由からか船橋市に事務所を構えて当時の総理大臣、野田佳彦議員の選挙区で立候補をした時に、駅前で演説している姿を見かけたり近所にあった選挙事務所の前でインタビューに答えていた姿を見かけたりした三宅雪子さん。群馬県から離れて何の地盤もない千葉4区で立候補をして、長く基盤を固めていた野田総理に勝てるはずもないし比例区からの復活だって怪しかったのに、所属していた党の小沢一郎代表に“刺客”扱いされて断ることも出来なかったんだろうなあ。というか、民主党に残っていればまだ浮く芽もあったかもしれないけれど、元が小沢ガールズと呼ばれる女性候補の1人としての登用だったこともあり、離党分党には着いていくしかなかったんだろう。

 その後も参院選に出てはやっぱり党の基盤の弱さから落選。議員でなくなってからは7年くらいを過ごしてきた訳だけれど、その間に元いたフジテレビに復職はせずルポライターとかいった活動もしていたみたいだけれど派手さはなく、そして年明けの2日に東京湾で入水自殺していたことが判明。どうにも寂しい道行きに数度でも見かけたことがある人としてお悔やみを言いたい気になった。旦那さんだっていただろうし父親は外交官で祖父は労働大臣とか官房長官とか歴任した政治家。銀の匙だってくわえていたような人がどうしてこんな最後を迎えるのか。路頭にだって迷ってないのに。そこにきっと色々なことがあったんだろう。

 自民党に対するシビアな視線なんかに共感することも時々あって、自民党べったりな女性政治家たちに挑めるタマとして今後の活躍に期待することもあったりもしたけれど、当選しなければ同じ土俵に立つことすら困難。そうした状況にあるいは絶望したのか。しばらく前からネット界隈でいろいろあったみたいだし、迷うことも多かったんだろう。でも生きていてこそ咲く花もある訳で、もうちょっと頑張って欲しかった。学年は1つ上だけれど同じ歳なだけにいろいろと気になるその生涯。底辺でうごめく有象無象な身ではあるけれど、せめてもうちょっとだけしつこく生にしがみついていよう。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 新宿駅の南口にある歩道橋で前に焼身自殺しようとした人がいたけれど、今度は本当に首を括った人が出たそうでおおごとおおとご。衆人環視の中で決行して誰も止めなかったのかと思われそうだけれど、何かやっている感じの人に声を掛けるのって勇気がいるからなあ。せめて警官を呼ぶくらいだけれどその間に飛ばれてしまっては間に合わない。今回もそうだったのかも。物騒な世の中。ネットにきっと即座に写真もあがったんだろうけれど、リアルタイムで見られない環境だったので目にはしないですんだのが幸い。写真週刊誌が全盛だったら金曜日くらいの号でいっぱい写真も出ただろうけれど。ネットは拡散するけどプラットフォームを選べば目にはせずに済む。そこは能動的に向かうメディアのありがたさ、かも。

 舞浜にあるホテルのレストランがメニューにアレルゲンの表記をしておらず、それを食べた人が大変な状況に陥ったことをネットで報告。ちょっぴり炎上気味になっていたけれども人の命に関わることも少なくないアレルギーの問題だけに、ホテル側でも急ぎ対処をしなくちゃと考えたようでお詫びの告知が出されていた。アレルゲンを持たない身ではあまり気にならないことだけれど、エビでも卵でも蕎麦でも酷い人は本当に酷い反応が出るのがアレルギー。学校の給食で誤って食べてしまって亡くなる児童もいたりする問題にも関わらず、初動でのレストラン側の反応が鈍かったのが気に掛かる。クレーマーだと思われたのかなあ。あるいは鈍感なだけだったとか。ホテル側は評判が経営の生き死にに関わるから反応も早かった。これを先途として改善が進むことを期待。


【1月5日】 青山学院大学の2年ぶり5度目の優勝で終わった箱根駅伝。チームを率いた原監督は以前から箱根駅伝の改革を訴えていて、関東ローカルの大会ではなく全国区にしてもっと盛り上げるべきだとも話していたけれど、関東学生陸上競技連盟と読売新聞社と日本テレビのドル箱コンテンツとなっている上に、関東の大学の入学希望者&陸上部入部希望者への宣伝場ともなっているだけに、優勝チームの監督がどれだけ訴えようと変わる気配はまるで見せない。今でさえ全国放送があって視聴率も高く沿道に大勢の観客が来ているのに、何を改める必要があるの? っていったところだろう。全国を盛り上げたいなら全日本大学駅伝を盛り上げなさい、ってことでもあるんだろう。

 そんな原監督が、今度は新しくなった国立競技場をゴール地点にしてパブリックビューイングも行えるようにすれば観客だっていっぱい入るし学生だって国立を走れて嬉しいんじゃないか、って訴えている。とはいえ今の関東ローカルで新聞社が共催しているような大会を、国立競技場で開かせて良いのかって話にもなりかねない。原監督はそうしたアピールとともに箱根駅伝、そして学生陸上、ひいては陸上競技そのものをもっと集客できるイベントにしたいって頭なんだろうけれど、その前にやらなきゃいけないことがいっぱいあって動きそうもない。そもそも国立競技場は世界陸上が開けないスタジアムなんだってこともあるし。

 陸上の全日本選手権だってかつては国立競技場で開かれていたけれど、あの室伏広治選手がハンマーを投げていたって観客席に人はまばらだった訳で、そんな室伏選手が引退して誰を目当てに観に来るのか、って話にもなっている。100メートルで10秒を切る選手がいっぱい出て来てはいるし、走り幅跳びとか綺麗な選手もいっぱいいるから眺めていれば楽しいけれど、それで5万人が集まるかっていうと……。だからこそ最大規模の集客を誇る箱根駅伝を全国大会にして全国が注目して国立に5万人が集まり出迎えるイベントにしたい、って気持ちもあるんだろう。

 そうした改革案を受け入れる下地は、残念ながらしばらくはなさそう。為末大さんが訴えていたように、箱根駅伝の収支すら明らかにされていない状況で一気に改善が進むとはとても考えられない。華のマラソンすら札幌に奪われしょぼしょぼな東京オリンピック後に、急速に薄れるだろう陸上を含むスポーツへの関心を、下支えしてテコ入れするためにも必要なことを文部科学省も陸上関係者も考えないと。いっそだったらサイボーグ化OKの超人陸上とか開いたら? 5秒で100メートルを走る怪物とか、見たいよねえ。

 広島国際アニメーションフェスティバルというと、アヌシー、ザグレブ、オタワと並ぶ世界4大アニメーション映画祭という位置づけで、ここでの受賞はアニメーション作家にとって誇れるものだという認識だったのだけれど、近年どうにもその存在感が低下しているというか、広島で受賞したからといってどうなんだといった印象が漂うくらいに存在感が薄れている。これは拙いと立て直しを図るため、総合芸術祭的なものに向かう可能性が示唆されたと、中国新聞が伝えてアニメーションビジネスジャーナルが分析を入れている。

 「報道によれば、2022年度を目途に、これまでの短編アニメーション中心から映画やマンガ、メディアアートに対象を広げた芸術祭に衣替えすることを想定している。さらに音楽イベントを同時開催し、連携する構想もあるとする。主催や関係機関からの公式な発表はなく、どの程度具体化しているかは現時点では明らかでない」。これだと文化庁メディア芸術祭に近い感じ。でもそれなら文化庁メディア芸術祭がある訳で、広島がそれに近づこうったって広島という場所でやる”意味”って何って話になる。広島国際映画祭との統合とかやる気なのかなあ。

 文化庁メディア芸術祭に向かうか、東京アニメアワードフェスティバルに寄せるか、新千歳空港国際アニメーション映画祭に近づけるか。いずれにしても広島の独自性というのは薄まるのだけれど、そもそも今の広島の独自性というのが良く分かっていないのです。世界4大アニメーション映画祭の1角だということ以外。何なのか。そこが気になる。ここの挙げた上げたイベントだと、後発だけあって新千歳のバランスが絶妙で、アートあり商業ありインターナショナルありドメスティックありで納得のセレクトとアワードになっている印象。広島がそっちに寄せても仕方ないならアートで尖れば良いかというと今は表現でも座組でもアートとコマーシャルの垣根が低くなって混沌としている。

 アート性があってもジャーナリスティックでなおかつコマーシャリズムも持ったエンターテインメント、なんてものもあり得る。そうした時代にアートを突き詰める意味って? そもそもアートアニメーションって? それでお客も呼べないし。とてつもない名誉があるっていうなら別だけど、そこまでの存在になり得ているか。カナダ国立映画制作庁がバックについてアニメーション作家を育て続けたカナダみたいな施策をとってこそアニメーションの街としての強みが得られるのなら、それだけの下地作りを行って欲しいなあと思うのだった。しないだろうけれど。できなのかもしれないし。気にしていこう。

 アニメーションで街おこしといえば名古屋市が、名駅にしから伸びる未知を「アニメロード」とか名付けてアニメーション関連の立像なんかを並べるとかどうとか言い始めていて、地域にゆかりのアニメーションなんてないじゃんと突っ込まれている。いやいやあるでしょうというのが僕の意見。たとえば「信長の忍び」は織田信長が出てる。「戦国コレクション」も織田信長が出ている。「戦国BASARA」も織田信長が出ている。「戦国乙女〜桃色パラドックス〜」も織田信長が出ている。「織田信奈の野望」には織田信長っぽいのが出ている。名古屋が誇る三大英傑の1人が出ているならそれはもう立派にご当地アニメ。その登場キャラクターを並べればいいのだ、って全部織田信長(一部織田信奈)かよ。せめてひとつは柴田勝家に。「織田信奈の野望」版の。


【1月4日】 いろいろと去来するものがあって起きられそうになかったのは、気温が下がって曇天になったからかもしれないと思いつつそれでも用事があるからと起き出して、ロフトプラスワンで開かれたアニメスタイルのイベント「『この片隅に』へと至る道(4)』へと行く。最近は阿佐谷ロフトAにばかり通っていたけれど、歌舞伎町の本家には先月のオービタルクリスマスに続いての来訪。それなりな広さを誇っていてやっぱり見やすく居心地が良い。メニューでは新しいタコさんウインナー揚げがお気に入り。片渕須直監督はコーラフロートを頼んでいた。甘いのがお好き?

 イベントではもちろん「マイマイ新子と千年の魔法」から「この世界への片隅に」へと至る過程での困難さなんかも語られたけれど、興味を引かれたのは「アリーテ姫」の背景美術がとても独特だったという話。聞くと色とか女流画家の日本画展とか見てその色を覚えて再現しそうで、セル画の色指定もあらかじめ行わないで、背景に重ねて置いた時にどういった感じに見えるかで決めていったとか。だからテカテカとせず浮き上がらないでマッチしたあ世界観が出来たのかもしれない。

 そんな「アリーテ姫」で興行の際にどこにターゲットを決めて宣伝するかといった難しさを感じたのが、後のこうしたイベントを開いて積極的に情報を提供し、関心を持ってくれる人を増やそうとするきっかけになったとか。何しろ封切りは東京都写真美術館とシネ・リーブル池袋だけ。僕は試写を見て日本工業新聞でレビューを書いて東京都写真美術館で見てDVDも買ったけど、ヒットはしなかったからなあ。Blu−rayにもその後ににはならず上映も35ミリフィルムが中心。HD化ってされてないのかなあ。それとも難しいのか。

 イベントでは拡大作画ならぬ圧縮作画というか、写真的背景にしないようにしたらしくサイズも2L版の写真といったところ。それであの緻密さが出るんだからやっぱり凄いアニメーション映画だったんだなあ。一方、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の公開に合わせて絵コンテ集も出たけれど、初稿とかまだ入ってないものもあるらしい。小黒祐一郎さんはそうしたものも後の研究のために出しておいた方が良いでしょうと話していた。

 出版といわずともプリントいたものを製本して公共の図書館に入れるとか? でもオンデマンドだと印刷と違って長持ちしないんだっけ? そういうのをアーカイブで学ぶことによってアニメーションにまつわる制作過程の企画とか、没企画とかも含めてクリエイターの”すべて”を記録できる。片渕須直監督も黒澤明監督の遺稿があってそれを元にした映画を作るって話があったらしい。あと山本弘さん原作の「MM9」のアニメーション。こちらは「BLACK LAGOON」のOVAを手がけたことでお蔵入りになってしまった。

 ちょっと前に出た本にシナリオが載ったけれど、それも含めて片渕須直監督のPCに入っている資料なりデータをどこかに保存しておくことで、後にあらゆる検証が可能になるとアーカイブ的に思うのだった。個人的な資料が多いし、企画では別に権利があって公開できないものもあるだろうけれど、そうした公開や共用が難しいからといって、捨ててしまっては勿体ないし捨ててはあったことが消えてしまう。個人のクリエイターの軌跡であり、日本のアニメーション産業の歴史でもあるそうした没企画も含めて総合的にアーカイブができること、しなくてはらないことを考えていかないと。

 そんなロフトプラスワンが時間通りに終わったので、10分後に始まる「僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ヒーローズ:ライジング」を見にTOHOシネマズ新宿へ。なかなか巧妙な設定で雄英高校のヒーロー科1年A組が南の島にこぞって渡る状況を作り出し、そこを強力なヴィランに襲わせ生徒たちだけで対処させようとする展開に。えっと前のもそうだったっけ。でもオールマイトと共闘してたから今回はさらに過酷な条件が突きつけられていた。

 相手は9つの能力を駆使するヴィラン。世界を力で制覇するとかいって仲間を募りつつ、自分の能力を維持するために必要な能力を奪うために南の島へとやって来る。そこでは雄英の生徒たちが臨時ヒーローとして事務所を開いては海水浴場を警備し迷子を捜し野菜の収穫を手伝いしバッテリーを充電しといった具合に能力を使っていろいろ役に経っている。

 ヴィランなんて現れない島で平和なヒーロー活動。それがナインの襲来で一変する。強大な相手に雄英の生徒たちではまるでかなわず。爆豪の活躍でどうにか1人は捕らえられたものの他の面々が爆豪も出久も圧倒。それでも途中で訳あって引き上げその間に、雄英の生徒たちは作戦を練って敵を迎え撃とうとする。

 様々な異能を組み合わせて集団で敵を倒す展開は、すなわちそれぞれの生徒にしっかり見せ場を用意することに繋がる。そうした組み合わせがパズルの解答を見ているようでなかなか楽しい。それでもやっぱり強い相手に吹き飛ばされても、どうにか最後にはきっとなるだろうというヒーロー物に必須のラストを期待して、だったらいったいどうするんだというワクワク感を盛って最後まで見て行ける。オールスターキャストにして群像劇にしてヒーロー劇だ。

 見どころは僕はぽよぽよっとした麗お茶子ちゃんのヒーロースーツと八百万百の胸が開いたヒーロースーツ。蛙吹梅雨ちゃんは水中で頑張ったものの相手にしのがれ役立たずかと思ったら! そんな技が使えるなんて怖いよう。さすがは蛙っぽいことならだいたいできる能力だ。あの結末でその先どうなるのって心配したかというとそれでは話が続かないから、どういう理屈をつけるかが興味のポイントだったけれどそういう理屈か。なるほどイベントムービー的。でもいつかそういう時も来る? いつか訪れる次代への継承の時に出久がどこまで昇っているか、そしてどこへと向かおうとするかを見守りたい。それまで何年かけるか知らないけれど。10年かなあ。20年かなあ。


【1月3日】 実家に帰省した時の延長で、部屋にいたら寝続けてしまうので、しばらく前にEJアニメシアターで「僕らの7日間戦争」を見た時にTCGカードメンバーズ会員にもなったことだし、9時50分からのテアトル新宿での「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を会員料金で予約して、そして朝ちゃんと起きて総武線で新宿まで出て劇場にたどり着いて前回同様に最前列で見る。ポストカードの配布は終わってた。今回は途中にトイレ休憩を挟みつつ、観終わってやっぱり前とは違う映画になっているってことを感じ取る。

 すずさんという女性を軸にしてその心の内奥に迫りつつ、周作さんの心にも径子さんの心にも迫るといった感じ。ただリンさんだけはその心理が読めないけれども周作がすずさんんお夫と聞かされた時、黙っていたのは知らん顔されたことへの反撃だったのか、それとも知らん顔をしたかったのかは判断に迷った。女性の、人の心はやっぱり簡単には読めないものなのです。

 そのまま帰ったらやっぱり寝てしまいそうだったんで、交差点の地下にあるファーストキッチンで「SPY & FAMILY」の感想なんかを考える。偽装家族、血のつながりがない家族の物語なら過去にも数々あったりするし、平凡なサラリーマンや普通の主婦に見えて、実は凄腕のスパイだったり傭兵だったりする話も過去に数々あったりするけれど、スパイであり殺し屋でありながら、それぞれが素性を明かさず目的も異なっているにも関わらず、家族として暮らし始める話は珍しいかもしれない。

 なおかつスパイはその国を脅かそうとする存在で、殺し屋はそうした脅威を排除する側にいる。知られたら血で血を洗うような殺し合いが始まっても不思議ではない関係が、まとまっているのは間にひとりの少女がいるからだ。名をアーニャ。そして人の心が読める超能力者。父親のロイド・フォージャーが“黄昏”と呼ばれるスパイであることも、母親になったヨルが“いばら姫”とあだ名される殺し屋であることも、2人の心を読んで知っている。

 けれどもまだ幼く、捨てられることが怖く、何よりスパイや殺し屋といった存在に強い好奇心を抱いていることから騒ぐことなく逃げることもなく、2人の娘として振る舞っている。どうしてそんな家族ができたのか。ロイドが東国に潜入したのは、政治家で一党を率いるドノバン・デズモンドに接触するため。用心深いドノバンに合うには、名門イーデン校で行われる式典に、ドノバンが息子のダミアンを見に来る場に居合わせなくてはならない。そのためには自分のこどもをイーデン校の生徒にしてなくてはならない。

 ロイドは東国で養子を探し、妻を娶う必要があっていろいろと探した結果、超能力者のアーニャが娘となり、殺し屋のヨルが妻となった。いずれもそうとは知らず。そんな、誰もが素性を隠してひとつの目的のために協力し、家族を演じるうちにだんだんとアーニャに対する愛情や、ヨルなりロイドなりへの関心も高まって、家族のように見えていく展開が、遠藤達哉の「SPY&FAMILY」のひとつの読みどころ。それから、スパイの技能をイーデン校に入るために惜しげも無く注ぐロイドや、ヨルがピンチに見せる凄まじいアクションなんかも見どころだ。

 外務省に勤めていると思われたヨルの弟が実は……といった描写も挟まり、ロイドの正体、ヨルの本業がいつ露見するかといったスリルがあり、また本来の目的であるドノバンとの接触のために、アーニャが式典に参加できるだけの成績がとれるかを見ていくワクワク感もあってこの先、どんな広がりがあるかを期待してしまう。すべての事が終わったあとにロイドとヨルとアーニャは本当の家族になれるのか。そもそも家族とは何なのか。そんな問いへの答えをいつか知りたい。

 そして新宿バルト9で劇場版「新幹線変形ロボ シンカリオン 未来からきた神速のALFA−X」を見る。テレビシリーズはほとんど見ておらずエヴァ登場のあたりだけ見たくらい。何となく設定は知っている程度だったけれども関係者大集合的な展開の中に、あれを混ぜこれを起きつつ過去と未来が繋がる物語を入れ、好きなものを好きであり続ける大切さめいたものを感じさせてくれる映画になっていた。

 設定としてはある意味でSF的。考えを突き詰めるといろいろ不思議なところもあるけれど、そうしたことはどうでも良くってかつての敵も含めて力を合わせて戦い地球の平和を守るストーリーに興奮。すべてが解決して得られた感動に身の迷いなんかも吹き飛び、アニメーションって良いなあと思いそれに端っこでも関わっていられる幸せを感じた。これを継続し膨らませることで頑張っていけそうな気も。そのために出来ることをやろう。

 というか予告編で流れたデジモン新作映画「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆」でかかった和田浩司さん「Butter−Fly」にジンとして、過去のアニメ作品なりアニメソングでも今に語り継がれ歌い継がれ見られ続けるための何かを、しているんだなあと考えた。この情報が速く流れ埋もれてしまう状況でも、刻んでいくことでいつか取りざたされる時が来る。そう信じて頑張ろう。


【1月2日】 12月29日の夜に名古屋の実家に帰ってから、家を出たのが元旦の初詣くらいであとはずっと部屋にこもって寝ているか、ネットを見ているがゲームアプリで遊んでいるかテレビを見ているかといった感じで1月2日の夕方に、実家を出るまでを過ごす。その間に使ったお金はお賽銭に出した300円。食も住も実家だから支払い無用という状況が、年末年始だけならまだ普通だけれどこれが実家に戻って職にも就かず、引きこもったままずっと続くとそれはもう“こども部屋おじいさん”の域すら超えそう。

 とはいえ、名古屋の実家から仕事に行くにしても果たして行き先があるかどうか。警備員とかタクシードライバーとか店員とかならあるだろうし、就けばそれなりに順応してしまいそうな気はするけれど、だったらまだ東京(千葉だけど)にいてアニメアーカイブの仕事を手伝いつつ、ライター仕事をしていた方が個人としては実があるような気がする。そういった選択を改めて思いつつも果たしていつまでそうした仕事が続けられるのかという不安こまだあって、寝ていてもずっと悶々としていた。

 たぶん3月くらいまでは大丈夫のような気がするけれど、その先にまた1年とか置いてもらえるのかどうなのか、というあたりを考えた時に次を探さなくっちゃいけなくなる可能性もあるけど、やっていることの重要性も分かってきたし、業務にも慣れてきて面白さも見えてきたこともあって、まだしばらくは修行を兼ねつつ関わっていきたいところ。一方でライター仕事も広げていきたい気があって、それに重心を傾けるとアーカイブの仕事がおろそかになりやしないかという心配もある。相変わらずどっちつかず。とはいえ少なくともあと数ヶ月は、やらなきゃいけないこともあるのでそれを精一杯にして目一杯、頑張って少しでも勘所を掴んで次に向かうための糧にしたい。来週からは最後のアナログアニメ映画の資料整理だ。

 本当だったら帰郷した翌日くらいに伏見のミリオン座で「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を見てから、立ち寄って眺めようとも思っていたけど家から出る気力を失ったままズルズルと伸びてしまった矢場町というか上前津というか大須といったあたりに建つ、矢場とん本店の横にしつらえられたモニターで上映されている企業アニメーション「大須のぶーちゃん」の視聴。せっかくだからと帰京(千葉だってば)するついでに立ち寄って、普通のCMなんかをながめたあとに上映されたものを見て驚いた。本格的じゃないか。

 最初はどれほどのものか、どうせ短いCM程度のものじゃないのかと勝手に思い込んでいたけれど、尺もそれなりにあってストーリーもしっかりあって、アクションもあるしキャラクターも立ってるし大須の宣伝にもなってるし、何より矢場とんのピーアールにつながっている。街を歩いている女子高生だかがナンパで困っていたのを助けたお姉さん。赤い顔の怖そうな男2人を引き連れた彼女の正体は、ってところから助けたお礼にと矢場とんでごちそうになっていたところ、もらったお札が盗まれてしまって大慌てで盗んだやつを追いかける。

 そして明らかになった真実とは? 怪しくっても誰も悪者がいない展開に嬉しくなりつつ、ギャルなお姉さんの楽しさ美しさに見惚れる。監督は加藤道哉さんでキャラクターデザインは「おそ松さん」の浅野直之さん。声優陣がとにかく豪華で、ぶーちゃん訳に落合福嗣さんがいて戸松遙さん諏訪彩花さん櫻井孝宏さん小山茉美さん沢城みゆきさんと主役級が並んでそれを長崎行男さんが音響監督としてまとめあげている。そのままパッケージにしたっていけそうだし、YouTubeで流せば100万アクセスだっていけそうなところを、当地に行って見るしかない状況においているところにひとつのこだわりがある。まずは来てみてちょ、って感じ。その価値はあった。

 アニメによる企業CMといえばローソンも、「つみきのいえ」の加藤久仁生さんを起用してスタジオジブリが手がけたCMを流し始めていて、強い食いつきを得ている感じ。普通のCMだってすごいのはすごいんだけれど、アニメにすると何度も見たくなるっていう性質があるんだろうか、あるいは優しさとか楽しさを表現できるんだろうか、最近はまた増えてきた感じ。ストップモーションとかアート系とかいったアニメーションのCMならそれこそ大昔からあったけどアニメ的なアニメCMの全盛は、ネットを介していつでも見られる状況、情報が拡散する性質にマッチしたものなのかもしれない。それでも現地視聴にこだわる矢場とん。どうしてなのか聞いてみたいなあ。今度帰郷したら取材申し込むかなあ。

 宣伝といえば西武・そごうがショートセンテンスの言葉を上から順に並べてひとつのストーリーを語って、それが困難なことにぶち当たったらあきらめるのが吉だっていう内容になっているけれど、これを最後の行から上へと読んでいくと、まったく逆の意味になって困難なことでも挑んで突破していこうっていう内容になる。つけられたコピーが「さあ、ひくり返そう」。関取をキャラクターにしているのも、土俵際からの大逆転、そして相手をひっくり返して勝つ競技の内容を踏まえてのものだろう。そういう意味ではまとまっている。

 ただ、この手法ってすでに前例があってちょっと前にネットで水木ナオさんがこちらは縦書きで左右から読むとそれぞれに反対の意味になる文章を発表して話題になた。それ以前にもライトノベルで同様の試みが行われていた様子。だから決して発明ではなく画期的だとかいった賞賛の仕方はちょっと違っているけれど、そうした手法を活用しつつ今に必要なメッセージを作り上げ、CMという形で展開して強く印象づけるというのは正しいやり方。関取を添えてのクリエイティブもとても良いものに仕上がっている。だからここは利活用の妙を讃えて2020年代最初のベストCMに押したい。ローソンもかな。加藤久仁生さんをちゃんと活用しているという意味で。アカデミー賞を取ったクリエイターでもこういう機会じゃないと世に見えないというこの国の不遇を思いつつ。


【1月1日】 RADWIMPSが出演した場面でいったいどれだけ特別な映像が流れるのかと期待したけど、映画の部分が繋がれた程度だった紅白歌合戦。それでも1曲だけじゃなく数曲をつないで歌うところに昔のNHKでは考えられない演出があって面白かった。必要なら別のスタジオを用意するというのもあり。竹内まりあさんも別のスタジオでひとりで立って歌ってて、バックのバンドを見せなかった。そこに山下達郎さんがいたかは分からないし、ストリングスだったからいなかった可能性が大だけれど室内に映し出された写真に1枚、達郎さんとたぶん大滝詠一さんが写ったのがあって竹内まりあさんの夫と師匠への思いが感じられた。そんな大晦日から。

 明けて1月1日。帰省して始めて外に出て近所の針名神社と秋葉山へと初詣に向かう。おみくじは買わず。買っても運勢なんて当てにならないってよく分かっているから。針名神社は昔と違って綺麗になって参拝の人も多く賑やか。本殿以外のお社もいろいろあって中でもお稲荷さんが大きめに作り直されていた。幾つもあるからそれぞれにお賽銭をあげていると結構な額になりそう。そうやって集めることで収入が増えるなら神社もいろいろなお社を置いておきたくなるもの、なのかなあ。秋葉山は大昔に作られた土俵が取り払われて上に休憩所が出来ていた。小学生の頃に相撲大会が開かれたっけ。その後は相撲部屋が名古屋場所の時に拠点にすることもあたけど、最近は使われていなかったから仕方が無い。時は流れる。

 帰宅しても出かけず寝たりテレビを見たり。もしも会社を辞めておらず気分に余裕があったなら、きっと行っただろう新しい国立競技場で初の天皇杯サッカーはヴィッセル神戸と鹿島アントラーズとの試合になって、こういう時は試合巧者の鹿島に分があるものかと思ったら神戸がイニエスタ選手を中心にしてパスサッカーを繰り広げては鹿島のゴールに迫って2点を奪い、そのまま最後まで逃げ切って初のタイトルを獲得した。そうかリーグ優勝もナビスコ杯(今はルヴァン杯)もとってなかったか。イニエスタ選手とポドルスキ選手、そしてヴィジャ選手が出場するというだけでも現場で見る価値があったと今にして悔やむけれど仕方が無い。来年は気分をしっかり整え状況に適応をしつつ新国立競技場に足を運んでJ1昇格が決まったジェフユナイテッド市原・千葉が天皇杯を掲げる姿を見に行こう。夢過ぎる。

 小山茉美さんも結婚してたし三石琴乃さんだって子供がいるって知ってたけれど、それでも声優さんとして応援をしてキャラクターはキャラクターで普通に好きだった時代を知っているだけに、アイドル的な人気を持った女性声優さんたちがこの年末年始に続々と入籍を発表し、それにいろいろな反響が起こることがなかなか不思議というか。もちろん一時のように入籍すら発表しづらい状況があったことを思うと、昔のように戻ったとも言えてそれはそれで嬉しい状況ではあるけれど、結婚によって現実を見せられ結婚できないファンが愕然とするといった構図は過去にはあまりなかったもので、それだけオタクが普遍化しつつも未婚もやっぱり広がっている社会の状況が感じられた。勇気を与えられるとしたら、あの人気女性声優が遂にという時か。誰かは怖くて言えません。

 本屋の蜃気楼と化して、なかなか店頭で見かけず手に取れないまま読めてなかった井上悠宇さん「やさしい魔女の救い方」(LINE文庫)をやっと読む。なんだとっても面白いじゃないか。魔法を使える魔女がいる世界で、魔女の女子高生が魔法で犯したという罪を裁く魔女裁判にかけられそうになる。弁護士役をかって出たのは、親が法曹の人で子供の時から六法全書が大好きだったことでベンゴシと呼ばれている男子高校生。まずは魔女のティナが満点を取ったのは魔法でカンニングしたからではないかという容疑に挑む。

 魔法といっても万能ではなく、にらめば答えが湧いてくるものではない。カンニングのためのロジックが必要で、誰かの考えを読むとか、遠くの答案を透視するとか、事前に魔法で教員室なりに入り込んで盗み読む必要がある。ベンゴシたちはあらかじめそうした可能性を潰し、それでも全教科で満点を取れるかに挑戦させ、ティナにかかった疑いをこれもロジカルに晴らそうとする。そうした思考の過程と、無実の証明が法廷が舞台のミステリといった雰囲気を感じさせる。条件は独特だけれど。

 もっとも、次ぎにかかった容疑がなかなか絶体絶命敵。新進の一年生投手が三年生エースに殴りかかったのをティナが止めようとしたら一年生の腕が折れてしまった。ベンゴシは、現実に起こっている事象の何が原因か、本当は何が起こっているかを材料から類推し、証拠として有用にしつつ魔女裁判に臨むことになる。そこでも繰り広げられる丁々発止は、まさしく法廷ミステリ。なおかつその先で繰り広げられる問答めいたものがとても心に響く。

 一度かけられたら絶対に有罪にしなくてはいけないのが魔女裁判の暗黙のルール。そうでなければ魔女裁判の“正当性”が疑われ、魔女への不安が渦巻くようになってしまうから。ある意味で自己防衛に近いそうした状況に対し、ベンゴシは高らかに訴える。日々、優しさをふりまいていたティナの姿を紹介し、魔女とは何のために存在しているのかと集まった魔女たちに問いかけ、魔法は何のためにあるのかと訴えるベンゴシ言葉に魔女でなくても感動するだろう。その先、繰り広げられた光景にもしかしたら、彼は誰かの掌の上で躍らされていたのかもと思えたりもする。シリーズ化されて欲しいけれど、それには緑の文庫が続く必要があるからなあ。大丈夫だろうか。

 そんなこんなで、初めて会社員とは違った身分で迎えた新年にいろいろと思って頭がグルグルとしたけれど、結局は考えすぎだとは分かっていつつもまだしばらく考える日々が続きそう。とりあえずあけましておめでとうございます。昨年は浅慮によって迷っていたところを、諸所より頂いたご厚情によって行き場を得られ生き延びられました。本年は気を取り直し、足下を固めて改めて、これからのことを考えていきたく思います。よろしくお願い申し上げます。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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