Last Updated 2020/8/11
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
【8月11日】 騒いで威力業務妨害とかで逮捕されても、それを勲章にして自分をアピールするようなコロナフェスの主催者とは立場も危険度も違うから、周庭さんはしっかりと7月1日以降は運動も控え、言動にも注意して過ごしていたと思うんだけれど、それでも外国勢力と結託して、中国の安全に危害を加えたといった容疑から逮捕されてしまうのだから、もはや香港では何の活動もできなくなったと言えそう。

  たとえば外国のメディアに出て、自由が抑圧されているから助けて欲しいと訴えたら、それを受けて国連が制裁だなんて話になっていく可能性を勘案し、国家を脅かすアピールだったととらえて逮捕されるといった感じ。それこそ特高が共産主義者を弾圧した時なみというか、もっと遡って徳川幕府がキリシタンを大弾圧した時のような空気が流れているような感じもしないでもない。

 どこまでなら許されるのかをためそうにも、捕まったらどこかへ連れていかれてそのまま何年何十年と軟禁されてしまったらもう大変。命があって消息がつかめるならまだいいけれど、一切の姿が確認できなくなったなんてこと、あるかもしれないと思うともう身動きがとれない。そのために名のある人たちを最初にパクったんだろうけれど、それに対して世界が何かできるかというと、できそうのないのがつらいなあ。早くに脱出って手はなかったか。それをしたくない、香港で頑張ると言っていただけに悔やまれる。あるいはさくっと開放して、言論の自由はまだあるよと見せる材料にされるとか? 中身がいっしょとは限らなかったりしたらそれはそれで怖い話になるけれど。

 文庫版3部作の解説を全部書くという珍しい体験をした越谷オサムさんの小説「いとみち」がついに映画化。青森のメイドカフェという少し変わった場所に高校生の相馬いとがメイドとして勤め始めるけれど、「お帰りなさいませ、ご主人様」が言えず「おけえりなせえまし、ごスずん様」になってしまうような所から、頑張って働いて得意の津軽三味線を披露するようになって、だんだんと周囲に認められ自分に自信をつけていく、といったストーリー。

 第2部では後輩ができてそして第3部では受験といった人生の階段に挑む展開があるけれど、映画ではどこまで描かれるのか。気になった。相馬いとを演じる主演の駒井蓮さんは何と青森県出身で、Youtubeに上がっている映像をみたらネイティブに津軽弁をしゃべっていた。これならもう大丈夫。監督の横浜聡子さんも青森出身と完璧な布陣なだけに、映画としてとても良いものに仕上がりそう。見に行きたい。

 気になるのは津軽弁が濃すぎて何を言っているのか分からないおばあちゃんを誰が演じるのかってところ。とりわけ第3部のあのシーンは実現されて欲しいけれど、実写では無理かもしれないなあ。だから次はアニメ化を願いたい。しかしサンスポ、記事にしてくれたのは良いけれど、「駒井は劇中、メイド姿で「お帰りなさいませ、ご主人様〜」と甘え声を出す一方、主人公の特技である津軽三味線も披露」って書いていてこれは記者の人、原作読んだことないだろうって強く思った。冒頭からいとがそういった華麗な言葉を話せず、臆しながら「おけえりなせえまし、ごスずん様」と言うから萌えるんだ。そういう作品の最大ポイントを思いっきり外したサンスポには、完成まで大きく扱い続けろと言っておこう。公開まで新聞がもつかは言えない。

 フランスで開かれた「MANGA⇒TOKYO」を日本へと持ってきて「MANGA都市TOKYO ニッポンのマンガ・アニメ・ゲーム・特撮2020」としたものだけれど、内容的にはフランス展をほぼ踏襲。中央に実物の1000分の1サイズ、12メートル×17メートルという巨大な東京の都市の模型を置いてそこの上で繰り広げられた作品を、映像によって紹介しつつ場所をライトアップしてそこだということを見せつける。「秒速5センチメートル」なら代々木からちょっと言った小田急線の踏切あたり。「言の葉の庭」だったら新宿駅。そうやって見せることで作品の場所ってのが東京のどこなのかを実感できる。

 まあ東京に住んでいる人とか、東京によく来る人だったら代々木も新宿も秋葉原も神田明神も月島も、体感としてどこにあるかはわかっているからライトで示されなくても良い気はするけれど、元のフランス展では東京なんて知らない人がほとんど。そういう人に作品の場所を模型の上で示すことによってこれだけの過密な都市のあちらこちらで、東京が舞台となった作品が作られ、それは映像としてこういった表現になっているんだということを知ってもらえる。その意味では海外向けの展示だろう。ただ、日本の観客もそうやって示される映像を見て、場所を示されることによって実際の風景と重ねて作品を観ることがでいそう。ああなるほどこういう光景なのか、だったら言ってみようとか。

 「AKIRA」だとさすがに爆発する都市だから模型が光り輝くなんてことはなかったし、「シン・ゴジラ」でも光線は四方八方に放たれるのと同時にレーザー光線が躍ることはなかった。そこはアトラクションじゃないから抑制的。ただ映像を見て、実際にこれが東京の街だったらってことを模型に重ねて想起できる。そんな意味はありそう。作品としては「ゴジラ」があって「シン・ゴジラ」もあって「AKIRA」があって東京というより箱根だけれども第三新東京市ってことで「エヴァンゲリオン新劇場版」があってと主要どころがまずずらり。

 そして破壊され復興してきた東京というくくりから「千年女優」で空襲後の焼け野原に立つ千代子が映り、「人狼 JIN−ROH」のあれは安保闘争めいた騒乱の中にたたずむ男女がセル画や絵コンテで並べられている。どこかで見たことあるけどどこでだっけってそれは冗談。プロダクション・アイジーも協力しています。大友克洋監督の「火要鎮」とかもあれば「帝都物語」もあってと東京はさんざんっぱら破壊されてきた感じ。それでも再生を果たす輪廻転生のような強さは果たしてそうあって欲しいという日本人の願望なのか。それだけ東京は重要なのか。気になった。

 以後、江戸時代として一ノ関圭さんのすさまじい画力でもって描かれた「鼻紙写楽」や杉浦日向子さん「百日紅」などがあって「佐武と市捕物控」もあってと多彩。それは昭和にも言えて西岸良平さん「三丁目の夕日」や永島慎二さん「フーテン」、そしてちばてつやさん「あしたのジョー」と国宝級の作品が一堂に見られる。東京というキーワードでこうしたレジェンドを括れるというのもユニークな展覧会の証明かも。

 もちろん新海誠監督の一連の作品もあり、羽海野チカさん「三月のライオン」もあって「美少女戦士セーラームーン」なんかも並んでと、1990年代から現在までの東京も俯瞰できる。「おおかみこどもの雨と雪」というのもあったなあ、これは家族が東京でひっそりと温かく暮らしている様を描いているって認識か。そうした時代をすこし出て、経済成長も止まって苦しい中にあえぐ人々が暮らす東京というのも取り上げてあったところが目の行き届いたところ。岡崎京子さん「リバーズ・エッジ」に黒木依さん「ひとり暮らしのOLを描きました」に今敏監督「東京ゴッドファーザーズ」。苦しい中で行き詰まりながらも懸命に生きている東京の人の姿が、感じられて苦しくなった。

 秋葉原に新宿に渋谷といった町を象徴するような作品も経て、山手線の「ラブライブ!」ラッピング車両があって車窓から東京ビッグサイトがのぞくという、ありえない光景を見たりして楽しめた。そんんあ東京の多面的で多層的な抽出について、森川嘉一郎さんが話していたのは年代が子供から若者から大人から高齢者まで多岐にわたっているということ。そうした人たちがそれぞれの視点で見て作品に描いた東京というものが残っていて、なおかつ江戸から明治大正昭和平成といった時代をとらえて作品に描かれていくことで、単純なビジョンとしてだけでなく心情としてのパッションもそこに含んだ東京の姿となっている。

 ミルフィーユ的で五目御飯的。これを例えばパリでできるかというと、森川さんによれば映画を取り上げることでできるのではといった論評があったそうだけれど、映画にしても絵画にしてもハイカルチャーに描かれるものと、生活に根差した部分、空想が飛躍する部分があるポップカルチャーに、広い世代の認識によって描かれることは少なさそう。東京だからできること、日本だから可能なこと。そういう意味ではポップカルチャー大国でオタク大国日本ならではの、一風変わったアーカイブだとも言える。これをぱくっとまるめてタイムカプセルに詰めた時、いったいどんな街だったと東京について後世の人たちは思うのか。あれだけ怪獣に攻め立てられても大丈夫だったなんてすごいと思うのか。 気になった。


【8月10日】 そして新たな封印作品が生まれるのだろうか。週刊少年ジャンプに連載中の漫画「アクタージュ act−age」の原作者が逮捕された件について、少年ジャンプ編集部では「この事態を非常に重く受けとめて、事実確認のうえ、作画担当の宇佐崎しろ先生と話し合いを持ちました。その結果、『アクタージュ act-age』の連載をこのまま継続することはできないと判断いたしました」と連載打ち切りを発表した。次の号での終了だそうで、お話はたぶん途中ですぱっと切られてしまうだろう。読んでないから知らないけれど。

 期待の作品であったことは確かで、舞台化も決まってヒロインの公募なんかも行われる模様。アニメ化なんかも進んでいたかもしれない。「鬼滅の刃」が連載終了となり「約束のネバーランド」や「ハイキュー!!」も連載が終了。あと確か「ゆらぎ荘の幽奈さん」も終わったんじゃなかったっけ。長期の連載や超人気作が続々と終わっていく中で、中心となって支えるはずだった「アクタージュ act−age」を終えざるを得なかったのは、編集部としても厳しい判断だっただろうけれど、たとえ起訴猶予になったとしても実害を受けた人がいる状況で、少年漫画誌という子どもたちに夢を与える立場から、続行は難しかったのかもしれない。

 振り返れば島袋光年さんが過去に逮捕されて「世紀末リーダー伝たけし」の連載を打ち切られたことがあったっけ。2年後に「トリコ」で復帰し「ONE PIECE」なんかとコラボするくらいの看板作品にまでなったから、今回の件も復帰の芽はありそうだけれど今すぐではない以上、「アクタージュ act-age」にかかわることはできない。でもって作品の大部分が原作の力によるものなら、作画もここで原作を変えて冒険するってことは難しかったんだろう。残念。せめて作画の人が次をちゃんともらって何か描いていけるよう、フォローはしてあげて欲しいなあ。

 ニューヨーク・タイムズが伝えCNNも伝えているから多分本当のことなんだろう。ホワイトハウスがサウスダコタ州ブラックヒルズにあるマウントラシュモアに刻まれた4人の合衆国大統領に並ぶよう、トランプ大統領の顔を掘る可能性を探っているというニュース。ジョージ・ワシントンにトマス・ジェファーソンにセオドア・ルーズベルトにエイブラハム・リンカーンといった合衆国の歴史のみならず、世界の歴史に登場する偉大な4人の大統領に自分を並べて平気な意識は、いったいどこから出てくるんだろう。その自身はやはり並ではない。

 だからもちろん、アメリカ人でもトランプ支持者でも反対するだろうし、図に乗るなと雷を落としそう。一方でラシュモア山はネイティブアメリカンの聖地でもあって、そこに侵略者の親玉である合衆国大統領を掘ったことで相当な憤りも買っているらしい。だからこそネイティブアメリカンの英雄、クレイジーホースという英雄の像を、近くに掘ろうとする長い間事業が続けられているれど、これも観光目当ての白人家族による事業で、クレイジーホースの関係者は怒っているというから話は複雑。

 いずれにしても、ミネアポリスでの黒人への暴行を受けて民族の問題がより強く取りざたされているこのご時世に、禁忌とも言えるラシュモア山へのちょっかいは余計な波風を起こしそうだけれど、それすらも考慮にいれずにぶっ飛ばすところがトランプ大統領の怖いところ。戦争だって簡単におっぱじめそうだなあ。

 それでもやっぱり顔を刻みたいなら、日本は栃木県にある日光ウエスタン村のマウントラシュモアに顔を刻めばいいんじゃないかな。確か3分の1のレプリカが園内に飾られている。といってもすでに閉園となって長い年月が経って中は荒れ放題。マウントラシュモアも残ってはいるけれど、手が入れられる状態かは分からない。だからこそお金を積めば園ごと買い取って自在にできるのかもしれないけれど。トランプ村を日光に。ちょっと良いかも。

 日光ウエスタン村を経営していた会社は、このレプリカを作る時に全従業員とプレス関係者を150人くらい引き連れてサウスダコタに行き、現地との調印式なんかを実施した。僕もついていって、マウントラシュモアやバッドランドの見物、そしてカジノ見物なかもしたっけ。マウントラシュモアでは一部のメディアを引き連れて、普通は上がれない山上に入らせてくれた。確か頭の上くらいに立ってバッドランドを見渡したんだった。下から見えるから頭を引っ込めろという通信も来たなあ。そこから落ちたらヒッチコック監督の「北北西に進路を取れ」になるから気をつけた。

 日光ウエスタン村がどうして経営難に陥ったかは分からないけれど、としまえんだって閉園になるご時世に生き残れるとも思えないから仕方がないか。日光江戸村はまだあるのかな。ともあれ今も残るマウントラシュモアのレプリカに、トランプ大統領の顔がはれて刻まれた暁には、かけつけてドローンを飛ばして顔にペンキを塗りたくるようなテロが起こったりするかも。さすがに入って大文字を灯したりはしないだろうけれど。

 京都にあって五山送り火として知られる5つのかがり火のうち、形から最も知られている如意ヶ岳の「大文字」が本来の8月16日ではない日に、LEDライトか何かで灯されたといった話。伝統行事でありお盆の送り火といった性格から宗教的の意味合いも持っているかがり火を、勝手に灯してはやっぱり何か作法に反しているような気がするだけに、やった人ちはやっぱり避けるべきだろうなあ。以前に阪神たーがーすのTHをLEDで灯して叱られた人たちがいたけれど、この場合は文字が違うし時期も違う。それでもやっぱり伝統をぶち壊すものと批判された。

 それだけに、より近いタイミングでの同じ「大文字」の点灯にはえぐられるものがあったかも。似ているし近いから良いんじゃないという感じがないかというと、案外にあったりもするけれど、逆に近すぎて冗談にならないといった意見もありそう。当事者でもなく京都に思い入れもないだけにそこの判断は難しい。気になるのはこうした勝手な点灯を、発見し撮影した画像がDJの人のくらいししか上がってこないのは、それだけ瞬間的だったってことなのか。他に見たのは1点くらい。空を瞬間的に流れる火球でも、もっと大勢が目撃して写真とか挙げたりするのに。そこはちょっと不思議かも。


【8月9日】 青森で東京から帰省してきた人の家に帰ってくるなって知事も言っているんだからさっさと東京に戻れといった手紙が放り込まれたとか。東京からあまり外に出ないで欲しいといった要望は出ているし、愛知県のように独自の緊急事態宣言を出して外に出ず、外からも来ないようにして欲しいといった要請を行って、全国的に拡散を防ごうとしている中で、敢えて帰省したことを手放しで讃える訳にはいかないけれど、だからといって帰省した人が感染者だという確信がないまま、病原菌扱いするのも困った風潮だと思う。

 そして帰省した事実を知りどこから来たかも感じ取り、手紙を投げ込みに行けるくらいの場所に暮らしている人なら直接その人に迷惑だから帰れと言うならまだしも、一応は匿名で手紙を放り込むのもやっぱり困った行動。それが正義と思うならば自ら行動すれば良いものを、強く出られないのはどこか疚しさがあるからなのか。感染したら怖いなんて本当に信じていたならそれもやぱり困った思考。とはいえそうした思いに駆られている人が、全国的にいそうなだけにやっぱり今のこの時期に、帰省も移動もしないに越したことがない。とか言いつつ国が「Go To トラベル」なんてキャンペーンを張っているんだから矛盾も大きい。文句は国にも言いましょう。

 一方で渋谷では「クラスターフェス」とか称してコロナなんてただの風邪だと主張して、マスクなんてせず密になろうと関係ないとばかりに人が大勢あつまって、歌い騒ぐ集会を繰り広げていた集団があったらしい。東京都知事選にも立候補した国民主権党とやらの党首らしい人が中心だけれど、そのあまりにも不遜な態度をなぜか支持するひとたちが一定数いるのが不思議。考えればちょっとヤバい事態だと分かりそうなんだけれど、これは行かなきゃと行って応援するから分からない。これがたとえば宗教めいた団体だったら同じ教義を信じる徒として集まり騒ぐのは分かる。サークルでも同様だけれど、無関係ながらも同じ思考に達するのは何だろう。党首とやらにとてつもない魅力でもあるのだろうか。気になった。

 集会から先はマスクを無しで山手線に集団で乗ってぐるりと1周回るぜなんて主張していたけれど、さすがに威力業務妨害で上げられそうな予感もあったか集団での行動は中止となったみたい。やって1車両に押し込められてフルボッコされたらそれはそれで見物ではあったけれど、暴力もまた軽犯罪法に触れそうなのでやってはいけない。とはいえ止められないのも問題なだけに何か確たる根拠をもってクラスターフェスのような無謀な行為を抑制できるようにしないと、テキサスだとかベルリンだとかみたいに何万という人がマスクなしで集まるような事態も起こりかねない。日本人は時にそうしたアウトロー的集団が出来るから。山手線ならぬ地下鉄に何かを撒いた人たちとか。要観察って所かなあ。

 8月9日といえば長崎に原子爆弾が落とされて大勢がなくなった日。広島に続いて慰霊式が開かれ安倍晋三内閣総理大臣が挨拶したそうだけれど、それが広島での挨拶とほとんどまるまる同じだったとうからあきれ果てる。広島を長崎に置き換えつつ1行2行を変えてはみたものの、本文にあたるような状況説明や決意表明はまるで同じ。変えた部分も「広島と長崎」を「長崎と広島」に入れ替えたような感じで、広島ならではの事情に即した慰霊の言葉もなければ、長崎ならではの状況に応じた言葉もない。

 それがどういう違いでなければいけないかまでは分からないけれど、いざ書くとなったらやっぱり広島は朝に落ちて通勤通学動員等々の方が大勢亡くなったことへの慰霊の気持ちを混ぜたいし、長崎は昼に落ちて暮らす大勢の方々が亡くなったことに関連した言葉を探したくなる。それがたとえ毎年であっても、言葉を探して選び語ることでしか慰霊できないのであればそうするのが勤めだろう。スピーチライターだってそこは考える方が総理のためになるにも関わらず、見れば誰でもコピペと分かる文章を与えて読ませるのは何だろう、嫌がらせだろうか、それで良いと総理の側が考えているのだろうか。気になった。いつかオバマが広島で語ったような演説をしろとまでは言わないけれど、少しは気を遣えば頭の良さを見せられるのになあ。見せる気もないほどに薄いのかなあ。

 「明朗健全始末人」ほか始末人シリーズがあって「サンプル・キティ」のシリーズがあって「砂漠に吹く風」や「死神の惑星」といったシリーズもあった漫画家の明智抄さんが亡くなられたとのこと。流麗な絵で美男美女を描いていながらネームのところに不思議な展開を織り交ぜシリアスなんだけれどギャグっぽい雰囲気を醸し出す、不思議な構成でいつも気になっていた。始末人しりーずだったか、オオサンショウウオに指を喰われて飲み込まれ、腹を割いて出したけど溶けていたとかいった展開から、オオサンショウウオへの複数だか何かへと発展していった素っ頓狂な展開は今でも記憶に残っている。

 以来、増水でオオサンショウウオが流れ着いたという話を見るたびに、手は出すなと遠くから注意してあげたくなる。最近はあまり読んでいなかったけれど現役として活動中だったみたい。突然の訃報は何だろう、熱中症か持病か何かか。いずれにしても残念至極。SFの星雲賞にも候補に挙げられるくらいSF魂を持った漫画家さんでもあったから、お仲間を通して日本SF作家クラブ入りとなってどこかでお目にかかる機会もあったかもしれない。それももうかなわない。今は静かにお見送りをしたい。ありがとうございました。


【8月8日】 1日の感染者が400人とか連続で超えて東京都の新型コロナウイルス感染症はどんどんと広がっている感じ。喫煙所でうつったとか街に出かけて戻ってきたら感染していたとか、市中での広がりも相当なようでこれはもう出かけるに出かけられない状況に陥ってきたと言えそうなのに、未だ出かけるなといった指令が出ないのはそれを出せば責任を問われるからなんだろうなあ。結果としてとてつもない経済的な影響を出して税収が減り救済のための支出が増えればいっしょなんだから、少しの手当でもって押さえ込むのが結果として安上がりだったんだよなあ。ってももうおそい。あとは滅びるばかり、なのか。

 広島で行われた安倍晋三内閣総理大臣の会見で、質問をしようとした記者の腕を内閣の広報官がつかんで咎めたといった話は、闖入してきた部外者の狼藉を止めようとしたものではなく、総理の身に危険が及びそうな事態を警備的な観点から排除しようとした訳でもなくて過剰な防衛であり、転び公妨の例に倣えばそれこそ傷害の現行犯として咎められたって不思議はなかったりする行為だけれど、それを総理大臣がわざわざ会見を行ってあげて、そして事前に受けた質問に答えていたにもかかわらず、さらに聞こうとした記者の側が不埒であって、咎められて当然といった声が起こっているのはやはりヤバい。相当にヤバい。

 だいたいが事前に質問を受け付けそれに沿ってあらかじめ用意したコメントを話すだけなら会見なんて必要ない。時々刻々と変化する情勢に合わせて当意即妙で臨機応変な言葉を得られてこそ会見であり、それが出来るからこその為政者であるにも関わらず、トップに立つ人間が間違ったことを言う方が拙いのだからと事前の質問通告を是とする空気があるのは自分たちが、当意即妙に答えを繰り出せない間抜けをトップに仰いで平気だと言っているに等しいし、総理大臣は間抜けだから事前に質問が必要なんだとバカにしているとも言える。それなのに自分たちこそが総理を守っていると悦に入る心理が分からない。それともコントロールできるから嬉しいんだろうか。

 今回の件はさらに事前に4問受付ながらも時間を配分できないのか、喋りすぎて4問目に行けなかったところでさすがにそれはと質問があって、事前に受けていたからと答えただけのことがわざわざ追加質問に答えたかのように喧伝されて、擁護の材料にされてしまうから甘やかしも度が過ぎる。その上にとある全国紙っぽい新聞のおそらくは論説委員が朝日だと「天声人語」にあたる1面コラムで事前に質問を預けておくのは当たり前、それに答えたにも関わらず勝手に質問するのは記者の売名行為だと批判しているからなにをか況や。質問する権利を捨ててしまってジャーナリズムと言えるのか。言えないんだけれどそれこそが総理大臣に対する正しい態度だと頑なに信じているから堪らない。

 いや、これが立場を変えて中国の偉い人が質問はすべて事前に申請したものに限り、追加での質問には一切答えず手を上げようものなら捕縛して拘禁すると言ったら、徹底的に叩くだろう。気に入らない相手がやれば悪でも讃え崇めたい相手がやれば正義といったダブルスタンダードを平気で繰り出し、権力に対してさまざまな角度から質問を加えて資質を確かめ答えを引き出すジャーナリスティックなスタンスを敵視するそのいちおうは全国紙は果たして新聞なのか。と言い続けて何年も経つけど改まらないままどうなっていくかというと、どうにかなってしまうんだろうなあ。遠からず。

 というか論説委員はいつもだいたいこんなんだし、論説委員長は週刊誌の真偽不明な記事をそのまま調べもしないで引用しては文部科学省を何度も批判して抗議をくらって恥をさらしているし、論説副委員長も中国で働く日本人の学者に質問をして断られても接触できたと言っては自分の媒体じゃない中国が弾圧している団体が日本向けに出している媒体に寄稿して日本人の学者の身を危険にさらしながら、謝ろうともしないといった具合に全体的に箍が外れている。それに対してとがめがあるかとうと何のとがめ立てもしない経営が行き着く先は、ってそれは自明だけれど何もしないまま時間ばかりが過ぎていく。あとどれくらい保つのか。いずれにしてもやれやれな話だ。

 前にそういえば未成年を相手にした買春で漫画家が摘発されて連載が打ち切りになったことがあり、またキャンプのためのナイフを車のグローブボックスに入れていたら銃刀法違反で捕まってしまった漫画家もいたことがあってと、漫画家に関連した事件はそれなりにあったりする。亡くなられたばかりの桑田二郎さんもそういえば銃刀法違反で逮捕された過去があったりしたっけ。そういった情報とともに今回も人気の演劇漫画の原作を担当している人が逮捕されたケースも語られそうな気がするけれど、児童買春の漫画家は即連載を打ち切られてしまった一方で、銃刀法違反の人はその後も割と漫画を書き続けていた。児童買春の人も2年後には復活してヒット作を出した。さて今回は。

 合意の上に接触したら相手が年齢を偽っていた、という漫画家のケースは可哀想という一方で子供に夢をあたえる立場からやっぱりといった判断もあっていったんの退場となった感じ。銃刀法違反は見解の相違もありそうだし危害を加えた訳でもないからおとがめはなし。今回は自分から触りにいっていたということで、犯罪的であるから退場させられる可能性はあるけれど、原作者という立場の人がいなくなってしまった場合に漫画の継続は可能なのか。そこが気になる。別に原作者を立てるのか。裏方だから名前を出さずに書かせるのか。二人三脚めいたところがあったから代役は無理ならしばらく休止するか。判断に迷いそう。逮捕されても不起訴なり処分保留となれば前科にはならないからお咎めなしとなるかどうか。対応を見守りたい。


【8月7日】 教科書検定に関連して、教科書調査官に北朝鮮のスパイがいて、その差配でライティな内容の教科書が検定不合格にされたとかいた話を週刊誌が記事にしていたけれど、確かめようがなかったかやっぱり根も葉もない話だったか一般の報道機関がどこも後追いをしなかった中で、自称では全国紙となっている新聞社のとても偉い論説委員長が週刊誌の話をそのまま引っ張り、自分で調べたり聞いたりしないで真実だったら大変だといった言い方で記事にしていたのがしばらく前。

 たぶん同じ人間が朝日新聞だったら「天声人語」といったコラムでも格が求められる1面に乗るコラムで同じような話を書いて文部科学省を批判していた。でも事実だったらと付けていたあたりにジャーナリズムでありながら自分で調べる気ナッシングなところが見えて大丈夫なのかと心配していたら、当の文部科学省が調べたけれども根も葉もない話だったと週刊誌に抗議したついでに、それを調べもしないで何度も記事にした自称刷るところの全国紙にも抗議文を出していた。

 「貴社は、週刊アサヒ芸能(7月 30日号)掲載記事を引用した記事を複数掲載しています。特に『教科書調査官と北朝鮮の闇』と題する論説委員長の『風を読む』(7月28日)においては、『「北朝鮮スパイ」と疑われた人物を調査しなくていいのか』などと、 週刊誌記事の内容が事実であるとの前提の論説記事を掲載しています。しかし、本省の 調査の結果、週刊誌記事内容は事実であることを確認できませんでした」とあった抗議文。教科書調査官の「専門的な学識」に関する記述にも事実と違うところあったと言われている。

 自分で調べず聞きもしないまま「憶測に基づいた報道がなされ、教科書検定の公正性について疑念を生じさせるような記事を掲載した」なんて言われてしまって、報道機関として本当だったら恥ずかしくって表を歩けないような事態で、書いた人間も恥じ入ってそれこそ身を退くくらいのことはしないと紙価にとても一大事なんだけれど、きっとどこ吹く風といった感じで、抗議されたけれども本当のことが言えないから抗議しただけなんだと言って知らん顔して切り抜けそう。取材できていないのに接触したと言ってそれを申し込んだ自分の所とは違う媒体に乗せて取材相手の命を危険にさらして謝らない副委員長と双璧を張るヤバさ。なるほど大変な状況に陥る訳だ。やれやれだ。

 「恐竜戦隊キョウリュウジャー」のキョウリュウレッドこと桐生ダイゴと、「仮面ライダービルド」の仮面ライダービルドこと桐生戦兎が全編の8割くらいはパンツ一丁で、そして3割くらいは全裸といえば、映画「ぐらんぶる」のすばらしさが伝わるだろうか。加えるなら鈴之助ら多くの男性出演者も基本的には裸で、女性出演者はほとんど可愛い映画だといえばもう、誰もが「ぐらんぶる」を見に行くしかないと思うだろうか。思うはずだ。

 だったら言おう。「Vamos!(行こうぜ!)」と。見ればもう心からハッピーでラッキーでエキサイティングでムービングな思いにとらわれるだろうから。笑えて笑えて笑えて笑えて笑えて笑えてそしてグッと来てやっぱり笑える107分。ただひたすらにすべてを忘れて映画から繰り出されるパワーを浴びて引きこり生活から感じている憂さも、将来への不安から浮かんでいる憂鬱もすべて吹き飛んで、今を心底から楽しもう、そしてこれからも明るく過ごしていこうと思えるはずだ。悩んでいることがバカバカしく思えて、素っ裸になって海に飛び込みたいと思えるはずだ。

 「バカとテストと召喚獣」が人気だったライトノベル作家の井上堅二が原作者に回って、吉岡公威による漫画作品として連載が始まった「ぐらんぶる」はすでにテレビアニメにもなっている。海の近くにある大学に入った北原伊織が叔父の経営するダイビングショップ「グランブルー」に下宿することになって訪ねて行って、巻き込まれるようにして大学のダイビングサークル「PaB」に引っ張り込まれて飲まされ剥かれて振り回されながらも、従姉妹で同級生の千沙と再会し、その姉の奈々香の指導なども受けながらダイビングにめざめていく、といったストーリー。

 大部分は酒を飲んでは暴れ回る展開で、裸にあふれた場面が続くがその合間に海に潜って新しい世界を見つける喜びが描かれ海への興味をひかせる。一方で伊織と千沙とのだんだんと近づいていく関係があり、それをシスコンとして邪魔したがる奈々香の存在や、テニスサークルで笑いものにされていたところを伊織と友人の今村耕平とで助けたケバ子こと吉原愛菜の伊織への切ない思いなども絡んで、青春の甘酸っぱさを感じさせてくれる。

 そんな設定の漫画原作とそれをもとにしたアニメのこれは雰囲気そのままなのかというと、まるで無関係に生身のイケメンたちの全裸といった衝撃的なビジュアルを、冒頭からひたすら畳みかけては唖然とさせつと笑いに浸らせる。キョウリュウレッドの竜星涼が伊織を演じ、仮面ライダービルドの犬飼貴丈がオタクな耕平を演じるその様は、原作の漫画に似ているかどうかなどまるで気にさせないパワーとインパクトで、本質としての伊織と耕平、そして「ぐらんぶる」という漫画の存在を強く感じさせる。

 漫画の世界を妙にこだわって再現してもかえって原作との違いが目立ったり、月曜ドラマランド的な学芸会に堕してしまうこともある福田雄一監督作品とはまるで違った、芯をとらえてスピリッツを浮かび上がらせ本質そのものを感じさせる英勉監督の力技をとくと感じた。これなら同じ監督による「映像研には手を出すな!」も大いに期待できる。というか期待以上のものに仕上がっている予感もすでにある。

 冒頭のループめいた展開にややくどさも感じないでもないけれど、キョウリュウレッドと仮面ライダービルドの全裸が見たくてたまらないファンにとっては嬉しい時間かもしれない。違うファンには千沙を演じる与田祐希の愛らしさや、シスコンの姉を演じる朝比奈彩の底知れなさ、谷間の素晴らしい浜岡梓役の小倉優香にケバい化粧を落とせば美少女の石川恋の可憐さを、ホットパンツやミニスカートといった衣装ともども堪能できる。

 加えてダイビングの基礎も学べるというからこれはもうお得な映画。新型コロナウイルス感染症の影響で5月の公開が8月7日に後ずれしたが、かえって夏真っ盛りのこの時期に相応しい公開となった。なおかつ世間が何かと沈みがちなご時世に、すべてを吹き飛ばしてくれるパワーと痛快さを持った映画として、大いにサプリメント的効果を発揮しそう。あるいはアルコール的効能か。行けば得られる至福の時間。そして感じられる心の安寧。だからもうVamos! 行くしかない。


【8月6日】 フィギュアのアクアマリンが破産したそうで、企画はして原型を作っても新型コロナウイルス感染症の影響で製造する中国の工場とのやりとりができず、販売するイベントが中止となって売れ行きも鈍って行き詰まったってところらしい。つまりは典型的なコロナ倒産。販売してもらっているグッドスマイルカンパニーが支えることはできなかったのかと思わないでもないけれど、こちらもやっぱり同様の状況で厳しいだろうから共倒れは避けたかったのかもしれない。「宇崎ちゃんは遊びたい」とか「りゅうおうのおしごと」で良いフィギュアを作っていたから勿体ない。ネットにある在庫もそのうちなくなってしまうだろう。こういうものって美術館とか博物館にも入らないからなあ。時間の彼方に消えていくしかないのかなあ。

 記者でも頼まれてほかの媒体に書くことは珍しくなくって、この新聞社だと似た者同士のHanadaだとかWILLだとかに記者がこぞって原稿を寄せたり対談に出たりしているからそこはそれ、認められているんだろう。黙ってやっても 業務に差しさわりがなければまあ咎められない感じでもあったけれど、この場合はそうした話とはちょっと違う。新聞社の名前でもって記者が中国の大学で働いている日本人の学者に中国が、外国人の学者を抱え込んで親派を作ろうとしている動きについて質問をして、断られたのにもかかわらず所属している新聞ではなく別の媒体に、書いてしまったことがまず問題だったりする。

 それが、中国で禁忌となっている宗教関連の媒体だったということで、なおかつ断られたにもかかわらず、接触できたと言っていかにも取材がかなったかのように導きつつできなかったけれども相手について割と詳しいプロフィル載せてしまったこともやはり問題。中国で働いているその学者が、これから中国で活動する上でちょっと厳しくなるかもしれない可能性があったからだ。それこそ捕縛され監禁去れ出て来られなくなるかもしれないくらいの相手だから、怖かっただろうし今でも怖いだろう。

そうした幾つもの困った事態について取材を断りながらヤバい媒体に名前を出された人が そんな媒体に、所属記者が書いていることによって中国で記者活動をするのに支障がないかを考える必要もあるけれど、その媒体を刺激するのは避けたいとまでいって、学者の人が謝罪を求め抗議をしても知らん顔をしてしまったからたまらない。何か繋がりでもあるんだろうかと避けに勘ぐられる恐れすらあったりする。それを理由に記者に退去するよう求めて来たらどうするんだろう。それもまた横暴だといって抗議するのかな。

 結局、謝罪も釈明もないままで憤った学者の人がすべてをぶっちゃけていて、これを見た人たちが同様に何かその新聞社から問い合わせがあっても、今後は知らず別媒体に書かれてしまう恐れがあると感じていて、そして断っても断ったことをもって接触したと言いふらされてしまう可能性もあって、何を問われても無視をするのが1番だと感じていたりするから今後、取材においていろいろ支障が出て来かねない。だからこそそうならないよう、対応して欲しかったしそうすれば許容はされたにも関わらず、意固地に門前払いを喰らわせてしまった影響が、果たしてどんな形で出てくるか。要観察。

 うわさの「がんばれいわ!!ロボコン ウララ!恋する汁なしタンタンメンの巻!!」をやっと見る。「不思議少女ナイルなトトメス」だとか「有言実行三姉妹シュシュトリアン」を見ていた目にはそれほど頓狂な感じはしなかったけれど、あえて言うなら頓狂な場面だけを集めて並べて日常のドラマの部分をおざなりにしている感じがあって、何十話からなるエピソードのひとつだとしてもちょっと浮かび上がりすぎていた感じ。シリーズならもうちょっとホームドラマ的な部分を見せつつだんだんと頓狂な場面へと入っていってエスカレーションするんじゃないかなあ。ロビンちゃんの扱いはなかなかすさまじくってユニークだった。こればっかりは過去にも類を見なかったかも。

 「スプリンパン まえへすすもう!」が上映されるなら「最終ロケット イェイ&イェイ」だって劇場公開されて良いんじゃないかと少し思った。それくらいに前説も吹っ飛ばしての状況だけがいきなり来て茫然としながらも繰り広げられる何かを見せられた感じ。ある種のモーションキャプチャからミュージカル アニメーションを作ろうとする実験的な映像作品といった位置づけだからこれはこれで良いのかも 。バレエ的な踊りはさすがに劇団四季の人が中らしいから上手かったなあ。

 「人体のサバイバル!」はミスター・ネンリキが乗り合わせていて「ねんりきー」とやればすべて解決したような気がしないでもなかった。消化器系から循環器系へと回り脳内をニューロンだのシナプスだのが観察できる場所まで移動できるとかおよそトポロジー的にむちゃくちゃな気がしないでもなく、予告で流れた劇場版「はたらく細胞」がキャラクターこそスタイリッシュでも細胞とかの設定にはとことんこだわっていたのとは対照的。そこはだから子供に体の中の仕組みを見せるアニメーションだと割り切れば良いのかもしれない。ヒロインのお尻から出てこなくてよかったとは思った。鼻血でもなく涙ってところも。博士は良い演説をしている暇があったら残って人命救助をしなくっちゃ。それほど予算が大事かと。助手ならできると信じたのかなあ。改めてヒポクラテス号にはミスター・ネンリキを。


【8月5日】 小池健ワールド、とでも言うべきか。あの「ルパン三世」シリーズを「REDLINE」の小池健監督が手掛けた「LUPIN THE THIRD」シリーズ3作。「次元大介の墓標」「血煙の石川五ェ門」「峰不二子の嘘」に関連した原画とか絵コンテを見せてくれる展覧会「LUPIN THE THIRD」2020年展が有楽町マルイで開かれているってんで、原稿を早めに仕上げて見物に行く。

 そういえば去年の少し前くらい、「峰不二子の嘘」を監督した小池監督にインタビューしたんだよなあ。「REDLINE」の時以来の監督はスタイリッシュでエネルギッシュ。その爆発が今、どこに向かっているかは気になるし、続きも当然やりたいって話していたけど、今はこの3作品があるだけれも嬉しいか。とりわけ「峰不二子の嘘」はあの不二子ちゃんが妙に母親然としたところを見せてくれて不思議な感じがした。母性の存在を見せたって小池監督も話していたっけ。登場シーンも多くてエロティックなボディをいっぱい見られた上に、とてつもないバトルシーンも繰り広げてはその体術の高さを見せてくれた。ルパンだってそりゃあコテンパンにされる訳だ、ってたぶんルパンは手を抜いているんだろうけれど。本気出せば強そうだし。

 展示は3作品について原画のコピーと絵コンテのコピーとあと限定版とかに入っているブックレットから設定なんかを抜き出し拡大して展示した感じ。原画が誰の手によるものかは分からないけれども、銃とかバイクとかしっかり描き込んであってそれを動かす人たちの大変さが垣間見えた。デジタルじゃないんだなあ。車とかはどうだったんだろう。クラシックな上にディテールも特徴的な1960年代的な車がバンバン出て来たから、それをしっかりとらえて動かすのも大変だっただろう。

 アイテム類ではワルサーP38にワルサーPPKにS&W M19コンバットマグナムのモデルガンがあって、あとコルトデリンジャーが下着の上に置かれていた。不二子が身に着けていたと想像すればなかなかにキュート。資料としてテレコムアニメーションフィルムに保管してあったんだろうか、それともこの展覧会のために借りて来たんだろうか。気になった。

 カッコいいシーンを抜き出しキャラクターをメインに並べたといったところで、この原画がどうすごいかまでは解説はないけれど、それでも小池健監督が目指すクールで猥雑でワイルドでスピーディなルパンの世界を線にして見せてくれている感じ。この絵とそれから本番での山田康夫さんを真似せず自分ならではの声を探って演技もシリアスに寄せた栗田寛一さんの声でもっとルパン三世のシリーズを見たい。それこそ年に1度のテレビシリーズだってやって欲しいけれど、それにリソースを取られて「LUPIN THE THIRD」シリーズがおろそかになっては困るから、注力して欲しい。次はルパンかそれともとっつぁんか。

 せっかく有楽町まで出たので、ジャポネでナポリタンをかきこんでからシャンテで大林宣彦監督の「海辺の映画館−キネマの玉手箱」を見る。だいたいにおいていつもどおりに狂っていた。すでに「花筐/HANAGATAMI」の頃から見せ方において狂い方も頂点に達していて、書き割りのようなセッティングの中をグリーンバックで撮影したかのごとく俳優たちを重ねてチープな雰囲気を見せつつ、インチキみたいな風景を合成してコラージュのような画面を作ってそれを3時間もの映画に仕立てる狂気のビジョンを見せてくれていた。

 それが「海辺の映画館−キネマの玉手箱」では、そうした手法を踏襲しつつ、演者たちが一言しゃべれば大きくなったり小さくなったり角度が変わったりするのをつなぎあわせて目まぐるしさを感じさせて瞬時たりとも落ち着かせない。そうやってくるくる変わるシーンを目にしてナレーションが重なり中原中也の詩が引用される隙間を延々とセリフが埋める3時間を眠る暇なんてありはしない。物語自体は極めて反戦でそっちの人たちによっては反日などと大騒ぎしたくなるような内容で、沖縄で日本軍の兵士が沖縄の住人たちを虐殺したりといった事実を隠さず持ち出し非難する。それこそそっち系の人たちが見たらいきりたちそうだけれど大林宣彦監督のそうした思想と知名度に、口を挟める奴らなどいるものか。ってんでもう最初から最後までぶっ飛ばしてのける。

 思想性にあふれ魔術のような狂気に満ちたカッティングでもって全編をつなげてセリフなんか口とあってなくても平気で重ねてつづったその物語は、日本軍の婦女子や中国人民に対する乱暴狼藉から会津戊辰戦争での娘子隊や白虎隊の悲劇を通した官軍のとりわけ長州一派の専横ぶりへの批判を描きつつ広島での桜隊を襲った悲劇をどうにか食い止めようとする、映画の中に入ってしまった若者3人の奮闘なんかが描かれる。

 表現としての狂気に近い独自性とメッセージとしての執念とも言える反戦であり反権力といった思想性が混然となって迫ってくる映画だけれど、それを小林稔侍に高橋幸宏、手塚眞から武田鉄矢や村田雄浩、稲垣吾郎から浅野忠信品川徹犬塚弘等々の名の在り癖のある出演陣たちで脇を大きく囲った中に、大林組とも言える 厚木拓郎、 細山田隆人を入れイケメン 細田善彦も載せてそして、 成海璃子[、山崎紘菜、常盤貴子[といった女優陣を排してその真ん中に、新人の吉田玲を配置しつつアンカーとして白石佳代子と根岸季衣という重鎮を排して強烈な演技力によるインパクトを観客に残す。化け物たちの共演。見るしかない。

 そうした中で高橋幸宏さん演じるダンディな爺さんの孫として中江有里さんが出てきてしゃべるところが1番落ち着くのは声の良さ、しゃべりの巧さからか。諸々、見るべきところもありつつ通底して流れる強烈な反戦へのメッセージと、そして時代がかつての太平洋戦争時に重なっていることへの継承にあふれた映画。それを昔からの手法をさらに爆発させた狂気と惑乱にあふれたビジュアルで塗り固めた映画を、最後に残して自らも出演を果たしてのけるところがやっぱり大林宣彦監督、只者ではなかったってことになるのだろう。だからこそ今なお存命で言葉を発し続けて欲しかったなあ。そして梶尾真治さんの原作の映画を撮って欲しかった。合掌。

 王位戦に登場している藤井聡太棋聖が木村一基王位を相手に3連勝してあと1つ勝てば王位も奪取して2冠を達成。そして8段昇格も決めてしまうところまで来てしまった。「りゅおうのおしごと」は16歳での竜王戴冠というフィクションとしての史上最年少を未だ維持しているけれど、さすがに2冠はなかなか奪えない九頭竜八一に対して17歳で2冠を奪取してしまったら藤井棋聖はフィクションを超えてしまうことになる。それはさすがにあり得ないという状況ではないだけに、白鳥士郎さんの反応が気になるところ。それより前に最新巻では何が書いてあるんだろう。もうすぐ発売。楽しみ。


【8月4日】 噂は1度、立ち止まって考えてみるのが吉な例はZoomにおける謎マナーについてもあったけど、今回も横浜駅のそばにある地下街の相鉄ジョイナスで店が大量に閉店となることについて、新型コロナウイルス感染症の影響で立ちゆかなくなったせいで、それなのに横浜市長は給付ではなく融資を行うといった批判にもっていった議員さんもいたりした。でも実際は、横浜駅が完成して増殖を始めてすべてを飲み込み始めたからでもなく、新しいショッピング街ができてそこに客足を奪われたからでもなく、そして新型コロナウイルス感染症の影響で客足が途絶えて経営がひっ迫したからでもないみたい。

 理由は向かいの高島屋が地下の食品買いを拡張して、相鉄ジョイナスの中も取り込もうとしていることが関係しているような感じ。結構な浸食ぶりでそこに店舗を持っていたショップはやはりひかざるを得なかったということか。中に入ってイートイン的なテナントとして生き残る店もあるのかは気になるところ。とはいえ今のこの状況下、密を避けなくてはいけない屋内のそれも駅地下でデパ地下という人が密集しやすい上に換気も整えるには大変な場所を食品街のようにして拡張して、果たしてお客さんは集まるのかと思わなくもない。

 計画自体は新型コロナウイルス感染症の流行前から進められていたのだろうから、今更止められないってこともあるのだろう。それは機動戦士ガンダムの立像が横浜に今なお作られていることも、ガンダムカフェが7月31日にオープンしたことも同様。進んでいる計画は止められないし、新型コロナウイルス感染症が収まればそれはそれで収益源になるから進めざるを得ないのかも。引けば引いたで損も出るならここは我慢の1年間。そんなところか。1年で済めばいいけれど。

 これは立ち止まって考えてもやっぱり珍奇な例。大阪府で吉村知事が会見して「大阪府と大阪府立病院機構『大阪はびきの医療センター』は4日、新型コロナウイルス陽性の軽症患者41人に対し、『ポビドンヨード』の成分を含むうがい薬で1日4回のうがいを実施したところ、唾液中のウイルスの陽性頻度が低下したとする研究成果を発表した」ということを発表。これがすなわちイソジンとかイソジンのブランドを返した明治のうがい薬なんかが新型コロナウイルス撲滅の効果があるんじゃないかと捉えられ、市中の薬局からイソジンと明治うがい薬なんかが売り切れて払底したらしい。

 どうしようもない。つまりは歯医者さん歯と歯茎に残っている汚れを染めて検査する時に、毎日朝晩に歯磨きをするとずいぶんと汚れが落ちていることが分かった。歯を磨いていない人との間には大きな差が見られたっていった、至極当たり前の話。それをもって「患者には毎日、唾液検体によるPCR検査を行い、4日目の時点でうがいをした患者の陽性率が9.5%だったのに対し、うがいをしなかった患者は40%だった」といったところで、何度も行われたうがいで喉が活性化されて新型コロナウイルスが増殖していなかったってだけの話だろう。

 インフルエンザと同じで帰宅した際にうがい薬をつかってガラガラとやれば、喉に付着したばかりの新型コロナウイルスは消毒できるかもしれない。それは手洗いなんかに加えて励行した方が良い習慣で、それでうがい薬がアルコール類なんかと同様に売れていく分には構わない。それなのに、吉村知事はいかにも効きましたといった感じに発表する。専門家によればイソジンめいたものでなくても水なんかでのうがいでも効果があるとか。それなのに、何か体内の新型コロナウイルスまで駆逐するようなイメージで伝わっていること、それを訂正しないで誇らしげに大阪府知事が語ってしまっていることが問題だろう。為政者としても。薬事法的にも。

 研究した医師もちゃんと分かっていて、唾液に含まれる新型コロナウイルスが減るなら人にうつしにくくなるといった話に抑えている。けれども、何かにつけて成果をほしがる感じなのか自分が前面に立ってうがい薬万歳とやってしまったからたまらない。それを何の注釈もつけずにメディアが報じて、上場している明治関係なんかの株価が上がったりしたけれど、事情を知ればきっとまた下がるだろう。その時に儲けでもしていたりする人がいたら何か、裏があるんじゃないかと言われそう。言われなくてもワクチンすぐ作るとやって阿呆かと言われた大阪府知事。それなのに讃えられるこの不思議。いよいよ終わりが近づいている。やれやれ。

 マジに新型コロナウイルス撲滅を願いつつ、ネタとして怪獣好きの面々が怪獣に自分の願望と自身の関心を添えて繰り出し興味を誘った「カプセル怪獣計画」を引っ張って、新型コロナウイルスによって起こった引きこもり生活だとか人々が消え去った街並みだとかをネタとしてフィクションの中に再現し、その舞台の上でマジなリアクションを演じて見せた作品とでも言えば良いのか。「8日で死んだ怪獣の12日の物語」。総体として沸き上がってくるメッセージは共通で、新型コロナウイルスをどうにかしたいといった意識なんだけれど、それをフィクションというネタを通すことによって、半歩下がって斜めから眺めたような感じになって身に迫っている恐怖めいたものを、客観視して冷静になって未曾有のこの状況を、どうにかこうにか生きていこうとする気分になれた気がする。

 喜劇だとかコントだとか落語だとか漫才といったお笑いのエンターテインメントが、恐怖を笑いに替えて心を安らげるのに似ているとでも言えそうだけれど、映画自体は決して喜劇でもギャグでもなく真面目に演じられ真面目に撮られている。それでも浮かぶ奇矯さが見ている人に笑いめいたものをもたらすから、やっぱりそれを狙っていたんじゃないのかな。どこまでも渋くて落ち着いた感じの斎藤工さんに、ナチュラルで頓狂な感じののんさんに、熱さと実直さで迫る武井壮さんに、怪獣と特撮のことだったら安心して聞けそうな樋口真嗣さん。そんな面々が本人に近いけれども与えられた役の上でマジにネタを演じて見せることから浮かぶギャップはやっぱり面白おかしい。

 怪獣を育てて新型コロナウイルスをやっつけて欲しいなんて願うこと自体はナンセンスでリアルじゃないけれど、そういう思いをネタに込めてマジに喋ってくれる人たちの思いが向かう場所にある、この状況がどうにかなって欲しいという気持ちはしっかりとくみ取れる。それはもちろん今のこの状況があってのもので、10年後にこの映画を観たら何て間抜けなことをやっているんだと思うかもしれない。それとも甘かったと思って人が死に絶えかけた地平で懐かしむのかもしれないけれど、今というこの時期だからこそ笑いの中に共感を得られる。その意味では時事性を持ったフェイクドキュメンタリーとも言えそう。それ故に今作られ今見ないといけない。そんな映画だ。

 怪獣ネタは分かる人には面白いんだろうなあ。ウィンダムとかミクラスとがグドンとか出てくる固有名詞にハッとできるとこれは楽しい。ペロリンガとか出てきた時点でそれヤバいっしょとか思えるし、騙されてるんじゃと感じ取れるんだけれどそうでなくてもまあ、宇宙人というのは言葉巧みに人を欺くものだと感じていれば楽しめるからそれはそれで。ってかのんちゃんはちゃんと星人を買ったのに、サトウタクミは怪獣を買ってどうしてガッツ星人が出てくるんだ。そこで妙だと思わないのか。謎。

 街撮りとダンスの撮影以外は部屋にカメラを置いて自撮りしたりZoomなんかを介して喋ったりするのを集めてつなげたリモートワーク的作品。それでも広がりと奥行きを持った作品にできるのは脚本の力、それを演じて会話をつなげる役者の力ってことなのかも。樋口真嗣さんとかが妙なことを真顔で言う時にどこかはにかみが出て台無しになるかと思ったらちゃんと付き合っていたから役者に負けていなかった。のんちゃんは可愛いなあ。


【8月3日】 東所沢に出来たKADOKAWAの新しい拠点に向けてJR武蔵野線東所沢駅からの道に光るマンホールが出来たとのこと。それらにあしらわれているのがKADOKAWA絡みのアニメだとか漫画だとかライトノベルのキャラクターたち。サンライズのIPでもある「機動戦士ガンダム」がいたりするのは「ガンダムエース」を刊行して「機動戦記ガンダム THE ORIGIN」だとか「機動戦士ガンダムUC」なんかを手がけて来た実績が繁栄されたもの。その流れで安彦良和さんの作品も幾つか出ていたりする。

 漫画も「らき☆すた」があったりするけれど、1番多いのがライトノベルやウエブ連載の小説から生まれたIPといったあたりにKADOKAWAの、そうした分野におけるイニシアティブに改めて気付かされる。「涼宮ハルヒの憂鬱」に始まって「ソードアート・オンライン」がいて「フルメタル・パニック」がいて「キノの旅」があって「狼と香辛料」いたりしてと、並ぶライトノベルからアニメにもなって人気の作品群。新しところだと「Re・ゼロから始める異世界生活」や「この素晴らしい世界に祝福を!」といった異世界カルテットも入っている。

 そして「オーバーロード」や「この勇者が俺TUEEくせに慎重すぎる」(慎重勇者)といったネット連載から文庫ではなく書籍化されて人気のノベルズ群もいろいろ。なぜか異世界カルテットでは「幼女戦記」が外されているけれど、やっぱり幼女が戦う話は公共のマンホールに相応しいくないと考えられたのか。いろいろと話題になった「宇崎ちゃんは遊びたい」はいるけどあれはコピーの文脈と、選ばれた絵の出っ張り具合に異論がぶつけられた感じだから、アニメも始まって普通に描かれている絵なら問題ないって判断か。きになった。そうしたマンホールが恒久的に同じIPでいくか、新しく生まれて人気になった作品に下克上されるのか。見ていきたい。その前に見に行かなくちゃ。

 KADOKAWAの新拠点には「角川食堂」なるレストランも設けられたそうで、社員食堂も兼ねてのものだそうだけれどメニューを見るとランチが1000円からと都心部のちょっとしたレストラン並み。社員もこれで毎日食べるとなると結構大変そうだけれど、それとも大丈夫なくらいの報酬を頂いているのかな。羨ましい。カレーパンとコーヒーだけで凄そうにもカレーパン380円にコーヒー400円では足せばちゃんとしたランチ分くらいにはなってしまう。それを毎日だと財布もお腹も大変そう。たまに行ってリモートワークの場としてライターが使う分にはありかもしれないけれど、東所沢で仕事する機会はあるかな。ないかなあ。

 2020年に入って「痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。」とか「乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…」とかいった、ネット連載が始まりで書籍化文庫化されて人気となった作品のアニメを手がけ、丁寧な作画とコミカルな展開で名を上げたアニメーション制作会社のシルバーリンクが、朝日放送ホールディングスの完全子会社になったとか。確か以前にも朝日放送で幾つかアニメ制作会社への出資をしていた記憶があって、参加にそうした会社を集めてアニメ部門を強化していこうって感じが見える。

 今もシルバーリンクは「魔王学院の不適合者 〜史上最強の魔王の始祖、転生して子孫たちの学校へ通う」を作ってて分かりやすさで人気が出そう。以前は「のんのんびより」を手がけてこれも丁寧な展開でファンを増やした。映画も良かった。力はあるけれど経営面ではやっぱり走り続けるのは大変なアニメ制作会社を、テレビ局が大資本で支えつつ自社で権利を持って収益を得られるようにする流れを、率先していくことになるんだろう。アニメ作品への積極的な出資では毎日放送が頑張っていたけれど、子会社化まではしていなかったからそこで抜けようとう算段か。
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 東京のテレビ朝日ではないところもユニーク。在京で市場が大きく広告もまだ集まりやすいキー局とは少し意識も違うのかな。フジテレビはノイタミナとう場があってもそこまで入れ込んではなさそう。デイヴィッドプロダクションを子会社にしたけれど、作っている「炎炎ノ消防隊」はフジテレビ系じゃなくTBS・毎日放送系で放送中だし。日本テレビはマッドハウスと竜の子プロダクションを傘下にして、金曜ロードショーでいっぱいアニメ映画を放送しているし。「ドラゴンボール」や「うる星やつら」や「銀河鉄道999」や「マジンガーZ」といった沢山のヒット作を送り出したテレビ局らしくない。それとも何か動いているか。見守る。

 LINEがm3と組んで始めたららしい「LINEヘルスケア」が運営面でいろいろあって問題化。医療というデリケートな分野でちゃんと医師という専門家を相談相手に有料で相談できるようにした、という形態は真っ当だったけれどもその医師を選ぶところで医師ではあっても本当の専門外でも答えられるようにしてしまったこと、そして問題のある発言を繰り出せるようにしてしまったことで批判を浴びた。皮膚科や小児科内科眼科等々、細かく分かれた医療の世界ですべてに答えられる医師は足しているのか。町医者さんなら来る患者さんを診て判断することもあるけれど、衆目の集まるネットの上で専門外のことをすればどこかにほころびが出て、それがすぐに露見する。サービスの信頼にも関わる事故を起こさない仕組みはできなかったのか。プラットフォームを作ればあとはご自由にとは行っていられないメディアの世界。とはいえ維持にはコストがかかる。収益と信頼の案配をとろうとする運営が必要なんだろう。難しいけれど。


【8月2日】 FAカップはチェルシーを相手にアーセナルが勝利して優勝を果たし、UEFAカップというかヨーロッパリーグの出場権を手にした模様。優勝回数は14回目で最多。プレミアリーグの優勝から遠ざかってはいても、こちらではそれなりに実績を積み上げているのだからやっぱり古豪で強豪ってことなんだろう。ベンゲル監督が去ってFAカップ優勝からも遠ざかっていただけにこれは復活の兆しと言えるのか。とはいえベンゲル監督はプレミアリーグでもそれなりな位置にいたけれど、終わったシーズンは8位だからやっぱりちょっと脆弱。ここから立ち上がっていけるのか。見守ろう、好きなチームだから。

 映画「アルプススタンドのはしの方」のリモート舞台挨拶があるというのでイオンシネマ幕張新都心へ。どうやるのかと思ったらZoomを使って参加者がどこからかアクセスするという方式だった。これが大きなスクリーンに映し出されてなかなかの迫力。元より横長のスクリーンはディスプレイよりも大きく顔を映し出せるから多人数でのこうした中継に向くかも。今後流行るかな。すでに流行っているのかな。

 SPOTEDの直井さんが司会ですすんだリモート舞台挨拶では、それぞれが好きなシーンを語ってくれた。安田あすは役の小野莉奈さんは藤野富士夫役の平井亜門さんと「進研ゼミじゃん」とハモるところが青春っぽかったと話してた。平井さんは映画の中で姿は見せないけれども会話に登場する矢野という選手に向けて、西本まりんさん演じる田宮が「嬉しそう」と言うシーンだとか。それは自分が活躍しているより 他の人を引き立たせるために自分は自分で頑張ったシーンだから。「こういうのは現実の世界にもいっぱいある。それを肯定してくれる」と平井亜門さん。映画の本質に迫る言葉かも。

 まりんさんは成績優秀だけれど友達がいなくて、ひとりで試合を見に来た中村守里さん演じる宮下恵の額から汗がすっと流れ落ちるシーンでの表情が好きとのこと。シーンがシーンだけに涙かと思ったりもするそのしずく。いろいろな思いと迷いが詰まったすごい表情を見せてくれているのだった。そんな中村守里さんは自分が叫ぶシーン。ずっと声量を抑えていたのがそこで爆発できるからとのこと。

 ちなみに中村さんの演じる宮下恵は、城定監督によれば高校演劇版とはやキャラクターが違っているそうで、元々はそれなりに熱い役だったのを厚木先生というキャラクターを作ることで2人に分けて、正反対のおとなしくて成績優秀なキャラクターにしたらしい。監督自身も好きなキャラクターで、演出に熱が入ったとか。抑えて抑えていながらも時々ストレートに物を言うのはそんな高校演劇版の名残かもしれない。そっちはパンフレットにシナリオが載っているそうなので、気になる人は呼んで比べてみよう。

 舞台版には会話の中でしか登場しないから、姿を見せるのは映画からになるブラスバンド部部長の久住智香を演じる美少女・黒木ひかるさんは3人組となってるブラスのうちの自分以外の2人がじゃれあう所が、女の子っぽいから好きと挙げていた。やる気なさそうな2人が最後はやっぱり号泣だもの、青春って美しい。いずれも名場面なので次観る機会があったら注視したい。

 舞台挨拶には熱い厚木先生役の目次立樹さんも登場。舞台版からの登場だけどその舞台では舞台ならではの超オーバーな弾ける演技を見せていたとか。それよりも抑えて映画のあれなら、舞台は凄かったんだろうと思わせた。小野さん西本さん中村さんも舞台から登板。そこでの演技とは違う演技を要求される映画版だったけれど、城定秀夫監督によれば実写の演技も経験しているだけあって、すぐになじんでいったという。そしてやっぱり息ピッタリ。凄かったなあ。

 久住智香を演じて黒木ひかりさんは、「普段は性格がはっきりした役が多かったが今回は優しい女の子で苦労した。あとトランペットを吹けるようになるのに練習した」とのこと。本当に吹いてるんだね実際に。指もちゃんと動いているし。そんな感じに和気藹々として終わった映画「アルプススタンドのはしの方」舞台挨拶。大きなスクリーンにいっぱい顔が並ぶのは愉快。でもちゃんと声は聞けて楽しかった。最後にフォトセッションもあって嬉しい。メイン4人+久住&厚木の6人それぞれに意識を向けつつ見るなら6回は見なくっちゃ。

 また余計なことを始める感じ。自民党が文化だとか芸術だとかスポーツといった「ソフトパワー」を国家戦略に位置づけるため、特命委員会とやらを岸田文雄政調会長の下に設置したとか。そんなこと文化庁だとか文部科学省がすでにやっていたりすることで、強化するならそこへの支援を厚くすれば良いだけだと思うけれど、新しいことを始めて利権を作っていろいろ吸い上げたいって気分もあるんだろう。それでもお金がより多く回るようになって、メディア芸術総合センターだとかが動いたりすれば嬉しいし、業界にお金が回ればなお嬉しい。もっともそのために別の所からお金が引っぺがされたら無意味な訳で、そこをどう考えているのか。やっぱりやめておいた方がいいのかな。


【8月1日】 梅雨明けしたのか暑くなって来たので、家にいたら倒れるかもと思い久々に池袋に出て映画「アルプススタンドのはしの方」を見ることにする。いったいいつ以来の池袋になるのだろうなあ。TAAF2020があれば行ってた街だったけど、なくなってTOHOシネマズ池袋が出来てアニメとかいっぱいやっていたものの行く気も遠のき、ちょっと足が向かっていなかった。また以降かと思うものの東京での新型コロナウイルス感染症の感染者が472人も出たとあってはこれは街中がクラスター化しているに等しいとすら思えてくる。出歩かないのが吉ならしばらくやっぱり足を向けるのは遠慮するか。
B  そしてHUMAXシネマズ池袋で見終わった「アルプススタンドのはしの方」は、評判になった舞台版の方は見てないし、大元になった高校演劇の方もよくは知らないけれどもこうして絶賛を受ける理由となっているだろう脚本の良さをちゃんと受け継ぎ、75分という短い時間の中、アルプススタンドのはしの方をメインに据えたカメラの中で主に3人の女子と1人の男子が売り広げる会話の面白さの中に、それぞれが抱える悩みだとか迷いのようなものを仕込ませてはだんだんと露わにし、それらが関わり合い混ざり合うことによって1人でも1対1でも届かなかった場所へとそれぞれを歩ませ、諦めていたり沈んでいたりした気持ちがもう一度、立ち上がって歩きだそうという気になっていく様を見事に描き出した。

 演劇部の安田あすはと田宮ひかるが甲子園に出場した高校の応援にかり出されたものの、応援する気などあまりなく野球にも関心がないのかアルプススタンドの隅の方に座って試合の行方をながめながら、珍妙な会話を繰り広げているところでまずは面白さを誘う。タッチアップを知らないのかアウトになってもランナーが走る様にきっと知らないところで落としていたんじゃなのかと言ったりするその会話が、後でまた意味を持ってくるところも最高。やる気のなさ満載なそんな姿の背景にあったある鬱屈と諦念が何かは観ながら分かった方が圧倒的に面白いからここでは言わない。

 そんな2人のすぐ側に陣取ったのは藤野富士夫という男子。そのプロフィルもサイトには書いてあるけれど分からない方が良いからここでは言わないけれども男子だけあって野球にはそれなりに詳しそう。でもどうして遅れてスタンドに来てひとり座っているのか。どうやら訳がありそう。そしてもう一人、眼鏡な宮下恵もスタンドの最上段から立って眺めているけれど、どういうキャラなのかもだんだんと分かっていった方が面白いからやっぱり言わない。そんな4人は当初はあまり関係なかったのに、会話の中で重なりが見えたり考え方が分かったりしていく中で、それぞれが自分に諦めてしまっていたことが、他人から見るとどうしてと思うようなことだったりして、気づかされたり刺激されたりしていく。

 時々現れては応援しろとうるさく言う英語教師で茶道部の顧問が最初はどうにもウザったくて、害悪な大人の典型のように思えていたけれどもそんな教師だって持っている諦めの気持ちを、けれども彼は抱え込まずに頑張ろうと思っていることが見えて来るにつれ、しょうがないと言ったり言われたりすることに馴れてしまって埋もれてしまって沈んでしまった高校生たちがむしろ醒めすぎで、もうちょっと顔を上げれば良いのにと思えてくるから不思議。4人だけでは不可能だった再始動に教師が重要な役割を果たしている。 そしてもうひとり、成績優秀な上にブラスバンド部の部長でトランペットを吹く美少女の久住智香の存在も、4人の再始動に大きく関わってくる。

 すべてを持っているようでやっぱり抱える鬱屈を、4人に感じつつ自分が奮い立つことで乗り切ろうとするそのりりしさ。ただでさえ美しい表情がますます輝いて見えてくる。彼女もまたいなければならない重要な存在。その将来がどうなっていったのかを知りたい気がする。そう、アルプススタンドのはしの方にいた4人についてはその後も描かれ、その会話から意外な人物の意外な進路が語られる。頑張り続けることの意味なんてものも知らされる展開。自分はもうとも思いつつ、自分だってまだと思いたくなる。そんな物語。見終わった時にもう誰にもしょうがないなんて言わせないと思うだろう。そして誰にもしょうがないなんて言わないと誓うだろう。アルプススタンドの上の方にスカート姿で座る女子高生を見上げるように眺める楽しさもあるかなあ。見えないけれど。何がとは言わない。

 プレミアリーグのシーズンを8位で終わってチャンピオンズリーグにもUEFAカップにも出場を逸したアーセナルが、最後のチャンスをかけて望むFAカップがまもなく開催。相手はシーズンを4位で終わってUEFAカップのヨーロッパリーグ出場権を獲得したチェルシーだけれど、だからといって譲ってとは言えないのはやっぱりFAカップはプレミアリーグに劣らない世界で最も歴史の長い伝統のカップ戦だから。すでに8度は優勝しているとはいえアーセナルの13勝にはまだまだ及ばないチェルシーが、ここで1歩でも近づいておきたいのならやっぱり勝つしかない。かといってアーセナルだって負けてはいられない事情もあるから2017年にベンゲル監督で勝利していらいの戴冠を目指して頑張るだろう。見てみたいけど方法もないし寝て起きて勝者を確かめよう。

 台湾の李登輝元総統が亡くなったというのに新聞の1面コラムでその追悼をエピソードを交えて伝えることはなく、退任してからの李登輝さんが日本に入国しようとするのを中華人民共和国に遠慮して妨げようとした外交官がいるってワルクチに終始して、李登輝さんの人となりを伝えようとしない安倍ちゃん大好き記者がいて、そして独立した公益法人として東京都の医師たちを束ねる東京都医師会の会長が新型コロナウイルス感染症の対策を国会を開いて決めてくれと叫んでいるのに対して、上部団体という位置づけではない日本医師会が政府の会合に出ているんだからそこに意見を上げろと言って安倍ちゃんへの批判を許さない政治ジャーナリストがいてとこの国のジャーナリズムは、どこかやっぱりおかしいんだけれどそれを突っ込み崩す動きにならないのは、もはや諦めの感情が世間を包み込んでいるからなのか。空しいなあ。でもしょうがないなんて言わない。頑張らないと。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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