Last Updated 2019/12/7
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
【12月7日】 そうか「映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」は興行収入8億円か。10億円だって行っちゃうかも。今日でも新宿ピカデリーがだいたい満席だったから。この数字って「プロメア」に迫るものだし湯浅政明監督の「きみと、波にのれたら」とか5年がかけられた大作「海獣の子供」なんかを上回る。それこそ「プロメア」級でこれからの動向次第では抜いてしまうこともあるかもしれない。

 とにかく安心して観ていられるアニメーション。「たれぱんだ」とか「リラックマ」で知られるサンエックスが生み出してもう7年くらい出しているキャラクターで、見た目は丸くてかわいいけれども寒がりのしろくまとか自分に自信がないぺんぎん? とか気弱なねことか本当はきょうりゅうだけれど言えば捕まっちゃうから偽っているとかげとか、やっぱりほんとうはなめくじだけれど貝殻をせおったにせつむりとか、脂身9割のとんかつとかしっぽだけのえびふらいとか、熱血とも青春とも違ってどこか欠けていたり足りなかったりするキャラクターたちがひっそり隅っこをとりあうというか譲り合いながら生きている。

 それぞれ単体のキャラクターでは、いずれもあこがれの対象というよりはむしろやっぱりどこか欠けている自分たちの成り代わり。というか完璧な人間なんて今やあんまりいない時代に自分もそうそうと投影できる何かを誰かが持っている。だから誰かに自分を仮託して、あるいはトータルの世界観に自分を沿えて観ることができる。だから人気となっている。子どもだけじゃなく大人にも。そんなキャラクターたちでも集まれば、欠けていたって補い合い、支え合って前向きに動いていける。

 そうやって絵本の世界で知り合ったあたらしいともだちを、助けよう励まそうと動き回るストーリーが絵本の世界という舞台で、物語に強制的に突き動かされるように進んでいく中で浮かぶギャップをギャグ的なものとして楽しめる。そうやって楽しみとんかつとえびふらいが赤ずきんの中でやっぱりな状態になったことにほくそ笑み、楽しんだ果てに来るひとつのクライマックス。そこに奇跡はないけれど、でも頑張った甲斐はあった。そして作られた新しい世界を果たして新しい友達は喜んでくれるのか。くれるんじゃないかな。そう信じて映画館を出ながら自分も誰かに優しくしよう、そうすれば誰かから優ししくしてもらえるかもと思うのだ。

 平面のキャラクターにすぎない「すみっコぐらし」のすみっコたちを動かすにあたって平面のままでは紙芝居にしかならないところを絵本調を維持しつつ、ちゃんとキャラクターとして動かしてみせるところがすごいというか、過去にそうしたキャラクターものを多く手がけたファンワークスだけのことはある。スタジオがしっかりしている上にヨーロッパ企画の角田貴志さんが脚本を書いてまんきゅうさんが監督を務めた作品は、キャラクター好きの子どもたちだけでなく大人だって観てこの生きづらい世界を頑張って生きていこうと思う映画に仕上がった。

 だからこれだけのヒットをしているんだろうなあ。そうした噂が広まることで、なおいっそうの観客に足を運ばせ評判を高めて広めてそしてまた足を運ばせる連鎖が続いているうちは、まだまだ収入は伸びるだろう。クリスマスシーズンに向けて大きな映画が相次ぐけれど、そんな合間にも今の調子ならちゃんと上映され続けそう。配給のブッキングがどうなっているかは分からないけれど。

 せっかく外に出たのだからTOHOシネマズ新宿で「ルパン三世 THE FIRST」を観て帰ろうと新宿ピカデリーから移動。「シティーハンター」実写版のイベントをやっていたらしくメディアの受付ができていた。そんな劇場の最前列で観た「ルパン三世 THE FIRST」は、初のフル3DCGによるルパン三世という触れ込みだったけど、2Dのアニメーションで観るよりルパン三世っぽさを感じた。

 それは、2Dの絵だと毎回のように描く人によっていろいろな違いが出たりしていたし、アクションにも違いがあってそれぞれの特徴に自分を合わせて好みかどうかを心で判断する必要があるのに対して、3DCGの今作だとキャラクターについても動きについても、テレビシリーズ第2作目の「ルパン三世」に感じていた想いとか、抱いていた印象を固めてまるめて総体にしてエッセンスを抜き出し平均化して最大公約数を取り出し描いたようだったから、かもしれない。

 つまりは、そうそうそうだよそうなんだよ、といった感じを存分に味わわせてくれる上に、2Dのアニメだと感じるキャラクターたちの描かれ方に対する種類が多すぎることからくる違和感を、初の3DCGのキャラクターはこれが初見ということもあってあまり感じさせなかった。どこかで観てきたものが立体になって動いているとでも言おうか。ルパンはどこまでもおちゃらけていて次元はどこまでも渋く五エ門はクールだけれど照れがあってそして不二子はナイスバディ。あととっつあん。四角いなあ。そのアクションもテレビシリーズのとりわけ第2作目のエッセンスを抽出して固めてテンプレート化したかのよう。コレ含めてすべてがそうそうそうだよそうなんだよの固まりだった。

 それはストーリーにも言えること。古代の遺跡をナチスが狙って騙された少女が取りだしルパンが横取りしようとしたけど発動し、けれども少女が頑張りルパンも頑張り情が発生して悪は滅びる、的な。「レイダース」であり「天空の城ラピュタ」でもあるけれどルパンの中でも何度か描かれたようなストーリーでもある。それを繰り返すかのようにやってしまってつまらないかというと、時代劇と一緒で定番化しているストーリーだから分かりやすくて楽しめる。ルパン三世がある種の時代劇化している現れを、キャラクターの動きだけでなくストーリーでも使ったとでも言えばいいのか。安心して観ていられる映画。あと3DCGだとレティシアの腰つきとかお尻の丸みだとか不二子の胸のたわわさだとかが 御持って感じられたのが良かった。2Dだとこうはいかないものなあ。


【12月6日】 思い出したのが「ARMS」の主人公、高槻亮の母親で主婦の高槻美沙でいつも笑顔を絶やさない女性だけれど実は戦場でも恐れられた伝説の傭兵で、危機に陥ったところを息子が心配していたらあっさりと返り討ちにして唖然呆然とさせていた。その点、「PSYCHO−PASS3 サイコパス」に登場する厚生省公安局刑事課一係の監視官、炯・ミハイル・イグナトフは妻の舞子とずっと外国で暮らして育っていた訳だから、彼女がそこで何をしていたかを良く知っている。教祖ごときにつかまれ引きずり回され拳銃を突きつけられたところで、軽く反撃できることだって知っていただろう。

 心配すべきはそんな反撃をして教祖を射殺なんかして舞子の色相が濁ってしまうことで、炯はだから舞子には絶対に銃を持たせず反撃させず射殺なんかさせないように振る舞わなければならなかったのに、自分を撃てといって自分の方に教祖の銃口を向けさせてしまったことで舞子に反撃の機会が出来て下からすくい上げるようにして銃を跳ね上げ額にぶつけさせ、そして驚いて自分に銃を向けたところで左手で捻り右手で奪ってすかさず手に持ち引き金を引いて教祖を射殺。脇をしっかりと締め銃口をぶらさず1発ではなく3発を足とかではなく胸にぶち込んで確実に射殺する打ち方は、戦場でプロとして活動してきただろう可能性をうかがわせる。

 つまりはそうした出自の2人。だから炯に本気で暴れさせるなと誰かが言っていた割にはあまり派手に動かず電子銃で撃たれたりもする場面があってちょっと弱いなあと思ったし、妻に配慮したい割には舞子が銃を持つ機会を与えてしまったりした場面には何を考えているんだとも思った。そういう部分で脚本なり絵コンテなり演出に抜けがあるような気がしてならない「PSYCHO−PASS3 サイコパス」。なにしろあれだけ世界を隅々まで監視して管理しているはずのシビュラシステムが、配下の監視官を結果として殺害され排除されながらもビフロストなる組織の壊滅に向かうどころか、存在を感知できないんだから不思議というか。その理由があまり説明されていないところにも疑問が生まれる。

 絶対的な監視が行われ管理されているからこそ、その間隙を縫うようにした犯罪が起こって驚かされるというのがこれまでのシリーズの筋書き。個人の体質なり特徴なりがシビュラの目をかいくぐらせていた訳だけれど、ビフロストは組織として活動していて人員も大勢いてシビュラが本気を出せば分からないはずはない。にも関わらず闇にうごめきシビュラを出し抜き監視官を欺く。真緒みたく接触を受けていたりして取り込まれている者がいるのかもしれないけれど、それだってシビュラの目を逃れられるとは思えないんだよなあ。でもやっているからこそ常守朱は現場を退き、裏側から何か画策をしているのかも。いったい何を知っていて、何を追っているのか。それにシビュラはどこまで協力しているのか。次の回でいろいろ明かされると信じよう。

 ひとつのことを取り繕おうとして、どんどんとドツボにはまっていくのは自分が関与していたら総理を辞めるといったことから関与してないと言いつくろうために記録を破棄し、そして人死にまで出した森友学園問題の例がすでにあったりするけれど、菅官房長官がバックアップは行政書類ではないと言い切ったのも何が何でも桜を見る会の名簿を出したくないということから始まって、出してと言われて出した日は他の日は担当職員がおらずシュレッダーが使えずその日にようやく使えただけだと言い訳し、でも電子データなら残っているじゃんと問われてそれはとっくに破棄したと言いつくろい。でも電子データはバックアップを残しているんじゃないのと問われてそれは行政文書じゃないから出せないと言い抜けるため、だったりするからどうにも筋が立たなくなる。

 だってバックアップだよ、それは大元が毀損された時に大元に変わって活用されるデータだよ、すなわち本物のスペアであって電子である以上は本物そのものでもあるにも関わらず、行政文書じゃないから出せないなんて言ったら大元が毀損されてもそんな行政文書でもないデータで埋める訳にはいかなくなってしまうんじゃないか。でもそれだとバックアップの意味を成さないんじゃないか。だからやっぱり出すべきなんだけれど行政文書じゃないから出せないという堂々巡り。そう言いつくろわないと出さざるを得ないのをどうにか逃げようと取り繕った果ての矛盾を、口にして平気な頭でいられるところに今の政治家たちの不思議がある。ドミネーターを向けたらいったいどんな犯罪係数が出るんだろう。もしかしたら本気でそう思っているから色相もクリアなのかも。免罪体質というか無感体質。そうでもなければ政治家も官僚もやってられないだろうなあ。

 「おすすめ文庫王国2020」でようやく「境界線上のホライゾン」を1位に推せて大満足。過去にも番外としてその分厚さから文庫王国の国王に相応しいと言い続けたものの、「本の雑誌」がそれほどまでに凄い文庫があるなら特集だとか言ってくれたことはなく、ライトノベルだからか触れられもしていなかったし今回の「おすすめ文庫王国2020」でも他に関心を持たれた感じはなかった。というか刊行点数でも全文庫の中で結構な分量を占めているはずのライトノベルを、他のジャンル別ベスト10で取りあげた人がいたかというとパッと見でひとりもいなかった。

 メディアワークス文庫や富士見L文庫や集英社オレンジ文庫も見なかったなあ。ライトノベルなり派生のキャラクター小説があれだけ読まれているのに文庫王国では見えないことになっている。文庫リーグでもメディアワークス文庫と富士見L文庫の名が見えるくらい。選ぶ人のお歳が? それを言うなら自分だって。結局は関心があるか、どうかなんだろう。まあでもここでこうして「境界線上のホライゾン」を推したことを、作者の川上稔さんも喜んでくれて良かった。読んで来た甲斐があったし推した意味があった。これを機会にもうちょっと広がってくれれば、アニメも第3期なり最終章なりが作られるかもしれないなあ。作って欲しいなあ。劇場版とかで。


【12月5日】 東京アニメアワードフェスティバル2020で行われるアワードの部門で、商業作品が選ばれるアニメ・オブ・ザ・イヤー2020の候補作となる100作品が決まった模様。うち20作品が劇場アニメーション映画で映画部門の候補作ってことになるんだけれど、そこに「きみと、波にのれたら」もなければ「海獣の子供」も入っていなくて「バースデー・ワンダーランド」もいなかったりするといった具合に、何かちょっと足りないような状況となっている。

 これは投票によってベスト20が決められてしまうことによるんだけれど、問題はそうやって残された候補から審査担当者が選び決めることになっていながら、そうした審査担当者が自分の信念で本当に良かった作品をこれで選べるのか、ってことになる。なるほど小説のコンテストみたいに途中で下読みだとかがガンガンと落とした残りを選考委員が読んで選ぶような形式だってあるにはあるけれど、落とされたのは公開されていない応募作。映画の場合はすでに上映されて審査担当者だって見ているものなのに、そこで良かったと感じた作品が、候補にいないと推せないという苦渋を味わうことになる。

 直木賞だって芥川賞だって候補作に挙がらない作品を選考委員が推したいことだてあるんじゃないと言えば言えるけれど、最終選考へと挙がる作品は読者の人気投票で決めている訳では無い。だったらどうして決めているのかは問い詰めればボロも出るかもしれないけれど、ある程度の納得の元で候補作は決められている。対してアニメ・オブ・ザ・イヤーの場合はどうなのか、ってところでやっぱりシステムとして、これで良いのかって悩みは今回も起こりそうだなあ。選考担当者でも何でもないから気にはしないけれど、少なくとも「海獣の子供」が評価される場はいつかどこかで欲しいなあ。

 朝からガイナックスがどうかしたとかでニュースが飛び交って何事かと読んでも登場している人物にまるで心当たりがない。つまりは過去の創業者とか関係者がほとんど外に出てしまって別の会社を作ったりしていて、持っていた権利もあれやこれや売り払ったり売らざるを得なかったりして名前だけが残っているといった感じ。その会社を受け継ぎ経営していた人が起こした問題を、過去にいろいろと凄い作品を送り出したガイナックスと同列で考えて良いかというと、そこはなかなか難しい。

 今は権利も持っていなくて関係者も過去とは断裂しているとは言え、ガイナックスという商号を持った企業において「新世紀エヴァンゲリオン」が作られたという歴史は動かしようがなく、その商号を受け継いでいる会社の経営者が起こした事態に「エヴァ」を作った会社の経営者といった表現を使って間違いということはない。ただ「エヴァ」というブランドがこれによって毀損されるとしたら、今まあに「エヴァ」の権利を持って映画を作っているカラーが異論を唱えることも間違ってはいない。

 とはいえ、「エヴァ」を作ったガイナックスの経営者、という表現そのものを違うと断じてはややこしくなるので、ここは確かに過去にガイナックスで「エヴァ」は作られたけれども今の権利は別にあり、作ったクリエイターは外にいて残ったガイナックスに権利もなければ作った人もいないから、関係はないのだといった説明を報道する側に求めるのが穏当だったかもしれない。抗議に「上記のとおり、当該被疑者は『新世紀エヴァンゲリオン』及び『エヴァンゲリオン』シリーズ作品と全く無関係であるにも関わらず」といった具合に、会社ではなく容疑者を主語に使っているのは、その辺りを捉えてのことだろう。

 にも関わらず、「今般一部報道において、『新世紀エヴァンゲリオン』及び『エヴァンゲリオン』シリーズ作品に関する言及のあったことは誠に遺憾であり、強く抗議いたします」と続けていたりするところに、苦渋を感じつつもちょっとした飛躍も感じないでもない。ここはだからやっぱり報じる側に理解を求め親しみを持ってもらうようなアプローチが重畳なんじゃないのかなあ。それにしてもガイナックス、あれだけのことをやってのけた会社が今、その名前の下で惨憺たる事態になっているのは寂しいなあ。似たようなことに他の会社もならなきゃ良いけれど。

 どこまでもミノタウロスが強くなっていくのをいつか誰か止める話になるのかと思っていたけど支援BISさんによる「迷宮の王」の第3巻、ミノタウロスがある種で超越した存在になってしまったところでひとりのヒーローとの間で半ば心を通わせるような状況になりつつ、最後にはやっぱり対決する事にもなって双方に感じ入るところを得て終わるといった、オープンな感じのエンディングになっていた。ミノタウロスが本当に退治されたのかも謎なら、そもそもただのモンスターだったのか、あるいはモンスターから別の存在になったのかといったところも不明なまま。そうした可能性を覗かせつつ人は別に人としての世を歩んでいく。

 途中で王国をめぐる勃興なり衰亡なりの年代記的な記述もあって、後半はそうした展開がミノタウロス退治と乖離している感じもあって構成としてちょっと不思議。前半までは修行をして強くなった上に嫁まで得て2人で挑む展開なんてものも想像できたのに、その嫁が半分くらい死にかけてそれで恩寵で復活したもののヒーローは召還されてはよりを戻すような展開はなく、強い男女の関係へと向かうことはなかった。そうしたキャラクターに対する有り体な展開を捨ててミノタウロスの成長、そして世界の推移に描写を割くあたりが新しさなのかもしれない。これで完結かな。次の作品、他の作品も読んでみようかな。


【12月4日】 「天気の子」や「プロメア」「若おかみは小学生!」なんかがノミネートされたアニー賞でウィンザー・マッケイ賞と名付けられた功労賞を今敏監督が受賞したらしい。過去には人形アニメーションの川本喜八郎さんや手塚治虫さん、そして宮崎駿監督に大友克洋さんに高畑勲さん押井守監督といった面々が日本からは受賞していたけれど、手塚さんのようにおそらくは存命ではない上に没後9年が経っている監督に賞が与えられるのはちょっと異例のような気がする。

 同時受賞は「ナイトメア・ビフォー・クリスマス」や「コララインとボタンの魔女」のヘンリー・セリック監督に「アラジン」「モアナと伝説の海」を共同監督しているロン・クレメンツさんとジョン・マスカーさん。どちらの方々も存命な上に世界的な監督と並ぶくらい、それは死後でもそう思われるくらいに今敏監督が世界的に知名度があって人気も高くそしてアニメーションに多大な功績があったと認められている現れだろう。日本では文化庁メディア芸術祭がかつて贈賞して讃えたけれど、没後から10年目になる2020年に何かしてくれるのか。しなくたって誰かがしようと言い出すと期待しつつあの作品群がまた劇場で見られる機会が来ることを願おう。最高の音響で聞きたいよ、「ロタティオン(LOTUS−2)」を。

 SFマガジンを読み始めた中学生のころから、その名をお見かけし続けていたSF研究家の星敬さんが亡くなられたとの情報。とり・みきさんや出渕裕さん、鹿野司といったパラレルクリエーション回りに名があって豊田有恒さんの周辺から出て来た人だという認識はあったけれど、活動としてはどちらかといえば書誌関係が多かったような記憶がある。その豊田さんが受け持っていたSFマガジンでショートショートSFを募集する「リーダーズ・ストーリィ」の選者になってからは、SFマガジン誌上でも批評が読めるようになっていた。

 その「リーダーズ・ストーリィ」には1990年代だかに2度ばかり、ショートショートを送って掲載はされなかったけれども候補作となって短評を頂いたことがある。もう星敬さんになっていたころだと記憶しているけれど、何年の何月号だったかはちょっと覚えていない。あの頃の創作意欲を毎月のように続けていれば、創作へと道も開けて今こうして路頭に迷うこともなかったかもしれない。一方で少しでもSFに関わっていられるのは呼んで批評を書く仕事が続いているからで、そっちに行った結果を今は喜ぶべなのかもしれない。

 SFマガジンでは2001年からライトノベルのSFやファンタジーを紹介するコーナーを担当していて、そうして挙げた作品をリスト化して星敬さんがSF関連書籍として記録していってくれた。SFマガジンとかSFが読みたいなんかに掲載されているから、今も記録としてライトノベルのSFが残っている。決してすべてはなくてもそうやて残されなければ気にされず記憶されないままだたったかもしれないと考えると、星さんの仕事が持つ意味の大きさも分かる。アーカイブとはただ保存するだけでなく、記録することも重要なのだ。

 「そも仏道とは護法のために編まれ、やがて体系立ててひとつの道として確立された総合戦闘術である」という1行で、その面白さが分かる小説が可能される。鵜狩三善さんの「ボーズ・ミーツ・ガール 1 住職は異世界で破戒する」(レジェンドノベルズ)。発売前なので詳細には触れないけれども宇宙で昆虫型の敵と戦っていた地球からの陣営には侍がいるけれどもその侍が不足だったため、前線に出て戦ったひとりの僧兵。侍ほどの攻撃力はないとされながらも宇宙を駆け抜け敵陣に特攻しようとしたものの果たせず、かろうじて味方の攻撃が間に合い敵は倒されても僧兵はそのまま宇宙で消えようとしていた。

 そこに召喚の誘い。目覚めた世界で僧兵は世界を脅かす魔王を相手に自らの命を引き替えにして挑もうとしている少女を助け、戦いに身を投じる。そんな展開はところどころに楽しさはあっても基本は真面目な文体で、オショウという名を名乗るようになった僧兵が仏教になぞらえられた言葉を繰り広げては技を繰り出し思考をめぐらせ敵を倒していく。僧兵でこれだけ強いなら侍はどれだけ強いんだと思わないでもないけれど、そんな強さに魔王軍の面々も堂々と挑んでは散っていく姿がなかなかに格好いい。呼んでスカッとするストーリー。続編もあるみたいだけれどいったい誰と今度は戦うのか。宇宙から何かが攻めてくるのか。大いに期待。

 シュレッダーの運用を障がい者として雇用されている担当者が受け持っていて、その担当者が出勤時間に制限があるため依頼した書類のシュレッダーへの投入が、その時間にならざるを得なかったという理由自体は理解できないでもない。フルタイムで働けるとは限らない状況で、頑張っている職員がいてその人にちゃんと仕事があるなら幸せなことだから。問題は本当にそういう理由なのかってところで、その時間にシュレッダーにかけなくてはいけなかったとしなければならないなら、その時間にしか働けない人員を用意するしかなく、それが働く時間に制約をある障がい者の方だったというロジックだったらやはり拙い。本当にそうなのか違うのかは突き詰めて欲しいところ。外務省は海外では障がい者雇用は難しいからと枠を減らしてと泣き尽くしなあ。これじゃあ進まないはずだよ雇用。


【12月3日】 アメリカでアニメーションを表彰するアニー賞のノミネート作品が発表になって、インディペンデントの部門で日本から「天気の子」と「プロメア」と「若おかみは小学生!」がノミネートされたとの報。メディアだと「天気の子」くらいしか紹介されておらず、前の「君の名は。」に続いてのノミネートで今回こそはといった話や、去年同じ部門で細田守監督の「未来のミライ」が受賞しているから2年続けて日本作品が受賞かもといった話になっている。

 ただ、作品性なら「プロメア」だって負けてはいないし「若おかみは小学生!」のように日本でだって知る人ぞ知る作品がアメリカで評価されてノミネートされたことへの驚きもある。そうした作品を取りあげて「天気の子」と並べることでそうかそういう長編アニメーション映画もあったんだと、世に知られて欲しい気もするけれども、載せられる情報だって限られる中で最もヒットした作品を紹介するのがメディアの常。あるいは最も知られた作品を紹介することでメディア自体のバリューを引っ張ってもらおうとしているから、それも仕方がない話なのかもしれない。

 そういう時に、すでにバリューを持った報道機関が多少の傾斜はつけてもおおむねフラットな状態で報じて、「天気の子」が持つバリューを他の作品にも流し込むような紹介の仕方ができれば良いんだけれど、ある意味でサブスクリプション型にあらゆる情報を詰め込んで、新聞というパッケージにして配達して来たメディアがだんだんと地位を下げ、ネットという場でバリュー先行によるアクセス稼ぎに汲々とするメディアと競争しなくちゃいけなくなっている。そうなると新聞もバリュー先行にならざるを得ずネットでは「天気の子」ばかりが紹介されてしまう状態に。この傾向は強まりこそすれ緩まることはないと考えると、作品作りもいろいろと厳しいことになっていくんだろう。どうにかならないものかなあ。

 警察に逮捕か拘束かされた少年が、警察から逃げ出したのを拾って逃亡を幇助し、そしてパトカーに追われているのに停車せず、信号を無視するかのうように交差点を突っ切り警察を振り切ろうとして速度超過も行ったまま、突っ走っては最後に水たまりに突っ込んでしまうようなスーパーカブの使われ方を、果たしてバイクメーカーが是として良いのかは迷うところではあるけれど、130億円の興行収入を稼いだ「天気の子」の前には、Yahoo!の知恵袋が使えなくったって別にYahoo!からチェックされないのと同様に、メーカーとしても気にせず人気に乗っかるのが良いって判断だったのかも。

 「天気の子」で夏美が帆高を乗って公道を突っ走るピンクのスーパーカブがプリントされたTシャツがホンダから発売。これが売れるってことなんだろうなあ。3パターンあって映画のような横長のプリントがされているだけといった、あまり美しくないデザインだけれどそういう意味では貴重な品なんでちょっと気になる。とはいえ1枚で6000円近い値段は貧乏人には手が届かない。背中に3コマ分がプリントされたのがデザイン的には楽しいけれど、バックプリントってTシャツをむき出して着た時じゃないとアピールできないからなあ。上にジャケットを羽織って前身でちょい見せくらいが大人には有り難いんだけれど。さてどうするか。そのまえにどうなるか。模様眺め。

 ぜんぶで1054カットある長編アニメーション映画のカット袋を箱から取り出し、背景を抜いて透明な袋に入れて上にトレーシングペーパーをかけ、付属している手描きのレイアウトははずしてカット袋に入っているレイアウトとか修正原画だとかタイムシートなんかを合わせてこれも別の袋に入れ、そしてセル画と動画をカット袋に戻して分類・整理する作業をこの10日ばかり続けてようやく半分くらいまで到達。原画はすでに抜かれてあってそちらの整理は終わっているから、20年前の映画の素材を利活用する道も拓けてくるかもしれないけれど、果たしてそうした場はあるか、っていうと覚えている人がいるかどうかにかかってきそう。

 最近は「機動警察パトレイバー」が盛り上がっていて原画展が大阪で開かれて上映会も開催、そして東京でも原画展が開かれる予定で整理され分類された原画なんかが選ばれ展示されて利活用されている。図録にも入って昔描かれた精緻な筆致をたどることができる。同じ様な状況に長編アニメーション映画もなって欲しいけれど、続編が作られたりして盛り上がりが続く「パトレイバー」と違って記憶の中に留まって、思い出として存続している映画だと果たしてどこまでビジネスに結びつくかがちょっと見えない。だからやっぱり事前に映像も出版も連動があってさあその大元だよ、って行きたいけれどそういう機会はあるのかどうか。新しい作品をどうにか売るのに懸命な業界だけに、難しいのかもしれないなあ。アーカイブという視点から過去作品を保存しつつ見せ、技術の継承に繋げるといったお題目が必要なのかもしれない。


【12月2日】 たぶんそうとは意識しないで声だけ聞いて印象に残った最初は「巨人の星」の花形満になるんだろうか。星飛雄馬を演じた古谷徹さんの初々しくも熱血さを持った声とは対照的にクールで気取って格好いい奴って印象だったなあ。左門豊作の兼本新吾さんは後に「科学忍者隊ガッチャマン」のみみずくの竜でも聞くことになるけれど、タイプは似ていてお名前はともかく同じ声だと感じたっけ。古谷徹さんはアムロ・レイから聖夜なんかを経ていろいろと演じていく中で、井上真樹夫さんは「ルパン三世」の石川五エ門とそして「宇宙海賊キャプテンハーロック」のハーロックが花形よりも強く印象に残った。

 ファーストシリーズの大塚周夫さんとは違った甘さも持ちつつ若さも漂わせながらもストイックな侍といった風情を漂わせた「ルパン三世」の五エ門は、番組内でやがて決めぜりふとなっていく「またつまらぬものを斬ってしまった」とともに長く耳に残る声となっていく。「風魔一族の陰謀」はさておいて浪川大輔さんへと変わった今もやっぱり雰囲気は井上真樹夫さんを踏襲しているといった感じ。それは山田康雄さんのルパンを栗田貫一さんが踏襲し、納谷悟朗さんの銭形警部を山寺宏一さんが踏襲し、増山江威子さんの峰不二子を沢城みゆきさんが踏襲しているのと同様。井上真樹夫さんが石川五エ門のスタンダードを作ったと言える。

 そしてハーロック。どこまでもクールで格好良いいけど花形のようには気取っておらず低い重心からしぼりだす言葉には隅々まで心がこもっている。そんな声を聞かせてくれる役だった。他にもいろいろと二枚目を演じただろうけれどもハーロックの声をそのまま使ったような感じは印象にない。それほどまでに役柄にその美声をチューニングしたともいえる。だからこそ声と顔が一致するキャラクターになった。今ほかの誰がどう演じてもハーロックにはならないような、そんな気すらする。それほどまでにマッチした役だった。

 そんな井上真樹夫さんが死去。81歳はご高齢だけれどまだまだ元気でいられる歳でもあった。残念。これでルパン一家で存命は今のメンバーを除けばファーストの峰不二子を演じた二階堂有希子さんと新ルパンの増山江威子さんってことになるのか。もちろんパイロットフィルムからずっと次元大介を演じている小林清志さんも存命だけれど、山田康雄さんが無くなり納谷悟朗さんが泣くなってそして井上真樹夫さんとなると新ルパンという人気を蹴ってづけたシリーズでの5人中で3人が鬼籍に入った。これが時代なんだなあ。 昭和は本当に遠くなった。小林清志さんにはもう思う存分に次元を演じ続けて欲しいなあ。何を言われたって他にいないんだから。

 今の時給で働く業務委託の身となってようやくその厳しさも感じられるようになった非正規雇用の不安定さに対する不安といったものを、解消しようと自治体なんかがとみに増えている非正規雇用の職員にも正規雇用の職員と同様に賞与なんかを出すようにしようという動きがあるそうで、それは素晴らしいことじゃないかとよくよくニュースを読んだら何と賞与を出す代わりに月々の払いを減らすといった措置を行っているらしい。意味ないじゃん。

 月々もらえてなおかつ正規の職員と同じ仕事をしているのだから同じだけの賞与をもらえて当然なはずなのに、トータルの支給額が変わらないならそれは何の助けにもなっていない。むしろ月々を減らされ困窮すする人の方が増えそう。借金漬けになってそれを賞与で返したところで、利子はとられる訳だから前より支払いは多くなる。だったら月々を増やして欲しいというのが実情だろう。っていうか普通の賞与をプラスしてくれって言いたくなる。海外ではそうしたパートタイムの方がむしろ手厚いっていうのにこの国は。

 医療費も支払いを抑制する方向にあって国が国としてのサービスを提供できなくなっている。それなのに税金は上がる。それが総理大臣の私的な宴会に用いられている可能性がある。そうした苦境に誰もが喘いでいるのに下がらない支持率っていうのはつまりもはや政治なんてものに関心を向けているほど心に余裕がないんだよ。ニュースなんて観ている暇がないんだよ。積極的に支持ってより今より悪くなるかもしれないなら今のままが良いってだけの消極的な支持だよ。その上にあぐらをかいてどんどんと簒奪していった果てが今。底が抜けてようやくヤバいと気付いた時にはもう遅い。というか既に遅いのかも。どうなるんだろうなあ日本。そして僕の明日は.

 Netflixでアニメ版「蒼き鋼のアルペジオ」を見続けたせいでアプリ版のゲームもやってみたくなってiPadにインストール。始めて艦を建造したらタカオが出てタカオが出てタカオが出てキリシマも出てキリシマもまた出たりしてコンゴウにコンゴウとそしてイオナとイオナが並ぶ状況になってしまった。いくらメンバーが少ないからってこれではなあ。とはいえすべてがちょっとずつ違うところが面白いというか。作り手もいろいろと考えているというか。これであと出たとしてマヤくらい? ヒエイとか生徒会役員たちはちゃんと出る? 気になるからやり進めていこう。


【12月1日】 7月くらいから試写の機会がありながらも日程が合わず観られなかった「HUMAN LOST 人間失格」をやっと観た。なんだ面白いじゃないか。太宰治の原作からの入れ替えだとか増幅だといった分析は脇において、社会がナノテクノロジーの発達によって誰も死なないようになって、その中で長く生き続けることを至上とする勢力がいる一方、死ねないことへの不満を抱えて爆発させようとしている勢力もある。そんな状況にあって死なないような体の仕組みをぶち壊し、暴走させることでモンスター化する事件が勃発する。ヒューマン・ロスト現象と呼ばれている。

 その事件の裏で動いているのが堀木正雄という人物。元医者で、死なないことへの倦んだ気持ちを利用してヒューマン・ロスト暴走させているようだけれどその目的はどうやら別にあるらしい。そんな堀木が竹一というバイク乗りの青年と、そして画家をしている葉蔵という青年を選んで暴走させた挙げ句、葉蔵に異変が起こる。それは世界を脅かす存在なのか、それとも救う存在なのか。

 同じ様なある種超越した存在はほかにもいて、柊美子という健康保障機関の広告塔をやりつつヒューマン・ロスト現象を感知する力を持った女子で、葉蔵が同じ様な身になったことを感知して機関へと誘うもののそこに堀木の手が伸びる。一方で機関を動かす合格者、歳をとってなお生き続けるものたちの策謀もうごめく。死を望まず生き続けたいと願いもの。生き続けることを拒絶して死を求めるもの。立場や考えの違うものたちのはざまで利用される美子、あがく葉蔵。その行き着く先は青空のある理想の世界か、ヒューマン・ロスト現象によって滅びた世界か。

 そんな感じに社会保障がある意味で行き届き、けれども管理された未来のビジョンを見せてくれるところがSF的。色相によって犯罪の可能性を未然に防ぐシビュラシステムが行き渡った「PSYCHO−PASS サイコパス」の世界とはまた違った、管理と統率が行き着いた世界のビジョンを見せてくれる。冲方丁さんが考えた世界観か。それがよくもまあ太宰治の「人間失格」と結びついたものだと驚き。企画を聞いてから何年もかかって練り上げたことはあるというか、それだけかけないとこの設定は生まれてこないよなあ。

 噂されていたように初見では分からないということはなく、ナノテクノロジーを使った人間お管理と進化が根底にありつつそれが倦んだ空気を招いているといった感じに、だいたいの設定は理解できたからついていけた。市街地が汚い場所と綺麗な場所に分かれているのはどういった格差があるんだろう。「PSYCHO−PASS サイコパス」でもそうした地域はあったけれど階層として分けられているといっった設定があるのかな。ちょっと分からなかったのが、バーでマダムが襲われたあたりか。どういう展開があったかが知りたい。

 おそらくは堀木がうごめいて葉蔵の覚醒を促そうとしたんだとは思うけれど、マダムがなかなか美麗だっただけにちょっと勿体なかった。いいもの拝ませてくれたし。それを観にまた行きたいかもしれない。今年観た中でも上位に入りそうな傑作SFアニメーション映画。でもやっぱり太宰治さんの原作とどういった関係があるのかはすぐにはつかみづらかった。浅香守生監督による「青い文学」シリーズのアニメーションで、原作をきわめてしっかりと再現した「人間失格」を見返したくなってきた。家にBlu−rayがあるはずなんだけれど、どこに仕舞ったかなあ。他の方法では観られないのかなあ。

 9月の終わり頃から関わっていたNHKのBS8K1周年記念番組がいよいよ放送されるというので観られる場所を探して渋谷のNHKへ。さいしょはスタジオパークに入ったけれど17時半から18時の放送時間の途中で放送を止めてしまうそうなので、そこを出て近くにあるふれあいホールへと移ってそこのロビーにある8Kテレビで番組を視聴。その前に放送されていた江戸切り子の職人さんたちをとらえたドキュメンタリーガラスでできた江戸切り子の美しさが隅々まで表現されていて、解像度の高さが質感をそのままとらえる8Kの凄さに感じいる。

 これが俳優さんなんかだとしわとかしみまでとらえてしまって、美しさかっこよさを損なってしまうんじゃないかって不安が芸能界にはあるみたいだけれど、番組「躍進する世界の8K」に出演をお願いした落合陽一さんは、そうしたしわとかしみも含めてその人が生きてきた証であって、逆に映し出すことによって人生なり考え方なりが見えて来るんじゃないかって話してた。本物の役者だからこそにじみでる本物感。逆にニセモノは耐えられなくなる。怖いけれどもそれはそれで素晴らしい状況が待っているのかもしれない。

 とはいえお金がかかるのも実際で、ハリウッドなんかが本気で作ったセットの上で本気で演技する俳優たちが本物の芸を見せてくるようになると、日本のちゃちなセットとかアイドルあがりの人気者では大きな差が出てしまう。それをこれまでは勢いとかで見せていたのが耐えられなくなった時、日本のテレビ番組制作はどこへと向かうのか。より資本の大きなところに飲み込まれてしまうのかもしれないなあ。世界の何十億を相手にするハリウッドなりNetflixのようなメディア、あるいは国内だけで10億人以上の市場を持つ中国。それらが作り出す本物に対抗する日本のコンテンツって何だろう。アニメーションも8Kでは作るのが大変だろうし。困った。とはいえそこに活路を見いだせば将来はある。頑張って。

 百合×SFはなにもハヤカワ文庫JAの専売特許ではないようで、講談社ラノベ文庫から登場したこまつれいさん「101メートル離れた恋」は目覚めるとなぜか女性型のオートマタ、つまりは機械人形の中に入っていた少年がその体で男性相手にご奉仕する日々にうみ果てた先、派遣された家で神尾イチコという少女と知り合い次第に仲良くなっていく。自分は人間の男子だと信じてもボディは女子というオートマタがどうして生まれてしまったのか。異世界からの転生ではなく生み出されたオートマタが自己防衛として行ったあることが招いた事態というアイデアとしてユニーク。最終的に男子の意識はどこへ行ったか。気になるところではあるけれど、オートマタが自意識を持ったらどうなるかを示唆してくれるSFと言えそう。


【11月30日】 デビュー作となった「螺旋時空のラビリンス」をSFマガジンで誉めた讃え、そして「宝石商リチャード氏の謎鑑定」をミステリマガジンで推しつつ直木賞級だとやっぱり誉めた讃えた辻村七子さんが「宝石商リチャード氏の謎鑑定 公式ファンブック エトランジェの宝石箱」を刊行した記念で新宿紀伊國屋でサイン会を開いたので見物に行く。ネットからの応募で結構な倍率があったみたいだけれどもなぜか当選。そして行くと午後3時からの回は僕をのぞいて全員が女性で「宝石商リチャード氏の謎鑑定」が届いている層ってのが何となく見えてきた。まあ想像はついていたけれど。

 女生徒見まがうくらいに美貌の宝石商リチャード氏の宝石店で、大学生で生真面目な中田正義という青年が働き始めるというストーリーから浮かぶあれこれ。事件の方は宝石が絡んだ解決が示されいわゆるお店ものミステリとして機能しているけれど、キャラクターの方は正義がまったくのノンケで女性の友だちの話もしたりする中で、リチャード氏がいろいろと不思議な表情や態度を見せたりする関係にモヤモヤというかジンジンとしたりする人がいたみたい。そうした声を受けた人気ぶりで文庫はついに50万部を突破した。

 そして2020年1月からいよいよアニメ化となってリチャード氏の声に櫻井孝宏さん、そして中田正義は内田遊馬さんといった布陣でこれまたファンの心を貫いた模様。期待も高まる中でのサイン会では女性がお土産やら手紙やらを持ち寄って辻村さんといろいろ話をして、それにしっかりのるというか自分からいろいろと話かけている辻村さんの陽気さにちょっと推された感じ。こちらはネットでの交流もないし手紙も出したことがないため、とりあえずSFマガジンとミステリマガジンで紹介させていただきましたとご挨拶。伝わったかは知らないけれど「螺旋時空」を紹介したことはもしかしたら分かったかもしれない。あれは今もってSFの傑作として語り継がれるべき小説だから。

 サイン会を終えて新宿武蔵野館でアニメーション作品「進撃の巨人」を手がけているIGポートグループのアニメーション制作会社、WIT STUDIOがなぜか製作を手がけた実写映画「わたしは光をにぎっている」を見たらとてつもなく絶品だった。あの「アストラル・アブノーマル鈴木さん」で地方在住のユーチューバーと都会で活躍するアイドルの2役を演じ分けた松本穂香さんが主演ってだけでも凄いことは確実なのに、ストーリーも映像も抜群で見ていてこれはとても凄い映画なんじゃないかといった想いが浮かんだ。

 父はもうおらず母も自分を産んだ際に死んでしまった澪という女子。湖畔にある民宿に暮らしていたけれど、世話をしてもらってた祖母の不調もあって地方から上京して、父親の知り合いだったという男のところで暮らし始める。そこは葛飾区の立石近辺あたりにありそうな銭湯。そこに暮らしつつ仕事を探し始めた澪は、最初はスーパーで働き初めても人見知りなのか引っ込み思案か客の対応に戸惑いやがて辞めてしまう。何をしよう。そこで祖母の言葉が響いてくる。「目の前のできることから、ひとつずつ」。慣れぬ手つきで銭湯を運営する父の知り合いの手伝いをはじめ、居場所を得ていく。

 けれども、そんな淡々として平穏な暮らしも長くは続かない。下町によくある再開発の波。ドキュメンタリー映画を撮っていた男子も、ラーメン屋で修行をしてようやく自分の店を持てるくらいの腕前になった男子も、そこでの居場所を失いかけていく中、同じ様にこれからどうするんだと心配された松本穂香演じる澪は、意外にも臆していた性格が少しだけ抜けたか、自分から何かをしようとしはじめる。落ち込んでいた銭湯の主人を励ますようにしてイベントを企画し、そして最後までしっかりと看取る。

 大きな転機に戸惑いながらも、新しいことに挑もうとして不安から挑めず、良かった過去に縛られ歩み出せないまま泣いている人がいる。つまりは僕のような人間だ。そんな僕にとって過去とかにこだわらず、何をやりたいかと考えて背伸びするのではなく、今できること、してもらいたいことを頑張ってひとつずつこなしていくことで、だんだんと手に光を握れるようになるかもしれないと思わせてくれる映画だった。そして思った。できることからやっていこうと。

 都会でのひとり暮らしの不安とか、飲食店や小さな店舗が並ぶ下町の情景とか、誰もがお互いのことを思いやっている人情とか、再開発のように飛び込んでくる波乱に流されないで自分から歩みだそうと決断するストーリーとか、情動を煽って描けばとてもポップな映画になりそうな気がした。あるいは寅さん両さん的な下町人情物語になりそうな気がした。そんな題材を淡々と、自然体の風景の中に描いてとても美しく、見ていてじわじわと感慨が浮かぶ。大げさから遠く離れた松本穂香の自然すぎる演技がそんな映画に透明な光をもたらす。これがれが新しい日本映画か。同じ東京の街、頑張っている若者達を描いていても、新海誠さんにはその立ち位置的に撮れない、撮らせてもらえないタイプの映画ってこと。そんな「わたしは光をにぎっている」。傑作。大傑作。WIT STUDIOがこれで140億円を稼げばIGポートグループも安泰なんだけれど。

 文化庁長官表彰というのがあって漫画家の高橋留美子さんやアニメーション監督の富野由悠季さんが選ばれていて日本のポップカルチャーもここまで来たかというとちょっと遅いぐらいって気もしないでもない。まあ富野監督は作品の製作年代にばらつきがあって2000年代からこっち、Zガンダムのリビルドとあと「Gのレコンギスタ」くらいしか作品がないからタイミングとして今くらいになって不思議は無いけど、高橋留美子さんはもうずっと漫画家として描き続けていてそのすべてがヒット作になっているくらいの凄い人。だから10年早くても異論はなかったけれど、年功序列的な中ではそうなってしまわざるを得ないんだろう。今その活躍に匹敵するとなるとあだち充さんってことになるのかな。いずれにしても偉大な漫画家にスポットがあたって嬉しい限り。あとはそうしたポップカルチャーの殿堂を政治が後押しすることが肝心なんだけれど……。動けメディア芸術ナショナルセンター。


【11月29日】 すでに海外でもひとつ、賞をとっていた新海誠監督の「天気の子」が報知映画賞でアニメ部門を受賞して国内まず1冠といったところ。日本アカデミー賞も堅いだろうからあとは日刊スポーツ映画賞だとか毎日映画賞だとかいった賞でどこまで入るか期待が高まるけれど、前の「天気の子」の時は片渕須直監督の「この世界の片隅に」があって日本アカデミー賞の最優秀アニメーション作品賞を持っていかれてしまったから、そっちは初戴冠を狙うってことになる。

 毎日映画コンクールはアニメーション映画賞を「君の名は。」が取り大藤信郎賞を「この世界の片隅に」が取ってと訳あった感じ。今年はほかに「プロメア」とか「海獣の子供」とか「君と、波にのれたら」もあるからもしかしたら訳あったりひっくり返ったりするかもしれない。というか「海獣の子供」にはどれかにひっかかって欲しいけれど、可能性があるとしたら大藤信郎賞か、あるいは文化庁メディア芸術祭のアニメーション部門大賞あたりになるかなあ。そっちは前は「天気の子。」はとれず「この世界の片隅に」がとたからやっぱり分け合うかな。いやいや「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が狙ってくるかもしれないなあ。

 今日も今日とて三鷹で劇場アニメーションのカット袋を整理する日々。会社に入る前にピザ屋さんがある入口で長身な上にスリムな男性が革ジャン姿で経っていて、マスクをしていて格好いいなあと思ってよく見たら社長だった。還暦くらいなのに相変わらず。だからこその完成をこれからも作品作りにガシガシと発揮して欲しいです。最近ちょっと劇場映画のムーブメントに乗り遅れている感じがあるし。「天気の子」級とは言わないまでも「プロメア」級のが欲しいなあ。それにしてもあんな恰好でどこに行ったんだろう。

 仕事では水産加工業のごとくにカット袋から背景を取り出し袋につめ、セル画と動画をカット袋に戻してそして原画だとかレイアウトだとかタイムシートだkとかを袋に詰める分類を繰り返し。カット番号で400近くまで行ったけれど全部で1000はカット数があるからまだまだ3分の1ちょっと前といった感じ。そんなカットを見ていると、コルクボードに写真を止めてある場面でコルクボードの質感を出すために、背景を描くんじゃなくコルクボードをそのまま使ってあったのを知ってちょっと驚いた。その方が早いとはいえしかしやっぱり面白い。

 あとは登場人物が漫画家デビューして描いているマンガの原稿を映した場面で、本当にマンガの原稿が誰かによって描かれていた。本宮ひろ志さん風のタッチで原稿用紙に描かれてフキダシには鉛筆でセリフが。あるいは描き途中のものとか。誰が描いたんだろう。アニメーターさんではないよなあ。ある意味で貴重な品々だけれどそれが果たして世に出る機会はあるのか。もちろん映像作品としては出ているけれど、原画として展示されて目の当たりにできるかどうかが目下の関心事。せっかく分類して整理しても死蔵されてはもったいない。活用されるために頑張っているんだけれどそれが可能な状況は来るか。景気かなあ。あるいは声。それが見たいという。高まるか。って何の作品か分かったら凄いかも。

 そうしたアニメーション資産の利活用なんかに有用とされるメディア芸術ナショナルセンターの設立に向けた法案整備が国会審議の停止のよって宙ぶらりんに。もちろん安倍政権がいろいろとヤバいことを隠していて、それを暴いていかなければ政治がぐちゃぐちゃになってしまうというのはよく分かる話で、だから野党が頑張っていることは理解できるんだけれど、そうやって頑張って果たして安倍政権が倒れるか、あるいは明かすかっていうと過去、そんなことはまったくなかった訳で単なるポーズで終わってしまって法案が通らないという苦痛を国民が味わったりしている。

 だから審議には応じて別に追求をとも言いたいけれど、別に追求しようにものってこないからこそのすべてのストップというのも分かるだけになかなか辛い。メディアがもうちょっと政治に潔癖だったらここまで泥沼にならなかったんだけれど、もはやどこ吹く風が通常になってしまった世の中だけに、審議拒否はポーズにもならなくなっている。今はだから野党は国民が臨むことは応じて行きつつそうした支持を政権交代に繋げる努力をして欲しいなあ。という訳でメディア芸術ナショナルセンターをよろしく。これが通過しないと来年から食えなくなっちゃうかもしれないんだ、ってやっぱり自分の都合かい。そりゃ自分が大事だから。

 中曽根康弘元総理が死去。レーガン大統領の前で大法螺を、じゃなくってホラ貝を吹いてご機嫌をとったりしてタカ派政治家だと思われていたけれど、憲法改正にあたっては改憲派ではあっても日本が極右なりに走って戦争に向かうようなことは嫌っていた感じがある。そこは戦争を知っている世代の政治家で、またやれば勝てるだとか負けた記憶を消したいなんてことはなかった。ある意味で重しにはなっていたけれどその死去で今の戦争を知らない坊ちゃん総理がますます調子づかないかと心配になって来た。長老がどんどんといなくなって残っているのが森喜朗元総理では……。日本はいよいよ大変かもしれないなあ。


【11月28日】 これは吃驚というかそんな映画が作られていたんだとようやく気がついたドキュメンタリー「<片隅>たちと生きる 監督・片渕須直の仕事」。映画「この世界の片隅に」が公開されたあたりから3年間を追い続けた記録だそうで、数多くこなしてきた舞台挨拶や呉とか広島への訪問、そして世界を駆けめぐっての上映会などに参加した足跡が記録されているんだろう。横浜で開かれたクラウドファンディングの報告会とか参加したものも多いからもしかしたらどこかに映っていたりするかな。あとサイン会とか。

 でも本当に観たいのはこの3年間もずっと作り続けていた「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」のことで、舞台挨拶とか世界各地の映画祭への出席の間間にどれだけの資料や史料を集め直してあの物語を作り上げたのか。ただ原作から落とした部分を付け足しただけじゃなく、すでにある「この世界の片隅に」とい映画に匹敵するだけの調査を行った上に既にある部分すら精査し直しただろう映画が作られて行くプロセスを観ることは、この世界を映画の上にどうやって記録していくかといったアーカイブ的な作業への参考になる。その緻密さ、その執念深さを学びたい。

 問題は、そうやって集められた資料とか史料とそして映画に関する材料が公開後にどうなってしまうのか、ってところでデジタル部分はハードディスクに保存しておくことも可能だろうけれど、本棚の右から左までぎっしりと詰まった本とか紙類なんかはこのあと散逸してしまうのか。たった1枚の写真のために買い揃えた資料もあるかもしれないから、邪魔かとうとそうした調査と検討のプロセスもまた映画が完成するまでの道のりとも言える。それを含めて1本の映画だとするならば、やっぱりまるごと保存したいところ。それだけの費用と場所があるかはともかく。でもやらなくちゃ。そして片渕須直監督を中心においてあの写真を次々に見せる技を披露してもらう、と。それは流石に無理か、次の映画もあることだし。

 紙媒体もいよいよ難しい時代に入ったというかとっくに入っているというか。とりわけ情報を扱うメディアは速報性が求められる中で紙媒体では追いつかなくなっている感じ。オリコンという会社の元になったオリジナルコンフィデンスという言葉からとった「コンフィデンス」というエンターテインメントビジネス情報誌をオリコンが発行をやめるとか。以後はネットでの情報提供になるんだけれど、それで紙ほど稼げるのかどうかってところがなかなか見えてこない。紙って固定費はかかるけれど収入も安定しているから。とはいえすでにそれだけのボリュームが確保できていなかったら、ここでネットに切り替えデータを有償で展開する方に向かうのも当然か。新聞はボリュームがあるだけに紙をやめられないんだよなあ。そこが四苦八苦の要因で。

 通っているアニメーション制作会社がある三鷹駅の北口に松屋があって、そこの上が松屋フーズの本社ということでもしかしたら最高のサービスが受けられるかもと時々入るけれど、全国の松屋のどこも同じメニューであることに変わりはないから味が特段凄いということは別にない。そんな松屋がカレーをやめるっていう話が飛び出して、ネットニュースなんかが騒ぎ立てていたけれどもその中にいちおうは全国紙もあって何というかどうしたものかといううか。

 情報源は松屋の公式ツイッターだから「オリジナルカレーをやめる」という主張自体に虚偽はなく、それを書いて間違いということはない。ただ、新聞なんだからそうしたツイッターが何を意味するのかを聞いて本当にカレーをやめるなら撤退と書いて理由をそえるべきだし、何か他に思惑があるならそれも含めて書くのが報道って奴だろう。そして裏がとれなければ書かないのも判断。というかネットですぐさま盛り上がった、これは創業カレーへと切り替えるための前宣伝に過ぎないという声が真実なら、その新聞はまんまと松屋の宣伝に乗せられたことになる。扇動に躍ったというか。

 そして実際に松屋は創業カレーを売り出すことを発表。すぐさま新聞もそれを記事にはしていたけれど、ネットの情報をそのままコピペして垂れ流すことをやって許されるのはネットメディアであって、新聞がそれをやったら信頼に関わる。あらゆる情報が精査され吟味され裏とりもされた上で掲載されていると誰もが思うからこそ、新聞は新聞として信頼され信用され生きていける。にも関わらず……。そうした一線すら超えてしまったところにいろいろと難しい事情があるんだろうなあ。っていうか別の方面では一線どころかすっかり右奥へと踏み込んでしまっているから。黒字になったし採用も始めているけれど、未来はいったいどうなのか。そこはやっぱり気になるなあ。

 そして三鷹では段ボール箱から膨大な量になるカット袋を若い番号順に取り出していっては並べてそして、背景を抜いてとレッシングペーパーをはさんで袋にいれ、レイアウトとか原画とかタイムシートとかを抜いてこれも袋にいれ、セル画や動画をカット袋に戻して分類して保管していく作業をずっとやっている。何時間も同じ作業を続けていると、自分が漁師がとってきた魚をさばいて身だとか卵さとか頭とかに分けて並べて保存していく水産加工場で働いているような気になって来た。扱っているのがただの魚ではなく、そしてやっているのが世界で数人という違いはあるけれど。せっかくさばいた身とか卵とか骨とか誰か食べてくれるのかなあ。料理して出す場とか出来るのかなあ。それがあるなら気力も湧く。今はなくても未来にあると信じて気力を振り絞ろう。


【11月27日】 Amazon Prime Videoでノイタミナの過去作品が一気に増えるようで、あの作品この作品が観られるようになるとネットとかで話題になっていた。多かったのが「東京マグニチュード8.0」の配信開始で、首都圏にマグニチュード8.0の巨大地震が起こったらいったいどんな状況になるのか、その中を少年と少女が家まで戻る際にどれだけの危険があるのかを、アニメーションながらも綿密な下調べの上に描いて話題になった。今も有明にある防災センターではこのアニメの一部が啓発のために上映されていたりする。

 このアニメが放送されてからしばらく経って。マグニチュードが8.0を超える東日本大震災が発生してアニメの中で起こったことが大いに参考になった。さすがに津波までは想定はしていなかったけれども、結構な揺れに見舞われた東京とか大都市圏では似た経験をした人も多いんじゃなかろうか。あれからまもなく9年となって記憶も薄れ始めている中、改めて巨大地震が何をもたらすかを知る意味でも見てもらいたい作品。本当はテレビで再放送されて欲しいんだけれど、そういう方面ではフジテレビってからっきしだからなあ。ノイタミナで再放送されたのなんてあったっけ、再編集版の「PSYCHO−PASS サイコパス」くらいかなあ。

 だからノイタミナの配信は結構嬉しいかもしれない。ほかにも「ギルティクラウン」とか「図書館戦争」とか「東のエデン」とかあってプロダクション・アイジー的にはこれを機会に過去作品を盛り上げてば良いんじゃないかなんて思わないでもないけれど、目下の放送中作品に目いっぱいのリソースを注いでいるからそうした余裕なんてないのかな。僕らは僕らでもっと昔の作品なんかをどうにかしようとしていたりする感じだし。ほかに注目作品はやっぱり小林治監督による「Paradise Kiss」か。山田優さんが声を担当してオシャレな映像でもって作られた作品だけれど、話題にあまりならなかったんだよなあ。パッケージ出たっけ? それすらも記憶にないだけに改めて見てクールさを感じたい。

 そんなAmazon Prime Videoではなく、 Netflixの方でここのところ観ているのが「蒼き鋼のアルペジオ −アルス・ノヴァ−」。もう何度か見返しては居るしBlu−rayディスクも持っているけど漫画版とは違った展開ながらもストーリーがギュッとしまっていて面白い。あとはサンジゲンが3DCGを使いつつ2Dライクなアニメーションに挑んだ初期でありながら、とても表情豊かで動きもしっかりしていて最近よりもむしろ2Dアニメーションに近い雰囲気を感じさせる。「ブブキブランキ」も悪くはなかったけどどこか3D感がまだあったし、あとはストリーが……。なので「アルペジオ」は原点でありエヴァーグリーン。劇場版2作品も観られるのも嬉しい。

 可能ならその劇場版をまた映画館で観たいけれどもそれはさすがに無理かなあ。イオナのラストについてはなかなか寂しかったけれど、エピローグに希望が見えたからあるいはまだ続いているのかもしれない。原作の方のイオナは千早群像と分かれて後、自立をして口調もきびきびとしてしっかり艦長といった風情を見せている。第四施設に関する問題も浮上しアドミラリティ・コードも登場してと真相に迫りつつあるけれど、とりあえずキリシマがメンタルボディを取り戻してヨタロウから抜けたことが大きな大きな展開か。長かったよなあここまで。アニメでは最後までヨタロウだっただけに改めて、漫画版のアニメ化なんかでキリシマの美麗な姿を内山夕実さんの声ともども楽しみたいかも。あるかなそんな展開は。

 そうそう「蒼き鋼のアルペジオ」の世界では海は霧の艦隊に占拠されて外洋航海ができず空も飛行機が飛べない状況になっていて、大陸間の交易は不可能となって資源に乏しい日本なんかは大変な状況に陥り、そして大陸では暴動が起き世界は疲弊して衰退して滅亡の手前まで行っている。移動があって始めて世界はつながりそして繁栄した訳で、そんな体制の上に載って誰もが今の暮らしを享受している中、飛行機は温暖化に影響を与えるから乗らないとか言い出すことは果たして是か非か、ちょっと考えなくちゃいけないかもしれない。

 アーティストが飛行機はもう乗らないといってワールドツアーを行わないのは主義だから仕方が無いとして、それを日本の国会議員がたとえ環境大臣だからといって褒め讃えて良いのかどうか。飛行機による貨物輸送でもって日本が受けている恩恵を考えた時、あるいは飛行機で来る観光客なりビジネス客で日本が受けている利益を考えた時に飛行機での移動は悪だと言い切れるのかどうなのか。そこまで踏み込んで発言しないと足下を掬われることになりかねないけれど、言っているのが政界きっての詩人だからこれはもうある種の理想空想の類だと考えるしかないのかもしれない。船だって重油で動いてる訳で当然のように温暖化には影響を与えている。そうしたものまで否定し始めたらそれこそ「蒼き鋼のアルペジオ」の世界になってしまうんだけれど。それで良い? 霧の艦隊が押し寄せメンタルモデルで溢れかえるならそれはそれで嬉しいかな。


【11月26日】 朝に弱くなってしまったのが薬のせいなのか、単なる怠惰のせいかはちょっと判断がつかないけれど、いよいよもって締め切りとなるとやっぱり落とすわけにはいかないと、早朝に起きて片付けようと考えたもののそれはやっぱり無理だと思い直し、きのうのうちに今日は休むとカレンダーに書き込みつつ、普段よりは早めの午前9時には起きてすぐさま支度を調え家を出て、船橋中央図書館のパソコンが使える席を使ってひたすら原稿を書きまくる。

 夏の間は船橋西図書館に行ってよく原稿を書いていたけれど、そっちは専用のコーナーがあって朝1番で並んで席をとったら3時間はずっと使えるようになっているので、目的が同じ人が集まりやすく環境として割と静かだったりする。船橋中央図書館はそうした予約が不要な変わりに、長く陣取って洗濯物とか乾かしている人もいたりして、席も専用といった感じじゃないので平日くらいしか行かなかったりした。その変わりに時間制限を言われないので、今日は4時間くらいいる覚悟でまず入り、カフェオレで糖分を頭に送り込んでから原稿書き。そしてどうにか3時間くらいで書き終える。

 西へ行っていたら稼げた金額だけれど、それでも締め切りを抱えながら仕事をこなしても能率は下がるし、ただでさえ不安がわき上がる気分によろしくないから、ここは相殺と割り切ったという次第。明日からはまた西へと通ってセル画を抜き取り背景を袋詰めして原画を整える作業に邁進。その結果としてあの名作映画が甦るようになるのなら、って思いたいけど果たして利活用はうまくいくのか。20余年に及んでいろいろ話題に上りながらも展覧会とかあまり開かれなかった作品だからなあ。でも名作であることに変わはないので、これを機会に活用が進んで欲しい。バカばっかな世の中にこそ相応しい作品なのだから。

 12月20日の「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の公開に向けて片渕須直監督に関連する企画が盛り上がっているようで、あの爆音極音で有名な立川シネマシティで「アリーテ姫」と「マイマイ新子と千年の魔法」の上映が行われるらしい。これは僥倖。「マイマイ新子と千年の魔法」はDCPとなって音質が格段に向上して、先週に新宿ピカデリーで観た時なんか虫の声から風の音までがしっかりくっきり聞き取れるようになっていた。これがあの上映環境も極上な立川シネマシティにかかるなら、やっぱり観ておきたい気が満々。きっとアートブックも販売されるだろうから、まだの人は行くと善哉。さすがに片渕須直監督の登壇やサイン会はないだろうけれど。

 そしてあの「アリーテ姫」の上映もある。こちらはDCPなんてないから35ミリのフィルム上映。何年かまえに三鷹でもって上映かがあって、その時は背後でカタカタと鳴る映写機の音を聞きながら上映をみたっけか。それもまたなかなか風情があったけれど、映画館で観ておいた方がやっぱり良い作品であることに変わりが無い。最初に観た時も映画館というより東京都写真美術館のホールだったから、改めて極上の上映環境で観てみたい気がする。いつになったらブルーレイが作られデジタルリマスターされDCPになるか分からないだけに、フィルム上映可能な劇場も減っている今、観られる時に見ておかないと次いつ観られるか分からなくなるから。頑張ってチケットとろう。その前に時間を作らないと。

 片渕監督といえば年明けの1月8日も五反田のゲンロンカフェで土居伸彰さんとの対談が控えていて、こっちはチケットの拡大販売があったのでそれでとりあえず席は確保。一応会員ではあっても最近、出不精が祟ってあまり出かけなくなっていたから久々に覗いてみるのも良さそう。前に土居さんと対談があった時は、ユーリ・ノルシュテインの新作映画制作に向けた経過をドキュメンタリーにした作品を語る会だったから、テーマもあまり「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は及ばなかった。今回は公開も始まってのイベントだから、いろいろと詳細を語ってくれそう。絵コンテ本とかムックとかも発売になるし、サイン会もきっと開かれるだろうから買うのはそれまで待とうかな。

 大河原邦男さんが暮らしている稲城市でしばらく前に駅頭にガンダムとザクの大きなフィギュアが置かれるイベントがあって取材に行った記憶。そして11月30日には大河原邦男さんのデザインしたメカが描かれたマンホールが登場するとか。ガンダムにボトムズにヤッターワンにアイアンリーガーのマグナムエースになしのすけ。最後のは大河原さんが稲城市のためにデザインしたオリジナルキャラクターで、それらがあの広い稲城市のどこかに置かれるらしい。いやちゃんと長沼駅、矢野口駅、南多摩駅、若葉台駅と決まっているけど見て回るとなると結構距離があるようなないような。日テレ・ベレーザの試合を見に行っていた時は割と通っていたけど最近ご無沙汰だからなあ。寒くなるんで春になったら見て回るか。そんな余裕が身心にあるか分からないけれど。いや半年先のi☆Risを観るために行き抜くんだと決めたばかりじゃないか。頑張ろう。


【11月25日】 毎年恒例の「このライトノベルがすごい! 2020」が刊行されたのでパラパラ、というか協力者アンケートに答えているからちょっと前には見ていたけれども今日が発売日なので情報も解禁、宇野朴人さんの「七つの魔剣が支配する」(電撃文庫)が文庫部門で総合とそれから新作の1位に輝いて、去年の瘤久保慎司さんによる「錆喰いビスコ」(電撃文庫)に続いての2冠を成し遂げたっぽい。宇野さんは新人ではないから瘤久保さんとはちょっと違うけど、それでもやっぱり新しい作品が上位に来るのは今後の展開に後押しにはなるのかもしれない。

 気になるとしたら協力者ランキングではダントツの1位なんだけれども、WEBランキングつまりは一般の人たちからの投票では30位までにも入っていないことで、そのあたり単に現在進行形の人気投票にはしたくない編集部の意向なんかも入って、目利きによる将来性を買った投票が多く集まる協力者ランキングに傾斜配分をしているから仕方がない。ただ白鳥士郎さん「りゅうおうのおしごと」みたいにWEBランキングで4位に入って協力者ランキングでも2位にいたりする作品もあるから、面白い作品は誰にとっても面白いっていうこと。そうしたバランスに注目したランキングもちょっと知りたい気がする。

 単行本・ノベルズの部門では古宮九時さんによる「Unmamed Memory」(電撃の新文芸)が1位に入って電撃組がW受賞したのはあるいは、小説投稿サイトからの展開が圧倒的な人気を誇る状況に少し変化が見られたってことなのか。この作品については協力者ランキングで6位に入った一方でWEBランキングでも19位だからどちらにもそこそこ受け入れられているって感じ。新作ながらこの状況はむしろ将来性については「七つの魔剣が支配する」より期待できるのかもしれない。ちょっと手を出してなかったけれどこれは読まないといけないかな。

 協力者によるプッシュで上位に入った作品では二丸修一さんの「幼なじみが絶対に負けないラブコメ」とか八目迷さん「夏へのトンネル、さよならの出口」なんかがあってどちらもなるほどクロウト受けが先行しそうな作品。とりわけ「幼なじみが絶対に負けないラブコメ」は、三角関係の目新しさが際立っていてラブコメ王国の電撃にあってもちょっと異色の発展を遂げるかもしれない。ノベルズ部門では講談社のレジェンドノベルズがどれだけ来るか気になったけれど、19位に「ゲーム実況による攻略と逆襲の異世界神戦記」が入ったくらいで、「迷宮の王」も「無双航路」もちょっと届かない。どっちも凄いのになあ。これもクロウト受けする作品だけれど、文庫と違って届きにくいのかも。お楽しみはこれからだ。

 マーケット的に注目すべきなのはやっぱり普通にWEB投票による10代から20代のランキングで、そこでは前半後半含めて衣笠章悟さん「ようこそ実力至上主義の教室へ」(MF文庫J)が圧倒的。つまりは今のライトノベルの主流はそこってことで、個人的にはみんな仲良く楽しく明るい学園生活を描いた作品が好みなため、学園サバイバル的な要素がギンギンに詰まったこれはどうにも苦手だったりするけれど、今まさに学園生活を送っていたり社会人になりたての人たちにとって、権謀術数をめぐらし謀略をくぐりぬけて勝利していく必然性に駆られている中で、大いに溜飲の下がる作品ってことになるのかもしれない。社会を象徴しているというか。なんだかなあ。でもそうなんだろうなあ。

 ははははは。乾いた笑いしか出てこないけれどもやっぱり今もって変化の兆しが見えないどこかの元全国紙。安倍総理が「桜を見る会」の前夜祭的なパーティーをホテルニューオータニで会費5000円で開催したことで、有権者に対する利益供与じゃないかとかいった話が広まって厳しい視線を浴びているけれど、それを逸らそうとして持ち出したのが野党の人によるホテルでの朝食セミナーが2000円を切った値段で開かれているぞ、っていう話。政治資金報告書の記載なんかから金額の総額を人数で割ったものらしく、仮に半分の参加でも5000円には届かない、そんなに安くやっているじゃないかと主張したいらしい。

 おいおい、どこの世界に夜のパーティーと朝の朝食セミナーを比べて高い安いを言う人がいる? 喫茶店のモーニングセットが高級レストランのディナーより安いのは当たり前。それを比べてほらと言えるだけでなく、新聞というある意味で正確性と公共性を重んじられる媒体に記事として掲載してしまえるところに、もはやどうしようもない空気を感じないではいられない。あまりにも夜郎自大で針小棒大な身びいきが、反発を呼んで右肩下がりっぱなしの状況を繰り出したからには、それを改める方向へと舵を切ったかと思っていたけど、半年経っても変わらないこの状況が行き着く先に何がある? そう思うとやっぱり逃げて正しかったか、ぬるま湯でも浸かっていた方が良かったか。難しいなあ。本当に。


【11月24日】 ある日、宇宙船が落ちてきてひとつの町が非難だとか立ち入り禁止だとかの大騒ぎになってから10年。宇宙船に乗っていた宇宙人たちは社会に溶け込んで働いたり起業したり、不満を抱えて潜んでいたりといろいろな生き方をしている。そんな宇宙人がいる社会を舞台にしたSFとも言えそうな根本聡一郎さんによる「宇宙船の落ちた町」(ハルキ文庫)は同時に、社会で今まさに進行しているいろりおな事態を暗喩と言うより割と直接的なモデルとして取り込んで、問題を浮かび上がらせた社会派の物語。読めばそうした事態がもたらした分断とか格差とかいったものを乗りこえるひとつの指針のようなものが見えて来る。

 宇宙船が落ちてきたあたりが宇宙船から漏れ出た物質の汚染によって住めなくなって、住人たちは故郷を出ざるを得なくなって各地に散らばり、そこでやっぱりいわれない中傷めいたことも受けている。これはつまりは福島で起こった原発事故のひとつのメタファー。福島から移り住んだ人たちが受けた好奇の視線、そして何か違う存在を観るような意識を宇宙船が落ちた町からの移住者たちも受けたのだろう。そして宇宙人たちが受ける差別は移民なり、在日と呼ばれる人たちが受けているものと重なる。日本人とは違うことから直面する障害を、乗りこえるために宇宙人たちは時に自分を偽り、時に身分を問われない場所で働き、そして社会の外側で暮らすようになる。

 宇宙人たちは優遇を受けているといったデマはまさしく在日の人たちに向けられている中傷と同様。そうした問題を語りながら物語は、芸能界でもトップラスのアイドルグループで1番人気の少女が、宇宙船が落ちてきた町の出身でその時はアイドルグループの警備をしていた大学生の主人公に頼んで町へと連れて行ってと頼むところから本格的に動き出す。どうして彼女はそんな場所に行きたいのか。そして大学生の少年に頼んだ理由は何なのか。かつて得られたある種の親切。共に理解したいと願う心。それらがあってこそ乗りこえられる壁なんだと教えられるだろう。

 現在の問題を架空の出来事に例えて描くエクストラポーション、あるいはシミュレーションがSFの醍醐味というならこれはまさしくSFだけれど、あまりに同時代的で生々しい設定はやはり社会派の小説と言った方がいいのかも。芸能界にあるしがらみめいたものも描かれて、大変だなあと思いつつもそうした集団のトップに立つ人物が、間にいるマネジャーとは違って真面目で一本気なところは好感。本心があって取り繕った状況があって、後者に会わせようとしたら芸能界なんて吹っ飛ぶというその言葉を、実際の芸能界もちゃんと活かせばのんさんなんてとっくに映画にもドラマにも復帰しているのになあ。そこはだからまさしく空想を描くSF、なのかもしれない。目立たない本だけれど今なお必読の書。

 しかしこうして懸命にフィクションが現実を重ねていろいろと呼びかけても、現実の世界で激しい意見が飛び交いそうした意見への反発と同時に同調も呼び覚まし、社会を分断する方向へと走っているから厄介というか。最高学府でもトップの学校で教えているという人が、自分の会社での話とはいえ特定の国籍を持った人は採用しないし書類で落とすと言及。それはひとつの採用基準ではあるものの、単純に国籍だけではない部分でいろいろな見解を示していたりするところが、全体への差別を呼びかけないと学校側から注意を喚起されていた。学校は関係ないとはいえ、その学校名で活動しているならやはり影響は免れないならひとつ意見は表明しておく。それもまた見識だけれどその先にどういった判断が下るのか。観てみないとちょっと分からないなあ。どっちに転んでも騒動は収まりそうもないけれど。そういう社会になってしまった。

 そしてi☆Risの7周年を記念するライブ「七福万来」をパシフィコ横浜で。セットリストはきっとどこかで出るだろうから書き記しはしないけれども聞き慣れた曲もあればデビュー曲もあってとなかなかに広くて楽しくて、テーマを持ったツアーとは違った満感全席のようなおいしさにあふれていた、って言えば中華街も近くチャイナ服をアレンジしていたメンバーの衣装にもそぐうコメントになるのかな。

 昼夜続くツアーと違って夜からの1本だけってこともあってメンバーも最初からフルパワーで最後までメインパワーを発揮していた感じで踊るし回るし歌うし喋る。芹沢優さんなんかくるくる回っていたし若井友希さんなんていつも以上に飛び跳ねていた。29歳にもうすぐなるらしいリーダーの山北早紀さんとかも疲れを知らないで最後まで走りきっていた。久保田未夢さんはクールさを感じさせないではしゃいでた。澁谷梓希さんも最後の泣いていたけどずっと強い声を出していた。茜屋日海夏さんは髪型が変わって染まってた。

 そんな感じに誰もが7周年という場に渾身の力で臨んでいて、そしてやりきったことへの感慨を話しつつもここではまだ止まらない、止まりたくないってことを訴えていた。なるほど日本武道館はやったけれどもそれは「プリパラ」という後押しもあってスタッフに連れて行ってもらった感じだと、ツアーの中でも確か話していたっけ。それをまた繰り返しつつパシフィコ横浜の5000人近いキャパを完売させたのはi☆Risの力だと自信を示しつつ、まだまだ上を目指したいというのはとてもとても勇気づけられる話だった。

 日本武道館後、ちょっと停滞した時期があったというのはそれくらいからライブに通い始めた身としてちょっと信じられないけれど、メンバーがそう感じているからにはそうなんだろう。ツアーがあっても決してキャパは大きくないし地方はライブハウス規模だし1日2回で同じファンを呼ぶような感じと決してまだ広がってはいない。でもまだまだ続ける意欲はたっぷりある。それなら応援し続けるしかない。半年後に始まるツアーの頃、いったい自分が何をしているかまったく見えないけれど少なくともその頃までは生き伸びて、笑って参加できるようになっていたい。i☆Risが辛い時期を乗り越え頑張ってきたのなら、僕も今を乗り切ってその時を迎えよう。


【11月23日】 ジャンル無用というのがライトノベルの楽しさだったはずなのに、どうにも最近は小説投稿サイトで人気の異世界転生系が割と大きなマーケットを閉めているようで、どこもかしこも気がついたらどこそこだといったあらすじが冒頭に掲げられた作品を、並べていたりしてそれはそれでバリエーションの違いを楽しむ面白さはあるものの、広がりといった部分からはやはり遠ざかっているように思えたりする中、MF文庫Jから登場した二語十さんによる「探偵はもう、死んでいる」がジャンル無用の何でもありの面白さを、見せてくれているようでちょっと期待。

 すでに公開されている冒頭部分を読むにつけ、飛行機の中で医者でも弁護士でもなく探偵を求める声があがって、そんなのありかとふて寝を決め込もうとした巻き込まれ体質の少年が、隣席で立ち上がって自分は探偵だと名乗るだけに留まらず、少年を助手に指名してはハイジャック犯をたちどころに撃退したシエスタという少女に誘われるまま世界を飛び回るようになる。つまりは探偵による冒険活劇かと思ったら、プロローグて探偵は死んでしまった。タイトル通りに。

 そして物語は学園へと移って、少年が少女にのどちんこを捕まれるというコミカルな展開へと流れて学園ミステリへと向かうのかと思わせておいて、その少女に特有のある事情から何かを察した少年は、少女を伴ってとある刑務所へと向かう。そこにいたのがコウモリというコードネームを持つ人造人間。なんだそれ、仮面ライダーか、っていった驚きもそのままに、コウモリは異常に発達した聴覚で少女の“正体”を見抜いてのけ、そこから世界を脅かす秘密組織を相手にした少年と少女の戦いが幕をあける。

 つまりは異能バトル。ミステリから学園ラブコメを経てSFでファンタスティックな異能バトルへと広がっていった物語は、アイドル物にもなりつつ何でもありの展開を見せ続ける。学園ミステリなりラブコメなり異世界転生なりといったジャンルに固定した方がファンも分かりやすいし読みやすい。そうしたマーケティングを無視するかのように、荒唐無稽を絵に描いたような物語を繰り広げてのけるこの英断。なおかつそれを大々的に売ろうとしているMF文庫Jの決意。ライトノベルにどこか被さっていた薄膜のようなものをぶち破って、何でもありの楽しさを取り戻そうとしているように見える。それが成功するかは分からないけれど、心意気は受け取った。ここにこうして応援を寄せてこれからの活躍を見守ろう。シエスタが過去に繰り広げた名推理の数々にも触れたいから。

 明治大学で開かれた漫画やアニメ、特撮のミュージアムに関する報告会を聞きに良い来たかったけれど、明日のパシフィコ横浜行きを考えると今日中に週明けに来る締め切りのうち、1本は仕上げておきたかったので家から出ず、午前中は布団の中であれやこれや妄想をしながら過ごし、午後は玄関先で電気ストーブを燃やしながらカタカタとパソコンを叩く。これで調子が良かったら、午前中から外に出てどこかで原稿を仕上げ、そしてシンポジウムに臨むんだけれど、夜に飲む薬のせいか午前中はあまり頭が働かず、午前中がほとんど使い物にならないから仕方が無い。

 でもって午後にどうにか形は作ったけれど、やっぱりまとまらないのを横目にパシフィコ横浜のチケットを請け出そうと外に出たら異常な寒さ。冬は近いとはいえまだ11月でこの寒さでは、12月とか1月にはどれくらの寒さになるんだろう。ただでさえ出たくない布団からますます出られなくなりそう。朝からいかなくちゃいけない身でもないだけに、怠惰が板に張りついて蒲鉾になってしまうかもしれない。午後だけでも仕事にいく状態を作っておいて良かったかもしれない。その仕事もフェイズが変わってちょっと新しい展開に。国宝級の品物を触って扱うことになるけれど、それが国宝となるか死蔵されるかは今後の展開次第か。触った結果通い方向に転ぶと良いけれど。

 テレビがずっと着いたままの仕事場で仕事をしていら時は、夕方になればどこかのテレビで相撲中継が流れていたから何となく誰が出ていて誰が優勝したか分かったけれど、引きこもるようになってテレビを観なくなり、外へと出かけるようになってもやっぱりテレビがなくてまるで観ず、そして家にあったテレビが着かなくなってニュースも観なくなると今が相撲の季節で、誰が優勝争いをしているのかまるで気付かなくなっていた。ちょっと前にロケ現場の帰りのバスに同乗して、モニターを見て今が九州場所のまっただ中だと気付いたほど。そこに果たして白鵬は出ているのか、知らなかったけれどスポーツニュースで今日、白鵬の優勝が決まったと流れていて出ていたんだと気がついた。

 最多を更新する43度目の優勝はやっぱり凄い。その凄さをもうずっと続けていながら追いつけないほどの凄さって何だろうと思ったりもする。北の湖だって千代の富士だって貴乃花だって朝青龍だってここまでの圧倒的な強さは見せなかったからなあ。他がだらしないって訳じゃないんだろうけれど、それにしても凄い白鵬関。まあ東の横綱の鶴竜が休場してしまい、大関も豪栄道、高安とも休場とはってはひとり横綱が走るのも仕方が無い。かろうじて大関の貴景勝が4敗で食い下がっている感じでは、大相撲が盛り上がりってのを取り戻すのはまだちょっとかかりそう。せめてあとひとり、スター力士が出てくれレばなあ。


【11月22日】 将棋の王将戦に大阪王将が冠スポンサーとしてついていたことに最近気がついたけれど、将棋の棋聖戦にはちょっと前からヒューリック杯として不動産会社のヒューリックが冠スポンサーについていて、新聞社とか通信社が主催して一部ドワンゴも加わった八大棋戦で唯一のそうした状況に、運営し53いる新聞社の経営が苦しくなっているんじゃないかといった話が飛び交っていた。っていうか実際に苦しいからこその今の我が身の状況ではあるんだけれど、そんな新聞社が運営していた囲碁の女流棋戦で五大タイトルのひとつ、女流名人戦がいよいよ休止されると発表。1988年から始まっていて女流では女流本因坊に続いて古いタイトルだけに引き受け手とか探したみたいだけれと見つからなかったらしい。

 だったら冠スポンサーもと思わないでもないけれど、それも得られず7月の時点で主催から降りることを発表していたみたい。ところが変わりに新しい棋戦が始まってタイトル戦となるため五大タイトルは維持されるというからちょっと不思議な話。将棋の名人戦とは違って囲碁で女流ともなるとそうはバリューもないからスポンサーになっても得られるものが少ないって判断だったのかもしれない。あと将棋と違って囲碁は女流も普通に男子の棋戦に参加しているから、女流だけの棋戦というものにもバリューは乏しかったのかもしれない。

 もとより五大タイトルといったって、女流本因坊を共同通信社以外は企業が運営しているのがほとんどだから、新聞社として将棋と囲碁のタイトルとともに維持していただけでも珍しい話なのかもしれない。とはいえ続けられるものなら続けていたものを続けられなくなったというのはやっぱり経営面が厳しかったんだろうなあ。囲碁だと十段戦も主催しているけれどこれにも森ビルが冠スポンサーになってその上で、優勝賞金が当初の1500万円から下がって今は700万円で序列最下位になってしまった。ここが崩れてそして将棋の棋聖戦もってなった時、いよいよ厳しさも世間により強く認知されるのかもしれないなあ。そうなる前に別のアクションがあるかもしれないけれど。

 YOU GET TO BURNINGというかDearestな方の紙の整理がとりあえず終わったので、昼から夜までかけて箱に詰めてエクセルに登録して所在を確認できるようにする。あとは撮影をすれば何があるかが分かるんだけれど、絵として具体的にどこのシーンかは絵コンテと照らし合わせないとちょっと難しそう。絵っていっても表面はタイムシートが被っていたり、セルでも上の方のがめいているからどのキャラクターのどの場面か分からないから。そこはだからやっぱり絵コンテの電子データが必要なんだけれど、どこかにあるんだろうか。紙のはCDドラマにセットになったものが家にあるんだけれど。それをとりあえず持っていってこれから整理に入る絵の具が塗られた透明なシートの確認に役立てようか。

 サイクロプス、つまりはひとつしかない目が顔に大きく見えているのに怖くなくってむしろ可愛いところかZトンさんのイラストのたまものか、他の人から脈々と流れてきているサクロプスの可愛い描き方の成果なのか。そこは追ってきた訳じゃないから分からないけれど、折口良乃さんによる「モンスター娘のお医者さん7」で表紙に描かれたメメちゃんの泣きながら頑張ろうとしているような表情を観てキュンとならない人はいないんじゃなかろーか。

 もしもメメちゃんがリアルな肉体を持って実在したとしても……ってところまで言い切れるか分からないけれど、映画「妖怪大戦争」とか「妖怪百物語」あたりに登場する一つ目小僧だって結構可愛いんだから、サクロプスの美少女がいても受け入れられそうな気がする。口から煙を吐いてマネキンにしてしまわなければ。一つ目っていうとやっぱりそこに行き着くんだよなあ、僕らの世代は。お話しの方は一夫多妻で3人の妻が決まったグレン医師をしたいそうな新たな少女プラムが登場。ヴァンパイア族の娘でギャルっぽいけどコミュニケーションが苦手だったりするところがあったりする。

 着飾ってデビューを飾りたいけどうまくいかないお年頃。優れたアクセサリーを作るメメを慕っているけど空いては自虐女王みたいなところもあって自分なんてと気後れを見せるし、アラーニャってファッションデザイナーを師匠と呼んで慕っても、それは勝手なファン心理だから相手にはなかなか通じない。そこで引っ込まないところがプラムの良さ。そんな彼女とグレン医師の交流から、しばらく中断していたお祭りが再開されて二代目モーリーの奥から先代が復活して竜闘女のスカディも昔なじみに会えて八方丸く収まった。誰かが不幸にならず誰もが幸せになっていく、というかさせるグレンの手腕を楽しんでいけるシリーズ。でも何か波乱の予感。どうなるか。追っていこう。

 えっと「バビロン」じゃないよね「PSYCHO−PASS3 サイコパス」の第5話は、正面から話している人の顔をとらえた場面で口しかぱくぱくしていなかったり、大勢が描かれている場面で誰もが同じ方向を向いていたりといろいろ作画的に微妙なところがあってどうしたものかと思ったというか、どうしようもないんだろうと考えたというか。ストーリー自体はいろいろと複雑化してきて狐の組織に迫りつつ、先を行かれて困る展開にどこへと向かうのかが気になるところ。霜月課長がギャグ要因化しているのも面白いけどそういう描写ってこれまでのシリーズであまりなかったから違いが際立つ。ペッツを何錠も頬張ったりホロのナビゲーターを燃やしたり。おかげで観る楽しさもあるからまあ良いか。折り返してさてどこへと向かうか。これも観ていこう。


【11月21日】 auのLISMOのCMでとてつもない可愛らしさを放っていた頃だったら川口春奈さんの登場に気持ちも沸き立ったかもしれないけれど、それから何年も経った今、どういった雰囲気でどういった活動をしているのかあまり見ていないからいったいどんな濃姫というか帰蝶を演じてくれるのか、まるで想像がつかないから代役として立ったことへの評価は保留。ただカリスマ性を見せつけてくれただろう沢尻エリカさんの代わりに演じなくてならないプレッシャーを承知で引き受けたその心意気は買わざるを得ない。

 事務所が同じ研音だから、っていうのはこの場合関係ない。この気に推したい女優をということであてはめられたのだとしても、それならなおのことかかるプレッシャーは大きくなる。不評だったら今後の女優生命にだって関わりかねない代役を、演じてのけた暁には10年20年は戦える女優になっていくんじゃなかろうか、ってそこはやっぱりよく分からないなあ。個人的にはやっぱりのんさが良かったなあ。それにしても濃姫って織田信長の評伝とかでも結婚までは良く語られるけどその後がちょっとはっきりしない。織田信雄とかいった子供たちの母親でもない、そんな役をどこまで演じきるのか。そこも興味。テレビ買い換えるかなあ。

 「総理が主催する『桜を見る会』をめぐり、総理の選挙事務所が『桜を見る会』に参加できる可能性を示し、有権者に総理への支援を呼びかける会合を開いていたことが分かった」。っていうのはとある記事のパロディで、元ネタはベネッセが新しい大学受験の試験で民間委託の部分を受けていることを営業の際にアピールしていたことに対して、文部科学相が抗議をするとかしないとかいった記事だけれど、、宮内庁御用達にしても政府の入札指名受託にしてもそれがある種の信用に関わることだったら営業に使って何がおかしいって話になる。そういう場所で自慢できないくらいにテキトーな指名だったのか? 違うだろうに。

 ある意味で堂々と戦って勝ち得た栄誉なんだから自慢して当然、とまでは言わないまでもそれに指名した側が抗議するのは間違っている。それよりも問題はやっぱり利益誘導にしか見えない選挙区の有権者に対する様々なサービス。それをやってしまった現場に対して総理大臣は抗議すべきなんじゃないのか、って自分に対して自分が抗議はできないか。だったらそこは法と正義に則ってどこかがちゃんと言わないと。1000人もの枠があって民間人に過ぎないと閣議決定された夫人にも枠があったらもうそれはベネッセのアピール以上に実弾性が高い訳だから。でもスルーされるんだろうなあ、健康保険が崩壊するかもしrないFTAの衆議院通過とともに。そんな国に生きている。生きていけるか自信もないまま。

 テレビに関連した出演者のアテンドも一段落して三鷹でのアーカイブ業務にぼちぼち復帰。ずっと進めているYOU GET TO BURNINGというかDearestな奴の紙の整理を昼から夜までかけて進めて、1本分をどうにかやり終える。番号順に並べ直したら割とちゃんと揃ってる気が。これで展覧会とかもやればできそうだけれど、いざやるとなると選ぶ人も大変なら仕切る人もきっと大変なんだろうなあ。でも見たい、やっぱり見たい可愛いツインテールの美少女だとかロボットを操る3人娘だとかいろいろなキャラクターたちを。そんな時が来ることを願って整理。あとは撮影をして記録だ。

 10年後の今にそんな仕事をしているようになるなんて、想像したかとうとまるで想像できなかったけれども片渕須直監督の方も10年が経ってなお「マイマイ新子と千年の魔法」が劇場で上映されるとは思っていなかったんじゃなかろーか。舞台挨拶が行われた新宿ピカデリーで10年目を記念する上映会が開かれて片渕監督と、諾子を演じた森迫亜衣さんが登壇。森迫さんは10年前にはいなかったから「マイマイ新子と千年の魔法」絡みではこれが初の登場になるらしい。10年経っても監督は替わらずエイベックスのプロデューサーも変わらず「10年経った気がしない」と片渕監督は言うものの、森迫さんを見た時だけは「10年とはこういうことか」と思ったとか。少女が美女になる年月ってことですね。

 舞台挨拶こそ満席だったもののその後しばらく低迷して上映時間を減らされ打ち切りか、なんて話が出始めてから劇場に足を運ぶ人が増えたもののシネコンはそれで復活するほど甘くなかった。もう終わりかってところでラピュタ阿佐谷が上映を買って出てロングランへと至ってDVDが出てブルーレイディスクも出てDCPまで作られて8年目9年目10年目の上映も実現した。こんな映画が他にあるか? ってところでやっぱりそれだけ響く映画だってことなんだろう。ファンが盛り上げ作り手が答えていっしょになって長く生き続ける映画がある。そんなカテゴリーを切り拓いたって意味で「この世界の片隅に」に先行して「マイマイ新子と千年の魔法」には価値がある。そう思う。

 海外でパッケージが作られる際に行われたクラウドファンディングで、日本から変えたアートブックを再編集というか抜粋した上で新しくインタビューを乗せたメモリアルアートブックが出たんで劇場で購入し、片渕監督からサインを頂く。いろいろとご心配をかけているかもしれないけれども私は元気です。まあ今はリハビリみたいなものだけれども改めて、10年の今まで這いつくばるような場所から盛り上げ今なお上映される栄誉を得た上に、新しい「この世界の片隅に」の大ヒットを成し遂げ「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」まで作れるようになった10年という片渕監督の歳月を思い、僕にも何かあるかもしれない、というよりあるようにしなくちゃいけないという意識を新たにする。頑張ろう、10年後にも笑って劇場に足を運んで20年目の「マイマイ新子と千年の魔法」を見られるように。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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