Last Updated 2018/6/21
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
こうの史代の漫画を片渕須直が監督した長編アニメーション映画『この世界の片隅に』が2016年11月12日に全国公開。観れば覚える圧倒的な感動を味わいに行けよ劇場へ。この辺りに個人的な感想が。
【6月21日】 スペイン戦で怪我でもしたかと心配したクリスチアーノ・ロナウド選手は無事だったようでサウジアラビア戦に登場してしっかりと1点を奪っていた。スペイン戦ではハットトリックだから1点は物足りないと言えば言えるけれども2戦4発はやっぱりさすがの実績というか、過去の3大会で3点しかとれなかったのがこの歳になって爆発しているのはやっぱりたゆまぬ鍛錬と節制のおかげってことなんだろう。女性関係はともかくアスリートとしては完璧にして完全のボディ。そのプロ意識こそがクリスチアーノ・ロナウド選手をバロンドール級の地位に10余年、起き続けているとも言えそう。体脂肪が10%を超えても平気などこかの国の代表選手とはやっぱり器が違うということで。絞ったからといってクリスチアーノ・ロナウド選手になれるとは限らないけれど。

 「『いい加減にしろ』と申しましたのはその、入浴で言うところの湯加減を念頭においてのものでありまして、そこで加減というのは適切な状況のことを指すのであります。ひるがえって国会のあの場で発言をしておられたがん患者の方は、受動喫煙の危険性をおっしゃって禁煙化の重要性を訴えつつも、喫煙者への配慮を残しておられたました。聞きましてこれはどうにも温い、適温ではないと感じもっと厳しくしろ、喫煙は許すまじといった姿勢で臨むべきであると感じ、ご発言をもっと熱くしろという意味から『いい加減にしろ』とエールを贈ったのであります。決して喫煙者を批判するような言葉を詰った訳でも、肺がんで苦しんでおられる方を非難した訳でもありません」。

 そんなという言い訳が出てくる可能性についてふと考える。さすがに無いとは思うけど、今の政治は誰が聞いても珍妙な言い訳にしか聞こえない言説がまかり通って果ては閣議決定されてしまう時代だから油断ならない。何の話かって国会で行われたらしい受動喫煙なりから肺がんになってしまった人が受動喫煙の危険性を参考人として訴えていた場で、自民党の議員が「いい加減にしろ!」とヤジを飛ばしたという話。1度ならず何度かとばした挙げ句にそれを咎められても釈明せず、だんまりを決め込んでいることが報じらえてあまりにもあまりだろうといった非難の声がわき起こっている。

 これは当然で遠からず自民党の幹部も事情を問いただしては釈明させるだろう。でないと党が危ないし、それ以前に自民党の議員が経営もしているファミリーレストランの経営にも事が及んでいくことになる。早期の火消しが求められる案件だけれど、それなら先に釈明をっしておくべきだったのに黙っていたのは他のもっと偉い人たちが、言い訳にならない言い訳をしてそれを通してしまっている状況を見たからか。逃げ切れると踏んだからか。可能性は割とありそう。

 さすがにこれはヤバいとなって釈明に及ぶとしても、まずは「言った記憶がないんです」とまずは逃げてみせ、そして聞いた人が多数となって録音まで出てきたら「そういった意味ではないんです」と話をすり替えようとして、けれどもさすがに通らないとなって「お気持ちが傷ついたとしたらお詫び申し上げます」と言って相手の受け止め方に責任を押しつけ、自分自身の発言は間違っておらず撤回もする意志はないと突っ張る可能性が昨今の前例なんかを見ると割とありそう。とはいえ総理や副総理といった権力者ではないからメディアもここぞとフルボッコにして自分がまだまだ陣笠だと自覚することになるんだけれど。

 それにしても本当にこんなのばっか。そういう意識がさらに広がればまた起こるかなあ、政権交代。どうかなあ。などと言っていたら自民党の議員が本当に、「ご関係の皆様に不快な思いを与えたとすれば、心からの反省と共に深くお詫び申し上げる次第でございます」といった具合に、そう感じたのなら悪かったよといった感じに、相手の受け止め方に丸投げをして自分の責任から逃れようとする言い訳をしてきた。ある程度は予想していたけれども良心に一縷の望みも抱いていただけにこれはショック。こうした自責なき謝罪の横行はやっぱり昨今の首を後ろにそっくり返しながらの面堂終太カ的な謝罪に習ったものなんだろう。

 それから「参考人のご発言を妨害するような意図は全くなく、喫煙者を必要以上に差別すべきではないという想いで呟いたものです」って文言も、参考人は喫煙者の配慮をしつつ喋っているって報道にあった後の言葉だけに胡乱さが炸裂している。だいたいがどうして呟きが参考人にまでヤジとして届いて聞こえるんだ? 独り言なら心の中で言えば良いのにそうじゃないのは聞こえるように言ったことであってすなわちヤジでしかないだろう。でもつぶやいただけと逃げる。本人に責任も自覚もなさそうなこうした言い訳を、出して追われると思っていたりするところにも今のニッポン無責任権力者時代が見てとれる。もうこれは止まらないだろう。そして誰も放言をして責任をとらず放言が毒のように広まって善意を駆逐し悪意をはぐくむ世界が訪れることだろう。参ったなあ。

 さすがに15歳の中学生ではウインブルドン選手権の決勝をテレビで見ることはなかったけれど、高校に入って雑誌の「ポパイ」を毎号買うようになった中でスニーカーやらファッションやらの文化の流れでテニスも取り上げられていて、そこでウインブルドン5連覇を果たしたビヨン・ボルグと敗れたジョン・マッケンローの話も割と振れられていたりして、関心を抱くなかでウインブルドンの決勝で迎えた両者の対決を、もしかしたらテレビの中継で見ていたような気がする。模造記憶かもしれず、ボルグがマッケンローに敗れていた全米オープンの試合を勘違いしているのかもしれないけれど、前年は勝利して王者に止まり続けたボルグがこの年はマッケンローに敗れ、王座の明け渡しという歴史的な場面がそこに出現した。

 とてもドラマティックではあったけれど、でもやっぱりそれを映画にするのはちょっと難しいということなのか、あるいは第2部のためにとっておくのか「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男」という映画では1980年のウインブルドン選手権決勝で激突をして、飛ぶ鳥を落とす勢いだったマッケンローをボルグが退け前人未踏の5連覇を達成すると同時に世代交代をせき止める展開が描かれていた。3時間55分にも及んだ決勝の試合、7度にも及ぶ第4セットタイブレークでのマッチポイントをボルグが見せながらマッケンローがはじき返してセットを奪ってカウントをタイにする、スリリングなシーンが余すところなく映像化されている。ドキュメンタリーではなく映画として。

 そう、これは演技。「ストックホルムでワルツを」に登場していたスベリル・グドナソンがボルグをそれはもう本物そっくりに演じ、そしてシャイア・ラブーフが悪態をついて暴れ回るマッケンローの若くて激しい様を演じきっては1980年のテニスシーンとそして文化を今に甦らせている。「レディ・プレイヤー1」でもって1980年代のゲームカルチャーとかポップスとかが紹介されていたけれど、スポーツシーンを語りファッションを語る上でも欠かせないボルグvsマッケンローの激突が、こちらの「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男」で紹介されていると言えそう。併せて観るといろいろと見えてくるものもあるだろう。ブロンディの「コール・ミー」とか流れるとやっぱりびんびんくるよなあ、1980年代に15歳から25歳を過ごした身として。

 面白かったのはコートで悪態をついて審判も観客もけなすマッケンローの悪童ぶりが、実はボルグにもあったってことでスウェーデンでまだ子供だった頃にテニスを始めた時は審判に文句ばかり言ってラケットをなげつけコートから飛び出すくらいの悪童だった。それをデビスカップの監督だった人間がコーチとなって諫め抑えて表では冷静沈着で、氷のようなプレースタイルとコミュニケーションスキルを身につけさせたけれど、宿に戻れば自分の思い通りにさせようとしてピリピリとし、やがて爆発をして周囲を排除するようなことをやらかしてしまう。発散できないマッケンローといったところ。そしてマッケンローが悪態をつきながらも自分のリズムでプレーするところを羨ましがっている。

 逆にマッケンローは有力弁護士の子として生まれ何不自由なく育つ中でテニスを始めボルグにも憧れた繊細な天才少年。それが試合の中で自分をどこまでも発散しながら強くなっていった。ボルグにはなく、そしてできなかったものを持っているとも言える、そんな2人が試合で激突するんだからこれはもう面白くならないはずがない。そしてウインブルドン決勝、センターコートに立ったマッケンローがそれまでの悪態を抑え試合に集中してボルグに挑んでいった様は、それこそが自分の本性なんだといった印象を感じさせる。猫を被って貴公子を“演じて”いたボルグはそこでは勝てたけれども翌年には敗北。そこで本当の自分をさらけ出すにはもう遅すぎたのかもしれない。

 ボルグ引退。一方でマッケンローは全盛に。少しだけ重なった2人のテニスプレイヤーの邂逅を描き世代交代を示しアスリートのあり方を描いた映画として、これは多くに見られて欲しい。映画でどうやってあんなにもたくさんのドネーのラケットを集めたんだろう。それが不思議。あとボルグはフィラを、マッケンローはセルジオ・タッキーニを着ていなかった。ロゴが入っていなかったというか。映画という場所でそういう部分を見せられなかったのかもなあ。でもフィラを着てないボルグもセルジオ・タッキーニを着てないマッケンローもどこか違うんだよなあ。パッケージ化の折りにはそこまで再現して欲しいなあ。


【6月20日】 日本代表がFIFAワールドカップ2018ロシア大会のグループステージでコロンビアを相手に勝利したことで、いささか不人気だった代表への関心が戻ってきて売れ行きも今ひとつに見えた代表ユニフォームも一気に売れまくるようになるかというと、コロンビア戦のように大勢で集まってライブビューイングを楽しむには次のグループステージのセネガル戦は午前0時からで、その次のポーランド戦は午前1時からとなっていて、大勢で集まってわいわいと応援するにはちょっと不向きな時間帯。開催はされても行こうという気にはなかなかならず、従ってそういう場所でこそ着る意味を持つ代表ユニフォームなり応援Tシャツを買おうという気にもなかなかならないんじゃなかろーか。

 これでもしもセネガルに勝利してポーランドに引き分けて勝ち点7を確保して、そしてポーランドがコロンビアに敗れてそしてセネガルがコロンビアに勝ったとしてセネガルが勝ち点6でポーランドは4でコロンビアが3となったとして、決勝トーナメントにあたるセカンドステージに進んで午後9時からの試合が行われればコロンビア戦と同様にライブビューイングに大勢人が集まるようになり、そこで着るために代表ユニフォームを買おうという人も増えるかもしれないけれど、現実はセネガルにもポーランドにも敗れて勝ち点1で退場っておとになるんだろうなあ。いやでもコロンビア戦で起こったようなアクシデントがまた起こらないとも限らないし。もはやサッカーそのものではないけれど、それもサッカーだということで期待はせず、かといって絶望もしないで見ていこう。

 「ポケモンGO」に「フレンド」の機能が来て「ポケモン交換」の機能もやってくるとあってずっと「ポケモンGO」をプレーしてきた人には嬉しいことこの上なさそうだけれど、ポケモンの交換をするにはまず誰かとフレンドになっておく必要があって、それは相手とやりとりをして承認し合う必要がある。ここが友達なんてものの存在しないソロプレイヤーには最大の難関。なおかつそうやってフレンドになった人と遠隔地からではなく、ほぼ対面をする形でないければ交換できない仕組みは、ゲームボーイの時代から「ポケットモンスター」を遊ぼうとして交換する相手がいそうもないと諦めていた傷みを思い出させる。ソロには優しくないゲーム。でも外に出て歩いてコミュニケーションを促すことが目的のゲームだから、ソロの引きこもりは想定の範囲外。それでも歩いて回って集める楽しみは残されるのだから、新しいポケモンの登場なんかをにらみつつ訥々とプレーしていこう。

 コバルト文庫といえば広義のライトノベルであり少女小説のレーベルとしては老舗でファンも多く揺るぎないと思っていたけど、昨今の出版不況がひしひしと及んでいるのかついに紙では出さずに電子だけを出す書籍が登場するみたい。我鳥彩子さんの「王立探偵シオンの過ち」はすでに1巻が紙で出ていて電子書籍になっているけれど、これの第2巻が集英社eコバルト文庫の最初のラインナップの1冊としてリリースされる。はるおかりのさんの「後宮」シリーズも外伝めいたものが1冊、同じeコバルト文庫で出るみたいだけれど本編はまだ続くみたいだから揃えられる。でも「王立探偵シオンの過ち」は1巻を本で持っている人は2巻を揃えられない訳で、そういう抜けをやってしまわざるを得ないくらいに状況が逼迫しているといったことなのかも。THORES柴本さんがイラストを描いているシリーズだけにこれは買わないといけないなあ。ミステリマガジンとかで書評は可能なんだろうか。ちょっと迷う。

 キャラブンがライトノベルかは永遠の謎だけれどもとりあえず、講談社X文庫ホワイトハートでも書いている人ならライトノベルの範疇だという認識で抑えておくことにした中村ふみさんによる「死神憑きの浮世堂」(小学館文庫キャラブン!)は、死んだ人間をまるで生きているかのような状態でずっと保存し続けることができる技術を持った一族がいて、その一族によって適合者とみなされた人間から魂か何かを抜いて入れることによって生き返らせることができる。ただし適合者に選ばれた人間は死んでしまい、なおかつ周囲の記憶からも消えてしまう。さすがに戸籍だとか文章だとかは消えないけれども関係者にとってそれは見えないもの、いなかったことにされてしまう。

 人形師をしている青年の城戸利市には弟がいたけれど、そんな<死神>によって魂を抜かれて死んでしまい、家族の記憶からも消えてしまった。なぜか利市の記憶からは抜けず、彼はその時にみかけた<死神>をずっと追いかけ続けていた。そしてついに再開を果たした<死神>は老人ではなくひとりの少女。利市が親しくしていたユンという少女から魂を抜いて持ち去り、追いかけたものの捕まらず見つからなかった。恐ろしいことにユンを適合者として復活した大正時代に生きていた謳子という少女はかつて叔父に襲われたところを反撃して惨殺し、その快楽がずっと残っていて復活した後、持ち主だった男を殺して逃げだし出会う男たちを殺し回っていた。

 利市のお得意さんだった男にも被害が及んで憤る利市。そんな謳子を人の命を奪って甦らせたことに少女の<死神>はずっと後悔を抱いていた。そして彼女を恨み<死神>を恨む利市との出会いが物語に進展と変化をもたらす。謳子という殺人狂を一方に起きつつ<死神>を恨む青年と<死神>であることを厭う少女という反目して当然の関係がどう帰着するのか、その先にいったい何が起こるのか。生き続けることの寂しさと悲しさを感じさせつつ進む物語が、今後どういった展開を見せるのかに興味がある。続くのかなあ、続くだろうなあ。

 ゲームだけがVRでもないければARでもないのはちょっと前に開かれたショートショートフィルムフェスティバル&アジアの会場で上映されたVRムービーなんかの浸透にも現れていたけれど、一方では産業の分野でもシミュレーションにあたってVRやARを活用する動きが始まっている様子。実際には危険だったり貴重だったりする作業をVRなりARを使って行うことで効率的で安全に鍛錬できるといった理由。そんな産業の現場でのVRやらARやらを展示するイベントが東京ビッグサイトで開かれていって見物に行く。第26回3D&バーチャルリアリティ展でとりあえず目についたのが東急電鉄系の東急テクノシステムが出していた、保線作業の際に列車の接近なんかに気をつけるよう促すシミュレータ。VRヘッドセットをつけると目の前に線路が現れ右を向くと駅があって、しばらくそこで傷が無いかを探していると警告が出る。

 列車の接近を告げる合図でこれはと思って右に視線を向けると、駅のホームをすでに過ぎるようにして列車が迫っていてそのまま線路脇に合っている自分へとぶつかってくる。轢死決定。気をつけて待避するのがセオリーだったみたいだけれど、この失敗を現実でやれば命が失われる訳で、どれだけ危険か、どれだけ怖いかを体験しつつどれくらい注意を払う必要があるかを自分にたたき込める。もうひとつ、こちらは開発中の車掌シミュレータというものもあって、駅に停車してからドアを開けて乗客が乗り降りしているかを確認し、大序部となったらドアを閉めて発車ブザーを押すという、簡単だけれど人の安全が関わっていると思うとなかなか緊張する。車掌さんは毎日毎駅でこれをやっているのか。神経参りそう。そこがだからプロフェッショナルってことなんだろう。そこへと至る道を示したシミュレータ。運転士になるためのシミュレータはあっても車掌になるためのもは貴重なんで、事業関係者は行って体験してみると面白いかも。


【6月19日】 美術館がギャラリーなんかと協力をして現代美術の価値を決めて所蔵作品を放出しては市場で活発に売り買いし、美術市場を活性化させようなんて話が少し前に持ち上がって、所有して未来の美術品を伝えることが一義な美術館がやるべきことではないとった声が美術関係者から上がっていたけれど、全国美術館会議という公立私立を含めた美術館で組織する全国美術会議がそうした「先進美術館」なる構想に対して異論を表明。「美術館による作品収集活動はそれぞれの館が自らの使命として掲げた収集方針に基づいて体系的に行われるべきものである。美術作品を良好な状態で保持、公開し、次世代へと伝えることが美術館に課せられた本来的な役割であり、収集に当たっては投資的な目的とは明確な一線を画さなければならない」と訴えている。

 どこまでも正論でこれをおろそかにしたら価値ある美術が美術館に残らず誰かのコレクターの下に集まってブラックホールのごとき場所から世に出てこなくなる可能性が高まってしまう。そうはさせないための声明なんだろうけれど、一方で国立大学が政府の強烈なちょっかいの下で基礎研究をおろそかにして目先の儲かる研究に走るようになり、一方で企業が求める人材を集めて詰めこんで送り出す“社畜牧場”的な大学も作られようとしていることに予算を握られ反論できない状況があったりして、いずれ政府が予算を立てに美術館にもギャラリー的な経営を求めるようになれば、コロリと状況が変わってしまうか否か。独立自尊の大学ですら逆らえない強権だものなあ、相手は。安閑とはしてられない。
B  ちょっと前に神様たちが地上に降りてきては人間たちの上に立っていろいろと差配しているという部分は「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」にも重なる設定だけれど、あわむら赤光さんの「百神百年大戦」(GA文庫)はギルドめいた集団をつくったその上で、神威は持っていても神様としての力を振るうことは御法度にされた「ダンまち」とは違って神様たちがフルパワーでもって戦い合っては地上にある龍脈をより多く奪おうとしている。そんな神様にあって剣を司るリクドーは最古の神としてそれなりの力を持っていそうなのに、なぜか神様どうしの大戦に敗れて今はとある神様の配下になりつつ火山の龍脈を保持して面倒を見る日々を送っている。

 上に挑んで龍脈を取り返したり奪ったりするようなことはせず、巫女を愛でつつ毎日をのんべんだらりと送っている、そんなリクドーの元から30歳くらいになって巫女が去って次の巫女を選ばなければ火山の力が衰えてしまい、上ににらまれてしまう状況となってリクドーは新しい巫女を選ぶために矢を放った。それが届いた相手が一帯をかつて治めていた王族の姫。どうやら人間から実権を奪って単なる地域の代官めいた地位に押し下げた神たちへの恨みを抱いてた姫はリクドーからの巫女就任への要請を断るものの、周辺からの侵攻も始まりそうな中で1年の猶予でリクドーの様子を見ることになる。ところが。

 上司の神様の娘がちょっかいをかけてきたりして結構大変。かつては強大な力を誇りながらも今は火山の龍脈を持つだけで、それすらも巫女がおらず力を引き出せないリクドーは娘に敗れるていたらくを見せるものの、さらに大陸の底から襲ってきたミヒャエルという軍神を相手に戦う羽目となって、昼行灯にしか見えなかったリクドーの秘められた力がほのめかされてくる。ミヒャエルですら警戒するリクドーがどうして日々を中間管理職的な地位に甘んじているのか。神様が情愛ではなく支配の意図を抱いた場合にどれだけの恐ろしいことが起こるのか。いろいろな疑問があり展開があった先、少しだけ見直されたリクドーはいつか本当の力を発揮して世界をその手中に収めるのか。読みやすくメリハリがきいて面白いライトノベルらしいライトノベル。関心を持って見ていこう。

 第9回GA文庫大賞奨励賞を受賞した冬空こうじさんの「勇者保険の加入はぶれイヴカンパニーへ!」(GA文庫)は魔王領へと入ってモンスターを討伐する勇者たちが自分にかける保険の請負をしている会社で働く少年リック・ガーランドが主人公。所長や国王とも知り合いだったらしい父親はけれども逃げ回っていただけという過去があり、そのせいで見くびられることもあったけれど、本人はいたって淡々と仕事をこなしては気配を完全に消すことができる魔法の力で戻って来なかった契約者、つまりは死んでしまったその場面へと出向いて確認しつつ襲ったモンスターも避ける仕事をどうにかこなしていた。
 先輩の女性とペアだったけれどその女性が退社することになった後釜に来たのが所長とは知り合いの国王の娘で、王位を継ぐために成果を出さなくてはならないと考えていてそのための修行をリックが働く保険会社で行うことになった。高慢で周囲をひっかきまわすお姫さまだったけれどリックが淡々と着実に仕事をこなしている姿にだんだんと仕事になじんでいく。そこに起こった難事件。勇者たちが女性に誘われ危険な冒険を行った果てに死亡する事故が相次ぐ。保険金狙いといった感じでもないその犯人は。意外な展開に驚いたけれど、そこまでして王権に逆らって何が得られたのかがちょと分からないから無謀だなあとも思ったのだった。その後はやっぱり斬首かなあ。それも可愛そうなので次、より大きな敵が現れリックの前に立ちふさがるような展開を待とう。

 なんというかなんだろうというか。平成の30年を振り返る企画なんかをDVDにする新聞社があるんだけれど内容的には自分のところの報道を自賛しつつ振り返ると言った感じ。でもって前面に立てている記者が幾度も名誉毀損の裁判で敗訴している記者に、沖縄で基地に関するデマを流したり、北海道や対馬が危ないと根拠のない不安を煽ったりしている記者に、韓国の大統領に関するセクハラまがいの虚言を法廷で認めた記者に、各軍事ネタのことごとくが軍オタから苦笑され続けている記者が揃い踏み。もはや商売的にこれらを看板とせざるを得ないというか、むしろ思想的にこれらが本流と認識している感じが漂ってきて未来を思うといろいろとモヤモヤしてくる。いつまで続くんだろうなあ。やれやれ。

 それもサッカーだとは思うけれども初っぱなで1人少なくなったコロンビア相手にもはや当初の戦術だのといったものは意味を失い、どれだけ数的有利の中で着実に守り点を奪えるかってところが1番のポイントになったFIFAワールドカップ2018ロシア大会の日本代表対コロンビア代表。その際のPKで1点を先取しながらも地を這うような巧みなフリーキックで1点を返され同点のまま進んでいった試合の中、いくつものシュートを放ってそれこそハメス・ロドリゲスだったら8割は決めていそうなシュートのことごとくを外し,結局はコーナーキックからのヘディングによる1点を追加して終わった日本代表をどこまで評価して良い物か。それもサッカーであり勝利であるなら称えたいものの次の試合で相手が完全体で現れた時、これは叶わないといった可能性を逆に見せてしまったとも言えなくもない。

 トップに張って相手を脅かしつつ守備にも戻る大迫勇也選手を使いつぶすようなフォーメーションで、トップ下に入ったらしい香川真司選手は途中から存在を消して役割を果たさない。長友佑都選手の無尽蔵のスタミナから繰り出される守備と攻撃に柴崎選手乾選手の頑張りがあって原口選手のサイドワークもあって保っていた試合の中に仮に井手口選手浅野選手といったところが入ったら。そう考えた時にビッグ3を呼んで据えてコロンビアの不備につけ込んで勝利したこの試合が後々に大きな航海を残してしまうような気がしないでもない。後ろからのボールをつま先で幾度となく合わせたフォルカオ選手はゴール前で決定的な場面を作り出したハメス・ロドリゲス選手の万全がセネガルとポーランドを撃破する一方、日本はセネガルにもポーランドにもどれだけできるか。そんな未来を思うと黒くなるけど今は勝利を勝利として受け止め今晩だけは酔いに浸ろう。


【6月18日】 早めに布団に入って見始めたFIFAワールドカップ2018ロシア大会のドイツ対メキシコ戦が凄まじかったというか素晴らしかったというか。しっかりとディフェンスラインを整えその前にも人を集めたメキシコが、ドイツの攻撃を寄せ付けず張り込ませずクロスだって跳ね返す鉄壁の守備を見せつつ、一瞬でもって真へと出しては一気のカウンターで1点を奪い、以後も守備とカウンターで脅かしつつ90分間を戦いワールドカップでの対戦では初の対ドイツ戦勝利を得た。ワールドカップの初戦でドイツが負けるのもずいぶんのことらしい。

 つまりはいろいろと番狂わせが起こった訳だけれど、これは決して根性論からの勝利でも、油断からの敗北でもなくお互いに相手の手の内をしっかりと読んでお互いに大作を経て会った中から生まれた勝利であり敗北。どかんとあたってずばんと買ったりべたんと負けたりして一喜一憂するようなサッカーではもはや試合にすらならない時代が来ているってことらしい。もしかしたらバレーボールと同じようにデータをアナリストが即座に分析して戦術に落とし込むようなこともやられているかもしれないなあ。もとよりドイツで発達した手法でもあるけれど、それでドイツが丸裸にされたならそれもサッカーの進歩の形という訳で。

 でも我らが日本代表はスポーツ新聞がこぞって根性だとかDNAだとか勇気だとかいったオカルトじみた言葉を並べて日本代表を飾り立てる。データスタジアムのデータを使った戦術分析だとかパフォーマンスの精査なんかもきっとやってないだろう。体脂肪というプロとしてあたりまえのことだって自発的に守れないチームなんだから。そんな日本代表が果たして世界で通用するのか否かは明日のコロンビア戦を見れば瞭然なんだろうけれど、そうなるかもしれない可能性をドイツとメキシコの試合から感じれば、今晩にだって対策を立てて選手に徹底させるだろう。その成果は先発メンバーに現れる。いつもと同じだったらそれは当たって砕け散るだけの旧態依然が未だ蔓延っている現れ。なおかつそれは今後も続く。参ったねえ。

 午前7時に目覚ましが鳴る前に目が覚めてそれからTOKYO MXで「モーニングCROSS」を見たり録画してあった「食戟のソーマ」なんかを見たりしていたらニュース速報で大阪を中心に大きな地震があったとの報。その震度が6弱とあってこれは強烈なのが来たぞ、いったいどれだけに被害が出たんだろうと心配になったけれど、いつかの阪神・淡路大震災の時のように高速道路が倒壊したり、地域が火事で大変なことになったりはしておらず、液状化で地面から水が噴き出したり水道管が破裂して水柱が立ったりといった感じで、震度に比較するなら震災と言えるほどの被害は出なかった。

 それでも倒れるブロック塀があって下敷きになって女の子が亡くなられたのは痛ましい話で、東日本大震災を受けて全国的に耐震補強の動きが進んでいれば防げたかもしれないと思うと残念な気がしてならない。古いけれども貴重な建物だから耐震補強はせずに入場制限で対処するという方針があっても良いけれど、公共の建物なり往来に面した場所についてはやはり震度7でもどうにか耐えるくらいの耐震補強を義務づけるべき時期にあるのかもしれない。もうひとつ、熊本では大きな地震があって被害が広がらず少し安心していたら、それは前震であって日を置いて大きな地震が来て一気に被害が広がった。東日本大震災でも本震を思わせる前震があった。そんな前例を含んで対処できるよう、備えをしていただければさらなる被害を出さずに済むので是非にお願いしたいところ。いや関西に限らず関東でもなんだけれど。今の部屋は東日本大震災での関東での揺れで自分、確実に潰れるものなあ。

 「ニンジャバットマン」を前日に見て翌日にまた見に行ったのは、ひとえにゴリラ・グロッドを伴いジョーカーを倒しに乗り込んだバットマンにくっついて、キャットウーマンも乗り込んでいってはハーレイ・クィンの上で宙返りするシーンを大きなスクリーンで見たいがためであってイオンシネマ幕張新都心のULTIRAスクリーンに映し出される巨大なキャットウーマンのお尻はそれこそまぶたの裏側に永久に焼き付けたくなる。見たいシーンがあるから何度でも映画に行くひとつの例。これに当てはめるなら予告編で流れているあのシーンを見に「ペンギン・ハイウェイ」にも通ってしまうだろうなあ。それは何かってもちろんお姉さんの大きなおっぱい。画面いっぱいに映しだあれるそのふくらみを、ULTIRAで見たらいったいどれだけのサイズになるのか。真下から見上げたらどんな気分になるのか。それを味わわせて欲しいから絶対にスクリーン8で上映を。お願いしたいけどこればかりは無理かなあ、新支配人におっぱい愛はあるかなあ。

 三浦しをんさんが女子高生2人の文通を描いて百合百合した雰囲気を感じさせてくれた小説を出してくれたと読み始めた「ののはな通信」がだんだんと時間を経るに従って青春の淡さも酸っぱさも吹っ飛んで、大人の女性たちの生き様を描くストーリーへと進んでいって人間、境遇は変わるし見えている世界も変わるものなんだと多い知らせてくれる。そうした中でもお互いを感じ取っていろいろと思いをやりとりする気持ちは少女時代と変わらず。それは単純に友情と呼べるほどスイーツではないけれど、互いを思い合った関係だからこそ言えたり言われたりできることがあるんだと思わされる。最初は文通でだんだんとメールになって最後はまた手紙になってそれが一方通行になる。もう終わり? そこは不明だけれど途切れた先、時代設定的にはLINEのようなメッセンジャーアプリが生まれてくる感じで、それを使って復活するやりとりが60歳くらいまで続くような続きをいつか読みたいなあ。書いてくれるかな、三浦しをんさん。

 そんな三浦さんが審査員を務めている第17回女による女のためのR−18文学賞の贈賞式があったんで見物に行く。大賞を受賞した人はフォトグラファーで、タレントの友近さんが選ぶ友近賞を受賞した山本渚さんは前にメディアファクトリーから「吉野北高校図書委員会」を出していたプロの作家の人だった。とはいえ数冊出してそれからしばらく音沙汰がなかっただけに今回の受賞である種の再デビューとはなった模様。書き続けられる人だとは思うけれども環境が許さなかったのだとしたら、今回は新潮社という文芸に誇り居があって綾瀬まるさんとか窪美澄さんとか山口マリコさんといった時代をとらえる女性作家を輩出している賞を受賞しての再デビューだからきっとバックアップもあって書き続けられるだろう。どんな作家になっていくか。楽しみつつ前の本も探してみよう。


【6月17日】 そして岩浪音響監督調整監修による「ガールズ&パンツァー 最終章」第1話の「ULTIRA センシャラウンド ドルビーアトモス イオンシネマ幕張新都心Mix」上映後に行われた支配人の交代式で、前支配人の羽藤さんの移動先がイオンシネマのフラッグシップ的シアター、シアタス調布と判明。調布駅の上に新しく作られた劇場は設備も新しい上に企画面でもいろいろと画策されている感じで、幕張新都心で数々の音響面で仕組まれた映画を上映してきた羽藤支配人のもと、いろいろと取り組みもなされることだろー。調布なら味の素スタジアムへと行く時に通る駅なんでそれほど遠いという印象もないんで何かあったら行ってみよう。

 ただ、それで幕張新都心の方の企画が弱ってしまってはもったいないので、新しく支配人になった中野さんという人には岩浪音響監督からの指導を受けてこれまでにも負けない企画をぶち上げていって欲しいなあ。個人的にはチネチッタ川崎のLIVE ZOUNDに匹敵するような繊細な音響でおって「リズを青い鳥」を上映して欲しかったけれど興行のルートから外れているみたいでやりそうもない。だったらやっぱりこれまでの資産を活かした上映会から始めて感じを掴んで欲しいけれど、数字だけ追いがちになるとドルビーアトモスの施設があってドルビーアトモスの映画が来てもアニメーションだからを脇に追いやられかねないからそこが不安だったりする。

 どうせ全部が埋まることなんでないんだから、サウンドや映像で設備に見合った映画が観られる劇場として名を深め、世に喧伝されることが今は重要なんじゃないかなあ、日本有数の映画会社が持ってるシネマコンプレックスなんて上野とかをのぞけば自分のところの配給を中心に売れそうな映画ばかりをがんがん流してマイナーだけれど長く愛されそうな映画を上映することなんてほとんどないから。あれだけ話題になって東京23区内で「この世界の片隅に」を上映することがなかったように。そんな効率に端ってツマラナイ小屋にならないために何ができるか、考えて欲しいしそれを実践したからこそ千葉の新興シネコンの支配人がチェーンでも有数の劇場の支配にんい“出世”できた。数字だけではない付加価値を重んじそれを伸ばすおとで得られる評判を、気にしていってくださいとお願い。「REDLINE」の爆音やろうよ爆音を。

 舞台挨拶付きを見た時は昼下がりだったんで途中、眠気に襲われゴリラ・グロッドを引き連れバットマンがジョーカーを倒しに行くシーンでまどろんで、予告編にもあるキャットウーマンが宙返りしながらハーレイ・クィンを攻撃するシーンを見逃してしまったのが心残りだったんで、ULTIRAの巨大なスクリーンで宙返りするキャットウーマンのお尻を見るべくイオンシネマ幕張新都心へ。ぐるぐると回る高木渉さん演じるジョーカーの声をか目をつぶるとさらにくっきり聞こえて来て、70個とかいったスピーカーが巡らされたドルビーアトモスの凄さを実感する。

 これだけのサウンドを例えば東京の都心部で体感できないのかといえば、TOHOシネマズには幾つかドルビーアトモスの劇場があるにも関わらず「ニンジャバットマン」は上映されない。他にかける映画あってその方が儲かるって判断なんだろうけれど、それだといくら日本で映画の音響を凝っても活かせず、だったらやらないとなっていつまでも育たない。映画ファンを育て映画作りを育てる場としての劇場が単なる窓になってしまっている状況を、替えるためにもドルビーアトモスの邦画は凄いんだ、そして客も来るんだ、上映した映画館は尊敬されるんだといった認識を世に植え付ける必要がありそう。その意味でもやっぱり岩浪美和音響監督による羽藤支配人の礼賛は、意味があると思うのだった。それをメディアがもっと取り上げればなあ。映画メディアがあれだけあって触れてるところなんて皆無だものなあ。

 秋葉原のアーツ千代田3331で始まった、アニメーション作家が新作を持ち寄って上映する「ANIME SAKKA ZAKKA anthology」を見物。昨日はオープニングで作家の方も来られていたみたいだけれど「ニンジャバットマン」と「ガルパン」があって行けなかった。物販も土曜日のみだから今日は買えなかったけれど次の土曜日は秋葉原で「REDLINE」の上映があるあkら終わったらのぞいてみよう。さて上映作品は「one day」という言葉をキーワードにした作品を持ち寄って上映していて、最初に中内友紀恵さん「ナナイロメガネVol.2が流れて眼鏡っ娘が可愛かった。楽しい音楽に合わせて賑やかに繰り広げられる「みんなのうた」的作品。浮き浮きさせられる。

 今回たった1人の男性作家となった竹内泰人さんの「エンターテイナー」はピエロの造形がなかなかに怖い。手にした星形のギターで殴ると家具も家電も自分自身もが星になって散らばってしまう状況で、そんな星をかき集めては大砲で打ち上げると宇宙を回って流れ星として降り注いだ果て、ぐるりと回ってまた最初からギターによってぶっ飛ばす展開へと移っていく。殴るとそれが星やらコインやらになって飛び散り積み上がる動きがとても気落ち良いのは、自分の中に何かぶちこわしたい衝動があるからか。ホラー映画から抜け出てきたみたいな怖さがあったピエロとか人形の造形はながしまたいがさんが制作。どういう人だろう? 気になった。

 「ズドラーストヴィチェ!」の幸洋子さんによる作品は現代アーティストの鴻池朋子さんによる詩を原作にした「夜になった雪のはなし」。背景となる切り貼りっぽい絵の上でクレイが雪からミミズへ動物へ少女へ夜へとメタモルフォーゼしていく展開がなかなかに生々流転。そういった展開を描く上で最適とも言える素材が使われたストーリーで語られる言葉は、映画「この世界の片隅に」の憲兵さんこと栩野幸知さんが持ち前の広島弁であてていて、緊張感があって不思議はない展開を優しく愉快なものにしてくれていた。「ズドラーストヴィチェ!」の変なおじさんとおども幸アニメでは定番か。次は何を矢部って売れるかなあ。

 若井麻奈美さん「タンポポとリボン」は仲良しのリボンとタンポポだけれどいずれ来るその時にキュンと来る。ほどけたリボンを結んであげるタンポポが優しいなあ。造形物を袋にいれて飾ってあってこんなに作って撮ったのかと感嘆。リボンはまたタンポポに会えたのかな? やまだみのりさん「グッバイ、バイセコー」は自転車でこけた一瞬が引き延ばされてよく動くアニメーションによって描かれる。動いて回って寄って離れて。巧いなあ。とりあえず走馬燈とならず戻ってこられて良かった。自転車には気をつけてのりましょう。

 東京工芸大の頃からずっと見て来た小谷野萌さんの「one day」は今回のANIME SAKKA ZAKKAでのテーマをそのままタイトルにとりつつ描いたとあるペアの1日。同じ部屋で暮らしている2匹の猫の日常が、重なっていたのが少し離れてそれぞれに違う風景を見て、そして元のように重なっていく。そこで分岐して決別して離れていってしまう人生もある中で、顧みられて元に戻って重なってくれたのはやっぱり嬉しい気がする。離別は哀しいものだから。表現としてオイルか砂絵か水墨を使っているかと思ったらデジタル作画。それであれだけのアナログ感を出せるのが凄い。表現したい人はツールが何であっても表現したい形をちゃんと掴んで選び見せるだなあ。そんなANIME SAKKA ZAKKA anthology。もう1回くらい見に行こう。

 意味が分からないというか東京オリンピック/パラリンピックのPRのためにどうして渋谷駅前にある忠犬ハチ公が全国行脚をしないといけないのか。そこまでしなくたって東京オリンピック/パラリンピックのことなんて日本中の誰だって知っていて行きたければ行きたいと思ってる。犬の出身地の秋田に行ったら秋田人がオリンピックに行くわけでなし。あるいは海外で映画化されたことで「Hachi」を知った人に向けて世界を巡回するなら分からないでもないけれど、何かをやればどうにかなると思って本質、忠犬ハチ公はそこを動かなかったからこそ忠犬ハチ公と呼ばれた歴史を蔑ろにしてしまうのはどうにも解せない。いっそ都内にある楠木正成と渋沢栄一と西郷隆盛と大村益次郎の銅像を束ねてユニットとして巡回させたら良いんじゃ。とはいえ渋沢は幕臣で西郷と大村は勤皇で楠木正成は尊皇か。重ならないなあ。


【6月16日】 浅香守生監督が「カードキャプターさくら」のクリアカード編を多分追えていよいよ「ちはやふる」の第3期に手を着け始めた感じ。第2期でどこまで言ったかはっきり覚えてないけれど、記憶だと2年生の夏の近江神宮を終えて綾瀬千早が富士崎の桜沢翠に誘われ合宿に言ったあたりで終わっていたような気がする。そこからだと冬の名人戦クイーン戦があったはずだけれど千早は確か修学旅行でクイーン戦に出てなかったんだっけ。だからすっ飛ばして3年生へと移って新入生を迎えつつ真島太一がかるた部を辞めてといった展開か。実写映画の「ちはやふる 〜結び〜」を漫画版でやるって感じかなあ。

 気になるのは前以上に人気者になってしまった宮野真守さんがちゃんと真島太一をあててくれるかってあたりとそして、綾瀬千早役の瀬戸麻沙美さんが前みたいな澄んで可愛い声が出せるかといたところで、「ちはやふる」以降の役をみていると「ガールズ&パンツァー 劇場版」の西絹代だったり「マクロスΔ」のミラージュ・フォリーナ・ジーナスだったりと美人なんだけれど妙にきまじめで吶喊体質でそれでいてどこかポンコツな感じの役が……ってなんだ綾瀬千早と一緒だった。声質がやや低めになってきているけれど、そこは勘を取り戻して演じてくれるだろう。浅香さんが引っ張ってくる絵コンテや演出に混じるベテランの味にも注目したいところ。山内重保さんとかいしづかあつこさんとか今千秋さんとか。誰が関わってくるかなあ。放送が待ち遠しい。

 飛び込んだり放ったりしたシュートで2得点を決めたスペイン代表のジエゴ・コスタ選手をこそフォワードと呼ぶんだろうけれど、それでも前線で脅威を示してファウルを誘ってPKを得たりフリーキックを得たりして2得点を重ねつつシュートも放って弾道の低い回転しないボールでキーパーの手をすり抜け決めたゴールもやっぱり立派ということで、3得点をしっかりと自分で得たポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウド選手の方がやっぱり上だったような気がするFIFAワールドカップ2018ロシア大会のグループリーグ、ポルトガル代表対スペイン代表戦。

 午前3時のキックオフだから半分くらいはまどろんでいたけど、それでもシュートが決まったり得点が入ったりする前後には何か目が開いていて見て喚起するロナウド選手の顔とかに、あれだけ世界的に活躍していながらもワールドカップという舞台はひときわなんだと思わされる。というか20006年のドイツ大会から南アフリカ大会、ブラジル大会を経てロシア大会で4大会連続の得点はいつかのブラジル代表のペレ以来というから凄いすごい。決してチームの成績もそして自身の得点も良くはなかったけれど、今回は1試合でハットトリックを決めてこれまでの得点を稼いでしまったから最後になるかもしれない大会にかける思いも大きかったんだろう。

 それが歓喜にもつながっているようだけれど最後に着地に失敗したか足首を痛そうにしていたのが気にかかる。次の試合まで間もあるし治療してまたピッチに経って欲しい。イランかサウジアラビアが相手ならロナウド選手は必要ない? いやでも両方とも強いチームだしポルトガルとの上位争いの中で得失点差が物を言う場面もあるかもしれない。落とせばイランに越される可能性もある中で油断はできないから直して合わせてくるだろう。ロナウド選手がいるといないとでは見る気力も変わってくるから、是非に復活を。そして決勝トーナメントでの活躍を。

 それにしてもやっぱりどちらも巧いというか基本に忠実というか。スペイン代表は足下でぴたりとトラップをしてそれをすばやくパスして届ける。そのスピードも速くて目で追えないくらい。さらに別の選手が好位置に走り込んでいてしっかりと形を作れる。だからボールをとられない。日本代表がやりたい「自分たちのサッカー」がこれなんだろうけれど、それを言うならパスの速度を上げる努力をしつつトラップを足下から話さず出したら動いてもらいそして動いた選手にパスする速度と連動と正確性をもっと高めないと。それが出来ないならカウンターだけれどボールを奪って前に放るとそこにロナウド選手ほか数人がすでに走り始めているポルトガル代表ほどの速度と運動量もない訳で。世界トップのバロン・ドールが一生懸命走ってるんだぜ。それを見習って欲しいよなあ、あれらがサムライブルーの王様にも。誰とは言わないけれど。言いたくもないけれど。

 バットマンだバットマンだ。「ニンジャバットマン」の舞台挨拶付きの上映があるんってんで昼過ぎからイオンシネマ幕張新都心へと入って最初に音響監督の岩浪美和さんがサインを入れたパンフレットを手渡ししてくれる行列に参加。前にも確か「BLAME!」でやったイベントだけれど今日は夜に『ガールズ&パンツァー 最終章』第1話の上映に関連してイオンシネマ幕張新都心で数々の音響を活かした上映企画を立ててきた羽藤支配人が異動となるのを称えるイベントが開かれるのに関連し、自身が音響監督を手がけ劇場でも『ニンジャバットマン 時空震サウンド/ULTIRA/ドルビーアトモス』なる上映のサウンドを調整した岩浪美和さんがずっと幕張にも詰めていることもあって実現したみたい。

 割と行列が出来ていたからイオンシネマ幕張新都心では音響監督という普段だったら縁の下なりガラスの向こう側にいてあまり面に出てこない役柄の人が大きくクローズアップされ、ファンを得ているといった感じ。それは舞台挨拶にも出ていて、当初はバットマンを演じた山寺宏一さんとジョーカー役の高木渉さん、監督の水崎淳平さんに脚本の中島かずきさん、キャラクターデザインの岡崎能士さんが登壇する予定だったところにキャットウーマン役の加隈亜衣さんとハーレイクイン役の釘宮理恵さんが加わったその上に、東京ではいなかった岩浪美和さんが参加してそして大きな喝采を浴びていた。
B  なおかつ舞台挨拶では高木渉さんの過去に演じた役を次々に振ってはあの名作「ビーストウォーズ」で演じたチータスを演じさせてみせて知っている人はにんまり。普段はあまり喋らず怖い人らしい岩浪さんの印象が、まるで変わってこんなに喋る人だったんだと山寺宏一さんが驚いていたのが、普段から各地のイベントで音響監督として登壇して喋りまくっている岩浪さんを見ている目にはちょっと不思議に写った。それだけ平生の仕事は厳しいってことなんだろう。キャットウーマン役の加隈亜衣さんにが頑張って色っぽく演じたのを「もっと色っぽく」といって愕然とさせたらしいから。それで岩浪さんの言うことを聞かずに自分の好きなように演じたらOKが出たというから案外に怖くないのかも。それとも型にはまった演技をさせないためにいったん、つぶしてみせたのかな。

 そんな「ニンジャバットマン」の声に関しては誰もがぴたりとハマって聞いていて違和感がないどころか、今後は彼ら彼女らをフィックスで行って欲しい気もしないでもない。とはいえ実写の映画で演じられるキャストに合わせた声と、アニメーションとして描かれた絵に当てる声ではやっぱりどこか違っていて不思議はない。ましてや今回はアメリカンコミック調とはいいつつも日本で神風動画が作った長編アニメーション映画であってそこに盛り込まれたオーバーで外連味たっぷりの演技に合う声を選んだら、今回はこうなったといった理解をする方がいいのかもしれない

 バットマンはしぶくて強そうだけれど悩みも抱きつつそれでも正義を貫こうとする。対してジョーカーはどこまでもふてぶてしくてあきらめをしらず老獪で狷介で厄介なキャラクター。高笑いをしながら現れ敗れてもしつこく甦ってくるキャラクターを演じるに高木渉さんは最高だったのだろう。そんなジョーカーに従うハーレイクインの愛らしく悪巧みをする声を演じて釘宮理恵さんは突き抜けていたし、善に転びつつ悪にも寝返るセクシーなキャットウーマンをしっかりと加隈亜衣さんが演じてくれた。これが沢城みゆきさんでは峰不二子と区別がつかなくなるからなあ。子安武人さんはゴリラだからコンボイだから子安さんという連想で選んだんじゃ。岩浪音響監督だけに。

 ではストーリーはといえばもうきてれつだけれど伝奇として見ればまるで不思議はないというか日本人なら何も考えずに理解できるんじゃないかというか。忍者でありながらもしのばず派手にバトルを行う展開はそれこそ山田風太郎さんの忍法超であり「魔界転生」であり時々は『柳生一族の陰謀』も入って戦国で時代劇でチャンバラでアクションに慣れた目はすんなりと入る。そこに加わるクライマックスの大ネタも巨大ロボットアニメがのべつまくなし作られ合体だ爆発だとやっている日本のテレビを見て育った人間には、まるで日常のようにすんなりと入ってくる。その対抗策も笑えるけれどもあるあるあるあると快哉を叫んで受け入れたくなる展開。見たいもの、見て楽しいものをオールぶち込んで煮て揚げた雑煮で天ぷらな大ご馳走、それが「ニンジャバットマン」だと断じたい。

 中途のパートについても毀誉褒貶、あるけれども極彩色で絢爛として外連味たっぷりなジョーカーとハーレイクインのあるいは陥ったかもしれない境遇、その真実性を裏付けるのにああいった絵は必要だったと思う。独特の動きとかはうつのみや理さんの名前を見かけたことからも分かるように日本的でどこか観念的。ひとつレイヤーが違った場所で繰り広げられる絵空事を描くに適した絵柄だったのではなかろうか。それが最後の瞬間に少しずれ、なおかつ高木渉さんが演じる声がすっとずれるというか戻るというか。そこがやっぱり凄かった。

 楽しくで面白くて格好良くて可愛くて。どんなほめ言葉だって浮かべて投げかけたくなる映画だけれどもこれで終わりとなってしまうのが勿体ないというか、せっかく得た日本に集ったヒーローとヴィランの物語が、もう見られないというのは寂しい。いやいや鷹の爪団があるじゃないかと言えば言えるけれどもあれはあれでこれはこれ、こうしたラインでのストーリーをそれこそテレビシリーズで、なんて言ったら贅沢だと怒られるかなあ、それこそNetflixで劇場版「ニンジャバットマン」のTVシリーズ向けを作り直すなんて企画、動いたら最高なんだけど。


【6月15日】 セクシージャガーこと貝崎名緒がどうにかまそたんに飲み込まれてはいっしょに空を飛び、まそたんの放熱につきあってあげられたのは感動だったけれども、いったんは妙な恋心でもってノーマに溶かされそうになった星野絵瑠が相手の事情を知ってのちょっかいを本気と思って決別し、独り身を決めてノーマに人生を捧げる決意を固めてしまって逆の意味でのチョロさを感じるとともに、そうやって女性をチョロく描きなおかつ純潔を外因的に強要するような展開にはやっぱり面倒くささを覚えてしまった「ひそねとまそたん」最新話。

 巫女の方でも三角棗がマツリゴトに欠かせない何かに選ばれたそうで想像できるのは自己犠牲による神事の成就でそれを現代で女性に強いる展開を、素直に受け入れるのはちょと前時代的な気がしないでもない。そうした流れをぶちこわすかのように甘粕ひそねが自分の恋心には正直になるべきだとひとり勝手に結論を出して、きっぱり小此木榛人を諦めるどころかDパイを辞めると宣言をしたものだからいったいどうなるこの後の展開。マツリゴトは頓挫しそうだけれど自分のせいで地球が滅びたって嫌な物や嫌だと言いつのりそうなひそねが同様に変態飛翔生体も運命から解き放ってすべてをぶちこわしつつ平穏も失わない、そんな展開が来れば安心もできるんだけれど。どうなるかなあ。

 劇場で「Wake Up, Girls! 七人のアイドル」を見て島田真夢と菊間夏夜のメンバーだったか声優の方だったかのサイン付きシアター限定版BDを購入してからどれだけの時間が経ったか調べたらまだ4年と半年弱といったところ。それなりに時間は経っていてもももいろクローバーZがかけて来た時間にしろ、姉貴分にあたるi☆Risが辿ってきた時間にしろもうちょっと長かったりする中で結構な知名度を誇りながらもメンバーの誰が脱退するといった話を経ずしてWake Up, GIRLS!というアイドルユニットの解散が決まってしまった。デビューからちょうど5年が経った2019年の3月がその期限。どうしてという気分もある一方、やっぱりといった気分も漂う。

 あるいはやっぱりの方がちょっぴり色濃いか。劇場版を作りテレビシリーズを監督して続編の劇場版も手がけてアニメーションのキャラクターとしてのアイドルユニットWake Up, Girls!を生みだしつつ実在するアイドルユニットのWake Up, Girls!のために詞を書いたりもしてきた山本寛さんがどういった経緯からか第2章の監督ではなくなってしまった。なおかつ新しく作られたアニメーションは作画的にどういったものかといった評判を得てしまって、そこに描かれたストーリーからきゃらくたーとしてのアイドルユニットへの興味を惹起し、実在するアイドルユニットへと関心を引っ張るような回路が途絶えてしまった。それでもピンでWake Up, Girls!が屹立していればまだ良かったんだけれど、そこまで行くにはあと少し、足りていなかったような気がする。

 姉貴分にあたりるi☆Risも「プリパラ」のシリーズが「アイドルタイム☆プリパラ」となってメンバーの登場がめっきり減って連動しての展開が少し滞るかと思われたものの、あくまでも「プリパラ」におけるソラミスマイルでありドレッシングパフェの人気はそれとして、アイドルユニットとしてのi☆Risの独立しての知名度も徐々にだけれど挙がって、そのパフォーマンスを見たいといったファンがちゃんと増えていた。もちろん「プリパラ」時代の楽曲が圧倒的だし人気もあってその色を見たい人も残っているけれど、決してステージでソラミスマイルやドレッシングパフェを見たい訳ではない。i☆Risのメンバーとして歌う「Make it」とか「Realize」を見て嬉しくなれる。そういう存在になっていた。

 Wake Up, Girlsは作品に登場するユニットと現実のユニットを重ね合わせてしまったことが最初は吉と働いて、「ラブライブ!」のμ’sにも似た評判を得られたけれども元から実力のある若手の声優さんたちによって組まれたμ’sは活動を止めても個々の声優さんたちは今なお活躍の幅を広げ続けている。それがデビュー作となったWake Up, Girls!の場合は活動を停止した後、どうなってしまうのかが今は少し心配な気がする。田中美波さんや山下七海さんのように個人で仕事を増やしている声優さんもいるから今後の半年で誰もがそうなって欲しいもの。推しの菊間夏夜を演じた奥野香耶さんにも是非。不幸な新章から登場したRun Girls, Run!は「キラッとプリ☆チャン」で認知度を上げているから大丈夫と信じたい。「プリマドンナ?メモリアル」は神曲だし。

 「りゅうおうのおしごと」で主人公の九頭竜八一にとっては師匠の娘にあたる清滝桂香がなかなか女流棋士になれず研修会から退会する瀬戸際にまで追い込まれている描写があって、男性でもプロ棋士になるのは難しいけれど女性だってその世界でプロになるのはやっぱり厳しいものだと実感しているだけに、独学で将棋を覚えてポーランドから日本へと来てプロに弟子入りしては女流のプロ棋士を目指したカロリーナ・ステチェンスカさんが、女流2級になってプロとなりそして女流1級にまで上がったことはやっぱりひとつの快挙と言えるだろう。

 もちろんだからといって男性も同列のプロ棋士になれるかというと遠くかけ離れた世界だけれど、女流には女流の世界の関門があってそれを突破したパワーの源がどこにあるかを紹介したアニメーションが登場。カロリーメイトを飲んでエネルギーを補給し脳を活性化して挑めば突破できるという。いやそれは多分違うけれど、どこまでも考えて考えて強くなっていく正攻法が、もとよりあった才能を開花させたんだろう。そんなカロリーなさんのアニメーションは、同じポーランド出身のマテウシュ・ウルヴァノビチさんが監督していておれがとても巧い。

 表情とか仕草とか演出とか動きとか、見たことがあるようで独自性があって何より気持ちいい。将棋の駒が騎士のようにメタモルフォーゼしてついて回って守ってくれるその動きとか強くて優しそう。闊歩するカロリーナさんを下からのアングルで描いた場面も大地をしっかりと分で歩き将棋で勝つんだという意志がなんだか感じられる。そうした動きまで自分で手がけたのか演出に特化して絵はアニメーターが描いたのかは分からないけれど、まとまった作品を短編であれ作り上げたことでひとつの勲章を得ただろう。今後も何か作り続けてくれるのかな、スタジオコロリドが手がけたアニメーションだからそこでの仕事とかやっているのかな。近く公開の「ペンギンハイウェイ」にも参加しているのかな。気になったんで追っていこう。ロマン・トマさんに続くような海外からの才能に、喝采。

 1年目はどこか怪しげなところもあったけれど、行ってみたらこれが楽しくて運営も悪くなかった東京コミコンが2年目はスティーブ・ウォズニアックを名誉顧問に迎えスタン・リーも来日をしてエクセルシオールと叫ぶメジャーなイベントとなり、映画会社も軒並み出展をして新作なんかを宣伝する場として使っていた。「ひそねとまそたん」もここで最初の情報が出たんだっけか。そんな東京コミコンが2018年も11月30日から12月2日にかけて開催で、発表会があってしょこたん中川翔子さんがアンバサダーに任命されていた。手に釘バットならぬニーガンバットの「ルシール」のそれも私物を持ってフォトセッションに応じるくらいにアメコミやら海外ドラマやらアニメやらマンガが好きなしょこたんにとってベストな仕事。他に仕事が重なって行けないことは絶対に無く、期間中を好きなコスプレをして会場を歩いてはあこがれの俳優やコスプレ姿のヒーローたちに会える。自身もコスプレをして。どんな姿で出てくるかなあ。ハーレイクインとか見てみたいなあ。


【6月14日】 爆音上映といえば立川シネマシティで、音響でもって映画興行を差別化できるといった可能性をその身をもって証明してのけた。世に幾つものシネマコンプレックスが作られ、それなりな上映設備を備えながらもプログラムは画一的で、音響も映像も何も活かされることなくただ売れるか売れないかといった判断でもってスクリーンを割り振り、効率的な上映を行っていた状況に一石を投じた。その動きに呼応し、都心部でもないシネマコンプレックスが集客のために出来ることとして巨大なULTIRAというスクリーン、ドルビーアトモスという音響施設に着目。どこか宝の持ち腐れだったそれらの機材をめいっぱいに活かして、郊外の劇場を活性化させようとしたのがイオンシネマ幕張新都心だった。

 何しろとてつもない重低音を出すために、6機のスーパーウーファーを導入してスクリーンの前に並べてしまったくらいだからとんでもない。他に数々のイオンシネマはあってもそこまでやった劇場はない。そして音響監督とも打ち合わせを重ね、「ガールズ&パンツァー」シリーズではセンシャラウンドにさらなる味付けを行って聞かせ、「BLAME!」ではもとよりのドルビーアトモスという音響に加えて東亜重音なるものを作り上げて来場者を誘った。せっかくドルビーアトモスで作りながらも都心部のほとんどの劇場がその音響での上映を行わなかった中、ここは施設をめいっぱいに活かした上に重低音スピーカーを爆裂させ、とてつもない音の空間を作り上げた。まさにそこが「BLAME!」の世界だった。

 音響監督のみならず映画監督自らが足を運んで音響を調整したのが「この世界の片隅に」だった。というか片渕須直監督は音響の面倒も自分で見ていたから到来するのは当然なんだけれど、世界で絶賛されて幾つもの賞を獲得した映画の監督自身にご足労を願って音響を整えるそのコストが、興行成績に見合っているかどうかというはもはや後回しの問題で、設備があるならそれを最大限に活かすことによって、映画が持っているポテンシャルをより引き出すことができる、映画にとって最高以上の環境を与えられるという信念が、そうした作業を進めさせたなろう。結果、立川シネマシティに勝らずとも劣ることのない音響にうるさい、そしてULTIRAという巨大なスクリーンを持った劇場として、イオンシネマ幕張新都心は首都圏の映画ファンにその存在を印象づけた。

 その立役者たる支配人が異動となったそうで、奇しくも「BLAME!」や「ガールズ&パンツァー」で組んだ音響監督の岩浪美和さんが手がけた「ニンジャバットマン」の時空震サウンドによる上映が始まっている中、その身を別の場所へと向かわせることになった。残念ではあるけれど、でも人がいつまでも同じ所に止まっていることはできないのなら、その功績を称えつつ僕たちは大きな声をあげて送り出すのがよさそう。岩浪さんも協力のもと、「ガールズ&パンツァー最終章 第1話」の上映に合わせて支配人交代式が行われることになったとかで早速チケットを購入。そして1日が経つ前にほとんどの席が埋まっているあたりに、支配人への感謝の大きさが見て取れる。当日は心ゆくまでセンシャラウンドを楽しみ、そして心からの声で「パンツァーフォー」と叫んで送り出したい。どこに行くんだろう。後はどうなるんだろう。気になるけれどもそれはその時。

 矢島晶子さんが降板をした「クレヨンしんちゃん」の野原しんのすけの声が誰になるかといろいろ想像もとんでいたけど、どうやら小林由美子さんに決まったそうでそれは良かったと思ったかとうと、まずは誰の声をあてていたっけと思い出せなかったあたりに声優への関心の薄さがみてとれる。調べたら何と「エクセルサーガ」がテレビアニメーション化された際にエクセルガールズとして高橋美佳子さんとともに活動していたひとり。ハイアットだったのかエクセルだったのかも記憶にないけれど、アニメのキャラが実写になって歌まで歌っている野脳天気さは、今でこそ割とあっても当時は珍しく狂乱の雰囲気が感じ取れた。まさに泡沫の香りも漂っていたけど高橋美佳子さんも小林由美子さんも業界を離れず声優として活躍し、そしてつかんだ国民的アニメの主役の座。これをきかっけにさらに注目を集めて世に存在を喧伝して欲しいなあ。ついでにエクセルガールズの復活も。ビジュアルはうん、大丈夫でしょう。

 「シェイプ・オブ・ウォーター」のギレルモ・デル・トロ監督がゆうきまさみさんの「究極超人あ〜る」を読んでこれは面白いと絶賛し、是非に読めよとジェームズ・キャメロン監督や相棒でいっしょに「タイタニック」「アバター」を作ったプロデューサーのジョン・ランドーに勧めて読んだらこれは面白く、映画化したいといって乗り出した結果、ジェームズ・キャメロン監督によってハリウッド版実写映画の「アール:アルティメット・スーパーマン」が出来上がるなんて可能性があるかというと、これが決してゼロではないということが分かった「アリータ:バトル・エンジェル」のプロデューサーによるフッテージ上映付きプレゼンテーション。何と「銃夢」を読むようにとジェームズ・キャメロン監督やジョン・ランドーに勧めたのがギレルモ・デル・トロで読んで2人はこれを映画化しなくちゃと決意して権利獲得に乗り出したらしい。

 まさに奇縁。というかギレルモ・デル・トロは当時から「銃夢」を読んでいたのか。日本ではサイバーな雰囲気を持ちつつも圧倒的なアクションシーンが楽しく、なおかつ人間とは何かといった問題にも切り込んでなかなかの奥深い読書体験をさせてくれた作品ながらも、大きくメディアミックスされることはなく、版元とのこじれなんかもあって半ばブームは過ぎようとしていた。それがアメリカではクールでスタイリッシュなニッポンのマンガとして映画界きってのオタクなギレルモ・デル・トロに読まれ、そして世界のジェームズ・キャメロンに伝えられたというこのルートが、他の何かに当てはまるかを考えてみたくなるのも仕方が無い。ドリームの糸は決して太いものではないのだから。なおかつ丈夫でもない。

 「カウボーイビバップ」しかり「AKIRA」しかり、数々の日本の有名なアニメーションやマンガがハリウッドで映画化される話が持ち上がりながらも実現せずに終わったなか、「攻殻機動隊」が「ゴースト・イン・ザ・シェル」としてハリウッドで映画化されて公開にこぎつけ話題になった翌年に、「銃夢」までもが映画として公開へと向かい進んでいるという状況は、ある意味で奇跡でありそして喜ばしいことだと言える。もちろん「ドラゴンボール」のようにとんでもない改変を経て見た人の誰も幸せになれなかった映画化もあったけれど、フッテージを見た限りにおいて「アリータ:バトル・エンジェル」は「銃夢」の世界がそのままマンガから飛び出してきたように感じられる再現度があり、キャラクターのアリータ=ガリィもイドもマンガの雰囲気を実によく再現していた。

 いくらなんでもマンガならえはの目の大きさまでも再現しなくても、って意見がトレーラーを見た人の中から起こっていたけれど、フッテージではそうした大きさはあまり気にならず、そしてアリータが戦っている動きを見ているうちに、プロデューサーの言うように目の大きさなんて気にならなくなった。そこにマンガに描かれたキャラクターがいてマンガに描かれたアクションがあってマンガに描かれた情景と背景の描写がある。だから見ているうちにだんだんとそれがひとつの世界だと認識されて目の大きさもあたりまえのものだと思うようになる。そんな感じ。あるいは少し小さめに変えたのかもしれないけれど、ハリウッドでの実写化にともなう微妙な前評判を払拭してくれるくらいに面白くて楽しそうな映画になっていた。細身のパンツスタイルで飛び回ってはアクションし、着地ポーズを決めるアリータの可愛らしさと猛々しさも見物。これがモーターボールの試合のように全身スーツになるとさらにガリィらしさが出てくる。今は心底から12月公開が待ち遠しい。遅れないでねとお願い。


【6月13日】 乾貴士選手のゴラッソが見られただけでも良いとしなくちゃいけないんだけれど、パラグアイは全体において守備を緩くしつつ攻撃もトップの何人かでつないでいくだけで、それでも固められたゴール前で個人技から得点をたたき込む凄さを見せつけてくれた一方で、日本は緩く守られた間を縫って蹴り込んで得点はできても、これがパラグアイが本気で守備をかためつつトップからチェイスして日本に中盤で余裕を与えなかったら、いったいあれだけの自由さは得られただろうかと考えると、どこかにワールドカップ前の日本代表に怪我でもさせたら大変といった気遣いが見られたような気がしないでもない、サッカーの日本代表対パラグアイ代表。

 乾選手の2本のゴールもぴたりと寄せられていたら放てていたかどうか、香川真司選手のパスももうちょっと人数がいたら通っていたかどうか、それ以前に斜めからフリーに近かったシュートを外したりもしていた香川選手のコンディションが、本当にどこまで戻っているかを判断するだけの試合ではなかった。パラグアイに敬意を払うなら彼らは今の立場で真摯に試合をしてくれたけれど、真剣だったかというと……。そんなタイミングで試合をして意味があるかと言えばまあ、負け続けのネガティブな感情のままロシアに行くよりは、盛り上がって行った方か結果も良いに決まっている。だからこそのコンディション調整。その意味を理解しつつ本番で本気を見せた相手に本気を出せるかどうかが肝心だろう。そのあたり、選手にはちゃんと諭しているかなあ、西野朗監督。なあなあで澄ますほど優しい人ではないだろうから。コロンビア戦まであと6日。

 だいたいにおいてマンチェスター・ユナイテッドの誕生神話であり、多くにおいてアパッチ野球軍のサッカー版というか「少林サッカー」の原始版というか、素人ゆえの劣勢からの鍛錬による下克上といったジャイアントキリングの物語であって、それをアードマン・アニメーションズが「ウォレスとグルミット」シリーズや「ひつじのショーン」シリーズのニック・パーク監督によって、クレイによるストップモーションアニメーションとして作り上げた。その映画「アーリーマン〜ダグと仲間のキックオフ〜』がアニメーション好きにとって、なおかつサッカーファンにとって面白くないはずがない。

 はるか大昔の地球は今で言うマンチェスターあたりへと墜ちてきた隕石が巨大なクレーターを作った。その底に現れた球形に近い鉱石を見つけた原始の時代に生きる人間たちが、手で持てば熱いと分かって足で扱うようになり、それを蹴って転がす楽しさを感じるようになっていき、やがて石でゲートを作ってそこをくぐらせれば得点といったスタイルが固まって、現代のサッカーに似た競技の姿が浮かび上がってくる。原始人たちはその姿を壁画として残したもののやがて時は流れ、石を蹴り合う習慣も途絶えた時代、クレーターの周囲は未だバッドランドとして人も住むのに大変な荒地ながらもクレーターの中には密林が生い茂り、生き物も暮らすようになってそこで石器を片手にウサギを狩って暮らす集団がいた。

 ダグという少年もそんな集団のひとりながらただ漫然とウサギを狩り、果物や木の実を食べて生きる暮らしに満足はしていなかった。ジャングルを横切るマンモスのような巨大な生き物を狩って倒してみたいと思い、長老に訴えるものの聞き入れられず平穏で退屈な日々が続いていきそうに思われた最中、ジャングルを割って奇妙な巨体が現れた。それが石器から大きく進歩し青銅器を扱うようになった王国の探索チーム。鉱石を求めて穴の底に茂ったジャングルへと降りてきては、そこにいたタグら一族をバッドランドへと放逐する。

 住むところを奪われあとはのたれ死ぬだけ? そう思われたところに青銅時代の集落へと偶然にも入り込んではそこで行われていたボールを蹴り合う競技に引っ張り込まれ、正体がばれて殺害されそうになっていたダグが提案をする。その球を蹴り合う競技、すなわちサッカーで決着を付けようと。ダグは自分たちの集落に残っていた絵を見て先祖がサッカーをしていたことに感づいていた。だから仲間を集めれば試合になるかもしれないと思っていた。条件を認めさせ、仲間の元へと戻ったダグは一生懸命サッカーをやろう、そしてブロンズ・エイジ・シティのチームを倒して故郷を取り戻そうと煽るものの、やはり素人だけあってプレーは下手で勝負になりそうもない。

 もはや負け確定? そこに救世主。けれども紆余曲折。それでもどうにか立ち上がり、作り上げた赤いジャージでダグたちは挑む、青い軍団へと。いったいダグはサッカーをできるのか。サッカーで勝てるのか。底辺にあったチームが野球でもサッカーでもバレーボールでもなんでも、優れたコーチなり掲げた目標のために結束し、頑張って力を高めていっては強豪に挑むといったスポーツものに定番で、なおかつ感動を呼びやすいストーリーを見ていける。甘言を弄され迷いそうになっても、今度は仲間が助けてくれるという関係性。そんな展開も味わえる。ある意味でとても分かりやすく、その意味でとても感じ入ることができる映画だ。

 サッカーに対してとてもフェアでピュアなスタンスといったものを感じさせてくれるところも面白い。権力者が金と力に明かせてラフプレーを推奨すればより高位の女王は眉をひそめ審判は心を痛め観客はブーイングする。たとえ味方であっても恥知らずなプレーは断固許さないそのフェアネスがあればこそ、サッカーは選手もそしてファンも心ゆくまでぶつかり合うことができるのだ。インチキをしてまで勝つことの卑しさを改めて感じて現実の競技に、そして感染に適用しよう。監督を蔑ろにする選手が独善を働かせるチームへの応援の可否も含めて。

 実に王道の学園バトルファンタジーとでも言うべきか。エドワード・スミスさんによる「蒼穹の騎兵 グリムロックス 〜昨日の敵は今日も敵〜」(電撃文庫)はずっと戦っていた共和国と帝国があってそれぞれに大きな翼を持った鳥を操って空戦をする王禽騎兵が存在していて、停戦となったあともライバルとしてしのぎをけずっていた両国では、大演習と称して騎兵の腕前を競い合っていた。そんな中でジュスト共和国では第五七王禽騎兵隊の隊長ラゼルがエースとして活躍し、一方でアンケルニア帝国では白銀乙女騎士団の隊長ミスラがトップを張って演習の場で何度となく戦っては常に勝負がつかなかった、そんなある日。

 もっと親密になる必要があると両国の騎兵のトップ集団がひとつ学校めいた場所に集められて共同生活をすることに。そこでラゼルとミスラは出会ったものの男女だからといってすぐ恋に落ちるとかはなく、それぞれにプライドを持って向かい合い、そして舞台も喧嘩と嫌がらせが続いてまとまらない。片方が食堂の椅子の脚を1本だけ抜けばもう片方が食器からフォークだけを抜くといった始末。そんな喧嘩が激化した果て、戦争が再会される懸念のはらむ中で暗躍する組織があった。それを知ってか知らずか、ついに両国からトップが来てその前で演習を行うことん。いろいろあって理解を深めてはみあものの、やはり背負ったものがあるラゼルとミスラの戦いに決着はつくのか。暗躍する組織の正体と目的は。スリリングな謀略をはさみつつライバルが向かい合い高め合い引かれ合いもしつつ成長していくストーリーを楽しもう。続くのかな?


【6月12日】 バトルバトルバトルバトルの楽しさが戻ってきた感じがある鎌池和馬さん「新約 とある魔術の禁書目録20」(電撃文庫)は、美少女になってしまった学園都市の統括理事長ことアレイスター・クロウリーがローラ=スチュアートの肉体をのっとっていた大悪魔コロンゾンの目論見をぶち壊してメイザース復活を阻止するだか何かのためにはるばる英国へと乗り込んでいく中に、上条当麻やらインデックスやら一方通行やらが参画し、浜面仕上も混じってそして起こった大激突。一足先に送り込まれた当麻が拘禁されていた場所を抜け出し幻想殺しで決壊を破壊しアレイスター・クロウリーらを呼び込んだものの異分子の増えたイギリス清教の正常化を勝手に願った奴の目論見もあってオルソナ=アクゥイナスが怪物と化したのを当麻が押さえ込んでひとまず場は平穏に。

 それでも復活を遂げていたメイザースを相手にアレイスター=クロウリーも大変そうで、それを果たして上条当麻はどうやって戦っていくのか、そこにはるばる父親からほのめかされて呼びつけられた御坂美琴も絡んでいくのかといった展開はイギリスでのバトルからロシアでの大バトルへと流れていった無印「とある魔術の禁書目録」のクライマックス当りを思わせる。あの頃は次から次へと強敵が出てきては倒していくヒーロー物の面白さを持っていたものなあ、それが新約へと入ると妙に観念的というた敵は強大すぎて叶わないのを裏側からひっくり返すようなトリッキーな展開が相次いで、何をよりどころにして良いのか分からなくなっていた。

 最近はそれでも地に足がついたバトルが始まっていてそして英国編でかつての面白さが良いが蘇って来た。あとしばらくはこうしたバトル&バトルの面白さで引っ張っていって欲しいけど、結末をどこに置くか見えない作品だけにダレてしまわないようにとお願い。神裂火織とか久しぶりに出てきたんだけれどいったいどれかで活躍できたのやら。王室のキャリーサが途中にちらと出てきてもその後絡んでこなかったのは別の画策をしているからか。いろいろ仕込んである伏線が炸裂する展開を期待。そしてアレイスター=クロウリーも美少女のままでいてとお願い。小さくなったオティヌスがスフィンクスの神話について当麻について尋ねてインデックスの飼ってる猫が挙がって嫌な顔をしたのはそうか、スフィンクスにいつもかじられているからか。

 新幹線で死にたがりが暴れた事件は過去の類例もあってまだ分かりやすさがあるけれど、浜松で帰宅しようと車に乗り込んだ女性看護師がそのまま男たちに乗り込まれて何処へかと連れ去られ、そして死体となって発見された事件の方はこの日本という国、衆人環視も行き届いて防犯カメラだって存在する状況で、どうして起こりえるかが分からないちうか分かりたくないというか。以前に闇サイトで知り合った男たちが女性をさらって監禁しては口封じのために殺害した事件があって、その残酷さに世間は怒り心頭し、一部に死刑判決も出て同種の事件を起こせば世界は許さないこと、そして露見すれば極刑が待っていることが示された。でもまた起こってしまった。

 当人とは面識のない男たちがどこかで知り合って襲ったらしいとニュースに伝わっている。自首した人間がいるらしくそこから芋づる式にいろいろな人物が捕まっていくことになるんだろう。誰が主犯で誰が従犯で直接手を下したのは誰で自首をしたから罪一等が減じられるかそれとも残酷さ故に情状酌量の余地はなしとされるか、分からないけれども誰もが見ている状況、防犯カメラからいずれ割り出されるだろうシチュエーションであるにも関わらず、堂々と犯行に及んでしまった男たちの心理が気になって仕方が無い。やろうといった気持ちが集団の中で増幅され泊められなくなってしまったのか。気が大きくなってバレることなんてないと楽観したのか。でも終わってみれば穴だらけ。いずれ司直の手が伸びると思って出頭した人間がいたんだろう。以後、本格的な捜査の中で全員が謙虚され、相応の罰を受けることを臨みつつどうして無辜の人間が通りすがりで殺害されなくてはいけないのかといった理不尽を、またしても歯がみしつつ憤りたい。

 「serial experiments lain」がアニメーション部門の優秀賞を受賞したのを見に行きたくて取材に赴いたのが第2回だったりしたから以後、20年は経ったことになる第21回文化庁メディア芸術祭の内覧会へと赴いて片渕須直監督とか、「COCOLORS」の横嶋俊久監督とかのお顔を拝見する。湯浅政明監督が「夜明け告げるルーのうた」でアニメーション部門の大賞を受賞していたから、同じ大賞となった「この世界の片隅に」の片渕監督とツーショットもなんて期待したけれど今回は来場せず。それだけに片渕監督に集まる報道の人の数が多かった。まさに映画のヒット効果って奴か。展示にはすずさんが日常、何をやっているんだろうといったスケッチがあってそれは映画には出てこない場面で、戸棚の奥でもやしなんかを育てているのを知ってちょっと面白かった。キノコは育ててなかったのかな。あと午前4時に起きて午後10時に寝る生活のリズムも。働き者だったんだなあ、すずさん。

 「COCOLORS」のコーナーには作品で使われた版画があって版木もあってすれば今でもあの鮮やかな世界の絵が出来上がりそう。振り向けばご神体とか笛とかいった作中に登場してきたさまざまな物体の元となった鎌田光司さんの手による造形物が並んでいて、下北沢トリウッドで見たとき以来の体面を果たせた。ツリーみたいになったのはもしかしたら生アフレコと生音楽で見たイベント上映の時以来かもしれない。今や中国で大人気となってしまった鎌田光司さんの造形物だから中国から見に来る人も多いかもしれないなあ。でもちょっと独特な形状。こういうのも出来るんだと知った人が仕事を依頼すればさらに中国での人気が高まり日本で仕事を頼みづらくなるかも。今のうちだよ捕まえるなら。

 「とりあえず口利きはしてやったんで、あとはお前が直接金正恩と話せば良いんじゃね?」ってことなのかなあ、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩労働党委員長の会談における日本人の拉致問題。それで北朝鮮が問題の解決に向けて動いてくれるとはとても思えないのは、それをやったからといってアメリカから何か見返りがある訳ではないからで、だったらお金かとなった時にそうやって相手に屈服するような態度を日本が見せられるかというと、強気の姿勢で悪口を言うことで支持を得てきた日本の安倍総理にはちょっととれそうもない態度だろう。かといって直談判して取り戻すとなってもその際に手ぶらで言うことを聞いてくれる相手でもない。

 核兵器の廃棄費用は韓国と日本が出せとも言っているトランプ大統領の要求に従うように手土産もって頭を下げて拉致問題を解決し、それで浴びる妥協したとの罵声に耐えて実を取る性格でもないからなあ。というか対立のネタがなくなったら自分を保てない可能性もあるだけに、いつまでも対立の関係を続けていきたかったことだろう。それが許されないような状況に陥ってしまった。トランプは直接話せば良いんじゃないか的態度でなおかつお金は出せよといったスタンス。断れば日米関係は悪化するし、受ければ日本での自分の尊厳を守れない、八方ふさがりの中でやれることは何か、逃げることかなあ、ってことでここしばらくの去就に注目。三選なんて言ってる場合じゃないかなあ。


【6月11日】 「ほとんどの人は30歳になるまでに新しい音楽を探さなくなる」というイギリス人が対象になった調査の結果についてあと少し言うなら、「キラッとプリ☆チャン」のオープニングだとか、「劇場版プリパラ&キラッとプリチャン 〜きらきらメモリアルライブ〜」だとかを見てRun Girl’s Run!のCDを買ったのが否定につながる個人的な進展かなあ。映画のエンディングに流れる「プリマ☆ドンナ?メモリアル」は世紀の名曲だと思うよ。あと「月刊少女野崎くん」の歌とか「けものフレンズ」の楽曲で知ったオーイシマサヨシさんとか気になって仕方が無い。今度の「ウルトラマンR/B」の主題歌なんて超格好良さそう。それを聞きたくて見るかもしれない。早く全編通しで聞きたいなあ。

 最近だと「レイトンミステリー探偵社〜カトリーのナゾトキファイル〜」の主題歌に使われている足立佳奈さんの「チェンジっ!」がなんかちょっと気になっている。歌声というより「しゅらしゅら」っていう言葉が1カ所出てきてそこが妙に心に引っかかるって感じだけれど。そんな「カトリーのナゾトキファイル」ではついにレイトン教授ことエルシャール・レイトンが登場して山寺宏一さんの声で喋ってくれた。まだ子供だったルークの声は斎藤壮馬さんで格好いいけどそれより奥さんがあんな美人だったことが意外というか、レイトン教授一途って訳ではなかったんだなあ、あたりまえだけれど。そしてカトリーがレイトンの本当の娘ではないことが判明。だったら誰の子? そこが気になるけれど、当人があまり気にしてなさそうなところが剛胆というか、きっとお菓子の方が気になるんだ。少しずつ動いていくストーリーを追う楽しみも出てきた。しゅらしゅらと見ていこう。

 これは面白いというかアイディアの勝利というか。水瀬葉月さんによる「モンスターになった俺にクラスメイトの女騎士を剥くVR」(電撃文庫)は、ただひたすらにモンスターとなってNPCの美少女たちの服を剥いでいっては最後の1枚を残してうひひひとするゲームがあって、一方にガチにファンタジーの世界で剣士となって冒険を繰り広げてモンスターを倒しているゲームがあって、ともに同じゲーム開発会社が送り出したVRゲームななけれども何がアクシデントがあって同一のサーバーにあったらしい2つのゲームが混線してしまう事態が発生する。

 ゲント・サザンウェルという名前で服脱がせゲームに参加し、目的のためなら時間だって惜しまず注ぎ込んで数々の伝説を打ち立ててきた南井源斗は、そんなゲームで前の感覚で美少女騎士を倒したら実は背後にプレイヤーがいて驚かせる。そして美少女の騎士の方もNPCのモンスターかと思っていたら背後に人間のプレイヤーがいると知って大慌て。なおかつどうやら学校の同級生らしいと知って何かが起こっていると情報交換。そんな世界で起こっているパンツ脱がせゲーのプレーヤーがファンタジーゲームのプレーヤーをさらって監禁する事件を解決しようとする展開は、タイプの違うゲームに臨むプレイヤーの心構えの違いがひとつ勉強になる。

 一方で、脱がせゲーの方の18禁じゃないから最後の1枚は絶対に脱げず、そして脱がされた側はHPが1になりながらもモンスターの攻撃はそれ以上受け付けないという設定が混ざり合ったゲームの中で活かされ突破口になる。片方には制約でも片方にはチートになるという例か。一方のファンタジーゲームでの制約が脱がせゲーと混ざり合う中で解除され人の本性が露わになる展開も。ゲームは現実のはけ口じゃないと知るべきか。とりあえず事件は解決して犯人らしき人物の存在も示唆はされたけれども、これで果たして終わりかというとそこは作者の構想次第か。あとは売れ行きってのもあるかなあ。続く展開の中、さらに別のゲームが混ざり合って起こる事態に我らがゲント・サザンウェルがその着想でどう挑む? ちょっと気になる。

 沖合を行く台風のせいで強風が吹いて大雨が降ってお台場が孤島になってしまう可能性から中止になるかもと思ったけれど、とりあえず大風も大雨もなく京葉線もりんかい線もゆりかもめも動いていたんでこれは開催されると予測し、お台場へと出かけていってパレットタウンにあった場末感が漂うゲームセンターがぐるりと入れ替わって出来た森ビルとチームラボによるデジタルアートミュージアムの内覧会を見物する。チームラボといえばお台場にある日本科学未来館なんかでも展覧会を開いてはいたりしたし、渋谷にあるヒカリエのホールでもイベント的に遊園地めいた施設をおいていたけれど、今度のは海外にあるように常設でもってチームラボ的なアートとアスレチックをテクノロジーによって彩った展示を行うみたい。

 壁に投影される花とか自然なんかの映像が動き回って人の接触によって変化するのは過去にもあったチームラボならではのプロジェクションマッピングなんだけれど、この「森ビルディング デジタルアートミュージアム:エプソン チームラボ ボーダーレス」がユニークなのは「ボーダーレス・ワールド」という展示名が表しているようにひとつ場所にひとつの作品が収まってはいないこと。壁中がカンバスになったような場所があり、滝がどうどうと流れ落ちる部屋があり、蓮みたいなのが下から伸びた部屋があり、奥まっている場所がスクリーンになっちるような部屋があり、幾枚もの透明なパネルが立てられた部屋があってそれら違った場所に幾つもの作品が動き回って投影される。そこにいれば花もあれば人物もあってカラスが飛び回る映像も出てくるといった具合に、ボーダーレスに作品が空間を行き来する。

 逆にひとつの作品を追いかけて部屋から部屋へと移動していくようなこともできる。楽しみ方は自分次第で百人いれば百通り。順路にそって額に入った絵画を順繰りに見ていくような決まり切った楽しみ方はしなくて良い。それだけ体力も使うし気力も使うし、暗いんで注意力も必要だけれど、流れ作業的にはならない能動的な鑑賞によって自分にとってそれが必要なもののように思えてくる。線につけられたランプが耀きながら降り注ぐように見える場所、ライブにあるようなライトが壁中に据え付けられて自在に動いて光の線で模様を描く場所とかもあって、何時間だってそこに止まっていたくなる。サーチライトの部屋はちょっと暑いかな。動く屏風と化していた感もあったチームラボのアートが空間の制約を超えて大きく進歩したとも言える展示。これは見ておくべきだろう。

 前に映画「ラプンツェル」をモチーフに展示された、ランプが部屋中につり下がった作品も改めてガラスのシェードがついたランプでもって制作されていてしっとりとした雰囲気を楽しめた。あと手にGPSをつけて棒についた光る突起をつかみながら足も乗せT泳動していくボルダリングもあってこれは体力を結構削られそう。起伏のある部屋を降りたり登ったりするのも大変で、デジタルで室内なのに体力を使わされるアートという意味でもちょっと珍しいかも。途中にある休憩室で休みつつ暗い場所を行ききしつつ眺めては動き眺めては休みするのが良いのかも。ただやっぱり暗いし鏡も使われ奥がどれだけあるか分からない場所もあるんで注意は必要かも。男ひとりで行く場所でもないしなあ。それだけが悩みだ。一生の悩みだな。やれやれ。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


縮刷版一覧へ行く
リウイチのホームページへ戻る
riuichi@can.bekkoame.ne.jpが不安定でメールがリジェクトされる様ならwf9r-tngc@asahi-net.or.jpまたはkha02604@nifty.comまで。