Last Updated 2012/2/10
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1100冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
これは良い。『ブロッケンブラッド』の塩野干支郎次さん描く浅井長政と市との間に生まれた茶々、初、江の3姉妹がパッケージになった米、その名も『さんしまい』が岐阜は関ヶ原にある浅野屋米店から発売中でーす。塩野さんだからってついてないぞ、たぶんついてないぞ。
【2月10日】 選評が読みたくって買った「文藝春秋」の2012年3月特別号ではやっぱり石原慎太郎閣下の選評からまず開いて読んで仕方がないなあと理解。解ってないってことではなく、解ろうとしていないってことでもなくって自分の文学観に照らし合わせれば解る必要もないタイプの小説で、それをいくら理解したふりをしようとも、あるいは理解できる人がいるということを理解したとしても、自身に納得がいかなければそれはそれで戦うしかなく、そして敗れたのなら潔く身を引くといっただけのこと。騒ぐようなことでもないけれどもそれでも騒いでしまうのが石原慎太郎さんという人物の、バリューでありまた芥川賞というイベントのバリューなんだろうなあ、まったく。

 一方でたぶん一押しだっただろう川上弘美さんの選評が凄いというか、ほとんど円城塔論であり受賞作となった「道化師の蝶」論。冒頭から量子論における「シュレディンガーの猫」の問題についてまずは蕩々と解説をして「猫、死なないでほしいなあ……。死なない方に、一票……」と当時思ったことを書き連ねつつ量子力学の小難しさってものを披露してみせる。とはえいそこから「世界にはどうやら、日常の言葉だけでは説明しきれない現象が存在する」という認識を導き出し、敷衍して「日常の言葉では語り難いことを、どうにか日常の言葉で語ろうとしつづけているこの作者の作品は、読むことも大変に難儀」ながらも「あえてその難儀なこころみを続ける作者」に芥川賞を与えることで「行き止まりの道なんて、ないんだよね」ということを満天下に指し示した。

 ここから新しい芥川賞が始まる予感。それはだから石原慎太郎さんの芥川賞を置き去りにするものなんだろうけれども、一方に石原さんも「一番読みやすかった」という田中慎也さんもいたりするだけにここが別れ目、どっちに転ぶかそれともどちらかに収斂されるのか。石原さんが去り黒井千次さんも去って残るは川上さんにやっぱり円城さんの作品に関心を示す小川洋子さん、川上さんに負けじと言葉を書き連ねている島田雅彦さんとそれから新しいもの好きな山田詠美さんが残って、それから石原さんとは違って「私には読みとれない何かがあるとしたら、受賞に強く賛成する委員の意見に耳を傾ける」といって、己の文学観と戦うのではなく、大勢の文学観と照らし合わせる道を選んだ宮本輝さんも残る芥川賞の選考委員が、次に選ぶ作品がそんな芥川賞の未来を指し示す。まあでもやっぱり話題が先に行くんだろうなあ。次はどんな美人か。あるいは人工知能か。

 そんな「文藝春秋」2012年3月特別号で特集されている「テレビの伝説」で、タモリの凄さを「さらば雑司ヶ谷」の樋口毅宏さんが、作品で使ったオザケンの「テレフォンショッキング」出演時のタモリとの会話を枕にしてタモリの持つ凄さを語っていたりするコラムも面白かったけれど、それ以上に倉本聰さんが書いた「北の国から2011  つなみ」の草案というかプロットといえるものが凄まじかった。そこには、作品の生みの親である倉本さんにとっては、我が子にも等しい登場人物達が、大震災で津波による被害を受け、福島原発の被災を受けてさまよい土間取っている様が綴られている。

 それは多分映像にはできない壮絶さで、だからこそ言葉で語っていたんだろうけれどもそこには今という時間を着実に見据え、底に生きている人達を確実に捉えて、それをドラマという形で世に示そうとする、脚本家としての矜持であり、責任ってものが強く感じられる。「一生書き続けるつもりでいた『北の国から』シリーズの集結をテレビ局から告げられたのは、2002年のことである。それは、僕にとって、大袈裟に云えば、ひとつ生甲斐を奪われた出来事であり、それからの何年かを殆ど虚脱と放心の中でぼんやりと過ごすこととなった」とまで冒頭に書いて作品への思いをぶちまけ、テレビ局への不満をぶちまけた倉本さんだけに、ここに書いたプロットには本気の濃度がとてつもなく強く漂う。受け止め再び動く、なんて殊勝なことを今のテレビがやる訳もないだけに、あの作品を愛しそして今を憂う人たちは、読んで想像するしかない。「黒板一家は、とにかく生きている」というその生き様を。

 早川書房から毎年刊行の「SFが読みたい!」も2012年となって表紙絵にPablo Ucihdaさんが登場、メカと美少女の融合は淡いタッチともあいまって透明でいて深淵な雰囲気を醸し出す、とか。そんな国内ベストとか、いろいろな人の推薦とかを読んで気づく。やっぱり星海社FICTIONはあんまり取り上げられていないなあ。自分が推した犬村小六さんの「サクラコ・アトミカ」以外は乙一さんの「ベッドタイムストーリー」くらい? 癖がある犬村さんや朗読CD付きという形態の乙一さんはともあく、正統派スペースオペラの元長柾木さんによる「星海大戦」くらいは誰か関心を持ってくれていても不思議はない気がしたんだけれど、パッと見でまるでかすってない。

 ハヤカワ文庫JAから登場の瀬尾つかささん「約束の方舟」は13位に入って、五代ゆうさん「クォンタムデビルサーガ アバタールチューナー」は何と7位に入っているその支持されっぷりを見るにつけ、ハヤカワってレーベルに入ることによってSF読者には初めて存在が可視化されるんだって意を強くする。そうじゃないところにいっぱいいるんだってことを、頑張って伝えてきたんだけれども力足らず。というか「クォンタムデビルサーガ アバタールチューナー」なんてもっともっと上に行くとか思ったんだけれど。5冊という分量がやっぱり仇になったか。あとは上条明さんの「ルーシーにおまかせ」もあんまり取り上げられていないなあ。凄いのに。そんな覆面作家の第2弾「猫刑事」が出るみたいなんで注目注目。どんな話なんだしかし。

 そして購入した「鋼の錬金術師 嘆きの丘の聖なる星」のブルーレイディスクは豪華特典も入っていたけど見たのはやっぱり生フィルム。とりあえずエドワード・エルリックが映っていたから当たりかな。本当は巨大な胸のミランダさんが欲しかったけれども仕方がない、って何と贅沢な。今月はあと「とある飛空士への追憶」とそれから「蛍火の杜へ」といった劇場アニメーション映画のブルーレイディスクが出てそれから「アニメ文庫」としてリリースされる「ギョ」「百合星人ナオコサン」「みのりスクランブル!」が揃って発売となかなかの当たり月。それだけ出費もでかいってことだけれどそれぞれに意欲を持って造られた作品だけに買わずにはいられないので買うんだろうなあ、やっぱりなあ。「とある飛空士への追憶」では髪を切ったフィアナの前屈みシーンが当たりますように。


【2月9日】 そういや「ギフトショー」の新進クリエーターコーナーに出ている人が、夏にやっぱりビックサイトで開かれる「東京国際ブックフェア」の会場内に新しく設けられる「クリエイターEXPO東京」ってのに出るって話を聴いて、そんなものを始めるんだリード・エグゼビジョンってめざとさに驚きつつ関心したけど、どんな内容なのかは知らなかったんで調べたらこれが何というか凄まじいというか、出展見込み者に作家がいて漫画家がいて画家がいて書家がいてゲームクリエーターにウエブデザイナーまでもがいて、1人1つのブースを構えてそこでスカウトに来る人たちを待ち受けるんだそうな。なるほどブックフェアには出版社の人とか来て権利を売買したりはするけれど、でもそれは編集の人たちではなく画商の人でもないのにいったい、どこに向かってアピールするのか、ってところがひとつ気になった。

 むしろ「クリエイターEXPO東京」を単体として、そこにわんさかと集まるクリエイターを見に来ることこそがひとつの目的といったところまでにしたいのかもしれないけれど、放っておいたって持ち込みがあって新人賞への投稿もあって忙しい編集者たちが、そこにいる作家を見に来るのかどうなのか。そもそもがわんさかと開かれているデザインフェスタやGEISAIや、文学フリマやクリエイティブマーケット東京やといった、まだ見ぬクリエーターが集っている場にすら企業も編集者も画商もあんまり姿を見せないっていうこのご時世。それだけ彼らの足腰がヘタっているって見方もできないでもなく、行くたびに楽しそうなクリエーターを見てどうしてスカウトしないんだろうって、歯がゆく思っていたりもずっとしてる。

 とはいえ、、現状がそんな具合なのに果たして、新しいイベントにどれだけの来場者があるのか。それが見込めないとちょっと不安で出展できないんじゃないかと思っていたら割に大勢が出展を希望している見たい。費用もそんなに安くないのに。それだけ羽ばたきたい人がいるんだなあ。ならば応えねばと思っても、アウトプットの術を持たないわが身では如何ともし難いので、気になる人はのぞいてみるのもあったりするかも。ずらりと並んだブースを歩いていたら意外な大物がそこに座っていたりすると驚きなんだけどなあ。ノーベル文学賞受賞者とか芥川賞受賞者とか、壁サークルの主とかスーパーフィギュアクリエーターとか。ちょっとワクワク。

 リーアム・ニーソンがデザインした、ってそんなことはない。デザインしたのはマーク・ニューソンって人でauの携帯電話なんかを確か1つくらい手がけていなかったっけ。そんな人がどういう経緯かPENTAXの新しいミラーレス一眼カメラの「K−01」をデザインしたからってんで、パシフィコ横浜で始まったカメラのイベント「CP+」をのぞきにいってPENTAXのブースに行ったらそこはRICOHのブースだったという。ちょっと前はHOYAのブースでもあったのに、PENTAXもいろいろと大変。それでもちゃんと新型機を出してくるのはそれだけRICOHにとてもコンパクトではない分野で、PENTAXの力量をちゃんと評価しているってことなんだろう。

 そんな「K−01」をプレスリリースで見たら何か玩具っぽい雰囲気があったけれど、実物は手に持つと案外な重さがあってこれなら構えて軽さに揺れるってことはなさそう。聞くと電池は「K−7」「K−5」と共通のものを使っているそうで、現在すでに「K−7」を持っている僕には電池が応用できてレンズもKマウントでそのまま使える「K−01」は、古く成ってきたキャノンの「G10」の代わりになるか、っていうとでもやっぱりちょっと四角いかなあ。それがグリップの確かさにつながっているとはいえ。あとレンズを付けるとぎゅっと前にも出てしまうから悩ましいところ。そこはセットで発表された40ミリでF2・8のレンズをそのまま使えば薄くて本体からの突き出しを気にしないでいけそう。ただ40ミリって部屋の中では多くを見られないからなあ。ポートレート用かスナップ用か。手軽に使えてパチパチ撮れる、って利用に良いのかな。

 そう思うとやっぱりちょっと物欲が出てきた「K−01」。新開発のレンズも「K−7」とか「K−10」に使えそうだし余裕があったら手を出してみるかどうなのか。色はやっぱり黄色混じりかジェフ千葉ファンとして。これから1カ月考えよう。そんなPENTAXのブースを出て眺めたOLYMPUSのブースでは、触れなかったけれども「OM−D」っていうこれもミラーレスなんだけれどやっぱりちょい飛び出た部分がある不思議なカメラのカタログをもらう。ペンタプリズムが入っている場所には液晶ファインダーへと繋がるカイロが入っているのか、後ろからならそれをのぞいてレイアウトを整えたり、ピントを見たりとかできそう。あの形で大きな液晶モニターを見ながらカメラを顔から話して写すのって結構間抜け。目に構えて取るそのスタイルを、整えたい人とあと「OM−1」とかに浸った人には、こだわりのその形も受け入れられるんじゃなかろうか。その意味では形をガラリと変えてコンパクトデジカメみたいな感覚で撮れる「K−01」とは正反対の位置づけ。受け入れられるのは果たしてどっち。

 オープニングに出てきたピッタリ真っ黒スーツをようやくまとった割には、オープニングにあるようにその突き出た胸元の下に謎の生き物が潜り込んでは頭をふくらみにグリグリとしてイチカ先輩がいろいろと困ってしまう描写は、かけらもなかった「あの夏で待ってる」。黒田洋介脚本ならそろそ大展開の上に大逆転もあったりするというのが虚淵玄さんの託宣なのに、相変わらず言いたいけれども言えない思いが行き交っては、甘酸っぱい空気を醸しだして見る僕たちをもじもじとさせる。挙げ句に女性からではなく、彼女を本当は好きな男性の月を介して、女性が好きな男性に女性の恋心が告げられ、それをひそかに男性に感心を抱いてたりする先輩が、陰で聞いていたりするという泥沼シチュエーションまで来てしまって、まるでもつれた恋の糸を、さらに絡めていくだけの展開にいったい、宇宙から来た女生徒の星を挟んだ恋という、主題に向かって解決まで行く余裕はあるのか。あのうふふな先輩はそもそも何者なのか。そんな謎も浮かんで消えないけれども次は沖縄、水着回、なので気にせず楽しもう、揺れたり揺れなかったりする胸たちを。


【2月8日】 アニメーションの未来を作るためにはやっぱり未来のクリエーターを育てなきゃだめだってことで、アニメーション制作会社のユーフォーテーブルが自社のクリエーターがやりたいこと、やってみたいことを受けて映像化する「アニメ文庫」ってのが立ち上がって、2月15日に3作品同時に発売されるってことになってたりするんだけれど、ほぼ完全に内部の若いチームで作り上げる努力を、ほぼ内部の資金だけでやってしまった先駆的試みからすれば、割に年輩の監督なりが上に立って、その下に若い原画の人なんかを何ヶ月間か張り付けて、いっしょに仕事をさせることで学んでもらう、その上に国から資金も提供される文化庁の若手アニメーター等人材育成事業なんか、ちょいヌルく見えてるんじゃないかなって気もちょっとした。

 けど、そこはアニメーションの未来のために、足を踏み出すことに躊躇のないユーフォーテーブル、徳島市に3月18日にオープンするユーフォーテーブル・シネマで何と、若手アニメーター育成事業の第2弾となった「アニメノミライ」の4作品をまとめて上映する挙に出た。素晴らしい。おまけにゲストで登場するのが「たんすわらし」の能登麻美子さんだというからもうファンはたまらないかもしれないけれど、場所が徳島なだけになかなか駆けつけられそうもないのが残念。とはいえユーフォーテーブルが運営している「マチアソビ」に来るのは1番は地元だけれど2番は大阪ではなく東京だとか。遠出してでもそこに浸る楽しみ、って奴を知り尽くしているからこそ足を運ぶんだろう。そんな人たちがわんさか押し寄せ徳島にちょっとした能登かわいいよ能登ブームが起こるのか。ちょっと興味本位。

 一方で上映される4作品は、東京とか大都市圏だって割に限られた期間しか上映されず、あとはテレビ放送とか、ニコニコ動画の放送でもって広めるしかないところを、遠く徳島の地ではそれが劇場でちゃんと見られる。地元と周辺のアニメーション好きにとってこれほど嬉しいことはなく、またアニメの未来を夢みる人にもいろいろ学べることがある試み。まずは広めること。伝えること。そこで育まれた気持ちが次に、アニメ業界を選びそして進んでいって豊穣が訪れる。ユーフォーテーブルの蒔いた種が芽を吹き花を咲かせて実を付けるのはずっと先になるし、それがユーフォーテーブルのためだけになるとは限らないけれど、それでもやるこの心意気を応援したい。そしてアニメ文庫も買おう。買わないと次のアニメ文庫もないからなあ。後に続くところはないのかなあ。

 「ムギナミです」って可愛い仕草で美人で巨乳なだけの少女をやっているかと思わせて老いて、裏でランちゃんが載ってたボートをひっくり返して溺れそうになったら助けてそれで親切だと思わせまどかに取り入ったムギナミだったけれども、その本性をラン相手には真正面から見せつけ、さあ優位に立ったぞと思わせておいて、後半にアプリポワゼしそうなおっさんだか兄ちゃんが現れて、ムギナミを思いっきり突き放してその立場を一気に不安定にさせたのには驚いた。っていうか攻めてくる奴らと守っている奴ら、そして現れたコート男の誰が敵で味方で仲間で関係者なのか、いまだに構造がはっきりしない「輪廻のラグランジェ」。分かるのはそうした複雑な関係にあって、まどかだけがまるで無関係に無関心を貫きひたすら人助けを基準に突っ走ってるってことか。その明るさが何もかも包んで打破していってくれることを信じて見続けよう。暗いのはいやだ。あともっとランのハイレグを見せろ。あれは良いものだ。

 書く場所もないアンエンプロイドだけれどそれでも現在を見ておかないと未来はないと、早起きをして東京ビッグサイトで始まったインターナショナルギフトショーを見物。まず目についたのは「アマールカ」ってアニメーションで、聞くと何でもチェコで作られていたものだとか。チェコっていったらトルンカだのシュバンクマイエルといった人形によるストップモーション・アニメーションが全盛で、最近でもイジー・バルタが「屋根裏のポムネンカ」なんかを完成させたりもしてそっちが本命、って思われがちだったけれどもちゃんと普通にこうした2Dのアニメーションも作られていたらしい。まあそりゃそうだ、ストップモーション・アニメーションよりはまだ普通に作れる訳だから。

 そんな「アマールカ」、日本でも一部には紹介されていたんだけれども、世に動くためには何か仕掛けが必要で、ただ映像を出すだけでは広まらないのは必定。過去にコロンビアだかからDVDを出してもあんまり知られなかった経験を生かし、今回はキャラクターライセンスの権利もまとめて取得して、広く展開していくことになったんだとか。すでにタワーレコードなんかと組んでグッズ類を提供していたりするし、DVDもただまとめてパッケージにするんじゃなく、映像の世界を説明し、補うようなブックレットを付けて値段も安くして何冊か提供してきたところ、それなりにファンも広がってきた様子。まとめたボックスなんかも登場してて、あとはそれを見た人がキャラクター展開をするとか、人気を背景にテレビ局が放送し直してみるといった動きがあれば、隣でブースを出していた「チェブラーシカ」みたいな海外初の人気キャラクターになっていけるかもしれない。応援しつつ見ていこう。

 新進クリエーターがブースを並べて商売に繋がる話を待っているコーナー、ってのがあってそこで興味深いクリエーターを発見。何しろ主題がSF。それもどこかレトロな雰囲気を持った、宇宙人とかロケットとかをモチーフにしたデザインを、テキスタイル風に並べたボードを作ったり、一つ目の宇宙人とかロケットのキャラクターを作ったりして並べてた。そのSF熱は活動名を「Between Planets」 っていしてるほどで、これはロバート・A・ハインラインの小説「栄光の星のもとに」の現代。それを使いロケットを描き、また映画「バーバレラ」をモチーフにして機械とロケットと美女の太ももなんかがデザインされた絵を描いたり、「夏への扉」を題材にして夏みかんかなにかが繁る森へと抜ける扉の絵を描いているからもう本気。見た目はスリムな長身の多分美女なのに、本気でSFにハマっている節が伺えてSFやるじゃんって思えて来た。

 さらには最近刊行が始まった「新☆ハヤカワSFシリーズ」の1冊目、「リヴァイアサン クジラと蒸気機関」の発売記念イベントに参加して、塩澤部長の驚くべき発現を耳にしたり、その表紙絵とか添えられたイラストとはまた違ったテイストのを描いてたりするくらいだから、本気の度合いも相当なもの。今時の萌えっとした絵とはまるで違った、真鍋博さんや和田誠さんが描いていたようなシンプルで懐かしい感じがして、それでいてしっかりとSF味を持ったイラストを提供できる才能は、この時期にある意味貴重かもしれない。もしもこんなシンプルな絵が表紙になった「SFマガジン」が店頭に並んだら、どんな印象を与えるかなあ。あるいは海外短編の挿し絵とか。いろいろチューンしてキャラクター絵も描けそうな人なんで、試してみてはいかがSFマガジンな方々は。

 SFといったらもうひとり、ATSUSHI IKEDAさんって人が描いていたロボット絵がまたなかなかの迫力。もうロボットしか描きたくないって感じに筆を走らせたドローイングは加藤直之さんが生みだしたロボットたちの雰囲気を、さらにゴツくしたような感じでもって画面に現れパワフルさを見る人に感じさせる。昨今のヒョロかったりモニャってたりするメカとは違った重厚さは、大河原邦男さん的DNAを受け継いだものだからか。今時ではないけれども逆に今にいろいろと目新しさを課にさせそう。ペインティング作品もあってこれもまた格好いい。それ1枚で目を引きつけるパワーとフォルムに溢れているんで、これもSFマガジンの表紙とか、あるいはヘビーメタルなCDのジャケットとかに使うと目立てて良いんじゃない?


【2月7日】 外見があれで中身が絶望先生ではなく島村ジョーならやっぱりジョーの方が良いと笹田純が靡いても当然だろうなあ「夏目友人帳・肆」。って井上和彦さんが島村ジョーをやってたのなんてもう30年以上も昔の話だから、今の人はせいぜいが斑さまであとはやっぱりニャンコ先生としか見ないんだろうか。でもキリっとしてた時の夏目の声はかつてのジョーに似ていたような。というわけで瓶詰めにされた夏目の代わりをニャンコ先生が化けて演じたエピソード。そのぶっきらぼうさがどこか卑屈だった夏目の様相を一変させ、眼鏡の笹田純を真っ赤にさせてた。あとでホントにどう説明するのやら。そしてエンディングとはならず続きがあるようで、謎めいた館に連れて行かれていったい夏目はどうなるのか。レイコに化けた先生たちの命運は。ああ楽しみ。

 見どころのひとつは第二秘書の島崎役で出ているワカパイな井上和香さんんの、ブラウスに突き出ているあれはミルクヘッドであるのかどうなのかといったところで、もうひとつは安倍なつみさんが演じるP子が、ぞろりとしたワンピースではなくブラウス姿で登場しているシーンで、割と大きいなって思えることとその下に透けてみえる、黒系統のアンダーザブラウスなそれの眩しさだったりするのは内緒の話にしておこう。劇場版「荒川アンダーザブリッジ」。加えるならば河童体操をしながら片足をもちあげ体を傾けるシーンでの、マリアさんのスカートの奥が見えないけれども見えそうな気持ちになることか。大画面で見たからこその素晴らしさ。かといってスクリーンの下に行ってのぞいたところで見えるものではないけれど。3Dだったらあるいは。

 そんな部分に行く目もなくはないけど、驚いたのはテレビドラマ版ではギャグの連弾めいていた「荒川アンダーザブリッジ」が、劇場版では驚くくらいに真っ直ぐな男子と女子の付いては離れてまたくっつく恋愛のドラマになっていて、そして離れても畏れつつそれでも離れて立ち向かう親子のドラマになっていたこと。笑える部分もあるけどそれは全然本質じゃなくって、河童なんて正体の見えない役に挑んだ小栗旬さんも、それで笑いをとろうとか、受けを狙おうって感じをまるで見せずに名バイプレーヤーっぷりを演技のみならず、役柄でもしっかり見せては美味しいところを持って言ってた。とあるネットのレビューにその本気っぷりが笑えないとか書かれたものの、即座に削除されていたように見えたのも、それがちょっぴり外してたって気づいたか、外れてるって指摘があったかどうなのか。いずれにしても凄かった。そして素晴らしかった。

 中盤までの大筋だけならテレビドラマ版とほぼ同様。ただし短いからシスターとマリアさんの関係とか、シロさんやビリーにジャクリーンの存在感なんかが吹っ飛んでしまっていて、河川敷にいるおかしな人のその他に入れられているっぽかったけれど、まあそれはドラマ版で補充すれば良いこと。あるいは仮に続編が作られるなんてことがあったらそこで語られれば良いことだけれど、すでに大道具も小道具も撤収された荒川(仮名)河川敷に、再び戻って同じセットを立ててもあの春のあの空気感はもはや出せないだろうからなあ。3月11日を挟んでそこに鎮座していたロケセットたち。囲むおだやかそうにみえて、どこかやっぱり引きずるものもあった空気の感じを、また出すのってやっぱり難しいだろうしなあ。だからやっぱり一期一会のあのドラマ、そしてこの映画。旬として味わい尽くすのが正解か。

 シリアスなドラマを引き立ててくれたのは、一之宮積ってリクの父親を演じた上川隆也さんのクールな演技もで、それに加えて彼の大学時代の親友で、今は国土交通大臣をやっている高屋敷を演じた高嶋政宏さんの豪快だけれど心はしっかりあるような演技も物語に厚みってやつを与えてくれてた。ケンタッキーフライドチキンでのリクとの邂逅の直後。起こる展開のひとつは予想の範囲だったけれどもそれを上回る不気味さって奴を見せてくれたのには鳥肌が立った。あれを撮るのにどれだけのテイクを重ねたんだろうなあ。いやあもう息ぴったり。だからこそ不気味。立ち返ってそこまでの権力財力がどこから出てきているのやら。アニメーション版でも不思議だったけれどもそれの中身があれだけに、さらに不気味さが加わって来た。いったい何者? それを描く続編、ってのもありなのかなあ。語らないのが粋なのかもなあ。

 毎日映画コンクールの選評が出ていたんで呼んだら何と受賞した「蛍火の杜へ」と最後に競るくらいのところに「とある飛空士への追憶」がいたって分かってあの映画が割と好きな僕としてちょっと嬉しくなった。人によってはあれやこれやな映画だけれども声だって初々しさと成長のプロセスがしっかり出てたし映像もストーリーもなかなかの迫力とシリアスさ。見ていて泣けない人なんていないと思っただけに審査した人にもきっと伝わったんだろう。あと山村浩二監督の「マイブリッジの糸」も争ったみたいだけれども結果的には「蛍火の杜へ」に決定。これも静かで切ないけれども前向きな映画だったから嬉しい。しかし東小金井はちゃんとエントリーしていたんだなあ。それでひっかかりもしないとは。良い映画だったんだけれどやっぱり、違う誰かだって先入観で見られたのかなあ。短編ではアニメ文庫の「ギョ」が競っていたとかでこれもこれで吃驚。最後は震災系に持って行かれたけれどもそれだけの作品だってことで見ようしっかと発売されるブルーレイを。グロいけど我慢だ。


【2月6日】 ゴールキーパーからどっかんとけり出されたボールに中盤が頭を合わせても、周囲に人がいないから拾えず奪われ攻められる。どうにかこうにかキープしたってサイドが前に来ず前線は開くばかりでそこに渡しても中央に誰もいないなんて状況がおこって攻めきれないまま、奪われ反撃を喰らう繰り返し。ピッチの状態が今ひとつで、パスをつないで攻めていくパターンがあるいはとれないって判断があったんだとしても、それなそれでパワープレーに即した動きを誰もがとるべきなのに、どこか傍観者然としていてそんな間隙を縫って相手に攻められ奪われた2点が致命傷となってたぶん、日本代表はこのアジア最終予選ではロンドン五輪に出られないってことになるんだろう。勝てる感じがしないんだ。

 なるほどアトランタ五輪でようやくどうにか五輪に再び出られるようになった日本が、その後のシドニーとアテネと北京に続けて出られただけでも幸運って言えば言えるのかもしれなけれど、まだプロが立ち上がったばかりの1996年に若い人たちが集まって、それも絶対的なエースだった小倉選手を大けがで欠いてなお予選を勝ち抜き五輪出場を決めたのと比べると、環境も整備されて選手のレベルだって上がっているはずなのになぜかどんどんと弱くなている雰囲気。アンダーな世代のワールドカップにも出られなかったりする世代はかつて呼ばれた谷間の世代すら下回り、地獄の世代とでも呼ばれることになりそうだけれどそれを選手だけに押しつけて良いのか、コーチ陣になにか問題があるのか、ちょっと見当が必要かも。もしも西野朗監督だったら何をしていたかなあ。とか。

 40万キロ後方から目測でビームを船にぶち当てるなんてことが出来るのかどうなのか。2キロ先の標的ですら銃で狙うのは大変だから相当に無理があるんだろうけれど、それでも何発も打てばいつかは当たるかもしれない可能性、そして当たってしまえばそれで宇宙の藻屑と消えてしまう宇宙における艦隊戦で、緊張感の中で対処法を考え出してそれを即座に実行に移したその決断力と行動力こそが、海賊船の船長に相応しいんだと世界も認めた「モーレツ宇宙海賊」の加藤茉莉香大活躍エピソード。でもまあ他にあれだけのクルーがいたからこそ、最初の電子戦でやられないで引っ張り相手に最後の手段をとらせたってこともあるからみんなの戦いであり、みんなの勝利ってことなのかも。

 横のチアキ・クリハラが妙に冷静だったのは、それだけ修羅場をくぐってきたってこともあるけれど、父親のケンジョー・クリハラが率いるバルバルーサが近くに来ているって感じていたから、なのかな。エンジン付加して赤外線をキャッチされたって、その間に駆けつけてくれるからと出した提案。でもそれすらも心配だからと退け自ら最善を選んだ茉莉香は世間によくあるドジっ娘ヒロインとは正反対。猪突猛進な熱血でもなく大勢の命を預かりその場その場で的確な判断を下せるリーダー像って奴を、定着させてくれれば妙に頭の悪いキャラクターが、失敗続きなのに最後は逆転なんてドラマばかりを見せられなくって済むようになるから。まあそれが等身大に映って嬉しい世代もあるから一概には言えないんだけれど。

 羽生善治二冠がA級順位戦で9連勝をしたってんで記事を読もうと久々に「週刊将棋」を買ってみたらB級1組の順位戦の結果も出ていて深浦康市九段がこれはいついらいなんだ、A級への昇格を果たしていたけど話題にもなっているように4勝5敗っていうほぼ絶対に残留できる星でもって頭ハネを食らって降格の憂き目にあったりした不運の持ち主。今回は果たしてどれだけの力を発揮してA級在位を固めていけるのかがまずは注目したいところ。それから金髪に紫色のシャツでもってヤンキーな雰囲気を見せ、人気者になっているハッシーこと橋本崇載七段もいよいよもって昇格でこれからはA級八段としてご活躍の模様。実力に疑いはないんだけれどもただひとつ、心配なのは「週刊将棋」に掲載されていた写真が、かつてのヤンキーから今はサンドウィッチマンの伊達みきおさんになっていたこと。つまりはそういうことなんだけれど、その体躯でもって凄みを聞かせてもお笑いと被ってしまうから、ここはかつてのように痩身へと戻して凄みを全身から発散させて欲しいもの。眼鏡も45度のを買おう。

 「長ぐつをはいたネコ」ってアニメーション映画を観たけど主題歌が「びっくりしたニャ」でもなければ声がなべおさみさんでもなかった、ってそれを見ていた世代はとうの昔に大御所入り。今の若い人たちにとって長靴をはいているネコはそのまま「シュレック」に登場してアントニオ・バンデラスが声をあてているあの猫ってことになるのかどうなのか。実は「シュレック」見たことがないんでどれくらい活躍しているのか分かりません。ともあれそんな猫がスピンオフして主役として登場したのがドリームワークス版の「長ぐつをはいたネコ3D」。かつての東映アニメーション版を知る人も、見ればその脚本の巧みさとそしてドリームワークスならではの緻密でコミカルな3次元CG映像を堪能できます本当に。

 立体視の3Dってことで立体感のある映像に加えて猫のあのフワフワ感が実に絶妙に表現されてて見るだけでぎゅっと抱きしめたくなる。加えてあのつぶらな瞳。密めら得ると……って感じに猫が猫だからこその展開をしっかりと入れつつ壊れた友情をどう繕うのか、っていった主題もしっかり描かれた、楽しい作品になっていた。ちょっぴりマカロニウエスタンな映像とそして「ジャックと豆の木」をどちらかといえばメーンにしたストーリー。見終わると猫をギュッとしたくなる、かなならないかな。声は竹中直人さんも勝俣州和さんも巧みで確か。本田貴子さんも含めたトリオで楽しい時間をしっかりと演じきってくれるので日本語吹き替えでもご安心を。しかしキティー・フワフワーテちゃん、ヒロインなのに最初っから最後まですっぽんぽん、なんだよなあ、猫だけど、猫だけに。


【2月5日】 草薙絡、って人の書いた講談社ラノベ文庫の新人賞で佳作を取った「デッドエンドラプソディ」が出たんで読んだら深かった。通り魔に殺害された16歳の兄が目覚めたら10年経ってて6歳だった妹が16歳と同じとしになっていたという、それってどこの兄妹ラブコメ? って空気で始まり襲ってくるエクソシストを撃退したりそのエクソシストが転校してきたり、同級生に女装した子がいたりといったハーレム展開も用意してあって、もうドタバタで行くしかないって思わせておいてさらりとひっくり返して裏側にあるとげとげしい現実を見せつける。

 それは摂理に反した存在への世界の憤り。死んでなお生き返るという不条理に対して兄はなるほどそうだよねって受け入れるくらいの理知的なところがあるんだけれど、かといって自分で死を選べば、魔術師となって自分を甦らせるためだけに頑張ってきた妹の10年が無駄になるし、怒って世界だって滅ぼしかねない心配がある。本当だったら自分が死なずに幸せに平凡な家族でありたかったという悔恨も引きずりながら、そうなってしまった以上は今のギリギリの平穏を保っていたという思いもあって自分ですべてを解決しようと立ち向かう格好良さも見せてくれる。

 ひとまず落ちついたかに見せて置いて、その先にさらに不穏な展開を示唆しつつ閉じられた第1巻。続きでもやっぱりハーレムっぽい展開が続き、妹の兄思いっぷりが炸裂しながらどこか壊れた妹に、理不尽な魔術師たちを周囲に侍らせ楽しげな裏にめぐらされる謀略が描かれていくんだろう。ありきたりのパターンに見せてそうはさせない意志を持った作品。それゆえに読めない展開を期待していいのかな。キャラクターでは真面目なエクソシストで最初は攻撃してそれから監視役として同級生になってデートまでしつつやっぱりエクソシストとしての自分も貫こうとするエリシア・カラスも悪くないけど、やっぱり見た目美少女の吉本アツシが最高かなあ、ただかわいいだけじゃなく、眼鏡をかけると輪郭がぼやけて美少女っぽさが増すっていう戦略をしっかり考えているところとか最高。そんな感じに誰もが理知的で理性的、ただひとり妹だけがぶっこ割れているキャラの配置も他にないかも。興味深い作家が出てきたなあ。

 せっかくだからと上野まで出かけて東京国立博物館で中国の北京からやって来た国宝級の品々を見る。いきなり書の大展開に「とめはねっ!」の面々だったら嬉々として顔を寄せ字体を目に焼き付けようとしたかもしれないけれど、素人にはその字のどれだけ凄いのかが分からず遠巻きにして中国ってこれだけ偉大な漢字文化をよくもまああっさり放り投げられるもんだとか思ったり、でも漢字しか使わないとやっぱり日頃大変だろうなあと考えたり。平仮名片仮名漢字にローマ字数字なんかがごっちゃになってる日本語を操っている日本人が言うことでもないか。我ながらよくやっているとは思うし。

 部屋が移って清朝の皇帝が着ていたという五爪の龍がでっかく描かれた黄色い服なんかを見て、あのでっかい国土を統治した人が存在したっていう歴史の上での事実に、改めてて思いを馳せる。そんな人がそれこそ数千年にもわたって、入れ替わり立ち替わり現れて、あのでっかい国をさらにでっかく広げたりしつつ、書に青銅器に玉器に陶器にその他諸々の文化を生みだして来たんだね、って思うとこのたかだか100年にも満たない時間の中で、いったんは衰えそして今また土煙を上げて驀進を始めた中国って国が、これからの1000年に成し遂げるかもしれない何かへの畏敬ってものが、やっぱり浮かんで来る。それを乱暴とかいって押しとどめようとしたって、止まるもんじゃない。歴史が証明してきた事実をどう受け止め、どう合わせていくかってのを考えないと、ただ蹂躙されるだけになってしまうって、分からないのがそっちに寄ってしまった人たちなんだよなあ。むう。

 サントリー美術館でやってる、大阪の中之島にあって大阪に幾たびに立ち寄っている東洋陶磁美術館から持ってこられている、中国とか朝鮮とかから渡ってきた器類を見てもその完成度の高さとか、やっぱり相当なものをかつては持っていたんだって分かるし、それをこれからだってきっとやろうと思えばやれるんだろうと考えた時、ただ反目しているだけじゃあ収まらない時期がいずれ来るってことが見えてくる。その時にどう対峙する? どう立ち向かう? 考えておかないとその時がきたら動けない。けど考えることが何かイケナイことのように言って誹る声のデカい勢力を、抑えて果たしてこの国は何かを選び貫いていけるのか。そこが1番心配だ。来年だって見えない時に彼国々は、50年先100年先を見据えて国造りを行って居るんだから。頑張って中国語覚えるかなあ。

 ようやくやっと録画してあったテレビアニメーション版「ブラック★ロックシューター」を見たら何だ面白いじゃんアクションは斬新でスピーディーでスタイリッシュな上に日常パートは健全に見えて実は人の心にひそむ悪意って奴がにじみ出て、今はまだ純真なマトちゃんの心に刺さっては異世界での不思議な夢を見させる。それが思春期の少女が現実との折り合いの悪さを引きずって見るただの夢なのか。ハードな戦いの日々がむしろ現実であって、そこから逃げだそうと作ったて日常に見える虚構で平穏を得ようとしても得られない苦しみに懊悩しているのか。見えないけれども裏と表でシンクロし合った世界の行く末と、そこで戦う少女たちの姿を、かつてないほどスピーディーでスペクタクルに描かれるアクションともども楽しんでいけるんだからこんな面白いアニメはない。OVA版に負けないアクションを期待。そしてドラマにも。


【2月4日】 多数決で決まったからといってそれが必ずしも正義だとは限らないけれども、多数決で決まったことを守るのが民主主義って奴で、そんな民主主義を標榜する学校で何をするにも多数決が尊ばれるとしたらすべてが、衆愚といっては妙だけれども安易で安楽な方向へと流れまくるかっていうとそうでもなさそうなのがやっぱり、安易で安楽なことの中にはどこか人間の良心とか、理性とかに反意を訴えるものがあるってことなんだろう。もっともそんな良心とか理性って奴だって、時が変わり環境が変われば変化するもので、何十年か前だったらそれちょっとヤバいよねって事柄が、今だと割と平気にそうだそうだって連呼の支持を受けたりするから難しい。差別とか。国粋とか。かつてなら言われたことが今だと受けたりするもんなあ。

 そんな分かりやすそうで実は奥深くってなおかつ面倒くさい民主主義をテーマにしたライトノベルが登場。吉村夜さんの「スクール・デモクラシー1」(講談社ラノベ文庫)はマンモス校ですべてを投票によって決めるという民主主義が徹底されている学校に、お金持ちのお嬢さまが転校してきたもののそこで言うことは至極真っ当な生徒会からまず誘われて、雑誌の持ち込みなんて許可したらそれこそエロ本だの何だの持ち込んで酷いことになるますわよって生徒会長から説得され、反対しようかなって思ったものの投稿してくる時に側溝にはまった自動車を、その身ひとつで持ち上げてくれた巨漢の男子生徒がそんな真・生徒会とは対決姿勢を見せているカオス・生徒会の一員で、なおかつ雑誌の持ち込みに賛成の動議を出していたからお嬢さまは困り果てる。

 真・生徒会の言うことも分からないでもないけれど、親切な人にお礼はしたいし時分自身が雁字搦めの校則に嫌気して、自由を標榜する学園に転校してきたこともあってそこで自由を縛るような案に乗っかるのはやっぱり違うんじゃないかと思い直し、あれこれまよった挙げ句にカオス・生徒会に味方するという、まあ何というか至極真っ当な展開があってそれ事態にエキサイティングなところはないけれど、雑誌の持ち込みが許可されたからといってエロ本を持ち込むぞってほくそ笑んでる奴にはとりあえず、それは18禁だから持ち込む以前に所持が禁じられてるんじゃねーの? って突っ込みたい。そもそもがそれなんだから持ち込まれるはずもないって言えば誰だって安心したのになあ。やっぱり男は18禁でも持つし持ち込むって思われているのか。

 あとカオス・生徒会側のメンバーに与えられる二つ名って奴がぶっ飛びすぎててちょっと笑った。レズビアンで女子を風呂場に誘い籠絡する女生徒にニューヨークどうこうってつけるのは序の口。結果的に真・生徒会を寝返りカオス・生徒会に味方したお嬢さまに至ってはもう絶句の二つ名が与えられたんだけれどそれを果たして日常的に使うのか。それこそ18禁じゃないのか。まあそんなこんなで仲間に加わり始まったお嬢さまのカオス・生徒会生活。ただしやっぱり滴は強力でこれからもどんどんといろいろと攻めてきそう。それをいったいどうかわす。あとやっぱり正義面してどこか裏がありそうなカオス・生徒会の会長の真意なんかも知りたい。やっぱり狙いは世界征服? それもまた虚妄がよなあ。さてもどうなることやら。とりあえず見ていこう。

 せっかくだからと渋谷まで行って劇場版「ベルセルク」。実はテレビでやってたアニメーション版も見ていなければ単行本も読んでなくって、ガッツっていうでっかい剣を抱えた傭兵が大暴れする漫画、って事くらいしか知らなかったけれども映画はそんな最強の傭兵になる前のまだ粋がっていた時代をちょっぴりやって、グリフィスって超絶美形な割に剣も凄腕の鷹の爪、じゃなかった鷹の団って傭兵団を率いる兄ちゃんにこてんぱんにやられてそのまま配下になって3年後、それなりに功績も挙げて王様に取り入るくらいになってそしてやっかみもかいつつそれに対してガッツを暗殺者として派遣して、王の弟を殺したついでにその幼い息子まで手に掛けてしまったガッツが懊悩していたところに、グリフィスが時分の夢がない奴は俺の友達じゃないとかいったのを側で聞いて何かを思うといったところで次へ。

 スタジオ4℃が映像を作っている割にはCGっぽさを残しながらも全体に2次元のアニメーションをいった雰囲気を残し、絵も三浦健太郎さんの原作を恩田尚之さんが恩田さんらしいテイストを持たせつつまとめあげた感じになってて原作ファンには見やすく追いやすい展開。初見でもそんなに多くない配置から展開が読めてガッツってのとグリフィスってのが、たぶんここからいろいろあるんだろうなあって予想をさせてくれるけれども、調べるとこのあとグリフィス、とんでもないことになるみたい。どうやら映画は黄金時代編を3回に分けてやるみたいだけれども、なお続く「ベルセルク」って壮大なサーガのそんな一部だけをやってもやっぱりなあって印象。やるならそれこそ最後まで、10年かけてやってくれたらファンはついていくのかどうなのか。とりあえず毎回、キャスカのすっぽんぽんはあるのかな。

 時間もあったんで文化村ミュージアムをのぞいてフェルメールを何点か。実はファン・メーヘレンによる贋作、ってことはなくってちゃんと本物っぽかったけれどもそれを見分けるほどの目もないんでまあそういうものかって目で眺めるとそれっぽく思えてくるから人間ってなかなかに適当かも。修復されて青がくっきりとなった絵はなるほど作られた当時っぽさは感じさせるけれど、一方で名作っぽさは後退してしまっているところが悩ましいところか。他にもいっぱいいろいろとオランダ絵画もあったけれどもやっぱり全部フェルメールが持っていってしまうよなあ。せめてレンブラントが何点かあればそれでバランスはとれたけど、強烈さと繊細さの対比では食われてしまうから今回はフェルメール推しってことで。いつか本物のメーヘレンも見てみたい。

 渋谷公会堂へと向かい先週に引き続いてKalafinaのライブ。前に渋谷で見たときには音がくぐもって高音が鳴らず低音のドラムとベースがやたら鳴り響いて耳に厳しかった印象があったけれどもその反省もあったのか、今回はちゃんとボーカルの声がしっかりと聞き分けられるようになっているところに、ドラムとベースの低音が響きピアノが鳴ってバイオリンが抜けてギターが貫く絶妙のアンサンブルが出来上がっていた。中野サンプラザでの音に遜色ない出来。よく頑張って音をつくったなあ。これなら3月のFICTION JUNCTIONのライブもきっと大丈夫だろう。まだチケットとってないけどこれから買おう。

 中のパートが前とは違ってて「うつくしさ」をやらない変わりに「Gloria」から始まる幾つかを披露。中にはちゃんと「Magia」も入っていて去年に渋谷公会堂で聞いたときにはまさかあんな感じになるとはなんて予想もしていなかったことを思い出した。アンコール前のパートは中野と同じで「音楽」とかやっぱりやってくれてみんなで1本指立てた。楽しかった。そしてアンコール。何と「Fate/Zeroの」の第2期のオープニングに抜擢が決まったようでその曲「to The beginning」を初披露。アップテンポで迫力があって「Fate」のスペクタクルにマッチしてそう。それに合わせてウーフォーテーブルがどんな絵を作ってくるか。今から楽しみだあ。ライブは7月にまたNHKホールでやるそうだけれどその前に、見られるとしたら2月に越後湯沢であのSCANDALといっしょのセッションがあるんだよなあ、どうしようかなあ、見たいなあ。


【2月3日】 きっと遠くない将来に誰かイケメンの青少年が甘い声でもって「ジャージの男の子、前がもっこり、チャックを下ろしたら、何かはみ出るから」って歌いながら踊って脱いだりするニコニコ動画の「歌ってみた」「踊ってみた」がネットにアップされてそこからスターが生まれると期待。そんな「輪廻のラグランジェ」の主題歌になてる中島愛さん「TRY UITE!」がゲーマーズの秋葉原で最後の1枚だったんで買ってポスターももらいブロマイドももらいつつiTunesに落として聴いたらテレビで流れているバージョンとは違うラスマス・フェイバーがピアノを弾いたアコースティック番の「TRY UNITE!」がことのほか素晴らしかった。

 もちろんテレビ版もポップチューンにハウスなサウンドが重なって奥行きがあって広がりもあって聴いていてとっても心地よくって、それがフルバージョンで流れるCDはどこか寸詰まりになってお預けくらうようなテレビサイズよりも果てしなく音楽してたりするんだけれど、May’nさんの張り裂けんばかりのボーカルについていこうと必至になってた「マクロスフロンティアF」の頃の中島愛さんを聴いてたりするとそのどこか音に乗せようって感じにささやき? ではなくつぶやき? でもなくって楽しげに歌われる「TRY UNITE!」にあと少し、っていった思いも浮かばないでなかった。

 それがアコースティックバージョンだと、叩かれ奏でられ滲み出すラスマス・フェイバーのピアノサウンドにちょうどいい塩梅でもって乗せられた中島愛さんの歌が、もわもわっと立ち上ってはじわじわっと染みてくる感じがして喜びと、切なさのどこか混じった不思議な声として耳に届いてついつい聞き入ってしまう。アップテンポで張り上げるか、メロウなサウンドでつぶやくか。その声質を探り歌の特色を探って音楽を、歌を創り出す作業ってなかなかに難しいかも。それが可能性を持ったシンガーだとなおのこと、ベストを見つけるのって大変そう。今はまだ中島愛さんも発展途上。それがビッグになるかアニソン界隈で留まるか。プロデューサー次第なんで頑張って。それをいうならMay’nさんは最初っから完成しまくってるなあ。その奇跡が世に広がりだしてないのもまた今の音楽業界の限界なんだけど。

 岩波書店の編集者か著者の紹介持ってこいは厚生労働省の大臣が何か言いたかったりしそうな雰囲気になって妙な雲行き。民間企業が誰をどう採用しようとそんなもん勝手で雇用機会均等法の性別だとかによる差別はもってのほかとしてそうじゃないところで何を画策しようと国に言われる筋合いはないと、突っぱねるのが筋だしそもそも国だってそれはそれだから聞くメディアの方が阿呆だしそんなお前らだって縁故やってんじゃないのと突っ込み返すくらいのことをしたって悪くはないけど、そこは生真面目なのか言われたらそうしないと後が恐いと思っているのか律儀に持ち帰って見当とか言い出すからなあ厚生労働大臣。子供の使いじゃあるまいし。

 朝にコンビニでもって小さめの恵方巻を買ってくらい昼に近所の寿司屋の店頭に出ていた恵方巻を喰らったまでは良い物の、夜に総菜屋でタンドリーチキンとドライカレーの恵方巻とやらを見つけた時にはこりゃいったいどうしたものだと首をひねり頭を悩ませつつもしっかり食べた美味かった。まあ美味しそうな具材が巻いてあるんだから美味しくて当然なんだろうけれどもそれで恵方巻として正しいのか、そもそも正しい恵方巻って何なんだってところになるとさっぱり。海苔巻き、ってことだけ守られてれば良いんだろうか。トンカツ屋にもトンカツ巻きとか海老フライ巻きとかを買い求める長蛇の列が出来ていたからなあ。来年はだからチキンライスの卵焼き巻きとか出てくれれば。それはオムライスっていうんだよ。


【2月2日】 バンダイが軽井沢に作った「ワールドトイミュージアム」は今はもうなくって、そこにあった品々は今は栃木県にある「バンダイミュージアム」へと集約されているけれども、そんな「ワールドトイミュージアム」がかつて合った軽井沢プリンスショッピングプラザが、いったいいつごろからあったのかと調べたらオープンは1995年で、その当時はまだウエストだけだったのが翌々年にはイーストも出来て、ほぼ全容を見せるにいたった模様で、雰囲気から1997年とか98年とかそんなもんっぽい「あの夏で待ってる」で、海人がスポーツカーを駆る謎の美女に引きずり込まれ引っ張り回された先として、そこが登場してもとりあえず不思議はなさそう。とはいえ本当に時代設定がそんなあたりか決定されている訳じゃないんで、あるいは携帯電話が普及しなかった架空の日本が舞台になってたりするのかも。そういう世界ってちょっと素敵かも。

 そんな「あの夏で待ってる」は海人からのイチカへの告白がスルーされたことに対して海人は嫌われちゃったのかどうかと悩み、スルーしたんじゃなくって半分以上は固まってしまっただけのイチカは無言だったことに相手が怒ってないかを悩むというもう決定的なすれ違いシチュエーション。そんな合間にそれぞれの理想的な妄想を挟んで言い方向に導こうとして現実に引き戻されてぶちこわしという、典型的なラブコメが繰り広げられていて、虚淵玄さんの言によれば3話で思いっきり世界をひっくり返すという黒田洋介さんの脚本なのにいまだに世界は転じないまま、ベタベタな流れに身を揉まれてもうぐちょぐよ。宇宙人設定とかいったいどこでどう明かされて、そして海人の体の不具合なんかがどう破裂するのか。興味は尽きないけれどももうずっとこんなラブコメで良いじゃんて気すらしてきた。でもきっとひっくり返されるんだろうなあ。

 ヘイゼルの悲劇でも、ヒルズボロの悲劇でも、サッカーのスタジアムで大勢が死亡する事件、そのものは昔っからあって珍しいものではないけれど、エジプトのポートサイドで発生した、アルアハリとアルマスリとの試合で発生した大勢の人がなくなった事件は、前とは違って入りすぎたサポーターがぎゅうぎゅう詰めとなった挙句い押し潰されてしまったのとはまるで様相が違ってる。それこそ暴動とした言いようがない状況。イタリア当たりでもガチガチの警備に立て付き挑発するサポーターはいるけrど、エジプトではそんな警備が権力と結びついて捉えられ、そして反政府の流れがずっと続いて不安定になった人心に、版権力と言った気持ちを醸し出されて一気の噴出となったっぽい。だから暴れて襲い火も着ける。亡くなった人たちもだから圧死ではなく暴力の結果なんだろう。

 多すぎるサポーターの半ば不可抗力にも近い圧死ですら、リヴァプールは長く対外試合を禁じられ、イングランドのチームも国際的な大会から締め出された。増してや明らかな試合中の反権力的行動によって、暴動が起こり死傷者が出た今回の一件を、国際サッカー連盟は絶対に許さないだろうなあ、それこそW杯の場から締め出すことだってしかねない。少なくともアフリカチャンピオンズリーグからはエジプトのチームはパージされそう。アル・アハリなんて常連だっただけにその出場禁止はアフリカのクラブチームにとっていろいろと影響を及ぼすかも。そして最終的にはクラブワールドカップにも。願うならあくまでもエジプトでの突発的で偶発的な事態にとどまって、あらぶやイスラムの他の地域に広がるようなことだけは、避けて欲しいもの。W杯の予選もあればロンドン五輪の予選もあるから日本には。むう。

 ちゃっちゃっちゃっちゃらちゃらちゃっちゃ。って書いてもまるで分からないけどこれは「新八犬伝」の主題歌のリズム、って言えば少しは分かってもらえるかな、無理かなあ、だってもういったい何十年前? それこそ40年近く昔にNHKで放送されてた人形劇を、見ていたって記憶にある人は結構な年齢になっている。そんな人にとってはもう直撃の品が復刊ドットコムから登場。石山透さんが書いた小説版の「新八犬伝」が、当時の人形劇に使われていた人形なんかを表紙にあしらって重版されるというからこれはもう買うしかない。辻村ジュサブローさんが手がけた人形は、男でも色気があって女はもちろん妖艶で、そんな人形が名優たいの声にのって動き暴れるストーリーは、見たら次が見たくなるくらいに起伏に富んで面白かった。後に本物の「南総里見八犬伝」を読んだけれどもそれとは違ったオリジナルの面白さ。けど今はもう見られない。小説ももちろん読めなくなっていた。

 実は「新八犬伝」がNHKで放送されていたか終わった当たりで、その小説版を、近所に住んでた人に見せて貰って読ませてもらった記憶があるけれど、他人のものだったからどんな感じだったかは覚えてないし、そもそもストーリー自体を深くも強くも記憶していない。ただ「我こそは玉梓が怨霊」という恐ろしげな女のあやかしなんかが出てきて暴れ回ったり、船虫という女の悪人が出てきて跳梁したりといった記憶はあって、それらがいったいどんな感じに登場したのか、どんな役割を果たしたのか、それを今になって確かめられるのはただただ嬉しい限り。いったいどんな話だったんだろう。でもやっぱり映像で見たいよなあ、坂本九さんの名調子とともに。面白かったんだ。本当に。

 岩波書店が社員かあるいは岩波から本を出している人の紹介がなければ入社試験を受けられなくするそうで、門戸がぎゅっと狭まるかというとあれだけの本を出してきた歴史のある出版社なんだから、周囲を探せば同じ学校に岩波から本を出している教授の1人は2人、いたって不思議はなさそう。そこに頼んで紹介状がもらえるかは分からないけれど、妙な権益になって1通幾らとかって商売が流行らないことだけは願いたいもの。むしろそいういった卑俗な方向ではなくって、タイムマシンで過去にさかのぼってプラトンとか、トゥキディデスとか、ギボンとかいった人たちから推薦状をとってくるくらいのことをやって欲しいもの。それが難しいなら恐山に行ってイタコの人に呼び出してもらって一筆書いて貰うとか。それくらいの根性を見せたら果たして岩波、何か反応してくれるかな。それくらいのぶっ飛んだ発想があれば、出版業界のこの布教を乗り切れるに違いないから。


【2月1日】 もう2月。来月は3月でその次は。時は流れる。例のブシロードによる新日本プロレスの買収が、どれくらいビッグニュースかを確かめようとスポーツニッポンを買ったら普通の囲みの記事だった。共同電をそのまま使っているような雰囲気で、かつてはプロレスをもスポーツの範疇に絡めて喧伝していた時代から、随分と後退したものだと思ってサンケイスポーツも読んだらこっちは欠片も触れられていなかった。というか格闘技そのものの記事がない。かつては骨法の達人記者を擁して格闘技の世界をディープに伝えていた新聞が今は。そりゃあスポーツかどうかって言われれば迷うところではあるけれど、経済ニュースとしてすら取り上げないってのはやっぱりちょっと不思議な気分。感度が鈍っているんだろうなあ、どこもかしこも。

 でもって東京スポーツは1面こそ外したものの終面とそして中でもってキッダーニ男爵だか公爵だかな木谷高明社長をでっかく載っけて買収後のビジョンを喧伝、来年の1月4日の東京ドーム興業に向けていろいろとぶち上げてくれちゃっている。まず目立ったのはハンマー投げの室伏選手を呼ぶかどうかって話だけれどもとりあえずその前にロンドン五輪があるからそこで金メダルをとって満足してくれていたら出てくれたりするのかな。記事では別にバトルはしなくてもぶんぶん振り回してコーナーポストに放り投げてくれるだけで客は喜ぶって書いてある。喜ぶか? ってのはともかく見たい場面ではあるからなあ。まあ頑張って。

 あと新日本プロレスのレジェンドだちを招いてみたいってあったけれどもアントニオ猪木が来ると全部含めて持って行かれる可能性もあるから悩ましいところ。ドラゴン藤波辰己さんに長州力さん前田日明さんの名前も挙がっていたけどそれならやっぱり高田延彦さんも交えたUWF組と、そんな彼らが抜けたあとの新日本リングを守った闘魂三銃士、っていってもすでに橋本真也さんはなく、武藤敬司さんはライバル団体の取締役だから勢ぞろいはしないだろうなあ。蝶野さんがセバタンといっしょにご登場、ってのも面白いけどエコエコセバタン、いったいいつになったらパッケージ化されるのやら。見たいぞ男色ディーノの活躍を。

 初代タイガーマスクに獣神サンダーラーガーにストロングマシーンのひと揃え、そんな当たりで盛り上がったあの1980年代をもう一度、ってんならリングアナウンサーはやっぱり古館さんか辻さんか。そっちもやっぱり難しそう。今の、ストロングでもってそして明るくパワフルな新日本のリングがでっかく、見られるんあらそで良いかも。果たしてどんな手を打ってくるのかキッダーニ。やっぱり必殺技の「探偵オペラ ミルキィホームズ」を連れてくるしかないのか。棚橋に中邑にほか新日本のエースたちがミルキィホームズの姿をして戦うリング。見たい気もあり恐い気もあり。

 よくよく夏目は眼鏡っ娘に絡まれるというか。「夏目友人帳・肆」には新たな眼鏡っ娘が出てきてはいきなり階段を突っ走って車に跳ねられそうになるピンチに遭っていたけどなぜかひょいっと助け上げられそ無事に。そこから語り始めた思い出話はまだ暗かった夏目が転校してきてもなじめず妙な動きばかりしている姿をまだ眼鏡っ娘じゃなかった彼女が眺め見守るとう展開。相手もないまま振り払ったり逃げ回ったりする姿を見ればそりゃあ誰だって驚くけどそんな前半から一変、後半になるとそこにはしっかりと黒鎌を持った妖怪が描かれていて夏目が何に怯え何から逃げ回っているかが見えてくる。これが彼の(といっても第三者的だけれど)視ている世界。そりゃあ日々の暮らしもままならないって。

 そうえば個人的には4つあるオープニングでも1番好きかもしれない「弐」に重なって描かれていた映像が、まさにそんな大勢が視ている世界が後半に夏目が視てる世界に変わる感じに描かれていたっけか。盛り上がるサウンドにのって現れ動き回り飛び上がって取り囲むあやかしたちのその賑やかさを、見るとそういう世界も面白そうに思えるけれども視えることがなければ夏目だって黒鎌の妖怪に絡まれることもなかった訳で、それで騒動を起こすこともなかった。生きるって大変。とはいえそんな黒鎌も、半分くらいは能力をマイナスに考えている夏目に苛立っていた感じで本当は優しい親切な妖怪。口にボールをはめられたって怒らず、夏目に関わっていた眼鏡っ娘の危機を救ってあげた。妖怪って本当は……いやいや安心するのはやっぱり早い。そんな人とあやかしの難しい関係、これからも描いていってくださいな、漫画でも、アニメでも。

 ムギナミです。しか言わないのかと思ったら案外にいろいろ喋るし阿呆っぽさ炸裂って訳でもない。遠泳大会でこっそりしのびよってボートをひっくり返して大変なランちゃんを自分でやっておきながら助けたりする自制心はちゃんとある。それを親切と受け入れられてジャージ部に誘われたりするのは怪我の功名って奴だけれども裏とかまるで考えないてなさそうだからなあ。鴨女の先生もじっくりみたけどなかなかの豪傑。従姉妹にもまさる迫力でそんな2人がツインで来たら誰だってタジタジだろうなあ。おまけに脱げば凄いんです的赤ビキニ。もっと活躍して欲しいけれどもこれからも出番はあるのかな。やっぱり1度行ってくるか鴨川に。


【1月31日】 今年も残すところ11カ月。そして年が終わるころにいったいどうなっていることやら。それはともかく前に「絵師100人展」で見てその絵柄そのモチーフが気に入ったバーニア600さんって絵師さんが、イラストを寄せている、豊田巧さんが書いた「RAIL WARS!−日本國有鉄道公安隊」ってライトノベルの文庫があって手に取ったら 創芸社クリア文庫ってまるで知らないレーベル。どうやら立ち上がったばっかりみたいで、出ているのもそれと別の1冊程度。あの大講談社までもがライトノベルのレーベルを立ち上げ、ガンガンと宣伝を打っているご時世に言葉は悪いけれどもあまり知られていない版元が、まるで知られていない作家さんの作品を出してどうなることやらって心配はあるけれど、読みさえすれば面白いかどうかで判断する自分にとって、目に入って手に取った段階で講談社だろーが角川書店だろーがレース上では横一線。そして読んだ感想は。面白かったよ。

 国鉄ならに國鉄ってのがまだあって分割も民営化もされていない日本。その親方日の丸体質を批判して、線路を塞いだりとテロを画策する勢力もあったりするなかで、國鉄では公安官ならぬ公安機動隊を組織して武装を固めて対抗するくらいになっていた。主人公はそんな國鉄に入りたいと希望している高校生。学校も鉄道を専門に学ぶところでそこからインターン的に企業で勉強する機会が与えられて、1も2もなく希望を出したのが國鉄。といっても公安のようなハードな組織ではなく、いずれなりたい運転士に近づけるような仕事だったけれども時勢が果たしてそうだったのか、國鉄をインターンの場に希望した人はみんなまとめて公安部隊に入れられることになってしまった。断ろうとしたけれども断れば一生、國鉄とは縁がなくなる、それこそ関連会社のそば屋ですら関われなくなるとあって主人公は指示を受け入れ、公安の場で研修を行うことになる。

 物語はハードな訓練を経て東京駅の現場に出た主人公が、何かと銃を振り回したがる少女とか、体格が良い少年とか、おっとりしているようで鉄道の知識は抜群で、祖父が東京駅の駅長と知り合いらしい少女の3人といっしょになって与えられた職務に向かうといったストーリー。まだ学生だからハードな現場に送り込まれることはなかったはずなのに、鉄砲好きな少女がひったくり犯を見つけたからといって追いかけ大宮まで行っては大捕物を演じたり、東京駅に仕掛けられているという爆弾をめぐって犯人と丁々発止のやりとりをしたりと大活躍。そんな仕事を通して少年は、自分には何も取り柄がないはずで、そして向いてないはずの公安という仕事が、実はあっているんじゃないかと思うようになっていく。

 そのまま果たして就職するのか、それとも別の道を進むのか。研修中だけでシリーズにするのかその後を描くのかといった部分もあるけれど、読んでみたくなる1冊ではある。鉄道のことが学べて鉄道の未来について考えられるライトノベル。寝台特急としてのはやぶさが、復活しているのもかつて西鹿児島まではやぶさで、2度ばかり行ったことがある人間には嬉しい限り。そしてそれが鉄道好きらしいバーニア600さんの筆でもって表紙に描かれているのも、見ていると気持ちがあくわくしてくる。あのヘッドマークに憧れたんだよなあ、また乗りたいなあ、でも今ははやぶさは秋田新幹線だかに使われてしまっているんだよなあ、もったいないことをしているなあ、JR。それが分割民営化されて残念だった点。かつてゲーム会社で鉄道を運転するゲームを宣伝してたらしい豊田巧さんにもきっと、思うところがおおかったんだろうなあ。そんな気持ちに溢れた小説、読んで鉄道好きはむせび泣け。

 現場を遠く離れると楽観主義が蔓延るって後藤隊長も言っていたんで書く書けないはともかく時間があれば現場を見ておこうとタカラトミーが開いてた商品の商談会なんかを見物。とくに大きく新しいって感じのものはなかったけれども劇場版「トランスフォーマー」をモデルにした玩具の「トランスフォーマー」が多分新しい形で並んでいたりと楽しそう。あと巨大なリカちゃんハウスもあったり。あの背丈でハウスだとホント、巨大になるだよなあ。トイズフィールドでは12月に注文したEDWINとのコラボバージョンも飾ってあったけれども我が家に届くのはいったいいつ。届いたら担いで歩いて写真を撮ってあげたいなあ。あと気になったのはエステー化学から出る放射線量計。安くてコンパクトなのにちゃんと測れるんだ。これは売れそう。バウリンガルといいアイソボットといい、科学なマインドが息づく品を出してくるところがバンダイとは違う特徴、かなタカラトミーグループは。

 とはいえマスなマーケットを狙おうとするとやっぱり必要なのは少年少女を狙った商品。そこをバンダイは戦隊ヒーローがあり仮面ライダーがありプリキュアがあってとがっちり固めているけれど、タカラトミーアーツでもそんな市場のとりわけ女子を狙おうと、数年前から「プリティーリズム」って商品を出してそれに連動させてアパレルなんかも展開。テレビアニメーションも放送して広く引っ張り込もうとして実際に、結構な人気になっていたりする。今はまだそのシリーズが続いていて、かつてLISPといったグループに所属していた面々(元プリンスみたいな感じ)が出ていたりするけれど、いよいよ4月からは新しいシリーズがスタート。何と3年後を舞台に、実写パートで出演しているプリズミーを4人に増やしてアニメキャラとして登場させ、ついでに当人たちもアイドルユニットとして活動をすることになるらしい。

 加えてライバルメカ、じゃなかったライバルユニットも登場。流行のK−POPからあのKARAの後輩として5人の少女たちが韓国からやってきては、アニメに登場することになる、韓国からの留学生5人のユニットと連動してバーチャルとリアルの両面から活動することになるらしい。そんな5人が登場して繰り広げたステージは、KARAの楽曲なんかを演じてこれがまたなかなかに巧いダンスをみせてくれて、脚の長くて委抜群なスタイルの少女たちを目の当たりにしてそうかこれがK−POPのスタイルなのかと感動したり。対する日本側のプリズミーはまだ幼くってそして胸とか真っ平ら。それはそれでってことでもあるけれど、世にアピールするにはそうした特殊性よりやっぱり抜群のスタイルってことになるからなあ。やっぱり凄いやK−POP。デビュー時期とか決まってないけど活動を始めたらちょっと見てみよう。

 昔っから木谷高明さんのことを知っててその趣味が格闘技だって分かっているならブシロードが新日本プロレスを買収したってことにもあんまり驚かないけどこれが、ブシロードなんて知らずカードゲームも遊ばない根っからの格闘技ファンだといったい何事だってことになるんだろうなあ、長島自演乙雄一郎さんを支えて「ミルキィホームズ」を送り込んで入場行進させたってことくらいはあるいは知っているかもしれないけれど、信者の多い新日本プロレスとなるとそうした“遊び”が即受け入れられるかはなかなか難しいところ。けどまあ木谷さんは新日本というブランドについても信者みたいなんで、崩さず歪めないでちゃんとやっていってくれるだろう。

 問題はだから本業のカードゲーム事業の波がちょっとズレてしまった時に起こる経営面での動きか。ブロッコリー時代なら店舗があってそこで商品を売っているうちは日銭も入って来たけれど、カードゲームは売れなければ在庫の山。幾ら利益率が高くたって意味がない。そうならないためにも目を凝らしていろいろとプロパティを集めリスクを分散しつつ「ヴァンガード」を育て広めようとしているんだけれども、いまだに強い「遊戯王」があり「デュエルマスターズ」があり「バトルスピリッツ」もある中で、どれだけ市場を掴んでそして下をキャッチアップして安定した実績を出していけるか。「ヴァイス・シュヴァルツ」を脇にやってもその成功を目指さなくちゃいけないってプレッシャーをこれで得て、本業にも良い影響を出そうとしているのかな。それなら良いけど。「デ・ジ・キャラット」がすっかり止まり「ギャラクシー・エンジェル」も埋もれつつあるような悲しいことをもう「ミルキィホームズ」では誰も味わいたくないんだから。


【1月30日】 76歳といったらもう枯れて枯れ果てて世の中の何にも興味を示さなさそうな老人が山といそうな中でこの76歳は半端じゃない。だって「魔法少女まどか☆マギカ」を全部見て、その凄さに感動して感激して改心までしそうになってその原因を作った脚本家の虚淵玄さんを自分がネット番組のニコニコ生放送でやっている番組に読んで、いろいろと創作の秘密を聞き出そうっていうんだからもう唖然。山と抱える弟子にそのまた弟子の孫弟子から御輿に担がれ左うちわで人生歩んでいけそうなのに、そうはせずに今なお創作の最前線に立ち続けたいと意欲を燃やす漫画原作者、小池一夫さんの凄さをそこに改めて見た。

 Kalafinaのライブの途中に寄って眺めたそんな小池さんと虚淵さんとの対談は、アニメ関連誌とか新聞屋なんかが表層的に、いわゆる魔法少女的なお約束をすべてひっくり返してみせようとした発想は、今時のデータベース処理人間の意表をつくっていうよりはそんなDBの当然を逆手に取って感心させようとしたものなんだねってしたり顔で聞きそうなところを、小池さんはいきなりそのネーミングから入って、分かりやすくなくってひねりも効いてる名前をどうしてつけたのか、ってあたりから斬り込んでそこにキャラクターというものをどう立てようとしたのか、って感じで話を引き出していく。

 キャラクターを立てる、っていうのは小池一夫さんの持論で信念でもあって、悪役をつくり欠点を持たせ善玉を立てて弱点を持たせ間に進行役みたいなものも立てていくことによって作られる構造が、物語を動かしていくんだ的なスタンスで創作に臨んでいるらしいんだけれども虚淵さんはそうしたキャラから入るタイプではなくって、物語の結末ってものをまず考えてその上でキャラクターを配置し性格を決めて関係性を作り転がしていくって感じのアプローチ。だから採取回では関係性がすべて清算されて物語にも落ちがついて、それ以上は作れなくなってしまうっていう状況が生まれる。それを自分の特徴だって虚淵さんは話してた。

 そんな虚淵さんも予想外の「まどマギ」人気が続編の制作という方向に向かった時、どうすれば続きが書けるのかを悩んだみたいだけれども脚本は1人の作業でも、アニメは決して1人の手から生まれるものではない。蒼樹うめさんというキャラクターデザインの人がいて、新房昭之監督っていうアニメのクリエーターがいて絵コンテ演出の人もいて声を当てた人もいる。美術を作ったイヌカレーというクリエータも加わったチームがそれぞれに脚本を土台にして何かを盛り上げていった結果、生まれた世界のすべてが虚淵さんの指示にあったものではない。気が付かなかったこともあれば予想もしなかったおともある。それらを受け、拠り所にすることによって続きを書くことが出来たって話した虚淵さんの言葉はつまり、アニメっていう集団作業の成果を1人のクリエーターに帰結させる難しさを感じさせ、また集団の意識がつまったアニメの持つ面白さを感じさせてくれた。

 そんな共同作業の妙、そしてクリエーティブに対する意識の持ちようなんかを語ってクリエーター志望者には大いに参考になっただろう深い対談も、まとめメディアに乗っかる時は最終回でほむらの羽根が黒かった理由はいったい何で、その謎が映画でもって明かされる、なんてトーンになってしまうんだから難というか興味深いというか。なるほど世の「まど☆マギ」ファンが興味を惹かれるトピックなのかもしれないけれどもそれは決してトークの本質でもなければ、続編の真実でもない。あくまで自分の指示とは違うものが出てきてしまったことの一例として、イヌカレーさんか誰かがそう描いたものを受けつつそうやって示された他者の創作を、拠り所にすることが続編作りに役だったと言ったまでだったりする。

 番組では虚淵玄さんから、本当に続編で黒い翼の秘密が明かされるかは明言されてなかったようだし、そうだったとしてもそれがメーンではないとおろをゴシップ的にひっかけ喧伝し、それに喜ぶ人がいるといった関係が、積み重なっていった果てにいったいどんな創作の空間が生まれるのか。まあ空気がゴシップに走っても、作りたい人は考え練り上げ作るだろうけれど、それを真剣に受け止める側の縮小は、いずれ創作への跳ね返る。そうならないための歯止めとなる言説を、育み乗せて伝えるメディアが必要なんだけれども今のアニメ雑誌に果たしてそういう役割は担えるか、ってことになるとますます「アニメスタイル」の必要性が高まってくるんだけれど、次の6号でとりあえず終了ってことらしいからなあ、困ったなあ、復活はあるのかなあ。

 新聞がとって代われれば良いんだけれどもどうやら目下、新聞はそうしたサブカル的な記事からは鋭意後退中な模様で世界最大の新聞で健筆を揮っていた人が異動でいなくなりそうで、後をつぐ人にいったいどこまでマインドがあるのかが見えなかったりするのが迷いどころ。それでも紙面があるだけましで、そんな世界最大の新聞が社屋を建て直している横にいる新聞なんかはそうした紙面をぶっつぶしてしまったんだから何というか。幾つも媒体は出しているけど他のどれにもそうした傾向の記事はなくって、もはや唯一だったそんなコーナーが消滅したら、関連媒体の記事を集めて提供しているサイトにそうした記事が一切挙がらなくなってしまって、ネットの向こうに多くいるだろうユーザーを完全に手放してしまう畏れがある。

 なのにネットでいくらファンがいようと、新聞のカラーと合ってなくちゃ意味がないとかいいつつ、だったらどんなカラーかといえば50代がすごした80年代のバブル的感性を、今こそ体現してみせようぞってな感じのブランド志向。そこに今はあても未来はあるのかどうなのか。分からないけれどもともかくサブカルチャーの記事が今後一切消滅してしまうことは確実だったりするだけに、その用語の是非はともかくとして国を挙げてクールジャパンとか言ってたりするこのご時世、政府や役所が賢明になってソフト産業、コンテンツ産業を育てクリエーターを育てようとしている時代にあって、そうしたジャンルから目を離し、背を向けるメディアコングロマリットに、どんな未来があるのかを新宿の母に尋ねてみたい。つかそんなことやっててクールジャパンを柱にした事業をやりたい? もうポン酢かと。ミツカンの柚ポンかと。76歳にして38歳の虚淵玄さんに頭を垂れて高説を賜る小池一夫さんを見習えと。そんな気概もなく未だ高所から思い入れと思い込みを垂れ流して、いったい何が出来るのか。お手並み拝見と行こうじゃないか、なあ、おい。

 戦闘はまだ先だった「モーレツ宇宙海賊」は、あれでやっぱり癖ありまくりだったほかのヨット部員たちが大活躍して加藤茉莉香を支えていく模様。チアキ・クリハラに出番はあるのか。そして「偽物語」はついに影の中から無口だたはずの幼女があらわれペラペラペラペラ。前は喋らないのにちゃんと声優さんがついていたからその活躍が遂に見られるのかと思ったら前と違う人だったりする不思議さも噛みしめつつ、素っ裸の幼女が頭を現れ風呂に入れられていたいるす映像を、デジタルのアナログ変換で見ている自分に悔やみつつ、いずれ出るBDを買って巨大な画面でくっきりと見るんだと慰めたいけどそんなでかいテレビもありません。どうしたものか。収入は増えそうもないし。なぜって今の状況じゃあ未来はないし。いかんまたそっちに行きそうだ。


【1月29日】 なるほど不思議なアイテムがその島にいっぱい集まっていてる理由はちゃんと説明されてて、そんんなアイテムによって発揮される奇跡が、島内に限定されるようになってて世界を大きく動かしたりしないあたりの配慮が、きらりと光るファミ通えんため大賞受賞作の鳳乃一真さんによる「龍ヶ嬢七々々の埋蔵金1」(エンターブレイン)。正体不明の家業を継ぎたくないって訴えた主人公の少年が、無理矢理転校されられたその島は、勉強優先でアルバイトはあくまで生活を補う範囲にとどめられてる一種理想の世界。そこで少年が入ったアパートの部屋には、何と美少女の自縛霊がいて、そんな理想の世界を立ち上げようとした7人の若い面々の1人だったけれども、殺害されてしまってそれ以来、部屋に留まり続けてはプリンばかりを食べている。幽霊って物、食べるんだ。

 何しろ天才たちの頂点に君臨していた彼女。世界中からマジックアイテムを集めては島内のそこかしこに隠したってことなんだけれど、完成前に殺された彼女がどうやっていった隠したの? そして誰が何のために彼女を手伝ったの? なんて謎の余韻も残しつつ、そんなアイテムを探す羽目となった主人公、どっかから来た自称探偵の美少女と、その助手で見た目は可愛いメイドさん、でもしっかりついてたりする子とそれから、アイテムを探す冒険部の部長と向かった先で起こった事件のその先で、少年の正体が明らかとなって来るんだけれど、そんな家業に生きてた少年だったらどーして来る前に島のこと、そして自縛霊の彼女のことを調べておかない? って気もしないでもなかったり。実は、って正体を明かした場面で全部ピースがはまるどころかあれれ? って思ってすまうところがちょっぴりギクシャクしているかも。

 ただ島内に限定したアイテム探しを、これからも連続していけそうな展開だし、探偵にメイドっ子に冒険部の部員で眼鏡で剛腕な少女なんかもいたりして、さらにやっぱり自縛霊の七々々さんが何を目的にアイテムを集めてそれを隠したか、そしてかつての仲間は骨董集めに隠れてどうしてそれを集めようとしているのか、七々々を殺したのは誰でそれはもしかしてすごく身近にいるあの人なのか等々の、残された謎をどう解決するかに興味津々。組織めいたものが暗躍しているその裏に、あいつがいてそれを動かしているのが七々々を思う女性の心だったりもして、そんな対決の構図の中でひとり少年はどう振る舞う? そこに探偵たちはどう絡む? そんなところを気にしながら続刊、読んで行こう続く限りは。

 行き倒れていたソラという名の少女は、何やら喋り方が尊大な上に謎のデバイスを持っていて、それが壊れた壊したのは服ごと洗濯したお前のせいだと言って主人公の大学生のアパートに居座ってしまう。岩関昂道さんって新人らしい人の「ソラの星」(メディアワークス文庫)はそうやって始まった同居の果てに、ソラが実は異星のお姫さまで、逃げ出したところを星から追っ手がやって来て云々、といった展開には向かわず、大学生の同窓の女性の実家という病院で、猫がなついた患者がほどなくして亡くなってしまう事態が勃発していることを知らされたソラが、興味をもって突っ込んでいっては不思議な事態の真相を暴く方向へと向かっていくことになる。

 難病重病で余命のそれほどない人が猫に懐かれてから、ほどなくして亡くなったのは分かる。亡くなる時に発せられる何かを猫が勘付いた、って可能性があるから。でもそんな予兆のまるで見えなかった病院の医師が、病院の前で自動車事故に遭って亡くなってしまったのはなぜなのか。そしてやがて猫が大学生のところにやってきて、まとわりつくようになった結果さまざまな危ないできごとが、大学生を襲うようになったのはなぜなのか。そこには、難病による余命わずかといった事態はない。にも関わらず起こった不思議の解明が、ソラという存在とそして地球という星に来ているさまざまな存在を示唆し、そんな存在が思い描くコミュニケーションへの渇望を浮かび上がらせる。みんな寂しいんだ。そしていっしょにいられるのは嬉しいんだ。ソラが病院の息子と知り合いだったりした謎、そしてソラがやって来た目的、ソラの今後なんかも気にかかるえkれど続刊とかあるのかなあ、あったら読みたいその続き。待とう。

 せっかくだからと起き出して、寒いなかを西へと向かい稲城市は若葉台ってところで開かれている大河原邦男さんの展覧会を見物する。いわずとしれた「機動戦士ガンダム」のメカデザインの人で階上にはそんなガンダムのためにえがかれたポスターの原画とか、「太陽の牙ダグラム」「戦闘メカザブングル」「装甲騎兵ボトムズ」「無敵ロボトライダーG7」「蒼き流星 SPTレイズナー」等々のイラストが飾られ、大河原ファンとか80年代アニメのファンにはなかなかの見物。劇場版「機動戦士ガンダム3 めぐりあい宇宙」編だったかに使われた、首を吹っ飛ばされたガンダムが壊れたジオングをバックにビームライフルを振り上げている図案のポスター原画もあって、当時にそれ見て顔のない主人公メカを容赦なく使うんだって驚いた記憶を甦らせる。たとえガンダムだからって普通はあんまりやんないよなあ。

 ボトムズとかあのミリタリー色をどうやって出しているんだろうって間近に寄って、目を凝らして緑とか青とかの塗り重ねによってミリタリーならではの艶のない質感を出しているんだなあと感じたり、レイズナーの頭部の透き通っているキャノピーみたいなものもちゃんとその色で塗りつつ後ろに座席とその上に置かれたヘルメットも、ちゃんと描いて透き通っている感を出しているんだなあと理解したり。ただ平面の印刷物となって出てきたものでは分からない色使いに筆さばきってやつを、実物(なのかな)を目の当たりにすることによって味わえた。やっぱりアナログの絵描きって凄いや。そんな技術ってやっぱりちゃんと今も継承されているのかなあ。全部の色づけをデジタルにした時、その質感を塗り重ねによって出すなんてことをやる人、いなくなっちゃうんじゃないのかなあ。勉強になる展覧会。まだやっているんで気になる人は是非に。

 文学の未来像、ってよりは今回は物作りの真意、ってあたりがメーンになってたたじいたかしさんの「僕の妹は漢字が読める3」(HJ文庫)。突然に連絡を寄越した主人公の実妹は、かつての文化が保護された地域に住んでいて、そして兄に会いにやって来ては彼が書いている文学こそが未来の文学だと讃えて、出版しようと持ちかける。それは記号が並んでその機動によって意味を語るようなもので普通の人、っていってもそれはすでに未来の萌えが普通になった世界なんだんだけれども、そんな世界の人ですら読めないようなものだったりして、いつも一緒にいる漢字が読める妹のクロハ、は、分かりやすさを求めて今のヒットを狙うんだと諭す。未来のために難解さを貫くべきか今の流行を求めて迎合するべきか。芸術にありがちな論争がそこでもって繰り広げられるけれどもどっちに行こうかってあたりで実妹義妹のどっちを選ぶなんて話が来るのがやっぱり「僕の妹は漢字が読める」ならではか。ともあれ博士の正体も得体が知れず、さらに新たな謎まで降ってきて展開やいかに。次こそは未来の文学そのものを見せてくれちゃって欲しいもの。

 吉祥寺あたりで時間を潰してから中野サンプラザでKalafina。ああやっぱり音が良い。達っつぁんこと山下達郎さんがツアーから絶対に外さないだけあってキャパはそんなに大きくないのの音がこもらず高音が抜けてボーカルがしっかりと隅々まで届きそれをバックのバンドサウンドがしっかりくっきり支えてみせる。来週の渋谷公会堂でも果たしで同じクオリティの音を作れるか、全開がやや籠もり気味の音だっただけにそのリベンジ的な意味もこめてちょっと注目したいけれどもまずはサンプラザ。割と静かめの曲が多くて冒頭から総立ちってことにはならずずっとずと座りが続いて時々立ってまた座り、「Magia」みたいな曲で立ってまた座りといった感じにアニソン的ライブとはもはや趣を変えた大人と趣味人のライブって雰囲気が醸し出されてきた。女性の普通の人も多くいたりともはやアニソンの枠組みに収まらないそのジャンルを言うならやっぱりKalafinaか。うん。

 3枚目の「After Eden」からが中心であと2枚目があったりといった具合で最近聞き始めた人でも存分についていける内容。アンコール前の本編には「空の境界」からの曲はなくって、1枚目からだと後半にかけて畳みかけるように「音楽」を入れて盛り上げるって感じは「空の境界」ファンには寂しさもあるけれども、これが今のKalafinaなんだってことで。珍しかったのは「うつくしさ」を歌ったことかなあ、もうずっと前、それこそ2年くらい前にO−EASTでもって開かれたライブで歌ってくれたのが最後くらい? あの時の深淵な歌いっぷりでもってこの3人組みのコーラスワークの凄さってやつを実は噛みしめたんだった。久々に聴いた「うつくしさ」もやっぱり完璧な歌声。そしてやっぱり詞が深淵。この傑作がシングルのB面のみってのも寂しいのでいつかそれらも含めたアルバムを、作って欲しいなあ。


【1月28日】 船橋あたりに住んでいるとおしゃれな吉祥寺とかに出かけるには不向きだけれど新宿渋谷池袋なら1時間もあればたどり着けるし秋葉原なら30分とかからない。そして千葉方面へと向かう時には幕張メッセなら40分、蘇我のフクダ電子アリーナだって1時間とかからず到着できる利便性はあってこれで住むには良いところなんじゃないかと思って居続けて22年が経ってしまったよ。ときわ書房船橋本店なら漫画もライトノベルも小説も新刊がどっちゃり積まれて中にはサイン入りだてある。映画館がやや離れているのは難だけれどもそれでもワーナー・マイカル市川妙典とかTOHOシネマズ市川とかなら1時間とかからないしシネプレックス幕張だって同様。あとは京成ローザか。それらで封切りはだいたい抑えられる。やっぱり住むには良いところ。でも部屋だけはそろそろ変わりたい。無理かなあ。

 そんな船橋の良いところは佐倉方面にあって屈指の美術品が揃っているDIC川村記念美術館にだって割と手っ取り早くいけるところ。そりゃあ1時間は無理だけれども京成でもJRでも船橋から佐倉まで行けばそこからシャトルバスが出ていて乗り合わせが避ければ1時間と20分もあれば到着できる。これを例えば吉祥寺からなら佐倉までだって2時間だ。なら横浜美術館ならどうかというと吉祥寺からだと新宿まで出てそこから湘南新宿ラインで横浜方面に行くなり品川で乗り換えるなりするか、京王井の頭線で渋谷まで出て東横線に乗り換えるかしないとたどり着けないところを船橋なら総武線から横須賀線へと繋がり横浜からみなとみらい線で1発。むしろ吉祥寺三鷹より近いかも。やっぱり住むには良いところ。そればっか。

 でもって久々に行ってみようと思い立って出かけたDIC川村記念美術館。目当ては「抽象と形態:何処までも顕れないもの」って企画展だったんだけれどそこにたどり着くまでには収蔵作品の部屋を通らないといけない、訳ではないけれども久々に来たんでやっぱり散策、ルノワールだのマティスだのシャガールだの横山大観だのとすっげえ絵が揃っていたのは相変わらずだったけれども今回、マーク・ロスコの専用の部屋があったことに気が付いた。前からあったっけ、何か変形の6角形っぽい部屋に6枚とか、ロスコの絵があって1つの部屋には自分の絵しか置いてくれるなって言ってたロスコの言葉に従った展示はなるほど絵を大事にする川村記念美術館らしい措置。東京都現代美術館でもとりあえず言い訳はしつつ他の絵と並べていたからなあ、この間。

 その現代美術館で大々的な個展があった時に見て気に入ったのが実はロスコ。前はただ平面を少ない色で塗りたくってるだけの画家、ってイメージがあったんだけれど実物を見ると同じような色調でべたーっと塗られているようで、だんだんと違う風景が浮かび上がってきたりする。それは画面に目が慣れ陰影が見えてくるだけのことなのかもしれないけれど、同じような色調でも微妙に変えてある色が作るツートンだったり四角いサークルだったりして、深淵の中にも差異があってそれがわき上がって見えてきて、そこから世界はたったひとつではないんだと教えられるような気がする。そういうことを意図してロスコが何かを描いていたのか、単に少ない色でも立体感を付けようとしていただけなのか、分からないけれどもそういう気持ちで見れば視られる作品が、何枚も同じ部屋にあってしばらく出られなくなった。居れば居るほど浮かんでくるビジョン。地続きのようでそこにある細かな差異。あるいは凹凸。それらが醸し出す世界の姿。それをいつか物語にして言葉にしたいけど、できないそれをだからロスコは絵に描いた訳でもあり。いつか挑もうその言語化に。

 そんなロスコと対比するようにすぐ上の階にある部屋にはバーネット・ニューマンの真っ赤な壁のような作品<アンナの光>が飾られてあって、カーブのつけられた階段を上ってたどりついた階上の真正面に、置いてあってその赤さに目をまず貫かれる。ただこれもやっぱり見ている内に同じような赤の陰影がだんだんと見えてきて、ただひたすらにフラットに赤いだけではない、感情の起伏めいたものが浮かんできてそこに何か物語を見出してみたくなる。よくよく見ると両端が白くなっていて、片方は狭くもう片方はやや広めの白があってそれが巨大な赤に対して何を意味するのか、単に赤を際だたせるためなのかそれとも、なんて考えるとやっぱりいろいろと浮かんでくる。抽象画を言葉に置き換える。そんなことが出来たら愉快だけどなあ。音楽家なら抽象画のパウル・クレーをピアノの演奏に変えた加古隆さんのようなことも出来るんだけれど。だから絵で描く? それも言葉の敗北。だからこそ挑めれば。

 やっぱり巨大なフランク・ステラの間を抜けそしてたどり着いた目的の展覧会「抽象と形態:何処までも顕れないもの」をそもそもどうして見たかったかというと、JRなんかに貼ってあったポスターに描かれていたモノクロの何か機械人形めいた像に興味を惹かれたからで、それがいったい何を描いたものなのか、誰が描いたものなのかをあんまり気にせず入った部屋の扉の脇に、いきなりパブロ・ピカソの「シルヴェット」があったから驚いた。だってピカソだよ。その絵が1枚でいったい何億円何十億円かって人の絵が、ポンとあってそれがむしろ引き立て役となって向かいの五木田智央さんって人が描いた人物像を照らしてた。黒地というかグレーに白を重ねるなりして描かれたそれは少ない色数なのにどこか重厚。そして顔の削られた向こうに何が描かれている訳ではないけれどもどこか遠くの世界なんかを感じさせて目を離させない。

 ピカソの「シルヴェット」もやっぱり白と黒とグレーのモノトーンで描かれた少女像なんだけれどもそこはピカソだけあって変形はさせてあっても調和の見えるフォルムでもってまだ若い少女の裸体をそこに現出させている。エロティックでありみずみずしくもあり。比べて五木田さんの「Scor」って作品はどこか緩んだフォルムに見えない顔の異形がかっちりとあしない世界の揺らぎめいたものを感じさせ、見る者の居場所を危うくされる。そんな五木田さんの作品は、他にもたくさん飾ってあってやっぱりモノトーン。黒地に歯みたいなのが並んだり人間が人間を引っ張るようなフォルムがあったりする絵は、単純さの奥に深淵さもあって世界への想像を喚起する。ポスターに使われていた「acapulco」も同様。シュールっぽいフォルムと少ない色数がかえって喧騒と饒舌さを脳髄に直接叩き込む。

 それを見られただけでも良かったけれども青い色がうごめくサム・フランシスって画家の絵があって、その正面に息子さんらしいフランシス慎吾さんの作品があるって構図を見られたのも良かった。まるで違うんだけれどつながる何か。別の部屋には海底に重たい水がのしかかるような中に一筋の光明を見出すような作品や、深淵の青に白い筋が入ってそこから何かを沸き立たせる、あるいは逆に光が深淵に飲み込まれるような不思議な感覚を覚えさせてくれる作品もあってフランシス慎吾さんというアーティストの面白さってものを教えてくれた。比較ではクロード・モネの有名な「睡蓮」があって水面に陽光を跳ね返しながら睡蓮が漂う絵のその横に、ただ色を塗り重ねただけなのになぜか水面に見える野沢二郎さんの作品があって、抽象と具象という“壁”を挟んで対峙する2人の近さ、というか本質をとらえて感じた思いを形にした絵に抽象だの具象だのという見た目の区別なんて必要ないのかもって思わされた。そういう解釈って良いのかな。でも面白い絵。野沢二郎さん。ほかにどんな絵を描いて居るんだろう。

 そんなこんなで1時間以上も滞在したDIC川村記念美術館を抜け出して行きの京成とは違ってJRで戻る途中に読んだライトノベルの新人賞受賞作にうーん。主人公がイソノカツオでそれでその主人公の人生を笑いつつ、一方でその名が決め手となって美少女の先輩に部活にさそわれるという導入部の設定に、どうして人様の誰もが知っている作品を使って簡単に笑いをとりにいこう、そして導入に使おうって思うんだろうとか少し悩む。それが手練れのベテランだったらそういうこともありかもしれない。火浦功さんがクレイジーキャッツとか植木等のキャラとかギャグを使ってそういう雰囲気を出そうとしていたこともある。

 でも世代がまるっと違って誰も知ってるわけじゃないクレイジーを取り入れるのと、今なお続く国民的な漫画を共通認識の土台として取り入れるのとは意味が違う。後者はある意味で安易であって新人が、世界をゼロから作って笑いでも感動でも呼び起こそうと苦闘してこそ世に出て多くに支持される作家になっていくプロセスを、するりと抜けてしまっているような気がしてしまう。そういう創作スタンスも不思議だし、それを認めて賞を出し刊行までしてしまうレーベルのスタンスもやっぱり不思議。ストーリーそのものは苦闘の挙げ句に戦いそれでも得られぬ難しさ、って奴にあふれてて面白いだけにどうして、すべてを自分の言葉とアイデアで作り出せなかったのか。そうさせようとしなかったのか。文中に既存の漫画やキャラやラノベが当然の文化背景として使われているだけでも苦手なのに、それを設定にまで持って来てしまうことの悩ましさ。果たして未来は。見続けたい。


【1月27日】 ずっと撮り溜めてあって前に1度、取材する関係で何話か前後して見てだいたいの世界観は了解したけれど、撮り逃していたのもあって話がつながらなかったりして、また見ないで撮り溜めの方向に入っていた「ギルティクラウン」を、今日ばかりは撮って朝にすぐ見てみて、ああ出てるちゃんと出てるしっかり出てると確認したのは、面白法人カヤックが「こえ部」の部員を相手に募った一言声優オーディションに通った2人が、この回に出演していてその収録を見物したからだったりする。

 何しろ現場で部員の2人がスタジオに入ってから、サブで音響監督と監督の人が「世界を壊したくないから」と言って、それが使えないようなら使わない、って訳にはいかないなら、ガヤに紛れさせて使いましたという形で、スルーするってな感じのことも話していたのを耳にして、それだけプロとして作品を大事にしているクリエーターの耳に、かなって晴れてしっかり使われていたのかを、すぐにでも確認したかった。でも流石にリアルタイムは無理だ歳だぐっすりだ。

 そして見た登場シーンは体育館に集められた少女が支えられすすり泣いている姿がまずは手始め。泣くって演技をじゃああなたやってみなさいって言われてすぐにできるかっていうととっても難しいその演技を、オーディションで合格したくろかぜさんっていう女性はまず演って、それに「押し殺すように」といった音響監督からの言葉にすぐさま合わせてチューニングしていって、「もっと強く泣いて」「頑張るのは押し殺すところ」「ぐっとこらえる感じで」等々の注文に即座に反応。そうやって数回のテイクでちゃんとオッケーまでたどり着いてしまってこの人、もしかしたら凄いかも、って思ったらさらに長いセリフでも凄かった。

 「お願いです、なんとかしてください。パパとママに会いたいんです」という少女がステージ上に上がって訴えるシーンでも、まず言って、そこにどの部分に重きを置いて言うかを問われて「パパとママに会いたいんです」と即答して「正解です」と言われてた。まず分かっていること。その上で向こうが欲しい演技をすること。それができなければオッケーは永久に出ないし次も呼んでもらえない。プロとして当然のことをオーディションで選ばれた、たとえ練習はしていてもまだアマチュアに過ぎない人たちが、それでもやってしまったってところに当人たちの、プロを目指して居るんだという真剣さが見えて勉強になった。

 男性の声を演じたたぶたぶさんも、叫び声とかに注文をつけられそれに即座にチューニング。しっかりオッケーをもらっていったし、2人ともその意味でプロだった。この後どうなるか、分からないけれどもその意欲があれば、そして実力もあるならたぶんきっと出てきてくれるだろう。じっと待って見ていよう。それはそれとして「ギルティクラウン」って何だか異能バトル物っぽくなって来た感じでそれを当人が出すんじゃなくって人から引っ張り出しては役立てる桜満修って主人公を中心に、周辺で大勢が固まって東京を取り囲む敵に向かっていく、って展開にこれからなっていくのかな。

 同じ脚本家が前に書いてた「コードギアス 反逆のルルーシュ」でもやっぱり外国勢力に抑圧される日本って構図が出てきたけれどもそれに対して反逆したのは当該の外国勢力を放逐された廃王子、でもって仮面を被りどんな非道な手でもつかって相手を叩きのめそうと暗躍したそのピカレスクが格好良かったのと比べると、知恵やら人心掌握といったプロセスのないまま少年が中心に祭りあげられ敵と対峙させられているような構図になっててあんまりもわっとして来ない。出口をどこらへんに置いているのか、それは日本にとって、主人公にとってどんな意味を持つのか、理解のためにやっぱり前の録画を見直すしかないのかなあ。頑張ろう。

 「リッチでないのにリッチな世界などわかりません。ハッピーでないのにハッピーな世界などえがけません。『夢』がないのに『夢』をうることなどは…とても。嘘をついてもばれるものです」と書き残して自殺したCMディレクターがいた、という話を呼んだのはおお昔に出た新書の何かだったけれども今ひとつ覚えていない。ただ亡くなった当時は話題になっただろうこの一節も、今ではいったいどれだけの人が知っているんだろう。何しろ時代は40年近くも昔のこと。最近も評伝めいたドラマが作られているけれど、それで話題になったということはなかった。

 というより無理だろう、今のリッチでないのにリッチな世界をさも存在するかのように虚飾して作りだすことだけが仕事のメディア業界で、その生涯を追うなんて。だから川村蘭太さんという多分、杉山さんの弟子筋に当たる人が書いた「伝説のCM作家 杉山登志 30秒に燃えつきた生涯」(新潮社)が出たのは、そのメッセージを世に広める絶好のチャンス。CMの歴史に残っている数々のヒットCMを作って天才の名を欲しいままにした杉山さんが、わずか37歳で世を去ったその物語は、本質を伝え共感を得ることでなく、目を欺き空気を塗り替え気を導くことでしか数を稼げない世界への警句にきっと、溢れているだろう。

 金をもらいさえすれば嘘でも書き、記事やフラットなコメントに商売の言葉を紛れさせて平気なメディアは、この本を読んで省みて、その恥ずかしさから崩れ落ちるが良い、みたいな。ただ本当にそうした時代への、あるいは状況への警句に満ちているかは本分を細緻に噛みしめていかないとちょっと分からないかもしれない。何しろ絶頂期にあって何だって自在に出来た人、そして金だって稼げたその人物が、リッチな世界を描けないとかハッピーでないと言うことに、スポンサー筋からの虚飾の強要とは違った意味がもしかしたらあるかもしれない。

 それはどこまで上を見ても届かない、サラリーマンでは結局のところ夢でしかない超上流というクラスを見知って諦観したからかもしれないし、私生活における荒廃が世界をアンハッピーに見せていたかもしれない。つまるところは対社会といった大きなものではなく、個人の力量が及ばず意志が貫けないでプレッシャーに押し潰されたことを、詩的に書いただけの言葉なのかもしれないけれどもそうした個々の理由などもはや不問、その存在、その言葉が一人歩きして世の虚栄に挑むものになっている。だからやはりメディアには、今を恥じて省みて欲しいけれどもそんな気、さらさらなさそうだしなあ。

 SFの殿堂が会議で赴けないというので、SFの端っこからでも色を着けようと荻窪にあるジャズ系のライブスポットで、真っ昼間から開かれた漫画家でDJまほうつかいの西島大介さん、バリトンサックス奏者の吉田隆一さんによる「魔法少女まどか☆マギカ」のトークイベントに行ったら、これが濃かった充実してた。本当は夜にリブロで開かれる「ユリイカ」の特集号に執筆している面々が、集まって話すトークイベントの前座というか前説みたいなものだったんだけれど、哲学的に学術的な言葉が連なっている「ユリイカ」の出演者が来て喋ることって、何となく見当はついてそういう捻り方でもってそう語るんだねえ的な、居場所を取り合うようなトークになるんだろうなあっていう想像があった。

 けれども、荻窪の方はまるで想像が付かなかった上に、実際に始まってからのトークもまるで予想外から予定外へと突き進んで、2時間半をまるで飽きさせない濃密さだった。それであの値段で良いのか良かったのか? そんな思いすら浮かんだトークイベント、まずは「日本SF大賞」にノミネートされたことを受けてのSF度チェック。脚本を書いた虚淵玄さんが最後に奇跡が起こることを理由にSFではないのではといったコメントをしたことを受けて、世間にこれはSFじゃないんだぜSFって言う奴は変だぜって言説が蔓延っていたりするけれども、でもそういう切り分けを虚淵さんがやったってことは、つまり虚淵さんには虚淵さんなりに、SFというジャンルを区切る根拠、あるいは知識がちゃんとあるってことの現れだって指摘がされた。

 SFじゃない、って意見はそれに照らしたからそうだったんであって、別の人のSFというジャンルへの考え方に合わせれば、それはSFといっても言いんじゃないかといった見方もできるとかどうとかいった、そんな話になったかな。うん、それは納得。線をどこに奥かに明確な応えはなくって人それぞれ、固く見る人もいれば緩く見る人もいて、そんな基準の有無を知ってSFか否かを語るならまだしも、原作者がそう言ってるんだからって意見はだからあんまり気にしなくても良いとかどうとか、そんな見方も出来そう。まあどっちだって良いんだけれど。

 そんな厳密さでもって書かれた脚本に、絵がついたりキャラが載ったり音楽がついていくことによって、イメージが膨らみ変質して生まれたのがアニメーションとしての「魔法少女まどか☆マギカ」。そんな積み重なりを音楽のセッションに例えてフリージャズ的な渾然としつつ統率された感じもある作品、ってことで「渋さ知らズ」ってあれもこれも加えて肥大してくバンドと「まどか」を同一視して第1部は終了。なるほどそいつは目新しい。あとイヌカレーの美術っぽいビジュアルが話題になっていたけどそうではない、アニメに出てくる家や学校や街並みなんかも先鋭的で構築的。そのデザインセンスの理由なり、源なりを考えてみたいって意見もあった。どっかから出てた豪華本に書いてあったかな。買ったけど分厚いけど部屋に埋もれて出てこない。どんな部屋だ。

 これは西島大介さんが指摘してた、見返して見てほのぼのとした日常話に見えた1話でも、夢でビルにビルが突っ込むような夢の描写があったことが後に意味を持ってくるのは、見返すと分かるひとつのポイント。あと吉田隆一さんがジャズメンとして梶浦由記さんが作った音楽を分析して、日常にかかる音楽から契約の時の不気味な音楽、そしてマミさんの主題なんかを分せきつつ楽しげな日常が変奏によって暗い契約の音楽になったりマミさんの音楽になっていると指摘してた。

 「新世紀エヴァンゲリオン」みたいに、個々のシチュエーションに明確にそれと分かる音楽を付けるんじゃんなく、主題を変奏し編曲してシチュエーションの変化を音楽から支え、暗示するような企みが、このアニメには用いられていたんだってことを教えられた。そう知ってまた見ると、きっと違う世界が見え、そしてそうかそういう意味だったんだろうと絵なり音楽から展開を読み、そうした変奏が心境をどう動かして、この作品から目を離させないもの、気になるのにしていたかを、改めて知ることが出来そう。時間があったらやってみたいなあ。作ろうかなあ時間、永遠の夏休みって奴を。


【1月26日】 まあしかし「逆転裁判」が大特集されているだけでも大概だなあと思った「ミステリマガジン」が、次号では何とあの「探偵オペラ ミルキィホームズ」と大特集するってことらしく界隈では上を下への大騒ぎ。なるほど探偵とはついているけど推理を働かせるってよりは4人の女の子たちが猪突猛進しては壁にぶつかり跳ね返されて踏みにじられる惨状を、大笑いしながら見て楽しむようなアニメーション。それのいったいどこに日本でも歴史と伝統と格式を持ったミステリ雑誌が注目して、どう取り上げるのかってのが今からもっぱらの話題になっている様子。まあそりゃそうだ。

 とはいえ既に前のテレビシリーズとゲームの登場時に、日下三蔵さんがコラムで取り上げミステリファンにその存在を知らしめ、リアクションの多さで「ミステリマガジン」編集部をも驚かせたという「ミルキィホームズ」。すでにミステリであるという認識が深くオーソライズされているだろうことを考えるなら、取り上げること自体に不思議はない。そして登場しているキャラクターのそれぞれが、シャーロック・ホームズでありネロ・ウルフでありエルキュール・ポアロでありコーデリア・グレイを御先祖に持っている上に、周りもアルセーヌ・ルパンだったり鼠小僧だったり怪人二十面相だったり石川五右衛門だったりと怪盗を御先祖に持つ面々や、明智小五郎だったり銭形平次だったりと日本代表の名探偵やら名岡っ引きやらを御先祖に抱く面々が揃ってる。その系譜をたどるだけでひとつの歴史年表が作れそう。

 とはいえそれが「探偵オペラ ミルキィホームズ」の面白さの本質を伝えることになるか、というと難しいところであっていったいどういう感じにその破天荒で素っ頓狂な展開が持つ面白さを伝え、バリツというものの凄さを伝え、蒲鉾という存在の愛らしさを伝えるのか。お手並み拝見乞うご期待。けど見られないんだよなあ、第2期が千葉では。「Another」の方は見られるんでこっちの特集なら大歓迎。でも恐くて恐くて実はまだ2話以降の放送を見ていません。1話で誰も死んでいないのに霊安室へと向かう鳴ちゃんの不気味さ、学校にいるはずの鳴ちゃんをいないように扱うクラスメートの仮面っぷりが恐かった。それに加えてグロテスクな展開があるストーリーを、真夜中に直視できるのか。トイレいけなくなっちゃいそうだけれども仕方がないからこれから見よう。明日布団が濡れてなきゃ良いけど。

 そういや最近軽井沢ってあんまり聞かないなあ、ってのはプリンスホテルが全盛バリバリだった時代、軽井沢を日本でも有数のリゾート地って感じでプレゼンテーションしては大勢の人を集めたりして賑わって、そこにブランド品の店も出たりして東京の原宿だか表参道がそのまま引っ越したような雰囲気を醸しだしていたけれど、プリンスホテルがボスのあれやこれやとともにイメージを低落させてアピール力も前ほどにはなくしてしまった現在、軽井沢をそうしたメディアに乗せてイメージアップするような装置が見えなくなってしまった。結果、メディアに軽井沢の今が紹介される機会も減り、マスイメージも薄まってしまっていった先に、来るのはいったいどんな軽井沢なんだろう。新幹線で長野へと向かう途中にある別荘地、あるいはただの田舎、なのかなあ、ううん。

 けど1980年代から90年代にかけて、軽井沢のゴージャスでリッチでハイソサエティなイメージを存分に浴びせされた身にとって、未だ軽井沢はオシャレでビューティフルな町って印象。「あの夏で待ってる」に出てきたそんな軽井沢の風景も、1990年代のたぶん末頃ってことでいつかの余韻をまだ引きずって、オシャレな人がいっぱい歩いて美味しそうな店もいっぱいあってと、軽井沢の喧騒をそのまま見せてくれていた。あるいはこれがひとつの呼び水となって軽井沢への観光が増えるのか、それとも大本の小諸の方へと牽引されるのか。それはこれからの登場具合次第か。しかしイチカ先輩と海人とのすれ違い、妄想が先走りすぎてて本当の会話がどんなんだったかまるで想像が付かないなあ、告ろうとしてせず、聞こうとしてしなかっただけの状況の向こうに、ふくらみ爆発した妄想ってことなのか。塩梅が難しいアニメ。でも面白いので見続ける。檸檬先輩やっぱり謎だ。

 「マンガ大賞2012」の最終候補にはいった押見修造さんの「悪の華」(講談社)も中学生の鬱屈と暴発が描かれていて同世代的にはいろいろ考えさせられるだろう物語。これがちゃんと入ってくるところが現場を見て、売れ筋を見てそれなりにマーケットを考えている書店員さんたちが選考員の大半を占めているこの賞の特徴なのかもしれないなあ、だってサブカルな漫画読みって僕なんかを含めてこういう漫画、なかなか手を出しづらいから。けどそうした漫画もこうやって候補に入ってくることで読んですっげえと思っていろいろ語りたくなってくる。賞に推すかどうかはまた別の話だけれど言葉の端々に上り、候補としてメディアなんかで語られることによって広がるファン層が、作品を持ち上げ世間に知らしめそして物語の濃さを振りまいて世間に影響を与える。そんな流れが作られるだけでもこうした「マンガ大賞」のシステムには意義がある。多数決って決して人気投票じゃないんだね。

 いいなあ北海道民、というか札幌人たちか。学生たちが作ったアニメーションを上映する「ICAF」ってイベントが、めぐりめぐって2月4日にいよいよ北海道へと歩を進める。「ICAF2012札幌」は、東京みたいにすべての作品が上映されるって訳ではないけれど、それだけ選りすぐられた作品が並んで今の学生のトップクラスを見られそう。とりわけ植草航さんの「やさしいマーチ」は、卒制のDVDなんかに入っているのと違って相対性理論による「ミス・パラレルワールド」がバックに入った“完全版”できっと上映されるから、もとより一種のPVとして作られたその映像が、音楽とシンクロしてそのパワーを最大限に発揮している様を拝めるだろー。僕はそれを見に武豊まで行ったんだ、帰省ついでに。あと白井孝奈さんって人の「トリップ・トラップ・マップ」も注目の1作。京都精華大だと「フミ子の告白」ともども「rain town」が上映される石田祐康さんに衆目があつまっているけれど、白井さんも確かSTUDIO 4℃に入社した凄腕で、上映作では巧い絵がすごく動いて自在に変化する様を拝ませてくれる。見て損なしのプログラム。行きたいなあ。無理だって。


【1月25日】 「マギノガンナーの白と黒、墜天と堕天のアンサンブルぅー」。って感じにマルゴット・ナイトとマルガ・ナルゼが羽根を羽ばたかせて中を舞い、走る真喜子・オリオトライの上へと降臨しては日給の硬貨を箒から放つシーンに使われていたエレクトリックなサウンドが、もう耳について離れずあの瞬間にアニメーション版「境界線上のホライゾン」のサウンドトラックが出たら買うぞと決めていたら本当に出ると決まったものの、予定には出ず1カ月延びてようやく出たので買ったものの、普段持ち歩いているDVD−ROMのプレーヤーを忘れて聞けずリッピングもできない体たらく。最近どうも抜けている。

 まあそれもこれも3年4カ月とか続けた割には世間にもあんまり評判にならず、内にはむしろお荷物扱いされていたコーナーが、月末30日分の掲載をもって終幕することで頭が惚けているから、なのかもしれないけれどもそれで気落ちする歳でもないんでそういう記事がたとえ目ん玉系新聞から消え去ったとしても、見たものと感じたこと聞いた音について前のとおりにここでもって書きつづっていくだけのこと。始まりだってそうだった。1995年とか96年の頃に新聞でアニメとか、漫画とか声優とかを紹介するところなんてまるでなかったのを産業と絡めて無理矢理にでも載っけた結果が今のこの盛況ぶり、超大全国紙にだってレギュラーで漫画とアニメを紹介するコーナーが出来る時代にむしろ逆行している目ん玉だけれど、だからこそあんな状況になっているんだと4万キロの彼方に思いを馳せる、ってだから他人事じゃあないんだけれど。参ったねえ。

 アニメっていえば我らが千葉県が舞台になっている「輪廻のラグランジェ」にいよいよもって大きな動きあり。激しいバトルがあってそして載れはしても変形させられなかった「わん」なお姫さまが、遂に本気出してロボットを変形させては海中から現れた敵を簡単に蹴散らして見せた。なんだあの力。でも散々っぱら言われながらもこれまで出来なかった理由として、恐怖めいたものがあるようでそれがいったい何を示すのか、ロボットから逃げられなくなるのか世界の命運を握ることなのか命を削られることなのか、分からないけどまあいろいろあるらしく、今は能天気な「まるっ」の嬢ちゃんが、それを知ってどんな顔を見せるのかが知りたいけれどもあれ、天然だから案外に「でもだからってやらなきゃいけないんならやるっ」って言ってジャージ部魂を見せては特攻、していくんじゃなかろうか。うん。

 それにしても海の方から何か得体の知れないものが飛んできたとおもったら、市街地の上空に居座って、その威容を見せた上に迫ってきた見方のロボットをはじき飛ばして落花生畑を壊滅させ、空き家になってた商店を損壊させ、さらにはそんなバトルの最中にはじき飛ばされた自動販売機が待避の列に突っ込もうとしている寸前、見方のロボットがジャージ部魂を発揮して、かけよってきては手にした棒っきれで自販機をどこかに撃ち返してみせた様を、見ながらも恐怖に怯え泣き叫び、身動きとれずにへたりこんだりはしないところはやっぱり安房鴨川、温暖で穏和な南房総に生きる人たちってことなのか、なるほど実に千葉県らしい。鴨川にまで落花生畑が侵蝕しているかはともかくとしてそんな千葉っ子気質をもっと見せてくれればヒットするぞこのアニメ、千葉県で。チーバくん出ないかな。

 おさらいなのか窮余の策なのか、分からないけれども総集編だった「ちはやふる」は総集編だからといって手抜きはなくって単行本の巻末についているような4コマ漫画風のショートストーリーが新たに作られていたんでこれはこれでオッケー。滅多にどころかまるでほとんど出てこない千早の姉が出てきては、お年玉をがめつく横取りして服を買い、それでも自分が綺麗だと誉められ千早に服をプレゼントするエピソードとか実に良い話、っていえるのかどうなのか、あんなぶかぶかの服を来て。まあ良い話ではあるのかな。んで肉まんくんのお姉さんも登場して好みのタイプが今のところは机くんだけれど、途中からこれが原作では藤崎のヒョロくんに変わるんだ。相変わらず不思議な好み。そんな藤崎の先輩さん。百人一首を覚えてない奴は虫か虫以下だって。そういわれると覚えたくなってきた。藤崎が強いのも道理で。でもあの口調で誹られるのもそれはそれで。いつまで経っても覚えない部員もいたりしそう。

 なるほど「日々ロック」、絵はどうにもうまくないし音楽をやってる感じもあんまり漂ってこないなあ、ただただ暑苦しいなあと最初は思ったけれども読んでいくうちに歌っている兄ちゃんの割と本気な歌いっぷりと、それに巻きこまれて周囲がどんどんと変わって言う爽快さがあって、他のいっぱいある傑作な音楽漫画バンド漫画にこれは負けない作品だって気もしてきた。「デトロイトメタルシティー」のギャグを交えた世界とも違う、笑いはあってもそれはがむしゃらさが滑って笑いに見えているだけ、常に本気の主人公たちに知らず惹かれてしまうんだ、自分も、そして暴力団の組長までも。でもこれが受けるのはあの絵柄だからで人気になって実写化されたらいたいどうだ? ってことにもなるのが迷いどころ。「デトロイトメタルシティー」みたいな松雪泰子さんの1発チラ見せみたいな技があったら受けるけど、女っ気がまるでないからなあ「日々ロック」。さて「マンガ大賞2012」での結果やいかに。


【1月24日】 「大東京トイボックス」からさかのぼって読んだ「東京トイボックス」はなるほどまだゲームでも良い物を作れば認められるかもしれない、って期待が一方にはあった時代の漫画なんだなあという印象。それを声高に主張して、突破していくことで周りも納得しゲームには素人の美女も振り向かせるだけの結果が付いてきていたけれど、それでも零細ディベロッパーが金に恵まれずパブリッシャーに振り回され、メガソフトパブリッシャーに粉砕されかかる展開は今を暗示していた。

 そして「大東京トイボックス」となるとパブリッシャーですら出すのが大変になっていて、メガソフトパブリッシャーと連携してはタイトルを出していかないと回っていかない厳しい状況が垣間見える。良いものよりも続編で、あるいはすでにあるフォーマットの上にキャラだけ変えたものをのっけて突破する。それが赤字を最小限にしてあわよくば利益を狙うための方法論。そこに魂は? って言うだけ虚しい状況に、けれども立ち向かっていく太陽たちに明日はあるのか、ってところが見えないのが何とも読んでいて息苦しい。規制の問題まで乗っかってきてさらに混迷を深める展開の、たどり着くべき地平はどこなんだ。すべてがフリーでオープン、ってのがあり得ないだけに読むのが恐いけれどもそれが見えてこそたどり着ける地平まる。描くんだうめさん、その身を削っても、ついていくから、きっとたぶん。

 スタイル抜群でスタイリッシュな美少女のアンヌに迫られたんなら味吉陽太、すぐにでもかしずき跪いては、永遠の愛を誓ったって罰は当たらないと思うんだけれど、残念ながら日本の法律で11歳の少女を相手にあれこれするとそれこれ言われてしまうから、アンヌとのあれしたりこれしたりすることはもうちょっとお預け。っていくかあれで11歳っていったいフランス人はいったいどれくらい成長が早いんだ。20歳超えれば大変になってしまて30過ぎたらもはやってなってしまうのか。いやいや一方に鈴鈴さんのとっても可愛らしい姿態で32歳だなんて例もあるから女性の年齢は分からない。かといって確かめられないもどかしさを、後は直感でクリアしていくしかないんだろう。「ミスター味っ子2」終了を祝いつつ、そんなシーンがわが身にも訪れることを希(こいねが)い。

 もしもアニメーション化されることがあってもそのシーンだけは実写でやって欲しいかもと思った、小野洋一郎さんによる「ブッシメン!」の最新話。田舎の活性化のためにと記念館の材料を元に像をつくってみんなで騒ごうってイベントに、参加した美少女仏師の偲がその美貌にダメを押すように、作ってきた仏像に目を入れるシーンで見せたのは例の上半身をさらして胸にはさらしだけ巻いて、ノミをふるって開眼するという技。決して大きいとはいえないそれをギュッとしばったさらしの上下にはみでる丸みは、絵で見てもとっても柔らかそうでこれを実際の人間で見たら、いったいどれだけの人が悩殺されるのか、って思ったけれども大きからず小さからずの美少女を連れてきて、さらしだけで撮るのも難儀な話だろうから、完璧な作画によるアニメでもってその柔らかさをも含めて、醸しだしてくれたらこれ幸い。三蔵は縛っていると平たいけれども外れると案外にもっこり。

 椹野道流さん、って書こうにも漢字の出し方が分からないから四苦八苦してコピー&ペースとして書いたその人が、三笠書房のf−caln文庫から出した「若き検死官の肖像」を読んだら面白かった。年寄りの検死官のもとで修行して、ようやく資格をとれた新米検死官が、その街では仕事がないため派遣されて意気軒昂と赴いた土地には、何とネクロマンサーがいて死体の声を聞いていたから検死官はたまらない。だって死体から整然の状況とか死んだときの様子を探るのが検死官な訳だけど、ネクロマンサーが死体を甦らせて言葉を聞いたら1発で、死んだときの状況が分かってしまう。検死官の出る幕なんて全然ない。

 そんな理不尽はあるかと怒った検死官。不要と言われるもそこは直情傾向をいかんなく発揮して、街に居座ってはネクロマンサーの所業を見ようと赴いて、本当に死体を甦らせている様を見て戦くもやっぱり帰らず、検死官の仕事を見ていたその時。ネクロマンサーの喋らせた死体が、検死官や彼が親切な人と知り合って借りることになった部屋の家主で、薬草を育てている人の知り合いだったからちょっと大変。おまけに検死官が事前に見聞した死体は、その知り合いが犯人ではありえないないと物語っていたけれど、そこはネクロマンサーを長く尊ぶ街だけ合って、そうした異論が受け入れられる予知はなく、知人はそのまま犯人として裁かれるかもしれない事態になってしまった。

 どうにかしたい。そう思って検死官は走る。科学的な証明を目の当たりにして、いくら自分の仕事に誇りがあっても、死体が嘘を言ってしまっていることを、改められない自分の過ちに落ち込んで引きこもってしまったネクロマンサーを家まで行ってたたき起こし、ネクロマンサーにしかできない方法をとらせようと叱咤しつつ、自分たちも犯人を捜して街を駆け回る。腐ってしまってはもう喋らせられない死体を、損壊させようと画策する署長らの企みも阻止し、いずれ来るだろうネクロマンサーを待ってそして。そこに未来を開くような共同作業による解決がもたらされる。

 郷に入っては郷に従えの風習を守ろうとしない直情径行の検死官の、猪突猛進ぶりにちょっと苛立つけれども、そんな真っ直ぐさがあってこそ、崇められ奉られていたネクロマンサーを刺激して、共に手を組み新しい検視のあり方を模索する方策を導き出せた。突っ走っても引っ込んでも、偉そうでも卑屈でもいけないのだ。検死官とネクロマンサーという、相矛盾する要素をぶつけつつ、互いの良さを認め合うまでを描いた作品。シリーズ化されるのか。されてほしいなあ。貧困でご飯も食べられない生活から抜け出そうとネクロマンサーになり、今は料理をするのが趣味みたいなネクロマンサー、ヴィンセントの純粋さが可愛い。しかしやっぱりカッカしすぎだよなあ検死官。ちょっとは落ち着きを得るのかな。それともやっぱり突っ走って突っかかってはどうにかしてしまうのかな。

 年をとるならそれなりに、ってことなんだろうなあ「カーネーション」での演じる女優さんの交代劇。見てないからそれがどれだけマッチしていてどれだけ惜しまれるのかが今ひとつ、理解できないんだけれども騒がれるからにはきっとそれなりな実力を見せているんだろう。けどでも若い頃を演じていても年をとった姿まで、演じきれるかというとこれはまた不明なところ、なので経過をみつつそれならと演じさせる役者を変えてみるのもひとつの手だったのかも。そして始まればやっぱりこれで良かったとなるのかそれともならないのか。夏木マリさんでダメなら夏木陽子さん、そして最後は夏木陽介さんと夏木続きで治めてみせればこれ完璧、って陽介だけはちょっと拙いぞ。


【1月23日】 イチニイサン。だから何なんだ。「モーレツ宇宙海賊」はさあ始まるぞ電子戦って期待させた割にはブレーカーが落ちたか何かして一気に終了、そしてヨットは宇宙へと出たものの帆が出ないのを部員の6人の女の子たちが宇宙に出てえいこらしょっと持ち上げ開いてさあ航海に出発だ、ってところで次回に続く。まだ加藤茉莉香はモーレツもやってなければ宇宙海賊もしていない、っていうか海賊がだいたいほとんど出てきてないのはタイトル倒れだ。せめてミニスカが一杯でてれば。それが無理だからこのタイトル? 知らないけれど。

 まあでも宇宙って場所の大変さをこうやってさまざまなシークエンスを積み重ねることによって分からせてくれてはいるから良いのかな。同じ佐藤竜雄さんが関連していながらいきなりドンパチが始まった「輪廻のラグランジェ」とは違ってゆったりとした進行なのも、それだけ原作の持ち味をちゃんと活かそうとしているからなのか。とはいえ次回からいよいよ始まるドンパチか何かで試される加藤茉莉香の運命やいかに。それはそれとしてマミ役の小見川千明さんは相変わらずに良い声を出しているよなあ。

 やはり千石撫子の無意識のアピールが最終兵器になるのかと女の勘で勘付いたらしい神原駿河。すっぽんぽんではなかったけれどもそれなりに露出のたっぷりな格好で迫っても人生ゲームでは相手をクラクラさせられない。対して撫子がいっしょにやってみせたのツイスター。それもあんな格好やそんな格好を見せつけて脳内に刻まれたその艶姿が、ひょんなことから甦った時に阿良々木暦はその悩殺さに脳殺されるんだ。おそろしいなあ。個人的には中身は同じで周りがチアキ・クリハラだったらさらに嬉しいんだけれど。蹴られるか。

 けどでもそんなことをしたら、もっと恐ろしいものが迫ってくるんだ、戦場ヶ原いひたぎさん。カッターナイフにコンパスに三角定規に消しゴム、ってそれ恐いのか、使いように寄っては、1万個も落とされれば埋もれて死にます。そんながはらさんこと戦場ヶ原ひたぎの恐ろしさについては神原駿河も、暦でさえも熟知していたみたいだけれどもしょせんはやっぱりたたの人間、妹のために本気だした暦が相手では叶わないというのかそれとも。ちょっとだけ前進した「偽物語」の次回やいかに。また戯れ言がいっぱい繰り広げられる中に悩殺ポーズが満載なんだろうなあ。そんなアニメでも人は買う。そんなアニメだからこそ人は買う。アニメビジネスって難しい。

 「マンガ大賞2012」も最終候補のノミネートが出たんであれやこれやと読んでみる日々。とりあえず石井あゆみ「信長協奏曲」を読んだけれどもやっぱり面白いなあ、それは織田信長の下克上な生涯ってものがもとから圧倒的に面白いんだけれど、そんな世界に落っこちてしまった少年が飄々としながら信長をやってのけてしまっているところが、気楽で楽しくって共感できてしまうんだろう。これが熱血で苦心惨憺の上に信長であろうとしたらやっぱり息苦しくって仕方がないし、歴史に逆らおうとして訳の分からない方向に行ってしまってもやっぱり信長らしさを失ってしまってついてけなくなってしまうから。

 あと出てくる女性キャストの描かれ方も言いのかな、濃姫って呼ばれてた帰蝶とか、妹のお市とか。それなりに人間性が出ていてとっても愉快。朽木の砦で出会った妹もなかなかの可愛らしさ。そんなキャラの魅力もこれあってついつい引き込まれてしまう。じゃあ「マンガ大賞」かっていうとそれもありそうだけれどでも、ひっかかるのややっぱり他に類例が幾つもあるってことかなあ、古くは「戦国自衛隊」があったしライトノベルでも「織田信奈の野望」って少年がタイムスリップして女性の信長に出会うって話しがる。それはただ性別を変更しただけじゃなくって第六天魔王と畏れられた信長が、弟を殺害して誰も彼も虐げそして魔王として君臨していくんじゃなく、別の生き方を模索しながらそれでいて信長であり続けるにはどうすればいいかって疑問への手探りながらの回答を見せてくれている。ちょっと目新しい。

 たぶん「信長協奏曲」はこのまま歴史をなぞるように進んでは、その過程で未来から来た男らしい判断が世に残る事件の裏にあったってことにされていくんだろうけれど、でもやっぱり本能寺の変は超えられない。そして秀吉の天下取りも。そこをどういう理屈で見せるのか。あるいは違う顛末を考えているのか。そんなあたりの結末の付け方で、評価もいろいろ代わってきそう。まずは仕上げをご覧じろ。それから判断したいけれども8巻までの規約を超えてしまうかなあ。あと2冊は見てみたいなあ。

 丸の内の丸善ではずっと前からオススメマンガに挙がっていた新川直司さんの「四月は君の嘘」も読んでなるほどこれも受けそうな話だと納得。今はもう引けなくなったかつての天才ピアノ少年が、天才バイオリン少女と出会って変わるかどうかってストーリーで相手のバイオリン少女が見かけによらず毒舌で豪快なところが多くの人の目に受けそう。ピアノ少年の引けない理由が単純に母親を失ったことなのか、そんな母親に強制されていたことが枷を外され目標を失ってしまったからなのか、分からないところがあるけれどもまあ天才に引っ張られ、立ち直っていくんだろう。けど気になるバイオリン少女の体調。音楽物なら指揮者の女の子の天才ぶりが炸裂する「天にひびき」があるし、声が凄い少年が主人好悪「少年ノート」もあって戦国模様。そこから突出しているかっていうと迷うところ。やっぱり続きを読んでみたいなあ。どこが目標になるのかな。

 それはだから極めて意識的で、とてもじゃないけれども全国紙を標榜する新聞が1面の頭に持っていって良い話ではないんだけれどもそれを平気でやってしまうところが、恣意性をのみ拠り所にして狭い範囲からの熱い支持を得て、それを狭いのぞき穴から見て大きな支持だと思いたがってる人たちが、作っている新聞らしいといったところか。外から来た人が集まってにぎわいが大変だというなら、原宿の竹下通りの方が日本のみならず海外からも大勢の人が着て大変な混雑を連日引き起こしていたりするし、危険性だったら一時の渋谷とか六本木といった繁華街、あるいは秋葉原のちょっと閑散とした場所なんてのも、危険がいっぱい満ちていた。

 アンダーグラウンドとの繋がりだったらすぐそばに東洋一の歌舞伎町がありながら、なぜに敢えて新大久保なのか。つまるところはそうした傾向への反意をのみ、尊び喜びたがる面々への顔見せ的な態度であって決して日本の多くの国民が、知りたいと思っていることでも憤っていることでもない。にもかかわらずやってしまう。それを書いてしまう方も方なら乗せてしまう方も方。互いに狭いのぞき穴をのぞきあって見えるコップの中の絶賛を、得て良かった良かったと言いたいだろう。けどしょせんはコップの中。体勢ではだから見逃され見飽きられていった結果が既に。困ったものだけれどもでもしょうがない、それが選んだ道なんだから。


【1月22日】 東洋史を専攻した割には唐の王朝がどんな感じに立ち上がっては誰が皇帝になったかって記憶があんまりなくって、後で李淵ってのがいて王朝を作りその次を李世民が継いだって言われてああそうだったかなと思い出したものの、その李世民がどうやって後を継いだかってことまでは覚えていなかったというか習ったかどうかも定かじゃない。歴史によればどうやら李世民は長兄ではなくって立太子はされてなくって遠くの王様に報じられていたみたいだけれども、そこからいろいろと画策して、兄の李健成を殺してその一族も皆殺しにして自分が後を継いだってことになっている様子。長い歴史を見ればそんなことはよくあって、戦国時代の織田信長だって母親の覚えが目出度い弟を排除して自分の地位を確かなものにした。それが権力を握るということだ。

 とはいえやっぱり怨みを買うのも当然で、兄を殺したんじゃないかと言われた鎌倉幕府の3代将軍、源実朝は兄の源頼家の息子、公暁によって鎌倉にある鶴ヶ丘八幡宮の階段の下で暗殺されて命を落とした。そのまま源氏の血筋は途絶えて後は執権の北条氏が実験を握って幕府を差配していったところからどうやら、簒奪を狙っていらぬことを吹き込んだんじゃないかって、そんな話も伝わっているけれどもともあれそうしたことが日常茶飯事な世の歴史。李世民だってあるいはそうした怨みを誰かに買っていた可能性もある。もちろん一族郎党皆殺しにされたってのが本当の歴史だれどもイフが付き物なのもやっぱり歴史。兄に娘がいたら。それが逃げ出したら。そして復讐を誓っていたら。夏達の「長歌行」(集英社)とはだからそんなイフを形にして描いた漫画だ。

 幼い頃から聡明な上にお転婆で、歴史に学び軍学を修めつつ体術の類にも長けていたという姫は、父親が李世民に討たれた際に馬車に乗せられ落ち延びさせようと送り出されたものの追っ手は厳しくすぐそこに迫ったその時、馬車から馬だけを放ち駆っては谷を越えて見事に逃げ延び追っ手の将軍、かつての師を感嘆させる。そして将軍は戻り姫は死んだと報告するものの、そうやってただ逃げ出しただけではなかった姫は身を男の姿に変え、長安へと舞い戻っては父母に参り、家宰に生存を見せて復讐を誓った上で都を離れ、遠方にある太守の下に軍師として潜り込んでは特窟を相手に戦果を挙げてその身をひとまず安泰に置く。いずれ始まる復讐の物語。その前にまだあった紆余曲折が彼女をどうかえるのか。そして瞬間のイフはあっても結果は厳然としてある李世民から続く歴史の中に、どんな存在の跡を刻んでいくのか。「誰も知らない 子不語」で山間の伝承を端正に描いた夏達が、一変して描く血と知の混じり合った壮大な絵巻。展開が楽しみ。アニメ化とかしないかなあ。

 「マンガ大賞2012」の最終ノミネートも発表になってさあ読まなきゃを本屋に買いに走る日々。去年は「花のズボラ飯」とかヤマシタトモコさんのとかが品切れになってて手に入りづらかったけれども今年のは割にまだ書店の店頭に並んでいそうで揃えてどうにかサブカル系コーナー最後の掲載に間に合わせて紹介できそうな感じ。とはいえ書店によっては漫画の品揃えも偏っていて揃わないところも結構ありそう。石黒正数さんの「外天楼」とか実際あんまり見かけないしなあ、ちなみに船橋にあるときわ書房船橋本店はなぜか漫画売り場ではなくミステリーの書籍売り場に山積み。そんなミステリーかと思ったら冒頭は確かにミステリーで、エロ本の束をめぐる誰が読んでどうしてそうなったか、なんて推理を小学生の子どもたちがめぐらせるちょっとエロスでコミカルでシニカルな話だったけれどもそれがそうなるとは驚いた。いやあ驚いた。ロボットの、人工生命の倫理と論理に行くんだもなあ。その意味ではSFでもありミステリでもある「外天楼」。最有力候補か。

 読んだらカツ丼が食べたくなったんで本の買い出しに行った池袋の地下にあるスタンドでかっこんでから渋谷へと向かって「和装侍系音楽集団MYST.」のワンマンライブを見る。デザインフェスタで見かけてファンになって筑波のショッピングモールでの演奏も見に行ったりもしたけれどもギターと簡単なパーカッションだけで聞かせてもそれなりに響いて格好いいサウンドが、バンドになってギター2本にドラム2台にベースも加わりお庭番まで参加したライブは煌びやかで重厚で、そこにスタイリッシュでメロディアスなサウンドが奏でられた上にボーカルのハイトーンボイスが乗ったライブはただいひたすらに最強。これでどーしてインディーズな活動をしてるんだ、昔だったらイカ天に出てそれこそグランドチャンピオンに輝き氏神一番さん率いるカブキロックスみたいなスタアとなって世に大きく広まったはずなんだけれど今の音楽状況、そしてテレビの状況はそういうことを許さない。代わって登場したのはyoutubeなりニコニコ動画。そこでのヒットがスタアへと繋がるかは微妙だけれどそれでも出て広まって欲しいなあ。とうわけで最新ライブの様子を見て感じて。

 お庭番って何のことかって言ったらそれはお庭番としか言い様がないくらいにお庭番したお庭番がライブの前説としてまず登場。忍者みたいな装束な割におへそとか、腕とか脚とか出した姿で笑顔でもって観客を煽りそして本番に牌ってからもステージ上で腕を振り上げ両手を打ってみせたその挙がった腕の付け根に丸出しになった両脇が、どうにもセクシーだったりして目がそっちに一瞬向かってしまたけれども始まったライブの迫力のサウンドにすぐ圧倒され2曲でお庭番ちゃんも下がったこともあってあとは一気呵成の前半後半。最初にちらっとだけ聞かせてこれで終わりかと思った「夢を見る間に抱きしめて」も本番のラストにしっかりと演じて聞かせてくれてやっぱり素晴らしかった最高だった。その切ないメロディー、そして印象深いサビをかは例えば「るろうに剣心」とか、「BLEACH」といった侍系なアニメのエンディングとかに絶対向いているって思うんだけれどあそこはソニーしか使わないからなあ、でもそういうところに使われて広まって欲しいなあ。当人たちが1番だけれどカバーでも、そして当人たちにスポットも、なんて手はないかなあ、ないなあ僕では何も出来ないもう何も。

 一所懸命にライブやってるMYST.の面々とか、名前を伊藤友里恵さんといって殺陣とかをするらしくって時代関連のイベントなんかにも出ているらしいお庭番ちゃんとかを見ていると、やりたいことをやってやれている姿がとってもとっても羨ましい。そしてそれが認められて世に出ていく姿を見るのがとっても嬉しい。やりたことはやったけれどもそれがまったく世に、じゃなかった世には受けても内には厄介者扱いされてあしらわれ、内にばっかり大受けする大見得切ったような中身すっからかんで穴だらけの言説ばかりが蔓延る空間で、他人がそれをすれば激しく誹る癖に自分たちは治外法権にあるかのごとくにやって平気な顔をして、良心すら炒めない輩の合間にいるのはなかなかに神経が摩耗する。というよりすでに切れかかっている中で果たして保つのかその時までに。保たせるけど。というか真っ当に転じてくれれば問題ないんだけれどむしろ脳天逆落とし、ひたすらに滝壺に向かって進んでいる感じだからなあ。あとはどうどうと流れ落ちる水の底、見えるのは屍ばかりなり。


【1月21日】 ちゃりこちんぷい、っていったいどういうフレーズだって思ったけれども、どうやらブルーズを究めると、そんな音だかリズムだかが耳に響いてくるようになるらしいって玉置勉強さんが漫画を描いて、坂井音太さんが原作をやってる「ちゃりこちんぷい」(集英社)を読んで教えられた。高校で軽音楽部みたいなところに所属している黒田ことチョコだったけれど、先輩たちは音楽を究めようってよりは、学園祭でどれだけうけるかが重要みたいであんまり音楽熱を燃やしてくれない。当人がいったいどれだけ凄いのかは分からないけど、そんな空気に嫌気を感じて部室を飛び出したチョコが、ふと通りかかった第二音楽室の前で流れてくる激しいギターの音を聞いた。

 それがブルーズ。聞き惚れたチョコは部活を止める宣言し、そして第二音楽室の前に戻って中に飛び込むと、そこには女子高生が3人いて、1人がピアノを弾いて1人がギターを弾いていたけど演奏がぴたっと止まってしまった。まれ、っていう名のギター少女はとっても人見知りが激しくて、いっしょにつるんでいるチョコとは幼なじみのマキミキと、それからピアノを弾いてた本当は委員長じゃないけれどそう見えるインチョーの前でしか、自分の音楽を奏でられないという。だから部活にして人前で演奏することもなく時間のある時に集まってダベって演奏してた。セッションしたいと飛び込んだチョコの申し出は当然即却下。それでも食い下がるチョコの熱意か、そこに居ることは認められてそして3人の少女とチョコのブルーズをめぐる物語は幕を明ける。

 普通に学生やていそうに見えてまれもマキミキもインチョーも、どこかクラスに居場所を感じられずにいて、だからそこから飛び出て3人でつるんでいる。普通だったらいじめられたりいじられたり、落ち込んだりひきこもったり不良になったりするような3人なのに、そうはならないのは音楽が、ブルーズがあったから。心底から抑圧された人たちの心からわき上がったブルーズに、たかだか学校生活のモヤモヤとした日常に嫌気が差したからといてすがっていいのかってところは迷うけれども学生にとって学校だけが日常のすべて、あるいは世界のすべて。そこに居場所がないのはすなわち生きている今に明日がないのと同じかもしれない。それを癒し解放して導いてくれるブルーズに、惹かれたのも当然か。

 語られるブルーズの歴史や音楽の話からいろいろと学べるストーリー。マキミキもあれでブルーズハープをちゃんと激しく吹きこなすんだ。チョコよりやっぱり凄いかも。そしてひとりどこか空回りしているチョコもチョコで、狂言回し的に3人の女の子たちの見かけに寄らない深刻さを浮かび上がらせ晴らしていく役割を果たす。もしも4人がセッションをして何かを聞かせようとしたときに、多くが共感を抱くのかやっぱりそんなに感じていない抑圧のはけ口としてのブルーズに、背を向けてしまうのか。でもまあ満ち足りたと思っているようで案外に鬱屈しているのが今の若者、本気で叩かれる太鼓の音に鼓動を煽られ爆発し、発散してそしてその殻を突き破ってくれるかも。これからも読んでいこう。聞いてみようかな。

 せっかくだからと幕張メッセの「次世代ワールドホビーフェア」に取材に行ったらカメラが電池切れで使えなかったけれどもその一方でこれは撮っておかなくっちゃと衝動をもたらすような新しい玩具に出合えなかっのであんまり気にはならなかったというか。昔だったらこれなんだこれから来るかもって驚きと興奮で会場をめぐっていたんだけれど今回、あるのは今までにすでにあってそして流行しているもの。そこに大勢の子供が集まって熱中している姿はそれはそれでしっかりと、玩具が定番となって浸透している現れだって思うけれども一方で、いつまでも同じ市場が続かないのがその業界、常に新しさを追求していかないとどこかで息切れが出るもので、だからこそ100も200も新しいアイディアを投入して未来を探るんだけれどそういう動きがあまりなく、そういう可能性を感じさせる商材があまり見えなかった。

 だったら昔はあったのか、っていわれると悩むところではあるけれど、ミニ四駆全盛の時代にダンガンレーサーとか出して次を作ろうとしていたタミヤの姿とかあったし、ビーダマンだってベイブレードだっていきなりすっげえ人気になった訳じゃあない。出してそれから育てていった結果が今だとするならば、やっぱり出さないと育たないと考えるとその根っこに何かボトルネックがあるような気がしないでもない。余裕がないのかな、ブースも例年より小さくて通路に余裕があったからなあ、ていうかタミヤいたっけ? 昔みたいに「コロコロコミック」に情報を載せて漫画とタイアップして展開して流行らせるっていう黄金の方程式が、あんまり利かなくなっているのかなあ。それは少子化の影響なのかコロコロって媒体のパワーが下がっているのか玩具なり編集なりの提案力の停滞があるのか。ちょっと様子を見てみたい。

 アウトレットパークでバッシュを買って帰って家に荷物を置いてそれから秋葉原へと出て有隣堂で能登麻美子さんのサイン会の当否を調べたら外れてた。前後が当選しているのに外れるこの不幸。今年もやっぱりあんまりついてない、ってすでに経済環境からしてついてないからあんまり気にならないか。けどしかしいったいどんな顔をしてどんな声を聞かせてくれるのか、ちょっと近くで感じたかった。でも最近はあの怒鳴り声が耳に強く残っているんでそれこそが能登さんって思ってしまいそう。ささやいてvs怒鳴って。どっちが多いかなあ、ファンの間では。せっかくだからとマンガ大賞関連の候補作もいろいろと購入、少女漫画あるいは女性向けのレーベルがねえ、ってのが特徴か。選ぶ人に男子が多い? それとも女子もレーベルの垣根とか関係成しに漫画読む?うーん。要研究。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


縮刷版一覧へ行く
リウイチのホームページへ戻る
riuichi@can.bekkoame.ne.jpが不安定でメールがリジェクトされる様ならwf9r-tngc@asahi-net.or.jpまたはkha02604@nifty.comまで。