Last Updated 2021/10/24
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
【10月25日】 長い会議を終えて帰ってエル・クラシコまで待機だと思っていたら寝てしまって、起きたら終わってたのでそのままDAZNでF1アメリカGPを見て、ラスト10周で1位のフェルスタッペンを2位のハミルトンが3秒差くらいで追う展開を見守り残り1周で1秒差に迫りながらも追いつけず、フェルスタッペンが勝利して得点差を広げる展開にこれがF1だといった興奮を思い出す。セナとフロストだったら最終コーナーでどちらかがどちらかに突っ込んで差を広げないようにしかなな、などとも思ったけれど、アメリカのサーキットはそうした接触すら許さないくらい幅があってテール・トゥ・ノーズにもサイド・バイ・サイドにもならないのだった。

 テレビでF1が放送されていた頃は、大勢が観ながらネットで実況なんかしたりして盛り上がっていたけれど、今はDAZNが配信してもTwitterで誰もが観て騒いでいる風がないのは、時間が早朝であまり観られていなかったからなのか、F1事態に世間の関心が薄れているからなのか。日本人選手だって走っているけれど中嶋悟選手や鈴木亜久里選手のように、誰もが知ってる名前ではないところにF1ドライバーの地位というか知名度の低下も感じられる。セナ、プロスト、マンセル、ピケにシューマッハーといった選手に匹敵する名前でもないからなあ、フェルスタッペンもハミルトンも。けど世界ではきっと今もF1が人気で、ドライバーも貴族のような稼ぎを得ているんだろう。日本でもそうなる日は再来するのか。来年の鈴鹿次第かなあ。

 そして寝て起きてクリニックに行き薬局で薬をもらいがてら、ドトールで3時間ほど原稿を書いて2000字から300字ほどの予定に3500字くらい書く。そこからまとめに入ろうと船橋中央図書館に行ったら珍しく休館で、仕方なくヴェローチェにこもって文体を整えたり削ったりしてどうにかこうにか全体像をとりまとめる。これにてほぼ完成。2部作なので続きは明日書いて〆切に間に合わせたいものであるものの、数日前から胃腸の調子から寒さから崩れているので、暖を求めて電気毛布に火を入れた布団に潜り込んで眠りこけて、気がつくと木曜日になって〆切りを吹っ飛ばしていたりするかもしれないので用心が肝心。

 帰りがけに衆議院議員選挙の不在者投票に立ち寄る。選挙区では野田佳彦元総理と自民党の誰かが立候補していたりして一騎打ちの状況。ほかの誰も立候補していないのは立ち入る隙がないってことなのか。そこに割り込んだところで名前を広めることすら叶わないってことなのか。どちらが当選しても落選しても比例の方で救われるだろうから緊張感もなさそう。そういう意味で小選挙区比例代表並立制は投票への意欲をユルくする制度だとも言えるけれど、昔のように中選挙区にして多くの政党から選べるようになると今度は同じ政党から何人も出て議席をぶんどることもあり得るだけに難しい。何が最適な選挙制度か答えは誰にも出せないのだろうなあ。

 ようやくやっと「サンデーGX」の2021年11月号に掲載された「BLACK LAGOON」を読む。フランスの民兵組織SACに所属する非合法部隊「五本指」として黒人の大男こと「ラ・ムッシュ」を探しに来た若い女性のガンマンたちが裏切った仲間に裏切られてはハメられて、誘い込まれたクラブでこともあろうにバラライカたちの待ち伏せにあって戦闘状態。かなうはずもない相手だけに無常にも1人また1人と倒れていく様に容赦のなさって奴をみる。

 裏切ったルマジュールは現場を離れたようだけれど、今はまだ生き残っているロリキュレールがあとを追っているからもう一騒動あるのかも。それはそれとして「ラ・ムッシュ」とダッチとの関係も気になるところ。ベトナム帰還兵ではなさそうなことはロベルタ逆襲編の中でキャクストンたちから示唆されていたけれど、それが明かされるのかそれとも闇に葬られるのか。レヴィだったらどっちだってダッチはダッチって割り切るだろうけど勢力図とも関わる話にロックはいろいろ考えそう。そこから生まれる亀裂がラグーン商会を崩壊に導くとか、あるのかなあ。毎号掲載ではないだけに次はいつ読めるのか。ともあれ近づくエピソードのラストに備えよう。


【10月24日】 「薬屋のひとりごと」の日向夏さんがMF文庫Jから出したあ「迷探偵の条件1」は表紙に描かれた美少女はとりあえず無視して大丈夫。主人公は真丘陸という少年で、18歳の誕生日になるまでに運命の女性と出会わなければ必ず死ぬという家系にあって17歳の誕生日を迎え、残る期間はあと1年と追い込まれている。女性に縁がない訳ではない。通っていた幼稚園ではふわふわとした美少女に手にハサミを持った姿で迫られ、小学校ではバレンタインデーに髪と爪が入ったチョコレートを贈られた。

 中学生の時には電車でお近づきになりたいと思ったらしい女性から痴漢の冤罪をかけられた。でもそうした“縁”は真丘家に伝わる“引き寄せ体質”というもうひとつの家系によるもの。その中に運命の相手がいても、やっぱり命は保ちそうもない。だからこそ本当に愛し愛される関係の相手を見つけなければならない陸が、残る1年を始めようと登校した高校で、さらにもうひとつの真丘家の体質が発動する。それが超探偵体質。クラスのイベント補助委員に任命された陸が準備と運営を手伝った部活の活動発表会の当日、学校でも嫌われものだった教師が首を吊った姿で発見された。

 自殺かそれとも、というところで発揮される陸の推理はきわめてオーソドックス。アリバイやプロファイルから犯行が不可能な人を除き、残る容疑者から動機を推察してものの見事に犯人を言い当てる。街を歩いている時にすぐそばに女性が落ちてきた事件でも、学校の化学教師が自殺を試みようとした事件でも、しっかりと解決への道筋を立てる名推理ぶり。そのかたわらにユキという幼なじみの同級生が寄り添い、良い関係を見せて文芸部の部長をキュンキュンとさせているけど実は男装した女子だということは早々に明らかにされている。だったら運命の相手かというと……というあたりも気になるところ。違うということはつまり……といった興味も含めて入り組んだ関係性の中、誰が本当の運命の相手かを探る展開も楽しめそう。陸は18歳の誕生日を迎えられるのか。続きが楽しみ。

 吸血鬼が滅びかけた世界をバイクで旅する物語が早見慎司さんの「死なないセレンの昼と夜―世界の終わり、旅する吸血鬼―」(電撃文庫)。世界で雨が降らなくなって数世紀、海は干上がり地下水として循環している水は貴重な資源となって人々の暮らしを縛っている。そんな世界にあってバイクを転がし移動式のカフェを営みながら旅している少女がいた。名をセレン。その日も旅をしていた途中、派手なメタルをガン鳴らして移動するトラックと出会って陽気な交歓をしばし繰り広げる。そして別れたセレンの横を不穏な輩が走り去ったトラックの方へと向かっていった。

 嫌な予感は当たったけれどもそこで発揮される“夜”のセレンの本性。知らずトラブルに巻き込まれては解決していく旅を描いたロードムービー的なストーリーがそこから繰り出されていく。海がなくて雨が降らない世界が大気圏を維持したまま干上がらず滅びないのは謎だけれどもそうしたシチュエーションを設定した上で、水をめぐって起こる騒動や衰退した文明の中で生きる難しさを描きつつ、セレンという“超人”の活躍を際立たせる効果はあるから、ひとつのファンタジーとして読むのが良さそう。コーヒー豆はどこから手に入れているんだろうか。そこはやっぱり気になるなあ。

 昼過ぎから銀座へと出て久々の対面による会議を4時間ばかり。存在に対して数人で見解を示すような展開の中で山ほどの対象があってもやっぱり見解が一致するのは同じなんだなあというのが分かって安心する。それぞれが違った技術や出自を持ってポリシーも違っているにもかかわらず、ほぼほぼ同じような見解になったのはそれだけ対象に普遍の要素があったからなのか、どちらかといえばアウェイな立場でありながらもホームの側に近い感覚が情勢されていたと思うべきなのか。そこは分からないけれどもとりあえずこの数カ月間、携わってきた仕事が終わって次ぎへと回せたのでホッと一安心。あとは任せたと言って次の仕事へと手を向けよう。締めきりも迫っているし。


【10月23日】 岡山でパワハラから自殺者を出したテレビ局と同じネットワークに属する山形のテレビ局でやっぱりパワハラによってアナウンサーが休職に追い込まれ、そして過去に大勢の人が退職していることが週刊文春によって報じられている。系列が同じだからといって資本構成も人員の言われもまるで違っているから関連性はないんだろうけれど、一方で同時多発的に似たようなことが起こるのはテレビ局という業態が持っている体質なのか、それとも同じ系列故に抱える経営面での課題が噴出したからなのか。いろいろと考えてしまう。

 どうしてそういう事態が起こるのかをパワハラの主に直撃していて、答えがちょっと可愛がっただけといった感じにまるで反省していないところがなかなか厄介。昔はそうだったという言い訳が通用しない時代になっているにも関わらず、そのことを分かっていない感じは現代において絶望的ともいえる心証なだけに、今後同じ様な問題が噴出してくるだろう。系列の元締めも相次ぐ似たような事態が昨今の視聴率の停滞を余計に強める可能性もあるのなら、いろいろと指導も入っていくんじゃなかろうか。それすらなかったら万年4位に落ちてしまったかつての1位はさらに5位へと落ちてしまう可能性もありそう。そんな時に系列の新聞はどうなる? そちらは考えたくもないなあ。

 竜王戦に臨んでいる藤井聡太三冠が豊島将之竜王に勝って2連勝。あと2つ勝てば竜王位という現時点で将棋界の最高位に就き白鳥士郎さんのライトノベル「りゅうおうのおしごと」の九頭竜八一が達成した最年少竜王の“記録”を現実世界で塗り替えることに確かなるんじゃなかったっけ。有り得ないからこそのライトノベルのことごとくを打ち破ってきた藤井三冠ならではの偉業。そしてさらなる戴冠もあり得るこの状況をいったい誰が予想できただろう。羽生九段が見せた強さはたしかに凄まじくってマジック連発が取り沙汰されたけれど、藤井三冠の場合は最初から最後まで強いというその差を誰か、解説してくれないかなあ。

 観た。怖かった。中川奈月監督による映画「彼女はひとり」。橋から川へと飛び降りる自殺未遂した少女が生還した後、幼馴染の少年を恐喝し始める。少女には先に自殺した幼馴染の少女の幽霊が見えている。少女と幼馴染の少年には彼女がいながら実は学校の女性教師と関係を持っている。少女の父親は娘を心配してそうで実は空っぽ。話していても目を合わせようとしない。そんな状況の中、少女は平静を保っているようで内心は怒って影ながら非道を繰り広げる。

 誰ひとりとして正義だという基準からの共感を抱けない、どこか歪んだ人たちばかりによって繰り広げられる関係性。誰を応援したらいいのかわからないもやもやとした感情の中を、引きずり込まれて振り回せるようなストーリー。ひとり少年が付き合っていた女子高生だけがけなげでいい人だったけれど、だからといって報われるわけではないところが寂しい。ヒーローなりヒロインなりを立てるにしても、カウンターとして悪役を描くにしても対比となる悪なり正義があってこそ二項対立が物語を支えるものだけれど、現実はそんな風に割り切れるものではない。そんな現実を生きるということを教えてくれる映画なのかもしれない。

 水田陽さんの「ロストマンの弾丸」(ガガガ文庫)は壊滅した東京が外国の勢力に牛耳られるようになった世界線の上、ロストマンズ・キャンプと呼ばれるようになった東京で義賊のように活動する少女がいた。「ピークヘッド」という異名を取る彼女は10年前に母親がギャングの抗争に巻き込まれて死んだ事件の犯人に相当するマフィアの幹部、ヴィトーに近づこうとして対立する組織の相談役と接触する。異能バトル的な要素もあるけれど、構造としてはギャングの抗争の間で望むものを手に入れようとあがく少女の疾走が描かれる。ギャングにも苦悩があって生きていく厳しさというものを教えられる作品。ヴィクトーという重要なピースを欠いてロストマンズ・キャンプはどこへと向かう? 続刊があれば読んで見たい。


【10月22日】 肩が痛いのは五十肩などでは決してなくて、カット袋が入った箱を40個くらい持ち上げたり降ろしたり、カット袋を箱から取りだしてバーコードをスキャンしていく作業を2000カットくらい進める中でカット袋が入った箱を、30箱くらい持ち上げたりひっくり返したり降ろしたりしたからだと思うけれど、それならどうして両肩に来ないのかと言われると、謎めくのでやっぱりただの五十肩なのかもしれない。それか最近の寝相が腕を真下に降ろすのではなく、頭の方向に持っていってバンザイしている感じになっているからなのだろうか。ベッドの両脇に積んだ方がだんだんと体に迫って来て、体の横に添えるように下ろせないからなのだった。困ったなあ。

 ニトリあたりで家具の値段が上がっているそうで、ネットからの情報によればどうやら海外からの木材の輸入が止まっている関係で、原材料費が値上がりして製品の値段にも影響しているのだとか。間伐材の問題とかあって国内で木材が余っているような印象もあるけれど、コスト的にはやっぱり高くなるから代わりに使うということもできないのだろう。切り出して製材する必要もあるし。だったらもっと手っ取り早く木材を入手する方法として、千駄ヶ谷と信濃町に作られた巨大な建物とかあまり意味もなく木材が大量に使われているそうなので、引きはがして提供すれば結構な値段になって向こう1年2年の運営費くらい賄えるのではなかろうか。あれだけあればどれだけの机や箪笥が作れるか。ちょっとワクワク。

 毎日新聞がジャーナリストの青木理さんの寄稿という形で、ネットを使って自民党を称揚しつつ反対の勢力をこき下ろしていた「Dappi」というツイッターアカウントに関するコラムを掲載している。いよいよ毎日新聞も取り扱うことにしたんだと言えるけれど、「現時点で本紙は報じていないので、各メディアの報道から経緯を振り返っておけば」という言葉にあるとおり、本紙が主体的に“報道”した訳ではないところがどうにも引っかかる。有料の記事で途中まで読めないから、毎日新聞に対してどうして報じないのかと尋ねているかは分からないけれど、少なくともこのコラムが出るまで態度を保留していたという事実は消えない。青木さんを使ってアリバイ作りをしているようにしか見えない。

 選挙期間中だから特定政党をこき下ろすような記事は掲載できないという状況から、青木さんをコラムに登場させて「疑惑浮上の発端は野党議員による訴訟。16万人以上のフォロワーを持つ同アカウントが与党を賛美し、野党を罵倒する投稿を繰り返したばかりか、なかには完全なデマや歪曲情報が含まれていたため野党議員が名誉毀損だと訴え、裁判所も発信者情報の開示を命じたのです」という言葉とともに与党の情報操作を指摘したものだと言えなくもない。でも選挙に突入する前に事態は発覚していた訳で、その間に何も動かなかったのが実際の所。そうした大手メディアの及び腰はいったい何に遠慮したものなのか。そんな思いを抱かせる記事に登場して免罪符役を務める青木さんのスタンスにももやもやとした思いが浮かぶ。メディアって何だ。

 図書館で3時間ほど書きものをして、それからサイゼリヤでランチのパスタをかきこみながら2時間ほど書きものをしたあと、イオンシネマ市川妙典へと出向いて「ロン 僕のポンコツ・ボット」を見る。とりあえずティム・クックめいたやつが発明者の思いを汲まずユーザーの気持ちも無視して儲けに走ってやっつけられていて痛快だった。これはつまりはマーケティング志向で益体もない製品ばかり出されててはガッカリさせられ続けているアップルユーザーの気持ちを代弁する映画なのかもしれない。どうだろう。

 チョコエッグに入っているカプセルがもっと大きくなったような形をしているボットなるマシーンはネットワークにつながっていてユーザーに関する趣味嗜好から交流関係まで含めてすべてを把握した上で、ユーザーの半ばエージェントとなって寄り添っては趣味嗜好がマッチする友だちを探して結びつけてくれる機能でもってたちまちのうちに大ヒット商品となっていく。

 乗りものにもなってバイク的だったりスケボー的だったり使うことも可能。マシーンどうしたくっついて大きくなったりするあたり、どういう機構なのかが気になるけれどもランカ・リーが持ってる携帯端末みたいなものなのかもしれない。あれもぐにゃぐにゃ変形していろいろなものになっていたから。そんなボットがあることで学校に通う子供たちは誰かとつながって昼休みとか楽しく過ごしていたけれど、ひとりバーニーはブルガリア移民の子で陽気だけれど頭が古い祖母と、そしてネットを使い玩具を売り込んでいる父親の下でボットを持てず、誰とも友だちが作れないままでいた。

 そんなバーニーを見かねた祖母と父親が、どこかから手に入れてきたボットは最初からどこか奇妙で、ネットに繋がらず言動はメチャクチャ。仕方なくバーニーはロンと名付けたボットに対して「友だち」とは何かを教え込んでいく。最初は理解もせず振り回されていたバーニーだったけど、だんだんと仲良くなっていく過程はなるほど友だちというものができる過程に似ている。喧嘩もするけど仲直りもする。それは絶対服従の他のボットにはない機能だった。

 そうなのだ。「友だち」だというボットだけれどしょせんは自分の分身に過ぎない。そんな分身を通して誰とでも繋がれて、そしていろいろと自分を発信して世間からイイネをもらおうともそんなものは拡張された自分のワールドでしかなく、誰かのワールドと重なっていたとしても繋がったとは言えない。そしてボットとの関係も主従であって対等ではない。ロンは違う。他の誰ともつながれないけれど、バーニーとは向かいあってそして繋がりを作り上げようとした。そんな姿にこそ本当に作りたかったものを感じた開発者をよそに、ティム・クックめいた共同経営者はユーザーをプロファイリングして物を売りつけるツールとして広げようと画策する。

 そして起こる対立。始まる逃避行。その先に来る別離からの再会という感動を与えてくれるストーリーを見終わると、ボッチの自分にとって欠けているものが何かが見えて来るし、ネットなんかを使って自分の日常を切り売りしてイイネをいっぱいもらったところで、そこに繋がりなんかないんだということも感じられるようになる。かといって実際に友だちを得ようとしてもボットはないし、人と知り合える機会もない時にどうやって友だちというものを見つければ良いのだろう。自分を持つこと。それを偽らないで出していくこと。その積み重ねがいつか分かってくれる人に出会う機会をもたらすだろうと信じて。


【10月21日】 山猫総合研究所と名乗るシンクタンクなら、やっぱりアンケートの冒頭に「質問はずいぶん保守寄りですがどうか一々こらえて下さい」と書いてこれはどういった趣旨やら志向やらで行われているかを名明示して欲しいもの。そして数々の設問の最後に「いろいろ質問が保守寄りでうざかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかか日米同盟と財政再建と嫌韓反中の思想を頭にたくさんもみ込んでください」と書いておいてこそ、くすりとした笑いを醸し出しつつ保守的でありリバタリアニズムであることを誇りに思えるような気持ちになてる。

 政治学者の三浦瑠麗さんが代表を務めるその名も山猫総合研究所というシンクタンクが、今回の総選挙に向けて実施しているアンケートが何かと話題になっている。設問のことごとくがいわゆるリベラレルだったり積極財政だったりアジア友好だったり平和主義といった戦後の日本がとりわけ大切にしてきた信条であり、故に発展を成就できた主義のことごとくについてそれを否定するような文言を設問にして、どうかと尋ねて「そうだと思う」と答えがちな方向へと誘導しているとのこと。実際に読むと日米同盟は強化すべきだとか防衛費は増やすべきだとか中国は領土的野心を持っているといった設問で、イエスと答えやすいようになっている。

 そうは思わないなら「そうは思わない」と答えれば良いだけなんだけれど、人はアンケートだと何となくイエスと答えたくなるらしい。そうした傾向を取り入れつつ「領土的野心」といった言葉で嫌悪感を惹起してそのとおりだと答えたがるようにしていつところがなかなかに厄介。なおかつ出て来た答えで財政を積極的に投入して困っている人を救ったり、企業なんかを助けたりする国の役目を肯定するような答え方をした人を、「経済的ポピュリズム」と呼んで何か悪い考えかのように印象づける。

 対する財政緊縮派は「経済的リアリズム」となるんだけれどそれは現実主義というよりリバタリアニムズであって個人に自由と責任を押しつけ弱者を虐げるものとなる。けどそうした印象を覆ってリアリストであると讃えるような言い回しは受け止め方に相当な誤解を招くだろう。そうした“仕掛け”をたっぷりと施したアンケートを実施して結果をどのように使いたいのかと考えると、やっぱり「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それとも保守はお嫌きらいですか。そんならこれから日章旗を立てて愛国者にしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい」といった具合に趨勢を判断するんだろうか。逃げようにも吠える犬もいない中、雰囲気がけが作られて行く。やれやれだ。

 サンライズの本社移転に絡むようにバンダイナムコホールディングスが参加の映像とかライブエンターテインメントの会社を統合整理するらしく、まずはサンライズが存続会社となってバンダイナムコアーツから映像部門を譲渡される予定とか。社名が決まっていないらしく、いろいろと考えたけれどもここはやっぱりバンダイナムコサンライズとでもすれば社員もグループに属している上にサンライズという日本が誇るアニメーション会社の名前を名乗れて良いんじゃないのかなあ、それともやっぱりバンダイナムコガンダムとか? 具体的な作品名を入れるのは止した方が良いでしょう。

 一方でバンダイナムコアーツはライブ事業や音楽事業なかを行っている会社を吸収。こちらも社名が決まってないならかつて存在したブランド名を復活させてバンダイナムコランティスでいかが。分かりやすいし伝わりやすい。バンダイナムコレイジーではちょっと遠いしバンダイナムコアポロンではさらに訳が分からない。バンダイナムコミュージックは社目にトラウマを持っている人もいるだろうから遠慮ってことでやっぱりここはバンダイナムコランティスで。あるいはバンダイナムコラブライブとか? それだとアイカツ勢やアイマス勢が浮くからちょっと避けた方が良いかもね。モアイマークのエモーションレーベルは継続するのかなあ。


【10月20日】 DAPPIとかいうTwitterアカウントの正体らしい会社の代表が自民党の事務総長の親戚だといって国会やら自民党に出入りしていたことを赤旗が報じるらしくていろいと喧噪。それがただのホラだったらスルーできたんだろうけれど、調査によればその代表は事務総長の親戚が持っている土地に家を建てたのみならず、そのローンを議員会館内にあって普通の人はなかなか入れない銀行の支店に口座を開いて借りているらしいと分かって、ある種の繋がりらしいものが示された格好。

 そうした傍証が果たして確証へと変わるかは裁判次第のところもあるけれど、報道が赤旗止まりなのはやっぱり気に掛かる。選挙に入って特定政党をあげつらうことが難しい情勢なのも分かるけど、国政政党のそれも政権与党が情報操作を行っていたかもしれない重大事を、スルーして良いはずもないだけに選挙とは関係無しにガンガンとやって欲しいもの。とはいえ現実的には無理なら赤旗がひとり突っ走ることになるのかな。モリカケを暴いたNHK記者を迎え入れた大阪日々新聞あたりが気を吐くことってあるのかな。

 蛙田アメコさんの「九龍後宮の探偵妃」(星海社FICTIONS)を読む。街でも噂の屍体好き少女が、乞われて後宮で起こった殺人事件の犯人捜しに乗り出すという内容。後宮もので検屍ものというあたりは角川キャラクター小説大賞を獲得した小野はるかさん「後宮の検屍女官」とも重なるテーマで、冬馬倫さん「宮廷医の娘」(メディアワークス文庫)や日向夏さん「薬屋のひとりごと」(ヒーロー文庫)と合わせて、昨今の後宮が舞台となって医療やら薬剤やらといったものが絡んで事件を解決するライト系の小説ブームをフォローした作品と言えそう。

 屍体好きの少女は紅玉という名で父親は名高い将軍で、尋ねてきた使者が途中で近所の食堂に寄っていたことも、観察からピタリと当ててしまうあたりでなかなかの名探偵だとまず思わせる。そして入った後宮で顔を潰された貴嬪がいったいどういう理由からそんんあ姿になったのかを、犯人らしいと疑われた他の3人の貴嬪が話す内容や、置かれた屍体の状況から見事に推理してのける。

 そんな事件が起こって良いはずがないというシチュエーションから、誘導された答えを言うのかと思ったら結果的には事件ではなかったことも分かって貴媛たちはひとまず安泰。そして紅玉は居残って新たに起こったいくつかの事態に名推理を働かせていくんだけれど、そんな展開を通じて明らかになってくるのが紅玉を後宮に招いた宦官の正体であり、国を治める皇帝にまつわる重大な秘密。紅玉にだって見破れることを他の誰も分からないのかなといった思いは抱くけれども、そうした意外性が結果として誰も不幸にならない道を開いていくれているので読んでホッとさせられる。とても愉快なキャラクターが出落ちみたいな扱いでは勿体ないから。そんなキャラクターたちの活躍なり、秘密を元にした騒動なりが描かれる次があるなら読んでみたい。

 キネマ旬報の最新号に「劇場版 ルパンの娘」のレビューが載ってて宇野惟正さんが「橋本環奈は福田雄一組だけでなく本作でもそのデフォルメ演技が重宝されている」と書き、、北川れい子さんが「唯一笑えたのは、いきなり意味なく現れて、ひとり上機嫌で歌い踊る大貫勇輔」と書き、千浦僚さんが「父親を詰る長兄役の栗原類氏の芝居には訴求力があった」と書いて、出演している役者たちの見どころを紹介している。これは観るしかないだろうと思うかというと、宇野さんは星が1つで北川さんも同じく星1つ。宇野さんは「旬でもない脇役たちの旬でもない小ネタが空回りしているのを延々と見続けていると、さすがに体調が悪くなってくる」と書き北川さんも「慣れれば癖になるのだろうが、慣れた頃には新派悲劇もどきの一族秘話になり、ガクッ」といった感じに辛辣な評価を下してる。

 千浦さんも星3つながら「いまここで展開する映像と音響と演出が薄い」といった感じに誰が求めて映画化されたのかが分からない旨、書いている。それらはすべて真実なので反論はしないけれども一方で橋本環奈さんの愛らしい声やら大貫勇輔さんの圧巻の歌と踊りやら栗原類さんの日本人俳優から大きく離れた顔立ちやらと観るべき役者的なポイントも多々あるだけに、そうしたエッジに増える意味でも観て悪くないかもとだけは言っておこう。太田莉菜さんについて誰も触れてないのはちょっと残念。別れた旦那さんの松田優平さんが再婚した一方で最近、あまり活動がなかっただけにここぞと見せてくれたアクションを観に行くのだ。

 午前1時に寝たらそのま午前10時まで寝てしまって起きて本を読んでペヤングにスイートコーンを半缶分ぶっこんでかき込んで、そして近所のドトールまで出て行って3時間ほど原稿書き。どうにか仕上げて送ってからスーパーでペヤングを買ってマルシンハンバーグと残っていた半缶分のスイートコーンをぶっ込んでお湯をかけてお湯を切ってソースとスパイスとマヨネーズをかけてかき込んだらまた眠くなって午後8時くらいに寝て起きたら午前1時になっていたという、そんな日ってあるよね。こんなに眠たいのは今週初めてだけれどそこまでにいろいろと詰め込んだ情報が脳を働かせすぎて電池切れを起こさせたのかも。休息はとったから明日からはエンジンをかけなおして本を読んで原稿を書いて映画を見ていこう。そして日曜あたりにまた20時間くらい眠るんだ。


【10月19日】 アメリカの統合参謀本部議長にアフリカ系アメリカ甚として初めて着いただけでなく、国務長官にもアフリカ系アメリカ人として初めて就任したコリン・パウエル氏が死去。新型コロナウイルス感染症の合併症というのがいかにも現代らしいけれどもパウエル氏ほどの身分でも治療の甲斐なく亡くなるくらいに恐ろしい病気なんだってことを改めて思い知る。ワクチンの接種を拒否していたとは思えない人だけにやっぱり高齢からくる体力の衰えが響いたのかなあ。軍人として制服組のトップに立ったのなら体は相当に鍛えていたはず。それでも84歳にはキツかったのかもしれない。

 初のアフリカ系アメリカ甚大統領になるという話も出ていたけれどちょっと早かった。登場はバラク・オバマ元大統領を待つしかなかったけど、それでも登場するところがアメリカなんだなあ。その後にトランプ前大統領というトンデモも出てしまうところもアメリカなんだけれど。国務長官ならパウエル氏の前にオルブライトという初の女性国務長官を輩出しているし、コンドリーザ・ライス氏のようにアフリカ系でなおかつ女性の国務長官も登場した。国防長官ではまだ女性はいないけれど、ロイド・オースティン現国防長官が初のアフリカ系アメリカ人として勤めている。

 あとは女性大統領がいつ出るか、ってところだけれども目下の状況では相応しい名前が思い浮かばないなあ。ヒラリー・クリントン氏が最も近かったけどトランプ氏に阻まれた訳で、次はオバマ元大統領夫人あたりが有力か。いずれにしても日本とは段違いに進んでいるアメリカ。日本も女性首相とかいった話が出ているけれども傀儡めいたところがあってどうにも世界に自慢できそうな雰囲気ではない。誰が出て来てもそうした雰囲気を感じてしまう方に意識的な問題があるのかもしれないけれど、現実においてどこか上に媚びた政策しか出してこないから仕方が無い。稲田朋美氏ならあるいはと思うけれど、ところどころライティなのが気になる。斑模様というか。良識と常識をもって日本を引っ張れる女性総理、誰が相応しいだろう。

 第32回東京学生映画祭in東京で「サイダーのように言葉が湧き上がる」が上映されたイシグロキョウヘイ監督、上映後のアニメーション作品で入賞いた監督を交えたトークで今後について話して、「僕は監督をやれるのだったらオリジナルしかやらない」と明言した。「『サイダーのように言葉がわき上がる』を作って初期衝動を思い出した。原作物を監督していても、それを自分の作品だとは思わなかった」というイシグロキョウヘイ監督。「サイダーのように言葉が湧き上がる」で「真っ白なところから作る。それで学生の頃にミュージシャンを目指していた感覚を思い出した」という。

 「もう41歳。やれてあと20年のうちに何本作れるか」。それを考えると「原作物をやっている時間が無い」のだという。「アニメじゃなくても良いと思っている。もっと言うなら今の状態でやってみたいのは作詞家か小説家だ」。どうだい小説を頼んでみる編集者はいないかい。「アニメって個人制作でも色々な人の手が入る」。たとえば第32回東京学生映画祭で上映された石舘波子監督の「わたしのトーチカ」は、声優にあの沢城みゆきさんを起用している。この人しかいないと事務所に打診したら受けてくれたとか。

 だからこそ素晴らしい作品になっているおだけれど、一方で「沢城みゆきさんを声に使うことで奪われる作家性があるのでは」とイシグロキョウヘイ監督は指摘する。「日本一の人を使えば監督以上の物が出てしまうのではないか。そこにモヤモヤする」。そういうものなのか、クリエイターって。ちょっと興味深かった。個人的には総合芸術として絵描きに美術に声優に音楽に演出も含めそれらを統御する監督の作品だと思うのだけれど、源泉となっている自分で自分の何かを表現したいという気持ちに1番近いところに引き寄せたいってことなんだろう。その辺の思いは「ブライト:サムライソウル」に出ているのかな。見てみよう。

 そんな第32回東京学生映画祭はもちろん主役の学生作品とその監督がメインに語っていて、「わたしのトーチカ」についてイシグロキョウヘイ監督が「あそこまで完成度の高いものを見せられるとへこむ。月のとことか6コマ打ちが使われていて、プロのアニメーターでも使う人がいない」と褒めると、石舘さんは「私もともとアニメーターなんです」と答えてプロだったことを教えてイシグロキョウヘイ監督を安心させたのか、それともこの若さでと驚かせたのか。何しろ「ペンギン・ハイウェイ」で作画監督を務め、マクドナルドのCMなんかにも関わり、藝大院を経てNetflixに入ってイメージボード制作チームに参画しと、大活躍中の方なのだ。

 別の意味でイシグロキョウヘイ監督が驚いたのが「Blink in the desert」の副島しのぶさん。元々彫刻科の人で自分の作品を動かそうとして卒制でストップモーションアニメーションを手がけそのまま藝大院アニメーション専攻に来たという流れ。どうりで造形も美術も素晴らしい訳だ。一方の松岡美乃梨さんが手がけた「Destiny」は身の回りの雑貨とか文具とか食品とかを使い動かして絵も描いて動かしながら彼氏が来なくてやきもきして占い師に相談してデートして振ってといった日々を描いた作品。「コロナ下で出られない中作らなくてはいけない」ことからそんなアイデアが生まれたという。制作費5万円は吃驚だ。

 師橋忠生監督の「ミッちゃん」はVR空間でアバターをバーチャルカメラで撮影して描く出会いと会話の向こう側にある切なさを描いた泣けるストーリー。これもまたコロナ下という状況から生まれた作品だと言える。オカダアマネさん「あまねにっき」。日記を破天荒な絵で再構築。イシグロキョウヘイ監督曰く「絵が巧ということがところどころから見える」と『あまねにっき』について讃えていた。プロの監督としてアニメーターさんと接する中で巧い人を見極める眼が巧いと認めた作品はそのうちどこかで見られるでしょう。『わたしのトーチカ』は修了作品展で売られてたUSBに入っているから帰って再確認しよう。


【10月18日】 暴力的な表現が暴力を惹起するからといって、年齢制限や時間制限などのゾーニングを超えて表現として大々的に規制されることはないし、規制しようとする声も起こらない。タバコを吸う姿を格好良く見せるCMこそ放送はされなくなったけれど、映画の中で未だタバコを吸う人は登場していて、それが観る人に喫煙を喚起しかねないからといって表現として規制しようとする声も起こらない。それが表現の自由が保証されたこの国における人々の成熟した立ち居振る舞いであって、その大原則に挑むことはすなわち表現の自由への大いなる挑戦として、独善であり独裁であると糾弾されても仕方が無い。

 児童ポルノが問題視されるのはそれが実在する子供の人権や尊厳を大いに損なっているからであって、性的虐待はもとより搾取にあたる写真集にしても映像にしても規制が入って仕方が無い。ただそうした世界を描いた漫画なりアニメーションなりといったものまで規制するこは、それが官能を刺激して事件を引き起こしかねない懸念があるといっても、やはり規制するのは無理筋だろう。これはこれでそれはそれ。そう理解できる人間に対して提供されているという前提から、年齢などゾーニングの中で頒布されることにまで規制をかけたら、性に限らず暴力であり犯罪でありといった描写があるものはすべてが規制の対象になってしまう。

 日本共産党がここに来てなぜか「児童虐待・性的搾取描写物」という言い方をして、記録ではない描写、すなわち想像の中の出来事を漫画なりアニメーションなりゲーなり文芸によって描写したものにまで規制をかけるべきだと、党の方針の中で示したことに対して表現に勤しむ者たちがいっせいに反発をしたのも、その規制の対象が児童虐待・性的搾取といった範疇に収まらない懸念を持つからに他ならない。今はそれがやり玉に挙げやすい問題であり、実際に共感も得られやすいものであって、もそうした分断して一方を持ち上げつつ一方を落として安心させる手口はいずれ、隣の領域へと手を広げていくことが過去の経験からも感じ取れる。

 だからこそ今の段階で議論し撤回を求めていかないと、他の政策で観るべきところがあっても日本共産党は推せないし、連携している立憲民主党も推せない。それはすなわち自由民主党への消極的な承認から跋扈を許すことにつながる。本当に困った。志位委員長にはこうした身もだえは伝わっているのだろうか。日本共産党自身が表現の不自由さを嫌という言うほど味わって的多党なのに、この一件を放置するのならこれはやはり日本共産党と立憲民主党には今回の総選挙でも党勢を伸ばすことは難しいと言っておこう。残念だが仕方ない。しかしどうしてこのタイミングで多くの反発を買うことを平気でやってきたのかなあ。ナチス式敬礼を事務所の人たちに強いるアンポンタンがいる立憲民主党とは成熟度が違っていると思っていたけど。やれやれ。

 橋本環奈さんは表情も仕草も声もすべてが愛らしい。栗原類さんは顔立ちだけならティモシー・シャラメに勝てる。太田莉菜さんのアクションは世界でだって通用する。市村正親さんの歌はやっぱり素晴らしい。大貫勇輔さんはは歌もダンスも完璧以上だ。麿赤兒んの舞踏と藤岡弘、さんの武闘は全人類の宝だ。そして深田恭子さんは……もうちょっとぷにぷに感が欲しかったかなあ。シャープになってしまった感。そんな感じに役者で見どころたっぷりな「ルパンの娘 劇場版」でありました。

 泥棒一家の「Lの一族」最後の挑戦めいた盗みがあって得たいの知れない敵とのバトルがあってそれが「Lの一族」の過去、とりわけ深田恭子さん演じる三雲華の存在にも関わってストーリーにスリリングな展開をもたらす。途中、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」めいた展開もあったりしてそれパラドックス的にどうなのと思わせて、整合性は持たせて来たのでとりあえず良かった。結果として何も変わらず人殺しなんかやってたりしたキャラクターもそのままだったりして、行為として許せるはずもないんだけれども大団円の中で何となくなし崩しにされているところもあったりする。そこはちょっと気になったといえば気になったけれども細かいことは気にしないで、泥棒一家の活躍をいろいろ楽しみもう。実写版パトレイバーでカーシャを演じた太田莉菜さんの網タイツ姿でのアクションに眼を奪われよう。

 アニメーション制作会社のサンライズが上井草から荻窪へと本社を移転。藤沢ビルディングってところはすでにコミックス・ウェーブ・フィルムが入っていたりして、そこに移るということは新海誠監督と富野由悠季監督がビルの入口でかちあって、そして富野監督がにじりよって「君には負けませんから!」と言って立ち去っていく場面なんかが観られたりするんじゃないかとちょっと期待してしまう。まあ上井草でも幾つもの場所に分散していて不便だったりするのを統一するには、荻窪あたりのビルを借りるのがベストだったのかもしれないけれど、近隣にアニメーターさんとかも住んでいて富野監督も長年通ったスタジオが移転するのは、直近はいろいろと支障も出そう。何より上井草駅前のガンダム像はどうなるのか。ひとつの象徴だっただけに置いてきぼりにされるのはなあ。さてもどうなる。


【10月17日】 SNSで評判が漏れ聞こえてきたのでTverで「トロピカル〜ジュ!プリキュア」を見たらなるほど凄かった。劇場版とシンクロしての番外編的な短編オムバスで冒頭から全10話あるといった具合に始まって、いきなり「トロピカ侍」的な時代劇がスタート。以後もギャグ満載のエピソードがひたすら連ねられていった果て、実は11話あったんです怖いですね恐ろしいですね的な締めを見せて笑いを加速させた。いったい誰なんだとエンドクレジットを見て納得。絵コンテは大地丙太郎さんでありました。全話やったのかなあ。時代劇は「十兵衛ちゃん」とか手がけた大地さんらしい。

 配信に「ルパン三世PART6」の第1話が流れて来たんで見たらシャーロック・ホームズが登場していた。過去にもいろいろなホームズが登場していたけれども今回はどういう係累のホームズなんだろう。「ルパン三世PART4」には確か明智ホームズ耕助ってのが登場しては禿げ頭をカツラで覆っていたっけ。そのキャラクターが登場したようには見えないから新しく設定された上で、一緒に暮らしているリリーも含めてルパン三世との因縁があるキャラクターとなっているのかもしれない。舞台はロンドンみたいだけれど走っている車がフィアット500にシトロエンのあれはC5だろうか、イタリア車にフランス車とあと銭形のパトカーだから英国車が目立たないのは自動車産業が崩壊した国だからって話かなあ。

 「吸血鬼すぐ死ぬ」もやっと見る。扉の門に当たっただけて死んで灰になってしまう吸血鬼弱すぎ。あれなら豆腐の角にだって当たれば死んでしまうんじゃなかろうか。ニンニクの匂いを嗅いだだけで死んでしまうんだからそれも当然か。どこまで弱い力で死んでしまうか競争で楽しめそうだけれど、それだと震度1の地震が来ても死んでしまうから存在すら許されなくなってしまう。設定のエスカレーションも過ぎると寒くなってしまうから、巧い塩梅を保って話を作っていってくれているんだろう、きっと。原作は読んでないけど結構続いているみたいだから、お話しは面白いと予想。頭を使わずに見て行けるので煮詰まったりした時は見て心を空っぽにしょう。

 「世界最高の暗殺者、異世界貴族に転成する」も第1話がネットに来ていたので見たら原作では冒頭に来ていた旅客機ごと撃墜されて死ぬ暗殺者の前世が、Bパートで事前の仕事も込みで描かれていてパートナーとして仕事をこなしたあと、一緒に日本まで向かおうとしていたところを撃墜されたことになっていて、巻き添えを食らったパートナーがちょっと可哀想になって来た。使い捨てされるにはもったいないキャラだけに転生先で現れたりするんだろうか。原作をそこまで読んでいないからちょっと分からないのだった。これを機会に進めてみるかな。読んだ範囲では暗殺者だけれどそのために鍛えた料理の技術で転生後の世界で大勢を喜ばせていた。あと商人として活躍してたりして暗殺者としての顔はまだ見せていない。アニメではいきなりスナイパーとして登場して仲間の攪乱を受けて狙撃に努めていた。構成にも工夫がありそう。そっちはそっちで見ていこう。

 火の無いところに煙は立たないという経験から想像するならJリーグがホームタウン制をいじろうとしているのは本当なんだろう。原則としてのホームタウンは変えないまでも地方のクラブが東京でイベントをしやすくしたり、スクールを作って選手を育成したりできるようにすることを、ホームタウン制の実質的な撤廃と受け止めたスポーツ新聞がそう報じたのを、Jリーグ側は名目的には撤廃じゃないと言っているだけで現実的にはホームタウンに限定されていたことが、外に広がって空洞化なり形骸化が起こる可能性は考えられる。地元の選手より首都圏の優秀な選手にばかり目を向けるとか。地元でイベントするより実入りのいい東京でばかりイベントをするとか。

 企業名をクラブの名前につけるネーミングライツの議論も起こりかけているそうで、現時点では決まっていないけれども今の新しいオーナー連には宣伝目的での利用も考えているところがありそうで、リーグも押し切られる可能性がないでもない。鹿島アントラーズのオーナーになったメルカリ創業者は、とりあえずネーミングライツには反対の立場をとっているけれど、一方で企業を悪とみなすことは止めて欲しいと言っていて、企業名がつくこと自体をネガティブなことと見てはいないらしい。

 なるほど企業=悪ではないけれど、それでもクラブ名はクラブとして愛され存在感を高めブランドとして定着していくべきもので、それには30年という年月はまだ短い。海外のように50年100年の歴史を積んでようやくクラブ名としてブランドが立ってくるものを、途中で時々の人気業種がスポンサーとなってクラブ名をコロコロと変えては定着するものも定着しない。何がブランドか、それをどう育てるかを考え慎重な姿勢で臨んで欲しいなあ、って言うならジェフのJR古川はやっぱり廃するべきだよなあ、市原千葉ユナイテッド、あるいは千葉ユナイテッドで良いじゃんか。


【10月16日】 WEリーグがあってAC長野パルセイロレディースとジェフユナイテッド市原・千葉レディースとの対戦があった模様で、結果はジェフレディースが大澤春花選手の2得点でリーグ戦初勝利。ようやくって感じだけれども、ほとんどが新メンバーといった感じなだけにチームが完成するまでにもうちょっとかかるのも仕方が無いといったところ。とりあえず順位も8位まで上がって来たから勝てないまでも負けない試合をして上位に進出して欲しい。観客は長野で1104人はなかなか。日テレ・東京ヴェルディベレーザとちふれASエルフェン狭山の試合で1405人は西が丘であった割りには少ないかなあ。アベレージで3000人集まるようになるまであともう随分。

 優しい中に凜然とした強さを秘めた大原さやかさんの声を持った美女が、戦闘時に角の生えたパンダとなって、群がる敵を相手に肉弾戦を挑む映画を観たことがあるだろうか。「とある科学の超電磁法」の白井黒子や、「生徒会役員共」の畑ランコのようなコミカルさを抑えた新井里美あんが演じる美女が、戦闘時にタコとなって剣戟を繰り広げるアニメーション映画を観たことがあるだろうか。

 まだ観たことがないなら長編アニメーション映画「宇宙の法 エローヒム編」に行くと良い。パンダとタコが偉大なる地球神エローヒムを守って一大バトルを繰り広げる様に飛躍的な想像力を感じて驚き、慌て、跪いて噎ぶこと確実だろうから。そして観ればあなたは知るだろう。およそ見たことのないビジョンに見えられる映画であり、およそ聞いたことがない歌に浸れる映画であり、およそ触れたことのない物語に弄ばれる映画であると。

 舞台は1億5000万年前の地球で、そこには地球神エローヒムが降臨して豊かな水と自然を持ったエローヒムシティを築き、種族を越えて住民たちが安寧と平穏を享受していた。草木が青々として花々が美しく咲く様は映像としてもなかなかの完成度。美術スタッフの頑張りが感じ取れるものとなっている。そんな地球に危機が訪れる。ケンタウロスβ星に住む猿のような種族があのダハールにそそのかされるようにして、強いものが弱いものを従えるのだといった思想に染まって地球に隕石爆弾を放出する。

 迎え撃とうとした地球の軍隊でも撃墜できなかったところに、現れたのが宇宙の守護神ヤイドロンの指導を受けていた女性戦士ヤイザエル。剣を手にして隕石を迎撃しては破壊して、地球を守ってそのままエローヒムの警護に入る。ユニークなのは、そんな戦いを繰り広げながら「私は強い」といったような歌を唄ってみせるところ。ある意味でミュージカル仕立ての作品とも言え、それは後の様々な場面でも繰り返されてキャラクターたちの内心を歌声によって聞かせてくれる。その歌詞が実に直裁的でストレートであからさまなのが、斬新でアバンギャルドで革命的。世界の映画祭で音楽に関する賞をいろいろと獲得したのも分かる出来だ。

 ストーリーは以後、ヤイザエルがレプタリアンの血を引く戦士たちに未だ残る、強い者こそが正義といった価値観を諫め、エローヒムの名の元に組織された軍隊にいる以上はだらしないところは見せるべきではないと叱責するシーンによって、彼女のどこまでも求道的な精神を感じさせ、あるいはイエス・キリストの宇宙における魂とされているアモールが天使たちを引き連れ降臨し、愛によって怪我人を直し命すら取り戻してみせることで、憎しみではなく愛によって世界を包み込む尊さといったものを感じさせる。

 映画が幸福の科学という宗教団体の大川隆法という代表によって紡がれた者である以上、そこに宗教的な教義なり説諭なりが込められていることは当然として、そうした色を除いてもある程度は一般性をもって通用する良識をくみ取れる。強い者が弱い者を導こう。強さで従えるのではなく愛によって包み込もう。そうした考え自体は決して間違ったものではない。そうしたメッセージを伝える器として、宗教がありアニメーション映画があるのだと感じたのなら倣えば良いし、そうしたより所を必要としなくても自身の中で確立した考えとして保持していけるならそうすれば良い。

 その一方で宇宙での戦闘機どうしのドッグファイトがあり、地上での変形バイクにまたがったアーマードスーツに身を固めた美女によるバトルがあり、空中での蝶とも峨ともいえそうな存在と化した美女と、蜘蛛から巨大な蟻のような姿となったダハールとの怪獣プロレスがあるSF特撮アニメーションとして、映画を純粋に楽しめば良い。美女がパンダとなりタコとなってバトルするのも、そうした楽しみの延長にあるものとして受け止めれば良い。そういうものだ。

 絵に関しても大きく崩れることはないし、怪獣バトルのようなシーンで繰り出される怪光線の爆発描写も、まるで飯塚定雄が特撮で見せたようなものがアニメーションになっていると思えて楽しめる。そういう意味では所々に見どころもある。声もゴージャスで、大原さやかに新井里美に千眼美子に銀河万丈に村瀬歩に置鮎隆太郎に八代拓ほか一流どころが固めている。ひとり圧倒的な美声を聞かせてくれるエローヒムの声がシークレットとなっているのが気になるところ。神の声を誰かが務めているということを明かすのは、何か教義として問題があったのか。気になる所だ。

【10月15日】 人体に入ったら大ごとで、いずれ肝硬変なんかを引き起こしたりする可能性もあって注意が必要なエキノコックスという寄生虫だけれど、問題視されている北海道でも涌き水を飲まないとか生野菜や果物はよく洗ってから食べるといった方法によって卵を落として罹らないようにする配慮は為されている。そうでなければ北海道産の野菜も果物も川魚なんかも食べられなくなって、鮭とかどうするんだ筋子やイクラは大丈夫かって話にもなって日本の食事状が大きく変わってしまだろう。

 つまりはしっかりと予防措置が講じられれば検疫だとか隔離だとかが求められるようなものではないにも関わらず、愛知県の知多半島でエキノコックスを持った犬が見つかり始めたといったニュースが全国的に流れるや、ちょっとばかり知識を持った人たちがこれは大ごとだ早急の対策が必要だって大きな声をあげてエキノコックスの恐ろしさを喧伝するものだから、すでに先行してそうした状況になっている北海道への妙な偏見が広まり一やしないかと心配する声が起こり始めている。そりゃそうだ。

 いやいや北海道はすでに経験値が高いから生水は飲まないけれどそれが全国的に広がって良いのかと言われれば、そうかもしれないものの知多半島で生水を飲もうという家庭もそうはいないだろうと思うとすでにある程度の対策はとられている。というか3年前の2018年の段階で知多半島においてエキノコックスの発生が報じられて、武豊町なんかが注意を発しつつ丁寧に対策を並べて心配するなと呼びかけている。

 もしかしたら現地ではすでに過去の話になりかけているのかもしれないにも関わらず、全国ニュースが取りあげたばかりに今まさに喫緊の問題として騒がれているのかもしれない。大村秀章愛知県知事への対策を求める声も挙がっているけれど、既に認識していて調査もしていて対策もしているから、何を今ごろといった感じかもしれないなあ。まあ決して広がって良いものでもないので、今後も現地で粛々と調査が行われ、対策が講じられるのを見守りつつ、不安を煽るだけの言説に乗って、北海道へのいらぬ差別意識を醸成しないように注意しよう。しかしどうして知多半島なんだろうなあ。北海道から飛行機にしがみついて常滑まで狐がやって来たとか? それはないかなあ。

 記憶をひっくり返しても、デヴィッド・リンチ監督による「デューン/砂の惑星」の映画についてどういった感想を抱いたかがまるで思い出せなくて、とりあえずポリスのスティングが出演していて大活躍って訳ではなかったけれども顔立ちに相応しい悪っぷりを見せてくれたなああという思い出と、あとカイル・マクラクランが演じているポール・アトレイディスが砂虫(サンドワーム)の上に乗って、ロデオみたいなことをしながらビームを発射して向かう敵をなぎ倒していたようないなかったような、そんなビジョンが脳裏に浮かぶくらいだったりする。

 面白かったとかつまらなかったといった記憶はなく、ただ「デューン」というフランク・ハーバートによる小説を、映像化するとこんな感じになるんだという思いは抱いたような気はしている。そんな記憶を抱いてドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による「DUNE/デューン 砂の惑星」を観たことで、起こったのはスタイリッシュなヴィルヌーヴ監督による砂の惑星の描写や登場人物たちによるドラマが、カイル・マクラクランやスティングが出演していたリンチ版に置き換わって、クールなビジュアルの上で人気俳優たちがしっかりと「デューン」の世界を繰り広げていた、傑作だったといった思いが生まれてしまった。

 ハルコンネン男爵が破裂した風船のように空中をすっとんで爆発四散したような展開にはならず、醜悪だけれど重厚な雰囲気をまとったハルコンネン男爵に対峙して「ツインピークス」でブレイクするカイル・マクラクランのポールが、独特なデザインのスーツに身を包んで屹立して砂の民たちを率い氾濫を起こしてハルコンネン男爵を討ち取るような復讐譚がしっかりと描かれていたんじゃないかって気になっている。実際はどうだったか。観ると逆にティモシー・シャラメがスティング相手に戦ったり、砂虫ロデオをしてたりするビジョンが浮かぶから今はやめておいた方がいいのかもしれない。

 ただ映画ははっきりいって前半戦で、ここから始まる復讐とそして反乱の始まりを告げる戦いをしっかり描いてことその「デューン」。少し仄めかされていたように、ヴィルヌーヴ監督も砂虫ロデオは描かざるを得ないだろう。それをどこまでクールでスタイリッシュに描けるかで、リンチ版と同じ憂き目を見るか否かが決まってくる。果たして続きは作らせてもらえるのか。まるでSFとか読んでなさそうで、「デューン」なんて欠片も興味がなさそうな人たちが大勢詰めかけて池袋のグランドシネマサンシャインが誇るIMAXレーザーGTの巨大なスクリーンに見入っていたから、周知はされて分からなくても観に来る人は結構そう。そして観たらやっぱり続きが気になるということで、声が挙がってヴィルヌーヴ監督にワーナーもレジェンダリーもゴーサインを出さざるを得ないだろう。早くみたいな砂虫ロデオ。そしてスティングとの戦い……はないか流石に。


【10月14日】 ようやくやっと「ルパン三世part6」の第0話。次元大介役をこれで退く小林清志さんが出ずっぱりで喋りつつ、次元大介という存在にけじめをつけるようなストーリーが描かれていたけれど、栗田貫一さんと比べると張りにやっぱり性あって、やっぱり潮時だなあという印象が際立った。そういう意味で自ら“引導”を渡す役として引きつけたといったとも言えそう。最後まで格好良く、そして最高のガンマンだった次元大介。その神髄を見せてくれるエピソードだった。今までありがとうございました。

 とはいえ栗田貫一さんだって26年を勤めて24年の山田康雄さんより長く演じている訳で、なおかつヤマダあんが亡くなられた年齢も超えている。あと10年は大丈夫だけれどその次って考えられるのかどうなのか。今度はそっくりさんからではない意外なところから声を持って来てくれると思いたい。でも誰のどんな声ならはまるんだろうなあ。杉田智和さんとか? 櫻井孝宏さんとか? 難しいからやっぱり栗田貫一さんであと20年。

 アニメ映画「ジョゼと虎と魚たち」の上映イベントがあって、サプライズゲストとして脚本の桑村さや香さんが登場! 美人さんでありました。そして司会がなぜか伊藤智彦監督。細田守監督作品で助監督をやってそして抜けた時、次の助監督としてタムラコータロー監督を推薦したりといった縁もあっての登板となったらしい。そんな伊藤監督から桑村さんが映画で好きなシーンを聴かれてあげたのが、図書館でジョゼが好きな作家にサガンを挙げた時に花菜が身を乗り出してつま先立ちになっているところ。そんなに好きだったのかと思ったと話してた。次に観る時は要注意だ。

 受けてタムラコータロー監督、作画の人かあるいはパート演出の人が入れたのかも知れない、自分でコンテはどう描いたか覚えてないとのこ。コンテとか見られるんだろうか。 そして司会の伊藤智彦監督は好きなシーンとして舞の太ももがフレームインしてくるところを挙げていた。お好きらしい。ある種のフェティッシュって奴? それはそれとしてタムラコータロー監督によれば、車いすのジョゼの視点ということ、そしてジョゼの心情なんかも含むとそういった感じになるらしい。なるほどと納得。あとダイビングショップの店員さんだから太ももが出ているのも不思議ではないとか。

 桑村さや香さんによれば脚本は11稿まで行ったとこのと。その前にプロット作りに時間をかけているため、タムラコータロー監督によれば初稿でほぼほぼできていたとか。あと本読みに12時間くらいかかったのは大変だったと桑村さん。プロデューサーやアシスタントプロデューサーの意見も聞いた結果と監督。若い人の意見を聞かないと恒夫とかジョゼの年代の完成とは違うものになってしまう可能性からとのこと。でも12時間は凄いなあ。途中で南さんが何度かのぞいてまだやているのと驚いたとか。

 キャラクター作りではジョゼは割と強い印象があるからすんなり決まってキャラクターデザインも早く固まったとか。悩んだのが恒夫で原作から膨らませてあるからどういうプロフィルにするか揉んだそうで最初はカメラマンという話もあったけど、ほかにもありそうだったこと、そして写真を撮っているというとそれをアニメーションで描くのが難しかったことからだんだんと今の感じになったとか。等身ももうちょっと低かったのを挙げて大人の感じにしたという。

 声については中川大志さんも清原果耶さんもシリアスな演技はハマっていたけどコミカルになるといろいろ試行錯誤があったみたい。1本通して後半に多かったコミカルな演技がハマってきた段階でもういちど、前半に戻って撮り直したというから手間はかかっているけれど、だからこそぎこちないところはなしにコミカルさもシリアスさもちゃんと出ている演技になっているらしい。

 ロケハンもしたそうで桑村さんも交えて須磨海岸とかも行ったそうで海辺を歩く桑村さんをタムラコータローさんがとったりしたとか。さすがに匍匐前進はしなかったみたい。抱きしめて振り回したりも。代わりに車いすを出して芝生の上で向かい合った形で押す場面は実験したとか。それがまた気恥ずかしいものになったとかで、なるほど実写ではどうにも浮かぶ生々しさが、アニメーションになるときれいでファンタスティックでキュンとくるものになる。なるほど。

 アニメと実写の違いでは桑村さんは実写畑の人なので、アニメーションの場合はト書きが多いことに気付いたとか。実写あとセリフだけかいてあとは役者に任せられるけれどアニメは表情から立ち位置から関係性からまったく想像で描かなくちゃいけなくなる。原作があればまだ分かるけれどそれもないオリジナルでト書きもなくセリフだけの脚本がくると困るなあと伊藤智彦さんが喋ってた。それは誰とは言わなかった。まあそうだ。伊藤智彦監督は試写を見てジョゼの部屋は誰が設計したかクレジットを見て中村章子さんと分かって納得したという「ジョゼと虎と魚たち」。タムラコータロー監督は他の部屋は別の方にお願いしたけどジョゼの部屋は違う感じを出したかったと。確かに目を見張るものがあるあの空間。そこから出たジョゼ偉い。


【10月13日】 山梨県の甲府で家が燃えて2人のおそらくは夫婦が称したいで発見された事件で、家から無事に逃げられた娘さんたちの姉と同じ高校に通っていたらしい19歳の男子が容疑者として逮捕されたという。想像するならその関係からの怨恨か何かなんだろうけれど、いわゆる覚悟を決めての強盗殺人でもないにも関わらず、見つかって口論か何かになったからといって殺害して家に灯油を撒いて火を着けるくらいに残酷なことをしてしまったのは、若さゆえの暴走なのか元より精神の抑制が外れてしまっていたからなのか。今後の捜査で明らかになるだろう事態が気になった。

 出頭して傷害容疑での逮捕だからそこから捜査が進んで殺人の容疑が固まって再逮捕されたとしても、果たしてどれだけの刑罰になるのかってところで自首による罪一等が減じられるのか2人ともなれば内容の残酷さも合わせてそうはらないのか。気になるところではある。九州で起こった自分を抑圧していた姑とその娘だから妻とさらには子供も殺害してしまった人には情状が酌量されず義母の子だから義兄あたりの嘆願にもかかわらず死刑が確定してしまったから、裁判員裁判となれば極刑も考えられそう。とはいえ19歳という年齢から将来の更正も考えるなら有期の懲役刑というのもあるかもしれない。今の無期懲役は実質的に終身刑になっているからなあ。いずれにしても真相の究明を待とう。

 群馬県の山本一太知事が魅力度ランキングで44位と下位に甘んじたことから調査したところを訴えると息巻いて失笑を買っている。野暮の極みというかそういうランキングで下位になろうが上位に入ろうがそうしたニュースを通して様々な特徴取りあげて、真の意味での魅力を世に喧伝するチャンスと見るのが普通なのに、さも自分自身が傷つけられたかのように騒ぐのは同じ県民が見たら恥ずかしくって顔を伏せたくなるんじゃなかろうか。そうやって騒ぐから帰って魅力も失われると気付かないような人間を、首長にしている県だと思われ野暮ったいと見なされかねないから。

 群馬県にはぐんまちゃんがいる焼き饅頭もあるしグンマーとして大秘境もあって恐竜が跋扈し原始人が暮らしているらしいから、魅力を挙げればきりがない。嬬恋村はキャベツの名産地だし高崎市には観音様だって立っているしパスタだって名物だ。前橋市にはグリーンドームがあって屋内で競輪ができたりるする。新幹線で行けば1時間もかからない土地としていろいろと興味をそそられるのに、それを打ち出さずアンケート会社の尻馬にのって魅力を下げるような首長はさっさと国政に戻ってもらえと群馬県民は思って入るのかな。戻られる国政も大変だけれど。ところで愛知県や千葉県はどれくらいだったんだろう。愛知県は……20位か、つまらない。千葉県は……12位で前回の21位から大躍進。これは熊谷俊人知事の魅力だな。そいうものだよ山本知事。

 「カウボーイビバップ」の実写版でスパイクの声をアニメ版と同じ山寺宏一さんが吹き替えることが発表になって全世界が大歓喜。フェイ・バレンタインも林原めぐみさんでビシャスは若本規夫さんといった感じで、アニメ版そのままの雰囲気をちゃんと味わえそうでこれは今から期待が高い。ジェット・ブラックが実写版も本気で似せてきているから、声も石塚運昇さんに演じてほしかったけれど2018年に亡くなられてこれはかなわず。替わりを楠大典さんが演じられるそうで、その底堅い声もきっとしっかりジェット・ブラックを感じさせてくれるだろう。

 不思議なのはこのニュースを伝えたサイトでファミ通とかアニメアニメが石塚運昇さんの名前にまるで触れていなかったこと。ナタリーとかはちゃんとアニメ版で石塚さんが演じていたことに触れていたから決して禁句にはなっていないみたいだけれど、それでも触れなかったのは配布されたリリースには書かれてなくて、それを右から左に流す時にこれは必要だからと付け加えようとはしなかったんじゃなかろうか。普通は気付くし添えるのが敬意だと思うんだけれど、若いライターだとそこまで気が回らなかったのかもしれない。だっても20年以上前のアニメだから。

 そのアニメがNetflix経由で全世界に配信されることになって、山寺さんが石塚さん世界だよって呼びかけていて、しっかりとジェット・ブラックは石塚さんあっての役だってことを感じさせてくれていた。同志だもの。それだけに触れなかった媒体の情報に対する意識の変化が気になった。石塚さんといえば「マクロスΔ」でアーネスト艦長を絵似ていたけれど、今回の「劇場版マクロスΔ絶対LIVE!!!!!!」では出演がなかった。パンフレットのインタビューで脚本の根元歳三さんがマックスの登場を聞かれて艦長が必要となった時、アーネストは出られなくなった一方、アラドがいきなり艦長は難しいからといった理由を説明していて、役と声を一体としてとらえてここでもちゃんと敬意を払っていることが伺えた。それだけに……というのは自分が何かを報じる時にも言えること。他山の石としよう。

 そんな「劇場版マクロスΔ絶対LIVE!!!!!!」を改めて見に劇場へ。レディMはシルエットからやっぱり例の愛おぼの新エンディングでターバンみたいなものを頭に巻いて唄って踊っている人かなあと思ったけれどパッと見ではよく分からないのだった。隣にも誰かいるし。2人で1人のレディMなのか。ストーリーは改めて見てもやっぱり泣く。何かのため、誰かのために犠牲になるのはたとえそれが自分の望であっても寂しいこと。そうではない道を模索して欲しかったけれど、民族としての特質があるならそれは仕方が無いことなのかも。前の劇場版でハインツが結構結晶化を進行させながら戻ったのは状況が違っていたんだろう。仕方が無いと諦めつつ、受け継いでウィンダリアで育っている少女が急成長してメンバーに加わって、5人のワルキューレを復活させて欲しいもの。そこでメンバーをおばさんよばわりしてドカドカと蹴りまくられるんだ。


【10月12日】 中野坂上あたりで久々の取材仕事があったので、ちょっと前に買ったスーツを着たらお腹周りがギリギリだった。買った時もやぱりぎりぎりだったけれど、それでも前に来ていたサイズから1つ上げた関係でちゃんと着られていただけに、この数カ月の間に我が身に起こった内臓脂肪の増加なり、腰回りの拡大なりが体型に多大な影響を及ぼしていることを身をもって思い知る。すでの2年くらい前に買ったスーツが厳しくなりかけているだけあって、いい加減どうにかしないと拙いのだけれどどうやったら痩せるのかが分からないのだった。歩けば良いのか食べなければ良いのか。どっちも難しいなあ。困った困った。

 スーツはJプレスだけれどいわふる段替えり3つボタンでフックベントのボックス型ではなく2ボタンで前身にダーツの入った細身のタイプ。だからいつものサイズではキツかったってのもあるかもしれない。着心地は悪くなくストレートでノータックのパンツはスッと延びて足も長く見える感じ。根がDCブランド世代だからだぼっとしたスーツが好きなんだけれど当時のスリムな体型だからこそだぼっとしても遠目には普通に見えたのが、今はだぼっとするとそのまま横幅の広い人に見えてしまうからやっぱり細身でパンツもストレートの方がいいのかもしれない。とはいえ着る機会もそうはないんで今はとりあえず前のが着られるように頑張らないと。とか言いつつ食べてるカップラーメン。是非もなし。

 スーツといったらやっぱり腕時計が欲しいところだけれど、ファッション性くらいしか今は意味がなくって時間が知りたかったら持ってるスマートフォンかiPadを見れば充分だったりする。それでもやっぱりトータルなスーツスタイルに腕時計が必要なのだとしたらマッチしたものを選ぶのが筋。決してごついクロノグラフとかダイバーとかは選ばないのが良いんだけれど、その点で岸田文雄総理はセイコーのクロノグラフを選んでいてちょっと違う気がして仕方が無い。33万円くらいは総理大臣の給料だったらむしろ安いくらいで、グランドセイコーの100万円くらいの機械時計を着けてて当然とは思うけど、そうでなくてもツーフェイスのドレスウォッチにしておいて欲しかった。

 クロノグラフの電波ソーラーは海外に行く機会が多かった外務大臣の頃に買ったものらしく、それはそれで海外で正確な時間を知るために必要だったと言える。でも今はそうした必要がないなら選ぶ時計もそして靴も考えて欲しい。そうすることでスーツスタイルが日本人にとっても仕事着に留まらない勝ちを持つのだから。その意味で生地にもデザインにも優れたものを選んでいるだろう麻生太郎自民党副総裁はセンス抜群なんだけれど、妙なこだわりからボルサリーノをハスに被っているのはちょっとよろしくない。夏でもボルサリーノってのもなあ。せめてパナマにして欲しいけれどそれだとスーツは麻の涼しい色になる。でも濃いめのスーツを合わせるからチグハグ感。そこをちゃんと見てくれる人はいないんだろうか。ドン小西は何をしているんだ。ちょっと気になった。

 さあ決戦だ。FIFAワールドカップ2022カタール大会に向けた最終予選でオーストラリア代表をホームに迎えた試合が行われて、日本代表は文字通りに絶対に負けられない戦いに臨むことになった。ここで負けたらオーストラリアとサウジアラビアに勝ち点で追いつけず、プレーオフに回って南米とかの強いところにコテンパンにされる未来が何となく見えていただけに、ここでオーストラリアとの勝ち点差を縮める勝利が絶対的に必要だった。そんな義務に答えるために森保一監督は田中碧選手を入れて田中順也選手も入れて、柴崎岳選手を控えに回してスピードとテクニックでオーストラリアを追い込んで、そして1点を奪ってリードする。

 このまま終わっても勝ち点3だったけれど自陣ゴール前でのプレーからあわやPKというような真正面での直接FKを与えてしまって、ここで守れれば良かったもののそこはしっかり決められて同点に。引き分けでは勝ち点差は縮まらないということで森保監督は後半にいろいろと選手を投入。そして終了まで10分といったところで投入した浅野琢磨選手がサイドからループ気味に放ったシュートをキーパーが後にそらし、それがポストに当たって跳ね返ったところをオーストラリアの選手が足に当ててしまってオウンゴール気味で得点となって2対1のまま勝利した。

 いやあホッとしたフォーメーションも変え先発メンバーも入れ替えた試合で勝負に勝ってこれで一息着けたけど、試合はまだまだ続くのであと6試合あるうちのオマーンと中国とベトナムにはもちろん勝って、そしてサウジアラビアにもリベンジを果たして15点を積み上げればどうにか行けるってところだろう。オーストラリアにも連勝できれば言うことなしだけれどそっちはアウェーだから難しいかな。いずれにしても次の11月のアウェー連戦で連勝できればダルマの両目も開いたと言えそう。見守りたい。


【10月11日】 フェラン・トーレスとグリーズマンが日本代表にいたらきっとサイド攻撃からのセンターでの合わせがピッタリ決まって得点もうなぎ登りになりそうだけれど、そんな名選手がいないからこそ日本代表は得点に苦労をして勝てず勝っても得失点差を広げられない。せめてだったらサイドの古橋選手がちゃんと活躍できるような体制を作り、そしてセンターでピタリと合わせられるフォワードを起用すればいいものをそうはしないで相変わらず、同じメンバーを使い続ける森保一監督の意図はなんだろう。負けたら終わりなのに。変えて負けたらもっと終わりと思って入るのかなあ。明日のオーストラリア戦がすべての分かれ目になりそう。どうなるか。

 ミントタブレットで強烈な奴といったらその昔、雑誌の「POPEYE」なんかで取りあげられていた「フィッシャーマンズフレンド」がやっぱり凄くて、それこそ生のミントのカタマリといった具合に口にいれるとぶわっと辛みが広がって、眠気も吹き飛んだものだったけれども夕方に立ち寄ったコンビニエンスストアのワゴンセールで、半額にされていた「ミンティアメガコールド」って奴もなかなか凄いとうか凄まじいというか。1個だけ取り出し口に含むと口内にぶわっと広がるその何ともいえない辛みが、鼻にツンと抜けて「ぶひょほふぇふぁひゃぬわ」って声が出かかってしまった。

 調べると同じように強烈さに舌先をヒリヒリさせた人が大勢いたみたいだけれど、こうしてワゴンセールにされているってことはあるいは評判があまり良くなく廃盤になってしまったのかもしれない。店頭で探しても見つからないって声が結構あったりするのも、そんな状況を裏打ちしている。どうしてだろう。サイズ感もあって馴れれば結構美味しいけど。って嘘ですやっぱり辛いです。でも癖になりそう。眠気がキツい時とかチェーンミンティアしてしまいそう。だからやっぱり廃盤なのかなあ。勿体ない。ワゴンにはまだ残っていたので買い占めておくかなあ。

 同人誌を作って頒布する人だけではなく、その同人誌を求めて購入に来る人も含めてコミックマートでは参加者としているポリシーに鑑みるなら、まずは来場して対面によって頒布を受けるのが第一義であってそれがかないそうにない時に、知人に頼むなりして頒布を受けてもらってそれを引き取りがてら、交通費だとか手間賃だとか心付けを乗せて労に報いるところまでは世間一般で許容される代行の範囲だろう。そこを飛び越えて遠くにいる誰かから欲しいという声を受け、それを仲介してコミケに行く誰かに購入を依頼するのは完全にブローカー的行為であって、そこに合理的な理由があってもちょっとヤバいといった声が起こりかねない。

 ましてや仲介にあたって頒布価格の何倍何十倍といったお金を受け取って「儲けた」と行ってしまってはもう完全にコミケのポリシーに挑戦していると言える。なおかつそうした「事業」を高校生が行っているにも関わらず、18歳以上でなければ購入できないジャンルのものが含まれている可能性があった日には世界から反発を受けても仕方が無い。だからそうした行為に対して大人が諫め窘めるべきだったにもかかわらず、よくやったそれがビジネスだと讃えてしまった大人がいてしまったから世界の緊張も高まった。

 とはいえそれが内輪で執り行われていた会合だったら良かったのに、2年も経って記事にしてアップしてしまったから露見した。幾重にも重なったミスの結果、若さ故の過ちは当人たちの画像付きで名前もろとも世間に流布されてしまった。もはや消してもデジタルタトゥーとなって永遠のスティグマとして刻まれかねないこの事態に、発信元はコミケの理念を損なったと主催者に謝り、取り扱った同人誌のサークルに謝るだけ。掲載元も削除しましたご免なさいとツイートするだけ。そうじゃなく当該の高校生たちにも取り返しのつかないことをしてしまったと謝って、事態がこれ以上広がらないよう手当をすべきなんじゃないのかなあ。せーファーインターネット協会でもどこでも依頼して、デジタルタトゥーを消して回る方向に行って欲しいけれど、そういうルートは確保しているんだろうか。大いに気になる。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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