Last Updated 2017/5/27
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1700冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
こうの史代の漫画を片渕須直が監督した長編アニメーション映画『この世界の片隅に』が2016年11月12日に全国公開。観れば覚える圧倒的な感動を味わいに行けよ劇場へ。この辺りに個人的な感想が。
【5月27日】 俺たちの戦いはこれからだけれどその前にちょっと大変そう、ってなところで終わってしまって「続きは?」と尋ね叫びたいのに相手にはもう届かない。残念であり無念でもあり不安でもありモヤモヤもする佐藤大輔さんの新刊にして幾つかある“絶筆”のひとつ、「エルフと戦車と僕の毎日 2 我が祖国の名は」(KADOKAWA)の上下巻は、なぜかいきなり日本の高校生が異世界へと召喚されて、エルフがユダヤの民のように故郷を追われ各地に移り住んで3000年が経ち、ようやく故郷ともいえる場所に独立国家を打ち立てられそうになったものの、その途端に責め立てられて大変だといった感じである種、イスラエルの建国と中東戦争を模したような構図の中に放り込まれて、エルフの側について戦車隊を立ちあげ率いることになる、といったストーリー。

 そして最初の「エルフと戦車と僕の毎日 バンツァーエルフの誕生」(KADOKAWA)では、まずは女性のエルフが事故とか病気にあいさえしなければ基本的に不老長寿でそして男性エルフなり人間の男性を魅了しつつ自分も相手に魅了され、仲睦まじ過ぎるくらいに仲良く暮らす性質があってそれが長らくエルフ国家の設立を妨げ、また人間とエルフの間の確執にも繋がっていたといった前提が語られる。それでもそれまで“聖地”を支配していた勢力が引いた間隙を縫って国家を立ちあげようとする独立派のエルフ勢力ががいて、そして長く闘争を続けていたその流れを引き継ぎ攻めてくる人間と戦い続けるといった別のエルフもいて、激しくエルフを憎む人間たちの集団もいて独立国家創設を阻もうとする人間の義勇軍いたりする勢力図も語られる。

 そうした中、今のこの現代、エルフが美女たちの集団で半ば憧れだといった認識に染まって生きてきた高校生が、異世界へと転移して独立派のエルフ勢力と出会いその世界の人間のようには差別の気持ちも依存の気持ちも抱かず、フラットに敬愛の意思を示したことに感激をしたエルフたちは、受け入れそして少年が持っていたミリタリーオタクとしての知識も活用しながら廃棄された兵器を買い集め、時には亡国の王族の特使といった身分も手に入れ武器商人たちから兵器弾薬を買い集めては軍隊としての体裁を整えていこうとする。

 戦車が数台で大砲もなく小銃の弾薬も数千発とかいったレベルでは数分と保たない軍隊のリアルでシリアスな実情を、しっかりと示して戦争ごっこ、独立ごっこのレベルに治めず俺TUEEEの無双も起こらないようきっちり締めている辺りが佐藤大輔さん。戦闘が始まれば包囲された都市にいるエルフに救援を送ろうとした輸送部隊が全滅の憂き目にあって少年の知人も少なからず戦死する悲しい事態も折り込みつつ、どうにかこうにかまっとうに戦える軍隊を作り上げて、文字通りに誕生したパンツァーエルフがいよいよ戦場に出て戦術レベルの戦いを繰り広げるのが「和が祖国の名は」。ここでようやくエルフ戦車隊、西へみたいなストーリーが始まる。

 つまりは本番。これもまたシリアスな戦いがあって、無双でも天才でもないミリオタでしかない少年が本物の天才軍略家(美女)を相手に対峙する羽目にもなって、架空戦記めいた色合いがグッと濃くなるんだけれどそんな戦いの中で起こった敗北にも似た状況、命の危険すら感じさせたところでパタンと閉じられて続きが読めない。この先にエルフたちは誰が命を散らし、それを乗り越え戦いに勝利して独立国家の体を成しつつ、その後も繰り出される他国からの干渉を退け続けて今のイスラエルみたな国家となり、内にパレスチナも抱えつつ現実の中東めいた緊張感に満ちた状況へと向かうのか、そこはエルフの博愛と人間の叡智が重なって、平穏と安定を得られる道が示されるのか。気になるけだけに誰か構想を文字にして欲しい。あればだけれど。あるかなあ。

 翌日のことがあるんで劇場へは行かなかったけれど、後になって行って大きなスクリーンで弾幕入りの画面を楽しむのも悪くなかったかもと思った「けものフレンズ」の一挙上映。途中の「じゃぱりとしょかん」辺りから見始めたけれどもそこからすべての展開を知っているにもかかわらず、ついつい見てしまうのは分かっている展開が心地よくて嬉しくて、そしてあの驚きと感動を何度でも味わいたいって思っているからだろー。あとはやっぱり体験の共有か。オープニングの「ようこそジャパリパークへ」に入れる合いの手だったり展開に対する驚きだったり。それは純粋な初見の驚きとは違うけれど、誰もがやっぱり驚いているんだという確認を通じて自分自身の感性を自覚できるのだ。またやらないかな、今度はちゃんと劇場で見たいなあ。

 そんな「けものフレンズ」で脚本家のクレジットが監督のたつきさんに変わったというアナウンスがあってこれは何事、って驚きはしなくてストーリーも展開もたつき監督がビデオコンテで決めていたっぽい話がイベントなんかで語られていたから、実質的にはそういうことなんだろうとは感じられていた。ただやっぱりクレジットというのは重要で、そこで最初に脚本家の名前が掲げられたってことは権利がひとつ確定したってこと。もちろん何もしていないのにそういう権利は発生しない訳で、プロジェクトの中でなにがしかの役割は果たしていたんだろー。でもそれがまるっとないことにされてしまった。脚本家の人がうん、それは当然だよねと納得してのクレジット外しなのか、売れてしまって発生するお金の問題もあってやっぱり違うんだからと引き上げられたのか。ドロドロとしたものも漂うだけにそのあたり、スッキリとさせて欲しい。せかっくの賑わったコンテンツがすいう“大人の事情”に汚されるのってファンとして嫌だから。

 徹夜明けでは行きたくないと劇場でのオールナイト上映を遠慮したデザインフェスタvol.45を見る為に東京ビッグサイトへ。いつもだったら西館(にし・やかた)が使われるんだけれど、今回は超久々に東館(ひがし・やかた)が使われていて、半分の4から6ホールとそして新設の7と8ホールも使われていて西館(にし・やかた)の1階と4階を使うよりも広々としたって印象。ただ西館(にし・やかた)の1階外を使ってのライブステージがなく、8ホールのステージがメインになっていた感じで音楽系にはちょっと厳しかったかも。

 印象としては雑貨系が増えているみたいで、ファンシーでかわいい系が多くてそれもまたデザインフェスタなんだけれど、街では売ってないような突拍子もないものに溢れているのがこうしたイベントの良さでもあって、そのあたり、メジャー化していくと起こる平板化にちょっと飲まれているのかもしれないたい焼きキーチェーがもうたい焼きそのままで、触れるとたい焼きの柔らかさがあって、猫の前に置いたら囓りそうなくらいにたい焼きだったけれど、果たして猫ってたい焼き食べるんだっけ。そこが気になった。常連のOTACCIMAN des PLIMEのサイケデリックTシャツはクジラが登場。浮き出ていたりして飛び出して見える感じ。集めたくなるんだよねえ、ここん家のTシャツとかカットソーは。

 niitu(ニーツ)ってブランドの和テイストジャージはそでが太く着物のようで、下も裾がふくらみつつしぼってあって袴みたいになって、上下色違いで着てもカッコいい。若い人でもご高齢でもOKそう。街着に使いたかったなあ。でもさすがにおじさんではだらしなくなるんで、soulってスポーツブランドから出ていたMA−1風のジャージの新日本プロレス仕様を買って帰る。5000円は安いんじゃないかなあ。ファッションではいつもの「リボン色の世界遺産」にて“女子高生×世界遺産“という意味不明だが説得力の高いデザインのTシャツをながめる。インドのチャトラパティ・シヴァ―ジー・ターミナス駅が登場していた。安かったのでカジュラーホー寺院群を購入。アクロポリスがやっぱり人気だとのこと。可愛いもん。

 面白かったのは「slitanimation」 ってのを出していたディーラーで、絵の上に白黒のスリットを重ね動かすと下の絵が動いて見えるから不思議というか、原理はスリットの幅に合わせて少しずつ変えた絵が描かれていてそれが順繰りにのぞいて動いて見えるってもので、6コマくらい? のアニメーションをその場で見せられる。画像だと分からないけど動画だとしっかり見える。あと工作系で「深谷式X」なるペーパークラフトのパズルめいたものを出していた深谷昌之さんのブースが面白かった。紙を折って貼り合わせて作ってある立体はくいっとひねって折りたため、引っ張って形を変えられる。円筒形のものを潰すとそこに模様が。不思議で楽しく頭も使う紙パズル。流行るかな。

 ほかは苔のテラリウムを出していたFeel The Gardenが良かった。似たようなものは前にも見たけど初出店のここは小さいフィギュアを入れて牧場だとかゴルフ場だとかの雰囲気を出していた。ゴルフとかラフ深そう。さばんなちほーとかじゃんぐるちほーも作れるかな? スポーツ系ではKystone工房が出していた「弾弓」が面白そう。遊びというかスポーツというか武道というか。弓でボールを飛ばすというもので昔から日本のみならず世界でやられてたらしいけど今やっているところは少なし。割とちゃんとまっすぐ飛ぶ。対戦でも射的でも流鏑馬でもどうぞ。erfolgってディーラーに行ってジュラルミン×レザーというソリッド&ハードな小物をも良かった。ジュラルミンのアタッシェで知られるAERO CONCEPTとはまた違ったレザーメインで削り出しのメタルが丈夫さとクールさを与える感じ。これから来るか?

  もう1度くらいイオンシネマ幕張新都心のドルビーアトモスで「BLAME!」を見てくるか迷い中。支配人の思いで劇場の1番大きなアトモス&ULTIRAスクリーンを使い日に何度も上映。全埋めは出来ないけれどそこそこ入って先週末は劇場トップの数字を叩き出したみたいだし、そんな思い入れにファンとしちゃ応えないといけないと思うのだった。ここも含めて「BLAME!」の劇場公開が成り立っているのも、そういった共感と場の共有、体験の唯一性というプレミアム心を誘う要素があるからだろー。

 なにしろNetflixで全世界に同時配信されてしまっている作品。わざわざ劇場に足を運ばなくたって目の前で細かいところまでしっかりと確認しながら見られるようになっている。それでもやっぱり大きい画面で見る方が良いに決まっている、という概念すらだんだんと薄れ始めている中で、音響とそして体験の共有といったハード&ソフトな+アルファで誘因しきれているのかどうか。劇場側としちゃ不安でがんばっても50館くらいしか上映館数が行かなかったもの仕方がない。全部の劇場に立川みたくお客さんが詰めかける訳じゃないからねえ。それでもイベント的な気分をどこまで作り出すことで、劇場のプライオリティを保つことはできている。岩浪美和さんが訴える音響革命も進めば、唯一無二の体験を求めて劇場へと足を運ぶ人も現れそう。作り手ががんばり、劇場が張り切りがファンが応える。そんな良い構図が生まれていって欲しいけれども、果たして。


【5月26日】 明治によるカールの中部以東での販売中止は相当に衝撃的なニュースだったようで、NHKで速報こそ入らなかったものの共同通信あたりではフラッシュ的にニュースが飛んで全紙が扱いテレビのニュースにもなっていた模様。そりゃああのカールおじさんが登場したアニメーションのCMは全国民的に認知されているし、CMソングも聴けば誰あって思い出して一緒に口ずさみたくなる。いわば国民的とも言えるスナック菓子が首都圏中部圏を含んだ人口の多い地域から撤退するのはやっぱり相当に売れてないのかって思え、どうしてそんな自体になったなといった疑問も浮かぶ。カルビーのポテトチップスなんて種類を増やしすぎてジャガイモ不足で減らすくらいなのに。

 まあ見渡せばコンビニで絶対に売っているスナック菓子でもなくなっていたりして、知名度はあっても人気はもうちょっと食べやすい「スコーン」みたいなものへと移っていたのかもしれないけれど、別にロジスティックの関係で、西日本にある製造工場から出荷して首都圏へと運んでいては採算がとれないようになってしまっているのかもしれない。東京だけ130円とかで売るわけにも行かないのなら全国的に値上げするか、販路を絞るしかないってことで。まあでも自分だって食べたのは結構前とか最近だとしても覚えてないとかそんなもの。消えて無くなるものでもないならここは見送りつつ「味カレー」を食べることで「カールカレー味」を思い出すことにしよう、って売ってないじゃん「味カレー」。美味しいのになあ。

 たとえ地球の裏側にいる人で、自分とはまったく関わりがなく、会ったことなんてもちろんなかったとしても、そんな人がいて、生きて、暮らして誰かとの関わりを持っていた、なんて話を伝え聞くことによって僕たちはその人のことを感じ、内心を想像して自分に重ね合わせて共に喜び、悲しみ怒ることができる。周辺に記憶され事物に記録されてさえいれば、その存在は伝わり思いは流れ込んで来る。人とはそういった共有と共感が可能な生き物だから。でも、存在そのものが忘れ去られてしまって、周囲の誰も記憶すらしていないような状態になってしまって、果たして僕たちはその人に共感を覚えることができるのか。存在したという記録だけあっても、感じた想いや周囲に与えた影響は掴みづらい。それでも存在を共有できるのか。ちょっと難しいかもしれない。

 存在の記憶が消えてしまう。周囲から完全の忘却されてしまう。そんな“忘却病”なる奇病が流行り始めている世界にあって、いつの間にか消えてしまう人たちのためになにかしようと、忘却病相談部というものを学校に立ちあげたのがアキという少年で、いつも保健室にいる桜良先輩という少女を頂きつつ持ち込まれる相談、自分が消えてしまう為にデートしてくださいとか、逆に消えてしまった誰かのことを思い出させて下さいといった話を聞いてあげている。昨日まで、というよりほんのさっきまでいっしょにいた人のことがもう、思い出せなくなってしまことだってある忘却病。そこにいたのなら写真だって記録だって残っているだろう、そういった情報から人物像を浮かべて不在を悲しめるだろうといった疑念も浮かぶけれど、存在というものは認識されてこそ意味を持つ。たとえ記録があっても、存在を認識できなければそこに感情は浮かばない。悲しみといった思いも抱かない。

 これはキツい。残された人たちにではなく忘却される当人に。だって残される人たちには存在が認識されないんだから悲しみようがない。喜ぶこともない。逆に忘却される側は、そうした状態になってしまうことを知っている。自分という存在がなかったことにされる。それは死ぬことと同様に、というか死ぬこと以上に辛いことのような気がする。死んだら当人には悲しみも喜びもあらゆる感情は浮かばない。当たり前だ。そして残された人たちがその不在を嘆く。けれども忘却病は残された人に不在への嘆きは生まれない。そして忘却された側は周囲に認識されない中をしばらくは生きていく。これは心が折れるだろう。だからこそ忘却病相談部に頼んで自分の存在を目一杯、感じてもらおうと足掻くのだ。

 もっとも、忘却病に罹った人たちが忘却された後、どうなっているかははっきりとは描かれない。収容されたといった話もあるけれど、そういった施設は登場しない。というより忘却されてしまった人に対して行政はいったい何をどう働きかけられるのか。どこの誰とも分からず、そして永遠に分からないままでいる誰かのために何かをできる行政があるとも思えない。だったらどこへ行くのか。そこに突きつけられるある可能性は、逆にいうなら残される人たちが死別などに対して抱く哀しみや苦しみといった感情を薄らげ、無くしてしまうために与えられた恩寵といった見方もできる。愛別離苦という言葉があるくらいに別れは人にとっての苦しみで、それからの解脱を与えるために生まれた奇跡なのかもしれない。でも。

 それで良いはずがない。苦しくても辛くても、覚えていることが出来るからこそ人は限りある生を目一杯に生きてそして、その存在を別の誰かに覚えてもらおうとする。そんな記憶の連鎖によって人という存在の文化は育まれ、社会は営まれてきた。その連鎖が断ち切られるのは滅びの時なのか。忘却病に喘ぐ人類にはもしかしたら未来が存在していないのか。そんな想像も浮かんでしまった五十嵐雄策さんによる「終わる世界の片隅で、また君に恋をする」(電撃文庫)という物語。ひとつ、抜け道のように強烈な記憶なり記録とともに人は忘却された人のことでもふと思い出せることが示されている。ならばまだ死んでないし、死んでもその生を意味のあるものにできる。衰退かそれとも快復か。どちらに向かうのかは見えないけれど、しがみつける部分が残されているのを僥倖ととらえ、誰もが思い出しそして戻って来る日を願いたい。続きはあるのかな。ちょっと気になる。

 専門職大学が出てくるっていうことで、将来を見越して様々な職業に就きたい人たちが早くからその道に関することを学ぶようになるんだろー。中には日本声優大学校なんてものも出来て、声優とかナレーターとか声で仕事をしたい人を養成しては大卒の資格でもって世の中に送り出すことも起こりそう。そんな大学には当然に声優学部とかアナウンス学部とか声優シンガー学部なんてものが出来て、声優学部にはシブゴエ学科大塚明夫専修とかイケボイス学科宮野真守専修とかってものが作られ、細分化された中でイメージにピッタリの声優が育成されていく、そんな中に屹立する金田朋子学部は、類似といったものを許さず孤高にして絶対の存在を送り出す学部。合格できるのも10年に1人くらいで、卒業できれば唯一無二の存在になれるけれどもそのまま自らの名前を冠した学部の教授となって後進の指導にあたるため、声優として活躍はできないのであったという。なんだそりゃ。


【5月25日】 少し前に名古屋市で起こったらしい在日朝鮮人系の信用組合に男が押し入り灯油の入ったポリタンクと、火の着いた布を投げ込んで逃げたといった事件。幸いにして灯油が燃え広がることなく消し止められて、怪我をする人もいなかったようだけれどこれがもしもガソリンだったら、弘前で起こった消費者金融への放火事件と同様に死者が出たかもしれず、灯油でも揮発していれば一気に燃え広がった可能性もあってただの放火未遂で終わらせていいといった話ではなく、それこそ殺人未遂の容疑をかけても足りないような気さえする。

 これほどまでに残酷で残虐な事態をいったいどうして引き起こしたのか、取引上のトラブルがあったかというと単純に慰安婦問題で韓国に悪いイメージを持っていたからといったもの。でも信用組合は座日朝鮮人系であって韓国と直接つながっている訳ではないし、そもそもが慰安婦問題に異論があったところで無関係の信用組合を襲って良いというものではない。というかどうして韓国が嫌いというだけで信用組合を放火するのか。これはもう純粋にヘイトクライムとしか言いようがなく、そういった短絡を実行に移せてしまった心理心情が、どうにも危険で恐ろしく薄気味悪い。

 いったい何が背中を後押ししたのか。それをやっても構わないといった気分になったのか。それはどういった背景から生まれて来たのか。考えるとやっぱり浮かぶ昨今の、韓国なり北朝鮮なりを侮蔑し非難する無根拠の言説の横溢で、日々それらを浴びていればだんだんと染まっていって奴らは滅ぼして当然といった考えになって来るのかもしれない。いやいやそこまでの短絡は個人の資質に依るものだって意見もありそうだけれど、何か危急の事態が起こった時に、蓄積されたネガティブな感情が一気に吹き上がって人々を動かさないとも限らない。結果、起こりそうな暴力的な事態。いつかの再来めいたことが起こり得る可能性って奴が垣間見えてなおいっそう寒気がして来た。

 本来ならば政府が即座にヘイトクライムを非難し暴虐を糺すようなステートメントを発して諫め抑える方向に誘導すべきなのに、そうした談話を総理なり官房長官が出したといった話は聞かないし、官邸詰めの記者が聞いたといった話も流れてこない。文部科学省の元次官が出会い系バーに通っていたかどうかは聞く暇はあっても、より深刻な問題を尋ねようとしない状況がすでにメディアにおいてもそれを大事と捉えていない可能性が浮かんで来る。

 実際、とある新聞なんかは舛添要一東京都前都知事が選定した東京都内の案内ボランティアの制服を挙げて「韓国風」と見出しに書いてネガティブな意味合いで使っている。読めばそこに浮かぶ侮蔑の心情。驚くべきことにその記事の本文のどこにも韓国風といった言葉は出てこない。見出しで韓国を蔑むような文言を添えればアクセスが稼げるといった、さもしい考えがそこにあるだろうと推測できるけれど、それを非難しても改める節がまるで見えないところに、社是めいたところで韓国や中国を非難し蔑み侮辱することで同調者を集めざるを得ないところまで、経営が追い詰められているんだろう。

 自分たちで読者の範囲を狭めて、大勢からデマだ何だと嘲笑されつつ狭い場所で王様気取りをしながら勝手に朽ちていく分には構わないけれど、それが信組に灯油を投げ込むような心情の醸成に寄与しているとなると、やっぱり早めに対策が必要。政府がヘイトクライムに繋がる言説に釘を刺し、そこから稼げないようにするとか、転載して拡散いる大手のポータルサイトが取引を停止するとか。でも彼らだってアクセスが大事なところは変わりなく、転載を止める気配はないし、政府にいたってはそのメディアがベッタリなんだよなあ、政府自体もある種のヘイト的な物言いで一部の支持率を稼いでいるところがあるようだし。困ったなあ。危急の事態が今、本当に起こったらどうなってしまうんだろう。考えるのも恐ろしい。

 サンリオピューロランドに1泊200万円で泊まれるのなら、中国あたりのお金持ちが即決で申し込んでは5人まで利用可能なプランに1人40万円で参加して、夜にハローキティの夜這いなんかを受けて楽しんだりしそうだけれど、キャンプファイヤーってクラウドファンディングのプラットフォームがそうした海外からの出資を受けているかどうか分からないんで、やっぱり海外の富豪にとっても高いのか、国内限定なのかをちょっと見てみたいところ。でもまあいずれ売れるだろう。サンリオピューロランドが始めたクラウドファンディングで夏祭りのイベントを盛り上げようってプロジェクト。他にも10万円でハローキティとデートできる権利も売られていたけれど、こちらには早速出資者が現れた模様。ちょっとした記念になるものなあ。

 このクラウドファンディング、特定の目的のために必要なお金を募るというよりは、夏祭りというプロジェクトを展開するにあたって、細分化されたプレミアムプランを作ってはクラウドファンディングという参加意識を誘うプラットフォーム上で販売し、限定感も誘いつつ出資者を集めて行こうとしている感じ。それで少しはイベントの運営に役立つのかもしれないけれど、ただ行くよりは提灯に名前が入るとか芳名板に名前が飾られるとか盆踊りの櫓に上れるとか朝の点検に参加出来るといった体験を通じて、自分がコミットしている感覚を得る方が嬉しいもんなあ。うまく考えた。果たしてどれくらいの出資が集まるか。そしてお泊まり希望者は現れるか。夜這いをかけてくるのはハローキティだけなのかそれともぐでたまが添い寝をしてくれるのか。興味津々。展開を見守っていこう。

 そうかこれからはネイティブアプリよりブラウザゲームの時代なのか、ってことを感じさせてくれたダイナムコエンターテインメントとドリコムとの新会社設立発表会。なるほどスマートフォンからアプリを探して触れて起動してプレーするよりも、普段使いしているブラウザからブックマークで飛んだ先でゲームを始めた方が楽だし、誰かを誘う時もアプリをダウンロードしてもらい、それからマッチングするといった手間をかけずとも、URLアドレスをメッセンジャーか何かで教えればそこからダイレクトにゲームへと行ける。コミュニケーションが拡散に不可欠な時代には、ダウンロードが必要なネイティブアプリよりブラウザゲームの方が伸びるってことなのかも。

 ただしアプリとしてパッケージ化されているゲームに比べてブラウザベースのHTML5なゲームは動きも遅くて通信速度に左右される可能性もあって、凝ったゲームの提供には具合が悪かった。それもだんだんと技術の進歩で代わっていて、ネットの容量も広がって前よりも頻繁なアクセスが可能になっていたりする。そうなるネイティブアプリに押し込む必要もなくブラウザからクラウドに飛んでデータをやりとりする方が軽くて速いなんてことも起こってくる。リッチなゲームはネイティブアプリといった概念がここに来て大きく変わろうとしているってことらしい。

 実際にデモンストレーションでは、アクションもあるネイティブアプリのゲームをHTML5のブラウザゲームとして動かしていたもんなあ。同等レベルの表現が可能なら、端末ごとの調整が入らず、アプリのプラットフォームに気兼ねすることなく提供可能なブラウザゲームの方が良い、ってことになる。そんな時代を見越して早めに手を打ったといった新会社の設立。ゲームもネイティブアプリからの移植にしない一方で、「ドラゴンボールZ」「ファミスタ」「アイドルマスター」と強力なIPを揃えて来た。それが出来るのがバンダイナムコグループの強み。それとHTML5でゲームを作れるドリコムの強みを併せることで市場を取りに行く、といった感じか。気づかないうちに変化しているゲーム環境。来年がどうなっているか、ちょっと楽しみ。


【5月24日】 フランスのオタクたちが中心となって日本のアニメーションだとか漫画だとかゲームだとか音楽だとかに止まらず、そんなアニメに出てくるキャラクターたちがどんな暮らしを送っているかも含めて日本の食だとかファッションなんかもまとめて体験したい紹介したいという思いから立ちあげたジャパンエキスぽってイベントが2000年からパリで開かれていて、日本からもおおぜいのクリエイターやらミュージシャンやらが出演をしてヨーロッパに飛躍するきかっけになっていたりする。そんなジャパンエキス歩が今年のイベントで日本アニメ100周年を記念した「アニメ100」って企画を展開するそうで、それもあって日本で発表会見を開いてくれた。

 ミュシャ展に入ろうとして並ぶ行列を横目に国立新美術館で開かれた発表会見には、創設者のひとりで副代表を務めているトマ・シルデさんが来て「UFOロボ グレンダイザー」が視聴率100%を獲得した時期に青春を過ごした世代が立ちあげたイベントで、そして日本のアニメからフランスのクリエイターたちは少なからず影響を受けていると話して、日本のアニメ100周年を記念する企画を展開できることを喜んだ。そんなイベントで名誉顧問を務めるのがマッドハウスとかMAPPAを率いて日本のアニメを作り続けてきた丸山正雄さん。50年やってるからでしょうとか謙遜していたけれど、現役として未だに「この世界の片隅に」とか作ってくれている人が先頭に立てばもっといっぱい、今の日本のアニメに注目が集まりそう。ゴルドラックにセーラームーンにドラゴンボールだけじゃない、ってことを分かって欲しいから。

 イベントでは日本のアニメから100作品が紹介されるそうで、それがどうなるかってあたりにも興味。古いのばかりじゃくて新しいのも入っていると嬉しいかなあ、でも日本での評判だけじゃなく、フランスでも大きな意味を持つ作品を取り上げているそうなんで、みればフランスとか欧州で日本のアニメーションがどう需用のされているかが分かりそう。行けないまでもリストは知りたいので言った人は是非に。行くのかなあ誰か。上映会もあってあの中村隆太郎監督による長編アニメーション映画「ちびねこトムの大冒険 ちきゅうをすく なかまたち」と「桃太郎 海の神兵」が上映されるとか。「ちびねこトムの大冒険」は今にも通じる環境の問題が描かれていて、力を合わせる大切さにも溢れているからフランスのみならず世界で見られて欲しい。持とう愛を。そして勇気を。そんなきっかけになって欲しい。

 珍しく案内が来ていたんで講談社の出版説明会へと出かけていって久しぶりに海猫沢めろさんの顔を見る。前に見たのって六本木で早川書房関係のイベントか何かあって、その流れで近所で飲んでいた時だったっけ、だいたい8年くらいは経っていそうだけれど、もともとがネット界隈で見たり見られたりしていて、そして「左巻キ式ラストリゾート」が出た時にSFマガジンにレビューを書いたりした時からだから15年くらいは経っていそう。その時は若くてイケメンだった海猫沢めろさんも若くはないけど未だにイケメンで羨ましい。おまけにイクメン。なんだそのドラマのような人生は。

 いやいや作家のような人生ってことで、そんな経験も含めて小説に下らしい7月25日発売の「キッズ・ファイヤー・ドットコム」って作品のプルーフをもらって読んだら傑作で腰が抜けた。ホストの部屋の前に捨てられていた赤ん坊をホストたちがウェーイと育てようとする話って聞くと男やもめの人情ロマンめいた雰囲気が浮かぶけれどまるで反対。ノリは軽く思いは真っ直ぐ。母親探しとかせず保育所探しに苦労もせず、自分で育てるのが当たり前と引き取りなおかつホストクラブでクラウドファンディングを立ちあげ育て見守る権利を売って金を集める。

 それは非道? でもそうじゃないとホストクラブで働いていた経験もあって、今はIT企業で大もうけしている三國孔明という男も巻き込んで、ロジックで固め反論し納得させる。世界にある可愛そうなこどもたちに支援するおとどう違う? そんな理論も入れつつ批判をかわしてスタートさせたその事業。名付ける権利や誕生日を祝う権利やランドセルを買い与える権利等々、様々な権利を子に縁遠い人たちが買って育てるクラウドファンディング。なるほどインチキくさい。でもあって悪くない。そうポジティブに思わせるのは、関わらずホストたちがだれも明るさ真っ直ぐだからか。

 自分ひとりでは育てられない子供なら、社会が面倒を見れば良い、けれども物理的に手は貸せない、ならばネットを介して資金だけでも、といった現代ならではの子育ての仕組みはひとつのナイスな提案で、政治ができないこと、やろうとしないことをホストが行い、そして私たちが行うためにはどんなシステムとどんな理屈が必要かが、小説として示されている。読めばなるほどこれを政策にしたいと思う政治家も出てくるかも、ってのは後日譚的な「キャッチャー・イン・ザ・トゥルース」へと続くんだけれど、ともかく難しく考えずあっけらかんと社会的困難を突破していく奴らのウェーイなスタイルにボトル1本。

 さて「キャッチャー・イン・ザ・トゥルース」。見守られて支えられて育った赤ん坊が6歳になった時に起こっている社会の変化、そして6歳の少年が抱く考えがウェーイの熱情がちょっぴり冷めた社会を刺す。それで良かったのかと立ち返らせる。けれども誰のものでもない自分の死を意識して少年は思う。冒険はまだ続けられる。そんな可能性を示唆してくれる。クラウドファンディングというアイディアが子育てを変える可能性、衆人環視の中で生きる息苦しさを当然と受け入れた先に自分自身をつかみ貫く必要性、そんなものが得られる海猫沢めろんさん「キッズ・ファイヤー・ドットコム」。作家の希望でEXILE出演によるドラマ化を希望。それとも映画化? 鳥飼茜さんの表紙絵を見るとメンバー感が漂っているというか。明るくて真っ直ぐなホスト演じられる男たちはジャニーズよりEXILEってことなのかなあ。

 なるほどコミックマーケットが大変ですよと言えば、そうした方面に理解がある人たちなんだ、僕たちのことを考えているんだと関心を向ける層もいそうだけれど、本当に考えてくれているのか、ただ支持が集まりやすいといったニュアンスもそこに漂っていたりするかがちょっと曖昧というか掴みづらいというか。小池百合子東京都知事が中心となって立ちあげた都民ファーストの会とやらが示してきた基本政策集の中に、コミケ2020年問題を解決という項目があっておそらくは東京ビッグサイトが2020年の東京オリンピック/パラリンピックで仕えなくなる問題を、どうにかしようって考えているんだととれるけれど、具体的にどうするのかとは書かれていない。

 別会場を用意してくれる? メディアセンターをどかしてビッグサイトで開催させてくれる? そうした確約とまではいかなくても方向性があれば安心できるのに、解決を口にするだけで具体案をこの後に及んで示せてないのことは、信じるのに躊躇いを覚えさせる。というか、コミケットが直面している問題は何もコミケットに限った話ではなく、東京ビッグサイトで開かれている大小様々な展示会が開けなくなって、出展企業は商売が滞りディスプレイなんかの企業は売上が減ってしまって大変といった話。だから展示会の協会なんかが声を上げて対応を求めていたんだけれど、それに対する具体的な政策は示されていなかった。

 だいたいが基本政策集で「コミケ2020年問題」が括られていたのは「観光」で、「経済」ではなかった辺り、都民ファーストの会が東京ビッグサイトの問題の本質をまるで理解してない可能性をうかがわせる。アニメ・漫画を観光資源として盛り上げようとも書いてあるけれど、それらは東京都にとってはひとつの産業であって、そうした視点から支援して欲しいというのがおそらくは都民的な感情。そして石原慎太郎元都知事はアニメ産業こそが東京の地場産業であるという位置づけから東京国際アニメフェアを開催して、商談会なんかも行えるようにして産業振興につなげようとした。それこそが東京都が政策としてやるべきことなのに、ネット受けが良いからとコミケ問題の解決とか、アニメ・漫画の観光資源化を口にする。そんな上っ面の言葉に靡くとあとでどうなるか、ってあたりも含めて出方を吟味して欲しい。東京都民じゃない僕にはそう言うことしかできないのだ。大丈夫かなあ。


【5月23日】 5.0%まで落ちていた、フジテレビのドラマ「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」の視聴率が第6話で5.3%にちょっとだけ上がったみたいで、右肩下がりの場合はだいたいどん底へと突っ走っていく例の多い状況で、よくもまあ盛り返したもの。想像するなら原作でいうところの花房が絡んでいく前段として、3人の元女子高生たちが過去に行っていたことが、暴かれその真摯だけれど衝撃的な内容に驚きつつ、自分たちのことでもあるかと女性層が見入ったのかもしれない。中が良さげに見えて、男関係でひびが入ってそしてどろどろとした感情のぶつけ合いが起こって壊れていく。そういうものなのかなあ、女性の仲ってのも。

 そして続く展開が示されて、蝶形骨なるものが頭蓋骨から抜かれてしまう事件がそこに重なって、まだこれは明示されてないけれど、自殺を誘いかけた女子高生の頭蓋骨からもいずれは蝶形骨が抜かれた可能性、そして自殺へと誘導した謎の男の存在から、いったい誰で何が起こっているんだという気になって、これは見なくちゃとなって来週以降も見てくれれば視聴率も6%を上回り、こちらは下がり続ける月9の「貴族探偵」すら上回ってしまうなんてこともあるのかな。大人気となって同じキャストで映画化とかされて欲しいかは迷うところではあるけれど、好きな原作までもが否定されるよりはこうやって盛り上がってくれればそれはそれで。本当はアニメーションの第2期が来てくれれば嬉しいんだけれど。ないかなあ。あるかなあ。

 引きこもりっきりという訳ではないけれど、都会から母親と別れた父親に連れられて漁港のある町へとやって来ては、あまり誰ともコミュニケーションをとろうとしないカイ少年がいて、打ち込みによって宅録をした音楽をネットにアップしていたら、中学校の同級生らしい国夫と遊歩という男子と女子に捕捉された。すぐに消してしまったけれど、国夫や遊歩は誰彼かまわず話しかけるタイプで、学校でお前だろうと尋ねられバンドやろうと誘われて、拒絶していたけれども家で音楽に浸っていたらそこに現れたのがルーという名前らしい人魚の少女。音楽に合わせて躍り、尻尾が割れて足まで出来るルーの嬉しがる姿にカイは、国夫や遊歩といっしょに音楽をやってみようと思うようになる。

 湯浅政明監督による長編アニメーション映画「夜明け告げるルーンのうた」はそんなストーリー。カイたちが暮らしている陽無町には人魚が人間を襲って喰らうという言い伝えがあって、実際にカイの今は日傘職人をしている祖父は、海女だったらしい母親が漁をしている最中に人魚に襲われたかして海に沈んだまま戻らなくなり、また海辺でいつも銛を構えている婆さんも恋人を人魚によって奪われたと長く信じ続けている。御陰岩なる港を影にしている巨大な岩に祀られている神様が、何かのたたりめいたものも起こして海が上がって町を浸してしまったという話もある。そんな伝説から人魚を怖れる人たちもいれば、人魚ランドを作って儲けようとした遊歩の祖父で町の有力者もいたりした。

 そんな周囲の思惑や困惑をよそに、カイや国夫や遊歩は、寂れた人魚ランドでの楽しかったライブから音楽をもっと人前で演じたいと思い、海岸で開かれた祭りで演奏する機会を得たのを好都合とルーを引っ張り出そうとする。太陽の光に当たると燃えてしまう人魚を昼間のイベントにどうやって引っ張り出すか。とりあえずクーラーボックスの中に入れて歌わせていたけれど、飛び出したルーは陽無町の特産品の日傘を掲げて躍り回って一躍有名になってしまう。漁港でありながら日傘の特産地だという設定がここに生きてくる。あるいは展開のために特産品を設定したか。

 その場面を見て遊歩の祖父や水産会社をきりもりしている父親や、商工会やその他有力者はルーを引っ張り出して町おこしに利用しようとする。そのために遊歩と国夫とカイにバンドを続けるように言うけれど、そこでカイは抜けてしまう。音楽が好きで音楽を作ってルーが気になってルーといっしょにバンドに出ていたにも関わらず、臆したか怖くなたか逃げ出してしまい、ルーを人目にさらされるような場に立たたせ、自分を信じるルーを危険にさらして驚かせたりもするカイには、やっぱり無責任といった印象が漂う。そこに感情ののせづらさがある。

 とはいえ、まだ中学生というカイを考えるなら、自分自身のことが精一杯で、離婚して田舎に戻り水産会社でこき使われている父親と世界に飛躍した母親の間で鬱屈している状況で、すべてを前向きになんて考えられなくても仕方がない。誰かのために何かをするようなゆとりもない状況に、浮かぶ嫌悪はあってもそういうものだからと理解し踏み越えさせすれば、あとあ後半の後悔から覚醒へと到るカイの姿に成長を見て、気持ちを添えることができるだろう。

 どこまでもカイを信じるルーが捕まり、助けようとして現れたパパも交えたちょっとしたスペクタクルと、その先に起こるちょっとしたパニックが後半のメーンとなっている「夜明け告げるルーのうた」。娘思いのルーのパパの姿に感じ入り、決して人間たちを憎んでおらずむしろ積極的に助けようとして、その身を陽光にさらしさえもする人魚たちのどこまでも前向きな姿に感慨を覚える。そんな優しさに背をむけて自分の殻に閉じこもっていたカイの反転に、自分もと思って走り出そうと決意する。カイのように沈んでいて籠もっていて下がり気味だけれど、それではヤバいとも思っている若い世代に、立ち上がり歩き始めるきっかけを与えてくれるストーリーだ。

 もうひとつ、大人になって挫折したり、壁に当たったりして落ち込んでいる人たちにも、そこから新しい自分を探して向かっていこうとするきっかけになるストーリー。ダンスか何かを目指して都会に出ながらで戻って、今は養殖の仕事で活躍している青年も、モデルかなにかを目指して都会に向かったものの、戻って防災放送のアナウンスをしながらカフェの開業や陶磁器作りの道を目指して頑張っている女性も、どちらもしっかりと居場所を得て前へと歩き始めている。カイの父親も妻のやりたいことを認めつつ、自分のできることをやろうと田舎に戻って水産会社で働き始めた。それらはひとつの挫折を経てはいても、今の鬱屈にはなっていない。そんな姿から自分の居場所を探してみるのも悪くない。

 朝のワイドショーでなにやらマンチェスターで開かれていたアリアナ・グランデのライブで爆発が起こって大勢の死傷者が出ているといった速報を流していて、いったいライブ会場のどこで爆発したんだと続報を待っていたら、会場の中ではなく外でライブが終わった後、観客が出てきたところで爆発が起こったとか。中だったら入場時にチェックとかもできるだろうけれど、これは警備の人も防ぎようがない。そして起こることから身を守るのも難しい一件に、できることはこうしたテロなんて起こりえないくらいに優しい世界の訪れを、願いそのために行動していくことだろう。たとえ法律で思想信条をえぐるようにしたところで、思い詰めた個人の強行なんて防ぎようがないんだから。やりたくないと思わせる。やったらいけないと思わせる。そのために何ができるのか。言葉を紡ぐか。生活が楽になってもらうか。正解はないけれど、近い答えを探し、犠牲者を悼みつつ、憎しみの連鎖は抑えて生きていこう。

 これは見たい。宝塚花組でもって萩尾望都さんの名作中の名作「ポーの一族」がミュージカル化されて2018年に上演されるとか。過去にどれだけの映像化なり舞台化の話があったかも分からないだろうけれど、ずっと断ってきただろう作品がいよいよ動き出すとあって萩尾望都さんも納得の内容になっていることだろー。他の萩尾望都産の作品ならすでに「トーマの心臓」が男優版宝塚と呼ばれ続けている劇団スタジオライフによって舞台化されて長く上演され続けているし、やっぱりスタジオライフによって「マージナル」「11人いる」「訪問者」「エッグスタンド」なんかも舞台になっている。いつか「ポーの一族」もと思っていただけに、宝塚に先を越された感じがしないでもない。

 ただ、萩尾望都作品の舞台化という意味では数でも質でもスタジオライフは先駆。逆にいうなら宝塚では娘役に活躍の場がなさそうな「トーマの心臓」なり「マージナル」をスタジオライフでは舞台化しているってことで、「ポーの一族」は先に譲りつつ同じ時期に「トーマの心臓」とか他の萩尾望都作品の舞台化とかあれば、住み分けつつも交流なんかが行われて萩尾望都作品全体が盛り上がるんだけれど。「スター・レッド」とか「銀の三角」とか舞台化されないものかなあ。「メッシュ」シリーズでも嬉しいかなあ。


【5月22日】 停滞していたアーセナルの監督に就任するや、すぐさま立て直してはプレミアリーグの上位に名を連ねるチームに仕立て上げ、チャンピオンズリーグへの出場も連続して18年まで積み重ねてきたアーセン・ヴェンゲル監督だけれど今シーズンはスタートこそ良かったもののだんだんと負けが込むようになって一時はリーグの7位とかそんなものまで順位を下げてしまった。それでも食らいついては上位4チームに与えられる出場権を目指して戦ったけれど、最終節で1つ上にいるリヴァプールが負けも引き分けもしなかったため、勝ったもののアーセナルは5位に止まり19年連続のチャンピオンズリーグ出場は不可能になった。

 あと1つ、どこかで勝っていれば4位に食い込めたけれどそれを言っても後の祭り。勝てなかったからこそのその順位ってのは受け入れる必要があるだろー。ただチェルシーだとかマンチェスター・シティといった買収されて潤沢な資金を扱えるようになったチームが上位に張り付くようになり、そこにリヴァプールだとかマンチェスター・ユナイテッドだとかいった古くからの強豪も入って争うリーグにあって18年連続で4位以内に入り続けたのは快挙だろー。マンチェスター・ユナイテッドはサー・アレックス・ファーガソン監督の退任からこっち、停滞を続けて今季も6位に終わりヨーロッパリーグへの出場権すら逃してしまった。

 アーセナルはそこはしっかりと確保した。スタジアムをハイベリーからエミレーツスタジオへと移した関係で資金はさらに逼迫した中で、若い選手を集めて育てて売って稼ぎ、そしてセスク・ファブレガス選手だとかメスト・エジル選手といったアビリティに優れた選手を早くから招いてしっかりと据えてチームを作り、選手も成長させる手腕を見せて上位に食らいついていった監督としての力量は、他の誰よりも評価されて良いんじゃなかろーか。なるほどリーグ優勝からは遠ざかりチャンピオンズリーグも取れなかったことでファンはいきりたっているかもしれないけれど、分相応ってことを考えるなら成果は十分以上って思える。

 あるいはチェルシー、あるいはマンチェスター・シティを任されていたら……って考えないこともないけれど、オーナーが口出しをせず監督が与えられた範囲内で全権を振るえる環境があって、あれだけの監督力を発揮できたんだろう。とはいえやっぱり不満が残るその成績に、退団の可能性もぐっと高まってきた感じ。まだFAカップの決勝が残っているけれど、相手はチェルシーだしこれに勝ってもCL出場権は与えられないらちょっと可愛そう。それでもイングランドで、というより世界で最も伝統のあるカップ戦をとればそれはやっぱり栄誉なことなんで、勝ってトロフィーを手にして欲しい。そして日本に来てジェフユナイテッド市原・千葉の監督に……それこそ無理だなあ。

 リーガエスパニョーラの方ではエイバルに所属している乾貴士選手があのFCバルセロナを相手に2得点を奪ったそうで親善試合でもないリーグ戦での得点は大きな価値があると言えそう。おかげでバルセロナも本気を出したようで4得点を決めて逆転勝ちしてしまったみたいだし、ってそこから4点を奪えるところがやっぱりバルセロナだよなあ。でも優勝はレアル・マドリードに持って行かれて残念というか、チャンピオンズリーグでも残れなかったあたりにちょっと、勢いにも陰りが見えて来たって言えるのかもしれないなあ。でもリオネル・メッシ選手はリーグトップの得点だったりするから衰えはなさそう。逆に言うならメッシ選手頼み過ぎるところに優勝できなかった要因もあるのかも。このあたりでいろいろ検討してくるかな。

 腐っているのでないなら壊れているに違いない。世界でもトップクラスの部数を誇り新聞ジャーナリズムの代表格としてのポジションに否応なくいたりする読売新聞が、前の文部科学省の事務次官が歌舞伎町にある出会い系バーに出入りしていたことをニュースとして報じている。そこは決して法律に違反する店ではないし、法律に違反をしたかどで摘発あれたといった話も伝わってきていない。証言としていささか色事めいたことも行われているらしいといった利用者の話が添えられているけれど、それに前の次官が関わっていたという証言は皆無。つまりは法律の範囲内で自分の自由を謳歌しただけの話を、その地位にどうとかいった方向から取り上げ批判している。

 なるほど青少年の健全育成を担う象徴のトップがといった意見もあるだろうけれど、その見せが青少年の健全育成を妨げていたといった話は聞かない。だったら酒を飲ませる居酒屋なりの方が未成年は利用できないくらいに青少年の健全育成を妨げる要素を持っている。そういう店に行くことも同様に批判すべきだろう。というか、法律に違反していない店に行くことが事件なら、テレビにも出ているジャーナリスト氏が準強姦罪で逮捕状を請求されながらも直前になって行使が見送れた話の方がよほど事件ではないのか。こちらは明確に法律にひっかかっている。それなのに無視を決め込む一方で、こちらは大々的に取り上げ、内閣官房長官の会見で質問までしている。

 心底から潔癖を求め怒りから報じたのならまだ良い。この件はそうではなく、とある学校の設立問題に関連して、内閣府が文部科学省にお上のご意向をかざしてプレッシャーをかけたといった話がリークされ、最高レベルの人間が大いに困ったといった一件で、リークしたとおぼしき人物がその前次官だったといった話があって、最高レベルの人間にたてつく奴にはキツいお仕置きをするんだといった構図が伺えてしまうところに問題がある。そんなことはないだろうと言うけれど、傍目にそう見えてしまうことの方がジャーナリズムとして大いに信頼を削がれる話であるにも関わらず、お構いなしにそうした構図をぶちまけてしまえるのはやっぱり何かが壊れているか、大いに腐っているからとしか言えない。

 世界のジャーナリストたちがこの振る舞いを知ったら、もう自分たちの仲間とは認めたくないと言って不思議は無いくらいの所業。有意の記者たちもきっと赤面してはどうして止められなかったのかと歯がみし地団駄を踏んでいるに違いない。けれどもそういった恥を感じていながら誰も止められないところまで、紙面作りを担当している人の意識が来てしまったんだろう。天下の大新聞までがそんな状況。そして隣にある自称全国紙はとっくにそうなっているから、官房長官への質問を取り上げ違法ではない行為を悪事のように見せかけることに荷担している。権力の悪事を暴き不正義に鉄槌を下し弱者を助けるジャーナリズムは少なくとも、大手町界隈から消え去ったってことなのかな。やれやれだ。

 原作の漫画は読んでおらず、同じ作者の弐瓶勉さんによる「シドニアの騎士」の漫画も読んでおらず、テレビアニメーションも録画はしたものの深く観入ってはいない状況で、果たしてどこまで理解ができるか、のめりこめるのかを不安視していた長編アニメーション映画「BLAME!」だったけれど、まずは問題なかったと言っておこう。少し未来に生きる少女が描かれて、その祖母だという女性がまだ若かった頃へと時間が遡って始まった物語は、舞台がどうやら巨大な構造物の中らしく、そしてそれは人間のコントロールを失って勝手に増築が繰り広げられているらしい上に、ネット端末接続遺伝子なる都市のコントロール権を担う要素を持たなくなった人間を、異物と認めて排除し抹殺するセーフガードなる敵もいたりする状況があって、その上でセーフガードや監視装置に見つからないようにしてひっそりと人間たちが生きている状況が見えてくる。

 そうした理解はSF読みなら割とたやすく、シンプルな説明と状況の描写によってディストピア的な世界設定なんだと思えるようになっている。そんな世界に登場した6人の少年少女は顔にマスクをつけ、手に銛を撃ち出す銃を持って都市の中を探索している。監視塔に見つかればそこにセーフガードなる一種の番人であり、コンピュータに例えればアンチウィルス敵なロボットめいたものが作り出されて送り込まれてくるから警戒が必要。そしてどうにか目的としていたどろどろなる何か大事な物質の在処にたどり着いたと思ったら枯れ果てていた。栄養素なのか燃料なのか分からないけれど、ともあれどろどろがあれば食糧が得られ、なければ食糧は途絶えて都市の中を行く6人の少年少女たち、ヅルやタエやフサタといった面々が暮らしている集落は数カ月を待たずして飢えて全滅することは避けられない。

 あとは座して死を待つのみか。それは嫌だと勝手に村を出てどろどろ探しに向かったのがヅルら6人の少年少女たちだった。けれどもやっぱり監視塔に把握されては駆除系と呼ばれる這いつくばって高速で迫り、硬い爪で頭を刈り取るセーフガードに教われ次々と一行から犠牲者が出る。ヅルにも迫って危機一髪となったところに現れたのが謎の青年。すっくと立っては手にした銃めいたものを構えて発射。するととてつもなく強大な熱線がビームか何かが出て、固くて上部なセーフガードを一瞬にして貫き破壊してしまった。霧亥と名乗った青年は、重力子放射線射出装置を持ちなぜか監視塔の目をかいくぐる力も見せつつ都市をはるか6000階層は下から旅をしてきたという。

 目的はネット端末接続遺伝子を持つ者を探すこと。けれども目の前にいるヅルやタエやフサタにはそうしたものはなく、ならばと連れ帰った村で迎えたおやっさんんや捨造といった村人たちの誰もそうしたものを持っていなかった。あればすぐにでもネットにアクセスをして都市の増殖を止め、セーフガードの攻撃をやめさせることができたらしい。もっとも都市が暴走を初めておそらくは数千年? それとも数万年? 長い年月が経っているその世界にはもはやネット端末接続遺伝子を持った者が存在している様子はなかった。

 どうしてそういう状況になったのか。人類はどうしてネットへのアクセス権を失い排除されるべき存在になったのか。その部分で大きなドラマがあったのだろうけれど、原作を読んでおらず弐瓶勉の他の作品にも目を通していない身では、そういう風になってしまったと理解することがまずは重要。誰かの差し金なのかコンピュータの反乱なのか。発端は不明でも結果としてまったくの人間であるにも関わらず、その人間が都市と機械によって排除される厳しい世界が出来上がった。そこで人間はどうやって生きているのか。これからどうやって生きていくべきなのか。「BLAME!」で描かれるのはそんなストーリーだと言える。

 とてつもなく巨大な都市が、とてつもなく長い時間をかけて造られ拡がってきたという壮大すぎる状況の、ほんの一瞬ともいえるヅルたちの集落が霧亥と出会い、埋まっていた科学者のシボさんを受け入れて救われた様子を描いただけとも言える映画のストーリー。けれども、そうした断片の背後にある増殖する都市、排除される人類といった設定が伺えるから、物語を断片に留めず作品世界全体が感じられる。一種独特の世界を作り、その上だからこその物語を創造して語るとともに、世界そのものも想起させるSFならではの醍醐味が、しっかりと現れた映画と言えるだろう。

 もうひとつ、テクノロジーが人間の手を離れて暴走する可能性と危険性を啓発する、古典的とも言えるSFのテーマを含んだ作品とも。監視塔から放たれるエネルギーの光線が落ちた場所の物質を変換させて、セーフガードでも何でも作り出すといったテクノロジーの描写、シボが霧亥やヅルたちと出向いた自動工場で、食糧だけでなく自身の新しいボディを作り、けれども介入されてセーフガードを作られたりする万能3Dプリンタともいえる機械の描写なども来たるべき世界の有り様を想像させる。便利だけれど、それが人類に牙を剥いたらとてつもなく恐ろしいことになる状況も含めて。

 とてつもなく巨大な都市、はるか悠久の時間の断片であり一瞬を描いた映画のこれからとなると、想像はできても明るさだけを描くことは難しい。ヅルの孫という少女が語っているように、都市の人間を排除する機能が止まった様子はなく、村人たちはそこに籠もったような状況で暮らしている。ただ前より幸せそうに見えるのは、霧亥が残したもの、そしてしっかりと存在し続けているシボさんの知恵や技術のおかげか。そういった幸運を得た人間がまだ、ほかにどこかにいたりするのだろうかと想像したい。この宇宙に誕生した知性が人類だけではないように、都市にだってきっと生き残っている人間がいて、霧亥と出会い助けられていつか来る解放を待っていると信じたい。


【5月21日】 1ラウンドでの村田諒太選手の手数の少なさに、これでボクシングって言えるんだろうかと思ったWBA世界ミドル級タイトルマッチでのアッサン・エンダム選手との戦い。だってずっとガードを固めているだけで、打ったのは1発か2発でそれも相手のガードの上から。まるでラウンドを捨てているとしか思えないその消極性に「おや?」と感じたジャッジの心理がそのままずっと働いて、時折放たれるパンチがたとえ当たったとしても、そしてダウンを取ったとしてもノックアウトには到らないパンチでは大差はつけられず、逆にエンダム選手が放つ手数の方にこそ優位を感じて採点していった結果が、ああいった判定に繋がったんじゃなかろーか。

 遠くからシャドーをしていただけ、って意見もあったみたいだけれど、ガードを外してパンチを放ったその瞬間こそが相手に攻撃を食らいやすい時。あれだけの手数を放ちながらそこにカウンターを入れられず、ひたすらガードを固めてそしてちょっとだけパンチを放ってほら有効打って言ったって、そこにボクサーとしての勇気を認めるのはなんか違うような気がする。手数が多ければ判定に優位なのはアマチュアだって同じだけれど、プロのそれもミドル級ともなれば見せた隙に対するカウンターが1発で試合を決めることだてあり得る訳で、そうした可能性を噛みしめつつも積極的にパンチを放ち続けたことを評価するジャッジがいても、それは当然かもしれない。

 だから村田諒太選手が勝ちでも負けでもどっちもありだった試合。そこから感じたプロの試合の難しさを踏まえて、次の試合に臨んで欲しいなあ、村田選手。WBAの会長もそんな可能性を示唆しているみたいだし、追い風が吹いている間に自分のボクシングの何がプロの試合では足りていなかったかを理解して、積極的に前に出て、そして相手のパンチも受けつつかわしながらしっかりとフィニッシュブローを決めて完全無欠なる勝利って奴を見せてくれたらカッコいいんだけれど。そういうところには行かず今のこの曖昧な状況のままで消えた方が自分の勝ちを毀損せずに済むと思っているんだとしたら、ちょっと勿体ないなあ。っていうかそれはボクサーじゃないし。少しの休みは仕方が無いとして、次を早くに是非。

 TBSで6月からスタートする「怪獣倶楽部〜空想特撮青春期」というドラマがあって、かつて1970年代のまだテレビで「ウルトラマン」シリーズとかが再放送も含めてひんぱんに流されていて、そして「ゴジラ」「ガメラ」をはじめとした怪獣映画も公開されていたような時代に怪獣や特撮について語り合いたいと人々が集まって作られた「怪獣倶楽部」というサークルというか団体というか同人のことが、語られることになるらしい。そこには怪獣絵師の開田裕司さんもいればアニメ・特撮研究家の氷川竜介さんもいて、そして特撮とアニメについて語り始めたら1番あっても足りない池田憲章さん、「宇宙船」という雑誌で日本に特撮ブームを起こした聖咲奇さんといった面々もいたりして、いったいどんな感じに実写化されて誰が演じるか、なんて興味も湧く。

 まあけどフィクション化にあたっては、相対するキャラクターがいるというよりは、いろいろなエッセンスが混ぜられた造形になるんだろうなあ。怪獣倶楽部のまとめ役という山口翔悟さん演じるニシは竹内博さんで、榎本時生さん演じるナンバー2にして熱血のジョーは中島紳介さん……って対応になるのか違うのか。加藤諒さんが演じる、怪獣のスケッチを担当するユウスケは開田裕治さんあたりが当てはまるのかな、その頃から開田さんが怪獣絵師だったのかはちょと分からないけれど。本郷奏多さん演じるリョウタや横浜流星さん演じる怪獣エリートのカツオとか、誰に対応しているか考え当人を思い浮かべて観ていきたい気もするけれど、そこまで怪獣倶楽部に詳しくないからいずれ放送が始まってから取り沙汰されるアレは誰情報を見ていこう。

 気になったのは、ドラマについて報じられる時に「怪獣オタク」といった言葉が使われていること。でもオタクって言葉が“発明”されたのは1980年代の半ばのことであって、1970ねんだい半ばの怪獣倶楽部のころにはまだなくて、おそらくは怪獣マニアとか怪獣博士とか呼んでいたんじゃなかろか。そんな使われていなかったタームを遡って使うこと、それ事態は雰囲気を分かりやすく伝える効果はあるけれど、今でいう「オタク」のレッテルとしての手軽さなり、あるいはねめつけてネガティブなニュアンスを含んで言う時の奇矯さなりとは違った、もっと根源的で探求的な熱情めいたものが「怪獣倶楽部」という存在にはあって、遡ってあてはめて現代的なタームの意味に染めてしまって良いんだろうかという気もしないでもない。そのあたりも当人たちがどんな気分でいるかを聞いてみたいところ。気にしないかなあ。

 SF好きの小松さんって女の子が主人公になって宮内くんという別にSFが好きでもなんでもないけど理解力のある男子とSFについて語らうという、マイルドでポジティブな「バーナード嬢曰く。」といった感じの大井昌和さんによる「すこしふしぎな小松さん」(白泉社)が刊行されて、あと同時期に「おくさん」とそれから「明日葉さんちのムコ暮らし」の最新刊も出たってことで三社祭ってのが高円寺で開かれて見物に行く。ゲストにエロマンガ界のスーパースター、師走の翁さんを迎えてのトークイベントは大半がエロマンガについての話だったけれども大井さんがセーラー服の女子高生とかに萌えて描いている訳ではなく、「めぞん一刻」の音無響子さんが設定年齢ではなく雰囲気的な年齢としてアラサーだと感じて好きだという大人女性が好きで描いているといった話から、なるほど好きを極められることの良さ、そんな場所に来るまで描き続ける大切さってものを感じ取る。

 思えば「ひまわり幼稚園物語あいこでしょ!」がスタートした当時、書評を「電撃アニメーションマガジン」で連載していたこともあってか編集部から回してもらって読んで紹介したんだっけ、違ったっけ、あんまりよくは覚えていないけれども読んで名前を知った記憶があって、その延長で「流星たちに伝えてよ」ってSFコミックを読んであまりの凄まじさと素晴らしさに滂沱してこの傑作を世に出す人をSFはもっと称揚しなければならないと思ったんだっけ。続けて「女王蟻」ってサイバーパンクな漫画も書いてSFに来てくれると喜んでいたら、あんまり売れなかったのか元より得意な熟女方面へと向かってそこで成功してしまった。惜しいなあ。本当に惜しい。

 その後も「モトカノ食堂」みたいに熟女でありながらもSFめいた作品を描いてSF好きなところを漂わせていたところに登場した「すこしふしぎな小松さん」。あの日本SF大会こといせしまこんへと出向いてSF作家と出会い描いた話なんかも載せていたりで、それを読んでSF作家の人たちも喜んでいたりしてこれでSFをまた描いてくれるかどうかってあたりが気になるけれど、ヤングキングアワーズで連載していた「起動帝国オービタル」はスケールが壮大すぎてちょっと読者もついていけなかったみたいで宙ぶらりん。やっぱりしばらくは「おくさん」で「ムコ暮らし」みたいな豊満を通り越した女性たちによるエロさを感じさせる作品にかかりっきりになってしまうのかなあ。いやでも「SFマガジン」に「すこしふしぎな小松さん」の番外編が載るみたいだし、そこからSFマガジンが短編を描かせるとかしていけばいずれは本にまとまってくれたりするのかな、しないかな。見守りたい。


【5月20日】 「正解するカド」は総集編だったようで、お前いつから眠ってないとヤハクィザシュニナに言われた真道幸路朗に追い打ちをかけるようにヤハクィザシュニナが人類は睡眠から解放されるとか言ったあたりから想像するに、睡眠という一種の快楽を取り上げられることにどんな混乱が起こるのか、それを受け入れ夜も寝ずに働き遊んで消費と生産を促して得られた人類の繁栄が地球という限りある資源をどれだけ早く食いつぶすのかといった展開が浮かぶ。無尽蔵のエネルギー源も与えられた人類がすることって、ほかにないからなあ。資源を求め住処を捜して宇宙に出て行くにしても、それには技術的なブレイクスルーが必要で、それをカドが提供してくれるとは限らないし。

 あるいはは睡眠欲に加えて食欲と性欲も奪われた人類が、創造力とか思考力まで奪われ働くだけの道具と化して、ヤハクィザシュニナが仕えるカドなる存在のために地球を食いつぶし、宇宙までをも食いつぶしては別の次元の敵と戦う尖兵にされるのか、なんて想像も浮かぶけれど、そんな素人でも思いつくような展開を、あの野崎まどさんが書いているとは思えないだけに、もっと凄まじい飛躍と転倒があると信じて、来週からの放送を見ていこう。ワムなんてものを無償で人類に与えてしまうヤハクィザシュニナの態度に対して徭沙羅花の感じている不穏が当たっていくのかな、やっぱり。

 「BLAME!」だ「BLAME!」だ、弐瓶勉さんの漫画を原作にしてポリゴン・ピクチュアズが長編アニメーション化した「BLAME!」に東日本では唯一というドルビーアトモスでの上映がイオンシネマ幕張新都心であるってんでイオンモール幕張新都心へ。音響監督の岩浪美和さんが、「ゼロ・グラビティ」を観てその音響に衝撃を受けて早く何とかしないと日本の映画の音響は世界から取り残されてしまうと思い、機会あるごとに働きかけては実現しなかったドルビーアトモスでの映画作りが、日本のアニメーションでは初めて「BLAME!」という作品で実現したそうで、3月にはどんな音に仕上がったのかを聴かせる試写もイオンシネマ幕張新都心で行われた。その時に聴いた限りでは後から走ってくる音がちゃんと後から前へと抜けていってドルビーアトモス凄いと思ったっけ。

 公開に当たっては、そこからさらに東亜重音という低音を響かせる音響にもしたそうで、どんな音に仕上がったかを観るにはやっぱり初日に行かなきゃ意味がないと思った次第。あとは他にもいっぱいドルビーアトモスで作られた、そしてULTIRAという特大のスクリーンで上映するに相応しいヒット作があるにも関わらず、決してメジャーではない「BLAME!」を上映してくれるイオンシネマ幕張新都心の心意気に応えて映画館を埋めて上げないと、支配人がイジめられて他の人気アニメーションが上映されなくなってしまうってことも。幸いにして初回は満席で2回目3回目もそこそこ入っていたみたいで、ドルビーアトモスというアニメーションの音響革命がどうにかこうにか始まったって言えるかも。

 ただ都心部にだって幾つもドルビーアトモスの劇場はあるのに、そうしたところではこの「BLAME!」の上映は行われない模様。そりゃあ劇場だって興行成績を考えるならお客さんがいっぱい入る洋画をドルビーアトモスなんて設備が入れてある大きなスクリーンで回して稼ぎたいだろうけれど、日本にだって挑戦的な作品があるんだってことををアピールしていかないと、日本の映画は音響面で世界から取り残されてそして世界で勝負していけなくなってしまう。そんな未来を見越して映画を育てる意識も持って劇場が映画を意識的に選んで収益を時には脇に置いて上映していくような意識が生まれて欲しいんだけれど、やっぱり自分のところが大事って感じかなあ、「この世界の片隅に」だって結局、都心部のシネコンでは書けようとしなかったし、TOHOシネマズ。ちょっとがっかり。

 そんな「BLAME!」を観る前にイオンシネマ幕張新都心ではアイドルたちがわんさか出てきてステージで歌うミニフェスみたいな「IDOL CONTENT EXPO」なんてのをやっていて、スケジュールをのぞくと最近ちょっと感心を持ったつりビットが出るってんで上映前だったこともあってのぞきに行ってはLa PomPonから続けざまに3グループほどを観察というかステージ前で拳振り上げ声出して応援というか。6人組のLa PomPonはダンスにキレがあって可愛らしくてとっても良かった。

 続く桜エビ〜ずは私立恵比寿中学校ことエビ中の研究生によるグループらしいけれども小学6年生から高校3年生まで幅がありながらも6人が役割を持ってポジションを固めているようで、観ていて安心感があった。みんな巧いし可愛いしそしてつりビット。テレビのCMだか番組のEDだかで流れていた、角松敏生さんっぽさ漂う夏の海な感じがする「Get ready Get a chance」はやらなかったけれども代わりに山下達郎さんの「躍ろよ、フィッシュ」を歌ってくれてさすがは歌と踊りと釣りで世界を目指すアイドルグループだけのことはあると感心する。あとはアルバムタイトルになっている「Blue Ocean Fishing Cluise」か。

 もう4年くらい活動していて熱いファンもいるみたいだし、タイアップもいろいろやっているみたいなんでそれなりのポジションまで行けるのかな。っていうかアイドルユニットでAKB系とハロプロ系以外でももクロやらでんぱ組やらI☆Risやらのポジションまでどうやったら行けるか、といった明確なロードマップってちょっと見えづらい。事務所力っていうならつりビットって分かりづらいけれど、でもライブハウスを中心とした活動から少し、大きくなっていくことは出来そう。そこで掴めるか、そして羽ばたけるか、って分かれ目にいるのかなあ、だからちょっと応援したくなって来た。ライブ、行こうかな。

 ドワンゴによる将棋の棋戦、叡王戦が竜王戦名人戦王位戦王座戦棋王戦王将戦棋聖戦に並ぶタイトル戦になったとかで、これまで7大タイトルと呼ばれていたものが8大タイトルになって羽生さんが全タイトル制覇に向けて準備運動を始めていそう。この叡王戦のタイトル戦入りの何が興味深いって、これまでの棋戦と違って新聞社とか通信社ではないところが将棋のタイトル戦を持ったこと。日刊紙等のコンテンツとして有意だった将棋がもはや日刊紙という媒体の優位性が衰える中、ネットという媒体において中継も含めて行って価値あるコンテンツになっているという状況が改めて示されたって言えるかも。

 将棋連盟だって将棋ファンだって、遅れに遅れて棋譜が載る日刊紙なんざあ待って集めて読んでいるだけ暇でもないからねえ。あとはお金の問題で、斜陽のメディアと言われて久しい新聞社やら通信社に支払う余力がなくなる一方、新興のネット企業にはいっぱいのお金がある。叡王戦なんていきなり序列3位で竜王戦、名人戦に継いでたりする。こうなるとあとは、新聞の将棋欄なんてもう読んでいないって読者を相手に高い契約料を払ってタイトル戦を維持するだけの価値があるかとどこかの新聞社がタイトル戦をやめたりしないかってことで、ここでやっぱり産経新聞が主催している棋聖戦あたりがタイトル戦から外れていく可能性があるのかなあ。今でさえ序列は最下位。そしてご多分に漏れずいろいろ大変そうだし。東京オリンピック/パラリンピックのオフィシャルスポンサーにもまだ、全国紙で唯一入ってないんだよなあ。どうなるかなあ。


【5月19日】 「宮崎駿監督が引退を撤回するってよ」「知ってた」。いやまあ知ってたといってもいずれそうなるか、そうならないなら寿命が尽きるかどっちかだと思っていたら、やっぱり作ると言い出してスタジオジブリのサイトで動画と美術の募集を始めていた。ちょっと前にニコニコ超会議2017で鈴木敏夫プロデューサーが、絵コンテはまだ20分くらいしか描かれてないって話していて、完成にはしばらく時間がかかりそうに感じられたけれど、それでも作ると公言をしたからには、絵コンテ執筆にも力がはいって前向きのベクトルも加速していくんじゃなかろうか。案外に早く完成をするのかな。でもやっぱり2019年くらいになるのかな。2020年のオリンピックの合わせて開会式で上映するとか。2時間のアニメーションを。それでも世界は喜ぶだろーけど。

 気になるのは一時のスタジオジブリの制作部門閉鎖でもってクリエーティブなスタッフのほとんどが散逸していしまっていることで、動画はコミックスウェーブが集めて「君の名は。」で活躍してもらったよーだし、美術は想像するなら米林宏昌監督の新作「メアリと魔女の花」に関わっていそう。原画もベテランはあちらこちらに雇われているだろーから、いざ鎌倉とはせ参じるかというとすぐにはちょっと難しい。細田守監督だって新作の制作に入って2018年の公開を目指しているし。とはいえそこは世界の宮崎駿監督、絵コンテの仕上がり具合を見て本格的に現場を立ちあげるとなれば、その下で学びたいと思い集まってくる人もいそうなだけに、あとは新人として集める動画と美術がどこまで戦力になっていくかってあたりか。色設計は保田道世さんの代わりを誰が務めるんだろう。ちょっと気になる。

 美少女が鉈を振り回す雰囲気が頭について離れない「ひぐらしのなく頃に」のシリーズ。2002年に登場したサウンドノベルが原点で、テレビアニメーションとかになったのを確か観た記憶があるけれど、その後もコミックが出たり映画になったりテレビドラマになったりと、いろいろなメディアで展開されていた様子。パチスロとパチンコにもなっていて、パチンコでは大一紹介が2013年にリリースしてそれなりのヒットを飛ばしていた模様。だから4年がたって第2弾となる「CRひぐらしのなく頃に叫」ってのが登場してきた感じで、狂気の中にプレーしてながら運命を切り開いていくと、ぱっと開けて快感が訪れるとかいった内容になっているらしい。鉈で頭をたたき割られて終わりじゃあ、パチンコにならないものなあ。

 そんな「CRひぐらしのなく頃に叫」の発表会に合わせて大一紹介が開催したのが「VRパニック」と銘打ったイベントで、「ひぐらしのなく頃に」をVRコンテンツ化して楽しんでもらったり、あの世界を再現したウォークスルータイプのアトラクションを作ってはファンを呼んで楽しんでもらっていた。いや怖がってもらっていたか。何しろ「スッキリ!!」でお馴染みのリポーターの阿部祐二さんが登場して試したのは良いんだけれど、「何か動いているような、あたふたしていうりょうな感じがあります」「どんなところに連れて行かれるのか?」「待て! これは何だ? 染み出いるような……水じゃない……」といった感じに雛見沢分校の中を歩いて行く「VRひぐらしのなく頃に現」のストーリーを実況して、怖さって奴を感じさせていた。

 時間の都合か最後まではいかなかったみたいだけれど、ケンタ君が並んだ部屋があって血しぶきが飛んで、そして現れる竜宮レナといった展開は作品からそうなると分かっていても結構怖い。自分でアクションできないのもそうした怖さって奴を感じさせる要因になっている。そういえば桜花一門ってVRのスタートアップベンチャーが、VRでホラーハウスを展開しているんだけれどそこではプレーヤーは武器を持てず、ゾンビと出会ったらただ逃げることしかできない。武器を持つと怖さが薄れてしまうというのが理由で、それが「VRひぐらしのなく頃に現」にもあてはまった。ストーリーは短かったけれど、こうしたプロモーション用アトラクションではない、もうちょっとボリュームのあるVR版「ひぐらしのなく頃に」を試してみたいなあ。その時は何度鉈で殴られ殺されることになるのか。楽しみでもあり恐ろしくもあり。

 歌詞であってもそれが論旨において必要であって、なおかつ全体の決して多くは占めていないなら正当な引用の範囲であって、見てこれは請求なんて出来ないと考えるのが普通の頭なんだろうけれど、JASRACにそうした自分のアタマで物事を考える余裕なんてないんだろう、何か引用があればそれは著作権料が取れるんだという認識でもって京都大学の総長が新入生に向けた式辞にボブ・ディランを引用したことをもって、著作権料の支払いを打診してしまった。いや請求はしていないってJASRACは言い訳しているけれど、使用状況を確認する目的で連絡をして利用許諾の手続き内容を教えたのならそれは払えといっているに等しい。京大だから突っぱねられたけど、普通の人がそうやって言われたら払うしかないって思うだろうし。

 英語の歌詞のまんまではなく翻訳も載せているあたり、そうした翻訳権はどうなっているんだとかいろいろ言われるかもしれないけれど、おおむね引用の範囲内で営利目的でもないのなら、スルーするのが世界的な空気なんじゃなかろーか。そんな中でも一部であっても引用があればさあ金払え、って鬱陶しいJASRACに対抗するため、来年は京大の総長がそれならばと壇上で自作のリリックをラップでぶちかまし、それを新入生代表が受けて立ってフリースタイルのバトルに突入するとか起こったら燃えるんだけれど。総長が「セイホー」と言い新入生「ホー」と答えたり。そしてリリックの間にJASRACカスラックとかいった韻も踏んで織り込むとか。楽しそうだなあ、そんな入学式。卒業式でも良いぞ。

 9カ月は続いた新海誠監督の長編アニメーション映画「君の名は。」の東京都内の上映がほぼほぼ終了するということで、大きなスクリーンで自転車に乗って走る宮水三葉のパンツをしっかりと確認できる機会も途絶えると思うと、いてもたってもいられず上映中の劇場へと出向いて最終となる上映を最前列で観る。しっかりと見えた白。実に満足。いやもちろんそれだけれはないけれど。公開時は何を書いてもストーリーを明かしてしまうことになるし、自分自身も一切の情報を遮断して、予告編の情報だけで後は漂ってくる展開からおおよその当たりをつけて観に行って、驚きの連続を味わった関係から何も語らずに来た。そしていよいろ上映がほぼほぼ終わって、あとはパッケージの発売を待つばかりとなった今、もはや黙っている必要もないと考えここにいろいろと書き記していくとするならば、まずは世紀に残る大傑作だたっと断言したい。

 冒頭から末尾まで、一切の無駄を感じずダレ場も覚えないで見ていっては、また見たくなるような感覚に襲われた。すべて展開は知っている。次に何を言うかも三葉や立花瀧が何をするかも分かっている。それでもやっぱり見入ってしまうし、ティアマト彗星なるものが落下してきて糸守町が大変な事態に陥ることが、映画の中で回避されて大勢が死なずに済んだ展開にホッとする。その後に記憶も経験もなかったことにされた三葉と瀧が、それでもどこかにひっかかった意識に引っ張られるように巡り会って言葉を交わすエンディングを観て、良かったなあと胸をなで下ろす。そうなることは分かっている。分かっているけれどもそうなるまでの段取りを見守り、ああそうだそうなったからこそそういったんだといった進行に、納得しつつ感心もしてほくそ笑む。

 感動の確認。それが何度でも許されるところに、この「君の名は。」という映画の凄さがあって、それが記録に残る観客動員数であり、興行収入の獲得に繋がったのだろうと思う。1度観て分かって終わり、1度観て可愛い、格好いいと感じて終わりにならない映画に仕立て上げたこと。キャラクターの表情であり仕草であり、苛立ちを感じさせないシナリオであり設定であり、そんな展開に重なってライブ感を覚えさせてくれる音楽であり、巧みな演じ分けを見せてくれた神木隆之介であり紙白石萌音といった声優陣の頑張りであり、といったものが支えたことが、この映画を新作ならがもエバーグリーンの1本へと押し上げたんじゃなかろーか。

 瀧が三葉となり三葉が瀧となって、浮かぶセクシャルな方面への興味をさらりと流し、カラリと描いて淫靡な方向へとは向かわせない。だからといってオミットはせず胸を揉む、股間に触れる、胸を揺らす、男同士の友情の中においてみるといった、大小はあっても興味は男女を問わずある異性の日常への興味を入れ込んで引きつける。自分がそうなったらどうしようか。そんな想像を引っ張ってはグロテスクな方面へとは引っ張り込まず、適度なエロスの中に遊ばせてくれる。入れ替わった時に起こるだろう混乱も、ちょっとヘンだったといったニュアンスの中に入れ込んで、周囲にも、そして当人にも気苦労を抱かせないから、そうしたキャラクターに身を寄せている観客も居心地が悪い思いをしなくてすむ。巧いなあと思う。

 そして迎えた運命の時。一方で瀧は東京で降る彗星を見上げて空前の天体ショーに酔いしれて後、3年が過ぎて高校生となってその身に三葉を迎え、そして瀧は3年前の三葉へと飛ぶ。このズレが意味するものはなにか。そうでなくては物語が成立しないといった仕掛けではあるけれど、一方で糸守という場所に古くから伝わるある種の儀式であり、宮水という家に伝わる不思議な血が一種の運命を背負って長い時を経て、世界を救うために本領を発揮したともいえる。

 もしかしたら、宮水神社の御神体が鎮座するあの山上のクレーターが出来た過程、それとも糸守湖が出来た過程で、誰かの慚愧にも似た感情が集まりわき上がっては、後の不幸を繰り返さないために儀式を残し、血を残して後生に伝えようとしたのかもしれない。踏み込めば来たるその時をすら予想して、はるか昔から仕込んでいたのかもしれない。それが宮水神社の巫女である三葉に四葉ともども口噛み酒を作らせ体の一部を保存し後に利用できるようにしたのかもしれない。気持ちと記憶を織り込んだ組紐を作らせ、当時は三葉にとって実質的には無関係だった瀧に手渡すような時を作らせたのかもしれない。

 そうした仕込みが発動し、瀧は組紐の念に引っ張られるように3年前の三葉が暮らす世界へと降臨し、そして糸守町を救うための布石を打つことになった。いや、だったら三葉が1度は落ちてきたティアマト彗星に打たれて糸守町の住人たちとともに死んでしまったのはなぜか、といった疑問が残る。救うなら最初から救えば良い。無かったこおにすれば良いんだけれど、それでは瀧の側に動く理由が見つからない。過去へと飛んで三葉という存在、彼女の周囲にいる勅使河原克彦であり名取早耶香であり妹の四葉であり祖母の一葉と言った個別の知り合いを得たことで、救わなくてはという思いが強くなって、瀧の足を山上の御神体へと向かわせ、過去へと行かせて勅使河原を誘い早耶香を巻き込んでのテロ行為へと到らせた。

 死んでしまったはずの三葉が、山上の御神体に横たわる瀧の体で目覚めることなんてあるはずがない。そこに時系列の歪みが見えるといった言葉も出そうだけれど、本格的に瀧が立ちあがって過去へと飛んで、糸守町の人たちを救おうと動き始めた時点で過去は変わり、三葉は彗星に打たれずに済んでそして心は未来へと飛んで瀧に入って、そこで三葉に入った瀧と初めて直接出会って元通りになり、動いて糸守町の人たちを救う……前後がどこか錯綜するかもしれないけれど気にしない。結果良ければすべてよし。そういうものだから。


【5月18日】 最近では「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」のキャラクターデザインが大勢の人の目にとまっていた伊藤悠が、2009年ずっと描いて来た漫画「シュトヘル」が単行本でも完結。テムジンことチンギス・ハンが西夏を幾度も攻めては西夏文字を消滅させようと画策する中で、息子たちが登場してそんな1人のユルールが乳母に近い西夏の女性の影響もあって西夏文字を残そうと画策する中で、西夏の兵士だった少女がたぐいまれなる技量を手に入れ暴れ回ってシュトヘル(悪霊)と呼ばれるようになっていたのと出会い交流するものの、やがてシュトヘルは捕らえられて死亡、したかと思ったところに現代日本から須藤という少年の意識が入って一種不死身の存在となった。

 そして、ユルールと出会い逃亡し離別した中でそれぞれに大冒険を繰り広げるといったストーリーは、不死身だったシュトヘルが戦いの中でスドーの意識も抜けてしまって既に死んでいた状態に戻り、そして年月が過ぎてチンギス・ハンが何度目かの西夏攻めを行い、いよいよ滅亡も間近というところで死んで後、チンギス・ハンの元に行って4兄弟のひとりのトルイに成り代わっていたユルールがひとりの女性と出会うといったところまで来てそして、現代では須藤がスズキさんというユルールの面影を持った少女と再会するといったところで終了。輪廻転生によって縁が結ばれる展開の中にモンゴル帝国の歴史を織り交ぜ当時の壮絶な戦いぶりを描いた歴史ファンタジーの傑作。手塚治虫漫画賞の新生賞を受賞しているけれど、それこそSFとかの賞にも名前が挙がってもっと知られて欲しいなあ。

 顧問の教師がやる気ナッシングな中で新入部員が猪突猛進でネットからコンタクトをした相手が元日本代表だったりして、それも優秀すぎるコーチだったおかげで神奈川高校ラグビー部が一気に強くなっていくという幸運を描いた漫画「ALL OUT!!」のようには現実はうまく運ばず、経験もないのに部活動の顧問を任された教師が休み時間も勤務時間外も休日すらも利用してコーチングを勉強して付け焼き刃のように教えたり、果ては山岳部だなんて命が関わる部活動を任されては部員の生徒を危険にさらすようなことが怒っていて、熱心な顧問の旧態依然とした指導によって生徒が傷つく事件が起こっている一方で、先生の側にも無理が生じている状況が“ブラック部活動”としていよいよクローズアップされて来ている。

 そんな状況の改善につながるかもしれないのが、教育ITソリューションEXPOで見かけたJASPってところが提供しているトレーニングやコーチングの映像配信サービス。軟式テニスや陸上やソフトボールやバレーボールや体操や柔道にライフル射撃まで、さまざまなスポーツに関連した映像が大学だとかクラブチームの指導者と選手の出演でもって配信されていて、みれば顧問の教師もこれを参考にして提案できるし、部員たちが顧問の手を患わせることなく自主的に見て自分たちでトレーニングしてけるようにもなっている。ライフル射撃なんて教われる場所も教えてくれる人もそうはいないもんなあ、ってうかする場所もそうはなく、する人もそうはいなさそうだけれど。

 教師が顧問として時間を取られてしまうブラック部活動問題の解消のため、外部から指導員を招こうって動きもあるけれど、そのお金はいったいどこにある? 籠コーチみたいな奇特な人はそうはいないって現状を考えるなら、こういった映像を見せることで先生は無理な勉強をせずに済み、生徒もより実践的な情報を得られるようになる。提供する側も大学名だとか企業名をアピールして進学就職希望者の確保につなげられるなら、これはなかなかに優れた試みかもしれない。ちなみにボクシングは元世界チャンピオンの飯田覚士さんが教えているみたいで、ほとんど素人からチャンピオンにまでなり、今は解説者としてクレバーなコメントをしてくれている飯田さんのコーチングなら強くなれそう。観てみるか。

 ネットで無根拠の飛ばしコラムを載っけて、突っ込まれれば言論弾圧だと反論してやれやれ感を漂わせるどこかのメディアとは違って、とりあえずチェック機能が働いている朝日新聞が1面トップで載っけてくる以上は、加計学園の大学による今治市への獣医学部新設に関して文部科学省と内閣府がいろいろと話し合ったという記録が、怪文書の類ではないことくらい調べもついていると考えるのが真っ当なのに、あそこはデマばかりだというネットの空気に巻かれるように、名前も日時も書かれてないなんて役所の文書じゃないよといった話から、怪文書だろうとか言い出す人たちも出て来て何というか、そこまでメディアって信頼されていないのかというか。

 いくら過去に飛ばしがあったとしても、ホットな話題に対して1面トップで打ってくるからには、そんなヌけなんてあるはずがないじゃないかと考えるのが普通の心理なのに。でもそこはやっぱり周到で、官房長官までもか怪文書扱いをしたのを受けて追撃とばかりに出してきた名前も日付も入った会議録。これで決定打かと思いきや、それでもやっぱり署名捺印がないのは役所の文書じゃないと言い出す人がいて、否定したい人はどこまでも否定するんだなあと呆れる一方で、メディアってもうそこまで信頼されなくなっていたのかと残念な気持ちが巻き起こる。いやでもどこかのメディアがデマやら侮蔑発言やらをまき散らしても、それを信じる人が賛意を示すその口で、朝日新聞が何を書いてもデマだと言い募っているだけの雰囲気もあるんで、世間ではまだ信じられるところは信じられているんだろう。そういった取捨選択の中で切り捨てられた新聞が向かう先を今は心配した方が良いのかな。

 しかし新しく報じられた文書は、「官邸の最高レベルが言っている」って内閣府側の人間が口にしていて、これはもう相当に上の方のご意向が働いたって印象を受けざるを得ない。ただしこうやって具体的な姓名を言わず仄めかしに留め言質を取られないようにしているあたりに巧みさがあるというか。これを捉えてやっぱり怪文書に過ぎないという人もいるしなあ。でも逆にそういった推察と忖度で回る世界で最高レベルといったらあの人とその周辺しかないと分かりそうなもの。やがて具体名を挙げての証言も出てくる可能性もあるけれど、そこに到る過程でプレッシャーをかけつつ弥縫策を紡いで逃げにかかるかもしれない。遡って内閣府に「最高レベル」という名前の人間を雇い入れたことにして、その人間が無任所ながらも時折口走っている床屋政談に過ぎない言葉を、勝手に忖度しただけだといった。いやいやさすがに「最高レベル」という人間が用意できないなら、そこは「西光段」として“自称・サイコーレベル”とさせるとか。無茶苦茶だなあ。でもそんな無茶もまかり通る現政権。やれやれだ。


【5月17日】 家を出た、職場に向かった、職場を出た、電話をしたってことが昨日までとは違っていちいちニュースになってしまう自分の“俺に関する噂”っぷりを改めてどう感じたんだろうかちょっと知りたい海の王子。そうなるだろうとは予想していても、圧倒的多数で押し寄せてきてはカメラを向けてマイクを向ける人たちに、その瞬間に辟易とさせられるだけでなく、そうやって姿がさらけ出された以上は今後、何をするにも衆人の目が及ぶことを覚悟しなくちゃならない。

 秋葉原で買い物をするのも恥ずかしくなりそうだし、そういったタイプではないとしても本屋で立ち読みなんて出来なくなる。何を読んでいたって噂されるから。トイレだって簡単には行けなくなる? それはさすがにない……っって言えないところがこの国のメディアスクラム的状況。皇太子妃雅子さまが昨日までのキャリア外交官から一変した暮らしに入った時に、受けたストレスもきっと凄まじかっただろうし。だから今も……。まあしばらくはつきまとっても黒田清子さまの暮らしが今どうか、あまり取り上げられないのを観るにつけ、瞬間風速的な嵐も遠からず過ぎ去っていくだろうから、それまで気を保って日々の暮らしを続けて頂こう。周囲もだからそっとしておいて差し上げて。

 笹田純の登場が最近ちょっと少ないのが、眼鏡っ娘成分を薄くしていて残念ではあるけれど、それでもちょっとだけ登場してくれて嬉しかった「夏目友人帳 陸」は西村と北本が夏目貴志とどう仲良くなっていくかを描いた過去エピソード。といっても未だにどちらが西村で北本なのか分かっておらず、観終わった今も家に連れ込んでっしよに鶴を追ったのが西村だったっけ、教室でカーテンに夏目が巻き付かれているのを目撃したのが北本だったっけ、ってな認識。名前はあっていても今度はキャラと一致しないんで次観てもやっぱり分からないかもしれない。

 だからもう出さずに笹田純1本で、とはいかないのはあの2人が夏目を日常に結びつけている大切なキャラクターだから。藤原夫妻と同様、アンカーのように夏目を現実世界に引き留めては、妖怪たちにまみれ引っ張られていきがちな夏目がどうにか踏みとどまっていられるようにしている。笹田純はあれで結構、夏目の性質を知っている感じがあるからそういったキャラにはなり得ない。平穏があるからこそ非日常へと片足を突っ込んだ夏目の日々の辛さであり、また興味深さといったものが浮かび上がる。そういう役をこれからも2人には果たしていって欲しいもの、だけど今、彼らって何年生だっけ? 成長していくドラマだったっけ? ちょっと気になった。

 東京ビッグサイトで始まった開催中の教育ITソリューションEXPOを見物に行く。ICHIGO JAMってボードを使ったプログラミングの学習キットなんかがブースを出してて、ゲームをプログラミングするだとかロボットを作って動かしてみるだとかったプログラミングをBASICで書く勉強ができるようになっていた。教わりながらでもコードを打っているとそれがどんな意味を持ち、そして数字を変えることがどういう意味を持つのかが何となく分かってくる。その上でだったらこの数字を入れるとどうなるか、このコマンドを並べるとどういった動きになるのかを想像していく楽しみがあって、そこからプログラミングへの興味を誘いそう。40年早くこういうのに出会えていたら自分んもプログラミングに興味を持てたかもしれないなあ。でも当時はパソコンなんて見渡してもなかったし。恵まれている環境をだから子供は生かし、大人は生かさせよう。それこそが日本が世界から取り残されない道だから。

 そんな教育ITソリューションEXPOで見かけたのがHUE ANIMATISONってフレキシブルなロッドがついたスタンドタイプのカメラとソフトのセット。カメラでもって物体をちょっとづつ動かしながら撮っていき、それをソフトを入れたパソコンの方で観ながらつないで編集していくと1本のストップモーションアニメーションが出来上がるといった具合。三脚と違ってフレキシブルになっているから、カメラの位置を変えて回り込みとか表現出来そう。アニメーションを学んでいる学生さんとか動かし方とかカメラワークの勉強に使えるんじゃないのかな。8000円だし。自分でも試してみたくなってきた。

 少年は田舎にある神社の息子で、本当はマンガ家になりたくて、死んだ母親が読んでいたという少女マンガを引っ張り出しては読んで、こっそりと模写をしていた。けれども神主の父親は息子に神職を継がせようとして、朝から晩まで境内を掃除させ、祝詞のあげ方を学ばせる厳しい修行を課していた。そんな毎日が嫌になった少年が、神社を抜けだし裏山に入るとそこにいたのが白くて長い髪をした少女。実は彼女は山に住まう神様の眷属で、少年から見せられたマンガが気に入ってもっと読ませろと行ってきた。そんな日々から少年は自分が進むべき道を決心しようとするが、そこに事件。ご多分にもれずどこも厳しい経済状態の中、神社の経営も大変で借金取りがおしかけすべてを奪おうとしていた。そんなピンチに少年は神様の眷属の少女といっしょに立ち向かう。

 どこのライトノベルだ。って言いたくなるストーリーだけれど、これを遠くアイルランドのはるか9世紀に置き換えたような作品が、長編アニメーション映画「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」を手掛けたトム・ムーア監督による2009年のアニメーション映画「ブレンダンとケルズの秘密」。もちろん少年がこだわるのはマンガじゃなくて聖書の写本で、「ケルズの書」と呼ばれてアイオナ島で制作が始まり、やがてケルズ修道院で完成に到ったという貴重なもの。今ではアイルランドの国宝として美しい輝きを放っている。

 そんな写本が作られるまでの物語の中に、バイキングの襲来という事件を混ぜ、修道院長の叔父に厳しく当たられるブレンダンという主人公の少年がいて、アイオナ島から逃げてきた修道士によって書写を勧められたもののバイキングの襲来を防ごうと城壁作りに精を出す叔父はブレンダンの書写を認めようとせず、ブレンダンは間に挟まれて苦悩の日々を過ごす。そんなある日、書写に必要なインクの原料となる植物の実を取りに森へと入ったブレンダンは、そこでアシュリンという名の白くて長い髪をした少女と出会う。その彼女は……。

 といったストーリーはボーイ・ミーツ・ガールの淡さを感じさせつつ、少年がやりたいことのために自分を貫く意志を示しつつ、バイキングの襲来という苛烈な時代を描いてそして、ブレンダンのために力を振るったアシュリンとの今再びの出会いを想像させる。アイルランドという国の深い森の中が舞台になっている物語を、装飾的でなおかつ平面を重ねるような絵画的な画面でもって描きあげたアニメーションは、それこそ動く壁画を見ているようでもあって目を引かれる。

 グラフィック的で漫画的な絵が奥行きもある空間を動き回る日本のアニメーションに見慣れた目には、その設定ともども壁が高そうに映るけれども、そこで思い出すライトノベル的シチュエーション。なじみのあるキャラクターの配置や背景や設定にすり替えて見ていくことで、すっと頭に入ってくる。そんな気がする。後半、スペクタクルな展開の先に厳しいビジョンが繰り出されるけれど、少年からだんだんと青年へとなっていくブレンダンとともに、思いを貫き通す大切さといったものを感じて歩いて行こう。でももうちょっと、アシュリンを見たかったかも。これも日本的なアニメーションの萌えキャラとは対局に位置する線を持っているけれど、その目やその仕草、そして声がどうにも可愛らしいのだ。公開されたらまた観に行こう。

 明らかに特定の人種なり民族をいっしょくたにしてレッテルを貼った侮蔑であり差別にも等しい言説であって、それがYahoo!という場に転載されてはヘイトを煽るコメントとともに称揚されることを、一時でもYahoo!が認めたことが信じられないし問題だろうけれど、それでもこれは拙いと削除したことは対応として正しく、今後はもうちょっとしっかりと中身を精査して転載するかどうか、考えていってくれると思いたいけれどもどれここれもがそんな感じになってくると、その媒体からの転載はもう止めようって話になって媒体の収入が打撃を受ける可能性もありそう。そんな将来を予感するなら侮蔑や差別の言説をもう書かせないって態度も必要なんだけれど、それでしか稼げない体質になっているからなあ、その媒体は。自分のところでいくら吠えても寄ってくるのは界隈だけ。それで稼ごうったって無理なんだけれど、かといって止めれば誰も寄りつかなくなてしまう。そういう風になってしまった媒体の未来は。お先まっくろくろすけ。


【5月16日】 減りにも減ったり、2017年1月から3月の印刷部数で週刊少年ジャンプは191万5000部となって、200万部というひとつの大台を割り込んだ。今年の1月にあったコアミックスの新年会で、元編集長の堀江信彦さんが200万部を切ったって話をしていたけれど、2016年10月から12月ではかろうじて200万5833部と大台を保っていた。でも平均であって末期の方では割り込んできて、そして1月行こうにさらに減ったってことなんだろう。でなきゃ9万部なんて大きな減りは起こらないから。公称で653万部を達成してから22年。時代はもう完全に漫画誌の紙での発行を過去のものにしている感じ。

 そんな週刊少年ジャンプのかたわられ436万部まで伸ばし、一時は週刊少年ジャンプを抜いたこともあった週刊少年マガジンは96万4158部で100万部をで減少傾向が続いている。週刊少年サンデーは31万9667部でもはや30万部すら切りそうな水域へ。編集長が変わって自分の色を出すんだと宣言をして期待もかかったけれど、ちょっとだけ盛り返したかなって思ったものの減少へと転じてその流れが止まらない。もちろん各誌ともネットで読んでいるって人が相当数にいそうだけれど、それも加えて600万部とかいった数字は出せないだろうなあ。

 漫画誌なら出せば10万部は売れた時代も過去のもの。サンデージェネックスなんて1万部で文學界の1万2000部より少ないから。こうした雑誌の低落は日本の表現活動にどんな影響を与えるんだろう。過去の漫画誌の隆盛、多様な漫画の掲載が日本のエンターテインメントを豊穣なものとし、それらを原作にしたり参照にしたアニメーションも盛り上げてきたのが、ここでひとつサイクルが途絶えていくことになるのかも。中国ではウエブで漫画が人気となりアニメーションも作られるようになって、そうした中から日本の代わって世界を驚かせて楽しめる漫画やアニメーションが出てきたいるするのかな。日本でもウエブ発の漫画が主流になっているのかな。正念場を過ぎたこの1年の動静を見ていこう。

 キャベンディッシュ家ってビンボーだったんかビンボーになりかけているのか。両親はともになく、かといってまだ学生の身では家を継げずにルーナノヴァに通っていた間に、当主を代行していた叔母さんが散在しまくってそれこそ家宝でご先祖様にあたるナインオールドウィッチのひとり、賢者ベアトリクスが織られたタペストリーまで売り払うってことになって怒り心頭、自分が当主になる、そのための儀式を今晩するってところで続きとなった「リトルウィッチアカデミア」。でも何か会社を経営しているとか領地が豊かってことでもなさそうで、稼げない身で当主になってキャベンディッシュ家の家訓を守って周囲を助けながらも家を盛り返すなんてことができるのかがよく見えない。

 他に稼ぐ手立てがないなら財産を切り売りしてでも家名を守ろうとしている叔母さんの方がまだ現実的じゃ無いか。そう思わないでもないけれど、それで終わっては魔女の力を讃えるアニメーションからズレてしまうんで、そこに絡んで来たアツコの持つ秘められているっぽい力がどうにかなって、言の葉も見つかって魔女としての力が盛り返してキャベンディッシュ家も延命するって展開になるかな。違うのかな。分からないけれどもそうやってダイアナとアッコの関係がグッと近づき、シャイニイシャリオ好きという共通の話題で盛り上がっていって欲しいけれど、そこの一線は越えないかなあ、ダイアナ。持ってる貴重なシャリオカードをアツコにあげるとかするかなあ。

 「彼女がエスパーだったころ」の吉川英治文学新人賞受賞に続いて宮内悠介さんが「カブールの園」で三島由紀夫賞を受賞。それはめでたいけれども宮内さんは「あとは野となれ大和撫子」で直木賞を受賞して、現代には珍しい痛快エンターテインメント小説の書き手として世の中に大きく認知されていくって期待もあっただけに、どちらかちえば文学に寄った三島由紀夫賞を受賞したことがどう影響していくかがちょっと気になる。とはいえ宮内さんだけに書きたいものを書きたいように書いていくだけだろーから気にしないのが正解。SFだってエンターテインメントだって文学だってミステリだって好きに書いていくだろうし、そこから面白いものを読んでいけばいいだけってことで。ともあれおめでとうございます。

 秋篠宮眞子内親王さまご成婚、という話が飛び込んで来て相手が誰かと見たらイケメンくん。小室圭さんという名前らしく小室等さんと小椋佳さんのフォークソング大御所の合体とか思ったりもしたけれど、そうした古さは未尽も感じさせないさわやかな雰囲気を醸し出していて、いまどきっぽさを感じさせてくれたけれどもそんないまどきな青年だけに、これからいろいろと取り沙汰されるんだろう。とはいえすっぱ抜きでも公表される以上はそうした身辺調査も済んでいるはず。その上でのご成婚となった果てにどんな仕事ぶりをみせてくれるのかに関心が集まりそう。黒田清子さまはご主人が東京都の職員で遠縁にはいても身近に華族皇族はいなかった。そんな人でもお幸せに暮らしているなら眞子さまもきっとお幸せになってくれるだろう。見守りたい。見たことないけど。

 アスカ背負ってバンダイナムコエンターテインメントへ行きエヴァンゲリオン VR「The 魂の座」って新しいVRアクティビティを体験する。といっても発信シークエンスだけで本番となる第10使徒との戦いはおあずけ。それでもエントリープラグに着座してL.C.Lが注入される気分を味わい神経接続によって周囲が見えるようになってそれが高さ80メートルはあるというエヴァンゲリオンの視点からの風景になっていて、なるほど碇シンジや綾波レイや式波・アスカ・ラングレーはこんな気分を味わったのかと改めて感じ入る。こういうところがVRの面白さかなあ、アトラクションとかビデオゲームではあったとしてもVRではエヴァンゲリオンのコックピットに着座して操縦するのはこれが初めてらしいし。

 バンダイナムコエンターテインメントにとってはボトムズ、ガンダムに続いてIP(知的資産)もののVRとしては3作目だけれど、板の上を渡ってネコを助けて帰ってくるVRとか、廃墟となった病院の中を移動しながら助け合いながら殺され合うVRといったキャラクターに関係の無い、体験の面白さだけで誘致できるVRを作ってきてどうしてIPに頼るんだろうって思わないでもない。一方でIPといってもそのキャラクターに頼っているだけでなく、憧れたシチュエーションに自らを没入させられるといった点ではVRが持つポテンシャルを生かしたものともいえる。オリジナリティかIPか、そんな選択は作り手にも遊び手にもこれから起こってくるんだろうなあ。個人的にはどっちも面白いってことで。

 あれだなあ、知る権利の代行者として情報へのアクセスを容易に行える居場所を得て、それに応えて公器としての役割を果たしてきて、そんな役割を認め情報には対価を必要とせず、公器を通じての共有を尊んでいたマインドがかつては報道機関にあったとして、そんなアクセスの容易さを権利と感じるようになって立場を利用した金儲けを始め大儲けをしていたけれど、他に代わる公器もなかったものがネットの登場で情報の共有は他で代替できるようになって、それなのに公器の立場を利用した金儲けを止められないでいるにもかかわらず、報道だからと無償を訴えても信じる人はいないよなあ。

 というかワイドショーとか報道じゃなく情報番組だし。そして自社の番宣を朝から晩まで平気でやってあからさまに金儲けを世に見せつけているし。じゃあ報道の原則に立ち返って知る権利の代行者として清貧に正義を訴えていこうとしても、そうした報道がもはや必要とされていないというか。それは送り手側の問題でもあり受け手側の意識の問題でもあって、刺激の強い情動に作用する話題に慣らされてしまってもう後戻りができないっていう。だからやっぱり報道に未来はないのかも。でもだからと言って報道目的で取材し得られた人脈を差し出し金儲けに変えようってことはやっちゃいけないと思うのだった。絶対に。


【5月15日】 5.0%とはまた下がったものだけれども、視聴率に反してテレビドラマ版「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」は原作だと花房という人物が絡んだ猟奇とも甘美とも言えそうな事件が、だんだんとストーリーに絡んで来てはスリリングな展開へと向かっていきそうなだけに目を離せない。放送自体は博物館のオーナー親子が登場しては櫻子さんや正太郎を誕生日パーティーに引っ張ったものの、その夜にオーナーが死んでしまう事件が発生。遺産を狙うか怨みでも抱いた息子たち娘たちが殺したか、なんて想像をさせつつそこを櫻子さんが状況と背景からしっかり謎を解き明かす。

 浮かぶのは傲慢でしかいられなかった男の虚勢にもにた態度の裏側にある寂しさで、それをくんであげれば事件は起こらなかったかもしれないけれど、くめば逆に非道へと向かってしまうのも虚勢なだけに、ここは虚勢をくんで死に場所を求めた男に答えて上げたんだと理解するのが良いのかもしれない。そんなドラマで博物館の館長として登場した富田靖子さんが抜群の演技力を見せていた。小悪魔的な娘時代とはまた違った、壮年となってもしっかりと艶を感じさせつつ理知ものぞかせそして悪魔的な心情もしっかり持った女がそこにいた。凄い女優になっていた。主役だって張れそうな存在感だけれど、そんな女優をドラマの脇で使い捨てていくこの国のテレビ状況ってやっぱり大変なのかもしれないなあ。

 一方通行さんが帯に出ていて、彼は最強ではあっても決して真正面から人殺しを楽しんでいるような感じではなく、むしろ正義の側に傾いて「とある魔術の禁書目録」の世界で自らの安寧を冒そうとする勢力を戦っている訳で、そんな一方通行さんが帯で勧めるのなら、秋月陽澄さんによる第23回電撃小説大賞の最終選考作「キリングメンバー」(電撃文庫)に登場している面々も、偽悪的ではあっても悪ではなくむしろ正義かと思ったらそうでもあって、そうでもなかった。少なくとも表紙に描かれ帯に登場している6人のうち、真っ当なのは山崎快斗ただひとり。あとは遠藤彼方も久保詩織も近藤此方も高校生たちはちょっと問題がある感じ。ちょっとどころではないか。

 そして近藤此方の父親らしい刑事の近藤正義も、名前に正義という言葉があるくらいに正義を愛してはいても、その正義が時に法律の枠組みすら乗り越えてしまうところがあって大変な事態をもたらす。近藤正義の先輩格にあたる刑事の柴田旭が連れていた女刑事の山本観月は、胸が大きく久保詩織に殺意すら抱かせるくらいだけれど、そういった殺意とはまた違った壊れた心を大きな胸の内奥に秘めていて、最終局面で炸裂しては真っ当ではない人間をあっさりと屠りそしてその身を屠られる。もう殺したり殺されたりの連続が、表だっては普通の学園であり、ただの街を舞台に繰り返されるという物語。その根源にある人を悪意にまみれた中で育てていったらどうなるか、といった問いかけにどうしようもなくなるといった答えが示されて愕然とする。

 遠藤彼方と近藤此方は幼なじみで、遠藤彼方と遠藤詩織は一応つきあっていて、遠藤奏太と山崎快斗は親友で、そんな遠藤彼方を起点にしてつながった高校生4人の青春ストーリーかと思わせる前に冒頭で同じ高校の女子が殺害されるという事件が発生し、校長の娘だったその女子を殺した犯人が誰か? といったことを遠藤彼方が解き明かすようなストーリーかと思った先で、どうも筋を違えていくような作為が浮かび上がる。何のため。それは遠藤此方や山崎快斗を犯人かもしれないリストに入れて、警察にも法律にも頼らない復讐を考えいてた校長の殺意から守るためでもあったんだけれど、そんな一般人いあるまじき校長の殺意を超えて、体にすり込まれて心を壊してしまった殺意があふれ出しては周辺を血の海に変えていく。

 挟み込まれるのは、少年少女が医師夫婦に買われ囲われ殺人者として育てられ、仲間達で殺し合うように求められ、そうして殺し合う姿がスナッフビデオとして撮らればらまかれていたという話。そこで被害者でもあり同時に加害者でもあっただろう少年少女が物語のメーンに位置していたりする状況が、相次ぎで夫婦が殺害されている事件であり、そして起こり始める事件の大きな要因となっていく。壊れてしまった心が向かう殺人衝動。それは本当かどうか分からないけれど、渦巻く悪意をぶつけられるような話が読んで怖気をもたらすのに、これは不思議と殺人に恐怖や憎しみが浮かばない。なぜなのか。

 そうなって当然な人たちがそうなっていることと、そして感情ではなく感覚で冒している殺人が、ゲーム依然の単なる行為に見えて忌避感を浮かばせないからなのかもしれない。そう思う自分も壊れているんだろうか。もうひとつ、心の問題を別の心の問題で覆って取り繕おうとした人間が、果たして存在し得るのか、ってところも惑うけれどもどちらも心の病として存在するものである以上、重なって発言することもあって不思議はないのかも。血塗れの果てに残った者たちは噛み合うのか。その先で誰が生き残ってそして世界になにをもたらすのか。続くんだったら読んでみたいけれど、そうでなくてもひとつの観念の事件として、子供がそうするように育てられた果てに起こる状況を想像しつつ読んで何かを感じることもできる1冊。凄い本が出てくるなあ。

 A応Pって始めはもっといたよなあ、とか思いながら東京ジョイポリスで20日から始まる「おそ松さん」の謎解きイベントも含めたコラボレーションの発表会見に登場して歌い踊るA応Pを眺める。AT−Xの宣伝もかねてアニメを勝手に応援するプロジェクトがどうとかいった長い名前の省略形として登場したA応Pは、アイドルという割には歌がヒットする感じでも無くこのまま消え去ってしまうのかと思われた時、「おそ松さん」の主題歌を歌って作品が大ヒットしたのに連れられるようにイベントとかにも出まくって、だんだんと存在を認知させていった。そんな間にもメンバーは減り今は4人になってしまったけれど、濃縮された感じもあって発表会でもしっかりと受け答えを行っていた。

 東京での放送終了から1年以上が経っているこの記事に、コラボレーションなんてだいじょうぶなのかなんて心配は無用なようで、ひとつ第2期の放送も決まったらしいし、そうでなくてもグッズは売れて映像は見られイベントには観客が詰めかけている感じ。これで第2期が第1期と同様の爆発的な人気となればタイトルとして強い存在感を持つようになるだろう。それこそ10年だって保つような。そんな「おそ松さん」に追いつけるのかが気になる「けものフレンズ」は、やっぱり映像の続きが作られる感じで、話題だけはまだまだ尽きなさそう。東武動物公園でのコラボは強化の一途にあるようだし、ニコニコ生放送を映画館で流してしまうイベントも抽選予約が外れるくらいの賑わいぶり。弾幕で埋め尽くされる可能性があるとはいえ、映画館の大きなスクリーンで「けものフレンズ」を見られる機会はなかなかないし、舞台挨拶がないライブビューイング開場をこれは抑えて行ってみるかなあ。家で見ていた方が楽かなあ。考え中。


【5月14日】 英雄の力を受け継ぎまったくの無能だった少年がトップヒーローになるって辺りは「僕らのヒーローアカデミア」なんかも感じさせるけれど、天羽伊吹清さんによる「アストロノーツは魔法を使う」(電撃文庫、650円)の場合は女性がほとんどいう宇宙で活躍できる<宇宙魔法士>に、男性の身でありながらついていたギア・リボルヴァという英雄の戦いに巻き込まれて瀕死の重傷を負った早霧零という少年が、やはり重傷だった英雄の残る力を受け継ぐ形で<宇宙魔法士>になるための能力を得たといった設定の根本に、いろいろと仕掛けがあってオールマイトの持つワン・フォー・オールを受け継いだ緑谷出久の立場とはちょっとだけ違っている感じ。

 というかオールマイトは生きているけどギア・リヴォルブはとりあえず消滅。そのギアに命を救われた<宇宙魔法士>の養成学校で2番手につける、名門のお嬢様からは憎まれたりする一方で、ギア・リヴォルブのために特別なアーマーを作っていたこちらは1番手の少女を仲間にし、名門のお嬢様による挑戦を受けては単純いギア・リヴォルブの力をそのまま受け継いだ訳ではない異能を見せて宇宙に現れギア・リヴォルブが死ぬ原因となった怪物と対峙する。そしてかたわらにはギア・リヴォルブ。男に付きまとわれてさぞや暑苦しいかというとそこに秘密があったりして、ある意味で羨ましかったりもする。ひとつ事態は進んだけれど、戦いはまだ始まったばかりでいったい早霧零のどこに何か秘密があるのか、養子らしい彼の本当の親は誰なのか。気になるんで是非に続きを。

 セレジア・ユピティリアの柔軟性とメテオラ・エスターライヒの理解力が際立っているのは造った人たちのキャラクター設定に対する思い入れの強さがあったからか、活躍する舞台の設定が緻密でそれに合わせてキャラクターも頭が良くならざるをえなかったのか。敵に回った形の姫騎士なアリステリア・フェブラリィが自分のいた世界の悲惨さを心に刻んで創造主をとっちめ、そんな世界を生んだ創造主たちのいる世界を憎んでいたりする様には柔軟性がまるでない。新しく現れた築城院真?が真っ向から殺人を犯すヤバい被造物なのにそれを叩くよりも敵対するセレジアと戦うとか、融通が利かなすぎて現実世界だとウザったい。

 魔法少女の煌樹まみかは戦っては駄目とか仲良くしようとか能天気なことを常に良い、そして自分の思うようになるときれて戦いに身を投じてすべてぶっ飛ばす。それがヒロインとしての魔法少女だって言えば言えるんだけれど、フィクションでは落ち着きが良くても現実だと優柔不断な上に危ないことこの上ない。そんなキャラクターたちが増えて来て戦いも派手になって来ているのに、原因となっている軍服の姫君の正体と造物主に思い当たった水篠颯太はなぜかそのことを報告しようとしない。

 何が問題かを考えるなら真っ先に連絡をとり情報を探るべきで、そうした頭の良さなり判断力の確かさを見せてくれるところがあって「正解するカド」は観ていてストレスが溜まらないんだけれど、この「Re;CREATORS」は理解力のある役人が出てきたにもかかわらず、主人公のレベルで鬱屈なり屈託が妨げになって頭の悪さを露呈し、物語を複雑化させるフィクションの世界ならではのキャラクターが出てきてしまった。セレジアやメテオラやまみかはよりフィクションだけれど、そんな彼女たちが顕現する世界もやっぱりフィクションに過ぎないんだなあ。ともあれキャラクターも出そろって来て対立軸も見えてきて、そしていったいどこへと向かうのか。築城院が思いの外にアブナい感じなんでその暴れっぷり、その結末なんかを気にしつつ展開を見守っていこう。

 久々に女子サッカーのなでしこリーグを観る。いつの間にか大和なでしこスタジアムと呼ばれるようになっていた神奈川県大和市の競技場で日テレ・ベレーザとジェフユナイテッド市原・千葉レディースの試合はやっぱりベレーザが強くて終わってみれば3対0と圧勝。ジェフレディースのゴールキーパーは山根恵里奈選手でベテランで長身ではあるけれど、ゴール前の混戦を抜けて来るベレーザのシュートが枠の隅へと飛んでくればどれだけ手を伸ばしても届かない。まあ仕方が無い失点と言えてそこに到るまでに止められなかったことをとりあえず、課題としたい。

 とはいえいくらジェフレディースが守っても、ベレーザの10番が巧くて凄くて止められなかったというのも実際。籾木結香選手というらしく身長は153センチでとても小さいのにベレーザの伝統の背番号10を背負っているところを観るとそうしたハンディを補ってスピードとテクニックでトップ下に君臨できるタイプの選手ってことになる。もちろん自分でも仕掛けてシュートを打てる。そんな籾木選手とトップに入った田中美南選手の活躍に対してジェフレディースは同じく背番号10の深澤里沙選手がトップで走り回ってはいたけれど、カバーが2人とか3人ではなかなかベレーザのディフェンスラインを突破できない。

 かといって上がりを待とうにもショートパスでのミスがあって味方にボールが渡らなかったりトラップが長くて奪われたりして時間を稼げず反撃を喰らう繰り返し。スピードはあって展開力もあるけどやっぱりゴール前で競り勝たないと得点はできないよなあ。そういったところでテクニシャン揃いのベレーザの凄さを改めて見せつけられた試合だった。ジェフレディースの方は20番の小澤寛が試合には出ていなかったけれども男前で、あと佐藤瑞夏選手がなぜか銀髪でワイルドっぽさが漂っていた。新しい選手も増えているみたいだし鍛えて食らいついて1部残留をまずは決め、そして上を食っていけるようなチームンいなって欲しいもの。応援していこう。

  実写劇場版「破裏拳ポリマー」について語ることとは、つまりカットジーンズとホットパンツとショートパンツの素晴らしさについて語ることである。以上。いやまあ、決してそれだけではないけれど、それだけであっても十分に楽しめる映画である上に、それだけでない部分、すなわりタツノコヒーローでありカンフーアクションであり、何よりオリジナルのテレビアニメーション版「破裏拳ポリマー」のビジョンをしっかりと受け継いで、実写によって今の時代に蘇らせた作品だという部分があって、見ている間は心から楽しめたし堪能できた。主に太股を。いやだからそれだけではないんだけれど。

  キャラクターたちがも能天気で、展開にはギャグも混じっていたけれど、戦闘シーンはスピーディーでエキサイティングというのがテレビアニメーション版で、それはどこまでもシリアスで暗くどんよりとしていた「新造人間キャシャーン」であるとか、スタイリッシュでクールさに溢れていた「科学忍者隊ガッチャマン」といったタツノコヒーローたちとは一線を画して、見て笑いながら楽しめるヒーロー物として僕たちの前に登場して夢中にさせた。 ギャグならタツノコには「タイムボカンシリーズ」もあったけれど、それはどこまでもギャグであってちょっとだけ育った僕たちには物足りなさを感じさせた。そんな僕たちにコミカルさを表向きは漂わせつつ、世に背を向けたシニカルさも感じさせつつ、底には熱く滾る正義の心を秘めて事あらば爆発させるヒーロー像を「破裏拳ポリマー」は提示してくれた。

 全身をポリマースーツで覆って銃器などに頼らず肉体を武器にして群がる敵を殴り蹴散らしていくその戦いぶりも爽快で圧巻だった。 過去にあまり類が無く、後に真似しようにも真似しづらかったその空気感こそが、「破裏拳ポリマー」という作品の醍醐味だとするならば、実写映画版にはコミカルな部分といったものがやや足りないような気がしないでもない。平素は気弱で正体がばれるのをいやがって逃げ隠れしているような青年、鎧武士がいったん事あらば正義の怒りをその身に帯びて叫び、超然として現れ敵をなぎ倒していくアニメーション版のポリマーの痛快さが、戦えばどんどんと強くなっていく敵に苦戦し血塗れになる実写映画版のポリマーにはちょっとなかった。

 もっとも、超然として圧倒的に強いヒーローは各話完結のテレビアニメーションだからこそ光るものであって、数時間の中に導入から成長があって挫折を経て逆転へと到るドラマを描かなくてはいけない映画の中でそれをやっては面白みがない。裏切りもあって驚きもあってといった展開の中で、鎧武士が過去を背負いつつそれを隠して日々を苛酷な戦いの中に生きているように変え、なおかつなぜか自分の声だけに反応して効果を発揮するポリメットとポリマースーツを身に着けて戦う羽目となり、そこで強い敵を相手に苦戦し、ぎりぎりのところで勝利し、さらに驚きの展開が飛び出すクライマックスへと到ってこそ、数時間の娯楽を与える映画という表現形態にピタリとはまる。

 戦いが始まれば、そこではポリマースーツによって強化された者たちが、肉体を駆使して強化されたパワーも使いながら戦うという「破裏拳ポリマー」ならではのビジョンが次々に繰り出される。アニメーション版にはあった変形がないって? それについては言葉を濁すけれど、ひと言だけ安心して欲しいとだけは言っておこう。もしも続編が作られるなら、きっとよりテレビアニメーション版で見られた多彩で多様なビジョンが再現されると信じたい。

 そういった意味では、立派に「破裏拳ポリマー」であるビジョンの上で繰り広げられる劇場映画版。加えてこれがメインと言っても過言ではないホットパンツとカットジーンズとショートパンツからのびる太股であり股間でありといったビジュアルが、目をスクリーンからそらすことを不可能にする。そちらにだけ興味があった人でも戦いの迫力、展開の意外さ、ビジュアルの格好良さを感じて映画を好きになる。その意味ではよく考えられた作品だ。

 スタントを使わず演技したという鎧武士役の溝端淳平さんは、つまりはそうしたカットジーンズでありホットパンツでありショートパンツを間近に見て、にょっきろと伸びた太股にも触れたということで羨望も浮かぶけれど、そういう役得を覆って激しいバトルを演じきったことに脱帽するしかない。カンフーの手技も足技も物真似ではない速度と重さを見せていた。鍛錬したのだろう。あるいは原作のアニメーションを観て、その格好良さに触れて自分で演じなければならないと感じたか。そこまでのめりこみたくなるくらい、テレビアニメーション版はカッコいいのだ。鎧武士その声も含めて。
B  そう、声といえばテレビアニメーションで鎧武士を演じていた曽我部和行さんが亡くなられて久しく、そして探偵長の車錠を演じた青野武さん、犬の男爵を演じた立壁和也さん、国際警視庁長官の鬼河原虎五郎を演じた雨森雅司さんといったメインキャストも皆さん、存命ではないのがとても寂しい。完成したこの実写映画版を見てどんな感想を抱くかを聞いてみたかった。南波テルを演じた落合美穂さんは存命にして現役。アニメから飛び出してきたような肢体を見せつけてくる柳ゆり菜さんに対抗し、自分もと思ったか否か。ちょっと気になった。

 そんなテレビアニメーション版のキャストへの敬意を、曽我部病院という文字が見えた瞬間に感じた人も少なくないはず。そういった部分も含めてしっかりと、テレビアニメーション版を踏襲して、ただの再現に留めず今を盛り込み未来につなげようとした作品、それが実写映画版「破裏拳ポリマー」だと言えるだろう。決してホットパンツとカットジーンズとショートパンツと太股と股間と谷間と眼鏡だけだはないぞ。ないぞ。ないぞ。


【5月13日】 眠るのが生物なのだとしたら、眠らなくなった人間は果たして生物と言えるのか。テレビアニメーションの「正解するカド」でヤハクィザシュニナの代理人となった真道幸道朗だけれど、働きづめに働いているのにまるで寝ていないってことにやっと気づいたというか。その前に日本政府側の交渉人として立っている徭沙羅花からいつから休んでいないのか聞かれていたけれど、そこで自分はもしかしたら寝ていないことに気づかなかったのかがちょっと気になった。やっぱりカドの中から外へと出られるようにした時に、調整が行き過ぎてしまったんだろうか。出た人たちはみんなそうなっているんだろうか。来週あたりに明らかにされるだろう。

 食べることと眠ることから人間は逃れられないというのが普通の認識。でも食べてはいても眠ってはいない自分が眠りたいと思えなかったことに気づいて、これはとんでもないことが進んでいると考えるか、それとも眠らずに生きていけるなら生産性も上がって良いんじゃ無いかと思うのか。エネルギー問題は解決して睡眠も必要としなくなった人類が地球上でいったい何を始めるのか。遊びほうけるのか生産に勤しむのか。エネルギーばかり無尽蔵でも物質は限られている訳で、不眠不休で生産を始めたらたちどころに枯渇してしまう。そういう状況を目論んで星をひとつ食いつぶす気でいるのか違うのか。親切の仮面の裏側に見える不穏。もう目が離せない。

 i☆Risだi☆Risだ、i☆Risに会えるってんで昨夜のうちに原稿を仕上げて翌日に持ち越さず、そして早起きをしてかけつけた多摩の永山で開かれた「ライブミュージカル『プリパラ』み〜んなにとどけ!プリズム☆ボイス2017」のDVD発売を記念したイベントには、扮装はしていなかったもののi☆Risのメンバーが6人ともかけつけ、いっしょに舞台のダイジェスト映像を観るという内容で、時折挟まれるちょっぴりの毒もあるコメントがメンバー間の関係の良さなんかを伺わせてくれた。みれぃはどっちが前でどっちが背中か分からないとか、ってそれはどういう意味だ。そういう意味か。ううん。まあ確かに。

 改めて観て6人の歌と演技の楽しさが分かったことに加えて、やっぱり元宝塚ってことでファルルを演じた澪乃せいらさんが歌も巧ければ踊りも抜群だったことがよく分かった。映像のファルルと同じダンスを優雅にこなし、そしてi☆Risが演じるソラミドレッシングに混じって「Make it!」をジャンプも含めてしっかり踊ってみせてくれた。身体能力が高いんだろうなあ。そして確か千秋楽が終わったあとのアフタートークでキャラを崩さずどこまでもファルルで通していたのは、その格好をしている間は役に徹しきるというある種の掟を自分に課しているからなのかも。厳しくて強くて巧くて。そんな役者がまた同じ舞台に立ってファルルを演じてくれる日が来ると良いなあ。アニメの方ではドレッシングパフェもソラミスマイルも出番減ってるみたいだし、せめてライブミュージカルでその活躍を、その歌声を観ていきたい、聴いていきたい。お願いしますタカラトミーアーツ様。

 その人が成し遂げようとしている正しさのために、自らの存在をすべて差し出せるだろうかと考える。身代わりになって死ぬ、といったことでもあるけれど、少しだけ違って自分が自分としてではない形で引き継がれ、支えていくことでもあってそんな曖昧な、そしてどこか羨ましさと悔しさがない交ぜになった感情にとらわれる今に、とらわれた過去に耐えられるだろうかと考える。相麻菫は差し出して、そして耐えた。いったい何が彼女にそうさせたのか。彼への愛か。成されるべき正義への傾注か。己が尊厳か。そのどれもが少しずつ重なり合って相麻菫を突き動かして事を成させた。彼女こそが本当の主人公であり、本当の英雄なんだということが映画「サクラダリセット 後篇」によって明らかにされる。

 観て誰もが感嘆するだろう。相麻菫の優しさに。その強さに。そのいじらしさに。そして驚くだろう。報われないと分かっていて、それでも自分を差し出して耐え抜いていく相麻菫を、そうと分かっていて選ばない浅井ケイという少年の強靱な意志と純粋な思いに。すべては浅井ケイのため。彼が成そうとしている正しさのため。そう思わせるだけの未来を浅井ケイは選び取り、引き寄せて実現した。「サクラダリセット 後篇」で描かれるのは、そんな物語。能力というものが存在して、そこだけに限られてふるわれて、救われる人がいるて、けれども世界が救われる訳ではないという、どこか宙ぶらりんとなった咲良田市を維持することがそんなにも正しいことなのか。迷うところではあるけれど、それが誰かの犠牲の上に成り立つものだったら、大いに否定されて当然だ。けれども犠牲を出さずに能力が人助けをしている世界だったら、あって悪いものではない。

 だから維持しようとした。それを続けようとして浅井ケイは春埼美空とともに頑張った。思考を駆使し、管理局対策室長として能力を管理し事件を防ぐ立場にある浦地正宗が、極めて個人的な理由から能力をすべてなくしてしまおうと画策し、あらゆるものを固定化できる能力を持った加賀谷を連れ、相手の嘘を見抜く力を持った索引さんも伴って行使した咲良田のリセットという一大事を、どうにかくぐり抜けて使えなくされたはずの春埼美空が持つ世界を巻き戻す能力を発動させ、そこから時間を巻き戻す浦地の能力も含めた管理局側の攻撃をしのぐことでなかったこといできた。

 「サクラダリセット 前篇」では管理局に長く軟禁されてきた未来視の魔女を解放し、事故で死んでしまったはずの相麻菫を取り戻すためにさまざまな能力をかきあつめ、組み合わせて行使した。同じような異能のパズルを今度は浦地という強敵を相手に組み立てて使い、そして浦地がこだわった能力のリセットをさせずとも、彼や加賀谷にとっての苦悩だった事態を解消させた。どうやったか? それは観てのお楽しみ。そういった組み合わせによる静かな異能バトルの面白さと、相麻菫という究極的に純粋で高潔な少女の深くて強い思いの泣けるくらいの美しさ、浅井ケイという人間の時に残酷なまでに冷静で、けれども歪みのない真っ直ぐな心の強さを感じ取れる物語。観終わって自分だったら浅井ケイのようにリセットを繰り返せるだろうか、その覚悟を持って正しさということへの責任も負って生き続けられるだろうかと考える。相麻菫のようにそんな浅井ケイへの愛でも同情でも崇拝でも憎悪でも構わないから、情動を抱いて自らを捧げられるだろうかと考える。そしてずっと考え続けて生きていく。

 前篇ではほとんど出番の無かった浦地が登場した「サクラダリセット 後篇」は演じたミッチーこと及川光博さんの演技の素晴らしさにすべて持って行かれる気もする。王子的というより頭領的。とはいえ自己満足や欲望や保身といったものではなく、もっと根源から出ている自責と後悔と諦念が彼を動かしている。そんな複雑な心境を物語の中で漂わせつつ表情はどこまで飄々としてソフトな悪辣さも感じさせ、狂気すら漂わせながら浅井ケイを追い詰めていく。三つ揃いのスーツに身を包んでハットを斜にかぶったダンディなスタイルは、能吏でありながら悪党でもある役どころを見事に体現している。あざ笑いねめつけなめ回すような口調にときおり混じる強い言葉も、演技力の広さを表している。ある意味で「サクラダリセット 後篇」は及川光博さんのステージで歌う姿とは違った俳優としての凄さを堪能する映画と言える。

 そんなミッチーの向こうを張る相麻菫を演じる平祐奈さんも素晴らしい。語ったようにどこまでも浅井ケイに対して純粋な相麻菫という存在を、あるいはその思いを受け継がされたニセモノともいえそうな相麻菫という存在を、笑顔の中にのぞかせながら演じきった。上からすべてを見通すように、というより実際に見通してしまっている立場から浅井ケイに接している姿、追い詰められて怯えながらも気丈に振る舞う姿、自分の意志で自分をそういう存在にしたにも関わらず、そうなってしまった自分に心の奥底で悩んでいる姿をすべて含んでその身に帯びて演じ切った。浅井ケイの家でシャワーを浴びている途中、磨り硝子越しに浅井ケイと話す時は言葉だけで内奥の葛藤をのぞかせた。すばらしい女優。そしてこれからの女優。活躍を期待したい。

 唯一の眼鏡っ娘の索引さんを演じた中島亜梨沙さんは役どころとしては浦地に引っ張り回され道具として使われ報われるところは少ないけれど、仕事でもあり信じたい上司の下で嘘を見抜こうとして真剣な表情をするところは可愛かった。相手が嘘を言っているのが分かってしまう能力者なのに、それを嘘だと非難できない苦悩を飲み込み無表情を貫くその演技を讃えたい。残念なことに前篇の不振が響いてか、後篇については宣伝がほとんど成されず上映館数も大きく減らされ観られる機会はぐっと狭まった。けれども見どころは前篇にも増して多く有り、なによりミッチー及川光博さんの過去にないキレッキレの演技を存分に観られる貴重な映画。語られる内容も重くて強く心に響く。受け入れられない思いを覆って正しさのために自らを差し出すいじらしさにも泣ける。観られるうちに観てそうした部分を味わおう。可能なら前篇も合わせて観て「サクラダリセット」という世界を楽しもう。

 渋谷のタワーレコード8Fで始まった「こうの史代『この世界の片隅に』原画展」をのぞく。最初の内は行列が出来て入場制限がかかるくらいだったそうだけれど、午後3時過ぎだと行列もなく普通に入ってじっくりと観られた。展覧会の名前が表しているとおりに展示は漫画の原画で、アニメーション関係のものは一切無し。けれども流れているのは映画「この世界の片隅に」のサウンドトラックで、映画を10回以上観ていることもあってその楽曲からシーンが浮かぶ。クライマックスからの楽曲が流れてきて、そして「みぎてのうた」が来た時なんかは、これはジャストタイミングと展示の後の方にあった終戦後の広島ですずさんと周作が会う場面から広島の少女の場面、呉の空に星が輝く場面、座敷で一家が少女を囲むシーンをBGM付きで観ることに。とってもゴージャスが気分を味わえた。繊細なタッチを間近にみられる絶好の機会。また行こう。Tシャツも売り出すみたいだし。


【5月12日】 範囲が曖昧で街撮りしているだけでパクられるとかいった金田法相のトンチキな答弁とか聞いていると、共謀罪とやらがかける網の無限ぶりに嫌気も差すけれども、そうした共謀罪が持つ危険性をアピールし、批判するためにコミックマーケットのようにバズりやすいテーマを持ってきて、共謀罪の対象犯罪に著作権の侵害という違法行為が含まれているから、コミケなんかの二次創作とかが共謀罪で取り締まられるかもしれないぜって書いて煽る東京新聞もどうかなあと思わないでもない。そうした案件が共謀罪によって取り締まられるくらいなら、先に著作権法違反で取り締まられることになんじゃないのか。それとも共謀罪に含まれると著作権法違反での取締が激化するというんだろうか。そういう訳でもないしなあ。それこそ安倍総理だって二次創作的なものを守るとTPP絡みでは答弁していた訳で。展示会場の問題でもコミックマーケットの開催が危ぶまれるって前面に出すとネットとかでバズりやすいからよく引き合いに出されるものなあ。いろいろとややこしい。

 なんでもEXILEのチケットを98枚くらい買ってはせっせと転売していた人が捕まったそうで、いったいどうやってそれだけのチケットを集めたんだと思ったら、ファンクラブに48口分入ってそれでファンクラブ先行チケットを手に入れたらしい。別に事務所の誰かから横流しを受けた訳でもなく、ファンクラブという正式な窓口から購入したもののうち、自分が本当に見たい席だけを取ってあとは知り合いとかに販売するということ、それ事態が何か法律に引っかかるとも思えないんだけれど、さいしょから転売目的で購入をして、実際にチケットショップから入金もあって儲けていたりすると、不当な高値での転売を禁止するような条例に引っかかってくるんだろう。

 というか、そもそもが48口も同じ人間がファンクラブに入れるような仕組みこそが問題で、そういうのを許してしまっているシステムを改善しない限りは何口も購入して残りを流す人は、規模こそ小さくなってもなくなりはしないだろう。クレジットカードに紐付けをして1人1口しか無理、そして家族を入れても4口くらいが関の山、同一住所に大量に送るようならそれもチェックするとかいった仕組みを運営側が整えない限り、買い占められて変えずに泣くファンはなくならない。手間がかかったとしてもやらないと、って思うんだけれどやっぱりそうした発券業務と本人確認業務が1番手間なんだろうなあ。

 転売の横行がライブ産業に影響を与えるとして、音楽業界が立ちあげた「チケトレ」とかいうサイトだって、買ったチケットの転売で相手が誰かを特定して売る仕組みにはなっていても、最初の段階で転売屋が買い占めるのを防ぐしくみにはなってないし。そこを厳密にして買った本人しか行けないチケットを常態化して、そしてやむを得ず行けなくなった場合に誰か別の特定人物に売るよう、入り口と出口を整えるべきなのに出口から先に作ってきた。小さくはない1歩だとは思うけれどもやるべきことを避けているような気がしないでもない。山下達郎さんのライブなんか買った本人しか入れず、それでも転売する時はサイト内でのリセールを認める仕組みを整えてある。そういった売る側の意志を見せないと、問題は解決しないじゃないかなあ。売れればそれでオッケーって考えている節がまだあるのかなあ。

 東京からIターンで間野山入りしたWEBデザイナーの香月早苗がどうにか自分探しの迷路を抜けだし逃げずにやっていこうと決意した一方で、間野山出身で女優として活動していたものの何かあって故郷に帰ってきたおでん探偵の緑川真希が今度は過去の自分と向き合えないまま諸々迷っている様子。東京から撮影に来たクルーに後輩ながら売れっ子になって来た女優がいていろいろ考えることもあったみたい。でもきっと代役として出演を依頼された中で何か確信を得て少しだけ成長を遂げるんだろう。そんな女性たちの自分探しの旅を描いていくような「サクラクエスト」。そういうのとは無縁そうな四ノ宮しおりに廃屋の取り壊しに関して迷いがあるみたいだけれど、何がひっかかっているんだろう。そういうのが明らかになる来週に関心。

 秋葉原へと出てとらのあなでin No hurry to shout;の新譜すなわち「覆面系ノイズ」の主題歌とかエンディングとかのCDを2枚まとめて購入。1枚の「ハイスクール」は前にbootlegとして深桜、つまりは高垣彩陽さんが歌ったものが出ていてそれとニノが学園祭で歌った「スパイラル」がカップリングになったものが出ていたけれど、今回の「ハイスクール」はAlternativeとしてニノ、つまりは早見沙織さんが歌ったもので作中のニノっぽく荒削りでパンチ優先の歌声でもって録音されてて聴くと深桜の方が巧いかな、って感じさせつつニノの方が耳に残るなあって感じに仕上がっている。これがもう1枚の「アレグロ」になるとエンディングらしく完成したニノの声って感じ。歌い分けているとしたら早見沙織さんってやっぱり凄いシンガーなのかも。ライブでイノハリとして登壇したらやっぱりそれぞれに歌い方を変えるのかな。全CD購入を果たしてライブに当選して行って聴きたいその歌声。イノハリのアリスとして登場して胸とか膨らませたりするんだろうか。気になるなあ。

 秋葉原ではラジオ会館の前あたりで小野田坂道がいたりして秋葉原っぽさを漂わせていたのを横目に、ラジオ会館に入って土産物売り場をのぞくと熊本動植物園と「けものフレンズ」とがコラボしたクッキーが販売されていて、とりあえずライオンをメインにサーバルとかジャガーとかチーターが描かれたオレンジ色のを購入する。ほかにキンシコウとかPPPとかが描かれたものもあったんで、コンプリートと行きたいところだけれど中身は変わらないんで意味がないといえばないのかも。いやいや買うことによって被災した熊本動植物園復興のための寄付もできるのならやっぱり買うしかないか。売っていると分かると大勢が訪れなくなってしまう可能性もあるけれど、それで寄付が増えれば良いから気にしないでここに喧伝しておこう。

 「BLAME!」がまた観られそうだったけれど人もいっぱいでまだ観ていなさそうで、僕はと言えばドルビーアトモスでULUTIRAという夢のような環境ですでに観ているんでここは譲って記事を書くことに専念した、ポリゴン・ピクチュアズの人とNetflixの人によるトークイベント。映画の公開とネットでの配信を同時にやるという、映画の興行主にとっては悪夢のようなウィンドウ戦略を採用していて、その辺り異論はなかったのかが気になったけれどもていねいに説明することで理解は得られて、50館くらいでの公開になった模様。というか岩浪美和さんが中心となって、東亜重音とかいったハイクオリティの音響を映画館に持ち込んで行かざるを得ない状況を作り出していて、映画館をなおざりにはしていないといった姿勢も伝わっているからこそ、手を挙げて上映を希望するところも出たんだろー。

 ネットはネットで繰り返し見られてストーリーを理解しキャラクターの配置を理解するといたことも可能。ネットで確かめ映画館で体感し、あるいは映画館で体感したあとネットで確認するといった相互の移動を促す映画に仕上がっている。もとより規模も大きくは無く映画館での興行収入が期待できない作品ってこともあって、ネットでの同時配信は必要不可欠だったとも言えそう。もっとも、日本ではこうした戦略を提案できても、フランスだとどうなるかが不安というか、劇場での公開に配慮して、ネットでの配信を遅らせようとする従来からの姿勢を貫こうとしているからちょっと厄介。映画興行に配慮して、ストリーミングでの配信開始は劇場公開から36カ月後という法律があって、Netflixが製作に携わり、封切りと同時にストリーミングサービスが始まる作品は、フランスでは上映できないといった問題が浮上している。

 ちょうど5月17日から28日にかけ開催される世界最大規模の映画祭、カンヌ国際映画祭にではNetflix作品の上映が予定されているが、フランス国内の映画館経営者による抗議もあって、来年からカンヌでの上映作品はフランス国内での上映が必要になる。このためストリーミング配信をファーストウィンドウに含めているNetflix作品は、カンヌでの上映が認められなくなる。カンヌ国際映画祭に関して、Netflixはマーケットに作品をアピールし、受賞によって栄誉を得ることができなくなる不利益を被りそう。一方で、世界的なヒット作がNetflixから生まれても、フランスでは映画館で見られない状況が続くことになる。映画文化の保護と育成の観点から映画館を保護している法律には意味があるが、ウィンドウの急激な変化によって鑑賞する側の選択肢は広がっており、製作者、興行主、鑑賞者の利益を探りながら解決していくことが急務になっている。どんな判断が下されるのか。今後に注目。


【5月11日】 東京カルチャーカルチャーでの特撮マニアックス第1回  SFメカニックの魅力(海外ドラマ編)はとりあえず、岸川靖さんのところが作った「謎の円盤UFO」の本が出たことにひっかけたイベントってことで出渕裕さんと庵野秀明監督と、そして急遽参加のモンスタークリーチャーとして名高いけれども当人的にはメカニック好きらしい原口智生さんによるどんなメカニックや海外SFドラマが好きか話がいろいろあって、庵野監督はサンダーバード1号を挙げて2号じゃないと強調。ほかいろいろ出たけど覚えてないけど、ジェットモグラに関する話とかも出ていろいろ興味深い成り立ちが聞けて面白かった。たとえ地面に潜らなかろうともそれで良いのだ的な。

 「マイティジャック」についてはメカ最高音楽最高話がいっぱいで、いつか岸川さんに本を出して欲しいという話しがあり、そして岸川さんからは庵野さんたちにリメイクをやって欲しいって話があったけれども庵野さん、メカはすごいけれどもストーリーにMJ号って関係ないからなあといったニュアンスから、ドラマを組み立てることへの難しさって奴を話してた。もう観てほとんど内容なんて覚えてない「マイティジャック」であり「戦え!マイティジャック」だけれどそんなにストーリーは酷かったのか? それともドラマパートで有名俳優を使いすぎたために特撮パートを出せずメカも出てこずMJ号とか活躍しなかったのか。それはリメイク難しいなあ。VJ的に「マイティジャック」のメカと音楽がシンクロして展開されるような映像なら作って欲しいかも。再編集とか認めてくれないのかなあ。

 2020年の東京オリンピックのボート競技場を宮城県に持っていく話をぶち上げては、国際的な組織からそれはいかがなものかと窘められて、結局は最初の計画通りに東京港の中で開くことになったり、バレーボール競技を横浜アリーナで開催出来ないかと言ってみては、そこが周辺にスペースがなく観客が待機できず、住宅もたくさんあって住人の生活に支障が出ることも考えられ、そしてバリアフリー的にも開催が無理だと分かって引っ込めたりと、思いつきを口にして混乱させては結局元のままとなって時間だけが無駄に過ぎるといった事態ばかりが相次いでいる小池百合子東京都知事。五輪に限らず築地市場の豊洲移転も安心よりも安全をとるなら移転はやむなしといった見通しの中、未だ結論を出さずに時間とお金を無駄にしている。

 このままでは道路や駐車場などを整備する時間すらなくなって開催に支障が出かねないにもかかわらず、3月末までに結論を出すといっていて何も動かなかったか動けなかった千葉埼玉神奈川といった競技開催地域での施設改装費用の負担問題で、結局は都が全部被ることになったという。新たな施設を建てるくらいなら近隣の施設を使って費用を抑えるといった主旨から、改装分くらは都なり組織委員会が持つのが筋だろうっていった地方自治体の見解を受け、残るは都か国か組織委員会のどれが持つかで話し合えば良かったものを、それをやると都が被る、そして自分の責任になるとでも考えたんだろうか、曖昧にして先延ばしにして結局は時間だけが無駄に過ぎた。

 もちろん五輪や市場の問題だけが都政ではないから、この裏でいろいろと新しい事業を立ちあげ施策を繰り出し都民が幸せになっているなら良いんだけれど、そうした前向きな話ってあんまり聞かないんだよなあ、もしかしたらメディアがイジワルをして報じるのを止めている? でも都知事大好きなメディアもあったりする訳で、そういうところですら政争めいた話は取り上げても成果についてはあまり報じていないのは、それだけ報じることがないって話なんだろうかどうなんだろうか。まあ僕は東京都民じゃないんで市場がどうなろうと費用負担が増えようと関係ないといえばないんだけれど、そうした後手後手の施策が楽しみにしているイベントとかを中止に追い込むのはやっぱり困る。決断をして責任もかぶり、それでも前に進むことができないのならスパッと切り換えて欲しいけれど。でも次もいないんだよなあ。やれやれ。
 フジテレビジョンの社長交代はそのままフジ・メディアホールディングスの社長交代でもあったようで、BSフジから復帰する宮内正喜さんが両社の社長に就任をして今のHDの社長は会長となって会長の日枝久さんは取締役相談役へ。ここで取締役も退任となるときっととてつもない金額の退職金が発生して会社が傾いてしまう、なんてこともあったりするのかないのか。分からないけれども取締役でありフジサンケイグループの代表も維持する状況ではその権限がまるで及ばなくなるってことはなさそう。というか73歳の新社長って時点で現場には諸々のダメージもあるからなあ。就任後にどれだけ下を自由にさせるかってあたりの手腕を問われることになるのかな。そこで相談役と現場の盾になれるか素通しになるかで湾岸テレビ局の行く末も決まって来そう。

 希望が持てるとしたら、両社の取締役にフジテレビ執行役員編成局長の石原隆さんが就くことか。世間的には「古畑任三郎」の人で三谷幸喜さんの覚えめでたくヒット映画にも携わっている人だけれど、僕らの世代では「魔法少女ちゅうかなぱいぱい!」とか「美少女仮面ポワトリン」を始めとした東映不思議コメディーの企画の人。タイトルに名前がドンと出ていったい何をする人だって興味を抱いて四半世紀以上以上がもう経ってしまった。酉年に放送された「有言実行三姉妹シュシュトリアン」を最後にシリーズがなくなって、干支が2周りしたこの年に堂々の不思議コメディー復活なんてことにならなったら嬉しいなあ。月9で、トレンディな女優演じるOLが世に膿んだところに現れた髭の神様からステッキをもらい、変身をして会社に乗り込み上司や取引先をコテンパンにするとかいった。そこまでやらないともう、復活はないと思うんだけれども、さてはて。

 「SHOW BY ROCK!!」ももう5年になるのかと思うと、サンリオが珍しく手掛けた萌えと燃えとが混在した若者向けキャラクタープロジェクトもひとつ成功したって言えるんだろー。ファンシーなキャラクターを生み出して展開するだでかはやっぱりどこかで行き詰まると思い挑んだ多様化は、ぐでたまって妙なのも生み出してこれが人気となったりして、そしてサンリオ男子というイケメン系のキャラも話題になりつつある。どこまで伸びるか分からないしそれぞれにタイプも違うけれど、「SHOW BY ROCK!!」は他のゲーム会社なんかが展開するキャラクターマーチャンダイジングと同じ土俵に立って、そしてしっかりと定着させた。これが根となって次の展開を呼べばサンリオも新たな地平へと歩んでいけるのかな。

 ってことで品川プリンスホテルステラボールで始まった「SHOW BY ROCK!!」のライブミュージカルのプレイベント的なもののゲネプロへ。本番は10月に開催されるものだけれど、それに繋がるイベントとして登場するバンドの歌がカッコいいかを知ってもらいつつ、どういった盛り上がり方を見せるのか、誰が観に来ているのかってあたりをしっかりリサーチするんだろう。シンガンクリムゾンズは前にもステージに立っていたから貫禄は十分。トライクロニカは前に「聖闘士星矢」のミュージカルで取材した鎌苅健太さんが出演をしてベテランならではの安定感を見せてくれた。2.5次元化は初になるらしいアルカレアファクトも登場。金持ちバンドらしけれどひとりボーカルには秘密が……。そんな設定も世の女性たちに響くんだろうなあ。不穏な終わり方もして今後のストーリーに興味。やっぱり行くしか無いか本番のミュージカルも。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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