Last Updated 2020/2/18
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
【2月18日】 勉強も兼ねて月曜日に国立新美術館で開かれた2019年度のメディア芸術連携促進事業報告会を見物。そこでメディア芸術データベースに記録していくアニメーション関連の情報ついて、データ原口さんこと原口宏正さん式に全録からスタッフクレジットを目視し記録する方式が、確実性という面で消極的ながらも最善という説明があって興味深かった。制作会社からもらってもそれが最終データという保証がない。間際で差し替えられるケースもあるらしい。

 テレビ局ですらエム・データに聞いて確かめることもあるとか。だから放送されたものを最終的なものとして理解するしかないという現状があって、そこを起点にしてデータを認識した上で、キャプチャを自動化するなり映像からOCRするなりキャプチャされた画像を自動的に放り込んでテキスト化するなりしていければ、なんて展望が語られたものの、それすらも後で校正校閲が必要となるから大変だろう。あとはやっぱり膨大な上に範囲も広がるアニメの定義をどうするかが悩ましい。とはいえ原口さんほかメンバーで属人的に続けられるものでもないなら、どこかがシステム化しないといけないこの案件。会社作るかメディア芸術データベース入力のための。ライトノベル部門なら頑張れる。そんな部門はないけれど。

 新型コロナウイルスの蔓延を防ぐ意味から開催が中止となる展示会も出る中で、ブシロードは3月20日までの開催予定だった主催イベントを中止するなり延期すると発表。女子プロレスのスターダムは後楽園ホールで開催はするものの無観客試合として配信を行うそうで、これはまあひとつの英断ではあるけれども入場料はもらえない訳でやっぱり痛手。幸いというか武道館とか大型ホールでのイベントは入っていないみたいで、あってカード講習会とかリリースイベントとかそのあたり。とはいえ少女歌劇レヴュースタアライト関連のホールイベントがあるから影響はやっぱりそれなりにありそう。

 それでも中止としてしまうところが、何をすれば今もっとも尊ばれるかを判断して即決できる企業になっているからってことなんだろう。社長じゃないけどオーナーとして木谷高明さんがいろいろと頑張っているのかな。気になるのは3月20日までってことでその翌日、3月20日から始まるAnimejapanについてはまだ何も言ってないこと。主催イベントではないから言う権利も何もないってことなんだろうけれど、出展するかどうかは企業側の判断になるのでうちは出ないとなれば結構な影響はあるだろうなあ。あるいはそうした企業が続出することによってイベント自体の行方も決まるか。その前に主催社の方で判断してくれってスタンスなのかもしれない。

 そんな新型コロナウイルスの影響で「とある科学の超電磁砲T」の放送が延期になったとか。見ていただけにちょっと残念。日本国内ではまだそれほど猖獗を極めているとは言えず、普通にアニメーターさんだって仕事をしているんだろうけれど、ご多分に漏れずアニメーション業界の人材逼迫なり空洞化なりから海外に動画なんかを出すこともあるだろう中で、中国なんかが取引先になっていたらそちらに向かわせる航空便だっていろいろと支障が出ているかもしれないし、会社だって動いていないかもしれない。かといってすぐには国内で捲き直すなんてことも出来ない状況だと、完成が遅れて延期なんて自体も起こりえるんだろう。これが1社の1本に限らず五月雨式にあちらこちらから出てくるのかな。

 いやもう無茶苦茶というかというか、ANAインターコンチネンタルホテルが過去に政治家だとかのパーティを開いて明細書を出さなかった例はないと断言していて、そうした趣旨を辻元清美議員が文書で回答してもらっているにもかかわらず、安倍総理は国会という場で堂々とANAインターコンチネンタルホテルからは明細書はもらったことがないと言ってしまって、それを曲げようとしないところに言い訳をし続ければいつかは追求も終わるといった思考が見え隠れ。そして実際に過去もそうした言い訳でもってあらゆる事案が葬り去られて、過去だったら総辞職なり退任が必至の状況であっても、延命をして過去最長の政権なんてものを記録してしまった。

 さらには野党が審議を拒否すると、ホテル側を呼びつけでもしたのか誰かが来て話し合った果てに、広報が対応して明細書を出さない例はないと言ったけれど、営業部門ではそういうことはあると言ったらしいから、安倍事務所からの返事は間違っていないと来たものだ。どこの会社に広報と営業で言ってることが違うなんてことがある? コンプライアンスの観点からステイトメントは統一した上で広報部門が発表する。それが唯一だからこそ誰もが信じられるのに、2つの見解があっても良いなんてことを認めたら会社が立ちゆかなくなってしまう。けれどもそれを言わざるを得ないくらいにホテル側にとって差し迫る何かがあったんだろう。

 これは拙い。何が拙いって嘘を言おうと言い訳をしようと、権力側が言うならそれが通ってしまう状況を満天下に示してしまったこと。これで誰も正直に真っ当に生きようなんて思わなくなる。検察官にあった定年の規定を国家公務員にはない規定だからと外してしまうって、それは順序が逆だろう。国家公務員であっても検察官なら守らなくちゃいけない法律を検察官であっても国家公務員なら守らなくて言いなんて、どこの法律家がそんな言い訳を認めるのか、って当の検察官が認めてしまっているからこれが怖いというか、そういう人が検事総長になるかもしれない可能性が凄まじいちうか。そんな国を世界がどうして何も言わないんだろう。気にするだけの重みもないのかな。ないんだろうなあ。


【2月17日】 ついに出てきた東京マラソンの一般参加取りやめ方針。3万8000人もの人が同じ地点に集まりスタートをしていったらどうなるかって考えれば、屋外ではあってもやっぱり今のこのご時世でやらないでおくのが感染の可能性を考慮し、予防の観点も交えるならば妥当と言えるんじゃなかろーか。それだけの人が移動をすると鉄道だって混雑するし。人が集まることを極力避けるのが感染拡大の防止に必須なら、こういう処置は極めて正しい。

 もちろんこの日のために鍛錬を欠かさずにいた人とか、コスプレを準備していた人にとっては大変に残念な話。参加費だって払い込んでいただろうし、チャリティーランナーの人のお金が何かに役立つといった仕組みもある訳で、そうしたお金の問題なんかがこれからどうやって解きほぐされていくか、そこですんんありと返金があるなり寄付は寄付としてお願いできればお願いするなりの配慮があって、理解も得られることになるだろう。

 それでエリート200人くらいが参加する普通のマラソン競技を開催することにはなりそうだけれど、それで沿道に観客が集まった時に同じような感染の可能性なんてのも出てくるかもしれない。沿道での感染を禁止し近寄ってきたら首都警がプロテクトギアまとって排除するとかしたらちょっと映画的かも。いちおうは東京オリンピックへの出場権をかけた戦いでもあるらしいので、有名選手は出るし応援したい人だっている。そうした人たちの期待をも排除して運営が可能かどうか。どんな雰囲気になるのか。そのあたりを見ていきたい。

 ってかこれでいよいよ東京アニメアワードフェスティバル2020とかAnimeJapan2020なんかも決断が求められることになるのかなあ。TAAFは劇場という密閉された空間をつかうイベントな訳で、そこに集まることをいやがる観客や参加者がいたら悶着が起こりそう。AnimeJapanはいけばわかるけど場内はもう密集状態。広い東京ビッグサイトであってもぎゅうぎゅう詰めになってそれが何十分とか何時間とか続くからやっぱり感染の可能性はあったりする。それでも挙行できるかどうか。判断が求められそうだねえ。

 災害に水害だとか煙害だとか霜害だといった言葉があるなら、映害という言葉だってあって良いかもしれないと思った。それくらいに災厄と害悪をもたらしかねない内容を含んだ映画だった。「バイバイ、ヴァンプ!」のことだ。すでにネットで騒然となっているように、吸血鬼に噛まれたら同性愛者になるという作品の設定が、同性愛者を何か病原菌のごとくに扱っているものだと見なされ、性的マイノリティに対する誹謗にあふれたものだと指摘され、上映中止を求める署名活動も行われている。

 ただ、昨今の一部を拡大解釈し、自分たちの気に入らない表現に対して糾弾を行う風潮もあって、どこまでが本当に性的マイノリティを差別し、ダイバーシティが言われる時代に逆行した内容なのかといった疑問もあり、ティーンに対するキャッチさを狙ったコピーにあおられているだけかもしれない、もっと標準的に同性愛でも異性愛でも両性愛でもかまわず称揚する内容を持ったものかもしれないという期待もあって観に行った。唇をかみしめた。

 これはいけない。これは絶対に認めてはいけない映画だ。吸血鬼に噛まれることによって同性愛になる。それを作中で嫌悪すべき状況だとして描いている。もうこれだけで今の時代にそぐわないだろう。人に偏見を与える災厄とみなすべきだろう。あるいは作り手側は、同性愛を吸血によって”強要”されることをもって、愛はもっと自由なものだと訴えたかったと言うのかもしれないが、その表現のために同性愛を感染症のように吸血によって広がるもので、決してそこにはいきたくないとおびえ逃げ、そして最後は糺すものとして描いた段階で多様性は否定されている。

 永遠に生きる吸血鬼にとって子孫を残す意味はないから同性愛が当然だという設定。これはもしかしたらあるかもしれないが、そうした吸血鬼にとっての当然に対して、吸血鬼にとって異常と異性愛を持ち出し、それによって子をなした吸血鬼を殺害してしまった展開は、裏返せば現実の世界で同性愛を異常と見なし、子をなせない者といって切り捨てて良いという思想を想起させる。いつか誰かが論壇誌で開陳しては糾弾され、雑誌そのものを休刊へと追い込んだ主張とまったく同じ。それを現実のパロディとしてしか描いてない内容を、同性愛を異常とする現実への批評とみることは不可能だ。

 美しくあるべき吸血鬼をゾンビのごとくに描いているとかいった表現手法についても異論はあるだろう。アーカードが怒鳴り込んで来るかもしれないと思う人もいるだろう。その気持ちもわかるが、吸血鬼を恐るべき怪物であり忌むべき存在と描くこと事態はかまわない。そういう時代がかつてはあった。それこそ表現の自由だ。ただやはり性的マイノリティに対する嫌悪を助長するような表現は今の時代に許されるべきではない。絶対に。それを行っているという段階で「バイバイ、ヴァンプ!」に対していかなる批判が起こってもそれを咎める言葉を僕は持たない。

 たとえば砂月美貴が演じる工藤美桜が冒頭で気のそばに立った時にふわっと風で持ち上がるスカートにドキッとする楽しさはある。澤山璃奈が演じるボディコンミニスカの英語教師が前屈みになって教卓に開いた胸をおしつけ谷間を見せたり、テニスをしながら転んで絶対にアンスコではない何かを見せたりする場面にググッとする面白さはある。けれどもそうしたキャッチさですら今は公共では懸念される表現になりつつある。見せる相手を考慮する表現だとも言えるだろう。

 そうした配慮されあればかまわないというレベルを「バイバイ、ヴァンプ!」における同性愛表現では超えてしまっている。ガレッジセールのゴリが演じる高校教師がホモセクシャルなのはかまわない。彼が生徒といい仲であってもそれは自由だ。いや学校教師と生徒の恋愛にモラルを求めるなら危ない部分かもしれない。そうしたところへの配慮は必要かもしれないが、愛に形はなく対象も自由なら認めるにやぶさかではない。

 問題はその描かれ方だ。いかにもな仕草であり表情であり態度を乗せてステレオタイプに仕立て上げたキャラクターを、今の時代に映画という場において登場させてしまえるところに愕然とする。とんねるずの番組がどれだけ問題になったのか。それを知らない訳でもないのに。つまりはそういう表現だ。見る人がいかにもだと笑い、いかにもだと嫌うように仕向ける。そこに違う、それもありだと救いがあればよかったのだけれど……。これだけの厄災を含んだ映画、すなわち映災を作り上げた側に問題があることは自明として、こうした映画に町長まで出して協力した茨城県境町の判断が今後は大きく問われるだろう。

 かの町では同性愛者は、あるいは性的マイノリティは病原菌のごとくに忌まれ嫌悪され糾弾される存在なのだという評価を世界中から受けかねない。ダイバーシティが言われるこの時代に逆行する町だと見なされかねない。早急な釈明が求められるだろう。映画の関係者以上に。メディアが大きく取り上げ問題化する前に。果たしてそこまでの自覚はあるのか。認識はあるのか。それが気になる。ともあれとてつもない映画だった。とんでもない映画だった。観たことは後悔しない。そういう映画もありえるということがわかっただけでも自分の人生に意味はある。これを反面教師とし、ひとつの価値として刻んで表現とは何かを考えていかなくてはならない。一生かけて。


【2月26日】 リアル空銀子from「りゅうおうのおしごと!」by白鳥士郎さん。女流棋士ながらも奨励会の三段リーグ戦に挑んで男子ばかりのリーグを勝って四段のプロ棋士を目指している「りゅうおうのおしごと!12」の空銀子というキャラクターがいるけれど、そんな小説を後追いするように現実の第66回奨励会三段リーグ戦で西山朋佳三段が、今日開かれた対局に2連勝して3月7日に開かれる最終日の対局での四段昇段、すなわちプロ棋士になる道を残した。

 女流棋士でタイトルも持っている西山三段がプロじゃないの、っていうのは既に知られた疑問でもあって、女流棋士は例えば藤井聡太七段なんかが最年少プロ棋士になったといったカテゴリーとはまったく別のものになっている。プロ棋士とは三段リーグで上位に入った2人が四段に上がって初めてなるもの。あるいは次点を2回とってフリークラス入りしてなるもので、女流は5段だろうか6段だろうが厳密な意味でのプロ棋士ではない。

 そして過去、女性のプロ棋士は誕生していないからこそ「りゅうおうのおしごと!」での空銀子の挑戦が物語になる。現実にも過去、幾人かの女流棋士が奨励会入りしてはプロに挑んだものの、里見香奈さんのように三段リーグに名を連ねながらも昇格できずプロ入りは逃したくらい、難しい壁になっている。それは女流棋士が弱いからという訳ではなく、圧倒的な人数の差があり体力の差なんかもあってのこと。場になれていないというのがやはり大きいと言われている。

 それが近年はだんだんと変わって来た。コンピュータのせいもあって序盤の研究も進んだのかもしれない。それによって体力勝負をかけられる前に形勢をととのえ勝利できるようになったのかもしれない。そんな状況下で活躍する女流が増え、そして西山朋佳三段のように三段リーグ戦で勝利を重ねて3位につけて、最終日に二連勝して上位にいる棋士のひとりが1敗すれば、晴れて四段昇段という女性の棋士では初の事態が到来する。これはやはりニュースだろう、藤井聡太七段の加藤一二三九段の記録を上回る最年少プロ棋士誕生に劣りもしないくらいの。

 今日も2連勝したから最終日の2連勝も夢ではないけれど、とてつもないプレッシャーもかかる中、果たして実力は破棄できるのか、ってあたりが目下の注目。「りゅうおうのおしごと!12」で空銀子も最終日の対局まで昇段の可能性がもつれこんで、そこでとてつもないプレッシャーの中、修羅となり弱る心情を自分で叩いて肋骨を折りながらも戦った。それくらい激しい状況下、メディアの目も集まる中で果たして勝てるのか。今から気になって仕方がない。よしんば敗れて次点に入れば2度でフリークラス入りながらも四段昇段となる訳で、後の半年にも注目は続きそう。そうした状況で先駆者として「りゅうおうのおしごと!」が売れるのか。続編のアニメ化があり得るのか。気にしたい。気にしていきたい。

 読んだんだろうかどうだったんだろうか、「ゼロの戦術師」という電撃文庫から出た作品があって、それを書いている紺野天龍さんがハヤカワ文庫JAから「錬金術師の密室」という小説を刊行。ファンタジー仕立てのミステリというカテゴリーで、希代の錬金術師が密室で殺害されていた事件に、美人の錬金術師とそのお目付役としてついていった堅物の少尉が挑むといったストーリーで、錬金術師なら何ができるか、そして誰が殺害する理由を持っているかといった条件から犯人なり真相に迫っていくことができる。

 読み所は何といってもテレサ・パラケルススという名の王国軍務省錬金術対策室長というキャラクターの美人だけれどやあぐれていて酒飲みで女性好きといった設定。エミリアという女性名ながらも歴とした男性の少尉を相手にくだを蒔きつつ傲岸不遜な態度で犯人と疑われた逆境から抜け出し、真相にたどりつく。その冴えの一方で抱えた大きな秘密。そしてエミリア自身の秘密。それらが合わさり2人の過去が重なって浮かぶとてつもない事件とその張本人を探し追い詰めていく旅が、これから始まりそう。秘密は守られるのか。そして活躍は。2人の関係は。そんな興味を抱えて読んでいこう。

 今日も昼まで沈みがちではあったものの、寝続けている訳にはいかないと午後2時過ぎには起き出して、近所にフレッシュネスバーガーにこもり、ハンバーガーをかじりコーヒーを流し込みながらとりあえず頼まれていた書評を1本どうにか仕上げて、もやもやとしていた気持ちを晴らす。もちろん将来についての不安もあるけれど、目の前の仕事がこなせるかっていうのも結構なストレスとなって、心を苛むのだった。

 原稿って依頼されると嬉しいけれど、それが自分に書けるのだろうかという不安が常につきまとう。依頼されるのだから書けるだけの能力はあると思いたいのだけれど、そうした期待にもしも応えられなかったどうしようというプレッシャーが働いて、なかなか手が動かないのだったりする。「らんま1/2」なんて、世界的なメジャー漫画の評論について商業誌に書くとか俺で大丈夫なのって思ったりもしたし、今だってあれでよかったのかと迷う気持ちもあるけれど、とりあえず好評は見たので今は安心。異論はないのでよかったと思いたい。

 世間には漫画評論もやる人としてまるで届いてないけれど、これでも「漫画家本」は皆川亮二さん島本和彦さん細野不二彦さん一ノ関圭さん小山ゆうさん高橋留美子さんと6冊もやっているのになあ。どこかでまとめるか、マンガ大賞に寄せた推薦文とかと併せて。どこで? ともあれこれまでも締め切りが近づいて、いやでも書かねばと手を動かし始めれば、どうにか仕上がって来たこれまで。こんな経験をあと10年は重ねて、俺の書くものはすべてが完璧だと思えるようになるかというと、やっぱりならないんだろうなあ。自信はどこで買えるんだろう。


【2月15日】 「ID:INVADED」で小柄な小学生にも見えるけれども23歳という本堂町小春が頭に穴を開けられたせいなのか、よっとずつズレていって殺人犯を殺害しても平気な感じになってしまったことを嫌気されたか、イドに潜る名探偵に推挙されてしまったエピソードまで見る。放送よりも配信が遅れているから、井戸でのその活躍、聖井戸御代としての姿はまだ見てないけれども結構な恰好だと噂では聞いているので早く見たい。

 ストーリーの方は、起こる事件の真相を探るべく現場に残されていた思念をもとに井戸に潜ってそこで死んでいる「カエルちゃん」なり「カエルさん」の死因を調べ、それが殺人犯の究明につながるといった感じで進んでは行っているけれど、そうした構造が分かってきた先で、殺人犯たちのイドにたびたび現れるジョン・ウォーカーという人物がいったい何をしていたのかが、全体に通底するテーマになって行くのかな。その正体を突き止めたところで何か大きな事件が解決するとか、世界が激変するといった展開があるかが見えないところもあって、単体では秀作でも全体では傑作と呼べるかどうかはまだ様子見。面白いことには違いないんだけれど。

 お気楽に見られるという意味では「プランダラ」あたりがグッドというかライクというか。絵とか非道いし展開とかも適当だし、世界がどうにかなってしまうようなテーマもまだ見えず地方で元撃墜王らしいけどそんな年には見えない青年が、いやらしいことをしたり強い相手と戦ったりする小さなエピソードが積み重なっているだけ。ヒロインで母親をアビスから取り戻そうとしている少女も出てこなくなって、いったいどこに話が向かっているかも見えていない。それでも見ていて気を抜けるのは悪くないと言えるのか。アニメ人材の不足が叫ばれる中、こうしたアニメがどういう要請によって誰のために作られどうした効果があったかを、検証したいけれどそれをやっても意味があるのか悩ましい。楽しいんだからそれで良し、ってここは割り切るべきかなあ。

 NETFLIXやAmazonPrimeビデオに配信されてないから毎週1話分だけが見られるようになっているGAOで飛ばし飛ばしに見ている「宝石商リチャード氏の謎鑑定」。だい6話ではトルコ石のエピソードが描かれてリチャード氏が過去にやっていた商売が初めて明かされた。それだと偽って売った宝石が実は違っていて、けれどもそれよりも実は高かったりするのは詐欺なのかどうなのか。欲しい相手がいたから違っていてもそうだと偽って売ったのならそれは親切ではないのか。ちょっと考えてしまった。

 当時の荒んだリチャード氏ならそう思っていたのかもしれないけれど、出会ったラナシンハという人物に誘われ見込まれ暮らす中、正義の気持ちを取り戻しっていたんだろう。結果として今の品行方正なリチャード氏の出来上がり。正義が作ったプリンを食べるその姿に、とある心情を思い浮かべるけれども当の正義がそれに気付かないというすれ違いを、見て悶々としつつドキドキとしている視聴者が大勢いそう。評判を見ると決して悪くはなさそうで、見ていてほっこりとしてすっきりとさせてくれる作品になっていそう。原作のどこまで描くか分からないけれど、末永く続いていって欲しいもの。せっかくアニメ化にもなったんだから劇場版とかも、第1部の終わりがけのエピソードとかで是非。

 用事を入れていない土日が動けなくなっている感じで、午後2時くらいまでベッドでうつらうつら。午前3時までベッドでNETFLIXとか見ていたからしゃあないとは言え、これでは先が思いやられるのでどうにか起き出し洗濯をしてレーズンパンをかじり、しっかりと歯磨きをしてからパソコンを担いでいつものフレッシュネスバーガーで原稿を書く。書評系で2ほど依頼があるのはありがたい。それで食える訳ではまったくないけれど、今はひとつひとつしっかりとこなしていくしかない。コンビニのATMにカードを突っ込み預金残高を眺め、まだ戦えると心に希望。でも10年先を思い鬱鬱。人間そう簡単には変われないのだ。

 歯磨きといえば、しばらく前に歯ブラシで歯茎をこすると血が出たのをきっかけに、リステリンで口をゆすぐだけにしていたらそれでは歯石は流れず歯垢も落ちないようで、いつのまにか歯が汚れプラークもたまって歯周病になりかけていたらしく、それがひどいにおいにつながっていたと歯医者に言われてなるほど。試しに1週間ほど歯磨きを続けたら血も出なくなったのだった。そういうものかと目から鱗。

 あとその歯医者は言ってすぐに神経とか抜かず歯も削らす、まずはレントゲンから写真も撮影して歯周ポケットの深さを測り、図解した上でまずは歯磨きで歯茎を引き締め様子を見つつ歯石を削りそれから奥歯の親知らずを抜くことにするといった段取り。今時の日本の若い歯医者はちゃんとそういう風になっているらしい。時間だけはあるからじっくり直しておこう。お金が続くことだけが心配だけれど。続けさせないとなあ、頑張って。


【2月14日】 2月の終わりにパシフィコ横浜で開かれる予定だったカメラと映像機器の見本市「CP+2020」が開催を中止すると発表。もちろん理由は新型コロナウイルスの蔓延を懸念してのことで、海外からの来場者も多いだろうイベントを不安視して来場者が来るのをためらっているのか、それとも日本での桁違いとはいえ中国に次ぐ感染者の発生で海外からの参加者が来日を忌避したか、はっきりとは分からないけどいろいろと不安があったんだろう。大きなイベントで新型コロナウイルスを懸念しての開催中止はたぶんこれが国内では初。3月にはAnimeJapanとかも開催が予定されているだけに、そちらへの影響も気になってくる。

 すでに海外では台湾でのゲームイベントが中止になり、香港のフィルメックスも中止といろいろと影響が広がっていたりする。上海ワンフェスはどうなるんだろう、中止の噂はあるけれど正式なアナウンスがないからそこは不明だけれど、やっぱりいろいろと影響は出そう。そうした流れが一気に拡大すればAnimeJapanもその前の東京アニメアワードフェスティバル2020も、海外からの参加者が不安だからといった理由で中止とかありそう。ずっと準備してきて可哀想だけれど、今後の広がり具合でそうした決定もありそうだなあ。ダイヤモンド・プリンセス号ではまた感染者が増えて重症者も出たみたい。シウマイ弁当は届かず閉じ込められてジワジワとウイルスに迫られる乗客の心境やいかに。船内から実況するYouTuberとかいないのかな。

 400カットもの作り直しがあったらしい「劇場版ハイスクール・フリート」。ブラッシュアップは全体の3分の1に及ぶというからんもう別の映画に近いというか、だったら前に見た未完成品については料金を返すなり次ぎに見る人を割り引くなりの処置すら必要に思えるレベルだけれど、そんな映画を実際に2回ほど見て実はあまり作画どうとか気にならなかった。なるほど甘いとか緩いとか言われていたけれど、それが顕著に見られたという中盤から後半にかけては、大和型戦艦が4隻並んで手法をぶっ放し、晴風が会場をぶっとばしプラント潜入部隊がミリタリー仕事をしといった具合に、キャラクターの作画よりもアクション展開で見せる場面が大半で、その格好良さにシビれて崩壊具合にまるで気がつかなかった。

 だから今日から公開されたブラッシュアップ版を見に、三鷹から立川へと回ってシネマシティに寄ったけれども「見せてもらおうか、ブラッシュアップ版の実力とやらを!」と意気込んだ割にはあまり大きな驚きはなかったというのが正直な感想。もしかしたら顔立ちとか綺麗に整っていたかもしれないし、戦闘の場面も迫力が増していたかもしれない。宗谷真冬の格好良さが倍増しになっていたかもしれないけれど、元から面白かったからどれだけ綺麗になっていたのかまるで検討が着かないのだった。それでもまあ、見た人が口々に作画が治っていたというからきっとそうなんだろう。もうちょっと細かい分析が出て来たら確かめにさらに1度くらい、見に行くかも。

 でもやっぱり武蔵艦長の知名もえかが校長らの慌ただしい雰囲気から何か起こっていると察して、大和や信濃や紀伊の艦長にも根回しをしてプラントや要塞の奪還に向かって船を出した経緯ってのが、映画を見ているだけではやっぱり分からないなあ。セリフではその知将ぶりが讃えられているけれど、背後での交渉とかは何かドラマCDとかを聞かないとやっぱり分からないのかもしれない。小説版とか出たら呼んでみたいけれどそこまで果たして描かれるだろうか。ちょっと気になる。ともあれテレビシリーズからOVAを経て映画にもなってジワジワと続いているシリーズ。これで終わりとならずにまた続きを。艦これよりも横須賀で盛り上がっている作品だから。

 いやもう無茶苦茶でござりまするなあ安倍総理。「桜を見る会」の前日に自身の事務所が主催してホテルニューオータニで開かれた前夜祭に来たゲストの人たちが全部それぞれがホテルと契約したものだから、事務所の収支報告には掲載されていなくて当然といった言い抜けをして世間から苦笑されていたのにくわえて、今度は自分がその場にいたのは自分が契約したからかといった問でもあったのだろうか、そうじゃない自分はそこにふらりと足を踏み入れただけであって会費とかも払ってないんだと国会の場で言ってのけた。おいおいそれってただのパーティー荒しじゃん。あるいは無銭飲食。会費も払わず紛れ込んではタダで飲み食いしたことを、総理という立場で国会の場で堂々と語ってしまえるその心理状態が凡人にはまるで理解できない。

 でもってその内閣で検事長の人の定年を延長させた件について、検察庁法で定年が決められているにもかかわらず、国家公務員法では延長はオッケーであってそして検事長は国家公務員だから定年延長もオッケーだなんて謎理論を持ち出して来た。いやいや国家公務員であっても検察庁の人間なんだから検察庁法に引っかかるだろうという真っ当な反論は通じない。それが通るなら憲法に規定されていないことは刑法だとか民法だとかで規定されていても憲法上は大丈夫だなんてことになりかねない? それはさすがに無理すぎるけどそういう無理を自分たちのために少しでも通してしまうのが今の内閣。見ればこれはヤバいと思って当然なのに、支持者はまるで動じないところに無力感を覚える。未来はどこへ?


【2月13日】 花澤香菜さんにとって「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」への出演で、のんさんと共演したことがやはり印象に残っていた様子。片渕須直監督を追いかけたドキュメンタリー映画「<片隅>たちと生きる 片渕須直の仕事」の中だと、のんさんに片渕監督が演技指導をしている後ろで、にこにことしている花澤さんが立っている姿が映っている。人とてもおだやかな雰囲気で、現場がまろやかになたっって片渕監督は話していた。そうだよなあ、あの顔立ちあの声質でにこにことされていたらまろやかにならない現場なんてないよなあ。

 そんな花澤香菜さんが、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の舞台挨拶にはじめて登壇した2020年2月12日の上映時、片渕監督に「すずさんのキャラクターは回りを掛け合わせることで出来上がると話されてましたが、私にはのんさんがそのまますずさんに乗り移っている気がしました。最初からそうだったんですか?」と尋ねていた。答えて片渕監督は「すずさんはこういう人なんだと、2016年のアフレコに言いました。そこでの『わかりました』について、2019年の7月にその時の回答を持ってきてくれたんです」と答えていた。

 当時だってちゃんと出来てはいたけれど、それでもまだ足らなかったことがあった。映画が公開されていろいろな場所で演者として活動し、また映画も見直す中できっといろいろと感じていったんだろう。3年をかけてすずさんという人をより深く知り、演じられるようになった。そして片渕監督。「そのすずさんも、映画の中で変化していかなくちゃいけない。テルちゃんとの掛け合いを経験する中でどう変わっていくか」を考えたみたい。「リンさんとの色々なことがあった。リンさんとの関係が、テルちゃんと話すことでわだかまりが解消していく」。

 茶碗を渡すというのは半ば口実で、やはり気持ちには対決の気持ちもあったんだろう。けれどもそこで病気で苦しみながらも明るいテルちゃんと話すことですずさんの中で、自分がしっかりしなきゃという気持ちが芽生えたのかもしれない。「どっち方向にすずさんが変わっていくか」。その結論が、母親然とした方向。「テルちゃんと話している時のすずさんは頼もしく見えます」という言葉に片渕監督は「甲斐甲斐しく熱を出しているテルちゃんの面倒を見て、雪を食べんさいと持ってくる」と、すずさんの行動を列記する。

 「のんちゃんに言ったのは、すずさんはいっぺん、お母さんにならないといけない」。あの場面、風が吹き込む窓を閉める時の優しくも頼もしげな「もう閉めますよ」というセリフにそんな気持ち、そんな心が感じられる。そうした変化が「映画の最後でお母さんになることにつながったんです」と片渕須直監督。さらに「すずさんが、晴美ちゃんをかばう場面ですずさんは、晴美さん晴美さんと行って来たがの、あそこだけ『晴美ちゃん』と言うんです。保護者にならないといけなかった。そのきっかけが、テルちゃんとの出会いだったんです」。新たに加わったシーンが、前からあるシーンにより深みを持たせ、より意味を持たせた。

 そういった繋がりを改めて感じると、また映画を観たくなってくる。花澤香菜さんも、こうして監督による説明を聞く度に映画を観なくちゃという気になるらしい。だからもっといっぱい舞台挨拶をしてとすら言っていた。いやそれならご自身ももっと出て来てふわふわりして欲しいんだけれど、お忙しい方なので次はやっぱり小野大輔さんのご登場を願いたいところ。冒頭ですずさんに非道いことをした時の内心とか、やっぱり聞きたいかならなあ。どこまで本気ですずさんのことを思っていたのか、いつまで思い続けていたのか。その小野大輔さん的解釈をぜひ聞きたい。待ってますご登壇。

 横浜港に停泊するダイヤモンド・プリンセス号に崎陽軒がシウマイ弁当を差し入れたという話が伝わって、さすがは横浜の雄だと誰もが讃えたけれども一晩が明けてどうやら差し入れたシウマイ弁当を船内の誰も食べていないことが判明。実に4000食ものシウマイ弁当がどこかに消えてしまった。とりあえず引き受けたもののすでにある食材の消化がやっぱり先と船会社が隠してしまったのかもと考えたけど、船の方でも受け取ってないという話が伝わっている。本当だとしたらいったいどこに消えたのか。ワームホールを透って200年後の横浜に転送されてしまったのか。謎めくけれど、きっと連絡不足で積んだまま放っておかれたんだろうなあ。ドタバタしてるし。

 しかし新型コロナウイルスによる肺炎でいよいよ死者も出たようで、広がる感染者の数から発症者も増え死者もこれから出て来そう。世界が押さえ込みに成功しているように見えるなか、どうして日本だけがこうなった? ってところで単純に観光を優先したという話以外にも、重症者を即座に隔離し面倒を見たり、原因を特定した対処するような施設なり研究に関する費用の不足なんかがあるのかもしれない。現実に対策のための費用が削られていったって話もある。よく分からない所にお金が回って研究だとか学術といった分野からお金が消えるこの政権こそ、シウマイ弁当が消える船より複雑怪奇かもしれない。何しろ国会質疑にヤジ飛ばす人が政権トップにいる訳だから。性懲りもないねえ。


【2月12日】 新宿ピカデリーで開かれた「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の上映に合わせて開かれた部隊挨拶に、テルちゃんを演じた花澤香菜さんが登場。封切り時の舞台挨拶には居なかったから、今回がこの映画では初の顔見せとなって、こちらは「この世界の(さらにいくつも)片隅に」の封切りから55日ですでに30数回、舞台挨拶に立っている片渕須直監督から、「主立った出演者で小野大輔さんと花澤香菜さんがお忙しくて」と言われ、「小野さんまだなんです」と言った瞬間、「よしっ!」と先んじられたことを喜んでいた。こういうところがちょっと可愛い。

 「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」に出演依頼があったことについては、「びっくりしました」と花澤香菜さん。「『この世界の片隅に』を見ていて、こんな素敵な作品に関われる人は良いなと思ってました。小野さん、潘ちゃん、細谷さん……。私はオーディションなかったけど、あれで完成されていた」ので出られないと思っていたらしい。「『さらにいくつもの』が作られるとは知っていましたが、新しいキャラが出てくるなんて知らず、まさかお声がかかるなんて」。

 そんな花澤香菜さん起用の経緯はすでに語られていて、片渕須直監督が宇多丸さんのラジオでアナウンス原稿を読む前に素であたふたしていた声を、奥様の浦谷千恵さんが運転する車の中で聞いて、実にテルちゃんらしいと思ったから。その番組に花澤香菜さんを声がけしたのが藤津亮太さん。花澤さんの口から「藤津亮太さん」という名前が出たときに世界宙の花澤香菜さんのファンがふわふわりと思ったことは脇において、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」のムック関係で仕事をしている藤津さんとの関わりも含め、いろいろな奇跡が重なって生まれた出演だとも言えそう。

 そんな花澤香菜さん、実は片渕須直監督作品のオーディションを受けていたことを明らかにした。作品は「マイマイ新子と千年の魔法」だから、役はたぶん貴伊子。そのときはかなわなかった出演を果たし、これからも呼んで欲しいと話していた。そりゃあ呼びたいけれどもお忙しい方だからなあ。のんさんと花澤さんが並んで演じてくれれば嬉しいけれどなあ。そもそもがどうして花澤香菜さんで空席が出来るのか。平日の夜はやっぱりこうなってしまうのか。それはちょっと寂しかった。

 テルちゃんといえば九州弁で、それを演じるのは難しかったかと司会のヤマモトさんに聞かれた花澤香菜さんは、「自分なりの方言のやり方、今までやって来た中で作り上げてきた台本の書き方があって、上げて下げてを印として書いておいて何回も練習してたたき込みます」と話していた。声優さんってそうやって練習するのかと感慨。結果、現場で九州の人たちが即オッケーを出す完璧な方言を聞かせてくれた。

 ただ「練習し過ぎちゃうとディレクションされた時に変えられなくなる」と花澤香菜さん。「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」のテルちゃんは、九州弁の上に「もっと死にそうな肺炎になってください」と言われ「どうしようかと思った」と、舞台挨拶の椅子から立ち上がって当時を振り返っていた。驚いたんだろうなあ。「あのディレクションは初めてでした。監督が直接、声を潰して欲しい、からして欲しいと」ディレクションしてきたことも明かしてくれた。

 受けて片渕須直監督は、「九州弁でずっと風を引いていて喉が嗄れていて咳が出っぱなしの三重苦」のキャラクターだけにキャスティングを悩んだと話しした。「僕がキャスティングを悩んだのは、それを超えた上でお芝居ができる、テルちゃんという人物像が出てくるのが大事だった」と片渕須直監督。「もっと死にそうになって」といった並大抵ではない演技への要求に、見事に応えてのけた花澤香菜さんの、何重もの苦労を超えた演技を劇場に見に行こう。

 そういえば花澤香菜さん演じるテルちゃんのためにすずさんが、茶碗で雪をすくうシャリッという音が新宿ピカデリーだと聞こえてきた。「スクリーンで大きな空間で色々な所から音が聞こえてくる」と片渕監督が言う劇場だからこそか。花見のガヤにいる小野大輔さんとかも聞こえるかもしれない。舞台挨拶ではのんさんの演技が、リンさんとかテルちゃんとの掛け合いの中で変化していった経緯も語っていたけれど、長くなるのでそれは後日に。あと何度、観たら良いんだろう。ムビチケまだ使えるんだろうか。

 横浜に停泊しているダイヤモンド・プリンセス号で新型コロナウイルスの感染者が続出している件で、船から降ろさないまま検査もゆっくりとしている間にどんどんと広がっている感じというか、もはや船内に限ればパンデミックというか。隔離もできず大勢が行き来している船の中に感染者と健常者を閉じ込めたらそりゃあうつるだろう。かといって降ろして発症したらそれが日本の発症数に数えられるのが嫌なのか、感染が拡大するのが拙いのか。かくして閉じ込めたままでプリンセス・ダイヤモンド号は知らず出航させられ東京湾の沖で某国が設置した機雷に触れて沈められる……なんてカサンドラクロス的展開があったら何か凄いかも。そうさせないためにも検査と隔離をしっかり。

 早速出て来た米アカデミー賞での作品賞と監督賞を受賞したボン・ジュノ監督「パラサイト」へのいろいろなやっかみ。「『パラサイト』に関して、日本の配給会社関係者は『製作のCJエンターテインメントのアカデミー会員へのロビー活動が凄かった』としている」なんて出所不明の談話をのせてる新聞なんかもあったりしたけれど、だったら日本の映画だってロビー活動をすれば良いってだけの話だし、だいたいがロビー活動をすれば受賞できるような賞でもない。アカデミーの会員だってプライドがあり見識だってある中で、過去の流れに寄らない真意を告げたらこうなっただけの展開を、いかにもな謀略論で括っているうちは日本映画がオスカーなんてあり得ないだろうなあ。いやだからそこはアニメーション映画が獲得するから別に良いのだ。「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」で花澤香菜さんがレッドカーペットを歩く日を願う。


【2月11日】 「創訳 とある魔術の禁書目録」刊行をきかっけに、過去作品を振り返ってみようとNetflixでアニメーション版の最新シリーズとなる「とある魔術の禁書目録3」を午前3時くらいまでずっと観ていて、途中で意識を失い午前中に目覚めてからも続きを観つつ、寝たり起きたりしながら午後4時くらいまで布団に潜り込んで過ごすという引きこもり気味生活。おとといの日曜日とまるで一緒だったりして、これが板についてしまうと本格的にヤバくなるので、おとといの日曜日と同様に、家を出て近所のドトールで原稿なんかを打とうとする。

 とりあえず依頼があった本の紹介文を書こうと頭をめぐらせたものの、なかなか言葉が出てこないのが困ったもの。2時間くらいかけてどうにか気持ちを浮上させたものの、まるで文章としてはまとまらず、どこを糸口に何を書けばいいかもまだ定まってなくて、これから毎日いろいろと思案をめぐらせることおになりそう。まあ無理な時はいきなりまとまって筋が通った文章にはせず、部分を構成するパーツをメモ的に描き散らかして、あとでつないでいく。そうやって去年の一ノ関圭さん、小山ゆうさん、高橋留美子さんに関する漫画評論3部作はどうにか仕立てたし。とりあえず今週末をめどに1本をどうにか仕上げたい。少しずつ。少しずつ。

 キーボードを打つためのリハビリも兼ねて、野村克也監督の訃報に大リーグで活躍するダルビッシュ有選手が急遽、YouTubeにアップした動画を見ながらコメントを打つ訓練をする。曰く「日本で野球しているとき、デッドボールを当てると、日本は帽子をとって謝るのが当たり前。アメリカはわざとやったと取られるから、帽子をとっちゃだめらしい。日本では帽子をとる。自分はそれを大事にしている。ただ、当てて帽子をとって終わりというのが、僕の中では気持ち悪い。その行為をすることに意味があるんじゃない、相手に対してすいませんという意思を伝えることが大事。バッターの人も当たってピッチャーを見てにらんでいると勘違いされるのをいやがり、ファーストに走っていかえる方もいる。そういうかたには3塁のランナーコーチを見る時、目が合うのでちゃんとすいませんとやる。伝えたくてやっていた」。合理的なダルビッシュ選手らしい態度。

 それがどう野村監督と関わるかというと「ある時、記事で野村監督が僕の話をしていて、ダルビッシュはえらい。ファーストへとランナーがいくのを待っている。敵の監督がそんなにピッチャーのことを見ているんだ」と思ったとのこと。「野村野球、頭を使う野球といわれていたけれど、本当にやっているんだ、いろいろな人のことをずっと見て、人間観察がたけているから、こういうことを考えているんじゃないかと、データだけでなく、自分で見て感じたものを野球に落とし込んでやっているんだと感じた」。相手投手が何をしているか観てこそ攻略のきっかけも掴める。そんな観察力の先にダルビッシュ選手の振るまいも見えたのだろう。

 「自分は2人、やってみたい監督がいる。そのうちの1人が野村監督で、もう一人はまだ言わない。野村監督がその後もちょいちょい、自分のことを言ってくださった。自分のことを評価してくれているんだと感じていた。去年、2019年の前半、全然だめで終わったと思った。現役がどんどんと落ちていくんだと思っていた。自身もなく体の状態もよくなくストライクもはいらない。やばいと思った。その本人があきらめている状況で、野村監督のベストナインというのを言っていて、それに自分が選ばれていた。自信がまた自分の中に出てきた」。尊敬する人に誉められると湧く自信。そういうものなのだなあ。自分もあやかりたい。というか依頼があるってことがすでに気にはされている証拠だと、思うべきなんだろうけれど。<BR>
 「昔の野球選手は現代の野球選手のことをほぼ認めていない。自分のすごさが守れるから言ってしまうが、野村監督は知性でも先を言っていた。美化される中で人間の自然な本能、そういうのを知性で押さえつけられる力があると思っている。昔よりすごいかはわからないが、ずっと生きてきて、それを言えるのがすごいと思った。こんな人が自分を選んでくれている。自分の教え子には田中将大や岩隈選手がいる。教えた選手たちのことも選びたいのもわかるが、そこで自分を選んでくれた。あの時の自分を救ってくれた。どんどんと良くなった」。僕もきっかけをつかみたいけど、そのためには日々の鍛錬を怠らず水準を落とさないこと。土日に寝込むのは寒い今限りにしなくっちゃ。

 アイマスだとかラブライブ!といった、アイドルがアニメーションやゲームに登場して歌ったり踊ったりする一方で、演じている声優さんたちがリアルなライブにも出演して歌とパフォーマンスを繰り広げるエンターテインメントが、結構な数生まれていたりする。最近だとガールズバンドを組ませたバンドリ!だとかもそんな延長。一方で男性声優の人気にあやかり男性アイドルユニットをいっぱいつくっては、出演声優によるイベントなんかを開いて女性ファンを大勢集めている。もはや飽和状態ではあるけれど、それでも当たるとでかいと思い参入も続く。

 アイドルから目先を変えてラップバトルへと持っていったのがヒプノシスマイクで、アイドル的な美形揃いではあるけれどもキャラクター的には不良だたりおっさんだったりとなかなかに多彩。演じる声優さんも美声ばかりとは限らず、ドラえもんでジャイアンを演じている人がいかにもラッパー然とした風貌で歌いライブにも出ていたりするから面白い。ヒプマイの人気が美形アイドルユニットばかりだった2.5次元的なエンターテインメントに幅をもたらした。

 そんな延長に生まれたのがありは声優がお笑い芸人を演じつつ舞台にも立つプロジェクトだったのかもしれない。ゲラゲラとワラワラ、2つも生まれて競い合ってるそれがどういう展開を見せるのか、それを考えるのが目下の課題。渡航さんを座付き作家にしてドラマを紡がせ天津向さんがネタを提供する「GETUP! GETLIVE!(ゲラゲラ)」はなかなか強そうだけれど、「ワラワラ! Laugh Lige」も人気声優揃ってるし。豊永利行さんなんて両方に傘下しているし、そういう場合ライブが被ったらどっちに行くんだろう。気になります。


【2月10日】 映画「ゴブリンスレイヤー GOBLIN’S CROWN」を観た。映画の「ゴブリンスレイヤー」だった。以上。でも良いけれど、そこは説明するならテレビシリーズの延長で、3話分くらいのエピソードを1回で見せたと言ったところか。ゴブリンスレイヤーと女神官を基本に妖精弓手に鉱人道士に蜥蜴僧侶のパーティーができて固まって動くようになってからの物語。県の乙女の依頼でゴブリン退治に向かった令嬢剣士が消息をたったので探しに行くと村がゴブリンに襲われていた。助けて様子を聞いて令嬢剣士がどうなっているかを推測。そしてたどり着いた巣穴で祭壇にひとり、横たえられた令嬢剣士を見つけて救い出す。

 そして任務は完了、とはいかずゴブリンの本拠地を叩くことになって向かおうとしたパーティーに、仲間を惨殺され陵辱され呪いの刻印を打たれた令嬢剣士もついていくという。そこで正義のヒーローなら押し留めそうなところをゴブリン憎しの感情が塊となったゴブリンスレイヤーだけあって、同行を認めパーティー仲間も妖精弓手が逡巡した以外は認めてしまう。

 馴れ合いではなくそれが意味ある行動だから認め、かつ有能だから認めるという合理的で功利的な判断。背後にはゴブリンを憎む気持ちはゴブリンを屠ることでしか埋められないといった、ゴブリンスレイヤーの経験もあったかもしれない。その果てにどこか壊れたゴブリンスレイヤーとは違って令嬢剣士はのち、別の形で恩を返すけどそれもいったんは付き従って思いを果たしたからできたことだろう。逃げずに挑んで乗り越える。そんな思いを抱かされる映画だった。

 鏃が刺さったら外れて肉に残る仕掛けを学んで逆に返してきたりと、だんだんと狡猾になっていくゴブリンにいつまでも人間が善戦し続けられるのか。知恵を巡らせ作戦も立てるゴブリンにいつか人間が敗れ去る時がくるのか。いつか融和なんてものもあるのか。ゴブリンの殲滅こそが醍醐味だった作品だけにそうした展開が予想できないけど、だからこそ挑み乗り越える価値はあるのかも。原作は追ってないけど少しは読んでみようか、それともアニメ化を待つか。

 京都アニメーションへの放火殺人で被害者の方々を実名で報じるべきか否かといった問題について、京都新聞社の記者らしい人が個人の立場で書いていた。曰く「私の考える実名で報じなければならない記事のタイプとは、『犠牲者の名前だけを載せる記事』である。写真にあるような一覧表は、京都新聞を含めた各紙で1面に載っていた」。え? 実名はあるかもしれないという考えに理解は示すけれども、そこじゃないだろうという感じがして仕方がない。

 記者はこう書く。「第一に、不正確な情報が流布することを防ぐという点である。京アニ事件では事件当初、犠牲者の名前が明らかになっていないため、さまざまな臆測がインターネット上で飛び交った。しかしインターネット上で臆測が広がることは、時に人の心を傷つけることがある。2019年8月に茨城県の常磐自動車道で起きたあおり運転殴打事件では、容疑者とは無関係な女性が、『同乗者の女』だという誤った情報をインターネット上で拡散される被害を受けた。これは無関係な人が加害者側に間違われたケースである」。<BR>
 なんという勘違い。事件の加害者を実名で報道することと、事件の被害者を実名で報道することはまるで話が違う。なおかつ加害者を実名で報じれば、無関係な人が間違われないとも限らないのでそこは報道が無関係を強調し、えん罪を晴らせばいいだけのこと。実名でなくてはならないという絶対の理由にはならない。それなのに、「一方で今回の京アニ事件では、たとえば生存している方が犠牲になったという誤った情報が広がったわけではなく、大きな被害は生じなかったかもしれない。しかし大きな被害がなかったのは偶然だった、とみることもできる。誰かに被害が生じてからでは遅い。できるだけ早い時期から、犠牲者の実名という正確な情報を伝える必要がある」と言ってのける。ここがどうにも繋がらない。

 京アニの犠牲者で取り違えられて起こる被害って何だ? 間違われて困る人って誰だ? 分からないだけに例示が無理すぎな気がする。被害者の親族が、亡くなられた方のやって来られたことを世に知ってもらいたいと実名に応じることはありかもしれない。歴史に名前が記録される機会だから。すでに長く活躍していた人なら作品を通して名前は記録されているけれど、若手ではそうでもなかった。そいういう人たちの無念を名前を出すことによって晴らす意味はあるだろう。ともあれ難しい問題に、記者が実名で書いた意義は讃えたい。叩き台であり叩かれ台であってもそこから進む議論はあるはずだから。

 第92回アカデミー賞でボン・ジョノ監督の「パラサイト」が作品賞を獲得。旧外国映画賞で今は国際映画賞も獲得をしてなおかつ監督賞と脚本賞も獲得と、映画作品としての栄誉のほとんどを持っていったことになる。これは快挙。国際映画賞なら過去にいろいろ獲得しているし、アニメーション映画賞なら宮崎駿監督が「千と千尋の神隠し」で獲得をしているけれども映画中の映画に与えられる作品賞であり監督中の監督に与えられる監督賞を受賞したのはアジア映画では初のこと。世界に通じる映画作品を目指し競ってきた国ならではの到達点とも言えそう。だったら日本映画は、ってところでいろいろ議論も出そうだけれど、日本には得意なアニメーションで賞を取ったという実績があるとここは考え、次ぎもそれを狙えば良いじゃんと思うのだった。「トイ・ストーリー4」相手なら勝てそうな気がするんだよなあ。来年こそは「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」で受賞を。


【2月9日】 世界観が壮大すぎて壮絶すぎてエピソードにもテクニカルなものが多くあって誰が誰やら分からなくなってしまった関係で、最後まで何が起こったか理解が及ばなかった「新約 とある魔術の禁書目録」がいちおうは完結してそしてアレイスターとローラ・スチュワートが共に退場となった世界で、上条当麻と御坂美琴がクリスマスイブにデートよろしく2人でコスプレしながらダーツ大会なんかをやっていたりする状況が、羨ましくも応援の無印「とある魔術の禁書目録」のドタバタとして愉快な感じを思い出させてくれた。

 これならついていけるかもと思いつつも登場した金髪ウイッグの新キャラがいったい何者かといったところ。なおかつ魔神のオティヌスですらギョッとさせる新キャラクターが出て来て上条当麻にキスをしてなおかつ何かのませたみたいで、ここから始まるストーリーがまた現実を超えて涅槃の世界へと行ってしまわないかが心配。何しろ何度も消されては作り直されたからなあ、新約の世界は。それでもキャラクターが楽しげなのが結構。一方通行も出てくるしラストオーダーにシスターズも健在。あとは吹寄整理のおでことか、五和の恋情とかが観られれば。何より我らが神裂火織の超絶エロメイド衣装が観たいのだけれど、出してくれるか鎌池和馬先生!

 東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻の第十一期修了制作展では1年次生の作品と、それから交換留学生や+αとしてたぶん海外に行っていた時の作品だとか、研究生なり助手なりの優れた作品を見せるプログラムも上映されて、6作品しかなかった修了生の上映の間を埋めていた。1年次生ではまず池田夏乃さんの「While You Sleep」がフエルトを使ったアニメーションで、かわいらしく動いたりするところが当真一茂さんの「パモン」ぽかった。暗いシーンでは森の中に開いたあれはアミガサタケか何かを囲んだ祭りのシーンがあって、当たる光が美しかった。

 石井太以さん「イヌ」は版画のような絵を少しずつ作って繰り返しつつ場面を動かし、それを繰り返すことによってストーリーを紡ぐ絵本的な作品。動いているからアニメーションではあるんだろう。正岡子規の作品がモチーフになっているらしい。松岡美乃梨さん「かめさんぽ」は勤め人の女性に飼われたかめが散歩に出かけて喫茶店でお茶。パフェを頼んで平らげ支払いとなって甲羅からお金を出したら足りず、飼い主に電話して助けてもらう。なんかほっこり。絵も可愛い。

 フランス国立高等装画芸術学校(ENSAD)からの交換留学生というマドリア・デュボアさん「コスモスの月」はスケッチのような線画によって日本を旅した記録をつづっていくという作品。タッチが山村浩二さんの作品のようだった。たどたどしくつぶやかれる「コスモスの月」という言葉が日本の風景のはずなのに、どこか海外の風景を感じさせる。これがエスプリって奴か。林増亮さん「Grey Zone」は粘土を使ったストップモーションアニメーション。タイトルどおりにダークな雰囲気が漂う。

 黒澤さちよさん「光の表層」はピンホールカメラの原理をつかって曾祖母の若い頃の写真と遺影を定着させていくという作品。長い時間の間に起こった変化を長い時間かけて撮影して現像する中で人間というものが生きた時間、過ぎた時間を感じつつもういない人のことに迫るといった作品? その意味では個人的で内省的。技法のアイデアとしては面白い。島尚比呂さん「WOKE」は撮影された風景の前でキャラクターの取りが歌っていたっけか。PVで活躍しそうな作風。

 松村なおさん「鉄工所」はエッチングなりコンテのドローイングのように黒いタッチで鉄工所の変化を描いた作品。これもまた内省? とはいえ今の時代の家族経営だった工場が立ちゆかなくなる現象は社会的な主題ともいえる。見えない先行き、閉塞感をその絵柄とともに示した作品は先行きの見えない僕に重くのしかかり鋭く突き刺さる。増田優太さん「化猫ヤス」はストーリー性をもって猫の生涯を独白で描いたアニメーション。映画性があったので短編アニメーションの上映では喜ばれそう。

 岡田章吾さん「Strangers in the Alley」もやっぱり猫が出てきてこちらは街で暮らしているというシチュエーション。うまかったけれど俗っぽさでは「化猫ヤス」の方が受けそうかなあ。ここまでが1年次生。そして修了生でもある村田香織さん「Inters et flueurs de voyage Dessins Naturalistes in November」は女性と植物の対比を描きついでいく、イラストレーションが動くといった感じの作品でやっぱりうまい。広告とかの世界で活躍しそうだなあ。

 岡田詩歌さん「Keep Listening」は線が良かったかな、ちょっと記憶が曖昧。ハルマンダール・チャールさん「かんがえ中」は線と面を繰り返して動かすアニメーションで、動きがとてもユニークだった。西野朝来さん「No Other one」はきいろいゾウが動き回る絵本的アニメーション。実写による車窓でもって背景を動かしその上に重ねるのはやり方としてはうまいけど、アニメーションかどうかはさてはて。象がミシンのように動いて描いたその言葉に笑いが起きていた。

 小林真陽さん「母の手、娘の髪」はストップモーションらしい作品。鏡に写る少女の顔に手を伸ばし整えるという、こっちと向こうが突き抜けるマジックが驚きをもたらしつつ親子の似て非なる関係も描き出していた、かな。そして宮嶋龍太郎さん「CASTLE」は戦国時代の城で戦う兵士や武将たちを3600枚ほどの手描きの絵でもってつづったストーリー性を持ったアニメーション。とにかく動きのダイナミズムさがすごい。カメラを振り寄りえぐり迫って場面を切り替え城の中なり砦のそばなり攻め手なりを描いていく。乱暴のようでちゃんと整っている武将たちの顔とか、山村浩二さん的というより大平晋也さん的だった。

 宮嶋龍太郎さんといえば「RADIO WAVE」という作品があってそこでもすごいカメラワークを持った世界を描いてくれていた。「AEON」という作品でも確かとってもすごいものを見た記憶があるけれど、「CASTLE」やそれらより人物をもう少し増やしてその表情、その動きを見せつつストーリーを示し、変幻自在ぶりを示してアニメーションを観たなあという気にさせてくれた。すでに海外で幾つも賞を獲得している作品らしく、日本でもこれからぐいぐいと評判を呼んでいきそう。それなのに国内での受賞は第6回新千歳空港国際アニメーション映画祭の観光庁長官賞くらいというのが謎。もっと評価を。そして仕事を。


【2月8日】 なんだ別にAIが漫画を描くわけではないのか「TEZUKA2020プロジェクト」。数ある手塚治虫さんの作品を読み込んだ上でストーリーだとかキャラクターの雰囲気なんかをAI技術が生成したら、それをもとにクリエイターが絵を真似てストーリーも完成させて描くといった感じ。そこになるほど手塚治虫感は漂うものの、評判を伝え聞いたり状況を見聞きした上で捻ってみせる手塚治虫さんなりの天邪鬼な思考がそこには入ってない。

 完成作品ですら描き変えるくらいな人の漫画を、過去の傾向から作り上げたってそれは本当に手塚治虫さんの作品と言えるのか。常に競争意識を燃やして最前線で戦い続けた手塚治虫さんにはやっぱりAIは似つかわしくないかもしれないなあ。いっそそうして出来上がったAI作品を、田中圭一さんによって描き直してもらうってのはどうだろう。そういったカウンターが入ってエロスも挿入されてこそ、本来の意味での手塚治虫作品と言えるんじゃなかろーか。だったら最初から田中さんがイタコ芸を見せれば良いのか。そっちの方が圧倒的に面白そうな気がする。

 前はまだ会社員だったけれども今年はリストラで放り出されて初の東京藝大院アニメーション専攻の修了制作展。その第十一期となる修了制作展の内覧会に行く。いつもなら10数作品が並ぶけど今年は6作品と少なめ。山村浩二さんに尋ねると海外へ留学していたり、制作しないで修了を先延ばしにしたりといった人がいたためこの本数になったとか。その分、短い時間で見られるのは鑑賞者としては嬉しいかもしれないけれど、多くあってこそのバリエーション。そこから次代を担うクリエイターも生まれると思えば少ないのはやっぱり寂しい。

 とはいえ少なくっても充実の6作品。まずは丘山絵毬さん「おうさま・ひめ・ぶた・こじき」は一種の群像劇。画家が居て絵を描いていて女性がATMの前で電話をかけて父親にお金をふりこんで欲しいとお願いし、歌手が練習してこなかったことを咎められホームレスが空き缶を集めて1000円もらってソーセージとおにぎりと缶チューハイを買い込んで浮かれお坊さんがタクシーで駆け回る。そんな脈絡のないエピソードの登場人物が少しずつ重なっているところがポイント。見れば一続きの大きな絵になる。

 丘山さんは挨拶で自分が描きたいものがなかなか思い浮かばない、自分を語るような作品は作れないと作りあぐねている中で、だったらいろいろな人を描きたいと思い群像劇にしたとか。いろいろなところでアルバイトをした経験なんかも入っているらしい。よく見れば画家のモデルが親にお金を要求していた女性で、その親が研究者でホームレスを助けようとして車にはねられた、その横を走っていたタクシーにお坊さんが乗っていたりと重なっている。そういう具合を再見して確かめると、また違った見え方がしてくるかもしれない。

 あとはこの作品で声を担当していたのが新津ちせさんと三坂知絵子さんだったのに驚き。これも尋ねると劇団ひまわりといつも付き合いがあって、頼んだらちせさんがやって来たらしい。そりゃあ吃驚。でもって大人の役を誰かと見渡してそこに同伴の三坂さんがいたので頼んだと。そりゃあ正解、だって月蝕歌劇団の女優さんなんだから。上手い訳だよ2人とも。USBで作品は観られるけれど、期間中にもう1度くらい見ておくかどうしようか。迷います。

 中国とかからの留学生が多い今期。羅絲佳さん「私はモチーフ」はモチーフと呼ばれる三つのものが自分はモチーフだとすることで起こる混乱と収斂を描いた作品。音楽形式の最小単位である音符と、着想と、ほかなぜか月が現れ語り合う。同じ言葉ながらも違う存在なのはなぜかを考える作品かもしれないけれど、1見ではやっぱり難しい。何度か見返してじわじわと湧いてくるものを感じないといけないかも。劉鉄男さんは多分女性で「家の前に大きな木がある」を制作。水墨画のような絵が動くアニメーションで中国の文化大革命がモチーフになっているようで主題はシリアスだった。

 「あなたはどっち?」という問いかけは攻撃する側かされる側かという問いかけか。ところで毛沢東とその一派による歴史的な人災とも言える文化大革命って中国における指導者層の汚点ではあるんだけれど、語るのに別にタブーではないのかな。ベストセラーの「三体」にも文化大革命による被害めいたことが語られているし。ちょっと気になった。「わたしたちの家」の村田香織さんは前に「女友だち」を観た人か。イラストのようだったり油絵のようだったりと少しずつ違うタッチの絵で色々な人の家を描いていく。とても綺麗でまとまって商業シーンでそのまま活躍できそうな才能だった。

 李念澤さん「いちご飴」は可愛らしい絵だけれども中身はおじさんによる幼女への性的虐待がテーマ。そうした行為への思いが夢とも現実ともつかない曖昧なものとなっていく様がアニメーションならではの変幻の中に描かれる。シリアスな主題と絵のギャップがちょっとユニーク。川上喜朗さん「蛍火の身ごもり」はエッジの効いたマンガのような絵で少年が妊娠するというストーリーをSF的なシナリオではなく当事者の葛藤を主に描いた作品。劣等感や焦燥感をアニメーションの中で表現したかったと川上さんは話してた。

 以上6作品の東京藝大院アニメーション専攻修了制作展。総じて感じたのは、作家個人の記憶であるとか葛藤なんかを表現したものが多かった、ということか。いや「おうさま・ひめ・ぶた・こじき」はそうした個のなさに感じた限界を群像劇にすることで突破したもの。「いちご飴」は「マイリトルゴート」に続く性的虐待の告発。それぞれが迷い選んで表現に取り倦んだ珠玉の6作。ただやっぱりドキュメンタリー的な濃さを持ったものとなるとやっぱり少ないかもしれない。上映された1年時作品と交換留学生+αについては後日。とりあえずやっぱり宮嶋龍太郎さん「CASTLE」がとてつもなく上手かった。松岡美乃梨さん「かめさんぽ」はかめが可愛かった。マドリア・デュアボさん「コスモスの月」は山村浩二さん「サティの「パラード」」みたく線が変幻していく様が美しかった。今日はそんなところで。


【2月7日】 さすがはナイキというか、実は裏で国際陸連と情報をやりとりしていたんじゃないかと思うくらいに素早い対応策が出て来た厚底のマラソンシューズ。これはダメだと規定された厚さからほんの少しだけ少なくし、そして中にいれるカーボン製の板バネも複数枚がダメだということならと1枚だけにしつつ性能はグッと上げてきた。どういう感じに制約がかかるかを知っていなくちゃできないような開発速度。禁止する代わりにここまでだったら大丈夫だなんて情報を、与えていたんじゃないかと疑ってしまう。

 とはいえIOCとか国際陸連ってどっちかといえばアディダスの牙城。アディダスによるナイキ潰しはあってもナイキに便宜を図るなんて思えないだけにそこはやっぱり開発力の差か。これでまたしても禁止なんてなったらそれこそナイキもぶちきれ国際陸連を脱退して独自のマラソンツアーとか始めるかもしれないな。規定はそれなりに守りつつもコースは最高、ペースメーカーもつけて賞金は億円単位とか。それで選手を掻き集めれば国際陸連のマラソンなんてつぶせるし。とはいえ選手層はアフリカ勢がやっぱり強そう。欧米人がそれで納得できるかってところも別の課題か。とりあえず東京オリンピックのマラソンでどの靴が履かれるかに注目。

 とある新聞から「魔法科高校の劣等生」が1000万部を超える人気になったのはどうしてでしょうかと尋ねられ、こんなことなら答えられるかもしれませんとメモ代わりに地下鉄でカタカタと打って送ったら、ここから取るのでよろしくお願いしますと返事が届いて電話とかせず原稿とかにしなくて済んでちょっとラッキー。ちなみに書いたメモとはこんあ感じ。

 初期には主人公、司波達也の劣等生とは分類されながらも圧倒的な能力と才知にて劣等組を束ね、優等組を圧倒していく面白さがありましたし、秘められたその魔法の能力やエンジニア、研究者としての才知が分かってからは、それらを使い圧倒的な強さを見せて立ちふさがるものをねじ伏せていく戦いぶりに爽快感を覚えるようになりました。敗北に苦悩しながらも修行を重ね鍛錬を経て強くなり、逆転へと至るのが、かつてのヒーロー物が持っていたスタイルでしたが、今は強いなら最初から最後まで強い方が、読んでいてストレスがかからないのかもしれません。生きづらさが言われる現代、物語の中であがく主人公に自分を添え逆転を味わっても、現実に戻ってその変わらない様に絶望するのがオチ。ならば物語の中だけでも、絶対の強さに浸っていたいと思う人が多いのでしょう。

 巻が進むにつれて、そうした司波達也の、司波深雪という妹を絶対の存在と思わされていて、彼女を守ることがすべてであり、友人を助けるのも日本を守るのもその延長に過ぎないという冷徹さも見えてきました。ただ強いだけで良かったヒーロー像に奥行きが出てきた今は、どうすれば司波達也を敗北させられるのかといった興味もわいています。絶対的な存在としてヒーローをひたすら賞賛していた楽しみ方が、司波達也という人間を知るにつれていっしょに乗り越えようとする楽しみ方に変わったのかもしれません。

 ネットに掲載されていた時から魔法に関する用語の使い方が独得で、読解するのに鍛錬が必要だったと聞いています。電撃文庫から出す際に編集者の三木一馬さんが、ハードボイルドでSF感が強かったネット版から読者層を下げるべくイラストを考え「俺の妹がこんなに可愛いはずはない」の作画監督さんにまずお願いして絵を得て作者にアプローチしたことを証していました。そうした編集上の努力があってもなお、独得な用語に難渋していた人も、テレビアニメーション化によって目に見えるキャラクターが動いて魔法を発動させ、向かってくる相手を倒していく展開のわかりやすさを糸口に、キャラクターを理解し世界を理解した上でまた、原作に戻っていくこと、あるいは新しく入っていくことによって一気に読者層が広がったと思います。

 アニメ化が書籍の売り上げをブーストするのは「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズにもありましたし、最近のネット発の作品でも「転生したらスライムだった件」などで見られる傾向です。強大な力を持った魔法師たちがコミュニティを作って一般の人たちに恐怖心を与えないよう抑制しながらも、その力をのぞかせ世界を動かしているような構図があり、そうした構図の上で師族たちが勢力争いをしている様も、社会情勢への関心を抱く人たちの心に働きかけました。これは果たして正解か分かりませんが、東アジアの国々による侵略と対峙するといった構図もまた、今の情勢に潜む心理を誘っているかもしれません。

 今は異世界に転移・転成した主人公たちが前世の記憶や能力を生かしたり、転移・転成の際に得た強大な力を使って優位に立ち、勝ち上がっていくようなスタイルの作品が多く見られ、人気となっています。それなりに知識や能力、経験がありながらも現実ではうまくいかないもやもやを、晴らしてくれる場をフィクションの中に求めていると言えます。「魔法科高校の劣等生」はそうした転移・転成ものではなく、舞台は近未来ですが、似たような心理もあり、また社会を反映した奥行きもあって人気を誘っているのでは、などと考えています。以上。本当にメモでしかないんだけれど、まあこれくらなら20分もあれば出せるのでどうということはないのだった。あとはコメンテーターとして名が売れてバンバンと依頼が来て左うちわで生活できるようになれば。ならないか。なれないなあ。


【2月6日】 中国の湖北省に滞在したことがある外国人は、日本に入る前に別の場所で2週間ほど滞在していなくては入れないといった措置を日本政府が実施したけど、そんな日本でだんだんと増える新型コロナウイルスの感染者数を見て、外国なんかが日本人は入国前に別のところで2週間、滞在していないと入れてあげないと言い出す日も近いかも。というかミクロネシアの3カ国はすでにそうした措置を実施。ミクロネシアとかツバルとかニウエにすぐ行く用事の人もいないだろうし、観光だってメジャーとは言えないから影響は大きくはないけれど、その例に倣って豪州だとか東南アジアの国々だとか米国だとかが入国禁止に踏み切ったら、影響はとてつもなく大きくんらいそう。

 日本において新型コロナウイルスの感染が、パンデミックと呼ばれる事態に陥るとはあまり思っていないし、発症したらしい人たちも重症ではなくすでに快復している感じ。病院が患者で溢れて死者まで出るようになったらそれこそ大変だけれど、先進国なら発症してもカバーできると考えれば入国を拒否するまでにはいかないかもしれない。ミクロネシアとなると発症したらあとの治療が大変だろうから仕方がないと。というかむしろインフルエンザが猛威をふるって死者も結構な数出ているアメリカからの便の方が、大変な気もするけれど。やっぱりアメリカだと医療費が高くてインフルエンザといえども医者にかかれないのかもしれない。そんな国に日本がならないとも限らないだけに注意深く観察したい。

 早川書房から「SFが読みたい!2020年版」が発売となって国内の1位に伴名練さんの「なめらかな世界と、その敵」が輝いた。書き下ろされた「ひかりよりも速く、ゆるやかに」の傑作ぶりからすれば当然かもしれず、日本SF大賞だって可能性もあったりするけれどそこで立ちふさがる小川一水さん「天冥の標」をランキングでは3位に抑え、酉島伝法さんの「宿借りの星」も2位に下げての1位獲得だからそれはもう結構な支持を集めたと言えそう。とはいえ10冊中で早川書房の本が6冊というのはなかなかの寡占というか、東京創元社が1冊だけだったのが寂しいというか。他は講談社からの宮内悠介さんとKADOKAWAからの上田早夕里さんと文藝春秋からの森見登美彦さん。常連が並んだとも言えそう。

 そうした中での1位だからやっぱり伴名練さんは凄い。いつもだったら来ている草野原々さんが来なかったのは、唖然呆然の短編ではなく普通に面白い作品を出してしまったからなのかなあ。ライトノベルとかは相変わらずひっかかりもしないのは寂しいところ。草野さんも「これは学園ラブコメです。」という圧倒的な傑作SFを出しているんだけれど、タイトルからラブコメと思われてしまったのかもしれない。そっちは僕がライトノベルのSFで推したから広がってくれると良いな。あとは「境界線上のホライゾン」シリーズを推せたのが良かった。本編完結でないとなかなかタイミングもなかったし。来年はすでに「サイコパスガール イン ヤクザランド1」とか「モボモガ」とか凄い作品が並んでいるから競争激しそう。何が来るか。それまでどうにか生き延びよう。

 東京アニメアワードフェスティバル2020のアニメーション・オブ・ジ・イヤーは映画部門が新海誠監督の「天気の子」でテレビシリーズは「鬼滅の刃」と結果だけならとても順当。他にいろいろあったとしても人気ぶりと成績からこの2作をおいて他にないとも言える。とはいえ途中の過程において一般投票で上位に選ばれた作品からしか選考できない状況で、幾つも話題のアニメーション映画が漏れてしまっていた記憶。毎日映画コンクールでアニメーション映画賞に入っていた「海獣の子供」も確か候補に入っていなかっただろう。それを審査員が選びたいと思っても選べない苦渋。結果として引き算の果てに「天気の子」が選ばれたのだとしたら、それは本当に年間ベストなのかどうなのか。そこの部分はシステムをどうにかして欲しいものであります。

 巷に出回るドワンゴ社長の夏野剛さんの写真は僕が去年の日本SF大賞の贈賞式で撮ったものだったりするけれど、その時の言が果たされたかどうかといった部分から、起こる諸々について何を言えるという立場ではないものの、やられて言って言われてそれで万事オッケーと引っ込め妥協もして平穏無事となったところに突っ込みが来てそれならと言い返してなかなかハードな状況になている、っていうのが今だったりするのかも。引っ込めたのにまた出たりする状況はやっぱり寂しいけれども今はそうした確執とは別に、誰がどの索引で受賞するかが注目。2月下旬には発表になるから期して待とう。そして贈賞式が華やかに行われることを願おう。


【2月5日】 三鷹ネットワーク大学でのアニメーション美術に関する講座で登壇した国立近代美術館の鈴木勝雄さんによるレクチャーの続き。アニメーション美術の鹿和雄さんと高畑勲さんは、「となりのトトロ」以外でも「平成狸合戦ぽんぽこ」だとか「おもひでぽろぽろ」なんかで組んでいる。その「おもひでぽろぽろ」で大人パートの背景がカチッとしていて子供パートの背景が薄いという描き分けがあったって話を、確か最初の講義で聴いた記憶があったけど、鈴木さんはそのカチッとした方をとらえつつ、これが霧がかかったように変化していった背景に、日本画家の川合玉堂への関心があって、男鹿さんともどもその再現を目指したのではって話してた。

 鈴木さん自身は、高畑さん当人へのインタビューはしたことはないけれど、発言を拾い関心を集め映像を見て感じ取とろうとする。文献などから断片を集めてつなぎ合わせて、作品も見て全体像を想像するところに、どちらかといえば歴史学に近いアプローチを感じた。鬼籍に入られる方々が増えて、オーラルヒストリーがだんだんと不可能になっていく状況で、残され記録されていた言葉とそして作品そのものをつなぎ合わせて想像し、迫るアプローチがどんどんと重要になっていく。そうした手法へのヒントをもらった気分。

 これは「アルプスの少女ハイジ」についても行われていて、初期のアルプスの背景美術が割と簡潔に描かれていたものが、最後の方では解像度が上がってくるという。前週、登壇した野崎透さんは美術を担当した井岡雅宏さんがだんだんと描き込むようになっていったと話していたけれど、鈴木勝雄さんはハイジがフランクフルトでヴンダー・カンマー的なお屋敷の中にあったアルプスの風景画を見て泣いた場面、あの絵を見たことによってハイジの風景を見る目がナチュラルから変化したことを、アルプスに帰ってから見える風景の解像度の高さに表したのでは、って話してた。

 それもひとつの解釈。高畑さんという人とふれあって言葉をもらっていた野崎透さんも、高畑さんが各所に残した言葉と結果から想像をめぐらせる鈴木勝雄さんも、共に巨大にして奥深い高畑勲という人物にさまざまな角度からアプローチをしている。そうした像を聞いた上でまた、高畑勲展を見たいけれども東京ではもう終わっている。ここはやっぱり4月10日からの岡山県立近代美術館で始まる展覧会に行くしかないかなあ。ゴールデンウイーク前の帰省ついでにぐっと脚を伸ばして岡山まで行き、そして名古屋に帰るって感じで。

 Netflixで「ID:INVADED」の最新話。人をさらっては樽に入れて地中に埋めてだんだんと窒息していく様をネット中継で全世界に配信、そして死後もそのままにしておくという残虐な殺人を続ける犯人を追っているシリーズで、本堂町というヒロインにいきなりキスをした男が犯人なのかといった憶測も浮かぶ中、そうじゃないんだといった推理があってそしてたどり着いた場所で、出て来た女性との対話の中から深層がだんだんと見えてきた。なるほどイドの中でかえるちゃんの死に様から推理していくパターン以外にも、リアルな推理が行われる話なんだ。

 樽にいっぱいのガソリンが引火して爆発して大勢が被害に遭う様とかは、あるいは半年前だったらちょっと放映が見送られたかもしれない非道さ。今回もあるいは気にした人もいるかもしれないけれど、展開の中でのそれが必然といったところで後はその残虐さを叩いて追求していってくれれば、現実世界での非道にも憤りがちゃんと向かうんじゃなかろーか。とりあえずまだ大団円はしておらず、犯人との対峙なんかもありそうだけれど本堂町ちゃん、また頭に穴とか明けられたりしないか心配。見守りたい。

 横浜に停泊中のクルーズ船から新型コロナウイルスに感染した人が現れたけれども、乗員乗客を検査なんてしてられないからスルーだなんてどこかの新聞が書いていたけれど、それじゃあやっぱり拙いという判断もあってか検査の上で14日間、船上に止めおくっていうお達しが出たみたい。別に緊急事態条項なんかを憲法改正で盛り込まなくたって、政令なんかで対処できる話なのに首相に大権がなければ日本は動かないんだ平和憲法はクズだって言いたいがために、どこかの新聞は検査できないんですこの国ではって言いたかったのかもしれない。さてはて。

 しかしSARSの時でも日本は結構騒ぎになって、イベントなんかでは発熱を測るサーモグラフィが出入り口に置かれたりして来場者をチェックしていたけれど、今回はそうした狂騒があまりない一方で発症者の数も死者の数も、SARSの時をすでに上回って今もどんどんと増え続けている。危機感が足りない感じだけれどもはや日々の暮らしが危機の渦中にあって新型コロナウイルスで大勢がなくなっている程度では、心が動揺しないくらいに感覚が麻痺しているのかもしれない。諦めというか無関心というか。そういう状況に陥ったから消費が落ち込み経済が低迷しても誰も騒がず座して衰えるのを待つばかり。そんな国でひとり大権を振るったところで誰も戦わないんじゃないかなあ。そんな気がする。

 いよいよ奥の親知らずが欠けて根っこも腐り始めて、このままでは口中が腐ってしまうかもしれないと歯医者にいくことを決断。お金はないけど暇ならたっぷりあるから日中をしばらく歯医者に通って治療しよう。ちょっと前なら仕事をしていても日中もほとんど自由だったからその時に行っておけば良かったと思ってもあとの祭り。まあ自由と引き替えにもらったお金の幾ばくかを治療につぎ込んで、コンプレックスのひとつを減らして心をどうにか立て直そう。


  【2月4日】 日本赤十字社の献血キャンペーンで「宇崎ちゃんは遊びたい!」が再びの登場となって今回も宇崎ちゃん自身のキャラクターが登場しては献血を誘うような漫画が展開されている。そのボディスタイル自体に変化はあるものではないんだけれど、単体で大きく抜き出された単行本の表紙絵ではないことをもって“強調”がされていないといった感覚に至っているのか騒動はあまり起こっていない。クリアファイルに掲載されている漫画がそのままポスターとなって掲示されたとしても、同様にあまり騒動にはならなさそう。それはどうして? って深く考えると頭が迷ってしまうので考えない。

 ただ作者の丈さんは以前に阪神・淡路大震災に遭遇して瓦礫の下から救助された経験の持ち主で、その時にどれだけの傷害を追われたかは分からないけれども献血に対する意識、あるいは救命救急活動に対する意識の高さもあって前回も、そして今回もキャンペーンへの起用以来に応じられたとか。そう言われるともう本当に大変でしたね、そしてありがとうございますとしか言い様がないけれど、そうした情緒とは別にしてそのキャラクターが抜き出されてていろいろと象徴めいた存在として言われたことについて、内心でどう考えているかは知りたいところ。別にキャラクターも変えずスタイルもそのまま描いてくれたこと、騒動でいろいろ言われても引かず応じてくれたことが答えかな。変えられるものじゃないし。

 鳴り物入りで始まったLINEノベルが日本テレビ放送網とかアニプレックスとかも巻き込み実施している第1回令和小説大賞の最終選考候補作が出そろったようで、並んだ10作品を見たらブラスバンド小説「きんいろカルテット」の遊歩新夢さんによる「星になりたかった君と」が入っていた。「どらごんコンチェルト」が続かず残念だっただけにここで新作がヒットして、前のにも続きが出せるようになればと願いたいところ。そして「きんいろカルテット」のアニメ化も。「響け!ユーフォニアム」に対抗できるプロのユーフォ吹きによる小説だから。

 他にもプロの方がいるようで、「逢う日、花咲く。」という一種の臓器移植に伴う記憶転移を扱った小説をメディアワークス文庫から出している青海野灰さんも、「春に桜の舞い散るように」が最終候補となっていた。どんな話だろう。サイトで読めるみたいなんで読んでみないと。それからガガガ文庫で「ピンポンラバー」をシリーズ化している谷山走太さんも「負けるための甲子園」で最終選考候補に。やっぱりスポーツ物っぽいけど「ピンポンラバー」みたいにはっちゃけてるのかな。あとはネットで活躍している人とかいろいろ。誰が来てもおかしくないけど、問題は第2回があるかどうか。続きが気になる文庫も多いだけにレーベルの今後を見守りたい。たとえ赤くなったとしても。

 本日の三鷹ネットワーク大学、「第8回アニメーション文化講座 表現の追求”手描きのアニメーション美術”」で提供された、国立近代美術館の鈴木勝雄さんによるレクチャーのレジュメ冒頭。アニメージュが実施した第1回アニメグランプリで投票された美術のランキングが載っていて、1980年のアニメ美術の方々ってこうだったんだと少し驚いた。椋尾篁さんが2500票と圧倒的で2位は「宇宙戦艦ヤマト2」の勝又激さんが470票。3位が「ルパン三世カリオストロの城」があったり出崎統監督の「ガンバの大冒険」「宝島」といった作品で活躍していた小林七郎さんが454票。存命なためか小林さんの大御所ぶりが今は目立つけど、当時は椋尾篁さんが大人気だったんだってことを思い出した。

 「銀河鉄道999」とか「幻魔大戦」とか「母を訪ねて三千里」とか「セロ弾きのゴーシュ」とか。そうした作品で名を出していたこともあったからやっぱり人気はあったんだろう。ただあまりの人気ぶりが災いしてか、5年連続でアニメグランプリの美術部門では椋尾さんが1位だったみたい。それががランキングの無意味さを醸し出してしまったか、いつしか美術部門のランキングは消えてしまった。なんて話をしていた国立近代美術館の鈴木勝雄さん。当時のアニメグランプリの事情は知らないので、そうした理解が正しいかどうかは何とも言えない。当時だって「風の谷のナウシカ」」の中村光毅さんもいたし、「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」の小林七郎さんもフィーチャーされていた気はあるけれど、それでも圧倒的過ぎる椋尾篁さんの得票ぶり。いつの時代も人の投票って偏りやすいものなのだろう。

 結果、アニメーションにおける美術への着目が再開されるのを、そうした史料的な読み解きから鈴木さんは「となりのトトロ」の男鹿和雄さんによる里山の風景がきっかけだったのではと言っていた。それはそうだといった気も半分。確かにそれまでのアニメーションぼ美術とは違い、日本の素朴な里山の原風景を、素朴な味わいの物語りとともに思い出させてくれた。強烈だったからこそ後の、里山を守ろうとする運動へも繋がったんだろうなあ。都合4回、アニメーションの学芸員から実作者から編集者から美術の額絵委員から登壇して語ったアニメーション美術の講座を、どこかで役立てる場面があれば幸い。なくてもこれからアニメーションを観る糧になったと思って生きていこう。


【2月3日】 テレビが映らなくなって久しく、NHKで放送中の「映像研には手を出すな」も見られない状況が続いていてなかなか残念。今ならたいていのアニメーションがネットで配信されていて、NetflixがAmazonプライムビデオに入っていれば見られるんだけれど「映像研」についてはフジテレビオンデマンドが抱え込んでいて加入していないと見られない。以前はアニメだけのパッケージがあって月額も安かったけれど今は1000円くらい確か必要で、それを「映像研」のためだけに払うのも財政的に厳しかったりするので断念する。

 テレビそのものが壊れている悪いんじゃなく、チューナー代わりに使っているハードディスクレコーダーが立ち上がらないのが問題なんだけれど、だったらアンテナを直接テレビに繋げばってところでアナログテレビをずっと使っていたこともあって、今のアンテナ戦を繋げても映らないのだった。こんなことならリストラ前に買い換えておくんだったなあ。今となってはもう遅い。新年度に入るとさらに財政も冷え込みそうなんで、我慢我慢で行くしかなさそう。明けない夜はないと信じたいけれど……。

 NetflixとかAmazonプライムビデオには入っているんでそっちで「メイドインアビス」の第13話を見て、劇場版でいったい何が起こっていたか、そしてナナチとボンドルドにはどういう因縁があったかを改めて理解する。上昇負荷っていうのはそうか、階段を上るだけでもかかってくるものなのか、だからリコは第5層、ボンドルドの住居で階段を上ろうとして途中で倒れたのか。それでも目をつぶり匂いだけを頼りに昇れば通過できるというのは不思議。それを見つけたプルシュカは……。思い出すとやっぱり震えが来るねえ。

 とは言え、テレビシリーズでミーティが受けた仕打ちとか見ていたら、劇場版でのボンドルドによるプルシュカへの振る舞いもまたかといった感覚で受け取られそう。だからそれほど衝撃も受けなかったのかな、単体で見ればR15+は仕方がないとしても、物語としては続いている訳だし漫画の原作も読まれているし。そんなテレビシリーズの第13話で、ミーティと分かれてリコやレグといっしょにナナチが冒険を始めたというのが劇場版。そして第6層へと降りていった先もあるってことで、そちらもいずれ映画になるんだろう。完結していない物語だけにあと2年とか、3年は付き合わされるのかな。体調を整えて見守りたい。

 「プール冷えてます」が広告の傑作として語られ続ける遊園地の「としまえん」が、閉園となって跡地に公園だとかハリー・ポッターのテーマパークなんかが出来るという話。今の主体となっている西武鉄道から公式に出た話ではないけれど、2011年あたりからとしまえんの閉園から改装って話は出ていた感じで、それがまたぞろ動き出したって話なのか違うのか。一方では漫画とかアニメーションといったクールでジャパンなコンテンツを活かした場所にするって話もあったはずで、何がどうなっているかがちょっと見えない。

 大阪のユニバーサルスタジオジャパンでハリー・ポッターの設備が人気だというのはあるけれど、映画シリーズも終わって小説の方も一段落しているコンテンツを、果たしてどれだけの人が現役のものとして楽しんでいるかはちょっと分からない。ユニバーサルスタジオジャパンは他にもいろいろある中のひとつだから、お客さんも来てくれるけれどハリー・ポッター単体で果たして練馬の地にどれだけのお客さんを呼べるのか。そこがやっぱり引っかかる。それとあの壮大なプールがどうなるかも。23区内であれだけの施設は他にないからこその集客だった場所を、ただのテーマパークに変えて保つのかどうか。あるいはプールでは保たなかったからこその転換なら、それは日本という国がプール以上に冷えている現れかもしれないなあ。史上最悪の政権によって。やれやれ。

 日本SF大賞の件は一瞬の言葉によって反応があってそれが広まりやっぱりといった声やら違うといった声なんかが錯綜。関係した人たちのあれやこれやも重なって、憶測ばかりが飛び交って何が本当なのかが分からない。果たしてドワンゴが日本SF大賞の協賛を降りたかどうかも公表はされていない状況だけに、そこを置いて新しい協賛がどうとか考えても詮ないんで今は今月中の選考がしっかりと行われた上で、去年と同じだったら4月らしい贈賞式がしっかりと行われることを祈りたい。今年も浮薄の身でうろちょろとしそう。それまでに何とかなっていれば良いけれど。それとも開き直っていられるかな。


【2月2日】 「家虎根絶」だなんて言葉がTwitterのトレンド蘭に躍ってて、いったい何かと見たらいわゆるアニソンなんかのライブでオタ芸的に放たれる一種の奇声「イエッ、タイガー」が厄介だからと、ブシロードの木谷高明さんが根絶を表明して法的措置も辞さずとツイートしたことが発端みたい。楽曲の合間のシーンとなったタイミングでこれを放たれると、雰囲気がぶち壊れるだけでなくライブそのものが死んでしまう可能性がある。それくらいファンなら分かっているはずなんだけれど、厄介勢というのはアーティストのファンである以上に自分自身のファンだから、奇声を発する自分を抑えることができないし抑えようともしない。

 それは長くて明るい改造ペンライトを振り回したり、群集の中で飛び上がったり躍ったりすることも同様なんだけれど、周辺には迷惑でも離れていれば気にはならないそうした振る舞いとは違って、奇声は全体に響いてしまうからなお厄介。以前から指摘されてはいたことだけれど、よほど腹に据えかねたのか今回の宣言にいたった模様。調布で行われたロゼリアのライブで何かあったのかなあ。

 対して厄介勢からはコールがなければ盛り上がらないだの、地蔵ばかりになるだのといった声も挙がっているけれど、奇声はコールではないし地蔵ばかりでもステージ上には関係ない。集団で決まりに従いコールし踊り歌うくらいなら地蔵でも良いからその場にマッチして自分がベストと思う振る舞いをすればファンとしてアーティストへの感謝は表明できるし、アーティストだってそれを喜ぶんじゃなかろーか。もちろんアーティスト側が求め喜ぶコールはあって良し。そうした共通理解を超えた展開をどうするか、ってあたりが問われているんだけれど入場制限とか出来るのかなあ、やられてしまったら終わりな訳だしなあ。難しい。

 戦闘シーンの作画が異様に凄いと評判の「痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います」の第4話が配信されていて、見たらやっぱり戦闘シーンの迫力が半端なかった。平常は2人の女の子がVROMMRPGの世界にダイブしては、キャラクターしていろいろな探索をするといったもの。草原を歩いていたり雪山を歩いている場面はほんわかとして動きも普通なんだけれど、強敵が現れた途端に主に戦闘担当のサリーが敵を相手に駆け飛び戦う時の動きの描写が半端ない。前週なんかはそれが凄まじかったけれど、今週も氷を発射するドラゴンを相手に避けたり引いたりしつつ戦って勝利してのけた。

 その間、防御力に極振りされたメイプルも盾を手にして守り戦ってはいるけれど、移動の速度もないため瞬間移動は使うものの走ったり飛んだりはしない。そのためスピードのある描写はもっぱらサリーへと極振りされ、その作画も全編を通して力が極振りされているといった感じか。結果、運営すらも驚く結果となって2人はクエストを進行。そして現れた刀使いはカスミだっけ。対人バトルとなりそうだけれど防御力に極振りしているメイプルも回避に優れたサリーもなかなか倒せるものじゃない。どんなバトルがあるか、って原作を読んでいれば分かるんだけれどそこは置いて展開を待とう。

 「歌舞伎町シャーロック」はモリアーティを刑務所だか拘置所だか施設だかに起きつつ外では探偵業の日常が。アフロな客引きが恋をした相手はマルチ商法のメンバーで、お金だけむしりとっては逃げているのを客引きが認めず探してくれと依頼したのを受けてワトソンはメアリーといっしょにマルチ商法の本山へと潜入する。そこにいたのが秘書とはいいながら実は黒幕の男。毒薬を作っていたんだけれどいったい何をするつもりだったんだろう。趣味を満足させるだけには大量。誰かの意図に添って動いていた? そういったバックがまだまだありそうな展開。モリアーティの父で区長への追求も終わってないから。そうした巨悪に対する戦いが終盤にかけてあるのかな。残り2カ月を見ていこう、脚本とか読まずカット袋の中身も見ないで。

 心理的にどん底だった初夏からとりあえず、居場所をもらって毎日をどうにかこうにか過ごしていく道筋はつけられたものの、それをいつまでも続けられる状況にはなさそうで、次のステップをいよいよ考えなくてはいけなくなっている。作業をこなしさえすれば1日が過ぎて糧も得られる状況は悪くはなかったけれど、それだったら居座って罵声に耐えつつ単純作業を高い給金で続けた方がましだったなんて気分も浮かんでなかなか相克。そうじゃない、それで自分を省みず社会的に不能者だといった自覚も得ないで定年を迎え、外に出て大変な目にあうのを先取りして感じられたと思い、自分をたたき直してこれから何をしていけるのかを、考えるチャンスを得たと感じるべきなんだろう。まだ耐えられる数年のうちに地歩を築けるかが勝負か。こちらにいようとも郷里に帰ろうとも。どうしようかなあ。


【2月1日】 歌舞伎町のロフトプラスワンでアニメスタイル主催の「海獣の子供」のイベントを見終わる。これで家に直帰すると、春からどうなるんだろうといった不安で息が詰まって寝てしまうので、途中のドトールでメモ書き的に感想を綴る。ロフトプラスワンでは、あれば買おうかどうしようかと迷っていたブルーレイのの特別限定版が目の前で売り切れになって、残念ではあったものの今後の財政事情を考えるとここで我慢しておくのも賢明だったかも。映画館で見たい作品だしという言い訳も立つし。

 とか言いつつ予約の始まった「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の花澤香菜さん登壇上映のチケットはしっかり抑えてしまうというザル財布。見たいんだから見るんだという意識に切り替えないといつまでも書くから見るんだという打算に沈んで身動きが取れなくなるからしゃあなしだ。さて「海獣の子供」のイベントでは、まだ公開される前だったかにデジタルハリウッド大学で講演を行ったCGアニメーターの平野浩太郎さんが登壇されてて、あのクジラを小西賢一さんが望むように動かせないなら作画に切り替えようかという話をしていたことを聞いてそれはないぜと発憤した話をまたされていた。

 とにかく対小西賢一作画監督(演出・キャラクターデザイン)の壁を越えるのが大変だったそうで、登壇された小西さんはなパッケージになた今もリテイクをしたい気で満々だった。ってことはパッケージ化にあたってリテイク作業がされていないっていうことで、これは最近のパッケージではもしかしたら珍しい? いやまあここでリテイクを許したらあと3年はパッケージが出なくなるっていった田中栄子プロデューサーの判断でもあったのかも。

 その田中さん、冒頭で毎日新聞に掲載された毎日映画コンクールでアニメーション映画賞を「海獣の子供」が受賞したことに関する記事を制作プロデューサーを呼んで読ませ好評も読ませていた。「4票も」というのは大藤信郎賞が決まったあとのアニメーション映画賞での得票で、残りは「空の青さを知る人よ」だったのかな。1回目では湯浅政明監督の「きみと、波にのれたら」にも票が入っていたようだけれど、「ある日本の絵描き少年」が強い人気で、そして2回目の大藤信郎賞を決める投票でそちらが受賞したことで、「きみと、波にのれたら」は同種の挑戦的な映像といったカテゴリーに入れられ、3回目では比べられなかったのかもしれない。

 とにかく元気な田中栄子プロデューサーは、小西賢一さんがリテイクしたいところ、動画に作画監督を入れたいところなんかを見つつ混ぜつつ無理なところはプロデューサー権限で通させたという話。そうでなければ夏には完成していなかったかも。DYとかDDYとかいった用語が飛び交っていた。ダミーにダミーダミー? そうまでしてフィルムにして色もつけつつ現場に見せては動けばまずまずでしょうと納得させたか説得したか。そうやって夏の上映に間に合って、そして毎日映画コンクールなら作品としては幸せか、作画監督としては断腸か。

 悔やむところがあるというのがクリエイティブの人の思いなのはしかたが無い。それは渡辺歩監督も同様で、直したいところもあるけれどもそこは我慢。そうやってできた『海獣の子供』をまた映画館で見られる日が来るか。公開1周年記念とかで上映して欲しいけれど、それこそ巨大なTCXとかULTIRAで。一方の渡辺歩監督は楽しげな雰囲気だったけれど、まじめさものぞかせていて、20年前に「ドラえもん」シリーズでやんちゃもして芝山努さんや大山のぶよさんに怒られたりもしたけれど、それはやっぱり先人達が築き上げた「ドラえもん」があっての型破りだったこを今は自覚。「おばあちゃんの思い出」で1999年に毎日映画コンクールを受賞した際には、シャイを気取って授賞式には出ず、けれどもすぐに取れるだろうといった自信もあったみたいだけれど、それから20年がかかってしまったことに、思いもいろいろあったみたい。

 20年前から知っている小黒祐一郎さんも飛ぶ鳥を落とす勢いがだんだんと薄れてきたことに忸怩たる思いもあったんだろう。今回の受賞、そして作品の素晴らしさを賞賛して、アニメスタイル大賞に早々と推すことを表明していた。そう言われるとやっぱりブルーレイをを買っておけば良かったか、見返すために、実家の大きなテレビモニターで。小黒祐一郎さんが感心していたのがCGで作画された魚たちがちゃんとフレームに良い感じに収まっているってことで、それについてCGI監督の秋本賢一郎さんが水の中は魚でしかうめられず奥行きとかも示せないといった話から魚をどう配置するかを考えたとか。

 なおかつ動くと変わってしまうその雰囲気を人工的でありながらも自然に見えるように動かし画面を埋めたあたりに工夫があったみたい。そう言われると見たくなるなあ。あと小黒さんが指摘していたのが渡辺歩監督が映像にこめたエロスで、琉花のうなじの多さなんかがその象徴。受けて小西賢一さんも確かに多かったし長かったといった話を。別の場面で出てくるハイビスカスなんかにもエロスが象徴されていたと渡辺監督も話してたように、アニメーションはすべての画面に描かれたことへの意味がある。それこそすべてのコマを止めて考えなくちゃいけないんだろうけれど、そのためにはやっぱり映像を手に入れないといけないか。うーん。どうしよう。

 イベントには琉花が坂道を駆け下りてくるシーンとか、泳ぐシーンなんかを作画した人とか、色彩設計を担当した人とかも登場していろいろあった苦労なんかを話してた。作画の人は3年目くらいまでは楽しかったそうだけれどそれが……。CGの人はまた夏が来たと感じて長期の作業を実感、渡辺監督は大晦日が来て紅白をSTUDIO 4℃で見る繰り返しで年またぎを実感したとか。それだけ長くかかっても結束して作り上げなお心残りはありつつも傑作に仕立てたスタジオはやっぱり凄いしプロデューサーの豪腕も凄いしスタッフの頑張りも凄い。その凄さがあとは興行成績に結びつくような受け手の側の意識ってやつが、高まってくれれば良いんだけれども「天気の子」以外はどれもどうにも。そこの底上げを誰がしてくれるんだろうってことで、もはやポスト新海誠監督になっているのだろうか。

 「海獣の子供」のイベントを入れていたから行かなかった立川竜飛での「荒野のコトブキ飛行隊」のイベントだったけれど、総集編に新エピソードも追加した完全版の公開が決まったとかで水島努監督、いったいどれだけ仕事をしているんだとか「ガールズ&パンツァー最終章第3話」は本当に作られているのかとか、疑問もいろいろと浮かぶ。「コトブキ飛行隊」の方はゲームが進んでいてカナリア自警団とかハルカゼ飛行隊といったサイドの面々の物語を見たいけど、そっちがOVAなり劇場版になることはあるのかな。期待して待とうミントさんの猛獣ぶりがスクリーン狭しと繰り広げられることを。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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