Last Updated 2018/1/20
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
こうの史代の漫画を片渕須直が監督した長編アニメーション映画『この世界の片隅に』が2016年11月12日に全国公開。観れば覚える圧倒的な感動を味わいに行けよ劇場へ。この辺りに個人的な感想が。
【1月20日】 まずはこご報告。先達のお3方による推薦を得て、当方の日本SF作家クラブへの入会を諮って頂き、先日に開催の理事会にて承認頂けたとのこと。まずは推薦を頂いた方々、そして承認して頂いた理事の方々に御礼申し上げます。客観として、優れた著作業績等々を持った多くの方々を差し置いて、何故に一介の本読みに過ぎない当方がといったおののきはあるものの、一方に現役として広く読んでいる者を受け入れ、日本SF大賞のような会としての事業を外に開かれたものにしていきたい、といった考えもあるのだろうと推測し、そのために招かれたものとここは理解して、ならば持てる力を絞ってSFの普及と浸透に役立てていきたいと考える所存。会員非会員に留まらず業界の先達の方々には、よろしくお引き回しの程をお願い申し上げます。

 フランスのマクロン大統領が大学生くらいの男女を軍隊に引っ張って経験させる“徴兵制”を復活させると言って国民が大騒ぎに。体験入隊よりちょっとだけ長い1カ月の徴兵が、戦力においてどれほどの上乗せになるかは怪しいところだけれど、そうやって兵役という場に少しでも触れることで例えば忌避していた人の気持ちに同調が芽生えて“愛国”なる意識をグッと強めることもありそう。逆にそこでの経験から軍隊だのへの嫌悪感を情勢させる人もいるだろうからやっぱり効果については判断が難しい。

 ひとつ言えることはそうした場において例えば銃器の取り扱いまで教えるとしたら、国民皆兵のスイスじゃないけど自動小銃だって拳銃だて扱える人がグッと増えてはそうした銃器を使っての悪巧みなんかをする可能性だってあるってこと。そうした懸念も含んでなお実施するならそれだけの効果を見込んでいるんだろうなあ。やっぱり愛国心か。いっそだったらリセの女子高生を引っ張り戦車に乗せて「玉葱の歌」を歌わせてみれば良いのに。日本の人気アニメーションの再現だと言って喜んで参加するかも。

 舞台や雰囲気に特段の目新しさがある訳ではないものの、次が気になって見てしまう「刀使乃巫女」。十条姫和が折神紫に荒魂を見て襲いかかったものの撃退されたところを衛藤可奈美が助けて一緒に逃走。その唐突さの裏に可奈美の超高速な姫和の動きを見切ったどころか、そんな姫和ですら見られなかった紫さまの背後に浮かんだ荒魂の気配をしっかり見ていた才能の凄さがあることがだんだんと示されて、いったい何者なんだと気になってしまう。

 それだからこそヒロインなんだろうけれど、以前から疑っていた姫和とは違って、その場に来るまでは英雄と疑っていなかった紫さまであっても、いったん背後に荒魂を見たら間違いだとは思わず疑い、姫和を助けて動く可奈美の割り切りぶりはやっぱり凄い。信じるのは自分の見たもの聞いたこと、って感じか。ともあれ追われる2人を助けた女性がつないだのはいったいどんな組織? それは紫さまの背景を知っている? そうした興味をバラまかれては次も見ないわけにはいかないなあ。ってところがやっぱり上手い。剣と美少女の異能バトルって体裁だけじゃない物語作りの上手さ。ゲーム神の高橋龍也さんのこれが真骨頂ってことなのかなあ。

 金曜ROADSHOW!で宮崎駿監督の「ルパン三世カリオストロの城」が放送されてやっぱり良い視聴率を稼ぎ出したみたいで、今やすっかりドル箱となったこの作品が公開当時はサッパリでしばらく宮崎駿監督をアニメーションの第一線から遠ざけることになったのは割と知られた話。ただ1982年頃には「アニメック」を出していたラポートがまとめた「ルパン三世カリオストロの城大事典」を買って読むくらいには宮崎駿監督という名前、そして「ルパン三世カリオストロの城」という作品へのアニメ好きの好評ぶりは定まっていた感じで、3年ほどの間にいったいどういった盛り上げがあったのかがちょっと気になるところ。

 個人の体験で言うならもちろん「未来少年コナン」は大好きで毎週見てはいたものの「ルパン三世カリオストロの城」については劇場へと足を運ぶほどではなかった。それでもだんだんと高まる人気を感じてか、テレビ放送された時に家庭教師に来ていた人に頼んでベータのビデオに録画してもらったという記憶がある。それはだから1980年のこと。つまりは存在も評価も知っていたってことで、そうした知識をどこから得たんだろうと考えるとやっぱり「機動戦士ガンダム」の人気もあって買い始めた「アニメック」とか立ち読みも含めて眺めていた「アニメージュ」あたりからの情報ってことになるのかもしれない。

 ただ「ルパン三世」だけだと手を伸ばしたかというとそこは疑問で、「ガンダム」によってアニメを見て読み考える面白さを知ったからこその敷衍といった可能性は高そう。つまりはぶわっと起こったアニメブームの中で元より才能を発揮していた宮崎駿監督のことも自然と見知ったといった感じで、あとは「うる星やつら」が1981年にスタートしてそこで異彩を放ち始めた押井守監督なんかも含めた作家主義的な雰囲気が、追い風となって宮崎駿監督と「ルパン三世カリオストロの城」を名作の類へと押し上げたってことになる。決して単体でその才能が見いだされた訳ではないことは、改めて考えておきたい。それが風を読むってことだから。そんな「ルパン三世カリオストロの城大事典」で世に出てそして漫画家として活躍し始めたのがかがみあきらさんだったなあ。「風の谷のナウシカ」で宮崎駿監督がさらに名声を高めた1984年に死去。もったいないなあと改めて。

 そして見終わった丸の内ピカデリーを会場に下アニメーション爆音映画祭での今敏監督の長編アニメーション映画「パプリカ」上映。もう公開時から散々っぱら見ているから大体のストーリーは頭に入っているはずなのに、それらを表現するビジュアルの奇想にして躍動し変異のはてに混交を来す展開が目を奪って離させない。そしてスクリプト。筒井康隆さんの原作があるとはいえ映画という表現に合わせいじって絵に当てはめ聞かせてくるから知らずリズムに飲み込まれて引っ張られて流される。こりゃあ影響されるわ。身近にあんな人たちが現れたら。

 初見では展開にぶん回されてついていけず奇想天外なビジュアルなり例の玩具のパレードなりが目に焼きつき、誰が何を思って行動した挙句にどうなったかまでじっくり理解する暇がなかったけれど、こうなんども見ているとそうした人の狂気の出し入れと連鎖が分かってきて、そうかそうなりそう繋がって巻き込まれて引っ張り込まれながらも逃げ出し戻って戦ったのかと分かってくる。そうなった時にこの映画は最初から最後までが計算し尽くされたものだったと理解が及ぶ。そしてまた見たいと思わせる。あのビジュアルに見えるために。繰り返される驚きを自分自身と共有するために。

 この「パプリカ」は奇しくも同じ筒井康隆さんの小説を原作にした細田守監督の「時をかける少女」と同じ2006年に公開されてそして今敏監督にとっての映画としての遺作になった。一方で細田守監督は3年おきにコンスタントに「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」を作って日本のアニメーション映画監督としての地位を確立し、商業面でも計算できるクリエイターになった。同じように今敏監督が作り続けていたらどうなったか。カルト的人気から脱して普遍の人気を得たとも、その高まる海外での評価が爆発して世界の賞を総なめにしていたとも想像できる。けれども夢は夢でしかない。現実にはならない夢なら見続けつつ今、続く才能を見出し送り出すことでそじょ無念に答えたい。答えられるか日本、映画、アニメーション。

 しかしやっぱり千葉敦子はアニメーション映画屈指のヒロインだなあ、半目で辛辣で才媛だけど中にパプリカがいて情愛がある。そんな佇まいがいいのと細身の肢体がいいのとあってずっとだって見ていられるのだった。そしてきたるクライマックスの超巨大敦子。いつか今敏パークができたら実物大で再現してほしいなあ。理事長じゃなく。あと「パプリカ」では今敏監督のお声が聴けるのが良い。描かれているキャラクターも今敏監督風。観ればいつでも今敏監督に会える映画でもあるのだなあ。次はいつ映画館で会えるだろう。楽しみにしつつ待とう。

 自省なき提言なんていったい誰が信じるんだろうと考えるならば、「新聞記事そのものが、今やフェイク視されている自覚が欠落」といった見出しで書かれた1面コラムを読んでそのとおりだと喝采を贈る人なんで皆無だろうなあ。だってその新聞が過去にしでかしたのは編集委員が国会議員の悪口を書いては裁判に訴えられて最高裁で敗訴したことだったり、東京都内の区役所が自衛隊を拒否したと書いて区役所から嘘だろうと非難されたこと。なおかつその自衛隊に関する記事は当の1面コラムが翌日にまた引っ張って再度非難を浴びるといった具合にフェイクの上塗りをやってしまっている。そうした過去への自省をせずに「反省なき責任転嫁を繰り返すようでは、残念ながら新聞はますます信頼を失うだろう」と書いたらどの口が言うんだと失笑されるだけだろう。それで済めばいいけれどもうこれはダメだと見放されていったら先に来るのは奈落の底。そういう意識があれば書けないコラムを書いてしまえるところに分かってなさ、見えてなさの究極があるんだろうなあ。やれやれ。


【1月19日】 そして見た「ミイラの飼い方」の第2話は、サンリオでのグッズ展開の発表会に登壇した茜屋日海夏さんが演じる茂木朝ちゃんが登場して喋ってミーくんを可愛がってて人形だと間違えてもらってしまったけど逃げられてしまって無くしちゃったと謝るシーンが可愛かった。そして新しくもらった今度は本当の人形に触れて違和感を覚えなかったのかがひとつの謎。本物のミーくんは包帯の上から触るとぷにぷにしているんだけれど、それを急ごしらえの手芸で作ったぬいぐるみも再現していたんだろうか。いたとしたら中に何が入っているんだろうか。ちょっと知りたいかもしれない。来週は柏木カエデさんが本格登場するのかな。眼鏡をかけた「KAEDE様」がどうなるかがちょっと楽しみ。

 心に残るメロディを作るソングメーカーとして意識したのは渡辺美里さんの「My Revolution」を聞いた時あたりでそして中山美穂さん「JINGI・愛してもらいます」のメロディラインもそれに重ねて聞いてピクッと来てこれはちょっと凄いかもと覆い始めたのがだいたい1986年くらい。前後してたぶんあれは山下達郎さんのライブに行ったら無料でくれた雑誌か何かでTM・NETWORKが取り上げられてて、TMが「タイムマシン」の略だといったインタビューを読んだかしてSF好きとして興味を引かれたような記憶がある。

 その当たりで出たアルバムが「GORILLA」でたぶんこれを貸しレコード屋で借りて聞いてビートの利いたサウンドと宇都宮隆さんのパワフルなボーカルに惹かれたのがユニットとしてのTM・NETWORKを聴き込むようになった始まりだろうか。遡って「RAINBOW RAINBOW」を聞き2ndアルバムの「Childhood’s End」というタイトルにアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」じゃんと気付いてやっぱりSF好きなユニットなんだとSF好きとして嬉しく思ったのも記憶としてあるけれどもはっきりしたことは覚えていない。

 そんな初期3枚から始まったTM・NETWORKが「Come on Let’s Dance」あたりで中山美穂さん渡辺美里さんのヒット曲に重なるサウンドを自分たちでも聴かせてくれて、そして「self Control」を経てテレビアニメーション「シティハンター」のエンディング曲になる「Get Wild」で大爆発。ビジュアル的にも人気となって歌番組に引っ張りだこになっていくにつれてなぜか僕のユニットへの興味は薄れていったけれど、それとは逆に小室哲哉さんが単体で作り出す楽曲が世に染みだし初めてそれを聞いてああ、いよいよ時代が来たんだと思ったけれどもまさかあれほど爆発的な存在になるとはちょっと意外だった。安室奈美恵さんに鈴木亜美さんに華原朋美さんにTFRにglobe等々。聞けばそれと分かる曲を送り出して世界をも席巻したと思われてからもう20年くらいは経つんだなあ。

 ちょっとした週刊誌沙汰があってそして会見した小室哲哉さんが引退を表名。楽曲を作り続けることに才能面の枯渇があったとは思えないけれど、自身が音楽の権利に関するいざこざで罪に問われたことがあり、そして結婚していたglobeのkeikoさんが病気になってその介護が大変だったこと、自身の体も決して万全ではないことが重なっていよいよ気力も切れてしまったんだろう。まだ59歳で今年60歳という決して老齢ではないところで引退するのはもったいないけど、これまで決して酷い障害は残っていないと言っていたkeikoさんの病状が、ちょっとした退行を起こしてしまっているくらいに重篤だったことも話していて、いろいろと思うところもあったんだろう。その決断を今は支持しつつそれでも生み出した楽曲たちを超える曲をまた、生み出してくれると期待したい。まだ見ていないTM・NETWORKのライブを是非、見たいなあ。

 実を言うなら今までに1本たりとも「ファイナルファンタジー」を遊んだことがないので、いったいどのゲームのどこがどういった具合に面白いのか分からないし、どういったキャラクターに人気があってそのヒストリーがどれくらい知られているのかといったこともまるで理解できないんだけれど、それでもズラリと居並ぶ「ファイナルファンタジー」シリーズのタイトルとかビジュアルを見ていると、そこかしこで触れた記憶を刺激されてそれくらいに一般的なタイトルでありプロパティになっているんだなあといったことは窺えた「ファイナルファンタジー」の30周年記念展「別れの物語展」。最初のドット絵からどんどんと進化して今はもう実写と区別がつかないくらいに美麗なキャラクターになっているのも、その間の映像表現の発展として認識できるのも面白い。

 それよし凄かったのがスマートフォンに専用アプリを入れたものを持ち歩かせる音声ガイドで、何か展示品の脇に書かれた番号を入力する必要なんてなく、その場所にいけば自然と音楽が流れてくるか、セッティングによっては音声による説明が流れて来て作品世界に没入できる。少し歩けばその場所にある作品にマッチした音楽なり解説が流れてくるといった具合で、ただ歩くだけでいろいろなサウンドを楽しめるところに操作の面倒がなく、自然とそうした展示の世界に浸っていける。返却するとそうした履歴がばっちり記録されているから、聞いたのはあれだと確認したり、あれを聞き逃したと思い出して次の参考にするようなこともできる。いずれビーコンと連動させた観光ガイドなんかにも応用できそうで今後の展開にちょっと注目。

 精霊だって病気になるって、それは人間よりは頑健な肉体ではなく人間よりも繊細で複雑なメンタルに起こるものなのかもしれない、ってことを考えさせてくれる小説が西塔鼎さんによる「エレメンタル・カウンセラー −ひよっこ星守りと精霊科医−」(電撃文庫、630円)。精霊たちと話すことができて荒ぶる精霊を沈めることもできる「星守り」をなりわいとしている巫女のナニカが精霊病に罹っているらしい精霊に直面した先で出会ったのが白い衣をまおったおじさんで、オトギという名の彼は医者だそうでそれは精霊が相手でも同様で、ナニカですら理由が分からなかった精霊病を治す方法を告げてナニカに薬を処方させる。

 その見立ては心の病でどうやらオトギは精神科医らしいけれども少なくともナニカがいる世界にそうした医療技術や医療知識は浸透していない。だったらどこから来たのかという謎がひとつと、そしてナニカが祖母からならったという薬品の知識にどうやらオトギがピンと来るものが含まれていたといった謎から、彼等の正体なりご先祖なりの秘密が見えてくる。そして行き来すら可能かもしれない状況が示されて後、オトギが持つ精神科医としての知識とナニカが持つその世界の精霊にマッチした薬品でもってただ滅するしかなかった精霊病に罹ってしまった精霊を治療して歩く旅が始まりそう。それを通して一般にも通じるカウンセリングとか精神の病気の知識も得られそう。異世界医療ファンタジー野幕開けを喜びつつ続きを気にしていこう。


【1月18日】 ふわっと流れて来た情報だけ見て任天堂もいよいよ幼年少年のプログラミング教育的なものに乗り出すのかと思って読み込んだりプロモーションの映像を見たら普通にNintendo Switchのコントローラーを拡張するものをダンボールで作ろうという提案だったNintendo Labo。例えるならHORIが出しているSwitchのコントローラーを装填すればマリオカートのハンドルになるような拡張商品。それをダンボールから作ってそこにSwitchの本体なりコントローラーを装填することによって、Switchに導入されたゲームとかコンテンツを操作することが可能になるし、逆にSwitchからコントローラに信号を送ることによって振動なんかをさせてそれを動きに変えることも可能になる。

 ただ、そうしたコントローラーを駆動の心臓として使おうにも振動くらいしかしないため、トントン相撲の要領で周囲にダンボールの人形をつけたものを動かすくらい。左右で振動を変えることで進んだり曲がったりといった操作は可能になるけれど、それも振動の赴くままって感じでクルマを操縦しているような感じには成らない。そしてモーターを駆動させて何かを回したり巻き取ったりするような動作の拡張も今のところは出来てない。振動をピストンに伝えて駆動を生み出す? やってやれないことはなさそうだけれど、やるには割と大変そう。そこはだからコンピューターボードとして組み込んで、周囲のモーターとかを制御しそれを駆動に変えるIchigoJam的なプログラミング教育用のアイテムとして使うことは現時点では難しそう。棲み分けっていうか。

 そこはだからSwitchから制御できるボードを任天堂が送り出して心臓として据えることで拡張にもうひと味、加えることになるかどうかってところなんだけれど、それをやったらダンボールの工作キット的なNintendo Laboの面白さと手軽さが損なわれてしまうから、今はSwitchのコントローラーがどれだけのポテンシャルを持っているかを、さまざまなダンボールの拡張キットによって試しつつ自分ならどう使うかといった工学的な“発見”を促すアイテムとして展開していくことにしているのかも。同じようにダンボールでロボットを作ってIchigoJamと組み合わせ、BASICでプログラミングして動かしながらプログラミングの要点を覚えていく「ソビーゴ」とは違ったアイテムとして。ソニーの前後左右に走る小さなロボットにレゴブロックとか人形とかを拡張して対決とかさせて遊ぶ「toio」とはちょっと重なるかなあ。ってか「toio」ってまだ生きてるの?

 これは凄い。そしてすばらしい。第72回毎日映画コンクールが発表になってアニメーション賞に何とふくだみゆき監督による自主制作のアニメーション「こんぷれっくす×コンプレックス」が輝いた。去年は新海誠監督による世紀の大ヒット作「君の名は。」が受賞した賞だけに、一般向けの商業アニメーション映画が取るのが普通で今回も湯浅正明監督の「夜明け告げるルーのうた」が受賞で「こんぷれっくす×コンプレックス」は大藤信郎賞の方かとみていたらまるで逆だった。そこが不思議だし審査員の人たちの英断でもある。側聞したところでは先にアニメーション映画賞が決まるらしいのでそこでこの作品がベストだと押した人がいたってことだろう。

 じゃあ大藤信郎賞は誰ってことになって、学生の短編アニメーションではバランスがとなって湯浅監督に行ったかどうか。まあ去年も大藤信郎賞は片渕須直監督の「この世界の片隅に」で、商業的な大ヒット作と文学的な傑作を並びもり立てるといったバランスが働いての商業作品による住み分けが出来た感じだったけれど、今回はアニメーション賞が自主制作によるFLASHアニメーション。劇場の上映もわずかといった知る人ぞ知る作品をメインに推すのは相当に勇気もいったことだろう。けれどおそれが通ったってところに審査員の人たちの、アニメーションの面白さを追求した作品だといった認識が働いたってことだろー。

 いずれにしても快挙。自主制作のアニメーションが毎日映画コンクールのアニメーション映画賞をとるのは1989年にこの賞が始まって以来初めて。これがひとつのきっかけとなって、商業とかインディペンデントとかアートとかサブカルとか関係なしに、アニメーションはアニメーションだといった地平から議論して選考して贈賞する意識が定着し、広まってくれれば面白いことになるかもなあ。一方の大藤信郎賞を湯浅監督が受賞したのもその作風やその制作体制からみるとこれも妥当かも。サイエンスSARUというスタジオでFLASHを使い少ないスタッフで作り上げていくあたりは商業的自主制作といたt雰囲気もあるから。アーティスティックなビジュアルとテーマも含めて受賞に相応しい。これを機会にリバイバル上映とかあればなお結構。「こんぷれっくす×コンプレックス」との同時上映とかないかなあ。観たいなあ。

 サンリオエキスポで商品化の発表があってアニメーションの放送が決まっていることは知っていたけれど、先週から始まっていた放送の第1話を観たらもうこれが悶絶するくらいに可愛くって面白くってもしかしたら今期でも屈指の人気作品になるような気がしてきた。もちろん「宇宙より遠い場所」とかあったりするし「ポプテピピック」も「BEATLESS」も「ダーリン・イン・ザ・フランキス」もあるし「BORUTO」はストーリー的にも面白さが増してきているけれど、ホッと癒やされ安心できる作品となるとミーくんの可愛らしさが炸裂している「ミイラの飼い方が」が1番のような気がしないでもない。「サンリオ男子」も悪くはないけどあれはキャラクターが動き出すわけじゃない。「ミイラの飼い方」はミイラのミーくんが動いて吠えて涙する。そのいじらしさに打たれない人はいないだろう。実物大ミーくんとか出たら懐に入れて歩く人とかいっぱい出そう。時々「わん」と吠えてくれると嬉しいんだけれど。

 良かった良かった。去年の「超歌舞伎」が終わったあとで病気を発表して療養していた中村獅童さんが今年のニコニコ超会議2018でも初音ミクと共演しての「超歌舞伎」を見せてくれることになったみたい。演目はまだ発表されていないけれども新作というから「今昔饗宴千本桜」とも「花街詞合鏡」とも違ったボーカロイド曲とボーカロイドの登場を含んだ演目を見せてくれることになるんだろう。でもやっぱりラストは獅童さんが観客席に降りてきての「千本桜」によるらんちき騒ぎになるんだ。こればっかりは定番なんで譲れないと思うけれども果たして。あとはNTTの技術をどこまで取り込むかだなあ。イマーシブテレプレゼンス技術「kirari!」を初年度は単体で行い2年目は背景の切り取りも含めて場所を問わずに行った。その上となると果たして。2月のNTTの新技術発表会あたりに注目したい。

 うーん、バブリーダンスが企画として秀逸でそれを踊りきった登美丘高校ダンス部の実力は認めるにやぶさかではないし、そうした実力を買って映画のプロモーションに起用した企画も面白いとは認めるけれど、一方で高校のダンス部といえば登美丘高校しかないような空気が流れ出てしまっているのはちょっと寂しい気がしないでもない。バブリーダンスが世に喧伝された全日本高校ダンス部選手権大会で優勝したのは登美丘高校ではなく同志社香里高校であって、そこが繰り出した一糸乱れぬダンスにはすばらしいものがあった。その力量をたとえば映画のプロモーションで起用して披露するといった展開だってあっただろうけれど、企画者はバブリーダンスで世に知られた登美丘高校をその知名度で選んだといった印象。実力は2の次ってことはないけれど、だったら実力が拮抗し上も行くところがスルーされていいはずはない。今後どこかが起用するなら全国にあるそうした頑張っている高校ダンス部を積極的に取り上げて、ムーブメントを広げて欲しいなあ。でないとバブリーダンスが飽きられたらそのまま女子高生ダンスムーブメントも廃れてしまうぞ。


【1月17日】 笑い声がデカいのは仕方がないところもあるけれど、次にそう来ると分かっているような感じで先に笑い始めたり、言葉による突っ込み入れたりしていたヤカラが舞台「けものフレンズ」の1月16日夜の公演で最前近くの舞台に向かって右端すなわち僕が座ってた席のやや隣方向にいて、誰か止めないのかと思ったものの最後まで言ってしまって結果、ちょっとした騒動になってしまった。歌唱時にひとり無関係なコールをしたのもそのヤカラっぽい。お仕事で見たゲネも含めれば前回2回で今回3回目の観劇なんで、やれやれと思った程度だったけれど、初見の人はネタバレ食らってるようで気持ちが削がれただろう。演者もやりづらかったみたいでいろいろと苦言が飛んでいたので次に見る千穐楽は騒動のない、一体感のある舞台になって欲しいと願おう。

 日本SF大賞の候補になったんでずっと手を出していなかった柞刈湯葉さんによる「横浜駅SF」(KADOKAWA)に手を伸ばす。出てすぐ読んでいたら気付かなかったかもしれないけれど、原作を読んでいなかった弐瓶勉さんの漫画が題材になった長編アニメーション映画「BLAME!」を観たあとだと、なるほど「BLAME!」の設定に相当な影響を受けていることが分かって映画に展開を重ねて観ることができた。「BLAME!」では人類を蔑ろにして増殖する都市が「横浜駅SF」ではなぜか横浜駅の果てしない増殖とう形にになっていて、線路を伝って隣の駅も近隣地域もすべて飲み込んでは本州の果てに辿り着き、九州やら北海道やらに進出しようとして九州や北海道のJRと戦っている。

 線路を埋めて走る列車も飲み込んで増殖する駅を駅として人類が放置してしまった理由とかなかなかに謎だけれど、源流として永遠に工事が続けられている横浜駅という存在がある以上は、その工事が無限に続くといった設定は変えられない。そこにどういった理屈を乗せどんな物語を加えるか、といったところで見せた腕がこの作品では機械文明とかAIとかの反乱めいたニュアンスとしてSF心をくすぐった。広がってしまった横浜駅で生きる人々、どうにかして裏をかこうとする人々の生き様や戦いも環境の上に想像されたもので、いつかあるいは来るかもしれない雁字搦めの未来って奴を想起させる。とりあえず展開では横浜駅は崩壊に向かうようだけれど、それをしのいでさらなる増殖を始めるなんて可能性もあるのかな。ともあれユニークな1冊。「BLAME!」がなければトップだったかも。

 ちょっと前に元琴欧州関の鳴戸親方が率いる鳴門部屋がテレビで紹介されてて弟子のひとりでブルガリアからたぶん来た虎来欧って力士がフィーチャーされていた。まだ髷も結えないぼさぼさ頭ながらも体は大きく将来はとても有望そう。兄弟弟子から誕生日に声をかけてもらえず不機嫌になっていたら夜にプレゼントをもらえて嬉しそういんしているところは日本の若者と変わらない。そしてようやく携帯電話を手に入れたらそれで本国の両親と話そうとしたのも昔ながらもひとりで暮らす子供といった感じだけれど、音声ではなくテレビ電話で顔をみながら話していたのがちょっと現代っぽかった。

 2018年の初場所では三段目にいて今日の時点で2連勝。全勝すれば幕下に上がれてそこで優勝なら十両へと昇進して晴れて関取の身分になれる。そうなって給金も出て部屋も立派に潤う訳で、果たしてそこまで行けるかどうか。琴欧洲関が大関まで行き優勝もしているのを振り返るに付け、モンゴルだけではない欧州出身の力士にもまた大活躍をして欲しいしそれが出来ると思っている。部屋の境遇も良さそうだし楽しそうだし、それでいてしっかり稽古はしてそうなんでまずは今場所の活躍に注目。それのしても今の三段目って羅王って力士もいれば光源治って力士もいるんだなあ。どんな力士なんだろう。凄まじいのか美しいのか。ちょっと気になった。

 うーん、それは口に出すのも文字として書くのも憚れるくらいに醜悪な言葉で、そんなものを世界に冠たる超大国の大統領が口にしたから問題になってるのであって、新聞テレビも嫌々ながら報じる意味もあって使っているけれど、それを1度として以後も延々と使うようなことはしていないだろう。それなのに日刊スポーツときたら、そんな言葉を堂々と見出しにとって、そこから選手が出てきたと書いてのけた。例え日本語であってもそれがどれだけヤバいことなのか、気付いてないのか書いた記者や乗せた日刊スポーツは。日本語のカタカナを読める外国の人が読んだら読んだらどんな気持ちになるか考えないのか。

 おまけにこの記事、すぐ下に陸上競技のウサイン・ボルト選手の写真を堂々と掲載している。つまりはウサイン・ボルト選手は口に出すのも憚れるくらいに醜悪な言葉で称される場所から出てきたと言っているようなもので、例え記事でそうした言葉を使うことが悪いことだと書こうが、そしてたとえ悲惨とされる境遇から世界に出て活躍していることを褒め称えようが、出身地を書くことすら憚れる言葉でもって称されることを嬉しいと思う人なんていないだろう。そういった想像力は働かないのか。働かないんだろう。だから書いてしまう。表だっては良識として使われがたい醜悪な言葉が使われ、顕在化することによってそれが使われたと報じられることも行われ、一般に使われるようになってしまってやがて醜悪な言葉が世にはびこるというひとつの例がまた生まれてしまった感じ。反日だよかサヨクだとか。参ったなあ。

 いやあ参った。一般紙の文化部の記者が週刊文春だとかAERAに掲載された外国産牛肉におけるホルモン剤の投与に対する批判記事への批判を記事としてウエブサイトに書いている。もちろん食品の安全性について啓発する記事は悪いものではないけれど、だったら自分のところで研究者を訪ねるなりしてエビデンスとって確たる論拠のもとの記事化すべきなんだろーけれど、やっているのは週刊文春でありアエラであり記事に対する反論をいろいろなデータから集めて並べているだけであって、国内の食肉加工業者やら畜産業者に聞いている感じもない。

 「2016年に河野太郎・消費者庁担当相(当時)がブログでこんな説明をしている。『肥育ホルモンを与えると赤身の肉の割合が増えるため、サシ(脂肪)を求める日本の生産者には投与するニーズがない』」ってブログから引っ張ったりはするけれど、足で訪ね歩いてデータを集めた節がない。これじゃあアエラやら文春をdisればアクセスが稼げるだろうといった思惑しか感じられない。それを文化部の記者が書いてしまうのはそういう記事しか載せてもらえないと思ったか、そういう記事をかくのがもはや使命と思ってしまっているのか。正月早々、沖縄の観光収入と基地収入の比較とか、沖縄県をdisりたいがためだけにデータをこねくりまわした記事でBuzzFeedに突っ込まれていたばかりなのに、依然として目的のためにはエビデンスとか気にしない雰囲気が改まらない。もう本当に「やばい」状態にある感じ。やれやれだ。


【1月16日】 竜王になりたい。って思った人がぐんぐんと増えていそうな「りゅうおうのおしごと!」のアニメーション放送。小学生女子が押しかけ弟子としてやって来ては同居し、その友達も集まって部屋で明け方まで指導対局を行うといった境遇をハッピーと思えるからなんだろうけれど、現実として竜王という将棋でもとりあえず第1位とされているタイトルに手をかけるにはプロ棋士になるというとてつもない関門を抜ける必要があり、そこから予選を勝ち抜きタイトル戦に臨んで勝利するという果てしない壁がある。そしてなったらなったで奪われるかもしれない、負けるかもしれないといったプレッシャーに潰されそうになる中で、自分を保っていかなくてはならない辛さ。それと引き替えに小学生の女子たちにモテモテになるからといって竜王になりたいか。なりたいなあ。

 そう思って将棋を目指し実際に竜王を取るプロ棋士が出るまであと何年くらいかかるだろう。小説が出始めてからはもう2年くらいになるけれど、今回のテレビアニメーション化で見て憧れる人、評判を聞いて感心を持つ人が小学生くらいに生まれてそして将棋を学んでプロになるまで3年とか4年とかそんな感じか。そして竜王位を獲得してインタビューで「りゅうおうのおしごと!」を読んでましたと言って小学生の女子を弟子にとれますと発言して事情を知らない人たちからアレやコレやと言われるのだ。「3月のライオン」を見てとか「ヒカルの碁」を読んでとかいってもアレとかコレとか言われないのになあ。禁断はやっぱり禁断か。だからこそそれらにも増して面白がられているんだろう「りゅうおうのおしごと!」。そろそろ読んでみるかなあ。

 じゃぱりまんだじゃぱりまんだ、ファミリーマートでいよいよもって「じゃぱりまん」が売り出されたのでさっそくチーズカレー味とチョコ味を買って昼飯がわりにぱくつく。普通に美味い。まあここん家はスライムまんとか作ったりしてコラボレーションにはなれているから普通に味もしっかりとしたものを送り出してくるだろー。企画としても「ドラゴンクエスト」ほど深く浸透しているとは思えない「けものフレンズ」であるにも関わらず、なんとなくそれなりに知られているのかネットとかの反応でも結構売れている様子。テレビでも取り上げられたみたいだし、150万個とかいう限定数もすぐに到達して今生んじゃかかろーか。そうなったら次は色を変えた「じゃぱりまん」になるんだろー。どんな色があったっけ。そしてどんな味になるのかな。ちょっと楽しみ.

 この「じゃぱりまん」とのコラボでは特にキャラクターは絡んでないけど同時にファミリーマートで始まった700円以上のお買い上げでひけるくじにはイラストレーションによるグッズがついてくる感じ。それらはやぱりコンセプトデザインの人によるもので、僕たちがテレビを見て楽しんだあのアニメーション版の雰囲気といったものは感じられない。2月にはすき家でもコラボレーションが始まるんだけれど、それに合わせて「けいばじょう」とか「ふっくら」といった感じで流れて作品性を感じさせつつ面白さも味わわせてもらいつつしっかりとJRAであり日清のどん兵衛のPRにもつながっていたアニメーションが流されることはないだろう。そこがとても悲しいし寂しい。せめて本編がダメならそういうところでの起用は良いんじゃないのかなあ。それですらコアメンバーを脅かす影響力を放つから無理かなあ。つまりは凄い監督なんだよたつきさん。次作期待しています。

 一騎当千の強者をただ政略でもって戦線から遠ざけ田舎に左遷してそこで酒浸りにするのって、軍政的にあんまり賢いとは言えなさそうなんだけれどとりあえずは平和になったといった認識の中で英雄が目立っては拙いと考える阿呆がいるのが政治の世界。という訳でジラルドという炎を放って数千数万の兵士を相手に互角に戦える力を持った英雄を田舎の砦に追いやったら、そこで現地の若い人たちを部下にしつつ酒びたりの日々を送っていた。国に逆らい反乱を起こして実権を取り戻そうとしないところは真面目だけれど、職務に対してはちょっと不真面目。そんな人の良さも軽んじられる理由になっていたんだろうなあ。

 そんなジラルドという25歳の騎士を主人公にした三島千廣さんによる「酔いどれジラルド かつての英雄と押しかけ嫁」(ノベルゼロ)ではタイトル通りに父親が嫁を連れて都からやって来て置いて帰ってしまったから困ったというか驚いたというか。とくに女色が激しい訳ではないジラルドは現地で配下についた少女すら持てあましていたから、背も高いユリーシャという少女に押しかけられてはメイド服姿で身の回りの世話をされ、愛飲していた酒もとられて怒りたくても怒りのもって行き場がない。そんな感じにふわふわしていたところに現れた敵の陰。どうしてまた。そこで村など見捨てて逃げればいいものを、やっぱり根が真面目なのか単身で戦い防ごうとするもジリ貧に。もうダメかと思われた時に現れたのが……。

 といった展開はだいたい予想通り。そうした展開をもうちょっと早めに見せつつ、さらに困難に直面したところを2人とそれから村人たちも束ねてどうにかしのぎつつ、自分を追いやった王都にもリベンジを遂げるようなハードなストーリーを読みたかった気がしないでもない。これで2人で王都に戻って現地妻(違うけど)のハンナはどうするんだ。慕ってくれていたお姫様は怒らないのか。いろいろと予想される泥沼を乗り越えていく展開が続きがあれば見られるのかな。というか16歳にしてジラルドくらいの一騎当千ぶりを発揮していた女騎士をあっさりと退役させてジラルドの嫁になるのを認めてしまう軍政の抜けっぷりがやっぱり不思議。もう滅びるしかないような気もしてきたぞロムレス王国。

 イワビー復帰公演、終わる。PPPのみんなでマーゲイごっこをやっていた。そこに本物のマーゲイが絡めば面白かったけれど本来の姿に戻したということで、前振りのマーゲイがイワトビペンギンの代わりを務めます告知も今回はなかった。やっぱり2日感だけの限定版。ゲネプロだけじゃなく本番も観ておいてよかった。そんな舞台「けものフレンズ」がゲネプロも含めれば5回は観ているんだけれど観飽きないし最後のアイドル対決シーンは盛り上がるし、今回の再演から曲数が増えたんでフィナーレの「ようこそジャパリパークへ」まで含めて5曲が続くミニライブ的な時間帯になってとても楽しい。せっかく買った”ひかるぼー”が前回はそんなに威力を発揮させられなかったけど、今回はめいっぱい触れるんで嬉しいファンも多いだろう。

 そのフィナーレでは観客席にフレンズたちが降りてきて間近に観られる。今日なんて最前列の舞台に向かって右側にいたら目の前にサーバルちゃんが立って「はいどうぞ」をやってくれて最高だった。あとはシロナガスクジラとかプリンセスとかも通過したり立ち止まったり。他の場所でも近くまで来てくれるんで左端になる千秋楽は違った違った風景が見られそう。とにかくラストまで楽しくフィナーレでは涙も浮かんでそして誰もが笑顔で劇場を後にできる舞台「けものフレンズ」。もう同じメンツで、同じ演目で公演があるかはわからないけどこの公演を永遠と心に刻んで今年を乗り切ろう。朝に浅草寺でおみくじ引いたら4回連続凶だったんだ。なんだそりゃ。


【1月15日】 ももいろクローバーZで緑を着ている有安杏果さんがグループから抜けるとの報。すでにももいろクローバー時代から早見あかりさんが抜けてZになっているから、今度も1人が抜けてももいろクローバーZ改とかにするとかいったネタで凌ぐかと思ったものの、5人になってビッグになって紅白歌合戦にも出て大きく飛躍し固く定着したグループを変えることは目下のところなさそうで、残る4人でももいろクローバーZを引き継ぎ活動していくことになりそう。KAT−TUNだって6人が今は3人になってしまったけどKAT−TUNのままなのとまあ同じ、かな。

 芸能界からしばらく距離を置くって報もあって、ソロでもやれるし楽曲も作れる才能が野に下ってしまうのはもったいないけれど、一方で日大芸術学部で写真を学んだフォトグラファーでもある訳で、そっち方面での活躍なんかがあればちょっと面白いかもしれない、って有安さんがどんな写真を撮るかは知らないけれど。ホンマタカシさん系の日常的風景なのか長島有里枝さん系のポートレイトなのか蜷川実花さんのように作り込まれた肖像写真なのか。そんなあたりもその学歴なんかを見た誰かがプロデュースしていくのか、そうした外部的要因に振り回されるのが嫌でしばらく距離を置くのか。後者だとしたら冷却期間を置いて本当の自分を出し始めることに期待。元芸能人というゲタを履いてない有安杏果さんを見られる時を期待して待とう。

 全米の各地にある映画批評家協会の中からハワイ映画批評家協会が賞を選んで最優秀アニメーション映画賞に「Coco」といっしょに片渕須直監督の「この世界の片隅に」を選んだとのこと。各地域の映画批評家協会賞を総なめにしてアカデミー賞も確実とみられている「Coco」と同じだけの評価を得られたってことは、ノミネーションされるとしたら「Coco」が有力とみられている米アカデミー賞での健闘なんてことおあり得るかもしれないなあ。「この世界の片隅に」は外国映画賞も受賞と2冠はさすが。まさかアカデミー賞でも……ってそれはないか、そっちのノミネートは別経由みたいだし。

 嬉しいのはハワイという、ある意味で太平洋戦争の発端であって真珠湾攻撃にいろいろと複雑な感情を抱くだろう人も暮らしている地域で、太平洋戦争末期の日本を描いた映画が認められたってこと。もちろん一方でハワイには日本からの移民も多くいて、広島出身者なんかもいたりして関心とか親近感を抱いた人もいたかもしれない。でもそうした日系人だけが映画批評家協会のメンバーってことはなく、日本を敵国と思ってるだろう人も多い中で作品性が認められてアニメーションとして、そして外国映画として受賞した。底に語られている戦争が日常にもたらす混乱と脅威を、あからさまではなく現実に即して描いたことが誰にでも起こりえる普遍のメッセージとして伝わったのかもしれない。その勢いは果たしてアカデミー賞まで続くか、その前のアニー賞はどうなのか。期して待とう。

 朝からワイドショーでパトリック・ハーランことパックンが、トランプ大統領によるとてつもなく凄まじい失言というレベルすら超えた発言を取り上げて、それがどれくらいとんでもない汚くて醜くて酷い言葉なのかということを解説していた。新聞やテレビやラジオがニュースとしてもそうした言葉を書くこと、放送することがはばかられるくらいの言葉であり、パックン本人が口をすることももちろん母親には聞かれたくないといった恥を強く自覚しているくらいの言葉を、国民の代表であり自由と平等の国アメリカを象徴する大統領職にある人物が、使ってしまって良いはずがなくいろいろなところで物議を醸している。そう呼ばれたアフリカとかハイチあたりはもちろん、同じ共和党内にもこれはさすがにといった空気が出ている感じ。

 だったらすぐに辞任なり弾劾へと至るかというとそうはいかないところに、4割をちょっと切ったところで踏みとどまっているトランプ大統領への支持率がある。どうしてこれほどあんぽんたんなのに支持率が落ちないかというと、元よりそうした失言込みで大統領に選んだような人たちが、そのとおりの振る舞いをされて支持を取り下げるはずもないということ。たとえ醜くて酷い言葉であっても、そういう言葉である以上は本心をある程度代弁しているところもあって、それを代わりに言ってくれたといった喝采もあるのだろう。たとえ大統領であっても。

 はたと気付けば大統領だなんて国の象徴が汚い言葉をまき散らして世界中から侮蔑のまなざしをもって見られたら、それは自分たちへの侮蔑と感じて身を改めるのが普通。でもそこにまだ気付いてないか、同じように来るならやってやるぜの精神に染まってしまっているのか、支持を下げる気配がないところに切り下がっているモラルの水準といったものが感じられる。日本のような。それはなにかというと、かつてなら宰相や大臣としての器を問われ致命傷になった失言や振る舞いが、今は訂正し以後気をつけると言えば見逃されるってこと。そんな宰相らが作り出すリベラルサヨクやハンニチだのといった仮構敵への反感に同意してもり立てるから支持率も下がらず今に至る。

 トランプによる失言の連発も、日本のそんな状況がアメリカにでも起こっているだけのことなのかもしれない。それが超大国アメリカの象徴であって良いのかといった疑問符ももはや意味をもたないくらい、アメリカの大統領という職位は汚されてしまった。このあと誰がなろうとも、健全で潔癖な言葉が支持を集めることはなく、直裁的で激しくてそして醜くもあるけれど心を揺さぶる言葉に支持が集まり、そんな言葉をどんどんと発してアメリカの言論の空気をそれこそトランプ大統領が発した言葉のようなものへと変えていく。そんな中で反目が煽られ対立が生まれていった先、アメリカはどうなり世界はどうなるかが今は心配。日本? お仲間の誕生を歓迎しているんじゃないのかなあ。日本だって反日だのサヨクだのといったタームが前ならこれほどメディアの前線へと出て一応は全国紙の記事に書かれることなんて殆どなかったのに、今は使われそうしたタームにクルリとまとめられ顕在化したい意識の上に反意が乗って、確たる事実もないまま雰囲気だけで攻撃へと至ってる訳で。やれやれだ。

 警察官が制帽を被っていないだけでも職務怠慢で叱られるからあり得ないのに、そうした警察官が駅前で遊んでいる子共を邪魔者扱いしてそそのかし、徒歩で駅2つ分も先にある広場へと追いやるような振る舞いを見せるなんてあるはずがないにも変わらず、そうした警察官を出して交番勤務に据えていたりする「三ツ星カラーズ」には、やっぱりちょっと認めがたい気持ちがあったりする。子供とふれあう良いおまわりさんばかりじゃないとは言っても、職責として子供を危険な目に遭わせたり、おもちゃとはいえ銃器を向けたりするようなことはない。でもそういう警察官を出してしまうところに作者であり、それをアニメーションにした人たちの警察官という職責への理解や敬意が足りない気がする。両津勘吉だって無茶やってたっていうけれど、子供を危険な目に遭わすようなことはしなかったよなあ。むしろだまされやすい大人をだまして自分がだまされるというトリックスターぶりで喜ばせてくれた。そういうさじ加減がないんだよなあ。さても今後どうなるか。面白いから見てはいくけど。


【1月14日】 なんか大学のアニメーション学科とかを出てのインディペンデントアニメーションを作っているクリエイターを総まくり気味な感じが出てきたテレビアニメーション「ポプテピピック」。もとより制作が神風動画でインディーズなところから活動を広げてきた会社ではあるけれど、そこがネットワークをふんだんに活用して知人系のインディーズなクリエイターにがしがしと仕事を依頼しているといった感じ。たとえばオープニングにも名前が出てくるさとうちひろさんは東京工芸大学のアニメーション学科とかで「さとうのちひろ」という作品を作ってASK?映像祭2014で大賞とか撮った人だし、フェルトのポプ子とピピ美にダンスを踊らせたUchuPeopleは東京藝術大学大学院のアニメーション専攻で「パモン」というフェルトのキャラクターが踊る作品を作った当真一茂さんが作った会社だったりする。

 そのUchuPeopleで当真さんといっしょに作品を作って編集なかを手掛けた小野ハナさんは藝大院の修了作品となった「澱みの騒ぎ」が第69回毎日映画コンクールであの大藤信郎賞を受賞した気鋭のアニメーション作家。もしかしたら「ポプテピピック」に参加してくるクリエイターの誰よりも受賞歴という意味ではビッグな賞を受賞した人かもしれない。ちなみに直近の受賞作品は片渕須直監督の「この世界の片隅に」。つまりはそれくらいの価値ある賞だったりする訳で、そんな受賞者が今回のように当真さんのサポートをするのではなく、自分の作風を出して「ポプテピピック」を作ったらどうなるかにちょっと興味がある。残酷で陰惨な……ってそれはいつもの「ポプテピピック」か。

 ほかに「USAWALTZ」の池亜佐美さんとか「熱血人面犬」の山元準一さんの名前もあったりする「ポプテピピック」。この流れならたつき監督らが所属するirodoriがインディペンデントアニメーションのの流れで参加するって噂が出たって不思議は無い。まあそれはなさそうだけれど、いっそだったら芸大美大でアニメーションを教えている山村浩二さんとか古川タクさんとか大御所も参加したら、とてつもないものが出てくるかもしれないなあと思ったけれど参加はあるんだろうか。個人的には「15時30分の拍手喝采」や「雨ふらば、風吹かば」の沼田友さんが作ったら人情味のある作品が出来るかなあと思うけれどスクリプトで情感を作るのが上手い人だけにショートショート的過ぎると良さが出ないかな。あとはシシヤマザキさんによるロトスコープな「ポプテピピック」とか。ちょっと楽しみ。

 もちろん声優さんのとっかえひっかえも最高で、前半は悠木碧さんと竹達彩奈さんがペアとなってかっ飛ばし、後半はなんと古川登志夫さんと千葉繁さんという「うる星やつら」の諸星あたるとメガネがペアとなってぶっ飛ばしてくれた。途中の「ポプテピピック」というタイトルコールは千葉さんだろうか、やり続けているうちにだんだんと壊れていって愚痴も出た。いったい何本くらいとったんだろう。愚痴といえば檜山修之さんと真田アサミさんが線画にあてて物まねをやらされてキレるというアフレコ現場でのやりとりと入れつつ、ポイントは背後にたつ貞子、ではなくそのさらに後ろの床からのぞくポプ子とピピ美というたたみかけ。もう1本、下山吉光さんと新井里美さんの夫婦でやっぱりアドリブの物まねやらされキレる場面は貞子の下の化け物のさらに口の中というたたみかけを見せて笑わせた。どこまでぶっ込んでくるのか。そっちもそっちでやっぱり楽しみ。それで小松未可子さんはいつ出てくるの?

 そして新番組とすてスタートした「ダーリン・イン・ザ・フランキス」はハルハラ・ハル子に魅入られたナンバダ・ナオ太みたいにヒロという少年がゼロツーという少女と運命的に出会いフランクスのストレリチアに引っ張り込まれてキスして抱き合ったら変身して戦って強かったという、そんな展開。コドモの男女が深いシンクロを見せることで強くなるという設定が1つあるけれど、ゼロツーがパートナーにしていたのはおっさん気味でなおかつ怪我までしていてあまりシンクロしてなかったのにどうして選ばれてそして3回の出撃でだいたい消耗するとかいった説明はまだなし。ゼロツーがどれだけ命を吸い上げるのか、なんてことがあるいはあったりするんだろう。

 あとはやっぱり世界観そのもので叫竜とやらがいったい何者で何を狙って襲ってくるのか、そんな叫竜を迎え撃っているフランクスの登場メンバーはいったい何を守っているのか、それはどうやって生み出されどうやって選ばれてそして選ばれなかったものはどこへと追いやられるのかといった部分もまだまだ未知数。ディストピア的世界でパーツとして戦わされている少年少女、っていった展開も感じられるけれど、それもやっぱり守るべき世界の有り様が分からないとはっきりしたことは分からない。少なくともデジタルワールドの話ではないかな。まあそうした世界観が明らかにされる展開も含めて見ながら理解していく。とりあえずゼロツーはよく脱ぎそうだし。何歳くらいって設定なんだろう。胸わりと大きかったよ。

 街へと出たついでに銀座で開かれているVRの展示会をさらりと見物。あまり東京でのイベントには出てこない「100匹ペンギン」というやつを試してVR空間でペンギンを呼び集めてゴールへと引っ張っていくという、単純だけれどやりがいがあって没入感のあるVRがとても面白かった。作者はじゅーいちさん。オキュラスタッチのコントローラーのボタン操作で前身したりアイテムを出したりそれを掴んで拾ったりといった操作をする必要があって、間違えるとアイテムをばらまいてしまってそれにペンギンが群がり自分が手にしたアイテムに振り向いてもらえなくなったりしと操作に慣れが必要だったけれど、やっているうちに覚えられるし集められなくてもアイテムに固まって蹴飛ばしているペンギンを見るのも可愛いから気にしない。ゲーム性と世界への没入性を楽しめるVRとして注目。

 あと試したのはストライクガジェット研究所が出していたVR体感ウエアで、つまりはお腹の部分にシリンダーめいたものがいっぱいついててそれがVR空間内で美少女がパンチを繰り出すのに合わせて体にめり込み殴られているという感覚を再現するといった感じ。展示してあったものは映像での殴るタイミングとウエアのシリンダーが動くタイミングが少しズレててシンクロ率がやや下がったけれど、合わせようと思えば合わせられるというのでそうなった時に美少女にサンドバッグにされてちょっぴり快感といった気分をより味わえそう。そうなる時が来たらまた試したいなあ。

 なるほどこいつはスポーツだ。そしてスポーツ観戦だ。コナミデジタルエンタテインメントのサッカーゲーム「ウイニングイレブン2018」を使って対戦するe−Sportsの大会「PES LEAGE WORLD TOUR 2108 ASIA ROUND」が日本サッカー協会が入っているJFAハウス 日本サッカーミュージアムで開催されたんで見物に行って、準決勝まで勝ち残った4人による対戦を目の当たりにする。最初は日本人選手のSOFIA選手とフランスから出場のTioMiit_PW選手でボルシア・ドルトムントとパリ・サンジェルマンを使っての対戦はなかなか1点が入らないまま延長へ。それも後半となってTioMiit_PW選手がゴール前はじからのクロスをカルバーニに合わさせて1点を奪いそのまま逃げ切って勝利した。

 双方とも守備に長けて攻撃にも妙があってしっかりとゴール前まで運ぶんだけれど相手の守備にあって抜けずSOFIA選手が放ったシュートもゴールキーパーが手に当て枠の外へ。そうした試合ぶりはともに守備の固いサッカーチームによる実際の試合を見てるようでゲームでありながらも、そしてそこにいる1人と1人が操作して作り出している映像であるにもかかわらず、1つのサッカーの試合として目が向いてしまう。手に汗握る攻防から隙を突いてのゴールはどちらを応援しているでもなく歓喜と解放の気持ちがわき上がる。観戦の対象としても面白い上に選手たちも選手選びからフォーメーション、そして途中の切り替えに試合での操作といった技量を要求されるため知力体力反射神経といったものがないとなかなか勝ち上がれない、といったところもスポーツ選手に等しいものがある。つまりは立派にスポーツなのだ。

 準決勝の第2試合も日本からmayageka選手が出場してパリ・サンジェルマンを操作しポンポンと2点を奪って楽勝かと思われたものの、相手をしたリバプールを使うjosesga93選手がミドル気味に放ったシュートがmayageka選手側のプレイヤーに当たってコースが変わりゴールイン。そこからさらに1点を加えて同点に追いついたjosesga93選手がさらに1点を加えて3対2でmayageka選手を下して決勝へと駒を進めた。たとえ2点の差があっても、というか2点という半端なリードだからこそ安心と緩みからすぐに追いつかれてしまうところも実際のサッカーと同じ。危険なスコアと言われているとおりのことが起こるのはつまり、実際のサッカーのプレイヤーたちもゲームの「ウイニングイレブン2018」のプレイヤーも同じ心理状態に陥りそして一方はひっくり返し一方はひっくり返される。ここでもゲームがそのままスポーツとしての存在感を醸し出している。

 決勝は勝ち上がったTioMiit_PW選手とjosesga93選手が対戦してここでも緊迫した試合の中、TioMiit¥_PW選手が1点を奪って逃げ切りワールドツアーの初戦となるAJIAラウンドでの優勝を決めた。このあとツアーは南北アメリカラウンド、そしてヨーロッパラウンドを巡るそうでアジアラウンドの上位8人はそのまま次のラウンドへと駒を進めるといったところ。そうやって各地を巡る大会でポイントを稼いだ選手たちから上位が夏に開催の決勝大会でチャンピオンを目指して激突する。アジアラウンドでは準決勝で敗れた日本人選手もツアーで価値を重ねて上位に入れば決勝大会には行けるし、拮抗する実力をみればそこで優勝できる可能性はある。期待したい。

 ただ2点を奪いながら逆転されたり均衡した試合で1点を奪われるとそのまま行かれてしまうのはもしかしたらメンタルがまだおとなしいのかもしれない。以前に「ウイニングイレブン」の大会で世界に出たことがあって、今はFIFAサッカーゲームの方でプレイしているプロゲーマーのマイキー選手が、ゲームでもやっぱりお国柄が反映されると話してた。それは戦術とかもそうだけれどメンタルなんかも同様。南米の選手は大差を付ければすぐに雑になり諦めるといった具合。そして日本は競り合いに弱い。そんなお国柄を超えるような選手となるべく、自分を磨いていって欲しいもの。日本生まれのゲームだもの、日本からチャンピオンが出て欲しいよね、やっぱり。


【1月13日】 同じブシロードグループの響と新日本プロレスに所属している訳だから社内結婚と言えるかもしれないし、その関係できっと現場での共演なんかも多いだろうから出会いについての違和感もないし、なによりカズチカ・オカダという一世一代のプロレスラーと自分を比べてかなうと思える男性なんて億人に5人もいそうもないから三森すずこさんのファンがカズチカ・オカダさんに対して何か羨望と尊敬を覚えても、嫉妬と怨恨を抱くようなことはあまりなさそう。なるほどこれは良いカップルだと讃えつつ、幸せにして下さいね家にお金の雨を降らせて下さいねとお願いするだけだろう。

 まあ東京スポーツが書くことだからどこまで本当かは分からないし、元々がプロレスに強い新聞だからこれは本当だと思えたりもするような曖昧な環境。今後どうなるかは分からないけれどどうなったって気にはならないと思いたい。「ラブライブ!」の声優さんにはパーソナルな情報においてネガティブな印象だけをあげつらわれてもう2年近く、名前が作品と絡めて取りざたされることがなくなっている人もいるから。それはもったいないことなのでプライベートはプライベート、そして声は声として認め讃えていって欲しいもの。見守っていこうその行方。しかしカズチカ・オカダさんの方が年下とはなあ。若いんだなあナンバーワンプロレスラーでありながら。

 「JKハルは異世界で娼婦になった」に関するコメントがどったんばったん大騒ぎになったりもした山本弘さんの、これも結構な問題作らしい「プラスチックの恋人」(早川書房)をを読んで思い出したのが手塚治虫さんの漫画「やけっぱちのマリア」で、当時の良識だとか健全に挑んでダッチワイフの恋人めいた描写から人が恋をして愛情を抱く対象の自由さを感じたりしたけれれど、結局ヤケッパチは少年として“成長”して恋愛の対象というものを見つけ、人と人ならぬダッチワイフとの恋愛は可能か、そして認められるものなのかといった生命倫理に挑むような主題は有耶無耶にされたっけ。

 対して「プラスチックの恋人」は生きたダッチワイフというか、オルタという生きているかのような動作言動を見せる性愛のための人形があって、中に日本だけながらもマイナー・オルタという外見は少女少年が存在していて、これが本当の人間なら、そして写真や映像なら罪となるものであっても人形のマイナー・オルタがあいてだったらどうなのか、といった地平からそうした相手への恋情劣情の衝動がロジックで補強されようとしていたものの、最終的には現在の良識だとか健全の意識から認められないということになってしまった。

 そこで「やけっぱちのマリア」だったらヤケッパチは“成長”を遂げて魂が入ったダッチワイフのマリアから自分を抜け出して人間の少女という出口を見つける。わいゆる良識と健全の枠内に自分を収めるけれど、「プラスチックの恋人」にそうした“成長”はなく出口もない。ただ閉じられるだけ。そして置き去りにされるだけ。革命的な精神は敗北を遂げる。そこから先、人間の良識だとか健全さだとかいったものを相手に戦い、次代を開くことこそがSFの役割であって、山本弘さんにはそうした世界を見せて欲しかったという気もするけれど、今のままだとそうなってしまうぞという警鐘をならすのもまたSFの役割でもあるから仕方が無い。今は作品に示されたビジョンの是非、そして突破していくために必要なロジックなり観念の変化なりを考えたい。

 舞台「けものフレンズ」の再演を観ながら、人がいなくなって廃墟となったジャパリパークでサンドスターノ供給を受けつつ生まれ育ち生きているフレンズたちが出会い旅する中で人の痕跡をたどり人について考えるという世界観の根幹、そしてアライグマとフェネックの仲良しぶりとかサーバルちゃんのあっけらかんぶりとかPPPのアイドル稼業に対する情熱とかマーゲイのヘンタイさんぶりはアニメーション版「けものフレンズ」のビジョンから受け継いでいるものでアニメーション版への共通理解があってこそ分かるし面白がれるし泣けるといったことを考えるなら、やっぱり今なお続くこの隆昌の根幹、その1本を確実に成しているアニメ「けものフレンズ」をなかったことにするのは不可能だろう。

 もしもそうしてしまったら、ファンの結構な部分がやれやれと思ってしまうことだろう。もはやアニメ版の名残などないフレンズたちののべつまくなしなグッズ化もアニメ版で僕たちがフレンズという存在に抱いた好意があり、その原点を作ってアニメ版にバトンをつないだ吉崎観音さんへの敬意があってこそ向き合えるのだけれど、それがただ原案としてのフレンズ絵だけあってそれがただ溢れるだけではいずれ拠り所となっていた思想であり物語を失って、離散するだけだと思うのだったというそんな土曜日。ゲネプロに続いて初日初回を観た舞台はやっぱり面白かったなあ。

 もしも「リングにかけろ!」の主人公たちが黄金聖闘士とかが跋扈する世界に迷い込んだとしてもきっとその拳ひとつで討ち果たしていくような気がするけれど、それは別に魔法だとか超能力だとかオーラといったものを使っているのではなく、練習のたまものとして得た果てしない体力であり、そして技術といったものを駆使しているだけに過ぎない。でなければボクシングというスポーツを題材にした漫画であることの根幹が崩れてしまうから。テニスも同様に、たとえボールを放って魔術師ですら倒せないようなゴブリンをあっさりまとめて30匹くらい討ち果たす。

 なおかつそこで放ったボールがあらかじめちょっとした合図ですべて手元に帰ってきて鞄に収まるような回転がかけられていたといえ、それは技術であって魔法ではない。信じられるかといったところでそうなんだから仕方が無い。なおかつそれくらい全国レベルのテニスプレイヤーならできて当たり前という認識でもってテニスという競技が繰り広げられている世界で、高校生の大会に出ては無敗を誇った「コート上の造物主」とあだ名されるプレイヤーを破った相馬王助という少年がある日突然に異世界に召喚されるというのが望公太さんによる「異世界テニス無双 テニスプレイヤーとかいう謎の男がちょっと強すぎるんですけど!」(GA文庫、620円)のストーリー。

 凶暴なモンスターに襲われていたエリーシャという少女の魔術師が呼んだんだけれど手にしているのはラケットで持っているのは黄色いボール。それらを使ってコート上でボールを撃ち合うスポーツをしている少年が、どうして召喚されてしまったのかは分からないけど目の前のモンスターにかなわないことは明白とエリーシャがあきらめかけた時、王助のラケットが火を噴いた。観念的ではなく物理的に。ってそこでは火は噴かなかったけれど、誰か噴かせようと思えばできるのが王助が自分のいた世界で繰り広げてきたテニスというスポーツ。強烈なボールで相手のガットを破るとかいったレベルではなく降ったラケットで真空を作り出してドラゴンが吐いた火を消し撃ったボールで分厚い皮膚をえぐって体に大穴を空ける。

 それは魔術ではなく魔法でもなく技術。ボールを分身させることもボールをあらゆる知覚に感じないよう消してしまうことも技術によって出来てしまうテニスプレイヤーたちによる試合は時に1つのラリーが3時間に及ぶこともあったりするというからもはやテニスなのかどうなのか、分からないうなるもののそれがテニスという認識の下に生きてきた王助が、あくまでもテニスによって現れた敵をねじ伏せていくという展開を楽しめる。インフレーション激しいスポ根漫画の世界に生きる主人公たちの無双ぶりを客観的に描きつつ、そんな世界のテニスがどれだけ凄まじいかを感じさせつつそれでもかなわない敵がいそうと感じさせ、そこをスポ根漫画の限界級にある王助がどう突破していくかが今は気になる。いずれ宇宙すら吹き飛ばし兼ねないなあ。それでも技術言い張る王助を見てみたいので続きを早く。


【1月12日】 なんだハーフサイズか「だがしかし2」。永遠の夏休みかと思っていた物語世界が、冒頭でぐっと秋から冬といった風景に変わっていたけれど、始まってしまえば未だ夏といった風情で駄菓子に関する話があればどこからともなく枝垂ほたるが駆けつけてきてはあれやこれや蘊蓄を披露するといった展開に変わりは無く、ビッグカツをカツ丼代わりに食べる方法だとか駄菓子にそんなのあったのかと驚きのペペロンチーノが実は焼きそばで半分あまったソースはお湯で溶かしてスープにするとかいった話を知ったからといって、家で実践することはもうたぶんないよなあ、でも貧乏が極まってきたらやってしまうかも。それは遠い未来のことではない。いやマジで。

 もしかしたら東京モーターショーよりも人が多いかもしれないというのはちょっと言い過ぎだけれど、東京モーターショーより面白いかもしれないというのは本当のような気がする東京オートサロン2018。いわゆるカスタムカーの祭典であれやこれや細工をしたりして暴走だのデコレーションだのをするのに最適なクルマを作り出す、っていったニュアンスからどちらかといえばヤンキーな人の集まりと思われていた節が10数年前とかはあったけれど、今となっては没個性的なクルマが増える中で自分だけのクルマを持ちたいといった細分化されたニーズに応えるべく、さまざまな会社がパーツを作って提供するのみならず自動車メーカー自体が本体で、あるいは子会社のパーツ会社を使ってそうしたカスタムを行うようになっている。

 コンセプトカーのように将来といっても5年とか10年先の手に届きそうもないビジョンしか見せてくれない東京モーターショーのメーカーブースとは違って、東京オートサロンのそれは今過ぎにでも手に届きそうなクルマのかっこよさってものが提示され、そのままディーラーに、あるいはパーツショップに足を運びたくなる。来場者にとっては切実な情報が得られるし自動車メーカーやパーツ会社にとってもビジネスに直結する場としての東京オートサロン。だから来る人もギラギラしているし出す方にも活気がある。そうした双方の盛り上がりが幕張メッセを全館使うといった以前こっちで開催されていた時の東京モーターショー並みの賑わいを見せるに至った。期間こそ3日間だけだけれど業者日の初日でも通路が歩けないくらいの人が来ていただけに、2日目3日目の混在ぶりは東京モーターショーを超えるんじゃなかろーか。そんな気がする。

 そんな東京オートサロン2018ではやっぱりこれを見ておかなくてはと本田技研工業の子会社で自動車用品を開発・販売しているホンダアクセスが手掛けた「けものフレンズ」とコラボレーションしたフィットをチェック。なるほどホンダフィットのクロススタイルと呼ばれるオフローダー的なアクセサリーがついた車体をベースインにして、色をジャパリバス的に整えフレンズたちのシルエットのステッカーを貼り内装にもいろいろと凝ったところを見せてファンも納得の1台に仕立て上げていた。たとえばリアシートをとっぱらって置かれた木のベンチは、こはんちほーでサーバルとかばんちゃんが出会ったアメリカビーバーが、ログハウス建設に力を貸してくれたお礼にと作った木のベンチが再現されていた。まるでそこはジャパリバス? そんな気にさせられた。

 そして前のシート。運転席側はサーバルをイメージした色と模様になっていて、ヘッドレストには長い耳までついていた。そして助手席はかばんちゃんをイメージした赤いシートでヘッドレストにはぼうしがかぶせられ、背面にはかばんがぶらさげられていた。フラップが1枚ついただけの白いリュックは市販の商品で代用したくてもなかなか同じ物がなく、「けものフレンズLIVE」か何かでは無印良品のリュックを使っていたような気がしたけれど、この「けものフレンズ」コラボレーションフィットに取り付けられたかばんは、このために特別にあつらえたものだとか。どうりで本物そっくり。そこまで似せたいというリスペクトをきっと開発者たちも持っていたんだろう。エンブレムとかも格好良かったなあ。

 あと窓のステッカー。外からだとシルエットだと中から見るとイラストンになっている。同じ形状で左右反対の上に絵柄も違うステッカーを作り、ズレないように窓の両面から貼ったらしい。その労力とその配慮だけでも信頼が持てる。ホイールも毀損のものを色を変えセンターにエンブレムをつけて作ったみたい。そうしてトータルでジャパリバス的なホンダフィットってものを作り上げた。欲しがる人もいそうだけれどリアシートとか不便そうだし市販となるともうちょっとクルマらしくなるかなあ、バーバパパとコラボしていたN−BOXみたいに。東京オートサロン2018が終わってからどこで展示されるかは未定みたいだけれど、1月21日まで東京は渋谷にあるAiiA 2.5 Theater Tokyoで舞台「けものフレンズ」が開催されているんで乗り付けて駐車場に飾ってファンを喜ばせて欲しいなあ。あるいは「お祭りだよ! けものフレンズがーでん」が再演されたらその会場に置くとかして。乗り回しもしたりして。たーのしー。

 そんな舞台「けものフレンズ」のゲネプロがあったんで見物に行く。というか初日の初回のチケットをしっかり買ってあるんで見る分には不足はないんだけれども仕事として世に広めたいという思いもあるんで開場時間の随分前にかけつけそれなりのポジションから観察。前の品川プリンスホテル クラブeXから広くなった会場は段差もあって見やすく、その上にダンスもバトルもスケールアップしているから前見た人でも存分に楽しめること請負だ。

 とりわけ13日と14日はイワトビペンギン役の相羽あいなさんがお休みなため代役をPPPのマネージャーでアニメの中では物まねもやっていたマーゲイ役の山下まみさんが務めることになって、その代替わりを舞台の中でしっかり理由付けしていて違う役者が演じているといったことに理由を付けていた。なるほどこれなら納得して違う誰かのイワビーを楽しめるし、その違いっぷりがいじりとしても出てくるから面白がれる。なおかつ演じている感じは本当に相羽あいなさんのイワビーそっくりで、山下まみさんの芸の幅広さって奴を改めて感じさせられることだろー。13日と14日の代役公演を見られた人は幸運かもしれない。なおかつ相羽あいなさんの帰還を見るならこれは一石二鳥って奴で。

 歌も増えてて舞台「けものフレンズ」のサウンドトラックに入っていたものの初演では歌われていない2曲が登場。クライマックスのサバンナガールズvsPPPという歌対決の流れの中で紹介されるんで、ヒツジが使用を呼びかける光る棒がここからずっと使いっぱなしになる。初演では3曲くらいしか使う暇がなくてもったいない気がしたし不完全燃焼の気もしたけれど今回はバリバリに燃えられるんで光る棒は持参必須、あるいは購入必至。今回もちゃんと売ってくれるだろうと思いたい。アライグマとフェネックによる観客いじりのアドリブもなれたものだけれどやっぱり面白い。役として良いのか役者が良いのかあ。その両方だろうなあ。そんなアラフェネのユニットが末永く登場し続けることを願いたい。そのためにはやっぱりたつき監督の(以下自粛)。っていうか人間が撤退したあとの廃墟としてのジャパリパークってアニメの設定を引っ張ったものだしなあ。だからやっぱりたつき監督を(以下省略)。


【1月11日】 もしもまだ監督が同じ人だったら、この1周年という記念すべき日に新しい動画を作って僕たちを大喜びさせてくれただろう。そして第2期への期待をさそって2018年という年をもっともっと楽しいものにしてくれただろうけれども、いろいろあって監督は降板して第2期が作られているかどうかも不明な状況。それでも第1期の大ヒットがあって今があるなら公式サイトもこの1周年を祝うコメントの1つでも発信すればいいものを、まるで無関心を決め込んでいるところに事態の複雑さって奴が見て取れる。はしゃげばコアメンバーに粛清されちゃうとか? なんだコアメンバーって。そんな中で声優さんたちが1周年を祝って暮れているのは嬉しいところ。自分を得た作品への感謝を忘れない気持ちを僕たちは愛し、人として応援したくなるのだ。ありがとう。そしてこれからも応援していこう「けものフレンズ」を。

 「機動警察パトレイバー」が30周年だといった話題が流れていたのでそれだったらと思い出して20周年の作品を考えたら「Serial experiment lain」がまさに7月で放送開始から20周年に当たっていた。今なお根強いファンもいるだけにどこかのクラブを借りてサイベリアの再現とかやりそうだけれど、公式に何かイベントが行われるといったことはなさそうで、劇場版が作られるとか全話一挙上映があるとかだったら大喜びなんだけれどそれでお客さんが集まる感じでもないからやっぱりひっそりと20周年を迎えて過ぎていくんだろう。せめて自分だけでも家でBlu−rayかDVDを見返すか。ユリイカに安倍吉俊さんに絡んでlainの話を書いたときに見て以来かなあ。

 20周年だと2017年末でちょうど「VIRUS」が20周年だったけれど大張正己監督のデザインセンスとアクションセンスがふんだんに詰め込まれた作品であるにも関わらず、特段にリバイバルがあるといった感じがしない。早くBlu−rayになって欲しいんだけれどそういう気配はまるでなし。同様にBlu−ray化が待たれる「ジェネレイターガウル」は今年が20周年だけれどこれなんて、DVDボックスですら1度出てそれっきりだからなあ、もったいないったらありゃしない。タツノコプロ55周年に絡めて復活してくれないかなあ。

 20周年だと「星方武侠アウトロースター」が今まさに20周年なんだけれどこれはサンライズフェスティバルで時々上映されるから完全い忘れ去られてはいない感じがして安心。同様に来年が20周年となる「星方天使エンジェルリンクス」もサンライズフェスティバルで去年上映されたんで、来年も是非に何か一つ盛り上がりを。そんな20周年絡みで最大の案件と思っているのが「はれときどきぶた」で、今がまさに20周年の待っただかなKにあるにも関わらず、アニプレックスがBlu−rayボックス化に動いているという話は聞かない。FGOでしこたま稼いでいるんだからそのお金を使って会社が立ち上がった当初を支えた偉大なアニメーション作品と讃え、永遠に残す意味でBlu−rayボックス化に挑めば良いのに。それがご先祖様への供養ってもんだけど、アニメ命的な人がいないとそういうのは無理かなあ。お金命って訳ではないと思いたいけれど。

 似せすぎるとかえって似ていない部分が見えてしまって違和感を覚える“不気味の谷”現象が起こるかもって最初は思っていた新型aiboだったけれど、まるで犬といった風貌でしぐさなんかも犬に似せてあるにも関わらず、やっぱり犬じゃないといった残念感を覚える隙なんてないくらいに全身から可愛いだろうオーラを漂わせて、あっさりと“不気味の谷”を突破してのけていた。ソニー本社とはまるで関係なく渋谷モディでソニーが運営しているスポットに新型のaiboに触れるスポットが登場するってんで見物に行って、初めて見たaiboは有機ELの瞳にさまざまな表情の目を映しだしてはこっちを見て、そして動くと首を振って視線だけで追いかけてくるところがあって、まるで本物の犬に関心を持たれているような気にさせられる。

 そうした相手の能動性をリアルと思うことで、そこに自分との関係性が生まれ、なかなかロボットなんだ機械なんだ反応に過ぎないんだと切り捨てられなくなる。そんなaiboに近寄ってなでたりすると首を振ってすりすりとして、あごに手を遣ると口を開いてぺろぺろとなめりょうな感じを見せてもう、これは本物だとしか思えなくなってくる。もちろん手触りは固くて毛並みなんてまるでないけど、反応のリアリティが人形であるとか作り物であるとかいった認識をかるく吹き飛ばしてくるから恐ろしい。渋谷モディにいって触れればもう、aiboを飼いたくなってくる。そんな狙いもあって触れる場所を作ったんだろうなあ。

 渋谷から秋葉原へと廻って「ボーダーブレイク」というゲームの発表会。アーケードで知られたものらしいけれど、それがプレイステーション4へと行くといった発表内容に来場者からどよめきが起こったのは、やっぱり「ボーダーブレイク」をアーケードで遊ぶものだと思っている人が多かったからだろう。もちろんそうした筐体プレイはまだ続くだろうけれど、家から対戦できるようになればそれはそれでファンも増えそう。何しろダウンロードは無料で課金も基本は無料のフリー・トゥ・プレイ。プレイステーション4さえあれば、そしてネットワークにつながっていれば24時間いつでもどこからでもアクセスできて10対10のロボットバトルを楽しめるならやってみようという人も出てくるだろう。主にプレイステーション4ユーザーに。そこからアーケードへと持っていくとお金になるけど、プレイステーション4だけでどう稼ぐかがちょっと興味。アイテム課金にエグいのを持ってくるのかなあ、それともマシンに広告か何かを入れるのかなあ。それは「TIGER & BUNNY」だよ。

 さらに六本木ヒルズへと廻って「PLAY!スペースインベーダー展」の内覧を見物。日本にビデオゲームを根付かせたといっても過言ではないタイトーの「スペースインベーダー」が登場して今年の6月で40周年。これを記念したいろいろなプロジェクトが動いている中で、六本木ヒルズの展望台を使って「スペースインベーダー」に関する展示やちょっと新しめのゲームで楽しんでもらおうというのが「PLAY!スペースインベーダー展」で、そのタイトルどおりに自分で遊べるゲームがいくつか置かれていた。たとえば10人がコントローラーを持って向かうは六本木ヒルズの展望台の大きな窓。そこに映し出されたインベーダーに向かってビームを発射し撃退して久ゲームは大きさとも相まって相当に楽しそう。

 ボルダリングの突起がついた壁にプロジェクションマッピングでインベーダーを映す遊びは、両足をマットから浮かせてしっかりと突起に乗せた状態で左右上下にあらわれるインベーダーへと手足を伸ばして増える必要があって相当に体力を使いそう。下とか足で蹴飛ばさないと届かないものなあ。足で光のボールを蹴ってそれを向かってくるインベーダーに当てて消していくってアトラクションもあって、家でゲームばかりやっていると体力が落ちると言われそうな子供が遊んで鍛えられそうな気がした。ちなみに巨大インベーダーは外が夜景にならないとプレイできないから午後5時半以降のプレイ。行くならそのあたり注意して行こう。


【1月10日】 西田征史さんによるライティングこそが核という解釈だったら、その西田さんが残ればきっと「TIGER & BUNNY」は「TIGER & BUNNY」で居続けるんだろうとは思うけれど、現時点でそうしたアナウンスもないだけに期待と同じくらい不安も膨らませているファンも多そうな「TIGER & BUNNY」の再始動。続編ではなく新しく始まるものらしいと、テレビシリーズを手掛けたさとうけいいち監督が書きつつ自分に話はあったけれども諸事情で外れたことを明かしていて、そして劇場版を手掛けた米たにヨシトモさんもリブートには関わっていないと話していて、それでいったいどういう「TIGER & BUNNY」になるだといった声があちらこちらで起こっている。

 それはたつき監督が外されてしまった「けものフレンズ」の第2期がどうなるかといったことにも並び超えるような関心事。ただし映像だけでなくストーリーや世界観、そしてキャラクターの関係性までを設計していたたつき監督がいなくなってしまう「けものフレンズ」とは違って、仮に西田征史さんがシリーズ構成や脚本に残ればその世界観なりそのエッセンスは保たれると思う人も多そう。それだけにその去就が気にされている。どうして明かさないんだろう。もしかしたらまるで違ったスタッフ構成になったりするんだろうか、たつき監督でフル3DCGになった虎徹が「すっごーい」と叫ぶような。それはさすがにないよなあ。ともあれ再始動、どういう結果になるかを見守ろう。

 津田延代さんという大正生まれで96歳の声優さんが亡くなられたとのこと。新聞記事だと「ゲゲゲの鬼太郎」に出ていたとか「ドロロンえん魔くん」のおばばやら「デビルマン」のソルドバにミヨちゃんの祖母といったウィキペディアから引っ張ってきたような役名が列記されているけれど、僕たちの世代でその声がキャラクターのビジュアルと一致して今も聞こえてくるのは「キューティーハニー」の常似ミハルことヒストラー女史であることに間違いないんじゃなかろーか。つかせのりこさん演じるアルフォンヌともども聖なチャペル学園の教師としてハニーたちを厳しく指導していたあの声あの仕草。懐かしいなあ。どうしてそれがトップに来ないんだろう。そこがやっぱり通り一遍の記事ってことなんだろうなあ。ともあれ長い間お疲れ様でした。謹んでご冥福をお祈りします。

 Bパートでは最後の方まで登場しないで川に向かって2人で話すココノツたちの後ろに現れそして身を翻してジャンプしひらりとスカートをひるがえして去って行った際に果たしてパンツは見えたのかどうかがきにかかって仕方がないほ枝垂ほたるを演じている竹達彩奈さんに対してひたすらに脅迫メールを送り続けた人が逮捕されたとの方。それだけやればバレると分からなかったのかってのがまず1つと、そしてファンをやっていたらいしにも関わらずクルリと転じて脅迫に廻ってしまう心理が奇妙だっていうのが1つ、不思議に思えて仕方がない。まあ脅迫することに夢中だったし、それも自分の一方的な情愛がはじかれたと勘違いして攻撃に回ったようなものなんだろう。パターンとしてはよくありそう。逮捕されてもすぐに出てくるだろうけどそこから果たして立ち直るのか繰り返すのか。注視したい。

 たとえば対外的には南京事件が起こったことを真っ向否定はしないで、政府見解として戦争の中で虐殺に近いことが行われたといった認識をしっかりと示していながら、首相をはじめとした政府首脳に近い人間であったり時として閣僚であったりするような人間が、南京大虐殺どころか南京事件そのものがなかったと言ってのけたりすることを、目くじら立てて咎め立て脇へと追いやるようなことをしないのは、そうした勢力が政治において支持者となっているからで、だからといって同じ事を海外で言えば袋だたきにあうから言わないという、二枚腰を使っていたりする。それは慰安婦問題も同様で、政府としてしっかりと存在を認めつつも無かったという人々の支持をなくしたくないからか、公的な場所で高らかにそうした意見を非難すりょうな真似はしない。

 内での人気とりと外での外交的な基準にのっとっての言動に開きがるのは何もお隣の韓国だけではないことは、日本のそうした状況を見れば明らかだったりするから、韓国の大統領が日本政府とのあいだに交わした慰安婦問題に関する合意について、それを破棄するものではないと外交的な基準に照らして正論を言いつつも国内で不平不満を抱いている人たちに向けては、いちおうは文句を言ったし矜持は見せたしさらに謝ってもらうかもしれないと言って納得を得ようとする。それをはた目でみてどこの国もいっしょだねえと思いつつ頑張ってちょうだいと思うのがここは良さそうで、下手に目くじらをたてて破棄だの謝罪だのを求めて来やがったと憤ったところで、話はまとまらないし収まらない。ガス抜きをしつつゆっくりとまた雪解けが始まるのを待つのが両国にとって未来的なんじゃないかなあ。どうなんだろう。こっちもこっちで内向きに派手なことを言って人気を取りたい総理大臣がいるから難しいかなあ。

 中笈木六の名義だとデビューはだいたい1996年ごろになりそうで、そしてちょっとだけ漢字を変えた中追貴六で一般向けのライトノベルに登場したのが1998年ごろ。一方で由麻角高介として二次元ドリームノベルあたりからいろいろととんがったエロス&バイオレンスな作品を出していた最中、神野オキナという名前をひっさげ本格的にライトノベルの世界に打ってでようと第1回ファミ通えんため大賞に応募しあの桜庭一樹さんと並んで佳作をとってからだいたい18年とか19年。それ以前も入れれば軽く20年を超えるキャリアを誇る作家だけにようやく大藪春彦賞とか遅すぎると思うけれど、ライトノベルでの実績なんてまるで引っかけようともしない一般小説の世界にその実力で切り込んでいったのが去年のことだったから仕方が無い。

 「カミカゼの邦」(徳間書店)が第20回大藪春彦賞の候補昨となって1月22日に選考会が行われる模様。候補作には深町秋生さんの「地獄の犬たち」があったり伊岡瞬さん「痣」があったりとバイオレンス的になかなか激しい競争が繰り広げられそう。そんな中にあって大沢在昌さん黒川博行さん藤田宜永さんといった選考委員にとって“無名”で“初物”の神野オキナさんという作家と作品がどう映るかが今は興味津々といったところ。ここで一気に認められればSFチックなライトノベルだけじゃなく、沖縄という場所に息づいているさまざまな感情や地勢的な状況を入れ込んだハードでバイオレントな作品を、書いて世に問う作家となっていってくれそう。先に直木賞という高みへと辿り着いてしまった桜庭一樹さんの後をすっと追いかけ、並ぶ日も来たりするかもなあ。ちょっと楽しみ。

 44億円とはまた巨額な、って世界的な特許訴訟から見ればそうでもないんだろうけれど、日本のゲームアプリ会社を相手にした訴訟ではそれが認められれば訴えられた会社は利益が吹っ飛び主力の商品が展開できなくなって売上も吹っ飛ぶといった感じで会社そのものが吹っ飛びそう。とはいえ訴えたのが法務に定評のある任天堂なら訴えられたコロプラの側になかなか勝ち目はなさそう。権利侵害なんかしていないんだと1年にわたって説明しても聞き入られなかったというけれど、任天堂側からすれば1年説明されても納得のいくような中身は得られなかったとも言えるだけに、ぶつかり合ってそして白黒決着がつけばやっぱり訴えられた側が被る影響は大きそう。裁判自体も時間はかかるだろうからその間にどこまで事業からかっぱげるか、あるいは話し合いを勧めて和解から特許料支払いへと持っていって収めるか。もちろんまったく侵害してない場合もあるからそれも含めて様子見。さてもどうなる。


【1月9日】 刀剣に興味を持っている女子がターゲットっていうよりは、普通に美少女たちによるバトルものといった感じのアニメーション「刀使ノ巫女」。荒魂なるものを切り伏せる能力を持った女子たちが全国各地の学校にいて鍛錬していて、そこから選ばれた何人かが集まって大会をしている最中、刀師の中でも最強とうたわれている折神紫につっかかっていく少女が1人。その十条姫和による攻撃はもちろん防がれ追われ始めたけれどもどうしてそんな行動に出たのかが1つの興味で、姫和を助けたヒロインらしい衛藤可奈美がどれだけの力を発揮し刀師の中で存在感を見せていくかがしばらくの展開の中心になりそう。どうして刀師が女子だけなのかはまあ、戦車道が乙女の嗜みとされているようなものだと理解しておくか、艦娘が女子ばかりという状況とも照らしつつ。

 津田夕也さんという人の「人なき世界を、魔女と京都へ。」(ファミ通文庫)をぺらぺら。なぜか誰もいなくなってそして反転してしまった世界に取り残された少年は、魔女とあだ名される綺麗だけれど眼光鋭い少女の士道花織にそうなってしまった原因に心当たりがあると言われ、その場所となっている京都へと原付を転がして2人で乗って向かっていく。少年にとって花織はどうにも気に入らない相手だったけれど、2人で旅するうちにだんだんと向かい合っていくその関心。やがて原因に花織の魔法があると分かり、それを使った理由も浮かんで素直ではない人の心というものが浮かび上がる。羨ましいなあ。

 だったらもう誰もいない世界で1人、食べ放題の飲み放題を続ければ良いじゃないかとも思うけれど、本はすべてが反転していて読めないしそれが世界にとって良いことかどうかも分からない。というか2人だけあ異世界に迷い込んだのならやっぱり元に戻りたいし、世界そのものが反転して凍結してしまったのなら解除する必要がある。そうした使命感もあって向かった京都で知ったお互いの気持ちは、たとえ記憶からきれいさっぱり消え落ちても何らかの形で残るものなのか違うのか。そんなあたりを気にさせるエンディングだった。2人のその後は? また書かれるなら続きを読んでみたいかも。

 虎虎によって書かれKAエスマ文庫から出た原作小説から読んでいたから、ここまで「中二秒でも恋がしたい!」という作品が長く親しまれるとは思ってはおらず、テレビシリーズとなり総集編的な映画が作られ、さらに新作で完全オリジナルの劇場映画も公開されて大勢の観客を集め、盛り上がっている状況にはちょっとした驚きを感じている。原作のエッセンスを取り入れながらも必要なところはばっさりと改編し、キャラクターの出し入れをアレンジし新しいキャラクターも登場させ、そこに京都アニメーションならではの見る者をキュンとさせるビジュアルを乗せて観客の関心を引っ張ったということもあるんだろう。

 そしてやっぱり主題として、中二病という少年少女たちにとっての青春の流感を打ち出し、それを後遺症として引きずり懊悩しながらも、決して排除されるべき病ではなく愛すべき特質として受け入れ、伴いながら大人への階段を上っていって良いんだといったメッセージを発したことで、自分のことを指摘されているとニマつきながら影でこっそり読んだり見たりせず、誰もがそうなんだと開き直って受け入れられる作品になったとも言えるんだろう。

 もちろん「映画 中二病でも恋がしたい! Take On Me」を見るには相当な開き直りが必要で、過去に中二病を発症させては神社仏閣の神将たちに挑んで勝利するような妄想を発動させた記憶とかをきれいさっぱり忘れるなり、それを思い出してものたうち回るような無様は見せないようにする心の鍛錬が求められる。そうした過去が今も目の前にいるかのごとくに奇妙な言葉を繰り出しつつ、自分の嫌いな勉強をしようとはしない小鳥遊六花という現役中二病の女子高生を彼女にして、いっしょに中二病を発動させて盛り上がりたい富樫勇太に気持ちを添えたい一方で、そればかりでは先もないし周囲の視線も気になるといった理性もあって狭間で苦しむ勇太の覚悟を感じて、どうするのが良いんだろうと考える必要もある。

 自分自身の封印した中二病気質をむずむずと刺激されるストーリーは、姉の十花によってイタリアへと連れて行かれそうになった六花が、自分の好きな中二病的生き方から引きはがされてしまう怖さを感じ、またそんな六花が気になっている勇太にも影響を及ぼして2人で逃避行へと出るといった感じで進んでいく。まずは京都に行ったり神戸に行ったりしたものの、スマートフォンの位置情報から生き場所を割り出されて捕まりそうになり、逃げ出して和歌山へと行きそこからバスで東京へと出て飛行機で一路札幌へ。さらには戻って青森から龍飛崎へと至る逃避行の中、勇太は中二病であり続ける六花にどうあって欲しいかを自分に問い直し、六花も自分はこうありたいけれどもそれで自分は保てるのかといった悩みに迷い惑う。

 つまりは成長から卒業の兆しが見え始めたとも言えるけれど、そこで普通なら誰もが当たり前と感じている日々なり生活態度なりへと収れんしては目の前の恋愛に浸って生きる道を選びそうなところを、筋金入りでありそれこそが自分のアイデンティティでありなおかつ誰かにとっての六花そのものであるとも思いたい邪王真眼はそうであることを捨てず自分は自分とし、そしてかつてのダークフレイムマスターも今はそれが前面に出ている訳ではないけれど、かつての思いを否定はしないで残しつつ邪王真眼を受け入れともに歩んでいこうとする。

 それでいいのか? それでいいのだ。それがいいのだ。まあ現実、大学に行けるかどうなのかといった問題があるし、行ったら行ったで邪王真眼を続けられるのか、そして就職後はといった未来への不確定要素はわんさかあるけれど、まだ残り1年ある高校3年生の日々を中二病であり続けることに問題はない。いやあるか。やっぱりないか。誰にも咎められない生き方を少女は探り、誰にも咎めさせない生き方を少年は選ばせることで自分たちを自分たちとして確認し、そこから新たな道へと踏みだしてく。そんな地点を確認させてくれた映画だった。

 妹を姉は本当に立ち直らせたかったのか。そして森夏や凸守は十花の言うなりになって六花と勇太から中二病を奪ってまっとうな道を歩ませたかったのか。きっとそうではないし誰もそうは思ってない、ただ迷っていて悩んでいる心があるならそれに決着を付けさせる道へと、強引にも押しやったのだと思いたい。結果、道は開けたけれどもいったいどこまで続いて何を見せてくれるのか。変わらず中二病であり続ける六花が生んだ子供の名前がとてつもなく中二病である可能性を想像しつつ、残る高校の3年生を2人がどう過ごすのかを想像したい。いちゃいちゃいながら勉強も教えてどうにかこうにか2人で大学ってなるんだろうなあ。そんな未来も見てみたいなあ。

 やろうと思えばやれるだろうけど、やろうと思うこと自体にブロックがかかってやらないものだと思っていたらやった人間がいて驚いたカヌー競技の選手による別の選手への共生ドーピング。飲料に禁止薬物を混ぜて検査にひっかけさせるとか、バレれば自分の身に跳ね返ってくると分かるものなのにそういった想像は働かなかったんだろうか。働かなかったんだろうなあ、自分が上に行くためには何だってやる、それが正義だなんて視野狭窄に陥っていたんだろう。他の選手の道具に細工なんかもしていたとか。それこそライバルのトゥシューズに画鋲を入れるような原始的な妨害を、やってしまって永久追放にならない世界もまた不思議。まあ8年の出場停止は実質的に選手生命の終わりを意味すんだろうけれど。あとはどうしてやってしまったかを誰か聞いて欲しいかな。


【1月8日】 新作のアニメーションがいろいろと始まっていて楽しい1月第1週。つづきみで見て期待していた「三ツ星カラーズ」が始まって池袋ウエストゲートパークならぬ上野インペリアルパークを舞台にカラーギャングたちがぶつかり合う姿は見られなかった。当たり前だ。まだ小学生っぽい女の子たちがどこかに作ったアジトに集いながら、上野で起こる事件を解決していくというか、大人が与えてくれた問題を解いて時間を過ごしていくといったストーリーで、例えば上野に現れ物を取って逃げていくパンダに似た猫を探すエピソードでは、何のことはないアジトに出入りしていた猫をつかまえモノクロ大佐と名付けてかわいがる。

 その愛らしさたるや白い猫を集めてパンダ模様に塗って露天で売るテキ屋が現れないか心配になってしまうくらい。そうでなくてもグッズとして出てきそうだけれど、動いてこその猫のかわいさだけにぬいぐるみ程度では満足できないかなあ、せめて寝返りくらいは打って欲しいしノドもゴロゴロ鳴らして欲しい。希望します玩具メーカーの方々に。そしで後半はメンバーと仲が良くて雑貨店をやっているおやじが、金庫を上野公園にある交番の前に置いて謎をかけて中にある何かをカラーズに取り出させようとする。完全にやらせの事件だけれどそれでも頑張って娘たちは謎を解き、暗証番号を得て金庫を空けてモノクロ大佐用の餌皿をゲットする。

 引きこもってゲームに浸ったり塾とかに通って勉強に勤しむような子供たちではなく、町を歩いていろいろと見聞をしながら時間をを過ごす元気でアクティブな子供たちの姿を見せてくれるアニメーション。一方で上野という町の上から下までいろいろとめぐってそこにある風景や光景を見せてくれる。おやじが営んでいる雑貨店って山手線とかのガード下にあってよくいくとんかつ屋の向かいにある見せにそっくりだものなあ。交番はもう上野公園にある交番そのままで、そこに立つ若い警察官が遠からず斎藤と呼ばれ始めそう。制帽を被ってないのはちょっとだらしないけれど、子供にやれやれと想いながらも応援しているその姿は、警察官への憧れって奴を増してくれそう。だから出演を警視庁も認めたのかな。「生ョ範義展」を見にまた上野にはいくだろうからその聖地、巡礼してこよう。モノクロ大佐を探しつつ。

 そして「citrus」は百合だった。口ばかりで恋愛経験はゼロのギャル、藍原柚子が母親の再婚でお嬢様学校に転校してそこで生徒会長の藍原芽衣から厳しく言われ校長先生にもいろいろ言われて大変そう。そして家に帰ったらその生徒会長が、母親の再婚相手の娘として同居することになって気まずい雰囲気の中、学校で芽衣が教師とキスをしているのを見たとはやし立てたら、いきなり迫られてギャルはファーストキスを奪われた。そのシーンまでをもしっかりと描いてぼかさないところがなかなかに挑戦的。原作の漫画は未見のため芽衣がどこまで本気で百合なのか分からないけれど、とりあえずはノンケの柚子が染まっていく様が見られそう。そして学校ではまるで異質な柚子が革命を起こす様も。見ていこう。

 その役柄的に「わからん、ぜんぜんわからん」とは言いそうもない藍原芽衣だけれど、そんな役とはまったく違って「けものフレンズ」のジャガーに近い雰囲気を感じさせてくれるBC自由学園の安藤を演じている「ガールズ&パンツァー最終章」第1話をイオンシネマ幕張新都心まで観に行く。10日くらいまでの上映らしくULTIRAの9.1chで次に楽しめるのは結構先になりそうなんでこの休みの内に観に行ったという仕儀。まふぁフィルムも配っててサメさんチームがマーク4に乗って桟橋を進んでいくエンディングの1場面が入っていた。キャラクターも戦車も写っているという意味では辺りかなあ、そりゃあ桃ちゃんのアップとかマリーの「撤退!」の芽依シーンとか欲しかったけどそれはまたいつかの機会で。

 これで5度目くらいになるけどやっぱりコンパクトな中に展開がぎっしりと詰まっていて面白い。BC自由学園があの秋山優花里を欺いて自分たちは仲が悪いんだと思わせるくらいに奸計を巡らせられるチームなら、どうして過去に1回戦を突破できなかったのかといった謎は残るけれど、相手が大洗女子学園と分かってここは一念発起と結託したか、マリーという隊長が見かけによらず策士で戦車道チームの実験を把握したあと、安藤や押田を束ねて勝てる体制へと切り替えたのか、そのあたりは続く決戦の中で明らかになってくれると思いたい。撤退の潔さとか結構出来そうな指揮官だし。次はいったいいつになるのかなあ、せめて6月頃には見せて欲しいなあ。

 木村庄之助が空席の相撲界でトップとなっている行司の式守伊之助がパワハラというかセクハラというか若い行司に酔っ払って迫ったという話があれやこれや。もちろん不謹慎な話ではあるし酒癖の悪さはかねてから指摘されていたそうなんでここでお灸が据えられることに異論はないけれど、どちらかといえば仲間内での酒席での狼藉で、そして内々の和解も済んでいそうな自体がこうして外に漏れ出てマスコミで騒がれるところに今の相撲界における情報戦めいたものの影を感じて面倒くさくなる。隠されて良いという話ではないけれど、隠されていたはずの話を外に出すことで誰がいったいどんな得をするのだろう。そんな揣摩憶測の果てに浮かび上がる光景を見れば、何が起こっているのかも分かるかもしれない。分からないかもしれない。どっちにしたって今の相撲はつまらない。そんな感じ。若くて威勢が良くて横綱大関目指して突っ走る力士、出てこないかなあ。

 小松左京さんに「男を探せ」という短編があってヤクザの親玉の女に手を出した真珠入りの極太Pを持った探偵がヤクザの親玉の逆鱗に触れて拉致されその名もBJというモグリながらも凄腕の医師によって女性にされてしまうという展開で、そこから復讐も兼ねてBJの居場所を探り自分の切り取られたPを探し求めるんだけれどそんなストーリーでは手術によって身体に埋め込まれた臓器の影響からか、心までもが女性になってしまうことがあって、それを押さえるためにBJが処方した薬を飲んでいるといった描写がある。あるいは女性の身体を維持するためのホルモンが脳に働き心までをも女性にしているのかもしれないけれど、本当にそうなるのかどうかはちょっと分からない。

 デイビッド・トーマスという人が書いた「彼が彼女になったわけ」という小説では手術の取り違えによって性転換手術を希望していた誰かの代わりに手術され、女性にされてしまった男性が登場するけれども最初のうちは男性性を残しながらもだんだんと、自分の中に女性性を目覚めさせては親切にしてくれた医師への恋情を募らせていくといった描写ある。変わってしまった肉体がそうさせるのか、それとも適用されるホルモンが心をそうさせているのか分からないけれど、いわゆる性同一性障害と呼ばれる存在で、心に合わせて身体を変えた人でなかった場合でも、身体がそうなれば心もそうなってしまうといった“定説”があるいはあるのかもしれない。

 もっとも、ウォルター・ヒル監督による「レディ・ガイ」という映画では、殺し屋の男が弟を殺害された女医の恨みを買って捕らえられ手術をされて肉体的には完璧に近い女性にされてしまい、プレマリンにプロベラといったホルモン剤を処方されて飲むようになっても心までもが女性的になるといった展開はなく、殺し屋は殺し屋のままで自分をハメたマフィアたちを次々と殺害してはやがて女医にまで辿り着いて残酷な方法で復讐を遂げる。もしかしたら女性であるか男性であるかといった性別と、残酷な殺し屋であるか優しい博愛主義者であるかといった性格に関連性はなく、残酷な精神を持ってしまったら男性が女性になっても変わらず手に銃を取って殺し続けるのかもしれない。その意味で肉体の変更が心にもたらす変化を調べたかった女医の実験は失敗したと言える。

 それでも前なら殺害していた協力者の看護士を逃がし、助けた犬を飼って死地に乗り込む時には預けそして無事に戻ったら引き取って飼い直しているあたりに少しばかりの優しさの芽生えがあったのかもしれない。自分がやって来たことへの懐疑も生まれたのかもしれない。元が徹底して残酷に傾いた心が変わるにはやっぱり半年1年の時間が必要だった、と。性別を変更する人が事前に1年2年の期間を置いてカウンセリングも経て心までをも変えてから手術に望む、その逆をやってしまっていきなり肉体が皮っても、時間をおけばだんだんとそうなると分かったら女医は成功だったと喜んだか否か。一生を精神科の病棟で過ごすことになった彼女にはもはや関係のないことだろうけれど。

 そんな思いが浮かんだ「レディ・ガイ」で最初はひげ面の殺し屋を演じていたミッシェル・ロドリゲスが手術後に役者としての元の身体をさらけだしてそうなってしまった驚きを演じるあたりがなかなの演技巧者ぶり。凄いのはたとえ肉体がそうなってしまっても挙動とか表情とか言動までもが女性化していない自分を演じるために歩き方は足を開き気味にして肩もいからせ男性のような雰囲気を保ち続けるし、声もやや高めの男性が乱暴に喋る口調を保っている。いつも苦悩しているような表情には媚びもなく、ラストに敵を誘うために女性っぽくドレスを着てハイヒールを履きウィッグを付けた時も女性っぽさをあまり出そうとはしなかった。

 心まで変わるものかといった男の執念を、役者的には女性のミッシェル・ロドリゲスが演じきる。その意味ですごい役者あし、自分の信念を蕩蕩と述べ続ける女医役のシガニー・ウィーバーもさすがは名女優だけのことはあった。そうした役者の凄みを見る意味もある映画って言えそう。あの後フランク・キッチンはどうなっていったのか。「男を探せ」や「彼が彼女になった訳」の主人公たちがそうなってしまった自分を受け入れたように、優しくて平穏な日々を送るようになったのか。ちょっと興味。


【1月7日】 放送が延期とか本当なのか釣りなのか分からない事前のゴタゴタもあったりしながら、どうにか始まった「ポプテピピック」を見ようとしたらまるで意味が分からないアイドルアニメーションが入っていて、あわててHDDレコーダーを巻き戻して後番組が撮れてしまったのかと確認したら、ちゃんと「ポプテピピック」のタイトルが出て、この番組はこれらのスポンサーでお送りしますと現在進行形の告知。だったらきっとフェイクのオープニングだろうと思って見返して、言い動きしているなあと感心しつつさあ始まった「ポプテピピック」の声を聴いて、なんだこりゃあと魂を口から吹き出す。おっさん2人かよ。

 ポプ子は江原正士さんでピピ美は大塚芳忠さんと年配の男性声優でも特徴的な声の2人がいちおうは女子のキャラクターに声をあてていて、ただでさえシュールな展開が余計シュールに聞こえてくる。おまけに途中にNHKのEテレでやっているようなヘタウマなアニメーションも挟まったりして、NHKっぽいエンディングのマークも出てごったに感を高めた果て、とりあえず迎えたエンディングがちょうど30分番組の真ん中あたり。この後いったい何するんだと見ていたら、いきなり「再放送」が始まって最初の美少女アイドルアニメのアバンとオープニングがそのまま流れて、ああ良い動きだと感嘆した次の瞬間、やっぱり同じ「ポプテピピック」が始まって声がおっさん2人でなくなっていた。

 誰なんだ、って後のエンドロールで明らかになったのがポプ子が三ツ矢雄二さんでピピ美が日高のり子さん、って「タッチ」かよ、偉大な青春アニメーションの偉大な主役2人を引っ張ってきてクソアニメに据えて、それもちょっと前に江原正士さんと大塚芳忠さんというベテラン声優2人が当てたのと同じアニメに当ててくるとはいたいどういう了見だ。違いを感じて面白がれっていうレベルを超えて、このキャラには誰が相応しいとか関係なく誰だって相応しく演じられるんだといった主張めいたものを、その展開から感じたというか感じさせられたというか。そもそも事前の発表はポプ子が小松未可子さんでピピ美は上坂すみれさんではなかったのか。どこへいった2人。もうずっと出てこないのか。

 上坂さんは冒頭のフェイクな美少女アイドルアニメでキャラの1人を担当しているみたいだけれど、それだって来週以降も続くかどうかは分からない。そんなアニメーションだけに来週もまた同じエピソードが違う声優でもって吹き替えられたりしかねない。それはさすがにないかなあ、「涼宮ハルヒの憂鬱」の「エンドレスエイト」でもあるまいし。いやすでにそういう前例があるならあるいは。という意味合いで次も見ないでいられなくなる。作品性ではなく話題性でもって覇権を取りに来たその作戦は、第1話においては大成功したって言えるだろう。同じように頭がおかしいアニメーションの「カーニバル・ファンタズム」も始まったけれど、「ポプテピピック」の前では普通に愉快なセルフパロディだもんなあ。

 そうか始まっているんだと気がついて上野の野守美術館の「生ョ範義展」へ。セブンイレブンで当日券を発券して行ったけど午前9時20分ごろでは行列もそれほどなかったし、午前10時の開場時でも50人いたかどうかなんでそこは大行列が続いていた「蒼樹うめ展」とはちょっと勝手が違うというか、まあそういうものだよなあ今の人たちのとって生ョ範義さんというイラストレーターの位置づけは。1980年代にSFのそれも小松左京さん平井和正さんあたりを熱心に読んでいて、「ウルフガイ」シリーズとか「幻魔大戦」とかにドはまりしていた人にとっては神様だし、1990年代に入ってもダン・シモンズやマイケル・クライトンのハードカバーを読んでいた人には、同様に凄い表紙絵を描いてくれる人だった。それ以降となると見知っているのは架空戦記のファンくらい。2000年代はほとんど活動を見ず触れる機会も少なかったから、今の20代とかにまるで知られていなくても仕方がない。

 実際に行列していたのは40代とか50代とかが中心のようで、イラストとか特撮とかSFなんかの仕事をしていそうな人たちがいたようだけれど接触がないから誰かは不明。それでも朝から駆けつけるくらいだから、そういった人たちにとっては今も神様といっても過言ではない存在であることには間違いない。開場してからもそうした人たちが生ョさんの描いた絵のタッチをしっかり眺めて凄いと思っていた感じ。僕にとってもやっぱりディテールがしっかりとしていてなおかつ構図やモチーフに説得力がある人。レンブラントらが描く宗教画ともブリューゲルの描く農民画とも言えそうな重厚なタッチとリアリティたっぷの人物たちが、SF的な主題の上に描かれていて架空が現実になったような錯覚を覚えた。角川文庫版の「復活の日」の表紙なんか、抱き合う2人を支えるように物語のさまざまなモチーフが散りばめられていてそれ1枚でストーリーが感じられるのだ。凄いなあ。

 今の表紙絵ってそれこそキャラクターを置いて周囲は背景にするなりホワイトで何も描かなかったりして、テーマも何も分からないけれど、生ョさんはまるで正反対にストーリー上の人物も展開もメカもそして物語そのものも1枚の中に収めつつ、瞬間の感動をそ子に露わそうとしていた。「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」の有名なポスターなんかも、センターでレイア姫とハン・ソロが口づけを交わそうとしている周囲にミレニアム・ファルコンがあればランド・カルルシアンもいて、手前にルーク・スカイウォーカーがいて背後に巨大なダースベイダーがいるといった具合。その1枚でトピックを訴えつつストーリーも感じさせる構図を見て、きっとジョージ・ルーカスも感動したんじゃなかろーか。以後のアメリカ版のポスターもそんな雰囲気を踏襲している節があるし。

 一方で平井和正さんの作品となると、「アンドロイドお雪」にしても「サイボーグブルース」にしてもワンポイントでの描写が中心といった雰囲気。「ウルフガイ」のシリーズはまだキャラがセンターにいて周囲にサブキャラとかモチーフも散りばめられているけれど、小松左京さんほどの多彩さはあまりないのはやっぱりトーンを変えて作家としての違いを出そうとしたのかな。ちょっと興味深い。戦艦とかの絵はそれですばらしいけど個人的には後半に並ぶ「SFアドベンチャー」の美女たちがやっぱりすばらしかった。どこの国の女王だよ、女帝だよってな佇まいを見せつつ裸だったり透け透けだったりするそのボディに少年は心を奪われたのだった。でFアドベンチャーは買ってなかったけど、SFマガジン派だったし。そのSFマガジンの表紙絵も描いていたんだなあ、いろいろな人がチャレンジしていた時代かな。それもまたすばらしかった。

 そんな展覧会の最後の方に並ぶ「破壊される人間」は、高校時代を過ごした薩摩川内市にある川内歴史資料館から初めて外へと持ち出されたもので、中央に立つ人間は全身が傷ついて内蔵とかが体外へとこぼれ出てグチャグチャになりかかっている。周囲にあるのもきっと肉塊と化した人間たちで、脇にアサルトライフルを持って立つ人間みたいなものがいることから戦争によって人間の尊厳が毀損され、ただ物として蹂躙され破壊されるむごたらしさをそれ1枚で見せようとしたものだと言えそう。戦時中に描かれた藤田嗣治の「アッツ島玉砕」にも匹敵するくらいの迫力があり、技術的にも凄いものがあるけれども画壇として決して認められてはいない生ョさんの絵が、国立近代美術館に並ぶことはきっとないんだろう。これだけの画業をほこりながらもイラストレーターとして消費されていてしむのか、それとも改めて孤高の“画家”として存在を世に知らしめ確立させるのか。そんな分水嶺に今、あるような気がする。

 大昔に買ったホワイトハウスコックスの財布がいい加減ぼろぼろになって来たので、そろそろ買い換えようといろいろ考え、越谷レイクタウンにあるアウトレットに店を構えているハートマンでベルティングレザーのコインケースつき2つ折り財布を買って取り替える。ハートマンといえば大昔にベルティングレザーのアタッシェケースを買ったことがあるけれど、PCを持ち運ぶようになって中に入れると重たいのでもうずっと使っていなかったのだった。使い込むほどに艶が出てくるベルティングレザーはなかなか面白い素材。財布もそのうち艶が出てくるだろうかどうなんだろうか。でもポイントカードとかいっぱい入れるとすぐに形が崩れそう。とはいえしまっておく訳にはいかないし。ポイントカードだらけの現代を人はどうやて財布にそれらを入れているんだろう。そこが知りたい。知りたいのだ。


【1月6日】 真夜中にグラリと来たけど、震度4程度は東日本大震災の余震に比べたらどうということはないといった認識で、そんな余震でも崩れなかった本の下敷きになることはないと安心して一眠り。そして目覚めてテレビなんかで紹介されているスポーツ新聞で、元中日ドラゴンズの投手だった星野仙一さんが死去したことを知る。膵臓がんはそうか今敏監督と同じで、ずっと静かに進行しては気付いた時には取り返しがつかなくなっていることもあって、星野監督もきっと大変だったんだろう。でも去年の末の野球殿堂入りではちゃんと姿を現していたようだから、年末に容態が急変したのかもしれない。そして死去。70歳はやっぱり若いなあ。

 ドラゴンズの投手としては、巨人のV10を阻んでドラゴンズが優勝した1974年に板東英二さんが歌って名古屋方面で大ヒットしていた「燃えよドラゴンズ」の歌詞にも出てきて、「強気の勝負」をする人といった歌われ方をしているように、激情の人だったといった印象。とはいえエースかというと、松本幸行選手の方が優勝した年には勝っていたみたいで、20代後半の血気盛んな若手といった位置づけだったのかもしれない。それがもうちょっと年を重ねると、重鎮としてマウンドに立ち宇野勝選手の額でボールを受けてあやわランニングホームランを許しそうになった一件で、グローブを地面に叩きつける激高ぶりを見せた。まあ当然だろうけれど、その試合は完封こそ逃したものの勝ち投手になっていたんだから、怒りも今は収まっていただろう。訃報を受けてこのシーンも引っ張り出されるとしたら、宇野選手がまた目立ってしまうなあ。

 監督としても中日を2回優勝させて阪神タイガースも1回優勝。そして東北楽天ゴールデンイーグルスでは1回のリーグ優勝をそのまま日本一へと持っていって名監督という称号をほしいままにした。とはいえ、北京五輪の監督ではコーチに山本幸司さんとか田淵幸一さんとかを据えたりして、割と情実が目立ったような印象を与え、そして成績も銅メダルにすら届かない4位では、やはり失敗だったと言えそう。楽天での活躍はそのあとだから決して無能の監督ではなかった。あるいはそうした代表監督での経験を活かして、晩年の監督人生を務めていたのかも知れない。2014年に退いてまだ数年。もう1チームくらいは、なんて考えもあったかもしれなかったけれど身体が追いつかず、命が及ばなかった。それでも最後に野球殿堂に入れたのは幸いだった。200勝に届かない投手でも強烈な印象とそして活躍を見せれば殿堂入りできる。そんな代表のような人だった。黙祷。

 秋葉原でのベータライブから見ているから、これで観覧は4回目となりそしてディファ有明では3回目となる内田明理さんプロデュースによるAR Performersによるライブ。真冬の開催ってことで天候とか危ぶまれたけれども幸いにして好天で、そして屋外にはしっかりとストーブなんかも用意されててグッズを買いながら会場を待つ人にとって易しい設計になっていた。これは去年も一緒か。そしていったんライブが始まれば、寒さなんか吹き飛ばす熱気がディファ有明をいっぱいに満たす。シンジにレオンのレベルクロスのダイヤとレイジが繰り出すパフォーマンスはどれもクールで、ホットで、激しくて優しげ。見ているうちに本当にそこに彼らがいるような気になってくる。

 もちろん彼等は存在する。ただし実在というとそこは曖昧。3DCGによってリアルタイムに描画されては歌い踊るキャラクターに声がつき、歌が乗って繰り広げられるのがARPというコンテンツ。それはある意味でバーチャルのアイドルたちだけれど、MCとかでのアドリブも交えたトークやアクションが可能になっていることで、すぐそこにいるという感覚が高められる。そして、スムースに動くCGによるパフォーマーのアクションを見ていると、それが実写なのかCGなのかといった“谷間”が簡単に乗り越えられて、その瞬間にそこにいてくれているような気になってくる。凄いというか、狙いどおりというか。

 もう冒頭からそういった没入への仕掛けを用意していて、始まる前にステージ脇のモニターにリアルなバックステージを歩く3DCGのシンジやレオン、レベルクロスのレイジとダイヤらが映し出されてAR的な実在感って奴を感じさせる。そして登場するなり繰り広げられる自己紹介ソングや司会者とのトークが、半年ぶりとなるサポーターズの前への登場にも関わらずずっとそこにいたかのような雰囲気を作り出す。そう思いたい来場者とそう感じさせたい送り手とのある意味での意識の結託が、非実在ながらも実在のアイドルたちを現出させた。そうとも言えそう。

 インタラクティブ性を強調するためか、来場者とパフォーマーとのアドリブ的な会話を割と入れていたこれまでのライブだったけれど、去年の12月にミニアルバム「ARP アライブ3」がリリースされたこともあって増えた楽曲をこなす意味もあってか、MCとかトークによるセッションはあんまり詰め込まずに楽曲を聴かせるパートが多くて、音楽のライブを聴きに来ているような気持ちにさせられた。もしかしたらそうした楽曲パートは、あらかじめ作り込まれたCG映像を音楽とともに流しているだけかもしれず、パフォーマーのリアルタイム性は発揮されていないのかもしれないけれど、そこでアドリブを入れられるより、MCでのちょっとした仕草やコミュニケーションがあれば人は実在を感じるもの。そうした使い分けが仮にあるなら、十分に活用して良い気がする。

 そして、決めの場面でリアルタイムのアクションも交えた歌と踊りを見せれば良いのだ。あるいはアカペラとか。今回は成人式を迎えるこのためにH2Oの「想い出がいっぱい」をレオンがアカペラで歌って聴かせる場面があって、結構ジンときた。ちゃんと歌えるし動けるんだなあ。それも仕込みってことはないだろうし。楽曲ではやっぱりシンジの「The World Is Mine」が好きだけれど、新しいアルバムに入っているレオンの「Turn Up Baby」とかも当人がBJを意識したとかで、ファンキーで楽しかった。そうやってレパートリーを増やしていくことで、より実在感も増すというもの。これならもっと広い会場で3時間のライブだって出来るかも。

 というか、ディファ有明自体が6月で閉鎖となってしまうんで、例年のように夏にここでライブはできなくなっている。かといって横浜にあるDMMのVRシアターは収録された映像を立体的に流すことはできても、リアルタイムでのパフォーマンスは難しい。となれば新たな会場を求めて動くことになりそうで、キャパシティと設備を考えて豊洲のPITか品川のステラボールあたりでやれば、さらに大勢のファンが入って盛り上がるかもしれない。設備的に対応可能かは分からないけれど。4人によるmihimaru GTのヒット曲「気分上々↑↑」はやっぱり楽しいなあ。あとアンコールの「最高のGood−bye」も最高だった。次はどこで会えるのか。発表を待ちたい。

 伊藤瑞彦さんの「赤いオーロラの街で」(ハヤカワ文庫JA)をほぼ読み終える。太陽フレアで変電所が吹っ飛び電気が来なくなった世界で何が起こるか、って設定だけれど石油だとか食糧といった資源を巡って殺し合いでも起こるかというとそうでもなく、流言飛語から虐殺が起こるといったこともないのは電気がとまりネットワークが経たれ新聞も届かずラジオくらいが状況を伝える程度では、人は流言を発してそれを流布し聴いて染まって虐殺に走るような自体は起こらないからなのかもしれない。これでSNSとかメッセンジャーが動いていたら不穏な言葉だけが拡散されてひどいことになっていただろう。太陽フレア様々というか。そして不便な中でも人は資源の活用を見いだし生き抜こうとする。冬の北海道で電気ストーブしかなく雪下ろしも大変な独居老人たちがどう過ごすか、なんてアイデアはきっと開拓民とかアイヌの言い伝えなんかも入っているんだろう。先人の知恵は大切に。まずは一服の無電暮らしから数年を経てすべてが復旧した時に世界はどうなる。そこもちょっと気になった。前に戻るかそれともスローな生活を続けるか。書いてくれるかな。どうかな。


  【1月5日】 公開から1年以上も経ったにもかかわらず片渕須直監督の「この世界の片隅に」が2月3日から全国のイオンシネマとかコロナワールドなんかで90館もの規模でもってリバイバル上映されるとか。パッケージ発売に合わせた修正版に変わってからまだ見ていないだけにこの機会に行きたいところだし、音響に凝っているイオンシネマ幕張新都心での上映もあるんでそちらでどんな調整が行われるかも気になるんで是非にのぞいてみたいもの。とはいえいったいこれだけの規模で上映して大丈夫か、いくら興行が不振となる2月でも他に新作とかいっぱいあるんじゃないかと思わないでもない。どういった決断が働いたんだろう。

 想像するならそれはイオンの前身ともいえるジャスコのさらに前身の1つで三重県四日市市が拠点だった岡田屋の伝手で、同じ三重県にある伊賀上野から忍者を誘って全世界的に探りを入れて、アカデミー賞のアニメーション部門にノミネートされることがほぼ確定したって情報を仕入れたのかもしれない。これなら箔がつくから上映したってお客さんは来る。あるいはいっそ忍者的な手練手管を使ってオスカーの獲得までをも確約させたのかもしれない。暗殺による揺さぶりなのかくノ一的な何かなのかは不明だけれど。まあそういった要素はないとしても、時期的には重なってくる訳である程度の期待もあったのかも。ともあれ改めて見る良い機会。足を運ぼうどこかのイオンシネマに。

 囲碁の井山裕太七冠と将棋の羽生善治永世七冠がともに国民栄誉賞を授与されることになったとかで共にそれぞれの世界から初ということで趣味の世界であっても突き詰めれば国民を奮い立たせることができるんだと分からせた意義は大きそう。もしかしたら藤井聡太四段の大活躍も将棋という世界への関心を高めさせそれが羽生さん井山さんの活躍の”発見”へとつながって受賞を決断させたのかも。羽生さんが七冠をとった時だってフィーバーはしたけど栄誉賞といった話はなかったし。永世だからもう失われることはない羽生さんと違って、井山さんはいずれ失冠もしていくだろうけれど、それでも3度4度と七冠に返り咲いたら今度はいったい何をあげればいいんだろう。叙勲か褒賞か別の何かか。ちょっと気になる。

 新宿ピカデリーで去年からリバイバル上映されている「劇場版カードキャプターさくら 封印されたカード」の舞台挨拶取材ついでに映画本編も見る。前に見たっけどうだっけ。記憶が薄れているけれど改めてみてテレビシリーズの「クロウカード編」「さくらカード編」と来て落ち着いて、ふんわりとした生活を楽しみ知世ちゃんのためにコスプレ撮影もバンバンやってあげてたりして楽しげなさくらの日常に波乱が起こる。集めたはずのさくらカードが1枚また1枚と奪われていき、町も郵便ポストや橋が消えてしまう。

 何かが起こっている。それに気付いたかどうかは別にして、香港から李小狼が来日していてさくらは彼からの告白にどう答えようかとどぎまぎ中。それを見守る苺鈴ちゃんと知世ちゃん。2人ともさくらちゃんと小狼くんが好きなのに、相手が好きな誰かといっしょになることを望んでいるところにどうにもキュンキュンとさせられる。辛いけど優しい2人。そんな展開が続いた後半も割と後になって、さくらカードを集めていた無のカードとのバトルがあってそこでの決断めいたものがあって、どうなっちゃうんだろうという心配を経ての大団円を迎えてと本当にまとまった良い映画になっていた。

 好きだ問い言いたいな言えないな言おうとしたらケロちゃんにアニキと邪魔も入って大変だなといった出し入れがとても上手。そしてユエやらエリオルやらが現れ盛り上げつつ最後はさくら1人となってさあどうしようとなってそこを包んで大団円からもしかして悲劇? と経て至る本当の幸せに心もほっこりと温かくなる。ここから新シリーズ「カードキャプターさくら クリアカード編:が始まると思うとそちらも見たくなるけどBS映らないんだよなあ。まあ良いそのうち地上波に落ちてくるのを待とう。舞台挨拶ではくまいもとこさんと丹下桜さんが手をつないで登壇したりとまるで小狼くんとさくらちゃんだった。可愛いかったなあ。そして今も変わらぬ声の張りと艶。凄いなあ。

 いよいよ会期も8日までに迫って連休だと混みそうだったんで急ぎ「THE ドラえもん展 TOKYO 2017」へ。入るなり巨大な村上隆さんによる花とドラえもんキャラクターの絵があってキッチュでポップな図案とドラえもんのキッズでキュートなフォルムがマッチするなあと改めて思った。オタクアートを自認しつつも根底にあるのは藤子・F・不二雄さんであり源流の手塚治虫さんといったマンガの王道なのかもしれないなあ。それはミスターにも言えるのか。ロリな少女ばかり描いていたのにドラえもんを描くと実にピッタリとまとまりを見せてくる。フォルムも我流でなく藤子・F・不二雄さんに寄せていた。想いに腕が追いついていなかった初期のあがきと開き直りが共存したような絵も好きだけれど、うまくなったらなったでそこに真剣が見えてなかなか良いな、ミスターさん。

 気になったのは会田誠さんでシャワーを浴びている透明人間のシャワーの流れる形が女体を浮かび上がらせる。しずかちゃんだろうなあ。そしてしりあがり寿さん。アニメーションを描いて途中を自分の漫画風に崩して歪めてそれを今の日本の不安なんかを重ねて見せてた。子供にも受けていたからきっと分かったんだろうそのメッセージ。単純に崩れたドラえもんが面白かっただけかのかもしれないけれど。あとアニメーションではシシヤマザキさんもあって自分流ロトスコープののび太めいたキャラクターが飛んだり動いたりしてなかなかにキッチュでグロテスク。自分流を貫き染める辺りにアーティストとしての肝の太さが見えた。

 メディア芸術祭の20周年企画展がアーツ千代田3331で開かれた時に作品を出していたクワクボリョウタさんんいよる作品もあってこれがやっぱり面白かった。真っ暗な中を電球を積んで走る鉄道模型の周囲にものを置くことでその影が壁面に映し出されて都市の夜景めいたものを再現するといった手法をそのまま引っ張ってトンネルやらカゴやら鉛筆やらスプレーなんかの影を大きく映して不思議な都市の景観ってものを見せてくれた。最初は何か分からなくてもみているうちにこれは都市なんだと気付くところが面白い。どこがドラえもんかはきっとあの影がドラえもんだったんだとも。もっと見ていたかったけれど8日まででは無理か。次にどこかで展示されることあるのかなあ。

 坂本友由さんの巨大しずかちゃんの見上げてのぞく脚のエロさたるや。ずっと見ていたったけれど見続けるとヤバいと思われかねないんで目に焼き付ける。そして近藤智美さん。相変わらずのとてつもなく巧みな筆致でもって上段下段に描かれた室内は鏡のように対照的で上からのぞいた下の世界が違っているといった感じ。それのどこがドラえもんかはすぐには分からないけれど、技量の凄さとモチーフの解釈の独自さでもってきっと多くの目にその存在を知らしめたことだろう。奈良美智さんはうん、元よりドラえもんっぽい絵が本当のドラえもんになっていた。ここにも村上隆さんを同源の影響があっておっして村上隆さんとは違った出口での表現があるって言えそう。このままどこか巡回すれば良いのになあ。個別の作品をどこかで見られる機会はないのかなあ。


【1月4日】 前日前々日と夜中に放送された「秒速5センチメートル」とか「言の葉の庭」とか「星を追う子ども」とか「雲の向こう、約束の場所」の合間にテレビ初放送だと散々っぱらCMを入れて宣伝していた新海誠監督の「君の名は。」。そうではない普通の番組の合間にもCMを入れたりして、テレビ朝日全体が新海誠監督というクリエーターを盛り上げようとしている感がありありで、そしてこれがもしもフジテレビだったら、ここまでのべつまくなしにCMを入れて、アニメーション映画のテレビ初放送を宣伝しただろうかと考えた時、力の入れ所といったものの読み間違えが今の惨状を生んでいるのだろうかとちょっと思った。

 伊藤計劃さん原作のアニメーション映画2作品がもう既にテレビ放送されたことを知っている人がいったいどれだけいるんだろうが。湯浅政明監督の2作品がテレビ放送される時、朝から晩までテレビCMを入れて宣伝するんだろうか。それなりのアニメーション作品を深夜枠で放送し、映画化もしているにもかかわらず局全体でアニメーションをコンテンツとして盛り上げていこうっていうあまりスタンスが見えないんだよなあ、トレンディドラマとバラエティと音楽がやっぱり上位でアニメーションはその下だと見做されているんだろうか。そんな局に預けたいと思える映画会社とか制作会社もいないだろう。だから細田守監督も新海誠監督も持って行かれてしまうのか? いずれ湯浅政明監督も? そうならないための頑張りを。今だからこそ。

 そして、Z会のCM「クロスロード」が丸撮りできたのがちょっと嬉しかった新海誠監督の「君の名は。」のテレビ初放送。ついでにソフトバンクの白戸家までもが入れ替わりを連発させるCMを流してスポンサーも含めて盛り上がっていこうって雰囲気が出ていて面白かった。視聴率がそれだけ確保できると思えばスポンサーだっていろいろ冒険できて、それが話題となって注目を集めるという良いスパイラス。それが描ける作品だってことなんだろう。そしてテレビというウインドウで改めて見ていろいろと伏線を張り巡らせているんだなあと分かったというか、構成も考えられているんだなあと思ったというか、興味を誘ってそれをこねくりまわさず次へとつないでいったい何が起こるんだと前半は引っ張り、そして入れ替わりがなくなってからの衝撃の公表と、それをどう突破していくかという探求がクライマックスまで観る人を連れて行く。

 おっぱいもみもみだとかいった青春系ギャグも後半はなしにしてシリアスな中に登場人物たちの懸命さを入れそして待望の出会いをようやく入れて安心をさせそこからさあ走るんだと背中を押す怒濤の展開。けどすべてが一段落した後でいったん、リセットされたかのような静謐を入れてそのまま終わってしまうのかと思わせて、最後の最後で出会いを入れてそこからうっすらとした記憶を蘇らせて、出会いでもってすべてを締めくくるという究極の1点で終わってのける。

 そんな構成が安心と喜びを誘ってさて、いったい何が起こっていたんだろうと改めて見たがるリピーターを生んみ、この1点でホッとしたいがために劇場へと足を運ぶリピーターを生み、おっぱいもみもみシーンとかおっぱいゆれゆれシーンとか自転車こぎこぎパンチラとかを目にしたいという特殊な人も誘って盛り上がったことが、あれだけの成績につながったって理解で良いのかな。あれだけ見られて視聴率17.4%はとても立派。映画の記憶が薄れた1年後とか2年後にさらに数字をたたき出せれば、テレビ朝日にとてのジブリか細田守作品になれるだろう。とはいえそれだけの作品がまだ1本というのが悩ましいところ。「秒速5センチメートル」ではやはり寂しさに胸焦がす人が多いから、あと1本くらい数十億円の映画を作ってブランドを浸透させて欲しいもの。その意味でも次に作る作品が楽しみ。

 東京国際大学の走者として箱根駅伝を走った30歳の元社会人は5000メートルの元日本代表として世界選手権に出たこともあるトップアスリート。とはいえ選手生命はいつまでも続くものではなく、指導者になるべく大学に入り直してそこで陸上部に所属して走ってしっかり箱根駅伝の選手になってしまうんだからやっぱり才能は衰えないってことなんだろう。「アルバイト禁止のため、奨学金と社会人時代の貯金を切り崩して生活費にあてる。3、4年生とは休日に飲みに行き、恋愛話に付き合う。『申し訳ないが、ワリカンです』」と話していて、貯金があるならそれすらない学生に奢ってあげてよと思ったりもしたけれど、親の仕送りと奨学金で暮らせる学生の方が生活かかってない分、お金を自由に使えるのかもしれない。社会人って辛いなあ。

 最初の電撃小説大賞受賞作で一応の“完結”を見ている感じで、そこへと至る展開を描いて果たして面白いんだろうかと棚上げしてあった安里アサトさんによる「86」の「Ep.2」と「Ep.3」をまとめ読み。共和国が作り出した、無人機と称された有人機に差別され人権を剥奪された民族の人間たちが乗せられ迫る機械兵を相手に戦い次々と散っていく中で、どうにか生き延びていた部隊が割と人権意識の発達した女性指揮官の下で戦いそして生き延び脱出を果たしてしばらくたって、共和国がその悪政から滅びた中を生き延びた女性指揮官がかつての部下と再会したのが第1巻のエンディング。その離別から再会までをシンらエイティシックスたちが何をしていたかが第2巻と第3巻で綴られる。

 レギオンを生み出したギアーデ帝国から政権を奪取したギアーデ連邦へとたどり着いたシンらはそこで歓待されつつやっぱり戦うことしか出来ないと戦場へ戻り、レギオンの声を聞くことができるシンの異能としそて圧倒的なマシンの操縦技術でギアーデ連邦にとって欠かせない戦力となっていく。そういった境遇をさいしょに彼等を引きつけた暫定大統領としては決して望んでいなかったし、他の軍人たちも疑いはしたもののそれでも戦場で死なせることを是とした訳ではないところに、残された人道めいたものを感じ取る。それでも戦場へと戻りたがるシンたちに業を煮やし憤り好機とも思って送り出し、決戦への切り札に抜擢したことを内心ではいろいろ悩んでいる雰囲気もあって、戦いの中で誰もが非人道になる訳ではないことを教えられつつ、それでもそれしか道がなければ戦うことを選ぶ少年兵たちの心境の残酷さに思い至る。

 戦場の残酷さであり少年兵たちの境遇のどうしようもない閉塞感を感じさせる展開。一方で巨大なレールガンを列車にのって運び撃ち出し人類の生存権を脅かそうとするレギオンの兵力の凄まじさ、そのアイデアのユニークさに驚かされることしきり。本来だったら寿命が尽きて壊れるはずだったレギオンが、どこで人の脳髄を取り入れ思考を得て作戦を立て攻撃するようになったのか、その分岐点も気になりつつそうなってしまった人工兵器たちを相手に永遠とも言える戦いを続けなくてはならない人類に、本当に勝ち目はあるのかといった不安も増してくる。再開は終わりではなくて始まりだった以上、続く第4巻から滅亡しか見えない人類が起死回生を得るための作戦と、技術力の凄さって奴を見せてくれると思いたい。レーナとシンのコンビ再結成がその鍵になるのかどうか。気になるなあ。

 営業的にライトになっていたのは3年くらい前の話で、今はもうマジモンしか生き残れないようになっている、その一例というか、県民経済計算という全国的に統一された基準があるとして、その下にぶら下げられた米軍基地からの収入と、観光収入で米軍からの収入は経費がさっ引かれているにもかかわらず、観光収入は経費がはいったままでそれは県民経済計算の基準からはずれたもので、それを乗せることで沖縄県は米軍基地からの収入との格差を広げて米軍基地イラネ説を後押ししているのだだと訴えている記事があったりする。でも、そもそも参考資料「以下は、『県民経済計算』とは別途作成・推計したものであり、参考資料として掲載します」といった但し書きの下で掲載されていて、最初から県民経済統計とは関係なかったりする。

 そして米軍基地からの収入は記事でも「米軍雇用者所得と軍用地料などの合計で、もともと経費はかからない」と指摘されているもので、なるほど県民経済計算のルールには沿っているけれど、だからといって観光収入のように経費を上乗せしようにもできない。だから県民経済計算という枠組みから外れてそれを並べれば、十分に比べ得る数字であるにもかかわらず、無理矢理に県民経済計算という基準を引っ張ってきてそれにあてはめ観光収入は基準とズレている、それは反米反基地を目的としたものだと誘導してのけている。好きだなあとは思うけど、そこまで鵜の目鷹の目であら探しまでしてこういう記事を書いて「反米」だの「反基地」だのといったレッテルを沖縄に貼って非難の矛先を向けようとするあたりに、書き手のそうしなければ媒体の中で生き残れないのだというプレッシャーみたいなものを感じてやれやれと思うのだった。やれやれ。


【1月3日】 イ・ボミ選手が参加していたゴルフのゲームでしつこく語尾に「セヨ」を付ける石橋貴明さんが鬱陶しくて仕方がなかったけれど、それを窘める人が周囲にもういないことがとんねるずというコンビが置かれた、あるいは祭り上げられた場所の果てしない高さとそして世間の雰囲気との断絶ぶりを表している気がした「夢対決2018 とんねるずのスポーツ王は俺だ!!5時間スペシャル」。たとえばそれが中国人選手だったら語尾にしつこく「アルヨ」と付けるのかって話でもあって、出自にかかわる特性を本人がそういった振る舞いをしていないにも関わらずあげつらい、なおかつ現実とは乖離してカリカチュアライズされた表現でもってぶつけるのはハラスメントでありレイシズムなんじゃなかろーか。

 別の番組ではダウンタウンの浜田雅功さんが、黒人俳優になりきったからという体裁で顔を黒塗りにしていたのを咎められてちょっとした騒動になている。だとしたら日本人は、あるいは白人はリスペクトする黒人の扮装はできないのかといった懐疑も生んでいたりするけれど、歴史の中で黒塗りという行為がどういったシチュエーションから生み出され、それがどういった指摘を受けて排除されてきたかを勘案した時、何の衒いもなくやって良いものとは言えなくなってしまっている。そこをだから踏み間違えて起こった騒動。石橋さんの韓国人的語尾の押しつけもそれにならってもっと指摘されなくちゃいけないんだけれど、この国における彼の国へのヘイト感情はそうした行為をあまり咎め立てしないところがあって悩ましい。困ったものだ。

 そこ以外はとんねるずの番組をほとんどまったく見なくなった身にとって、唯一見ていてあまりストレスを感じないのがこの「スポーツ王」。それは登場する選手たちの誰もが一流のアスリートで、とんねるずといえども相手をリスペクトせざるをえず、一方で相手も芸能界的な先輩としてとんねるずに対してあこがれと敬意をもって接していることもあって、関係に対等さがあって嗜虐的な部分が感じられないからかもしれない。どちらかといえば上に対する叛逆であり、下に対するイジりでもって笑いを誘うタイプのコンビだけに、それが苦痛で普段は見なくなってしまっていた。そうではない「スポーツ王」にあって、だからこそ「セヨ」みたいなイジりはして欲しくなかった。イ・ボミさんも1度も自分から語尾に「セヨ」を付けて何か返すことをしなかったのは矜持か。それを分かって欲しかったし、周囲も察して欲しかったなあ。残念。

 新海誠監督の「言の葉の庭」と「雲の向こう、約束の場所」が放送されていたけれど、どっちも見たことがあるんでリアルタイムでは見ずに寝て起きてさあどこへ行こうかと考えて、年末にかけて週末に用事が重なってついぞいけなかった「Just Because!」の現場を見てこようと総武線快速から横須賀線へと入って大船まで行き湘南モノレールで湘南深沢駅へ。基本的に1本の軌道にぶら下がって走るモノレールが1つのプラットフォームの左右に分かれてすれ違えるようになった駅は、「Just Because!」の中で両脇にモノレールがとまった構図でメインビジュアルになっている。その場所に立って眺めて周囲を見渡し、泉瑛太や夏目美緒といった面々が住んでいた場所の空気ってものを感じ取る。

 ごくごく普通の住宅街で、それも平地ではなく結構起伏が激しい丘陵地帯が削られることなく段差も含めて宅地にされて家々がびっしりと並んでいる。ところどこころは空き地にもなっているけれど、僕が生まれ育った名古屋近郊ではあまり見られない住宅の並び方。というか、東京での就職先を探して何度か上京していた際、新幹線が横浜手前あたりから通る時の光景を眺めて、よくもまあここまで住宅を密集させたと思っていたけど、それがずっと続いているといった感じ。削るには山が高くかといって居住地にしない訳にはいかない状況が、こうした開発と浸透を生んだのかも知れない。そういった研究はないのかな。ともあれそうした都心とは違った起伏を持った、かといって田舎でもない環境で育った少年少女だからこその、擦れてないひたむきさってのがあったのかもしれない。適当な推理だけれど。

 それにしても湘南モノレールの上がったり下がったりして進む様はまるでジェットコースター。1本の道路の上にかぶさるように作られた軌道にぶら下がって進んでいくのを乗って眺めているだけで、簡単なアトラクションを楽しんでいるような気になれる。結構な速度で進んできてはグッと下がってくる様を下から見たら、身に迫ってくる感じが結構迫力ありそう。そんな湘南モノレールで湘南江の島まで到着して、そこから歩いて江ノ島へ。せっかくだからと江島神社にそれなりに並んで参拝し、江ノ島弁財天に美しさをいつまでも保てますようにとお願いをしてそこで「Just Because!」的な湘南藤沢江ノ島近辺の探索は終わり。ものはついでと「きみの声をとどけたい」の舞台めぐりもしたかったけれど寒いし江ノ電とか混んでそうだったんでそれはまたいつか。やっぱり夏に感じたいし。とはいえ下北沢トリウッドで上映も始まったし、それを見て気を誘われたら行ってこよう。

 大手町へと戻ってきたちょっと前くらいに箱根駅伝は青山学院大学が復路優勝となって総合でも優勝して4連覇を飾ったとか。それは初ではなく過去にいくつかあったらしいってことだけれど、陸上だとかスポーツといったイメージのあまりわかない青山学院大学がこれだけの強豪になったのはやっぱり原晋監督の指導力のたまものってことになるんだろう。箱根駅伝には出られない中京大学に進んでそして中国電力といった檜舞台とは外れたところを進んできた感じだけれど、伝統校だとか学閥といったものに縛られないで優れた選手を集めしっかりとしたコーチングを行ってきたことがあるいは積み重なって今の躍進へと結びついたのかも。とはいえこうも強いとそれが伝統となって身を縛るのも世の常。そのあたりを当人がどこまで理解しているか、それともやっぱり天狗になってしまっているかがこれから見極められそう。それよりやっぱり出身者からオリンピックのメダリストを出して箱根駅伝不要論を叩きつぶして欲しいなあ。出来なければやっぱりそうだってことな訳で。うん。

 年間で87冊を手掛けたライトノベルの編集者ってのが新聞記事にとりあげられていたけれど、そのレーベルがほとんどにおいて小説投稿サイトから引っ張ってきての書籍化だったりするところにどうにも釈然としないというか、もやもやとした思いを浮かべるというか。書きたい人がいっぱいいて書かれたものがいっぱいあるならそれをさっと眺めて人気のあるものを上から順に書籍化すれば良いってだけのことなのか。いやいやそれではやっぱり読み手として引っかかるところもあるから直して整えるアドバイスを送っているはずなのか。そうした事情がちょっと見えないけれど、どこかにある才能を見つけ出しては鍛え直して世に送り出し、その作品力で世に認めさせるような仕事こそが編集者っていった古いアタマの持ち主には、入れ食いの釣り堀で釣りをしているだけに見えてしまうスタンスはやっぱり気になってしまうのだった。それで売れるんだからそれで良いのか違うのか。なろう発エブリスタ発カクヨム発で面白い小説をいっぱい読んでベストにも選んだりした身としては、やっぱりそうした変化も認めていくしかないんだろうなあ。


  【1月2日】 ふと真夜中明け方に目が覚めてテレビを見たら新海誠監督の「星を追う子ども」が放送されていたのでそのまま見入る。録画はしてあったけれども見始めるとこれがやっぱり気になってしまう。地底世界のアガルタを旅して死んだ人を蘇らせることができるフィニス・テラへとたどり着こうとしている場面、ぽっかりと開いた穴へと降りる断崖絶壁を明日菜っていう少女にもいっしょに降りるんだと言う先生にそりゃ無理でしょと突っ込みたくなったけど、死んだ奥さんを蘇らせたい気持ちでいっぱいの先生にとって、目的が同じ明日菜なら自分と同様に危険な場所だって降りていけると思ったのかも。それなら仕方がない。

 ただやっぱり吹き上げられれば身体が浮いてしまうような場所を少女が降りられるはずもなく断念。だったらと降りていった先生が手を滑らせて断崖絶壁をまっしぐら、かと思ったら途中の棚に身体を打ち付け止まったあたりにやっぱり先生でも無茶じゃんと思った次第。そんな一行も帰りはどこかの通路をたどって地上へと戻ったのかどうなのか。降りるより大変そうなのにちゃんと戻っていたから気になった。ケツァルトルの腹に入って落下した時のようなズルは出来ないから。

 見終わってやっぱりこの作品があったからこそ広がる地平の空の様子とかも描けたし、ジブリみたいな絵と言われてもその水準でアニメーションを作りきるメソッドを得たと言えそう。無駄ではなくステップとして新海誠監督のフィルモグラフィに刻まれているし、作品単体として見ても自分に嫌気を覚えてしまいがちな思春期の少女に自分を見つめ直す機会を与え、世をすねている中年男に今一度自分が生きている現実を思い知らせる意味を感じさせた物語なんだと言えるんじゃなかろーか。「君の名は。」でもって改めて世に多く知られた新海誠監督の技量を、決してヒットしたとはいえない「星を追う子ども」に触れることで改めて感じる世代がいることにも期待。そしてまた、こうしたファンタジーを作ってくれることにも。それをやれてこそのジブリの後継者だと思うから。

 もはや恒例となった埼玉県は鷲宮神社への初詣へと早朝に出立、といっても去年よりは1時間くらい遅かったんで参道に行列を心配したけど、いろいろと落ち着いたのが午前7時半過ぎあたりであまり並んでいる人はおらず、すんなりと本殿にお参りできておみくじも頂きお札も買って離脱できた。絵馬もぎっしりではなく半分はおみくじを結ぶ場所に。それでもしっかりと「らき☆すた」とかアニメーションがらみの絵馬を残していく人はいるから、今もってそうした“聖地”として信奉されているんだろう。僕みたいにわざわざ千葉からお参りに行く人もいるし。お札買っちゃってるから収めにいかないと始まらないってこともあるけれど。

 離脱してからさあ何処へ行くかと考えで、やっぱりこちらも年中行事の中川法華経寺にある鬼子母神へと参拝する。別に日蓮宗ではないけれど鬼子母神は厄除けの霊験あらたかで、前厄本厄後厄の3年間をここでご祈祷してもらったら以後、10年以上を個人的には無病息災で過ごしてこられた。会社は傾きそして今は親会社も含めて傾きかけているけれど、それは外部の環境であって個人の厄とは関係ないこと、だと思うけれども違うかもしれないけれど、それでも身体が丈夫ならどうにでもなるので今年も鬼子母神にお参りをして無病息災をお願い。来年もまた行けることを臨みたい。それにしても参道の屋台、減ったなあ、前は門を過ぎてずらっと並んでいたのになあ。

 下総中山のマクドナルドでしばらく過ごしてから、残る1日をどう過ごそうかと考えてここはやっぱり門前仲町にある富岡八幡宮を見ておかなくちゃと西船橋から東西線で門前仲町へ。地下鉄から地上へ出ようとする段階で屋台の良い匂いが漂ってきて何だ賑わっているかと地上にあがったら同じ門前仲町でも深川不動堂の賑わいだった。なるほどほとんど隣り合わせで存在する2つの大きなお寺と神社。もしも深川不動堂がなかったらちょっと大変なことになっていたかもしれないなあ、この近所。永代通りに面してずらりと歩道に屋台も並ぶくらいの門前町なだけに、事件の影響が出て富岡八幡宮への参拝客が10分の1になったらどれも売上あがったりだったかも。

 その富岡八幡宮だけれど見たところでちゃんと参拝客もいたし参道にも屋台が出て賑わってはいた。でもこれで少ない少ないという人の声も聞こえてきたから、正月三が日は普通はもっと大勢の人で賑わっていたんだろう。どうして来なくなったのか。大変な事件のあとで穢れがどうこうってこともあったのかもしれないけれど、境内の外だし神社の御神体が人間風情の振る舞いで揺るぐとも思えない。むしろ飲み込み御利益に変えてくれるんじゃなかろーか。ってか過去にだって境内で将軍が暗殺された鶴岡八幡宮とか、僧兵僧侶のことごとくが惨殺された比叡山延暦寺にだって初詣の参拝客は大勢いる。僧侶が焼身自殺した跡地にたつ金閣だって見物客が絶えないのだから事件は事件として置き、信仰と霊験はしっかりと保たれると思う方が日本という国の場合は良いのかも。あとはしっかり跡継ぎが運営をしていってくれれば。夏の深川八幡祭りの時にまた行こう。

 箱根駅伝が始まったみたいで青山学院大学の4連覇かそれとも他に大学がリベンジかといった噂で持ちきりだけれど、そんな箱根駅伝での喧噪を逃れて高校から実業団の住友電工へと進んでニューイヤー駅伝を走り第1区で区間賞をとった遠藤日向選手の目的意識の高さに少し感銘を覚えている。1500メートルとか5000メートルとか1万メートルでの五輪での活躍を狙って自分を鍛えるには箱根駅伝は遠回り。あそこを走っても20キロでベストのタイムを出してそして誰とも競わない中で黙々と走る術を得られるだけでは激しい競争が予測される五輪のトラックは走れないと考えたんだろう。

 厳しい箱根を逃げたというならそれは違って、出ればきっと区間賞級の走りは見せられた。それが証拠にニューイヤー駅伝の1区を競った面々は、箱根駅伝で市場唯一、学連選抜メンバーとして4年連続の箱根出場を果たした梶原有高選手であり、東洋大で優勝を経験した服部弾馬選手であり、青山学院大学を主将として箱根駅伝初優勝に導き区間賞までもぎとった藤川拓也選手といったところ。いずれ劣らぬ期待の星と競り合っては2位と1秒差でゴールに飛びこんだその競り合いの経験は、これからの競技者人生でもきっと役に立つだろう。そのベスト記録は世界とは1分近くあるし未だ国内最高ではないけれど、鍛えられることで伸びればあるいは五輪でそれなりの成績は残せるかも。そんなサクセスが箱根駅伝不要論を後押しするかそれともやっぱり必要とされるか。遠藤選手の走りの行方が大きく左右しそう。注目だ。

 とある媒体の論説委員長からしてこれでそうたものかと思ったりした元旦。「沖縄市で車6台による多重交通事故が発生し、負傷した日本人を助けようとした米海兵隊曹長、ヘクター・トルヒーヨさん(44)が後続車にはねられてから、1カ月がたった」という書き出しで、1年の計とばかりにつづったコラムなんだけれど、意識不明の重体となったトルヒーヨさんを見舞ってお金が寄せられているといった話を紹介しつつ、「出勤途上だったトルヒーヨさんは高速道路での事故を見過ごすこともできただろう。仲間を見捨てない海兵隊の精神が彼をそうさせず、車を降りて日本人の安否を確かめた」なんてことを書いてあるからそれはちょっとどうなのかと。

 トルヒーヨさんは出勤途中に自分も絡んだ事故を起こしたからそこに止まったんであって、事故を見過ごすことができたどころか半ば当事者であって見過ごしたらそれこそ問題だった。そこではねられたのは気の毒だけれど、いつかの大久保駅で線路に落ちた人を助けようとして亡くなられた人のようなまったくの無関係な人ではない。そういったことを書かないのか書けないのか知らないのか。たぶん知らないんだろうなあ、自分のところの媒体だけ読んでいると、いかにも英雄的な人間として祭り上げられてしまっているから。本当に視野が狭いか狭い人たちのためにわざと狭くしているか。それだと売れ行きもどんどん狭くなるんだけれど。やれやれ。


【1月1日】 高円寺で「算法少女」を見てから戻って駅前の松屋で牛めしを食べていたので紅白歌合戦には間に合わず、欅坂46が激しいパフォーマンスの果てに過呼吸で倒れたとか、とても情緒的な場所から中継するんじゃないかと思われていた安室奈美恵さんが普通にどこかのスタジオから中継していたとかって話はまるで知らず、PerfumeのARとMRを使ったパフォーマンスは気にはなったけれどもまあいつものライゾマティクスだろうなあと考えつつ行く年来る年、あけましておめでとうございますなのだ。

 という訳で早速カウントダウンTVの中に登場したどうぶつビスケッツ+かばん×PPPによる「ようこそジャパリパーク」を見てちゃんとかばんも混ぜていること、そして背後にたつき監督によるアニメーション「けものフレンズ」が流れたことを言祝ぎつつ、だったらどうして年末のニコニコ生放送にかばんじゃなくミライさんが出たんだろうといった謎にも頭をひねりつつ今年も活躍していってくれることを静かに願う。彼女たちが活躍してくれないと「けものフレンズ」は忘れ去られ、そしていつかまたたつき監督による物語の続きが紡がれる時が来るのが永遠になくなってしまうから。

 継続のためには応援したいけれどそれで排除が定着してしまうと拙いから応援しづらいけれど、だからといって応援しなければ終わってしまうから応援しなくちゃいけない矛盾した気持ち。どこに重心を置けば良いのか未だに分からないものの、とりあえずはやるだけのことはやっていこうと決意した元旦であった。そういえば年末の番組でテレビ東京のプロデューサーがいろいろと話していたらしい。ビジネスとしてはやっぱりたつき監督によるアニメーションが良いという話だけれど、それが出来ない謎があり、そこを突き詰めると個人攻撃になてしまうといった言葉はつまり1点へと向かうか否か。徐々に外堀は埋められているけど本丸は強固だからなあ。兵糧攻めでも落ちない感じ。どうなるこの先。

 起きたら言い時間だったんで支度をして池袋へと廻ってパルコにあるエヴァンゲリオンストアで恒例の福袋。Tシャツとかの衣類を抜いてパーカーだけLサイズ共通で放り込んであとはグッズとなった感じで値段も8000円とお手頃。パーカー目当てでも十分だけれど今年は背中にでっかくネルフのロゴが入っていてちょっと格好いい。そして買った袋にはエヴァンゲリオンの初号機のフィギュアとかトートバッグどかが入っていていろいろと実用に耐えそう。クッションが碇シンジだったのは残念だけれどまあ、そこは使っていれば同じだから気にしない。RADIO EVAは今年は1万円くらいで整理券もらえば当たりそうだったけれど、着そうもない服とかもらっても仕方がないから今年も遠慮。でも頭っていたら買うかも。明日またのぞいてみるか。

 地下のニコニコ本社が鏡音リン・レンとのコラボをやっていたんでちょっとだけ滞在。「ココロ」のコーラを頂く。といってもどこが「ココロ」なのかはちょっと不明だった。中継ブースはプラレールが積んであるだけで誰かゲストが来て喋る感じもなかったんですぐに退散。イベントが目白押しとかじゃないニコニコ本社の状況が、今の生主たちの停滞とかニコニコ初のコンテンツとかトレンドの不足を象徴しているような気がする。生主がユーチューバーへと変わって定着してしまった感じ。これをひっくり返すのは辛いだろうなあ。まだ音楽とかは一日の長があるんでそこをしっかり確保しつつ次を狙って欲しいもの。そうでなければカドカワ、明日はなかなか大変だから。

 ギアが1段上がったというか、歯車がガチャリとかみ合ったというか、そんな印象を抱いた人もきっと大勢いただろう。市川春子さんによる「宝石の国」のシリーズは、海へと没した生命に微生物が入り込むことによって無機物の結晶となり、それが集まって意識を得て人の形となって立ち上がり、それぞれが宝石や鉱物の名前を得てそして先生と呼ばれる僧侶のような恰好をした者の下につき、ある者は手に武器を持って月から来る者たちを相手に戦いある者は日々を記録する仕事についていた、そんな構図の中でどこかギムナジウムのような場所で戯れ合う美形そろいの少年といったビジョンで、読む人を楽しませてくれていた。

 そうした中にあってどこか落ちこぼれの感があるフォスフォフィライトは、弱さゆえに月人との戦闘には出られず記録をすることを命じられていたものの、月からやって来た海のようななめくじのような不思議な軟体動物によって飲み込まれ、吐き出され連れられて海へと言って足を奪われ軟体動物の殻を与えられたりして地上へと戻り、その後も両手を失って金と白金の合金に置き換えられるうちにだんだんと強さを発揮するようになる。そうした中でフォスフォフィライトは先生が月人のことを知っているのではないかといった疑問を抱き、真相を知ろうとした矢先に今度は首を失い、ラピス・ラズリの首をもらい受ける形で復活を遂げる。

 そこまでが第6巻から第7巻にかけて描かれたストーリー。フォスフォフィライトが含有しているインクルージョンという微生物の能力が他の鉱物との融合を容易にしているといった設定が強く出て身体の多くを他の鉱物と置き換えられながらもフォスフォフィライトとしての意識を継続しているところが少し不思議。だからこそ先生と月人との関係を疑う気持ちも保持されて、やはり月へと行って確かめなくてはといった思いにかられてそれを決行してしまう。先生を信じ宝石たちをさらって月へと連れて行く月人たちと戦うのが使命という、与えられた定式に疑問を抱いて自分から踏み越えてしまえるフォスフォフィライトの好奇心の強さはその性質なのか、元より出自に少し変わったところがあったのかが気にかかる。

 第8巻、月へと乗り込んで見た月人たちの日常と、そして王子とよばれる存在との対話によってフォスフォフィライトは先生の正体を知り、その存在意義を聞かされ、月人たちが何者かも教えられて自分たちはいったい何をすべきなのかを迷う。文明が栄え人類が繁栄していた地上がいったん滅亡して後、肉と骨を地上に残して昇天した魂が先へとゆけず迷っているのを祈りによって解き放つ。それが先生に与えられた使命。けれどもそれを忘れてしまったか、拒否したかで祈らなくなった先生を刺激するために月人たちは宝石たちをさらい月へと連れ帰り、飼い犬に似た者を送り込み自らを作り出した博士の偽物を見せたりもする。

 アクセサリーにするためなんかじゃない、自分たちの行く末を開こうとして懸命だった月人たちの宝石狩りの意図を知り、どうすればそれがやむかも知ったフォスフォフィライトは動き出す。宝石たちがいて月人がいて海に軟体動物たちがいたりする世界観に説明がつけられ、宝石たちと月人たちとの永遠ともいえる時間続けられてきた戦いに理由が示されて作品世界のフェーズが1段上がったとも、ガチャリと歯車が廻って次のからくりを動かし始めたとも言えそうな第7巻と第8巻。その巻末でフォスフォフィライトや一部の宝石たちが決断して動き始める。

 先に待つのは融和は、それとも対立か。寂しさを自覚すらしない先生が本来の役目を取り戻すのかそれとも永遠の戦いを続けるのか。遠い未来のとてつもなく進化してしまった人類の姿を描きその先を示そうとするSFとしてのビジョンを本格的に見せ始めた「宝石の国」の結末がますます楽しみになって来た。そうしたビジョンが超絶的な動きと造形を持ったアニメーションによって描かれる時を願いつつ、これから先の作品としての進展、コンテンツとしての展開を見守っていこう。

 企画する方も企画する方なら引き受ける方も引き受ける方というか。とある新聞の新春企画が晴れ着姿の女性論客たちとやらと安倍総理との対談で、女性だからと晴れ着を着せて対談に臨ませるという立ち居振る舞いが公平性なんかを尊ばれるジャーナリズムの世界でどこか居心地が悪いし、そこに並んだ女性論客の名前がまた偏っているというか、地元のコミュニティFMでやっている番組の内容が誹謗中傷の類にあたるからと是正を求められていた人がいたり、気象予報士だった人がいたりして、そうした人と合って一国の総理大臣として大丈夫なのかという疑問があり、また合って何を話すのかといった不思議が浮かぶ。結果として褒められてニマつくとかそんな感じ。自分を悪く言わない微温に浸かっているだけで、この国をまっとうに引っ張っていけるかがやっぱり不安になってきた。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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