2019年 幸多き一年にしたいものですね!
子どもには自由で平和な、子どもらしく過ごせる少年時代を、そしてどの世代にもいのちと人権を奪われない / 奪わない社会に!したいものです。
昨年(2018年)1月の右肺・大細胞神経内分泌癌の手術とその後のリンパ節の転移で毎月一度の抗癌剤治療を、特発性間質性肺炎の悪化を懸念しつつ続行。食事療法や日々の運動や講演・講義・執筆のお陰で免疫力をキープできているようです。体調と相談しつつ慎重になりすぎず、時代や他者の求めにも応じつつ生きがいを求め続ける道を、皆様のご支援を頂きながら本年もさらに模索していきたいと思っています。
徳島の母親大会(第50回2010年)で御世話になった日下さんは度島CAPの代表をしています。年末に彼女から20周年記念通信の原稿を依頼され、下記のような稿を送りました。
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ボクたち子どもも幸福追求権の主体者=つながり合ってハッピーに生きようぜ!
金森 俊朗(いしかわ県民教育文化センター理事長)
私は、現代っ子であっても、大人が思っている以上に強く原始性・野生・動物性(以下、原始性)を心身の奥に秘めていると思っています。それが発揮されたのが、例えば3.11東日本大震災の時でした。雄勝小学校は、海岸線から奥へ250メートル、標高24メートルの地点にあります。
【街の中心を流れる大原川とその脇を通る道路沿いに黒い津波が逆流し、家屋や電信柱を壊しながら迫ってきた。その光景を見て、「ここじゃあぶない!もっと上に上がって!後ろは見ないで!」と、子どもたちには津波を見せないように前だけを向いて歩くように声をかけ続けた。藤坂教諭は、「もしかして死ぬかもしれない!」という恐怖感を抱きながらも、学校の裏山の神社からより高い所を求め、山道を登り避難したという。その山道の山頂につくと一緒に避難してきた消防団員から「さらに歩いて山の裏側にある清掃工場に避難するように」との提案を受け、雪がしんしんと降り続け、あたりも暗くなって足下がよく見えなくなっていた山道を小学生(低学年はすでに下校していたが、スクールバスを待つ一部の低学年と高学年の子どもたち50数人)と共にさらに歩き続けた。避難する集団の中には、学校の子どもたちと保護者の他に、昼寝中だった雄勝保育所の幼児たち10数名がパジャマ姿で泣かずに歩き続けていた。山道を歩けない年寄りもいて、若い教職員が交代で背負い、七時間かけて全員が清掃工場に避難することができたという。(略)寝付けない子どもたちは、翌週歌う予定になっていた卒業式の合唱曲を歌っていた。歌いながら励まし合っているように聞こえたという。大人たちもその歌に励まされていた。】(『子どもの命は守られたのか』数見隆生編著かもがわ出版p92)
この時はもちろんその前後も飲まず食わずに、パジャマ姿の薄着の保育園児、小学校低学年の子どもたちがおそらく7時間歩き続けているのです。そして眠れない夜を愚痴るどころか合唱しながら自分を、そして互いの仲間を、さらに共に辛い思いを背負っている避難者を励ましているのです。このような子どもたちの「底力」とも言うべき行動を記した文章は、『つなみ 被災地のこども80人の作文集』(『文藝春秋』八月臨時増刊号)に数多く見いだすことができます。
これらを読むと、三年生の教科書にも載っている、斎藤隆介作・滝平二郎絵『モチモチの木』の絵本を思い出します。大変臆病な豆太は、二人きりで暮らすじさま(爺様)が急病のため、凍てついた怖い夜道を裸足で血だらけになって駆けつけ医師を呼ぶ。豆太は年老いた医者の背中で、勇気のある人間だけが見ることができる夜空に光るモチモチの木を見たという物語です。ここぞという極限状況で発揮される優しさが生み出す勇気、大切な人を守り抜く強さが主題になっています。この絵本の主題と私の言う「心身の奥に秘められた原始性」とは全く同じではありませんが、土台にそれらがあると思っています。それは過酷な条件の中でも生き抜くことができる逞しい心身の力、生活意欲、命の危険を察知・予知し危険を乗りこえ避ける力などと言ってもいいでしょう。
私の教育実践で「目玉」と称される数時間に及ぶ「どしゃぶりどろんこ」などの学習は、原始性を爆発的に楽しみ、生きている充実感とボディコミュニケーションを教育・学校の場で保障したものです。それらの基礎=基底の上に、子ども自ら学びを進める教科学習と自主・自治の力を育む多彩な活動を展開します。その代表的な実践は、豊饒の海は主として広葉樹の森から流れ出る栄養たっぷりの水によって育まれることを、気仙沼の畠山重篤氏を招いた学びや気仙沼の漁師や石川の林業従事者を訪問したりして調べ発表・交流して明らかにして、ついに石川の白山麓に大がかりな植樹を成功させたものです。(拙稿「子どもとともに学び、生きるって、幸せ!」『子どもにかかわる仕事』汐見稔幸編岩波ジュニア新書所収)
今、子ども達は、行政によって強力に進められている学力テストによる競争と序列に、そしてスタンダートによる統制と管理に、さらに道徳の教科化によって、余りにも自由と主体性と幸福追求権を奪われ、一方的に教え込まれる隷属的な存在として扱われています。それは、1947年に施行された教育基本法第1条「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、・・・自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」や憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利の権利については、・・・立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」に明確に反しています。子どもを権利行使の主体者として捉えることは今、強く求められていることです。
この点でCAPは非常に明確に子どもを権利主体者として捉え、「・・・人権意識を育てると同時に、いじめや虐待・誘惑などの様々な暴力から、子ども自身が自分を守るための知識や技能を身につけるためのプログラム」を長年展開しています。私は子どもと共に「つながり合ってハッピーに生きようぜ!」を学ぶ目標にしてきました。それは、子どもも私も幸福追求権の主体者であり、教育・学校はその実現を保障する場であるという思想です。
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日下さんから徳島に講師として招きたいので、旅ができるように体を回復させて下さいと言われました。私も再訪を約束した地が幾つかあります。暖かき春になったら何とか旅したい、友に会いたいと切に願っています。
不戦を誓い、個人の尊厳・幸福追求権をうたった憲法を誕生日プレゼントとして共に育ってきた私は、本年4月で73歳になります。よろしくお願いいたします。(2019・1・24)
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