兵庫県の玩具

01. 神戸人形(神戸市)
02. 太福寺の雀巣ごもり(神戸市)
03. 源平合戦ゆかりの玩具(神戸市)
04. 大覚寺の昆布だるま(尼崎市)
05. 有馬温泉の人形筆(神戸市)
06. 城崎温泉の麦藁細工(豊岡市)
07. 稲畑土人形のまがい天神(丹波市)


08. 岩屋神社の布団太鼓(明石市)
09. 大塩の七夕人形(姫路市)
10.
姫路の張子面(姫路市)
11. 姫路の獅子頭と起き上がり(姫路市)
12. 姫路の鉢巻だるま(姫路市)
13. 姫路の三ツ山(姫路市)



01.神戸人形(神戸市)



古くから兵庫は瀬戸内を往来する海上交通の要衝であった。平安末期には平清盛が平氏の拠点である貿易港、大輪田の泊を中心にして福原京の造営を計画している。幕末には国際港として神戸が開港する。モダンな佇まいとエキゾチックな雰囲気は、多くの外国人が居留し、外国艦船が出入りしたことによるものだろう。神戸人形は、明治のころ神戸にやってきた黒人船員の印象と淡路人形のからくり仕掛けにヒントを得て作られたとも伝わる。もっぱら外国人や観光客目当てに売られたが、幾度となく衰退と復活を繰り返した。戦後は人種差別を危惧するGHQの御達しで、販売中止に追い込まれたこともあったらしい。写真の人形は、箱のハンドルを回すと西瓜を切って食べる動作をする。他にも酒飲み、鼓打ち、木魚たたき、琵琶弾きなど多くの種類がある。高さ10㎝。(H26.7.22)

02.太福寺の雀巣ごもり(神戸市)



聖徳太子が3歳のみぎり疱瘡に罹り、当地の滝に打たれて平癒を請願したところ、結願の朝方に観世音菩薩が夢枕に立ち病が癒えたので、ここに太福寺を開基したと伝えられる。前年に男児が生まれた家では211日の太子祭りに詣でて、子供の無病息災や知恵の発達を祈願する。祭の後には檀家総代から「雀の巣ごもり」が1本ずつ配られる。これは、朴(ほう)の木を鎌一挺で刻んだ“削りかけ”秋田14山形10の巣に、つがいの雀をとまらせた珍しいもので、里人の手作りである。巣ごもりは疱瘡除けとして門口に挿しておく。男児の無い家には「はらみ餅」が配られる風習もあるので、巣ごもりには多産、豊穣の願いも込められていると思われる。巣ごもりの鳥は、雀のほか鳩ともセキレイともいう。神戸市内ではこのほか、長田神社から赤鱏(えい)の絵馬水族館08や神鶏01祇園神社から蘇民将来表紙13などが授与されている。雄雀の体長16cm(H26.7.22)

03. 源平合戦ゆかりの玩具(神戸市)



源義経の“鵯(ひよどり)越えの逆落し”で名高い一ノ谷の合戦は、現在の神戸市須磨区で繰り広げられた。平家が陣取った一ノ谷は、後ろが切り立つ崖で前が海、という難攻不落の地である。その崖を義経軍は馬で駆け降り、不意を突かれた平家一門は海上の舟へと逃れる。平家の公達・敦盛も馬で海へ逃げようとすると、源氏の将・熊谷直実に呼び止められる。敦盛の首級をあげた直実は、前夜に耳にした典雅な笛の音の主がこの若武者であったと知り、世のはかなさを感じて出家する。青葉の笛(長さ26㎝)はこの物語に因んだもので、須磨寺や付近の土産物店で売られている。さて、一ノ谷の合戦で敗れた平家は、義経の軍勢に追われ、さらに西へ敗走して屋島(香川県)に至る。那須与一が小舟の上に設えられた扇の的を見事射抜いたのは屋島の合戦である10。与一の墓は神戸市須磨区の妙法寺にあり、それに因んで戦前は土製の与一像が授与されていた。右は30年ほど前に張子で復活した与一像。左は同じく須磨張子の義経兜である。(H26.7.22)

04. 大覚寺の昆布だるま(尼崎市)



節分に授与される昆布の着物を着た厄除けだるま。着物の背中に名前、年齢、干支を書いて身代わりとして奉納する。栞には「倒れても起き上がり喜ぶ(昆布)、良縁に結ばれ(水引)喜ぶ(昆布)」とある。なにしろ本物の昆布のため、カビも生えてボロボロになっていたので、今回新しい昆布にお召替えして撮影した。本体のだるまは関西各地で授与される大阪産の金天だるま京都11滋賀06である。節分には境内で狂言も演じられる。大覚寺は京都壬生寺京都15と同じ律宗の寺院。狂言も壬生寺同様、面を着けて行う無言劇(身振り狂言)である。高さ6㎝。(H26.8.3)

05. 有馬温泉の人形筆(神戸市)



兵庫県を代表する温泉地・有馬と城崎には、それぞれに特色ある温泉土産がある。まずは有馬温泉。すでに日本書紀にその名が見られる日本最古の温泉で、道後や草津とともに古くからの湯治場である。天下統一を成し遂げた豊臣秀吉も、長年のいくさで疲れた体を有馬の湯で癒したといわれる。ここの名産は美しい有馬筆。七色に染めた絹糸を竹の軸に丁寧に巻きつけて、矢羽模様や市松模様を浮き出たせた工芸品というべきものだが、一名“人形筆”とも呼ばれるのは、筆の穂先を下に向けると、軸の頭から可愛い人形がひょっこり現れる仕掛けになっているからである。むかし、手習いの嫌いな若様になんとか習字をさせようと家来が考え出したのが始まりと云われる。郷土玩具愛好家の間では、嵯峨の人形硯、奈良の人形墨奈良05とともに書道の“三珍玩”にたとえられている。長さ22cm。(H26.8.3)

06. 城崎温泉の麦藁細工(豊岡市)



兵庫県北部・但馬地方にある城崎温泉も古い歴史をもつ。街の中央を大谿川が流れ、両岸の枝垂れ柳が川面に影を落とす風情のある温泉地である。東京で電車にはねられて怪我をした志賀直哉が、湯治のためにこの地に逗留した経験をもとに書いた小説が「城崎にて」。城崎の温泉土産には麦藁細工がある。江戸中期、因州の半七というものが湯治に訪れ、宿賃の足しにコマや竹笛に色とりどりの麦藁を貼り付けて売ったのが始まりとされる。一説では伊豆修善寺の麦藁細工水族館19同様、東京大森の技法が当地に伝わったものともいう。材料の麦藁は岡山県や広島県で栽培されていたが、瀬戸内で工業が発達するにつれて生産量が減り、現在では城崎周辺で麦作りが行われている。作品は花指輪(写真)のほか、コマ、手箱、白粉入れ、壁掛けなど。ひところは麦藁を使った動物や人形も作られていたが、今では姿を消した。指輪の直径2cm。(H26.8.3)

07. 稲畑土人形のまがい天神(丹波市)



兵庫県の内陸部、丹波地方には郷土玩具が少ないが、旧氷上町に優品の稲畑土人形がある。江戸時代末期、郷士が京で目にした伏見人形を参考にし、殖産興業を目的に自ら作り始めた。稲畑付近は良質な陶土を産し(隣は丹波焼の篠山)、村人にも農閑期の副業として土人形づくりを奨励したので、最盛期の明治時代には7、8軒ほどが生産するに至ったという。しかし、現在では5代目が1人で制作を続けているのみと聞く。主力は節句飾りの天神で各種ある。「練天神」は土とつなぎの繊維とを練り合わせ、型に入れて抜出し、素焼きせずに乾燥して作る。これに対し、「まがい天神」(写真)は土のみで型抜きし、素焼きして作る。つまり、“まがい”とは上等の練天神に対して“まがいもの“という意味である。兵庫県ではほかに但馬や播磨などにも土人形があったが、いずれも廃絶した。高さ30㎝。(H26.8.3)

08. 岩屋神社の布団太鼓(明石市)



兵庫県西部の播磨地方では、例年10月に入ると連日のように秋祭りが催される。主なものだけでも岩屋神社(明石市)、高砂神社や曽根天満宮(高砂市)、白浜の八幡神社(姫路市)、飾磨の恵美酒宮天満宮(姫路市)などがあり、ところによって神輿の海中渡御も行われる。祭礼の間、人々は神輿の先導に地車(だんじり)を曳き出し、太鼓や鉦を打ち鳴らしながら練り歩く。これらを「太鼓」とか「屋台」と呼び、秋祭りには無くてはならぬ景物になっている。写真は岩屋神社の太鼓を模し、それに神輿の形式を取り入れた玩具。しばらく姿を消していたが、氏子の一人が戦前の書物をもとに復元した。現在は社務所から授与される。なお、同社からは夏祭りに宝舟とオシャタカ舟も授与されている07。高さ11㎝。(H26.8.3)

09. 大塩の七夕人形(姫路市)



七夕行事は地方によりさまざまだが、松本08のように一対の紙雛を飾る風習が、ここ姫路にもある。大塩町の七夕祭りには、娘の嫁ぎ先に初めて子が生まれた年、男の子ならば提灯、女の子ならば七夕人形が実家から贈られる。これらを二本の笹竹に渡した竿竹に吊り下げ、夏の初物(野菜や果物)を供えて祝う表紙46。艶紙を使って手作りする七夕人形(当地では七夕着物と呼ぶ)には、「将来子供が衣装持ちになるように」との祈りが込められている。織姫にあやかり、裁縫や技芸の上達を願って紙製の衣装を笹飾りに吊るす風習は各地にみられ、七夕飾りの古い姿を残すものといえる表紙23。高さ35㎝。(H26.8.8

10. 姫路の張子面(姫路市)



姫路張子は明治2~3年頃、大阪で張子作りの技を習得したものが始めたといわれる。姫路は城下町で商家も多く、反古紙の入手が容易であったことも幸いし、量産された。主力商品は張子面で、種類も80はくだらないという。「松尾の面、姫路面」と呼ばれて、今も全国に販路を持っている。京都の壬生寺では、狂言が執り行われる日に露店で張子面が売られるが、これらの面も最近まで姫路産であった京都15。張子の型は木型が一般的であるが、姫路張子では瓦型(焼型)を使っているのが特徴である。また、急ぎの注文や少数の注文には、焼いていない型(生型)に紙を貼り、柿渋を塗って使うなど、手間を省き早く納品する工夫もしている。写真は上段左から般若、天狗、黒田官兵衛、下段左から狐と兎。今年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛はご当地生まれ、というわけで早速お面が登場した。兜は有名な「合子形兜(ごうすなりかぶと)」。合子とは蓋の付いたお椀のことである。高さ21㎝。(H26.8.8)

11. 姫路の獅子頭と起き上がり(姫路市)



姫路張子には面以外にも、後ろの紐を引くと口がパクパクする獅子頭、越後獅子や蛸の起き上がり水族館10、だるま、首振り虎などがある。また、平成6年からは干支の張子も作られるようになった。越後獅子新潟12は角兵衛獅子とも呼び、江戸時代から三河万歳愛知25や鳥追い(三味線を弾きながら祝歌を唄う女の門付)などとともに、正月には欠かせない景物だったので、各地の郷土玩具にもその姿を留めている東京24静岡20。しかし、太神楽の獅子舞におされて、大正末期には衰退した。越後獅子の高さ12㎝。(H26.8.17

12. 姫路の鉢巻だるま(姫路市)



西日本に多い典型的な目の入った鉢巻だるま。中に鈴が入っていて、倒すとカランカラン鳴りながら起き上がる。赤ちゃんをあやすオモチャに似たようなものがあった。高さ18㎝。(H26.8.17

13. 姫路の三ツ山(姫路市)



姫路張子のなかでも異色なのは三ツ山である。姫路城近くの播磨国総社・射楯兵主(いたてひょうず)神社では20年に一度三ツ山大祭があり、国中の神々をお迎えするために巨大な釣鐘形の置き山(高さ約16m、直径約10m)が造られる。神々は高い山の頂に降臨するからである。三基の山のうち、二色の絹布を巻いた二色山には「仁田四郎の富士の猪狩り」、同じく五色山には「源頼光の大江山の鬼退治」、小袖を貼り付けた小袖山には「俵藤太の三上山のムカデ退治」の場面が造り物で飾られる。張子の三ツ山はこれを模したミニチュアで、左から二色山、五色山、小袖山。山の頂には神々にお供えものをする山上殿もみえる。ところで、昨年は20年ぶりに三ツ山大祭開催の年であった。また、まことに気の長い話ではあるが、60年に一度は一ツ山大祭も執り行われる。こちらでは五色山のみが築かれるそうだ。高さ9㎝。(H26.8.17

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