1794年



 フランス軍は依然として多数の国々を相手に戦争をしていたが、戦場の兵力では敵を上回っていた。1794年初頭の段階で最前線に配置されていたフランス軍は計80万人。ピーク時に比べれば数は減っているとはいえ、連合軍が用意した全戦力43万人に比べれば圧倒的に多かった。主戦場であるフランドルではフランス軍28万人に対し連合軍18万人、ライン河ではフランス軍20万人に対し連合軍14万5000人。連合軍の不利は明らかだった

 結果、1794年に革命戦争の天秤が大きく傾く年になった。数の力で押し寄せたフランス軍は連合軍を国境の彼方へ追い払ったばかりではなく、かつてフランスの領土になったことのない地域にまでなだれ込んだ。連合軍主力部隊は低地諸国からはじき出され、ライン河左岸からも逃げるはめになった。ピレネー方面でも戦争はフランス領土からスペイン領土へと移りつつあった。1794年は偉大なる勝利の年として記録される。

 そして、危機が去ると同時にモンターニュ派独裁と恐怖政治もまた不要のものとなった。革命の成果を滅ぼそうとする国内外の動きが消えつつある中で、それに抵抗するために必要だった「徳と恐怖」も消え去る運命だったのかもしれない。フルーリュスの戦いで戦況がフランス軍の決定的優位に転じた1ケ月後、テルミドールの反動でモンターニュ派は没落した。


・1794年/戦線

[フランドル・オランダ戦線] [ライン戦線] [イタリア戦線] [ピレネー戦線] [西部フランス] [植民地戦争]


・1794年/年表

3月24日エベール派処刑
4月5日ダントン処刑
6月8日最高存在の祭典
7月19日ジュネーブで民主派が権力掌握
7月27日テルミドール反動
11月12日パリのジャコバン・クラブ閉鎖
11月22日プロイセン特使がバーゼルに到着、フランスと交渉開始



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