1794年―植民地戦争



・西インド諸島

 ジャーヴィス提督のイギリス艦隊に連れ添われたグレイ将軍麾下の遠征軍がカリブ海に到着したのはこの年の1月(3月という説もある)だった。彼らは3月20日から仏領マルティニークを攻撃し、3日後にはこれを降伏させた。さらに3月下旬に仏領サン=リュシアを攻撃したイギリス軍は、4月1日にこれも落とした。

 続いてグレイ将軍は4月11日から仏領グアドループを攻撃し、20日には奪取。しかし、その後に残されたダンダス将軍麾下の守備隊300人(大半は地元のフランス王党派)は黄熱病に苦しみ、おまけに6月6日にはフランスからの増援が上陸してきた。ユーズの率いるフランス軍は奴隷解放を約束して地元民の支援を受け、生き残ったイギリス軍40人を追い払った。グレイ将軍は6月19日に再度グアドループを攻撃したが、小競り合いの後グレアム連隊のみを残して引き上げた。秋になるとユーズはフランスから増援を受けてイギリス軍への攻撃を始め、10月6日に病気で苦しんでいたグレアム連隊を降伏させた。

 一方、仏領サン=ドミングに対しては英領バルバドスのイギリス軍が2月に島を襲撃。南西部のティブロン岬を奪った。6月5日にはイギリス艦隊がポルトー=プランスに現れ、地元政府に圧力をかけてこれを降伏させた。さらにイスパニオラ島東半分を占めるスペイン植民地からも対フランス用の軍勢が送り込まれ、フランスのラヴォー総督は海岸沿いの要塞に閉じ込められた。彼はフランス政府から与えられた権限を利用して奴隷解放政策を打ち出し、それを条件に地元民のリーダーであるトゥーサン・ルーヴェルトュールの支援を獲得。連合軍に対して反撃に出たルーヴェルトュールは6月25日にフランス軍を解放した。さらにスペイン軍守備隊を次々と打ち破り、12月にはイギリス軍からティブロン岬を奪回した。

 11月、フランス軍はさらに3000人の増援をカリブ海へ送り込んだ。


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