1794年―西部フランス



・ゲリラ戦

 共和国はヴァンデの反乱分子を壊滅させる作戦を開始。1月3日に共和国軍に占領されたノワルムティエ島では派遣議員らによる地域住民の虐殺が行われた。1月17日にはテュローが地獄部隊を編成し、6縦隊に分かれた共和国軍がヴァンデ地域の住人を根こそぎ殺していった。2月28日には100人以上の子供を含む458人の虐殺もあった。

 テュローが指揮を取ったのは5月13日までだった。ヴィミューが臨時で指揮を取った時には西方軍に大きな戦力を残す必要はなくなっており、部隊の多くが他の戦線へ振り向けられた。ヴィミューの後任であるアレクサンドル・デュマが指揮を取った9月7日時点で、西方軍の兵力は4万5000人だった。また、同じ9月にはシェルブール沿岸軍の指揮官にオッシュが就任した。

 一方、生き残ったヴァンデの指揮官たちは少数の部隊を率いてゲリラ戦を戦い続けた。ブルターニュ半島のふくろう党も含めた西部フランスでの戦闘はこの年の間続くが、テルミドールの反動でモンターニュ派が没落した後になると、次第に和平を模索する動きが出てくる。11月、西方軍の指揮官はデュマからカンクローに代わった。オッシュは新たにブレスト沿岸軍の指揮も取るようになり、共和国はヴァンデとの交渉を始めようとした。


――1794年に戻る――

――ホーム戻る――