4 秘境

 祖谷渓谷は、古くは平家の落人が逃げ延びてきて形成された集落である。

 平家が源氏に破れ、1192年、つまり12世紀に鎌倉幕府が出来た頃に、この集落は人知れずひっそりと形成されたという訳だ。
 1つ1つの集落は10〜20人程度で構成されており、すべての集落が公式に1/50,000の地図を作るに当たって測量される時になって、ようやく政府に全て把握された。

 …と、まぁそんな具合の秘境だから、嫁の来てがなかなか無いらしく、1985年にフィリピン人をお嫁さんをたくさんもらい、何とか離村を免れているということだ。


 …ここまではちょっと前までの話し。
 今は2つ観光名所があり、観光客でにぎわっている。

 1つは今日泊まる旅館「ホテル 祖谷温泉」にあるロープウェイで入りに行く露天風呂。

 もう1つは、小学校4年生の殆どの国語の教科書に出てくる「つり橋わたれ」に登場する様な(関東近県で使われている教科書の95%は光村図書と日本書籍である。その2つに載っているので、殆どと言っても差し支えないだろう)、吊り橋「かずら橋」。

 いきなりの雷雨で、かずら橋(写真中央。ちょっと見にくいんだけど…)に行くのは明日に急遽延期。
 とりあえず「ホテル 祖谷温泉」に行く(15:30)。

 荷物を降ろして、少し休んでから露天風呂に入りに行く。
 15人乗りのロープウェーに5分程乗って、谷底(落差170m)の露天風呂へ。
 ここのロープウェーは17:00で営業が終わりなので、気をつけて、お早めの入浴を…。

 さて、ここの温泉は、単純性硫化水素泉。39.5度。

 しかし、屋外にある(一応屋根はある)せいで、体感温度的にはもう少し低い。毛布を被って眠るのと同じくらいの温度。私にとっては適温。寝るのにうってつけ。

 祖谷渓(←川の名前)は、すごく水の綺麗な川。これだけ多くの雨が降っているにもかかわらず、水はまったく濁っていない。
 上流で、水をせき止めているからだろうか。水量はそんなに多くない。
 切り立った岩が多い。そんな川の流れと、切り立った渓谷を眺めながら湯に浸かる。気持ちいい。

 何時間入っていても逆上せない代わりに、外気温が低いので上がったときにすごく寒い!

 暖房の利いている更衣室に駈け上り、浴衣と半纏を着込んで再びロープウェーでホテルへ。


 18:30までこうして旅日記を書いて、その後夕食。

☆先付け…クルミの煮付け、はしかみ、あめごの揚げびたし、筍の煮付け、ごま豆腐
☆山菜ぬた(これは美味しい)
☆山菜とそば米の梅肉和え
☆刺身こんにゃく(蒟蒻も祖谷渓の特産)
☆サーモンの刺身(山の中で、なぜ鮭?)
☆あめごの塩焼き
☆天ぷら→海老、キス、獅子唐、茄子、カボチャ、さつまいもを柚子塩で頂く
☆焼き物→玉ねぎ、人参、ピーマン、椎茸、茄子、豚肉
☆茶碗蒸し
祖谷蕎麦(右写真)
☆お吸い物(乾麺くらいの太さの蒟蒻の麺とそば米入り)
☆ごはん
☆香の物
☆水菓子(メロン)

 特筆すべきは「そば米」(うまく写真に撮れませんでした…)。
 これは蕎麦の実を茹でて米のような形状のまま食べるもので、祖谷渓特有の食べ方である。

 この地は急傾斜で、米が栽培できない。…でも、長年米を食べつけてきた元公家の人々は、どうしても米が食べたくて、苦肉の策として蕎麦の実を米のようにゆがいて食べることを思いついた、と、そんな訳で生まれた調理法。

 現在、一般的には、雑炊に少しそば米を混ぜて炊くくらいで食べる。そうすることで、そばの香りのする少しざらざらした雑炊が出来上がる。
 ここで出てきたそば米は、お吸い物の中にこんにゃくで作った麺(冷麦ほどの太さの麺)と共にそのまま入っていた。

 私は嫌いじゃないけど、これを米の代わりに食べるには少し口当たりがごそごそするので、きついかな。

 そば米として蕎麦を食べるくらいだから、ここの名物は当然そばであり、そば(温かいかけそば)も出てきた。
 まずびっくりするのは、その太さ!うどん位の太さなのだ。肝心の味の方はというと、あまり美味しくない。…と、いうのも十割(とわり)そばという、その名の通りつなぎを使わない100%蕎麦粉だけで作っているそばなので、コシも何もあったもんじゃない。箸でつまめば切れてしまうような代物なのだ。

 …まぁ、つなぎの海藻や卵すら採れないような切り立った土地ですからね。そこまで分かって、経験として十割蕎麦を食べる分にはいいんじゃないかと思う。

 …後は、室内の展望風呂に入って寝ました。
 オヤスミナサイっ。


 昨晩展望大浴場に入った時は、窓ガラスが反射してしまっていて、外の景色がまったく見えなかった。
 今朝、もう一度入りに行く。切り立った谷と、深い緑、露天風呂行きのロープウェーが見える。うん。今朝はいい天気だ。

 ひとっぷろ浴びて、すぐ朝食。
 …何だか、やたらと合成着色料の多い漬け物とかが出てきたごはんだった(笑)。

 ごはんを食べてすぐ、宿を後にする。
 走り去りながら宿を振り返って、改めて凄い所に建っていることを確認する。
 文字通りの断崖絶壁に櫓(やぐら)を組んで平らな場所を確保し、その上に建物を乗っけている。櫓を組んでいるだけなので、建物の下は鉄骨しかない。すかすか。
 …恐いよなぁ。地震とか、地滑りとかあったら、一巻の終わりである。

 今まで居たのが、西祖谷山村。これから、東祖谷山村に行く。

 どちらかというと、西祖谷山村は開けている方だ。東祖谷山村の方が、閉鎖的でヤバイ匂いがぷんぷんする。

 山深い、道も通っていない様な所に、10人くらいが1つの集落を形成しており、そんな集落がパラパラと点在している。見晴らしの良いところから見渡すと、山肌にしがみつくようにして、彼らがひっそりと暮らしているのを見ることが出来る。

 この人々のもっぱらの交通手段が1人乗りの人力ロープウェー
 ワイヤーに1人乗りくらいの鉄製の籠みたいなものをくくりつけ、ずるずるとワイヤーをたぐり寄せながら向こう岸にたどり着く、と。

 …今でも、実際そんなものを使って生活している人がいるのか?!来年は21世紀だよ。
 見に行ってみたいじゃありませんか。

 途中かずら橋を経験として渡ってみて(通行料500円。観光ナイズドされちゃってて何の面白みもなかった。一応植物で編まれたつり橋)、国道439号線を通って東祖谷山村に入る。

 離村してしまって、廃墟となった家があちこちにある。
 急斜面に石垣を組み(昔は鉄骨なんて無かったもんね)、その上に心許なさそうに木造の平屋が建っている。大げさでなく、斜面にへばりつくようにして家が建っているのだ。

 1人乗り人力ロープウェーも、錆だらけになってあちこちに放置されている。
 …やはり、道もだいぶ整備されたし、必要なくなってしまったのかなぁ…、と思いながら車を走らせる。

 きょろきょろしてたら、ありましたよぉぉ!現役のロープウェー。
 残念ながら使用しているところは見られなかったけど、ワイヤーが新しく、国道の向こう岸に1件だけ、人が住んでいそうな民家もある。
 「すごーい、すごぉぉ〜いっ!」とはしゃぎながらシャッターを切る私。ノブは横で困り顔(高所恐怖症なのだ)。


 さらに走っていくと、東祖谷山の中心地と思われる比較的大きな集落に行き着いた。
 ここには新しい団地が建ち並び、色んな施設が綺麗に整備されている。

 「…?!」

 あまりにもイメージの中の東祖谷山村とは違うので、少し面食らってしまった。
 しかし、冷静に考えてみると、多分、あちこちでバラバラに住んでいるには高齢化が進みすぎたのだろう。近年になってみんなで一所に住むことにしたのではないかと推測される。
 それから気が付いたのは、町中に(手書きだけど…)英語の看板が多い。「郵便局 POST OFFICE」とか、書いてある。例の、フィリピン人のお嫁さんを多くもらったことの名残なのだろう。

 東祖谷山村の様子を見ていたら、何だか悲しくなってしまった。

 色々な思念のようなものが渦巻く土地で、不便を強いられ、人目を避けつつ長年暮らしている、もしくはいたのだ、彼らは。
 そんな思いまでして、守り続けるべきところなのか、故郷は。
 そんな思いまでして守り続けた故郷を、どんな気持ちで離れていくんだろう…。

 東祖谷山村を後にして、高知県高知市へ。

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