home桜井>今井町


今井町 
Imaityou

34 30 43.50,135 50 49.43

 今井町を知ったのは学生時代に建築誌「都市住宅」が取り上げたからだったような記憶があります。江戸時代の街並みが徐々に崩壊してきている。いま手を打たなければ取り返しがつかなくなる。早く保存修復の方法を確立しよう、そんな内容だったような。で実際に訪ねたのも学生時代に奈良に幾度か行った中で足を伸ばしています。

 それから数十年経ち、その今井町はどうなっているのでしょうか。半分不安も抱きつつ八木西口から、歩いて向かいます。

 建物というものは、その建物に価値があると思われていれば使い続けられるし、価値がないと判断されれば、解体される。それが厳然たる事実です。お城の天守閣は明治になれば無用の長物になったから殆どが解体されてしまったし、お寺も廃仏毀釈で姿を消したものが多い。

 そして民家も残すのか、壊すのかは所有者の価値観に委ねられています。
 ここ今井町では、おそらく集落としてまとまって保存しようという動きがかなり早くから起こり、そして実を結んできたのではないでしょうか。また行政の働きかけ、補助制度もあるのでしょう。街並みは壊されることなく、また様々な修復によって、今井町は引き続き江戸から明治のたたずまいを残していました。

 要はここの人々は、この建物に価値をしっかりと認識し、保っていこうという意思を持っているということです。住居への快適性の追求はそれとして、この由緒ある建物こそ、我々住民の誇り。そういう気概を感じることが出来ました。

 また京都だとコンバージョンにより、住居以外の用途、カフェ、レストラン、雑貨屋などになっているのが多いのですが、ここはそこまで観光地化していないこともあり、カフェが1件位しかないというのもすごい。しっかりどこも住居として住み続けているのです。

 こうした集落を目にすると、畿内の集落の伝統は関東とはレベルが違うというのを実感します。そもそも環濠集落なんぞ関東にはありません。江戸になって太平の世に発展した地域と、戦国時代に生き残ってきた地域とはやはり出自が違いすぎます。戦乱の世にあって人々は信仰を拠り所に集落を築き、守りを固め、そして交易を営み、自らのアイデンティティを確固なものにして行ったのでしょう。こうした背景も現代における町並みの保存に作用していると理解しました。
ここでは電線類も地中化されています。 エアコンの室外機が全て木の格子で覆われていました。なかなかの配慮です。
ちょっとセットバックしつつ、低く抑えた2階屋が連なります。気品ある一角でした。

集落の最大のアイデンティティは仏教でした。今井町はここ称念寺の寺内町として発展していきます。