home桜井>安倍文殊院


安倍文殊院
Abe Monjuin

34 30 13.25,135 50 30.78

 桜井訪問の目的は聖林寺だったのですが、こちらで調べると近くに安倍文殊院があり、快慶作の菩薩などがあるとのことで、では寄ってみるかとなりました。ちょっと寄ってみるかで国宝の仏が、それも団体である、といったところに畿内の底力を感じます。聖林寺から盆地に戻りつつ、少しずつ左へと進むと程なく安倍文殊院に到着です。

 この寺も歴史を重ねる中で、場所を移動したり、火災に遭ってほぼ全焼したり、というプロセスをたどっています。大化改新の時に、左大臣の安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が安倍一族の氏寺として建立したのが始まりというのだから、いやたいしたものです。それが鎌倉時代に現在の位置に移転となったとか。その時も災害があった結果だったのでしょうか。そしてその建立に当たって尽力したのが俊乗房重源だそうで。いやあちこちに登場してくる鎌倉初期のスーパー坊さんです。

 重源といえばやはり東大寺再建が真っ先に浮かびます。ほぼ創建当時の規模で再建できたのは重源の資金調達力であり、それは正に人心掌握力の賜物なのですが、その話はさておき、重源は快慶をあちらこちらで重用しています。一番有名なのは東大寺南大門ですし、兵庫浄土寺の阿弥陀三尊も挙げられます。どちらも大仏様の豪快な建物の中に快慶の力作があります。つまり二人は仏教を広めるいいパートナーとして全国でプロジェクトを展開していたのですね。

 ここ安倍文殊院では建物はどうだったのでしょうか。永禄年代に全て焼け落ち、その後再建された建物が今に至っているとのことです。仏たちは何とか運び出した結果、今に至っているのでしょう。浄土寺の素晴らしい空間プロデュースが今に伝えられているだけに、現存していたらどうだったのだろうと思うとやはり残念です。

 で、快慶の仏ですが、ここの五体は今にも歩き出しそうで何とも言えない良さがありました。海をわたる「渡海文殊(とかいもんじゅ)」というシーンだそうですが、先導するのが善財童子で、文殊菩薩が乗る獅子を引くのが優填王という異国の王様。他に仏陀波利三像、最勝老人というセットで、何とも面白い配役。善財童子はどんどんと行ってしまいそうで、老人は付いてこられるのだろうかと心配になってしまう程、善財童子のポーズが面白い。まあ先に行ってもまた引き返せばいいやと思っているのでしょうか。その位軽快です。また獅子の顔も結構ひょうきんですね。

 快慶の作風は真面目すぎるという印象があります。文殊菩薩は文字通り正統派の仏の作りですし。金泥での仕上げがそれを強調しているのかもしれません。でもここの五体は動きがあってとても面白い。一緒に仏の悟りを得る旅に出てみたいなどと思わせるものでした。

お寺で買い求めた小冊子と大判写真のセットからコピーしています。快慶の制作意図もこの並びでよかったんでしょうか。善財童子を呼んでいる様が伝わってきます。こいつ何処に行く気なのだ?と獅子が困っているようで面白かった。でも獅子は後世の作らしいです。
本堂は江戸初期のもので、アプローチも変更されており、印象に残らない建物でした。重源の手によるものが残っていればと思ってしまいます。
善財童子 歩みつつ後ろを振り返る、このような動きのある像というのをどこかで見たでしょうか。天に舞っている姿は平等院に一杯飛んでいましたが。タイのスコタイに遊行仏というのがあるようですが、日本では他には見当たらない気がします。