続後撰和歌集 秀歌選

【勅宣】後嵯峨院

【成立】宝治二年(1248)七月二十五日、奉勅。建長三年(1251)十月二十七日、奏覧(拾介抄)。

【撰者】藤原為家

【書名】撰者為家が父定家の新勅撰集を古今集に見立て、自らの撰集は後撰集になぞらえたと見るのが普通である。序を欠くなど、構成の上でも後撰集を踏襲していると見られる。

【主な歌人】藤原定家(43首)・西園寺実氏(34首)・後鳥羽院(29首)・藤原良経(29首)、藤原俊成(28首)、土御門院(26首)・後嵯峨院(25首)・慈円(22首)・順徳院(17首)

【構成】全二〇巻一三七七首(1春上・2春中・3春下・4夏・5秋上・6秋中・7秋下・8冬・9神祇・10釈教・11恋一・12恋二・13恋三・14恋四・15恋五・16雑上・17雑中・18雑下・19羇旅・20賀)

【特徴】(一)構成 春・秋を各三巻としたのは後撰集に倣ったものか。哀傷・離別を立てず、それぞれ雑・羇旅の部に含めたのなどは前代の新勅撰集を踏襲している。賀部一巻を掉尾に置いたのは前例がなく、勅撰集の晴儀性を重んじた為家の思想がよくあらわれている。各巻、歌の排列には細心の注意が払われ、構成は絶妙である。
(二)取材 万葉集から当代まで、幅広い。出典として特に目立つのは、宝治二年(1248)の宝治百首、建保四年(1216)の後鳥羽院百首、貞永元年(1232)の洞院摂政家百首、千五百番歌合、久安百首、堀河百首などの百首歌である。
(三)歌人 依然として新古今集の主要歌人が入撰数上位を占めるが、為家・実氏・道良らの佳詠も散見され、後継世代の成熟が窺える。編纂時すでに故人ではあったが、この集が勅撰集初登場となる土御門院・順徳院の御製は殊にすぐれたものが多い。実朝も新勅撰集とは異なり、独特の風格を持った歌人として登場している。
(四)歌風 新勅撰集の歌風を受け継いでさらに凡庸化したとの悪評が高かったが、木を見て森を見ざるの浅薄な評価であったと言うしかない。奇想の作を敢えて避け、粒の揃った歌を効果的に配置して情趣のハーモニーを奏でる、調和のとれた構成は、二十一代の勅撰集を通じても一、二を争う美しさである。基本は有心優艶に立ち、前代の定家によって示された「すがたすなほに心うるはしき歌」を志向する。新勅撰集に比べると明るく華やかな風が添わっているのは、内裏歌壇の復活ゆえだろうか。「姿うつくしき女房のつま袖かさなり、から衣のすがた、裳のすそまで、鬢・ひたひがみのかかり、すそのそぎめうつくしう、裳のこしひかれたるまで『あな、うつくしや』と覚えたるを、南殿のさくら盛にたてなめてみるここちし候て。歌も上臈しくも、けだかくも、なつかしう、たをやかに、かけたるかたなく覚え候」との俊成卿女の評(越部禅尼消息)は本勅撰集の風姿を鮮かに描き出している。但し雑歌中の述懐歌には苦い人生観を吐露する痛切な作が並び、これもまた有心体の一面である。



     神祇 羇旅   



 上

天暦御時、麗景殿の女御の歌合に        壬生忠見

あさみどり春はきぬとやみ吉野の山の霞の色にみゆらん(3)


百首歌よませ給うける中に、鶯を      土御門院御製

雪のうちに春はありとも告げなくにまづ知るものは鶯のこゑ(18)


建保四年百首歌奉りける時、春歌の中に
                   入道前摂政左大臣

うちきらし猶風さむしいそのかみふるの山べの春の淡雪(19)


早春霞といへる心を            嘉陽門院越前

さほ姫の(ころも)はる風なほさえてかすみの袖にあは雪ぞふる(20)


春歌の中に                  西行法師

かすまずは何をか春と思はましまだ雪きえぬみよしのの山(21)


建保四年内裏百番歌合に           順徳院御製

降る雪にいづれを花とわきも子がをる袖匂ふ春の梅がえ(27)


麗景殿の女御の歌合に              平兼盛

見わたせば比良の高根に雪消えて若菜つむべく野はなりにけり(34)


建長二年、詩歌を合せられ侍りし時、江上春望  参議為氏

人とはば見ずとやいはん玉津島かすむ入江の春の曙(41)


 中

帰雁を                  菅贈太政大臣

かりがねの秋なくことはことわりぞかへる春さへ何か悲しき(57)


洞院摂政家百首歌に、花          前大納言為家

明けわたる外山の桜夜の程に花さきぬらしかかる白雲(68)


花の歌の中に               土御門院御製

見わたせば松もまばらになりにけり遠山桜(とほやまざくら)さきにけらしも(71)


題しらず                   和泉式部

おしなべて春を桜になしはてて散るてふことのなからましかば(85)


亭子院歌合に                 延喜御製

はる風のふかぬ世にだにあらませば心のどかに花はみてまし(110)


 下

建保二年、内裏詩歌を合られけるに、河上花
                     前中納言定家

なとり河春の日数はあらはれて花にぞしづむせぜの埋木(むもれぎ)(135)


花歌の中に                 前内大臣

さくら花おちても水のあはれなどあだなる色ににほひそめけん(136)


題しらず                  順徳院御製

花鳥のほかにも春の有りがほにかすみてかかる山のはの月(144)


百首歌奉りし時、春月        皇太后宮大夫俊成女

ながむれば我が身ひとつのあらぬ世に昔に似たる春の夜の月(146)


題しらず                     躬恒

なくとても花やはとまるはかなくも暮れゆく春のうぐひすの声(149)


題しらず                 藤原信実朝臣

春くるる井手のしがらみせきかねて行く瀬にうつる山吹の花(156)




洞院摂政家の百首歌に、郭公を       前内大臣

なきぬべき夕の空をほととぎす待たれんとてやつれなかるらん(175)


題しらず                 後鳥羽院御製

暮れかかる山田のさなへ雨過ぎてとりあへずなく郭公(ほととぎす)かな(193)


夏の歌の中に               前大納言為家

天の川とほき渡りになりにけりかた野のみ野の五月雨(さみだれ)(ころ)(207)


題しらず                 後鳥羽院御製

夏山のしげみにはへる青つづらくるしやうき世我が身ひとつに(224)




 上

初秋の心を                後鳥羽院御製

このねぬる朝けの風のをとめ子が袖ふる山に秋やきぬらん(238)


名所歌奉りける時             権中納言定家

秋とだに吹きあへぬ風に色かはる生田(いくた)(もり)の露の下草(248)


秋露                    従二位家隆

乙女子が袖ふる山の玉かづらみだれてなびく秋のしら露(269)


九月十三夜、十首歌合に、朝草花        太上天皇

忘れずよ朝ぎよめする殿守(とのもり)の袖にうつりし秋はぎの花(287)


                    土御門院小宰相

露ながらみせばや人に朝な朝なうつろふ庭の秋萩の花(288)


名所歌奉りける時             権中納言定家

うつりあへぬ花の千草に乱れつつ風のうへなる宮城野の露(292)


千五百番歌合に              後鳥羽院御製

日影さす岡べの松の秋風に夕ぐれかけて鹿ぞ鳴くなる(300)


 中

西園寺入道前太政大臣家卅首歌よみ侍りけるに、秋歌
                      従二位家隆

朝日さすたかねのみ雪空晴れて立ちもおよばぬ富士の川霧(316)


十首歌合に、海辺月             順徳院御製

明石がた海士(あま)のとまやの煙にもしばしぞくもる秋のよの月(357)


題しらず                 土御門院御製

秋の夜もやや更けにけり山鳥のをろのはつをにかかる月影(377)


 下

建保五年四月庚申、秋朝          権中納言定家

小倉山しぐるる比の朝な朝なきのふはうすきよもの紅葉ば(418)


秋の歌の中に               藤原信実朝臣

晴れくもりしぐるる数はしらねどもぬれて千しほの秋のもみぢ葉(422)


題しらず                 土御門院御製

散りつもる紅葉に橋はうづもれて跡たえはつる秋の故郷(434)


秋の暮の歌                権中納言定家

いかにせんきほふ木の葉のこがらしに絶えず物思ふ長月の空(448)


百首歌奉りし時、暮秋           権大納言実雄

しばしだに猶立ちかへれまくず原うらがれて行く秋の別れ路(451)




題しらず                 後鳥羽院御製

色かはるははその梢いかならんいはたの小野に時雨ふるなり(466)


名所歌奉りける時             権中納言定家

大井河まれのみゆきに年へぬる紅葉の舟路あとはありけり(473)


建保六年歌合、冬関月            順徳院御製

風さゆる夜はの衣の関守はねられぬままの月やみるらん(487)


西園寺入道前太政大臣家卅首歌中に     藤原信実朝臣

下をれの音のみ杉のしるしにて雪の底なる三輪の山もと(511)


冬の歌の中に                鎌倉右大臣

夕されば塩風さむし浪まよりみゆる小島に雪は降りつつ(520)


神祇

百首歌奉りし時、寄社祝           前太政大臣

蜻蛉羽(あきつは)のすがたの国に跡たれし神のまもりや我が君のため(531)




 一

寄雲恋               皇太后宮大夫俊成女

しられじな夕べの雲をそれとだにいはで思ひの下に消えなば(674)


十首歌合に、忍久恋              少将内侍

おさふべき袖は昔に朽ちはてぬ我が黒髪よ涙もらすな(677)


恋の歌の中に                 和泉式部

かくこひばたへず死ぬべしよそに見し人こそおのが命なりけれ(703)


 二

名所百首歌めしける時            順徳院御製

すが原やふしみの里のささまくら夢もいくよの人めよくらん(730)


建保四年百首歌に             権中納言定家

夜もすがら月にうれへてねをぞなく命にむかふ物思ふとて(733)


題しらず                  式子内親王

かげなれてやどる月かな人しれず夜な夜なさわぐ袖の湊に(734)


正治百首歌奉りける時           権中納言定家

久堅(ひさかた)のあまてる神のゆふかづらかけていくよを恋ひわたるらん(773)


恋の歌の中に               前大納言為家

あふまでの恋ぞ命になりにける年月ながき物おもへとて(785)


題しらず                   石川郎女

われまつと君がぬれけん足引の山のしづくにならましものを(787)


 三

女のもとにまかりて物申しける程に、鳥の鳴きければよみ侍りける
                       業平朝臣

いかでかは鳥のなくらん人しれず思ふ心はまだ夜深きに(820)


後朝の恋の心を              土御門院御製

暁のなみだばかりを形見にてわかるる袖にしたふ月影(828)


 四

心かはりたる人につかはしける          弁乳母

恋しさはつらさにかへてやみにしを何の残りてかくは悲しき(865)


題しらず                 権中納言定家

さぞなげく恋をするがのうつの山うつつの夢のまたとみえねば(888)


恋の歌の中に               権中納言定家

やどりせしかりほの萩の露ばかり消えなで袖のいろに恋ひつつ(924)


 五

絶恋の心を               土御門院小宰相

我ながらしらでぞ過ぎし忘られて猶おなじ世にあらんものとは(966)


九月十三夜十首歌合に、寄月恨恋        太上天皇

こぬ人によそへて待ちし夕より月てふ物はうらみそめてき(968)


百首歌よみ侍りけるに           殷富門院大輔

よしさらば忘るとならばひたぶるに逢ひ見きとだに思ひ出づなよ(995)




 上

題しらず                 よみ人知らず

初瀬川ながるるみをの瀬をはやみゐでこす波の音ぞさやけき(1019)


花の歌の中に                 雅成親王

花も又ながき別れやをしむらん後の春とも人をたのまで(1041)


重く煩ひ侍りける秋の暮、かぎりに覚えければ、後徳大寺左大臣のもとに申しつかはしける
                   皇太后宮大夫俊成

昔より秋の暮をばをしみしを今年は我ぞさきたちぬべき(1083)


ことかはりて後、人々にいざなはれて法輪寺にまうでて読み侍りける
                       如願法師

昔見しあらしの山にさそはれて木の葉のさきにちる涙かな(1091)


 中

古寺月といへるこころを           正三位知家

むかし思ふ高野の山の深き夜にあかつき遠くすめる月影(1118)


家五十首歌よみ侍けるに、暁述懐    入道二品親王道助

(ちぎ)りあれば暁ふかく聞くかねに行末かけて夢やさめなむ(1122)


述懐心を                 前大納言忠良

世のうきを今は歎かじと思ふこそ身をしりはつる限りなりけれ(1158)


建保二年内裏秋十五首歌合に          僧正行意

今ぞしるあゆむ草葉に捨ておきし露の命は君がためとも(1197)


建保四年百首歌奉りけるとき      入道前摂政左大臣

世のつねの人より君を(たの)めとや契りかなしき身と生れけん(1198)


題しらず                 後鳥羽院御製

人もをし人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑに物おもふ身は(1202)


 下

百首歌よませ給うけるに、懐旧のこころを
                     土御門院御製

秋の色を送りむかへて雲の上になれにし月も物忘れすな(1203)


題しらず                  順徳院御製

百敷(ももしき)やふるき軒ばの忍ぶにも猶あまりある昔なりけり(1205)


題しらず                  順徳院御製

聞くたびにあはれとばかりいひ捨てて幾よの人の夢をみつらん(1215)


                       雅成親王

ねても夢寝ぬにも夢の心地してうつつなる世をみぬぞかなしき(1216)


題しらず              皇太后宮大夫俊成女

見し人もなきが数そふ露のよにあらましかばの秋の夕暮(1222)


世のはかなさを思ひて読みはべりける      和泉式部

緒をよわみ絶えてみだるる玉よりもぬきとめがたし人の命は(1231)


藻壁門院御事の後、かしらおろし侍りけるを、人のとぶらひて侍りける返り事に
                  後堀河院民部卿典侍

かなしきはうき世のとがとそむけどもただ恋しさの慰めぞなき(1263)


羇旅

別れの心を                  雅成親王

つひにゆく道よりもけにかなしきは命のうちのわかれなりけり(1283)


箱根にまうづとて              鎌倉右大臣

筥根路(はこねぢ)を我がこえくれば伊豆の海や沖の小島に浪のよるみゆ(1312)


題しらず                  前内大臣

朝ぼらけ浜名の橋はとだえして霞をわたる春の旅人(1316)




建永元年八月十五夜、鳥羽殿に御幸ありて、御舟にて御あそびなど有りける月の夜、和歌所のをのこどもまゐれりけるよしきこしめして、いださせ給うける
                     後鳥羽院御製

いにしへも心のままにみし月の跡をたづぬる秋の池水(1340)


寄月祝といへる心を        後京極摂政前太政大臣

四方(よも)の海風しづかなる浪の上にくもりなきよの月をみるかな(1361)




最終更新日:平成15年1月15日

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