M42.正しく知ろう地球温暖化(講演)

著者:近藤純正
現在の社会には、温暖化を過大にみる「温暖化の強調論」と、逆の 「温暖化否定論」(懐疑論)がある。これら両論が出てきた理由の一つ として、観測資料の不正確さがある。不正確なのは、長期の 観測資料に含まれる諸々の誤差が補正されずに利用されているからである。

ここでは正しい温暖化量の実態を示すとともに、気象観測所の周辺環境が 年々悪化しており今後の気候監視が正しくできなくなるので、気候変動観測所 (主に旧測候所の20ヶ所)の周辺環境を守らねばならぬことを訴えたい。 (完成:2008年10月18日、表4を追加:10月23日)

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2008年10月8日:粗筋の作成
2008年10月10日:90%の仕上がり
2008年10月18日:完成
2008年10月23日:表4を追加



   目次
	はじめに
	42.1 正しい温暖化量はどうやってわかったか?
	42.2 日本のバックグラウンド温暖化量(自然の変動)
		火山噴火との関係
		太陽黒点数との関係
		気温・水温のジャンプ
		漁獲量の長期変動
	42.3 都市化による気温の上昇(人為直接的)
	42.4 これでよいのか気候監視
	まとめ
	参考書
これは2008年6月~11月に(予定も含む)各地の気象台・ 測候所、大学や市民講座、気象研究所や農業環境技術研究所などで行った講演 内容である(質疑応答を含み90分間)。
なお、文章中の(注)は詳細を知りたい読者のための補足事項である。



はじめに

現在の社会情勢
図42.1 現在の社会情勢

現在の社会情勢を概観すると、一方には「温暖化の強調論」があり、 国民の”環境意識”を高めることに役立った。この強調論が一部の科学者 に過大視されたため、少し変わった現象が見つかると、その原因の 解明もせずに、”この現象は温暖化によるものだ”として片付けてしまう 悪い風潮も生じた。

他方では「温暖化否定論」(懐疑論)が気象学を専門としない分野の学者 たちによって提唱されている。この否定論により、国民の間に”情報を 鵜のみにしない意識”も芽生えた。

「温暖化の強調論」と「温暖化否定論」のどちらが真なのかを議論する よりは、正しいデータに基づいた温暖化の実態を知ることが重要である。

気候変動では長期間のデータを解析するのであり、観測器械や 観測方法が時代によって変更されており、観測データは補正してはじめて 正しい実態がわかってくるのである。

(注)温暖化を正しく知るようになった動機:
筆者が温暖化量を正しく求めることになったのには、それなりの理由がある。 筆者が大学院生の時代、1950年代から1960年代にかけて、世界では数値天気 予報の精度向上の気運が高まり、大気と地表面(陸面・海面)の間で交換 される熱と水蒸気量と運動量を正しく知らねばならぬことになった。 大気はこれら交換量によって大きな影響を受けるからである。 これら交換量を知るには気温、湿度、風速を正しく観測しなければならず、 それには観測機器の特性を知り、特性の違いによって生じる誤差を少なく する工夫が必要であった。こうした経験から、長期の観測データは未補正の ままでは正しい温暖化量は得られないと考えていたのである。

(注)気象庁の温暖化資料:
気象庁による分析方法では、「都市化による影響は少なく、特定の地域に偏ら ないように選定された17地点のデータ」を使っているのだが、これら地点には 都市化による影響を大きく含むものが多く、観測方法の変更による誤差その 他が補正されていない。

(注)海上資料の問題点:
地球規模の温暖化では「都市化の影響が及ばない海上のデータも含め れば正しい値が算出できる」という考えがあるのだが、簡単ではない。 すでに30年も以前に筆者が示したように、海上のデータといえども船上には 晴天の日中は1℃ほどの強いヒートアイランドが形成され、夜間は低温になる (「水環境の気象学」の図7.12)。 船舶は時代によって大型化され、観測方法も変更され、海上のデータでも 使用に際しては注意が必要となり、正確な気候変動は求め難い。


気温は、地球温暖化によるものや都市化によるものなど、さまざまな要因が 重なっており、どれだけが地球温暖化によるものか正確にはわかっていない。 今回はじめて、筆者の解析によって、日本における「地球温暖化量」と「都市 化による昇温量(熱汚染量ともいう)」がそれぞれ分離して明らかになった。

地球温暖化量(バックグラウンド温暖化量)は、おもに田舎における 農業生産や生態系に影響する広域の気候変化そのものである。そのため、 長期にわたって正確な監視を続けていくことが重要である。

ところが多くの観測所の周辺環境は悪化しており、気候変動の監視が危ぶま れる状態にある。現在、観測所の無人化・自動化は観測精度を落とす ことはないとしても、管理が不十分になると観測資料の品質が落ちてしまい、 気候変動の解析が不正確になる。

(注)気象庁の建前と現実の違い
気象庁の建前上は、無人化しても「定期的に巡回し、適切 な観測状況を維持する」としているのだが、現実には、露場に雑草が生い 茂り、成長した樹木が観測に邪魔していても放置される所も少なく ない。


この章の内容は「研究の指針」の 「K40.基準34地点による日本の温暖化量」と、 「K41.都市の温暖化量、全国91都市」、および 「K42.都市気温と環境の短期的な変化」を要約し一般向けに解説する ものである。

表1 話の内容
話の内容

1.正しい温暖化はどうやってわかった?
観測の方法や器械が時代によって変化したこと、日だまり効果 (都市化による効果も含む)による補正

2.日本のバックグラウンド温暖化量(自然の変動)
自然の変動=地球温暖化(COなどの増加による)+その他(火山噴火などによる)
火山噴火や太陽黒点数との関係、気温や水温のジャンプ、漁獲量の長期変動

3.都市化による気温の上昇(人為直接的)・・・熱汚染量
都市では熱汚染量が天然変動の昇温率を超えていること

4.これでよいのか気候監視!
観測所の周辺環境を守らなければならないこと



42.1 正しい温暖化量はどうやってわかったか? 

それでは、本論に入ることにしよう。

気温に影響する3要素
図42.2 気温に影響する3つの要素

もっとも簡単な気象要素の気温といえども、気候変動の解析で要求される 0.1℃の精度で求めることは容易ではない。その理由として、厳しい気候条件 下や日射が強い自然状態において観測が難しいこと、観測機器と1日の観測 回数が時代によって変更されてきたことがある。

気温の観測は、1970年代までは芝生が植えられた観測露場に設置された 百葉箱の中のガラス棒状温度計で行われてきたが、最近では百葉箱外の 通風筒内に電気抵抗線式温度計を入れて、遠隔的に測られるように なった。昔の百葉箱内の気温は、日射が強い微風日の最高気温は1℃程度 高めに、また毎日の最高気温の年平均値は約0.2℃高めに観測されている。

図42.3は観測露場に設置された百葉箱と通風筒の写真、図41.4は 百葉箱と通風筒を近くから撮影した写真である。

寿都観測露場
図42.3 北海道の寿都測候所の観測露場。ほぼ中央に使用しなくなった 百葉箱(白色塗装)、その右方に気温・湿度測定用の通風筒がある。 露場内には手入れされた芝生が生えている(「身近な気象」の 「M21.温暖化と都市緑化(Q&A)」の図21.5、 「M41.日本のバックグラウンド温暖化量と都市昇温量」 の図41.3(a)に同じ)。

百葉箱と通風筒
図42.4 気温センサーを入れる百葉箱(左)と通風筒(右) (「身近な気象」の 「M21.温暖化と都市緑化(Q&A)」の図21.6、 「M41.日本のバックグラウンド温暖化量と都市昇温量」の図41.3(b)に同じ)。
百葉箱は1970年代まで使用されており、この中にガラス棒状の温度計が 設置されている(この百葉箱は網走地方気象台で使われていたもの)。 右側に示す通風筒の中には電気抵抗線式温度計が取り付けてあり、通風筒の 上部にあるファンモータで外気を下方から吸引する。外気を強制的に吸引しな いと、空気がよどみ、気温は日中高めに夜間は低めに観測される。

次に、1日の区切り(日界)が時代によってさまざまに変更されたことで 生じる最低気温の違いを図42.5によって説明しよう。

日界による最低気温
図42.5 1日の区切り(日界)によって最低気温が変わる説明図

図の青印は日界が9時の場合の最低気温である。日界が24時(1964年以後に 使用中)に変更された場合の最低気温を赤丸印で示した。第2日目の最低気 温は日界によって変わることがわかる。

9時と24時の日界の変更によって生じる毎日の最低気温の年平均値の差は 観測所によって0.2~0.7℃の違いがあり、日本平均で0.35℃となる。

1日の観測回数は3回(6時、14時、22時)、4回、6回、8回などさまざまで あった。現在の毎正時24回観測から算定される日平均気温を基準とすれば、 3回観測の平均値は0.1~0.3℃ほど低め(南中時刻つまり東経・西経の関数) となる。気候変動の解析では、これらの誤差を補正しなければならない。

(注)日界についての詳しい資料:
「研究の指針」の 「K23.観測法変更による気温の不連続」に説明されている。

(注)観測回数についての詳しい資料:
「研究の指針」の 「K20.1日数回観測の平均と平均気温」に説明されている。


次に日だまり効果について説明しよう。
地表面温度は太陽からの日射によって上昇する。地面付近の高温空気は風 によって上空へ拡散される。この拡散によって地面温度と地上気温 が決まる。ところが周辺に障害物ができると地上付近の風速が弱められ 「日だまり」ができる。「日だまり」は上空への熱の拡散が少なく熱が こもることであり、地上気温が上昇する。これが「日だまり効果」 による昇温である。

現実には、観測所の近くに住宅などが密集するような所では、「日だまり効果」 に混じって「都市化の効果」も含むことがある。次に示す石廊崎では、完全な 「日だまり効果」と考えてよい。

石廊崎の全景
図42.6 伊豆の石廊崎、旧海軍望楼より撮影(横に3枚の合成写真、赤矢印 は旧石廊崎測候所(現・特別地域気象観測所)、2006年9月2日撮影)。 (「写真の記録」の 「62.石廊崎測候所(現・特別地域気象観測所)」の写真10に同じ。)

伊豆半島の先端にある石廊崎は都市の影響はなく、気候変動の観測にふさわ しい所と見なされたが、観測上の問題点が見つかったのである。それは、 年平均風速が一定でなく、次の現象がある。

(1)年平均風速が1966年に7%の減速、2001年に7%の増速があった。
(2)年平均風速が1960年代からしだいに減速し約30%ほど弱くなった。

(1)については、風速計の種類が数回変更されており、それらの特性の違い によっても観測される風速の値は変わる。石廊崎測候所では、風速計の 設置高度が変更されていない。これらを考慮しても(1)が確実に認められる。

さらに、(2)の傾向が観測値に現れているのは不思議に思った。しかし、 これら(1)(2)の原因はどうしても解明しなければならない。これを 石廊崎で解決しておけば、他所で今後見つかる異常値の原因解明にも役立つ と考えた。

いろいろ悩み、他の資料解析もしてみたが原因は不明であった。 石廊崎の環境についての観察が足りないと考え、3回も訪問した。

気象庁OBの小林達雄氏(前・津地方気象台次長)から得た情報や昔の写真 を参考にすると(図42.7)、上記(1)は無線鉄塔の建設と撤去に伴う変化で あることがわかった。

石廊崎測候所1986年
図42.7 伊豆の石廊崎測候所(標高55m)、上が北、1986年撮影 (石廊崎測候所提供、「石廊崎の気象」より転載)。 (「写真の記録」の「62.石廊崎測候所(現・特別地域気象 観測所)の写真7に同じ。)

次に(2)はなぜ生じるか?
1968年当時まで、庁舎事務室から東側の海上(石廊崎港の方向、図42.7では右の 方向)がよく開け、沖合いの島に取り付けた波高測定柱の目盛が見えたという。 しかし、2006年の時点では樹木が庁舎の高さ以上まで成長し、屋根の上からも 海上を見ることができない。このことから、上記(2)の風速の減少は、 時代とともに樹木が繁茂することで生じたものであると結論づけることが できた。

石廊崎測候所2006年
図42.8 旧石廊崎測候所、旧海軍望楼からの望遠、2006年9月2日撮影)。 現在は樹木の繁茂により、庁舎からは東(写真の手前)の海はまったく見え ない(「写真の記録」の「62.石廊崎測候所(現・特別地域気象観測所)の 写真11に同じ。)

こうしたことで生じる日だまり効果は1970年頃から目立つようになってきた。 田舎の場合、日本の里山ではどこでも同じように、周期的に場所を 変えながら樹木は伐採され、燃料(薪や炭)として利用されてきた。

いわゆる「燃料革命」により、灯油が普及し、薪や炭の生産が衰退し里山は 放置され樹木が生い茂ることとなった。こうした社会的変化により、近くに 林がある田舎の測候所では平均気温の観測値を上昇させる「日だまり効果」 が現れるようになった。

石廊崎での日だまり効果による年平均気温の上昇は0.25℃である。

観測データは気象を表すものだが、観測所周辺の環境、すなわち、 その時代の社会状況のパラメータを表すものでもある。 全国の多くの気象台・測候所での風速は近年減少する傾向にあるのだが、 これは周辺の都市化が進み住宅やビルが増え、風に対する摩擦が大きくなった ことを表している。風速計という簡単な機械で、周辺の環境変化(都市化の 進行状況)を測っているわけだ。都市化の進行状態を知るのに、社会科学 では、住宅の大きさや配置あるいは人口密度を調べるのだが、この状態は 風速計や温度計を用いて知ることができるわけだ。つまり、気象観測は社会 科学の調査にも役立つことになる。

次に、岡山県内陸の旧津山測候所(現・特別地域気象観測所)における 日だまり効果を示すことにしよう。

図42.9は年平均風速の経年変化である。図には示さないが、平均風速の弱化と 同時に、風速10m/s以上の強風日数は、1961~65年には平均51日も あったが、2002~06年には平均2日に激減している。

津山の風速
図42.9 岡山県内陸の旧津山測候所における年平均風速の経年変化。4杯式 風速計は回り過ぎ特性により風速が強く観測され、発電式風速計は微風で回転 し難い特性により弱く観測されることを考慮して、風速の真値は赤線で 滑らかに描いてある(「写真の記録」の 「66.岡山県の津山測候所(現・特別地域気象観測所)」の図66.1に同じ)。

この年平均風速の弱化のグラフと強風日数の減少を示す資料を地元 気象台に送り、「卓越風向の西~北西方向に樹木が成長し風速の観測に邪魔 になっていないか?」と問い合わせても、「邪魔にはなっていない」 という回答であった。津山市役所に電話で問合せたところ、「観測所の 近くには建物はない」という。

各地を歩いた筆者のこれまでの調査から、津山における風速の減少は 周辺にある樹木の成長によるに相違ないと考えたわけである。

そこで、筆者は現地に行き、風速減少の原因を目で確かめることにした。

図42.10は岡山県津山測候所(現在無人)から西方向を撮影した写真である。 津山市役所を訪ね調べてもらったところ、桜並木は市民によって1963~65年 に植えられたもので、現在は樹齢が40年余であることがわかった。

津山西方向
図42.10 津山観測所露場の北側から撮影した西方向の写真、 写真2枚を横に合成したため多少の歪みがある。左端に新測風塔(風速計の 設置高度=11.7m)が写っている。 正面に写っている桜(樹高の露場面からの高さ=10m)の10本余りが従来の 卓越風(西~北西の風)を弱めている。 新測風塔になった2006年以後も西と北北西の風を弱める方向に 桜があるが、北西風の狭い範囲の風向に対しては桜の隙間を吹いてくること になる。左に見えるフェンスの中に気温観測用の露場がある。フェンスの右 側の舗装された広場は、撮影日には敷地売り出用の看板はなかったが、 やがて売りに出される。ここにアパートかマンションが建つと 観測に影響を及ぼすことになる (「写真の記録」の「66.岡山県の 津山測候所」の図66.3、「身近な気象」の 「日本のバックグラウンド温暖化量と都市昇温」の図41.4に同じ)。

植樹した津山市の町内会代表者に会い、気象資料が異常になっていること を図で示し、この桜並木が観測の邪魔になっていることを説明したところ、 後日の会議により、上に伸びた部分は剪定・伐採してもよいとの許可がでた。

地面から1mほどの高さで桜の幹を切断すれば、数年も経つと新しい枝が のびてくる。こうすれば、電力会社も電線に邪魔な枝切りもせずともよく なるし、気象観測データも正常になる。あとは気象台の対応しだいである。 このまま放置すると、強風時の防災上からも問題がある。

桜並木の成長により日だまり効果が生じ、年平均気温が上昇したことを 図42.11に示した。

津山日だまり
図42.11 岡山県津山と周辺6観測所の気温差(「研究の指針」の 「K38.気温の日だまり効果の補正(1)」 の図38.2(a)に同じ)。

津山の場合、1985~2000年の間に日だまり効果によって年平均気温が0.4℃ も上昇した(図42.11)。

こうした日だまり効果は各地で生じており、それらを補正してはじめて、 地球温暖化量(都市化などを含まないバックグラウンド温暖化量)が得られ たのである。

以上のように、
(1)観測方法の変更(器械、観測時間など)
(2)日だまり効果
による誤差を地点ごとに補正した。

そうして全国34地点についてバックグラウンド温暖化量の経年変化が はじめてわかったのである。それを次節で説明しよう。

(注)詳しい日だまり効果の資料:
各地点についての一覧は「研究の指針」の 「K39.気温の日だまり効果の補正(2)」の表39.1と表39.2に示してある。



42.2 バックグラウンド温暖化量(自然の変動) 

図42.12は、この100年余の平均気温の経年変化である。気温が上昇する時代、 下降する時代、変化の少ない時代があるが、50年以上~100年間の長期的な気温 は100年間当たり0.5~0.8℃程度(期間の選び方によって変わる)で上昇して いる。

図に示した気温は、日だまり効果(都市化も含む)や観測法の変更による 誤差を補正した値が用いられている。

全34地点の気温変動
図42.12 筆者が選定した気候変動観測所の全34地点平均の気温(日だまり 効果、都市化による影響、観測法の変更による補正済み)の経年変化、 各プロットは毎年の値、緑四角印は5年移動平均値、赤線はわかり易く入れた 長期的な変動傾向、薄オレンジ直線は1881-2007年間の直線近似である。 赤矢印は気温ジャンプの年、薄い青色の縦帯は東北地方で冷夏による大凶作が 頻発した時代を示す(「研究の指針」の 「K40.基準34地点による日本の温暖化量」の図40.3、「身近な気象」の 「日本のバックグラウンド温暖化量と都市昇温」の 図41.5に同じ)。

東北地方を中心として起こった冷夏頻発の時代(図中の薄い青色の縦帯= 大凶作頻発時代:1869-1884年、1902-1913年、1931-1945年、1980-1984年) の直後に平均気温がジャンプしている。 赤矢印がジャンプの起きた1887年、1913年、1946年、1988年である。 図には示さないが、この気温ジャンプの大きさは緯度によって異なり 0.4~1.2℃の幅があり、高緯度ほど大きい。

表2 詳しく見てみよう
詳しく見てみよう!

(1)ごく最近の気温上昇の傾向
1980年代以後の気温上昇は大きく、今後の監視が重要である。

(2)気温のジャンプ、ダウン、平坦時代の繰り返し
気温は単調に上昇しているのではない。気温ジャンプの大きさは高緯度 ほど大きい。

(3)太陽黒点数と気温変動幅の関係
気温変動は高緯度ほど大きい、相関係数が大きい時代がある。

(4)大規模火山噴火と気温下降の関係
噴火直後の2~3年間、地球規模では気温の下降域と上昇域がまだら模様 にできる。

(5)水温ジャンプ・ダウン、漁獲量の長期変動
数十年の間隔で、海水温度はジャンプ・ダウンをしており、東北地方の冷夏 による飢饉・凶作頻発時代があり、世界の漁獲量にも豊凶がある。

(1)ごく最近の気温上昇の傾向

ごく最近の気温の上昇傾向
図42.13 ごく最近の気温の上昇傾向

1980~2007年の気温データに直線近似に当てはめると、30年間につき 1.2℃(100年間につき4℃)の上昇率である。この上昇率は過去には見られ ない大きさであり、今後の気候監視が重要となる。

(2)気温のジャンプ、ダウン、平坦時代の繰り返し
次の図42.14に示すように、気温は単調に上昇しているのではない。

34地点の平均図
図42.14 日本のバックグラウンド温暖化量、四角印は5年移動平均、 黒の破線は1981~2007年の直線近似の線である。

1887年ジャンプから1913年ジャンプまでの時代、気温は下降している。 次の1946年ジャンプまでの時代の気温はほぼ平坦である。この平坦な時代は 北海道から南西諸島まで長期的な気温変動は小さく安定した時代と見なされる。 また、この時代の日本では都市構造に変化が少ないので(東京、横浜、 京都を除く)、次節で定義する都市化による昇温の基準 (熱汚染量=0の基準)として定義する。

次の1946年ジャンプから1988年ジャンプまでの時代、気温は下降しており、 ”寒冷化に向かう” が流行した。

ところが最近の1990年ころから、”温暖化”が目立つようになり、社会の 大きな話題となった。

1988年にもっとも大きな気温ジャンプがある。ジャンプの大きさは 図示した34地点平均では約0.6℃であるが、北海道では1~1.2℃の大きさ である(「研究の指針」の「K40.基準34地 点による日本の温暖化量」の図40.9を参照)。

なお、全期間について、直線近似したときの100年間当たりの平均の気温 上昇率は、
平均の気温上昇率=0.67℃/100y・・・・・・・1881~2007年(127年間)
となる。これは気象庁の公表値の60%であり、小さい上昇率である。

(3)太陽黒点数(正しくは黒点相対数、ウォルフ黒点数)と気温変動幅 の関係
黒点周期との関係がもっとも顕著に現われる北海道(青プロット)と、 顕著でない西日本(赤プロット)における気温の経年変動(ただしプロットは 5年移動平均値)を比較した(図42.15)。

黒点数との関係
図42.15 太陽の相対黒点数の変動(下図)と気温変動(上図)。気温の縦軸 の基準は1915~1940年の平均をゼロとして表し、5年移動平均値、青印は 北海道6地点平均、赤印は西日本12地点平均、上向き矢印 は黒点周期と気温がよく対応する期間、×印は対応しないか逆相関の期間 を示す。

太陽黒点は10~11年の周期で変化しているのだが、これと相関関係にある 気温変動が生じており、高緯度ほどこの傾向が顕著で、黒点数の多い年と 少ない年の平均気温の差は約0.5℃である。

100年間の長期的な温暖化速度は、北海道でも西日本でもほとんど同じだが、 10~30年程度の短期的には、北海道で(図示していないが北日本ほど) 変動が大きく、気温の下がり方が大きいことがわかる。

近年120年余において、黒点数のピークは12回あり、そのうち、ピーク時に 北海道で高温の年は1892年、xx、1918年、1928年、1938年、1948年、1959年、 xx、xx、1990年、xx、の7回である( xx は対応しない年を意味する)。

これは、エルニーニョと日本の気候の関係に似ており、ある期間には相関 関係があり長期予報は当たることもあるがそうでないこともある。 このように気候変動は、いろいろな現象がからみ合って起こる複雑な現象 である。

(4)大規模火山噴火と気温下降の関係
噴煙が成層圏まで吹き上げられるような、世界的な大規模噴火はときには 起こる。最近の例では、1991年6月15日、フィリッピンのピナツボ火山が噴火 し、その2年後に大冷夏となり平成の大凶作(平成5年、1993年)となった。 コメ不足となり、コメを買う人々がスーパーに行列をつくった。

大噴火地図
図42.16 東北地方の大飢饉・大凶作の直前に起こった火山の大噴火 (身近な気象」の「3.気候変動と人々の暮らしー歴史に学ぶー」の図3.5に 同じ)。 (「地表面に近い大気の科学」(東京大学出版会) の図9.2より転載)

世界的な大規模噴火があると、特に東北地方での気温低下が大きくなり、 夏の3ヶ月平均気温が1~3℃低く大冷夏となる( 「3.気候変動と人々の暮らしー歴史に学ぶー」の図3.6、図3.7を参照)。

(注)火山噴火後の世界の気温分布:
ここで注目すべきは、噴火後の気温が世界中で一様に下がるのではなく、 下降する地域と上昇する地域がまだら模様にできることである (「身近な気象の科学」(東京大学出版会)の9章「火山噴火と東北の冷夏」 を参照)。

(注)火山噴火後の東北地方における気温低下量:
火山の大噴火があると、その直後の3年間のうち少なくとも1回は東北地方で 大冷夏となる確率が90%以上と高い。江戸時代までさかのぼって調べた、 冷夏による凶作の歴史、その他は 「3.気候変動と人々の暮らしー歴史資料に学ぶー」 の章に掲載してある。


噴火なしの冷害
図42.17 噴火なく冷夏が起きた例外

大噴火がないのに大冷夏による凶作が頻発した時代がある。そこで、 次項では海水温度の異変がなかったかを調べることにしよう。

(5)水温ジャンプ・ダウン、漁獲量の長期変動
三陸沖の海水温度には数十年の期間にわたる低温時代と高温時代がある (図42.18)。

三陸沖の海水温
図42.18 三陸沖の海水温度の長期変動

三陸沖の親潮黒潮模式図
図42.19 三陸沖の親潮と黒潮の模式図(「研究の指針」の 「K36.海上大気の諸問題ー海上風、熱収支、 温暖化問題ー(研究集会の基調講演)」の図36.19に同じ)。 (「身近な気象の科学」(東京大学出版会) の図13.1;Kondo, 1988, Fig.13より転載)

三陸沖には暖流の黒潮と寒流の親潮の潮境ができている。この潮境は 数十年のサイクルで南北に変動しており、それにともない岩手県、宮城県、 福島県沖の海水温度が変動する。この変動は北方の北海道や南方の八丈島 では起きない。

次の図42.20は過去500年間にわたる、東北冷夏頻発時代および 世界のマイワシとニシンの大漁時代である。漁獲の豊凶が数十年のサイクル で繰り返していることがわかる。

世界の漁獲の豊凶の波
図42.20 マイワシとニシンの大漁期間(横線)、参考までに最上段には 東北地方における1670年以降の大冷夏凶作頻発時代を示した「身近な気象」の 「3.気候変動と人々の暮らしー歴史に学ぶー」 の図3.10に同じ)。 (「地表面に近い大気の科学」(東京大学出版会) の図13.5より転載)

特に興味あることは、隣国同士のスエーデンとノルエーでは、一方で豊漁の 時代は他方で凶漁である。これは、海洋変動と連動して起きる現象であろう。

太陽の黒点数や火山噴火、そのほか大気・海洋中で生じるさまざまな過程と 絡み合って気候変動が生じており、二酸化炭素の増加による直接的な気温 上昇は、それらと混ざって起きている。

以上はバックグラウンド温暖化量の結果である。

次の課題は、
都市化による昇温(熱汚染量)を求めることにしよう。
都市化による昇温(熱汚染量)=(気温)-(バックグラウンド温暖化量)
の式から求めることができる。

その結果を次節で示そう。



42.3 都市化による気温の上昇 

都市化による気温上昇の原因
図42.21 都市化による気温の上昇の原因

都市化の影響がもっとも顕著に現れるのは年最低気温(極値)である。 それを北海道の旭川を例に図42.22に示した。

旭川の年最低気温の経年変化
図42.22 北海道の旭川における年最低気温の経年変化。青の実線は長期的 傾向、青の破線は数十年に1回の頻度で発生する極低温の出現傾向を示す (「身近な気象」の「8.都市化と放射冷却」 の図8.1に同じ)。

この100年余の期間の最低気温の極値は1902(明治35)年1月25日に記録した -41℃である。この記録は日本の気象官署(気象台、測候所)の極値 であり、その後、記録は破られていない。最近の旭川における最低気温は 1990年の-28℃であり、約100年間に10℃以上も上昇している。

この上昇傾向は都市独特のものであって、旭川周辺の田舎では今でも -36~-38℃の低温が観測されている。極低温は50cm以上の積雪があり、微風 晴天の夜間の放射冷却によって生じる。

都市では、近年、機械によって除雪するようになり、地中からの伝導熱が 地表面へ伝わり放射冷却を弱めるように作用し、極端な最低気温は起き難く なった。その他、人工排熱量の増加も最低気温を極端に下げなくなった と考えれる。

極低温がなくなったので、都市で暮らす人々は楽になったのだが、他方では 悪影響も生じる可能性がある。寒さに弱い病原菌や害虫は、これまで死滅 していたのだが、越冬可能となるからである。

表3 全国91都市の熱汚染量
全国91都市の熱汚染量

気象台・測候所のある全国91都市について

都市化による昇温(熱汚染量)の経年変化をもとめよう!
結果として、過半数の都市では熱汚染量がバックグラウンド温暖化量 (100年間についき0.67℃)を超え、実際の温暖化量(=バックグラウンド 温暖化量+熱汚染量)はバックグラウンド温暖化量の2~4倍となっている ことがわかる。

次の図42.23は2000年時点における都市温暖化量(熱汚染量)の分布図である。 2000年の値とは、1993-2007年の15年間移動平均の意味である。都市温暖化量 が1.4℃以上の地点(赤丸印)は東京、千葉、鹿児島の3都市、46都市が 0.7~1.4℃(黄色)である。

これら49都市(91地点中の過半数)における気温上昇はバックグラウンド温暖 化量(=100年間あたり0.67℃)と合わせれば、気温は0.67℃の2倍以上の 1.4~3℃も高温になったことを意味する。

都市温暖化2000年地図
図42.23 都市温暖化量の分布地図(2000年)、都市温暖化量の大きさにより 記号分けしてある(「研究の指針」の 「K41.都市の温暖化量、全国91都市」の図41.2、「身近な気象」の 「M41.日本のバックグラウンド温暖化量と都市昇温」 の図41.12に同じ)。
白・・・・0.3℃以下、青・・・・0.3℃以上、黄・・・・0.7℃以上、赤・・・・1.4℃以上
都市温暖化量=0.7℃の地点では、これにバックグラウンドの気温上昇 (0.7℃/100年)が加わり、実際の気温は昔より1.4℃の上昇である。

日本で都市化による昇温がもっとも大きい東京からみていこう。
図42.24a は東京の都市温暖化量の経年変化である。東京と横浜は他の都市と 違って、1923年9月1日の関東大震災による広範囲の焼失があってから新しく 復興しはじめ、都市化の影響が見え始めたので、都市化による昇温の基準 (熱汚染量=0)を1910~1925年の平均気温としてある。

東京の都市温暖化
図42.24a 東京の都市温暖化量の経年変化、縦軸は1910~1925年の平均 気温をゼロの基準としてある。

震災後都市化の影響が見えはじめ、太平洋大戦(1941~1945年)の末期の 大空襲による焼失後、戦後復興にともない1950年頃から再び都市化の影響が 大きくなりはじめた。1960~1980年の経済高度成長期には昇温率(グラフの 傾き)が最大である。その後も昇温量は増加しており、2000年時点において 1.96℃に達した。

図42.24b は都道府県庁所在の34都市平均の都市温暖化量の経年変化である。 これらの多くの都市では、1950年以後に都市化が進んだ。この図では、滋賀県大津 には気象台はなく彦根にあり、千葉、静岡、奈良、富山、鳥取、松江、山口 の気象台・測候所は創設が新しく除外してある。彦根は次の中都市に含まれ ている。熊谷には県庁はないが、都道府県庁所在都市に含めてある。

県庁所在都市の都市温暖化
図42.24b 都道府県庁所在都市(34都市)平均の都市温暖化量の経年変化、 ただし、1950年頃以後の移転による気温の不連続が大きい都市と、 観測所創設が遅れた都市は除く。縦軸の基準は東京、横浜、京都を除く都市 では1915~1940年の平均気温を用いてある( 「K41.都市の温暖化量、全国91都市」の図41.8、「身近な気象」の 「日本のバックグラウンド温暖化量と都市昇温」 の図41.10に同じ)。

気温上昇の傾向は、経済の高度成長期(1960~1980年)に急激になっており、 その後、緩やかな傾斜で上昇が続いている。2000年における都市温暖化量の 平均値は1.0℃である。この1.0℃はバックグラウンド温暖化量よりも大きい。つまり、 県庁所在都市では、バックグラウンド温暖化量の2倍以上の昇温 が生じていることになる。

東京など大都市や県庁所在都市を除く中都市について同様に調べてみると、 2000年時点における都市温暖化量の平均値は0.5℃となる。

これら都道府県庁所在都市と中都市における都市温暖化量は多数の平均値であ り、個々の都市では平均値からずれるものもある。すなわち、熊谷や高松など では、気温上昇率は最近でも小さくならず、大きい上昇傾向が続いている。

港湾近くへ移転した観測所(千葉、神戸、下関)
都市でも、海岸では一般に風通りがよく低温と考えられがちであるが、とくに 港湾近くでは舗装道路や舗装された広場が多く、地域平均としての地表面は 熱を貯めやすい。つまり、日中の地表面は加熱されやすく、夜間は冷え難い。 その結果として想像するよりは低温でなく都市化による昇温量は大きい。

千葉と神戸と下関の観測所は、いずれも最近、港湾近くに移転しており、 その際に年平均気温に大きな不連続が生じた(図42.24cの緑色の矢印)。

千葉神戸下関の都市温暖化
図42.24c 港湾近くの観測所=千葉(上図)、神戸(中図)、下関(下図)= における都市温暖化量の経年変化。緑の矢印と数値は移転にともなう不連続 の方向(+、-)と不連続の値(℃)を表す。

2000年時点における都市化による昇温(熱汚染量)は1.55℃(千葉)、1.17℃ (神戸)、1.08℃(下関)である。

(注)移転の詳細:
千葉測候所は1981年3月31日に千葉市出州港7-46(標石の海抜=1.8m)から 西北西方向へ1250mの現在地・中央区中央港1-12-2千葉港湾合同庁舎 (標石の海抜=3.5m)に移転した。移転当初は周辺に建物が少なかったが、 急速に建物が増え周辺は整備された。千葉ポートタワーから眺めると、 未開発の敷地も少し残っている。
神戸海洋気象台は1999年9月1日に神戸市中山手通7丁目宇治野山(標石の海抜 =57.5m)から東方へ3300mの現在地・中央区脇浜海岸通1-4-3防災合同庁舎 (標石の海抜=5.3m)に移転した。
下関地方気象台は1978年12月21日に下関市大字関後地村字八ヶ迫山頂(標石の 海抜=46m)から南西方へ1400mの現在地・下関市竹崎町4-6-1下関地方合同 庁舎(標石の海抜=3.3m)に移転した。

(注)移転にともなう年平均気温の不連続の資料:
各観測所において、移転にともなって生じた年平均気温の不連続量は「研究の 指針」の「K41.都市の温暖化量、全国91 都市」の表41.1に掲げてある。


短期間に行われた再開発による気温急上昇の例(高知)
数年のうちに都市昇温が進んだ典型的な例として高知を示そう。
2001~2005年、高知市東部の再開発の一環として、露場周辺の古い住宅は 解体され、新しい住宅団地の建設と道路の拡幅・舗装が行われた。 それと同時に、露場の西側にあった江ノ口東公園(これはもともと測候所の敷地) の西半分が切り取られ、露場の南側に移動した形となった。 江ノ口東公園の少し西側には拡幅された大きな都市計画道路(25~27mの はりまや町一宮線)が開通し、ビルなども建ち都市化が進んだ。

その影響として、年平均気温が0.3~0.4℃上昇したが、毎日の最低気温には もっと大きな変化が見られる。室戸岬との差の経年変化を図42.25に示した。

高知の毎日の最高最低気温
図42.25 高知における毎日の最高気温の年平均値(上図)と毎日の最低気温 の年平均値(下図)の経年変化、ただし室戸岬との差である。

図の下段に示すように、毎日の最低気温の年平均値は最近の数年間に約1℃も 上昇した。この原因として、周辺の再開発により、古住宅の解体と舗装道路 の拡幅・増加により、露場の風通りがよくなったことと地面の熱的な性質が 変わったことで、最低気温が下がり難くなったと考えられる。

つまり、冬の夜は過ごしやすくなったが、夏の夜は寝苦しくなったことに なる。

次の図42.26は代表的な都市における都市化による昇温(熱汚染量)の 比較である。

代表的な都市における都市昇温
図42.26 代表的な都市における都市化による昇温(熱汚染)の比較

(注)全国91都市の熱汚染量の詳しいデータ:
各都市について1930年から2000年までの10年ごとの都市化による気温 上昇量の一覧表は「研究の指針」の 「K41.都市の温暖化量、全国91都市」の最後の表41.2に掲載されている。



42.4 これでよいのか気候監視 

これでよいのか気候監視
図42.27 これでよいのか気候監視!

田舎にある気候観測所(おもに旧測候所)の敷地は売りに出されている。 図42.28は長崎県の旧平戸測候所の敷地売り出しの看板である。約1,600m の面積が1,660万円(最低価格)で売りに出された。

平戸の敷地売り出し看板
図42.28 長崎県の旧平戸測候所の敷地売り出しの看板

全国の田舎にある主な旧測候所の余剰敷地(気象庁が余剰と判断した敷地) を全部売ったとしても数億円にしかならない。わずか数億円の収入のために、 日本の気候観測をだめにしてよいのか? 売り出しは中止すべきだ!

大事な気候観測所の環境は守らねばならない。図42.29は三陸沿岸にある 岩手県宮古の観測露場の写真である。

宮古のクルミ
図42.29 宮古測候所の露場、2006年7月12日撮影(「写真の記録」の 「58.宮古測候所と周辺アメダス」の写真7に 同じ)。

露場の南東側に成長したクルミの大木は気候観測の邪魔になり、強風で 枝が折れて露場の観測機器に被害をもたらす可能性がある。この指摘により、 当時の測候所長・豊間根正志氏(現・盛岡地方気象台防災業務課長)は クルミの所有者を探し伐採の許可を得て、仙台管区気象台と協議して伐採 した(2007年3月26日)。

次の図42.30は高知地方気象台の露場と子供用サッカー練習場の 写真である。サッカー練習場は高さ5mのフェンスで取り囲まれており、 その東側フェンスに蔓が植えられていた(2005年)。蔓が露場の風通りを 悪化させることになる。「気象観測は蔓の成長をモニターすることになり、 さらに茂ると周囲から練習場で遊ぶ子供たちが見え難くなり防犯上からも よくない」ことを気象庁本庁で説明した。すると、気象庁から高知地方気象台 を経て、高知市役所に蔓を移植して欲しいことが伝えられ、蔓は2006年に 他所へ移植された。筆者は現地へ行きそれを確認した。

高知露場の西側のフェンス
図42.30 高知地方気象台観測露場と、西側にある子供サッカー練習場。 露場の周辺は高知市か管理する公園となっている。

ところが2008年7月に現地へ行ってみると、こんどは西側フェンスに新しい 蔓が植えられていた。こんどは高知市の住民の皆さんたちが高知市役所 みどり課へ、蔓の撤去・移植をしてもらうよう連絡していただきたい。 これが、私たちの環境を守ること(気象観測を正しく行なうこと)に役立つ のである。

次の図42.31は静岡県の旧三島測候所(現・特別地域気象観測所)と宿舎跡地 の写真である。ここは都市気候のための観測所である。

南側から見た旧三島測候所敷地
図42.31 旧三島測候所(現・特別地域気象観測所)の南側にある駐車場の 北東端から見た旧三島測候所の敷地(横に3枚を合成し多少のひずみがある)。 ほぼ中央の2階建ての白色建物 が旧三島測候所庁舎、その左側に観測露場があり一番高い鉄塔が現在の測風塔 である。正面の広い草地には、もと5戸の測候所宿舎があったところで、 約2300平方メートルの敷地は業者が買収ずみである(「写真の記録」の 「89.三島測候所」の図89.2に同じ)。

「研究の指針」の「K44.気候変動観測の危機」 でも取りあげたように、余剰地を購入したマンションの建設・分譲の 業者が2,300平方mの敷地に13階建てマンションの建設を計画したところ、 住民の「三島測候所を守る会」の反対により計画を変更した。

この反対運動と、マンション業者の計画変更(戸建て住宅の分譲業者への 転売となる可能性がある)をもたらす原因をつくったのは、気象庁ではない か!?

三島測候所の余剰地を財務局に返還する際に、露場の外側に余裕をとらず、 露場フェンスを余剰地の境界としたことに判断ミスがあった!

三島測候所の宿舎跡地
図42.32 売却した敷地(三島測候所宿舎跡地)の利用方法の例。 黒印:旧測候所庁舎(現在、国の有形文化財)、濃い緑:気象観測所の露場、 オレンジ色:売却した敷地(赤+薄い緑)のうち、住宅などの敷地とせずに 通路などに利用すべき共有地、薄緑:戸建て 住宅の建設用地、ただし密集させないこと。黄色:道路、青:現存の住宅などの 建物を表す。図の南寄りを西南西から東北東に走る道路は国道1号線である (「写真の記録」の「89.三島測候所」 の図89.4に同じ)。 (「goo 地図、三島市東本町2丁目」を参考にして 作成)

図42.32に示すように、オレンジ色で示す範囲を広くとり、無人化後の観測所 用地として確保し、薄い緑色の範囲(以前には測候所の平屋宿舎5戸があった ところ)を財務局に返還すべきであった。露場の東側のフェンスからオレンジ 色の東側の点線までの距離は、十分にとる必要があった。

敷地の返還後、オレンジ色の部分にも住宅が建ち、観測所としての環境が 最悪になることを、なぜ予想できなかったのか。

気象庁の仕事をもう一度確認しておこう。

気象庁の仕事
図42.33 気象庁の主な仕事と、観測露場の条件

筆者が各地を巡回していて、気象観測所の周りに成長した樹木があった場合、 すべてではないが地方気象台の対応は次のようなものだ。

露場周辺に樹木があるときの対応
図42.34 気象観測露場の周辺に成長した樹木がある場合の対応

アメダスでも管理不十分により降水量が多め目、あるいは少な目に観測される 例が木下宣幸氏(気象大学校準教授)によって指摘されている。

各気象観測所ごとに、「露場と周辺の草刈・枝切り日は毎年、何月と何月に 行うこと」という業務内容を文書化しておき、担当職員による違いが生じ ないように管理しよう。

(注)観測上の問題点:
本章では一部の観測所について例を示したが、他の観測所についても同様に、 風速が年々弱くなっていて樹木の成長が観測の邪魔になっていないか、 担当の気象台に聞き合わせても、邪魔になっていないという回答である。 風速が長期にわたり弱くなっていても担当者は知らないことが多い。 これは困った問題である。
現地の気象台等では観測の現在値は常時監視されていて、機械の異常がないか が発見できるような体制になっている。しかし、観測値が長期にわたりゆっ くりと変化していることには気づかなく、観測環境を正常に保つことが難しく なっている。気象庁における監視体制の見直しが必要である。


(注)気候変動観測所:
次の表は筆者が提案する気候変動観測所の一覧である。詳しい説明は「研究の指針」 の「K40.基準34地点による日本の温暖化量」 の40.7節「今後の観測体制についての提案」 および「K44.気候変動観測の危機」の 44.5節「今後注意すべき観測所」に記載した。


表4 気候変動観測所
気候変動観測所
赤文字は重要地点、太字は特に重要な地点、(内陸): 内陸として重要な地点

環境保全のため敷地の売却を中止すべき観測所:
浦河、寿都、宮古、 深浦、相川、日光(奥日光:内陸)、勝浦、石廊崎、御前崎、潮岬、 津山(内陸)、境、浜田、多度津、 室戸岬、清水、宇和島、平戸、枕崎

その他の重要な観測所:
網走、屋久島、西表島 と 与那国島

その他の観測所:
稚内、根室、伏木、飯田(内陸)、 銚子、名瀬


まとめ

表5 まとめ
まとめ

(1)正しい温暖化量とは
時代による観測の方法や測器の変更による誤差と、日だまり効果(都市化の 効果も含む)による気温の観測誤差を補正することで正しい値がわかった。

(2)温暖化の実態がはじめてわかった
気温は数十年にわたり下降する時代、変化の少ない平坦な時代、上昇する時代 があり、その境界年に大きなジャンプが生じている。

(3)都市化による昇温(熱汚染量)が区別できた
都市化による昇温(熱汚染量)の経年変化をもとめたところ、過半数の都市 では熱汚染量がバックグラウンド温暖化量(100年間についき0.67℃)を超え、 実際の温暖化量(=バックグラウンド温暖化量+熱汚染量)はバックグラ ウンド温暖化量の2~4倍となっていることがわかる。二酸化炭素の削減 努力のほか、都市では気候緩和の都市構造に変えていく努力が必要である。

(4)これでよいのか気候監視
このまま放置すると、気象観測は正しくできなくなってしまう。
田舎にある重要な気候観測所(20ヶ所ほど)の敷地売り出しは最小限にとどめ、 住民の理解と協力のもとに、観測環境を守っていかねばならない。

参考書

近藤純正、1987:身近な気象の科学.東京大学出版会、189pp.

近藤純正(編著)、1994:水環境の気象学.朝倉書店、350pp.

Kondo, J., 1988: Volcanic eruptions, cool summers, and famines in the northeastern part of Japan. J.Climated, 1, 775-788.



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