8.都市化と放射冷却
著者:近藤純正
	8.1 旭川への旅立ち
	8.2 放射冷却の原理
	8.3 旭川における年最低気温の経年変化
	8.4 旭川の周辺アメダスにおける経年変化

	8.5 山形における経年変化
	8.6 東京における経年変化
	8.7 石廊崎と室戸岬における経年変化
	要約
	文献
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北海道の旭川では1902(明治35)年1月25日、-41℃の最低気温を記録した。 これは正式の気象観測所における値としては日本最低の記録である。旭川に おけるその時代の年々の最低気温は平均的に-30℃~-35℃程度であったが、 近年の最低気温はそれより約10℃も上昇している。この原因を探るのが この章の目的である。都市化は放射冷却に大きな影響を及ぼすので、 晴天微風日のヒートアイランドは夜間に顕著になることを理解しよう。


8.1 旭川への旅立ち

筆者はこの10有余年来、毎年、大学生に「放射冷却」の講義を行い、その 最後に、元・旭川地方気象台長の三本木亮氏が1988年に発表した解説「旭川の 気象100周年を迎えて」の中に示された図の1つを示して、

旭川の最低気温は明治時代には-30℃~-35℃前後、最低は-41℃であった。 -41℃を記録した1902(明治35)年1月25日は、青森県八甲田山で行軍隊の 雪中訓練で多数の兵隊が凍死した年月と一致している。
しかし、最近の旭川における年最低気温は上昇し、-30℃以下の極低温は 出現せず、-20℃~-25℃前後となっている。この上昇傾向は何によるのか?


と問い、学生に「放射冷却の応用問題」として考えさせてきた。その際に 見せた図は1889年~1987年の期間、それに最近のデータを加筆したものが 後で示す図8.1である。

年最低気温が現われるのは毎年の冬で、深い積雪があり微風の晴天夜である、 つまり放射冷却によるものである。旭川は時代と共に都市化が進んで きたが、都市化の諸要因のうち、何がこの現象に大きな影響を及ぼしている かと、ずっと気掛かりになっていた。

旭川から北西方向、直線距離で17kmにあるアメダス江丹別 (えたんべつ)は人家が比較的少ない所である。 ここでは最近でも-35℃~-37℃の低温が数年に1回の頻度で現われている。 1985年1月24日7時に-37.1度、1990年1月28日7時に-36.8℃、2001年1月 15日6時に-36.6℃を記録している。

今回、2004年10月20日午前~22日夕刻まで、旭川とその周辺を視察すること になった。2004年は台風の上陸数10個という新記録が出そうな状況にあった。 20日朝、暗いうちに自宅を出発。台風23号が高知県土佐清水市付近に上陸の 前、雨中の羽田空港を出発。午前中に、新庁舎に移転したばかりの旭川地方 気象台に到着。

前もって辻雅彦・台長に連絡しておいたところ、気象資料やアメダス観測所 の周辺環境などが説明された「地域気象観測所調書」等のコピーを準備して くれてあった。午後1時間ほど、私が旭川を訪問した理由と「放射冷却」 についての講演をさせていただいた。そのあと、古い気象資料の手写し作業 を行なった。

2日目は個人・水戸タクシーとの1万5千円で貸切契約、 周辺3箇所のアメダス、その他をまわってもらった。

東川アメダスの前身である昔の農業気象観測所が設置されていた東川町 役場敷地の状況を知るために上川郡東川町役場を訪れた際、出納室室長・中原 伸明さんが東川の気象データをノートに整理されていることが分かり、 コピーを頂戴した。引退後の私は趣味の視察でこの地に来ている わけだが、中原さんも趣味でデータ整理をされていることに感心した。

3日目は旭川地方気象台で昔の気象資料の手写し作業を行なった。 作業が終ったころ、雨降りとなっていた。今回の視察では、辻気象台長、 佐藤防災業務課課長はじめ、気象台の皆さんにはたいへんお世話になり、 幸運な旅を終えることができた。

8.2 放射冷却の原理

放射冷却についての解説は「2.放射冷却と盆地冷却」 の章に説明してある。 要約すると、放射冷却が大きくなるのは微風の晴天夜、大気全体が低温で乾燥 しており、さらに地表面近くの土壌表層(積雪時は積雪)の熱的パラメータ (熱容量と熱伝導係数の積)が小さいときである。 つまり、日本のような気候では晩秋から早春にかけて、新雪が積もった微風の 晴天夜、あるいは無積雪地では晴天が続き土壌内の水分が少なくなった微風の 晴天夜に放射冷却が大きくなる。積雪の深さが概略50cm以上のとき、周辺 一帯の地物も雪に覆われているので、地域一帯が低温となりやすい。

地形との関係では、盆地や谷地形では放射冷却 が大きくなる。(補足的な説明は下記のボックス「放射冷却の理論的な要約」 をクリックして参照してください)

顕著な放射冷却が出現するような晴天夜間における正味放射量は 50 W/m 2前後である。したがって、5~20 W/m2程度の影響を 及ぼしうる要因を考えてみよう。

都市化、すなわち建物が増加、特に高層化が進むと地表面から天空を 見たときの①天空率が小さくなる。 そのぶん建物の壁面が見えるようになる。 これは放射に及ぼす雲の効果と同じになり、放射冷却は弱まる。

また、②人工熱の排出によって 地表面付近の空気は加熱され放射冷却は弱められる。放射冷却で外気温が 下がったようなとき、家屋・ビルのガラス窓を通して放出される熱エネルギー は大きい。 道路の舗装やコンクリート構造物の③熱的パラメータ (熱容量と熱伝導係数の積)が自然状態に 比べて大きくなれば、地表面の冷却速度は弱められる。さらに、建物その 他の地物によって風の中に乱流が作られ、上下の ④混合作用によって地表面付近の気温の低下が弱められる。

これら4つの要因が気象観測点の周辺一帯で変化すれば、夜間の放射冷却量、 したがって朝の最低気温が変わることになる。


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都市化の放射冷却に及ぼす要因

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放射冷却の理論的な要約

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最高・最低温度計とデータの利用



8.3 旭川における年最低気温の経年変化

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「旭川の都市化と気温上昇」

旭川は北海道・道北の中心都市である。ここでは、北からの石狩川と 牛朱別川、東からの忠別川と美瑛川が合流している。 合流した石狩川は比較的狭い地形を西に流れた後、南西 方向に向かい石狩湾に注いでいる。旭川から東には標高2290mの旭岳を含む 大雪山が見える。

旭川は上川盆地の底部に位置し、周辺の尾根の平均標高との差は、 西側で約200m、南側で約400m、東側で約1500m、北側で約700mである。 上川盆地の直径は約60km、深さは800mである。 こうした地形からすると、放射冷却が最も強く現われるところとなる。

旭川で合流した石狩川のすぐ下流の位置から北に延びる支流の江丹別川に 沿って上ると江丹別町中央(現在、旭川市)に至る。 江丹別は直径約9km、深さ約300mの盆地である。 この盆地については後の章で述べる予定である。

旭川における年最低気温(毎日の最低気温のうち、1年間でもっとも低い値) の経年変化をみてみよう(図8.1)。

旭川の年最低気温の経年変化
図8.1 旭川における年最低気温の経年変化。青の実線は長期的傾向、 青の破線は数十年に1回の頻度で発生する極低温の出現傾向を示す。

旭川では1902年に-41℃の最低気温を観測している。 1889年~1920年ころには、年最低気温は平均的に-30℃~-35℃程度で あったが、最近の年最低気温は-20℃~-25℃程度となった。 これは、約100年間に10℃の上昇 である。この上昇量は、旭川における 年平均気温の100年間の上昇量(約2℃、図は省略)に比べて、はるかに 大きい。

この大きな上昇傾向は都市化にともなう、上述の ①~④の要因によると考えられる。都市化の影響がもっとも現われ やすいのは、晴天日の朝の最低気温であり、私はこれに注目している。

最近では道路の除雪が行なわれるようになった。積雪の薄い部分ができると、 そこでは地中伝導熱が地表面へ上がってきて、地域全体の放射冷却を 弱めることになる。これは地域全体の地中の ③熱的パラメータを大きくすることに相当する。

なお、旭川の1月、2月における積雪の深さ50cm以上の日数はそれぞれ20日、 26日であり、年最低気温の現われた日はたいてい、積雪の深さ50cm以上、 年によっては1m以上となっている。なお、旭川における 1~2月の平均気温は-8℃である。

図8.1で見られるように、年々の年最低気温は大きくばらついている。 なめらかに描いた青線は、長期的傾向である。 これより、低温側に大きくずれたプロットは放射冷却が顕著になる諸条件が そろった年の最低気温である。

諸条件とは、(A)上空1~1.5km付近の風速が10m/s以下、 地上付近は微風、(B)晴天夜、(C)積雪の深さが十分で、特に積雪表層は密度の 小さい雪で覆われている(無積雪地域では、晴天が続き土壌表層が十分に 乾いているとき)、(D)夕方の地上気温が低温、(E)高層までの大気全体が 低温・乾燥のときである。

一方、平均的な青線より高温側に大きくずれたプロットは、これらの諸条件 が揃うことのなかった年、たとえば雲が出て完全な快晴・微風夜のなかった 年の最低気温である。

8.4 旭川の周辺アメダスにおける経年変化

次に、旭川の周辺で気象観測が行なわれているアメダスにおけるデータを 調べてみよう。まず、旭川中心部から北西方向に直線距離17kmに位置する 江丹別アメダスにおける経年変化を図8.2に示した。

江丹別の年最低気温の経年変化
図8.2 江丹別における年最低気温の経年変化。青の実線は長期的傾向、 青の破線は数十年に1回の頻度で発生する極低温の出現傾向を示す。

江丹別は直径約9km、深さ300mの盆地である。今回取り上げた3つの アメダスの中では、周辺一帯が人家の少ない所に設置されている。 人家は傾斜の低い方向に散在している。典型的な放射冷却が起きるような とき、盆地の側斜面から冷気流(通常、微風)が流れてくるのだが、 その流れは人家の影響をほとんど受けない方向からとみなされる。

そのため、時代による最低気温の上昇傾向はほとんど見られない。

次に、旭川の北東方向にある比布(ぴっぷ)アメダスにおける結果を図8.3に 示した。 このアメダスは碁盤状につくられた市街地の中の住宅の庭先のような場所に 設置されている。

比布の年最低気温の経年変化
図8.3 比布における年最低気温の経年変化。青の実線は長期的傾向、 青の破線は数十年に1回の頻度で発生する極低温の出現傾向を示す。

周辺一帯はほとんど平坦地に見えるが、傾斜面の上流側に人家が多く、団地 になっている。最近、冬期の道路は除雪されるようになり、さらに人家 からの排熱量が最低気温の上昇傾向を生じているのではあるまいか。

深さ0.5m以上の積雪があるような積雪地域では放射冷却が顕著であるので、 そのため大都市でなくても、人工熱と除雪による地中伝導熱の影響により、 より一層効果的に放射冷却が弱められているのではないだろうか。

こんどは東川アメダスにおける結果を示す。東川は旭川の東南東にある。 100分の1の勾配の傾斜面が北西から南東方向に高くなり、上流ほど 勾配が大きくなって丘陵地のふもと、谷状地形へと続く地形にある。

東川の年最低気温の経年変化
図8.4 東川における年最低気温の経年変化。青の実線は長期的傾向、 青の破線は数十年に1回の頻度で発生する極低温の出現傾向を示す。

東川の市街地内は碁盤の目のような団地内の道路が密に作られている。 ここでも斜面下降流の下流側にアメダスが設置されている。そのため、 比布と同様に、人工熱と除雪による地中伝導熱の増加により放射冷却が 弱められる。

役場の出納室長・中原伸明さんに聞くと、役場周辺は以前から公共施設が 集まっていたが、近年になって一般の住宅などが傾斜の低い方向(東川アメダス の方向)に向かって増えてきた。海洋センターの建物もそれらの一つである。 また30年ほど前から機械による道路除雪がよく行き渡るようになった。 こうしたことが近年の年最低気温の上昇という結果に現われてきたのではある まいか。

図8.4に示す年最低気温の長期的傾向(青の実線)において、1940年前後の 値が1960年代の値よりも3℃高温にあるのは、(1)統計期間が10年間と短い ために偶然、極低温が現われなかったのか、(2)観測地点が現在地より 標高で約6m高い東川村役場内の敷地(現在の町立診療所)にあり、百葉箱の ごく近傍の地物などとの関係が定かでないので、その理由は不明である。

8.5 山形における経年変化

山形も冬期の積雪は多く、1月、2月の積雪の深さ20cm以上の日数はそれぞれ 13日、17日である。しかし、積雪の深さは旭川の半分ないしそれ以下である。 山形における1~2月の平均気温は-1℃であり、旭川より7℃高い。

山形の年最低気温の経年変化
図8.5 山形における年最低気温の経年変化。青の実線は長期的傾向、 青の破線は数十年に1回の頻度で発生する極低温の出現傾向を示す。

山形における年最低気温の経年変化を図8.5に示した。1900年前後 には-10℃~-16℃前後であったが、近年はそれより5℃上昇し、-6℃~ -10℃となった。上昇量は旭川の約半分である。しかし、山形の 100年間における年平均気温の上昇量(約1.5℃、図は省略)に比べて はるかに大きい。

山形と旭川の都市としての比較を示しておこう。 旭川市は1890(明治23)年に3つの小さな村からなった。1891年から開発の ために屯田兵が入植し、旭川は上川の中心として開拓が進められた。1900 (明治33)年には旭川村から旭川町に改称され、人口約1万人からしだいに 増加してきた(旭川市のホームページによる)。 この意味で、旭川は山形など他の都市に比べ、明治~大正時代に急速に 変化したといえる。

ここで、旭川市と山形市の違いを人口から比較すると、
1902年:旭川の人口=2万人弱、山形の人口=・・・・・
1920年:旭川の人口=約 6万人、山形の人口=約12万人
1961年:旭川の人口=約19万人、山形の人口=約19万人
同上:旭川の面積=394平方km、山形の面積=382平方km

1963年以後、市町村合併により旭川市の面積は748平方kmに、人口は約36万人 に増加しているが、面積と人口増加は市町村合併に伴なうものであるので、 1961年現在の人口で両市を比較することとした。ほぼ同じ市街域面積の範囲内 では旭川と山形は人口がほぼ同じ規模の都市である。

年最低気温の起日は、ほとんど1~2月である。そこで、近年における 1~2月の月平均気温と近年の年最低気温の差を比較してみよう。

旭川:-8℃-(-20℃~-25℃)=12℃~17℃
山形:-1℃-(-6℃~-10℃)=5℃~9℃

この数値から、旭川における放射冷却の激しさは、近年になっても、 山形におけるそれよりも大きいといえる。その要因は何か?

前に説明した4つの要因のうち、②人工熱 と、③熱的パラメータがある。②については、 旭川のほうが冬期の暖房エネルギーが大きいと考えられる。③については、 2つの理由がある。その1は、旭川では積雪が深いので地中からの 伝導熱が少ない。その2は、平均気温が低いので積雪の密度が小さく 熱的パラメータが小さい。この2つはともに放射冷却を大きくする。 これが旭川と山形の違いをつくる主な要因であろう。

8.6 東京における経年変化

まず東京大手町の地上気象観測露場の周辺を眺めてみよう(図8.6、8.7)。 他の測候所・気象台と同様に、東京でも観測場所は時代によって移転を 繰り返してきた。最初は赤坂溜池葵町に観測所が開設されたが、のちに竹平町 (現在地のすぐ西側)に移転、現在は大手町にある。皇居のお堀に近いが 周辺はビル群が立ち並び周辺一帯の天空率は小さく、自動車の交通量も多い。


図8.6 東京大手町観測露場(北西から)

図8.7 東京大手町観測露場(南から)

東京の年最低気温の経年変化
図8.8 東京における年最低気温の経年変化。青の実線は長期的傾向、 青の破線は数十年に1回の頻度で発生する極低温の出現傾向を示す。

東京大手町における年最低気温の経年変化は図8.8に示した。年最低気温は 1900年のころ-6℃前後であったが、最近の2000年ころには0℃~-2℃ となり、100年間に5℃の上昇である。この上昇量は、年平均気温の上昇量 (約3℃、図は省略)よりも大きい。

図8.8に描いた青線は長期的な傾向を表すものであるが、各プロットに注意 してみよう。昔は10~30年間に1回程度の頻度で起きる極低温は-9℃ほどで あったが、極低温は時代と共に上昇し、最近の20年間には-3℃以下となる ことはなくなった。

近年における1~2月の月平均気温と近年の年最低気温の差を計算して みよう。

東京:5℃-(0℃~-2℃)=5℃~7℃

この差は山形の値にほぼ匹敵する。 積雪による効果は別にして、東京では①天空率 ②人工熱③熱的パラメータ ④混合作用の4つがもっとも効いている都市と 考えられる。

8.7 石廊崎と室戸岬における経年変化

最後に、都市化の影響がほとんどない石廊崎(静岡県伊豆半島の先端、 昔の長津呂)と室戸岬(高知県)における関係を調べ、それぞれ図8.9と 図8.10に示した。

石廊崎の年最低気温の経年変化
図8.9 石廊崎における年最低気温の経年変化

室戸岬の年最低気温の経年変化
図8.10 室戸岬における年最低気温の経年変化

両地点とも、観測を中断した期間があるが、年最低気温に40~50年の周期的な 変動があるようにも見え、時代とともに上昇しているという明瞭な関係は 見出し難い。もし、上昇傾向があるとしても、1~2℃程度の大きさである。

要約

旭川における年最低気温は時代とともに上昇し、100年間に約10℃も高く なった。この上昇傾向は都市化によるもので、特に積雪による 放射冷却の激しさが都市ビル群落や道路の舗装、暖房による人工熱の排出、 道路などの除雪によって弱められていると考えられる。

しかし、旭川の周辺のアメダスのうち、江丹別では極低温は昔と変わりなく 起きている。江丹別のアメダスは人工的な熱、道路除雪の影響がほとんど ないとみなされる。

しかし、狭い範囲ながら市街地の団地にある比布アメダスと東川アメダス では、近年の道路除雪と人家からの排熱の影響によるのであろうか、 年最低気温に上昇傾向がみられる。この2つのアメダスは団地中心に位置 するわけではないが、それぞれ300分の1と100分の1の勾配をもつ傾斜地の 低い側にあって、微風晴天夜間に団地からの影響を受けることが原因であろうか。

このように、大都市でなくても、積雪量の多い地方ではアメダスの近傍 数100m範囲による影響が大きいのであろうか。

旭川とほぼ同規模の市街部をもつ山形でも年最低気温は上昇傾向にあるが、 山形では旭川に比べて(1)積雪の深さが浅いことと、(2)平均気温が 高いことにより、100年間に約5℃の上昇である。

東京では、都市化がもっとも進んでいるが、積雪はまれで、あっても 少ないので年最低気温の上昇傾向は旭川ほどではないが、100年間に5℃の上昇 である。

都市化の影響のない石廊崎や室戸岬では、年最低気温の上昇傾向は明瞭では ない。

したがって、旭川、山形、東京における最低気温が上昇傾向(100年間に5℃~ 10℃)となっているのは、都市化の影響で 夜間の放射冷却が弱まったことによると推論されよう。 その結果、都市における晴天微風夜のヒートアイランド は顕著になる。

今後の研究課題として、他の気象観測所についても都市化の影響を調べて みたい。そうして、都市化の影響の少ない気象観測所のデータを用いて 日本全体、及び世界における地球温暖化について、これまで発表されて いる研究結果の見直し作業を進めていきたい。

文献

近藤純正、1982:複雑地形における夜間冷却ー研究の指針、天気、29、935-949.

近藤純正、1987:身近な気象の科学、東京大学出版会、pp.189.

近藤純正、2000:地表面に近い大気の科学、東京大学出版会、pp.324.

札幌管区気象台、1988:主な気象要素の年別極値表、昭和63年3月.

三本木亮、1988:旭川の気象100周年を迎えて、日本気象協会、32、9811-9814.

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