58. 宮古測候所と周辺アメダス

近藤 純正

岩手県三陸海岸にある宮古測候所を訪問し、周辺環境の観察を行った。さらに、 その北方に位置する小本アメダスと普代アメダス、および宮古から西の内陸 にある川井アメダスの周辺環境を視察した。 (2006年7月31日完成)

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  	  もくじ
		(1)はじめに
		(2)宮古測候所の旧庁舎
		(3)宮古測候所の新庁舎
		(4)宮古測候所周辺2006年
		(5)小本アメダス
		(6)普代アメダス
		(7)川井アメダス
		文献
(1)はじめに
地球温暖化など気温の長期変動を調べるための資料は、主に気象庁の測候所 における観測に基づくものであるが、戦後の1950年ころ以後、多くの測候所 の周辺は都市化するなど環境は悪化し、現在では理想に近いものは数少なく なっている。

岩手県三陸沿岸にある宮古測候所は、その数少ない測候所の一つである、 気温に若干の補正を行えば、地球温暖化の資料として使えることがわかって きた。

今回、2006年7月12~13日に宮古測候所を訪問した。測候所の所長・豊間根 正志さんが古い資料の閲覧準備をしてくれてあり、資料は能率よく得ること ができた。 また、1882年9月に鏡岩(南部藩砲台跡地)に創立した旧測候所跡も案内して いただいた。ここは、港を直下に見下ろす標高29mにあり、現在は 漁業協同組合の建物があった。

鏡岩の跡地
写真1 鏡岩の測候所跡から見た宮古湾、手前に漁港


宮古測候所は、1939年1月からは標高42.5mの現在地に移転した。 平屋建て庁舎は、1991年からは二階建て新庁舎となったが、露場は 階段を付け替えるなどの変化はあったものの同じ位置で移設はなかった。

旧庁舎は露場のすぐ上の敷地にあったが、新庁舎は旧庁舎と同レベルだが、 露場からは遠い方向(北西方向)へ移動し、旧庁舎跡は舗装された駐車場と なっていた。

現在地からも宮古港を見下ろすことができる。

(2)宮古測候所の旧庁舎
図58.1は宮古測候所庁舎位置図である。市役所などのある市街部から国道 45号線を登ると右手に測候所がある。この国道は、それまではなかった道路 だが、1973年に開通したものである。

宮古測候所位置図
図58.1 宮古測候所の庁舎位置図(赤印) 東北技術だより、1992、より引用
測候所脇を南から北西に通る国道45号線は1973年に開通したもの。


旧宮古測候所
図58.2 宮古測候所の旧庁舎配置図 東北技術だより、1992、より引用
緑:露場、赤:庁舎
露場は庁舎敷地よりレベルが一段低い。南西側の7号宿舎のレベルはさらに 低い。


旧測候所時代には、数棟の宿舎が敷地内にあったが、現在は解体されて なくなっている。露場の南西側の一段低い位置に宿舎跡がある。その宿舎の 屋根は露場面のレベルと概略同じであり、宿舎が露場面付近に及ぼす直接的 な影響はほとんどなかったものと思われる。

環境写真1971
写真2 宮古測候所から西を見た写真、1971年3月 宮古測候所提供


環境写真1973
写真3 宮古測候所から西を見た写真、1973年3月(国道45号線開通後) 宮古測候所提供


写真2と3からもわかるように、国道45号線の工事が1972年に始まり1973年 に開通した。 この国道によって、宮古の年平均気温が上昇した可能性があるが、 1970年前後の気温の変動が大きく、その判定はできなかった。 つまり、「研究の指針」 の"「K18. 宮古と岩手内陸の温暖化量」の 図18.3を見ると、1970年以前に比べて1980年以後に約0.1℃の気温上昇が あるようにも見えるが、変動幅が大きく不明確であった。 だが、今後、気にとどめておきたい。

(3)宮古測候所の新庁舎
1991年からの新庁舎はコンクリート二階建てとなり、露場との間は舗装され た駐車場となっている。この駐車場が年平均気温を僅かながら上昇させる 原因となっているのかも知れない。

その詳細は「K18. 宮古と岩手内陸の温暖化量」 の図18.2と図18.4付近を参照のこと。

宮古新庁舎
図58.3 宮古測候所の新庁舎配置図 東北技術だより、1992、より引用
緑:露場、赤:庁舎
露場の南西側(レベルは一段低い)にあった宿舎は現在は解体されて存在 しない。


(4)宮古測候所周辺2006年
新庁舎は測候所単独の、比較的大きな二階建てである。屋上に案内 されて見渡すと、宮古湾が眼下にある。港は埋め立てられ、市街部は昔より も広くなっていると聞く。

ウインドプロファイラー・ドーム
写真4 宮古測候所の屋上から見下ろした露場とその周辺。
手前の白いドームはウインドプロファイラー、下方に宮古市街と漁港が見える。
合成写真により、手前が歪んでいる。


北東と南西
写真5 宮古測候所の屋上からの写真。
(左)北東方向、(右)南西方向。


北東と南西
写真6 露場の北東部の写真。
(左)屋上から見下ろした写真、(右)露場から北東方向を見た写真。


クルミ
写真7 露場の南東側のクルミの木、右手端の遠方に宮古湾。


露場に下りてみると、南東側にクルミの木があり、生長にともなって 露場面付近の風通りを悪化させ、気温の長期変動の観測にじゃまになる のではないかと思った。

遠望
写真8 遠方から見た宮古測候所(赤矢印)。
(左)港近くの市街部から見上げた写真、(右)北東方向(浄土が浜道の橋)から の遠望。


(5)小本アメダス
宮古測候所訪問前の2006年7月12日の午前中に小本アメダスと普代アメダスを 視察する目的で、宮古から三陸鉄道に乗車して北に向かった。

6月に盛岡地方気象台からもらってあった地域気象観測所調書の 地図にしたがって、小本駅から10分ほど歩くと、小本アメダス を見つけることができた。駅のホームからそれが見えなかったのは、 アメダスが山すそと木立の陰に位置していたからである。 このアメダスは海岸から約2kmのところにある。

小本遠望
写真9 三陸鉄道小本駅ホームから小本アメダスを望む。
赤矢印付近にアメダスがあるが山すそと木立に入って見えない。


小本東から
写真10 東の方向から見た小本アメダス(赤屋根のポンプ場の右手)。

小本北から
写真11 北の方向から見た小本アメダス(中央電柱の手前の道路脇) (横に3枚を合成)。

小本アメダスは、農業用水のポンプ場の敷地内に設置されている。 アメダスの西(写真11では右手)側に小本川が流れている。アメダスの見学 後、小本駅に帰る途中で農作業をしていた年配の女性に聞くと、小本川の 堤防は戦後に造られたもので、堤防の樹木は自然に生長・繁茂した ものだという。

地域気象観測所調書によれば、
小本アメダスの前身・甲種観測所は1957年に小本中学校に開設、
1962年1月1日:岩泉町役場小本支所で農業気象観測開始、
1968年10月1日:小本中学校に移設、
1977年11月1日:現在のポンプ場でアメダス開始、
となっている。

小本中学校は小本駅から反対側の北東方向の山すそにあると聞く。駅の ホームから中学校の屋根を見ることができた。

(6)普代アメダス
三陸鉄道の小本駅からさらに北へ向かう。気象観測所調書によれば、 普代アメダスは普代駅のほぼ真西、150mの距離にある。このアメダスは 海岸から約2km内陸に入ったところにある。

駅の西側一帯は、最近、きれいに整備された住宅地となっていた。 普代川の川岸付近に小さな公園があり、その一角に普代アメダスがあった。 ごく最近建てられたと思う住宅数戸がアメダスの北東側にあった。

普代では帰りの列車までに1時間40分の余裕があったので、アメダスの前身 が置かれていた普代村役場跡(現在は村の図書室)と普代中学校も訪ねる ことにした。

1956年4月1日:普代中学校で甲種観測開始、
1962年1月1日:役場で農業気象観測開始、
1977年1月1日:現在地の簡易水道水源地にてアメダス開始、
2003年2月6日:隣接地に公園ができて低くなり観測所1m嵩上げ、風速計6.4mから9.4m、
となっている。

普代駅から
写真12 普代駅から見た普代アメダス(望遠)。

普代アメダスの西から
写真13 水源地公園の西方から普代アメダスを望む。
手前建物の向こう側にアメダス、左手に普代川がある(横に3枚を合成)。

普代アメダスの東から
写真14 普代アメダスの東側から望む(横に3枚を合成)。

普代アメダスの南から
写真15 南側の水源地公園内から普代アメダスを望む(横に3枚を合成)。

現アメダスの見学を終えて、旧役場の近所までくると、住宅の修理をしていた 人たちに会い、昭和37~52(1962~1977)年に気象観測をしていたかどうか を尋ねると覚えており、百葉箱が設置されていた場所は、この付近だったと 教えてもらった(写真16の赤丸印)。

さらに、それ以前に中学校で気象観測をしていたと書類にあるが、 知っているかと尋ねると、百葉箱のようなものがあったようだという。

普代町の役場跡
写真16 アメダス前身の農業気象観測(1962~1977年)が行われて いた元の役場。
現在は普代町図書室・郷土資料展示室として使われている(横に3枚を合成)。
赤丸印付近で観測が行なわれていたという。

普代中学校遠望
写真17 1956年に甲種観測を開始した普代中学校。
赤矢印付近の階段を登ると左手にグラウンド、右手に校舎がある。

普代中学校の中庭
写真18 普代中学校のバックネット裏の中庭。
左手の下に道路があり、それを向こうの方から手前に歩いてきて、 階段を登ると、この中庭があった。

普代中学校に行くと、先生方はちょうど授業中で、昔の状況について 調べてもらうことができなかった。気象観測場所は、現在のグラウンドの バックネット裏、門の階段を登って校舎へ向かう途中にある中庭か?  と想像した。

(7)川井アメダス
宮古測候所での資料収集が終り、2006年7月13日午後、宮古から盛岡に向かう 途中にある川井アメダスに立ち寄ることにした。当初は、JR列車に乗る予定で あったが、宮古から盛岡行きのバスが30分~1時間間隔で運行しており便利だ と教えてもらったので、バスに乗車し、およそ35分で川井村役場・郵便局 の近くの停留所で下車した。

観測所調書によれば、 1977年12月2日:川井村役場にてアメダス開始、
1993年9月21日:役場から対岸の川井小学校(現在地)へ移設、
となっている。

盛岡地方気象台で6月にもらってあった観測所調書の地図を参考にして探すと、 対岸の小学校のグラウンドの北東端にアメダスがかすかに見えた。

川井アメダス、対岸から
写真19 閉伊川の対岸から見た川井アメダス(赤矢印)。
小学校グラウンドのバックネット裏にある。

川井アメダス、グラウンド
写真20 川井小学校の校庭と川井アメダス(赤矢印)。
左端は小学校校舎、その右手の建物は対岸の建物、右寄りの バックネット裏にアメダスがある。

川井アメダス
写真21 バックネット裏の川井アメダス。
アメダスの右手後方はフェンスがあり、それに蔓が繁茂している。

川井小学校に行ってみると、アメダスはグラウンドのバックネット裏に あり、近くの大きな樹木とフェンスに繁茂した蔓に囲まれた状態であった。

この小学校の校舎は大きいが、その割に生徒数は僅かで、1、2年生と 3、4年生は複式クラス、5年生と6年生は単独クラスとのことである。 日本のどの地方でも過疎化と少子化により、小学校の生徒数は昔の10分の1 の程度に減少している。

グラウンドを見渡すと、川岸側の中央部は空間的に開けており、アメダスは そこに設置させてもらえばよかった、と思った。

日本のどこへ行っても、アメダスは敷地の片隅の目立たない場所に置かれて いるものが多い。岐阜県白川村の白川中学校に設置のアメダスはひどい環境に あったことを思い出した。学校の小屋と車庫、岐阜県の震度計、防災科学技術 研究所の強震計とアメダスが密集して置かれていた( 「47.富山と荘川流域の観測所」の最後の白川アメダスの節を参照)。

アメダスは、微気象の観測目的に設置されているのではないはずだ!

アメダスは風通りのよい目立つところに設置をお願いすべきではないかと 思う。アメダスは地域を代表する環境を観測する装置である。これが、 わが村の学校にある、ということが環境教育にも役立つと思うのだが。

文献
宮古測候所(瀬川百彦、佐々木勝男、豊間根正志)、1992:宮古測候所の庁舎 新築について.東北技術だより、第9巻第4号(通号第178号)、265-282、 仙台管区気象台発行.

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