平成11.4.12月 更新
大凶収集紀行へ '98 その6 平成10年3月29日(日)
かとり じんぐう
香取神宮
千葉県佐原市香取

楼門
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◆神武18年(前543)創建◆式内社、旧官幣大社(現、別表神社)
◆祭神:経津主神(伊波比主命)


 香取神宮は、千葉県佐原(さわら)市の亀甲山の森に鎮座します。 息栖神社から20km程ですが、 茨城県と千葉県の県境になる息栖大橋,小見川(おみがわ)大橋が 少し混雑していて30分程かかってしまい、午後4時を過ぎての到着です。 参道は想像以上に観光名所の趣でしたが、春の短い日差しが長い影を落とし、 人影もまばらになっていました。 東関東自動車道の佐原香取ICからは、わずかに2km足らずの距離です。
 ここ香取神宮も、鹿島神宮と同じく、 『延喜式』で「神宮」号を持つ三社の内の一社で、 創建は神武天皇十八年(紀元前543)とされる、下総国 (しもうさのくに)一の宮です。 祭神は、経津主神(ふつぬしのかみ)で、またの名を 伊波比主命(いはいぬしのみこと)といいます。 経津主神のフツは、剣により物が切れる音を表し、霊剣を神格化した武神といわれています。 また、国譲りの神話に登場しますが、鹿島神武甕槌神が 『記紀』のどちらにも登場するのに対し、経津主神は『紀』の方にしか出てきません。 このため、鹿島神・香取神を同一神とする説をはじめ、諸説があげられています。 『紀』の「一書(あるふみ)」には、 香取神は斎主神(いわひぬしのかみ)こと 斎之大人(いわひのうし)とあります。 斎主とは神を祀(まつ)る側の人のことで、経津主神・ 武甕槌神を祀っていたのが、斎主も偉くなって祀られるようになったとの見方があります。 実際、鹿島が香取の艮(うしとら)(北東=鬼門)の方向にあるので、 香取は祀る側の性格を持っていると言えるようです。 また、経津主神は、物部氏の石上(いそのかみ)神宮の祭神、 布都御魂神(ふつのみたまのかみ)と同一神とされており、 諸説のくいちがいは、物部氏の没落と藤原氏の台頭に大きく関わっています。
 石灯籠の続く参道は、小高い山を登り先が見えないので多少きつく感じますが、 参道に沿って桜の木が多く花の時期は楽しい散策となるでしょう。 「桜祭り」の提灯は飾られていましたが、肝心の花の方がまだで残念でした。
 参道の奥に朱塗りの総門・楼門と続き、元禄13年(1700)建築の神殿に着きます。 楼門も同年の建築で、共に徳川五代将軍綱吉の寄進に寄るものと伝えられます。
 拝殿の右側にある宝物殿には、国宝の海獣葡萄鏡を初め、 重要文化財も多く陳列されていますが、時間も遅くなり、 薄暗くなってきたので帰路を急ぐことにしました。 宝物拝観は、次に訪れるまで「おあずけ」です。

おみくじは、自動販売機方式でした(百円)
… 午後5時頃、 おみくじをひく

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