わんだふる ニュージーランドアルプス (3)

  1.プロローグ 
  2.ニュージーランドへ向けて出発 : 12月22日(日) 
  3.マウント・クック山麓へ : 12月23日(月) 
  4.マウント・クック山麓(セアリー・ターンズ) : 12月24日火) 
  5.マウント・クック山麓(フッカー谷) : 12月25日(水) 
  6.ミルフォード・トラック(グレイド・ハウスへ) : 12月26日(木) 
  7.ミルフォード・トラック(ポンポローナ・ロッジへ) : 12月27日(金) 
  8.ミルフォード・トラック(クインティン・ロッジへ) : 12月28日(土) 
  9.ミルフォード・トラック(ミルフォード・サウンドへ) : 12月29日(日) 
  10.ミルフォード・サウンドとクライストチャーチ : 12月30日(月) 
  11.さよならニュージーランド・アルプス : 12月31日(火)
 

                                             
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6.ミルフォード・トラック(グレイド・ハウスへ) : 12月26日(木)

 今日からいよいよ待ちに待った4泊5日のミルフォード・トラック(Milford Track)トレッキングである。6時半に起きて外を見ると、雨は降っていなかったが、空はどんよりとした曇り空で、大変寒かった。朝食前に少し町の中を散歩したが、クィーンズタウンの町は、大きなワカティブ湖(Lake Wakatipu)の湖畔に広がり、とてもきれいで、かわいらしいといった感じの街並みであった。ただ山の斜面にあるため、とても坂が多く、散歩も容易ではなかった。
 荷物は、これからの3泊4日のトレッキングのための衣料や雨具、シーツなどをパッキングしたザックとそれ以外のスーツケースに分けた。7時半に朝食をとり、9時15分にホテルを出発し、昨日レクチャーのあったステーション・ビルへ行った。ステーションビルには大型バスが止まっており、今回我々といっしょにトレッキングする人々(多くは日本人以外)が集まっていた。我々も出席を確認し、スーツケースとザックをバスに積載してもらい、バスに乗り込んだ。日本人以外の人とツアーをいっしょにするのは初めてで、かつ英会話は不得意とあって(日本語の会話も苦手ではあるが)、とても緊張してしまった。

  補足: ミルフォード・トラックは、個人が勝手に入って歩くことはできません。入山するためには、事前にテアナウの事務所に申し込み、許可を得なければなりません。1日の入山者は、ガイド・ウォーク(4泊5日の間、ガイドが付き、食事等も用意してくれる)が約40名、フリー・ウォーク(ガイドなしの自炊)が約40名と制限されています。また、トレッキングは、テ・アナウ・ダウンズからミルフォード・サウンドまでの一方通行で、ガイド・ウォークとフリー・ウォークでは泊まる小屋が異なっています。出発は、土曜日を除いた、毎週日曜日から金曜日までの6日間で、年齢制限もあるとのことです。


 9時45分、およそ50名のミルフォード・トレッキング・ツアーのメンバーを乗せたバスが、次の地点テ・アナウ(Te Anau)に向けて出発した。バスはクィーンズタウンからはワカティプ湖沿いにルート6号を南下し、ラムスデン(Lumsden)という町で、ルート94に移り西へ向かう。ワカティプ湖を過ぎると、バスは小高い丘や小山のある広い草原を走った。山はほとんど木がなく岩が露出しており、草原には羊や牛、鹿などが放牧されていた。ここでも、丘の斜面を一杯に黄色く染めたエニシダが目を惹き付けた。その他にも、色とりどりのルーピンやノバラ、マヌカ(白い花)などが道路脇に咲いていた。

羊の放牧 黄色のエニシダ
 12時15分、ようやくテ・アナウ湖(Lake Te Anau)畔にあるテ・アナウ(Te Anau)の町に着いた。このバスステーションでランチとなった。ここで、スーツケースは、4日目に到着するはずのミルフォード・サウンドまで運んでもらうことになり、人は3泊4日分のザックだけを担ぐことになる。
 13時15分、再びバスに乗り、30分ほどして、テ・アナウ湖畔のボート乗り場、テ・アナウ・ダウンズ・ワーフ(Te Anau Downs Wharf))に到着した。ボートといっても、およそ100人は乗れそうな大型の高速遊覧船である。ザックを担いでボートに乗り込んだ。14時ちょうどにボートは出発。北へ、グレード・ワーフ(Grade Wharf)に向けて、大きな波を立てながら、疾走した。

テ・アナウの街並み テ・アナウ・ダウンズのボート


 15時10分、テ・アナウ湖の北端であるグレード・ワーフにボートが着いた。霧雨の中ボートを降りると、早速皆ザックを担いで、今日の宿泊地であるグレード・ハウス(Grade House)に向かって歩き始めた(このトレッキングは、それぞれ自由に歩くことができ、列を作って歩くことはない。ガイドは3人いて、先頭と最後尾に必ずいるという仕組みになっている。また真中のガイドは、ランチ時などに、コーヒーやジュースなどのドリンク・サービスをしてくれる)。

 霧雨のような雨が降っていたが、ほとんど問題はない。日本人はすぐに折りたたみ傘を開いたが、他の人々は雨具だけで平気なようだ。だいたい白人は、我々が震えるような寒さの中を、半袖、短パンといったスタイルで歩いていた。皮膚や脂肪、それに精神の構造が間違いなく異なっていると思った。
 今日の歩行は約1Km、15分である。霧雨が降ってはいたが、今までのニュージーランドの風景とは様変わりで、日本のように木々が生い茂り、緑のトンネルの中の小道を歩くようだった。緑のトンネルを抜けると広い草原が眼前に広がり、今日の宿泊地、グレード・ハウス(Grade House)があった。

Start Trecking To Grade House G. House & D.Peaks(1,801m)


 グレード・ハウスは4人用の部屋に分かれており、中は2段ベッドになっていた。レストランはもちろん、共用のトイレ、温水シャワーがあり、日本に比べればとても快適であった。まだ時間が早いので、ガイドはハウスの裏山をまわる1時間ばかりのウォーキングに連れて行ってくれた。例の蚊、サンド・フライ(Sand Fly)が多いので、入念に防虫剤を手や顔に塗った。出発する頃には雨もやみ、まわりの雪を冠った白い山がよく見えた。

 驚いたことに、裏山はまるで熱帯のジャングルのようで、高い木々が生い茂り、木々にはツタなどがからみつき、また林床はコケで覆われていた。イメージ的には、北八ヶ岳の原生林を思わせるようであった。ニュージーランドの南島の南西部は、比較的寒冷にも関らず2日に一度は雨が降るといわれるほど雨が多いとのことである。ミルフォードでは年間6000mm以上降るそうだ。ベル・バード(Bell Bird)という鳥が、木琴をたたいたような声で鳴いていた。その他、木々や草花、鳥の名前を教わったが、ほとんど覚えることはできなかった。
 夕食まで少し時間があったので、スケッチにトライした。

Walking Cource Walking Cource

 夕食は6時15分からであった。料理は専任のコックが行なうが、ガイドも支援をする仕組みになっていた。メイン・ディッシュは2種類あり、毎朝その日のメイン・ディッシュを選択することができるようになっていた。私は、この日は’リブアイ・ステーキのローズマリー・ソース添え’を食べた。ちなみに、もう一方は’サーモン・フィレのキュウリとトマトのサルサ添え’であった。
 食後は、恒例の国ごとの自己紹介と歌の披露があった。参加メンバーの国は、アメリカ、カナダ、オーストラリア、インドネシア、ポリネシア、タヒチ、それに日本と多彩であった。アメリカからの参加者が10数名と圧倒的人数であった。我がJapaneseは総勢10名で、次に多かったようである。当然自己紹介は英語で行なうのであるが、私にとっては初めての経験で、冷や汗ものであった。歌は、クリスマスにちなんで、日本語で”赤鼻のトナカイ”を歌ったが、気恥ずかしい気持ちになるばかりであった。お国に帰ったら、英会話のお勉強を・・・・。自己紹介の後は、簡単なゲームをやり、交流を深めあった後、お開きとなった。年をとって、社交性もなく、かつ会話も苦手な私のような者にとって、こういう場はとても苦痛を感じてしまう。
 明日は、6時45分起床、8時朝食、8時45分出発ということであった。明日の天気の回復を願って、早めに寝てしまった。

                                                                  2003年1月26日完

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