さ迷い歩き 「量子の森」 (5)-5
= 朝永振一郎 量子力学 =

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    大  目  次

  内  容      内   容  
00 朝永振一郎と量子力学 
              1st P
2013.01.16    第U巻      
07 Schrodinger波動方程式 3rd.P 2013.03.11
  第T巻   08
Schrodinger函数の物理的意味
                  Prev.p
    
2013.03.20
01 エネルギー量子の発見 省略
02 光の粒子性 省略 09 量子力学的状態 2013.04.29
03 前期量子力学 省略 10 多粒子系と波動場  2013.05.15
04 原子の殻状構造 省略      
05 マトリックス力学の誕生 省略       
  第U巻        第V巻      
06 物質の波動論 (1) 1st P   2013.01.16 11 角運動量とスピン Next.P  2013.06.12
06 物質の波動論 (2) 2nd.P  2013.02.06   第U部 摂動論、観測の理論  省略 
         第V部 ベクトル空間  省略 
             


09章 量子力学的状態  2013年04月29日

  09章 : 目  次
§62 前おき  §68 二、三の実験についての吟味 
§63 不確定性原理 (1)  Stern-Gerlachの実験
§64 量子的粒子 (2)  Lloydの実験
§65 物理量と測定 (3)  Compton効果と結晶によるX線の干渉
§66 方向量子化  (4)  観測の理論 
§67 確率の干渉  §69 状態のヴェクトル
       


§62 前おき  2013年04月29日

 ようやく”量子力学的状態”という言葉が出てきました。というのは、朝永量子力学を読むと、前章までは数学的展開についていけず、更にこの章で量子力学の重要概念である”状態”の意味がわからず、いつも挫折してきました。ところが、今回は少し違います。もちろん、朝永量子力学の数学的展開には手こずり、混迷に陥ることはしばしばでしたが、今回は、”Feynman量子力学”において、”状態”について勉強してきています。Feynman量子力学は、朝永量子力学と違って、前期量子力学の歴史的発展については省略し、初めから”確率振幅”という量子力学的概念を導入し、量子力学的現象をていねいに説明してくれます。もちろん、それを容易に理解できたかは疑問ですが、そのイメージについてはかなりわかったつもりですし、アレルギー反応を起こすことはなくなりました。というわけで、本章の冒頭にたって、とても感慨深いものを感じる次第です。それでは、朝永量子力学の第9章に突き進みたいと思います。

 まずは、本章での朝永の問題提起を引用します。 「前章に与えたいくつかの仮定に従って、力学系が或る与えられた量子力学的状態にあったときに、物理量がある値をとることの確率が計算されることを知った。このときいろいろな値に対する確率を計算する方法をわれわれの理論は、指示してはくれたが、値そのものを計算する方法をそれは何も指示してくれない。この点は古典力学にくらべて極めて特徴的である。古典力学においては、力学系の状態が与えられれば、物理量の値そのものを計算することができた。ところが、われわれの理論では、量子的状態がわかっても、物理量の値そのものの計算は出来なくて、いろいろな可能な値が、何回も測定をくりかえしているうちにどういう確率が得られるか、ということを知らせてくれるだけである。従って、力学系が同一の量子的状態にあっても、ある物理量を測ってみると、一般には一定の値が得られないで、観測のたびごとにいろいろな値が得られる。理論で知り得るのは、このとき、どの値は回数多く得られ、どの値はめったに得られないか、ということだけである。」

 更に続きます。 「このことは、前章までに展開してきた量子的状態が何ら系の究極的な状態をあらわすものでなく、われわれが同一と考える量子的状態も、もっと詳しく分けると、いくつかの異なった状態を含んでいることを意味するのであろうか。そうであるなら、同一と思われる状態にあっても、測定のたびごとに異なった値が得られることは当然である。なぜなら、同一と思われる状態にある力学系も、実はその物理量のいろいろ異なった値を持つものを含んでいることもあり得ることだからである。」 「このように考えると、量子力学に於いて確率が計算される事情は古典的統計力学の場合に似ていることになる。統計力学では、熱学的に同一の状態にあると考えられる系も、くわしくみれば分子の運動の全く異なったいろいろの状態を含んでおり、従って熱学的な状態が与えられるだけででは、いろいろの物理量の値そのものを物理的に計算することは出来なくて、いろいろな値の確率がBoltzmannの原理によって計算されるだけであった。」

 このような考えを論証する具体例として、1個の自由粒子の波束の状態を取り上げています。しかし、この論証は数学式が長くかつ複雑で、また論証も大変長いので省略します。最後に、重要な問題提起を記しておきます(つながりがないので、わかりづらいかもしれませんが)。 「上の解釈の根本になっているのは次の考えである。すなわち、粒子が量子的状態Ψ(x,y)にあるとき、われわれは粒子がどの位置にありどういう運動量をもっているか詳しく知らないけれども、それはどこかの位置に何らかの運動量をもって存在している。そうして、この状態に於いて、粒子の座標が(x,y)であり、かつその運動量が(px,py)であることの確率密度P(x,y,px,py)なるものがその背後に考えられ、|Ψ(x,y)|2乗や|A(px,py)|2乗が座標や運動量の確率を与えるのは、その確率分布P(x,y,px,py)の直接のあらわれである。しかしこの考えは是認されるであろうか。」

 そうです。不確定性原理や観測の問題が大きく横たわっています。恐らく私にはイメージしか理解できないと思っていますが、頑張ります。

                                      2013年4月29日

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§63 不確定性原理  2013年04月29日

 ここでは、スリットの思考実験やHeisenbergのγ線顕微鏡について論じられます。議論の詳細は長くなるので省略し、結論を以下にまとめておきます。

不確定性原理:
 粒子の場所が凾だけばらつくような装置を作ると、この装置にかけたと
き粒子の運動量のばらつきを
  凾垂 ≒ h/凾        (63.6)
の程度より小さくすることは出来ない。逆に粒子の運動量が凾垂の程度
ばらつくような装置を作ると、そのいる場所のばらつきを
  凾 ≒ h/凾垂        (63.6')
の程度より小さくすることは出来ない。これらを一まとめにすると、次のよ
うに表わされる。
  凾凾垂 ≒ h         (63.7)

 この不確定性原理を一般的な原理として採用します(何故か、本節では”Heizenberg”の不確定性原理というHeisenbergの名前の修飾がでてきません)。そして、もしこの原理を採用するなら、量子論にあらわれる確率なるものに対して、前節のような解釈 --すなわち、「粒子が量子的状態Ψ(x,y)にあるとき、われわれは粒子がどの位置にありどういう運動量をもっているか詳しく知らないけれども、それはどこかの位置に何らかの運動量をもって存在している。そうして、この状態に於いて、粒子の座標が(x,y)であり、かつその運動量が(px,py)であることの確率密度P(x,y,px,py)なるものがその背後に考えられ、|Ψ(x,y)|2乗や|A(px,py)|2乗が座標や運動量の確率を与えるのは、その確率分布P(x,y,px,py)の直接のあらわれである」という解釈-- を与えることはたぶんに問題になってくるということです。難しくなってきました。観測にかかわる哲学のようなところに入ってきました。

                                      2013年4月29日

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§64 量子的粒子  2013年03月29日

 次に問題は、不確定性原理が自然界で一般的に成立するということを受入れるとして、この不確定性がどういうわけで現れるかが問題となります。Heisenbergが顕微鏡について行った吟味はこの問いに答えを与えているものではないそうです。Heisenbergの吟味の本質的な点は、不確定性原理に要求するようなばらつきがどういうわけで現れるかという説明を立ててみても、それの当否を実験的に示すには、不確定性原理に従わないような現象がどうしても一つは必要だという、ことを明らかにしている点なのだそうです。そして、これに似た事態として、相対性原理のケースが取り上げられていますが、長くなるので省略します。朝永は次のように述べています。 「このようにして次の考えがみちびかれる。物質粒子や光子は、粒子という名でよんできたが、エーテルが常識的な物質とは非常に異なった何ものかであったと同時に、常識的な粒子とは別の何ものかである。この何ものかといわれるしろものは、その位置がばらつきなく定まっているような状態を考えることもできるし、また、その運動量がばらつきなくわかっているような状態を考えることもできるようなしろものである。或いは簡単に、そのものは容易に位置をしめる能力をもっているし、また運動量のある値をもつ能力をもっているといってもよい。」

 「しかし、通常の粒子は、その位置がばらつきなく定まって居りかつその運動量も同時にばらつきなく定まって居る状態を考えることが出来るものであった。上に「空間のどこかに居りかつ何らかの値の運動量をもつ」といったのはこのことである。しかし、われわれの粒子については、位置と運動量が共にばらつきなく定まっているような状態を考えることはできない。」 この種のあるものを量子的粒子と言えるとのことですが、量子力学の本でわざわざ”量子的”とう修飾をしなくても混同することはないと言っています。

 最後に次のようにも述べています。 「量子的粒子に対して、位置だけであるなら或る値を考えることは許されるから、位置だけについての確率を云々することは出来る。また、運動量だけであるなら、それの値を考えてよいから、運動量だけについての確率を考えることも可能である。即ち、量子的粒子の理論の中には上のP(x,y,px,py)のようなものは現れてはならないが、P(x,y)とかP(px,py)とかいうものは現れてかまわない。」

 論証はすべてわかったわけではありませんが、不確定性原理はとにかく受入れるべき量子力学の原理であるということのようです。

                                      2013年3月20日

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§65 物理量と測定  2013年04月29日

 以上の考察から考えると、前の章で、いろいろな物理量の確率を問題にしたとき、”ある状態に於いて或る物理量が或る値をもつことの確率”という言い方や、”ある状態に於いて粒子がかくかくの場所に居ることの確率”という言い方は適切な言い方ではなくなるそうです。すなわち、ある状態においてある物理量がある値を持つことの確率といったことの真の意味は、”ある状態に居るところの量子力学系に対して、ある物理量を測定する実験を実施したとき、その測定の結果として或る値が得られることの確率”という意味に解さなければならないということです。量子的粒子に対しては、測定を実施しないで物理量の値を考えることは許されないとも言えます。

 そして、この種の測定の実施が、量子的状態を測定前のときと全く別のものに変えてしまうことが本質的であるということです。別の言い方をすると、量子力学においては、ある物理量を測定したとき、その測定前の状態と測定後の状態とが一般に異なっている結果として、測定前にわれわれが系について持っていたデータは。測定を行うことによって役に立たぬものになってしまうということです。このことは、古典的な理論では全くなかった事情といえます。なんとも不可思議な話ですが・・・

 更に、物理量の確率だけではなく、状態の確率も全く同様に、測定をはなれてこの確率を考えては許されないのだそうです。これについては、次の節で詳しく論じられます。

 続いて、共立する物理量の話があります。結論だけをいいますと、「互いに共立する物理量の測定の場合には、前もってその一方を測定して得られていたデータが、他方の測定によって役に立たぬようにされてしまうことはない。」ということになります。

 そして、Schrodinger方程式に従う状態変化と状態の縮退との違いが説明されます。 「物理量を測定することによって系の状態がその物理量の固有状態に変化することは、Schrodinger方程式に従って時間的に変化する状態変化とは別種のものである。Schrodinger方程式に従う状態変化は測定とは無関係に、そのまま放置してある系の行う変化であり、この変化は微分方程式に従って行われていくので、ある時刻における状態を与えれば、後の時刻の状態は完全に一意的に決定される。この変化は因果的であるといってもよい。これに対して、測定に伴って起こる変化は、測定の操作を行って始めて現れるものである。このとき、測定の後にどの固有状態に系が変化するかは、測定の結果得られる測定値に結びついている。このとき、どういう測定値が得られるかは、確率が与えられるだけであるから、理論によってどの固有状態に状態が変化するかを予め計算することは一般的に不可能である。従って、測定に伴う状態の変化は因果的に決定され得ないものである。この後の種類の状態変化をしばしば状態の収縮とよぶことがある。」

 いやー、わかったような、わからないような、へんてこりんな話ですね。量子力学を理解するための関門です。それでも、Feynmanの量子力学の学習の成果が少し現れているようで、少なくとも言っていることは概略理解できるようになりました。


                                      2013年4月29日

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§66 方向量子化  2013年04月29日

 §59物理量の期待値において、「一つの量子的状態が部分的に他の量子的状態を含むことができる。」と考え、「系が一つの状態Ψに居るときに、他の状態Ψ'に部分的に居ることの確率」を求めました。しかし、このとき、「一つの状態に於いて系が部分的に他の状態にある」ということの真の意味を明らかにしていなかったとのことです。そして、このことの真の意味が前節で次のように明らかになったといえるそうです。すなわち、「系が一つの状態Ψに居るとき部分的に他の状態Ψ'に居るということは、Ψに居る系についてΨ'に居るかどうかを測定する実験を実施すると、Ψ'に居るという結果が0でない確率で得られる」ということができるそうです。換言すると、「その実験をくりかえし行うと、その結果が0と異なる頻度で得られる」ということだそうです。

 そして、測定を行う前から、この確率を持って系が何らかの意味でΨ'なる状態をとるとは考えてはいけなく、測定を行う前には、系の状態はあくまでΨであってΨ以外のどんな状態でもないとのことです。

 この後、以上の新しい観点から方向量子化を考察しています。まず、中心力系において角運動量ヴェクトルがあるとびとびの方向しかとれない、すなわちLの大きさがh/2πを単位として√l(l+1)であるような状態において、そのz成分Lzがやはりh/2π単位で-l、-l+1、・・・l-1、l の2l+1個の値しかとれないという問題を取り上げます。具体的には、l = 1の状態ではLzは+1、0、-1の三つの値だけが可能であり、従ってヴェクトルは三つの方向しかとり得ないということです。

 ところが、z軸の取り方は全く自由なはずです。従って、許された方向についての理論の結論はz軸の取り方によって異なることになります。それでは一体どの方向が本当に許されるのか−これが「方向量子化の迷理」といわれるものです。私にとっては大変興味のある話で、ああこうだったのかといった話がありますが(話の内容をすべて理解したわけではありませんが)、またまた長くなるので省略せざるをえません。省略ばかりで、気分がすっきりしませんね。すみません。

                                       2013年4月29日

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§67 確率の干渉  2013年05月09日

 本節の内容は、Feynman物理学では、第X巻冒頭の1章、3章で取り扱われています。すごいですね。何がすごいかって?朝永量子力学では、第U巻の後半になって、すなわち「量子の森」の中を迷いながら散々歩き回って到達したところが、Feynman物理学では出発点となっているということです。これが、私にとってのFeynman物理学の魅力?であり、それに一気に魅せられてしまったということです。何度も言いますが、どちらの量子力学がよいかと評価しているわけではありません.
とにかく量子力学の真髄に早く近づくには(理解すると言うこととは別ですが)、Feynman物理学はとっつきやすかったかなと思っているということです。

 それでは、朝永の説明に入ります。 「系が一つの状態Ψにあるとき、それが部分的に他の状態Ψ'にある、というのは測定をはなれて考えてはならない。この事情を最もはっきりさせる事実に確率の干渉なる現象がある。」 ここで言われている”確率”とは、Feynman物理学では”確率振幅”あるいは単に”振幅”といっているものに相当するはずです。

 まず、系の状態をあらわすSchrodinger函数Ψが次のように二つの函数Ψ1とΨ2との重ね合わせであるとします(Schrodinger函数Ψは確率振幅と同等です)。ただし、Ψ1とΨ2とは直交しており、1に規格化されているとします。
   Ψ(q) = A1Ψ1(q) + A2Ψ2(q)       (67.1)
このとき、部分的にΨ1(q)なる状態にある確率と、Ψ2(q)なる状態にある確率は次のように表わされます。
   P1 = |∫Ψ(q)Ψ1*(q)dq |2乗 = |A1|2乗    (67.2)
   P2 = |∫Ψ(q)Ψ2*(q)dq |2乗 = |A2|2乗    (67.3)

 ところが、(67.1)の状態において、Ψ(q)がqとq+dqの間にあることの確率は次のようになります。
   P = |Ψ(q)|2乗 = |A1Ψ1(q) + A2Ψ2(q)|2乗
    = P1|Ψ1(q)|2乗 + P2|Ψ2(q)|2乗
      + A1A2*Ψ1(q)Ψ2*(q) + A1*A2Ψ1*(q)Ψ2(q)   (67.5)

 この式の右辺の第3項が干渉項とよばれるものです。量子力学的に計算した確率が、常識的な結果と異なってこの項を含むために、確率の干渉効果が現れるということです。

                                      2013年5月9日

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§68 二、三の実験についての吟味  2013年05月09日

 (1)Stern-Gerlachの実験

 この実験の話も、Feynman物理学では、早々と第X巻の第5、6章で出てきます。そして、単にStern-Gerlachの実験の説明ではなく、確率振幅と(基本)状態の説明のための思考実験として取り扱われています。Feynman物理学を読み始めると、最初からこの実験の概要と意義の説明があり、たいへん戸惑いました。Feynmanは一体何のことを話そうとしているのかさっぱりわかりませんでした。特に、Feynmanが発明?した基本状態変換の記号を理解するために、えらい苦労をさせられました。しかし、完全には理解したわけではないのですが、Feynman量子力学を何度も読み返しているうちに、量子力学の不可解な現象を読者に初めから徹底的に教え込もうとしていたのだなということがわかるようになりました。

 本小節では、z方向の角運動量の分離実験を通して、確率密度の干渉の具体的説明を行っています。また、測定の実施と言うものが、量子力学では本質的に重要なものであることも取り上げられています。ただし、説明は長くなるので省略します。

 (2)Lloydの実験

 Stern-Gerlachの実験と同様に、確率の干渉の例として、Lloydの実験が取り上げられています。この実験の話は、朝永量子力学でしかきいたことがありません。これも省略します。
 
 引き続き、Youngの光の干渉実験について説明があります。これも長くなるので省略します。

 (3)Comton効果と結晶によるX線の干渉

 ここでの話も、干渉と観測の関係の話の具体例です。やはり省略します。

 (4)観測の理論

 朝永の説明を掲げます。 「上の二つの例から、干渉が現れる場合とそうでない場合の差異が明らかになったわけである。即ち、干渉が現れないのは、いつも途中で粒子の場所について何らかの測定実験を実施したときであった。上の例では反射板を持ちいり実験を考えたが、ここで問題になるのは、反射板の反跳をしらべることが粒子がそこにやって来たことをしらべることに相当するとは果たしてどういう根拠で主張出来るかという点である。もっと一般に、ある物理量をはかるには、どんな実験を実施したらよいかという問題がどうして答えられるか、という問題が起こる。」 「この問題に答えるには、その実験装置をも力学系の中に含めて理論的に考察を行って、その理論の帰結をしらべなければならない。この種の理論を観測の理論といい、それは量子力学の体系を論理的に完結させるために必要な一つの理論である。しかし、一般の実験装置のような複雑なものを力学系に含めて論ずるには、もう少し予備知識が必要であるので、ここではただそういう理論が量子力学の体系の中に含まれていることだけを述べて、詳細な議論は後にまわすことにする。」 了解しました。

                                      2013年5月9日

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§69 状態とヴェクトル  2013年05月09日

 いよいよ本章の最後の節となりました。状態とヴェクトルの話は、Feynman物理学では、第X巻第8章からでてきます。また、第5、6章からも、確率振幅や状態、それを表わすブラケット記号”<|>”などを徹底的にたたきこまれました。

 まず、前節の例から、次のことが言えるということです。 即ち、「Youngの実験で、二つのスリットのどちらを通ったかの実験を何ら実施しないなら、粒子は二つのスリットのどちらか一方を通過したと考えてはならない、ということである。裏がえしに言えば、二つのスリットのどちらを通ったと言い得るのは、どちらを通ったかを定めるような実験を実施したときに限る、ということになる。」  さらに、「この事実は、量子的粒子というものが如何に常識的な粒子と異なったものであるかをはっきり示している。常識的な粒子とは、二つのスリットのどちらを通過したかの実験を実施すると否とにかかわらず、どちらか一方を通ると考えるべきものである。これに対して、量子的粒子とは、その種の実験を実施しないかぎり、どちらか一方を通ったと断言することは許されないような何ものかである。」

 さらに言えば、「二つのスリットを通過するとき、スリット1を通過して2を通過しないか、或いはまた、2を通過して1を通過しないか、この二つの可能性以外に常識的な粒子の行動の可能性は存在しない。それに対し、量子的粒子は、このような第一、第二の二つの可能性のほかに第三の通過のしかたの可能性をもっている。どちらのスリットを通ったかの実験を実施すれば、第1の可能性か、第2の可能性以外の結果が実験の結果として現れることはないが、その種の実験を実施しないとき、第3の可能性が許されると考えねばならない。そうしなければ干渉という現象は理解できない。」 

 まだ続きます。 「このように、不可分のものが、二つのスリットのどちらか一方だけを通るという以外の可能性以外の第3の可能性をもっているとは、常識的には極めて考えにくいことである。しかし、この第3の可能性はわれわれの経験的帰結であるところの粒子の不可分性と必ずしも矛盾したものではないことに注意せねばならない。なぜなら、粒子の不可分性が経験によって実証されているのは、その位置を測定する実験を実施したときに限られていることであり、そして、第3の可能性は、その種の実験を実施しないときに現れるべきものだからである。--こうしてこの第3の可能性は干渉という事実によってどうしても必要なのである--。」

 問題は明らかになってきました。次のような結論が語られます。 「そのような、通常の粒子と異なった対象が論理的に矛盾なく考え得るということは、量子力学の数学的体系自体が示すのである。即ち量子力学は、対象に対するいくつかの基本的な仮説から、あらゆる結論を数学的に引出すことを可能にする。それは一つの論理的に閉じた体系をしている。この体系に従って行動するものが314頁(§64)でのべたような量子力学的な或るものにほかならないのである。」

 したがって、今まで取り上げてきた数学的体系を作るための素材をもとに論理的な体系をまとめることが課題であるといってます。しかし、この課題については、次の巻にゆずり、ここでは、量子力学的な対象が、常識的な粒子、或いは今まで知られたもっと一般的な物理的対称、と異なる最も中心的な点だけを述べるに留めるのだそうです。それは「量子的な状態はヴェクトルである」ということです。

 スリットの例でいうと、次のようになるそうです。 「まとめていうと、われわれのスリットの例に於いて量子的粒子の状態は、この2次元空間の可能なヴェクトルに一つ一つに対応しているようなものであって、このヴェクトルが可能であれば、それに対応する状態も可能である、と考える。或いはむしろ、この種のヴェクトルによってその状態が表現されるものが即ち量子的粒子である、と言ってもよい。」

 ここは重要なことなので、さらに続けてみます。量子力学では、以上の考え方が更に一般化されて、その基礎になっているそうです。すなわち、一般的に空間内に存在する量子的粒子の場合は次のようにいえるということです。 「空間のすべての点に名前をつけてP1、P2、P3・・・とする。そして、それらに対応して互いに直交する直交軸P1、P2・・・を考える。このとき、空間内の点の個数は無限個あるから、この直交軸も無限に存在せねばならない。従ってわれわれは無限次元の空間を考えねばならないが、この種の無限次元空間は、数学的にHirbertヒルベルト空間とよばれるものであって、その数学的性質はよく知られているものである。」

 このように無限次元の空間を与えておくと、量子的粒子の状態についての可能性は、この空間内のヴェクトルで表わされることになるそうです。このヴェクトルは状態ヴェクトルとよばれるものです。朝永は次のように言ってます。 「このようにして、量子的状態をヴェクトルで対応させることに気がつくと、われわれは常識的には記述できないような第3の可能性といったものを数学的に、従って論理的に矛盾なく記述できることになる。こうして得られた体系が即ち量子力学という閉じた体系となるのである。」やったー。とうとう”Hilbert空間”という言葉にたどり着きました。この言葉は以前から知っていましたが、私には無関係な数学のお話ぐらいにしか考えることができせんでした。でもやはり、今も私には縁遠い数学の話に過ぎないようですけど。残念・・・

 これから量子力学の体系を作り上げるには、Hilbert空間のヴェクトル解析を用いて論理を展開していけばよいとのことです。そうすれば、今までばらばらに得られてきたいろいろな結論を統一的に整理することが出来るようになるとのことです。そればかりでなく、量子的な対象の状態をHilbert空間のヴェクトルを以って記述することによって論理的に何ら矛盾のない一つの数学的体系が得られるようになるのだそうです。数学はえらいなー。私には足元にも及ぶことができません。またまた、残念!しかも、先が思いやられますね

                                      2013年5月9日

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10章 多粒子系と波動場  2013年05月10日

  10章 : 目  次

§70 前おき  §74 量子化した波動場とBose粒子の集まり 
§71 Boseの統計 (1)  標準的考察
§72 対照的状態 (2)  相互作用のあるときの場の正準形式
(1)  Stern-Gerlachの実験 (3)  波動から粒子へ
(2)  Stern-Gerlachの実験  (4)  Bose粒子系から波動場へ 
(3)  Lloydの実験  (5)  波動的物理量と粒子的物理量について
(4)  Lloydの実験 (6)  場の量の交換関係
§73 対称性の保存 (7)  粒子の個数の保存
    §75 反対称的状態とFermi粒子
    §76 Pauriの禁制原理とFermiの統計 
    §77 Fermi粒子と波動場
       


§70 前おき  2013年05月10日

 本章に入る前にお断りしておいたほうがよいかと思います。というのは、本章は量子力学の数学的展開が大変多いため、私にとって、数学的素養の不足のために、よく理解することが出来ない部分がたくさんあります。また、”対称性”の概念などもとても難しく、さらにそれを数学的に展開されると、ほとんどちんぷんかんぷんの世界となってしまいます。そして、数学の式も長く、表現も困難な式が多々あります。ということで、本章が量子力学の数学的体系のまとめという重要な基礎部分ではありますが、かなりいい加減に素通りしていかざるをえないと思っています。たいへん申し訳ありませんが、私の力量不足ということで、お許しください。

 ということで、まずは私の”前置き”を述べさせてもらいましたが、ここからは朝永の”前置き”です。 「今までに学んできた量子力学の素材を整理して、それを数学的体系にまとめ上げるにはどういう行きかたをとるべきか、ということを前章の終わりに暗示したが、われわれの素材にはまだ二、三つけ加えるべきことがある。その一つは粒子のスピンの問題であるが、これはもう少し整ってから考える方が便利であるから次の巻にゆずることにして、ここでは粒子の統計の問題と、波動と粒子の同等という問題を取上げることにする。」

 「波動と粒子の同等の問題は、これまでもいろいろな箇所でちょいちょいと言及した。先ず1粒子問題の場合に、1個の粒子に対するSchrodinger方程式とde Broglie場の方程式とが同じ形になるという事実の中にこの同等性が片鱗をあらわしている。多粒子の場合には、粒子間の相互作用を無視するなら、やはりこの同等性を暗示するような結果が得られている。それは、179頁に述べたように、de Broglie場を量子化して得られたエネルギー準位(W = 敗(EsNs))と、粒子像から出発して得られたエネルギー準位(W = 罵,N(Wl))とが、その許された値として同じものを与える、という点である。外力に作用されない自由空間中の粒子に対しては、この事実はすでに48頁でも指摘されていたことである。」

 「しかし、これらの頁で注意しておいたように、エネルギー準位の一致からだけでは、直ちに粒子と波動の同等性を結論することは出来ない。粒子間の相互作用を無視している、という点にはふれないにしても、この同等性が成立するためには、粒子の統計的性質について新たな仮定を導入する必要がある。それについてこれから述べる。」

 それでは、本節で述べられている多粒子系のエネルギー準位の縮退について簡単に述べます。波動像では、次のように波動方程式(47.2)から全系のエネルギーが求まります。
   △φ + 8π2乗{ν-β}φ = 0      (47.2)
   W = 敗Nshνs             (70.1)
また粒子像からは、多粒子系のSchrodinger波動方程式(49.67')から全系のエネルギーが求まります。
   〔△l + (8π2乗m/h2乗){Wl - V(xlylzl)}〕f(xlylzl) = 0   (49.67')
   W = 罵Wl                (70.2)

 ここで、波動場の状態を定める量子数Nlと多粒子系の状態を定める量子数nsとの間の関連が述べられ、波動場における量子数Nに対して粒子の個数という意味づけが与えられることを示しています。そして、多粒子系においては、粒子の役目を取り替えてもエネルギーの値が変わらないことを説明し、それをエネルギーの交換縮退とよぶとのことです。すなわち、多粒子系においては、エネルギー準位は一般に交換縮退をもっているというのだそうです。

 最後に、次のように述べています。 「以上の議論からみて、波動場を量子化して得られる結論と、粒子的な像から出発した結論との間に、状態の縮退の次数について差異のあることは明らかである。即ち波動論によれば、全系の状態は、夫々の固有振動に属する粒子の個数Nを与えることによって完全に決定されるのに対して、粒子論では粒子の個数だけでなく、どの粒子がそこに属しているか、によって夫々異なった状態があらわれるからである。」

 いよいよ量子の統計の話に入っていきます。

                                      2013年5月10日

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§71 Boseの統計  2013年05月12日

 Feynman量子力学では、Bose統計の話はX巻第4章で早々と出てきますが、その章のタイトルは”同種粒子”です。Feynman量子力学を読み始めた頃、”同種粒子”が一体なんだと言うのかといった疑問が当然起こりましたが、何度も読んで少し理解しました。そこでの説明も、本章の話の進め方とも全く違っています。本章では論理的に丁寧に説明されていますが、それをなぞるわけにはいかないので、ポイントのみを記述します。

 朝永は、まず最初に統計力学的意味について説明しています。 「前節でのべたように、量子的波動場と多粒子系とが状態の縮退の度合いを異にするなら、いろいろな現象に於いてこの両方の力学系が異なる性質を示すであろうことが予期される。なかんづく、すぐ考えられることは、この両方の力学系の統計力学的な意味での統計的行動が異なってくるだろうということであろう。ここに「統計力学的の」といったのは、前節でのべたような、量子力学の本質としてあらわれる統計的問題でなく、気体論その他の統計力学にあらわれたような、即ち、われわれが力学系の行動を十分詳しく論じないで、その熱学的な性質だけを論ずる結果としてあらわれる統計的考察である。」 ふーん。冒頭からほとんど意味が理解できません。このあと、Boltzmannの原理やPlanckの公式、熱統計力学などの話が続きますが、省略します。

 ここで、Boseが発見した統計の話が出てきます。 「光を粒子(光子)の集まりと考え、通常のガスの理論でMaxwellの分布法則を出したのと同じ方法を適用して、Planckの法則が導き出されないかしらん、という問題はインドの有名な物理学者Boseボースが始めて取上げたのであった。彼はこの試みで不思議にもWienの法則ではなくPlanckの法則を導き出した。しかし、このときBoseの行った統計的確率の勘定の仕方が、実は通常のガス分子のそれと全く異なっていたことが見出された。Boseはうっかりして、確率の勘定の仕かたをまちがえたのかもしれないが、この異様な勘定の仕かたは、たといまちがいから出たものであったにしても、非常に重要なものであって、それは光子の本質を示すところの、むしろそっちの方が本当の、勘定のしかたであると、Einsteinは考えた。」 ということで、この統計のとりかたのことを、Bose-Einsteinの統計法と呼ばれるようになったとのことです。このあと、2個の粒子についての具体的な説明がありますが、省略します。

 こうして、光子という粒子は、通常の粒子とは違って、Bose統計にしたがう粒子であると考えられることになります。換言すると、「光子という粒子については、それをいろいろな状態に配る配りかたがいく通りあるかを計算するときに、Bose流のやり方をせねばならない」ということです。あるいは、「Boseの勘定の仕方とは、一口に言って、たくさんの粒子がいろいろな状態に配られているとき、粒子の役目をとりかえた配り方を別の可能性と考えてはならない。」とも言うことができます。そして、このような統計に従う粒子をBose粒子といいます。

                                      2013年5月12日

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§72 対称的状態  2013年05月12日

 Feynman量子力学では、対称性と保存則の話はX巻第17章で出てきます。やはりこの話は難しく、私には哲学の話のように思えてしまいます。さらに、本章では入れ換え演算子が出てきて、その表現を表示したり説明するのが大変難しいです。ということで、ここでもだいぶはしょって進めることにします。

 まずは、朝永の問題提起です。 「前節に論じたところによると、波動を量子化した理論と、もともと粒子的な表象の上に立った理論とは異なる結論を与え、光子の場合には、前の方の理論は実験に合う結論(Planckの公式)を与えてくれるが、後の方の理論はそうでない(Wienの公式)ということになる。こうなると、問題の波動粒子の同等性ということは一見して成立たないことになる。」

 更に続きます。「しかし、粒子的表象にたつ理論に一つの新しい仮定をつけ加えると、この不一致を取除いて、両方の理論を全く同等なものにすることができる。しかもその新しい仮定は、量子論の他の仮定と互いに矛盾することなく導入することができ、またそれは極めて自然なものである。しかもこのとき、議論の副産物として、その過程が可能な唯だ一つのものでなく、更に別の仮定も可能なことが明らかになるが、この別の仮定の方を導入すると、Bose粒子の他に、更に別種の粒子が存在することが明らかになってくる。しかも、この別種の粒子は、後に述べるように、Pauliの禁制原理に従わなければならぬということが理論の当然の帰結として導き出されてくる。このようにしてPauliの原理の真の意味が思わぬ方面から明らかにされることになったのである。」

 「それで本論に入ろう」と来ますが、先ほども述べたように、本論にずっと付き合うことはできません。しかし、この議論は量子力学の完成に当たっての大変重要な部分ではあります。それで、最初の”対称”の概念を説明しているところだけ記述してみます。

 まず、N個の粒子からなっている系を考えます。このとき、N個の粒子は互いに同じ種類のものであるとし、粒子には1からNまでの番号をつけて、その座標x,y,zを一文字qであらわすことにして、q1,q2,・・・qNとし、運動量をp1,p2,・・・pNとします。すると、いま系のHamilton函数をH(p1,p2,・・・pN;q1,q2,・・・qN)とすると、Schrodinger方程式は次のようになるそうです。
  H〔 (h/2πi)∂/∂q1, (h/2πi)∂/∂q2, ・・・;
              q1,q2,・・・qN 〕φ - Wφ = 0    (72.1)
 N個の粒子が同じ種類のものであることは、数学的にはHamilton函数H(p1,p2,・・・;q1,q2,・・・)に於いて、粒子の役目をどう入れかえてもそれが別の函数にならないことを意味するのだそうです。このことを簡単に言って、”Hamiltonは粒子に対して対称な函数である”と言うのだそうです。さらに、Hamilton函数がこの性質をもつことから、”Schrodinger方程式(72.1)は粒子の座標q1,q2,・・・qNに対して対称的な方程式になる”とも言うのだそうです。私にはさっぱりイメージが湧きません。

 (1)入れ換え演算子

 本節では入れ換え演算子Pの定義とその演算子の機能定義がありますが。省略します。

 (2)対称的固有函数

 本節では対称的な函数の定義がありますが、省略します。

 (3)対称的状態及び本質的に非対称的な状態

 つづいて、対称的状態と非対称的状態の話があります。ここでは、それらのまとめとして、朝永のまとめのみを掲げて、他は省きます。
 「対称的状態においては、そのSchrodinger函数は粒子について対称な函数であるので、この状態においてどう粒子の役目を入れ換えても、決して新しい状態は得られない。」 と、突然記述しても、意味がわかるはずもありませんね。

 (4)相互作用のない粒子の集まり

 最後に、一般論を相互作用のない粒子の集まりに適用した場合にどうなるかという議論があります。難しい数学的展開が行われているので、省略しますが、意味がわからないにもかかわらず、朝永のまとめらしきものを記述しておきます。 「このような性質は対称的状態がすべてもっているものである。しかも前小節の終わりでのべたように、対称的状態は集まって閥を作り、決して非対称状態へ移らないとすれば、このBose粒子に似た性質をもった状態は、決して他の性質の状態に変わっていくことはないであろうことが予想される。そうすると、ある種の粒子(例えば光子)に対しては自然界において対称的状態だけがあらわれている、という仮定をおいて、何故にその粒子がBose的であるかを理解できそうである。しかし、そう結論するには、いわゆる対称閥なるものが、果たしてそんなにがっちりとしてゆるぎないものかどうかを吟味しなければならない。」 ふぁー・・数学と哲学が入り混じっていて、頭の中が滅茶苦茶です。

                                      2013年5月12日

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§73 対称性の保存  2013年05月12日

 まずは、対称性の保存の定義を述べます。 朝永は次のように述べています。 「この節では先ず状態の対称性が時間の経過に対してどう変化するかを吟味し、次に量子的遷移に於いて、この対称性がどう変化するかを述べる。」

 一般に状態の時間的経過は、次のような時間を含んだSchrodinger方程式で定められます。
  H〔 (h/2πi)∂/∂q1, (h/2πi)∂/∂q2, ・・・;
              q1,q2,・・・qN 〕Ψ(q1,q2,・・・qN, t )
         + (h/2πi)∂/∂tΨ(q1,q2,・・・qN, t ) = 0    (73.1)
 このときH自身時間を含んでいてもかまわないが、粒子が同一種類のものである、という事実から、(73.1)はいつも粒子の座標について対称的な方程式でなくてはならないそうです。そして、朝永は次のように対称性の保存を定義しています。 「系のSchrodinger方程式がこの性質を持っていると、われわれは次の重要な事実を証明することができる。即ち(73.1)の解に於いて、Ψ(q1,q2,・・・qN, t )がある時刻、例えば t = 0 に於いて q1,q2,・・・qN について対称な函数であると、それは永久に q1,q2,・・・qN について対称である。この事実を対称性の保存という。」

 また、同様な論法で次のようなこともいえるそうです。 「t = 0 に於いてΨが本質的に非対称なら、それは永久にそうである。」 さらに、「以上のようにして、Schrodinger函数が対称であるとか非対称であるとかいう性質は時間がたっても変わらないことがわかる。従って前節での議論を一般化して、定常状態でなくても、いろいろな状態の中で対称的な状態のグループが一つの閥を作ることがわかる。」

 もうどっちを歩いているのかさっぱりわかりませんが、次は遷移の話です。 朝永は次のように説明してくれます。 「さて次の問題は遷移である。前に、量子力学的な状態の変化は(73.1)のSchrodinger方程式に従って因果的に行われるものの他に、観測の実施によって起こる所の非因果的なもの(いわゆる状態の収縮)の存在することことを述べた。そこで、この種の状態変化に於いても状態の対称性が変化しないかどうかを調べることが必要である。」

 証明は省略して、結論を述べます。 「このようにして、粒子の対称性が常に保存されるとすると、われわれは自然界には対称的な状態しか実現されていない、という仮定を安心して導入することができることになった。」 ???すごい結論が得られたような気がしますが、ほとんど理解できていません。自然界と数学の対称性がどう関係しているって???まあ、プアな頭で詮索してみてもムダですので、朝永のご託宣を続けます。

 「このように仮定するなら、自然界にあらわれ得るのは対称状態だけだというのだから、前節の相互作用のない粒子系に於いてエネルギーが(73.4)で与えられるような準位に対してφsただ一つだけの状態しか存在しないことになる。このことはこのエネルギー状態の実現の可能性の個数がBose統計のようにただ一つだけしかないことに丁度合致している。」

 「Bose粒子なるものをこのように解釈すると§70や§71の議論を用いて、粒子間に相互作用のあるときにまでBose粒子の性質を一般的にしらべることが可能になる。即ち§70や§71で論じたような、粒子の状態のかぞえ方という点で、それが(量子化した)波動と一致するということのみならず、もっと一般的にあらゆる物理的性質に於いて両方の理論の結論が一致することを示すことができるのである。それでは、節を改めてその議論に入ろう。」 ということで、次の節に入ることになりますが、もうふらふらで、立ち上がる気力が失せてきました。

                                      2013年5月12日

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§74 量子化した波動場とBose粒子の集まり  2013年05月12日

 冒頭に、朝永のやさしいお言葉があります。 「ここでやっとこの章の主題に入ることになる。即ち、いくつかのBose粒子からなっている力学系は、量子化した波動場とあらゆる点で同等であるということの証明である。その証明には数学的に相当ごたごたした議論が必要であるが、数学のジャングルの中で途方にくれないために、一応その根本にある考え方をおさらいしておく方が教育的であろう。」 はい、それでは前進しましょうかといいたい所ですが、ほとんど数学のジャングルで方向を見失うこと、必然です。

 (1)準備的考察

 先ず、波動と粒子の同等性を暗示するものとして、§49(6)に於いて得られた二つのエネルギーの式を取り上げます。
  @多粒子系について得られたエネルギーの式
     W = 罵 =1,N(W l)    (49.67'')
  A波動場について得られたエネルギーの式
     W = 敗 (EsNsl)     (49.78)

 途中の説明を省いて、次のような言い方が出来るそうです。 「従って、粒子像から波動像へ移るということは、粒子1,2,・・・,Nに目をつけて、そのそれぞれがどんな状態にあるか、という考え方をする代わりに、状態の方に目をつけて、各々の状態にいくつの粒子があるか、という見方をすることである、といってよい。」 突然こんな結論を言われてもわかりませんよね。実は、これがここでのテーマともいうべきものです。

 これから、数学を用いた話が始まります。従って、以下は省略します。

 (2)相互作用のあるときの場の正準形式

 朝永は言います。 「以上のような準備的考察を行って次に進む。ここでは先ず波動場から出発してそれと同等な粒子系を得ることをやる。」 といったところで、以下は省略します。申し訳ありません。

 (3)波動から粒子へ

 もう深い量子の森に迷い込んでいます。右も左もわかりません。背丈の高い草むらから顔だけ出してさ迷っています。

 (4)Bose粒子系から波動場へ

 以下同文です。

 (5)波動場的物理量と粒子的物理量について

 本節の冒頭で、次のようなことが述べられています。 「以上の議論で、与えられた力学系をBose粒子の集まりとして取扱ったときのSchrodinger函数と、波動場として取り扱ったときのSchrodinger函数との間の、物理的関係が明らかになった。どちらの方法で計算しても、系のエネルギー準位については同じ結果が与えられ、かつ、夫々の方法で取り扱って得られるSchrodinger函数の間には、一方から他方に移る数学的方法が存在することが明らかになった。このとき、われわれの得た関係は、エネルギーの固有函数の間だけの関係であったが、一般的なSchrodinger函数は常にこの固有函数の重ね合わせで与えられるから、この関係が与えられれば、一般のSchrodinger函数の間の関係は直ちに得られる。」

 この後、再び猛烈な数学の嵐となります。ということで、以下は省略します。

 (6)場の量の交換関係

 場の量の交換関係の式だけ掲げておきます。それ以外は、省略です。

 場の量(Bose粒子)の交換関係
  Ψ()Ψ†(') - Ψ†(')Ψ() = hδ( - ')     (74.39)
  Ψ()Ψ(') - Ψ(')Ψ() = 0             (74.39')
  Ψ†()Ψ†(') - Ψ†(')Ψ†() = 0     

 (7)粒子の個数の保存

 最後も省略とさせていただきます。とほほほですね。私は何をしようとしているのでしょう。ただただ、量子の森で途方にくれてさ迷い、倒れて死んでしまったようなものです。

                                      2013年5月12日

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§75 反対称的状態とFermi粒子  2013年05月14日

 冒頭に、前節までの議論のまとめが述べられています。 「粒子の集まりが波動場と同等であるという前節までの議論は、数学的にはなかなかこみ入ったものであったが、その議論の中心点を一まとめにすると次のようにいうことが出来る。先ず第一に目をつけるべきことは、粒子的な見かたとは要するに各々の粒子が夫々どういう状態に属するか、という見かたのことであり、波動的な見かたとは、要するに各々の状態に何個粒子があるか、という見かたのことである、といってよい。このとき波動的なみかたでは、ある状態にある粒子の個数だけが問題となって、どの粒子がどこに属するかは、問題になり得ないという点からみて、二つの見かたが同等になるためには、何より第一に、粒子の役目を入れかえても、何ら全体の系の新しい状態が生じないという事実が必要であることがわかる。そこでこの事実は、「粒子全体の系のSchrodinger函数が粒子の座標について対称函数になっているような状態だけが自然界に出現される」という仮定を導入することによって満足された。」 自然界の認識あるいは観測と数学の関係について言われているようですが、私にはさっぱり理解できません。

 次には、反対称の話が出てきて、ますますわからなくなってきます。結論は次のようです。 「前の節で、粒子の座標の入れかえに対して対称な状態だけしか自然界にあらわれない、という仮定を導入したが、上の事実から次の仮定も不可能ではなさそうである。即ち、ある種の粒子の集まりに対しては、その全系のSchrodinger函数が、どの二つの粒子のとりかえに対しても反対称であるようなものだけが自然界に許される、という仮定である。

 最後に、全然よくわからないのですが、朝永の結論めいたものとFermi粒子の定義を記しておきます。 「更にまた、Schrodinger方程式の固有函数でないようなΨについては、それがある時刻に於いて反対称であったなら、それは永久に反対象であることも§73の場合と同様である。従って、ある種の粒子に対しては反対称な状態のみが自然界にあらわれるという仮定を導入することも可能になってくる。」

 「それでは、自然界に存在するある種の粒子については、対称でない反対称的な状態だけが実現されるということは実際起こっていることであろうか。次の節で示すように、自然界には実際にこの種の粒子が存在することがわかる。対称的な状態だけが現れるような粒子をBose粒子といったことに対して、反対称な状態だけが現れるような粒子を一般的にFermi粒子とよぶ。今まで何も言わなかったが、われわれは今までまないたの上にのせて最もしばしば論じてきた電子は、実はBose粒子ではなく、Fermi粒子であることをこの辺で読者に告げねばなるまい。」

 ということで、光子はBose粒子で、電子はFermi粒子ということになりました。まあ、このことはどんな量子力学の本にでも出てくるのでわかってはいますが、どうやってこのように導かれてきたのか、私には十分に理解できないということです。


                                      2013年5月14日

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§76 Pauliの禁制原理とFermiの統計  2013年05月14日

 朝永は述べています。 「Schrodinger函数Ψが反対称である、という事実が物理的にどんな結果を引き起こすかを最も明瞭に示すには、粒子間の相互作用が無視し得るような場合について考えるのがよい。」 ということで、再び数学の嵐に入ります。よってその部分は省略させてもらいますが、Pauliの禁制原理とFermi粒子について述べている結論部分を、ここに掲げておきます。

 すなわち、「以上の事実から、粒子のどれかが同じ量子数をもっているなら、そのようなφは本質的に反対称ではないことになる。このことは W = Wn(1) + Wn(2) + ・・・なるエネルギー準位において、どれか二つのnが等しいような準位はFermi粒子において決して自然界にあらわれないということになる。 --簡単にいうと、Fermi粒子の集まりにおいては、粒子のどれか二つが同じ量子数をもっているような状態は決して自然界にはあらわれない--。」 これは§30で学んだPauliの原理に相当するものということです。 さらに続きます。 「このようにして、Pauliの原理の本当の意味が明らかになった。即ちPauliの原理はSchrodinger函数が反対称であるという要請からの直接の結論である。このようにして、原子の殻構造の理論で仮定されねばならなかった重要な事実の本当に意味がここで始めて明らかになったと同時に、電子はFermi粒子の一つであることが明らかになった。」

 うーん、すごいと唸りたいところですが、議論の内容すべてをよく理解していないので、感嘆することもできません。でも、何となく、量子力学が数学と共にどうやって発展してきたのかという点が少し見えたような気もします。

                                      2013年5月14日

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§77 Fermi粒子と波動場  2013年05月14日

 冒頭に、朝永の最後の問題提起があります。 「いよいよ最後に、Fermi粒子の集まりも量子化した波動場と同等であろうか、という問題に入る。しかしこの議論の数学的取り扱いは少しばかりやっかいであるから、ここでは結論だけを述べてがまんしていただくことにする。」 拍手!拍手!といっても、数式のない結論も理解できないのが実情です。ここでは、Fermi粒子の反交換関係の式のみ掲載します。場の量(Bose粒子)の交換関係(74.39、39')と比較してみてください。それ以外の議論は省略します。

 Fermi粒子の反交換関係
  Ψ()Ψ†(') + Ψ†(')Ψ() = δ( - ')     (77.1)
  Ψ()Ψ(') + Ψ(')Ψ() = 0         
  Ψ†()Ψ†(') + Ψ†(')Ψ†() = 0     

 最後の注意点とやらだけ掲げます。 「最後に次の点を注意してこの節を終わろう。以上論じたことによって、Bose粒子にしてもFermi粒子にしても、それは適当な交換関係(適当なといったのは、Bose粒子の場合には(74.39)、Fermi粒子の場合には(77.1)という意味である)を満足するような波動場と同等であることがわかった。従って、粒子と波動の何れを量子的対象と考えるかは全く便宜上の問題であって、いろいろな問題を計算するときに便利な方を用いればよい、ということになる。」

 「通常の非相対論的な粒子の力学のときは、多くの場合は粒子的な考えによるのが便利である。しかし理論をもっとおし進めて、光速度に近い速さを問題にする場合には、相対論的に量子論を一般化する必要がおこり、そのときは波動理論を土台にとる方が便利である。その理由は、相対論に特有な近接作用というものが波動場という概念と密接に結びついているということのほかに、このような高速度が問題となる範囲では、粒子の個数が変化するという現象が必ず現れてくるからである。現にわれわれの対称が光子である場合には、問題は必然的に相対論的であり、かつ実際に光子は常に射出されたり吸収されたりして、その個数が変化している。これと同じように、電子も、非常に高エネルギーの現象では、作られたり消滅したりして、その個数が変化するという現象が実際実験的にも知られている。このような場合を粒子的に扱おうとするなら、そのSchrodinger函数は、いろいろな個数の自変数の函数の集まりにしなくてはならない--それは計算を複雑にするので、少なくとも一般論をやるときには不便である。」 これから研究に入る学生にとっては大変役立つアドバイスなのでしょう。でも、私にはほとんど関係のないことです。

 最後に、この第U巻を終わるに当たっての朝永からのお言葉です。 「以上でこの巻を終わる。次の巻では、理論をもっと数学的に整理し、残された二、三の問題を含め、実際の応用例をたくさんに与えるつもりである。しかし、この巻で述べたことは、二、三の例を除外すれば、殆ど量子力学の完全な体系と論理的には同じ内容である。」


【私の第U巻のあとがき】

 ここまでで量子力学の完全な体系とほぼ同じ内容を学んだことになるようですが、私自身は消化不良で、まったく気分は晴れません。量子の森の真ん中に一人取り残され、さてこれからどうやって森を脱出するか思案しているところです。まあ死にはしなかったということで、少し安堵の気持ちもありますが。

 実は、朝永先生は第V巻を準備されていたようですが、原稿を未完成のまま逝去されました。その代わりに、筑波大学の記念行事として「補巻」を編集することになり、それが第V巻の代わりとして出版されました。私自身は、学生時代に第TおよびU巻を購入していましたが、この補巻は2、3年前に購入して、一度読んだだけです。というのも、いつも第U巻の最終段階で精神的、能力的挫折を繰り返していたので、とても補巻まで頭が回らなかったということです。

 それで、これからどうしようかと、考えてみました。一つは、量子の森の中で座したまま終わりとする。二つ目は、もう一度第U巻を読み直して(それには数学と解析力学の知識のレベルアップも行う)、更に理解を深めた上で次の補巻に進む。最後は、どうせがんばっても十分に理解できるはずがないのだから、無謀にもこのまま補巻に突入する。一つ目の道は、何か私の性格に合わないようなので、除外します。また、私にはもう十分な時間が残されていません。それで、二つ目の道は理想的ですが、体力、気力の点からみて不可能なように思えます。ということで、三つ目の道を歩もうと決心しました。ちょっと準備に時間がかかるかもしれませんが、何とか補巻に取り組みたいと思います。ただし、期待を乞いません。それではまた会える日を!

                                      2013年5月15日


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