Bon Voyage! HOME > BOOK REVIEW > May, 1998

1998年5月
『ラム・パンチ』
エルモア・レナード、高見浩=訳、角川文庫

映画「ジャッキー・ブラウン」の原作。レナードの作品世界と、タランティーノのテイストが実によくマッチするのを再確認。この原作からかなり忠実に映画化されています。

実は、あんまり期待していなかったのですね。でも、この冷酷だけどちょっと抜けているワルたちが憎めない。派手な銃撃戦も配しながら、オフビートに徹した小品という印象です。何より、けっこう笑えます。

誘拐の失敗。女房をさらったのはいいが、実は離婚訴訟中で、身代金を払うどころか、厄介払いしてくれてありがとう、と金にならない。ネオナチの家に武器強奪に行けば、逆に主導権を握られて、餌代わりに連れていった女に助けられる。警察に密輸武器倉庫を襲われて、チンピラたちがロケット砲を撃って反撃しようとするが、なんと説明書きが読めなくてつかまってしまう。

このへんは映画ではカットされてますけどね(誘拐失敗篇は、別の作品の話で、これは映画化されているらしい)。それで逆に、タランティーノの狙いがよく見えてきます。わざとスピード感を落として、キャラクターの遊びというか、人間の輪郭を浮かび上がらせようとしている。彼にとっては、軽い手すさびみたいなものかもしれない。

(私、エルモア・レナードと、ジェイムズ・エルロイを混同したことを書いてしまいました。訂正します。『ブラック・ダリア』『L.A.コンフィデンシャル』は、ジェイムズ・エルロイの作品でした。まことに迂闊でした。すみません)

『不夜城』
馳星周、角川文庫

1996年9月に単行本刊行。大型新人の事実上のデビュー作にして、日本ミステリー界の話題をさらった傑作が早くも文庫に。6月には金城武主演の映画「不夜城」が公開予定。この監督にこのキャスト、なかなか魅力的です(映画の感想はこちら)。

このペンネームは香港映画の俳優、周星馳をひっくり返したもの。作家は香港映画フリークらしい。「本の雑誌」誌上での書評では坂東齢人の名で人気があった。などということは、知ってはいたのだ。しかし、生来の天の邪鬼が頭をもたげて、読まなかったのだが。一読、これは確かに、凄い。ぶっとぶぜ。

新宿・歌舞伎町を舞台に、台湾・上海・北京の勢力争い。これに、香港や福建まで絡む。裏世界に蠢く人間たちの表情が、実にリアリティと陰影に富む。そして、少しずつ語られる数々の悲惨な暴力のエピソードの迫力。ここには、愛も信頼も友情も仁義も良心も正義もない。欲望、面子、策謀、裏切りの渦。匂い立つような恐怖、狂気、孤独。

ここには、善人はいない。カモられる者と、カモる者。生き延びる者と、利用されて死ぬ者。凄絶な世界で繰り広げられる逆転劇の連続は読む者の魂をつかんで振り回す。筋立てはともかく、キャラクターが「立っている」ところは群を抜いているが、何よりも画期的なのは、意識的に主人公への感情移入を妨げているところ。それでいて、不可能な愛について何かを語りかけてくるラストには、哀切というよりももっと深い諦念が漂っている。

この肌触りは何だろう? この熱さは何だろう? 実に圧倒的な作品世界を構築した手腕はたいしたものだ。決して巧さは感じないが、それだけに骨格のたくましさが印象的。スケールの大きい才能のこれからに期待したい。

『原告側弁護人』(上・下)
ジョン・グリシャム、白石朗=訳、新潮文庫

単行本は2年前の刊行です。この文庫は奥付で1998年5月1日初版発行。私にとっては、別に単行本で急いで買うほどの作家じゃないので、ちょっと古いけど。もうすぐ映画「レインメーカー」(フランシス・フォード・コッポラ監督、マット・デイモン主演)も来るみたいだし、まあいいかと。

ジョン・グリシャムには、はっきり言ってスコット・トゥローほどの深みはない。ストーリーも『評決のとき』『処刑室』をのぞいて主人公が窮地に陥っては見事脱出して悪い敵を打ちまかすジェットコースターで、たしかに面白いし、キャラクターもよく出来ている、だけどどうも人間性の洞察という点で不満が残る。別にエンターテインメントでいいじゃないか、とも思うが、この作家は何を勘違いしたのか、人生の陰影を描こうとして見事に失敗している。

この作品も、期待通り、わくわくページをめくってはいくのだが、表層をなぞるだけ。不思議なことに、グリシャム原作の映画はどれも水準以上の出来で面白い。キャラクターの個性が生きているためかもしれない。本作では、白血病にかかった死期間近の青年とその父母、遺産を餌にする老女、裏世界に生きる弁護士などなど。

筋を簡単に言えばロースクールの学生が法律事務所への就職にあぶれ、実習で出会った保険請求訴訟に賭けるのだけれど、ところどころ「ほんまかいな?」と思うくらいに振幅が激しい。なにしろ、被告の保険会社の悪辣非道が極端で、ほとんど荒唐無稽。さすがに法曹界の裏事情にはリアリティがあるのだが。見せ場の法廷シーンは、すでにネタばれしているために、ただのカタルシスの再確認になっている。

何よりも、感動して涙が出そうな白血病の青年にソフトボールを見せるシーンが、これ自体はいいのに、ここにいたる主人公の心の動きが平板で、説得力に欠けるのが惜しい。一人称はやはり向いていないのか?

ちなみにこの次の作品『陪審評決』(新潮社、単行本)がすでに刊行されており、さらにつづく2作が翻訳中だそうです。

『ナイン・テイラーズ』
ドロシー・L.セイヤーズ、浅羽莢子=訳、創元推理文庫

思えば、小学生のころ、エラリー・クイーンが大好きで『オランダ靴の謎』から始まる国名シリーズを順番に読破していったものだった。果たしてわかっていたのだろうか? いや、あの時は、謎解きばかりに心を奪われていたのだ。なにしろ、数学クイズのような論理的プロセスがすべてだった。それでも、あの幸せな時代の風俗は心に刻まれたようだ。クリスティ、クロフツ、ヴァン・ダイン、フィルポッツ、バークリー、ディクスン・カー。貴族の館、執事、馬車に取って代わった自動車のクラクション、株式仲買人、ああ、書いているときりがない。

さて、セイヤーズですが、実はまったく読んだことがない。昔は文庫では出ていなかったのではないだろうか?(もう25年も前ですけどね) いつからなのか、ピーター・ウィムジー卿シリーズがほとんど創元推理文庫から出ているではないですか。これは楽しみが増えたぞ。

ようやく、本題。なにしろ、名探偵は独身の貴族ですからね。卿は「御前さま」と呼ばれ、田舎の者は「・・・でのす」と訛り丸出し。名執事との掛け合い、古今東西の万巻からの引用、ひらめきの数々。いいとか悪いとか、好みかどうかはともかく、これぞ古典的スタイル。この形式の中で楽しむゲームなんですから。

物語は、ふとした縁でとある村の教会の鐘を鳴らすのに参加したウィムジー卿が、後日その墓地から発見された見知らぬ死体の謎に迫る。昔盗まれたエメラルドの首飾りに関係があるのか? 暗号、顔をつぶされた死体、怪しいよそ者、フランスからの手紙、宝探し、謎の死因、ついでに洪水パニックまで。1990年代となっては、別に意外でも何でもない謎解きですが、展開の妙と個性豊かなキャラクターで読ませます。名推理の根拠が弱い、というか、論理より直感というのは私の好みに反しますが、これはこういうものなんでしょう。

むしろ、印象的なのは鐘。8つの鐘に名前があるんですよ。読み終わって、コトの顛末に思いをいたすと不思議な風景が目の前に広がります。作者は冒頭から鐘にこだわり、訳者は小辞典まで作り、編集者は登場人物欄に鐘の名前まで記載し、とこのへんの味わいこそが傑作と言われる所以でしょう。

しかし、「転座鳴鐘術」というのは結局よくわからないのだった。せっかくの小辞典だが、説明になっていない。規則に従って順番に鐘を鳴らすというのは、わかりますよ。けど、「先手」「後手」「直る」「間違えて」の意味は? 別に作品理解に支障はないけどさあ、気になって仕方がないんだけど。


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