羨ましいなあ、 あればいいなあって単純に思っていました。なんか神秘的な感じもするし。しかし、実際は必ずしもいいことだけではないらしい。そして、当然かもしれないが、
絶対音感は芸術家へのパスポートではない、ということも明らかになる。絶対音感とは、ある音程を認識して音名をラベリングできる能力であり、よい音楽を創造する能力ではない。ただ、あった方がいいらしい。
この本は生半可なルポではありません。まだまだ奥がある。 メルロ・ポンティ、アウグスチヌスまで引用して音楽の謎に迫る。そう、
なぜ、音符の列が感動を、エモーションを引き起こし、 心に響くのか?
科学者のアプローチ、教育者の努力、そして音楽家はどう考えているのか、膨大な取材とインタビューがテキストを支えています。ただし、よく整理はされているけれども、狙ったであろうドラマティックな構成には残念ながら到達していない。しかし、かなり高いレベルであることは確かです。もっと「捨てる」ことが上手になれば、この作家はもっと伸びるでしょう。
私は個人的に移調の問題について解決がついて気持ちよかった。つまり、歌いやすい、弾きやすい調にしたらなんか問題があるのか? 特定の調には特定のカラーがあるのか? 相対的な音の配列が変わらなければいいのではないか? ということです。よく「ベートーヴェンのハ短調には独特の・・・」とか言うけれど、調性に個性なんてあるの? と疑問に思っていたわけですが、結論から言えば、絶対音感の持ち主にとっては調性は重要で、それぞれに色彩感やイメージが(たとえばハ長調は白とか)あるのだそうです。そうか。じゃあ、安易に移調したらいけないんだ。カラオケでキーをいじるってのは作曲者に申し訳ないんだ。(なお、このあとにモンテゾンの調性格論を知りました。調性ピッチの問題ではなくて各調に固有の音階なんですね。こういいながらやっぱりよわかっていない。1998/11/07記)
さて、本題に戻ると、「演奏できる」から「人を感動させる」までの深くて暗い溝、音楽は心だ、という当たり前の結論の重みを言葉ではなく、実感として腑に落ちるまでの過程が印象深い。誰もが「テクニックだけではダメ、表現力がなければ」と言うわけですが、実際に音に気持ちを乗せる人たちのすさまじい、全人間的な努力を見せられると感動を覚えます。
五島みどりの例は圧巻です。そこにあるのは、音楽を介在して、人間の自立へと戦う母子の姿です。
早期教育は非人間的か? という批判もあるでしょう。そのへんについては判断停止しています。実際に音感と演奏テクニックを身につけるためには早い時期の練習が必要で、しかも音楽家になるためには、さらに高い壁「人を感動させるための人間力」を身につけなければならない。そうした現状を考えると、一概に排斥できないでしょう。ただ、絶対音感を流行ブランドのように祭り上げてレッスンに子どもを送り込むのには違和感を感じます。
あ、もちろん絶対音感を教えてきた歴史はキチンと押さえています。書名からはそれだけを書いた本のように思われがちかもしれないけれど、決して本質を見逃さない、いい本です。 |