利尻・礼文島、サロベツ原野

2003年7月、最北の花の浮島、利尻と礼文島の旅4日というパック旅行に夫婦で参加した。総員25名中21名が女性というグループである。 ミセスグリーンウッドのお目当ては憧憬の花、レブンウスユキソウ(エーデルワイス)という謳い文句だ。

グリーンウッド氏の興味は花よりむしろ1万1,000年前の間氷期初期、日本列島が大陸とのつながりが切れた時の植生が残っているという礼文島の地形と植生全般である。宗谷岬の南側に広がる宗谷丘陵は旅程には入っていないが、興味の一つだ。本州の山は河による侵食なのでどこも急斜面のV字渓谷となるが、宗谷丘陵は女性的だ。1-2万年前の氷河時代に基盤岩の突出部が凍結破砕作用で岩石が砕かれて高度を下げ、谷間に岩の破片が埋まってできた緩やかに起伏する地形というのでいつかは訪れたいと思っていたところだ。

第1日、2003年7月16日

早朝6:50羽田集合のためには羽田東急ホテルで前泊しなければならない。(Hotel Serial No.258)このホテルは羽田空港の大改造に伴い、不便なところになったが、意外に利用者が多い。多摩川沿いの広い庭での屋外レストランやプールに人気があるらしい。

旭川空港は釧路空港のように真新しい。2年前の2001年、バイク旅行でこの空港横を抜けて富良野に入ったことを思い出す。和寒(わっさむ)ICまでは道央自動車道を走る。あとは北海道第2位(日本第4位) の天塩川(てしおがわ)、沿いの国道をただひたすら何時間も走る。大きな川の割りに名前が知られていないのは川沿いに人口の大きな町がないためではとガイドが説明する。北海道の地名はアイヌ語に音と訓をまぜこぜにして適当な当て字をしたので読み方がわからない。たとえば天塩川沿いの音威子府(おといねっぷ)、帰路通過予定の秩父別(ちっぷべつ)である。

天塩大橋を渡ると橋の上から河口近くのサロベツ原野に一列に28基並ぶ風車発電機群が見える。宗谷丘陵とおぼしき、なだらかな丘の上にも沢山の風車が設置されている。シベリアから吹き付ける強い風が吹く地帯だから、風力発電の適地なのだろう。北海電力がもう結構というのも理解できる。サロベツ原野に展開する牧場には、プラスチックフィルムで梱包された牧草の束が沢山ころがっている。これはラップサイレッジというもので、サイロの代替に海外で開発され導入された技術だ。サイロの酸欠事故防止にもなり、うち捨てられたサイロを見るともう完全に移行してしまったようだ。

ピンク色ルート

稚内市内では日本最北のJR駅というものを目の片隅に入れながら、フェリーに乗り込む。かってはここから樺太にある鉄道にフェリーで連結されていたのだが、もう樺太は異国となってしまった。稚内から利尻島・泊(おしどまり)港 までは日本海フェリーで1時間40分。1等指定船室を確保してようやく座る席を確保しなければならないほど旅行客でいっぱいだ。どうしてこの日本海フェリーが破産申告をしたのか理解に苦しむ。多分ブームにのって不動産開発にでも手をだして失敗したのではと推察する。

乗客のなかに日本100名山の一つ利尻山(標高1,721m)の登山者と思しき人も散見されるが非常に少ない。利尻山は船上からはついにその姿をみることはできなかった。泊では夕食前にペシ岬に登り、運動不足を解消する。木1本もない草に覆われた岩山のため、たった93メートルの高さなのにここからの見晴らしはまさに絶景。夕日の逆光の中に礼文島が横たわっている。 ここで巨大なツリガネソウを見つける。

ツリガネソウ

夕食は海々の珍味ずくしで、とれたてのバフンウニとムラサキウニがカラ付きでてくる。特にバフンウニは貴重品とか。本州で売っているのはミョウバンで自己分解酵素の働きを止めているので食後、苦味が残るが、ここの生は何も処理してないので甘味があるのだという前口上つきである。この島はコンブ採集と漁業だけで、農業・牧畜は全く無い。したがって食材は海のものに限定されるのだ。カニ、ボタンエビ、海草料理ありで、新鮮さでは東京では1食ウンッ万円もする豪華なものである。以後3日間は昼と夜はこの豪華食卓の連続であった。割高なパッケージ旅行である理由は、食事に重点を置いているためではと推察する。

青森県下北半島の北端の町、大畑町が税金で港を作り、フェリー岸壁も作ったのに、漁獲高は減り続け、フェリーの運航はとりやめになり、町は過疎になった。住民がどこでまちがってしまったのだろうかと昔の豊かだった時代の写真を持ち寄って話し合ううちに、磯があったことを思い出し、税金で護岸を壊して磯を再生したら、ノリ、ワカメ、ウニ、サカナが豊かにとれるようになったとのこと。利尻・礼文には手付かずの磯があるからコンブもウニも豊富なのだろう。

第2日、2003年7月17日

翌日の午前中はまずエゾカンゾウの富士野園地と高山植物展示園を訪れ観光用に栽培されているリシリヒナゲシ、レブンウスユキソウ、レブンソウ、マツバトウダイ他を見る。リシリヒナゲシは利尻固有種である。

リシリヒナゲシ

レブンウスユキソウ

レブンソウ

マツバトウダイ

エケベリア・デレスセアナ

次いでバスで早足で利尻島を一周する。この間、利尻山は雲の中であった。これでは登山している人にとっては何をしに来たのかという思いだろう。運動不足解消のため、オタドマリ沼と姫沼を一周する。

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オタドマリ沼

オタドマリ沼のオオウバユリ

午後は再度フェリーで40分かけて礼文島東海岸の香深(かふか)港に渡る。バスでただちに丘を越え、トンネルをくぐって香深港と反対岸の元地海岸に出る。ここからの桃岩を含む緑の絨毯をいただく絶壁の景観には息を呑む。

元地海岸

チシマワレモコウが斜面を覆いつくしている。

イブキトラノオ

真っ二つに裂けた地蔵岩も観光の目玉のようだが、崖崩れで近づけず迫力がない。元地海岸の砂利浜には小豆大の白メノウの原石が沢山ある。観光客が毎日拾い続けてもなくならないほど多い。グリーンウッド氏もちょっとの間に10粒ほど拾った。

利尻島は火山島であるが、礼文島は隆起によって出来たとされている。西海岸にはマグマが地下でゆっくり冷却されて出来た岩塊でできており、特に桃岩はタマネギのような構造をもつ球状節理(板状節理)が見られる。その内部はゆっくり冷却してできた柱状節理が横になって見える。この垂直に起立する岩盤は見る者に圧倒的な迫力で迫る。トンネルはこの岩の横をくりぬいてつけられている。トンネルをもどって東側から、桃岩の東側の女性的な丘陵上に展開する草原を散策する。桃岩歩道といわれる2.5kmは氷河時代から生き残った草花の宝庫である。強い風のためだろうか、木はまったく生えていない。草原性の鳥、ヒバリの鳴き声が聞こえる。ここは約300年前にシャクシャイン事件の舞台になったところであるとの看板がある。夕刻になり、利尻富士が夕闇のなかにその全貌を顕す。その全景を窓越しにめでながら、夕食をとる。第2日はこうして暮れた。

第3日、2003年7月18日

第3日は午前中は深い朝霧のなかを最北端のスコトン岬に向かって出発。途中船泊を過ぎてホロナイ川を渡るが、この川にはかってシャケやチョウザメが溯上したという。スコトン岬に向かって丘の上の狭い道を若い運転手が運転するバスで通過するのはかなり緊張を強いられる。バスから開放されてトド島を望む最北端という標識のある展望台で記念撮影。それでも宗谷岬より少し南である。ここは風の強いところだそうで、木が1本も生えていないところから納得できるが、当日は微風で穏やかな日であった。

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スコトン岬で

この日1日中、レンブルク自然舘から加藤さんという花の案内人が案内してくださった。スコトン岬からなだらかな草原に覆われた丘の上を歩き、鮑古丹(あわびこたん)海岸に下って、石ころだらけの海岸に生えるハマウツボ、イワベンケイハマベンケイウンランハマハコ、ハマエンドウベなど珍奇な花花を観賞した。

鮑古丹海岸

鮑古丹海岸の花園

ハマウツボ(寄生)

キリンソウ

ウンラン

ハマベンケイソウ

 

ハマハコベ

クサフジ

タカネコウリンカ

浜で花を鑑賞した後ゴロタ岬(海抜176m)に登った。その路傍で見た野草は次のとおり。

イワベンケイ(雌株)

チシマアザミ

タカネナデシコ

ウメバチソウ

 

しかしエゾノシシウドやハナウドがなんといっても多い。原野一面を覆いつくしている。

エゾノシシウド

ハナウド

ゴロタ岬は海側は海に向かってそそりたつ岩盤である。約1時間の散策であった。

ゴロタ岬

加藤さんは東京にお住まいのようであるが、退職後、好きな花の案内人になって夏の間、礼文島に滞在しておられる。NHKにもそのライフスタイルを紹介された人だそうである。

先生の説明によると礼文島は隆起によって出来た島のため、利尻山のような火山性の高い山はない。本州なら1,500mにならないと見つからない、いわゆる高山植物が波うち際に生えているなぞは、風が強いためと、常に表土の崩壊があるため、森林が育たず、草原が維持さてているたのだという。明治時代に発生した山火事も谷間にあるなけなしの森林に大木が無い理由の一つだとのこと。確かに岩盤の上にある1メートル位の表土がすべり落ちたところが随所にみられる。崖下の民家を守るために崩落防止の鉄柵がいたるところに設置されている。また道路をつけつるために掘削して現われた斜面は美しい草花の好むところとなっている。ここの花は雑草なのだ。寒いところで昆虫も少ないので、雑草は色の鮮やかな花をつけないと種の維持ができないためというのが、真相のようである。この日、歩きながら、先生が次々と指し示す路傍の花の名前をPDAに記録したら巻末のように72種になった。絶滅寸前の希少種、レブンアツモリソウは5月に花が咲くそうで当然みれないが、盗掘から守るため、群生地にはフェンスを設け、リモート監視装置をつけているとのこと。

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澄海(すかい)岬からの景観

バスで西上泊(にしうえどまり)に移動。ここから徒歩で澄海(すかい)岬に登る。霧も晴れて見晴らしもすばらしい。澄海岬の北側の入江は1973年に訪れたルルワース・コーブと似た円形の入り江だが、この入り江にそそり立つ岸壁にも良く見ると桃岩と同じ柱状節理が見られる。遠方にゴロタ岬が見える。礼文島西側は全般に岸壁が海にせまり、道も人家もない荒涼としたところだが、この景観はすばらしい。この景色をめでながら昼食をとる。

再度バスで高山植物園に立ち寄ったのち、香深井林道口まで移動し、ここから徒歩で8kmの林道のハイキングを楽しんだ。加藤先生は78才の高齢者もいることからとこの安直なルートを奨められた。しかしグリーンウッド氏にとっては花だけが目的ではない。林道を通って景色も堪能することが、目的で参加したのだから、もしルートを短縮するなら、少なくとも希望者には予定通り、全コース楽しむオプションを設けてほしい。高齢者もそれなりの覚悟をして参加したはずと旅程保証を盾に添乗員と加藤先生とひそかに交渉する。責任問題もあるのだろう、グループを分けず、全員8kmの林道を走破することになった。

島の中央部の谷間には大木はないまでもささやかな森林が発達している。ウグイスと名も分からない鳥の鳴き声が聞こえる。林間の緩やかな道を少しずつ登ってゆくとやがて林もなくなり、笹原に出る。礼文の穏やかな丘の上に厳しい利尻富士が姿を見せる。振り返れば笹に覆われた礼文岳も見える。

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礼文林道をゆく。遠方に利尻富士が

丘の上から谷を望む

丘の斜面に強い西風が吹き付けるところではさすがの笹も生えず、レブンウスユキソウの群生地となる。一面の笹原はやはり強風でできた谷川岳西側の標高2,000メートルクラスの平標山と仙ノ倉山の笹原を思い出させる。こちらは標高数百メートルである。草原の模様はスケールは違うがウェールズのブレコンビーコンズ国立公園とも似ている。

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レブンウスユキソウの群生地

この斜面にレブンウスユキソウとカワラナデシコが生息していた。

レブンウスユキソウ群生地

8kmの林道を避けて反対側からレブンウスユキソウだけを見にくる観光客の一群とすれちがった。 交渉しなければ彼らと同じことになったのだ。好天気にも助けられた結果、落伍者も出ず、全員、全行程を走破できた。達成感もあり、全員大満足であった。グリーンウッド氏の万歩計は1万1,000歩であったが、元気な78才のご婦人は1万8,000歩であった。

さて途中、香深の裏山の笹原で林野庁が等高線に沿って、笹を幅数メートルの帯状に刈取り、植林をしているのをみた。遠くから見ると刈り残された笹が茶畑の畝のようにみえるので、地元では茶畑と呼んでいるそうである。加藤先生らはできるだけ針葉樹ではなく、落葉樹にしてくれと要望し、林野庁も多少妥協し、落葉樹も植えられたそうである。しかしグリーンウッド氏は大きな失望を味わった、折角の美しいビロードのような笹原が醜い茶畑になるのは一時的としても、この草原が失われるのは惜しい。植林が成功すれば、この見晴らしの良いところも本州の山林のようになってしまう。礼文の草原もこれでおしまいかという思いである。折角、自然が維持してきたシベリア原産の草原も中央の官庁が決めた方針でローラー作戦的に針葉樹林にかえてしまうおろかさがむしろ恐ろしくみえた。税金の無駄使いとなろうとも、この植林が失敗することを祈らずにはいられない。加藤先生はそう見ているようであった。または自然に発生する山火事に期待する手もある。米国の森林管理者なら燃えるのも自然の摂理と、火が人家に迫らない限り、燃えるに任せるが。自然に関して無知な北海道の消防署はヘリを出すかもしれぬなどとあらぬ心配までしてしまう。

京都大学の加藤真教授が「草原の残照」と題し、日本で戦後進んだ草原の喪失、ひいては植生の多様性の喪失を嘆いておられる。生物の多様性という面からみれば、日本のように多雨の地方では自然は森林に向かって遷移し、生物の多様性を失わせるのでむしろ草原は人間によって保護されるべきなのだ。自然にある草原への植林は森の農地化と同じく、植生の多様性を失わせる。植林が全て全て善ではないことを知るべきであろう。

第4日、2003年7月19日

最終日は一番1船で稚内にもどる。これで利尻富士の見納めをする。また再会することもあろうか。次回のバイクツーリングは礼文島は狭すぎるので少なくとも稚内までは北上しよう。

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フェリーから振り返る利尻富士

帰路は抜海(ぼうかい)海岸沿いの道だ。オロロラインという愛称がついている。ここから見える原野もすばらしい。予定にはない抜海原生花園に立ち寄って、ネムロコウホネを見る。抜海原生花園から利尻までの海峡幅はたった20kmとのこと、ハマナスを前景にする利尻富士もよい。

ネムロコウホネ

ハマナス

サロベツ原野は7,000年前は入り江だったとのこと。その後、寒冷化するに従い、海面も下がり、砂丘の発達により海と隔てられ、湖となった。4,000年前には泥炭の生成がはじまり、現在の原野になったとのこと。泥炭の生成速度は毎年1ミリメートルという。現在は地下水位がまだ低下傾向で乾燥化が進み、笹の侵入になやんでいるとのこと。この草原も日光の戦場ヶ原が森林化するように、いずれ笹原になるのはさけられないのだろう。その後は林野庁が植林をはじめるのだろうか?それまでに林野庁が存在していればの話だが。

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サロベツ原生花園

サロベツ原野を国立公園に登録するについて地元の豊富(とよとみ)町の酪農家が牧場拡張の計画を断念せざるをえないので反対した。そこで妥協として、牧場にするか国立公園に編入するか段階的にきめてゆく妥協がされたそうである。したがって原野も一部虫食いで牧草の採草地となっている。といっても景観的には野草が牧草に替わるだけですこし滑らかな草原が出現するだけである。囲いもないのでこの採草地に野生の鹿が入り込んで牧草を失敬している。鹿といえども牧草の方がおいしいのだろう。牧畜といっても乳牛中心だそうである。宗谷丘陵でようやく肉牛の生産がはじまったところで、稚内牛というブランドで出荷されているそうである。

豊富町の有志が石油を掘るつもりがあてがはずれ、温泉を掘り当てて、作った豊富温泉で昼食をとる。湯はチョッと油臭いそうだが、なかなか立派な宿泊設備だ。(Hotel Serial No.260)豊富温泉から幌延に抜ける県道121号線沿線の牧場は牛の放牧もあり、異国情緒たっぷりであった。

手塩川を渡ればあとは留萌(るもい)に向かって海岸線に沿って天売(てうり)国道をただひたすら南下するだけである。 日本海には平らな天売島が見える。ここにはウトウ(善知鳥)という羽が小さい海鳥がいる。ペンギン程ではないが羽が小さく、空に飛び立つには長い助走距離を必要とし、海面スレスレにとぶことしかできないが、海のなかでも空飛ぶように飛び回り、魚を獲る。

海岸沿いの丘の上の牧場にはトーメンが投資した天塩川河口の風車群より大きい風車群が延々と連なっている。これにも見飽きて深い眠りに落ちる。小平(おびら)町では明治時代に建てられた花田家ニシン番屋に立ち寄る。シングル葺きである。 なかにし礼の小説「兄弟」に描かれた増毛(ましけ)の浜のニシン番屋もこのようなものだったのだろう。

留萌からは秩父別(ちっぷべつ)、石狩川沿いの神居古潭(かむいこたん)経由で旭川空港に帰着。秩父別も旭川も屯田兵が開発したのでいまだに水田・稲作中心の農業を営んでいる。そういえば富良野も水田中心であった。グリーンウッド氏はなぜ世の人々が富良野に魅せられるのかわからない。美瑛町の景観のほうが好きだ。

礼文島で加藤先生が教えてくれた花

スコトン岬からゴロタ岬の間の鮑古丹海岸と高山植物園で見聞きし、書き取ったもので実際にはほんの一部。順番は書き取った順である。

ハナウド、チシマアザミ、イワベンケイ、ヨツバシオガマ、ツメクサ、クサフジ、ハマウツボ(寄生植物)、ウンラン、オオバコ(帰化植物)、ハマヨモギ、オオハナウド、エゾノシシウド、ハマボウフウ、ハマハコベ、エゾツルキンバエ、ハマベンケイソウ、ハマエンドウ、ノコギリソウ、ハマヒルガオ、チシママンテバ、クサフジ、シロツメクサ、ラッキョウ、シモツケ、トウゲブキ、チシマフウロ、タカネナデシコ、エゾヒナノウスツボ、アカネムグラ、ミソガワソウ、ミヤマキンポウゲ、ヤマブキショウマ、ウメバチソウ、オトギリソウ、レブンウスユキソウ、ハクサンチドリ、ミヤマヤナギ、ウルップソウ、チョウノスケソウ、チングルマ、ミヤマオダマキ、レブンソウ、コウリンタンポポ、タカネコウリンカ、ツリガネニンジン、チシマギキョウ、チシマワレモコウ、タンポポモドキ、ハンゴンソウ、イワアカバナ、ノビネチドリ、ミヤマタニタデ、ウメガサソウ

礼文林道で書き留めたもの。

ノビネチドリ、マイズルソウ、クルマバツクバネソウ、オオバマエンレイソウ、クモキリソウ、オオヤマフスマ、レブンウスユキソウ、カラフトイチヤクソウ、ガンコウラン、タカネナナカマド、タカネツメクサ、チシマレンゲ

北海道新聞社発行の礼文・利尻の花掲載の7月の花(実際にみたものは除外)

アカバナ、エゾカンゾウ、エゾスカシユリ、エゾチドリ、エゾニュウ、エゾノコギリソウ、オニシモツケ、オオダイコンソウ、オオハナウド、オオヤマフスマナ、カラフトイチヤクソウ、カラフトゲンゲ、カンチコウゾリナ、キタノコギリソウ、ギョウジャニンニク、コイチヤクソウ、ゴゼンタチバナ、シコタンソウ、シラネニンジン、シロヨモギ、シロウマアサツキ、ダイモンンジソウ、タカネツメクサ、チシマキンレイカ、チシマフウロ、チシママンテマ、チシマワレモコウ、ツルアジサイ、トウゲブキ、ハイオトギリ、ハマヒルガオ、ヒロハクサフジ、マルバトウキ、ミヤケラン、ミヤマキンポウゲ、ミヤママタタビ、ミヤマラッキョウ、ヤマブキキンショウマ、ヨツバシオガマ、リシリソウ

サロベツ原野でみた花

抜海(ぼうかい)原生花園で書き取ったもの

ネムロコウホネ、ハマナス

サロベツ原生花園で書き取ったもの

タチギボウシ、モウセンゴケ、ワタスゲ、サギスゲ、トキソウ、サワラン

スケジュール

日付け

時刻

場所

移動法

第1日(7月16日)

集合6:45 羽田空港 日本エアシステム191
- ETA9:00 旭川空港 日本エアシステム191
-

-

和寒(わっさむ)IC バス
- 11:40 美深(びふか) バス
- 13:20 名山台展望台 バス
- ETA14:50 稚内港 フェリー
- ETA17:10 利尻島・泊(おしどまり)港 フェリー
- 17:35 夢海泊 (Hotel Serial No.257)
第2日(7月17日) 8:05 富士野園地(ふじのえんち)、高山植物展示園 バス
- 8:30 エゾカンゾウ群生地 バス
- 8:45 沓形(くつかた)岬 バス
- 9:15 クロユリ池 バス
- 9:35 仙法志御崎(せんぼうしみさき) バス
- 10:15 オタドマリ沼 バス
- 11:05 姫沼 バス
- 11:45 泊港 フェリー
- 13:55 礼文島・香深(かふか)港 フェリー
- 14:25 元地海岸 バス
- 14:50 地蔵岩 徒歩
- 15:05 桃岩口 徒歩
- 16:30 香深 三井観光ホテル泊 (Hotel Serial No.258)
第3日(7月18日) 8:40 スコトン岬、トド島展望 バス
- 9:20 鮑古丹(あわびこたん)海岸 徒歩
- 10:10 ゴロタ岬 徒歩
- 11:30 西上泊(にしうえどまり) バス
- 11:45 澄海(すかい)岬 徒歩
- 12:40 西上泊(にしうえどまり) 徒歩
-

-

船泊(ふなどまり) バス
- 14:00 香深井林道口 バス
- 17:20 礼文林道ハイキング、レブンウスユキソウ群生地 徒歩3時間
- 17:45 香深 三井観光ホテル泊 (Hotel Serial No.258)
第4日(7月19日) 8:00 香深港 徒歩
- 10:40 稚内港 フェリー
-

-

抜海(ぼうかい)海岸のオロロンライン(オロロン鳥=ウミガラス) バス
- 11:45 サロベツ原生花園 徒歩
- 13:00 豊富(とよとみ) 昼食
-

16:00

小平(おびら)町 バス
-

-

留萌(るもい) バス
- 17:30 秩父別(ちっぷべつ) バス
- 19:00 旭川空港 日本エアシステム198
- 22:10 羽田空港 日本エアシステム198

July 22, 2003

Rev. August 10, 2009


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