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シリアル番号 表題 日付

732

シャクシャイン事件

2003/08/01

いまから約300年前、日高東部蝦夷と日高の国沙流の酋長オニビシとの間に漁猟場紛奮争に因を発し、これに当時アイヌに対する松前藩の失政と和人の抑圧が更に原因を誘発して、南の島原の乱につぐ北の大乱として天下を騒がせたシャクシャイン事件がおこった。

当時、アイヌ軍の勢力はすざまじく、各地で交易船を襲い、多数の和人を殺害し、一時は松前藩も危うくなったが、奸計によってシャクシャインが討たれてからは叛乱は、ようやく鎮圧された。

だが、すべて平定されていた訳ではなかった。このシャクシャインに組して和人二十有余人を殺した磯谷アイヌ五十ー六十人がルイシソ(利尻)に押し渡り皆殺しにするというのを利尻のアイヌが助けを求め三十両の賞金を出してやっとことなきを得た。これを知った強族香深井アイヌ一族の酋長ワカインは次ぎの襲来を予期して一族を結集、この磯谷アイヌを先制攻撃することになった。

香深井アイヌ軍は、地勢をよく知っているので、カフカイ川上流より峰を辿って背後より尺忍の拠点を打たんと軍を進めた。一方磯谷アイヌ軍も、これを察知して防戦、拠点を桃岩付近に置き、ここにたてこもった。

桃岩付近で両軍必死の抗戦を続けたが、精悍勇壮な香深井アイヌ軍は遂にこれを攻め寄せてこの天敵を討った。この時、松前藩との和睦のため余市に行っていた宗谷アイヌ酋長セクランケと利尻アイヌ酋長ムシモンヘリンが帰って仲裁に入り、今後は理由の如何を問わず。島に渡島しないことなどの条件で一物も得ず残党だけは釈放され、島内は再び平和に復したと言う。


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