ロンドン、カンタベリー、ケンブリッジ、湖水地方

2017年

グリーンウッド氏夫妻は2002年のコッツウォルド、ウェールズの旅以来になる15年ぶりの観光を楽しもうと2017年月6月、ロンドンに向かった。今回の旅は英国在住の氏の娘の家に2週間ゆっくり滞在するのが主たる目的で、カ ンタベリー、ケンブリッジ、湖水地方はいわばついで。イ ンターネット時代に即応してJTBの世話にはならず、JALのプレミアム・エコノミー切符をネット経由で出発の3月前に購入した。ホテルは駅から歩ける距 離を吟味しつつbooking.comで予約をし、湖水地方への高速鉄道はNational Railのサイトで購入した。地図はこれも8年ぶりに更新したGoogle Phone二世に英国で使えるプリペイドSIMを搭載し、GoogleMap、 ViewRanger、Citymapper、Tube Mapなどを使った。


2017年月6月13日(火) 自宅からロンドン

藤沢駅から京急の羽田行きバスで羽田に向かう。サクララウンジで朝食。JAL 043機中では「素晴らしきかな人生」、「ラ・ラ・ラランド」、「Passenger」、「Hidden Figures」の4本の映画を観る。Passengerの最後のシーンが一番心に残った。プレミアム・エコノミーはシート幅と前列との間の空間も広く、快適に過ごせた。

ヒースローの入国審査はBrexit前の英国への入国はEU圏入国のための一律ルールに従っているためか、テロ警戒のた めか?1時間以上かかった。電話利用は他の客の迷惑になる理由か、してはならないという。インターネット接続で到着メッセージを送ろうとしても、 Google Phone用に英国で使えるSIMは娘が用意しているため、まだ手中にはない。ヒースロー空港の無料Wifiへの接続を何度も試みるが利用者殺到のためか できず。結局、無為に過ごす。

ヒースロー空港と都心を結ぶピカデリー・ラインの切符自動販売機でオイスター・カード(日本のスイカと同じ)を3ポンド で購入し、17ポンドトップアップしてKings Cross駅に向かう。ピカデリー・ラインはロンドン中心部を南西から北東に貫通する古い地下鉄である。そのため車幅が狭く、大きなスーツケースを抱えて 座席にはつけない。従ってドア周辺で1時間以上、立ちんぼ。東京並みである。キングズクロス駅で下車し、駅のタクシー溜りでタクシーを拾い、リバティー・ ロードの娘の家に 向かう。料金10ポンドであった。オイスター・カードのトップアップはロンドン滞在中10ポンドを3回した。東京とほぼ同等か少し安い。

Kings Cross駅前広場にて

滞在先は、メイ首相の陰の内閣の労働党党首コービンやBREXITを煽った前のロンドン市長のボリス・ジョンソンが住むエンジェル駅北側の丘陵地帯にある イスリングにある、古い集合住宅地だ。ほとんどの集合住宅は多分電気室は地下にあるのだろうが、たまたま、元印刷工場を改装した新しいタイプの集合住宅 は、地下室がないため、サブステーションが別棟である。ただし、ケーブルは地下埋設である。光ファイバーはあまり普及しておらず、同軸ケーブルが直接埋設 されたまま家に入るようだ。時々、空中線で引き込まれているところも目撃したが少ない。電話はすべてiPhoneかGoogle Phone。家中の数百個に達する照明器具にすべてアンテナつけてiPhoneでon-offするなんてことができる。


2017年月6月14日(水) 大英図書館、バラ・マーケット、グローブ 座、サマセットハウスとコートールド・ギャラリー

当初の計画ではタワーブリッジ見物したついでに シェークスピアの円型劇場やサマセットハウス、コートドールギャラリーもついでに廻ることにしていた。しかしその前にネットで購入した湖水地方にゆくヴァージン・トレイン一等車の切符をユーストン駅に出向いて受け取ること にした。滞在先の最寄駅のエンジェル駅からノーザン・ラインでユーストン駅に向かう。自動販売機にレファランス番号を入力すると、切符は案外あっさりと手 に入った。

折角ユーストン駅に来たのだからと、大英図書館まで歩き、その膨大な蔵書棚を視察。大勢の高校生が大学受験にそなえて勉 強していた。もう大学を出なければまともな仕事もえられないと真剣である。内部にThe Alan Turing Instituteがあった。ケンブリッジ、オックスフォード等データ・サイエンスの中心として2015年にここに設立されたという。

大英図書館はユーロスターが乗り入れるセントパンクラス駅に隣接している。セントパンクラス駅のファサードを飾るのが5つ星のSt. Pancras Renaissance Hotel Londonである。



St. Pancras Renaissance Hotel London

その隣が昨日出てきた階段があるキングズクロ ス駅である。階段を下ってノーザーン・ラインに乗る。タワーブリッジはロンド ン・ブリッジからみる方がよいだろうと判断、真っ直ぐ南下してロンドンブリッジ駅で下車。階段を上るとロンドンブリッジを南岸に渡った道路にでる。そし てその反対車線側に何と!犠牲者が多かったバラ・マーケットが見えるではないか。ロンドンブリッジからタワーブリッジを見ることは頭から消えてしまい、吸 い込まれるようにガラス張りの屋根を持つマーケットに入り込んだ。振り返るとTVで見たThe Shardというトンガリ帽子の87階の超高層ビルも見える。EUで最も高いビルだという。ポンピドゥー・センターや関西国際空港旅客ターミナルビルで知 られるイタリア人建築家レンゾ・ピアノ(Renzo Piano)の設計。

警官も3-4名談笑しているだけで緊張感はない。あのテロがあった所とは思えない。

バラ・マーケッ トとThe Shard

タワーブリッジは切り捨て、グローブ座に徒歩で向かう。オーバグランドのガードが多く、何度も方向感覚を失う。GPS の助けを得て、高温とかんかん照りの中を大回りして歩く。空腹になったため、サウスワーク橋からの道がガード下を通過する所にあった軽食店でサンドイッチ をとる。

グローブ座は残念ながら小学生の参観日のようで一般人は入れなかった。

グローブ座

隣接するテート・モダンは2002年のコッツウォルド、ウェールズ旅行のとき、オキソタワーの屋上レストランを利用し た。このとき、テート・モダン前を歩いた記憶がある。セントポール寺院をみながらミレニアムブリッジを渡り、マンション・ハウス駅に向かう。ミレニアムブリッジからはタワーブリッ ジモも遠くに見える。District Lineでテンプルまで移動。テームズ河沿いにサマセットハウスに向かって歩く。



サマセットハウスの中庭

サマセットハウスはさまざまな政府関連機関、芸術・教育関連機関が入っている。今回はロンドン大学付属のコートルード・ギャラリーを訪問した。中庭は冬 季、アイススケートのリンクになり、ロンドンの冬の風物詩になっているという。

コートルード・ギャラリーを出てカフェテリアで午後のお茶とした。コベントガーデンを散策。


コベントガーデン

オペラハウスの裏をコベントガーデン駅まで歩く。Kings Crossで乗り換えてエンジェル下車。


2017年月6月15日(木) パーラメント・ヒル、グレンフェルタワー、リージェント・パーク

前日で靴擦れを起こしたミセス・グリーンウッドは休養宣言。そこでグリーンウッド氏はハムステッドヒースの最高点である パーラメント・ヒルに登ってロンドンを俯瞰しようと単身でかける。Highbury & Islington駅からオーバーグランドでハムスッテッド駅に向かう。

キーツ・ハウスの所在を確かめたあとハムステッドヒースに分け入る。非常に広大で、かつ起伏があり、巨大な樹木に覆われ ていてどこがピークかわからない。とりあえず下りになるルートを避けて登りつづけピークと思しき草原にでるが眺望はあまりよくない。がっかりして別ルート で帰ろうと思って歩いていると、別のピークらしきものを発見。そこがパーラメント・ヒルであると看板がある。

中央手前の茂みの裏あたりがIslington界隈。中央少し左にロンドンの金融中心地にある 30 St Mary Axe(The Gherkin)という葉巻型のビルが見える。中央にピラミッド型のThe Shardやセントポール寺院がある。その右のかまぼこ型に光る建物はSt.Pancras Internationalのホームの大屋根とSt. Pancras Renaissance Hotel Londonの2つの尖塔。その右にやはり光るは大英図書館裏にあるバイオ研究所Francis Crick Instituteのサンシェードである。ロンドン・アイは右手前のBacton Tower Lismore Circus Estateの陰に隠れて見えない。遠くに見える丘陵地帯はノース・ダウンズである。この上にTV放送用のCrystal Palace Transmitterが立っている。右端にはBT Towerもしっかり見える。意外に建設用クレーンの数が多い。


パーラメント・ヒルからの眺望

これで時間が余ってしまった。そこで朝TVでみた火災で多数の犠牲者を出したGrenfell towerを見に行こうと決断。ハムスッテッド駅からオーバーグラウンドで真っ直ぐシェパード・ブッシュ駅までゆく。シェパード・ブッシュ駅はかって働いたハ マースミスの北である。シェパード・ブッシュ駅で昼食。そして火災現場に向かって歩きだしたらすぐ非常線にぶち当たる。警官が大勢いる。どうりで昨日 バラ・マーケットに警官がすくなかったわけだ。まわりはケンジントンの住宅地で比較的裕福な人が住む地区だ。左回りに非常線にそって歩く。火災現場はまだ くすぶっていて、鼻を突く匂いがする。やがてノッティングヒル・メソジストチャーチにでた。ここが一番、現場に近い地点だ。ここからLadbroke Grove 駅にむかってランカスター・ロードを歩いているとTVチームが撮影する所を通過。家に帰ってTVを見てこれはCNN取材班だったと分かる。CNNの放映を みるとその後、パキスタン系のサディク・カーンロンドン市長とメイ首相が現場を訪れたようだ。あの騒々しいCNNアンカーのRichard Quest氏が現場を訪れて派手に騒いでいた。メイ首相は選挙で敗れて、組閣後の女王スピーチ準備など大 変な時期と重なり、遅いとブーイング。同情した。マー!情勢判断を誤って選挙したのは自業自得だが。



Grenfell Tower 火災を取材するCNNクルー 望遠レンズ

600人がここに住んでいて80人が逃げ老いくれて犠牲になった。中にはシリアからきた土木エンジニアのモハメッド・ハジャリは逃げ遅れて電話シ リアに残った家族と話そうとしたが不通。やむを得ず友人と電話しながら救出をまったが帰らぬ人となった。もしかしたら助かる方法もあったのではと私が米国 に出張してデュポン社のホテルに宿泊した時のことを思い出した。マニュアルにあったものでとても合理的だと感心したので今も覚えている。まず部屋のドアの 隙間に濡れたシーツでシールして煙が入ってこないようにする。そしてトイレのドアにも同じシールをしてトイレに立てこもる。そして便器の水にホースを奥ま で挿入し、排水管内に残る空気を吸って生存を計るというものだ。ただドアは鉄でなければならない。デュポン社のホテルはそうなっていた。Grenfell Towerは安普請だったのでもしかしたらだめかもしれないが。

さて火災の原因としてはこのビルの改装時、アルミ板の間にポリエチレン発泡体をクラッドした板を化粧板として使ったことが第一の原因で、階段が1つしかないと か、スプリンクラー未設置、火災報知器は未設置だったことも事態を深刻にしたようだ。クラッド板は米国のアルコア社から分離したArconicという会社の製品だそうで、この会社は販売停止 するという。この化粧板がペラペラと燃え上がったのだ。

英国では規制が緩く、クラッド材の使用は禁止されていなかった。2007年以降に建てられた、高さ30m以上の建築物にはスプリンクラーの設置が義務付け られているがそれより古い建物には遡及されないことになっていた。当然1974建設のGrenfell Towerには設置されていなかった。日本では11階以上の建物には原則スプリンクラーの設置が義務付けられているが、「原則」があやしい。

ロンドンの住宅のかなりはカンシルという東京都の区に相当する行政体が建設して、それをサッチャーが民営化しているのが多い。しかし、高層ビルはカンシル が所有していた。財政難からかなりコストカットしていたようだ。高層ビルはかなりあって皆、化粧板を張り替えることになった。

2万人の警官の数を減らしたり、予算をカットしたメイ首相が代表する保守党政治に批判が集中していた。民生面でのコストカットはするくせに、軍事費は増や していると批判されている。帰りにThe Times紙の1面には英国の新造空母HMS Queen Wlizabethの姿が報じられていたが、何とのその船首には中国がロシアから購入した空母とそっくりのスキージャンプ台式となっていてビックリ。カタパル トなしで離陸できるジェット戦闘機があるようだがエンジンを大きくするため燃費が悪くなるそうだ。F-35Bなら垂直離着陸できるははずだが戦闘能力はおちる。

これで本日の見物は終わりとするのはもったいないとリージェント・パークに立ち寄ることにする。ベーカーストリート駅で下車。マダムタッソー館ま えには観光客でごった返していて身の危険を感ずる。ベーカー街221Bに住むシャーロック・ホームズの銅像も狭い歩道にたっている。そそくさと通り過ぎてリージェントパークのオープン・エア・シアターに立ち寄り、切符を買うか電話で相 談。暑いのでやめにする。グレート・ポートランド・ストリート駅にむかって公園内を歩いていると女性の肖像画を書いている人がいた。



リージェントパーク 望遠レンズ


2017年月6月16日(金)ー17日(土) カンタベリー、リーズ城


2017年月6月18日(日)ハムステッド・ヒース、キーツ・ハウス

ミセス・グリーンウッドの希望である詩人ジョン・キーツの家を訪問した。Highbury & Islington駅からオーバーグランドでハムスッテッド駅に移動し、かねて調べておいたキーツ・ハウスに直行。入場料金は1人当たり6.5ポンド。 ゆっくり過ごす。彼は25才でイタリアで病没していてここは出版社の編集者だった親友ブラウンが提供した家だったところだ。

なかなか快適な居間があった。



隣にファニー・ブローンが住んでいた。それで生まれたのが「エンディミオン」だ。

美しいものは永遠の喜びだ
それは日ごとに美しさを増し
けして色あせることがない
わたしたちに安らぎをもたらし
夢多く健康で静かな眠りを与えてくれる

非常に暑い日で気温は30℃をこえていたと思われるがハムステッド・ポンドの周辺を散策した。日曜日で大勢の老若男女が公園に繰り出し、ベンチと 芝の上に横たわって日傘も刺さず帽子もかぶらず肌をさらして日光浴している。日本では考えられない光景だ。ハムステッド・ポンドの近くのパーマネント・ヒルの下の住宅地にはジョー ジ・オーウェルが住んでいた。

ノーザーンラインのハムステッド駅に向かってハムステッド・ハイストリートの坂道を登る。途中、暑さにまいって軽食屋に入って昼食。ここでG Phoneが高温になって接続不能になる。どういうわけかわからないが撮影した画像をGoogleが頼みもしないのに勝手にアーカイブしていたとしか思えない。 設定はWifi接続時だけのはずだが。

軽食屋にはクーラーがない。Waterstonesという本屋があったので入るとクーラーがあるではないか。ここでゆっくり本を物色。結局今年の新刊本 Douglas Murrayの「The Strange Death of Europe」という本を18.99ポンドで購入。この新刊は人口減少に襲われているヨーロッパにむけて移民の流れができてヨーロッパは消えつつあるということを分析している本だ。

店をでてハムステッド駅から帰宅。ハムステッド駅から先はハイストリートの幅はせまくなり傾斜も急になっていた。



ハムステッド駅

この周辺にはH.G Wells やD.H. Lawrenceらが住んでいたところと言う。マウント・バーノンには2篇の紀行文『内地の船旅』(1878年)と『旅は驢馬をつれて』(1879年)を書いたRobert Louis Stevensonもこの周辺に住んでいた。

「旅は騾馬をつれて」に描かれたラングドック界隈はアルプスにつらなる低い山岳地帯でここに住んでいたラテン語の派生言語オクシタンを話す人々は十字軍 時代に蹂躙されたオクシタニア地域だという。村々にある尖塔は十字軍の進軍を見張っていち早く山に逃げ込むためのものだったという。Langue d'ocの 最後のocは現代標準フランス語のouiに当たる言葉がocであったことに由来しているとされる。

ユーストン駅でノーザーンラインの乗換のときミセスグリーンウッドが乗り遅れてしまった。携帯を持っていないので連絡の取りようがない。次回には古くなって使っていない初代G Phoneに英国のプリペイドSIMを挿入しておくという準備も必要かなと思う。

家に帰るとHighbury Fields駅から2駅のFinsbury Parkでモスレム寺院帰りのモスレム集団に車が突入して怪我人多数とTVが報道している。ここはアーセナルの本拠地でエミレーツ航空が出資したエミレーツ・スタジアムがある。

2017年月6月19日(月) リバティー、フォートナ ム&メイソン、フォイルズでのお買い物

今日はミセス・グリーンウッドの希望のショッピングタイム。Highbury & Islington駅からビクトリアラインでオックスフォード・サーカスまで乗り換えなし1本。久しぶりのオックスフォード・サーカスは懐かしい。ベクテルの ポートマン・スクエアが近かったため、よくここに来た。真冬に屋台で買ったウナギのニコゴリは臭くて喉を通らなかったことを思い出した。

リバティーはすぐ見つかった。ここでゆっくりショッピング。Grenfell towerの80人の犠牲者をしのぶ黙とうも行われた。



Libery

リージェント・ストリートを散策しながらフォートナム&メイソンに向かう。ショッピング後、店内で昼食。



Fortnam & Mason

オイスターカードを使ってバスでチャリング・クロス・ロードの書店街に向かう。(車掌はいないのでオイスターカードがなければ乗れない)途中、ピカデリーサーカスを通過。バスを降りたところがお目当てのFoylesであった。ここでオックスフォード大のエネルギー経済の学者Dieter Helmが書いた新著本「Burn Out」という本をみつけて購入。

ど の国の気候変動対策としての原発政策も再生可能エネルギー開発もピントがずれている。その理由は化石燃料は有限で、必ず価格があがると信じ込んだためであるとい う指摘をしている。私は2017年5月7日の森永先生の会で、化石燃料無機原説が正しいように見えると言ったのだが、さすが経済の先生のDieter Helmはそこまでは言わない。しかし結論は同じ。だからサウジ、ひいてはアラブの若者が教育を受けたが職場がないため、ヨーロッパへと民族移動が発生してい ると私は観ている。エネルギーの交代は資源の枯渇ではなく、新技術が生まれてくることで生じる。有限とおもっていた化石燃料は技術の進歩で無いと思ったものが底知れぬほどあると判明 したのもフラクチャリングという専門家が考えもしなかった技術である。気候変動がどうなろうとも原 発も再生可能エネルギー+畜エネも市場で化石燃料と比較され、安くなければ消え去る運命にある。日本は原発、再生可能エネルギー+畜エネよりもロシアと領 土問題を解決してロシアの天然ガスをパイプラインで持ってくるか、電力にして直流送電で連結するのが国益に叶っていることになる。中国との経済、軍事競争 の基盤となる。


チャリング・クロス・ロードを北上してトッテナム・コートロード駅に向かう。右手に1960年代にWinpey Constructionによって建設されたCentre Pointという33階の超高層ビルがある。周辺は目下再開中。

2017年月6月20日(日) ケンブリッジ


2017年月6月21日(月) 休息

グリーンウッド氏は庭の自動給水スイッチの水漏れ修理を手伝った。ハイストリートのパーツ屋ではピッタリ合うOリングの入手が困難で直せず。

2017年月6月22日(火)ー25 日(金) 湖水地方


2017年月6月26日 キューガーデン

1973年にテディントンに 住んでいたミセス・グリーンウッドが3才の娘をバスにのせて遊んだキューガーデンを44年ぶりに再訪するのが目的。Bankで乗り換えてDistrict LineでKew Gardens駅に向かう。正門から入り、真っ直ぐ温室のPalm Houseに向かう。中は暑いのでミセス・グリーンウッドを中に残してすぐ外にでる。Palm Houseからはかって3本の道が放射状につけられていた。そのうち正面のテームズ河まで見通せSyon Vistaと左手のPagodaを見通すPagoda Vistaは残された。そしていまはテームズ河とパゴダを結ぶCedar Vistaが正三角形を形造っている。Pagoda Vistaを見通すもできず。正面のSyon Vistaは見通せる。Cedar Vistaはテームズ河まであるけば見れるが断念。木陰で上を飛ぶヒースロー着陸寸前の航空機を眺めながら、昼寝。サウジに断交されたカタール航空が飛ん でいる。

Kew Palaceに向かって歩く。ここで王室キッチンを見物。王様は当時キッチンで風呂に入ったそうだ。



Kew Palace

正門に戻る時、Weeping Beechという幹や枝が見えない、奇妙な山のような巨木を見た。葉をかき分けて中に入って初めてその構造が分かるという代物だった。一種の枝垂れ木だろう。



Weeping Beech


このほかステンレスのパイプで作成した巨大なHiveというものがあった。

お休みどころで軽食で昼食とした。あとは真っ直ぐ帰る。


2017年月6月27日 リージェンツ運河 ロンドン出発

最後に娘の薦めでKings Cross駅裏のリージェンツ運河沿いのかっての赤線・貧民街が再開発されてファッショナブルな若者が住む町に生まれ変わったのを視察のため散歩にでた。

エンジェル駅からリバプール・ロードを北上しても気が付かないが、リージェント・パークに北側を大きく迂回しているリージェンツ運河はリバプール・ロードと直 交していてトンネルでその下を通過して東に抜けている。リバプール・ロードやハイストリートはIslingtonの丘陵地帯の尾根道だったのだ。



リージェンツ運河はこのトンネルで下流と連結している 左は馬が船を曳くための道 トンネル内は人力

大体英国の産業革命時代は物流のため、まず運河が作られ、後の時代に国鉄がそれに沿って建設された。従って湖水地方への旅で見たように両者はつねい絡み 合って英国中を貫いている。運河が動脈でなくなって以降、運河周辺は寂れて荒廃していたがいまでは再開発で若者を引き付ける快適な住宅地となっているとい う。エンジェル駅に一番近いのは東側でここから運河は流れ下ってロックを介してテームズ河にそそぐが、グリーンウッド氏はキングズクロス駅の裏側に向かっ て歩いた。なぜならこちら側がイングランド北部と結合しているからである。2011年にコンサルタントとしてキューガーデンの北側のテームズ河沿いのプレミヤー・インに宿泊していた時、イングランド北部と連結している運河がテームズ河に合流する地点がホテルの隣であったからだ。同じようにそこも再開発されて魅力的な住環境になっていた。

Kings Cross駅裏側まで雨の中を散策して引き返した。引き換えし地点は古本屋ボートがあったところだ。この船は帰国してNHKのノッティングヒル界隈の散策番組に出ていた船と同じものだ。ただNHKの番組ではこの船はPaddinton Basinに係留されていた。リージェンツ運河でつながっているから簡単に移動できるわけ。雨のため、本は収納されている。

運河の向うにKings Cross駅ホームのカマボコ型屋根2本とSt Pancras International駅のファサードとなるホテルの尖塔が2本見える。カメラを反転すればそこはモダンなショッピングセンターだ。



水に浮かぶ古本屋

もしエンジェル駅の東の運河にゆけばジョージ・ギッシング、チャールズ・ラム、ジョージ・オーウェルが住んでいたところが保存されている。

娘がgoogle phoneでウーバーを予約した。タクシーの半額だと言う。到着するまでに娘のGoogle Phoneでその車が今どこにいるか見える。エンジェル駅の繁華街で引っ掛かってうろうろするのが丸見え。運転手は全体の渋滞状況を把握しているコン ピュータの指示通りに動くんだそうだ。自動運転車がでてくれば真っ先に採用できそうなしかけ。やってくる車は昔の無細工なオースチンではなく、プジョーで あるという。荷物をのっけて出発し、ヒースロー直通のピカデリーラインの最寄りの駅のCaledonian Roadに向かったつもりだが、HMP Pentonvill刑務所の長い塀のあるホイールライトストリートに停車し「Caledonian Road & Burnsbury駅正面には停車できない。この先左にまがったところだ」といって言って降ろされた。わたしの歩いた記憶とは違うのだが、確信もないので すなおに降りて左に曲がったところ、Caledonian Road & Burnsbury駅にはいるオーバーグラウンドのガードが見えるだけ。しまったと思ったのだが、どうせ車は行ってしまっただろうと、すぐ娘に電話したと ころ、運転手の間違いではなく、娘が間違った行き先方を選んだためだと判明。ビクトリアラインには乗れる、しかしグリーンパークでピカデリーラインに乗り 換えるのは面倒と600m先のCaledonian Road駅に向かって重いスーツケースをごろごろ引きずってゆくことにした。しばらくゆくと、幸運にも、それをみていた運転手が追っかけて来て Caledonian Roadまで乗せてくれた。自動運転車では絶対にできないことだ。あとでGoogle Mapのストリートビューで調べるとCaledonian Road & Burnsbury駅の入口はガード下の小さな口から入って延々歩かなければならずその距離は200mはある。しかしウーバーがとまったところから駅ホー ムまで200mあるかなければならない。

あとはピカデリーラインで何事もなく、ヒースロー着。オイスターカードの3ポンドは現金化できるが、すでにマイナス3ポンドなので手続きも面倒とそのまま。


2017年月6月28日 羽田着

帰りのJAL 044では映画は「グレート・ウォール」1本のみ、あとはこんこんと眠りほうけた。羽田から藤沢までのバスの中では英国で使ったSIMをオフにし、日本で使う データ通信用SIMのAPN編集に熱中して過ごした。考えてみれば今回の旅はGoogle Phoneの習熟の旅だったわけだ。とはいえ、バーチャルで全てを知りうる時代になったても実際にその場に立ってみないと深い理解に至らないことがわかる。

旅先で地図を開いているとおのぼりさんとみなされ、スリなどに狙われる。その点、スマホで地図をみてもメールでも見てると誤解されるので護身には便利。という わけで今回は大変重宝した。日本でも専ら地図や列車の乗換時刻表、自分の予定表などを見るためにつかう。落としても中身を見られることはない。それに最近 のスマホのカメラは素晴らしい。本紀行につかったものは殆どスマホで撮影したものである。高価なデジカメよりよほどきれいな画像が得られる。

若い世代は英国でもスマホに中毒だ。娘の連れ合いが外出先で大きなゴツンという音でそちらを見るとスマホを持った女性が正面衝突して倒れ、一人は意識不明で救急車で運ばれたとか。入力機械としては全く使い物にならないので、スマホ中毒の心配はない。問題はコストのみ。

カンタベリー紀行
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July 20, 2017

Rev. January 28, 2020


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