カンタベリーとリーズ城

2017年

ロンドンを起点としたカンタベリーとリーズ城の1泊2日の旅である。1971年11月にレンタカーを繰ってカンタベリー大聖堂訪問、 ドーバー、ヘイスティングを回ってロンドンに帰る日帰りドライブを敢行したことがあるがカンタベリー大聖堂は駐車場を確保できず、入口だけであったので再訪したくなったからだ。

2017年月6月16日(金)

カンタベリーウエスト駅行きはチャリングクロス駅からもでていることを知らず、Highbury & Islington駅からヴィクトリアラインでヴィクトリア駅に向かいヴィクトリア駅で往復切符を買う。帰りはリーズ城に立ち寄りたいので Bearstead駅経由にしてもらった。いずれも同じ往復券だ。どうも行きも帰りもAshford International経由らしい。地図ではAshford International経由ではないテームズ河沿いの東周りの路線もあるのだが、どうもこちらはカンタベリーイースト駅に行く路線かもしれない。いず れにせよ観光にはカンタベリーウエスト駅が中心だ。

電気掲示板ではどのホームから出発するのかわからず駅員に聞いて、別の電気掲示板があることを知る。路線毎に経営母体が違うらしい。

列車は殆ど各駅停車である。Bromley South、St.MaryClay、Swaney、Otford、Kemsing、Borough Green and Worthcem、West Malling、East malling、Barmingと小さな村々が延々と続く。1973年レ ンタカーでロンドンの南方に横たわるサウスダウンズをいくつも越えたとき、その波打つような起伏はアクセルで感じたが、鉄道の旅はそのような起伏は感じな い。鉄道は谷間を選んでなるべく平らに走れるようにルートが選ばれている。サイロの換気屋根と思しき烏帽子のような屋根もいくつか散見される。Maid Stone Eastは工場もある大きな町だった。Bearsteadを過ぎAshford Internationalで乗換え。次いでWye,Chilham,Chathamと続く。Chilhamでは屋根のスレートを剥いで、黒色の防水シー トらしきものに葺き替え、太陽電池を乗せている民家を見る。カモメが増える。幾つかの池を見ながらようやくカンタベリーウエスト駅につく。

カンタベリーウエスト駅はカンタベリーの城塞都市の外に作られた駅で廻りに何もない。晴天で多少強い日差しを浴びながら駅から城門に向かって歩いていると 次第に門前街の風情が出てきた。もう正午もかなり廻っていたのでレストランに入って昼食とする。昼食後、さらに歩くとようやくWestgate Towersが見えた。Westgate Towersの前は川であり、橋を渡って門をくぐる。

Westgate Towers

Booking.comで2名120ポンドで予約したPilgrims Hotelにチェックイン。(International Hotel No.546)支払はDEMS postを追加して159ポンド。すぐCathedral見物に出かける。Cathedral への入り口であるクライストチャーチゲートは記憶通りそこにあったが、そこは寺域の入り口に過ぎないのであって聖堂は観てなかったのである。46年前の 1971年のクライストチャーチゲートの写真と比べると中央のブロンズ像は当時は無く、空洞であった。その後復元したのか、当時は修復中であったのか?当然、 当時3才であった娘は今回は同行していない。



クライストチャーチゲート

一人当たり12ポンドに入場料金を支払って中に入ると広大な領域の中心に巨大な寺院がある。残念ながら正面のファサードは修理のための足場で囲まれているし、身廊の天井は足場が組んであって見えない。



正面ファサード

ヨーロッパの聖堂は十字型であるがイギリスの聖堂は2つの翼廊を持っていて平面はキの字型になっている。身廊と翼廊が交差する部分はクロッシングといい、上に小さな尖塔やドーム、特にイギリスでは大きな塔を載せていることがある。カンタベリー大聖堂もこの典型である。

この寺院は5回改築増築からなっていると いう。現在修理されている正面ファサードと身廊、側楼部分は1377-1480年にゴシック様式で改修された部分だ。下の写真の左側は1096-1130 年にフランス人ギョームが増築した翼廊部分。ギョームはイギリスにゴチック様式を初めて持ち込んだとされるが、この部分はゴチック式ではなく、ノルマン様 式である。右側が内陣部分と周歩廊部分で1174年に火災で焼失したため、ゴシック様式で増築した部分だという。ちょっと頭を出している中央塔は1490 -1510年に再建された第一クロッシング部分に乗せられた尖塔である。

正面から入る時、なにもサインがないので撮影禁止かときくとCrypt意外はご自由にどうぞという。身廊を通ってクワイヤ席を通過しトリニティ礼 拝堂を参観。トマスベケットの殉教の場から一旦回廊にでて戻り、Cryptに下る。Cryptとは高貴な人物の石棺・棺・遺物などが納められているところ で内陣部分と周歩廊部分の地下にある。



大聖堂の内陣部分

Cryptの後は身廊、中央塔で日よけのために9.99ポンドの野球帽を買い、側楼部分の北側にある回廊を回った。

内陣の更に奥には庭園がしつらえてあり、その外はカンタベリー市外壁となっている。大きな木の下のベンチで休んでいるとKings Schoolの学生たちが裏門に向かって三々五々でてくる。

寺院を後にして、門前市で、フランスからの学期末旅行する中学生と一緒にPVで動くダンシング・クイーンと孫のために日本でもブームを迎えているハンドスピナーを数個購入。その後、メーンストリートを街の東端にあるセントジョージ・タワーまで歩き、反転。



セントジョージ・タワー


途中の喫茶店で午后の御茶とする。カンタベリー物語を書いたチョーサーの銅像があった。またPolgrim Hospitalという古い建物が地盤沈下したまま建っていた。

夕食は午后7:00ホテルで摂ったが夕陽の直射に辟易。2人で25ポンド。

ホテルには当然、空調設備はなく、窓を精いっぱい開け放ってベッドにはいる。


2017年月6月17日(土)

翌朝、早く目覚め、TVで放映していた街の南の隅に在るDane John Moundを単身訪ずれる。シティーウォールの内側に土を盛り上げた小山である。この土盛りはローマ軍の墓地として1-4世紀に作られたものらしい。頂上に登ると360度の眺望を得られる。


Dane John Mound

ノルマン征服王がこの土盛りを利用して城を作ったので城壁と一体になっている。城壁のすぐ外はカンタベリー・イースト駅がある。ここの石壁は半分に割った玉石を表面に敷き詰めた構造をしている。よく玉石が抜けないものと感心する。

城壁とカンタベリーイースト駅

こうしてカンタベリーは見尽くした。カンタベリーウエスト駅から来た道を引き返す。アッシュ フォード乗り換える必要はなく、そのままBearstead駅までゆく。ここで途中下車。外に出るとシャトル・バスといってもSpot Travel社のワゴン車が待っていてリーズ城への往復切 符を5ポンドを売りつけた。数人の客の中にはカンタベリーの英語学校に留学した日本人学生もいた。

シャトルバスの帰りのピックアプポイントを教わって一人当たり21.9ポンドの入場券を買う。

リバーレーンという林間の散策道を散歩してから緩やかな坂をのぼると湖の中にたつ清楚な城が目に入る。これがリーズ城だ。イギリス歴代の6人の王妃が住ん だことから「貴婦人の城」と呼ばれる。女性に人気の城だ。なるほどとうなずれる。ミセス・グリーンウッドは「なぜ王様は王妃にこのような城をあげたくなる のだろうか?」と聞く。王様になったことはないグリーンウッド氏は答えに詰まる。



リーズ城

城は湖の中の島に建っている。城の見学後は付属する花壇を愛で、レストランで7.9ポンドの昼食をとって帰ることにした。帰りは構内バスでシャトルバス停まで戻った。

帰りのシャトルバスを待っているとくだんのワゴン車が予定の時間より早くやってきた。客を全員降ろすこともないので、見間違いかなとバス停のなかから出な いでいると、行ってしまった。それから1時間待たされた。待たされたのは我々だけではない。彼らは切符にかいてあったバス会社にも電話で30分待ってもバ スが来ないと苦情を申し立てた。こちらではバス停の中にいると運転手はそれを確認せず行ってしまうようだ。私はあなたはバス停の中にいる我々を見ないで 行ってしまったと申し立てるとやっと事情を理解したようだ。

Bearstead駅はホームは開放されて無人となっているが、駅舎は施錠されて入れない。トイレも施錠されている。これには参ったがビクトリア駅まで我慢。これで2日間の旅行は終わった。

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July 6, 2017


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