読書録

シリアル番号 993

書名

悪魔のサイクル ネオリベラリズム循環

著者

内橋克人

出版社

文芸春秋社

ジャンル

経済学

発行日

2006/10/15第1刷

購入日

2008/12/15

評価

鎌倉図書館蔵

2008年10月米国の不動産・金融バブルが崩壊した後、ポール・サムエルソンは朝日新聞の取材にたいし「今回の不動産・金融バブルの破裂は極右サプライサイド経済学に乗ったレーガン以後の共和党政権に責任がある。なかんずくブッシュ政権は証券取引委員会委員長に無能で利益相反の人物を指名し、規制をなにもしなかった」と弾劾している。

極右サプライサイド経済学はマネタリズム、市場原理主義、ネオリベラリズム、新自由主義、新古典派経済学、新古典派自由主義経済学、シカゴ学派とも呼ばれる。この説はシカゴ大学のノーベル賞受賞の経済学者ミルトン・フリードマンが創始した。規制緩和をして市場に任せ、貨幣供給量で経済をコントロールすべきと主張する説である。英国ではサッチャー、米国ではレーガン以降の政権がこの御宣託にしたがった。

ミルトン・フリードマンが育ったシカゴ大学にはのオーストリア出身でロンドン・スクール・オブ・エコノミックス所属のフリードリッヒ・フォン・ハイエクも在籍していたことは興味深い。ハイエクは1930年代の大恐慌のとき、「自由主義的経済政策」と主張し、「裁量的経済政策」を提唱するケインズと論争した徹底した自由主義者である。この論争は決着がつかなかったが、第二次大戦後ケインズ経済学が広く受け入れられた。

日本は戦後、1949年には外国為替は統制・割り当て制としていたが、アメリカの批判にこたえ1960年に貿易為替自由化をした。IMFやGATTに加入して1964には資本自由化がなされ、貿易の裏付けがなくても外国に金を動かせるようにした。1997年には個人も自由に海外の銀行に口座がもてるようになった。

私はグローバリゼーションの下では1990年の日本のバブル崩壊後、失われた10年といわれたデフレを克服するために米国流の規制緩和をしなければ米国に負けてしまうと思ってきたのだが、米国自身が規制緩和しすぎてバブルを発生させ、そのバブルが破裂したところを見るとどうも米国流の規制緩和は間違っていたことになる。こんな大雑把な理解でいたところ、たまたま近くの図書館でこの本を手に取ったのが運のつき、一気に読んでしまった。この本ではミルトン・フリードマンが創始した説をネオリベラリズムと呼ぶ。

ネオリベラリズムとは政府による規制は良くない。累進課税は良くない、全て市場に任せるほうが上手く行く、また経済は貨幣の供給量で調節すべきだと主張した。ネオリベラリズム説が米国でうけいれられた理由は1920年代の大恐慌以降、ケインジアン的な公共事業や福祉事業で需要創出をする経済運営をしてきた結果として1970年代には政府の公共事業部門が肥大化し、重税と大きな政府になっていたためである。ミルトン・フリードマンは公共事業や福祉事業で需要創出をする経済運営は無駄であると主張した。

ケインジアンたちはフィリップス曲線というものを考案し、インフレ率と失業率はトレードオフにあると考えていた。1970年代にインフレ率と失業率が一緒に上がってしまったときに公定歩合を上げてインフレ率を下げればフィリップス曲線に従い失業率はもっと上がると考えて公定歩合を上げることができなかった。ミルトン・フリードマンはしかし貨幣の供給量を減らして経済をコントロールすべきであると言った。FBR議長ポール・ボルカーが1979年にケインジアン的アプローチからマネタリスト的アプローチに転換し貨幣供給量をへらした。当然利子率は上昇し、失業率も高くなったが、インフレ率はフィリップス曲線に従い劇的に下がった。こうして政権中枢からケインジアンは一掃され、マネタリストの世界となった。これが「ケインズの死」といわれた現象である。

以後、ポール・ボルカーを次いだアラン・グリーンスパン、民主党のクリントン大統領、ロバート・ルービンは皆マネタリストとなった。日本では竹中平蔵である。

思い起こせばポール・ボルカーが1979年にマネタリスト的アプローチに転換し高金利時代に突入する前の1972年頃、日本もインフレが進んで土地価格が高騰していた。これを抑制するため 、法律で坪40万円以上の単価の売買は禁じられ、金利も10%以上となっていた。このようなときに今住んでいる鎌倉の土地を無謀にも購入した。たまたま1973年に中近東の海外現場に長期出張していたため、現場手当てという臨時収入があり、取得税の手当てが出来たというきわどい取引であった。1970年代を通じて高金利支払いに苦しんだが、日本では中曽根康弘が首相時代の1985年、プラザ合意をして協調介入し、円高ドル安に誘導した。当時の大蔵省は輸出企業を救うために 日銀に公定歩合を極端に下げさせた。(パラドックス集014)次第に市中金利は下がり、土地価格は上昇を続け、バブル発生 、そして1990年にバブル崩壊となった。バブル崩壊後は流動性確保のために量的緩和をしたため金利はほとんどゼロになり、借金を完済できた。1972年の土地購入は長い目でみてたまたま正しい判断だったことになる。

この本では2008年に何が発生するかは当然ながら言及されていない。しかし行き過ぎた規制緩和?で発生した米国のバブルが破裂して1920年代の大恐慌に匹敵するようなデフレが危惧される事態になっている。内橋克人氏の危惧は正しかったことになる。

著者は実需の裏付けのない投機資金の国際間の流動を制御するためのトービン・タックスについて論じている。

著者はこの本を規制緩和の旗振り役の朝日新聞批判のために文芸春秋社に頼まれて書いたという。規制緩和は全ての不平等、貧困化の原因として「裁量的経済政策」をよしとしているが、それも極論で「裁量的経済政策」にはハー ベイ・ロードの前提が必要となる。しかし残念ながら日本の政治家も官僚もこの要件を満たしていない。ケインズが死んだのもアメリカの「裁量的経済政策」が失敗したからで規制緩和をただ批判するだけでは何も解決しない。自由主義と合理主義のいずれにも欠点はあるのだ。 ハイエクの指摘のように不況は過てる投資と労働力配置を修正しなければ直らないのだろう。


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