鳴子峡・鬼首(おにこうべ)カルデラ・銀山温泉

ドライブ

2007年5月28-29日、グリーンウッド夫妻は2泊3日の日程で鳴子峡・鬼首カルデラ・銀山温泉のドライブに出かけた。2005年6月の焼石岳・栗駒山登山の折に栗駒山の山頂から月山の方角 を遠望したとき、大学卒業時に訪問した鳴子峡がこの方角にあるはずと思った。後にミセス・グリーンウッドの友人が鳴子温泉の近くのリゾートパーク・ホテル・オニコウベ に夫妻で滞在してすてきだったと教えてくれた。(Hotel Serial No.385)いつか訪問したいと思っていたのだが、結婚40周記念に重い腰を上げたというわけである。じつはホテル・オニコウベに到着して立体地図を見るまでは鬼首の地形がカルデラであることに気がつかなかった。

黄色ルート

第一日

6:00鎌倉の自宅をシープで出発。新幹線とレンタカーが楽なことは分かっているがあえて辛い片道550kmのドライブを選んだ。東北道を古川まで北上し、そこから北羽前街道(国道47号線)を鳴子に向かう。北上川の支流の荒雄川沿いの道である。まわりの景色は50年前とはいえ、全く記憶にない。多分陸羽東線に乗って居眠りしていたのだろう。古川界隈の豊かな穀倉地帯はこの川が作ったものだろう。 鳴子温泉は素通りして鳴子峡にむかうことにする。鳴子峡は高さ100m、長さ3kmの渓谷で荒雄川に流れ込む大谷川が丘を侵食してできたものだ。鳴子温泉はちょうど、鳴子峡を刻んだ大谷川が平野に流れ出るノド元にある。鳴子峡が刻まれた丘に登る坂の途中に「尿前の関」(しとまえのせき)というものがあった。伊達家八大関所の一つという。 芭蕉がここを歩いて「おくの細道」に

蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり)する枕もと

という歌を残している。「尿前の関で連想したのだろうか?

鳴子峡

渓谷を散策して古い記憶のなかにあった渓谷と同じものであるということを確認。反転して鳴子温泉に戻り、鬼首に向かう。日本初といわれるアーチ式ダムが作った人造湖、荒雄湖の脇を通過する。ナビに従って、難なくホテルに到着。ホテルのロビーに展示されていた栗駒国定公園の立体地図をながめていて鬼首はカルデラ地形の中にあることに気がついた。直径が20km近くあるのと古い地形なので地図を漫然と見ていては気がつかない。鬼首カルデラは、荒雄岳(984m)を中央火口丘として、禿岳(かむろだけ1,261m)、虎尾山(1,433m)、大柴山(1,083m)などを外輪山としている。

太平洋プレートが日本列島の下に沈み込んで地下50-90kmで岩石が含む水が分離し、上部マントルに移り、深さ150km位でマグマとなって上昇し、このようなカルデラ火山を造ったのだ。南の那須岳蔵王山安達太良、吾妻山、磐梯山、隣の栗駒山、焼石岳、北の八幡平、岩手山、秋田駒ケ岳岩木山、八甲田山 、岩木山などは皆こうしてできた火山だ。

荒雄岳を中央火口丘とする直径約20kmの鬼首カルデラ

カルデラ内の低地には集落と水田があるが、灌漑用水のない禿岳から大柴山山麓の緩やかな傾斜地はかっては植林地だったという。バブルの時期に鳴子町が森林を伐採し、スキー場と牧場を作り、三菱地所が資本力にものいわせスイス式のホテルとゴルフ場を建設したようだ。しかし今は経営権は手放したという。

ホテルは地図でH記号の場所にある。丁度鳴子町営のスキー場Sに隣接して立地している。ロビーとレストランからはこのスキー場と禿岳がよく見える。長時間のドライブを癒すために酒を一杯引っ掛けて、完全掛け流しの温泉に入ってくつろぐ。

暮れ行くスキー場は照明器で明るく照らし、手前のモミの木に飾ったイルミネーションを点灯するという趣向だ。ちょうどゴールデンウィーク後の端境期にこの贅沢な空間とサービスを我々2人と4人グループのパーティが満喫することになった。

第二日

今日も快晴。朝食を摂る8:00頃には禿岳の頂上を覆っていた雲も消えてアルペンライクな秀麗な姿を見せている。

禿岳を背景にしたホテル・オニコウベ

ホテルのレストラン

栗駒山は荒雄岳の陰に隠れてホテルからは見えない。ウィークエンドにはゴンドラが運転されているため、外輪山に登れるが、ウィークデイは運休しているという。そこで花立峠にジープで登ってみることにした。途中、黒い牛が放牧されている牧場の中を通過する。車が何台か止まって山菜採りに熱中している。牧場越しにながめる残雪が少しばかり残った禿岳の姿はよい。

花立峠への道路からみた牧場と外輪山の禿岳

花立峠からはまだ多量の残雪のある栗駒山が望まれた。眼下には水田、ゴルフ場、牧場、ホテル、スキー場、外輪山の大柴山が見える。

花立峠から俯瞰する牧場、ホテル、スキー場と外輪山の大柴山

花立峠の駐車場から禿岳方面への登山道が通じている。反対方向には大柴山方向に通じている。峠を越える冬の猛吹雪のためかこの界隈には樹木が育っていない。この草付きの登山道が誘うので栗駒山登山基地にした須川にドライブする計画を やめて、禿岳への登山道を少しばかり散策することにした。草原をすこし進むと矮小化したブナの林に入る。まとわりつくウンカには閉口するが、折からの新緑で誠に気分がよい。クマ除けのベルもカプサイシンスプレーも持ってこなかったので深入りはさけ、往復2時間程散策して戻った。往復3時間かければ頂上までゆけたはずである、

花立峠から禿岳への登山路入口

ブナの林の中の禿岳への登山路

オニコウベ・ゴルフクラブも覗いてみようと立ち寄ったが途中の野原でみた禿岳は絵になっていた。

オニコウベ・ゴルフクラブヘノアプローチからみた禿岳

オニコウベ・ゴルフクラブのクラブハウス

鬼首の村で給油し、国民宿舎「鬼首ロッジ」でソバの昼食を摂った後、中央火口丘の麓で間歇泉「弁天」を見物した。地下20mの空洞に溜まった地下水がマグマで130度まで熱せられると熱湯が地上に噴出すのだという。10分間隔で高さ10m以上に温泉が吹きあがる。

間欠泉

中央火口丘は二つあり、小さいほうの火口底は片山地獄とよばれ、ここに電源開発の地熱発電所があるというので荒雄岳を登り見物に出かける。出力12.5MWだ。12本ある蒸気井の深度は1,000-1,300mだという。蒸気井は石油井掘削と同じ技術で傾斜堀りしている。無人運転ということだが、メンテナンスの人達が働いていた。(2010年2名の作業員が噴出した蒸気で死亡) 縦型と横型の2段フラッシングの1段目の蒸気圧力は2-3.5気圧。蒸気はタービンを駆動。2段フラッシンで分離された熱水は還元井に戻る。生産井の余剰蒸気はサイレンサーから盛んに放出されている。コンデンサーは冷水搭で冷却した水をタービン排気の中に直接散水して接触させる方式だ。コンデンセートポンプを省略するために縦型円筒式のコンデンサー筒は発電所で一番高いところに設置されている。コンデンセートは 川に放流している。

タービン室、2段フラッシャー、電気室

冷水搭、コンデンサー筒、タービン室

サイレンサーから放出される蒸気

1987年にフィリピンのネグロス島で地熱発電を見てから2度目だ。フィリピンはシリカの析出で苦労していたがここではないらしい。ドイツではカリーナ・サイクルを使うが日本は直接膨張法が多い。 ドイツのタービン発電機はスキッドマウントでコンテナのような箱に収納しているだけだが鬼頭も日本の設計のフィリピンも立派なタービン室と電気室がある。これは電気事業法に従っているからなのか、設計者の頭が固いだけなのか、箱物行政なのか大きな箱が多すぎる。こうして地熱発電の建設費を押し上げていることは間違いない。

荒湯地獄経由で中央火口丘を一周する道路に出てカルデラを反時計方向に半周してホテルに戻った。途中、伐採した木材をケーブルで道路脇まで搬出し、そこでトラックに積んでいるのを目撃した。中国での建設ラッシュで木材価格が高騰し、不効率なケーブル搬出を採用する日本の林業にも出番が廻ってきたようだ。

伐採木材の搬出

第三日

8:00ホテル出発。銀山温泉経由で帰宅することにする。意外にもナビは花立峠経由のルートを選んだ。霧の中の峠越えはためらうものがあったが、これも面白いかと素直にしたがう。峠を越えて山形県側のルートは狭く、登山道のような急峻な斜面を何度も折れ曲がって下る恐ろしい道だった。途中1台の車と行き逢い、バックして道を譲る。

最上町に出て山刀伐峠を越えて銀山温泉に向かう。銀山温泉は渓流をはさんで両岸に古風な旅館街が整然とならんでいる。ここで一風呂浴びる。温泉街は狭く突き当たりは滝であった。能登屋が大正時代に建てられたという古風な建物を建物であった。

銀山温泉の加賀屋(奥)と藤屋(手前)

金髪の女将が采配する藤屋は真新しい洒落た建物である。後に高名な建築家隅研吾(くまけんご)の設計 と知る。テレビにも紹介されている。ちょうど滞在客の荷物を持って駐車場まで案内する女将に会えた。ただここに泊まるには一人当たり一泊4-5万円用意しなければならない。

尾花沢から山形北バイパス道経由で天童市と南下。月山がまだ真っ白だ。山形自動車道→東北道→常磐道経由で自宅に無事戻る。総走行距離1,162kmであった。

June 3, 2007

Rev. November 30, 2010


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