奥州

鳥海山*月山*

Wawak山歩会は2008年8月4-7日、奥州の鳥海山(2,229m)、月山(1,979m)に挑戦した。過去3年間、梅雨の雨に祟られて中止していたものを夏に変更しての達成であった。そのかわり真夏の太陽にジリジリと焼かれる登山ではあった。

第1日目、8月4日(月)

7:30にJR桜木町駅改札口集合。マーさんの車で常磐道→東北道→山形道経由酒田みなとIC→国道7号→鳥海ブルーライン→鳥海山4合目にある国民宿舎大平(おおだいら)山荘 向かう。

途中、山形道の寒河江SAから月山を遠望する。ここを2回ほど通過しているが、月山が姿をみせたのは初めてだ。月山アスピーデ型火山といわれるだけあって 勾配のゆるやかな平らな山である。月山から鳥海に向かう途中は鳥海は雲の中だったが、近づくに従い次第に山頂からその勇士を現した。典型的なコニーデ型の 火山だ。

山形道寒河江SAから望む月山 14:02

大平山荘には立ち寄らず、明日の登山口偵察のために鉾立にむかう。鉾立から北方の海岸線を見下ろすと標高500mの仁賀保(にかほ)高原に1.65MWの風車が15基程見える。Jパワーのウィンドファームだそうで総工費50億円(建設単価200円/W)とのこと。

仁賀保高原ウインドファーム

鉾立展望台から奈曽(なそ)渓谷の奥に西日を浴びて立つ鳥海山山頂を望む。登山口から前山にさえぎられずに山頂を見通せるのは特異な地形のためである。

鉾立展望台から奈曽渓谷の奥にそびえる鳥海山を望む 16:29

国民宿舎大平(おおだいら)山荘着。(Hotel Serial No.424)立地条件抜群の宿だ。一風呂浴びて一杯やり、岩牡蠣に舌鼓をうちながら三日月の下で飛島の見える海の中に巨大なオレンジ色の太陽が沈むとイザリ灯が浮かび上がる雄大な光景を満喫した。

第2日目、8月5日(火)

大平山荘6:00発→鉾立登山口駐車場6:30発。しばらく登って振り向くと白神山地と岩木山を遠望できた。

遠く白神山地と岩木山を望む 6:45

登山道は自然石を割って敷き詰めた立派なものだ。年金積立金の資金で建設したと看板がでている。大規模年金リゾート施設「グリーンピア」と同じ資金流出の結果であろう。歩きにくく、有難迷惑である。

犀ノ河原までは藪のなかで風通しも悪く、蒸し暑く、花も少ない。犀ノ河原ではニッコウキスゲとハクサンフウロがいたるところにに咲いている。草原になると花が増える。御浜小屋9:13着。ここからは花に囲まれた鳥海湖を見下ろせる。

 

鳥海湖 9:19

御田ヶ原を超えてお花畑の中を七五三掛(しめかけ)にむかう。気分の良いところだが、ちと暑い。6月の八ヶ岳、7月の塩見岳の後では、花は食傷気味でハクサンフウロなど雑草のように感じる。それに花は盛りを過ぎている。

御田ヶ原から七五三掛ならびに山頂を望む 9:52

ハハコグサはウスユキソウに近い種類のように見える。ネバネバの液体が特徴のチョウカイアザミ とチョウカイフスマは鳥海山の固有種だ。ハクサンシャジンはいたるところに咲いている。

シロバナハナニガラ

 

ハリブキ

 

ネバリノギラン

 

イワイチョウ

 

タカネトウウチソウ

 

キンコウカ

 

ミヤマコウゾリナ

 

ハハコグサ

 

ハクサンシャジン

 

ハクサンイチゲ

 

ニナザクラ

 

ヨツバシオガマ

 

チョウカイアザミ

 

チョウカイフスマ

 

イワブクロ

 

ミヤマキンバイ

 

七五三掛からは外輪山の末端に取り付くべく急坂を上り、途中外輪山を乗り越して火口底である千蛇谷に下る。千蛇谷雪渓を登り、大物忌神社鳥海山頂上参籠所(御室小屋)13:34着。(Hotel Serial No.425)

千蛇谷 13:22

荷物とばてた仲間を御室小屋において新山(しんざん)往 復を企てるがコンチャンが大きな岩をよじ登るのは面倒と登頂を放棄。これに付和雷同する。時間があるので裏側に回って雪渓を渡り、頂上へのアタックを試み るが、大差ないのであほらしくなってこれも途中で放棄し、二人そろって小屋に帰る。一人山頂に立ったマーさんが帰るのを待って戸外でビールでのどを潤す。

西日を浴び新山を背に御室小屋でビールを楽しむ クリさん撮影

御室小屋前からはdocomo movaの携帯メールが使えた。小屋はすし詰めにされたが、窓際であったので窓の開閉をコントロールして安眠できた。

第3日目、8月6日(水)

朝起きると海に臨む独立峰だけに見られるという影鳥海が海上の雲の上に姿を現した。

影鳥海 4:57

昨日は新山(2,236m)に登らなかった代わりに七高山(2,229m)に登ろうと 御室小屋を6:00発。いったん火口底に下り外輪山に登る。

外輪山から御室小屋を望む 6:37

ここから外輪山の稜線をたどって七高山に至る。眼前にある新山を見て、昨日登らなかったのは正しい判断だったと納得。

七高山から新山を望む 6:45

ここで記念撮影。

七高山頂にて  マーさん撮影

七高山からは外輪山の稜線にそって下るのが一般的であり、風通しもよくて夏向きだが、クリさんのスタミナを考えて御室小屋→千蛇谷のコースを選ぶ。七五三掛8:50着。 七五三掛から少し下ったところで月山が雲の上に顔をだす。

御田ヶ原→御浜小屋→賽ノ河原→鉾立登山口駐車場11:50着。ここのレストランで昼食→鳥海ブルーライン・国道7号→酒田みなとIC→山形道→月山IC→国道112号→月山姥沢の民宿えびすや山荘着(Hotel Serial No.426)

第4日目、8月7日(木)

民宿7:40発。徒歩でリフト下駅に向かう。月山環境美化協力金200円を支払って入山。リフトは8:00に運転開始。リフト上駅から姥ヶ岳に向かう。鳥海山に比べて穏やかな山だ。

姥ヶ岳中腹より牛首と月山山頂方面 8:33

姥ヶ岳山頂から南に志津温泉や不要と指摘される人造湖の月山湖を見下ろせ、その向こうには朝日連峰が見える。東北には藤沢周平の小説に出てくる海坂藩のモデルとなった鶴岡市を西に見通せた。天保堰」がどこになるかさがしたがわからなかった。北には鳥海山が雲の上に山頂を覗かせている。

姥ヶ岳のお花畑 9:02

姥ヶ岳から金姥、紫灯森、牛首経由で月山に向かう。ここも鳥海とほぼ同じ花が多く、ニッコウキスゲとハクサンフウロが多い。

タテヤマキンバイ

 

ウサギギク

 

ハクセンナズナ

 

ミヤマウツボグサ

 

キオン

山頂近くに大きな岩があると見えたのは近づくに従い、くずれかかった石垣とわかった。鍛冶小屋の石垣だという。芭蕉が羽黒山→月山→湯殿山とたどったことが「おくのほそ道」に書かれているが、「おくのほそ道」に記載された鍛冶小屋は谷の傍らにあった。そのほうが刀鍛冶にふさわしいように思われる。しかし今は山の上にある。その後、刀鍛冶のご神体だけ山の上に移設したのだろう。芭蕉は湯殿山から六十里越街道」経由で鶴岡に歩いたのかと思ったが実は、再び月山経由で羽黒山に帰り、そこから鶴岡に向かっている。 芭蕉翁などと自称しているので老人と思いがちだが彼が旅にでたのは46才のときだからまだ壮年である。我々のように70才になって登っているわけではないのだ。

六十里越街道」は鶴岡から湯殿山南側を通り、山形へと続く出羽三山詣の道と言われ、庄内藩主の参勤交代路としても利用されていた古道である。かつて宿場として栄えた田麦俣には、東京都檜原村(ひのはらむら)数馬蛇の湯の兜造りの「たから荘」と同じ形式の茅葺き屋根の多層民家が今も往時の姿をみせているという。

11:30山頂着。山頂は広いが、一番高いところは月山神社本宮が占拠している。一見チベットのポタラ宮を連想した。 ポタラ宮の脇に鳥海山の単独峰が海から立ち上がっているのが見える。

月山山頂 左後方は鳥海山  11:17

月山神社本宮への石段を登ってゆくと「八紘一宇」とへたくそな字で大書した石碑が立っている。戦前この地方の青年団と婦人団体が連名で建てたもののようだが、このようなものが今だ破壊されもせず残っているのをみて気分が悪くなる。なぜ気分がわるくなったかといえば「八紘一宇」という言葉は大東亜共栄圏を作り上げるためのまさに根本原理として採用された標語だと知っていたからだ。

そもそも「八紘一宇」は日本書紀に記されている神武天皇の言葉を元に、大正期に日蓮宗系の宗教家、田中智學が造語したものだ。田中智學自体は戦争 を批判していたが、昭和10年代には軍部や時の内閣によって盛んに使われるようになった。そして昭和15年、第2次近衛内閣によって閣議決定された政策方 針である「基本国策要綱」で「皇国ノ国是ハ八紘ヲ一宇トスル肇国ノ大精神ニ基キ・・・日満支ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル大東亜ノ新秩序ヲ建設スルニ在リ」 のように使われた。

気分がわるいので、お祓いのためのお賽銭の500円が見つからず若い巫女に怒鳴られる。「八紘一宇」時代にもどったようだ。それでも気を取り直して先月生まれた孫のお守りを買い求める。神域は撮影禁止のため、入口で記念撮影をする。

記念撮影 マーさん撮影

約1,400年前、第32代崇峻(すしゅん)天皇が蘇我氏に害された時、蜂子皇子は難を逃れて出羽国に入った。そこで羽黒山に登り、苦行の末に羽黒権現の示現を拝し、さらに月山・湯殿山も開いて三山の神を祀ったことに始まると伝えられている。

月山神社は延喜式神名帳に記載があり、名神大社とされている。祭神「月読命」は天照大神の弟神である。出羽神社も、神名帳に記載ありとされる。古来より修 験道(羽黒修験)の道場として崇敬された。三山は神仏習合、八宗兼学の山とされ、江戸時代には一山を寂光寺と称して天台宗として奉祀されていた。明治の神 仏分離で神社となった。旧社格は月山神社が官幣大社、出羽神社・湯殿山神社が国幣小社である。戦後、神社本庁の別表神社となった。

こう効能書きは立派だが石造の門のなかには白装束の目付きの悪い(右翼っぽい)お兄さんたちが警備していて、若い巫女は怒りっぽく、早くかねを出せ、ヘルメットを脱げと機嫌がわるい。あまりありがたくない神社であった。なにか靖国神社を思わせるところがある。

月山神社は出羽神社に発して、月山神社本宮月山に登り、湯殿山神社に下るいわゆる出羽三山めぐりの中間点である。湯殿山神社は温泉が湧き出て表面を流れている古代の朱である赤鉄鉱色、すなわち岱赭(たいしゃ)色の巨岩をご神体としているという。水銀を微量含むとされているが鉄分を多量に含んでいるのだろう。巨岩の前には鏡が設置してあるという。参拝者ははだしでこの巨岩を登る。足湯の効能があるのだろう。巡礼の最後を温泉で締めくくるとは。芭蕉もこの巡礼をしたという。

語られぬ湯殿にぬらす袂かな

山頂から東を望めば蔵王連峰、南東に吾妻連峰、そして朝日連峰の奥に飯豊山が見えている。山頂ではdocomo movaの携帯メールが使えた。

昼食後、牛首経由リフト上駅に戻る。途中、月山から連なる牛首、紫灯森、金姥、姥ヶ岳の峰々がみえた。湯殿山は金姥の奥に顔を出している。芭蕉もこの山道をたどったのだ。

牛首、紫灯森、金姥、姥ヶ岳、湯殿山

夏スキーのシーズンは終わっていたが、学生の一団が訓練をしていた。朝日連峰に向かってまっすぐ伸びる寒河江川がつくる谷は2007年のバイクツーリングの折り、道に迷って入り込んだ桃源郷である。

夏スキーと朝日連峰 9:59

リフト下駅から徒歩で民宿に戻る。駐車場14:30着。月山志津温泉「えびすや」で入浴したのち国道112号 (旧六十里越街道)で月山ICにでて山形道 にのる。

以後、東北道→首都高→桜木町で帰宅。

 August 14, 2008

Rev. March 17, 2015


トップページへ