ネグロス島

バイオケミカルテクノロジー・プロジェクトの面倒を見ていた1987年11月、フィリピン、ネグロス島南部の地熱発電とバコロードの砂糖黍畑と粗糖製造工場を視察し、両者を有機的に結合する手がないか提案するように求められて出かけた。

地熱発電は日本の技術が使われていた。高温の温水をポンプでくみ上げて汽水分離器で水蒸気と低温の水に分離し、蒸気タービン発電機で電力を得る仕組みである。分離された低温水は還元井から自圧で地下の岩盤の戻る。シリカ分が多いため、配管内壁にシリカが固着する。これをノミで剥離するのは人力である。

粗糖製造工場は米国の戦前の技術が移転され、完全に自給自足の工場であった。砂糖黍を絞る動力は往復動蒸気エンジンで駆動されている。消耗の激しい窄液ローラーは毎シーズン毎に自前の鋳物工場で自作している。砂糖黍を集荷するのも、狭軌の小型蒸気機関車である。日本の新技術導入はかえってこの自給自足体制を破壊するのでためらわれた。

唯一提案できそうな改善点は燃料不足を補完する、ヒートポンプ式の多重効用蒸発缶を使う精糖工程であった。

若き知事はむしろネグロス島産の果実ジュースを日本に輸出する方策を求めた。後にこの知事はゲリラに囚われた日本人救出に尽力することになる。

地熱発電所視察の折り、ネグロス島南部のセブ島とボホール海に臨む小さな町で一泊した。空調も無い防虫網戸だけのバンガローで蚊取り線香を3個も焚いて寝たが、蚊の大群に悩まされて一睡もできず、喉は蚊取り線香の煙でカラカラになった。しかし、セブ島と鏡のように静かなボホール海を見ながら朝食をとるという幸せに浸り疲労はすっかり回復した。

negros.jpg (15192 バイト)

ボホール海とセブ島を望むベランダで朝食

セブ島はかのフェルディナンド・マゼランが1521年に上陸した島だという。今でもセブ市にはマゼラン・クロスが残り、サン・オーガスチン教会(サント・ニーニョ教会)にはマゼランがセブの女王に贈ったとされるサント・ニーニョ像が鎮座している。

negros2.jpg (24778 バイト)

食事用ベランダ

ネグロス島に渡るにはマニラ経由となる。マニラでは週末、商社の案内でピストルやライフルの試写に出かけたが、素人の撃つライフル弾が花火のような音をたててそばを抜けてゆくのには辟易し、早々に退散した。

2001/1/13

Rev. June 7, 2004


トップページへ