シリアル番号 | 969 |
書名 |
おくのほそ道 |
著者 |
芭蕉 |
出版社 |
岩波書店 |
ジャンル |
紀行文 |
発行日 |
1991/12/5第1刷 2007/1/15第11刷 |
購入日 |
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評価 |
優 |
ミセス・グリーンウッド蔵書
月山登山後、興味を持って再読する。導入部 の
月日は百代(はくだい)の過客(くわかく)にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老(おい)をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。
はいつ読んでもいいですね。
「おくのほそ道」に興味を持ったのは芭蕉が平泉を訪れたのち、尿前の関→尾花沢→立石寺と歩いた後、最上川下りで羽黒山に向か っている。
このとき、
五月雨をあつめて早し最上川
と読むのだ。そして羽黒山から月山にのぼり 、山上で一泊、鍛冶小屋・牛首経由湯殿山に下ったのち六十里越街道で鶴岡城下に下り象潟(きさがた)にいったのかを知りたかったのだ。
「六十里越街道」は、鶴岡から湯殿山南側を通り、山形へと続く出羽三山詣の道と言われ、庄内藩主の参勤交代路としても利用されていた古道である。かつて宿場として栄えた田麦俣には、 茅葺き屋根の多層民家が今も往時の姿をみせている。
芭蕉は湯殿山に下ったとしか書いていないが、同伴した弟子曽良旅日記を読むと、湯殿山から再び月山に登り、羽黒山に下 り、そこから鶴岡藩士の家に向かったのだ。昔の人は健脚であった、ということより渓谷沿いの六十里越街道より尾根伝いの道のほうが楽であったのだろう。