東北ツーリング

2007年-1

2007年5月上旬、ロータリークラブ・ハーレー会が東北バイク・ツーリングを行った。全走行距離2,000km。全日 程4泊5日であった。

空色ルート

第1日 5月7日(月)

サイドカー騎乗の新潟の荻野夫妻と新井SAで 10:00に合流すべく長野出発。 チャップスを着用し綿入れのジャケツを中着として着込む。妙高を通過するころ、深い霧の中に入る。視界確保のためヘルメットの風防を取り外す。荻野夫妻は 雨合羽で武装して霧の中から現れる。田植えの時期に入った広大な新潟平野を新潟に向かい驀進。新潟より磐越自動車道で東進。会津平野に入ってようやく青空が見える。磐梯山SAにて 昼食。2006年10月に登った磐梯山には残雪が少しばかり残っていた。

東北道を下ってくる本隊と安達太良SAにて合 流。 今回から阪間さんが新規メンバーとして参加。井畑さんがトライクルで久しぶりで参加した。あとはいつものメンバーである。徳山さんは2週間まえにクレーン 車を修理中に鉄の塊と一緒に地面に落下したそうでかなりの打撲傷のため車で参加。隊長のハーレーのスペア・ドライバーとなるとのこと。 単車7台、サイドカー1台、トライクル1台と本部車としての乗用車1台である。

仙台エクセルホテル東急にて1997年以来、お付き合いいただい ている仙台ロータリークラブのハーレーフリークと会食。宮城医師会の会長をした精神科医の安田さん他菅野さん、深川さんらと再会。

磐梯山SAにて磐梯山を背に 荻野氏撮影 

長野→新井SA→新潟→磐越自動車道→安達太良 SA合流→仙台エクセルホテル東急泊(Hotel Serial No.13

第2日 5月8日(火)

80才近くなってもハーレーで通勤する安田さんが9:00にホテルに現れる。安田さんの見送りを受けて出発。一路、青森に向かって驀進。途中、栗駒山、焼石岳はま だ白銀の世界だ。

東北道を一路青森に向かって  石原夫人撮影

未踏の早池峰山(はやちねさん1,917mに も雪が見える。 早池峰山は北上山地の最高峰であり、非火山性の隆起山塊で、地質は古生層に属し、全山が超塩基性のカンラン岩や蛇紋岩でできている。このためハヤチネウス ユキソウなどを代表とする、「蛇紋岩植物」が生育し、高山植物ファンにとっては憧れの山である。火山の岩手山もまだ真っ白だ。岩手 山SAにて小休止。 全員で記念撮影。

岩手山SA にて全員集合 阪間氏撮影

岩手山SA にて 阪間氏撮影

さあ出発!  石原夫人撮影

黒石ICで東北道を降り、八甲田山の酸ヶ湯経由で浅虫温泉に向かう。八甲田山青森市の南側にそびえる火山群の総称である。道路脇には残雪が1m程残る。 酸ヶ湯は学生時代に一度バスで訪れたことがあるはずであるが、記憶 は平屋だったが現在のものは2階建てである。

記憶に残っていた酸ヶ湯

路面凍結前には山を降りようと一風呂浴びるといっている徳山氏を残して出発。この春、スキーヤーが表層雪崩に巻き込まれた近くを通過。 国道103号線を青森に向かって下る。新田次郎の「八甲田山死の彷徨」によってビビッドに描かれた青森の五聯 隊が全滅した遭難地点を通る県道40号線とは谷一つ隔てた尾根道だ。

八甲田山系の酸ヶ湯にて

青森市を東西に貫通するメーンストリートは電柱を地中化してスッキリした町並みになっていた。浅虫温泉海扇閣は陸奥湾に面した景勝の地にあるが眼前の浜を 埋め立てて 運動広場なるものを造成し折角の風光明媚な景観を破壊 していたので失望。夜は津軽三味線の演奏を楽しむ。この界隈ではまだ若い芸者さんを呼んでトントン・シャンシャンする風習が残っているとおみうけした。翌 朝5:00起床で町の有志の案内で 全国巨木百選に選ばれたという樹齢700年の赤松巨木のある裏山に上り、浅虫湖に下った。健脚の案内人だと思った人は海扇閣の社長さんであることが後で判 明。

仙台→黒石IC→八甲田山系の酸ヶ湯→浅虫温泉海扇閣泊Hotel Serial No.388

第3日 5月9日(水)

青森は環状バイパスで迂回し、五所川原市に向かう。ここでロータリークラブメンバーの案内で立佞武多(たちねぶた )の館を訪問した。行政を巻き込んで大変な投資をしていることを知った。 高さ20mを越すたちねぶたを3年使いまわすための巨大ビルがある。このビルの円筒状のガラス張りの側壁が可動式になっていて、たちねぶたを道路上に引き 出すことができるようになっている。 専属のスタッフが翌年のためのたちねぶたや別の町から依託されたねぶたを制作している。

五所川原の立佞武多(たちねぶた )

引き続き五所川原ロータリークラブの例会に出席し、石原隊長が挨拶、バナーの交換をする。時間がないため例会は中座し、津軽富士ともよばれる岩木山 (1,625m)を大きく廻りこんで男鹿半島戸賀塩浜に向かって日本海沿いに南下。岩木山は成層火山(コニーデ型)でほぼ円錐形をしているが 北側から望む岩木山の山頂は鋭く天を突き、険しい山容を呈している。

千畳敷で小休止。艫作崎を廻ると眼前に白神山地が迫力ある姿を見せる。十二湖は時間がないため割愛。国道7号線をただひたすら南下。能代市をすぎてようや く右手に干拓地が見え始める。旧八郎潟に突き当たってからは干拓地を左手にみながら砂丘が作った丘沿いにワインディング・ロードを走って、その丘を越えれ ば日本海と入道岬が見える。左手には寒風山が迫力ある姿を見せている。男鹿半島は昔は火山島だったのだろう。米代川の吐き出す砂で本土と連なったと見え る。男鹿半島の丘を越えれば戸賀湾である。この塩浜に男鹿水族館があり、その近くの丘の上に帝水があった。日本海に沈む夕日を望むことができる旅館として 売りだが、あいにくの黄砂で見えなかった。

ここで中本さんが東京から700km走破して合流。 女将自ら演奏する秋田三味線の音色を楽しむ。

浅虫温泉→五所川原→男鹿半島戸賀塩浜帝水泊Hotel Serial No.389

第4日 5月10日(木)

早起きし、付近を散策。ビッグ・サーの断崖を記憶の底から呼び戻す男 鹿半島の断崖絶壁に付けられた道のツーリングは目がまわり、思わずスピードを落とす。

男鹿半島戸賀塩浜にて 阪間氏撮影

秋田は工業都市だ、かっては日本鉱業が石油の採掘までしていたところだ。秋田大学で講演したとき先生の案内で油田地帯でくみ上げポンプを視察したことを思 い出す。またキノローンを 製造する製薬工場の完工時に秋田を訪問したこともある。

西目という道の駅で小休止。ここで徳山さんが阪間さんのヘッドライト支持器具の折れたボルトを電気工事をしていた職人の工具を借りてほじり出す。ボルトの 頭が疲労破壊で飛んで仕舞う故障で片持ち構造がいけないとにらんだ。中本氏のバイクのヘッドライト支持板のボルトももちょうど1万キロ走行して折れたそう である。

さらに7号線を南下すると日本ロケット発祥の地というところを通過する。 糸川教授がペンシルロケットを打ち上げたところだろうかと思いながら通過。7号線はずっと海が見え、信号も少ないので快適な炉ライブを楽しめる。

鳥海山が見 える象潟(きさかた)で昼食。芭蕉がここで

象潟や雨に西施(せいし)が  ねぶの花

と詠んだころは象潟は松島とならぶ入り江に九十九の島があったのだが、鳥海山の噴火後入り江 が隆起して今は水田になっている。下は象潟の航空写真で、水田に水を張ると往時の景観がもどるという。


遅れていた阪間さんと徳山さん運転の本部車も合流。

酒田市で山形自動車道に入る。海岸からはかなり離れているが庄内空港の近くにある酒田市浜中は巨大な砂丘があり1964年の映画「砂の女」の ロケーションが行われたところだ。庄内平野を眼下にみながら月山に向かって爆走。左手に藤沢周平の郷里で海坂藩のモデルとなった鶴岡市がある。彼の名作「風の果て」にでてくる 「太蔵が原」のモデルとなった月山西北部山麓の旧櫛引町(現鶴岡市東部)の延田原も左手はるかに広がっている。無駄な投資で悪名高い国土交通省直轄の多目 的ダム、月山ダムは自動車道路からは見えない。徳山さん運転の本部車は銀山温泉立ち寄りのため別行動をとる。

いくつかトンネルをくぐり、月山ICで一般道に下りる。道を間違えて朝日連峰の寒河江川沿いの寒村に入る。桜、新緑、渓流、雪山がそろった桃源郷であっ た。村の中心に西川町の大井沢自然博物館・伝承館が あった。朝日連峰は花崗岩質の隆起山塊である。ちなみに至仏山、平ヶ岳、会津駒ケ岳なども隆起山塊である。

志津温泉は月山の夏スキーの基地であった。水芭蕉がちょうど芽をだしたところで残雪が多い。最後の夜ということでカラオケで盛り上がった。 月山は八幡平と同じく日本においてめずらしい楯状火山(たてじょうかざん アスピーテ)である。

男鹿半島戸賀塩浜泊→秋田→象潟→酒田市→山形自動車道→月山IC→月山志津温泉つたや泊Hotel Serial No.390

第5日 5月11日(金)

次のコースで一路帰宅。月山 志津温泉→安達太良SA一部解散→佐野SA解散→自宅

暖かくなったので安達太良SAでチャップスを脱ぐ。風速15mの横風の中を10km/hで走るのはつらかった。今回の旅の最低気温は10oC であった。

長野出発時のオドメーター41,339km、自宅帰着時オドメーター43,251km。

May 16, 2007

Rev. February 18, 2016


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