パリ、シャンパーニュ、ブルゴーニュの旅

グリーンウッド夫妻は2005年、ヨーロッパで最も気候の良い6月にパリ、シャンパーニュ、ブルゴーニュの旅に出かけた。グリーンウッド氏はパリには3回、夫婦一緒では1971年に1回 、いずれも仕事に関連して訪れたことがあるだけである。純粋に観光だけが目的の旅は今回が初めてである。

トスカーナイベリア半島の旅のようにパッケージツァーには参加せず、コッツウォルド・ウェールズオランダ・デンマーク旅行に準じて自前の旅行プランを作成し、宿も直接インターネットで予約した。

フランスの田舎をレンタカーで走り回るという長年の希望は、若き頃観たフランス映画「男と女」(Movie Serial No.92)で主人公のジャンルイがレース車でモンテカルロから英仏海峡に臨むドービルまで1,200キロを徹夜で爆走するシーンが忘れられなかったためである。しかし、カエサルの「ガリア戦記」の最大の激戦地、アレジア訪問もしたい。 パプスブルグ家のフィリペII世の領地、ブルゴーニュ公国のフランシュ=コンテ地方にも興味がある。結局、地中海と大西洋沿岸は又の機会とし、シャンパーニュ、ブルゴーニュ地方のドライブを中心としまわることとした。

前半の4日間はパリ中心部を拠点にして市内観光は徒歩と地下鉄とした。パリ近郷のノルマンディー地方やイル・ド ・フランスはフランス鉄道公社(SNCF)を利用し、後半の5日はシャンパーニュ地方とブルゴーニュ地方をレンタカーでゆっくり回った。できるだけ 高速道路を避けて田舎道を村々を訪れてゆっくりするというものである。

プチ・パレのファサードを飾る彫像

第1日 凱旋門:6月6日(月)、東京発 、ヒースロー空港乗り継ぎ、シャルル・ド・ゴール空港着、凱旋門、パリ泊

第2日 オペラ座、ルーブル、ノートルダム大聖堂:6月7日(火)、オペラ座、ルーブル、パレロワイヤル、ノートルダム大聖堂、パリ泊

第3日 ジヴェルニー観光:6月8日(水)、ノルマンディー地方 、セーヌ下流のジヴェルニー観光、パリ泊

第4日 シャルトルの大聖堂:6月9日(木)、イルドフランスのシャルトルの大聖堂, パリ市内のムフタール市場、パリ泊

第5日 サン・ドニ・バシリカ聖堂、オルセー美術館:6月10日(金)パリ市内観光、パリ泊

第6日 ソアソン、ランス:6月11日(土)、シャンパーニュ地方観光、シャルル・ド・ゴール空港 で車のレンタル、ソアソン、ブレンヌ村、ゲー村、ランス泊

第7日 トロワ:6月12日(日)、 シャンパーニュ地方観光、 ランス出発、ドン・ペリニオンのオービエール村、エペルネ、オジェ村、セザンヌ、メリー=シュール=セーヌ村、トロワ泊

第8日 オータン:6 月13日(月)、 シャンパーニュ・ブルゴーニュ地方観光、トロワ出発、セーヌ河沿いのフシェール村、ムッシー=シュール=セーヌ村、シャティヨン=シュール=セーヌ、フォ ントネ修道院、アレジアの古戦場だったアリーズ=サント=レーヌ村、アレジアの隣の丘の上の村で映画「ショコラ」の舞台となったフラヴィニー=シュール= オズラン村、ブルゴーニュ運河のあるプジュリ村、要塞のあるスミュール =アン=オーソワ、ソーリュー、アウグストウスが築いたオータン泊

第9日 ヴェズレー:6月14日(火)、 ブルゴーニュ地方観光、オータン出発、館のあるラ・ロシュポー村、メリン村、ボーヌ、ニュイ=サン=ジョルジュ、クロ・ド・ブージョのシャトー、ロマネ=コンチのブドウ畑、ボーヌ、A6、ア ヴァロン、中世の巡礼の出発点でマグダラのマリアの遺骨があるとされた丘の上のヴェズレー、ヴォー=ド=リュニーのシャトー泊。

第10日 ヴォー=ド=リュニー、ポンティニー:6月15日(水)、ブルゴーニュ地方観光、ヴォー=ド=リュニーのシャトー出発、ニトリ、シャブリ、ポンティニーの 大修道会付属教会、サン・フロランタン、サリシール、サンス、A5、シャルル・ド・ゴール空港泊

第11日 帰路:6月16日(木)、シャルル・ド・ゴール発、 ヒースロー空港乗り継ぎ、機中泊

第12日:6月17日(金)、東京着

ルート図 黒は列車 赤は車

結果は大成功で、天気はブルゴーニュ地方南部で1日だけ雨だった外は快晴で、気温も20度Cを越えず、湿度は低く、折りからの新緑を満喫した。マロニエはもう小さな実をつけていて菩提樹がちょうど満開で、郊外の田園地帯の道路沿いのプラタナスの並木は見事なものであった。

野鳥が盛んにさえずっていたのが印象深い。特に全身真っ黒なクロウタドリ(ブラックバード)はパリの市中の木立のなかでも田舎の村でもよく通るなき声で耳を楽しませてくれた。

ランスのクロウタドリ

米英に比べるとどちらかというとフランスは国民性か、官僚組織がしっかりしているのか、道路網全体が整然としていて論理的に一貫している。一旦コツをのみこむと道路標識も道路の形態も予想ができてドライブはパリ中心部を避ければ日本よりやさしいことは請け合い。

しばらく滞在するとどんなものが食べられるということもわかるようになる。ハム、チーズ、パン、臓物ソーセージなど食材はいずれも美味で魚料理を除けば当たり外れが少なく、意外にストレスのない旅がたのしめた。

大陸の交通網は中世より網の目のようになっており、そのノット部が村になっている。そして道路は今でも村をバイパスさせることなく、かたくなに昔のままに 村の中心部を貫通させていて見事であった。村の外に新しく作られた交差点はすべて英国とおなじくロータリーになっているため信号で停止させれれることもな い。ドライバーは村内を通過するときは減速しなければならないという不便さはあるが、渋滞がないので格段に困ることはない。村に新築家屋を建設する場合で も伝統のベージュ一色の石造りの家 の外見に統一している。このような古風な家が軒を連ねている村を通り抜けて新緑のプラタナスの並木道を加速しながらゆるやかなアンジュレーションのあるあ の広大な丘をオペルでのぼたっり下ったりしながら、田園地帯に出てゆくその移り変わりの瞬間が最も美しい。FMのシャンソンなどが聞こえれば鳥肌がたつほ どの感動をおぼえる。

並木道

ブルゴーニュ地方の丘陵地帯の頂上部は石灰岩に覆われていて、そこには意外に多く森が残されている。濃い森の緑と明るい麦畑のコントラストがとても美しい。ブドウの産地は意外にせまく、 急な斜面の石灰岩の多い荒地にしか耕作されていない。そしてこの石灰岩がブルゴーニュ独特のワインの味わいを出すのだという。緩やかな斜面を下った粘土質の平地は殆どは麦畑で、フランスは偉大な農業国と感じ た。化石燃料が枯渇する今世紀末に向けて、太陽の恵みを最大限利用できる余裕を持った国ではないか。和田傳の詩

山の稜線に父の肩を見て

勇み立ち

山の狭間を

母のふところぞと

やすらい

原初の心失はず

ゆたかに慎ましく

すみてあり

そのままの姿がそこにあった。

もしかしたらこの美しい風景もその一部はEUの農産物の輸出補助金によって支えられているのかもしれないなとは思う。それが農業が基幹産業であるアフリカなどの苦境につながっているとすれば皮肉なものだと思う。

今回は期せずしてほとんどセーヌ河の流域にとどまった。一番下流がジヴェリニーで一番上流の水源となるフランス中央台地はオータンのチョッと北であろう。運河に使うためにロックがいたるところに設けられていてセーヌ河が尽き分水嶺のある フランス中央台地を貫通してブルゴーニュ運河が掘削されている。そして今でも一部、観光用に供されている。

ブルゴーニュ運河

鉄道のできるまでは大西洋ーパリー地中海を連結して物資の輸送に使うため、 セーヌ河、ヨンヌ河、ソーヌ河を結ぶブルゴーニュ運河やセーヌ河とロアール河を結ぶロアン運河とブリア運河。そしてロアール河とソーヌ河を結ぶラテラル・ア・ラ・ロアール運河と中央運河が穿たれた。後者に関してはかって柏村勳氏の「素晴らしいヨット旅行」でオランダから地中海に抜ける航海記を読み、いつか運河のクルーズをしてみたいと夢見たこともあった。今回これに並行するブルゴーニュ運河があることを初めて知り、運河文化の奥深さを垣間見た次第である。

フランスの運河といえばこのほかに大西洋のボルドー→ツールーズを結ぶガロンヌ運河とツールーズ→カルカッソヌ→地中海を結ぶ、ミディ運河(Canal du Midi)がある。

ブ ルゴーニュ地方の田舎深く入り込むとFM放送は聞こえなくなり、AM放送にしても隣国のドイツの放送しか入らなくなる。隣国ドイツのライン川沿いは工業地 帯で人口が密集し、道路網も密であるのに対し、フランス側は農業地帯で人口密度が低いのでやむをえないのだろう。ドイツに長く住んだ森永晴彦氏によればドイツもライン河をはなれ、東にゆくとフランスのような田園地帯になるという。

パリは無論、田舎でも人々は親切であり、英語も殆ど通じて気持ちの良い旅ができた。

最後のドゴール空港内のIbisホテルはデジタルPBXを使っていてアナログ・モデムが使えなかっただけで、外の全てのホテルは全て旧来のアナログPBXのため、モデムでインターネットと接続可能であった。 ダイアルとトーンも半々で意外にパリがダイアル式だった。

アレジアの古戦場を訪れるという希望を出しただけで、旅の詳細計画も予約も全て夫人まかせであったグリーンウッド氏は事前勉強に2日しかかけなかった。しかし計画にゆとりがあるため、毎日次の日の勉強をするだけで 難なくなく旅が継続できた。文明国はあらゆる面で整備が行き届いている証拠だろう。

デジカメで撮影したスティル写真711枚。そのうち 約98枚を選んでご紹介する。撮影したビデオは1.5時間分ある。

July 10, 2005

Rev. Aigust 10, 2014

東大付属病院、循環器科の若き女医のS嬢から直接本ページを参考にしてフランスのストラスブールからランスまでご両親を連れてドライブしたとうかがった。ご愛読ありがとう。

Rev. October 14, 2008


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